――聖ヨト歴三三〇年、シーレの月、青、ひとつの日、夜。

 

桜坂柳也は自室のベッドの上で心地良い疲労感に身をゆだねていた。

シングルの狭い寝台の上には彼にぴったり寄り添うような形でリリィが寝そべり、天井を見上げる彼を見つめている。

二人はともに生まれたままの姿で、肌には薄っすらと汗が浮かび、ベッドのシーツには二人分の淫水が染み込んでいた。行為が終わってまだ間もないらしく、柳也もリリィも、その裸身はやや紅潮している。

「以前からずっと疑問に思っていたんだが……」

不意に柳也が口を開いた。

とてもベッドの上で持ち出す話題でないなと思いながらも、こういう時でもないとリリィとはゆっくり対話する機会がないと、かねてからの疑問をぶつけてみる。

「リリィとダグラス殿は、どんな関係なんだ?」

柳也はストレートに疑問をぶつけた。

命令とはいえ、異世界からやって来た得体の知れない怪物相手に処女を散らしたリリィ。そのリリィに、そんな決断をさせたダグラス。この二人の関係は、いったい何なのか。単なる主従関係に収まらないのは明らかだ。いやそもそも、親子ほども年の離れた二人が、どうやって知り合ったのか。なぜリリィは王国軍ではなく、ダグラス個人に仕えるようになったのか。仕えるにしても、なぜ密偵という職を選んだのか。

「……気になりますか?」

リリィは小さく微笑んで、柳也を見上げた。上目遣いに見つめられ、柳也の中で言葉では形容しがたい感情が生じる。

最近になってこの少女は、ベッドの中では時折こうした表情を見せるようになった。ベッドの中で、に加えて、さらに行為の後という限定条件が付くが、無表情の仮面をはずした彼女はとても魅力的だった。

「ああ、気になるね」

柳也は、ふいっ、と顔を背けながら呟いた。

無表情の仮面をはずしたリリィの微笑は反則だ。眺めていると、彼女だけに溺れてしまいそうで、少し怖くなってしまう。

腹筋を撫でられた。

密偵という物騒な職に就いているとは思えぬほど柔らかな手が、腹部を上り、胸板を滑る。

「ダグラス閣下は、私の実の父親です」

柳也は愕然と両目を見開いた。

驚愕から反射的に起き上がろうとして、しかし、それをリリィに阻まれてしまう。

彼女は胸ばかりか肩にも手を置き、柳也をベッドに縛り付けた。

「駄目です。もう少し、このままでいさせてください」

「実の……って。しかし、ダグラス殿は……」

「はい。エトランジェです」

二重の衝撃が、柳也を襲った。一つはやはりリリィがダグラスの娘らしいこと。もう一つは、エトランジェのダグラスに、子どもがいたという事実。

異世界からやって来たエトランジェと、有限世界の住人の間に子どもが生まれにくいのはファンタズマゴリアの常識だ。統計学が発達していない世界だから根拠らしい根拠はないが、一説によると受精の確率は二万分の一程度だという。ダグラスはその二万分の一の確率との戦いに、勝ったというのか。

「閣下はこれまでに何人もの愛人を作り、また何度か結婚もされましたが、子どもが出来たのはわたし一人……わたしの母一人でした」

リリィの母親は王国軍の兵士だったらしい。女だてらに部隊長を務め、その気丈さに惚れ込んだダグラスから求愛を受けたそうだ。ダグラスはかなり積極的に、かつ情熱的に、リリィの母を求めたという。

「そうやって母と閣下が愛し合った結果、わたしが生まれました」

リリィの母親は、ダグラスがエトランジェだということを承知の上で彼と愛し合ったらしい。その果てに子を身ごもったと知った彼女は、生まれてくるわが子がエトランジェの血を引く者と、差別の対象になることを恐れた。そして、そのことでダグラスに累が及び、彼の正体が露見することを恐れた。

リリィの母親は、ダグラスの前から姿を消し、人里離れた森の奥で、彼女を生み、育てることにした。彼女はリリィを、ひとりで出産したという。

「強い人でした。父とわたしを守るために、母は一人でわたしを育ててくれました」

しかしその母も、リリィが一二歳の時に亡くなってしまったという。

孤独になったリリィは母親から聞かされていたダグラスのもとを頼った。

「閣下は……父は、わたしを快く迎えくれました。通産大臣という立場がありましたから、籍は入れられませんでしたが、住む場所は提供してくれましたし、仕事も斡旋してくれました」

それで進められたのが密偵の仕事か、と問うと、リリィは首を振って否定した。

「密偵の仕事を選んだのは、わたし自身の意志です。わたしが密偵をやりたいと言い出した時、父は反対しました。でも、わたしは少しでも父の役に立ちたかった」

リリィはそう言って、自らの出生にまつわる話を締めくくった。

そんな彼女に、柳也はかけるべき言葉を失っていた。

自分も相当に波乱万丈な人生を送っていると思っていたが、リリィのこれまでの人生はその比ではない。本来なら比べること自体間違いなのだろうが、そう思わずにはいられない壮絶な半生だった。

同時に、柳也は一つの納得に至った。

かつてダグラスの命令で、自分に処女を捧げたリリィ。いくら父の役に立ちたい一心だったとはいえ、異世界からやって来たエトランジェ相手に、なぜ身体を許すことが出来たのか。しかし彼女自身がエトランジェの血を引く者であれば納得がいく。もともとリリィは、最初からスピリットやエトランジェに対する差別意識が薄かったわけだ。

リリィが柳也の胸板に頬ずりをした。

両目を閉じ、うっとり、と何かに酔いしれるように、柳也に身をゆだねてくる。

「リュウヤ様は、不思議な人」

「ん?」

「一緒にいると、なんとなく安心出来るんです。閣下と……お父様と一緒にいるような気がして」

「ふむ」

柳也は不意に己の腕を持ち上げると、二の腕を鼻に近づけた。

「……そんなにするか、加齢臭?」

おどけた調子で言うと、リリィに胸を噛まれた。甘噛みだ。くすぐったい痺れとともに、不思議と暖かい感情が、胸の奥をひた走った。

血が滾るような熱はなく、なんとなく優しい気持ちになれる、奇妙な気持ちだ。

――……これが、恋、なのか?

初恋を知らない柳也には、その気持ちが本当に恋愛感情なのかどうか分からない。

ただ、いま腕の中にいる少女を守ってやりたい。「父の役に立ちたい」と言う彼女を、見守ってゆきたい、と思った。

 

 

 

 

 

永遠のアセリア

-The Spirit of Eternity Sword Another Story “Twin Edge of Protection”-

第二章「蠢く野心」

Episode39「オペレーション・スレッジハンマー」

 

 

 

 

 

――聖ヨト歴三三〇年、シーレの月、青、よっつの日、朝。

 

スピリット・タスク・フォース(STF)隊長・高嶺悠人と副隊長の桜坂柳也、そして参謀役のエスペリアの三人は、早朝から国王の遣いに呼ばれ、謁見の間へと足を運んでいた。

そこには悠人達だけでなく、ダグラスを始めとする主要な大臣各位、リリアナといった錚々たる顔ぶれが並んでいた。

これだけの顔ぶれ揃っている中、エトランジェやスピリットが召集されるというのは珍しい。あの魔龍討伐作戦の詔以来ではないだろうか。

その時のことを思い出した悠人は、今度はいったいどんなことをやらされるのか、と、胸中暗澹たる思いで国王の発言を待った。

王座のラキオス王は立ち上がると、居並ぶ面々の顔を順繰りに見比べていった。

行為自体に意味があるとは思えない。パフォーマンスか、あるいは儀式的なものか。

全員の顔を見終えたラキオス王は、目線を遠く、視界を広く保った状態で、口を開いた。

「親愛なる王国忠義の士達よ、とうとう来るべきその日がきた!」

静まり返っていた謁見の間に、国王のしわがれた声が響いた。

直後、場が喧騒に包まれる。国王が口にした「来るべきその日」が、何を指し示しているのか、集められた大部分の人々は、みな共通の考えを抱いていた。

ついにバーンライトと開戦か。此度の集会は、その宣戦布告を発表するためか。

ラキオス王は、朗々と言葉を紡いだ。

「本日午前六時、余は隣国バーンライトに向けて使者を放った。この使者にはある書簡を託してある。その書簡には、かつてバーンライトがわが国に行った犯罪についての詳細な内容と、それに対する賠償の請求が記されている」

居並ぶ廷臣達の口から、どよめきの声が上がった。

悠人やエスペリア、リリアナ達軍人も目を丸くしている。

誰もが、件の使者には宣戦布告の書簡を持たせたものと思い込んでいただけに、国王の告白が与えた動揺は大きかった。

「聖ヨト暦三三〇年、エクの月、青、ひとつの日、深夜。バーンライトは八個小隊二個大隊からなるスピリット二四体で国境線を越境、エルスサーオ方面軍に攻撃を仕掛けた。これは無論、宣戦布告なき、国際法を無視した犯罪行為である」

どよめきの声が、大きくなった。

王座に向けて跪く悠人とエスペリアが、はじかれたように顔を上げ、ラキオス王を、ついで柳也を見る。

エクの月、青、ひとつの日といえば、特別任務を帯びた柳也とセラスがちょうどエルスサーオに滞在していた時期だ。しかし、二人は柳也から何も聞かされていなかった。

「侵攻は雨の中、誰もが警戒を緩める深夜の最中に行われた。しかしバーンライト側の攻撃は失敗に終わった。その当時、エルスサーオにはわが国の誇る優秀な騎士と、エトランジェがいたからだ」

ラキオス王は柳也を、そしてセラスの顔を見た。

「そこにいるエトランジェ・リュウヤは当時、わずか二体のスピリットを率い、八倍の兵力を持つ敵を迎撃した」

その場にいる全員の視線が、柳也に集中した。

柳也は顔を上げ、困ったような、照れたような苦笑を浮かべる。

特に間近に感じる悠人とエスペリアの驚愕の眼差しに対しては、笑って誤魔化すしかなかった。

「この迎撃戦の最中、エトランジェ・リュウヤは、敵部隊の中にいたスピリット一体の名前を聞き出すことに成功している。つまり、犯人の身元だな。名を、オディール・緑スピリットという。情報部によれば、ダーツィからバーンライトに出向している、外人部隊の妖精だそうだ。余はバーンライト側にこの件で正式な抗議をすると同時に、このオディールの身柄を渡すことで、今回の一件を水に流すことにした。書簡が届いてから、二四時間以内にな」

一部の廷臣達が、思わず息を飲んだ。

件のオディール・緑スピリットがバーンライト王国軍に籍を置くスピリットなら話は早い。バーンライト側がオディールを差し出して、一件落着だ。

しかし、現実にはオディールはダーツィ大公国軍に籍を置くスピリット。バーンライトが独断で犯人の身柄を引き渡せば、それは国際問題になる。バーンライト一国の判断で引渡しが出来ない以上、王国政府は大公国と連絡を密に取らなければならない。電話も無線もない、有限世界の通信技術で。

「もし、バーンライト側がオディールの身柄を二四時間以内に引き渡さなかった場合は、いかがなさるおつもりなので?」

初老の交通大臣が、おずおず、と発言した。

ラキオス王が、そして柳也が、待っていました、とばかりにニヤリと笑った。

「その時は仕方がない。目には目を、歯には歯を、だ。わが国は断固たる態度を以って、武力による報復をする」

「そりゃあ、たいへんだ」

唐突に柳也が口を開いた。「たいへんだ」と、口ずさみながら、目が笑っている。

「ダーツィと連絡を取ろうとしたバーンライトの使者が、不慮の事故に遭わないようお祈りしなければなりませんな。たとえば、乗っていた馬がどこからか飛来した矢に射抜かれてしまう、とか。そういう事故には、特に気を付けるようにしてもらいませんと」

「うむ。その通りだ。誰も戦争など望んでおらぬゆえな」

ラキオス王は酷薄な冷笑を唇にたたえ、鷹揚な仕草で頷いた。

白々しい、とその場にいる誰もが思った。柳也が口にした事態の将来像こそが、ラキオス王の望む開戦プランであることは誰の目にも明らかだった。

おそらく、十中八九の確率で、バーンライトの放つ使者は事故に遭う。思うようにダーツィとの連携が取れないバーンライトは徒に時間を消費し、何ら有効な対策を立てられぬまま規定の二四時間を潰してしまうだろう。

そして、ラキオスとバーンライトは開戦に至る。

国王はエルスサーオを襲われた時の報復と言っているが、それだけに留まらないことは明白だ。最低でもリーザリオとサモドア山脈くらいは掌中に収めようとするに違いない。

「余も戦争は望んでおらん。しかし、余はラキオスの国王として、バーンライトの犯罪を許すわけにはいかぬ。せっかく与えた贖罪のチャンスを、もしバーンライトが蹴ったなら、余はラキオスの王として、勇気をもって武力による報復を決断しなければならぬ。そこで……」

王座のラキオス王は、下座の悠人達を見た。

「エトランジェ・ユートよ」

「はっ」

国王に名前を呼ばれた悠人が顔を上げた。

「万が一開戦となった際には、そなたらスピリット・タスク・フォースに報復戦の尖兵を務めてもらうことになる。リーザリオの防衛戦力を撃滅し、かの地を以後の攻勢の橋頭堡とせよ。作戦コードはオペレーション・スレッジハンマーだ」

国王は饒舌に呟くと、ニタリと微笑んでみせた。

また、場が騒然とざわめく。オペレーション・スレッジハンマー。聞いたことのない単語だ。はて、聖ヨト語にそんな発音の単語があっただろうか。

廷臣達が小声で呟いた疑問の言葉に、ラキオス王は悪戯を成功させた子どものように邪気のない笑顔で言う。

「正義の鉄槌、という意味だ。……そうだったな、エトランジェ・リュウヤ?」

「はっ」

柳也が顔を上げて頷いた。

謁見の間に集められた全員の視線が、異世界からやって来た青年に集中する。

なぜ今回に限って、国王は作戦コードに異世界の言語を使用したのか。なぜ国王は、異世界の言語を正確に発音し、意味を知っていたのか。そもそも国王は、いかにして異世界の言語を知るにいたったのか。なぜ国王は、異世界の言語の意味を、悠人ではなく柳也に確認したのか。

特別、切れ者でなくとも察しがつく。これは明らかなパフォーマンスだ。国王とエトランジェ・リュウヤの間には親密な協力関係が結ばれている、と周囲にあまねく知らしめる魂胆からの発言に他ならない。

自分には桜坂柳也という最大の味方がいると示すことで、反対意見を封殺する腹積りだろう。もっとも、王政国家のラキオスでは、反対意見がでたところであまり意味はないのだが。

ラキオス王の口にしたオペレーション・スレッジハンマーの要点は、作戦は二段階に分けて行われるということだった。

第一段階ではリーザリオの防衛戦力……すなわち敵将トティラ・ゴートの第三軍の撃破を目標とし、第二段階ではリーザリオそのものの陥落・制圧を目標とする。作戦の最終的な目的は、リーザリオをバーンライトに対する報復戦(侵攻)の橋頭堡とすることにある。

ラキオス王は目線を柳也から悠人へと移した。

「エトランジェ・ユートよ、ルーグゥ・ダイ・ラキオスの御名においてそなたに命令する。オペレーション・スレッジハンマーの第一段階に備えて、スピリットどもを率い、エルスサーオに向かうのだ。万が一バーンライトが謝罪の誠意を見せぬ場合には、即座に作戦行動を取れるよう努めよ」

「……はッ」

僅かに沈黙を挟んだ後、悠人は渋々頷いた。

はたして、その短い沈黙の内に、どれほどの葛藤が彼の心を苛んだか。

しかしそもそも、悠人に国王の命令を拒否する権利は最初からない。ラキオスにエトランジェの権利を保障する法律はないし、なにより彼は佳織という人質を取られている。

ラキオス王の命令に対し、異世界からやって来た伝説の勇者は頷かざるをえなかった。

内心の忸怩たる思いを押し殺して、悠人は立ち上がると〈求め〉を掲げた。

両隣の柳也とエスペリアも、同じようにそれぞれの神剣を掲げ持つ。

見上げたその先にあるのは、守り龍の御旗、ラキオス国旗だ。

聖ヨト王国時代からラキオスで執り行われている出陣の儀式だった。エトランジェとスピリットは、所属する国家に対し恭順の意を示しながら、声高に宣言する。

「わが剣に誓って、ラキオスの期待に沿えるよう努力いたします」

「では私は己自身の誇りに誓いましょう。私はラキオスのために、己の義務を果たすことをお約束いたします」

「ラキオスに栄光を」

三者三様の宣誓の言葉を耳にし、ラキオス王は満足そうに頷いた。ラキオス王国に対し恭順の意を示すということは、ラキオス王に忠誠を誓ったようなものだ。気分が良い。

「うむ。そなたらの誓いはわが胸にしかと届いた。では早速、行動に移れ」

ラキオス王の号令を受けて、エトランジェ達は踵を返した。

「お待ちください、陛下」

その時、この場にいる大臣達の中で、唯一国王と同じ王座の段を踏むことを許されているレスティーナが、口を開いた。

「父様」と娘が父親を呼ぶ時の口調ではなく、国務大臣が国家元首たる国王を呼ぶ際の敬称を口にしている。どうやらレスティーナは、娘でも姫でもなく、国務大臣として話があるらしかった。

「少しだけお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「むぅ? よかろう。手短にな」

「ありがとうございます。……エトランジェ・リュウヤ」

名前を呼ばれた柳也は、身体の向きを元に戻し、その場に跪いた。

突然の指名に対して、驚きの感情はない。レスティーナが口を開いた瞬間、自分に話しかけてくるのではないか、と薄々予想はしていたからだ。

「陛下の言によれば、件のオディールの名を聞き出したのはそなたのようだが、そなたは、覚悟が出来ているのか?」

「覚悟、と申しますと?」

「自分が戦争のきっかけを作った男として、後々の歴史に名を残すことに対する覚悟です」

先のことは誰にも分からない。

いまは必勝の気構えで話を進めているが、ラキオスが敗北する未来とてありうるのだ。その場合、桜坂柳也の名前は王国を破滅へと導いた大罪人として歴史に残ることになる。その覚悟が、出来ているのか。

レスティーナの辛辣な問いかけに対し、柳也は不敵に微笑んだ。

「今更、ですな」

柳也は顔を上げると、真っ直ぐレスティーナの顔を見た。

アメジスト色の瞳に浮かんだわずかな憂いは、彼の気のせいだったか。

柳也は、口調こそ丁寧ながら、厚顔不遜な態度でレスティーナに告げる。

「覚悟云々でどうこう言える時代は、すでに終わったものと考えております。私はすでに、この世界にどっぷりはまってしまっている。覚悟云々、責任問題云々で、与えられた命令から逃れることは出来ません」

そして、そこまで自分達を追い込んだのはこの国の人間達だ。その中にはラキオス王は勿論のこと、質問をしているレスティーナも含まれている。

当の本人がそんなことを口にするのは、お門違いも良いところだろう。

二の句をなくしたレスティーナを見た柳也は、「では、私はこれで」と、呟いて踵を返した。

 

 

――同日、朝。

 

「……どうして黙っていたんだよ?」

謁見の間を退室した悠人は、王城の廊下に自分達三人以外誰もいないことを確認すると、開口一番そう言った。

これに対し、質問を投げかけられた柳也は、歩みを止めることなく悠人に言う。

BOL作戦……エルスサーオでの戦闘には、陛下直々の命令で、緘口令が発せられていた。話したくても、話せなかったんだ」

「それにしたって……!」

話しかけても歩みを止めない柳也に合わせて、悠人も歩きながら語調を強めた。

国王直筆の書簡を届けるためにエルスサーオへ向かった柳也達。冷静に考えてみれば、不審な点はいくつも見出せた。ただ手紙を現地司令官に渡すのに、なぜ一週間もかかったのか。なぜ手紙を届けるだけの作業に、貴重な戦力たる柳也を登用したのか。

すべてはラキオス王の陰謀だった。その陰謀に、自分は気付くことが出来なかった。陰謀に気付くことなく、馬鹿みたいに間抜け面を晒して、友人を戦地へと送り出してしまった。そのことが、悔やまれて仕方がない。そんな自分に、腹が立つ。

「お前の気持ちは嬉しいんだけどな」

柳也は苦笑いを浮かべた。

目線だけをこちらに向けて言う。

「誰がなんと言おうと、俺達は軍人なんだ。どんな無茶な命令でも、それに従わなければならない。たとえそれが、結果的に友を欺く行為になったとしても、だ」

柳也は再び真正面を向くと続けた。

「それに、エルスサーオでのことを黙っていたのは俺自身の意思もある。お前や佳織ちゃんに、余計な心配をかけたくなかったんだ」

「……ッ!」

ただでさえ精神的に不安定になっていた。果てしなく黒い感情が、背骨を突き抜けた。

ぶるぶる、と唇が震える。

「……とって」

「ん?」

柳也が振り返った。

「余計なことって何だよ!」

気が付くと拳を突き出していた。

顔面に直撃。

柳也の身体が吹っ飛び、赤い床に尻餅を着く。顔を顰めた。

「痛っ……!」

「リュ、リュウヤさま!?」

エスペリアが悲鳴を上げた。

おろおろ、自分と柳也の顔を交互に見た後、自分が殴り飛ばした友人のもとへと駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

「あ、ああ」

「いますぐ治療を」

「いや、問題ない」

回復魔法を唱えようとするエスペリアを制して、柳也はそのままの体勢で自分を見上げてきた。

黒檀色の瞳に、突然殴った自分を非難する色はない。どうして殴られたのか、さっぱり分からない、といった様子だ。その態度が、さらに悠人を腹立たせる。

「余計な心配なんて、言うな」

悠人は、ギリリ、と奥歯を噛み締めて呟いた。

表情こそ怒りの形相を浮かべていたが、吐き出した声は悲しげに響いた。

「心配しちゃ悪いかよ? 友達のことを」

突如としてこの世界に放り出された自分を、いつも側にいて支えてくれた柳也。

佳織のことで理性を失いかけた時は、いつも彼がフォローしてくれた。強大な〈求め〉を持ちながらも、戦い慣れしていない自分をいつも助けてくれた。ある時は戦闘中に、またある時は第一詰め所の食堂で、暗くなりがちな自分を励まそうと、渾身のギャグを振るっては、その場を明るい空気に包んでくれた。

そんな日々を送っているうちに、現代世界では義妹の幼馴染といった程度の認識でしかなかった男は、いつの間にか悠人にとってもかけがえのない大切な存在となっていた。

その大切な友人が、自分自身を軽んじるかのような発言をしていることが、悠人には許せなかった。そして悲しかった。その大切な人物に殴りかかってしまった自分に、腹が立った。

――何やってるんだ、俺……。

「余計なんかじゃない。心配したいんだよ。俺も、佳織も、お前のことが大好きなんだから」

「悠人……」

「悪い。ちょっと頭冷やしてくる」

いまの自分は情緒不安定な状態だ。このままここにいては、また何か酷い仕打ちを柳也にしてしまうかもしれない。

そう思った悠人は、柳也達に背を向けた。

茫然とした眼差しが、背中に突き刺さるのを感じながら、悠人は足早にその場を後にした。

 

 

悠人の背中が、見えなくなった。

普段温厚な悠人が突如として取った行動に目を白黒させていたエスペリアは、はっ、と正気に戻って、慌てて柳也を立ち上がらせようとする。

「立ち上がれますか?」

「うん……」

柳也は素直に頷いたが、一向に立ち上がろうとしなかった。

悠人が去っていった方向をなおも眺め続け、呟く。

「友達、か……」

悠人の口から直接そう言われるのは初めてのことだった。

現代世界では自分は、佳織に近寄る変な男と認識され、下手をすれば知人にも満たない扱いだった。それがたったいま、他ならぬ悠人自身の口から、友達へと格上げされた。

「……やばい。すっげー嬉しい」

柳也の口元に、不意に微笑がはじけた。

つい今しがた、謁見の間にてラキオス王と暗い算段を進めていた男と同一人物とは思えない、屈託のない笑顔だった。

「見ろよ、エスペリア。……あれが、俺達の大将だぜ?」

柳也はなおも悠人の去っていった方向を眺めながら呟いた。

自分のことを「友達」と呼んでくれた男に殴られた頬をさすりながら、穏やかに微笑む。

普通だったらあの場合、それ以降の人間関係が気まずくなるのを考慮して、あそこまで過激な行動は取れないだろう。しかし、高嶺悠人にはそれが出来た。高嶺悠人は、それが出来る男だった。

どこまでも自分の気持ちに素直な男だ。そして、その気持ちをストレートにぶつけることが出来る。嬉しいと思った時には思いっきり笑ってみせるし、悲しい時には涙を流す。戦うことに迷いがあれば、迷いはまず剣の切っ先に反映される。

なにかと危なっかしい男だ。だから放っておけない。だからこそ、守りたいと、力になりたいと、切に思う。

「支えてやらないとな、俺達が」

「……はい」

耳朶を撫でるエスペリアの声が、やけに心地良い。

柳也は飽きもせずに長い廊下を眺めた。

 

 

悠人の消えた方向ばかりを見つめる柳也は、気付かない。

柳也と同じく廊下を眺めるエスペリアが、彼と異なる表情を浮かべていたことに。

彼女の双眸に、悲壮感漂う決意の意志が漲っていたことに。

「私が、護らないと……」

柳也は、気付いていなかった。

 

 

――同日、昼。

 

午前十時。

第一詰め所の食堂には悠人を初め、STFのメンバー全員が顔を揃えていた。

全員戦闘服を着込み、ぴりぴり、とした緊張感を放ちながらテーブルを囲んでいる。

上座に座るのは勿論、悠人と柳也の二人だ。悠人はいつものブレザータイプの戦闘服に加えて士官用の陣羽織、柳也の方はオリーブドラブの戦闘服に同じく陣羽織といういでたちだった。ただし、柳也の陣羽織には副官章が付いている。

無論、食事を摂るための集いではない。軍人が戦闘服を着て卓を囲むということは、この場が軍議の席であることを示している。

「……というわけで、私たちSTFはバーンライトが謝罪要求を蹴った際に備えて、エルスサーオへ向かうことになりました」

会議の司会進行役を務めるエスペリアは、謁見の間にいなかった面々に国王からの命令を伝えると、テーブルの上へと目線を落とした。

連結したテーブルの上には人数分の茶とともに一枚の地図が広げられている。ラキオスを含む北方五国の情勢が描かれた地図だ。

「作戦の概要を説明する前に、私たちの置かれている現在の状況を簡単に整理しておきましょう」

エスペリアの説明はまず、自分達の所属するラキオス王国から始まった。

「我々が所属するラキオス王国は、大陸最北に位置する国です。隣接国は三国。

まず、西のサルドバルト王国。聖ヨト国崩壊時、ラキオスの建国の時からの友好国です。軍事力的には、現在のわが国と比較すると劣ります。

次に、南方の隣接国イースペリア。水の力が強いモジノラ大湿地帯が国土の半分以上を占める国です。この国もラキオスとは友好関係にあります。

ラキオス、サルドバルト、イースペリアは、龍の魂同盟という軍事同盟を結んでいます。これは、互いに侵略を受けた際に支援戦力を派遣するというものです」

龍の魂同盟の実態は、かつて日本、ドイツ、イタリアが結んでいた三国同盟に近い。三国同盟も、同盟加盟国が攻撃を受けた場合には、他の加盟国が支援するというものだった。

「ただ、イースペリアは後述しますダーツィ大公国、デオドガン商業組合、ソーン・リーム中立自治区と隣接しているため、自国防衛に手一杯というのが現状です。軍事協力は期待出来ません。また、サルドバルトに関しても、直接バーンライト、ダーツィと国境を共有していないので、直接戦力を送り込むことは難しいでしょう。同盟は、事実上の不可侵条約である、と考えてください。

最後に、ラキオス南東に位置するバーンライト王国。みんなも知っているように、現在ラキオスが第一位仮想敵国として設定している国家です。ここ数年間も小競り合いが続き、両国の緊張は臨界を超えた、と言ってよいでしょう。

バーンライト王国と、その南方のダーツィ大公国は、軍事同盟を結んでいます。さらにダーツィは、大陸最南端サーギオス帝国と軍事同盟を結んでいます。戦を始めたら、勝利以外は、滅亡の道しかありません。……ここまではよろしいでしょうか?」

エスペリアの問いかけに、その場にいる全員が頷いた。ネリーとオルファはまだよく理解していないようだが、それでもおおよその概要は掴んでいるらしい。

アセリアは相変わらずよく分からない。頷いたのも、みんながそうしたから自分も、といった程度の意識だろう。

「私たちSTFはこれからエルスサーオに向かうことになります。バーンライトがわが国の謝罪要求を蹴った際には、即座に報復行動が取れるよう備えるためです。その場合、我々は龍の魂同盟の下に、王国と、それに加担する国々と戦うことになります」

「むぅ〜、なんでそんな面倒臭いことするんだろう?」

ネリーが素朴な疑問を口にした。バーンライトの謝罪云々のことを言っているのだろう。

「戦うなら戦うで、すぐに攻めちゃえばいいじゃん」

「それが政治なんだ、ネリー」

上座の柳也が声をかけた。

「先に攻めたのはこちらではなく向こう側。その証明が、ラキオスは欲しいのさ。二四時間の猶予っていう数字にも、本当は意味なんてないんだ」

「ふぅん。……ネリー、よくわかんないや」

「エスペリア、質問があるんだけど?」

エスペリアと同期のヒミカが挙手をした。

「ラセリオじゃなくてエルスサーオに移動するのは何でなの? バーンライトと戦うなら、ラセリオからサモドア山脈を越えて、一気に王都を叩いた方が奇襲にもなるし、効果的だと思うんだけど?」

「その質問については、俺が答えよう」

柳也がまた口を挟んだ。エスペリアに目配せして了解を取った後、舌先を滑らせる。

「ラセリオでなくエルスサーオに移動する理由は三点ある。

第一に、サモドア山脈を越えていくルートだと、行軍の際に時間がかかりすぎるということ。サモドアはリクディウスに勝る険しい山だ。山岳戦闘の専門訓練を受けていない俺達には荷が重過ぎる。

第二に、サモドア山脈に設けられた山道の門の鍵は、バーンライト側が握っているということ。山道を使えばだいぶ時間が短縮出来るが、それが出来ない。

第三に、現在リーザリオの防衛戦力が減少していること」

「減少、ですか?」

「ああ。バトル・オブ・ラキオスで、俺達は少なくとも敵スピリットを一八人撃破した。第三軍は一個大隊ないし、一個大隊半の損害を被ったと考えられる。戦略研究室の情報を信じるなら、この損害は魔龍討伐作戦実施前の第三軍の兵力の五〇パーセントに相当する。勿論、敵も馬鹿ではないから戦力の回復に努めているだろうが、それでも、いまのリーザリオに置かれた兵力は、多く見積もって以前の八〇パーセントってところだろう。加えて、回復した戦力は数合わせの弱兵と考えられる。精鋭山岳大隊を抱えるサモドアの第一軍を相手にするよりは、はるかに組み伏せやすい」

柳也はニヤリと冷笑を浮かべた。

ちょうど対面に座っていたヒミカの肩が、びくん、と震えた。来るべき戦いの予感に興奮し、凶悪に笑う柳也の顔をまともに見てしまったためだ。

悠人のように甘いマスクを持たない柳也だが、この男の闘気に満ちた冷笑には奇妙な迫力があった。

柳也はエスペリアに目線を向ける。

「万が一、開戦した場合は、平原を南下してリーザリオを攻撃、第三軍と戦うことになります。その際の具体的な作戦は……ユートさま」

エスペリアは悠人を見た。

頷いた悠人が、やや緊張した面持ちで立ち上がる。

悠人の手の中には、事前に柳也から渡された作戦計画の草案が握られていた。

BOL作戦で柳也達が頑張ってくれたおかげで、リーザリオを防衛する戦力はかなりのダメージを負っているはずだ。敵の司令は守りに徹する可能性が高い。俺達はまず、敵の主力をリーザリオの砦から引きずり出す。その後は青と赤のスピリット、それから、エトランジェの俺と柳也を中心に、打撃力で一気に攻める」

「ずいぶん、簡単な作戦ですね?」

「作戦は目的を明確にした上で、簡易なれ……だったよな?」

悠人は柳也に目配せした。

柳也は苦笑しながら頷く。

それを確認して、エスペリアが口を開いた。

「エルスサーオへは同地の国境線警備を兼ねた演習をする、という名目で向かうことになります。一晩は現地方面軍のお世話になりますが、みんなそのつもりで、バーンライトとの開戦に関しては誰にも話さないようにしてください」

「あの、いいですか?」

ヘリオンが、おずおず、というよりは、おどおど、とした手つきで挙手をした。

「その使者さんが到着してから二四時間というのは、どうやって知るんでしょう?」

「花火を打ち上げるんだそうだ」

柳也が拳を作った右手を掲げ、開くジェスチャーをしながら言った。

「本人がそう言っていたから、たぶん間違いない」

「報復作戦のコードはオペレーション・スレッジハンマー。バーンライトを叩く第一の鉄槌が、俺達STFだ。みんな、頼むぞ」

努めて勇ましく言った悠人の言葉で、軍議は解散となった。

 

 

――同日、昼。

 

ラキオスを発ったSTFは、時速二〇キロの高速での行軍を敢行し、午後一時にはエルスサーオに到着した。

エルスサーオにやって来た悠人と柳也は、まず方面軍司令の下へと挨拶に向かった。

エルスサーオ方面軍の司令といえばヤンレー・チグタム将軍だが、彼は柳也の顔を見るなり顔面を蒼白にした。

そこに、柳也が「もし、俺達の滞在に関して不備があったらあの時のことをばらしますよ?」と、魔法の言葉を口にすると、ヤンレー司令は「わかった。わかった」と呻きながら、STFの滞在を許可する書類を発行した。他のどの重要書類も優先的に。

「柳也、お前、あの司令に何かしたのか?」

「禁則事項です♪」

司令室から退室する際、悠人に問われた柳也はニヤリと笑って答えた。

エルスサーオでの滞在を許可された悠人達は、各詰め所に四人、三人、三人の組に分かれて宿泊することになった。組分けとしては、

第一大隊A詰め所……悠人、アセリア、エスペリア、オルファ

第二大隊A詰め所……柳也、ネリー、シアー

第二大隊B詰め所……ヒミカ、ハリオン、ヘリオン

という案配だ。ちなみにこの組分けは悠人らが自分達で決めたものではなく、ヤンレー司令の采配だ。

第二大隊に宿泊することになった柳也達は、その足で詰め所へ向かうことになった。他のグループは各大隊から出迎えがやって来ることになっているが、第二大隊詰め所の所在地を知る柳也に出迎えの必要はない。

「ねぇねぇお兄ちゃん、これからお世話になる第二大隊ってどんなところ?」

第二大隊詰め所へ向かう道すがら、ネリーが問うた。最初はくすぐったかった「お兄ちゃん」という呼び名も、もう馴れたものだ。

「アイシャっていう赤スピリットが隊長を務めている大隊だ。アットホームっていうか、一度仲間と認めた相手には、家族みたいに接するところがあるな。一言でいうなら、あったかい部隊だよ」

どこの世界のどこの国も、軍隊の部隊には伝統というものがある。エルスサーオ方面軍第二大隊にそれを求めるなら、『家族的な温もり』といったところか。

「ごめんください!」

第二大隊の詰め所の前までやって来た柳也は戸を叩いた。

ついでに、大声で自分が来訪したことを伝える。チャイムやインターフォンのない異世界では、自慢の大声が何より役に立つことはすでに証明済みだ。

しばしの沈黙。

やがて扉の向こうから、ばたばた、とした駆け足の音が聞こえてきた。それも複数。人数は……さすがに分からない。

「いらっしゃいませ、リュウヤさま!」

玄関の戸が開いた。

柳也にとって、懐かしい顔ぶれだった。

仮面をはずしたファーレーン、アイシャ、セシリア……むっつり顔のニムントールもいる。あの面倒くさがり屋の緑スピリットの少女が自分を出迎えるために足を運んでくれたと思うと、嬉しさがこみ上げてきた。あの雨の夜、後頭部に感じた膝の温もりは、いまでもよく憶えている。

「ひさしぶりだな、みんな」

柳也はわざわざ玄関までやって来てくれた面々の顔を順に見回して、屈託のない笑みを浮かべた。再会に、早くも胸が高鳴り始めている。

柳也は真顔になって背筋を伸ばし、一度だけ咳払いをこぼした。いまのは桜坂柳也個人としての挨拶だ。今度は公人・桜坂柳也として挨拶をせねばなるまい。軍人らしく自分を律し、深々と腰を折る。最敬礼だ。

「宿の提供、感謝します。リュウヤ・サクラザカ、ネリー・ブルー、シアー・ブルーの計三名、本日はお世話になります。よろしく頼みます」

「よろしくお願いしまーす!」

「よ、よろしくお願いします」

STFの副隊長として挨拶をした柳也に、ネリーとシアーも続いた。ポニーテールの少女は元気良く、おかっぱ頭の少女は、おずおず、とした口調だ。

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

方面軍第二大隊隊長のアイシャは莞爾と微笑むと、自らも腰を折って三人を受け入れた。

「わたしたち第二大隊は、あなたたちを歓迎します」

詰め所の中に足を踏み入れた柳也達は、早速食堂に案内された。柳也達がエルスサーオで滞在するに当たって、部屋割りをどうするか、大浴場の入浴についてはどうするか、などの取り決めをするためだ。また同時に、ネリー達の自己紹介をさせる目的もあった。

食堂に通された三人は、中央の柳也を左右からネリーとシアーが挟む形で食卓についた。対面の側には第二大隊隊長のアイシャが一人、柳也と向かい合って座っている。

食堂にはアイシャと柳也達の他に、ニムントールやファーレーンなど、任務あるいは訓練で現在席をはずしている者以外、第二大隊のほぼ全員が揃っていた。

話の邪魔にならないようみな口を閉ざし、遠巻きに四人のやり取りを眺めているが、誰もが会話に加わりたく考えていることは明らかだった。

テーブルにはセシリアの淹れた紅茶のカップが並べられ、かぐわしい香りを立ち昇らせている。

カップを口元に運びたい誘惑をなんとか断ち切って、柳也はまずSTFがエルスサーオにやって来た目的を説明した。

「……というわけで、俺達STFは国境線警備を兼ねた演習を行うために、エルスサーオにやって来た次第だ。演習の具体的内容については軍機につき話せないが、その点は容赦してくれ。

形式的な対話は、この辺りで終わらせようか。それじゃあまず、自己紹介から始めよう」

柳也は自ら率先して立ち上がると、努めて明るい口調で言った。両脇に座るネリーとシアーに一度だけ目配せをする。

ネリーはともかく、やや人見知りするきらいのあるシアーに、いつまでも自己紹介のない状況は辛いだろう。周りの人間が見知らぬ他人ばかりというのは、不安なはずだ。

「ここにいるほとんどの者がすでに承知のことと思うが、改めて。俺の名前はリュウヤ・サクラザカ。契約神剣は第七位の〈決意〉と〈戦友〉。知っての通りエトランジェ! ジョニーと呼んでくれ」

「はい、次ー」

背後で控えていたニムントールが間延びした口調で呟いた。柳也のジョニー発言は無視の方向だ。

「むぅ、相変わらずつれないなぁ、ニムは……。それじゃあ、次はネリー」

「うん!」

柳也の言葉に頷くと、ネリーは人懐っこい笑みを浮かべて立ち上がった。初対面の相手にも物怖じせずに話しかけられるのは、ネリーの素晴らしい長所だ。

「ネリーはネリーだよ! 〈静寂〉のネリー・ブルー。それでこっちが……」

「ね、ネリー…自分で立てるってば」

自分から立ち上がるのを待たずして、ネリーはシアーの隣に回り込むと、おかっぱ頭の少女を強引に立たせた。もしかしたら、人見知りするシアーのために気を遣ったのかもしれない。

「〈孤独〉のシアー・ブルーです」

かつて第二詰め所の食堂で初めて顔を合わせた時と同じように、シアーの自己紹介の声はネリーとは反対にか細いものだった。しかしその眼差しに不安はあっても、怯えの感情はない。

以前は見知ったセラスが背後に立っただけで、怯えて恐慌状態に陥っていたことを知る柳也は、いい傾向だ、と微笑んだ。

ふとネリーと視線が合う。双子の姉を自称する彼女も自分と同じことを考えていたのか、親指を立てた右手を、ぐっ、と突き出した。応じて、柳也も小さくサムズアップ。

二人のやり取りを見ていたアイシャが、微笑ましげに笑った。

「二人は仲が良いのね。わたしはアイシャよ。第七位〈敬虔〉のアイシャ・レッド。この第二大隊の大隊長を務めているの。よろしくね、ネリー、シアー」

アイシャはそう言って二人に右手を差し出した。

握手という行為が持つコミュニケーションの意味は、現代世界も有限世界も変わらない。

ネリーは迷わずその手を取って、元気良く、ぶんぶん、と振り回した。

ついで、シアーがその手を掴む。弱々しい握力での行為に、アイシャは力強く握り返した。

そして最後に、柳也がその手を握ろうとして、

「って、リュウは初対面じゃないんだから、握手の必要ないと思う」

と、ちょうど柳也の背後に控えていたニムントールに指摘された。

柳也は屈託なく笑うと、照れ隠しに頬を掻きながらバトル・オブ・ラキオスの戦友を振り返った。

「いんやぁ、アイシャの手って、こう、ぷにぷにしてて、しかも絹みたいな手触りだから、握り心地が良いんだよ。もう、病み付き?」

「……変態」

「……フッ、認めよう」

柳也はハードボイルド小説の主人公さながらのニヒルな冷笑を口元にたたえた。とうとう、自らを変態と認めた柳也だった。

その後、第二大隊の面々の簡単な自己紹介が終わって、柳也達はようやく本題に入った。なおその際、柳也がやった「これは何だい? 本だい」という渾身のギャグは、全力でスルーされた。

「ふふ、凹むぜぇ」

「リュウ、ここは真面目にやるべきところ」

「おう。そうだな」

渾身のギャグをスルーされて落ち込んでいた柳也は、ニムントールの一言で気を取り直すとアイシャを見た。

「それではまず、食堂の利用に関してですが、基本的に食堂とキッチンの利用は自由としますが、朝昼晩の食事の時間だけはわたしたち第二大隊に合わせてもらいます」

「俺の方は依存ないよ」

柳也は真顔で言った。

「第二大隊の飯が美味いのは知っているからな。ネリーとシアーも、それでいいよな?」

二人を見ると、彼女達はそれぞれ自分の言葉で了解の意を示した。

柳也は目線をアイシャに戻す。

「続けてくれ」

「はい。では次に大浴場の利用についてですが……」

その後もいくつか取り決めの確認が行われ、最後に、アイシャはいちばん重要な取り決めについて触れた。

「最後に、リュウヤ様たちの部屋割りについてですが、現在当大隊には二部屋、空いている部屋があります。どちらも二人用なので……」

「はいはいはーい! ネリーはね、シアーと、お兄ちゃんと一緒の部屋がいい!」

アイシャの説明が終わるのを待たずして、ネリーが挙手と同時に声を上げた。

柳也とシアーは思わず顔を見合わせる。

「こらネリー、人の話は最後まで聞きなさい」

「そうだよ。それにいま部屋は二人用って……」

「それならさ、ベッドを二つくっ付けちゃえばいいじゃん! 三人で枕を並べて寝るの。ほら、これで問題解決♪」

二人の指摘もどこ吹く風、ネリーは楽しそうに笑いながら言った。まったくもって問題解決に至っていないが、彼女のロジックではすでに部屋割りに問題はないらしい。

「ネリーちゃんは問題ないかもしれないけど……」

「だ、駄目ですよぅ!」

苦笑を浮かべたアイシャが何か言おうとした時、彼女の背後に控えていたセシリアが口を挟んだ。

「仮にも若い男の人と女の子が同じ部屋だなんて……うらやま……じゃなくって、問題大アリです」

「そうよねぇ。……ちなみにリュウヤさまは、小さい女の子の趣味は?」

からかい口調のアイシャが訊ねた。

柳也は即座に答える。

「俺は違うぞ!」

【我はそうだがな!】

きっぱりと断言した柳也の頭の中で、同じくきっぱりとした〈決意〉の断言が響いた。契約者以外に永遠神剣の声が聞こえなくて、本当によかったと、柳也は思った。

 

 

結局、部屋割りに関してはセシリアの『若い男女が一つの部屋で〜』という旨の意見が取り入れられ、柳也とネリー達は別々の部屋に泊まることになった。

「ここがリュウの部屋だから」

ニムントールに案内されて足を踏み入れた部屋は、一人で暮らす分には悠々とした、しかし二人で暮らすには少々窮屈な間取りの一室だった。部屋には必要最低限の家具と、ベッドが二つ並んでいる。洋式に外へと突き出した窓は、南側に設けられていた。

「うん。上等々々」

柳也はにっこり笑うと、軍用鞄を床に置いた。一人しかいないのに、ベッドが二つあるというのは少々邪魔臭い気もするが、コーポ扶桑の四畳半を思えば十分すぎる広さだ。

備え付けの窓を開放した柳也は、ニムントールを振り返った。

「ありがとうな、ニム」

「べ、べつにニムが用意したわけじゃないし」

「それでもだよ。ウレーシェ、ニム」

柳也が礼を言うと、ニムントールは照れたように俯いた。

「やっぱり……」と、小さな声が、耳朶を撫でる。

小首を傾げて訊き返すと、緑スピリットの少女は相変わらずのぶっきらぼうな態度で呟いた。

「やっぱり、リュウはリュウだ」

「ん?」

「変わってないな、って思った。ニムみたいなスピリットにも、当たり前のようにお礼を言うし、アイシャ隊長の手を平気で握ろうとするし」

「……べつに普通のことだと思うんだけどな」

柳也は苦笑しながらベッドに腰掛けた。

そうすることで身長差がなくなり、ちょうどニムントールと同じ高さの視線になる。

「俺からしたら、この世界の男どもの方が理解不能だ。スピリットってだけで、あんな美人を口説こうともしないなんて、理解に苦しむ」

「そういうところも、変わってない」

「ん?」

「女好きの変態」

「ぐっはぁッ」

柳也は苦しげに胸を押さえた。勿論、演技だ。ニムントールもそれが分かっているから、楽しそうに微笑んだ。

ごくごく自然な所作で、柳也の隣に腰掛ける。

ニムントールの温もりを隣に強く感じながら、柳也はあの雨の日の激闘を思い出した。彼女とこんなにも接近するのは、あの日の戦場以来のことだ。

不思議と安心出来る温もりに触れながら、柳也は、唇を動かした。

「元気だったか?」

「見ての通り。手紙にも書いたでしょ?」

「ああ。でも、やっぱり自分の目で見て、耳で声を聞いて確かめないと安心出来ん」

「そっちはどうだった?」

「俺も見ての通りさ。っていうか、元気だけが取り柄の男だぞ?」

「嘘つき。前に滞在していた時、最後の日には寝込んでた」

「あれは……仕方ないだろう」

柳也は苦笑をこぼしつつニムントールを見た。口をついて出てくるのは他愛もない言葉ばかり。

特に思考に頼ることもなく次々と紡がれる言葉遊びの時間を、柳也は心から楽しんだ。

「……ん?」

不意に、柳也は窓の外へと目線をやった。視界の端に、何か光るものが見えたような気がしたからだ。目を凝らしてよく見ると、南の空に、真昼にも拘らず花火が上がっている。

柳也は左手首に巻いた父の形見に目線を落とした。

時刻は午前一二時半。ちょうど昼時といった時間だ。

「……カウント・スタート」

「どうしたの?」

思わず口にした故郷の世界の言葉に、ニムントールが怪訝な顔をした。

「なんでもないよ」、と答えた柳也は、「そろそろ昼飯の時間じゃないか?」と、問いかける。

するとその直後、部屋のドアが二度、ノックされた。

返事をすると、ドアを開けたファーレーンが、

「昼食が出来たので呼びに来ました」

と、言った。まるであらかじめ図っていたかのようなタイミングだ。

柳也とニムントールは思わず顔を見合わせた。そして、どちからとなく噴き出した。

目を丸くしたファーレーンが、不思議そうに二人の顔を見比べた。

 

 

――同日、昼。

 

「これはいったいどういうことだ!?」

バーンライト王国の国王アイデス・ギィ・バーンライトは、使者から手渡された手紙を一読して愕然と声を荒げた。

羊皮紙製の手紙を握る手に、思わず力が入る。慌てて肩の力を抜くがもう遅い。くしゃっ、と皺立った手紙を、アイデス王はもう一度精読した。しかし、何かの間違いであってほしい、という彼の願望は、二回三回と読み返す度に打ち砕かれた。

顔面蒼白のアイデス王は、ぶるぶる、と肩を震わせながら、衛兵に主要な大臣達と王妃を至急謁見の間に召喚するよう命令した。

そんな彼を、ラキオス王国からの正式な使者として謁見の間に通されたリリィは、冷めた眼差しで見つめていた。アイデス王の手の中にある書簡は、彼女が手渡したものだった。

リリィ・フェンネスがラキオス王とダグラス通産大臣の二人から、アイデス王宛ての書簡を届けるよう命じられたのは、一昨日の晩のことだった。

オディール・緑スピリットの引渡しを要求する手紙を、アイデス王に直接渡してほしい。正式な使者としての身分を与えられるとはいえ、敵国王都へ単身乗り込む危険な任務だ。下手を打てば、死を覚悟せねばならない事態も起こりうるだろう。

しかしリリィは、他ならぬダグラスの命令を、ふたつ返事で引き受けた。

翌日早朝にはラキオスからの正式な使者として、リーザリオに単身訪問。敵性国家からやって来た者に対する厳しい入国チェックを切り抜け、王都サモドアに到着したのが本日午前八時のこと。二時間後、王城の謁見の間にてアイデス王と拝謁する許可を得て、現在に至っている。

アイデス王の招集に答えて、すぐに大臣達が集まってきた。その中にはリリィの知るバーンライト王国情報部長官の特徴を備えた人物もまぎれている。

主要な廷臣達が一通り集まったのを見てアイデス王は、最初に書簡の内容を声高に読み上げた。

ラキオスは先の魔龍討伐作戦の際に自国領土を侵犯されたとして、外人部隊に所属している緑スピリットの身柄の引渡しを要求していること。もしこの要求が二四時間以内に受け入れられなかった場合、軍事力による報復措置の実行を考えていることなど、ラキオス側の言い分を包み隠さず公開した上で、アイデス王は居並ぶ廷臣達の顔を見た。

「あの鉄の山戦争……いや、バーンライト建国以来の国難である。忌憚のない意見を求めたい」

大臣達は、始めこそ特殊作戦部隊による魔龍討伐プランを立案した情報部長官に非難の声を集中させていたが、アイデス王の言葉を受けて侃々諤々の議論を交わした。

最初に口火を切ったのは四六歳の若い農水大臣だった。

「やはりここはラキオスの言い分を飲み、オディール・緑スピリットを引き渡すべきだろう。外人部隊のスピリットは、ダーツィの持ち物であると同時にわが国の持ち物でもある。これをわが国の独断で引渡しところで、それを裁く国際法は存在しない」

「たしかにその通りだが、それは道義的に許されんでしょう」

農水大臣の意見に反対の意を示したのは財務大臣だった。王国の台所事情をよく知る彼は、人間という動物が数字だけでは推し量れない生き物だということを重々承知している。その人間が集まって形成する社会もまた、一か、〇かでは推し量れないことを知っていた。

「たったいまあなたがおっしゃったではありませぬか? 外人部隊は、わが国の財産であると同時に、同盟国ダーツィの所有する財産でもある。ダーツィへの相談なしにこれを引き渡すことは、友人から借りていた玩具を勝手にまた貸しするようなものです。本来の持ち主であるダーツィが、良い気分であるはずがない。最悪、ダーツィからの軍事的・経済的な援助がストップするやもしれません。

そればかりか、わが国は国際的な信用を失うことになるでしょう。バーンライトは約束を反故にするような国。そんな印象を持たれては、わが国の経済活動は壊滅的な打撃を受けることになります。ラキオスとの開戦は退けられるかもしれませぬが、その代わりに、とても大きなものを失うことになるでしょう」

「では、どうしろというのだ!?」

「まず、兎にも角にもダーツィとの連絡を取ることです」

ヒステリックに叫んだ農水大臣に、財務大臣は冷静に答えた。

王政国家の中で財務大臣という役職は比較的地味な部類に入る。逆に基本的な産業のレベルが中世ヨーロッパの域にあるファンタズマゴリアでは、農水大臣は多くの活躍を期待される派手な役職だ。しかしバーンライトの場合、少なくとも危機管理の能力においては、財務大臣の方が高い水準にあるらしい。リリィの目にはそう映じた。

「次にラキオスにも使者を送り、二四時間という猶予期間をなるべく引き延ばすよう交渉を行うのです。そうして時間を稼いでいる間にダーツィとの交渉を進め、同時に、最悪の事態に備えて軍の態勢を整える。これが、おそらくは最善の策ではないかと」

「ふうむ……」

アイデス王は相槌を打ちながら財務大臣の案を思案する。

なるほど、財務大臣の意見はもっともだ。彼の言ったことは早速行動に移すべきだろう。と同時に、もう一つ別な仕事を遂行せねば。

「通信兵!」

アイデス王は言葉短く叫んだ。

すぐさま、衛兵に混ざって控えていた通信兵が顔を出す。

「これより五通の書状をしたためる。一通はラキオス王宛、一通はダーツィ大公宛、そして残る三通は王国各軍の司令宛だ。確実に手元に届くよう努めよ。……それから衛兵諸君」

アイデス王は下座のリリィを見た。

「このラキオスからの使者を拘束・軟禁せよ」

「拘束ですか?」

財務大臣が渋面を作った。アイデス王の命令に、人としての道義が欠けているように感じたらしい。

しかし、この場合はアイデス王の判断の方が正しいと、リリィは思った。

「ラキオス王からの書簡には、余がこの手紙を読んでから二四時間後に宣戦布告と見なす、とあった。この場にいないラキオス王が、どうやって余が手紙を読んだことを知りえる? おそらく、この者がこれから連絡を取るのであろう。符丁を打つのか、狼煙を上げるのかは分からぬが、早急にこの者を拘束し、外部との接触を絶つべきである」

リリィは感心した眼差しを王座の男に注いだ。アイデス王が危惧したことは、まさしく自分がダグラスからそう行動するように命じられた指示を示していたからだ。ラキオス王はアイデス王のことを何かと馬鹿にしていたが、なかなかどうして切れ者ではないか。

あるいは、環境が政治家を作ったのかもしれない。在位以来初めて経験するであろう国難に際して、ラキオス王の言う臆病な男は死に、一人の政治家が生まれたのかもしれない。その意味で、アイデス王を育てたのはラキオス王ともいえた。

――ううん。もう一人いるか……。

リリィの脳裏に、ある男の顔が浮かんだ。

桜坂柳也。こことは違う別世界からやって来た、規格外のエトランジェ。そもそものきっかけともいえるバトル・オブ・ラキオスを戦い、此度の開戦計画の原案を練った。どだい受け入れられない要求を突きつけ、それを盾に開戦を狙った政治家だ。

アイデス王を育てた政治家をもう一人挙げるとしたら、まさしく彼が該当するだろう。

鞘付きの槍を携えた衛兵が六人、自分を取り囲んだ。身長の差はあれど、みな屈強な体格の男達だ。

使い慣れたダガーは、謁見の間に入室する際に身体検査を受けて取り上げられている。

この包囲を突破するのは、なかなか難しそうだった。

「使者の方、本職としても出来れば手荒な真似はしたくない。抵抗はしないでいただきたいが」

隊長格と思わしき衛兵が、拘束用の荒縄を手に言った。一九〇センチ近い浅黒い肌の男で、南方の蛮族を思わせる風貌の持ち主だ。腕が、丸太のように太い。まともにやり合っては、勝ち目の薄い相手だが。

「残念ですが、あなた方の言われるがままに拘束されるわけにはまいりません」

衛兵の言葉に、リリィはきっぱりと言い切った。

「国王陛下のおっしゃる通り、わたしには仲間の者に、書簡受け渡しの合図を送らなければなりませんので」

「貴様!」

衛兵達の一人が叫ぶと同時に、鞘付きの矛先に殺気が宿った。この期に及んで鞘を取り払わないのは、生け捕りにするためか。

「……自分がどういう状況に置かれているのか、分かっているのかね?」

隊長格の衛兵が言った。見た目からは想像しにくいが、深い知性の持ち主のようだ。

「君は女で、しかも武器を持っていない身だ。それで、本職らの包囲を抜け出せるとでも思っているのかね? 無駄な抵抗だ。諦めて本職らの指示に従ってほしい」

「……たしかに、私一人ではあなた達の手から逃れることは難しいでしょう」

目的が生け捕りといっても、鞘を装着した槍は容赦なく振るわれるだろうし、衛兵と呼ばれている以上、彼らは王国軍きっての精鋭と考えるべきだろう。いかに自分の身にエトランジェの血が流れているといっても、それだけで勝ちを得るのは難しい。

しかし、それだけでなかったらどうか。

リリィは不意に瞑目した。

包囲の輪の中、刹那の瞬きすら命取りという状況の中での行為は、命取りとしか言いようがない。

諦めたのか。

怪訝な顔をする衛兵隊長に、しかしリリィは、毅然と、目を閉じたまま言い放つ。

「ところで、どうしてそう思ったんです?」

「なに?」

「私が一人だと……いま、この城中にラキオス人は私一人しかいないと、どうしてそう思ったんですか?」

リリィが呟いた直後、謁見の間に設けられた巨大な窓の外で、何かが光った。

レッドカーペットの上に集まった全員が、思わずそちらを振り向く。

真昼の空に、もう一つの太陽が浮かんでいた。

エーテル火薬を使った照明弾だ。大輪の菊を思わせる花火が、王都サモドアの上空に舞っていた。リリィと同様、隠の一字から始まるコードネームを持つ、密偵の所業にあい違いなかった。

アイデス王が、下座のリリィに茫然とした眼差しを注ぐ。

「貴様……ッ」

「合図の花火を打ち上げるのは、私である必要はありませんよ、陛下?」

「貴様!」

アイデス王が語気荒く叫んだ。リリィを見つめる眼差しに、憤怒の感情が宿っている。一国の君主が、公の場で露わにしてよい感情ではなかった。

「その者を捕縛せよ。軟禁して、どうやって外部の人間と連絡を取ったのか、この城中には何人のラキオス人が忍び込んでいるのか、すべて吐かせるのだ」

アイデス王の命を受けた衛兵達が、一斉にリリィを押さえにかかった。

対するリリィは、特にこれといった抵抗を見せない。王国からの正式な使者としての肩書きを持つ彼女が、粛々と恭順の態度を示す限り、衛兵らは手荒な手段を講じることが出来なかった。

――あとは頼みましたよ。みんな……。

窓の向こう側に広がる青い空を眺めながら、リリィは薄く笑った。

この蒼空の下、自分と同じようにダグラス・スカイホークに忠誠を誓った者達の健闘を信じて、彼女は衛兵達の言うがままとなった。

 

 

――同時刻。

 

王都サモドア上空に打ち上げられたエーテル照明弾の閃光は、遠くリモドアの街からも視認出来るだけの光量を有していた。

街の住人がみないったい何事とそちらを振り仰ぐ中、一人だけ、その閃光が意味するものを知る人間がいた。

「……成功したか」

市内の定食屋でくだを巻いていたその男の名はクライス・フッド。しかしその名前は偽名に過ぎない。本当の名前はハウザー・レパルスといい、それすらも普段は名乗っていなかった。

普段の彼は、〈隠八番〉というコードネームで呼ばれ、またそう名乗っていたからだ。隠は密偵を意味し、番号は序列を意味する。そしてその名前は、彼がダグラス・スカイホーク通産大臣の私兵であることを意味していた。

リリィ・フェンネスこと〈隠七番〉と同様に、ダグラス・スカイホークの私的な密偵たる彼は、もう二年も前からリモドアに潜伏。石職人を装う傍ら、ラキオスの、ひいてはダグラスの利益に伝わる情報を送信し続けていた。

真昼の空に二つ目の太陽を見出した〈隠八番〉は、一緒に来ていた偽りの仕事仲間達に断りを入れると、自らは定食屋を辞した。

人気のない路地裏にやって来た彼は、懐に忍ばせていた円筒を取り出した。エーテル照明弾だ。〈隠八番〉はそれを上空に向けると、円筒を点火した。

たちまち、円筒から照明弾が打ち上げられ、高空で炸裂した。

真昼の空に、三つ目の太陽が浮かび上がった瞬間だった。

 

 

――同時刻。

 

サモドアで上がり、リモドアで上がった。

それを見てリーザリオでも照明弾が打ち上げられた。

その閃光はリュケイレムの森からも視認出来るほどで、世捨て人同然の暮らしを送るその男の目にも、はっきりと映じていた。

「…………」

一九〇センチ近い、大柄な体格の男だった。一見すると木こりを思わせる装いをしているが、それは偽装に過ぎない。彫りの深い精悍な顔立ちをした、三十代前半の巨漢だ。

「……始まったか」

薪を得るために振りかぶった斧をゆっくりと下ろし、男は眩い空を眺めながら低く呟いた。

「戦争が始まる……。あのお方が待ち望んだ、戦争が」

だとすれば、自分も動かねばなるまい。あの方の望む脚本に沿って、役を演じなければなるまい。

胸の内で反芻して、男は一度は下ろした斧を再び振りかぶった。

バルディッシュ。十六世紀から十八世紀の東欧で用いられた、バトル・アックスの一種だ。全長約二〇〇センチ、刃渡り八〇センチにも及ぶ戦斧を軽々と持ち上げる男の膂力は、尋常ではない。

「いまは木こりを演じよう。私の出番が来るその日まで」

それがあのお方の……秩序の法皇の望みだから。

無表情に呟いて、男はバルディッシュを上段から振り下ろす。

切り株の台座に垂直に立たされた丸太は、真っ二つに割れた。

 

 

――同日、夜。

 

午後十時半。

桜坂柳也は宛がわれた二人部屋で一人、まったりとくつろいでいた。

つい三十分ほど前まで、部屋にはネリーとシアーが居たが、明日は早いからと今日はもう寝るように指示を下している。

柳也自身も、明日の行軍に向けての準備を終えたら、すぐに床に就く腹積もりだった。

借り物の戸を叩く者が訪れたのは、そんな時分のことだった。

ノックの音を耳にした柳也は、念のために脇差を手元に寄せつつ、「どちらさん?」と、顔の見えない訪問者に訊ねた。すると、板戸一枚を隔てた向こう側からは、聞き慣れた女の声が聞こえてきた。

「わたしです。ファーレーンです」

「おお。入っていいぞ」

バトル・オブ・ラキオスをともに戦った戦友が、自分に敵対の意思を示すことは万が一にも起こりえまい。

柳也は警戒を解いてファーレーンを招き入れた。

「失礼します」と、入室してきたファーレーンは、例によってエスペリアとは別なデザインのメイド服を纏っていた。兜と一体化した仮面は被っていない。

かつては男性恐怖症とのために、柳也と会う時は四六時中仮面が必要な彼女だったが、あれから実に三ヶ月以上が経ち、その状況は少しずつ改善されているらしい。もっとも、仮面を着けていたもう一つの理由・対人赤面症はまだ治っていないようで、柳也を見る彼女の頬には、僅かに朱色が差していた。

「夜分遅くにすみません」

「いや、構わない。美人の訪問と頼み事は、二四時間常に受け付け中だ」

「相変わらずですね」

相変わらずの女好きですねと、ファーレーンは微笑を浮かべた。

まるで一輪の白菊のように可憐な笑みを眺めて、柳也も莞爾と笑みを浮かべる。そういえばニムントールにも同じようなことを言われたと思い出し、彼は苦笑していた。血の繋がりはなくとも、やはり姉妹は思考が似るものなのか。

「それで? 二四時間常時受け付け中とはいえ、こんな時間にどうしたんだ?」

「実は、リュウヤさまにお願いがありまして」

「お願い?」

柳也は小首を傾げた。エルスサーオの土を踏んで以来、ファーレーンとは何度も話す機会を得たが、この時間になるまでそのような素振りは片時も見せなかった。はて、こんな夜更けに何の用があるというのか。

柳也は無言で脇差を手元に引き寄せた。寝巻き衣装に帯を巻き、二尺に満たない庄内拵えの鞘を差す。

脇差は剣士が最後に頼る自衛の武器だ。それを差すということは、どこにでも連れていってくれ、という意思表示に他ならない。

「ともにBOL作戦を戦った仲だ。遠慮はいらん。何でも言ってくれ。俺に出来ることなら、力になるから」

「ありがとうございます」

ファーレーンは礼を述べると、上品に微笑んでみせた。

白百合の花を思わせるその微笑を眺めていると、柳也も知らぬうちに口角が緩んでしまう。

「それでは、わたしたちの部屋に来てくれませんか?」

 

 

男に二言はあるが、武士に二言はない。

男であると同時に武人でもある柳也にとって、一度口にした前言を翻すことは、他ならぬ彼自身の誇りを、自ら泥風呂に浸すことに等しい。

夜分遅くに女性の部屋に立ち入るなど、道徳的に問題がありはしないか、とする柳也の言い分は、他ならぬ彼自身の前言によって否定されてしまった。

寝間着姿に脇差を携行したいでたちのまま、ファーレーンに連れられて向かった先は、彼女と彼女の妹分が暮らす相部屋だった。

「……来たんだ」

ファーレーンに促されるままドアを開けて室内に入ると、開口一番ニムントールの一言が柳也を出迎えた。

自身のものと思われる寝台に腰掛け、寝間着姿でこちらを見つめてくる。

寝間着姿といっても、いわゆるパジャマではない。現代世界では最も一般的なナイトウェアといえるパジャマは、そのルーツをインドに求められる。ヨーロッパ的な気候帯のラキオスで女性の寝間着といえば、ネグリジェが一般的だ。ちなみにネグリジェはフランス語で、聖ヨト語ではルマレハオという。この作品では、ネグリジェで統一したい。

「……おう。せっかくの招待だったからな。お邪魔させてもらうことにしたよ」

寝間着姿のニムントールを一瞥し、柳也は思わず溜め息をついた。

有限世界の常識では、スピリットは時として家畜にも劣る存在とされる。ファンタズマゴリア人であれば、夜遅くに部屋を訪ねてもさほど抵抗はないだろう。しかし、純然たるハイペリア人の柳也にとって、スピリットは間違いなく女性で、この部屋は若い女性二人が暮らす部屋に他ならない。

こんな夜分遅くに、寝間着姿で女の部屋に入って、自分はいったい何をしているのか。

それを思えばこそ、柳也は口からこぼれ落ちる溜め息を止められなかった。

「? どうしたの、リュウ。何か疲れてる?」

「いや、俺は元気だ。元気があれば何でも出来る。……ところでニム、いくら先方から誘われたといっても、仮にも若い女性の住んでいる部屋に、俺のような若い男が足を運ぶことについてどう思う?」

「……スケベ」

ニムントールは汚物を見るかのような視線を柳也に向けた。

刺々しい眼差しが心に突き刺さるが、いまはむしろその方がありがたい。これで何の痛痒も感じなかったとしたら、それこそ男として駄目な人間になってしまいそうな気がする。

「ウレーシェ。その痛烈な一言がいまは嬉しく思うよ」

「……苦労してるんだ」

「そりゃあなぁ。断れねぇよ。外堀埋められて、武士の矜持利用されて、その上であんな笑顔で『来てくれませんか?』って、俺には断れない」

柳也はがっくり肩を落として言った。

そんな彼に、ニムントールは特徴的な釣り目の目尻を僅かに下げて、小さく「ごめん」と、呟いた。

なにゆえニムが謝らなければならないのか。

小首を傾げる柳也に、緑スピリットの少女は申し訳なさそうに言う。

「お姉ちゃんにリュウを連れてくるように頼んだの、わたしだから」

「ああ……」

柳也は得心した表情で頷いた。なるほど、自分に用があったのはファーレーンではなく、ニムントールの方だったのか。

確認のためにその旨を訊ねると、ニムントールは静かに頷いた。

「うん。……べつに用っていうほどの用はないんだけどね」

「ニムはリュウヤさまとお話しがしたかったのよね?」

いつの間に着替えたのか、メイド服からニムとお揃いのネグリジェに着替えたファーレーンが言った。

途端、顔を真っ赤にしたニムントールが、「お姉ちゃん!」と、ファーレーンに食ってかかる。照れているのか。

姉貴分のブラックスピリットは嬉しそうに笑いながら、柳也を見た。

「今日一日、リュウヤさまと話す機会はたくさんありましたけど、この三人だけの時間は、なかなかありませんでしかたら」

現在エルスサーオにいる全スピリット、全エトランジェの中でも、この三人の関係は特別だ。かつてのバトル・オブ・ラキオスをともに戦い、ともに血を流し、ともに同じ時を過ごした絆が、この三人にはある。

柳也としても、ニムントールとファーレーンとは三人だけの時間を持ちたい、とはエルスサーオへの訪問が決定した時から考えていた。

しかしSTFの副隊長でエトランジェという自分の立場と、方面軍の訓練兵という二人の立場、そして周りの環境がそれを許してくれなかった。

三人を取り巻く環境はもう、あの時とは違う。気軽にプライベートな時間を共有出来る立場では、お互いにいられなかった。

「仕方がないさ」

柳也は少しだけ寂しそうに呟いた。

「お互い、あの時とは少し状況が違うし、立場も違うんだ」

「立場っていえば……」

いまだ朱色の強い頬をしたニムントールが言う。

STF……だったっけ? リュウはそこの副隊長なんだよね?」

「ああ」

「なんで隊長にならなかったの? チラッとだけ見たけど、あのユートって人より、リュウヤの方が相応しいと思うけど」

「それはわたしも思いました」

ニムントールの言葉に続いて、ファーレーンが同意の相槌を打った。

「わたしも、てっきりリュウヤさまが隊長を務めているものだとばかり思っていましたけど」

「……前にアイシャにも言ったが、買い被りすぎだ。俺はそんなに優秀な人間じゃないよ」

目の前の二人も、ラキオス王やダグラスも、自分のことを高く評価してくれている。そのこと自体は嬉しいが、いくらなんでも過大評価が過ぎる。

「それに、悠人を隊長に推薦したのは、他ならぬ俺自身だしな」

「そうなの?」

「ああ。王国軍の龍旗を掲げ、剽悍なる決死の士を次々と屠る最強の妖精部隊。その先鋒に立つ男が、第七位の神剣持ちじゃ、格好がつかないだろう?」

「べつにニムたちは気にしないけど」

「ニム達が気にしなくても、諸外国の政治家は気にする。第七位の神剣持ちが最強の兵士じゃ、ラキオス恐れるに足らずの印象を与えかねない。友軍だって、第七位よりは第四位の……それも伝説にまで詠われた、あの〈求め〉の契約者を頂いた方が士気も上がる」

第七位の神剣持ちの自分には、決して出来ぬ所業だ。

桜坂柳也の剣には、たしかに相手を恐怖の坩堝へと放り投げるだけの力があるし、肩を並べる戦友を勇気付けるだけの冴えがある。しかしそのためには、戦う、というアクションが必要だ。戦う前から相手を恐怖の世界へと誘い、万人を勇気付ける〈求め〉の持つネームバリューには到底及ばない。

「それに……」と、柳也は声をひそめた。

ドアの外に人の気配がないことを確認した上で、「こいつはみんなには内緒だぞ?」と、切り出した。

「俺がそう思っている、って事実が公になると、部隊の士気を削ぐ恐れがある。二人だから話すんだ。くれぐれも内密にな」

これから話すことは、ダグラスはおろか悠人にも語っていない、桜坂柳也の本音だ。ともにバトル・オブ・ラキオスを戦った二人だからこそ、聞かせられる内容だった。

内密にしてほしい、という柳也の問いに、ニムントールとファーレーンは揃って頷いた。真剣な表情の中に、心なしか誇らしげな様子が見て取れるのは、柳也の気のせいではないだろう。秘密の共有は、信頼の証だ。

「二人だから正直に話すが、俺は、最終的に自分が悠人よりも強くなることはないと思っているんだ」

単純な神剣の位階の問題だった。

悠人の〈求め〉と己の〈決意〉、〈戦友〉の二振とでは、そもそも神剣の格が違う。いくら二振を所有しているといっても、所詮相棒達は第七位の神剣に過ぎない。第四位の〈求め〉には、どう足掻いても敵わない。

加えて、悠人にはまだまだ伸びる才能がある。

「体力、技量、経験、神剣を扱うコツ……いまは俺が上に立っているが、それらはいずれ追い着かれるだろう。悠人には伸びしろがあるし、才能もある。

なによりあいつは、自分が弱い人間だと自覚している。自分が弱いと自覚しているから、人の二倍、三倍と努力する。弱いという自覚があるから慢心もせず、慎重になることが出来る。弱いという自覚があるから、貪欲に技術を学ぼうとしている。

……悠人はいずれ、俺以上の戦士になる。そして俺はいずれ、あいつと同じ土俵にすら立てなくなるだろう」

悠人には決して話せぬ内容だった。

どんなにドライバーの技術が優れていても、軽四自動車ではF1マシンと同じレースを走ることは出来ない。第四位の神剣と第七位の神剣とでは、それほどに次元が違う。

どんなに稽古を重ねても、決して埋められない隔たりが、二人の間には初めから存在しているのだ。何よりも己の剣に誇りを抱き、練磨のために日々情熱を注いでいる柳也にとって、それは辛い現実であり、悔しい事実であり、少しだけ寂しいことだった。

悠人に対して、内心で複雑な感情を抱いてしまうのも無理からぬことだろう。

「どんなに努力をしたところで、俺には到達出来ない領域へのパスポートを、あいつは持っている。将来、王国に必要なのはそういう戦士なんだ。そして、そういう男が率いている軍隊なんだ」

「リュウ……」

王国が真に望んでいるのは、自分ではなく親友の男。そう、寂しげに呟いた柳也を、ニムントールは悲痛な表情を浮かべて見つめた。翡翠の瞳に、悲しげな憂いが沈んでいる。

優しい娘だと思う。目の前の少女は、自分のことで心を痛めてくれている。自分の抱いた辛さや悔しさ、寂しさを感じ取って、暗い面持ちをしている。

柳也にはその事実が心苦しく、そして、嬉しかった。

「……女々しい話をしちまったな」

場に漂う空気を払拭するよう、柳也は努めて明るい口調で言った。

「つまらなかったろう? 次はもっと面白トークを……」

「いいえ」

きっぱりと首を横に振って否定の意を示したのはファーレーンだった。

ニムの隣に並んで座った彼女は、柳也の双眸を真っ直ぐに見つめて言う。

「わたしは嬉しかったです。リュウヤさまの本心が聞けて」

腹を割って本音を話せるのは信頼の証だ。

BOL作戦からはや三ヶ月以上、三人を繋ぐ絆に変化がないことを確認出来たからか、ファーレーンは本当に嬉しそうに微笑む。

「それに、やっぱりリュウヤさまは優しい人だ、って再確認出来ましたから」

「優しい? 俺が?」

言われて、柳也はここ数年間の自分の行動と態度を振り返ってみる。

公正な視点で顧みて、ここ数年は優しさからは縁遠い態度で日々を過ごしてきたように思った。少なくとも、かなり自分勝手に生きてきた。

「そのお友達のこと……ユートさまのことを、本当によく見ていることが分かりましたから」

「や、よく見ているからって優しいかどうかとは別問題だろう?」

「気付いてなかったんですか? ユートさまのことを喋る時のリュウヤさま、寂しそうでしたけど、少しだけ誇らしそうでしたよ?」

「…………」

「ユートさまのこと、好きなんですよね?」

「……当然だろう。友達なんだから」

柳也は肩で溜め息をついた。

好きか嫌いかで言えば当然好きだ。大切な幼馴染の義理の兄で、大切な幼馴染が最も嫌っている男で、他ならぬ自分自身が一緒にいて楽しいと感じる男。なにより、向こうも自分のことを友達と呼んでくれた。これで好きでない方がおかしいだろう。

「やっぱり、リュウヤさまは優しい人ですよ。」

ファーレーンはにっこりと微笑んで言った。

真正面からそれを見た柳也は、思わず、どきり、としてしまう。

顔立ちはまるで違うのに、その笑顔は記憶の中にある母の微笑と奇妙に重なった。

まともに正視していると、なんとなく気恥ずかしい気持ちが込み上げてきて、柳也は思わず目線をそらしてしまう。

「優しくなくては、友達想いでなくては、そこまでご友人のことを褒められませんから」

「あー……うー……」

「うん? もしかしてリュウ、照れてる?」

「……うるさい。悪いか。こんな美人に見つめられて、照れない男がいたらおかしいって」

柳也は、彼にしては珍しいぶっきらぼうな口調で呟いた。頬がやや紅潮している。

ニムントールとファーレーンが、くすくす、と笑った。

二人に恨めしげな目線を向けた柳也は、やがて溜め息をこぼした。

疲労を伴ったその表情は、しかしどこか楽しそうに輝いていた。

 

 

――同時刻。

 

バーンライト王国軍第一軍の通信兵クリフ・オケントスは、バーンライト・ダーツィ間国境線の関所を目指して馬を走らせていた。

彼の懐中にはアイデス王直筆の書簡が二通あり、一通は関所の番兵に宛てた物、もう一通はダーツィ大公宛の物だった。

上司の通信兵から二通の手紙を託された時、クリフは興奮にわが身が震えるのを感じた。

曰く、現在進行形で王国にたいへん危機が迫っているという。その危機が何なのかは軍機につき話せないが、その国難を回避するためには書簡を確実にダーツィ大公へ届ける必要があるらしい。危険な任務だ。すでにクリフ以外にも二名、公国とコンタクトを取るべく通信兵を放ったが、その二人とは一向に連絡が取れないという。何らかの事故に遭遇したか、それとも、何者かの妨害を受けたか。クリフとも連絡が途絶える可能性は否定出来ない。それでも、引き受けてくれるだろうか。

土気色に顔を染めた上官に肩を抱かれ、クリフは頷いた。

上官は直接的な名詞こそ口にするのを避けていたが、クリフにいくつかのヒントをくれた。

それらのヒントを総合して鑑みるに、おそらくバーンライトが直面した国難とは、ラキオスとの開戦の危機。自分の前に放たれた通信兵二人が遭遇した不幸とは、国内に潜伏したラキオスの手の者による妨害工作だろう。

上官はクリフに重い責任を背負うことと、危険な任に就くことを避けてほしいと思っていたようだが、彼にとって危険はむしろ望むところだった。クリフは現代世界でいうアドレナリン中毒になりやすい体質の持ち主で、危険と冒険をなにより愛する男だった。

上官から手紙を託されたクリフは、通信科が飼っている軍馬の中でも特に優駿で知られる馬の手綱を握り、サモドアを経った。

サモドアからダーツィへの関所までは街道を使って約二十キロメートル。馬の足ならば一時間とかからぬ距離だったが、クリフは先の二人の連絡途絶を顧みて、あえて険しい山道を通ることにした。見通しの良い街道では、妨害が考えられたからだ。逆に地元の山の中ならばクリフに地の利があり、妨害を受けても切り抜けられる可能性がある。

南部サモドア山脈を通るルートを選択したクリフの行軍ペースは二分の一にまで減速し、消化しなければならない距離も二倍となった。

しかし、三時間を走ってもいまだ妨害がない現状に、クリフは己の考えが正しかったことを確信した。

――国内に何人の密偵が潜伏しているかは知らないが、途絶させなければならない連絡線はあまりに多い。戦力を分散せねばならない以上、サモドア・ダーツィ間に割ける人数はそう多くないはず。

相手が二人や三人ならば、土地勘で翻弄して切り抜けることも難しくないはず。

クリフは馬上でひとりほくそ笑みつつ、馬を走らせた。

「……む?」

大型の哺乳類が常は使っていると思わしき獣道を走るクリフの視界に、人影が映じた。

若い男だ。

年齢は二十代半ば程度。長身痩躯の外套姿で、炭のような漆黒の長髪を後ろで束ねている。切れ長の双眸には大理石の灰色が沈み、端正な顔立ちは文句なしに美形といえた。

木こりには見えない。男は斧もナタも携えていない。かといって野草を採って生計を立てている手合いにも見えない。採集用の籠がない。登山を趣味とする手合いでもなかろう。杖を持っていない。懸念していたラキオスの密偵にしては、あまりにも大胆不敵だが。

判断に迷ったクリフは、馬の尻を蹴った。このまま速度を上げて、突き飛ばす腹積もりだ。

もし、男が一般人であれば、慌てふためいて道を譲ることだろう。

もし、男がラキオスの密偵であれば、冷静に、何らかのアクションを起こすに違いない。

はたして、男は口を開いた。

「もし……」

交響楽団の男性歌手を思わせる、澄んだテノールの声。慌てた口調ではない。

クリフは迷わず馬の速度を上げた。

縦の振動を体全体でいなしながら、前傾姿勢で腰を浮かす。

その時、突如としてクリフの視界から、黒衣の男が消えた。

「聞けよ。話しかけているだろうが」

愛馬の嘶き。前方から聞こえた。

気が付くとクリフは、宙を舞っていた。

背中に衝撃。肺の中の空気が、一気に外へと流れていく。馬上から突き落とされたと、いま悟った。

クリフが落馬したことに気付いていないのか、馬はなおも走り続け、彼の視界から遠ざかっていく。

見上げた空はその大部分が黒い外套に覆われ、視界には太陽でなく、思わず惚れ惚れとしてしまう端正な顔立ちが映じた。

仰向けに倒れた自分を、灰色の眼差しが見下ろしている。

「馬に罪はないからな。そのまま行かせてやった。色々言いたいことはあるだろうが、すまない。口下手なんだ。一方的に喋らせてもらうぞ。

とりあえず、無駄な抵抗は止めろよ? いちいち相手にするのが面倒だ。どの道結果は一緒なんだし、大人しくそこで寝ていろ。……なあに、痛みはほんの一瞬だ」

次々と降り注ぐテノールの雨。

いつの間に取り出したのか、男の手には抜き身のナイフが握られている。刀身から柄までのすべてのパーツを一個の鉄から切り抜いた一体整形のコンバットナイフだ。刃渡り七インチほどの両刃で、かなり重厚な造りをしている。柄の部分はパラコード巻きで握りを調整している。

反射的に、右手が腰元の片手剣へと伸びた。

しかしそれよりも男の動きの方が、数瞬速かった。

すぅっ、と、まるで薄氷を踏むかのように抵抗なく、ナイフが吸い込まれていった。

胸に。

心臓を一突きに。

男は言った。

痛みはほんの一瞬だ、と。

その一瞬の痛みすらなかった。

よほど上手く刃筋を通したのか、傷口からは痛みどころか、血も流れてこない。

男が手首を捻った。

心臓の中に空気を入れられたらしい。

急速に、意識が遠のいていく。

「……〈隔絶〉、やれ」

最後に、耳朶を透明な声が撫でた。

その呟きを耳にした直後、鉛色の刀身に、淡い緑色の光が灯った。

滑石を思わせる淡緑色の、まごうことなきオーラフォトンの輝き。

心臓を中心に全身へと広がる熱い力を感じて、クリフは呼吸を止めた。

「これで三人目」

男の唇から漏れ出たその呟きを、クリフは聞き取ることが出来なかった。

 

 

――聖ヨト歴三三〇年、シーレの月、青、いつつの日、朝。

 

エルスサーオ・リーザリオ間の国境線監視所に到着したSTFの十名は、監視所の隣に併設されたバラック小屋で、静かに“その時”を待っていた。

時計が示す時刻は午前十一時半。昨日の昼頃に確認した、符丁の花火が打ち上げられてから二三時間が経っている。あと一時間以内にバーンライト側からオディールの引渡しがなされなければ、両国は開戦することとなり、柳也達STFは開戦と同時に、敵国領内へ雪崩れ込む手はずとなっていた。

悠人達はそれぞれ装備の最終点検を行っていた。

これから戦場に赴く軍人の装備は重く、その内容物は多い。武器の神剣以外にも糧食や携帯燃料、サバイバル・キット、ファーストエイド・キット、替えの衣服などがある。軍人にとってこれらの装備は、自分の命を支える道具だ。何度点検しても、やりすぎということはない。

特に悠人は、本格的な軍事作戦は今回が初めてということもあって、最終点検は念入りに行っていた。

内容物の過不足を確かめているのはサバイバル・キット。

コンパクトにまとめられたそれらを床に広げ、一品々々をチェックしていく。

地図。コンパス。ろうそく。包帯。塩。ワイヤーに、ペンとインク。大小それぞれが用意されたナイフは刃こぼれしていないか。マッチはすべてに防水加工が施されているか。決められた手順通りに確認しては、しまっていく。

「パパは隊長さんだね♪ オルファ、な〜んでも言うこときくよ〜」

先に点検を終わったらしいオルファが、悠人の側にやって来て言った。

太陽のように明るい笑顔。もしかすると、自分の緊張をやわらげようと、早々と点検作業を終わらせたのかもしれない。

悠人はオルファの言葉に答えようと口を開いて、それを閉じた。

彼が言葉を発する前に、やや険しい顔をしたエスペリアが、背後からオルファに声をかけた。

「オルファ!! ユート様にそのような口の聞き方はなりません」

エスペリアはいつになく強い口調でオルファを叱った。そのような口の聞き方、というのは、悠人を「パパ」と呼んでいることだろうか。これまでは何のお咎めもなかったというのに、今更なぜ……。

悠人の疑問は、同時にオルファの疑問でもあった。

彼女は不満げに唇を尖らせて、

「ぷ〜、なんで!? パパはパパだよ〜」

と、頬を膨らませる。

オルファの立場からしてみれば、これまでは良かったことが突然に駄目になってしまったようなものだ。それも説明もなく、理由すら明らかにされぬままに。

エスペリアに不満をぶつけた反応は、当然といえば当然だった。

「いけません! 私たちは、ユート様の命令に従い、戦わなければなりません。解りますか、オルファリル?」

しかしエスペリアは、なおも厳しい口調でオルファをたしなめた。普段の優しいお姉さん、といった風情は失せ、STFの隊長補佐としての顔を前面に押し出している。オルファのことを、愛称でなく「オルファリル」と、呼んだのは、その表れといえた。

「エスペリア、いいんだ。俺も、別に何が違うってわけじゃないし」

厳格にオルファを叱るエスペリアに、悠人は助け船を出した。

隊長といっても、別段、何かが変わるわけでもない。隊長という立場に対して、エスペリアは変なこだわりに囚われているように思える。

これまで通りのフレンドリーな関係、フランクな空気を悠人は望んでいた。

「ほら♪ ねぇ〜、パパもそう言ってるもん」

悠人の言葉に、オルファはわが意を得たとばかりに甘い声ですり寄ってきた。

エトランジェの青年はそんな少女の甘えた態度に苦笑を浮かべたが、他方、エスペリアはそれを許さなかった。

オルファから悠人へと向き直り、これまで見てきた中でも特に真剣な眼差しで自分のことを見つめてきた。

エスペリアのただならぬ様子に、ここに来て楽観に笑っていたオルファも、うっ、と反論の勢いをなくす。

「ユート様、ラキオス軍スピリット隊・隊長補佐の立場から申し上げます。私たちは道具です。人ではありません」

エスペリアは厳しい口調で続けた。スピリットは道具。それはこの世界の常識に根ざした、最も基本的な考え方だった。

「ユート様がどう思われようと、これは紛れもない事実です。もういままでのようにはまいりません。アセリア、特にオルファ……!!」

「う、うん……」

「ん」

それぞれ名前を呼ばれて、オルファとアセリアが応じた。オルファは沈んだ口調で、アセリアは相変わらずの無感動に頷いてみせる。

さらにエスペリアの目線は、遠巻きに二人のやり取りを眺めていたヒミカ達、第二詰め所のスピリット達にも向けられた。

いちいち名前を呼ぶことはないが、「これはあなた達にも当てはまることです」と、目が雄弁に語っている。

「私たちは、ユート様の剣であり楯です。ユート様の言葉は絶対であり、自分の命よりも重いと考えなさい」

「な、無茶苦茶な事言うなよ! エスペリア」

突然、なんて事を言うのかと驚いた。

少なくとも、悠人が半年前まで暮らしていた世界の常識では、考えられない発言だ。

しかし、現実にはここは異世界で、この世界ではスピリットの命は家畜にも劣る。エスペリアの言動は、決して常識はずれの、滅茶苦茶なものではない。

ゆえに悠人の言葉に対しても、彼女が表情を変えることはなかった。

毅然とした態度で、緑スピリットの少女は言う。

「何がおかしなことでしょうか。私たちは……スピリット。戦う道具なのです」

「…………」

これ以上の問答を拒否するように、エスペリアはきっぱりと言い切った。

そんな彼女の態度に、悠人は思わず絶句してしまう。

スピリットは戦いの道具。分かってはいたことだった。理解したはずのことだった。しかしそのことを他ならぬエスペリアの口から聞かされて、悠人は愕然としてしまった。他ならぬスピリットの。それも、親しいエスペリアの言葉であればこそ。

悠人は、茫然としてしまった。

 

 

「……まぁ、べつにおかしな考え方じゃあないよな」

重い沈黙が漂う室内に、あっけからんとした声が響いた。

突如として口を開いた柳也の方を、悠人は振り向く。

友人を見つめるその眼差しには、いったい何を言うのか、と驚愕の色があった。

「ここは軍隊だ。上官の命令は原則絶対服従。別段、おかしなことじゃない。そして、スピリットは戦う道具っていう考え方も――俺自身は抵抗があるが――この世界では間違いじゃない」

柳也は自分の座っていた椅子から立ち上がると、悠人のもとへと歩み寄った。

サバイバル・キットの中身を広げた彼の隣にしゃがみ、室内によく響き渡る大声で、言う。

「スピリットは戦う道具だ。俺達がどうこう言おうと、この世界の底辺に存在するその考え方は変わらない。なら、それを利用してやろうぜ?」

「利用?」

「道具ったって、大切に扱うのが一番だろう?」

柳也はニヤリと笑ってエスペリアを見た。

「俺はエスペリアっていう道具が大好きだぜ。だから、その道具が誰かに襲われて、いまにも壊されそうになった時には、体を張って守るつもりだ。

……それとも、道具を大切に扱っちゃいけない、って法律が、この国にはあるのか? 木こりは自分の斧を大切に扱っちゃいけない? 乱暴に扱って斧を壊して、生計立てられずに飢え死にしろって?」

「いいえ。ですが、それとこれとは話が……」

「同じだ。スピリットが戦う道具、っていうなら、その道具が壊れた時点で、この国は戦えないよな? 道具が道具として機能するためには、大切に扱うことと、扱われることが必要なんだよ」

柳也は毅然とした態度できっぱりと言い切った。

どんな名刀・業物も、五、六人も斬れば切れ味は鈍るし、鉄で出来ている以上、酸化現象からは逃れられない。ちゃんと手入れを怠らなければこそ、名刀は冴え渡る。

「この話は終わりだ」

柳也はその場で立ち上がると、悠人とエスペリアの肩を叩いた。

ついで、呆れた口調で、二人に言う。

「……ったく、戦う前からいきなり士気を下げるようなことをするなや。隊長なら、そこは毅然とした態度で自分の意見を述べるべきだし、隊長補佐なら、自分の言動が回りにどう影響するかくらい、考えて発言してくれ」

柳也は、口調こそ叱責するような素振りは見られなかったが、二人を見つめる眼差しは真剣そのものだった。内心では二人のやり取りを眺めて、憤りを感じていたのだろう。

特に、隊長補佐の立場を前面に押し出しながら、士気阻喪を誘う発言を繰り返すエスペリアに対しては、憤り以上に呆れを感じていたに違いない。

口には出さない彼の想いを感じ取った二人は、揃って反省の意を示した。

「す、すまない」

「……すみません」

「いや、分かればいいけどな」

柳也は二人を軽く睨むと、溜め息混じりに呟いた。

もとより、柳也としても二人をこの場でこれ以上糾弾するつもりはない。いまは出陣前の緊張した時間で、ここは戦場の一歩手前なのだ。責任重大な立場から神経質になるのも詮無きことだと思ったし、なにより、これ以上の叱責は自ら士気を下げるようなものだった。

ふと時計に目線を落とせば、ゼロアワーまでマイナス三十分を切っていた。

柳也は悠人を見る。

「さて隊長、あと三十分足らずで作戦開始の時刻となりますが、そろそろ作戦手順の最終確認をした方がよろしいかと」

「あ、ああ」

突然口調を改めた柳也の態度に多少面食らいながらも、悠人はみなを見回すと、たどたどしい口調で切り出した。

「ええと……あと三十分以内にバーンライトから犯人引渡しの手続きがなされなかった場合、ラキオスは報復措置として、オペレーション・スレッジハンマーを発動させる。作戦の目的はリーザリオを対バーンライト戦の橋頭堡とすることだ。作戦目標はリーザリオの防衛戦力の壊滅。リーザリオそのものの陥落は、後詰め部隊のこともあるし二の次になる。

作戦開始ゼロアワーになったら、俺達はまず神剣レーダーを三秒間だけ使って国境線の警備状況を速やかに把握。状況によってはこれを撃破してから越境する。その後は平原を南下して、リーザリオを攻める。

昨日も言った通り、リーザリオを守っている第三軍は、柳也達の活躍で弱体化している。守りに入ったところを一気に攻めるぞ」

攻撃は防御の三倍難しいという兵法の原則は、攻城戦あるいは篭城戦において適用される。

しかし、強大な攻撃力を持ったスピリット同士のぶつかり合いが当たり前となって久しいファンタズマゴリアでは、その篭城戦の概念自体が過去の遺物として忘れ去られつつあった。

わざわざ相手の土俵に立ち入るような真似さえしなければ、勝機は十分にあるはずだった。

悠人は全員の顔を見回した後、柳也を見た。

作戦の概要は説明した。細部については任せる。そう、目が語っている。

最強の〈求め〉を持つ悠人と、ハイペリアの軍事に精通した柳也のコンビは、いまや王国内でも一定の評価を得ていた。

「越境時の最大のポイントは、こちらの存在を如何に秘匿するかだ。発見が一分遅れれば、それだけ相手から準備の時間を奪うことになる。よって、最も警戒しなければならないのは敵の神剣レーダーとなる。こちらからレーダー波を打つ時は、最大でも三秒だけにしろ」

柳也は一度だけ空咳をすると、全員に聞こえるような大声で呟いた。

神剣レーダーを使用するということは、神剣の力を解放するということだ。敵の発見率を高められる代わりに、こちらの被発見率も高めることになる。なるべくならば使用時間は短くしたい。

 

 

運命のその時まで、あと一分となった。

バーンライトがオディールの引渡しに応じたという報せは、いまだ届いていない。もしバーンライトが公式に謝罪する意志を固めたならば、その情報は真っ先に前線のSTFに届く手はずになっている。

腕時計を持っている柳也が、カウントを開始した。

恐れを知らない男の声が、かすかに震えている。柳也にとってもオペレーション・スレッジハンマーは、初めての本格的な軍事作戦だった。ドラゴン・アタック作戦にしろ、BOL作戦にしろ、最初に先手を打ったのはいつも敵方だった。今回はそれが、初めてこちらから攻め込む作戦となる。緊張するなという方が、無理というものだ。

「三〇……二五……二〇……十……」

カウント・ファイブになった時、〈赤光〉を握るヒミカの手が蒼白になっていることに悠人は気が付いた。

力が入りすぎた、と思った直後、自分も〈求め〉の柄を握る手が、ぶるぶる、と震えていたことに気付いて、思わず苦笑した。

「モート……ラート……スート……ラロ。作戦開始だ」

「みんな、神剣レーダーを起動してくれ」

柳也の合図を受けて、悠人が命令した。

走査する方角は無論、バーンライト領。

STFの面々はその方角に意識を集中して、

「「「「「「「「「「!?」」」」」」」」」」

全員が、愕然となった。

エルスサーオとリーザリオ間の国境線を監視するために、相互に築かれた監視所。

バーンライト側にも設置されたそこから、二十以上の神剣の反応があった。

オペレーション・スレッジハンマーが、始まった。

 

 


<あとがき>

 

アヴァン「タァァァァハァァァァランッッ……ボオウゥゥゥゥゥゥッ!!!」

 

タハ乱暴「な、なんだよ、藪からスティックに叫びやがって。もうちっと落ち着いて話せやな、な?」

 

北斗「いや、お前もオチケツタハ乱暴。藪からスティックは古い!」

 

アヴァン「よくも、よくもハドグハァッ!?」

 

柳也「チェスト―――――ッ! ってな。ふぅ。あぶねぇところだったぜ。あやうく、この先の話をネタバレされるところだった」

 

北斗「なに? そうだったのか?」

 

柳也「ああ。あいつも言っていただろう? ハ……」

 

タハ乱暴「お前がネタバレしようとしてどうする! ……というわけで読者の皆さん!」

 

北斗「どういうわけだ?」

 

タハ乱暴「うるさいなぁ。というわけで読者の皆さん!」

 

アヴァン「永遠のアセリアAnother EPISODE:39、お読みいただきありがとうございました!」

 

柳也「台詞盗られたぁぁ!!」

 

アヴァン「スマンな。さっきは些か殺気を抑え切れなかった。とりあえずタハ乱暴、ゆきっぷう便が届いているぞ。受け取ってくれ」

 

郵便屋さん(じょにー)「ゆうびーん」

 

サクッ(郵便葉書がタハ乱暴の額をかち割った音)

 

タハ乱暴「ぐふっ……ゆ、郵便だと? 何々……

 

ゆきっぷう(回想)「戦友の絵が出来たから送るよー。報酬はいつもの口座に……ま、待てよせアンス、それは今はまだ―――――――(赤黒い染みで文面途絶)」

 

タハ乱暴「ゆきっぷう!? いったいナニがあったのゆきっぷう!? この赤黒い染みは何!? ほんのり鉄の味が美味しい染みはなに!?」

 

郵便屋さん(じょにー)「小包みー」

 

サクッ(小包みがタハ乱暴の後頭部にヒットした音)

 

タハ乱暴「ぐはぁ!」

 

柳也「おう、これか。俺の新しい立ち絵とイベント用の挿絵というのは……」

 

アヴァン「(ゴソゴソ)……美少女のイラストだな。タイトルは――――――戦友?」

 

〈戦友〉「はわわ、私ですか!?」

 

〈決意〉「これ、小娘よ。その擬音は違う! その擬音は某版権キャラの専売特許だ!」

〈戦友〉

アヴァン「…………仕様書によると『永遠神剣第七位・戦友のヴィジュアル・イメージ。小悪魔系と清楚系の融合と進化』だそうだ」

 

〈決意〉「むむむ! こ、これは……」

 

〈戦友〉「な、何よ、駄剣……そ、そんなにじろじろ舐め回すように見つめて……わ、私をそんな目で見ていいのはご主人様だけなんだから!」

 

〈決意〉「これは……これはぁぁぁぁあああああ、な、なんといぅぅぅぅぅ、YOUJO!!!??」

 

アヴァン「いいか、落ち着け決意!」

 

〈決意〉「だが、だがしかし! こんな釘○ヴォイスの合いそうなYOUJO! を前にして我はどうすれば……!!!」

 

アヴァン「こういう時はな、〈決意〉。足を使うんだ」

 

柳也「あ、足?」

 

アヴァン「そう、足だ。そしてゆっくり振り返り、大きく腕を振って……」

 

〈決意〉「ぬあっ!!!」

 

アヴァン「逃げるんだよォォォォォォォォッ!!!」(舞台から飛び降りて疾走)

 

北斗(破壊者モード)「幼女はぁぁ……コーフー、コーフー……俺のものだぁぁぁぁああああッ!!」

 

タハ乱暴「ああっ。北斗があまりの幼女ッぷりを前に暴走した!」

 

ロファー「……これではいつまでたっても絵の解説に進みません」

 

セーラ「待っていて。いま、焼くから……ライトニングファイア!」

 

タハ乱暴「あーれー!」

 

北斗「コーフー!」

 

柳也「なんで俺までーーー!」

 

〈決意〉「あんぎゃー!」

 

 

アヴァン「さぁ、邪魔者がいなくなったところで、改めて絵の解説だ。今回紹介した絵は、先ほど説明した通り、〈戦友〉のヴィジュアル・イメージだ。つまり、擬人化絵だな。作成に辺りゆきっぷうは大量のLo元素を取り込み、最初から最後までアドレナリンの過剰分泌が続くという非常に過酷な状態で作業に挑んだ。そしてコンセプトは……小悪魔と清楚のフュージョン」

 

ロファー「会計さんの報告によると、犠牲になった原稿用紙は三枚だそうです」

 

セーラ「安くはない出費だったそうよ……ちなみに、こんなロリキャラになったのは、半分はゆきっぷうのせいだけど、半分はタハ乱暴が要望したから」

 

クリス「あぁ……たしか、『ロリっ娘で、メイド服着用がデフォで、神器にガーターストッキングを履いている』って、要望してたんだっけ? あの変態?」

 

アヴァン「耳が痛いな。そして要望については激しく同意だ。俺もユウとユキとアンスにガーストを買ってやったもんさ」

 

ロファー「もっとも、要望にあったメイド服は諸事情により却下とあいなりましたが……タハ乱暴はそのために秘蔵の資料まで見せたのにぃぃぃぃ、とほぞを噛んでいました(タハ乱暴の声真似をしつつ)」

 

クリス「あははっ。ロファー、上手い、上手い。……でも、その分ちゃんとガースト、ロリっ娘は実現しているよ?」

 

セーラ「本編の描写によれば、桜坂柳也の脳内に浮かぶ〈戦友〉のヴィジュアル・イメージは、彼の母君の若い頃の姿を再現しているそうよ」

 

〈戦友〉「あ、はい。ご主人様の記憶の中にあるお母様のイメージから再現しています」

 

クリス「……って、ことは……」

 

セーラ「……つまり、彼の父、桜坂雪彦は、こんな幼女に手を出したということに……」

 

柳也「ええと、聞いた話だと、当時一九歳で大学生だった父さんは、当時一○歳、小○四年生の母さんに一目惚れしたんだそうだ」

 

アヴァン「さあ、タハ乱暴! そして柳也! どうだ、どうだゆきっぷうビジュアル・ノーツ、略してYVNの技術力は! ロリだろう、実にロリだろう!?」

 

タハ乱暴「不思議な日本語だなぁ。……まぁ、天真爛漫になりすぎない、ちょい黒い笑み、という点においては、小悪魔を再現しているとは思うぞ?」

 

アヴァン「〈決意〉はどうだ? なかなか実にロリだと思うのだが」

 

〈決意〉「うむ。しかし唯一の難を言えば……」

 

アヴァン「難を言えば?」

 

〈決意〉「うむ。胸に十字を刻んでいるが、なにゆえ修道服ではないのだ!? ガーストと修道服のコンボでトドメのロリ! これこそ最凶のコンビネーションではあるまいか!」

 

柳也「……やべぇ、想像したら、ご飯四杯いけたぜぇ」

 

タハ乱暴「やばいな。想像したら、食パン一斤いけたぞ」

 

北斗「いかん。想像したら、一升瓶六ダースいけてしまった」

 

アヴァン「……お前ら、神聖なシスターを何だと――――――――――思ってやがらぁぁぁぁぁぁぁっ!?」(←元キリスト教徒)

 

北斗「神聖と言われても、俺は無神論者だし」

 

柳也「俺は仏教浄土真宗だし」

 

タハ乱暴「俺はイワシの頭教信者だしな」

 

〈決意〉「我は宗教法人“LO”教団の教徒だから無問題だ。なんといってもこの教団の教義は、炉を愛し、炉を慈しみ、ペドを恥じるなかれ、だからな」

 

アヴァン「OK、分かった。お前ら全員……SHINE!」

 

北斗「しかしアヴァン、お前、忘れていないか? お前も、れっきとした、ペドだぞ?」

 

柳也「あぁ、そうだよねぇ〜。ありゃあ、間違いなく真性」

 

タハ乱暴「度々口にしている本心が、この男の性癖を物語っている」

 

〈決意〉「おお! 我が同志よ! ともに明日のペ道を目指して突き進もうではないか!」

 

アヴァン「……一緒にするなよ、俺はこう見えても『全宇宙少女保護戦隊』の第二大隊長をしているんだ。お前たちに語られなくともその魅力は重々承知している。しかし……我が一身上の都合にて、シスターは汚してはならんのだ!」

 

ゆきっぷう「え? 俺好きだよ、修道服」

 

タハ乱暴「うん。脱がしがいあるよね、修道服(←外道)」

 

ゆきっぷう「いやいや、あれは半脱ぎで責めるのが意外と……」

 

タハ乱暴「いやいやいや、あれは一枚々々剥いでいって、その過程における反応を楽しむのが……」

 

クリス「……このド変態どもめ」

 

セーラ「さぁ、お前たちの罪を数えないさい、ってね。……そういうわけだから、あなた、やっちゃって」

 

郵便屋さん(じょにー)「大包みー」

 

ゴトン(大包みがその場に置かれる音)

 

北斗「……む? 何だ? この大包みは?(棒読み)」

 

柳也「不思議だぞぅ。中から、カチカチカチカチ、時計の音がする(棒読み)」

 

アヴァン「皆落ち着け、俺たちには最後の切り札がある…………そう、足だ!」(舞台から飛び降りて走り出す)

 

タハ乱暴「応! みんなっ、お母ちゃんからもらったこの二本の足を……」

 

どかんっ!

 

タハ乱暴「うわー! 爆発したぁー!(ものごっつ棒読み)」

 

北斗「コーフー! みんな逃げろー!(ものごっつ棒読み)」

 

柳也「あんぎゃー! 間に合わねぇー!(ものごっつ棒読み)」

 

〈決意〉「ぬぅぅぅぅぅぅ! 幼女のいったい何がいけないというんだー!(ものごっつ棒読み)」

 

 

〈戦友〉「えー、では……永遠のアセリアAnother EPISODE39をお読みいただきありがとうございました! 次回からは私も立ち絵付きで参加していきたいと思います!」

 

〈決意〉「ま、待て小娘! 今回のあとがきで、主、貴様と立ち絵が付いた! しかし、我のいまだにないぞ!」

 

アヴァン「……それは仕様だ」

 

〈決意〉「なに!?」

 

郵便屋さん(じょにー)「〈決意〉のことは放っておいて、次回もお付き合いいただければ幸いです」

 

アヴァン「ではでは」

 

 

アイリス「し、しまった! またしても出遅れた!」

 

 

 

 

<おまけ>

 

虎牢関への一番乗りを馬騰軍が果たし、敵将呂布はジョニー・サクラザカ軍が、張遼は公孫賛軍が破った。潰走した敵部隊への追撃戦では孫権軍が奮戦し、かくして、虎牢関を巡る戦いは連合軍の勝利に終わった。

一つの戦いが終われば、待っているのは次の戦いへの準備だ。自軍と敵軍の損害確認や、戦いの結果が及ぼす今後の戦略への影響の研究、捕虜の処遇をどうするかなどの問題に取り掛からなければならない。

水関、虎牢関の両戦闘で先鋒を務め、多数の損害を出しながらも、その損害に見合うだけの捕虜を獲得したジョニー・サクラザカ軍の陣営では、まさにその捕虜をどうするかで苦慮していた。

虎牢関の戦闘の結果、ジョニー・サクラザカ軍が受けた損害は戦死七〇〇、死傷一五〇〇。他方、獲得した捕虜は約五〇〇〇。虎牢関攻めの時点で一万六〇〇〇の兵を抱えていたジョニー・サクラザカ軍だが、その実、戦闘要員は六〇〇〇人に過ぎなかった。いままた二〇〇〇以上の損害を受け、そのすべてが戦闘要員へのダメージだ。五〇〇〇もの捕虜を養い、監視する余裕は、いまのジョニー・サクラザカ軍にはない。

専用の天幕に朱里を呼んだ柳也は、そこで今後の方針について彼女と話し合った。

「そも戦闘要員が三割以上の損害を受けている状況だ。戦闘集団としてのジョニー・サクラザカ軍は、もう壊滅したと言っても過言ではないだろう」

「はい。ですから、ここは水関、虎牢関の両砦で獅子奮迅の活躍を示した、という栄誉で満足し、洛陽攻めの際には裏方に徹し、あとは堅実に功績を上げるのが上策でしょう」

「だな。後方支援なら、物資の消費も最小限に留められるし、残り少ない戦闘要員の大部分を捕虜の監視に回すことが出来る。……五〇〇〇人の捕虜全員は無理でも、四〇〇〇くらいは俺達の軍で管理出来るはずだ。残りの一〇〇〇は……僕たちの大好きな伯珪ちゃんに頼もう」

「……ご主人様、最近、伯珪将軍を便利屋扱いしてません?」

「そ、そそそそ、そんなこと、ない、ぞぅ!」

「ご主人様、口調がどもり気味です」

かくして、ジョニー・サクラザカ軍の今後の行動指針は定まった。

となると、残る問題は、二つ。

「猛将華雄将軍の処遇と、呂布……恋の、三つ目のお願いか」

「はい」

「華雄は仮にも将軍だ。兵卒と同じ手続きで処理するわけにはいかん」

「恋ちゃんのお願い……洛陽のどこかにいる、董卓将軍と、軍師の賈?文和将軍のお二人を救い出すのも難問です。万全を期すなら、わたしたちの軍が洛陽へ一番乗りするべきなのですが」

「先の二度の戦闘で、ちょいと活躍しすぎたしなぁ。そも、いまさっき裏方に徹しよう、って話をしたばかりだし」

二人は顔を突き合わせ、眉間に深い縦皺を刻んだ。

「……うんうん唸ったところで、良案が浮かぶわけでもなし。朱里、とりあえず、先に解決出来る問題から取り掛かろう」

「そうですね。では、鈴々ちゃんと四天王の皆さん、恋ちゃんも呼んできます」

「ああ。……但し、恋はぎりぎりまで天幕に入れるな」

朱里の言葉に、柳也は頷いた。

「華雄将軍に、今後の身の振り方を決めてもらおう」

 

 

天幕の内には、大将の柳也を始め、軍師の朱里、将の鈴々、ジョニー・サクラザカ軍の四天王の姿があった。

水関の戦いで愛紗が破った華雄は、しかし将軍という高位の立場のために、いまだその処遇を保留とされていた。単なる兵卒であればその場で解放するなり、自軍に引き込むなり、最悪、処刑という手段を取ればいい。しかし、相手は仮にも一軍の将だった人物だ。その扱いをどうするかには、政治的な影響を考えて下さなければならない。

「華雄将軍をお連れしました」

ジョニー・サクラザカ軍の古参メンバーにして四天王の一人、アニキこと程遠志が、華雄を連れてきた。水関の守将は、武器を取り上げられ、後ろ手に縄で縛られた無力な状態ながらも眼光鋭く柳也を睨んだ。

「貴様が、この軍の大将……ジョニー・サクラザカか?」

「そうです。わたしが変なおじさんです」

「は?」

「いや、何でもない」

折角放った渾身のギャグが見事不発に終わり、柳也は肩をすくめた。

やはり西暦二〇〇年代の人間に、志村○んはハイ・センスすぎたか。

「単にお兄ちゃんの力不足なのだ」

「ぐっはぁ!」

「おい! 貴様ら、ふざけているのか!?」

鈴々の残酷な一言に胸を押さえてうずくまると、華雄将軍が怒りの形相で吠えた。

その一喝には、まさに獅子吼と形容するに相応しい猛気が漲っていた。

彼女が虜囚の身となって、もうそれなりの日数が経過している。にも拘らず、いまだこれほどの覇気を秘めているとは……。猛将の呼び名は伊達ではない、ということか。

――こいつは下手な対応が出来んな。洛陽の董卓軍がいまだ健在な現状、ここで彼女を処刑すれば敵の士気をくじくどころか火に油を投じかねん。かといって俺達の軍で身柄を拘束しておくにも限界がある。虜囚の身ながら体力を温存し、猛気を研ぎ澄ましているこの女のことだ。脱走の可能性がないとも言い切れん。

理想は洛陽の敵軍の戦力や布陣といった情報を引き出した上で、ジョニー軍に降ってくれることだが……この様子から察するに、難しいだろう。

――とはいえ、やるしかないな……。

柳也は小さく溜め息をつくと、仮の王座から腰を上げ、華雄将軍との距離を詰めた。

四天王の一人……チビこと管亥が、「ジョニーの兄貴!」と、慌ててその行動を諫める。

「ジョニーの兄貴! それ以上、距離を詰めるのは危険です。捕縛しているとはいえ、その女の武は本物ですぜ」

「そんなことは先刻承知の上だ。……この俺を誰だと思っている? あの呂布奉先とも戦った男だぞ? 相手の実力くらい、一目で分かる」

「……呂布と戦っただと?」

自分のすぐ目の前までやって来た男の顔を、華雄は怪訝な面持ちで見上げた。

「本当か? 大将のお前、自らが?」

「ああ。ぼろ負けだったけどな」

柳也はそう言って、服の裾を捲し上げた。横腹に、方天画戟の一撃が炸裂したことを示す傷痕が痛々しい。

傷を見た朱里が、「はわわ、はわわ」と、痛ましげな視線を向けてきた。

「まぁ、俺のことはさておいて……確認のため聞かせてもらうぞ。貴公が、水関に立て篭もっていた軍の最高指揮官、華雄将軍だな?」

「ふんっ! この軍の総大将は耳が悪いのか? さんざん、他の連中が私の名前を口にしていたではないか!」

華雄将軍の嘲笑の言葉に、しかし柳也は平然と笑った。

「俺は、貴公の口から、貴公の名を聞きたいのだ。」

「…………」

「もう一度訊ねるぞ? 貴公が、華雄将軍だな?」

「……そうだ。わたしが華雄だ」

「そうか。では、名乗られたからには、こちらも名乗り返すのが礼儀だな。俺の名は桜坂柳也。ジョニーと呼んでくれ」

柳也は莞爾と微笑んで名乗った。

いまだ男の意図するものが見えない華雄が、訝しげに見上げてくる。

「それで? 大将自らが私に何の用だ? ……いよいよ処刑の日取りが決まったか?」

「いや、違う。今日は貴公と話をしたくて呼んだのだ」

「なに?」

「その前に、これは邪魔だな」

柳也は脇差を抜き打つや八双より垂直に振り下ろした。

華雄を拘束する荒縄が、ぶつり、と切れた。

華雄が茫然と柳也を見上げ、居並ぶ将・軍師が慌て出す。

男は、にっこり、笑って華雄を見下ろした。

「男と女が、対面に向かい合って話し合うのだ。このような無粋な物は不要だろう?」

「……私が、この場で暴れ出すとは考えないのか?」

「考えているさ。考えたからこそ、この場にわが軍最強の張飛と四天王、さらには俺自身が貴公を囲んでいる。仮に貴公が暴れたとしても、すぐ取り押さえられる布陣だとは思わないか?」

「関羽はいないのか?」

「愛紗? 愛紗は一兵卒だから、そも、この天幕に入れないよ?」

「……なに?」

華雄将軍が、唖然として柳也の顔を見上げた。縄を切られたことよりも、そちらの方が驚愕に値する出来事だったらしい。

「関羽が一兵卒だと?! この私を破った関羽が、一兵卒だというのか!?」

「……一応、部下を三人付けてやった記憶があるが?」

柳也は背後の朱里に視線をやった。

「ご主人様、四人ですよ。四人」

「どちらにせよ少ないわ! あれほどの武力を持った女だぞ? なんだ、その扱いの酷さは!?」

「にゃはは。お兄ちゃんの愛紗いじめはいまに始まったことじゃないのだ」

「こら、鈴々。人聞きの悪いことを言わない。俺の愛紗への接し方はいじめじゃない。あれは、愛だ」

「ずいぶん歪んだ愛なのだな」

華雄は呆れたように呟いた。

それから、表情を引き締め、言う。

「それで、私と話したいこととは何だ?」

「単刀直入に訊こう。洛陽にいる董卓軍の兵力及び戦力と、それを率いる有力武将の名前を知りたい」

「……洛陽には五〇〇万の兵が駐屯し、うち四〇〇万が戦闘要員として待機している」

「そりゃすげぇな。連合軍に勝ち目はない」

柳也はニヤリと笑って華雄との話し合いを続けた。

「それで、率いているのは董卓将軍か?」

「当たり前だ」

「そうか。……それじゃあ、最後の質問だ。洛陽の闇に身を隠し、将軍の家族を人質に取り、董太尉を悪逆非道の暴君に仕立て上げたという、白い奴らは、洛陽に何人いる?」

「貴様……」

華雄が柳也を見上げた。

明らかな驚愕と畏れが、琥珀色の眼差しに宿っている。

「どこまで知っている? ……いや、誰に聞いた?」

「知っているのは洛陽の内情が何一つつかめないということ。それから、此度の一件は董太尉の意向とは何ら関係のないところで動いていた、ということ。そして、話を聞いた相手は、呂布奉先」

「呂布、だと!?」

柳也は程遠志に目配せした。髭面の程遠志は小さく頷くと、外に待機していた恋を天幕内に連れてきた。あらかじめ天幕の外で中の話を聞くよう、柳也が指示しておいたのだ。

「呂布、お前……!」

「…………久しぶり」

「あ、ああ……」

「思ったより元気そう」

「……互いにな。お前こそ、よく無事だったな」

「ん。ご主人様が、よくしてくれたから」

「ご主人様?」

怪訝な表情を浮かべた華雄に、恋は柳也を指差した。

「恋の矛は、いまはご主人様のもの」

「……そうか。お前は、そうしたのか」

「ん。その方が、月や詠のためになると思ったから」

「董卓様達の周りのことも、お前が話したそうだな?」

「ん。……ご主人様は約束してくれた」

「約束?」

「月と詠、助けてくれる、って」

華雄は柳也を見た。

黒檀色の瞳に、ふざけた様子や、諧謔は一切感じられない。

真摯な、そして深く温かい眼差しが、将軍を見つめ返していた。

「先ほども言ったが、大体の事情は恋から聞いている。そして、董太尉とその家族、さらに賈?文和殿を助けることに、わが軍として異存はない。勿論、連合軍の一員として声高に董太尉を助けましょう、などとは叫べないから、隠密行動になるがね」

「…………」

「だから華雄将軍、貴公がこれ以上嘘を重ねる必要はない。董太尉の身柄を確保するためにも、洛陽の防衛態勢と、件の白い連中の動向を教えてほしい」

「……その質問に答える前に、一つ、訊きたい」

「うん?」

「我らのために……董卓様のために、そこまでするのは何故だ? お前達を油断させるために、呂布が嘘をついているとは考えなかったのか? それに、呂布の話が本当だとして、連合軍に所属するお前達に、董卓様を助けて利はないはずだ」

「利ならあるさ。聞くところ董太尉は可憐な美少女というじゃないか。男としては、是非ともお近づきになりたいものだ」

「……本気で言っているのか?」

「天界では、世界を手に入れるのと、世界一の女を手に入れるのは、同じ次元で語られる問題でね。ちなみに俺の中では、いまのところ恋と朱里と、僕たちの大好きな伯珪ちゃぁぁぁんが、大接戦中だ」

柳也がニヤリと冷笑を浮かべると、周囲からどよめきの声がいくつも上がった。

「はわわっ、わ、わたしですか!?」

「鈴々は!? 鈴々は!?」

「…………ちょっとだけ、嬉しい気持ち」

「ジョニーの兄貴、何でそこに俺の名前がないんですか!?」

「や、チビ。お前の名前があったら駄目だろ」

「……ふっ。賑やかな軍だな」

言い合う柳也達を眺めた華雄は、くすり、と微笑んだ。

「そしてその大将は、良くも悪くも男だ。男としての自分の欲望に、どこまでも正直でいる」

「良い女と面白い戦いは、男であれば誰もが望むものだと思うがな」

「いや、戦いは兄貴だけですって」

程遠志の言葉に、みなが頷いた。

華雄将軍が、王座を下りて自分と同じ地平に立った柳也を見る。

「よかろう。董卓様を救い出すというお前の言葉を信じよう。洛陽の防衛態勢も教える。その穴も」

「……ずいぶんあっさり信用してくれるんだな」

「お前がどういう人格の持ち主かくらい、目を見れば分かる。それに、呂布がお前を信じたのだ。あれの人を見る目は的確だからな」

「なるほど」

「頼む。董卓様を、あの心優しい我が主を、助けてくれ」

「頼んでもらうまでもない」

柳也は言葉短く言い切った。その眼光に宿る感情は、憤怒。柳也は、董卓が家族を人質に取られていることを恋から聞かされて以来、いまだ見ぬ“白い奴ら”に怒りを覚えていた。血の繋がった家族のおかげで命を繋ぎ、血の繋がらない家族に支えられて今日まで生きてきたこの男にとって、家族の絆を利用する存在は、決して許せぬ悪だった。

「家族を大切に想う気持ちを利用し、踏みにじるような輩など……この俺が、皆殺しにしてやる」

黒檀色の瞳に宿る剥き出しの怒りは、猛将と謳われる華雄でさえ、思わず身震いするほどのもの。そればかりか、長い付き合いの朱里達でさえも目の当たりにしたことのない、猛々しい感情だった。

「……皆殺しだ」

低く、暗い呟きが、唇からこぼれた。

 

 

「ところで華雄将軍、貴公の今後の身の振り方についてだが……ウチに来ない? いまならジョニーカードに六〇〇ポイント付けるよ?」

「な、なんだ? そのじょにーかーどというのは?」

「幽州全土で流通しているクレジットカードだ。ポイントを溜めると、色んな景品グッズ、さらにはお買い物券があなたのものに!」

「……じょにーかーどのことはよく分からんが、要するに、私に、仲間になれ、と言っているのか?」

「その通り」

柳也は、にっこり、笑って華雄を見た。

「正直言って、俺達の軍はまだまだ弱小勢力だからな。今後軍を拡大するにあたって、有力な中堅将校を多数育成する必要がある。その際に、漢の軍隊で正規の訓練を学んだ将がいてくれると非常に助かるんだ。それも、出来れば武勇に優れ、経験豊富な人材が欲しい」

「それが、私と?」

「ああ。愛紗に敗れたとはいえ、貴公の武は本物だ。また、先の戦いでは防戦に回っていたが、その指揮統率の才は、むしろ攻勢でこそ真価を発揮するだろう。なにより、貴公の経験は非常に貴きものだ。貴公はこれまでに二度、大きな敗北を経験している。その敗北は、貴公をより強く、大きくするだろう。……俺は貴公の過去、現在、そして未来の可能性も含めて、貴公が欲しいのだ」

「……私の未来さえも欲する、か……ふっ」

華雄は小さく微笑んでみせた。

その微笑は朱里や愛紗にはない大人の女性の色香に満ち、とても魅力的に映じた。

「気付いているのか? お前のそれは、男が女に婚儀を求める求愛も同然だぞ?」

「無論、気付いているさ。気付いた上で、俺は貴公を嫁に欲しているんだよ」

柳也はニヤリと笑った。

黒檀色の瞳には、どこまでも純粋な欲望の炎が滾っていた。

「どうする? 勿論、俺達の申し出を断ってくれても構わないが、その際は、処刑か、このまま虜囚の身かの二択になるぞ?」

「逃げ道を塞いでおいて、よく言う」

「この暴君め」と、華雄は毒づいた。

「……我が名は華雄。董卓軍では若輩の身ながら水関の都督を任されていた。我が矛を、そなたに預けよう」

「真名は預けてくれないのか?」

「差し控えさせてもらおう。私は、お前のことをよく知らない」

「その方がいい。よぉぉく、俺のことを見極めてくれ」

暗に、主として相応しくないと判じた時には離反する、という意思表示だった。

にも拘らず、柳也は嬉しそうに笑ってみせた。

洛陽の都が、近付こうとしていた。

 

 

<おまけのおまけ>

 

柳也達が華雄将軍の身の振り方について審議をしていたその頃、僕たちの大好きな公孫賛は、酒瓶を片手にくだを巻いていた。

「なんだいなんだい、サクラザカの奴。わたしに求婚してきたくせに……そんなにあんな怪力女(呂布ちんのこと)の方がいいのかぁぁ!」

「まぁまぁ伯ちゃん。そないに飲まんと……」

「チクショー! サクラザカのバカ――――――――――――!!」




やはり華雄の真名は出なかったか……。
美姫 「って、おまけの感想からなの!?」
ぶべらっ! つつー、えっと……おお、いよいよ開戦だな。
美姫 「今回はその前準備、といった所ね」
とは言え、ちょっと予想とは違ってちゃっかりと兵力は補充されていたという。
美姫 「まあ、流石に相手の動きまで正確には読めないものね」
思ったよりも厳しい初戦になりそうだけれど。
美姫 「柳也は既に大丈夫だけれど、悠人はこれからセリアたちと信頼を築かないといけないしね」
それらも含め、次回以降も楽しみで仕方ないです。
美姫 「次回も待ってますね〜」
ではでは。



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