――聖ヨト暦三三〇年、コサトの月、赤、みっつの日、朝。

 

桜坂柳也は目の前に巨大な洞窟を認めていた。入り口だけでも地上から天井までの高さは約二〇メートルはあろう。巨漢の柳也をして大きいと思わざるをえない巨大な洞穴だ。勿論、天然のものではない。科学の発達した現代世界ならいざしらず、有限世界にこれほどの穴を掘る技術はない。

「……ここが“静かなる海の洞穴”か」

柳也は持ってきた地図と方位磁石、ダグラスから貰った洞窟のスケッチを交互に見比べて、溜め息混じりに呟いた。

他にそれらしき洞窟の類は見当たらない。おそらく、この巨大な穴こそが自分の目的地で間違いないだろう。

ダグラスや悠人達の話からある程度の予想はしていたが、それにしても大きい。内部も同様な広さと大きさを併せ持っているに違いない。これからこの中に入るのかと思うと……冒険心がうずいた。

大陸最北端の都市ラキオスからさらに北西に位置する巨大洞穴……静かなる海の洞穴。それが、柳也のいまいる現在地点だ。

聖ヨト暦採用以前の戦乱の時代、伝説のバルガ・ロアーより飛来した龍がここに住み着いたとされる洞窟で、ちゃんとした地名を持った場所としては真の意味で大陸最北端に位置する。

それよりやや南にはバートバルト海を相手とする漁村、あるいは集落がいくつかあり、国内で消費される魚介類の約三割はここで獲られていた。ちなみにあとの七割のうち半分はサルドバルトからの輸入だ。

王都からは真っ直ぐ北西へ向かって進むのが最短ルートだが、途中には広大な西リクディウスの森という天然の要害があり、その中を通るとなると、結果的に時間のロスとなる。ゆえに、多少遠回りになっても、街道を使って一度西に進み、それから北上するという、森を迂回するのが一般的なルートだった。その場合の片道は約一二〇キロ。神剣の力を解放した柳也が、休憩を挟まずにそれでも四時間かかった。

そんな苦労をしてまで、付け加えればスピリット・タスク・フォース(STF)の訓練を休んでまでして、なぜ柳也が北端の洞窟にいるかというと、理由は二つある。

先述したように洞窟付近の漁村では国内需要の三割に相当する魚介類が獲られる。王都に居ても魚は食べられるが、どうせ食べるなら新鮮なものの方が良い。単純だが大食漢の柳也にとってはプライオリティの高い、理由の一つだった。

もう一つの理由は、一言でいえばこれが任務だから、だ。

オペレーションBOLのためにエルスサーオに向かった時と同様、柳也をこの場に差し向けたのはラキオス王直々の密命だった。

そもそも、事の始まりは悠人達がリクディウスの魔龍を退治した直後まで遡る。

リクディウスの守り龍……サードガラハムを倒したことによって得られたマナは、ラキオス王国が年間に産出する総マナ量の約六〇パーセントにも達した。それだけのマナが得られたにも拘らず、我が方の損害はスピリット三名とエトランジェ一名が軽傷を負ったのみという非常に軽微なものだった。損害なしと言い換えても、差し支えがない大勝利だ。

この結果を見たラキオス王は、龍退治を利益率の高い事業とみなした。

損害がほとんど皆無で、国家が年間に産出する総マナ量の六割を得られたわけだから、そう考えたとしても無理もない。

ラキオス王は当然のように領内に新たな龍を求めた。そして、静かなる海の洞穴に目をつけた。言い伝えにあるバルガ・ロアーよりやって来たという龍に、さらなる国力増強の可能性を見出したのだ。

ラキオス王は悠人達の傷が癒えるのを待って、彼らを洞窟へと差し向けようとした。スピリット・タスク・フォース発足以前の話だ。

ところが、この王の決断に待ったをかけた者がいた。国防大臣のレスティーナだ。

レスティーナは父であり王でもある男に言った。

『リクディウス山脈の龍と違い、洞窟に住んでいるという龍は目撃例がなく、言い伝えの域を脱していません。龍の存在の証明すらされていない段階で討伐隊を出すのは、いささか早計すぎるのではないでしょうか? それに、静かなる海の洞穴の地図がありません』

レスティーナの言い分はもっともなものだった。

そこでラキオス王はまず龍の存在を確認するための調査員を送ることにした。

問題となったのはその人選で、龍がいるかもしれない洞窟に非力な人間の調査員を向かわせるわけにもいかない。何かあった場合に備えて、スピリットかエトランジェを向かわせるべき、という意見は衆目の一致するところだった。それも高い力量と想定外の事態にも対応出来る柔軟な知性の両方を兼ね備えた戦士が。

そうして選ばれたのが、柳也だった。

最初にこの命令を聞かされた際、柳也は二つ返事で準備に取り掛かると応じた。

ここでラキオス王に忠誠心を見せておけば佳織の立場が保障されるかもしれないという打算と、なにより自分も龍を見てみたいという好奇心からのことだった。

あの魔龍討伐作戦の当時、柳也はエルスサーオにいたため、龍の実物を見ていない。ゆえに、龍の持つ絶大な力や、その存在の恐さを知らない。

もし魔龍討伐作戦本隊に参加していたなら、今回の指令にも渋い顔を作っていただろう。

「出来れば、居てほしいなぁ」

洞窟の入り口に立ってそんなことを呟けるのも、無知ゆえの余裕だった。

「〈決意〉、〈戦友〉、洞窟内からそれらしいマナの気配は?」

【……いまのところそれらしい気配は感じられぬな。どうやら洞窟自体がかなりのマナを宿しているらしい】

【洞窟のマナの影響で、龍のマナが薄れているのかもしれません】

有限世界の万物は、それが生物であれ、無機物であれ、原生命エネルギーたるマナを宿している。

実際に龍のマナを感じたことのない柳也には、洞窟の発するマナとの見分けがまったくつかなかった。

「ふむ。やはり、実際に足を踏み入れてみるしかないか」

柳也は目の前の大穴をしげしげと眺めた。

見れば見るほど巨大な穴だ。かなり奥の方まで続いているらしく、入り口より二〇メートル先から忍び寄る闇が、外からの光を完全に飲み込んでいる。高さだけでなく、通路の幅も広い。悠人達の目撃談から推定される龍の巨体でも、これなら通ることが可能だろう。

「……こいつは期待出来そうだな」

柳也は遠足を楽しむ子どもの心持ちで快活に笑った。

ミリタリー・オタクの彼は、同時に怪獣オタクでもある。日本の自衛隊がスクリーンの中で活躍する頻度が最も高いのが、怪獣映画だからだ。

本物の怪獣が見られるかもしれないとあって、柳也の士気は高かった。

いつもの戦闘用基本装備一式に加えて持ってきた、各種調査器具を詰め込んだ麻袋を担ぎ直す。

柳也は〈戦友〉の力で視力の底上げを行った。筋肉や内臓器官の強化は〈決意〉の方が得意だが、感覚系の強化は〈戦友〉の方が上手い。

自身の視力を強化した上で携帯エーテル・ランプを灯し、柳也は洞窟の中へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

永遠のアセリア

-The Spirit of Eternity Sword Another Story “Twin Edge of Protection”-

第一・五章「開戦前夜」

Episode36「選ばれた男」

 

 

 

 

 

――聖ヨト暦三三〇年、コサトの月、赤、みっつの日、朝。

 

海際の洞窟とあって、穴の中は、じめじめ、とした湿気とかび臭い空気で満ちているかと思われたが、意外にも快適だった。剥き出しの岩肌には苔こそ群生しているが、カビの類は見られず、特別湿った様子もない。

風がないことが唯一の難だったが、土地の、あるいは洞窟自体の持つマナの影響か、洞窟内の空気は清浄だった。

息継ぎの度に、高密度のマナと新鮮な酸素が肺の中を満たしていく感覚を、柳也は鋭敏に感じていた。

――これなら、肺の強化はしなくてもよかったか?

洞窟内の大気の状況が劣悪な場合や、有毒ガスが充満している場合などに備えて、心肺系は特に強力に機能を高めていた。その気になれば、サリンや肺ペストといったBC(生物・化学)兵器にも耐えうるレベルで、だ。

それだけの備えをして挑んだだけに、この快適な環境には思わず拍子抜けしてしまう。

とはいえ、まだまだ油断は出来なかった。洞窟にはまだ入ったばかりなのだ。

天然に出来た洞窟の足場は、決して歩きやすく出来てはいなかった。

踏み均されていない地面は当然起伏激しく、群生する苔のため非常に滑りやすい。また、道自体うねうねと移動する蛇のように曲がりくねっていた。

柳也は一〇五歩でかなり正確に一〇〇メートルを歩くことができる。しかし、それも平地の上での話だ。天然の洞窟の地面を踏むこと五分、彼の距離感は完全に狂ってしまった。

――唯一の救いは、基本的に洞窟が一本道だってことくらいか。

エーテル・ランプを掲げて見据える洞穴の奥は、うねうねと曲がりくねってはいるものの、枝分かれするような気配は見られない。

道に迷う心配がないのが、唯一の救いだといえた。

「しかし、どこまで続くんだろうなぁ」

洞窟の中を踏み進めること三十分近く、さすがに飽きてきたか、柳也は呟いた。

反響は生じない。声自体小さかったこともあるが、洞穴はその大きさを入り口の時点からまったく変えず、閉ざされた空間ながら、反響の生じにくい広大なスペースを常に確保していた。

柳也は左手のModel 603.EZM3 で時間を確認した。洞窟に足を踏み入れてから、ちょうど三十分が経とうとしている。そろそろ小休止を取るべきだろう。

普段の柳也ならば一時間の行軍につき五分の小休止を挟むところだが、今回はいつ何が起きても迅速な対処が出来るよう、体力に十分な余裕があるうちに休憩を取りたい。

彼は適当な岩場を見繕って、腰を下ろした。

なるべく平坦な岩を選んだつもりだったが、細かい突起が尻に、チクチク、と痛い。

柳也は方角を確認するべく方位磁石を取り出した。洞窟内は曲がりくねった道が多いため、小休止の度に方位を確認する必要がある。

また、龍が住んでいるかもしれないということで人の立ち寄らない洞窟の地図作成の手がかりを得ることも、調査目的の一つだった。

磁石を取り出して数秒、彼は苦い表情を浮かべた。

「……まいったな」

ケースの中の磁石は、くるくる、と回り続け、一方向で止まる気配を見せなかった。

いままで気が付かなかったが、どうやら洞窟の岩には磁性を持つ鉱物が含まれているらしい。磁鉄鉱か磁硫鉄鉱か、どちらにせよ、コンパスが役に立たなくなってしまった。

――新しい資源を見つけたことは喜ばしいが、これからどうしたものか。

方位を確かめる術を持たぬまま奥に進んだとして、ちゃんとした調査が出来るか否か。

柳也は一瞬、引き返すか否かについての判断に迷ったが、彼は構わず進むことにした。

わざわざ一二〇キロの道のりを踏破してまでやって来たのだ。龍のことも見たいし、行けるところまでは行きたい。

柳也は一クォートのキャンティーンのキャップをはずし、水を一口分含んだ。

それから、両の頬を叩いて気合を注入、柳也は決意も新たに立ち上がった。

大気に満ちる高濃度のマナの作用か、五分足らずの小休止で、身体は驚くほど軽くなっていた。

――とりあえず行けるところまでは行ってみよう。なあに、どうせ一本道だ。無理そうだったら引き返せばいい。

 

 

それから二時間、柳也は頃合を見て小休止を挟みながら洞窟の奥へ奥へと進んでいった。

やはり大気に満ちるマナが高濃度なせいか、劣悪な足場にも拘らず、身体は軽い。五分の休憩が一時間近い大休止に感じられ、柳也は疲れらしい疲れを感じぬまま洞窟を歩くことが出来た。

異変が起こったのはそれからさらに三十分が経過した頃、つまり、柳也が洞窟に入って三時間後のことだった。

異変といっても、それは柳也の身に起きた現象ではない。

彼を取り巻く周りの環境、すなわち洞窟に起こった変化だった。

「……ん?」

不意に違和感を覚えた柳也は、思わず立ち止まると訝しげに周囲を見回した。

床。天井。壁面。一見、いままで辿ってきた道のりとまったく変わらないように見えるが、何かが違う。

怪訝な眼差しを周辺に巡らせていると、唐突に彼はその変化に気が付いた。

ランプの火を絞り、消灯する。

エーテル・ランプという光源を失い、洞窟内が完全な闇に、閉ざされない。

「……なんだ、これは?」

その光景を見て、柳也は思わず呟いた。

床。天井。壁面。エーテル・ランプの光を失っているにも拘らず、それらの姿がはっきりと見える。地面の起伏。岩肌に生える苔。その苔の中に身を潜める微小な昆虫群。エーテル・ランプをかざしていた時でさえ見えづらかったものが、なぜかいまははっきりと見える。

〈戦友〉の力ではない。いかに視力を強化しているといっても、所詮は第七位の永遠神剣だ。光源一つない暗闇で視界を得られるほど、相棒の力は強くない。

「……洞窟そのものが、光っているのか?」

柳也はにわかには、信じがたい、といった様子で呟いた。

よく見ると、床も、天井も、壁面も、薄っすらと青白い光を放っていた。蓄光ではない。洞窟の岩そのものが、青スピリットが戦闘時にハイロゥから出す輝きと同じ青マナの光輝を発していた。

柳也は指先に神経を研ぎ澄まし、燐光を発する岩肌に触れる。

岩そのものは特別な鉱物を含有しているわけではない。現代世界にも、有限世界にもごくごく普通に転がっている、多種多様な成分で構成された花崗岩だ。

岩の中に何かの微生物がいるのかとも思ったが、違う。

指先から感じられるマナの波動は一種類のみ。すなわち、岩の放つ青マナだ。

――……二人とも、何かわかるか?

【岩そのものは普通の石だ。ただ、岩に何か強いマナが宿っている】

【このマナ、奥へ行くほど強くなっているみたいです】

感覚能力に優れる〈戦友〉が指摘した。

言われて、柳也は洞窟の奥へと目線を送る。

エーテル・ランプを掲げていた時でさえ十メートルも見通せなかった闇が、完全に晴れていた。柳也達がいま居る地点以上にまばゆい蒼光に照らされて、洞窟の奥がよく見える。

いまいる場所よりも奥の方が明るいということは、そちらの方が岩に宿るマナが強い証拠だ。

柳也は、これまで以上の視界を得ながらも、これまで以上に足下に注意を払いながら洞穴の奥へと進んでいった。

奥に進むにつれて、柳也はさらなる驚きを、徐々に覚えていった。

岩の発する青い光が強くなっていくにつれて、彼の視界の中に、緑が目立つようになってきたのだ。それまで植物といえば背の低い苔が生えているくらいだったのが、次第に雑草が目につくようになり、ついには膝の高さくらいあるハッカが目に留まった。

ハッカは東アジアの暖帯か、寒帯に生息する多年草で、通常、このような海際の洞窟内に生えるような植物ではない。しかも柳也の視界に映じたハッカは、灰色の花まで咲かせている。

ガサリ、と草むらの揺れる音が柳也の耳朶を打った。

風がそよいだ程度の揺れだが、当然、密閉された洞窟内に風など起こりうるはずがない。

振り向くと、草むらの陰から、じっとこちらを見つめる一対の目と、視線がかち合った。

体長四〇センチほどの、小型のイタチだ。いかに洞穴が広大とはいえ、閉ざされた生態系の中で、野ネズミ以上の大型動物が生息できうるものなのか。

イタチは目の前の来訪者に対し警戒の姿勢を取った後、不意に、物凄いスピードで逃げ去ってしまった。

「……いよいよ面白いことになってきたな」

柳也は小さく冷笑を浮かべた。

その声は、興奮からわずかに震えている。

奥へ行けば行くほど強くなる青マナの光。奥へ行けば行くほど広がる生態系。バルガ・ロアーからやって来たという龍の言い伝え。

これらの情報を包括的に整理・判断するに、それが龍なのかどうかは別として、洞窟の最奥に何かあるのは、もはや間違いない。

なにより柳也は、この洞窟に戦いの気配を感じていた。

それは勘の域を出ない思い込みの類だったが、彼には確信がった。柳也の戦士としての鋭敏な嗅覚は、この洞窟から自分の求める戦いの匂いを嗅ぎ取っていた。

その匂いは、洞窟の奥へと奥へと足を踏み入れるにつれて、徐々に強く、甘美な香りとなっていった。

――〈決意〉、神剣レーダーを使うぞ。

【よいのか、主よ? もし本当にこの奥にいるのが龍であれば、神剣レーダーの使用はこちらの存在を気取られる恐れがあるが】

――構わないさ。どうせなら、来訪を知らせて歓迎してもらおうぜ?

柳也はそう言って瞑目し、レーダーの解析に意識を集中させる。

一文字に結んだ唇の端は、この先に待ち受ける戦いの予感に、早くも吊り上がっていた。

――神剣レーダーのモードは長距離探査モードに。まずはいちばんマナ反応の大きな目標一つをピンポイントに捜索するぞ。

神剣レーダーの原理は、現代世界におけるレーダーのそれと基本的に変わらない。

一定方向にマイクロ波の信号を発射し、目標物からの反射波を受信して、距離や方位を解析するのがレーダーの基本原理だ。

同様に、神剣レーダーもまたマイクロ波のような信号をこちらから発し、反射波を受信することで他の神剣の位置を特定する。この信号は永遠神剣に限らず、強いマナを持つ存在に対して反応し、反射波を発する。

悠人達が倒したサードガラハムなる龍は、ラキオスの年間産出総量の六割にも及ぶマナを持っていた。

もし、静かなる龍の洞窟に住んでいるといわれる龍が同程度のマナを抱えているとすれば、確実に大きな反射波が返ってくるはずだ。

最も強く反射波を返してきた存在が龍である可能性は、かなり高い。

柳也は自身の周囲半径八キロの範囲に、あまねく信号を送った。

次々と反射波が返ってくる。そのほとんどは、青マナを宿した洞窟の岩に反応したものだったが、その中に、柳也は特別巨大なマナの反応を見つけた。

いままでに感じたこともないような、強大なマナだ。戦闘時の柳也の十倍はあろうか。マナの属性は青。しかし、アセリア達通常の青スピリットから感じられるものとは、明らかに質が異なっている。この反応が龍という公算は、極めて高い。

あとは、この反応が龍だったという確かな証拠を得るだけだ。すなわち、龍の姿を自分の眼で確かめる。

柳也は勇み足で先へと進んだ。

 

 

洞窟内を青い光が満たし始めてから歩くことさらに三十分、洞穴内の景観がまた変わり始めた。

天井が徐々に高くなっていき、平行して道幅も広くなっていく。

奥に向かえば向かうほど先細るではなく、かえって広がっていくという洞穴の構造に怪訝なものを感じながら、柳也は一歩、また一歩と歩みを刻んだ。

それからさらに十五分ほど歩いて、彼は巨大な空間と遭遇した。

ドーム状の開けた場所で、天井までは六〇メートルもあるだろうか。坪面積幾らと表現するよりも、東京ドーム何個分かと言った方が良さそうな、大広間だ。

中央には玉座のような岩場がある。

そしてその岩場に、目的の“それ”は居た。

第一印象はとにかく大きな怪物だった。スクリーンの中で見たゴジラほど巨大ではないが、それでも二十メートルは下るまい。背中からは一対の蝙蝠羽根のような皮膜の翼が生え、長大な尻尾は地を這う蛇のようにのた打っている。

骨格は恐竜などよりも人間に近い。ただし、その巨体を支える骨も、骨を覆う筋肉も人間とは桁違いに太い。体表はすべすべとしており、周囲の岩と同様、青白く発光していた。

青い龍。現代世界では空想上の怪物とされ、人間が誕生する以前には地球の支配者であった最強の陸上動物。その伝説と最強のふたつ名は、この有限世界においても変わらない。

伝説のバルガ・ロアーより降臨したとされる巨大な怪物が、その威容を横たえていた。

ギョロリ、と爬虫類を思わせる目がこちらを見下ろしてくる。

現存するいかなる陸上生物よりも巨大な顎がゆっくりと開き、蒸気のように白い息を紡いだ。

「……人間か?」

閉ざされた広間を、静かな、そして巨大な声が揺るがした。

それが自分に対しての質問だと気が付くまでに、柳也は数秒を要とした。

龍と呼ばれる存在が人間並みの、あるいは人間以上の知性を持っていることは悠人達からの話で知っていたが、実際に巨大な怪物が人語を喋っている姿を見ると、とても現実の光景とは思えない。

有限世界に召喚されてから、また〈決意〉達永遠神剣と出会ってから、常識なんて言葉はすっかり意味をなくしてしまった。……なくした気になっていた。もはや大概の事には驚くまいと思っていたが、その考えは甘かったらしい。

質問が自分に対して向けられたものだと分かってからも、柳也は返答を口から吐き出すまでにさらに数秒を要した。

「……難しい質問だな」

柳也は、舌先で言葉を選ぶように、ゆっくりとした口調で言の葉を紡いでいった。

しかし、一旦口に出して言ってみて勢いがついたか、それからの言葉は滑らかに繋がれていった。巨大な怪物との遭遇の驚きは、すでに彼の中からは消え始めていた。

「人間と言ってくれる奴もいれば、異世界からやって来た怪物と言う奴もいる。個人的には、異世界の戦雲が呼んだ救国の勇者と思いたいが」

「なるほど、異界の空より降ってきた者か」

龍は寝そべっていた巨体をゆっくりと起こした。

改めて見上げてみて、その巨体さがよく分かる。二〇メートルは下るまい、と評したが、もしかしたら尻尾までを含めると四〇メートル近くになるかもしれない。

相手のことを改めて観察するのは、何も柳也ばかりではなかった。

龍もまた身体を起こし、改めて柳也のことをしげしげと眺めていた。

「……いや、ただの異界よりの者ではないな。お主の身体からは、懐かしい方のマナを感じるぞ?」

「……なに?」

不意に、龍は聞き捨てならないことを呟いた。

「これは……ああ、あのお方だ。〈運命〉に仕える、時の戦巫女。あのお方のマナだ。……いや、それだけではないな。お主の身体からは、あのお方以外にも二人分、永遠存在のマナを感じるぞ」

「おい、それってどういう意味だ?」

しかし龍からすれば小さな生き物にすぎぬ柳也の呟きは、彼の耳膜を震わせるに至らなかったらしい。龍はひとり得心した様子で頷くと、勝手に話を進めていった。

「まぁ、よい。お主が何者なのかなど私には関係のないことだ。……して、異界よりの来訪者よ、お主は如何なる用向きでこの場にやって来たのだ? 見ての通りこの場には野生の自然と、磁力を持った鉱物しかない。異界からやって来たお主には、何ら益をもたらさぬ場所だ」

「……そうでもないさ」

柳也はかぶりを振って言った。

「異世界からやって来た怪物にも雇い主がいるんでね。その雇い主にとっては、この洞穴は宝の山さ」

「……なるほど」

龍の眼差しに、剣呑な輝きが宿った。

剥き出しの殺気を当てられて、柳也も思わず身構える。

「お主の雇い主が望むのは、我が命そのものか。……そしてお主は、私を倒すために差し向けられた」

「半分はずれで、半分正解」

柳也は閂に差した同田貫の柄に利き手を添えた。

「たしかに俺の雇い主はあんたの命を……正確に言えば、あんたの抱えているその膨大なマナを狙っている。だが、俺に与えられた役目はあくまで調査だ。古い言い伝えに聞く静かなる海の洞穴に住むという龍が、実在するかどうか、をな」

「して、どうするのだ? 私はこうしてここにいるが?」

「勿論、雇い主に報告するさ」

「そうか……」

龍は重い溜め息をついた。

湿り気を帯びた白い蒸気が柳也の身体を包み込み、一瞬、彼の視界のすべてを奪う。

「……ここで貴様を見逃せば、いずれ大規模な討伐部隊がやって来るだろうな。人間であれ、妖精であれ、徒党を組まれると厄介だ」

「なら、どうする? あんたの存在を見てしまった俺を?」

「消すしかあるまい」

そう呟いた次の瞬間、龍の巨体が、目の前から消失した。

上空に殺気。

柳也は反射的に前へと数歩踏み込んだ。

ドーン、と雪崩を思わせる地響きが、洞穴を揺らした。

背後から衝撃波と粉塵の嵐。

〈戦友〉のオーラフォトン・バリアでそれを凌ぎながら、柳也は振り仰ぐ。

先ほどまで柳也が立っていた地面に、小さなクレーターが出来ていた。

クレーターの中心からは、龍の太い足が柱のように聳え立っている。

どうやら龍の身体は大きさだけでなく、質量もかなりあるらしい。柳也を踏み潰そうとした跳躍の一回で、洞穴中が震動に震え、地面が壊れてしまった。

非常識なことこの上ない目の前の現実に、柳也は驚きを通り越して呆れてしまう。

「図体のわりに……いや、巨体だからこそか。とんでもない運動能力だ」

尻尾までを含めると四〇メートル近い龍の巨体は、決して見せかけだけのパフォーマンスではない。

巨体を支える下肢にしろ、圧倒的に太い両腕にしろ、各々のパーツが秘めた身体能力は、人間のそれをはるかに凌駕していた。仮に人間を龍と同じサイズまで巨大化させたとしても、これほどの運動は出来ないだろう。

柳也は畏敬の眼差しで龍を見上げた。

彼は、静かに、そして小さく、クスリ、と微笑んだ。

命の危機に直面しているにも拘らず微笑を浮かべた契約者に不信なものを感じたか、頭の中に、〈決意〉の声が響く。

【主よ、我らに与えられた任は龍の存在確認だけだ。撤退を進言する】

【特殊音響閃光手榴弾を使いましょう。龍といっても視神経や聴覚は人間と一緒の構造のはずです。龍の感覚を奪ったところで、逃げましょう】

つらなるように、〈戦友〉の声も響いた。

普段は「駄剣」、「小娘」と罵りあう二人だが、柳也の身を案ずる気持ちは等しく一緒だ。契約者の青年が、微笑むべきではないタイミングで微笑を浮かべれば、協力して撤収の方向へ誘導しようとする。

しかし、相棒二人の諫言にも拘らず、柳也は首を縦に振らなかった。

〈決意〉と〈戦友〉に優しく囁きかける彼の言葉には、並々ならぬ歓喜の感情が宿っていた。

「……二人とも、申し訳ない」

柳也は文字通り一心同体の戦友達に謝罪した。

調査器具の詰まった麻生袋を放り捨て、身軽な状態にする。

覚えたての居合を放たんとして構えるその姿は、すでに戦うことを決断した証だった。

「逃げるなんて、出来そうにない。あの龍がすんなり俺を逃がしてくれるとは思えないし、なにより、俺自身逃げたくない」

柳也は残忍に唇の端を吊り上げながら、自らの思いを吐き出した。

「魂が、うずいているんだ。熱く、熱く燃えているんだよ。……嬉しい。嬉しい、って、心が叫んでやがる。俺はいま、あの龍との戦いを心から望んでいる」

手の内は未知数。マナの差は十倍。身体能力にいたっては比べるのもおこがましく、体格の差は言うまでもない。

そんな相手にも拘らず、柳也の心は歓喜に震えていた。

なにより強者との戦いを控えて、彼の魂は際限なく昂揚していた。

まったく厄介な気性だと思う。

強者を前にして怯えるならともかく、喜びに打ち震えるなど、病気といっても過言ではない。しかもそのために相棒二人にまで迷惑をかけてしまうのだから、目も当てられない。

だが、もはやこの胸の奥から湧き上がる衝動を抑えることなど、自分には出来ない。

理性も本能も、そして肉体さえも、目の前の龍を求めていた。

血を。

龍の返り血を。

龍が嘶いた。

アフリカゾウをも一口で丸呑みしそうなほど巨大な顎が開き、光芒が溢れる。レーザービームだ。

悠人達の実戦談から龍が嘶く時は口から攻撃を吐き出す時と知っていた柳也は、光速に程近い攻撃を寸前のところで避ける。

しかし、光線の余波を受けた前髪の何本かが、瞬時に凍結し、静かに霧散した。

アイスブレス。いかなる超常の現象か、本来高熱を伴うはずの……いや、伴っていなければならない高出力のレーザーは、なぜか冷気を宿していた。

「……ますます面白くなってきやがった」

柳也は居合の初撃を諦め、閂に差した愛刀を抜き放った。

そのまま静かに、正眼に構える。

手には己が最も信頼する肥後の豪剣二尺四寸七分。

体内には、己が最も信頼する相棒二人。

そして相手は、人知を超え、神話の時代から飛び出した最強の陸上生物。

「めいっぱい楽しませてくれよ……青き龍よ!」

柳也は咆哮し、青き龍へと突撃した。

 

 

ミリタリー・オタクの柳也は、同時に怪獣オタクでもある。

日本の自衛隊がスクリーンで活躍するいちばんの機会、それが怪獣映画だからだ。

東宝の「ゴジラ」シリーズは勿論、円谷プロの「ウルトラ」シリーズも見たし、大映の「ガメラ」も見た。

そうした数々の映画の中で、自衛隊は脇役であり、怪獣の強さの引き立て役でしかない場合の方が多かった。

ゴジラの熱線を浴びて爆発する61式戦車。

ラドンの衝撃波を受けて爆散するセイバー戦闘機。

人類の科学が生み出した最強の兵器群が、玩具のように壊されていく映像があるからこそ、怪獣の強さが引き立つ。

いまの柳也もまた、スクリーンの中の自衛隊と同じ役を演じていた。

浴びせかける斬撃はそのほとんどが龍の身体には届かず、また、届いたとしてもダメージはほとんど与えられない。

逆に龍の攻撃は、それが肉弾戦であれ、冷気を宿した光線であれ、直撃せずとも柳也の身に確実なダメージを与えていった。

龍の爪が虚空を薙ぐその度に巻き起こる衝撃波が、柳也の身を傷つけていく。

風圧によって動きの鈍ったところをさらなる連撃が襲い、ついには避けきれず、防ぎきれずとなって、強烈な一撃をもろに受けてしまう。

「グ……ハァッ……!」

〈戦友〉のバリアを、内側から〈決意〉のシールドで補強した二重の防御壁を展開したにも拘らず、正面からの鉄拳は障壁をいとも容易く突破し、柳也の身体は広間の岸壁に叩きつけられた。

自分の身体が岩を砕き進む音を、柳也は一拍遅れて、他人事のように聞いた。

龍の拳は音速の壁をとうに超えていた。

その拳に真正面から打ちのめされた彼の身体は、一個の砲弾となって破壊の力を振りまいた。

口から、鼻から、身体中の血管から、どっ、と血が溢れ出す。

しかし体内から放出された血液は瞬時に黄金の霧と化し、凄惨な光景は残らない。

彼の負ったダメージの程を第三者が覗うには、ぼろぼろの戦闘服から察するしかなかった。

柳也の肉体が完全にマナの霧と化していないことを認めた龍が、さらなる追い討ちをかける。

その気になれば戦車の装甲さえ引き裂きそうな爪を立てた貫手が、岩壁に埋もれて身動きの取れない柳也に迫った。

正面から迫りくるその攻撃を見据えながら、柳也は血反吐を吐いた。

「……サイレント・ストリュウム!」

すべての万物は〈流転〉する。破壊を司る炎のマナは、柳也の命令に従って、破壊の力を持つ以前の姿へと流転する。沈黙の消滅魔法だ。

勿論、神剣魔法など一つも使っていない龍に対して、それは大した効果を持ちえない。しかしその沈黙の効果は、攻撃にも防御にも利用出来る。

サイレント・ストリュウムを真っ向から受けた龍の貫手が、一瞬の遅滞を見せた。

龍の腕に宿った破壊のマナが減衰し、本来の運動能力が損なわれる。

しかしそれは本当に刹那ほど一瞬の間の出来事だった。龍の腕は、次の瞬間にはもう勢いを取り戻し、柳也の身を襲った。

だが、柳也にはその刹那ほどの一瞬があれば十分だった。

刹那ほどの一瞬さえあれば、彼の右手は神速の冴えを見せて刀を振るった。

右腕を縛る岩の拘束は、呆気なく解けた。

利き腕と同田貫さえどうにかなれば、あとは簡単だった。

龍の手刀が、岩盤を貫いた。

そのコンマ一秒前に、柳也は地面に着地していた。

ボタボタ、と血の滴りが地面に黒い染みを作る。

出血の量は、思っていたほど多くなかった。

ダメージが浅いからではない。そもそも流す血自体が、不足し始めていた。

【ご主人様! これ以上は無理です! 逃げてください!】

【小娘の言う通りだ。主の戦い好きは我らも知っている。しかしもう限界だ。速やかに離脱せよ】

――……何、言ってんだよ?

柳也は血の紅を引いた唇を拭った。

間近に迫る龍の巨体を見上げる。

敵の無事を悟った龍の右足が、己を蹴り殺そうと迫っていた。

「これからが楽しいんじゃねぇかッ!」

柳也は言葉とともに血を吐いた。

肉薄する右足にタイミングを合わせ、自らの足を龍の脛にかけた。そのまま、青い筋肉の地面を駆け上がる。

プロレスでいうところのシャイニングウィザードだ。しかし龍が巨体すぎるため、膝を上りきるまでには数歩分の時間を要した。

やがて龍の膝小僧に到達した彼は、無銘の業物一尺五寸五分を左腕一本で抜き切った。

そのまま、右手に同田貫を、左手に脇差を構え、身を沈める。

「スパイラル大回転斬り――――――ッ!」

柳也はそのまま身体を捻り込みながら跳躍した。

桜坂柳也独創の必殺剣。独楽の遠心力を得て放たれる無数の斬撃が、龍の腹を狙う。

いかに龍の表皮が硬度に優れていようと、オーラフォトンで強化した刃の連続攻撃を何度も受けて耐えられるはずがない。また腹はあらゆる内臓器官が詰まった急所の一つだ。

柳也は会心の笑みを浮かべて初撃を叩き込んだ。

しかし、柳也の刃はまたしても龍の身体に傷一つ与えられなかった。

同田貫の物打が龍の表皮に食い込んだ直後、彼の身体は瞬く間に回転の遠心力を失ってしまった。

龍の腹筋が、斬撃によるそれ以上の蹂躙を阻んだのだ。

分厚い、そして強靭な筋肉の層に締め付けられて、豪剣は柳也の力を以ってしてもビクともしなくなってしまう。

そしてこの絶好のチャンスを、見逃す龍ではない。

龍は自らの腹目掛けて拳骨を叩き込んだ。

オーラフォトンの障壁が龍の攻撃の前には薄紙に過ぎないことはいままでの戦いで証明済みだ。

しかし何もしないよりは、と柳也はバリアとシールドを一点集中で幾重にも張り巡らせた。

バリバリ、と障壁の砕ける音がしたような気がした。

いや音速を超えた拳骨の前に、音という概念はもはや意味をなくしていた。

インパクトの直前、龍は一瞬、腹筋に篭めていた力を緩めた。

肉の壁に埋もれていた同田貫が、ぼろり、と抜ける。

そして次の瞬間、柳也の全身を、圧倒的な衝撃が襲った。

骨が、筋肉が、内臓が、血管が、砕け、断裂し、潰れ、破裂する感覚が全身を駆け巡り、痛覚を刺激した。

耐用限界を何倍も超えた痛みの前に感覚神経は陥落し、その瞬間、柳也は無痛の身となった。痛みを感じなくなってしまった。

だがそれは柳也にとってむしろ幸運な出来事だった。

もし、全身を這い回るこの痛みのすべてを感じていたら、脆弱な人間の精神はとてもではないが耐え切れなかったろう。その瞬間、ショック死してもおかしくない。彼は無痛という異常な状態を手に入れることで、かろうじて命を繋ぎ止めていた。

柳也は両手の二刀を握ったまま落ちていった。

龍が身を捻る。

トドメとばかりに放たれた尻尾の追い討ちが、柳也を叩き飛ばした。

柳也はきりもみしながら宙を舞い、やがて落下、墜落した。

落下地点を中心に、濛々と土煙が舞い上がる。

砕け散った岩の破片が、きらきら、と青い燐光を発しながら粉雪のように吹き荒れた。

龍は水晶の透明な眼差しでそちらを睨んだ。

「…………むぅ」

龍が不愉快げに低く唸った。

砂塵が散り、白煙が去った後、そこには、豪剣を杖代わりに形相凄まじく龍を睨みつける一匹の獣がいた。

「へっ……へへへっ……」

すでに足の骨は砕けてしまっている。

筋繊維も大部分が断裂し、とても立っていられる肉体ではない。

しかし柳也は、それでもなお、立っていた。

立って、龍を睨み上げ、そして笑っていた。

「痛ぇなぁ……けど、いいぜぇ……どんどん楽しくなってきやがった」

その顔は朱に染まり、片目は潰れ、鼻梁も顎も砕けていた。

凄絶に歪んだ愉悦の笑みはどこまでも屈託なく、皓々と輝いていた。

「お主は……」

龍はその先を口にするのをわずかに躊躇った。

なんとなく、躊躇われた。

「……なぜ、この状況でお主は笑う? なぜ、この状況でそんなにも嬉しそうに笑う?」

「ああ?」

柳也は不機嫌そうに龍を見上げた。

「つまらないことを訊くなよ。こんな楽しい祭の最中なんだぜ? 興が削がれるだろう?」

柳也は低く呟いて、同田貫の切っ先を青き龍に向ける。

杖代わりの豪剣を地面から離したことで体勢が大きく崩れるが、構わずに彼は叫んだ。

「でもまぁ、答えてやるよ!」

柳也は吠えた。

吠えながら、両手の二刀を振り回した。

ズタズタの肉体を歓喜の熱で躍動させ、勢いもなく、技の冴えもなく、子どもがチャンバラごっこに興じるのとほとんど変わりない斬撃の嵐を、我武者羅に浴びせかける。

「正直言うと、いまこの時間が楽しくて、楽しくてしょうがないからだ!」

「……なに?」

攻撃を防ぎながら、龍が怪訝な表情を浮かべた。

思わず問い返した語気には、信じられない、といった感情がありありと滲んでいる。

無理もないことだ。戦いの趨勢は明らかに自分の方が劣勢なのに、「いまこの瞬間が楽しくてたまらない」と、公言してはばからない男の気持ちなど、通常の常識的価値観を持った知性に理解出来るはずがない。他ならぬ柳也自身がそうなのだ。

しかしそれは、桜坂柳也の正真正銘の本心だった。

「信じられないか? だろうな。俺自身、自分で自分のことが信じられない。戦いが楽しいだけならまだしも、こんな劣勢が楽しいなんて、どうかしているとしか思えない!」

無駄に手数が多いだけの隙だらけの斬撃だ。

すぐにカウンターの一撃をもらい、柳也の身体は再び宙を舞ってしまう。

肺が一つ潰れたか。流す血などもうほとんど残っていない身という自覚はあった。それなのに口から飛び出した紅蓮の塊に、いちばん驚いたのは彼自身だった。

頭から落ちた。

頭蓋の砕ける音。

それっきり、音が聞こえなくなった。

聴覚が、壊れたと理解した。

目の前が暗い。

どうやら、視覚も壊れてしまったらしい。

己の五感で生きているのはあといくつか。

冷静に考えながら、柳也は咳き込み、そしてまた立ち上がった。

龍の位置をマナの気配だけを頼りに探して、彼は続けた。

「けどなぁ……いまの自分の気持ちを考えると、やっぱりそうとしか思えないんだ。俺はいま、最高に良い気分でこの時間を楽しんでいる。いまこの瞬間が……龍っていう強敵に叩きのめされているこの瞬間が、楽しくて、楽しくて、たまらない! そしてこの劣勢を乗り切ったその先に、強いお前を組み伏せて、そのすっ首切り裂く未来があるのだと想像したら……魂が震えて仕方がない!!」

「…………」

「龍よ、あんたは最初、俺のことを人間か? って訊ねたな? あんたの眼に俺はどう映った? 俺はいったい何だ? こんなボロボロになりながら、かえって胸が高鳴る俺はいったい何だ? 人間か? それとも獣か?」

柳也は吠えた。

耳の聞こえぬ身で吠えた。

龍は、静かに瞑目した。

目の見えぬ柳也の刺突をひらりと避けた後、水晶の瞳が彼を射抜いた。

「お主は、破壊者だ」

龍は、重々しい口調で呟いた。

巨大な龍が一言声を発しただけで、大広間が震える。

神々の戦いと形容しても差し支えない戦闘の余波を受けて大広間は、わずかな震動だけでも、パラパラ、と石の雪を降らした。

「お主の本性がそれだ。戦いを求め、血を求め、死を求める。たとえその血が、その死が、己のものであっても構わない。戦えさえすれば、壊すことさえ出来ればそれだけで心を満たすことが出来る……。お主は、破壊者だ」

龍の発するマナの気配が、変わった。

目の前に存在する巨大な青マナが、凄まじい勢いで増大していく。

柳也は愕然とした。龍はまだ、本気ではなかったのだ。

「気が変わった」

龍が小さく呟いた。

「お主をここで逃がせば、いずれ討伐隊が編成され、ちと厄介なことになる。……これまではそう思って戦っていたが」

龍はそこで一旦言葉を区切ると、眼下の破壊者に冷たい眼差しを注いだ。

「お主は危険だ。お主の攻撃性、そして破壊を求める本能は、放っておけば大陸全土を食らい尽くしかねん。……そればかりか、いずれはお主自身をも壊すことになるだろう。お主はいま、この場で殺さねばならん」

マナの増大が、止まった。

ただでさえ十倍の開きがあった巨大な青マナが、いまはそのさらに十倍……すなわち、百倍ほどに増えている。

恐怖は、無論あった。

しかしその恐怖が、かえって心地良かった。

目の見えぬ柳也は、龍を見上げた。

巨大なる青の龍は、柳也を見下ろした。

「異界よりの来訪者よ、お主の名を聞かせてもらおうか?」

その声は柳也には届かない。

鼓膜の破れたいまの柳也に、龍の声は決して届かない。

しかし、柳也は答えた。

彼には龍が何を言っているのか、手に取るようにわかった。

龍は己の言葉にマナを乗せていた。血で染まった耳の穴を通り抜け、脳に到達したマナが、直接、相手の言葉を伝えていた。

「リュウヤだ。リュウヤ・サクラザカ」

「了解した。リュウヤ・サクラザカ。その名を二度と思い出すことはあるまいが、忘れないでおこう。……我が名は門番レーズ。ゲートキーパーとして〈運命〉のローガスより与えられた力、そのすべてを以って、お主を殺そう」

「やれるもんならやってみろ、門番レーズ!」

この命はそう簡単にはくれてやらない。

そう続けようとした矢先、これまでにない衝撃が柳也を襲った。

何が起きたのか、まったく分からない。

殴られたのか、蹴られたのか、引き裂かれたのか、それさえも分からない。

ただ、気が付いた時には全身を浮遊感が包み込み、

「終わりだ。リュウヤ・サクラザカ」

レーズが、顎を開いた。

アイスブレスの光線が、柳也を飲み込んだ。

 

 

「終わりだ。リュウヤ・サクラザカ」

龍の……否、門番レーズの声が響いた時、柳也の中の〈決意〉は我が身を引き裂かれる痛みを感じていた。

いや、実際に柳也と痛覚を共有している〈決意〉は、すでに常人であれば何度死んでいてもおかしくないほどの痛みを味わっている。

とはいえ、契約者の痛覚がすでに正常に機能していない以上、彼が肉体的な苦痛に苦悶することは、もはやない。

だが、レーズの残酷な宣言を聞いたその瞬間、〈決意〉は痛みを感じた。

具体的にどこが痛むのかは、〈決意〉自身よく分からない。

ただ、レーズの言葉を聞き、契約者の身にかつてない危機が迫っていると知った瞬間、〈決意〉は痛みを感じたのだ。

――失いたくない。

心から、そう思った。

肉体を共有している契約者。

彼が死ねば、自分自身も死んでしまう。

自らの死を回避するためには、彼を生かさなければならない。

頭の中を何度もリフレインする道理は、しかし、言い訳に過ぎなかった。

いまや〈決意〉は、自分の身などどうなってもよいと考えていた。

ただ主を……桜坂柳也を失いたくない、と、それだけを思っていた。

戦いが好きで、女が好きで、そのくせ幼女の良さが分からない無粋な男。

誇り高く、真っ直ぐな優しさで周囲に笑顔の花を咲かせる男。

究極的には武器でしかない自分達永遠神剣の痛みを感じ、その痛みを思って頭を下げてくれた男。

自分がいつの間にか、好きになっていた男。

彼を、失いたくはない!

――主よ……!

ゆえに、〈決意〉は叫ぶ。

契約者を、柳也を救うための手段を、彼は叫ぶ。

自分をこの男の身体に潜伏させた主から、禁じ手として与えられた秘策中の秘策。それを、実行に移すために。

〈決意〉は、その名を叫ぶ。

 

 

「終わりだ。リュウヤ・サクラザカ」

龍の……否、門番レーズの声が響いた時、柳也の中の〈戦友〉は我が身を引き裂かれる痛みを感じていた。

いや、実際に柳也と痛覚を共有している〈戦友〉は、すでに常人であれば何度死んでいてもおかしくないほどの痛みを味わっている。

とはいえ、契約者の痛覚がすでに正常に機能していない以上、彼女が肉体的な苦痛に苦悶することは、もはやない。

だが、レーズの残酷な宣言を聞いたその瞬間、〈戦友〉は痛みを感じた。

具体的にどこが痛むのかは、〈戦友〉自身よく分からない。

ただ、レーズの言葉を聞き、契約者の身にかつてない危機が迫っていると知った瞬間、〈戦友〉は痛みを感じたのだ。

――失いたくない。

心から、そう思った。

〈秩序〉の永遠存在が、本来そうなるはずの歴史を変えるべく選んだ男。

この男が高嶺悠人を、〈求め〉を討たぬよう妨害するために、自分は送り込まれた。

彼が死ねば、結果的に悠人は守られ、〈求め〉も砕かれることはない。

この場で彼が死ねば、自分を送り込んだ“あの方”が願う通りに、歴史の流れは修正される。

だから桜坂柳也が死ぬのは本来喜ぶべきこと。

それなのに……この気持ちは、いったい何なのだろう。

このまま柳也が死ぬと思った瞬間、感じたこの痛みは、何なのだろう。

――嫌だ! 嫌だ!

理屈ではなかった。

柳也を失いたくない。それだけが、いまの〈戦友〉のすべてだった。

ゆえに、〈戦友〉は叫ぶ。

契約者を、柳也を救うための手段を、彼女は叫ぶ。

自分をこの男の身体に潜伏させた主から、禁じ手として与えられた秘策中の秘策。それを、実行に移すために。

〈戦友〉は、その名を叫ぶ。

 

 

【テムオリン様――――――!】

【トキミ様――――――!】

神剣達の願いは、いま、時空を超えた。

 

 

自らの吐き出した吐息によって氷像と化した男を見下ろしながら、門番レーズは重々しい溜め息をついた。

本当にこれでよかったのかと、わずかな後悔が背筋を伝う。

――この男からあのお方のマナを感じた以上、この男はあのお方に選ばれたということだ。いくら危険だからといって、あのお方に何の伺いもなしに殺してしまうなど……。

とはいえ、そんなことを考えてももはや遅い。

桜坂柳也は死に、大陸からは破壊の危険因子が取り除かれた。

その事実は、もう覆しようがない。

――考えても無駄なことだ。この男を殺したことであのお方がお怒りになられるのであれば、素直に首を差し出せばよいではないか。

レーズは小さくかぶりを振って、巨体を翻した。

広場の中央にある岩場へと足を向ける。柳也がやって来る前、レーズは昼寝の真っ最中だった。それを再開するつもりだった。

「……グゥッ」

右の脇腹に、痛みを感じた。

先ほどの戦いで傷つけられた箇所が、今頃になって痛み出したか。

レーズはゆっくりとそちらを向いて、愕然とした。

肉の鎧を貫いていたのは一振の白刃だった。

肥後の豪剣二尺四寸七分。まごうことなき桜坂柳也の愛刀、同田貫上野介。レーズが破壊者とともに、氷像のアクセントとせしめた最強の器械。

そしてそれを握るのは……

「馬鹿な……」

レーズの顎から、愕然とした呟きが漏れた。

レーズの脇腹に刃を突き立てていた男……それは、まぎれもなく青い龍自身が「危険だ」と、評した男だった。

たったいま殺したはずの男の復活。

人間よりもはるかに高度な知性を持つ龍でさえ、驚愕の感情を禁じえない事態。しかし、驚きはそれだけに留まらなかった。

先ほどまでは蚊が刺したほどの痛みすら与えられなかった刃が、なぜ、いまは自分の肉を抉っているのか。

つい今しがた氷像と化したはずの肉体が、なぜ、こんなにも滑らかに動いているのか。

新たな疑問がまた新たな疑問を生み、疑問が動揺を生む。

そうした驚愕を喚起する疑問の中で、いまのレーズが最も関心を寄せる疑問。

いまの柳也から感じられる、この、圧倒的な三種のマナはいったい何なのか。

一つは懐かしいマナだ。〈運命〉の永遠存在に仕える、時の戦巫女。自分という存在をこの世に生み、この世界の防衛という重要な役目を与えてくれたあのお方。

だが、あとの二つは知らない。

残る二つ……この、圧倒的に暴力的なマナを、自分は知らない。

「貴様は……誰だ?」

思わず口から飛び出した疑問。

それに対して、柳也は、

『……門番ごときが、エターナルに質問ですか』

生命の息吹を感じさせない無表情で、そう呟いた。

柳也の声で。

しかし、柳也ではない何者かの言葉で。

『……そうあしざまに扱うものではありませんよ、メダリオ』

また、声が響く。

柳也の声が。

先ほどとはまた違った何者かの言葉が。

『しかし、テムオリン様』

『世界の均衡を守る門番さんは、その場から動けない哀れな存在なのです。私達のことを知らなくても、おかしくはありませんよ』

テムオリン。メダリオ。

その名前には聞き覚えがあった。

「貴様ら……〈秩序〉の法皇と、水月の双剣……! そうか、そういうことか……」

龍の口から、ゴホリ、と血が溢れた。

食い込んだ白刃から注がれる大量のオーラフォトンが、体内を破壊していた。

「その男の身から感じたマナは、貴様らのものだったか。そればかりか、その男には貴様ら永遠存在の因子が刻まれている。だから、こうしてその男の身体を乗っ取ることが出来たのか!?」

『いま、この身体の中にいるのは、私達二人だけではありませんよ? ……ねぇ、トキミさん?』

『…………』

刃を突き立てる柳也の表情が変わった。

それまで顔面に貼り付いていた冷徹な無表情が消え、レーズを見上げる眼差しに、傷ついた龍を労わるような感情が宿った。

その眼差しを見ただけで、レーズには、いま柳也の肉体の主導権を握っているのが誰なのかわかった。

「あなた様は……」

『門番レーズ……ごめんなさい。わたしはあなたを殺さねばなりません』

「殺す」という剣呑な言葉に篭められた、自分をいたわる響き。

慈愛の感情を宿す言葉は、まぎれもなく自分のよくあの方のものだった。

レーズは小さくかぶりを振る。

「いえ……私は世界と世界を繋ぐ門の番人。鍵の持ち主がそれを望むのであれば、私には、是非もなきこと。

……多くは訊きませぬ。あなた様がその男を選んだということは、つまり、この世界の行く末を決める政なのでしょう。敵対者の前で、秘密を問うようなことはいたしませぬ」

『本当にごめんなさい。……せめて、痛くならないようにしますから』

「お願いします」

レーズはゆっくりと頭を垂れた。

他の二人はともかく、この方の言葉は信頼に十分足る。

『……time accelerate

柳也の唇から、小さな呟きが漏れた。

次の瞬間、レーズの視界から柳也の姿が消えた。

そして、レーズの時間が止まった。

 

 

龍の亡骸を前にして、桜坂柳也は茫然と立ち尽くしていた。

その眼差しはどこか虚ろで、大地を踏みしめる両脚もどこか心許ない。

無風の洞穴の中にあってなお、ふらふら、と柳のように揺れ動き、いまにも倒れそうな様子だ。

とはいえ、それも詮無きことといえた。異界からの介入より無理矢理肉体を機能させているとはいえ、彼の身体は龍の攻撃によるダメージをそのまま遺していた。

骨は砕け、筋肉は寸断し、血管ははち切れ、内臓は潰れている。五感はすべて機能しておらず、特に全身の凍傷が酷い。腐敗臭を漂わせる両腕はいまにも千切れそうで、大小を握る両手は重たげだった。

『さて、終わりましたね』

柳也の唇が、小さく震えた。

吐き出された声はやはり、柳也のものだったが、紡がれる言葉は柳也のものではなかった。

『いいえ、まだ終わっていませんわ。メダリオ』

また、柳也の唇が小さく震える。

先ほど『終わった』と、呟いた者とは別な存在の言葉だった。意識を失ったいまの柳也の肉体を支配する、法皇の声だ。

『この子の身体を、なんとかしてあげないと』

『……そんなもの、自然に癒えるのを待てばいいじゃないですか。僕達はもう帰りましょう』

【メダリオ様、本気でおっしゃっておられるのですか?】

いかにも面倒臭いといった、冷たい意見。

それに反論したのは、彼の身体と一体化する永遠神剣だった。

【自身の百倍近いマナを持つ相手と戦ったのですぞ? すでに主の身体は限界を超えて、とうに死んでいてもおかしくない。いま、主の身体が原型を留めているのは、あなた方が異界より送るマナのおかげです。いま、あなた方の意識がこの身体から抜ければ、主の肉体は、秒と保ちませぬ】

『〈決意〉……君は、第七位の神剣にも拘らず、僕に意見をするのかい?』

【め、滅相もございませぬ!】

メダリオと呼ばれた男の、不機嫌そうな声を聞いて、〈決意〉は慌てた。

【た、ただ私は、主の身体のことを……これからの計画のことを思って……!】

『主のことを……ですか。主人想いの良い神剣ですね、君は。ですが、君の本当の主は誰です? そして、僕はその主の何です? 君と僕とでは、どちらの方が立場は上でしたか?』

【そ、それは……】

珍しく狼狽する〈決意〉。

メダリオの質問に対する答えは、誰の目にも明らかだった。

『……メダリオ、〈決意〉を苛めるのはそれくらいにしておきなさい』

テムオリンと呼ばれた者の、鶴の一声が上がった。

永遠神剣と肉体の未知なる支配者は、粛々とその声に従って言葉の応酬を止める。

テムオリンはやがて、この肉体に宿るもう一人の存在へと言葉を投げかけた。

『それで、どうします?』

『……どうする、とは?』

返ってきたのは、やはり柳也の口を借りた言葉。しかし、言葉の端々に見えるアクセントは、間違いなく彼女の宿敵にしか発音出来ないもの。

『知れたことでしょう? 〈決意〉の言う通り、このまま私達がこの身体から出て行けば、この子は確実に死にますわよ?』

『…………』

『結論は、もう出ているのではなくて? あなた達にとっても、この子の存在は必要でしょう? 幸い、戦いで失ったマナや肉体を再生するのに、打ってつけの材料が目の前にあることだし』

柳也は呟くと、力なく右腕を持ち上げ、同田貫の切っ先を龍の亡骸へと向ける。

エトランジェやスピリットと同様、エーテル体で構成された龍の肉体は、早くも黄金の霧と化しはじめていた。だが、四〇メートル近い巨体とあって、なかなか完全には霧散しない。

その消えきれぬ肉体を、柳也は示していた。

『消費した分のマナは十分補えますわね。むしろ、お釣りが出るくらいでしょう。身体の足りないパーツも、龍の身体を整形すれば良いことです』

『マナはともかく、龍の臓器を移植したら拒絶反応が出ますよ?』

『その辺りは私達が手を加えれば良いことでしょう? それに、この子は私とあなた、ロウとカオスの両方の陣営が選んだ子ですよ。それくらいの症状は、すぐに克服してみせるでしょう』

『何を企んでいるんです?』

『べつに。ただ、将来性のある年下の男の子を成長させてあげたいと思っているだけですわ』

『……年の差、何周期のアベックですか』

『アベックとは古い言葉ですわね。トキミさんももうそんな歳ですか』

『わ、わたしの歳のことは関係ないでしょ!』

【トキミ様も結構なお歳ですもんねぇ〜】

『〈戦友〉は黙っていなさい!』

【は、はい!】

柳也の右腕が、素早く動いた。

龍の肉塊を袈裟から切り、刃先は上に無理矢理引き裂く。

ちょうどVの字になる形で切り上げられ、手で掴むのにちょうど良いサイズの肉片が宙へと放られた。

柳也はすかさず左手の脇差でそれを串刺しにする。

『……まずは、このだらしなく切れてしまった筋肉を直しませんとね』

龍の筋肉。龍の骨。龍の臓器。龍の血。戦いの中で欠損したパーツを、それら人間でない怪物の身体から作り上げる。

そして最後に、門番レーズから〈秩序〉の法皇と呼ばれた少女は、そして〈運命〉に仕える戦巫女は、同時に、この身に寄生する二人の永遠神剣に言った。

『『さぁ、マナを吸いなさい』』

三体もの異形の存在をその身に宿し、柳也は両手の二刀を天へと掲げた。

広間に漂う黄金の霧が、屹立する白刃に吸い込まれていく。龍の身体から解放された、膨大なマナを啜っているのだ。

圧倒的な、あまりにも圧倒的な青マナを一身に浴びて、柳也は咆哮した。

それは他ならぬ、桜坂柳也の声と、言葉だった。

 

 

――同日、夜。

 

奇妙に心地良い震動だった。

自分がいま眠っていると気付くのに数秒を要した。

自分がいま肩を揺さぶられていることに気付くのに、さらに数秒かかった。

「……ヤさま……リュウヤさま……!」

耳朶を声が撫でる。優しい声だ。聞き覚えのある声でもある。耳触りの良いこの声は、

「…………ヘリ、オン?」

柳也はゆっくりとその名前を呟いた。

寝起きだからか、耳朶を打つ自らの声は少し掠れている。

瞼を開くと、心配そうにこちらを見下ろすヘリオンの顔が、視界にまず映じた。続いて黒塗りの空と、煌々と光る星々が薄らぼやけた視野に彩を差し込む。月の光が、頬に優しい。

いまが夜だと気付くまでに、また数秒かかった。

「リュウヤさま! よかったぁ……気が付いたんですね?」

ヘリオンが、ほっ、と安堵の息をついた。

口調から、かなりの時間、自分が気を失っていたと分かる。そしてその間、ずっとヘリオンが付き添っていたことも。どうやら自分は、彼女に並々ならぬ心配をかけてしまったらしい。

「俺は、いったい……?」

自分がいままで眠っていたのは理解した。

そのことでヘリオンに心配をかけさせてしまったことも理解した。

しかし、それでもまだ理解出来ないことがある。

柳也は現状を把握しようと首を回した。

回してみて、ふと気が付いた。はて、自分の首を支える筋肉は、いつからこんなに鈍くなってしまったのか。

それに、目線を四方に飛ばして見るこの光景は……

「……洞窟の、前か?」

柳也は静かなる海の洞穴の入り口を見上げた。

どうやらいま自分が寝転がっているのは、洞窟前の地面らしい。

仰向けに寝転がっていて右側に海が見えるということは、つまり、

「……やばい。俺、いま北枕だ」

重い溜め息をひとつこぼして、柳也は苦笑した。

有限世界にまで来て北枕の忌避する自分が、なんとなく滑稽に思えた。

柳也は続いて自分を見る。正確には、いまの自分の装いを。

父の形見の大小と、同じく形見の腕時計こそ無事ではあったが、支給された戦闘服も陣羽織も、ズタズタに引き裂かれていた。まるで激しい戦闘に巻き込まれた後のような装い。

自分はなにゆえ、こんな恰好で寝ているのか。

柳也はこうなるに至った経緯を思い出そうとして、諦めた。

思い出そうにも、洞穴に入ってからいままでの記憶が、すっぽり抜け落ちていたからだ。

必死に思い出そうとしているのに、まったく記憶が蘇らない。こういう時は故意に脳内検索をかけるよりも、無意識の検索に任せた方が良いと、柳也は経験から知っていた。

彼はそのままの体勢のまま、ヘリオンを見上げた。

「なぁ、ヘリオン」

「はい、なんでしょう?」

「寝起きだからか、ちょっと記憶が混乱しているみたいなんだ。状況を説明してくれるか?」

柳也の問いに、ヘリオンは快く答えてくれた。

その説明によると、どうやら静かなる海の洞穴の調査に向かった柳也の帰りが遅いことに気付いたエスペリアが、自分の身を案じてヘリオンを差し向けてくれたらしい。

ヘリオンはウィング・ハイロゥを展開し、文字通り飛んで洞穴の前までやって来て、そこで、気を失って倒れている自分を発見したのだという。ズタズタに引き裂かれた戦闘服を着た自分を。

ぼろぼろの装いで気を失っている自分を見たヘリオンは、顔面を蒼白にして慌てた。

そして、とにもかくにも柳也の安全確認をと、自分を起こそうとしてくれていたらしい。

「ヘリオンが発見してくれた時、俺はもう気を失っていたのか?」

ヘリオンの説明を聞いた柳也は、眉間に深い縦皺を作って呟いた。

彼女の話を聞くうちに、ようやく本格的にはたらきだした頭を抱えて、状況把握に努める。

「は、はい。……それで、いままで起こそうとしていたんですけど」

「ふむ。大体のことは分かったが……」

柳也は渋面を作って唸った。

自分がどういう状況の下、どういう状態で発見されたのかは分かった。しかしどうしてそんな状態になってしまったのかは、いまだに分からない。

――俺はたしかに、洞穴の中に入ったはずだ。

柳也の最後の記憶は、洞穴の中に入ったところで途切れてしまっている。

無事なまま発見された麻袋の中には、洞窟の石のサンプルとして回収した、例の磁性を持った岩の欠片が入っていた。この石が手元にあるということは、自分が洞窟の中に足を踏み入れたのはやはり間違いない。

問題はその後何があって、服がこうなって、洞窟の外で気を失うことになったのか、だ。

客観的に見て、自分のいまのいでたちは異常だ。裾を少し木の枝に引っ掛けた程度ならばまだしも、肩口から袖口までが破れているというのは、何か尋常でない事態があったとしか思えない。

そして、その尋常でない事態を憶えていない事実が、不気味でしょうがない。

自分を襲ったのは熊か、狼か。それとも災害か。だとしたら自分を洞窟の外に引っ張り出したのはいったい誰なのか。

大の男が得体の知れない恐怖感にいつまでも気味悪がっているのも、それはそれで不気味だ。

「……はっ、まさか洞窟の中で美少女に拉致監禁! そんでもって薬物投与による記憶消去!?」

「いえ、それはたぶんないんじゃないかと……」

「むぅ、ないのか。それはそれで残念……」

柳也は半ば本気の溜め息混じりに肩を落とした。

そんな柳也を、ヘリオンは苦笑混じりに見下ろしてくる。苦笑いの中にどこか安堵の表情が見えるのは、おそらく柳也の気のせいではないだろう。

「……なにはともあれ、安心しました。リュウヤさまが無事で」

「無事かどうかを測る物差しが、アレな台詞っていうのも微妙だが」

柳也も苦笑して、上体を起こす。

先ほど首を動かした時と同様、不思議と反応が鈍いような気がしたが、身体は問題なく動いてくれた。

そのまま下半身に力を篭め、身体の具合を確かめながら立ち上がる。

やはり身体の各所に違和感を覚えたが、立ち上がるという動作そのものに、まったく支障はなかった。

柳也はヘリオンに微笑みかけた。

「……あんまり気にしていても気が滅入るだけだな。腹も減っているし、とりあえず帰ろうか、ヘリオン。考えるのは、その後にしよう」

「は、はい。あの、それで……」

ヘリオンが、躊躇いがちに口を開いた。

「洞穴に、龍はいたんですか?」

ヘリオンとしては先ほどからずっとそれが気になっていたのだろう。

柳也の服のこともある。彼女は自分が、洞窟に住むという龍に襲われたのではないかと考えているようだった。

柳也はヘリオンの問いに対して、

「……さぁ、どうだったかな」

と、曖昧な返答をした。

「龍」という単語を耳にした瞬間、心臓が酷く高鳴るのを、柳也は自覚した。

ヘリオンの口から「龍」の名を聞くまで、彼はその存在をすっかり忘れていた。

忘れようとしていた自分に気が付いて、柳也は愕然とした。

なぜ忘れようなどと考えていたのか、柳也は、自分のことが分からなかった。

 

 

ある次元の裂け目から――――

永遠の時を生きる神々から、法皇と呼ばれる少女は、その青年の背中を見つめて、クスリ、と小さな微笑をこぼした。

『うふふ、本当に面白い坊やですこと』

幼女のようにあどけなく、老婆のようにしわがれた声の呟きだった。

幼い顔立ちに浮かぶ微笑から薫る妖艶な色香は人が放ちうる域をはるかに超え、舐めるような眼差しは、青年の身を粛々と視姦する。

隣り合う次元と次元を繋ぐ門の窓から目線を飛ばす少女の目には、青年の肉体を形作る異形の肉片の悲鳴が視覚情報という形で見えていた。

青年自身は気付いていないようだったが、赤外線を見通す少女の瞳には、彼の身体の一部が異常な熱を帯びている様子がサーモグラフィのように映じていた。

特に心臓の発する熱量が凄い。異形の怪物からそのまま移植した心臓が生み出す熱は、詳しい数字は測ってみないとわからないが、少なくとも摂氏六百度は下るまい。当然、血液は沸騰しているはずだが、黒髪の少女と並んで歩く青年が、不調を訴えている様子はない。

『私達が手を加えてやったとはいえ、門番の肉を移植した拒絶反応が、身体の動作が多少鈍くなる程度で済むなんて……』

『まさに百年に一人の逸材ですな』

異界の窓から青年を見つめる少女の耳朶を、太く、重い声が撫でた。

振り返ると、身の丈七尺(約二一二センチ)以上はあろう、大男が立っていた。法衣の少女が最も信頼する忠臣の一人だ。

『龍の肉を移植して不調一つ訴えない男など、地球人では初めてではありませぬか?』

『そうですわね』

大男に一瞥をくれた少女は再び、目線を青年へと戻す。

『高位永遠神剣に選ばれるような天性はありません。ですが、〈求め〉の契約者や、〈誓い〉のあの坊やでさえ持ち得ない“何か”を、あの男の子は持っていますわ』

『第二位の神剣の〈宿命〉を授けられた男達ですら持ち得ない才覚ですか』

『うふふ、嬉しそうですわね、タキオス?』

法皇の少女に指摘され、大男……タキオスは素直に頷いた。

『嬉しくはあります。あの男は良い武人になる。地球でうやむやになった戦いの決着を、いずれ着けられるかと思うと、心躍るものがある』

『駄目ですよ? あの坊やが、ちゃんと自分の役目を果たすまでは、戦ってはいけません』

『はい』

タキオスは恭しく頭を垂れた。

好戦的な忠臣の態度に薄く笑いながら、少女は呟く。

『見せてもらいますわよ、桜坂柳也。龍の肉体を得たあなたが、これからどんな戦いをするのか』

少女の視線の先で、青年が屈託なく笑った。

 

 

 

 


<あとがき>

 

アイリス「おいタハ乱暴、貴様、いい加減私たちの出番を作らんか」

 

タハ乱暴「……え? 君、誰だっけ?」

 

アイリス「こらッ! いくらここ十話ほど登場していないからといっても、作者の貴様が忘れるとはどういう了見だ!」

 

タハ乱暴「いやいや、いくらなんでも冗談だってば。……それでパー子、出番が欲しいということだが……」

 

アイリス「やっぱり忘れているじゃないか!」

 

 

柳也「えぇ〜、脇役の悲痛な叫びはさておいて(主人公の余裕)。読者の皆様、おはこんばんちはっす。お久しぶり。今回まともにアセリアやっていた主人公・桜坂柳也でっす」

 

北斗「闇舞北斗だ。永遠のアセリアAnotherEPISODE:36、お読みいただきありがとう」

 

柳也「今回の話はいかがだったでしょうか? ……というわけでゆきっぷう、どうやった?」

 

アヴァン「現在ゆきっぷうは抜け毛対策のため動けないので、代わりに俺が……うむ、柳也よ! よくぞ生き延びた!」

 

柳也「……生き延びた? あれ、今回、俺、そんな危険な目に遭ったっけか?」

 

北斗「ふむ。どうやら本編中における記憶操作があとがきにまで及んでいるらしいな。ちなみに柳也、お前は今回の話はどうだった?」

 

柳也「んう? いやぁ、良かったねぇ〜。まさか、るーちゃんが、あんなところで脱ぐとは……」

 

北斗「作品が違うッ!」

 

アヴァン「とりあえず黙ってろ」(ファイアボールを発射)

 

柳也「ぐおはぁッ! い、いかん。褌が、俺の褌が萌えてしまう!」

 

北斗「字が違う!」

 

アヴァン「まあ、この変態はおいておいて……タハ乱暴、総括を」

 

タハ乱暴「うん。とりあえず今回の話では、柳也も所詮は神々の意のままに操られてしまう存在でしかない、っていう彼の危険性をアピールするための話でした。前回と、前々回がアレだったから、久しぶりにシリアスにしてみたZE ☆」

 

北斗「シリアスか。まぁ、このあとがきとは無縁の言葉だな」

 

アヴァン「そうだな。喰らえ柳也っ! Attack Ride “Yume Ha Kanau!」

 

柳也「ぬぅ! なんのこれしき、こっちはこれだ! Form Ride “Fundoshi!」

 

アヴァン「何の、まだだ! 力を貸してくれ、ロファー……Final Form Ride “Se, Se, Se, Sekka!」

 

柳也「他力本願とは女々しい闘い方をする奴だぜ。だったら俺も、オラに元気を分けてくれ〜〜〜(他力本願の最たる技)」

 

北斗「ほれ」

 

柳也「むぅ、な、なんだ、この邪な元気は……くっ。幼女の姿が見える! やめろ、俺は熟女がすきききききききき―――――――――………………………ガガ、ピピ」

 

アヴァン「チャンスだ! 喰らえ、Final Attack Ride “Lori Smash”!」

 

タハ乱暴「むむむ、これはペドな人にしか通用しないという伝説のぎゃああああああああ――――――!!!」

 

北斗「いかん。これはロリな人にしか通用しないという幻のぐわわわああああああああ――――――!!!」

 

柳也「ふっ。熟女好きの俺には関係なぐぎゅぎゃああああ―――――――!!!!!!」

 

〈決意〉「ふふふ。熟女好きの主に寄生している我にはこんなもの通用するわけがくぎゅうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう―――――――!!!」

 

〈戦友〉「駄剣……あんた、釘宮病だったの?」

 

〈決意〉「るーちゃんは、るーちゃんは……我のもの……だ。ガクッ」

 

 

アイリス「ふふふ。さて、目障りなあとがき常連組みもいなくなったところで、いよいよ私の出番だな」

 

ロファー「………………」

 

アイリス「おお、ロファー。ん? どうしたんだ? じっと私の顔を見つめて」

 

ロファー「……………………あなた、誰でしたっけ?」

 

アイリス「うをい! 元同僚」

 

セーラ「こら、ロファー! 駄目でしょ、知らない人についていっちゃあ!」

 

クリス「そうよ! 密室に監禁されて○○で×××で△△△△なことをされちゃうわよ!?」

 

アイリス「なぁ! わ、私にそんな趣味はない! っていうかセーラ! お前は知らない人って駄目だろう! お前とはかつて戦技大会の時に優勝を争った中というオフィシャル設定が……ッ」

 

セーラ「…………そういえばあなた、以前、どこかで見た覚えが……」

 

アイリス「そうだろう! あるだろう!」

 

クリス「ああ! 思い出した! あんた、しらかば学園の香織ちゃんじゃないッ」

 

アイリス「ちっ、がーーーーーーーう!」

 

ロファー「と、場も盛り上がってきたところでそろそろお開きです!」

 

アイリス「な、なに!? まだ私はあとがきらしいことをまったくしていないぞ!」

 

ゆきっぷう(ヅラ)「ではみなさん、再起不能の盟友に代わって……また次回お会いしましょう! アディオス!」

 

ロファー・セーラ・クリス「ア・ミーゴ!」

 

アイリス「ま、待て! くそ、このままでは本当にあとがきが終わってしまう。……はっ、そうだ。まだ締めの言葉をやっていないではないか!」

 

アヴァン「永遠のアセリアAnother、今回もお読みいただきありがとうございました」

 

アイリス「締めの言葉まで盗られた――――――!!!!!」

 

 

アイリス「……えっぐ、えっぐ。オデットぉ〜」

 

オデット「あ〜、よしよし。アイリスお姉様泣かないでくださいよ。今夜は密室に監禁して○○で×××で△△△△なことをしてあげますから」

 

アイリス「うわ〜ん。ご主人様ぁ〜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<おまけ>

 

なにもかもが圧倒的だった。

その剛力は張飛翼徳のそれを超え、その俊敏なる動きは閑雲長を超越する。

最強のパワーと、最速のスピードを一つの身に兼ね備えた存在。技術はなく、作戦もない。しかし、天性の才と野生じみた勘から放たれる一撃は重く速く、確実にこちらの戦力を奪っていく。

人中の呂布。三国志最強の呼び名も高き、裏切りの哀将。その弓の腕前は百発百中にして一切の標的を逃さず、また人知を超越した怪力から放たれる方天画戟の一撃は、万象一切を灰燼と帰す。その圧倒的な戦力から、前漢の名将・李広にも例えられ、飛将軍の異名でもよく知られていた。

――これが、呂布奉先かッ。

桜坂柳也は口の中に広がる血の味に不快感を覚えつつ、重い体を引きずって、なんとか立ち上がった。

同田貫を正眼に構えて眼前の敵を睨みつけるも、相手に向けた切っ先は不必要に揺れ、なんとも頼りない。

すでに呂布の方天画戟の猛攻を五合受け止め、彼の体はぼろぼろだった。

膝が嗤い、目が霞む。息遣いは荒く、思考が上手くまとまらない。血が足りていない証拠だ。いまの彼は、文字通り気力だけで戦闘態勢を保っていた。

――ハッ。三人掛かりでこのザマたぁ情けねぇ話だぜ。

ともすれば挫けそうになってしまう心身を叱咤して、柳也は眼前の敵を見据える。いまの体たらくを柊園長や瞬が見たら何と言うだろうかと、自嘲気味に笑って、彼は阿吽の呼吸を整えた。

その背後には、柳也とともに呂布に挑んだものの、力及ばず逆襲の豪撃を受けて倒れ伏す愛紗と鈴々の姿がある。二人とも意識はない。命こそ奪われていないものの、早急に手当てをせねば危険な重態だった。

――負けるわけにはいかん。愛紗と、鈴々のためにも……!

柳也は同田貫を正眼から上段へと構えた。

呂布の方天画戟は己の繰り出すどの斬撃よりも速く、重い。ゆえに後の先や、後の後といったカウンターはまったく期待出来ない。かえって隙を晒し、致命的な一打を叩き込まれることになるだろう。

――狙うは先の先からの最強の一撃。俺がこれまでに鍛錬してきた技術のすべてを、剣気のすべてを、次の一太刀に篭める!

上段の構えは、別名、烈火の構えとも呼ばれる攻勢の構えだ。不退転の決意を胸に、柳也は剣を振りかぶった。手の内を練り、呼吸を練り、剣気を練って、振り下ろす。

それはあたかも、銀色の稲妻が大地に叩きつけられるかのような光景だった。

狙いは正確にして剣尖は鋭く、かます切っ先は標的の少女へ吸い込まれるように伸びていった。

「……遅い」

しかし、稲光の大刀は、少女の薄皮一枚剥ぐことすら叶わなかった。

最強最速の斬撃が放たれた刹那、柳也の視界から敵の姿が消えてしまった。

猫科の動物を思わせる筋肉の躍動。非利き手側に、敵の気配が出現した。

横撃の緊迫を孕んだ風が頬を撫で、柳也は反射的に柄から右手を離し、返す刀で左側方を払い上げた。しかしながら最強の一打を振り下ろした直後に放つ反撃の白刃は僅かに鈍く、最強の飛将軍の豪撃を止められなかった。

轟、と刃風が嘶き、鋼と鋼が激突した。

そして、打ち負けた。

一条の光線が柳也に肉迫したかと思った次の瞬間、青年の肉体は、宙を舞っていた。




バトルマニアがいますよ。
美姫 「まさか、命がけの戦いをここまで楽しむとはね」
レーズが危惧したのは間違いないと思うけれど。
美姫 「うーん、時深は何を考えているのかしらね」
ここで柳也が死ぬとまずいという事は何らかの役目があるのか。
美姫 「色々と謎が残ったわね」
だな。にしても、今回は本人の知らないところで移植が行われた訳だけれど。
美姫 「果たして、どんな影響を与えるのかしら」
次回も楽しみにしています。
美姫 「待ってますね〜」



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