――聖ヨト暦三三〇年、コサトの月、緑、みっつの日、朝。
聖ヨト語でいうところのコサトの月は、現代世界でいうところの八月に相当する。
ほとんど日本と変わらぬ気候帯、変わらぬ四季を持つラキオスも、この時期は暑い盛りを迎えていた。
視界の果てに映じる陽炎を睨みながら、桜坂柳也はラキオスの城下町を歩いていた。
その隣には道案内兼監視役のリリィが着いている。悠人と違い、ラキオス王族の強制力が通用しない柳也は、その気になればいつでも王の首を刎ねてこの国を出ることが出来る。貴重なエトランジェにそんな気を起こさせぬよう、また起こしたとしてもすぐさま対処出来るようにと付けられたリリィは、相変わらずの無表情の仮面を着けていた。
柳也がラキオスの城下町を見たいと言い出したのは、かれこれ四日も前の晩のことだった。
せっかく異世界にやって来たのに、観光しないのはあまりに勿体無いと言い出したのがそもそものきっかけで、『その国の文化や国民性を知らずして有効な戦略・戦術は立てられない』というのが、外出許可を得るためにラキオス王に向けた建前だった。
その結果、監視付きという条件で許可を得た柳也は、早速スケジュール調整に奔走。書類仕事を不眠不休で切り上げて、三日間の貴重な時間を手にしたのだった。
以前、リリアナの命を狙っていたクルバン・グリゼフと一緒に街に下りた時は観光なんて状況ではなかった(それでも、かなり楽しんだが)。
これを機会に、この国に対する理解を深めるのが、柳也の狙いだ。
スピリット・タスク・フォース(STF)の本拠地であるラキオスの城下町は、一言でいえば要塞都市という印象の強い町並みをしていた。
小高い丘に建つ王城を中心に、外に向かって街が広がっており、城と城下とは城壁によって隔てられている。大通り以外の道はほとんどが細く曲がりくねっており、さながら迷路のようだった。おそらくは町造りの根底に、街そのものを要塞にしてしまおう、という考えがあるのだろう。対スピリット戦において、要塞化した町にあまり意味はないが、それは人間同士が剣を合わせていた時代の名残なのかもしれなかった。
「……うん。やっぱりリリィに着いてきてもらって正解だったぜ」
柳也は細く枝分かれした道に遭遇する度に、隣を歩く案内役のありがたみを噛み締める。
ラキオスの城下に下りるのはまだこれが二度目、自分一人であれば、迷子になるのは必至だ。監視役の疎ましさよりも、案内役のありがたみの方がいまは強い。
ちなみにいまの二人のいでたちは、ラキオス国民としてはごくごく一般的な装いだ。王国軍の人間だと気取られてはせっかくの休暇が台無しだと、ダグラスに用意してもらった服装だった。
「肉屋に、八百屋に、魚屋か……おおっ、武具屋もあるな。もしかしてここは商店街なのか?」
自分達を取り囲む建物の中に商店が目立ち始めたのを見て、柳也は隣のリリィを訊ねた。
本日の案内役兼監視役の少女は、いつものように素っ気無い態度で、「そうです」と、首肯した。
毎度のこととはいえ、あまりにも味気のない答えに、柳也は「そ、そうか」と、力なく頷くばかりだ。
――うぅむ……異国の街の中を、美人と二人きりで歩く。ドリームなシュチュエーションなんだけどなぁ。
普通ならば――柳也にとっての普通が一般人にとっての普通かは別として――喜びのあまり三回転トリプルアクセルを決めたくなってしまうような状況だが、今回ばかりはそんな気が起こらない。隣を歩く美人さんの態度が、あまりにも薄味すぎる。
せめてその仏頂面を少しでも緩めてくれたなら、少しは自分の心持ちも軽くなるだろうが、相手がリリィでは望むべくもない。
リリィ・フェンネスという少女は、職務に身を置いている最中はそのことについてしか頭の回らない堅物ちゃんなのだ。
彼女の自然な表情を見ようと思うなら、オフの日を狙うか、ベッドの中に連れ込むしかない。もっとも、密偵という特殊な職種に就く彼女に、はたしてオフの日があるかは分からないが。
「……む? リリィ、あれは何だ?」
不意に視界の端に映じた店が気になった柳也は、隣を歩くリリィに訊ねた。
鼻腔をくすぐる甘い香り。どうやら菓子を扱う店のようだが、あの狐色をしたものはいったい何なのか。
「あれはヨフアルですね」
異世界の文化に興味津々なエトランジェの疑問に、リリィは答えた。
「へぇぇ。あれがヨフアルか」
柳也はその名前に聞き覚えがあった。
以前、ダグラスから借りたラキオス王国の文化史について書かれた本に、そんな名前の菓子が紹介されていた。たしか、ラキオスの伝統的料理の一つで、この国の名物だったか。勿論、実物を見るのはこれが初めてになる。
伝統料理の上に名物になるほどだから、さぞかし美味なのだろう。
自他ともに認める大食漢・桜坂柳也の好奇心がうずいた。
幸いにしてダグラスから当座の軍資金として貰った一〇〇万ルシルは、まだ大半が残っている(というより、単に使う機会がなかった)。見たところ、ヨフアルなる菓子はそう高い品物ではない。懐具合を心配する必要はなかった。
なお、統一通貨ルシルを採用しているファンタズマゴリアの経済は貨幣経済によって成立している。レートは一ルシルが銅貨一枚、一〇〇〇ルシルが銀貨一枚、一〇万ルシルが金貨一枚で、これは世界共通のレートだ。
「よし、リリィ、あれを食べよう」
柳也は、よし、と頷くや、件の店へと足を向けた。
ヨフアルを始めとする菓子を売っている店はパン屋だった。
現代世界ほどではないが店頭には多種多様なパンが並んでおり、焼きたての香ばしい小麦の匂いが柳也の食欲を刺激する。
店先には脱穀用の石臼が鎮座していた。そのまま目線を店の奥の方へとやるが、オーブンは見当たらない。どうやら製造工程のいちばん重要な部分は企業秘密らしい。
「ほぅ……」
柳也の唇から感嘆の吐息が漏れた。
理由は二つある。店頭に並ぶパンが見た目からして美味そうだったことが一つ。そして、店頭に立つ売り子の女性が美人だったことが、もう一つの理由だ。
「むむむ……思わず恋をしてしまった」
「……またいつもの病気が始まりましたか」
「失敬な!」という反論は出なかった。
隣にいるリリィもかなりの美人だが、その彼女の声がまったく気にならぬほど、売り子の女性は柳也好みの容姿をしていた。
すらり、とした長身に、やや狭い肩幅。パン作りには彼女も参加しているらしく、作業着に包まれた体型はスレンダーで、均整の取れたプロポーションをしている。
年季の入った墨のように艶やかな黒髪は、商売の邪魔にならぬよう結い上げられ、チラリと覗くうなじの白さがまぶしかった。
澄ました顔は、見る者によってはやや冷たさを感じるだろうか。年齢は自分よりやや年上。おそらく二十代に達して間もないだろう。細い眉の下にひっそりとたたずむ瞳は、光の加減のためか、薄っすらとオリーブグリーンを溶かし込んでいるように見えた。
柳也の目線は、ついで自然と店員の脚に向けられた。相手が男であれ女であれ、初対面の人間と顔を合わせる時、この男には無意識のうちに相手の脚を見る癖があった。
あらゆる武芸において下半身の力は最も重要な要素の一つだ。下肢の発達具合を見れば、相手の力量をおおよそ把握することが出来る。柳也はひとりの男としてだけでなく、ひとりの武人としての視点からも女性店員を見ていた。
シンプルなトラウザーズを履いた彼女の下肢は、特別鍛えている様子こそないが、筋肉と脂肪のバランスが程よく取れた、健康的な脚線美を作っていた。
【……ご主人様、鼻の下が伸びてますよ?】
――むぉっ!? いかん、いかん。
〈戦友〉から程よく冷えた声音で指摘され、柳也は小さくかぶりを振った。
女好きも度が過ぎると商品を売ってもらえないばかりか、不審者として通報されかねない。他ならぬラキオスのエトランジェが自国の王都でそんな醜態を晒すのは間抜けすぎる。
柳也は気を取り直して女性店員に話しかけた。
「もし、よろしいかな?」
「はい。いらっしゃいませ」
柳也が声をかけると、女性店員は輝くような営業スマイルで自分を迎えてくれた。
スミレの花のように控えめな笑みが、なんとも微笑ましい。作り物という印象は薄く、ごくごく自然な笑顔に見える。
柳也はいっそう好感を彼女に抱いた。自らも屈託のない笑みを浮かべて言う。
「パンをいくつか貰えるかな? それから、ヨフアルも欲しいんだが」
柳也はそこまで言って、ヨフアルの入った籠へと目線を向けた。繁盛している店らしく、大きめの籠にはヨフアルは両手で数えられるほどしかない。
大食漢の自分と、小柄だが密偵というカロリー消費の激しそうな職に就いているリリィの分でせいいっぱいの量だ。
「ヨフアルは五つくれ」
「わかりました。パンはどうしましょう?」
「そうだなぁ…とりあえずアンパンとカレーパン、それからヤキソバパンを……」
「ちょっと待ってください」
それまで黙って二人のやりとりを聞いていたリリィが、不意に口を挟んできた。
「なんでこの世界にアンパン、カレーパン、ヤキソバパンがあるんですか?」
「……リリィ、そういうネタを割るような台詞はやめないか?」
柳也は苦笑した。
「ちょっとした冗談だ。俺だって本気で、異世界のパン屋にアンパンを求めたりはしないさ。……なんでリリィが、アンパンを知っているのかについては、はなはだ疑問だが」
「……細かいことは気にしないでくさだい」
リリィは例によっていつもの無表情で呟いた。
柳也は改めて女性店員の顔を見る。
「フランスパンを一つおくれ」
「ちょっと待ってください」
「いや、だからちょっとした冗談だってば」
「わかりました」
「「【【あるのか(んですか)!?】】」」
奇しくも、柳也とリリィ、そして柳也に寄生する第七位の永遠神剣たちの声が重なった。
永遠のアセリア
-The Spirit of Eternity Sword Another Story “Twin Edge of Protection”-
第一・五章「開戦前夜」
Episode34「ナイトメア」
――聖ヨト暦三三〇年、コサトの月、緑、みっつの日、昼。
有限世界にも拘らずフランスパンを普通に売っている謎のパン屋にてヨフアル五つとパンを購入した柳也とリリィは、時間も昼時とあって昼食を摂ることにした。
メニューは勿論、先ほどのパン屋で調達したパンだ。その他に、商店街を回っているうちに色々と購入した食材がある。
柳也とリリィは腰を下ろすのに手頃な公園を見つけるとそこに入った。公園といっても芝生が広がっているだけの簡素な造りで、植木も少ない。
数少ない木々が寄り添って作る木陰に腰を下ろした二人は、そこで紙袋の中身を広げた。勿論、中に入っているのはパンだ。
「なぁ、リリィ」
「なんですか?」
「製造に酵母菌を使わないフランスパンはともかく、餡子のないファンタズマゴリアになぜアンパンがあるんだと思う?」
「……さぁ?」
そう言って小首を傾げるリリィの手にはカレーパンが握られている。カレーがない世界にカレーパンとはこれいかに。
柳也とリリィがそんな高尚(?)な会話に興じていると……
“BAKOM!”
「っ!?」
「な、なんだぁ!?」
突如として、爆発音が鳴り響いた。
◇
突然の爆発音に驚いた柳也とリリィは、とるものもとりあえず音のした現場へと向かった。
石油やガスといったエネルギーが一般に普及していない有限世界の街中で、爆発音がするというのは尋常な事態ではない。粉塵爆発などの事故か、そうでなければ人為的な事件か。
事件だとすれば、これは由々しき事態だ。
聞こえてきた爆発音は柳也にとっても非常に馴染みのある音、すなわち赤スピリットの広域神剣魔法にも等しい破壊音だった。ファンタズマゴリアの文明レベルであれだけの爆音を作り出そうと思ったなら、エーテル爆薬を使うか、スピリットの神剣魔法しかない。
そしてそのどちらも、一般人には手の届かない力だ。
エーテル火薬も爆薬も入手は困難だし、スピリットについても同様だ。有限世界でスピリットを保有するということは、現代世界で戦車を保有することに等しい。一市民が私財と出来るものではない。
とすれば、仮に先刻の爆発音が事件だったとして、考えられる可能性は他国の工作活動か、敵国部隊が直接このラキオスに攻めてきたかの二つしかない。
そして、ラキオスがまだどこの国とも戦端を開いていない現状、後者の可能性は低い。
もし、ラキオスにとって敵対的な国家が、工作員を密かにこの王都に潜伏させていたとしたら。そしてその工作員に、破壊工作を命じたとしたら。
ドラゴン・アタック作戦の成功で、国内のバーンライトのスパイ網は壊滅状態にあるからといって、慢心してはいけない。むしろ敵のスパイ網が壊滅状態にあるいまだからこそ、気を引き締めねばならない。
柳也とリリィは現場へと急いだ。
そして、見た。
見てしまった。
“BAKOM! BAKOM! BAKOM!”
「……リリィ、あれ、なんだ?」
「……わたしに聞かないでください」
現場に到着した二人は、目の前で繰り広げられる凄惨な饗宴に思わず頭を抱えた。
目を覆った、ではない。頭を抱えてしまった、だ。
柳也達の目の前では、全身黒タイツをぴっちりと着込んだ屈強な男達が、町人達を相手に略奪を繰り返していた。数は全部で一五人。有限世界では絶対にありえないはずの防毒マスクで顔を隠した彼らの胸元には、これまた有限世界では絶対にありえない白いペンキで“ないとめあ”と、ペイントされている。平仮名で。つまり日本語で。
「……どことなく“しょっか〜”な“かほり”がするのは、気のせいだろうか?」
「はい? しょっか〜?」
思わず唇からこぼれた呟きに、敏感に反応したリリィが問う。
柳也は「いや、気にするな」と、彼女を振り向いた。
「色々と突っ込みたいことはたくさんあるが、とにかく奴らを止めるぞ!」
いま、件の黒タイツ集団が襲っているのはまごうことなきラキオスの無辜の民。
経緯はどうあれ、現在はラキオス軍に籍を置いている柳也としては、見過ごせることではない。そしてそれは、なによりもこの国の発展を望むダグラスの私兵たるリリィも同様だろう。
柳也はそう言って護身用にと持ってきた脇差の柄に手をかけた。
刀身だけで二尺四寸七分、鞘ぐるみだと一メートル近い同田貫は、街中で持ち歩くにはいささか不便だ。その点、鞘ぐるみでも二尺一寸に満たない脇差ならば、持ち運ぶ方法はいくらでもある。
目線を隣のリリィに向けると、彼女もすでに己の得物を手にしていた。
刃渡り一五センチほどの短剣で、いわゆるダガーと呼ばれる武器だ。武器そのものの戦力は柳也の脇差とは比べるべくもないが、遣い手によっては強力な殺傷力を提供しうる。
自分と同年代のこの少女が、格闘戦においても只者でないことは、柳也も薄々気付いていた。
「……敵の正体がいまいちよく分からない。情報は少しでも欲しい。リリィ、極力生け捕りの方針でやるぞ」
「はい」
柳也の静かな呟きに、リリィが頷いた。
しかし次の瞬間、密偵としての無表情の仮面に、突如として亀裂が走った。
柳也自身、顔面の全筋肉が強張る。
二人の立つ位置から二十メートル先で、ひとりの老人が略奪の対象となっていた。腰の曲がった白髪頭の男性で、齢は七十歳を過ぎた頃か。防毒マスクを被った黒タイツの男の威容に、腰を抜かしてその場にへたり込んでいる。
黒タイツの男はそんな老人を恰好の獲物と認識したか、手にしたナイフで彼を脅していた。おそらく、有り金をすべて寄越せとでも言っているのだろう。
か弱い、そしておそらく罪なき老人に対し、暴力の刃が向けられている。当然、人として看過できる状況ではない。
しかしそれだけのことであれば、柳也はともかく、リリィまでもが表情を引き攣らせることはなかっただろう。
老人と対峙する黒タイツは一人。二〇メートルという距離の隔たりも、〈決意〉と〈戦友〉の力で強化された柳也の身体能力ならば一瞬で詰められる。老人が下手な動きを取りさえしなければ、彼を助け出せる公算はかなり高い。
問題は黒タイツの男と老人との間に、ひとりの少年が立ちはだかっていたことだった。
年齢は十歳にも満たないだろう。勇敢なのか無謀なのか、少年は老人を守るように黒タイツの男に自らを差し出していた。
冷静な判断力を持った大人と違い、子どもは次の行動が読めない。
老人を守るため、良かれと思って取った行動が、結果的に相手を挑発することになりでもしたら……。
「いかんっ!」
高度な状況認知の末、脳が指令を与えるよりも先に、剣士としての本能が、柳也の身体を動かしていた。
彼は咄嗟にすべてのエネルギーを下半身の強化に集中、黒タイツの男から二人を救い出すべく一気に駆け抜けようとして……。
「待てぇっ!!」
突如として響いた怒声に、出鼻をくじかれた。
黒タイツの集団、そして柳也達がいっせいにそちらを振り向く。
裏路地の方から、一人の紳士がやって来た。
ぴっちりと白いジャケットを着こなした、壮年の男性だ。黒のスラックスを履いた下肢は細すぎず太すぎず、体格もがっしりとしている。筋骨逞しいとはいえないまでも、前で組んだ両腕は太く、胸板も相応に厚かった。
「……なっ!」
紳士の顔を見た柳也は、思わずわが目を疑った。
突如として現れ、老人への凶行を止めに入った男の顔は、柳也にとってあまりに見慣れた顔だった。
といっても、知り合いではない。こちらが一方的に知っているだけの相手だ。しかも彼は、この場には絶対いられないはずの人間だった。
「い、いったいなぜ……なぜ、あの人がここに……?」
柳也は目の前の光景をただただ茫然と眺めていた。
混乱のあまり、状況認知に思考が追い着かない。
柳也がそうしている間にも、現れた紳士は黒タイツの男達に次々と言葉をぶつけていった。
「無頼漢どもが集まって、年寄りや子どもばかりを襲うなんて、いい根性しているな」
「……あん?」
男の言葉が癪に障ったか、少年を襲おうとしていた黒タイツが肩を怒らせ近付いた。
陽光に照らされたナイフが、ぎらぎら、と禍々しい輝きを帯びる。
「じじいはすっこんでろっ!」
黒タイツの男がナイフを突き出した。
若さにまかせたその動作は俊敏で、勢いもある。だが隙の多い、素人めいた動きでもあった。
「しゃらくさい!」
突き出してきた腕を、むんず、と掴み取るや、紳士は体裁きも素早く、相手の勢いを利用して背負い投げた。
腰をしたたかに打ちつけた黒タイツ。防毒マスクから、「ムムム」と、くぐもった呻き声が漏れた。
「貴様ァ――――――!!」
それまで略奪にばかり精を出していた黒タイツ達が一斉に殺気を剥き出しにした。
仲間をやられて頭に血が上ったか、ゴーグル一体型の防毒マスクの奥から覗く眼差しに、剣呑な輝きが宿る。――と、そのうちの一人が、不意に紳士に向かって何かの機械を向けた。大型のテレビキャメラのような機械だ。少なくとも、有限世界ファンタズマゴリアでは絶対にありえない、優美なシルエットをしている。
「おい、あの男のパワーはどれくらいだ?」
「待て……」
機械を向けた男の手元で、ピピピッ、と有限世界にあっては異質な電子音が鳴った。
「……分かったぞ。二一二ドリーム・パワーだ」
防毒マスクを被っているにも拘らず、やけに明瞭な声が柳也の耳朶を打った。どうやらマスクにはマイクが仕込んであるらしい。柳也の中にある有限世界の文明像が、本格的に崩れてきた。
機械を向けている男がその数値を口にした途端、周囲からは一斉に侮蔑の嘲笑がはじけた。
「二一二か……大人にしては高いドリーム・パワーだが、我ら“ナイトメア団”の敵ではないな」
二一二ドリーム・パワー。その数値がいったい何を示しているのか、柳也にはわからない。
柳也に理解出来たのは、その数値が黒タイツの集団を勢いづかせてしまった事実だけだ。
「やってしまえ!」
黒タイツの集団がいっせいに身構えた。紳士を取り囲むように黒い円環が生じる。波状攻撃を仕掛けるつもりだ。
「いかんっ!」
柳也の唇から、裂帛の気合が迸った。
彼は今度こそ下肢に全エネルギーを集中させるや、戦場を疾駆した。
――あの人を傷つけさせるわけにはいかない…あの人は……!
閂に差した脇差を抜き放ちつつ、疾走する柳也の頭にあったのはその一念だった。
なにゆえ柳也は、あの紳士をそこまでして救おうとするのか。
それは……
「おやっさ――――――んっ!!!」
天地を揺るがす激震と、絶叫。
黒タイツの男達が振り向いた僅かな隙を衝き、柳也はとにもかくにも目前にいた二人を打ち倒す。
防毒マスクの覆わぬ額に峰打ちを浴びせられた黒タイツは、たちまち昏倒した。
あまりの早業に、黒タイツばかりか助けられた紳士……小林○二似のおやっさんまでもが唖然としている。
柳也は包囲網の真っ只中へと飛び込むや、おやっさんの側へと駆け寄った。
「大丈夫ですか、おやっさん!?」
「あ、ああ。……君は?」
「俺の名前は桜坂柳也! ですがいまはタケシと呼んでください! もしくはハヤトと!」
「わ、わかった、タケシ!」
小林昭○似のおやっさんに「タケシ」と呼ばれ、柳也はなぜか気を良くする。
状況は圧倒的にこちらの方が不利だ。なんとなれば、包囲されているのはこちら側であり、いまだ数の上では一二対二と劣勢なことこの上ない。
にも拘らず、包囲殲滅されようとしている柳也の表情は明るかった。
それはもう、書いている作者がびっくりするくらい、太陽のような笑顔だった。
屈託のない満面の笑みを浮かべる柳也を見て、黒タイツの集団に動揺が走る。
「ええいっ、怯むな! かかれ、かかれ――――――ッ」
黒タイツの一人が仲間達を叱咤した。
気を取り直した黒タイツ達は全員がめいめいの得物を携えて、柳也に襲い掛かる。
同士討ちを避けての波状攻撃は、しかしいまの柳也には通用しない。
いまの柳也は無敵だった。最強だった。おやっさんというコーチを得た彼は、一匹の獣と化していた。絶対的な数の優劣を前にして、なお戦うことをやめない獣……餓狼と化していた。
「な、なんなんだあいつは……!」
黒タイツの一人が、恐慌から悲鳴を上げた。
すでに彼の仲間はその半数を柳也ひとりの手によって倒されていた。
黒タイツの男は、ビデオキャメラの男を振り返った。
「おい! あいつのパワーはいったいいくつあるんだ!?」
「ま、待て。いま調べる……これは!」
ビデオキャメラ型の機械を操作する男の手元で、“ピピピッ”と、電子音が鳴った。
黒タイツの声が、驚愕に震える。
「い、一万ドリーム・パワーだと!?」
「ば、馬鹿な! 夢多き年頃の子どもでも平均三〇〇ドリーム・パワーだぞ!? それをあんな大人が、一万ドリーム・パワーなど……ぜ、絶対にありえん!」
「しかし、事実だ。機械が故障しているわけでもない……」
「う、うぅ……ひ、退け! この場は退けぇい!」
どうやらチーフ格らしい男の号令を受けて、黒タイツの集団は撤収を始めた。
ちゃんと倒れた仲間を引きずっていく辺り、根は優しい人間達の集まりのようだ。
柳也は当然、逃げる彼らに追撃を仕掛けようとした。しかし、それは叶わなかった。
追撃を撒くために、黒タイツの集団が次々と手榴弾を投げ飛ばしてきたためだ。先ほどの爆発音の正体はこれだったらしい。
手榴弾の雨に気を取られている間に、黒タイツの集団には逃げられてしまった。
◇
――同日、昼。
黒タイツの集団を取り逃がしてしまった柳也とリリィは、とりあえず救出した少年とともにおやっさんが経営しているというスナックへと足を運んだ。
助けてくれたお礼にコーヒーを淹れたいという、おやっさんの申し出を受け入れたためだ。
スナックの名前は『フィリア』。アミーゴでも、聖ヨト語のシネテトでもなく、なぜかギリシア語で友情を示すフィリア。ご丁寧にもギリシア文字で、『ψιλια』と、看板が出されている。
「自己紹介が遅れたな。私の名前は立花藤兵衛という。おやっさんと呼んでくれ」
「ちょっと待ってください!」
人数分のコーヒーを淹れて自己紹介をした立花藤兵衛氏ことおやっさんに、早速リリィが突っ込んだ。
「なぜ、この異世界ファンタズマゴリアにそんな純日本風の名前をした登場人物がいるんですか!?」
「なに? にほん? それはいったい何なんだね?」
有限世界では通常聞くはずのない発音の単語におやっさんが首を傾げた。ちなみになぜリリィが日本のことを知っているかといえば答えは簡単、柳也が教えたからだ。
おやっさんに突っ込むリリィを見た柳也は、呆れた顔をした。
「馬鹿だなぁ。ファンタズマゴリア出身のおやっさんが、日本を知っているわけがないじゃないか?」
「ですが、立花藤兵衛という名前はどう考えても……」
「名前なんてものは昔の人が、勝手に名乗り出したのが始まりなんだ。人間の想像力の及ぶ範囲内であれば、あるいは人間の声帯が出しうる範囲内であれば、どんな発音の組み合わせが生じてもおかしくはない。そう考えれば、ファンタズマゴリアに立花姓や、藤兵衛という名前があってもおかしくはないだろう?」
「そうだよ、お姉ちゃん」
柳也の言葉に相槌を打ったのは、おやっさんと柳也が二人掛かりで救出した少年だ。
遠目からも活発で、負けん気の強そうな少年は、実際に間近で見ると、やはり幼い活力に満ち溢れた子どもだった。なんと形容するべきか、一緒にいるだけで元気にさせてくれる、そんな笑顔を振りまく少年だ。
彼はリリィが不承不承ながらも納得したのを見て取ると、自らも名乗りを上げた。
「僕の名前は吾郎っていうんだ。よろしくね、お兄ちゃん、お姉ちゃん!」
「おう。よろしくな、吾郎」
「こちらこそよろしく……って、だからですね」
リリィはいよいよ米神を押さえてカウンター席に突っ伏した。
芳醇なブレンドコーヒーの味わいも、いまの彼女の心を癒す糧にはならない。
密偵として、常に冷静でなければいけないはずの彼女が、大きくペースを狂わされていた。
その時、フィリアのドアに取り付けられたカウベルが鳴った。
来客を示すサインだ。一同が揃って振り返ると、そこには意外な人物が立っていた。先ほどのパン屋の女性店員だ。肩で息を切らし、血相を変えた表情で店内に目線を巡らせる。
やがてその視線が柳也の隣に座る吾郎少年に向いた時、彼女の表情に安堵の色が浮かんだ。
「吾郎!」
「姉ちゃん!」
パン屋の店員が叫ぶと、五郎も応じて叫んだ。
パン屋の店員が少年に駆け寄り、少年もまた店員に駆け寄って、身を寄せ合う。
なるほど、二人は姉弟だったのか。固く抱き締め合う二人の間に、柳也は強い絆を感じた。血を分けた肉親同士の感動の再会に、思わず目尻に浮かぶ涙の雫。幼くして両親と死別した彼は、こういうシーンにめっぽう弱い。
「吾郎…良かったぁ……藤兵衛さんから連絡を受けて、慌てて来たのよ?」
「姉ちゃん、心配かけてごめんね」
「えがったぁ…本当にえがったぁ……」
目尻に浮かぶ涙を拭いつつ、柳也が呟いた。
その声に、パン屋の店員はようやく柳也達の存在に気が付いた。
「あなたたちは……?」
「リュウヤ・サクラザカだ。タケシと呼んでくれ」
美人の女性店員を前にして、柳也は人懐っこい笑みを浮かべながら右手を差し出した。
なぜ先ほどの客がこんなところに居るのか、と戸惑う姉に、吾郎少年が言う。
「僕たちを助けてくれたのは、ここにいるタケシ兄ちゃんなんだ」
「あら、そうだったの。……この度は弟がお世話になりました」
女性店員は万感の想いを篭めて深々と腰を折った。
感謝の一礼の後、とびきり魅力的な微笑とともに、柳也の手を取る。
「吾郎の姉の、民子です」
「……はぁ」
またも出てきた純日本風な名前に、リリィが疲れたように溜め息をついた。
いよいよ頭が痛くなってきた。
◇
――同日、昼。
マイヨ・ナカーダは貿易会社『ナカーダ商店』の社長専用オフィスで書類仕事に忙殺されていた。
まだ四十代も前半の、若い実業家だ。もともとリュケイレムの森から採れる材木を国外に輸出する際の仲介業者に過ぎなかったナカーダ商店を、父から受け継ぐやたちまちラキオス有数の貿易会社に仕立て上げた敏腕の持ち主でもある。
若く体力に溢れ、高い行動力と、強いリーダーシップの両方を持った男だった。経営マネジメントの術は王立大学で学び、父が商店の社長だった頃は木こり職人としても勉強に励んだ。職人としての経験は現場の人間からの不平不満を受け入れるだけの器量に生み、成果を上げた者に対しては社長直々に褒めるという姿勢を作り上げた。
その結果、社長は社員のために仕事をし、社員は社長のために仕事をするという関係が構築され、転じて会社の売り上げへと繋がった。
いま、マイヨが目を通している書類は、国内の材木の需要増加に伴う輸出量の低下への対策について書かれたものだった。
ラキオスとバーンライトの関係が急速に悪化している事実は、いまやラキオス国民の誰もが知っている。国内における軍事・民需物資の需要の高まりは、数ある影響の一つに過ぎない。開戦必至となれば木材だけでなく、鉄、ゴム、食料品と、あらゆる物資の価格が跳ね上がることになるだろう。
商売人としては稼ぎ時だが、貿易会社たるナカーダ商店としては、国内の急激な需要増加は諸手を挙げて歓迎出来ることではない。国内の売上高はともかく、売る物がなくなれば輸出高が伸び悩んでしまうのは必定だからだ。開戦前のいまだからこそ、早めに対策を講じる必要があった。
――外交による戦争回避が成功した場合と、開戦した場合とで二つの対策プランを用意せねばなるまい。開戦した場合でも、戦争の期間と戦勝国を予想して、最低四つのオプションが必要だ。
ナカーダ商会はラキオス三大都市とラースに、それぞれ大規模な倉庫を抱えている。
開戦前の段階で、どれだけの物資が倉庫にあれば良いか。また、そのうちの何割を国内で売り裁き、何割を国外に輸出すれば、最も儲けられるか。社長たるマイヨの判断力が問われるところだった。
その時、社長室のドアが正確に三度ノックされた。
マイヨは書類に落としていた目線を上げると、「入りたまえ」と、ドアの向こう側にいるであろう来客に言った。秒を置かずしてドアが開く。
入ってきたのはマイヨの数いる秘書の一人……スーザンだった。
三十路半ばの長身の美女で、モデルのように引き締まったボディ・ラインをしている。妖しい乳房の膨らみがなんとも魅力的な女だった。
「社長、営業に出ていたガイザス部長の部下が帰ってきました」
入室した美人秘書はにこやかな微笑みとともに言った。
マイヨもにこやかに笑って頷く。
「そうか。たしか、彼らの担当は西地区の方だったね?」
「はい。本日の釣果については、社長に直々に報告したいとのことです」
「わかった」
マイヨは短い呟きをこぼすと、不意に目線を窓の外へと転じた。
ナカーダ商会の本社ビルは三階建てで、社長室はその最上階にある。社長就任と同時に部下のガラス職人からプレゼントされた窓からは、白亜の宮殿が見えた。
「まだ陽は高いが……」
マイヨは呟いてから、スーザンを振り返った。
「よろしい。わたしを夜の闇に包みたまえ」
◇
大広間には、雪の降る夜のような静けさと烈々たる熱気が共棲していた。
一言で言い表すならば、古代ギリシア時代の神殿のような建物だ。ずんぐりとした、しかし金色燦然とした台輪を嵌め込んだドリス様式の柱に支えられ、黄金で葺かれた屋根を頂いている。
しかし、その黄金の屋根が陽の光を反射して、眩い輝きを発することはない。
なぜならば神殿を包む黒い靄は、その内側に完全なる闇の世界を生じさせ、外からの光を一切遮断していた。
夜の闇よりもなお黒く、濃い、暗黒の世界だ。
しかしその神殿に住まう闇の者達が、空からの光がないことに不満をこぼすことはない。弓形に湾曲している天井からは綺羅星さながらのランプや、煌々たるクレッセントが無数に垂れ下がり、大理石を敷石とした床を燦爛と照らし出しているからだ。
驚くべきことに、照明の燃料にはエーテルが一切使われていなかった。
有限世界においては異質という二文字以外で形容することの難しい、ナフサ(粗製ガソリン)を燃やして灯りを生み出していた。
大理石の床には、赤いカーペットが敷かれている。
そして、他の床より一段高く作られた王座に、その黄金の椅子はあった。
この神殿の王、すなわち、この闇の世界の王にのみ着席を許された玉座だ。かつてイギリス人からワイバーンの名で畏怖され、愛された翼竜にも似た怪物の意匠を凝らした椅子には、真紅のルビーがいくつも嵌め込まれている。ピジョン・ブラッドと呼ばれる、ルビーの中でも特に高級で、珍しい輝石だ。黄金の竜に飾られた赤い宝玉は、椅子そのものが発する圧倒的な存在感をいっそう高めていた。
そして、その王座に座る男もまた、圧倒的な存在感を放っていた。
神話の竜が、そのまま人間の姿を模したかのような威容。まさにそう形容するのが相応しい男だ。王座に座しているため正確な身長はわからないが、ゆうに二メートルは下るまい。鋼の鱗を一枚々々繋ぎ合わせたスケール・アーマーに身を包み、腰には大剣を佩いている。腕も足も太く、胸板は熊のように厚い。
真紅に燃える双眸ははるかな暗闇を見据え、銀糸とまごう白髪は長く、異界の風にたなびいていた。微細な、それでいて無数の傷を負った頬は、男が平穏な治世を求める王ではなく、なにより争覇を求める蛮人王たる証か。真一文字に結んだ唇の僅かな隙間から覗く白い歯は、歯というよりは牙に近かった。
「……友よ。わが臣下達よ」
男の薄い唇が、かすかに動いた。
それだけで広間に漂う空気の流れが激しく乱れ、暴風が吹き荒れる。
震天の魔力を宿す言霊に誘われ、広間には、異界の住人達が姿を現した。
ほんの数瞬前まで王座に座る男以外無人であった広間は、いまや多くの魔人で溢れかえっていた。人ではない。異形の姿をした、魔人達だ。
広間へと通じるすべての出入口には、翼竜の王座に絶対の忠誠を誓った者達が門番として付き、許可無き者の侵入を何人たりとも許さぬ構えで方形陣を組んでいる。
そこはまぎれもなく王国だった。
神殿は王のために築かれた城砦であり、広間の魔人達は王の家臣であり、兵であった。青銅の門に付き添う者は、特に忠誠厚い王の衛兵に他ならない。
「友よ。わたしに忠誠を誓いし臣下達よ! わが声に応じよ」
王が高らかに叫んだ。
おおおおおお――――――ん。
おおおおおお――――――ん。
王の求めに応えるかのように、魔人の群れから歓声が上がった。
「友よ。わたしに忠誠を誓いし臣下達の中でも、特に忠義厚く、武勇に長け、その知略において右に出る者なき四人の将軍よ! わが玉座の前にその姿を晒すのだ」
王が再び声高に叫んだ。
すると、それまで混沌とその場に群がるだけだった魔人達に整然とした規律が生じた。
魔人達はみな一斉に列をなし、頭を垂れて、道を作った。
いまやこの広大な――かつて古代ローマで市民達の娯楽のために築かれたあの大闘技場よりもなお広い――広間の中で立ち歩くことを許された魔人は、たった四人しかいない。
そしてその四人こそ、この闇の世界を統べる王が、最も信頼する忠臣達だった。
「機甲軍団総司令ドレーバ〈将軍〉」
「はっ」
「獣王軍団総司令ガイザス〈大使〉」
「ここに」
「超人軍団総司令タイロン〈博士〉」
「御意」
「魔竜騎士団団長ソーディス〈大佐〉」
「ここにおりますれば」
「わが最強の四将軍よ、近くに」
『はっ』
魔人達の中の魔人たる四将軍の声が重なり、いよいよ広間の空気は邪気に満ちたものになる。
そして玉座の王は、忠臣達が自身の前で跪く様子を見て、ニヤリと笑った。
「これよりナイトメア団緊急会議を執り行う!」
王の号令が、神殿に轟いた。
王の意志を広間の外にもいる全軍に伝えるべく、高らかにラッパの音が鳴る。
家臣が揃い、将が揃い、兵が揃った。そして王座には、竜の王が座している。
この瞬間、神なき神殿……万魔殿の大広間は、暗黒結社ナイトメア団の軍議の場となった。
◇
ナイトメア団。
あの偉大なる聖ヨト王が誕生するよりもはるか以前から続いているとされるこの組織の起こりを、歴史の中から探すのは難しい。組織の性質が普段は人目に触れぬ暗黒結社ということもあるが、他ならぬ歴史家達が、この組織の名前を出来ることなら記憶していたくないと考えているためだ。
聖ヨト暦という年号が採用される以前、一人の研究者が、果敢にもこの組織の全容を明らかにするべく調査を開始した。
しかし二週間後、彼は調査の過程で行方不明となり、さらに一週間が経ってから、溺死体となり果てた姿を発見された。水場からはほど遠い、リュケイレムの森の中央で。暗殺されたことは明らかであり、犯人の正体は誰の目にも明らかだったが、証拠は一向に見つからなかった。
この一件以来、ナイトメア団に関心を寄せる研究者の数は激減し、組織は数百年の長きに渡ってその秘密を守り続けていた。
とはいえ、この組織に不信の目を向ける者がまったくいなくなったわけではない。
数少ないが勇敢な研究者達の地道な調査によって、明らかになった事実も決して少なくない。
たとえば組織の目的がそうだ。
数百年にわたって続くナイトメア団の目的、普通人の常識をはるかに逸脱していた。
「人はみな夢を見る。飽くなき、そして身の丈に合わぬ夢を。欲より生まれし夢は巨大な力を生み、人をあってはならぬ方向へと導く。
過去の歴史を見よ。巨大な夢を見たために滅びた王の、英雄の、なんと多きことか。肥大する欲望の果てに森を狩り、大地を蝕んだ人間のなんと浅はかなことよ。挙句、人は己の夢のために同族を蹴落とし、殺し合う。人間は愚かな生き物だ。いや、夢というものを抱いてしまうがために、人間は愚かな行動にひた走る
であれば、夢など見ない方が……抱かぬ方が幸せなのだ。夢を抱かねば人は愚行に走ることもない。争うこともない。心穏やかに、いたずらに大地を汚す必要もなく生きていける。真の安らぎを得ることが出来る。
奪え、人から夢を。飽くなき欲望を。悪夢を見せよ。人に。人間達に。我らナイトメア団が、人間達に真の安らぎを与えるのだ!」
玉座に座る王の、朗々たる声が万魔殿に響く。
その声に呼応して、魔人達が歓声を上げる。
おおおおおお――――――ん。
おおおおおお――――――ん。
王を讃える歓声の数は万をはるかに超えている。
己を崇める兵達の声に、竜の王は満足げに頷くと、目の前に控える四人の臣下を見回した。
機甲軍団総司令ドレーバ。コードネーム〈将軍〉。
獣王軍団総司令ガイザス。コードネーム〈大使〉。
超人軍団総司令タイロン。コードネーム〈博士〉。
魔竜騎士団団長ソーディス。コードネーム〈大佐〉
みな、ナイトメア団の理想に共鳴し、組織の創設期から王を支え続けている忠臣達だ。
勿論、数百年を生きている事実からも分かるように、人間ではない。
ナイトメアの理想を信じ、その理想実現に邁進する悪夢魔人達だ。
悪夢魔人。それはナイトメアの理想を信望し、竜の王に仕える臣下にして、兵隊である。彼らの多くは人型をしているが、魔人という名前からも分かるように、彼らは人ではない。勿論、スピリットでもなければ龍でもない。彼らの出自については不明な点多く、分かっていることといえば数百年を生きているにも拘らず一向に老いない肉体を持つこと、ナイトメア団の王に対して絶対の忠誠を誓い、組織の主戦力であること、そして……。
竜の王は、居並ぶ四人の家臣のうち、向かっていちばん右端の甲冑を纏った騎士……機甲軍団総司令ドレーバのコードネームを呼んだ。
「〈将軍〉よ」
「はっ」
一切の装飾を排した実用一点張りの鎧に身を包んだ〈将軍〉は、王の前で平伏した。
「夢を抱いたがために人は愚考に走る。哀れな子羊たちに悪夢を見せるための破壊活動は順調か?」
「勿論にございます」
〈将軍〉は粛々と、しかし漲る自信を口調に滲ませて頷いた。
「一昨日もイースペリア領ダラムにて破壊工作を行い、十何人かの子ども達に、この世には絶望しか存在しえないという悪夢を見せ付けてやりました」
「子どもに、か?」
「はっ」
「それは重畳」
竜の王の唇が酷薄に釣り上がった。
哄笑が、大広間に木霊する。
「夢多き年頃の子どもに悪夢を見せ付ければ、それだけで将来、愚行に走る大人は減る。さすがは〈将軍〉だ。十年先、百年先を見据えての作戦行動、褒めてつかわそう」
「身に余る光栄にございます。王よ」
「うむ。これからもわたしのために……いや、この世界の人々の平穏のためにその力を貸してくれ」
「御意」
〈将軍〉の返事に王は満足そうに頷くと、続いて獣王軍団総司令ガイザスのコードネームを呼んだ。しかしその口調には、ドレーバを呼んだ時と違い、強い厳しさを孕んでいた。
「〈大使〉よ、報告は受けている。貴様の部下が犯した此度の失敗、詳しく話せ」
「はっ」
〈大使〉と呼ばれたガイザスはかしこまった態度で、ゆっくりと顔を上げた。
陶器で作られた華奢な仮面の奥から覗く緋色の眼差しが、竜の王の頬を撫でる。
〈大使〉ガイザスはドレーバの纏うそれよりもひと回り大きな鎧甲冑に身を包んでいた。白地に黒縞の入った重厚な鎧で、胸甲の厚みだけでもドレーバの一・五倍はある。体格も〈大使〉の方がいくぶん大きい。
「王よ。報告いたします。本日正午、ラキオス王国王都ラキオスの西地区にてエーテル炸薬式手投げ炸裂弾を用いての破壊工作を行っておりましたところ、妨害に遭いました」
「当然だな」
最初に結論を述べた〈大使〉に、〈博士〉ことタイロンが言った。
鎧甲冑を着込んだ前者二人と異なり、〈博士〉というコードネームが示すように白衣を着た初老の男は、黒のマントを翻して続ける。
「我らナイトメア団の目的は人々の心に真の平穏を与えること。しかし、そのための手段は、お世辞にも穏やかとは言いがたい。多少の抵抗は想定された範囲内のことだ」
「……その抵抗が、多少ではなかったのだ」
「なに?」
〈大使〉の言葉に、〈博士〉が怪訝に眉をひそめた。
仮面で素顔を隠した〈大使〉と違い、苦労の皺を刻んだ〈博士〉の顔は、表情の変化がはっきりと見て取れる。
〈博士〉は訝しげに訊ねた。
「どういうことだ? スピリットにでも邪魔されたのか?」
「……ある意味、スピリットよりも厄介な存在だ」
〈大使〉はそこで一旦言葉を区切ると、目線を王から〈博士〉へと移した。
「スピリットの戦闘力はたしかに強大だ。だが、所詮は人間に飼われているだけの、夢を見られない存在。さしたる脅威にはならぬ」
〈大使〉は侮蔑の感情も露わな口調で言い放った。
それは虚勢でもなんでもない。彼ら悪夢魔人の肉体に、スピリットの強力な攻撃は蚊が刺したほどのダメージも与えられない。理屈ではなく、悪夢魔人の肉体はそういう風に出来ていた。
彼ら悪夢魔人の肉体に致命的なダメージを与えられる力は、この世に一つしかない。
「ドリーム・パワーの平均値が五〇ぽっちのスピリットに、我らを傷つけることなど出来ぬさ」
ドリーム・パワー。悪夢怪人の肉体に有害な、この世でただ一つのエネルギー。
人間は誰しも、夢見る心を持っている。そして夢見る心からは、夢を実現するための力……ドリーム・パワーが生み出される。人間の精神が生む、至高の超エネルギーだ。
子どもの頃、空を飛ぶ鳥を見て、自分もいつかあんな風に空を飛びたいと思った兄弟がいた。彼らの夢見る心はドリーム・パワーを生み、ついには飛行機という形で夢を実現するに至った。歴史上、偉人と呼ばれる者の多くは、このドリーム・パワーが特に強かった者を指すという。
夢を叶えようとする人間の力は、この世界を悪夢の闇で包まんとする悪夢魔人にとって、最も忌むべき存在だった。
もっとも、すべてのドリーム・パワーが彼らの脅威となりうるかといえば、答えは否だ。
夢見る心から生み出されるドリーム・パワーは、人間であれば誰しもが持っている力。であれば、悪夢魔人達はとうにこの世から駆逐され、ナイトメア団などという組織は存在していないはず。にも拘らず、ナイトメア団が現在にいたるまで存続しているのは、普通の人間が発生させるドリーム・パワーでは、彼ら悪夢魔人を打倒することが出来ないからだ。
ドリーム・パワーにも強弱がある。弱いドリーム・パワーでは悪夢魔人の肉体を傷つけるどころか、自分の夢を叶えることさえ出来ない。逆に強いドリーム・パワーであれば、悪夢魔人を倒すどころか天下を取ることも難しくない。
そしてドリーム・パワーの強弱を決定付けるのは、すなわち夢見る心。この夢見る心が弱ければ発生するドリーム・パワーも弱く、強ければ絶大な力を持つドリーム・パワーが発生する。
いわゆる天才・偉人と呼ばれる人間の多くは、一〇〇〇以上のドリーム・パワーを発生させた者のことをいう。これだけの力になると、悪夢魔人にとっても脅威足りえるが、一般的な成人の平均値は一〇〇。最下級の悪夢魔人に、掠り傷一つつけられないほどの脆弱な力だ。人間から夢を見ることを許されないスピリットの平均値は五〇。
ちなみに子どものドリーム・パワーの平均値は三〇〇もある。これは子どもが夢見がちなのと、まだ現実を知らないから発揮できるパワーで、年を経るにつれて発生するドリーム・パワーは低下していく傾向にある。
「〈大使〉の言う通りだな。スピリットなど、我らの敵ではない」
〈将軍〉が頷いた。彼もまた〈大使〉と同様、スピリットに対する侮蔑の感情も露わに呟きをこぼす。
〈将軍〉は〈大使〉に向き直った。
「それで〈大使〉よ、貴様の配下を邪魔した輩というのは何者だったのだ? どれほどのドリーム・パワーを持っていたのだ?」
「……わたしの部下の邪魔をしたのは、一人の男だった。それも、見るからに大人の、な」
「ほぉぅ」
〈将軍〉の唇から、感嘆の吐息が漏れた。
「使い捨ての雑兵とはいえ、ナイトメア団の戦闘員は、五〇〇ドリーム・パワーに匹敵する五〇〇ナイトメア・パワーを持っている。その戦闘員を一五人、一度に相手をして倒してしまうとは……その男、大人のわりにはなかなかのドリーム・パワーの持ち主のようだな?」
「ああ」
〈大使〉は鷹揚に頷いた。
仮面の奥から覗く瞳には、苦渋の色がありありと浮かんでいる。
「その男は、一万ものドリーム・パワーを持っていたのだ」
〈大使〉の呟きが、さざなみのように大広間に広がっていった。
〈将軍〉の顔から笑いが消え、魔人達の間に動揺がひた走る。それまで一言も発することなく控えていた寡黙な〈大佐〉さえもが、驚愕から眼光鋭く〈大使〉を見据えた。
大広間からは、しばし言葉らしい言葉が失われてしまった。
数秒、あるいは数分もの間、沈黙を挟んでいただろうか、最初に言葉を取り戻したのは、〈将軍〉だった。
〈将軍〉は動揺も露わに、隣で平伏する〈大使〉に口角泡を飛ばす。
「ば、馬鹿な! 夢見がちな年頃の子どもでさえ、ドリーム・パワーの平均値は三〇〇に過ぎないというのに。一万ドリームものパワーを持つ大人の男などありえん! ドリーム・センサーの故障に決まっている!!」
ドリーム・センサーとは文字通りドリーム・パワーを探知・数値化する装置のことだ。
「機械の故障はわたしも、わたしの部下も考えた。しかし結果はすべて異常なし。ドリーム・センサーは全機能正常に作動していたそうだ」
「そ、そんな……」
「〈博士〉」
竜の王が眼前に控えるタイロン〈博士〉に訊ねた。
〈博士〉のコードネームを持つ白衣の老人は、文字通り組織のブレーン。こと知に関して、竜の王が最も信頼する将軍だった。
〈大使〉の報告を受けた〈博士〉は、一万ドリーム・パワーもの力を持った男が実在する事実に驚愕を覚えながらも、王に名を呼ばれて姿勢を正した。
「件の一万ドリームの男、どう思うか?」
「……情報が不足すぎておりますゆえ、推測混じりの考察となりますが」
「構わぬ。話せ」
「御意に。では……」
発言を許された〈博士〉は一度深々と頭を下げた後、竜の王を真正面から見据えた。
「王よ、ナイトメア粘土板を憶えておいでですか?」
「無論だ」
竜の王は、なにを当然のことを訊くのかと、訝しげに頷いた。
「聖ヨト王国建国以前の乱世の時代、賢者トゥアハ・ランボゥが刻んだ予言の粘土板であろう? 我らナイトメア団創設のきっかけにもなった」
「はい。トゥアハ・ランボゥは、先行きの見えぬ乱世の時代にあって先見の明を持った賢人でした。彼は、人の欲……すなわち夢極まりし時、人心は荒み、龍の大地は他ならぬ人の手によって貪りつくされ、文明は人間同士の争いの果てに滅びるだろうと未来を憂い、そんな愚行は犯させまいと、子孫達に向けて粘土板を彫りました。
その粘土板こそが、我らナイトメア団創設のきっかけとなった、ナイトメア粘土板なのです」
「そんなことはわざわざ講釈されるまでもなく承知のことだ。〈博士〉、あなたはいったい何を言いたいのだ?」
〈博士〉の遠回しな言動に早くも痺れを切らした〈将軍〉が、今度は白衣の老人へと口角泡を飛ばした。
〈博士〉は迷惑そうにそれを避けつつ、言葉を継いだ。
「ナイトメア粘土板は預言書であり、技術書であり、博物誌でもあります。その中に気になる記述が一つあります」
「ほう?」
竜の王が身を乗り出した。
〈博士〉は一つ空咳をして呼吸を整えるや、記憶の彼方に仕舞いこんだ粘土板の文章を暗唱した。
「……人の心夢を極めし時、人心は荒み、大地は痩せ、やがて戦乱が起こるであろう。それを阻止しようと悪夢の聖人立ち上がる時、異界の空が割れ、その崇高なる目的を阻む者が現れるだろう。
彼の者は異界より来訪せし悪鬼なり。彼は大人であって子どもであり、子どもであって大人でもある。夢見る少年の心を持った大人なり。一万の夢を見る男なり。我、この異界よりの悪鬼を“OTAKU”と名付けん……」
「異界よりの悪鬼、OTAKU……」
「一万の夢を見る男……」
「ナイトメア粘土板に刻まれし、我らの邪魔をする悪魔……」
大広間の其処彼処から、怒号が轟いた。
崇高なるナイトメアの使命を阻もうとする悪魔の登場に、魔人達は怒り狂った。
その怒りのエネルギーは暴風を生み、熱波を生み、大地を揺るがす激震を生む。
〈博士〉は再び竜の王に向かって頭を垂れた。
「〈大使〉の配下の者が遭遇したという男が、粘土板に記された伝説の悪鬼OTAKUと同一の存在なのかは分かりませぬ。ですが、このまま捨て置けない存在であることに変わりはありませぬ。一万ドリーム・パワーもの力を持った男を放置しておくのは、危険すぎます」
「〈博士〉の言う通りですね」
それまで沈黙に口を閉ざしていた〈大佐〉が、おもむろに呟いた。
王の親衛隊たる魔竜騎士団の団長を務めるこの寡黙な軍人は、普段滅多に口を開かぬがゆえに、ひとたび口を開いた際の意見は誰よりも重用される。
「件の男を伝説の悪鬼OTAKUと決め付けるのは早計かと思います。ですが、一万ドリームもの男を放っておけぬのもまた事実」
「かといって、並みの魔人では一万ドリームものパワーには対抗出来ぬぞ?」
珍しく口を開いた〈大佐〉に、〈将軍〉が問うた。
〈大佐〉は〈将軍〉には一瞥もくれることなく、竜の王だけを見つめ、言った。
「ナイトメア・モンスターを使いましょう」
◇
ナイトメア・モンスター。
それは、ナイトメア粘土板に記された古の秘術の一つである。
賢者トゥアハ・ランボゥは、暗い未来の予言ばかりを粘土板に刻んだわけではない。古代の科学者でもあった彼は暗闇の未来を回避するためにいくつかの技術を粘土板に彫り遺していた。
ナイトメア・モンスターの呪法は、そうした数ある古代技術の中でも奥儀中の奥儀とされる秘術の一つだ。
いったい如何なる秘術なのかというと、どこにでもいるごくごく普通の人間に、ドリーム・パワーと相反するエネルギー……ナイトメア・パワーを注入することで、最強の悪夢魔人を作り出す、というものだ。この呪法によって生み出された悪夢魔人は生まれながらの魔人達を、力において数倍、内包するナイトメア・パワーにいたっては十倍も凌駕するとされていた。
そんな強力な呪法にも拘らず、ナイトメア団では今日にいたるまでこの技術を実践したことがない。
強力な力、あるいは大きなメリットには、必ず代償が、デメリットがある。
ナイトメア・モンスターも例外でなく、そうして生み出された悪夢魔人には、他の魔人達にはない寿命があるのだ。それも、極端に短い命。ナイトメア粘土板によればナイトメア・モンスターの寿命は四年前後、個体によっては、何もしていなくても二週間で死んでしまうとある。
この寿命というデメリットのために、ナイトメア団ではこれまで一体のナイトメア・モンスターも作られなかった。
しかしいま、伝説のOTAKUが出現したかもしれないという事態に対し、禁断の呪法は執り行われようとしていた。
◇
広大な万魔殿の最奥。地下一〇八階の特別研究室は、タイロン〈博士〉の王国だった。
ナイトメア団のブレーンたる〈博士〉のために用意されたその部屋には、様々な蔵書とともに、彼の知識を活かすためのあらゆる道具が揃っている。
「ではこれより施術を行う」
居並ぶ白い悪夢魔人達の顔を見回して、〈博士〉は言った。
モスグリーンの衣に身を包み、手袋と、マスクを付けたその姿は、博士というより医者に近い。もっとも、どちらも英語でいうとdoctorだ。両者の間に大きな隔たりはない。
〈博士〉が行わんとしているのは、まさしく手術だった。ナイトメア粘土板に刻まれたナイトメア・モンスターの呪法は、現代世界でいうところの外科手術に相当する。
彼は助手の一人に問うた。
「記念すべきナイトメア・モンスター第一号の素体のパーソナル・データを?」
「素体ナンバー01。マロリガン共和国ガルガリン在住のリョウ・サイトウです。ガルガリン砦の警備兵で、煙草を吸うためさぼっているところを捕獲いたしました」
「知力、運動能力ともに高い水準にあります。健康状態も良く、事前の検査では一八五ドリーム・パワーを検出しました」
「ふむ。良いモンスターになりそうだ。……リョウ・サイトウを通せ」
〈博士〉が命令すると、特別研究室のドアが開いた。
荒縄によって拘束された少年が、ナイトメア団の戦闘員……モーニングナイトに連れられて姿を現す。
「放せ! 俺をこんなところに連れてきて……いったいどうするつもりだ!?」
素体ナンバー01、リョウ・サイトウは、囚われの身という状況にも拘らず、〈博士〉に向かって吠えた。
「……ふっ。威勢の良い小僧だな。だが、その負けん気の強さは良いモンスターになるだろう」
〈博士〉は不敵な笑みを見せると、リョウ・サイトウの質問に答えた。
自分達の所属する組織ナイトメア団について。スペインの良さについて。悪夢怪人について。スペインの素晴らしさについて。ナイトメア粘土板と伝説の悪鬼OTAKUについて。スペインがいかに優れた文明を持っているかについて。ナイトメア・モンスターについて。
「ナイトメア・モンスターを作るためには、普通の人間にナイトメア・パワーを注入する必要がある。すなわち、貴様に必要以上の悪夢を見せ続けるのだ」
「悪夢を見せる? 馬鹿じゃないのか? 俺はいま、こうして目ん玉パンパンに膨らませて起きているんだぜ? 悪夢なんて見るわけがない」
「安心したまえ。良い物がある」
「……クスリでも使うつもりかよ?」
「そんな物騒な物は使わないさ。……おい、最新鋭の睡眠誘導装置を起動させろ」
「はっ」
〈博士〉の指示に助手の一人が頷き、何やら機械を動かした。
レバーを倒し、いくつものランプが点滅し始める。
バリバリバリ、とエレクトリックサンダーが迸り、ざんぎり頭を叩いてみれば、文明開化の音が鳴った。
轟、と、大気が唸った。
突如として巨大な金槌が出現し、リョウ・サイトウの頭を目掛けて飛来する。
「ちょっ、睡眠誘導装置って――――――!」
金槌が、簀巻きにされて身動きの取れないリョウ・サイトウの頭を叩いた。
少年の意識はいとも簡単に途切れ、彼はあっさりと昏倒してしまう。
「……すごい効き目だ」
「さすが帝国最新鋭」
助手達が、ひそひそ、と囁き合った。
「これより施術を開始する」
何事もなかったかのように、〈博士〉が言った。
◇
――聖ヨト暦三三〇年、コサトの月、緑、よっつの日、朝。
謎のパン屋に勤める店員民子と弟の吾郎は、商店街を歩いていた。
昨日のお礼にと、柳也にプレゼントを買った帰りだった。
「タケシさん、気に入ってくれるかしら?」
プレゼントの入った紙袋を両手で抱え、民子が呟いた。
そんな姉に、吾郎は明るく言う。
「大丈夫だって。姉ちゃんが考えに考えて買ったプレゼントだぜ? タケシ兄ちゃんもきっと喜んでくれるよ」
「そうかしら?」
「きっとそうだって! ……それにしても」
不意に吾郎がくすりと笑った。きょとん、とする民子に、吾郎少年はからかうように言う。
「昨日会ったばかりの人にプレゼントを買うなんて、姉ちゃんも大胆だなぁ。……もしかして、惚れた?」
「ば、馬鹿言うじゃありません!」
吾郎に指摘されて、途端民子の顔が朱色に染まった。
ぴしゃり、と叱りつけるが、むしろそんな態度は少年のいたずら心をくすぐるだけだ。
吾郎はニヤニヤ笑いながら言う。
「へっへぇ〜、図星なんだ。そっかぁ……姉ちゃんがかぁ……一目惚れなんて大胆だなぁ」
「こら、吾郎!」
天下の往来でなんてことを言うのか。弟のはしたない言動をいさめようとした民子だったが……。
「メア、メアメアメア!」
「メア、メアメアメア!」
そんな姉弟の微笑ましい時間を引き裂くように、怪しげな声が響いた。
民子と吾郎だけでなく、商店街の人々が一斉に声のした方を振り向く。
するとそこには、昨日の防毒マスクの怪人達がいた。
「な、ナイトメア団だ―――――――!」
八百屋の店長が叫んだ。
それを皮切りに、続々と悲鳴が上がる。
民子も悲鳴を上げた。吾郎少年も絶叫した。絶叫しながら、吾郎少年は姉の手を掴んだ。
「たいへんだ! 姉ちゃん、とにかく逃げよう」
吾郎は姉の手を引き、その場から逃げ出そうとする。
しかしその行く手は、無慈悲な魔人によって遮られた。
「そうはいかない!」
「なっ! お前は!?」
逃げようとする吾郎少年達の行く手を遮ったのはモーニングナイトではなかった。
現れたのは、二メートル近い巨躯と分厚い脂肪の鎧を身に纏った魔人だった。
「ナイトメア・モンスター第一号、ゴマフアザラシ男!」
「って、なんで初っ端から変り種怪人なんだよ!?」
「変り種でもゴマフアザラシのパワーは本物だ。食らえぃ!」
ゴマフアザラシ男は二人に向かって手刀を振り下ろした。
延髄に一撃を受けた民子と吾郎は、抵抗らしい抵抗も出来ぬまま気絶してしまう。
気を失った二人を、ゴマフアザラシ男専属のモーニングナイトが担ぎ上げた。
「この二人は例のOTAKUを釣り上げるための餌、そしてOTAKUを倒すための切り札だ。傷一つつけることなく運べ」
「メア、メアメアメア!」
「よし、秘密基地に帰還するぞ!」
「メア、メアメアメア!」
ゴマフアザラシ男の号令に、モーニングナイト達はすぐさま頷いた。
かくして、民子と吾郎はナイトメア団の手に陥ってしまったのだった。
◇
民子と吾郎が攫われ、ゴマフアザラシ男達ナイトメア団が商店街を去っていく。
その後ろ姿を、悔しげに見つめる者がいた。
ナイトメア団が現れたとの報を聞き、急ぎ駆けつけたおやっさんだ。しかし、急いで駆けつけたはずの彼の到着は、残念ながらわずかに数秒遅かった。
「あれは吾郎くんと民子ちゃん……くそっ、ナイトメア団め!」
おやっさんは悔しげにすぐ側にあった建物の壁を拳で叩く。
若い頃はかなりの腕っ節の持ち主だったらしい。苛立ちに任せるまま叩かれた壁からは、ポロポロ、と砂塵が落ちてきた。
苛立ちに任せて物に当たるのは、その一度だけだった。
おやっさんは、たっ、と身を翻すと、自らの経営するスナックへと向かった。
◇
――同日、昼。
おやっさんは何やら難しい顔でグラスを磨いていた。
考えているのは勿論、攫われた民子と吾郎のことだ。
二人はいったいどこに連れて行かれたのか。ナイトメア団の目的は何なのか。
考えれば考えるほど、疑問が新たな疑問を呼び、悶々としてしまう。
とにかくいまは精神を落ち着かせねば。冷静な思考力を失ったままでは、打開策など浮かびようもない。
おやっさんはそう考えて、普段と変わらぬ日常を、グラスを磨くという形で再現していた。
と、その時、不意に来客を知らせるベルが鳴った。
はて、本日はもう『閉店』の札をかけておいたはずだが。
顔を上げると、息も絶え絶え、血相を変えた柳也ことタケシが近付いてきた。
「おやっさん!」
「タケシ!」
柳也はカウンターに詰め寄ると、肩で息をしながら、必死に言葉を紡ぐ。
「おやっさん、民子さんと吾郎君がナイトメア団の奴らに攫われたって!?」
どうやら柳也はどこかで民子と吾郎が攫われたという情報を得て駆けつけたらしい。
とるものもとりあえず来たのだろう。青年の額に浮かぶ多量の汗は、彼がいかに気を急いてやって来たのかを窺わせる。
攫われた二人を心配する青年の真摯な想いに触れて、おやっさんは悲痛に顔を歪めた。
「すまん、タケシ。ワシがもうちょっと早く駆けつけていれば……」
「おやっさんのせいじゃないですよ。……それにしてもナイトメア団はいったい何を企んでいるんでしょう?」
「……おそらく、世界征服だろう」
おやっさんの言葉に、柳也が唸った。
真実は当たらずも遠からずなのだが、『悪の組織の目的=世界征服』という等式が、二人の頭の中にはすでに出来上がっているらしい。
柳也はしばし瞑目した後、静かに、しかし並々ならぬ決意の篭もった口調で言う。
「よぅぅし、こうなったら、この俺が、二人を助け出し、ナイトメア団の奴らをドリーム・ピラニア地獄に落としてやる!」
「しかしタケシ、二人を助けようにも居場所が……」
「大丈夫ですおやっさん! 二人の居場所ならば分かります」
「なに!?」
自信たっぷりに言い放った柳也に、おやっさんは目を剥いた。
ついで彼の頭の中でも、〈決意〉と〈戦友〉のイメージ体が目を剥いた。
【あ、主よ、おぬし、まさかアレをやるつもりか!?】
【ご主人様、アレはビジュアル的に大問題が……】
――そんなことを言っている場合か! 二人のピンチなんだぞ!?
柳也は一心同体の神剣二人に叫ぶと、ぐっ、と握り締めた拳を突き上げた。
「いくぞぉっ! “美人さんいらっさ〜いレーダー”、起動!!!」
柳也はそう叫ぶや、禁じ手、美人さんいらっさ〜いレーダーを起動させた。
【もしかしたら忘れているかもしれない読者の皆のために説明しよう。“美人さんいらっさ〜いレーダー”とは我らが主、桜坂柳也の四大特技の一つで、美人であれば老若男女問わず、その位置を特定することができる、極めて特殊なレーダーである!】
【最大有効美人半径は約五〇〇メートル。最大探知美人数は二五二。内同時追跡可能美人数は最大二六。特定位置の誤差範囲は±五センチ。ご主人様、凄いです!】
〈決意〉と〈戦友〉の二人が、読者の皆様に向けて説明する間にも、柳也の変化は着々と起こっていた。
柳也の黒髪が突如として波打ち始めたかと思うや、絶叫する黒い波間から比較的長めの一房が、ニョッキリ、と頭をもたげ、つむじの部分で全長一五センチはあろう搭を築く。身長一八二センチの体躯は、一九七センチへと急成長を遂げた。
そして次の瞬間、柳也の身長は一九五センチへと下がった。塔の先端二センチが直角に折れ曲がり、なんと本物のレーダー端末のように回転を始めたのだ。おそらく美人を捜し求めて特殊な電波を送っているのだろう。
時折、何かの電波を受信してか、塔全体が、ビビビッ、と音を立てて振動する。
それは到底ありえるはずのない光景だった。
常識的な感覚の持ち主であれば、心の病に陥ったとしても不思議ではない。
それほどに、人間離れした柳也の特技だった。
「むむむっ!? 美人電波を受信したぞ。……こっちだぁ!」
柳也は、彼にしか感じ取れない電波に誘われるがままに『フィリア』を飛び出していった。
「頼んだぞ、タケシ!」
おやっさんの力強い声援が、背中に頼もしかった。
<挿入歌>「俺は一万ドリームの男」
作詞作曲:タハ乱暴
唄:桜坂柳也……出来れば子門真人に歌ってもらいたい……
目の前で 美人が泣いている
俺好みの 熟女が叫んでる
助けてくれと 誰か来てくれと
旦那が ピンチなんだと 残念な声
それでも俺は 美人のためなら
たとえ火の中水の中、野を越え山越え谷を行く
俺は 一万ドリームの男
俺は みんなの夢を守る者
桜坂柳也 伝説のOTAKU
みんなが俺の 助けを待ってる
“美人さんいらっさ〜いレーダー”で受信した美人電波を頼りに柳也がやって来たのは、かつてドラゴン・アタック作戦でバーンライト情報部と戦った、あの龍の神殿だった。
「どこだ。どこにいるんだ!? ナイトメア団!」
美人電波を辿ってここまでやって来た柳也だが、彼はナイトメア団のアジトを探せずにいた。
それまで遅滞なく送られてきた美人電波が、ぷっつり、途切れてしまったのだ。おそらく、民子の身に何かあったに違いない。
柳也は周囲を見回しながら、ゆっくりとした足取りで、慎重に辺りを探索した。
同田貫は閂に差して、いつでも一挙動で抜き放てるようにしてある。今回は戦いになることがはっきりとしていたため、基本的な戦闘用装備一式を揃えての出陣だった。
「ナイトメア団の奴らめ、いったいどこに……むぉうっ!?」
突然、柳也が身構えた。
鋭い眼差しは、本殿から少し離れたところにある倉庫のドアに向けられている。
黒塗りのドアには、『ナイトメア団秘密基地その二八七』と、貼り紙が付いていた。怪しいことこの上ない。
「ここだな」
柳也は疑うことなくドアに近付いていった。彼にしては珍しい、浅慮からくる軽率な行動だ。民子と吾郎が攫われたという事実が、彼の心から余裕を奪っていた。
柳也は『ナイトメア団秘密基地その二八七』と、貼り紙の付いたドアをゆっくりと押し開けようとして……。
「……む。引く方式だったか」
いくら力を篭めても開かないことに気が付き、慌てて引いた。
二人が拘引されたという事実は、それほどまでに彼の心から余裕を奪っていた。
◇
『ナイトメア団秘密基地その二八七』は、地下へと続く迷宮だった。
柳也は基地内にいくつも取り付けられていた侵入者迎撃用のトラップと、雲霞の如く押し寄せてくるモーニングナイトの軍団と壮絶な戦いを繰り広げながら、なんとか最深部へと辿り着いた。
『ナイトメア団秘密基地その二八七』の最深部は、ちょっとしたホールになっていた。
数十人が一度にダンスパーティを開いても、まだ余裕のある広間だ。しかしダンスパーティを開くには内装がみすぼらしく、床も壁もアスファルトが剥き出しになっている。
インテリアについても寂しいものだ。柳也は知らないが、万魔殿で使われていたようなランプやクレッセントの類はなく、照明は裸電球が六つ吊り下げられているだけ。不気味な薄暗さはダンスパーティよりもむしろ肝試しの方が似合いそうだった。
極めつけは、客人たる柳也を迎えるべき椅子がないことだった。
広間には椅子がたった二脚しかなく、その二脚ともがすでに埋まっていた。
「民子さん! 吾郎君!」
広間の中央に置かれた椅子には、民子と吾郎少年が縛り付けられていた。
二人の背後にはモーニングナイトが数十体と、ゴマフアザラシ男の姿がある。
柳也は背後の魔人達などお構いなしに二人を助けようと駆け寄って、苦みばしった表情で立ち止まった。
二人が座ることを強制された椅子の足には、それぞれデジタル表示式のタイマーとダイナマイトが括りつけられていた。加えて、背後のモーニングナイトの一人が何やらリモコンのような機械を持っている。
自他ともに認める軍事オタク・桜坂柳也は、すぐにそれが時限式と遠隔操作式の二系統を備えた爆弾であることを見抜いた。
「よくぞここまでやって来たな、桜坂柳也……いや、伝説の悪鬼OTAKUよ!」
ゴマフアザラシ男が、勝ち誇ったように哄笑した。
柳也は訝しげに眉をひそめる。
「伝説の悪鬼OTAKU ? たしかに俺は軍オタだが……」
「ふっ、軍オタなるものが何なのかは知らぬが、その口ぶりからするとやはり貴様はOTAKUで間違いないようだ。待っていたぞ。そして歓迎するぞ?」
「……ふむ。OTAKUなるものが何なのかは知らないが、その口ぶりからすると二人を攫ったのは、俺をおびき寄せるためだったようだな?」
柳也とゴマフアザラシ男は互いに睨み合った。
そして、ほぼ同時に相手に向かって突進した。
柳也は同田貫を抜き放ち、ゴマフアザラシ男はハンマーパンチを振り抜く。
柳也はゴマフアザラシ男の喉元を、ゴマフアザラシ男は柳也のこめかみを狙った。
両者の攻撃が互いの急所を捉え、二人は地面を転がった。
「ぐぅぅ!」
「……ふっ」
先に立ち上がったのはゴマフアザラシ男だった。
喉元に浅い裂傷の痕が見て取れる。分厚い脂肪の層に阻まれて、柳也の一撃は致命打となり得なかったのだ。
反対に米神を思いっきり殴られた柳也は、脳を揺さぶられたか、思うように身体を動かせない様子だ。
「うぐっ……ぐぐぐ……」
「ふふん。伝説の悪鬼OTAKUといえどもこの程度か。……まぁ、無理もないな。貴様が一万ドリーム・パワーの男なら、俺は四万六〇〇〇ナイトメア・パワーの魔人なのだから」
ゴマフアザラシ男は嘲笑しながら、いまだ床と頬を擦り合わせざるをえない状態の柳也に近付いた。
うつ伏せに倒れた彼の背中に、右足を乗せる。
そしてそのまま、何度も、何度も彼を踏みつけた。
一撃、一撃を叩き込む度に、柳也の口から血の塊が飛び出す。
「ぐぅっ!」
「タケシさん!」
「タケシ兄ちゃん!」
吾郎と民子、そして柳也が悲鳴を上げた。
ゴマフアザラシ男はニヤニヤ笑いながら、足下の柳也に言い放つ。
「どうだ、OTAKU ? 取引をしないか?」
「う…うぅっ……取引だと?」
柳也はようやく言うことを聞き始めた身体を必死に動かし、悔しげにゴマフアザラシ男を見上げた。口の中を切ったか、一言々々を紡ぐ度に、唇の端から鮮血が糸のように滴る。
最強の悪夢魔人は、勝者の余裕を表情に浮かべ、「ああ」と、頷いた。
「もともとそこの二人は関係ないんだ。どうだ? お前が代わりにあの椅子に座れば、あの二人を解放してやるというのは?」
親指で示された民子と吾郎の姉弟は、同時に目を剥いた。
「そんな!」
「駄目ですっ、タケシさん、そんなやつの言う事を信じては駄目!」
「…………」
柳也は民子と吾郎に目線を送った。
ゴマフアザラシ男との実力差は圧倒的だ。そのことは先の一撃からもはっきりとしている。このまま単独で戦いを挑み続けても、自分が勝てる可能性は万に一つもないだろう。
どう足掻いても状況が好転しないのであれば、せめて二人を助けねば。
柳也の決断は、素早かった。
「……信じていいんだな?」
「勿論だ。我々ナイトメア団の理想は人間の心に真なる平穏を与えること。殺生が目的ではない」
「……わかった」
柳也が頷き、民子と吾郎が悲鳴を上げた。
二人は喧々囂々、ゴマフアザラシ男と、モーニングナイトを非難する。しかし、所詮は弱者の遠吠え。ナイトメアの魔人達は歯牙にもかけず、二人の縄を解いた。
姉と弟は、当然抵抗を示した。
しかし人を超え、柳也さえも圧倒するナイトメアの魔人達にとって、女の民子と子どもの吾郎の抵抗はあまりにもささやかだった。
そして柳也は、二人の代わりに椅子に縛り付けられてしまう。ダイナマイト付きの椅子に。
「タイマーは五分だ。せいぜい余生を楽しみな」
ゴマフアザラシ男がニヤリと笑った。
モーニングナイトの一人が、タイマーを作動させる。デジタル式のタイマーが、コンマ〇一秒刻みでカウントを始めた。
ナイトメア団は民子と吾郎を連れたまま、柳也に瀬を向けた。
「あばよ」
「離せ、離せよチクショー!」
「タケシさん、タケシさ――――――ん!!」
吾郎が叫んだ。民子も叫んだ。
その声に対し、柳也は何も反応も示さなかった。
何も答えられなかった。
答えるだけの体力を、彼は失っていた。
◇
「……そろそろ時間だな」
ゴマフアザラシ男が呟いた。
地上に退避したナイトメア団の魔人達は、基地にいた負傷者も含め一〇〇人に膨れ上がっている。そして彼らに囲まれる形で、民子と、吾郎はいた。二人ともナイトメアの魔人達に抵抗出来ぬように押さえつけられている。
吾郎は涙をこらえて歯を食いしばり、倉庫を、じっ、と見つめていた。
その隣で民子は、両手を合わせ、祈るように目を閉じている。
いまは亡きラキオスの守り龍に、奇跡を願っているのか。
しかしそんな彼女の切なる祈りを、ゴマフアザラシ男は嘲笑った。
「無駄だ。アジトに仕掛けたダイナマイトはあの椅子に取り付けた分だけではない。アジトの各所に、最も効果的に爆炎が広がるよう計算していくつも配置されているのだ。あの男は爆発の炎から逃れられん」
ゴマフアザラシ男の一言が、最後の希望を粉々に砕いた。
「時間です」
モーニングナイトの一人が、淡々と呟いた。
次の瞬間、彼らの足下が激しく揺れ始めた。
地震だ。おそらく、地下の爆発が始まったのだろう。爆発が新たな爆発を呼び、やがて轟音が、地上のみなの耳朶を打つ。
そして、魔人達の見守る中、倉庫が爆発した。
<あとがき>
タハ乱暴「……ハイ! というわけで前回のあとがきで予告した通り、今回こんな話になりました」
北斗「よし。とりあえず謝れ、タハ乱暴」
タハ乱暴「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……ゼッハッゼッハッ……」
柳也「ったく、いつものアセリアAnotherもぶっとびだけよ、今回はやりすぎだぞ? っていうか、何だ今回の俺は!? あれじゃまるで変態じゃないか」
北斗「……いや、アセリアAnother本編まんまだったぞ、あの変態ぶりは?」
柳也「うぇぇえ??!!」
タハ乱暴「いや、むしろこっちが本性かな」
柳也「何だってぇ?!」
北斗「タハ乱暴の息子だ。特撮ヒーロー属性はデフォルトで搭載されているかな。……さて、読者の皆様、ご無沙汰しております。今回も永遠のアセリアAnotherをお読みいただき、ありがとうございました!」
タハ乱暴「今回の話はいかがでしたでしょうか……って、訊けるような出来じゃねぇなぁ、これ。完全に作者の趣味に走っているよ」
北斗「しかも前後編ときている。これで読者が減らなければいいがな」
タハ乱暴「あふん! そういうこと言わないで。……内心、心配してるんだから」
北斗「この小心者め。……で? 今回は基本オリキャラのみの構成だったわけだが、あの、おやっさんについて、何か申し開きすることはあるか?」
タハ乱暴「いやぁ、この話のノリを考えると、やっぱりおやっさんははずせないよ。おやっさんは。あと、民子さんも」
柳也「民子さん……あれは良いふとももだった。百人に一人のもち肌の持ち主だ」
リリィ「じ〜〜」
柳也「はっ、殺気!」
北斗「リリィ君といえば今回の話でギャグパートにおける突っ込み役が定着したな。咄嗟の事態に対しては素を出してしまう。密偵らしかぬ密偵だが」
タハ乱暴「まぁ、その辺はサービスだよ。出番の少ない彼女への」
北斗「出番が少ない人間へのサービス……それならば、なぜ、俺はいまだに本編に……」
タハ乱暴「きみ、皆勤賞でしょうに。いや、あとがき限定だけど」
北斗「まぁな。しかし、今回も出たな、斉藤君」
タハ乱暴「うん。出ちゃったねぇ、斉藤君。『幸せの音色』、『悪の秘密結社の休日』に続いて三度目の登場。そして今回ゴマフアザラシ男に大変身!」
北斗「……彼はいったい何者なんだ? 『幸せの音色』では不良、『悪の秘密結社の休日』では両親が離婚しているということが明らかになったが」
タハ乱暴「んう? 柊園長の甥っ子だよ」
北斗「…………そんな美味しい設定のキャラを単発で出すんじゃない!」
柳也「ちなみに『悪の秘密結社の休日』で斉藤が言っていたもう一人の男は俺のことなのさっ。……さて、永遠のアセリアAnother、EPISODE:34、お読みいただきありがとうございました!」
タハ乱暴「次回もお付き合いいただければ幸いです。いや、ホント、マジで!」
北斗「ではでは」
<おまけ>
今回はおまけはありません。下手すると誰も読んでいない可能性があるので……
思わず、フランスパンの所では同じ突っ込みを入れてしまった。
美姫 「でも、異世界なのにフランスパンという名前があるというのは凄いわよね」
だよな。こういパンという説明をして似たようなのが出てくるんじゃなく、フランスパンで通じるとは。
ラキオスのパン屋、恐るべし。
美姫 「今回はパン屋以外もすごい事になっているけれどね」
前回のあとがきで言ってたのを思い出すまで、思わず今回は34話じゃなくて番外編かと確認してしまったからな。
後は、夢オ……ぶべらっ!
美姫 「それはまだ口にしない方が無難よ」
ですね。しかし、特撮は知らないけれど、ついつい読み耽ってしまいました。
美姫 「このまま柳也は爆発に巻き込まれて……なんて事になったりはしないわよね」
一体、どうなるんだろう。次回も待っています。
美姫 「待ってますね」