――聖ヨト暦三三〇年、エクの月、青、いつつの日、朝。
条件付きではあるが、佳織との対面が許可された。
その一報を受けた悠人と柳也は、喜び勇んで謁見の間へと向かった。
エトランジェに対する強制力を持つレスティーナの監視下で、しかも短い時間とはいえ、佳織と会えるならばそのような条件はいささかも気にならない。
――佳織に会える……!
特に悠人の喜びようは凄まじく、謁見の間への道中、柳也が何を話しかけても上の空で、生返事を返すばかりだった。
謁見の間へと続く廊下を歩いている時でさえ、すでにその心は佳織にしか向いていないようだった。連絡を受けてから摂った朝食の時も、味などほとんどわからなかったに違いない。
だがそれは柳也とて同じことだった。悠人にとって佳織は大切な義妹だが、柳也にとっても彼女は大切な幼馴染だ。
無事でいるだろうか。痩せ細ってはいないだろうか。
オルファの話から酷い目に遭っていないとわかっていても、自分の目で確認しないと安心できない。
悠人の手前、平静を装う柳也だったが、その足は自然勇み足にならざるをえなかった。
二人は謁見の間に勢いよく駆け込んだ。
多少荒くなった呼吸を整え、前を見る。
そこに、佳織がいた。
「佳織……」
「お兄ちゃん……」
最後に顔を合わせた時とまったく変わっていない。
特別やつれた様子もなく、悠人の姿を認めるなり、瞳を潤ませて、走り寄って来た。
「お兄ちゃん……お兄ちゃん……っ!」
急速なデジャブが、悠人を襲った。
かつてオルファに抱きつかれた時と同じように、しかしあの時とは比べ物にならない感動を伴って、小柄な身体が飛びついてきた。
悠人はその身をしっかりと抱き留めた。衝撃で、少し大きめの眼鏡が佳織の顔から滑り落ちる。だがそれは、床に落ちる寸前のところで柳也が掴み取った。普段落ち着いた言動や態度の目立つ佳織にしては珍しい、大胆な行動だ。しかしそれだけに、彼女が感じている喜びが伝わってきた。
「佳織……大丈夫だったか……?」
「……っ、うんっ」
無事でいてくれた。
その事実が嬉しくて、悠人は佳織を強く抱きしめた。
佳織も、悠人の力に応えるように、義兄の胸に顔をうずめた。
「ごめんなさい……ごめんなさい、お兄ちゃん……」
「……っ!」
佳織の腕に、より強い力が篭められる。
突如として紡がれた謝罪の言葉は、義兄を戦場に向かわせている原因が自分にあることへの、自責の言葉だった。
――でも、違うんだ……。
佳織が囚われの生活をしているのは自分に責任がある、と悠人は唇を噛んだ。
無意識だったとはいえ、あの飛行機事故の時に〈求め〉の力を借りてしまったことが、そもそもの原因なのだ。
「……ごめんな、佳織」
「…………っ!!」
しかし悠人の言葉に、佳織は激しく首を横に振った。
くぐもった声で、小さな泣き声が聞こえた。
「そんなことしてたら……お兄ちゃん、壊れちゃうよぉ……」
二度目のデジャブが、悠人を襲った。前にも同じようなことを言われた記憶が蘇った。
悠人はかたわらの柳也を見た。
柳也は兄妹の再会に気を遣ってか、一歩退いた場所で優しい眼差しを向けている。
――……そうだ。俺には、こんなにも心強い味方がいる。こんなにも、俺のことを思ってくれる人が、二人もいるんだ。
右も左もわからない異世界に放り出されて、弱気になっていた。
しかしそんな自分を、いつも支えてくれた友がいた。
そしてそんな自分のことを思って、こうして涙を流してくれる家族がいる。
ならば、今度は自分の番だ。
「佳織……大丈夫だから」
そっと背中を撫でてやる。
「俺は、大丈夫だから」
細かく上下する肩、それが少しでも収まるように撫でさすった背中は、驚くほど小さかった。
――佳織……こんなに小さかったっけ。
いつも自分の世話を焼いていた、しっかり者の義妹。
それが、いまでは見る影もない。
――当然だよな……こんな、世界に放り出されて。
そして、それは確実に自分の責任だ。
柳也も、佳織も、自分が巻き込んだようなものだ。
「お兄ちゃん……」
自責の念にかられる悠人を、不安げに見上げてくる佳織。
実際の年齢よりもはるかに幼く見えるいまの義妹の顔を見て、悠人は改めて決意する。
――俺はどうなってもいい……佳織のためなら、この手が汚れようとかまうもんか!
それが正しいとは思えない。
しかし、他に佳織を助ける方法がないのなら……。
――それならきっと……俺は……。
なにがあろうと、佳織を守る。
佳織の笑顔を守るためなら、なんだってしてやれる。
「なぁ、佳織」
「……グス、ぅ…ん?」
「オルファに聞いたんだけど、もうこっちの言葉とかバッチリなんだろ?」
「え……」
突然、口調と話題を変えてきた悠人に、佳織が目を丸くした。
「凄いな。俺なんか、まだ結構危ないのにさ」
わざと冗談めかした口調。
いつまでも佳織に暗い顔をしてもらいたくはなかった。
――佳織と、佳織の笑顔のために、戦おう。それが、どんなに苦しくても……
ただ、それを悟られたくはない。
佳織は自分の妹には勿体ないくらい優しい娘だから、きっと責任を感じてしまう。
だから、自分は明るく振舞わねばならない。
「フルートの練習とかはやってるのか? 見慣れない食べ物が出ても、好き嫌いとかはするなよ」
胸元までしかない頭を撫でる。
いつもの帽子の柔らかな感触が、奇妙に手に馴染んだ。
「私は……平気だよ」
佳織は、笑って言った。
無理をしているのは明らかだったが、それは確かに微笑みだった。
「うん、大丈夫……。お兄ちゃんこそ、好き嫌いしないで食べてる?」
「……勿論さ」
「なあに、いまの間は?」
「……ふっ」
それまで二人のやり取りを見守っていた柳也が、不意に噴き出した。
からかうような口調で、二人の会話に初めて参加する。
「リクェムが苦手なんだよな、悠人は」
「リクェム……って、あのピーマンみたいなの?」
「そう」
「……」
「う……」
咎めるような眼差しが顎先を襲い、悠人は居心地が悪そうに目線をそらした。
「ダメだよ、お兄ちゃん。好き嫌いしないで、ちゃんと食べなきゃ」
「あ〜…うぅ〜……あれ、苦手なんだよな。風味といい、食感といい」
悠人は途端頬を引き攣らせ、どんよりとした呟きをこぼした。
「もう……」
だが、相変わらずの好き嫌いを見せる義兄に、佳織は小さく笑いかけた。
「あまり、エスペリアさんたちに迷惑かけちゃダメだよ?」
「……任せろって。俺、こっちに来てからはしっかり者なんだからさ」
「ふふ……本当かな?」
佳織は柳也に目で語りかけた。
数ヶ月ぶりに再会した幼馴染の間に、多くの言葉は必要なかった。
柳也は肩をすくめ、ふふん、と鼻を鳴らした。
「さあて、あの体たらくを、しっかり者と呼ぶべきなのかは、非常に疑問の残るところだなぁ」
「……そこは嘘でもその通りって、言ってくれよ」
ニヤニヤと笑う柳也に、悠人は恨めしげな視線を送った。
しばらく無言で見つめあう二人。やがてどちらからとなく噴き出し、クスリ、と微笑む。
かつては現代世界で何度となく行った当たり前のやりとり。その当たり前のやりとりが悠人には、そして柳也には嬉しかった。
「あはは……」
佳織は嬉しそうにはにかんで、小さくかぶりを振った。
「でも信じるよ、お兄ちゃん…。だから……だから……あ……」
再び、佳織の瞳から涙がこぼれ始めた。
悠人達からそれを隠すように、佳織は義兄の胸に頭を押しつけた。
「お兄ちゃん……だから、だから、ね……」
言葉が、続かない。
何を言うべきなのか、わからないのかもしれない。
だがそれは悠人とて同じだ。
久しぶりの再会を果たして、言いたいことはたくさんある。しかし限られた時間内では何を言っていいのかわからない。
だから、言葉よりもまず行動で示した。
ありったけの思いを篭めて、悠人は佳織を抱きしめた。
せめて、その震えが止まるように。
強く。強く。
「佳織……帰ろう。絶対に」
「……うん」
悠人の言葉に、佳織は小さく頷いた。
「帰って……一緒にご飯食べて……それから、いっしょに遊ぼう……」
うずめていた顔を上げ、涙の溜まった瞳を向ける。
「お寝坊だって、ちょっとだけ許してあげるから、ね?」
「ああ!」
悠人は決然と頷いて、佳織の頭を、ポン、と軽く叩いた。
「瞬の秘密基地のことは、憶えているか?」
柳也はそう呟いて、佳織に眼鏡をかけてやった。
フレームの位置を整えながら、幼馴染に向かって微笑みかける。
「全部終わったら、もう一度、あの秘密基地に行こう。実は、神社の裏に、水垢離にちょうど良い滝壺を見つけたんだ」
「水垢離、ですか……?」
「べつに修行しなくてもいいからさ。滝の流れる音を聞きながら、晴天の下で弁当を食べるっていうのも、風流だと思うぜ?」
「……はい。ぜひ!」
「その時は碧や岬も呼ぼうぜ? 勿論、悠人もだ。……俺としては佳織ちゃんと二人きりのデートでも構わないが」
「それは……ちょっと……」
「ぐっはぁッ……」
佳織の容赦ない一言に、柳也は肩を落として落ち込んだ。
無論、本気ではない。
その証拠に、落ち込む柳也の口元は笑っている。
そして一方の佳織の口元にもまた、楽しそうな笑みが浮かんでいた。
会えなかった空白の時間を埋めるように、幼馴染は静かに笑い合った。
◇
その時、奥の扉からレスティーナが出てきた。
――あれ……そういえば、レスティーナの監視下にいなきゃいけなかったんじゃ……?
もしかして、気を利かせてくれたのだろうか。
しかし、それを王女の表情から窺い知ることはできなかった。
『……時間です。カオリ、こちらへ』
『………………』
長い沈黙の後、佳織はこくりと頷いた。
悠人も柳也も、出来ることなら、このまま佳織を連れて逃げ出したい気持ちだった。
しかし、そうしたところでいまのままでは確実に捕まってしまうだろう。
自分は〈求め〉の強制力で王族に逆らうことができない。そんな悠人を、柳也や佳織が放っておけるとは思えない。自分の迂闊な行動で、柳也や佳織の立場が悪くなったら……想像するだけで、恐ろしかった。
悠人は膝を曲げ、わずかに赤くなった佳織の目を正面から見据えた。
「大丈夫だ、佳織。きっと、またすぐ会えるって!」
「お兄ちゃん……うん」
佳織は頷いてくれた。
悠人はそのまま視線を奥のレスティーナへと転じた。
『……佳織のこと、頼む』
『安全は保証しましょう』
『……その言葉、信じていいんだな?』
『…………』
冷徹な紫水晶の眼差しが、柳也の目を正面から見据えた。
本当に信用に足るかどうかは、悠人にも、柳也にも判断がつかない。
しかし、それでもいまは、この女の言うことを信じる他なかった。
柳也は自分から目線をはずすと、レスティーナに、そして佳織に向かって頷いた。
『……わかった。信じよう』
悠人と柳也は、そのまま二人に背を向けた。
絶対に佳織を守る。その決意を胸に、二人のエトランジェは謁見の間を後にした。
永遠のアセリア
-The Spirit of Eternity Sword Another Story “Twin Edge of Protection”-
第一章「有限世界の妖精たち」
Episode27「品定め」
――聖ヨト暦三三〇年、エクの月、赤、ひとつの日、朝。
週始めに行われる大臣各位を集めての定例会に、本来ならば出席する権利を持たない男達がふたりいた。
スピリット隊隊長高嶺悠人と、副隊長の桜坂柳也だ。
家畜以下のエトランジェの二人だったが、実際に戦闘を指揮する隊長格とあって、またリリアナやダグラスの口利きもあって、本日の会議から出席を許されるようになっていた。
といっても、出席を許されたからといって特にすることはない。
一応、会議の参加者として席に着いてはいるが、発言権はないも同然だった。
特に、悠人などは異世界の政治の話になどまったく興味がなかったから、会議などただ座っているだけの単調な作業でしかない。座禅を組んでいるわけでもないから、精神修練にもならないお粗末ぶりだ。
他方、柳也は異世界の政の様子を興味深そうに眺めていた。
まるでショーケース越しに欲しい玩具を見つけた子どものように、キラキラ、と瞳が輝いている。たしかに柳也にとって政治の世界は、玩具のように魅力あふれるものだった。
なんといっても、そこには人間社会の縮図がある。
第三者の視点に徹することができれば、政界の動きというのは戦争についで面白い見世物だった。
いま、会議の席では議論が伯仲していた。先の魔龍討伐作戦で得たマナの配当を巡って、各大臣が一歩も引かぬ論争を繰り広げていた。
リクディウスの守護龍を討伐することによって解放されたマナは、慎重に測定を行ったところ、ラキオスが年間に産出する総マナ量の六割にもなんなんとする圧倒的膨大量であることが判明した。現代世界の日本で例えれば、突如として三〇〇兆円近い、自由に使えるカネが出現したようなもので、各省庁のトップ達は当然これを欲しがった。
勿論、軍の作戦によって得たマナだけに、配当の優先順位は軍にある。しかし当の軍でもこれほど膨大な量のマナは手元に置いても持て余すだけらしく、結局、軍は解放されたマナの半分の取得権を主張し、それが認められたことに満足した。
問題は残る半分のマナの割り当てだった。
半分といっても年間産出の三割近いマナだけに、取得権を巡っての攻防は熾烈を極めた。単純に均等分配ができれば話は簡単だったが、政治の世界はそうはいかない。
大臣達は隙あらば、暇あらばといった勢いで、分配の決定権を握る国王に向かって唾を飛ばした。
ある大臣は自らの省庁で推進している計画を披露し、その有用性を広くアピールして国王の心の琴線に訴えかけた。
ある大臣はあえて自らの省庁が抱えている問題を晒し、その窮状を訴えて、国王の同情を誘おうと言葉巧みにストーリーを広げていった。
しかし、自分自身と己の野望を成就することにしか興味のないラキオス王の心を動かすのに、それらの主張はほとんど効果を挙げなかった。それどころか、少しでも王の気を引こうとしてか無駄に長い話の連続に、国王はうんざりし始めていた。
遅々として進まぬ会議の様子に、すでに主張が認められて満足している軍人にまで意見を求める有り様である。
しかし、各分野については門外漢の軍人達から、有効な意見が出ることはなかった。
『サムライは何かないか?』
ついにはエトランジェの自分にまで意見を求める体たらくだ。
剣術一本で現在の地位にまで上り詰めたとはいえ、武者修行で諸国を巡ったことのあるリリアナと異世界からやって来た自分とでは、世間知らずの度合いは明らかだというのに。
柳也は自分の隣に座る悠人を見た。心ここにあらずといった様子で、ぼうっ、と会議の成り行きを見ている友人から、何か有力な言葉が出てくるとは到底思えない。
柳也は肩をすくめると、まず国王を見て、それから周りの大臣達を見た。
エトランジェが発言するなど生意気な、という険悪な視線が、集中するのがわかった。
この剣呑な眼差しの集中砲火の中でたったひとり弁舌を振るうことは、かなり楽しそうだった。
柳也はニヤリと冷笑を浮かべて右手を挙げた。
周囲からの視線に、さらなる険が宿ったのを実感した。
しかし柳也はそれらの視線を無視して立ち上がった。
『軍人としての観点から申し上げるなら、まず交通整備に使っていただきたいものですな』
柳也は厳しい視線の集中砲火の中、きっぱりと言い切った。
自分を見つめるラキオス王とダグラス、リリアナ、そして七十歳の交通大臣の眼差しが鋭いものになった。
『効率の良い兵站のため、ひいては効率の良い物流のためには、技術の進歩はもとより、良好な交通条件が必要不可欠ですから』
兵站(logistics)術という言葉を最初に発明したのは十九世紀のフランスの軍事理論家アントワーヌ・アンリ・ジョミニ将軍だとされる。1830年代にジョミニ将軍が著した著作「The Art of War」において、兵站術は『軍隊を動かす実際的方法』と定義された。十九世紀も後半になるとジョミニの兵学理論は米国で関心を呼び、第二次世界大戦以降、logisticsという言葉は西側世界に普及するようになっていった。現在ではこの単語は、軍事の現場のみならず一般社会でも頻繁に用いられる言葉となっている。
『道路状況の改善は軍事的にも、また経済的にも大きなメリットを生じさせるでしょう。物流システムの効率化は軍隊にとっての兵站を容易にし、商工業を活性化させます。また、大規模に道路を整備するとなれば、それは大きな事業です。私は経済の専門家ではありませんが、公共事業にたずさわる民間への投資が国の所得に繋がるのは、我々の世界では経済学の初歩の初歩です』
『ふむ……エトランジェの意見はもっともだな』
自ら通産大臣として有限世界の物流の現場を目の当たりにしているダグラスが、興味深そうに呟いた。
有限世界にはいまのところ経済学と呼べる学問は成立していないが、この男の頭の中ではすでにそれに近い理論が構築されているらしい。柳也が引用したのはケインズ経済学の最も基礎的な理論だが、それに賛意を示している。
興味深そうに柳也の話を聞くのはリリアナも同様だった。
先述したように兵站戦の概念は柳也達の世界でも十九世紀になってようやく本格的な研究が始められた分野だ。暗黒の時代といわれた中世文明レベルの軍学しか知らない有限世界の騎士にとって、なるほど兵站術というのは新鮮な考え方だろう。
それはラキオス王にとっても同じだったらしい。もう少し詳しく話してみよ、と目で問うてくる国王に、柳也は目線で『あとでじっくりと』と、答えた。定例会の場を軍学の講義の場にするつもりはない。
『ついで優先していただきたいのは農業分野への投資です。腹が減っては戦はできぬ……とは、我々の世界において軍事史上最高の天才の一人として数えられた将軍の言葉ですが、満足に飯も与えられていない兵士が戦えるわけがありません。これは先ほど申し上げた兵站分野にも帰属する問題です。交通整備と併せてお考えください』
理想としては各省庁が軍部と一体になって作業を進めることだが、さすがに柳也も現時点ではそこまでは望んでいない。
『あとは新しい技術の研究や、公共施設の建築に使うのがよいかと思います。国民の生活水準を向上させるために使ってもよいでしょう。いざという時のために貯蓄しておくも一つの策かと思います。……とにかく、ラキオスの国力を増大するために使うべきでしょう』
『他に何か意見はありますか?』
五十五歳の教育大臣が居並ぶ全員の顔を見回した。
教育省では、マナを直接与えられたところでいきなり国民の教育水準が上がるわけでもなく、実際的な利益が薄いことから必然、今回の定例会の司会進行を任されていた。教育省では、マナよりも予算の方が尊い。
教育大臣はみなの顔を二度三度と見回したが、誰からも意見がないことを確認すると、ラキオス王のほうへ向き直った。
『意見は出尽くしたようです、陛下』
『うむ』
重々しく頷いたラキオス王の次の言葉を、その場にいる誰もが待った。
各省庁の大臣達がどんなに自分達の大義をかざそうと、最終的な決定権はこの初老の男が握っている。
『……本日の定例会での意見検討を踏まえ、さらに財務省の会計士との検討を重ねた上で、再来週の定例会までに結論を下す。本日の会議は、これまで。以上だ』
その言葉が終わるやいなや、会議の場には、ほっ、と安堵の空気が充満した。誰も今日一日でそんな重要な事柄が決議されるとは思っていない。しかし、緊張した空気からの開放感から、誰もが明るい面持ちをしている。
柳也の隣に座る悠人も、ようやく終わりだ、と、長時間同じ姿勢を取っていたために凝った肩や首をぐるぐる回していた。
だが、悠人達エトランジェ、ひいてはリリアナを含む軍人達は、いまだ緊張した空気から脱することを許されなかった。
『なお、リリアナ・ヨゴウ剣術指南役とエトランジェ二名、それから上級将校各位はこの場に残ること。……エトランジェ・リュウヤの言う兵站戦について、とっくり耳を傾けようではないか』
悠人の苦行は、まだまだ続きそうだった。
◇
――同日、昼。
ラキオス王らへの兵站戦の講義が終わってから二時間後、昼食を摂り終えた柳也は、ダグラスの執務室へと招集を受けた。
執務室に足を踏み入れると、そこにはダグラスのみならず、リリアナ・ヨゴウ、リリィ・フェンネスの二人の姿もあった。
柳也は例によってトラップの有無を確かめてからソファに腰掛けると、リリアナ、そしてダグラスと向かい合った。リリィの位置は先回のラキオス王との三者会談の時と変わらず、自分の左側だ。
柳也はダグラスの淹れてくれた紅茶を飲みながら左隣のリリィの顔を、チラリ、と盗み見た。実はリリィとはあの夜から今日が初めての顔合わせとなる。
処女を奪った男に対して彼女がどのような感情を抱いているか、柳也としてはたいへん気になることだったが、当の本人は相変わらずの無表情を貫き通していた。あの夜、ベッドで乱れていたのが嘘のような平静さだ。
しかし、柳也はその平静な態度が作られたものであることを見抜いていた。
――仕事の時は私情を挟まない。プロ意識か。
柳也はそんなリリィの態度を好ましく思う。どんな業種であれ、一つの物事に真剣に取り組んでいる女性は美しいものだ。きらきらと輝いて見える。
リリィのことはさておき、柳也は目線をダグラスに向けた。
リリアナの手前、一応、敬語を使っておく。
『本日はいったいどのような御用向きですか? プライベートな内緒話には少し早い時間帯ですが』
『秘密にする必要のない話なのでな。この時間帯に呼ばせてもらった』
そんなことはわかっている。リリアナ・ヨゴウがこの場にいる時点で、これが密談でないことはすぐにわかった。リリアナは高潔な騎士だが、あまりにも単純すぎる性格をしている。秘密の内緒話が出来、その秘密を保持していられるほど器用な人間ではない。
『今日は以前お前が話していた近代戦術とやらの採用について、伝えておかねばならぬことがあってな』
ダグラスの話は、要するに自分にその異世界の近代戦術についての講義を行え、とのことだった。
『今日の兵站戦もそうだが、リュウヤの話すハイペリアの戦術はこの世界の誰もが触れたことのない代物だ。エトランジェと蔑んではいても、内心ではその内容に興味を抱いている軍人も多い。そこで異世界の戦術について論じる専門の時間を設けてほしいと、ヨゴウ剣術指南役から申し出があったのだ』
ダグラスはそう言ってから、隣のリリアナに目線を向けた。
リリアナはひとつ空咳をしてから、柳也を見た。
『サムライ自身は気付いているかどうかわからぬが、ゲッドバック作戦以来、サムライを見る軍の目つきは明らかに変わっている。口ではエトランジェと罵っていても、その実、腹の底ではハイペリアの戦術に興味津々だ。私自身、そうだ。なにかと忙しい時期かとは思うが、是非、ここはひとつ教授願えぬだろうか?』
リリアナの眼は、まるで剣術の立会いをしている時のように真剣だった。それでいて未知の戦術に対する好奇心に輝いていた。
柳也が答えを下すまでに、数秒の沈黙があった。
だが深く考えるまでもなく、柳也の中ではすでに結論が出ていた。ラキオスの軍人に自分が戦術を教えるというシチュエーションは非常に楽しそうだったし、これは他ならぬリリアナ・ヨゴウの頼みだ。断る理由はなかった。
『わかった。引き受けさせてもらうよ』
柳也は二つ返事で引き受けた。
『そうか。了解してくれるか!』
リリアナの顔がぱっと輝いた。
『講義のための細かい段取りなどはダグラス閣下が引き受けてくださった。詳しくは閣下に聞いてくれ』
リリアナが隣に座るダグラスを示して言った。
なるほど、それでリリアナではなくダグラスから呼び出されたわけだ。たしかに、そういった事務処理はリリアナよりもダグラスの方が得意だろう。
『ダグラス閣下は私の申し出に賛意を示し、快諾してくださった。まこと懐の深いお方だ』
『いいや、ヨゴウ剣術指南役の熱意に動かされただけです。それにハイペリアの戦術を習うことは、ラキオスのためになりましょう』
――ついでに弁舌のほうも風見鶏の方が一枚……いや、三枚は上手か。
早速柳也はダグラスと細かい打ち合わせに入ることにした。
といっても、講義の段取りはリリアナの言葉通りダグラスがほとんどやってくれるとのことなので、柳也が考えるべきは講義の内容と、受講者の選別くらいのものだった。
『参加者は希望者のみの志願制としよう』
『それが正解でしょうね。日頃、エトランジェと蔑んでいる軍人連中に出席を強制させたところで不満が溜まるだけだ』
『ただし志願制にすると面子を気にして出席を渋る者が出てくるかもしれん』
『問題はそれですね』
柳也が渋い顔で頷いた。軍人というのは面子を何よりも大切にするきらいのある生き物だからだ。
第二次世界大戦中、米太平洋艦隊には第三艦隊と第五艦隊の二つの艦隊があった。これだけ聞くとこの時代、太平洋には艦隊が二セットあったように思えるが、実際にあったのは一セットだけだった。これはウィリアム・ハルゼーが司令官を務める時は第三艦隊、レイモンド・スプルーアンスの時は第五艦隊と番号だけを付け替えて呼んでいたためである。こうすることで、「奴の後任とは侵害」とか「奴のために更迭された」という揉め事が起こらない。同じことではないかというのは軍人の精神構造が理解できないからで、つまり軍人とはそれほど気難しい生き物だと言えた。
『この際、そういった輩は無視してよいだろう。面子を気にするような輩は講義の評判が高まるにつれて自然と足を向けてこよう』
『だとよいのですが……』
『助手にはリリィを付ける。何でも命じろ。必要な資料があれば、このリリィを通じて私か、ヨゴウ剣術指南役に連絡しろ』
ダグラスは柳也の左隣に座るリリィを顎でしゃくって言った。
リリィが、控え目に口調で「よろしくお願いいたします」と、頭を下げる。
なるほど、ダグラスにとってこの講義は、自分とリリィを組ませる目的もあるわけだ。
柳也は「よろしく」と、口にして、リリィに左手を差し出した。体を重ねた間柄とはいえ、情を交わした相手ではない。右手はいつでも刀の柄に伸ばせるよう、余分な力は抜いて体側に添えていた。
リリィが左手を握り返し、ダグラスが満足そうに両者の顔を見回した。
そのシニカルな冷笑が、いまの柳也にはたまらなく不快だった。あの夜以来会っていなかったのは、リリィだけではない。処女のリリィを差し向けたこの通産大臣とも、今日の定例会が久しぶりの顔合わせだったのだ。訊きたいことはたくさんあった。もっとも、リリアナがいるため、あの夜のことについて、質問などできるはずがなかったが。
『……それで、最初の講義はいつやりましょう?』
柳也は湧き上がる憤りをぐっと押し殺し、ダグラス、そしてリリアナを見た。
ダグラスは、平然とした口調で、
『明日にでも行ってくれ』
と、言ってのけた。
風見鶏と呼ばれる通産大臣は、非常にせっかちだった。
◇
――聖ヨト暦三三〇年、エクの月、赤、ふたつの日、昼。
ダグラスが用意してくれた教室は五十人ほどが一度に聴講できるだけの椅子と机、そしてそれを並べられるだけのスペースがあった。
壁の一面には大学の講義で使うような巨大な黒板が設けられ、その前には教卓、そして教壇がある。柳也達の世界でいうところの学校の教室と、ほとんど変わりない造りだった。
午前中の訓練を早めに切り上げ、講義開始時刻の十五分前に入室した柳也は、思いの他出席率が高かったことにまず驚いた。
講義開始十五分前の時点で、すでに二十脚近い椅子が埋まっていた。出席者の中には、リリアナやセラス・セッカといった見知った顔ぶれもある。当初はリリアナを含めて十人集まれば上出来と予想していただけに、その二倍近い出席率に柳也は素直に驚いていた。
もっとも、よくよく出席者達の顔を見てみると、驚きは納得へと変わった。
出席者は全員が軍人というわけではなく、その半分近くが軍人以外の公務員によって占められていた。おそらく各省庁の大臣達の命令で派遣されてきたのだろう。
異世界の戦術講義と銘打ってはいるが、これはハイペリアの文化・歴史を知る絶好の機会だ。戦術論よりも、そうしたハイペリアの情報を入手しようという輩が紛れ込むのは、講義の開講を決意した段階で予想されたことだった。
その気になれば、敵国のスパイでも潜入は容易だろう。
なにしろ希望者は原則全員参加が可能だから、下手に追い返すわけにもいかない。
もっとも、スパイが相手となれば自分の優秀な助手が黙っていないだろうが。
驚いたことはもう一つあった。
聴講する生徒達の中に、赤スピリットの姿があったのだ。軍人達のグループが座る位置から少し離れた席に一人ポツリと座っており、丸い眼鏡越しに真剣な眼差しをこちらに向けている。年齢は柳也よりも少し年上か。エスペリアと同世代くらいで、スピリットらしく眉目秀麗。静謐に整った細い眉の下、意志の強さを想像させる大振りな瞳の輝きが、なんとも魅力的な少女だった。
『……うむ。思わず恋をしてしまった』
『……リュウヤさま?』
自然と口をついで出たお決まりの台詞に、隣に立つリリィが小首を傾げた。そういえば彼女の前でこのフレーズを口にするのはこれが初めてだった。
件の赤スピリットは、自分と目が合うと立ち上がり、丁寧に頭を下げてきた。すらりとした長身の持ち主で、きびきびとした所作は見ているだけで気持ちが良い。つられて柳也も頭を下げ返した。
柳也は最前列に並んで座るリリアナとセラスに話しかけた。
『なあ、あの子は……?』
『我々も初めて見るスピリットだ。我々がこの教室に来る前から、あの場所に座っていた』
セラスの言葉にリリアナも頷いた。スピリット隊の訓練士でもある二人が知らない顔ということは、最近、首都にやって来たばかりのスピリットなのか。
「それにしても……」
と、柳也は呟いた。
それにしても、希望者は全員参加が原則とはいえ、人間も参加する講義によくスピリットが出る気になったものだ。偏見の目で見られることになるのは必定だというのに。
現に彼女はいま、他の軍人達からは距離を取られて座っている。周囲の視線も、リリアナやセラスを除けば、スピリットごときが人間と同じ席に座るなど、という険悪なものばかりだ。
それにも拘らず柳也の講義を受けに来たのは、よほど勉強熱心なのか。
とにかく、この教室に入るだけでかなりの勇気を必要としたことだろう。
『……惚れたか?』
赤スピリットのほうばかり見ている自分に気付いたリリアナが、からかうように言った。
柳也は少し考え込んでから、ニヤリと冷笑を浮かべた。
たしかに、魅力的な女性には違いなかった。
『おう。惚れた、惚れた』
と、柳也は笑って言った。
◇
講義の開始時刻になった。
柳也は目線をジンのModel 603.EZM3から着席した学生達へと転じると、指折りその人数を数えた。全部で二六人、初回の講義としては、まずまずの出席率だろう。
教壇に立つと、教室中の視線が自分に集中するのを感じた。
緊張はなかったし、特別あがり症というわけでもなかったが、やはり大勢の前に立つというのは照れる。
柳也は唇を複雑に歪めるとリリィと目配せをし、居並ぶ全員を見回しながら言った。
『最初に言っておく、俺はかーなーり強い!』
『…………はい?』
自信に胸を張って口にした会心の言葉に対する反応は、なぜか茫然としたものだった。
相方のリリィまでもが、「この男は何を言っているのだろう?」という不思議そうな顔で自分を見ている。
柳也は失望に肩を落とし、かぶりを振った。
『……すまない。忘れてくれ。ネタのつもりだったんだが、さすがに異世界人相手には通用しなかったか』
この分では両手を顔の前に突き出して、「デネビックバスター!」と叫んでも通用しそうにない。かえって恥をかくだけだろう。
かつて現代世界にて、ミリタリー・オタク・サミットを開催した際に披露した宴会芸を泣く泣く封印し、柳也は改めて真面目な口調で居並ぶ面々に語りかけた。
地の言葉遣いではなく、敬語で言う。
『最初に自己紹介させていただきます。私の名前は桜坂柳也。先頃、ラキオスに召還されたエトランジェで、本講義の教師役を務めさせていただきます。そして、あちらにいるのがリリィ・フェンネス。私の助手を務めてもらっています』
柳也の紹介を受けて、リリィが教壇の端から、ぺこり、と一礼した。
直後、憐憫の感情を含んだ眼差しがリリィに殺到する。なるほど、自分とリリィの関係を知らぬ者の目には、彼女はエトランジェの自分と組まされた哀れな存在と映っていることだろう。この世界の一般的な常識的価値観の持ち主の同情を誘うには、十分すぎる光景だ。
――偏見は覚悟の上。これは仕方のないことだ。慣れろ。
柳也は自分自身に言い聞かせながら、表情を崩すことなく前を見据えた。
最前列に座るセラスが、リリィに注がれる憐憫の眼差しを鬱陶しく思っているらしい不快な表情を浮かべてくれているのが、嬉しかった。
『始めに確認しておきますが、この講義で紹介する戦術は、すべて私の出身世界の歴史に登場したものです。そして私達の世界の戦争のあり方は、この世界の戦争のあり方と根本的に違います。
たとえば、この世界の戦争は基本的にスピリットが行うものですが、私達の世界にスピリットはいない。だから戦争は我々人間が自らの手で行っているものなのです。
つまり、私達の世界の戦術は、基本的に人間同士の戦いの中で生み出されたものばかり、ということです。人間同士の争いの中で生まれた戦術理論が、スピリット対スピリットのこの世界でどの程度通用するかどうかは、実のところ私にもわかりません。
よってこの講義を受けることが必ずしも皆さんの利益になるとは限りません。まるっきり役に立たないとは言いませんが、聴いていて辛い講義になることもあるでしょう。そのことを、まず念頭に置いておいてください』
そこまで口にしてから、柳也は一旦言葉を区切って周囲の反応を覗った。
なかなかにショッキングな言葉で口火を切ったはずだが、それがかえって幸いしたらしい。リリアナやセラスはもとより、例の赤スピリットも含めた軍人達は、いっそう表情を引き締め、姿勢を正していた。もともと軍人としての面子を捨ててまでやって来ているような者達だけに、受講態度は真剣そのものだ。
他方、他の各省庁から派遣されたと思わしき公務員達もまた、周りの軍人につられて姿勢を正していた。彼らの中には、「異世界からやって来たエトランジェ、なにするものぞ」と、考えているような輩もいたはずだが、柳也の真剣な態度に、「これは楽な姿勢では聞いていられないな」と、思ってくれたらしい。
柳也は受講者達が示しためいめいの態度を眺めながらひとつ頷くと、『それでは……』と、切り出した。
『それではまず私の出身世界の戦争のあり方について簡単に述べておきましょう。いくつかこっちの世界の人名や固有名詞が出てくることになりますが、まぁ、いまは無視して聞いてください。
まず、本講義で扱う戦争の定義について。私達の世界では、人類の歴史は闘争の歴史と揶揄されるほどに、人類は数多くの戦争を経験してきました。一説によると、人類は有史以来五〇〇〇年に渡る期間のうち、ゆうに九五パーセントを戦争に費やしてきたそうです。それくらい戦争の盛んな世界ですから、私達の世界では戦争というものに対する研究が常に行われてきました。そんな研究者の一人であり、自身軍人でもあったカール・フォン・クラウゼヴィッツは、自著「戦争論」の中で、戦争をこう定義しました』
柳也は黒板を振り返ると、昨夜一晩をかけて行ったリハーサルの内容を思い出しながら、黒板に白いチョークを叩きつけていった。
そこには、聖ヨト語で『戦争とは、他の手段を持ってする政策の継続にすぎない』と、書かれていた。クラウゼヴィッツの「戦争論」の、最も有名な文章のひとつだ。
『……つまり、戦争とは政治目的を達成するための政策の一つに過ぎないということです。最初に政治目的があって、その目的を達成するために目標を設定する。そしてその目標をクリアするための手段として、戦争という政策を実行するわけです。これは、この世界でも変わらない原理原則といってよいでしょう』
柳也は要所々々で板書を交えながら説明を続けた。
『次に、私達の世界の戦争のやり方と、戦術とは何か、について簡単に説明しましょう。
先ほども言いましたが、私達の世界の戦争は基本的に人間が自らの手で行うものです。どんなに武器の性能が進歩したとしても、その武器を扱うのが人間であるということは絶対に変わりません。
戦いの技術には大別して二種類があります。戦士のものと、将軍のものです。個人の技術は時代とともに変遷し、より強大な、人間的要素を排除する方向に進化していきました。素手で殴り合った時代から初めて武器として棍棒や石を見出し、やがて金属の剣や槍を使用するに至りました。その進歩に伴って武芸は発展し、より効率的に人を殺す技術が発展していきました。
それと同時に、将軍は武器を持つ兵士を統率し、勝利を得るための技術を発展させていきました。この将軍の技術こそが、戦術です』
柳也はそこで再び言葉を区切った。
受講者にノートを取る時間を与えるためだ。
ノートに必死に文字を刻んでいく姿を眺めていると、まるで本当の教師になった気分だった。
『ここまでで何か質問は?』
調子に乗ってか、そんなフレーズが口から飛び出してきた。
しかし誰からも質問の声は上がらなかった。さすがにみんな、頭が良い。
質問の声が上がらないのを確認してから、柳也はそこでニヤリと笑って見せた。いよいよここからが、講義の本番だ。
『さて、長い説明ばかりだと退屈でしょうから、この辺りでひとつ、実際に我々の世界であった戦例を基に、ハイペリア式の戦術について事例研究をしてみましょう。リリィ』
名前を呼ばれ、リリィは手元に抱えた資料を各人に配っていった。
無地の紙には、手書きの拡大された地形図が掲載されていた。両側を山脈で囲まれた隘路に、二つの軍隊が向かい合って対峙している図だ。軍団の名称は片方が“リディア”、もう片方が“ペルシャ”。軍隊の規模や距離感については何も述べられておらず、極力情報を廃した、シンプルな配置図だった。
リリィが資料を配る間にも、柳也は言葉を続けた。
『武器の能力が未発達だった古代において、実際に戦闘における戦力の優劣を決定付けたのは、単純に兵の数でした。大兵力動員による敵の抗戦意志の喪失を狙うと同時に、勝利をも決定付けるというという戦い方です。もっとも素朴で単純な戦術の第一段階で、現代にも通ずる基本原則の一つです。
とはいえ、大兵力を動員できる国というのは限られています。自然科学的、物理的に圧倒的な戦力を準備するだけの国力が必要になるからです。すべての国家がそんな膨大な国力を持つことはありえません。
では、十万の兵力を抱える大国に、三万の兵力しか動員できない小国は降伏するしかないのか、というと、実際はそうでもありません。はるかな古代から数千年を経た西暦一八〇〇年、オーストリアという国が保有する十余万の軍勢に対して、フランスという国家は兵力わずか約三万をもって戦闘を展開し、これを撃破しました。小が大を制する。ここにハイペリア式戦術の妙があります』
柳也は全員に資料が渡ったことを確認すると、黒板にそれと同じ図をチョークで描いていった。黒板は巨大だが、単純図形の上に情報がほとんどないためすぐに描き終わる。
『では、いよいよ今日の本題です。兵力で劣る軍隊が、兵力で優る軍隊に勝つ。そんな戦例をひとつ紹介して、ハイペリア式戦術に触れてみてください。なお、これは事例研究ですから、皆さんにも、ひとつ頭を使って悩んでもらいたい。
いま、配った紙には非常にシンプルな地形図と、軍隊の配置図が記載されているはずです。これは実際にあったある戦争の、ある戦闘の様子を簡単に描いたものです。これからその戦闘について説明しますから、必要と思った情報を書き加えていってください』
柳也はそこで、ごほり、と空咳をひとつした。ずっとひとりで喋りっぱなしというのは、普段の訓練とは違った意味で身体を酷使する。
『我々の世界では、ある一人の男の誕生を境に、紀元前と紀元後という単位で年号を分けて呼んでいます。その男の誕生以前は紀元前、誕生後は紀元後と呼んでいます。さらにこの紀元後は、一般に西暦と呼ばれています。私は、私の主観で西暦二〇〇八年にこの世界に召還されました。だからこの西暦二〇〇八年は、その男の誕生から二〇〇八年目という解釈になります。時折出てくる年号については、そういうものとして理解しておいてください。
さて、その男が生まれるおよそ六〇〇年前……つまり、紀元前六〇〇年から二〇〇年間は、軍事史上、“戦術理論”と“戦闘ドクトリンCombat Doctrine”が誕生した時代といわれています。戦闘ドクトリンを実行するのに必要な軍規と訓練の重要性が認識され、歩兵の秩序ある“戦闘陣形Combat Formation”が導入されたのです。
この時代、中東と呼ばれる地域において、一つの大帝国が栄えていました。帝国の名はペルシャ。帝国の大王キュロスは、国王であると同時に、軍隊に軍規と訓練の概念を意識的に取り入れた将軍でもありました。
ここでいう軍規とは、戦場において号令や信号に機敏に対応して行動することです。勿論、軍規の必要性はそれ以前の文明においても認識されていましたが、それでも密集した大兵力を、一つの明確な意志の下に統制することは困難とされていました。キュロス大王はこれを可能にした当初、歩兵主体の部隊で勝利を得、さらに騎兵の有用性に気付くや当時としては最強の重騎兵隊を編成しました。
ペルシャ帝国建国以前の中東には、当時最強の国家がありました。アナトリアのハリス河以西を領土としていたリディアは、ペルシャ大帝国の建国を目指すキュロス王にとって最大の敵でした。
紀元前五四七年、その戦略目的はいまもって不明ですが、リディア王クロエサスはハリス河から出撃し、ペルシャ帝国領メディアのカッパドキアに侵攻しました。クロエサス王は狡猾な将軍にして政治家でもあり、この侵攻作戦のためにバビロニア、エジプト、スパルタといった国家と同盟を結びました。これらの三ヶ国は、いずれ劣らぬ大国で、一国の勢力からして侮れない敵でした。
これに対し、キュロス大王は軍を動員して迎撃し、冬季パトリアの戦闘となりました。この戦いでは両軍の作戦が粗雑だったこともあり、決着はつきませんでした。
そこでリディア軍は、ハリス河以西に一度撤退して、防御態勢を取ることにしました。同盟諸国には「天候の回復を待ち、ペルシャ侵攻を再開する」として共同行動を要求しました。
年が明けた紀元前五四六年、キュロス大王はリディア軍が兵力を分散している全般態勢を知って、リディアの先手を取って首都サルディスへの西進を開始しました。このときのペルシャ軍の兵力は約五万。分散配置されたリディア軍など、一瞬にして駆逐できるだけの戦力です。キュロス大王は必勝の信念をもって西進を続けました。
西進を続けるペルシャ軍がティムブラ盆地に入ったとき、状況が変わりました。前衛から報告により、優勢な兵力のリディア軍が、盆地の中央で待ち構えているという状況が明らかになったからです。リディア軍の兵力は約六万。しかもその左翼には、勇猛なエジプト軍の姿も見えます。
キュロス大王にとって、予期しないクロエサス王の対応でした。戦闘展開は、兵力優勢のクロエサス王が先手を握っています』
『さてここでシンキング・タイムです』と、柳也は笑いながらみなの顔を見回した。
『結論から先に言うとこの戦闘……後に、ティムブラ平原の戦いと呼ばれた戦闘では、兵力五万、しかも対応は後手々々のペルシャ軍が勝利を収めました。そこで皆さんには、これからこの戦闘におけるペルシャ軍の戦術展開を考えてもらいます。思考時間は……そうですね、最初ですし、三十分にしましょう。
この三十分間はどんな質問をしてくださっても構いません。ただし、答えを直接訊くのは駄目です。なるべく多くの情報を私から引き出し、自分達の頭で考えてみてください。グループで一つの答えを出してくれても構いません。
三十分経っても答えが出なかった場合や、三十分の間に近い答えが出た時には、模範解答として実際の戦闘の流れを説明します』
『では始めてください』と、手を叩いてシンキング・タイムの開始を宣言する。
すると、早速最前列の二人の手が挙がった。柳也はリリアナを指名した。
『ペルシャ軍、リディア軍双方の陣容を教えていただきたい』
『ペルシャ軍の陣容は投石兵五〇〇〇、弓兵五〇〇〇、歩兵三万五〇〇〇、騎兵五〇〇〇の計五万。対するリディア軍は……実際にペルシャ軍になっているつもりで、陣容詳細不明ということにしておいてください』
『リディア軍の布陣はどうなっているのか? 陣容の詳細はわからずとも、それぐらいは目視で確認できるだろう?』
柳也の回答が終わるや否や、セラスが間髪入れずに鋭い質問を投げかけてくる。口調こそ平時と変わらぬが、教えを請う立場とあってその態度は慇懃だった。
この優秀な騎士の頭の中では、早くもリアルな戦場のイメージが構築されつつあるようだ。次々と正確な質問で柳也を攻め立てる。
『リディア軍は二十列以上の歩兵横隊で、騎兵が数箇所に分散して歩兵の背後に配置されています。さらに両翼にも騎兵隊。ただし、これはあくまでペルシャ軍の視点ですから、“ようだ”という注釈が付きます』
『この時代は戦闘ドクトリンが誕生した時代と言ったな? この時代の一般的な戦闘陣形と戦法を教えてほしい』
『戦場にのぞんだ軍は、一般に歩兵が一〇から三〇重畳の横隊で前進します。両翼には騎兵、または戦車が配置されました。前衛には投石兵、または弓兵が横隊で展開するのが、中東の一般的陣形です。
戦法としては、前衛の投石兵と弓兵が遠距離からファースト・アタックを加え、敵陣を乱そうとするのがベターな方法でした。投石兵・弓兵の部隊は、両軍主力が激突しそうになると両翼に下がって翼側を援護するのが通常です。主力同士の接近戦が始めると、戦場の主役は歩兵が務め、騎兵は両側で、互いに相手騎兵を追い払う役割を買うこととなります』
『……ということは、兵力劣勢のペルシャ軍が勝つには、最初の射撃でどれだけリディア軍を翻弄できるかにかかっているわけだ』
教室の後ろの方から、そんな呟きが聞こえてきた。
エトランジェの優れた聴覚がその囁きを捉えた直後、彼は口元をにんまりと歪めた。
『まさにその通りです! ……しかし、先手はリディア軍側にあるということをお忘れなく』
柳也の指摘に、呟きを漏らした軍人はその口をつぐんだ。
ファースト・アタックの射撃戦において、どちらの方に優位性があるかと問われれば、答えは先手を握っているリディア軍側に決まっている。なんとなれば、リディア軍はペルシャ軍の戦闘準備が整わぬうちから前進・射撃することが可能だからだ。
『ペルシャ軍には五〇〇〇の騎兵があると言っていたな。これを使って敵軍の前衛を混乱させられないだろうか?』
『しかし戦場は盆地だぞ? 騎兵部隊が有効に動けるほどの広さがあるかどうか……』
『この図では両端を山脈によって囲まれていますが、道幅はどの程度あるのですか?』
『約二キロです』
『隘路か……では、五〇〇〇もの騎兵部隊の機動は無理か』
『本当に無理なのだろうか?』
『馬鹿! 騎兵の他に歩兵もいるんだぞ? 五万もの大軍が幅二キロの戦場に押し込められているんだ。無理に決まっているだろう?』
『……って言われても、そんな人数で戦争をした試しがないから、まったく想像がつかんぞ?』
軍人達のざわめきがにわかに大きくなってきた。
初回の講義にして難問の登場に、みんな頭を抱えている。
たしかに、人口の少ないファンタズマゴリアでは戦争が起きたとしてもせいぜい数百人規模の激突しか起こりえないだろうし、スピリットが登場してからは、一つの戦場に一〇〇人以上が立ったことすらないだろう。数万人規模の軍隊が激突する様子は、簡単には想像できまい。
柳也は受講生達が悩み苦しむ様子をニヤニヤ笑いながら見つめていた。
不意に、柳也の唇から「おっ」という呟きが漏れた。
視界の片隅で、あの赤スピリットが手を挙げていた。
単に怖いもの知らずなだけなのか、それとも勇猛なのか。挙手に気付いた軍人達の険を帯びた視線が、一斉にそちらを向く。しかし、赤スピリットは上げた手を下げようとしなかった。目線をはずさずに、まっすぐこちらを見つめてくる。
柳也の唇が嬉しそうに歪んだ。
気の強い女は好みのタイプだ。それにまともな戦術教練を受けさせてもらえないはずのスピリットの口から、どんな言葉が飛び出すのか興味もあった。スピリットに対して戦術教練を施している国は少ない。理由は簡単で、あまり色々教えすぎるといらぬ知恵をつけて扱うのが難しくなるからだ。
柳也は名前も知らない彼女を『君……』と、呼んだ。
『はい』という、はきはきとした発声が返ってきた。
聞く者の背筋を正させる、明瞭な高い声だった。
『リディア軍は横隊で戦闘陣形を組んでいるんですよね?』
『はい、そうです』
『じゃあ、投石兵と弓兵の射撃を一箇所に集中させて、その列を分断することは可能でしょうか?』
その質問が真紅の唇から解き放たれた瞬間、各所で嘲笑があふれ出た。
『スピリットが何を言い出すかと思えばそんなことか』と、馬鹿にした呟きがあちこちから上がる。
そんな中でひとり、柳也は真剣な眼差しを赤スピリットに向けていた。瞳の輝きが、先ほどまでとは明らかに変わっていた。
『……なぜ、そのような質問を?』
『六万対五万でまともに戦ってもペルシャ軍に勝ち目はないと思いました。だからリディア軍を分断して、各個撃破できないものかと考えたのですが……』
赤スピリットの少女は、最後の方は自信なさげに言った。睨むような視線を向けてくる柳也に、気おされしたらしい。
しかし、当の柳也はそんな少女の反応に気付くことなく、真剣な表情で腕を組み、黙って彼女の話を聞いていた。
他の席から、『スピリットは黙っていろ!』と、野次が飛ぶ。
『馬鹿め! 二〇列以上もの横隊がそう簡単に分断されるものか!』
『……そうですね。リディア軍が今のままの戦闘陣形を取り続けている限り、分断は難しいでしょう。仮に分断できたとしても、横に移動すればすぐに元通りになってしまいます』
『今のまま……か』
その時、最前列セラス・セッカの目がギラリと光った。
赤スピリットの言葉、柳也の言葉をヒントに、何か思いついたらしい。
すかさず挙手をし、彼はその端正な顔立ちに似合った男らしい声で、朗々と口を開いた。
『サムライ、念のため確認しておくが、攻撃の先制権はリディア軍側にあり、盆地の幅は二キロと狭いのであったな?』
『はい。そうです』
『では、片側寄りに戦闘陣形を組み、攻撃転移の機を覗いつつ防御する、というのはどうだろうか?』
『……具体的にはどのように?』
『たとえば……』
セラスは席を立つと柳也の許可を得てから黒板の前に立ち、配置図にチョークを走らせていった。横隊で構えるリディア軍に対し、ペルシャ軍は鉤……L字形に陣形を構えた。
『隘路の片側に寄った上でこうして防御すれば、敵も同様に鉤形に包囲してくるはずだ。その屈折点に対して、先ほどあの赤スピリットが言ったように射撃を集中させれば……』
『分断は不可能ではない……と?』
セラスは自信に満ちた面持ちで頷いた。
二人の剣士はしばし無言で見つめ合う。
やがて柳也の顔に満面の笑みが浮かんだ。
その目線を赤スピリットへと向ける。
敬語を忘れ、地の口調で口を開いた。
『君、名前は何と言う?』
『ヒミカ・レッドスピリットです』
ヒミカと名乗った赤スピリットは少しだけ緊張した様子で柳也に頭を下げた。
『ヒミカ、君には二五点をやろう。そしてセッカ殿には……』
柳也は目線を目の前のセラスに戻した。
『七〇点だ。実際はL字形じゃなく、コの字形だった』
柳也は教室全体を視野に納め、あらためて古の戦場の場景を語った。
『キュロス大王は兵力劣勢と知ったが決戦をする決心をした』
『戦闘陣形は正面を二四列の横隊にし、両翼は一八列にして折り曲げ、コの字形に敷く。それとともに両翼外側に戦車と騎兵を配置し、敵の両翼騎兵隊に対する備えを整えた。さらに投石・弓兵部隊を正面歩兵の背後の左寄りに集中配備した。このコの字形防御陣形は、リディア軍に対して右寄りに展開。当然、左翼側は地障から広くはなれて機動の余地を残し、この空白にリディア軍の包囲機動を誘うことになった』
『クロエサス王はペルシャ軍の左翼が広く地積を残しているのを見て、正面攻撃に連携して敵の左翼から包囲攻撃することを決めた。そして横隊だった陣形を鉤形に変更した』
『キュロス大王が待っていたのはまさにこの時だ。石と弓による射撃を陣形の屈折点に集中させられたリディア軍はこれに耐えかね、正面攻撃部隊と方位舞台の連接点が切れてしまった。つまり、ヒミカの言ったように分断されてしまったわけだ』
『ここが勝敗の分岐点だ』と、柳也はもはや敬語を忘れ、歌うように言葉遊びを繰り広げた。
『敵の分断に成功したキュロス大王は、この間隙に攻撃前進を発令した。一方、真っ二つに分断されたリディア軍では包囲部隊が動揺から攻撃前進を止めてしまっていた。そしてその背後に、突破口を抜けて回り込んだペルシャ軍の歩兵部隊が襲い掛かった』
『クロエサス王はこれを見て敗北は必至とみるや、退却した。戦闘は、ペルシャ軍の勝利に終わった』
柳也はそこまで語って、口を閉じた。この講義で話すのはハイペリアの戦術だけだ。この後に起きたエジプト軍指揮官との交渉や、ペルシャ軍による首都サルディスの制圧劇についてまで話す必要はない。
『……ティムブラ平原の戦いから学べる教訓は二つだ。一つは、“利のない限り攻撃はするな”。兵力劣勢の上に先手を敵に取られている圧倒的に不利な状況で、正攻法で真正面から攻めていくのは愚作だ。
もう一つは、“利をもって誘い、乱を獲る”という悪知恵をはたらかせることだ。敵にこちらの弱点を晒し、敵の攻撃をこちらの思う通りに誘導する。そうすることによって生じる、敵の隙を衝く。卑怯なことと思うかもしれないが、戦争は所詮、騙し合いで、それは実際の戦闘にも言える。
……いま挙げた二つの教訓は、ハイペリアの士官学校なり軍大学で講義をした場合、見出せるものだ。だが、この世界でした場合には、見出すことのできる教訓がもう一つある』
教室内は、いつの間にか、しん…、と静まり返っていた。
誰もが柳也の言葉に耳を傾け、意識を集中させている。
『それは、“大局的に物事を見る目をもつこと”、だ』
柳也の声は、静寂に包まれた教室の中で大きく響いた。
『先ほどの例題でみんな苦しんだから理解できると思う。ハイペリアの戦争では、数万人規模の人間が一つの戦場で激突することも稀ではない。多くてせいぜい数十人のスピリットを率いているこの世界の将軍とじゃ、統率する人数がまるで違う。当然、指揮官にかかる負担はハイペリアのほうが段違いだ。よって、ハイペリアの戦争では戦術を立案する際には、より大きなスケールの視野を持たなければならない』
まして現代の戦争は単純な兵力だけでは戦力を推し量れなくなっている。
一人の人間が目を行き届かせられる範囲など高が知れている。だからこそ左官、尉官といった中堅クラスの将校や、参謀という役職が生まれた。
『常日頃から大所高所より世界を見下ろす目を養っておくこと。目に見える世界だけが世のすべてではないということを心がけておくことだ。なあに、そんなに難しいことじゃあない。戦場全体を把握するように意識し、視野狭窄に陥らないよう注意すればよいだけの話だ。そしてそのために必要なのは、ほんの少しの勇気だ』
無論これは言うは易し、行うは難しの典型だ。
誰だって極限状態に追い込まれれば、視野狭窄になる危険性を孕んでいる。
戦場という極限のストレス状況下に放り出され、実際にほんの僅かな勇気を振り絞れる人間はそう多くはない。
しかし、だからこそ自分はいま、この場で講義をやっているのだ、と柳也は考えた。
『……本日の講義の目的は、手始めにハイペリアで実際にあった戦例を基に、俺達の世界の戦争、そして戦術のなんたるかについて知ってもらうことにあった。その意味でもう目的は果たしたわけだが、最後に俺達の世界で言われている戦いの九大原則について述べ、今日の授業は終了としよう』
柳也はリリィに目配せして、昨夜のうちに用意しておいた手書きの資料を配布させた。
やや黄ばんだ無地の紙には、拙くも力強い運筆で、現代の米軍、自衛隊が採用する戦いの原則(The Principles of War)九項目が、箇条書きされていた。
柳也は全員に資料が行き渡ったのを確認してから一通り内容を説明し、そして全員に復唱させた。
教室内に、この講義時間中かつてないコーラスがあふれた。
@ 目標(Objective):すべての軍事行動は明確かつ決定的な意義を有し、達成可能な目標を追求する
A 攻勢(Offensive):主導性の獲得、維持および拡大に努める
B 集中(Mass):敵に対し圧倒的に優勢な戦闘力を決定的な時期、場所に集中し、最大限に発揮する
C 戦闘力の節約(Economiy of Force):全戦闘力を可能最大限に有効適切かつ無駄なく運用する。このため二義的意義にとどまる正面には必要最小限の戦闘力を充てる
D 機動(Maneuver):柔軟性に富む戦闘力の運用により敵を不利な状態に陥れる
E 指揮の統一(Unity of Command):すべての目標の追及にあたり、指揮を統一し、努力を統合するに努める
F 警戒(Security):敵に対し予期しない利点を絶対に与えてはならない
G 奇襲(Surprise):敵が対応不可能な時期、場所ないしは要領により敵を打撃する
H 簡明(Simplicity):単純明快な計画および簡明な命令文を作成し伝達して関係者の理解を容易にする
◇
講義を終えた柳也とリリィは、その首尾を報告するためにダグラスの執務室へと立ち寄った。
本日の講義の感触、次回の予定に加え、ラキオス王との間で進めている例の機動力中心の新設部隊の件で小一時間ばかり話し合ってから部屋を出ると、廊下では意外な人物が待っていた。
『……ヒミカ?』
『はい、リュウヤさま』
驚く柳也に今日会ったばかりの赤スピリットははきはきとした返事を寄越した。
講義を受けていた時と違い、眼鏡をはずしていたから一瞬誰かわからなかった。
もしかしてずっと待っていたのだろうか。だとしたら一時間近く外で待たせてしまったことになるが。
念のために確認すると、ヒミカは平然と頷いた。
『それは……申し訳ないことをしてしまったな』
ダグラスの執務室のある棟は通産省の本部でもある。そこかしこを通る役人らがヒミカのことを快い目で見るはずなく、結果的に彼女を偏見の眼差しに晒してしまったはずだ。
『そ、そんな! わたしは好きで待っていただけですから』
腰を折って深く謝罪してやると、ヒミカはかえって恐縮してしまった。
エルスサーオのファーレーンらと同様、彼女もまた人に謝られることに慣れていないらしい。大人びた印象の相貌に反して可愛らしい焦った様子に、柳也の口元は自然と緩んだ。
改めて見ると、ヒミカはまさに柳也好みの女だった。
幼少の頃から戦闘訓練を施されてきたと思わしきヒミカの身体は鍛えられており、腰も腿も太めだった。しかし、肥満している印象はなく、しなやかな筋肉と薄い皮下脂肪の層に覆われた下肢は、カモシカを思わせる健康的な脚線美に冴えていた。
それでいて真紅のタイハイソックスから覗く肌は白い。
ラキオス軍制式の軍装に身を包んだその姿は、見ていて惚れ惚れするぐらい尊く、凛々しい美しさに満ちていた。
『待っていた?』
柳也は男として、そして武芸者としてなにより魅力的な脚線美から目線をはずすと、ヒミカに訊ねた。
先ほどの講義でわからないところでもあったのか。だとしたらそれは稚拙な進行を行った自分の責任であり、質問には答えねばならない。
身構える柳也に浴びせられたのは、しかし、彼が想像していたどんな言葉とも違っていた。
『はい。今度わたし達の副隊長になる人は、どんな人だろうかと、品定めをしに』
ヒミカは礼儀正しい態度で、平然とそんなことを言ってきた。しかしまったくもって腹が立たないのは、相手が美人だからだろうか。
『副隊長……ってことは、例の新設部隊の?』
『はい。まだどのような部隊になるかは聞かされていませんけど、一昨日の夜にラキオスに到着しました』
ヒミカの口調は単語ひとつひとつの発音がはっきりとしており聞き取りやすい。
威勢の良い声は溌剌としており、その点も柳也の好みだった。
『二日前か……当然、ヒミカとは今日が初めての顔合わせだよな?』
『はい』
『ということは、ヒミカは第二詰め所の配属か』
ラキオス王城に司令部を置く王国軍首都直轄軍は、当然ながらアセリアやエスペリア達だけで構成されているわけではない。首都圏の守りを固めるスピリットは訓練中の者も含めると五十名にもなり、彼女達は数名、あるいは十名くらいずつごとに、“詰め所”と呼ばれる生活の場を与えられていた。詰め所というと実態がつかみにくいが、要するに、スピリット専用の兵舎のことだ。なぜ兵舎ではなく詰め所という名称を使うのかというと、スピリットは人間でないから、兵舎という名前は相応しくない、という考えからきている。
現在柳也達が暮らしている洋館は、正式には首都直轄軍管轄スピリット第一詰め所という。
例の新設部隊は主にこの第一詰め所と、もうひとつ、第二詰め所の住人で構成される予定だった。
ということは、柳也のことを副隊長と呼び、二日前に着任しながら今日が初めての顔合わせとなる彼女は、第二詰め所の住人なのだろう。
はたして、柳也の問いにヒミカは小さく頷いた。
『そうです。二日前、エルスサーオから着任しました』
『エルスサーオから?』
『はい』
ヒミカは何の迷いもなく首肯した。礼節の中に、気さくな心地よさがある。
エルスサーオといえばつい先日までバトル・オブ・ラキオスの関係で滞在していた基地だ。しかしそこで顔を合わせた記憶はないから、おそらくアイシャ達の第二大隊とは別な大隊の所属だったのだろう。
『わたしは第三大隊の所属です。滞在中は、リュウヤさまとお話する機会はなかったですけど、噂はかねがね聞いていました』
『噂……』
柳也は意図せずして頬の筋肉が引き攣るのを自覚した。
柳也は噂や、陰口といった言葉に対して過敏な若者だった。幼い頃の、周囲の子どもや大人からいじめを受けた苦い記憶が蘇るからだ。
子どもにしろ、大人にしろ、本当に苦痛だったのは肉体に訴える暴力ではない。心に訴える暴言、陰口、黒い噂こそが、幼かった自分を苦しめる最大の要因だった。
その頃の経験から、柳也はいまだ自分のことで噂話を立てられるのを苦手としていた。自分で意識的に流したものならまだしも、自分で気付かぬうちに蔓延しているようなものは特に、だ。
人の口に戸は立てられない。ましてスピリットは女性ばかりだからどんな、どんな尾ひれと背びれを補強されるか、わかったものではない。
自分の微妙な表情の変化を見取ったか、ヒミカが怪訝そうな表情を浮かべる。
柳也は口をもごもごさせて頬の筋肉をマッサージさせると、憂いの表情を打ち消した。
努めて平静な口調で、ヒミカに訊ねる。
『ちなみに噂ってどんな?』
平静を装ったつもりだったが、少し恐々になってしまった。子どもの頃のトラウマは根が深い。
他方、質問を受けたヒミカのほうは極めて明るい口調だった。
『リュウヤさまのお人柄についてですよ』
『……具体的には?』
『非常に紳士的で誠実な男性だと、みんな噂していました』
『そ、そうか』
ヒミカの口を借りて出た自分を褒め称える言葉の数々に、柳也は、ぱっ、と表情を輝かせた。噂話でも、こういった自分を賞賛するものなら大歓迎だ。
『強くて、優しくて、わたしたちスピリットにも分け隔てなく接してくださる好漢だと』
『うんうん』
『非常に聡明な方で、国境線を越境してやってきた敵スピリットを倒したのもほとんどリュウヤさまだとか』
『うむうむ。やっぱり見ている人は見ているんだなぁ』
『喧嘩っ早くて、女好きで、エルスサーオでは美人を見つけては「恋をしてしまった……」が、口癖だったとか』
『うんうん……って、そこはあんま見ないでほしかったなぁ』
柳也は恥ずかしそうに頭を掻きながら苦笑する。『恋をしてしまった』は、エルスサーオ滞在時に限らず、自分の口癖のようなものだが。
それまで笑っていたヒミカが、不意に真顔になった。
つられて、柳也も真顔に戻る。
『……本当は、今日の講義も噂が本当かどうかを確かめに来たんです。新設部隊案が正式に通って、隊長・副隊長の就任前に、一度自分の目でリュウヤさまを見ておきたかったから』
『なんでまた、そんなことを?』
『…………』
『品定め、って言っていたな?』
柳也は周りに人通りがないか確認した後、声を潜めて言った。
ヒミカが偏見に満ちた眼差しを浴びせられ、不快な思いをしながらどうして自分のもとにやって来たのか、彼にはその理由の察しがつき始めていた。
『女好きで、口癖が恋をしてしまった。俺を、妖精趣味かと思ったのか?』
柳也は頭の中に浮かんだ考えそのものをずばり指摘した。
ヒミカは、わずかに逡巡した後、ぎこちなく頷いた。
なるほど、有限世界ではスピリットを愛でることは変態的性癖と同義語だ。妖精趣味というだけで、偏見と誤解に満ちた眼差しを向けられてもおかしくない。おそらくヒミカは、自分が隊の娘達をとっかえひっかえ慰み者にすることを懸念したのだろう。
柳也はじっとヒミカの目を見つめた。
気の強そうな瞳の輝きが、長身の自分を見つめ返してくる。
彼女ならば、他の娘の代わりに自分の身を差し出すぐらいはしてくるかもしれない。
そう思わせるほど、責任感に満ちた眼差しだった。仲間のためなら自分を犠牲にすることも厭わない、エスペリアと同じタイプの人間特有の瞳の輝きだ。
――まったく、頭が下がるよ。
自分と同世代、あるいは自分よりも少しだけ年上のスピリット達がこの手の視線を向けるたびに、柳也は感心に眉を細める。
はたして、現代日本にこんな責任感を発揮できる若者がどれほどいるだろうか。そう思わずにはいられなかった。
『ヒミカの心配は、よくわかる。逆の立場だったら、俺も心配しただろうし。……それで? どう映った? ヒミカの目に、桜坂柳也という男は?』
以前、ダグラスにもした質問だった。その時の答えは、『危険な男』という、評価だった。
あの時と状況が異なる上、質問の意図もまるで違っているが、はたして今回はどうか。
柳也の問いかけに、ヒミカは明るくはにかんでみせた。含みを感じさせない、快活な微笑みだった。
『噂にたがわぬ方でした。特に、女好きというところが』
『訂正はしないが、いちばん噂にしてもらいたくないところだな』
柳也は苦笑を浮かべて呟いた。
ヒミカも表情をくずすことなく、
『それから、信頼して大丈夫な方だと、わたしには見えました』
と、きっぱり言い切った。
柳也は苦笑に口元を歪めたまま、穏やかな顔になる。
『一度顔を見て話を聞いただけの男を、そんな風に判断してもいいのか?』
『はい。ですから、次の講義も受講させてもらいます』
『駄目ですか?』と、目で問うてくるヒミカに、柳也は、からから、と笑って言った。
『勿論、OKだ。優秀な上、美人の学生なら俺としては大歓迎だ』
『やっぱり、噂通りの女好きだ』
ニヤリと笑って呟くヒミカの笑顔を、柳也は網膜に焼き付ける。
ますます自分好みの明るい笑顔だった。
◇
――聖ヨト暦三三〇年、エクの月、赤、みっつの日、朝。
例の新設部隊の件で伝えたいことがある、と王城からの連絡を受けた悠人と柳也は、エスペリアとともに国防省国防大臣の執務室へと向かった。
ラキオス王国の国防大臣はレスティーナだから、要するに彼女の仕事場だ。
国防大臣の執務室は通産大臣のダグラスに与えられた部屋よりも少しだけ広い印象があった。
執務室に足を踏み入れると、そこにはレスティーナのほかに剣術指南役のリリアナ・ヨゴウ、いまやそのリリアナの優秀な右腕として働いているセラス・セッカ、そしてラキオス王の姿があった。
柳也達はラキオス王、レスティーナ、リリアナの順番で最敬礼をし、許可を得てから備え付けのソファに座った。ダグラスの部屋にあるイミテーションとは一味違う、本物の皮のソファだ。
柳也達全員の着席を見届けると、レスティーナではなくラキオス王が口を開いた。
『例の新設部隊案だが、そのための予算が確保できた』
ラキオス王は用件だけを淡々と述べて、最後に『部隊をどうデザインするか、詳細についてはそなたらと国防大臣、リリアナ剣術指南役の間でとっくり話し合うがよい』と言って執務室を出て行ってしまった。
『さて、どうする?』
国王がいなくなった執務室で、リリアナが、ずい、と身を乗り出し、柳也に訊ねた。
『新設部隊についてはなるべくエトランジェの意見を多く取り入れよ、との陛下直々の命令だ。何か良い案はあるか?』
『……詳細は今後煮詰めていくとして、とりあえず最初に決めるべきことがあるな』
柳也は活き活きとした表情のリリアナを諌めながら、国防大臣を見た。
白いドレスのレスティーナが、『なんですか、それは?』と、問うてくる。
『名前だよ、名前。どんな部隊にデザインするにしろ、とりあえず名前がないと呼びにくいだろう? 仮の名前でもいいから、付けちまおうぜ?』
『どうやら、すでに案があるようだな?』
それまで黙ってやりとりを聞いていたセラスが問うた。ドラゴン・アタック作戦の時からの付き合いになる彼は、すでに柳也の名付け好きに慣れている。
『ふふん、まあな』
柳也は子どものようにはしゃぎながら、
『スピリット・タスク・フォース……略して、STFだ』
と、満面の笑みとともに言い切った。
◇
余談。
一回目の講義を終えたその夜、柳也はベッドの中でリリィに言われた。
『……ところで、わたしには言ってくれないのですか?』
『何を?』
『その……思わず、恋をしてしまった、というのは』
『……言ってなかったっけ?』
『はい』
リリィはいつもの無表情で頷いた。
柳也が怪訝に問う。
『……言ってほしかったのか?』
『いえ、べつに』
リリィは淡々と告げると、毛布の位置を直しながらこちらに背を向けた。
柳也は少し考えてから、おもむろに彼女の耳たぶを噛んだ。
『ひゃぅっ!』
予期せぬ場所を突如として甘噛みされ、リリィが肩を強張らせる。
柳也は耳たぶを噛みながら、そっと息を吹きかけた。
『なぁ、リリィ』
『は、はい?』
『俺はいま、どうやら君に恋をしているらしい』
『そ、そうですか……』
リリィは、ぞくぞく、と背筋を震わせながら呟いた。
<あとがき>
タハ乱暴「先日さぁ、近所のホームセンターにエアーポンプを買いにいったんだよ。自転車のタイヤに空気入れるんじゃない方の」
北斗「ふむ」
タハ乱暴「そしたらいくら探しても見つからなくって……結局、店員さんに訊いて渡されたのが、なんとプラスチックボディの万能野郎だったんだ。自転車と野球用ボールとレジャーグッズに対応出来る奴」
北斗「なに? 昔ながらの青チューブに黄色ポンプの奴じゃなかったのか?」
タハ乱暴「うん。俺もてっきりそのイメージで探してたもんだから見つからない、見つからない。……それでさ、店員さんがそのプラスチックの奴を持ってきてくれた時、思ったわけよ。『歳取ったなぁ、自分』って」
北斗「……そうか。永遠のアセリアAnother、EPISODE:27、お読みいただきありがとうございました! 今回の話はいかがだったでしょうか?」
柳也「俺というファクターを取り込んだことで徐々に変わり行くラキオス軍。そして新キャラ登場と、今回もイベント盛りだくさんのシナリオだったぜぇ」
タハ乱暴「といっても、今回は四割くらい柳也がグタグタと説明文を口にしているだけの回だったからな。正直、『つまんねぇぞタハ乱暴ゴルラァ!』とか、反響が恐い」
北斗「だから今回は根性の二話同時掲載なわけだろう? 前回までと比べて、質で劣る話を量で補おうとは浅はかな男だ。
むしろ、説明台詞は喜んで書くべきだろう? 説明台詞にも書きようがある。単調な説明文をいかに面白く書くか。作家の腕の見せ所だ」
タハ乱暴「ぐぐぐ……精進いたします」
柳也「それはそうと、今回の話でまた新しくサブスピが登場したな? 予定だと、原作第二章開始時点で参入するサブスピが次回で出揃うことになるみたいだが」
タハ乱暴「ハリオンが難関だな。ネリシアとヘリオンは結構、柳也との話が作りやすいんだが、ハリオンは難しい。原作で底知れない人物として描かれていたから、タハ乱暴がどこまでハリオンのキャラクタを理解出来か、如実に分かってしまう。正直、不安は拭い去れない」
柳也「すべては次回で明らかになるってことか。……はい。永遠のアセリアAnother、EPISODE:27、お読みいただきありがとうございました!」
北斗「次回もお付き合いいただければ幸いです」
タハ乱暴「本あとがき下のおまけも読んでくれると嬉しいです」
一同「ではでは〜」
<おまけ>
ひょんなことから三国志の世界にやって来てしまった我らが主人公、桜坂柳也。
彼はそこで英傑の一人関羽、そして黄巾党の三人組と出会い、彼女の理想を叶えるため、そして職なき黄巾党の皆さんの再就職のために戦うことを決意したのだった。
そんな柳也の態度に、愛紗はもとより、黄巾党の三人組アニキ、チビ、デブは彼のことを信頼し、真名を預ける。
そして一行は愛紗とともにこの乱世を静めるべく立ち上がったもう一人の英傑、張飛との合流を急いだ。
「姉者――――――!」
【むぅっ、理想的な幼女!】
柳也の中の〈決意〉が吠えた。
この時、一瞬柳也は肉体を永遠神剣に飲まれかけ、チビ達に「この人はそういう人なんだ」と、勘違いされてしまったのはまた別な話だ。
「にゃ? お兄ちゃんの名前はジョニーっていうのかー。鈴々はね、姓は張、名は飛、字は翼徳、真名は鈴々だよ」
【お兄ちゃん!? そして一人称が名前!? これは予想以上の逸材だ!】
「〈決意〉、お前しばらく黙ってろ」
相棒の永遠神剣に突っ込む柳也。
それはさておき、一行は現在愛紗達が泊まっているという村へ足を運んだ。しかしその村は、すでに盗賊団の襲撃を受け、財という財を貪り尽くされていた。
「これは、なんとむごい……」
「酷いのだ」
愛紗と鈴々が悲痛な表情を浮かべる隣で、柳也はわなわなと怒りに震えていた。
「許せねぇ!」
一行は義勇兵を募り、再び来襲するであろう黄巾党を迎え撃とうとする。
しかし天の御遣いなき彼らの下に集まった兵力は、たった五〇〇と少し。対して、打倒しなければならない黄巾党の数は約四〇〇〇。
「ど、どうするんだよ、ジョニーのアニキ?!」
圧倒的な戦力差を前にして、チビは涙声だ。
しかし柳也は「大丈夫だ」と、自信満々に告げた。
「八対一くらいの戦力差なら、近代戦術を持ってすればどうとでもなる!」
先の襲撃の際に倒した黄巾党の衣装を剥ぎ取り、特殊部隊を編成して敵陣中に潜入した柳也達。彼らはそこで破壊工作を実施。タイミングを合わせて愛紗と鈴々率いる四〇〇の軍勢が、混乱する黄巾党を薙ぎ倒す。
「これは一郎の分! これは太郎の分! これは俊彦の分! そして、これが俺の怒りだ!!」
柳也の怒りの鉄拳が次々と炸裂し、かくして、関羽率いる義勇軍は勝利した。
なお、なにゆえ恨みを晴らす人名がすべて日本人名なのかは気にしないでいただきたい。
そして村に戻った柳也は、県令になってこの地を治めてほしいと、村人達に請われる。
「……愛紗さん、県令になれば黄巾党の皆さんの再就職先を用意出来るだろうか?」
「ええ、ある程度は可能かと思いますが」
「よし、ならなろう」
「ジョニーのアニキ!」
「アニキは俺達のために……ううっ」
かくして幽州琢県の地に、心優しきアニキが誕生した。
乱世を静めるために。
職なき黄巾党の皆さんの再就職先を用意するために。
「でも、アニキって幼女趣味なんだよな?」
後に“炉利婚王”と呼ばれることになる男の伝説が、いま始まった。
<桜坂柳也 無印恋姫スペック>
基本兵糧配分 歩兵:25 重装歩兵:25 弓兵:20
攻撃型陣形 鋒矢:◎ 魚鱗:◎ 車掛かり:○ 八門禁鎖:◎ 釣り野伏:☆
防御型陣形 鶴翼:☆ 衝軛:△ 雁行:◎ 偃月:○ 方円:◎
奥儀名:現代戦術の脅威 充填期間:3日
特徴:積極的な予備兵力の投入により、敵に中程度のダメージを与える
ヒミカの登場と……。
美姫 「柳也の講義」
うーん、これによって軍人さんたちも戦略や戦術を考えるようになるのかな。
美姫 「ヒミカも柳也を信用したみたいだけれど」
さてさて、新部隊のメンバーはいつ揃うのかな。
美姫 「楽しみよね」
だな。で、おまけに関してだが。
美姫 「決意が見事に壊れているわね」
というか、素直な行動に出ているというべきか。
美姫 「柳也を支配して、犯罪に走らないと良いわね」
今回も危なかったしな。
美姫 「と、気になる本編の方だけれど」
今回は続けての投稿です。
美姫 「それでは」