――聖ヨト暦三三〇年、エクの月、青、みっつの日、夜。

 

謁見の間を退室したレスティーナは、自室ではなくその隣の佳織の部屋へと足を運んだ。

佳織に悠人達の帰還と龍退治の首尾を聞かせるためだが、レスティーナ自身、彼女と会って話しがしたかったからだ。

異世界からやってきた少女は控えめで、礼儀正しく、本が好きだった。出現したばかりの頃はまるで理解できなかった聖ヨト語も、いまでは母国語のように操っている。豊かな向上心に恵まれ、かといってそのことを鼻にかけない少女との会話は、普段王女としての公務で忙しいレスティーナにとって、いつからか心休まる時間となっていた。佳織と話していると、仕事で疲れた心が少しだけ癒されるようだった。

レスティーナはいま、そんなささやかな癒しを求めて足を動かしていた。

レスティーナは謁見の間での出来事から動揺している自分に気がついていた。部下や他の大臣らの前では平静を装えたが、ひとりになるともう駄目だった。

――まさか、リュウヤがお父様の側につくなんて……。

佳織の部屋へと続く道のりの間、レスティーナはずっとそのことばかりを考えていた。

ドラゴン・アタック作戦の直後から、父とダグラス通産大臣が柳也の能力に興味を抱き、利用しようと企んでいたことにレスティーナは気づいていた。

だからこそレスティーナは柳也に対して注意を払い、エスペリアとの連絡を密にしてダグラス達との接触がないか、柳也の動向を探ってきたつもりだった。

しかし、ゲットバック作戦の頃から柳也に向ける視線が逸れてしまった。

佳織の義兄、〈求め〉の契約者ということで何かと放っておけない悠人のことばかりを気にしている隙に、ダグラスとの接触を許し、ついには父との接触を許してしまった。

しかも、本日の謁見の間でのラキオス王の意見を支持するかのような言葉は、人質を取られている人間が強制されてやったというよりは、自ら進んで協力したかのように見えた。

もし本当にそうだとしたら、これは由々しき事態である。

エトランジェ・リュウヤには不思議なカリスマがあるらしく、現時点でさえリリアナ・ヨゴウ、セラス・セッカといった有力な軍人の信頼を得ている。本日の会議では環境大臣や外務大臣すら一介のエトランジェにすぎない柳也の意見に同調していた。その柳也が父の協力者になったとしたら、国王に集中する権力はさらに絶大なものになってしまうだろう。父の野望を止められる者が、誰もいなくなってしまう。

『…………』

父の思い描く大戦略を想像し、レスティーナはきつく唇を噛む。

血の繋がった実の親だ。国王が胸の内に秘めた野望について、レスティーナは薄々勘付いていた。

――父様の野望……北方五国の統一。

だがはたして、桜坂柳也という強大な力を得たいま、父はそれだけで満足するだろうか。

仮に北方五国の統一が実現したとして、その後に父は何を望むだろうか。

どちらにせよ、父の夢の実現のためには、大きな戦争が必要不可欠だろう。

その戦乱の果てに予見される未来は、血に染まった大地の光景だ。

数万人規模の軍団同士の激突が当たり前の世界からやって来た男の手による、暴力の饗宴だ。

――私たちは……。

この国は、そして自分達は、いったいどこへ向かおうとしているのか。

高嶺悠人、桜坂柳也の二人を得た自分達は、いったいいかなる未来に向かっているのか。

レスティーナにはまだ、未来の姿が見えなかった。

未来の見えない不安が、レスティーナの心を重くしていた。

佳織の部屋へと続く扉が、視界に映じた。

 

 

 

 

 

永遠のアセリア

-The Spirit of Eternity Sword Another Story “Twin Edge of Protection”-

第一章「有限世界の妖精たち」

Episode26「夜」

 

 

 

 

 

――聖ヨト暦三三〇年、エクの月、青、みっつの日、夜。

 

数日ぶりの再会を果たした食堂の椅子に、柳也はおもむろに擦り寄った。

「おおうッ! この感触、この安定感、そして染み込んだエスペリアの香り……まさしく第一詰め所の椅子、懐かしき座り心地!」

「……変態か、お前は」

腰掛に両手を置き、背もたれに頬ずりする、堂々たる巨躯が自慢の友人の行動に、悠人は溜め息とともに呆れた目線を向ける。柳也のギャグというよりは奇行に近いアクションは今に始まったことではなかったが、さすがに最後の発言は人として見過ごせなかった。

まるで遠巻きに危険物を眺めているかのような自分の眼差しに、柳也は屈託のない笑顔を浮かべると、改めて椅子に座り直した。一度すべったネタを引きずらないのがプロというものだ。もっとも、それがいったい何のプロなのかは、柳也自身よくわかっていなかったが。

「いやなに、ここに入った途端、なんというか、急に懐かしい気持ちになってな」

柳也はそう言って、穏やかな眼差しを食堂のあちこちに投げかけた。

初めて異世界にやって来たその日から世話になっているスピリットの館は、いまや柳也にとって第四の家も当然だった。第一の家は最初に家族と住んでいた家、第二の家は境遇の同じ兄弟達と暮らしていたしらかば学園、第三の家はコーポ扶桑の四畳半だ。ちなみにエルスサーオで一日の多くを過ごしたガンルームは、第五の家ではなくホテル感覚だった。

数日ぶりに見る食堂のインテリアに向けられていた優しい目線が、不意にある一箇所に集中した。

柳也は意味深な視線で、悠人を見つめる。

「お前もそうだと思うが?」

唇の端を吊り上げて言った柳也に、悠人は不承不承といった様子で、「まあな」と、小さく頷いた。目が覚めたその日からあまり良い思いでのない悠人にとっても、いつの間にかエスペリアやアセリアのいるこの館は、第二の家となっているらしい。

「俺たちは、幸せだよな。こんな異世界にまでやって来て、帰ってきて嬉しいと思える家があるんだから」

「……ああ、そうだな」

その喜ばしい事実を噛み締めるように、優しい語調で紡がれた悠人の言葉に、柳也は深々と頷いた。

幼い頃に両親を失った二人の少年は、優しい微笑みを向け合った。

柳也は自分の隣の椅子を引いた。

悠人は勧められるままにその席に腰を下ろした。

すると、ちょうどタイミングよく現れたエスペリアが、二人の前にティーカップを添えてくれた。

『はい、ユートさま、リュウヤさま。お二人ともお疲れ様でした』

エスペリアはそう言ってにっこりと笑った。

数日ぶりの優しい微笑みと立ち上るハーブの香りが、柳也の五感を刺激する。大げさでなく、今日までの疲れが癒されていくかのようだった。

『サンキュ、エスペリア』

『ウレーシェ、エスペリア。……エスペリアも、お疲れさん』

いち早く礼の言葉を述べた悠人に続き、柳也はこれまた数日ぶりとなるメイド服に向かって頭を下げた。紅茶の給仕以上に、よくぞ悠人を守ってくれた、と最上の感謝の気持ちを舌先に篭める。ラキオスを出発したあの日、ほとんど一方的に交わした約束をエスペリアは守ってくれた。そのことがなによりも嬉しかった。

悠人と柳也は、香り高い湯気が絶え間なく立ち昇るティーカップをほぼ同時に手に取ると、どちらからとなく寄せ合った。

『とりあえず、お互いこうして無事に再会できたことに……』

『ああ、乾杯』

柳也の音頭に合わせてティーカップを軽くぶつけ合い、それから同時に口元へと運ぶ。もはやすっかり舌に馴染んだハーブティーの味わいを堪能していると、改めて帰ってきたのだ、という実感が湧いた。それは不思議な嬉しさを伴う充足感だった。

『……うん、やっぱりエスペリアが淹れてくれたお茶は美味しいな』

『ああ、まったくだ』

自分と同様、悠人もまたこうしてゆっくりとエスペリアの淹れてくれた茶を味わうのは久しぶりなのだろう。自然と口をついて出たらしい友人の言葉に、柳也はしみじみ頷く。

『エルスサーオにも紅茶を淹れるのが上手い娘がいたが、やはりエスペリアの紅茶がいちばんだな』

エルスサーオでセシリアが淹れてくれた茶や、数時間前にダグラスの部屋で飲んだ茶もたしかに美味かったが、やはりエスペリアの淹れてくれた茶は格別だ。舌に馴染んだ味ということもあるだろうが、それを差し引いても素直に美味だと思う。

印刷技術の未熟な有限世界のこと、紅茶の教本などあるはずもないから、茶葉を蒸すお湯の温度や時間はエスペリアの経験と感性によるものだろう。クセの強いハーブティーがすっきりと飲みやすいのも、エスペリアの腕前を表している。

『ふふっ、ありがとうございます』

口々に賛辞を述べると、エスペリアは嬉しそうにはにかんだ。

それから、自分の分のハーブティーを持ってくると、エスペリアは柳也達の対面に座った。

『ユートさまもリュウヤさまも、今回は始めての長期の任務、お疲れさまでした』

『いやあ、長期っていっても、俺は手紙を届けるだけだったからな』

柳也はそう言って労をねぎらうエスペリアの言葉をかわす。

バトル・オブ・ラキオスの一件は魔龍退治が成功に終わった現在も密命扱いとなっている。いずれは悠人達にも話せる時がくるだろうが、いまはまだ、その時ではない。

『後半のほうはほとんど女の子と喋っていただけだったし』

『……お前、俺たちが必死に山を登っている最中にナンパしてたのかよ』

『違う。専心誠意をもって口説いていたんだ』

柳也はやけにニヒルな冷笑と口調で言い切った。

『おかげで一人、いつになるかはわからないがデートの約束にこぎつけたぞ?』

『デートってお前……』

悠人の咎めるような視線が頬を刺した。

おそらく悠人の頭の中では、にやけ面の自分が何人ものスピリットに声をかける情景が鮮明な像として思い浮かんでいることだろう。たしかにその通りのことをしてきたが、実際にデートの約束までこぎつけた相手は敵国の赤スピリットだ。悠人の想像するような色気づいたものではない。

『……まぁ、俺はそんな感じさ。ところで、そう言う悠人達はどうだったんだ?』

ふと柳也が話題を転じた。

先ほど謁見の間にて披露された報告はラキオス王が必要とする要点だけをまとめた略式のものであり、詳細については柳也もまだ知らなかった。

柳也は好奇心に爛々と輝く瞳で、対面のエスペリア、隣に座る悠人を見た。

『噂に聞く龍というのはどんなやつだったんだ? やっぱりゴジラみたいな怪物だったのか?』

『……ああ』

しかし、好奇心に輝く柳也の笑みとは対照的に、答える悠人の顔色は冴えなかった。

『ゴジラみたいに巨大で、ゴジラみたいに強かった。けど……』

『けど?』

『映画のゴジラにはなかった、知性があった』

『…………』

柳也の目が訝しげに細まった。

『どういう、意味だ?』

『サードガラハムの門番、龍は、自分のことをそう言っていたよ』

にわかには信じられない衝撃が、柳也を襲った。

『龍が、人間の言葉を喋ったのか?』

『ああ』

悠人はゆっくりと頷いた。

それから彼は、とつとつ語り始めた。リクディウス山脈で遭遇したという、サードガラハムの門番との戦い、そして、ラキオスの守護龍が最期に語った、その言葉を……。

『俺は、龍がラキオスを滅ぼそうとしたから、戦って、倒したんだ。なのに、龍は……龍は、そんな俺に、負けないように、って、言ったんだ。自分を討った、相手に向かって』

見ると、テーブルの上に置かれた悠人の握り拳は小刻みに震えていた。

ティーカップの中に広がる赤い世界に落とされた眼差しには、迷いと後悔、そして憤りが感じられた。

対面のエスペリアは、そんな悠人の顔を黙って見つめている。

『なぁ、柳也……』

『ん?』

不意に名前を呼ばれて、柳也は暗い眼差しを悠人に向けた。悠人の話を聞くにつれて、柳也の顔から好奇の笑顔は消え去っていた。

『龍が言っていたことは、正しいよな。どうしてエスペリアたちが戦っているんだろう? どうして俺たちが、あの龍を倒す必要があったんだろう?』

『それは……』

柳也は何か言葉を発しようと口を開いたが、また閉じた。

どんな名文を述べたところで、実際に龍を見ていない自分の言葉では、悠人が求める答えはおろか、慰めにもならないだろう。

それでも、何か言わなければと、柳也はもう一度口を開けた。

『それがこの世界の、摂理だからだ』

『…………』

『スピリットが戦うのは当たり前のこと。納得できるかどうかは別として、それが、この世界の理だからだ』

『じゃあ、龍のことは……』

『佳織ちゃんのためだ』

柳也は、反論を許さぬ強い口調できっぱりと言った。

『お前は佳織ちゃんのために仕方なくラキオス王の命令に従い、龍を討ったんだ』

『でも、それは佳織を言い訳にしているだけなんじゃ……』

『違う!』

柳也は悠人の言葉を遮った。

『違うと、思え。たとえ言い訳にすぎないとわかっていたとしても、それで自分を納得させろ。でないと……』

柳也はそこで一旦言葉を区切った。

その先を言うべきか、言わずして席を立つが、しばしの逡巡があった。

『……お前の心が、壊れちまう』

『リュウヤさま……』

エスペリアが、心配そうに自分と悠人の顔を交互に見比べた。

柳也は深呼吸すると、日本語で言った。

「俺たちは日本人だ。敗戦を親とし、かつての敵国の手で育てられた世代の日本人だ。戦うことに迷って、むしろ当然なんだ。言い訳のひとつでも用意しておかねぇと、身体よりもまず精神がまいっちまう」

「柳也は……」

「ん?」

「そういう、柳也はどうなんだよ?」

悠人の弱々しい眼差しが、睨むように突き刺さった。

柳也は深い溜め息をつくと、ぽつり、と、呟いた。

「俺は、その意味で、日本人じゃないんだろうな」

戦うことに躊躇いを覚えた時期もあった。

しかし、一度吹っ切れてしまうとあとは本能の赴くままに戦えた。

悠人のように、言い訳を必要とすることもなかった。

そして、最近では戦いを楽しむ余裕すらあった。

柳也は、同じ日本人でも自分と悠人とではこうも違うものか、と寂しげに笑った。

『けどな、忘れてくれるなよ、悠人』

柳也は、聖ヨト語で言った。

『戦いを正当化しようとしている自分を、嫌悪している自分。絶対にそれを、忘れないでくれ』

戦うことに言い訳を必要としない自分からは、いまやそのような気持ちすら失われようとしている。

柳也は、せめて悠人だけはと、強く思った。

 

 

――聖ヨト暦三三〇年、エクの月、赤、ふたつの日、夜。

 

夕食後のキッチンではエスペリアがオルファと一緒に洗い物をしていた。

食堂と台所とをつなぐ出入り口に立った柳也は、こちらに背を向けて作業する緑のメイド服に声をかけた。

『なあ、エスペリア』

『はい、少しお待ちください』

目下、取り掛かっている大皿の一枚を手早く洗い終え、エスペリアは柳也を振り返った。

『どうなさいました?』

『いや、コップが二つ余っていないかと思ってな』

『二つ、ですか?』

『ああ』

小首を傾げたエスペリアの問いに、柳也は小さく首肯した。

『実は、これから来客の予定があるんだ』

『お客さん?』

小さな手いっぱいにフォークやらナイフやらの食器を握り締め、オルファが振り向いた。客という単語に敏感に反応した少女の瞳は、好奇心から宝石のようにキラキラと輝いている。スピリットの館に客が訪れるなんて珍しいことだから、無理もない。

『ね、ね、それって男の人? 女の人?』

『ふふん、女の人だ』

興味津々と言った様子で訊ねてくるオルファに、柳也は得意げに胸を張って答えた。

オルファが感心したように息をつく。

『へぇ〜、それってリュウヤの恋人ぉ?』

『ううん、残念ながら違うな』

オルファの無邪気な質問に、柳也は苦笑とともにかぶりを振った。

『嫁候補には違いないが、いまのところはただの友達だ』

『ですが変ですね。今日は王城からの訪問の予定はありませんが』

エスペリアはエプロンドレスのポケットから黒皮の手帳を取り出すと小首をかしげた。館のスケジュール管理はエスペリアの仕事だが、手帳のどこを見てもそのような予定はない。

『そりゃあ、公的な訪問じゃないからな』

柳也はオルファに向けた苦笑を引きずったまま、エスペリアに言った。

『私的な訪問で、ちょっと前に決まったことなんだ。急なことで、エスペリアには申し訳なく思うが……』

『いえ、私はべつに構いません。……ですが、困りましたね。いったい何時頃のご予定でしょうか? 時間によっては、おもてなしの準備が間に合わないかもしれません』

『いや、もてなしとか、そういうことは考えなくていい』

思案顔で呟くエスペリアに、柳也はかぶりを振って言った。

『特別、何時頃とは決めてないし、もともと、そういうもてなしを嫌う輩なんだ。だから格別気を遣う必要ない。ただ、ちょっとばかり込み入った話になりそうだったからさ。さすがに茶の一杯も出してやらないと、失礼かなって思って』

『込み入った話、ですか?』

『ああ』

柳也はまた小さく首肯した。

『バーンライトのことでな。ヨゴウ殿やセッカ殿に頼んで、個人的に資料を集めてもらったんだ』

 

 

――同日、深夜。

 

全員揃っての夕食を終えて自室へ戻った直後、悠人は自身を放り出すようにベッドに倒れこんだ。

一日の間で蓄積された疲労が身体を重くし、何かをしようという行動意欲の一切を奪う。

一歩も動きたくない。まさにそんな気分だった。

硬いはずのベッドのシーツが、天国の心地良さを演出していた。

「つかれ……た…………」

自然と口をついて出た呟きが、さらなる疲労感を悠人に自覚させる。

仰向けに寝転がった悠人は、それすらも億劫そうに細い呼吸を繰り返していた。

魔龍討伐作戦を成功させた直後から、悠人達エトランジェに課せられた訓練はそれ以前と比べて断然厳しいものになっていた。訓練時間は以前の倍に増加し、内容も以前より濃密なものとなっていた。以前は戦闘訓練と基礎体力作りを淡々とこなすだけだったのが、最近ではそれらに加えて有限世界における戦術論、軍人としての礼儀作法といった講義が訓練メニューに組み込まれるようになっていた。

与えられた自室には、まさに寝に帰るだけといった毎日を送っている。

魔龍討伐を果たして正式なラキオス軍人になったからだが、望んでそうなったわけではない悠人にとっては地獄のような日々だった。

――しばらく…こうしていよう……。

エスペリアが毎日洗ってくれているからか、安物ながら不思議と肌触りのよいシーツに身を預け、悠人は黙然と天井を見上げ続けた。

何か考え事をするわけでもなく、ひたすら自分の額を照らすエーテル灯を見つめ続ける。

やがて、開け放った窓から、ひんやりとした風が吹き込んできた。

過酷な訓練で火照った身体には心地の良い涼風だ。

疲労から何も考える気になれない悠人は、ほとんど無心のまま風の吹くほうに目線を動かした。

「月、綺麗だな……」

思わず呟いたその言葉に力はなく、やはり疲労感が滲み出ている。

青白い月明かり。金色のマナの光。

元居た世界では絶対に見ることのできない、幻想的な景観も、いまの悠人には感動を与えられる威力を持たない。体調がよければもっと楽しめるはず光景だったが、いかんせんいまの彼には景色を楽しむ余裕すら失われていた。

その時、控えめなノックの音が部屋の中に響いた。

悠人は首だけを回し、ドアへと視線を転じた。

『ん…………は…い?』

『どなた?』と、相手の名前を訊ねることはない。

悠人にはノックの音の調子で誰がやって来たか大体の予想がついていた。この館で、こんな風に控えめなノックをする人間はひとりしかいない。

はたして、静かにドアを開けて入室してきたのは、予想通りエスペリアだった。

いつものメイド服姿で、両手にお盆を抱えている。

『ユートさま……失礼いたします』

悠人は、ふと違和感に眉をひそめた。光の加減か、エスペリアの表情がやや強張っているように見える。何か思いつめているような、そんな顔だった。

『エスペリア……なにう…ッ…くっ…!』

起き上がって彼女を出迎えようとした途端、全身に激痛が走り、悠人はくぐもった悲鳴を漏らした。

肉体労働や筋肉痛には慣れているつもりだったが、これはいつものそれとは明らかにレベルが違う。

『あ、起き上がらないでください! 今日の訓練はまだユートさまには……その……お辛かったと思います』

エスペリアは言葉を選びながら悠人を慰めた。

だがいまは、その気遣いが悠人には辛かった。エスペリアの言う「お辛い訓練」を、同じくエトランジェの柳也は悠人の目の前で淡々とこなしてみせたのだ。

あまり情けないところを見られたくない、という気持ちも手伝って、悠人は目を瞑った。

これ以上、己を気遣うエスペリアの顔を見ていたくなかった。

『……次は…頑張る…って』

『あまりご無理をなさらないでください。まずは慣れることが肝心なんですから』

『うぐっ……面目ない』

エスペリアは胸に手を当て、心配そうにこちらを見下ろしている。

自分などよりもはるかに戦いに向いていないように思える少女からの眼差しを受けて、悠人の胸は情けない気持ちでいっぱいになった。

自棄になったように、悠人はそっぽを向く。

『では、ユートさま……そのまま力を抜いてらしてください』

『……は?』

それまでのいたわるような調子から一転して真剣な声。それまでの穏やかな空気から、戦場さながらの緊迫感が、エスペリアの声から滲み出ていた。

突然の変容に、悠人は間の抜けた声で聞き返してしまう。

しかしエスペリアは、そんな悠人の態度など気にも留めず、黙ってベッドの縁に膝をついた。

躊躇いの気配が伝わってきて、悠人の中の違和感がさらに大きいものになる。

だが悠人がそのことについて口にするよりも早く、エスペリアは無造作に手を伸ばした。悠人の穿いたトラウザー、その股の部分に。

『!! な、エスペリアっ』

ぞくりっ、とした性感が悠人の脊髄を駆け抜けていった。

マナを要求する〈求め〉の影響で、ただでさえ感じやすくなっている股間を、そろりと繊手が撫でていった。

『ちょっ、ちょっと待って……ぐっ! ……いてて』

突然の事態に慌てて起き上がろうとした悠人だったが、再び身体を走る鈍い痛みにその行動は徒労に終わってしまう。

みたびベッドに背中を預けることとなった悠人に、エスペリアは複雑な目線を向けると、

『心得てますから…どうか楽に……』

と、悠人の混乱をますます煽るような言葉を紡いだ。

『動かないでください…。私が全部しますから……』

窘めるような囁き耳朶を打ち、丁寧な手つきが、トラウザーと下着を下ろしていった。

悠人にはそんなエスペリアの行為を、黙って受け入れていた。

イニシアチブを取られている、という屈辱感すら湧かない。

いまの悠人の心を支配するのは、困惑という名の感情だった。

目元を伏せ、やや頬を紅潮させたエスペリアがどのような顔を浮かべているか悠人には見えない。

いやそれ以上に、悠人にはエスペリアの心が見えなかった。

 

 

――同時刻。

 

父の数少ない形見の針が、午後十時を正確に刻もうとした時だった。

部屋に一つしかない椅子に腰掛け、これまた自室に一つしかない円形のテーブルを前に読書にいそしんでいた柳也は、コツコツ、と、控えめなノックの音に顔を上げた。

『誰だ?』

『リリィです。遅くなりました』

板戸一枚を隔てた向こう側から聞こえてきたのは、ここ最近ですっかり聞きなれた密偵の声だった。

柳也は読みかけのページに栞を挟むと、椅子からベッドへと移動した。

『鍵は開いている。入ってきてくれ』

『失礼します』

リリィ・フェンネスは、相変わらず感情らしい感情を感じさせない声とともに部屋の戸を開けた。入室した際に彼女が立てた物音はそれくらいで、足音もなければドアを開ける音すらほとんどない。日々の鍛錬の賜物だろう。

あの三者会談以来、リリィはラキオス王らと自分とをつなぐ通信役となっていた。彼女はダグラスが抱えている密偵の中でも特別な存在らしく、柳也が求めればすぐにダグラス達との連絡をつないでくれた。また、エトランジェということで何かと行動に対する制約の多い自分に代わって、雑用をこなしてくれる秘書のような役割も果たしていた。

入室したリリィは王国軍の制服に身を包んでいた。悠人や柳也達が着るようなエーテル技術による特殊加工の施された服ではなく、普通の兵達が着る白を基調としたものだ。当然男物で、有限世界の女性の中でも特に小柄な部類に入るだろうリリィが着るとだいぶだぶついている。しかし日頃の鍛錬から姿勢の良いリリィのこと、颯爽と着こなすその姿は男装の麗人に見えなくもない。

小脇には書類の束を抱えている。チラリ、と見える表題から察するに、内容はすべてバーンライト関連。二日前から個人的に各方面に依頼して取り寄せてもらったものが、まとまった量を揃えたらしい。

『依頼されていた資料を持ってまいりました』

『うん。ご苦労さん。とりあえず座ってくれ』

柳也は、自らはベッドに腰かけ、リリィには椅子を勧めた。

ついであらかじめエスペリアに頼んで用意してもらったエーテル・ポットを片手に、『茶は飲むかい?』と、訊ねる。

しかしリリィの返答は『いりません』と、素っ気のないものだった。

『つれないなぁ』と、乾いた笑みを口元にたたえ、柳也は自分の分のコップのみを取り出して、茶を注いだ。ひと舐めすると、わびしい味がした。

リリィはきびきびとした所作で腰を下ろし、テーブルの上に書類の束を置いた。

それを見て、柳也の頬の筋肉が思わず引き攣る。水平面上に置かれて、書類の厚みが相当なものであることにようやく気付いた。現在自分が呼んでいる途中のハードカバーよりも分厚い。ダグラスの部屋から持ち出した博物学の本の厚みは、目測で三・五センチはある。それ以上の厚みだ。

『これ、全部バーンライト関係の資料か?』

『はい』

引き攣った笑いとともに訊ねた柳也に、リリィは無表情に答えた。

『より詳細かつ信頼性の高い資料を、ということでしたのでダグラス様に連絡したところ、戦略研究室のほうに働きかけてくれましたので』

『戦略研究室……ってことは、機密クラスの情報じゃないか?』

柳也はおそるおそるといった口調で訊ねた。

ラキオスにおける非公開情報の秘密区分は現代世界の米軍と同じで秘:Confidential C)、極秘:Secret S)、機密:Top Secret TS)の三段階で区分されている。最上の秘密区分は機密で、これは無許可で開示すれば国家安全保障上、極めて重大な損害を与える恐れのある情報だ。

はたして、リリィは柳也の言葉に対して平然と頷いた。

『はい』

『こりゃあ、一枚紛失しただけで俺の首が飛ぶな』

柳也は苦笑しながら麻の紐で綴られた一束を手に取った。一枚目をめくると、慣れ親しんだ日本語ではなく、異世界の文化から生まれた見慣れぬ文字による文章が綴られていた。

一読しただけで瞬時にその重大性を理解する。

そこに書かれていたのは、かつての“鉄の山戦争”で猛将スア・トティラがみせた戦術に対する多角的な分析と、その対処法が記載されていた。のみならず、資料は未熟な心理学ながらトティラ・ゴートという男の人物像にまで言及している。

柳也は感慨深げに息をつくと、バサッ、と資料を閉じた。

『ダグラス殿に伝えておいてくれ。じっくり読ませてもらう、とな』

『ダグラス様は出来るだけ素早く読んで返してくれ、とおっしゃっておりましたが』

『保証はできないが、善処する』

柳也はそう言って書類の束を持ち上げた。ずしり、とした重みが、手首の筋肉を圧迫する。自分で頼んでおいて情けない話だが、早くも心が折れそうだった。

柳也はとりあえず書類の束を戸棚の奥へとしまった。機密書類とあって、簡単に人目につくような場所には置けない。

入れ替わりに、柳也は戸棚の奥から分厚いハードカバーの本を三冊と、その何十分の一の厚みの紙の束を二部、引っ張り出した。ハードカバーはテーブルの上の博物誌と同じくダグラスから借りたもので、書類のほうはここ数日、辞書と格闘しながら夜更かしして書き上げたものだった。

『重い荷物を運んできてもらったばかりで心苦しいが、また、雑用をお願いしていいか?』

『ダグラス様からはリュウヤ様のご命令は可能な限り承るようにと仰せつかっております』

『それじゃあ、頼む』

嫌そうな表情ひとつ浮かべることなく言ったリリィに、柳也は手の中の三冊と二部を示した。

『こっちの三冊はダグラス殿に借りたものだ。あとで返しておいてくれ。それから、こっちの資料は例の改革案について、もう少し詳細を煮詰めてみた内容だ。二部あるから、それぞれダグラス殿と、陛下にお渡ししておいてくれ』

『わかりました』

リリィは淡々とした動作で頷くと、三冊と二部を受け取った。

それっきり、二人の間で会話が途切れてしまう。

なんとなく居心地の悪い沈黙。

リリィは席を立とうとする素振りを見せず、粛々と次の指示を待っていた。

口を一文字に閉ざし、真っ直ぐ背筋を伸ばした聞きの姿勢を保持したまま微動だにしない。

柳也は空咳をひとつこぼした。沈黙に耐えかねてのアクションだったが、いくら待っても向こうからのアプローチはない。自分の目論見が失敗に終わり、柳也は盛大に肩を落とす。ついで、かゆくもない頭を掻き毟った。

――まいったなぁ。

こういう重苦しい沈黙は苦手だ。

同じ沈黙でも、剣の戦いの時とは別種のストレスを感じてしまう。

もともと自分は多弁なほうだし、どちらかといえばひとりで遊んでいるよりも大勢でわいわいやっていたほうが楽しいと思える性格をしている。剣術の稽古でも、ひとりでひたすら振棒を振っているよりも、兄弟弟子らと一緒に和気藹々とやるほうが好きだった。おそらく、生来の寂しがり屋なのだろう。

無意味な喧騒はわずらわしいが、気の張った沈黙はもっとわずらわしい。だからこそ、そのような状況に陥らないよう、普段から口数を多くしてきたつもりだった。

しかし、さしもの柳也もリリィが相手では話のタネが見つからなかった。

普段から意図的に感情を殺し、仕事以外ではほとんどまともに口も利いてくれない彼女には、どのような話題をふれば会話が成立するかまるで見当がつかない。同じ無口でも、ある程度の感情表現がある分、アセリアのほうがまだマシだった。

 

 

その時、にわかには信じがたい声の響きが柳也の耳膜を震わせた。

それまで受身に徹していたリリィが、突如として自分から口を開いたのだ。

『……以上で終わりでしょうか?』

『んあ?』

リリィの夜間の澄んだ空気によく馴染む透明な声が耳朶を打ったと感じた瞬間、柳也は反射的に聞き返していた。まさか向こうからアプローチしてくるとは思いもしていなかったから、意図せずしてその態度には呆然とした驚きが混じってしまう。隙を衝かれたも同然で、おそらくいま、自分は非常に間抜けな顔を晒していることだろう。

見ようによっては非常に失礼な自分の態度をどう受け取ったのか、リリィの無表情からは窺えない。

まるで精巧な仮面を着けた相手と対面しているかのような錯覚を感じ、柳也は本能的に背筋を震わせた。素顔の見えない、あるいは本心を感じさせない女と話すというのは、男にとって恐怖以外の何物でもない。

『ええと、以上って、何が?』

柳也はおっかなびっくりおずおずと訊ねた。

リリィの本心もそうだが、彼女の言葉自体よく理解できなかった。『以上で』と、彼女は口にしたが、いったい何の話だろうか。

はたして、リリィは柳也の失礼な態度には何も言わず、

『柳也様からの用件は以上で終わりでしょうか?』

と、新たな言葉を添えて言った。

柳也は得心して頷いた。

なるほど、そういえば先ほどからの沈黙は他に自分からの指示がないか、待っていたがために生じたものだった。たしかに自分はまだ『これで俺からの話は全部だ』と、会話を打ち切る言葉を述べていない。不快な沈黙を長引かせていたのは、むしろ自分のほうだった。

柳也は数秒間、黙ったまま頭の中を整理してみた。

貰うべき物は受け取った。渡さなければならない物も手渡した。特別、訊かなければいけない問題はいまのところない。強いて言うならばリリィのスリーサイズが気になるところだが、仮にこの問いをぶつけてみたとしても、嬉しい答えが返ってくる望みは薄い。きっと無表情かつ無機質な声で、淡々と数字だけを告げられるに違いない。

『ああ。いまのところこれ以上はないな』

『そうですか』

リリィは柳也の言葉を確認するように頷いた。

柳也はこれで今度こそ味気のないお喋りは終わりかと思ったが、違っていた。

リリィは頷いた後、受け取った三冊と二部をテーブルの上に置き、静かに口を開いた。

『では、引き続きダグラス様からの指令を遂行させていただきます』

『ダグラスからの指令とは何だ?』と、柳也が口を挟む間も与えず、リリィは行動を起こした。

ぴっちりと閉じられた制服のボタンをはずすや彼女は懐中へと手を差し入れ、まさぐった。

ジャラジャラ、というくぐもった金属音。しかし、剣呑な気配は感じられない。

不思議な予感にかられた柳也はリリィの一挙一動に注目した。

貧乏人の嗅覚が、カネの臭いがすると告げていた。

はたして、リリィが懐から取り出したのは柳也の予想通り財布だった。財布といっても造りは粗末なもので、実態はただの麻袋だ。口のところを毛の紐で絞っているだけの、巾着袋と変わらない。

財布の造りは貧相だったが、中から聞こえてくる金属音は柳也の耳を甘く刺激した。

有限世界の通貨はすべて硬貨だ。かつての日本と同じで、ほとんどが合金でできている。硬貨の価値は、合金中に含まれる金や銀などのレアメタルの含有率によって決まる。なお、レアメタルではないが銅貨の場合も銅の含有率によって価値が決まる。

財布を取り出したリリィは、それを柳也に差し出した。

柳也が困惑の体でそれを見つめていると、

『ダグラス様から、当座の活動資金ということで預かってまいりました。一〇〇万ルシルあります』

と、言った。

なるほど、この金子は給金のない自分に対するダグラスの心配りなのか。

相手が相手だけに何か裏があるのではないかと心配になるが、桜坂柳也という男がカネで動くような人間でないことはダグラスも承知のはず。ここは単純に、通産大臣の善意と受け止めてよいだろう。

『そういうことなら遠慮なくいただいておこう』

柳也は気を抜くと自然弛緩してしまいそうになる頬の筋肉に力を入れ、真剣な表情で財布を受け取った。

先ほどの資料の束と同じくらいの、ずしり、とした重み。顔がとろけそうになるのを、必死にこらえた。

【いいや、主よ、まったくこらえきれておらぬぞ?】

――うるせぇ、貧乏人を舐めるな。カネを前にして顔が緩まない方がどうかしている。

頭の中に響く〈決意〉の声に反論し、柳也は改めて緩みっぱなしの顔をリリィに向けた。

『それで、一〇〇万ルシルって、どれくらいの価値があるんだ?』

『ラキオスではネネの実の市場価格が一個一〇〇ルシルです。リーザリオでは六〇ルシルでしたが』

ということは、ラキオスでは一〇〇万ルシルあればネネの実が一万個買えるわけだ。これはわかり易くてよい。

――ようやく俺にも金運が巡ってきたか。

受け取った財布をベッド脇のタンスにしまい、鍵をかけた柳也は口元に不敵な笑みをたたえた。

両親の死後、桜坂柳也を取り巻く金銭事情は劣悪を極めてきたが、有限世界に召還されてからというもの、自分の運は上を向いてばかりだ。軟禁状態にある佳織や、望まぬ戦いに参加せねばならないことで苦悩している悠人には悪いが、もしかしてこの世界は自分のために用意されたのではないか、そんな空想小説のような考え方すら浮かんできてしまう。

――これで瞬の居場所がわかれば文句なしなんだけどなぁ。

相変わらず行方不明の親友の消息はようとしてつかめていない。

それだけが唯一の不満点だが、あとはおおむね柳也を満足させてくれる状況だった。

『それからもうひとつ……』

静かだが透き通ったリリィの声が、耳の奥へ滑り込んできた。

大金を前に緩みっぱなしだった頬を引き締め、柳也は新たな話題を投げかけてくるリリィの顔を見た。

今度はどんなアプローチを仕掛けてくるだろうかと待ち構えていると、リリィは、彼女にしては珍しく、戸惑うような素振りを見せた。

素振りといっても、何か特別な動作を行ったわけではない。能面のような無表情は相変わらず健在だったし、彼女の身体は座ったままだ。しかし柳也は、その無表情の中にかすかな感情の動きを見ていた。それは幼い頃からしらかば学園という実戦の場で対人スキルを磨いてきた柳也が、よく注意して見て初めて気付けた表情の変化だった。

能面の無表情にあって不変と思われたリリィの眉尻が、わずかに二ミリほど垂れ下がったのを柳也が見逃さなかったのは、日頃鍛えた動体視力の賜物だろう。

目は口ほどにものを語る。眉を支える筋肉のかすかな動きから、柳也はリリィが抱え込んだ複雑に思考が混在する感情のうなりを察した。

それは躊躇いであり、困惑であり、迷いといった感情だった。

どうやらリリィは、ダグラスから与えられたもう一つの指示を実行することに、躊躇いとか、迷いといった感情を抱いているらしい。密偵という職業柄、感情を殺すことには慣れているリリィにしては珍しい、いや、意外な反応だった。

感情を殺すことに慣れているはずの彼女が、自分を殺しきれていない。

はて、ダグラスからのもうひとつの指示とは、そんなに実行の難しいものなのか。

『……どうした?』

一度は開いた口を困ったように閉ざし、そのまま硬直してしまうことたっぷり十秒、柳也はいまだ何のアクションも起こさぬリリィに、助け舟を出すことにした。

先を促す言葉をかけてからさらに十秒が経ち、リリィが意を決したように立ち上がった。

それからの彼女の行動は言語による表現が困難なほどの迅速さと正確さをもって進行した。

ベッドに腰掛けた柳也の口が『何を……』と、疑問の呟きを発音しかけるよりも早く、リリィは彼の前に回り込むや、なだれるように分厚い胸板へと飛び込んでいった。

急速に接近してくるリリィの顔。

――やられるッ!?

剣士の警戒本能から、柳也は反射的に傍らの脇差へと手を伸ばした。

飛び込んでくるリリィの手元に剣呑な輝きを放つ刃は見当たらなかったが、密偵というリリィの立場を考えれば、暗器の携帯は十分に考えられる。刃渡り十センチ以下、重量一〇〇グラム以下の小型ナイフでも、奇襲を成功させれば深刻なダメージを与えることができる。

柳也は脇差の鯉口を切るやすかさず抜刀――――――という寸前、男としての本能が、鞘引きを仕掛けた彼の左手を押し留めた。

ふと気が付けば唇にやわらかな感触、背中にはやわらかなぬくもり。

ほのかに甘酸っぱいさわやかな汗の匂いが鼻腔をくすぐり、脳をしびれさせる。

突然の事態に一瞬、思考能力を喪失した柳也は、自分の身にいったい何が起きたのかわからず茫然と目を見開いた。眼下に、目を閉じたリリィの睫毛が震えているのが見えた。

「……ふぇ?」

重なり合った唇のわずかな隙間から、そんな間の抜けた吐息が漏れた。はからずも、自分の口から漏れたその声が、柳也の頭に正常な思考を取り戻させた。

正気を取り戻した柳也はすぐに現在自分の置かれている状況を認識しようと努めた。

全身の感覚器官を総動員し、数秒前の過去の状況と、現在の自分の状況を比較する。

少なくとも数秒前まで、自分とリリィの距離はこんなにも近くはなかった。

少なくとも数秒前まで、自分の背中に彼女の腕は回されていなかった。

少なくとも数秒前まで、自分の唇は大気とのみ触れ合っていたはずだった。

そうして導き出された結論は、一つだった。

――なぁ〈決意〉、俺、いま、何されている?

【どのような言葉で表現するのが望みだ? Aか? マウス・トゥ・マウスと言ってほしいか? それとも直接的に接吻と呼ぼうか?】

――……申し訳ない、質問の仕方を変えよう。何で、俺はいま、リリィからキスされているんだろう?

【そのようなこと、我が知るわけがなかろう】

〈決意〉はやや憤慨した感情イメージを語調に託して言った。

質問の矛先を〈戦友〉に変えようとした次の瞬間、リリィの唇が離れていった。

涼しげな双眸が、太い眉の下の大振りな双眸を見つめてくる。

柳也とリリィは、しばし無言で互いに見つめ合った。

ほのかに頬が赤く見えるのは、光の加減か、それとも柳也の見間違いだろうか。

やがてリリィが、ふいっ、と目線をそらし、静かに口を開いた。

『その……突然、すみませんでした……』

歯切れの悪い口調で謝罪の言葉を呟くリリィは、しかし柳也と目を合わそうとしない。明らかに、普段の彼女らしからぬ態度だった。

『こういった状況に慣れていないものですから、段取りがわからなくて……』

『ええと……何が?』

柳也はいまだ脇差に両手をやったまま訊ねた。

リリィが何を言っているのか、まるで理解できない。こういった状況? 段取り? いったい何の段取りだというのか。

『ダグラス様からの指示です』

リリィは相変わらず柳也から顔をそらしたまま言った。

柳也はますます混乱して怪訝な表情を浮かべる。

『ダグラス殿の? キスをすることがダグラス殿の指示なのか?』

『いえ、その……』

リリィはその先を口にすることを躊躇うように俯いた。

もともと決して大きいとは言えなかった声が、さらにか細いものとなる。

『リュウヤさまに、抱かれてこい言われました……』

リリィは消えるような声音で言った。

 

 

衝撃的な内容の発言だったが、今度は柳也も、『そうか……』と、冷静さを失わなかった。

この時、すでに柳也の頭の中には三つの考えが浮かんでいた。自分に抱かれてこいと、リリィに指示を下したダグラスの思惑についての考察だ。

ダグラスがなぜリリィを自分の部屋に差し向けたか、第一の考えは、単純に慰労の目的で自分に女を宛がったというものだ。軍人というのは極度のストレスと向き合わねばならない仕事だ。ナポレオン時代の、いわゆる“兵士のための女”と同じ効果を期待したのかもしれない。

女というのは不思議な生き物だ。過酷な戦場でささくれ立った男の心を、たった一人の女が救ってくれることもある。

事実、ファンタズマゴリアにやって来たばかりの頃の柳也自身そうだった。右も左もわからぬまま極度のストレス下に放り出された己の心を救ってくれたのは、他ならぬエスペリアの微笑みだった。おそらく、悠人もまた同じ気持ちを感じたことだろう。

もっとも、自分の場合は単に女好きが高じただけかもしれないが。

第二の考えは、ダグラスは自分の子種を欲しがっているのではないか、という疑惑だ。これはかつて、柳也達の世界でもさんざん行われてきたことだった。

医学が未発達だった時代は、性の面では男女同権で、むしろ女のほうが強いことが多かった。女のほうに相手を選ぶ権利があった。その背景には、強い男と一緒になり、優秀な子孫を残す、という人間という動物が持つ最も根源的な生存本能がある。

たしかに、客観的に見て自分という剣士の遺伝子を欲しがるのは、そうした論理に照らし合わせればおかしくないことだろう。ダグラスはラキオスを愛していると言った。愛するラキオスの今後の発展のために、より優秀な子孫を残したいという彼の気持ちは、理解できなくはない。

しかし、と柳也はかぶりを振る。

それは現実問題として期待の出来ない現象だ。このファンタズマゴリアで、桜坂柳也という男の遺伝子を継承した人間が生まれることは、まずありえない。

なぜなら自分はエトランジェなのだ。スピリット、そして自分達エトランジェの肉体は、エーテル体によって構成されている。戦いの中で負った傷口から飛び出した鮮血がいずれはマナの霧になって大気に還るように、自分の身体から放出されたものは、汗であれ、精液であれ、いずれは同じようにマナの霧へと化す。そんな自分の精液では、着床の可能性はかなり低い。絶対にないとは言い切れないが、確率的に千度交わって、一人子どもができれば良い方だろう。

ちなみにこれはスピリットにも言える。この世界では禁忌とされる妖精との性交を行った場合、膣内射精をしてもその子種が新たな命を生むことはない。

詳しい仕組みは柳也にもわからないが、エーテルで構成された自分達の肉体と、この世界の人間との肉体は、どうも相性が悪いらしい。この事実は有限世界における常識の一つであり、ダグラス・スカイホークともあろう人物が知らぬはずない。

よって第二の考えは頭の中に浮かんできた時点で、柳也の思考の外へと追いやられた。

第三の考えは、これはハニー・トラップの一種ではないか、というものだ。

ハニー・トラップとは柳也達の世界におけるスパイが使う情報収集テクニックの一つで、要はセックスを武器にしたスパイ活動のことだ。つまり、セックスでエージェント(諜報員)を獲得するのである。

かつて旧ソ連の代表的な諜報機関KGBでは、セックスをスパイ最大の武器の一つとして見なし、正式な訓練項目としてきた。「セックスはスパイ活動に欠かせない技術である。旧約聖書のサムソンは、女体に溺れなければ敵に捕まることはなかったのだから」と、担当官は聖書を題材にしてスパイに説明したという。

男性のスパイはたとえそれが生理的に耐え難い相手でも平気で愛を囁き、女性のスパイは自らの肉体を武器に異性を虜にする。同性愛主義者や変態的志向者が相手の時は隠しカメラやビデオなどの機器を駆使し、行為の一部始終を記録し、脅迫する。こうしてスパイの言いなりになったエージェントを使って、情報を引き出すのだ。

現実問題として、セックスを使ったエージェントの獲得方法は高い成功率を収めている。セックスにはまり、愛に溺れ、あるいは脅されながら祖国を裏切り、情報資料を流す者は後を絶たない。だからこそ、現代でもセックスはスパイの武器として十分通用する。

ダグラスが慰安目的で自分のところにリリィを差し向けたのだとしたら、それは理由が単純明快でいい。無論、リリィ本人の意思確認は必要だが、自分も素直にその行為に甘えることができる。

しかし、なんといっても相手は風見鶏と呼ばれる通産大臣だ。その行動の一つ一つには裏があると踏んでかからねば、足元をすくわれかねない。

その意味で最も可能性が高いのは第三の考察だろう。

有限世界出身のダグラスがサムソンの物語を知るはずがないが、密偵たるリリィにハニー・トラップを仕掛けるよう仕向けた公算は高い。

すでに多くの密偵を抱えているダグラスが新たなエージェントを獲得したところで、今更メリットは少ないはずだから、以前言っていた自分のラキオスへの忠誠をより確実なものにするために、リリィを差し向けたのかもしれない。

――だが……。

と、そこまで考えたところで柳也は顔をしかめる。

その視線の先では、相変わらずリリィが顔を背けていた。

ハニー・トラップ説は考えうる状況の中で最も公算の高いパターンだが、肝心のリリィがこれでは、虜にする以前の問題だ。通常ハニー・トラップを女性が仕掛ける場合は、もっと経験豊富な人間が選ばれてよいはずだが。

――……この恥ずかしがりようは、演技じゃないよな。

むしろ、感情を殺す演技を忘れているきらいすらあるように思えてしまう。どう考えても、リリィはハニー・トラップに向いていない。

【じゃあ、ご主人様、慰労と思って受け入れるんですか?】

――ううん……それもなあ……。

【何か引っかかるものがあるのか?】

――後ろめたいだけだよ。行方不明の瞬や、色々と悩み事の多い悠人を差し置いて、俺だけがこんな良い目にあっていいのか、って。

交互に浴びせられた相棒達の質問に、柳也は内心溜め息をついた。

柳也とて若い男で、しかも女は剣士の闘争本能を鈍らせるとして日頃から禁欲生活を送っている。性根が女好きな彼にとって自分を律するこの生き方は苦痛以外の何物でもなく、本音を言えばそろそろ女の柔肌に溺れたい時期だった。

しかし、目の前の彼女に手を出そうとした途端、頭の中から悠人と瞬のことが浮かんでは消えない。特に、いまだ行方不明の瞬のことが、思考の海から離れない。

――今頃、瞬はいったいどうしているだろう? どんな目に遭っているだろう? 途方もない孤独に怯えてやいないか、俺の想像もつかないような過酷な環境にいやしないか、それを考えると、俺ばかりこんな良い目にあって、いいんだろうか、って思う。

【主よ……】

【ですが、ご主人様にも休息が必要です】

〈戦友〉がさとすような口調で言った。

【この世界に召還されてからご主人様はいつもたいへんな苦労をなさってきました。そろそろ身も心も休むべきだと思います。そうでないと、ご主人様の身体がもちません】

【小娘の言う通りだ。それに、主は我に約束したではないか?】

――ん?

【エルスサーオで言っていた。次の戦い……バトル・オブ・ラキオスが終わった暁には、良い思いをさせてくれる、と。主と一体化している我にとっての快楽とは、主の快楽だ】

自分との約束を破るつもりか? そんなニュアンスを含んだ言葉を放たれては、柳也も、いいや、と首を横に振ることはできない。

柳也は諦めたように溜め息をついた。

リリィの横顔に複雑な眼差しを向けながら、口を開く。

『一応、確認しておくが、俺に抱かれることについて、君自身は納得しているのか?』

『……それが指令ですから』

柳也の質問に、リリィは淡々と答えた。その口調からは、いつの間にか感情の気配が消えてしまっている。見れば、横顔にもいつもの無表情が戻ってきていた。与えられた任務に対して一切の疑問をはさむことのない、優秀な密偵としての顔だった。

しかし、よく注意して見ると、リリィの身体はかすかに震えていた。リリィ自身気付いていない、無意識の行動のようだった。

柳也は複雑に感情の入り乱れた溜め息をつく。

――無理もない、か。

気持ちの整理は出来ていても、その先の行為を思えば無意識のうちに怯えてしまうのは仕方のないことだろう。

なんといっても自分はエトランジェ。異世界からやって来た、怪物だ。向こうの感覚からしてみれば、獣とまぐわうのとほとんど変わるまい。意識しないようにしていても、恐怖や嫌悪といった感情を完全に捨て去ることなど出来はすまい。

――どうしたものかねぇ……。

柳也としてもどうせ抱くなら恐怖や嫌悪とは無縁でいたい。

とはいえ、任務には忠実なリリィのこと、ここで拒絶してはどのような行動に出るか予想がつかない。最悪、任務遂行不可能を悔いて、首を吊りかねない。普段から感情を殺すことに慣れているリリィには、そういう極端なところがある。

結局はリリィが自分のことをどう思っていようが、自分に許された選択肢は彼女を受け入れることしかないのかもしれない。

『それじゃあ、楽しませてもらおうか』

柳也の口元に、ニヤリ、と冷笑が浮かんだ。

浮かべた笑みほどに、彼の心に、楽しい、という気持ちはなかった。あるのは、後ろめたい、という感情ばかりだった。

 

 

言うや早いや柳也はベッドから立ち上がると素早くリリィを押し倒した。

その昔、体育の時間に習った柔道の技術が、こんな異世界で役に立つとは、柳也も思わなかった。人生、何がどんな時に幸いするかはわからない。

反射的に全身を硬くしたリリィを、柳也は間髪入れず抱き締めた。半開きになった彼女の唇を多い、その舌先を捉えるとひらすら吸う。鼻腔をくすぐる芳香と汗の匂いに、柳也は深々とした呼吸を繰り返す。

ベッドの上では柳也の独壇場だった。

あらかじめそうするようダグラスに言われているのか、リリィは柳也の行為を何一つ嫌がろうとせず、それどころか彼がやりやすいように便宜をはかった。

全身を貪るたびに髪を振り乱して喘ぐリリィの反応に柳也は気をよくし、当初の気後れを次第に忘れていった。

やがて一時間も彼女の味をたっぷり楽しんだ頃、柳也は自分のものをリリィの中へと埋没させた。強烈な締め付け。より強烈な快楽を目指して、柳也は自分の分身を突き入れ、引き抜いた。

柳也の双眸が驚きに見開かれた。

引き抜いた肉茎には、痛々しい血の筋が絡みついていた。

「こ、これは……!?」

リリィと繋がったまま、柳也は思わず日本語で叫んだ。

正常位で見下ろすリリィは何も言わない。目尻から零れ落ちる涙を拭いもせず、ひたすら苦痛に耐えている。

その痛みに歪む顔を見ていると、一時間以上前に彼女が口にしたあるフレーズが、柳也の耳の奥でよみがえった。

『こういった状況に慣れていないものですから、段取りがわからなくて……』

慣れていない、だけではなかったのか。慣れていないだけで、行為そのものは経験済みなのではなかったのか。

あの震えはエトランジェと交わることに対する恐怖の震えではなかったのか。

『君は……』

愕然と震えを帯びた呟きが、唇から漏れ出た。

『初めて、だったのか……』

段取りがわからないのも当然だ。もともと、こういう経験がないのだから。

行為の前に恐怖して当然だ。エトランジェという以前に、初めてだったのだから。

「馬鹿な……」

柳也は日本語で呟いた。

快楽の波はとうに消え去り、後悔と、罪悪感だけが募った。

柳也は慌てて腰を引こうとしたが、出来なかった。己を締め付ける力が強くなり、また腰にリリィの両脚が絡んできた。

柳也は、ぎょっ、とした眼差しを落とす。

『抜かないでください』

リリィの唇が静かに動いた。

痛みを堪え、息も絶え絶えの痛々しい顔が、柳也の心を鷲掴みにした。

『私の身体で最後までしてください。それが……』

それが、ダグラス様の命令ですから。続くはずの言葉を、柳也は唇を塞ぐことで消滅させた。

後悔と罪悪感に続いて、あくまでも命令を遂行しようとするリリィの健気さに、愛しい、という感情が噴出し始めていた。それは男としての感情であり、剣士としての尊敬の念だった。

――〈戦友〉……。

【はい、なんでしょう?】

――ちょっと、頼むわ。

柳也はリリィから唇を離すと、彼女の額に手をかざした。

指先から、彼女の体内へと、〈戦友〉の一部を流し込む。

いったい柳也が何をやっているのか、不思議そうな目線が見上げてきた。

やがてリリィの全身にくまなく〈戦友〉の一部が寄生したのを確認すると、彼はひとつ頷いて、〈戦友〉に命令を通達した。

――〈戦友〉、リリィの身体から痛みを取り除いてやってくれ。その代わりに性感帯の感度を割増ししろ。

【はい、わかりました。……むふふ〜、なんかご主人様に抱かれているみたいで、ちょっと嬉しいです】

嬉しそうに返ってくる〈戦友〉の声。自分に抱かれることが嬉しいのか、それとも自分の役に立っていることが嬉しいのか、おそらくはその双方だろう。

柳也の命令から数秒後、リリィの唇から、少し戸惑ったような声が漏れた。

『えっ…あ、あ……?』

苦痛は消え、代わりに快楽が噴出する。

頬が一気に紅潮し出したのを見計らって、柳也は腰の動きを再開した。

後悔は消え、罪悪感もいつの間にか消えていた。

いまはただ、リリィのことを気持ちよくしてやりたい、その一心が、柳也の心を支配していた。

それは柳也が初めて経験する気持ちだった。

 

 

――同日、深夜。

 

ダグラス・スカイホークはひとりいらいらと執務室を歩き回っていた。

桜坂柳也のもとにリリィ・フェンネスを差し向けてからすでに三時間以上が経っているが、行為の最中を監視するよう差し向けたもう一人の密偵からはいまだ連絡はない。

リリィとは別に送り込んだ密偵はダグラスが飼っている私兵の中でも特に優秀な一人で、その監視の技術には風見鶏自身一目置いている。しかし信頼とは別に、通信技術の未熟な有限世界だからこその焦燥から、ダグラスは眠れぬ夜を過ごしていた。

これはダグラスが一人だけの時に見せるもうひとつの顔だった。

他の大臣の手前や、民衆の前に姿を見せるときはクールそのものだが、実は激情家で、ときには爆発する感情をもてあます。

今年で五十六歳になるにも拘らず、いまだに独身なのもそのためかもしれない。ダグラスは二度の離婚歴がある珍しい政治家だ。

話は現代世界に逸れるが、日本人はそのようなことには肝要で、プロテスタントやカトリックの国民を持つ英米のように、性的放縦さが政治家になる上でマイナスをもたらすということはない。

もっとも、当の米国でも初期の大統領達はみんな――おそらくリンカーンを除いて――性的に活発で、愛人を持つのが普通のことだった。

現代でもケネディやクリントンの例があるが、仕事さえきちんとすればスキャンダルは許される。しかし、離婚暦については厳しい。特にカトリックでは離婚は重罪で、普通は許されない。

地位のある人間が離婚する場合はバチカンの特別許可が必要だ。英国のヘンリー八世などは離婚したさにバチカンと決別し、英国国教会を設立したほどである。

閑話休題。

ダグラスが離婚暦を重ねたのは妻達が家庭で見せるその激情についていけなくなったためだった。言い換えると、ダグラスは家庭ではたいへんな癇癪もちだった。

ハイペリアでいうところの、マチズモの権化ともいえる。

体力に優れ、指導力もある。頭の回転も速く、プライドも高い。大臣クラスの政治家としては申し分ない資質の持ち主といっていいだろう。

いわば乱世型の政治家であり、大陸に吹く風は、確実にその方向へと勢いを増していた。誰が戦端を開くにせよ、間もなくこの大陸に戦乱の火が灯るであろう確信が、ダグラスにはあった。

そしてその戦乱の時代に、ラキオスが生き延びるためには、桜坂柳也という男がどうしても必要だという確信が、ダグラスにはあった。

客観的に見て桜坂柳也は優秀な戦士であり、優秀な軍人であり、非凡な才能を持った戦術家だ。ダグラスとしてはなんとしても抱え込んでおきたい人材だった。そしていま、ダグラスはまさにそのための作戦を実行している最中だった。

先の三者会談ではあの男の自尊心と闘争本能を刺激することで、この国に忠誠を誓わせることに成功した。

とはいえ、宣誓を決意させる決め手となった言葉が、現在軟禁状態にあるあの娘の立場を保障する旨だったことを顧みると、この忠誠は永遠不滅のものであると楽観は出来ない。人質を大前提とした忠誠など、ふとしたきっかけでいとも容易く崩れてしまう。

――鎖が必要だ。あの娘……カオリ・タカミネ以上に、リュウヤをこの国に縛り付ける、強い鎖が。

そしてダグラスは、その鎖をリリィに求めた。

リリアナ・ヨゴウやセラス・セッカらの言によれば、桜坂柳也という男は、リアリストでありながらも義に厚く、情にも厚い男だという。そのことはユウト・タカミネ、カオリ・タカミネとの関係を見ても明らかだ。

ラキオス王族の強制力が通用しない柳也は、その気になればいつでもこの国を出ることが出来る。自由になれる。むしろ、この国がいままで彼にしてきた仕打ちを考えれば、とうにいなくなっていてもおかしくはない。

にも拘らず、柳也はいまだラキオスに留まり続けている。理由はいくつかあるだろうが、究極的には人質同然の幼馴染と、王族に逆らえない友人がいるからに他ならない。義と利を秤にかけた結果が、柳也をこの国に縛り付けているのだった。

ダグラスはこの厚き義理と人情を利用することにした。

慰安の名目で処女のリリィを差し向け、彼女を抱かせることを企んだのだ。

――リリアナ・ヨゴウらの話によれば、桜坂柳也という男は基本的に女好きだという。しかしそれだけに女が本当に嫌うようなことは一切せず、また女と接する際の態度は、言葉こそ軽薄ながら基本的には紳士的だという。

そんな柳也が、処女とは知らずにリリィを抱き、行為の最中になって初めて知ったとしたらどうなるか。彼の義と情はどのように働きかけるか。

上役にそそのかされた外国人騎士が、その手の店に立ち寄って、まんまと素人に手を出し所帯を持たされ、ラキオス人になった話をダグラスはいくつが知っている。

異世界における騎士を意味するらしいサムライを自称する柳也が、同じような事態に遭遇したとしたら、同じように行動する公算は高い。

少なくとも、何らかの形で責任を取ろうとはするはず。というより、何らかの形で責任を取らなければ、柳也自身の義と利が己を許さないだろう。

そうなった時、責任の取り方について自分が“助言”してやれば……リリィを妻に娶らせ、所帯を持たせ、リュウヤ・サクラザカを名実ともにラキオス人にすることが出来る。

家族という強い鎖が、彼をこの国に縛りつけることになる。あまり期待は出来ないが、もし子どもができればさらに強い鎖であの男をこの国に縛りつけることが出来る。

『ダグラス様……』

不意に、自分の名前を呼ばれてダグラスは窓のほうを振り返った。

開け放たれた三階の窓辺に、いつの間にかひとりの男が立っていた。低い身長ながら立派な体格をした、中年の男だ。ダグラスが私的に抱えている密偵の一人だ。

『〈隠弐番〉からの連絡です。作戦の第一段階は終了。桜坂柳也は〈隠七番〉に手を出し、生娘と知ってたいへん動揺した様子。その後、〈隠七番〉の身を案ずるかのような素振りが増えた、とのことです』

密偵が口にした〈隠弐番〉、〈隠七番〉というのはダグラスの私兵に与えられたコードネームだ。最初の一文字は役職を意味し、番号はその序列を意味する。隠は密偵を意味し、〈隠弐番〉は密偵の中でも二番目の実力者ということを意味している。

〈隠七番〉はリリィのことで、〈隠弐番〉は先述のリリィとの行為を監視するためにダグラスが差し向けた別な密偵のことだ。ちなみにこの密偵のコードネームは〈隠十番〉。密偵としての実力はリリィに劣る。

『……そうか』

密偵の報せは、ダグラスが待ち詫びたものだった。

苛立ちに険を帯びていたダグラスの顔に、わずかながら喜色が差し込む。

とりあえず最初の関門は突破したらしい。とにもかくにも柳也がリリィに手を出してくれなければ作戦は始まらない。

『引き続き監視を続けるように〈隠弐番〉に伝えろ』

『ハッ』

冷徹な口調の指令が部屋に響き、〈隠十番〉の姿が消える。

ラキオスという国は、いま、信じられないことにたった二人の少年のために揺れていた。

 

 

――聖ヨト暦三三〇年、エクの月、赤、みっつの日、早朝。

 

桜坂柳也の一日は早朝五時半に起きて、六時からのランニングから始まる。

その習慣は異世界にやって来てからも変わらず、またどんなに肉体が疲弊していても、身体に馴染んだ起床時間が変動することはなかった。

しかしその日、柳也はいつも定刻に目覚めを体験しなかった。

左手首に巻いた父の形見が五時半を刻むはるか以前から、柳也は夜通しで起き続けていた。早寝早起きが常の彼にしては珍しい徹夜だ。昨晩は激しい運動のせいですっかり目が冴えてしまい、とてもではないが眠れるような状態ではなかったのだ。

窓辺に移動させた椅子に腰掛けて博物誌に目を通していた柳也は、ページを照らす光が月明かりから透明な朝の光に変わったことに気付いて、もう夜明けかと、ぐっ、と伸びをした。

それから、目線を手元の本からはずし、ベッドへと転じる

本来ならば自分が横たわっているはずのそこでは、リリィが静かな寝息を立てていた。夢も見ないような深い眠りの中にあるのか、寝言ひとつない安らかな眠りだ。

昨晩、柳也はリリィの中で三度精を放ち、〈戦友〉を寄生させた彼女はその十倍以上の回数を達して、果てた。どうやら性感の感度を上げすぎたらしく、柳也が四度目の行為に及ぼうとした時点でリリィは失神してしまった。前日まで処女だった彼女にいきなり三十回以上もの絶頂、三度連続の膣内射精は辛かったらしい。

さすがの柳也もそれ以上はリリィを貫く気になれず、彼はその時点で行為を中断した。久々の女の味にいまだ硬度を保っていた肉茎は、自らの手淫で満足させた。

その後、行為の後始末を終えた柳也はリリィにベッドを譲ると、自身は士官用の陣羽織を毛布代わりに床に横になった。

しかし先述の通り激しい運動を経て意識がすっかり昂ぶってしまい、結局、一睡もできぬまま夜を明かすことになってしまった。

月明かりを頼りに博物誌に目を通していた柳也は、その実本の内容など一ページも理解していなかった。本を読みながら、彼は一晩中別なことを考えていた。

リリィと、処女だった彼女を自分のもとに差し向けたダグラスについてだ。

柳也が当初考えたように、もしダグラスの真意が単純に自分の慰安にあるのなら、処女であるリリィを送り込む必要はなかったはずだ。自分としても、どうせ相手をするなら経験豊富なテクニシャンの方がよかったし、普通はそういう人間が選ばれるべきだろう。にも拘らず、ダグラスはあえて処女のリリィを差し向けた。このことに意味はあるのか。

そしてリリィ、彼女本人は、自分に処女を捧げなければならなかったこと、捧げてしまったことをどう思っているのか。

感情を殺すことになれた彼女は、エトランジェという異世界からやって来た化け物の相手をして、何を感じたのか。

柳也はこれらの疑問を解決するべく思索に一夜を費やしたが、結局、朝になっても答えは出なかった。いや、答えなど出るはずがなかった。

柳也の抱いた疑問は、ひとりで考えたところで答えなど一向に出るはずのない代物だ。本人達に直接訊かなければ、解決のしようがなかった。

『だが……』と、柳也はかぶりを振る。

ダグラスはともかく、リリィに対してはどう訊くべきなのか。どのような形であれ、リリィの処女を奪ったのは他ならぬ自分だ。その張本人が、その当事者に対して『処女を失ってどう思っているのか?』など、どう言葉を選べば当たり障りのない質問になるのか。柳也には良い案が思い浮かばなかった。

そればかりか、この後、彼女が目覚めた時、最初にどんな言葉をかけるべきか、それさえ柳也は考えあぐねていた。

このままだと自分はリリィが目を覚ました時に最初に顔を会わせる人間になる。しかしその際に、どんな顔をして向き合えばよいか、柳也にはまったくわからなかった。柳也は決して女性経験が多い方ではない。なにせ、初恋も未経験の男なのだ。

かといって、この場から逃げ出すのは男としてのプライドが許さなかった。

知らなかったこととはいえ、自分はリリィの処女を奪ってしまったのだ。何らかの形で、責任を取らなければならない。

場合によっては、所帯を持つことも覚悟せねばならないだろう。

旧海軍では芸者遊びが盛んだったが、下士官が素人に手を出すのは厳禁だった。手を出したら最後、その時は責任を取らされ、所帯を持たされることになる。

前時代的な考え方と人は嘲笑うかもしれないが、それは有限世界にまでやって来て柳也が捨てられないでいる、男としての矜持だった。

しかし、いまの精神状態では、所帯を持つどころか顔を合わせることすらままならないだろう。

柳也は最初開いたときに挟んであったのと同じページに栞を挟むと、博物誌をテーブルに放り出し、溜め息をついた。結局、本は一ページも進まなかった。

彼は椅子から立ち上がると、今度はベッドの縁へと腰を沈めた。

複雑に感情の入り乱れた眼差しを、リリィの顔へと落とす。

無防備な寝顔を透明な朝の光に晒しているその姿からは、とてもではないが彼女が密偵などという職種に就いている人間とは思えない。自分と同じ年頃の、普通の少女にしか見えなかった。

柳也は右手をリリィの額へと伸ばした。

薄っすらと浮き出ている汗で、前髪が額に張り付いている。

取り払おうと指で触れた瞬間、リリィの身体が、ビクリッ、と硬直した。

深い眠りの中にあって警戒に身構えるその反応は、やはり普通の少女のものではない。

「どうしたもんかなぁ……」

柳也はまた溜め息をつくと肩を落とした。

女のことでこんなに悩むのは、佳織の問題を除けば久しくなかったことだった。それだけに、この後のリリィとの会話を思うと、なおのこと憂鬱になった。

額に張り付いた前髪を取り払い、ついで寝汗で乱れた髪を手櫛で梳いてやる。

優しい手つきと連動して安らかな寝顔に微妙な変化が生じるのが、奇妙に楽しかった。

柳也の指が頬にかかる髪を取り払おうとした時、それまで小さな変化のみを許容していたリリィの寝顔に、大きな変化が訪れた。

睫毛が大きな振動を見せ、身じろぎを一つ。やがて喉を鳴らしながら、静謐に閉じられていた瞼がゆっくりと開き、また閉じた。

柳也は反射的に手を引っ込め身構えた。

まだ心の準備が出来ていない。

まるで戦場の最前線に立っているかのような緊張感に総毛立ちながら、柳也は息を呑み、おっかなびっくりその時を待った。

それからの光景は、まるで寝起きの悪い猫の目覚めを見ているかのようだった。

『……ぅん……んん〜……ふぅぅ……』

リリィは寝相は良いが寝起きの悪いタイプらしく、何度も何度も寝返りを打って、何度も何度も意味の通じていない寝言を漏らした。その寝返りは、見ている柳也がベッドから落ちないか心配になってしまうほどの転がりっぷりだ。

――いや、それ以前に寝起きが悪いって、密偵としては致命的なんじゃ……。

敵地後方に潜伏した際に寝起きが悪いとあっては、持って帰るべき情報も入手できないのではないだろうか。朝一の会議などに潜り込む場合はどうするのだろう。

柳也は、背筋を貫いていた緊張の針がぼろぼろに砕けていくのを実感した。

思わず、口元に笑みが浮かぶ。

あんなに悩んでいた自分が、馬鹿みたいだった。

柳也は思わず手にかけていた脇差の柄から手を離すと、

『お嬢さん、お嬢さん、そんなに派手に転がっちゃあ危険ですよ』

と、苦笑をこぼしつつ言った。

するとその声に反応して、リリィがゆっくりとこちらを向き、寝ぼけ眼で見つめてきた。限りなく線に近い双眸からの、こころなしか揺れ動いた眼差しだ。

『あれぇ…なんでリュウヤさまがわらひの部屋にぃ……?』

『これはまた……お約束な台詞をありがとう』

おもわず頭を下げてしまう柳也。

リリィが目を覚ますまでの苦悩はどこへいったのか、いつもの余裕を取り戻し始めている。

他方、リリィはリリィでふらふらと起き上がると、柳也に『どういたしまひてぇ……』と、呂律の回らない口調でぺこりと頭を下げた。

これだけのアクションを起こしても、まだ心は半分夜の世界にあるらしい。

柳也は笑いを噛み殺しながらテーブルの上のエーテルポットを手に取った。昨晩は柳也とともに眠れぬ夜をすごしたポットの中には、まだ一杯分くらいの茶が残っているはずだ。

『とりあえず、眠気覚ましに飲むか?』

『はひぃ……』

うつら、うつら、と頷いたリリィの様子がなんだか可愛らしくて、柳也は思わず腹の底から笑ってしまった。

満面の笑顔を浮かべた柳也の胸中では、さて正気に戻った後、どんな風に接してやろうか、という意地の悪い思考がまとまり始めていた。

 

 

――同時刻。

 

去り際に彼女が呟いた言葉が、脳裏から離れなかった。

『スピリットは……人に仕えるものですから』

無表情に紡がれた悲しい響きのその言葉を思い返し、ベッドの上で悠人は、ひとり己の掌を掲げ、見つめていた。

「俺は……」

どうしてエスペリアを拒まなかったのか。

どうしてエスペリアを拒めなかったのか。

自分は、本当は心のどこかでこうなることを望んでいたのではないか。

「……最低だ、俺」

懊悩は深く、抱え込んだ嫌悪の感情はひたすらに暗い。

悠人は、自分ひとりしかいない部屋で、嘆くばかりだった。

誰も悠人に慰めの言葉をかける者はいなかった。

 

 

 

 


<あとがき>

 

タハ乱暴「皆さんに悲しいお知らせがあります」

 

北斗「ちょっと待て。開始早々いきなりそれか?」

 

タハ乱暴「マイ・サンの発言は無視するとして、今回の話の製作中、台詞収集のためにアセリアを再プレイしたところとんでもない事実が判明しました」

 

北斗「なに?」

 

タハ乱暴「バーンライト王国の鉱山、あるだろ? 原作ゲームだと龍が二匹も棲んでいるとんでもないところ」

 

北斗「……ああ、あったな。そんな場所が」

 

タハ乱暴「とんでもない事実っていうのはその山に関わることでさ……俺、いままであの山のこと、ずっとラシード山脈だと思ってたんだ。そしたらさ、実際はラジード山脈だったんだよ」

 

北斗「……濁点がなかったわけか」

 

タハ乱暴「うん。些細なミスといえばミスなんだけど、それだけに凹む」

 

北斗「今回難産したのはそれが原因か?」

 

タハ乱暴「いやまぁ、それだけじゃないんだけどね。……ほら、今回、本番があったじゃん?」

 

北斗「ああ。あったな」

 

タハ乱暴「物語の進行上仕方なかったとはいえ、年齢指定はしたくないからさ、頑張ってソフトな表現……全年齢向けのハードボイルド小説に出てきてもおかしくない程度の描写に留めようと思ったわけよ。ただ、俺にとってはハードボイルド小説でも、読み手によってはモロ官能小説になってしまうかもしれない。その辺りの見極めが難しくて」

 

北斗「出来上がるまでに時間がかかってしまった、と?」

 

タハ乱暴「そういうこと。別にあのシーンだけ変な詩的表現でお茶を濁しても良かったんだけどね。それは逃げみたいで嫌だったからさ。これで年齢規制しろとかエロいとか言われたら本気で凹む。

……さて、のっけから言い訳ばかりでたいへん申し訳ありません。ここからは気を取り直して進めたいと思います」

 

柳也「永遠のアセリアAnotherEPISODE:26、お読みいただきありがとうございました! 今回の話はいかがだったでしょうか?」

 

タハ乱暴「今回の話ではそれぞれの任務を終えて合流を果たした悠人と柳也の変わらぬ関係、悠人とエスペリア、柳也とリリィの変わってしまった関係、柳也とダグラスの変わりつつある関係と、“関係”という言葉をキーワードに書いてみました。現代小説の醍醐味とでも言うべき人物同士のやり取りに重点を置いたつもりです。楽しんでいただけましたでしょうか?」

 

北斗「……などと、綺麗な文章で飾った言い方をしてはいるが、実際に書いたのは変態悪役主人公がエロの道をひた走る話」

 

タハ乱暴「エロい言うな! まじ凹むぞ!?」

 

柳也「いや、あれはエロいって。椅子に欲情するとか、江戸川乱歩かっつうの」

 

タハ乱暴「そっちかい!」

 

北斗「江戸川乱歩?」

 

タハ乱暴「人間椅子。人間を椅子にするとか、発想からしてまじエロい」

 

柳也「もっとも、俺が欲情したのは椅子に染み付いたエスペリアの匂いだが……」

 

タハ乱暴「その一言でいままでの言い訳全部台無しだーーー!」

 

北斗「椅子はともかく、最近の柳也は特に変態ぶりに磨きがかかっているように思えるが?」

 

タハ乱暴「まぁ、寄生している〈決意〉からして変態だしねぇ」

 

北斗「いいのか? このままの路線だと、輝けるアセリア二次創作史にとんでもない汚点を残しかねんぞ」

 

タハ乱暴「いいじゃない、変態主人公。柳也にはこれからも変態道を突き進んでもらうよ」

 

柳也「なんだかなぁ……。えぇ〜……、読者の皆様、永遠のアセリアAnotherEPISODE:26、お読みいただきありがとうございました!」

 

北斗「次回もお付き合いいただければ幸いです」

 

タハ乱暴「ではでは〜」

 

 

 

 

<おまけ>

 

仁野さんの小説や同志ゆきっぷうの作品を読んでいるうちに、気が付いたら『恋姫無双』にどっぷり嵌まっている自分がいた。

ってなわけで、もし柳也が恋姫世界にジャンプしたらっていうSSです。原稿用紙三枚くらいの文量なんで、軽い気持ちで読んでみてください。

 

 

それはまったく別な可能性より生まれし外史のプロット……。

 

「……む。いかん。間違えた」

「……はい?」

コーポ扶桑の四畳半、瞬の命と己の未来を賭けてタキオスらに挑む柳也は、巨漢の男が紡いだ呟きに愕然とした。

「すまん。予定ではファンタズマゴリアに通じる門が開くはずだったのだが……間違えた」

「ちょっ――――――!!」

抗議の言葉を述べる余裕すら与えられなかった。

突如として柳也の視界を閃光が覆い、彼の五体は自由を失ってしまう。

「こんな展開ありか――――――!?」

叫んでみてももう遅い。

喚いてみても、やっぱり手遅れだった。

かくして柳也は、本人の意思とは無関係に、別な世界へと飛ばされる。

 

「見よ落下傘、空を征く――――――!」

本編アセリアAnotherでファンタズマゴリアにやって来た時と同じように、落下傘なし空挺降下を敢行する我らが主人公・桜坂柳也。

なんとか無傷のまま着地に成功した彼だったが、その後が不味かった。

「ば、化け物だ―――――――ッ!!!」

たまたま柳也が降下するところを目撃した黄巾党の三人組。

着いて早々化け物呼ばわりされた柳也は、「誰が化け物顔だ!?」と、怒り狂う。

見知らぬ大地に放り出された不安も手伝って、若き剣士は我武者羅に剣を振り回した。

「俺だって好き好んで三枚目顔に生まれたわけじゃねぇぇぇぇぇええ!」

ほとんど八つ当たりに近い形で薙ぎ倒されていく愛すべき黄巾党の皆さん。

そんな彼らを救うべく、黄砂渦巻く大地に現れた美麗なる武神。

「そこのお前、いったい何をしている!」

重量八一斤の青龍偃月刀を構える黒髪の武神。

童話に出てくる白雪姫のように、艶やかな黒髪に柳也は、

「ほ、惚れた」

正気に戻るのだった。

 

正気に戻った柳也は、現れた黒髪の少女と、黄巾党の皆さんに自分がここにやって来るまでの経緯を説明した。

「……なるほど。つまりあなたはこことは違う別な世界から来られたわけですね」

「そうなるな。もっとも、君の言う天の御遣いとやらではないみたいだが」

貧乏暮らしの長い柳也だった。

陽の光を反射するポリエステルは磨耗し、天の御遣いらしい要素は何一つなかった。

「ただ、腕には少し自信がある。兵法書もそれなりに読んだ。だから、君の手伝いくらいは出来ると思う」

自らの事情を説明するうちに、この世界の情勢と、少女の想いを知った柳也は、彼女の力になりたいと訴えた。

ついでに失業者らしい黄巾党の皆さんの力にも。

「俺の名前は桜坂柳也。姓が桜坂で、名が柳也だ。こちらの世界でいうところの真名というのはないが、どうしてもというのなら、ジョニーと呼んでくれ」

かくして桜坂柳也ことジョニーの戦いが始まった。

乱世を平定するために。

そして職なき黄巾党の皆さんを再就職させるために。

若き直心影流剣士は、軍神とともに中華の大陸をひた走る!

 

 

続く、かも。




うーん、今までの柳也の事を思い返すと、鈴々や朱里の方に反応しそうな気がする……。
美姫 「って、おまけの感想が先なの!?」
いや、つい。
と、冗談はさておき、本編の方では違った意味での戦いが始まってますな。
美姫 「流石はやり手の政治家って感じね」
しかし、柳也がその思惑に気付かなかったとは。
美姫 「でも、これからどうするのかしらね」
とりあえずはリリィをからかうような気がする。と言うか、あの朝の続きがとっても見たいんだが。
美姫 「さて、次回はどんなお話になるのかしらね」
とっても楽しみです。
美姫 「次回も待ってますね〜」
ではでは。



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