――聖ヨト暦三三〇年、エクの月、青、みっつの日、朝。

 

楽しい宴のあった夜の翌早朝六時、柳也とセラスはエルスサーオを発った。

来る時と同様、特に見送りはなく、ひっそりとした出発だった。

さんざん世話になった第二大隊の面々にすら何も告げずに基地を発つというのは気が引けたが、もともと特殊作戦というのはそういうものだ。いつ始まったのかわからぬうちに行動し、いつ終わったのかわからぬうちに去る。それが特殊作戦の鉄則だ。

もっとも、誰にも何も言わずに、というのはさすがに気が引けたので、伝言と書簡を残しておいた。上級将校を連れて深夜の歓楽街に繰り出していたことをラキオス王に話そうか話すまいか迷っている、と言った後、伝言役を頼み込むと、ヤンレー司令は快く役目を引き受けてくれた。

エルスサーオを発った柳也達は途中朝食を挟みながら一路ラキオスへと向かった。

幸いにして天気は晴れており、適度に風もある。湿気も不快というほどではなく、二人と一頭は特別苦しい思いをせぬまま、午前八時半には首都に到着した。

数日ぶりに戻った首都圏では、まだ朝早い時間帯とあって軍人も政治家も本格的な活動を開始するにいたっていなかった。リリィからはできるだけ早く戻るよう言われていたが、どうやら少し急ぎすぎたらしい。

働いているのは生活のかかった民衆ばかりで、軍人や政治家で仕事に専念しているのは一部の真面目な者達だけだった。

ラキオスの剣術指南役リリアナ・ヨゴウもまたそうした一部の人間のひとりだった。

昨日のリリィの伝令から柳也達の帰還時刻を予想していたのだろう、報告のために赴いた白亜の宮殿の正門で、彼は門番と一緒に待ち構えていた。

『ヨゴウ殿!』

『サムライ! ようやく戻ってきたかッ!』

再会を果たした柳也とリリアナは互いに肩を抱き寄せた。再会を喜ぶボディーランゲージは、ハイペリアもファンタズマゴリアも変わらない。

『エルスサーオはどうであった?』

『いいところだったぜ。飯は美味いし、いい女がたくさんいた』

『そうか』

『そっちは?』

『ラキオスは相変わらずだ。特に事件もなければ、いい女との出会いもない』

二人は笑いあって体を離した。

ついでリリアナはセラスを見る。

セラスもリリアナを見つめ、複雑に感情が飛び交う沈黙が二人の間に訪れた。

柳也は二人の顔を交互に見比べた。三人でいると時折忘れそうになるが、リリアナとセラスはいまだ敵同士なのだ。柳也のように抱きしめて再会の喜びに浸れるはずがない。

『……』

やがてセラスが無言で右手が差し出した。

リリアナも無言で右手を出し、それを握った。

それが二人の、精一杯の妥協だった。

二人が握手するその様子を見て柳也は莞爾と微笑む。

二人の事情を知らない門番が不思議そうにその光景を眺めていた。

『……お前の気持ちはよくわかる。だが、私はお前が帰ってきてくれて嬉しく思うぞ』

『貴様の命を取るまで、死ぬわけにはいかんのでな』

真顔で言ったリリアナに、セラスは不敵な笑みで応じた。

二人の間には相変わらず不穏な空気が漂っていたが、そこに殺気はなかった。

『帰ってきたところ早速で悪いが、二人には仕事がある』

手を離したリリアナは、ひとつ空咳をしてから二人に言った。

『セラスには私と一緒に報告書を作成してもらう。次の定例会で正式な資料として使うものだ。内容の濃いものを作らねばならん』

『……わかった』

リリアナの言葉にセラスは頷いた。

筆学所での成績は下から数えたほうが早かったというリリアナと違い、セラスは報告書作成といった事務処理能力にも長けている。剣術、槍術、馬術に事務と、まさに万能エリートといったところか。

『それからサムライには……』

リリアナは柳也を見た。

『サムライには、ダグラス閣下のところへ報告に行ってもらう』

『ダグラス殿のところへ?』

柳也は目を丸くした。セラスが報告書を作成する役なら、てっきり自分はラキオス王に直接報告しにいく役回りだと思っていたからだ。

『なんでまたダグラス殿に報告を……』

『嫌か?』

『いや、嫌っていうより……意味がわからない。なんでわざわざ通産大臣にそんな事を報告しにいかなくちゃいけないんだろう?』

柳也はわけがわからないといった顔で首を傾げる。

柳也の疑念は、また同時にリリアナの疑念でもあった。

リリアナはいまいち要領を得ない様子で、

『私もなぜ軍事に関しては素人にすぎん閣下に報告せねばならんのかはわからん。しかし、ご自身が希望なさっているのだ。お前との面談をな。…それから、サムライに閣下から伝言がある』

『伝言?』

『うむ。……いつぞやの保留していた結論を出したく思う、とのことだ』

『ああ…』

柳也は、ようやく得心した様子で頷いた。頭の中で、初めてダグラスと面談の機会を得た時の記憶が鮮明に蘇る。

柳也は白亜の宮殿を見上げた。ダグラス・スカイホークの私室を探しだし、その位置で目線を留める。

バルコニーの閉ざされた窓から、視線を感じた。

柳也は不敵に笑うと、バルコニーのほうに向かって、チャオ、と軽くサインを送った。

リリアナとセラス、そして王宮の城門を守る門番が不思議そうに柳也のサインを眺めている。

『それじゃあ、ならず者との対決といきましょうか』

柳也は楽しげに呟くと、腰元に手をやったまま宮殿内へと足を踏み入れた。

歩きながらも二刀の位置を閂に揃えるその様子は、まさに戦場へ向かう武士のようだ。

たしかに、ダグラス・スカイホークという男は容易ならざる政治家であり、その意味で彼の部屋は、柳也にとって戦場に違いなかった。

 

 

 

 

 

永遠のアセリア

-The Spirit of Eternity Sword Another Story “Twin Edge of Protection”-

第一章「有限世界の妖精たち」

Episode25「野望の男」

 

 

 

 

 

――聖ヨト暦三三〇年、エクの月、青、みっつの日、朝。

 

久しぶりに訪れたダグラスの部屋は、相変わらず見た目だけは一流の三流品でこざっぱりとしていた。

政治家も楽な商売じゃないなと、柳也は同情的な視線を部屋のインテリアに配る。

見栄を張るのも仕事のうちというから、貧乏一人暮らしの長い柳也には理解できない世界だった。

『楽にしていいぞ』

ダグラスは早朝から四〇キロを歩き続けてきた柳也にソファを勧めた。

柳也は初めてこの部屋に足を運んだ時と同じように、入念にソファを調べ、ついでテーブルを調べた。

もし、第三者がこの光景を目にしたなら失礼千万な男として柳也の印象は残るだろうか。しかし、柳也とてべつに嫌味でやっているわけではない。

以前の面談でダグラスが口にした『ラキオスのためにならぬ人間は消す』という言葉は、いまも生々しく記憶に残っている。そしてリリアナは、『いつぞやの保留していた結論を出したく思う』との伝言を柳也に聞かせた。保留していた結論とは、柳也がラキオスにとって利になる人間か、有害な人間かを見定める、という、先回の面談で聞かされた問題に対する答えに違いない。

――いきなり座ってドカンっていうのは勘弁だぜ。

爆弾でも仕掛けてあったらたまらない。実際、ヒトラーはテーブルに仕掛けられた爆弾で暗殺されかけた。もっとも、ヒトラーの場合はテーブルが重い樫でできていたために、爆発力がそがれてしまうという誤算が起きて失敗したが。

柳也はソファとテーブルの両方を調べた。

一連の柳也の無礼な行動に対して、ダグラスは何も言わなかった。むしろ、柳也に信頼するような温かい眼差しを向けている。

――……見たところトラップはない。〈決意〉、〈戦友〉、お前たちの意見は?

【主と同意見だ。エーテル火薬の反応も感じられぬ】

【それに、エーテル火薬でご主人様の暗殺を狙った場合、この距離ですと仕掛けた当の御本人も無傷ではいられません】

エトランジェたる柳也を爆殺するならば、大量のエーテル火薬が必要だ。それこそ、この部屋一つ丸ごと吹き飛ばすような火力が必要になる。

三人の意見が、少なくともソファとテーブルに危険はないという方針で一致し、柳也はようやく腰を落ち着けた。

背筋を伸ばし、胸を張った堂々たる姿勢で座る。エルスサーオから歩き続けること二時間半、本音をいえば姿勢を崩して座りたいところだったが、風見鶏の手前、それはできない。この徹底したマキャベリストの前では、どんな小さな不注意が致命的になるかわからない。

『……相変わらず用心深く、隙のない男だな』

ダグラスは不敵に微笑むと、一枚のトレイを抱えて自分もソファに腰を下ろした。

トレイの上にはティーセットが載っている。先回の面談ではウィスキーが出たが、今回は紅茶らしい。どうやら今日の話しは、酒が入っていてはできぬようだ。

紅茶を淹れる静かな手つきを眺めながら、柳也は慇懃に頭を垂れた。

『閣下の前で失礼な真似をしました。申し訳ございません』

『謝るようなことではあるまい。それに今後ラキオスには、貴様のその慎重さと用心深さ、そして常に警戒を怠らぬその隙のなさが必要となるのだ』

ダグラスはそう言ってかぶりを振った。

その言葉に、柳也の目つきが険しいものになる。ダグラスはいま、今後のラキオスには自分が必要になる、と言った。それはつまり……

言葉を続けようとした柳也は、しかし目の前の男が差し出したティーカップによってその行動を阻まれてしまう。

体内にいる二人の相棒のおかげで、柳也に毒物は効かない。

一応の礼儀としてカップを受け取り、ひと口飲んだが、その時にはもうダグラスが口を開いていた。

『……まずは作戦成功おめでとうと、言っておこうか』

ダグラスはにこやかに言うと、自らもカップを口元に持っていき、傾けた。

『この茶はラセリオで収穫されたものだ。国境線すれすれのサモドア山脈で栽培している。リュウヤには不思議に思えるかもしれんが、この世界の植物は大地のマナの影響で種類が分かれる。この茶も、サモドア山脈でのみ育つ茶葉だ。……私はこの茶が好きでな、ゆくゆくはサモドア山脈に広大な茶畑を作りたいと思っている』

『ダグラス閣下……』

柳也はやや強い語調でダグラスの言葉を制す。

敵国との国境線上にあるサモドア山脈に茶畑を作りたいなどと、侵略の意図ありと解釈されかねない発言だ。ドラゴン・アタック作戦でバーンライトのスパイ網はほぼ完全に壊滅したとはいえ、生き残ったスパイがこの会話を聞いているとも限らない。

『安心しろ。この部屋は大丈夫だ』

表情に出ていたか、ダグラスはそう言ってまたカップに口をつけた。

『それに、今更この程度の会話を聞かれたところで、わが国の立場が危うくなることはない』

『今更?』

『正式に命令が下るのは来週の定例会になるが、参謀本部に、対バーンライト作戦計画のプランニングの命令を下すことが決定された。すでに研究は始まっている。このネタをバーンライトの間者がつかんだところで、すでに事は動き始めているのだ』

『……ついに、ですか』

柳也は眉間の間に深い縦皺を刻むと、溜め息をついた。

異世界出身の柳也だが、この世界の複雑な国際関係についてはエスペリアやリリアナ、マロリガン出身のセラス・セッカことモーリーンらを通して常識程度には知っている。もともといつ本格的な戦争が始まってもおかしくなかった両国だ。対バーンライト作戦計画の研究が始まったと聞いても、驚きは少なかった。

『さて……』と、ダグラスはティーカップをテーブルの上に静かに置いた。

両手を組んだ握り拳をテーブルに置き、真っ直ぐこちらを見つめてくる。

やっと本題かと、柳也は改めて聞く姿勢を取った。ティーカップから手を離し、彼もまたダグラスの目を見た。

『前回の面談で、私の言った言葉を憶えているか?』

『……閣下の目に、桜坂柳也という男がラキオスにとって害ある存在と映った場合、消す……でしたか?』

『そうだ。そして私はこうも言ったはずだ。もし貴様がラキオスにこの上ない利をもたらす者であれば……』

『あらゆる手段を用いて、この国に忠誠を誓わせる、でしたね』

ダグラスは深々と頷いた。

『今日はあの時保留した答えを聞かせてやろうと思って貴様を呼んだ』

今度は柳也がダグラスの言葉に頷いた。

極度の緊張が、スムーズに紡がれているはずの言葉をゆっくりに感じさせていた。

彼は顔の筋肉が強張り始めているのを自覚した。次の発言で、この世界での自分の生き方が決まる。一言たりとも聞き逃すまいと、耳目に精神を集中させた。

しかし、次にダグラスの口をついて出た言葉が、柳也が予想していたどの言葉とも違っていた。

『……さて、それを伝える前に、ここでゲストを呼ばせていただこうか』

『……なに?』

柳也は思わず敬語を忘れて聞き返した。

そんな柳也には一瞥もくれず、ダグラスはたったいま柳也が入ってきた部屋のドアに振り向いた。

『ご入室お願います。……陛下』

柳也が驚愕に次の言葉を口にする間もなく、静かにドアが開いた。

廊下の側から、二つの人影が入室してくる。二人とも、柳也が見慣れた顔だった。

先に入室してきたのはダグラス・スカイホークの私兵リリィ・フェンネス。彼女は件のゲストとやらの先導役兼護衛役らしく、入室した途端に油断のない視線を周囲に配る。洗練された身のこなしからは、彼女が武芸者としても一角の実力を持っていることを窺わせた。

出入り口付近に異常がないことを確認したリリィは、背後の人物に合図を送った。

リリィに遅れること僅かに数秒、やって来たのは恰幅の良い竜王の血を引く初老の男だった。

柳也は反射的にソファから飛び降り、その場で跪いた。苦々しげに結んだ一文字の唇の下で、噛み合わせた歯がきりきりと鳴る。

驚愕の感情はとうに過ぎ去り、いまや柳也の心を支配するのはどうしようもない屈辱感と憎悪の念だった。本音を言えば、いまこの場で斬り殺してしまいたいくらいの相手に、頭を垂れているのだ。

とはいえ、この男の許可なく頭を上げることも、ソファに座り直すこともできない。たとえ憎らしい相手といえど、この男の前で無礼な態度を取れば、それは幼馴染の命に関わる。佳織の生殺与奪は、目の前のこの男が握っているのだ。

この男……ラキオス王国軍最高司令官ルーグゥ・ダイ・ラキオス王が、柳也達の運命のすべてを握っているのだ。この男の前では、迂闊な発言も行動も許されない。

『待たせたな、ダグラス。それに……』

赤い眼差しがダグラスを射抜き、そして見下すように柳也へと移った。

神聖なる聖ヨトの血を引く竜の王は、相変わらずの尊大な態度で柳也に命じた。

『顔をあげよ、エトランジェ』

『ハッ……』

ラキオス王に命じられた柳也は、きびきびとした所作で顔を上げる。

初老の王の顔には、嘲るような笑みが浮かんでいた。

『初めてになるのぅ。そなたとこのような形で語らうことになるのは……一度、そなたとは腹を割った話しがしたかったぞ?』

『はい』

柳也は憎悪の怨讐宿る瞳をラキオス王に向けた。

『私も、一度、陛下とはゆっくりとお話しをしたく思っておりました』

 

 

リリィが新たに四人分のティーセットを用意した。

それまで、ソファに腰を下ろした柳也とダグラス、そしてラキオス王は終始無言であり続けた。しかし、柳也とラキオス王の間では、視線による感情の激突が生じていた。

『……どうぞ』

淡々と差し出されたティーカップを受け取った刹那、柳也はリリィの視線が鋭く自分の右隣に向けられたことに気付いた。空席の右隣には、父の形見の愛刀ふた振りがある。

リリィはラキオス王の左隣に腰を下ろした。ソファの並びは向かって左からダグラス、ラキオス王、リリィとなっている。三対一で行なわれる、入学試験の面接のような形だ。

リリィが向かって自分の右側に座ったのは、おそらくラキオス王を守るためだろう。向かい合って座る自分がアクションを起こした際には、即座に利き手を切り落とす腹積もりに違いない。事実、リリィの目線には自分の動きを牽制する殺気が宿っていた。

自分に王族の強制力が通用しないのは、彼女も知っているはずだ。まして己はラキオス王に対して一度刀を抜いている。危険人物としてマークされているとしても、おかしくはなかった。

『……まさか、陛下とこのような形でお話しができるとは思いもしませんでした』

ティーカップを一度口に運んだ柳也は、香り高い紅茶の味を一口楽しんだ後、ゆっくりと口を開いた。

『うむ。ワシもそうだ。エトランジェとはいえ、一介の兵士にすぎぬ身分の者とこのように会談の場を設けたのは始めてだ』

『それは……なんとも複雑な気分ですな』

ティーカップをテーブルに置いた柳也は本心の見えない笑みを口元にたたえる。

古来より、柳也達の世界で名将と呼ばれた軍人の多くは、部下とのコミュニケーションを大切にしてきた。名将は弱兵を強兵にするものであり、兵と将軍の間には強い信頼関係があった。現地にも行かず部下と顔も合わせず、部屋に閉じこもって机上の作戦ばかり考える司令官に、兵は決して着いてこない。

絶対王政の国家で、ラキオス王が民政から軍政まで取り仕切るこの国では難しいだろうが、総人口が少ないのだから、軍の最高司令官たる国王は、もっと下の兵たちと触れ合う機会を設けるべきだろう。

特別扱いをされるのは満更でもなかったが、柳也はこの国の将来について少し不安になった。

『それで、陛下は私とどのような話をするつもりなのでしょう?』

『うむ。そなたと議論しようと思っている事柄はいくつかあるが……まずは、先のエルスサーオ防衛戦、そなたらが“ばとる・おぶ・ラキオス”と呼ぶ戦いの守備について、詳細な報告をしてもらおう』

『あの戦いについてはセラス・セッカが簡易報告書を提出し、いままさに詳細なものをリリアナ・ヨゴウと作成中ですが……』

『ワシはそなたの口から聞きたいのだ』

ラキオス王はそう言うと、腕を組み、目をつぶった。

口を閉ざし、こちらの言葉を待っている。

腕を組むのは拒絶や相手と壁を作る無意識のパフォーマンスだと聞いたことがある。その点でいえばラキオス王の態度は到底話を聞く姿勢とはいえなかったが、これが彼流の話を聞く態度なのだろう。

『わかりました』

「話しをしてもらいたいなら、もう少しましな姿勢を取れ」と、言いたいところをぐっと堪え、柳也は口を開いた。

エルスサーオ赴任直後にセラスと行った現地調査。多勢で攻めてくるであろう敵に対して作成した防衛計画のアウトライン。与えられたスピリット達の訓練。構築したブービー・トラップの陣地。実際に始まった戦闘の推移と、その結果。そして戦闘後の事後処理。

これらについて、柳也は自分の知る限りの内容を披瀝した。

『……以上です』

柳也は自ら経験したサクセスストーリーについて語り終えると、ラキオス王の次の言葉を待った。

『……たった三体でその八倍の数のスピリットを退けたか。やはりそなたのほうをエルスサーオに差し向けて正解であったな』

瞠目したラキオス王は腕を解くと、自分の判断が正しかったことを示すように胸を張って笑う。不遜なことこの上ない、尊大な態度だった。

ラキオス王は柳也から見て左隣に座るダグラス通産大臣を見る。

『どうだ、ダグラス? やはり今度新設する部隊の隊長には、この男が相応しいと思わぬか?』

『新設の部隊、ですか?』

なにやら不穏な単語の登場に柳也の眉が、ピクリ、と動いた。

彼の疑問に答えたのは、ラキオス王ではなく、その隣に座るダグラス通産大臣だった。

『そうだ。現在わが軍は、先頃召喚された二名のエトランジェの参入により、再編を迫られている。スピリットを超えた強大なエトランジェという存在を、どの部隊に配備すればいかに効率良く運用できるか、そのために多くの者が知恵を絞っている』

『なるほど、私達のためですか』

柳也はまた複雑な笑みをこぼした。

どこの世界でも、軍隊の抱える問題というのは同じらしい。

かつての冷戦時代、日本の自衛隊は北からのソ連の脅威に対抗するべく、最強師団を北海道・東北地方に配備していた。しかし冷戦が終了しロシアの脅威が薄れると、今度は朝鮮半島、そして中国の脅威が高まってきた。これらの脅威に対抗するべく、現在、自衛隊幹部は頭をひねって組織を再編している。長引く不況と冷戦後の軍縮の影響で予算が制限されているため、作業は国民が思っている以上に難航している。

『多くの者が既存の部隊にエトランジェを編入させようと考えている中で、陛下と私はエトランジェを中核とした部隊の新設を提案している。その新設部隊の隊長に、お前を推薦しようと思っている、という話だ』

『それはつまり……私に、この国に忠誠を誓え、とおっしゃっているのでしょうか?』

『そういうことだ』

風見鶏と渾名されるマキャベリストがニヤリと笑った。

前回の面談の内容についてはラキオス王も知っているらしく、見ていて不快感を催す笑みをこちらに向けてくる。

『既存の部隊にそなたらを編入するよりも、まったくの新設部隊を作るほうが訓練にかかる期間が短く済むと思ってな。新設の部隊を抱えるのにはカネがかかるが、即戦力として運用可能となれば、十分釣りが取れると、ワシは考えておる。

“ばとる・おぶ・ラキオス”もそうだが、先のドラゴン・アタック作戦、ゲットバック作戦におけるそなたの指揮統率には優れたものがある。そなたにならこの新設部隊を任せてもよいと、ワシもダグラスも、そしてここにはおらぬが、リリアナ・ヨゴウも思っておる』

『ヨゴウ殿が……』

柳也は不思議な感動に襲われた。

憎らしいラキオス王や所詮軍人でないダグラスから言われるより、一流の剣士リリアナ・ヨゴウから認められたとわかったことのほうがよっぽど嬉しかった。

『……そうか、ヨゴウ殿も俺のことをそう言ってくれたか』

我ながら単純な性格だと思う。だが、たとえ相手が誰であれ、正当な評価を下されて褒められるというのは気分がいい。ましてかつて自分が生きた時代と世界では望むべくもない評価であれば尚更だ。特別感が増す。

それに自分が一部隊の隊長になるというシチュエーションにも燃えた。想像するだけ、全身の筋肉の動きが、心臓のビートが、魂の雄叫びが激しくなる。

ラキオス王はそんな自分の胸の内を見透かしているかのように、ニヤニヤと王族らしからぬ卑しい笑みを浮かべた。

『どうだ? 隊長をやる気はないか? すぐに返事をよこせとは言わないが、もしこの場で引き受けてくれると言ってくれれば、今日の午後にでも会議を開き、新設部隊の計画を推し進めるが……』

王政国家では国王の言葉は絶対だ。たとえそれがどんなに理不尽な政策であっても、王がゴーサインを下せばまかり通ってしまう。いま、自分がここでYesと答えれば、ほぼ一〇〇パーセントの確率で、会議はラキオス王の思うがままに進行するだろう。

実のところラキオス王らの提案に柳也の心は揺れていた。

本来ならばこのように重要な事柄に対し、すぐに返事を出すというのは不用意極まりないことだが、柳也は“隊長”という称号の持つ誘惑の魔力に早くも心が折れそうになっていた。

しかし……と、柳也はかぶりを振る。

そしていかにも申し訳なさそうな声と表情を演出し、彼は口を開いた。

『申し訳ありませんが、そのお話はお引き受けできかねます』

『ほぅ……』

風見鶏の眼差しが鋭くなった。

同様にラキオス王の視線も鋭く研ぎ澄まされるが、こちらはダグラスほど恐怖を感じない。

『……即答した理由を、訊いてもいいか?』

『理由は簡単です。私が隊長では、この国のためにならないからです』

柳也はきっぱりと答えた。

人質に取られている佳織のことを思えばこれから口にする内容は本来ならばはばかるべき事柄だ。しかし、ここで弱気な態度を見せるわけにはいかない。

隊長という職はたしかに魅力的だが、今回に限っては、自分はその立場に就くべきではない。

『ダグラス閣下と陛下は、エトランジェという戦力をどうお考えでしょうか?』

『どう……とは?』

『エトランジェには二つの力があります。ひとつは永遠神剣を用いての実際的な戦闘力、そしてもうひとつは、エトランジェという名前に篭められた、政治的な戦闘力です』

柳也は毅然とした態度で言い放った。

柳也の話に興味を抱いたか、ダグラスが姿勢を直して聞く態度を取る。ラキオス王と違い、こちらは礼儀正しい姿勢だ。

『この世界の伝説にすらなったエトランジェの力、これは強力な外交カードの一枚になります。私の出身世界では、世界最強の軍隊を持った国が、実質的に国際政治のイニシアチブを握っていました』

これは無論アメリカのことだ。いうまでもないことだが、合衆国統合軍は世界最強である。その戦力はEUが束になっても敵わない。あれだけの借金大国、あれだけの暴君国家が、国際社会の中で常に主導権を掌握し続けていられるのは、この軍事力が背景にあるためだ。なんとことはない、アメリカという国家はかつてドイツのヒトラーが目指した力による恐怖政治を世界規模で敷いているだけなのだ。

国際社会における基盤は外交と軍事力の二本柱によって支えられている。伝説に謡われた“〈求め〉のエトランジェ”という肩書きは、軍事力として、そして外交カードとして有力なはずだった。

『エトランジェの名前を前面に押し出した、軍事力を基盤とした外交を行うと仮定した場合、スピリット隊の隊長は、無名の神剣を持つ私よりも、伝説にも謳われた〈求め〉を操るエトランジェであるほうが影響力は強い』

『ふむ……』

『単に人事を変えただけではないか、と思わないでください。私の世界では、たった一人の人事が、その後の戦局を変えてしまった先例があります』

日露戦争における児玉源太郎参謀総長然り、太平洋戦争のチェスター・ニミッツ大将然り。戦争は時にたった一人の人事がその後の戦局を左右することがままある。

――だから戦争ってのは面白いんだけどな。

戦争という極限状態では人間の本性が出てくる。虚飾を一切廃した人間の実力が示されるからこそ、戦史を読むのは面白い。実際に戦争に赴く軍人やその家族には申し訳ないが、戦争ほど面白い見世物はない。

『ふむ、政治力としてのエトランジェか……これまで、わが世界にはなかった考え方だな』

ラキオス王は意外に感打たれた様子でしきりに頷いている。

政治力としての軍事力の概念はこの世界にも浸透しているようだが、その中身の吟味にまではこれまで目が向けられてこなかったらしい。無理もない。戦争と政治の関係、ひいては軍事力と政治力の関係は、柳也達の世界でもクラウゼヴィッツが「戦争論」を著すまで、明言化されなかった。

柳也はそこまで考えたところで、しまった、と思った。自分はもうこの世界に、すっかりはまってしまっていることを痛感した。勝ち戦が続いているせいか、この国に肩入れし始めている自分に気付いた。

『しかしそうか…対外的にも、スピリット隊の隊長はあのユートのほうがよいか』

ラキオス王は残念そうに呟く。

柳也の言葉に、ラキオス王の意志はぐらついているようだ。柳也はここぞとばかりに頷いた。

『はい。そのほうがよろしいかと』

『うむ。隊長の人選にはよく吟味しよう』

『すると貴様にはどのような役職を与えるべきか……』

ダグラス通産大臣も頭をひねった。

どういうわけか、この二人は自分のことを高く買ってくれているらしい。監視のためもあるのだろう、己を何かしらの役職につけたいようだ。

『副隊長で構いません。伝説のエトランジェといっても悠人はまだまだ未熟、足りない部分は私が補いましょう。それにあいつは、下手に軍人としての下地がない分、伸びる可能性を秘めた男です』

友人のことを悪く言うのはいたたまれない気持ちだったが、事実なのでしょうがない。いまの悠人は、軍人としても戦士としても自分より劣っている。

『……この際なので、失礼を承知で発言させていただいてよろしいでしょうか?』

『む?』

柳也は手を挙げた。

王の提案を蹴った時点で、もはや怖いものはなくなっていた。

柳也は二人の返事を待つことなく口を開く。

『私はこの世界で二度の……正確には三度の実戦を経験し、この世界の戦争のやり方や軍隊のあり方を見てきました。そして私はこの世界の戦争と軍事に、いくつかの改善できると思われる……いえ、ラキオスを真の強国とするために改善するべき点を発見しました』

『ほぅ?』

興味深そうにダグラスが聞き返してくる。

『これから話す内容は、異世界で育った軍人まがいの男のたわ言と受け取っていただいて構いません。お耳汚しとなるかもしれませんが……』

『いい。忌憚のない意見を聞かせろ』

『はっ……。死んだ私の父は、問題に直面した時には、まず問題を整理しろ、というのが口癖でした。それに習って、改善すべき問題をひとつひとつ述べさせていただきます』

柳也は今日までの異世界生活の中で、ラキオス王国軍について気付いた問題点と、改善案をそれぞれ述べていった。

『まず私が問題点として挙げたいのは、この世界の戦争は多分に様式化されているということです』

『様式化?』

『はい。こちらの世界では統一言語、統一通貨に代表されるように、各国の文化に一定の共通性が認められます。私の世界では、このように共通の文化を持った国同士が戦争を起こした場合、型に嵌まった戦術に陥りがちでした。これは戦争の長期化を招く要因の一つとなりますし、新しい戦術に対するフレキシビリティが低くなる一因にもなります』

柳也は中世ヨーロッパとモンゴル帝国の戦例を挙げ、ふたりに説明した。

言語の違い、また宗教の違いがあったとはいえ、基本的に同種の文化を持つヨーロッパ各国は、中世時代、騎兵を中心としたモンゴル帝国に大敗北を喫した。それ以前のヨーロッパ文化において馬は貴族の乗り物であり、騎兵は貴族のみに許された特別な兵科だった。騎兵の養成と維持には莫大なコストがかかり、大規模な騎兵部隊を抱える国は限られていた。それだけにヨーロッパの騎兵は防御を重視した重装騎兵であり、その動きは鈍重で、直線的だった。また、騎兵になる貴族達は遠距離から敵を射殺す弓矢を卑怯者が使う武器として敬遠し、戦場では騎兵同士の一騎打ちを好んだ。

他方、広大なユーラシア大陸を常に移動しなければならない遊牧民は、大人も子どもみんな普段から馬に慣れ親しんでいた。それゆえにモンゴル帝国は大規模な騎兵部隊を抱えることを可能とし、また長距離を走らねばならない彼らの騎兵は軽装で、機動力に優れていた。また遊牧民の騎兵は小型の弓矢を好んで携行し、集団で襲い掛かるのを常としていた。

『当時、騎兵同士の一騎打ちを好み、射撃武器を卑怯者が使う武器としていたヨーロッパの騎兵隊は、遊牧民の集団戦法とアウトレンジ戦法よってほとんど抵抗のできぬまま撃破されてしまいました。それまでヨーロッパで当たり前のように行われてきた戦術が、自分達よりも劣っていると思われていた遊牧民の機動戦術に敗北したのです。ついでに言うと当時のヨーロッパは封建制社会を確立させており、軍といっても実質は地方領主の郎党集団といった風情が強かった。他方、モンゴル帝国は戦力のユニット化を徹底し、ほぼ完璧な上位下達組織を構成しておりました。騎兵云々以前の問題として、そもそもの軍制自体がヨーロッパは劣っていたのです』

『この世界の戦闘もそうだというのか?』

『はい。事実、各国は基本三名一小隊の原則を忠実に守り、いざ戦闘の際には真っ先にスピリットが駆り出され、正規軍は敵国のスピリット部隊が壊滅するまで前に出ようとはしません。また、搭や人工マナ発生装置などの防衛設備はあっても、もっとローカルな落とし穴などの防御策はありません』

『ふむ……』

『ですが、これは考えようによってはチャンスといえます。各国が既成の概念に囚われた戦術しか取り得ない状況で、他国に先駆けてラキオスのみが新戦術を採用すれば、それは大きなアドバンテージになります。なんとなれば、それは奇襲になるからです。実際、バトル・オブ・ラキオスにおいて私はブービー・トラップによる時間稼ぎを戦闘ドクトリンに組み込み、成功しました。

私はこの問題に対する改善策として、私の出身世界で考案された近代戦術の採用を提案します。勿論、これらの戦術はスピリットの存在しない世界で生まれたものです。全部が全部、この世界の戦争に対して有効とは限らないでしょう。ですが、やってみる価値はあると思われます』

ダグラスがしきりに頷きながら、メモを取った。

ラキオス王もメモこそ取らないが柳也の話に興味を抱いたらしく、例の不遜な態度の聞く姿勢を取っている。

柳也は好感触にテーブルの下で、ぐっ、と拳を握りながら、話を続けた。

『次に私が問題とするのは、人間の兵士の練度の低さ、一部軍人のモラルの低さです。この世界の戦争は基本的にスピリットが行うものですから、正規軍の力量が低いのは仕方ないといえるかもしれません。しかし、それにしても酷すぎます。いくらエトランジェとはいえ、神剣の力に目覚めていなかった素人の悠人を取り押さえるのに、数人を要していたのですから』

『ふむ、たしかに』

『また、誰とは言いませんが、私はエルスサーオで一部軍人のモラルの低さを目の当たりにしました。国境の最前線近いエルスサーオ方面軍では、ストレスが溜まるせいか一部軍人の態度が非常に悪い。勿論、軍人だって人間ですから、ある程度ハメをはずすくらいは黙認しておくべきでしょう。しかし、さすがに襲撃が予想される日の夜に、歓楽街に行くような上級将校は無視できません。重要な局面において、責任問題を理由に指揮権を放棄しようとした参謀もいました』

『つまり……軍人の教育システムを見直せ、と言いたいのか? リュウヤは?』

『まさにその通りです』

柳也は深々と頷いた。

さすがは切れ者の風見鶏、柳也の言いたい事を、何も言わずとも理解してくれる。

『不正を犯すような司令官に、兵は着いていきたいと思いません』

『たしかに』

『次の問題は軍の主兵たるスピリットの待遇の悪さ、です』

柳也はきっぱりと言い切った。

それまで彼の話を興味深げに聴いていた二人が渋い顔をする。柳也の話は、スピリットの差別問題という、異世界の人間の価値観の基盤ともいえる問題に言及するものだったからだ。

柳也は構わず続けた。

『これはこの世界の基本的な倫理、道徳にも影響する問題なので、多くは望みません。ですが、せめて嗜好品の配給くらいは、ある程度容認していただきたい』

『しかしリュウヤ、それは……』

『嗜好品は生きる力になります。後方でのたった一杯のビールを楽しみにして、その日一日を切り抜ける兵士は多いかと思いますが?』

『ううむ…』

ラキオス王はいがらっぽい唸り声を吐き出す。

柳也はにこやかに言った。

『べつに絶対にそうしろと言っているわけではありません。ただ、少しでも頭の片隅に留めていただければそれで十分です。……嗜好品に関しては、私が酒を飲みたいという私情もありますし』

柳也はそう言ってやんわりと微笑みかけると、そのままの表情で『最後の問題は……』と、口を開いた。

『最後の問題点は、すでに陛下もお気付きと思いますが、訓練士の不足です。新しい人材の発掘が必要です』

訓練士の不足はラキオスのみならず各国が慢性的に抱える問題のひとつだ。スピリットを訓練できる人間は稀少である上に、なかなか訓練士になろうとする者がいない。ラキオスの首都直轄軍でさえ、専属の訓練士は三名しかいないのが現状だ。件の新設部隊のスムーズな稼動のためにも、新たな人材の発掘は急務といえた。

『もっとも、新しい人材を発掘するといっても、それで易々と見つかるなら苦労はしません。訓練士が充足するまでの間は、私自身指導に当たりましょう。アセリアやエスペリアは無理でも、経験の浅いオルファや悠人くらいなら、若輩の私でも指導できるはずです』

『うむ。訓練士の問題についてはワシもかねてより憂慮していた。前向きに検討しよう』

『陛下、訓練士の人材発掘については私のほうでも情報を集めてみましょう』

ダグラス・スカイホークは国内外の各所に自らの私兵を放っている。バトル・オブ・ラキオスでリリィがもたらした敵部隊接近の報をみても、その情報収集能力はかなり高いと思われた。

『……以上四点が、私が現在のラキオス軍に見出した問題点と思われる箇所です』

『しかし、四点といっても改善の範囲がそこまで多岐にわたると、もはや改革だな』

ラキオス王が呆れたように言った。

人質を取られている立場で、こうも国王たる自分に対し忌憚のない意見を述べた柳也を、単なる考えなしか、肝が据わっているのか、判断しかねているようだ。

『さしずめリュウヤ改革といったところか』

『しかしリュウヤ、いま貴様の言った改善……いや、改革案は、言うは易いが実際にやろうと思うと莫大な予算が必要になる。実際に行える案は少ないぞ』

『う〜ん……なんでそこで予算を増やす方法を考える、って発想が出ないかなぁ?』

今度は柳也が呆れたように言った。

いつの間にか敬語を忘れ、地が出始めている。

話の主導権は、いまや完全に柳也が掌握していた。

『予算なんて、その気になればどうにでもなるだろう? 国債の発行、増税、非軍事支出の削減、第三者からの移転……いちばん手っ取り早いのは通貨の増産だが、これは物価統制をよっぽど上手くやらないとインフレを引き起こすから注意が必要だな。……最善なのは国力そのものを上げることだけど』

戦争と経済とは密接に関係している。一世紀のローマの歴史家タキトゥスによれば、「お金こそが戦争の筋肉である」とのことだ。

柳也は軍事全般に興味を持つ過程で、簡単な経済学の知識くらいは身につけていた。戦争というものは往々にしてカネのかかるイベントであり、軍隊という組織は金食い虫に他ならないからだ。それらに関心を抱くとなれば、当然最低限の経済学の知識くらいは持ち合わせていないと話にならない。

柳也の頭の中では、昭和十年前後に旧陸軍で行われた小銃の半自動化計画の失敗のことが思い出されていた。

昭和七年、陸軍技術本部はこれからの歩兵小銃のスタンダード・スタイルとして、半自動機構を備えた小銃に注目、小倉工廠などに試作小銃の開発を命令した。しかし小銃採用の担当官が、仮に陸軍の全小銃を半自動化したものに更新した場合、国の弾薬備蓄が二日で空になると試算し、その上に国家総動員法が施行され、新型小銃の開発計画は沙汰止みとなった。

歴史にイフはありえない。しかし、もし、あの時、担当官の頭の中に、ちらり、とでも、弾薬備蓄を増やすとか、国力を増強するといった考えがあったならば、結果は違っていたかもしれない。

――歴史ってのは、つくづく綱渡りだよなぁ……。

だからこそ歴史は面白い。だからこそ戦史を読むのは面白い。

このような異世界にまでやって来て、自分は何を考えているのか。

柳也はそんな自分自身が可笑しくて、苦笑した。

『それに、改革なんて大それた名前を付けてもらいましたが、実際にやるかどうかは陛下のご意志次第です』

『うむ……』

ラキオス王は頷いただけで、それ以上は何も言わなかった。

どうやら国王陛下は、柳也の改善……もとい、改革案に、全面的な賛成こそしていないものの、部分々々で惹かれるものがあるようだ。

瞑目し、己の考えをまとめるように腕を組んだままじっとしている。

見ると、ダグラスも自分に対し満足げな眼差しを向けている。通産大臣の彼は柳也が、軍事だけでなく経済についてもある程度の知識を持っていることに、喜んでいるようだ。たしかに、経済の仕組みが理解できる軍人というのはそれだけで貴重な存在といえる。経済の基礎を知っている軍人には、いわゆる良識派が多い。

『ダグラス……』

やがてラキオス王の目が、カッ、と開き、にんまりと笑って隣のダグラスを見た。

『そなたの言う通りであった。この男、非常に面白い』

ラキオス王は再び柳也に目線を向けた。

『エトランジェ……いや、リュウヤよ。ワシはそなたのことが気に入ったぞ?』

『……おそれいります』

柳也は複雑に笑って頭を垂れた。

一国の国主から「気に入った」と言われて、悪い気分ではないが、なんといっても人質を取っている側と取られている側の二人だ。諸手を挙げては喜べない。

――俺を気に入ってくれる前に、さっさと佳織ちゃんを解放してほしいんだが……。

柳也は内心そうこぼしながら、初老の国王の目を見つめた。

巨大な野心を秘めた赤い瞳が、真っ直ぐこちらを射抜いてくる。奇妙な威圧感を感じさせるその眼差しは、なるほど、相手が一国の主であることを匂わせるのに十分な迫力があった。

『リュウヤよ、そなたの改革案、前向きに検討してみるとしよう』

『そうですか……』

柳也は曖昧に頷くとにっこり笑みを作った。

特別、改革などという大それた事を提言したつもりはなかったが、自分の意見が人の心を動かす様子を見るのは楽しいものがある。まるで自分が、世界という将棋盤を見下ろす棋士になった気分だった。自分の考えひとつで駒が動いていくというのは、ミリタリー・オタクとしては爽快な気持ちだ。

『さっそく研究に取り掛からせるとしよう。……リュウヤ、そなたに参謀本部と王室図書館、王国軍幕僚委員会に出入りする許可を与える。しっかり研究せよ』

爽快な気分は、一瞬にして吹き飛んだ。

柳也は思わずわが耳を疑う。いったい、誰に研究をしろ、と?

『研究せよ、とは?』

『自分で立てた改革案だ。責任を持て』

『……軍人まがいのたわ言程度に聞いてください、と言ったつもりだったのですが?』

『しかし、少なくとも陛下にはたわ言では済まなかったわけだ』

ダグラス通産大臣がニヤリと笑った。

『よかったではないか? たわ言どころか、真摯に受け止めてくれたようだぞ?』

『よかったと、言えるのでしょうか?』

『男が本気でひとつの改革に挑む……貴様好みのシュチュエーションだと思うがな?』

『……』

柳也はダグラスを睨んだ。

しかし、睨まれたほうの通産大臣はその視線を軽く受け流す。やはり視線と視線だけの戦いでは、百戦錬磨の政治家のほうに一日の長がある。攻撃もディフェンスも知り尽くしているから、いわゆる視線で相手を黙らせる、ということができない。

柳也は深々と溜め息をついた。

『……誰から聞きました?』

『ここにいるリリィ、そして私の飼っている私兵達からだ。貴様は、異世界ではミリタリー・オタクと呼ばれる人間らしいな?』

『…………』

柳也は無言でダグラスを睨んだ。

通産大臣の口から飛び出した異世界の単語の組み合わせは流暢で、彼の耳にも、すぅっ、と馴染んだ。

『何もせずにいられるのか? 貴様が主導となるべき改革が行われているのを目の前にして、放っておけるのか』

『……なるほど』

柳也はまた溜め息をついた。

今度は多分に諦めの混じった溜め息だった。

『これが風見鶏ですか……』

たった一回の面談で、もう自分の性格を見抜いてしまった。頭が切れる上、情報収集力・分析力も凄い。ラキオス繁栄という目的のためならばどんな手段もいとわないマキャベリスト。

柳也は自ら乗る風を生み出す、風見鶏と渾名される男の恐ろしさを実感した。

『サクラザカ・リュウヤを動かすのにカネは有効な手段ではない。ハイペリアで困窮を極めた生活から、かえってリュウヤというエトランジェはカネに対する免疫を持っている。この男が自発的に動くよう仕向けようと思うなら、この男のプライドをくすぐってやるのがいちばんの良策』

『素晴らしく的確な人格分析ですね』

柳也は溜め息混じりに呟いた。

言いながら、柳也はダグラスの言うように改革の最前線に立つ自分の姿を想像する。

これまで組織の主流としてまかり通っていた考え方を、あの手この手を使って変えていく。それに代わってこれからは、自分の意見が組織の主流として流れていく。

無論、失敗のリスクはある。改革には相応の痛みも伴うだろう。しかし、組織を変えようと思ったなら絶対に必要な痛みでもある。その痛みを乗り越えた先に、自分の理想とする未来の組織像がある。

ミリタリー・オタクという以前に、ひとりの男として燃える展開には違いなかった。まして改革の最前線に立つのが自分となれば……柳也は空想に武者震いを起こす。自分の魂が、熱く滾るのを柳也は実感した。

男にとって、そんな理想の職場を与えてくれるというのなら、この国のために微力を尽くすのも良いかと思ってしまう。

『それにこのリュウヤ改革……成功させれば、あのエトランジェの待遇も改善されよう』

その一言が決定的だった。

ただでさえ傾きかけていた柳也の心は、改革成功の暁には佳織の立場が保証されると聞いて、確たるものになる。

柳也は静かに瞑目した。

瞼の裏側に、自分の進むべき道が、進みたいと思える道が見えたような気がした。

柳也は目を開けた。

大振りな双眸には、強い決意と覚悟が宿っていた。

『……わかりました』

柳也はゆっくりと頷いた。

『この国の未来のために、忠誠を誓いましょう』

『おお、そうか……』

柳也の言葉に、ラキオス王の相好が崩れた。ついで機嫌の良い口調で何か言おうとするが、その言葉が紡がれるより早く、『ただし……』と、柳也が口を開いた。

『先ほど挙げた四点の他に、もう一点、この場で認めていただきたい提案があります。これを承諾していただきたい』

『なんだ?』

発言を制されてやや機嫌を悪くした様子のラキオス王に代わり、ダグラスが訊ねた。

柳也はダグラスとラキオス王、そしてリリィに交互に目線を配った。

『先ほど陛下のおっしゃられた新設の部隊の編成について、私の意見を検討していただけるようレスティーナ国防大臣に口利きをしていただきたいのです』

『何か考えがあるのか?』

むっつりとした顔でラキオス王が問うた。

柳也は、一国の国家元首がこれでいいものか、と思いながらも、深々と頷いた。

そして彼は唇を自信に吊り上げ、不敵な笑みを浮かべた。

『はい。……部隊の編成を私にお任せいただけるのなら、この世界にかつてなかったタイプの、最強の部隊を陛下らの目にご覧にいれましょう』

興味ありげに身を乗り出してきたラキオス王に、彼はかねてより腹の内に抱えていたプランを披露していった。

 

 

――聖ヨト暦三三〇年、エクの月、青、三つの日、

 

その日の午後、リクディウス山脈の山頂より巨大な青白いマナの光が天に昇る光景を幾人もの人が見た、という奇妙な報告がラキオス王のもとに届いた。

それから数時間後、興奮気味に謁見の間に駆け込んできた気象観測係の報告を受けた国王はニヤリと笑った。いまからほんの一時間ほど前、首都気象観測台に一つしかない最新のマナ測定機が、通常では考えられないような膨大量のマナの出現を記録したという。その数値はラキオス王国の年間産出マナ総量の六割にも達し、当初観測員が機械の故障ではないかと疑ってしまったほど、急激な出現だったという。

観測係の報告を聞き終えたラキオス王は、魔龍討伐作戦が成功したのを確信した。

その確信はやがて討伐部隊が帰還したとの報告により、確実なものとなった。

王座の上でご満悦の笑みを浮かべたラキオス王は、意気揚々と廷臣達に謁見の間に集まるよう号令をかけた。

他方、リクディウス山脈から昇天するマナの光を自らの目で目撃した柳也は、その時点で早くも悠人達の勝利を確信していた。リリアナやセラスとともに資料の作成に取り掛かっていた彼は、友人達の懐かしいマナの気配を感じるや、二人の許可を得て真っ先に城門へと向かった。

『悠人! よく帰ってきたな』

『柳也!』

二人のエトランジェは数日ぶりの再会にほぼ同時に歓声を上げ、互いの名前を呼び合った。

一週間近く野生の山で生活をしてきた戦友の顔には疲労の色が濃く浮かび、衣服もすっかり汚れきっている。しかし特に目立った外傷はなく、柳也はその点に関しては、ほっ、と安堵の息を漏らした。

再会の喜びに駆け寄ってくる悠人を、柳也は両手を広げて受け止める。数時間前はリリアナと交わした抱擁を、今度は悠人と交わした。

友の肩を撫で、背中を叩く度に、ばっばっ、と埃が舞い上がる。

『無事でなによりだった』

『柳也こそ。……エルスサーオはどうだった?』

『良い所だったぜ。美人の女もたくさんいた。まさに、ドリームのようなパラダイスだったぜ?』

柳也は、からから、と笑って言った。

悠人から離れた彼は、続いて両手を広げ、こちらに歩み寄るアセリア達のほうを向いた。

『さあ! アセリア、エスペリア、オルファ、遠慮することはないぞ! この俺の胸に飛び込んできたまえッ!』

柳也は普段の鍛錬で鍛えた自慢の大胸筋を不気味に動かし、いやらしい笑みを浮かべた。めいっぱいに広げた両手の指が、わきわき、と怪しく蠢く。

『…………』

すぐ側までやって来たアセリアが、無表情に五歩退いた。

その隣ではエスペリアとオルファが、それぞれ引き攣った笑みを浮かべている。

『ええと……抱擁はちょっと……』

『オルファも、ちょっと遠慮しようかなぁ。……リュウヤ、なんか怖いし』

『……ふっ、凹むぜェ』

柳也ははるかリクディウスの山々に飲み込まれていく夕陽を遠目に、自嘲気味に呟く。

その目尻には、キラリ、と輝く涙の雫があったが、誰も同情はしなかった。

『ところで……』

涙の溜まった目元を拭い、柳也はふざけた調子から一転、真顔になってエスペリアを見た。

柳也の態度の急変に、メイド服の少女の顔に緊張が走った。

『さっき抱擁した時に感じたんだが、悠人に何かあったのか?』

柳也は他の三人は聞こえないよう小さな声で、エスペリアに耳打ちした。

柳也の言う“何か”とは、勿論、〈求め〉に関わる話だ。ゲットバック作戦で〈求め〉を覚醒させて以来、悠人が神剣の強制力に日々苛まれていることは、エルスサーオの防衛に就いてから常に忘れられない懸念事項のひとつだった。

柳也は先ほどの抱擁の最中に、悠人の体から不穏なマナの波動を感じたのだった。

『前に〈求め〉に支配されかかった時に感じたのと、似たようなマナを感じたんだが』

『……はい』

エスペリアは暗い面持ちで頷いた。

『帰りの道中に、少し……』

エスペリアはそれ以上、多くを語ろうとしなかった。

だが、言葉にせずとも、帰還途中に悠人の身に何があったのかは、悲しげな表情と声のトーンがなによりも雄弁に語っていた。

僅か一瞬の、それも偶発的な接触にすぎなかったとはいえ、柳也も一度だけ〈求め〉の意志に触れたことがあるから、わかる。あの狡猾で機を見ることに聡い〈求め〉が、戦闘後で疲れている悠人を狙わないはずがない。

なんとなれば、悠人の体から感じられる〈求め〉の黒いマナの痕跡は、以前に感じた時よりもはるかに強大になっていた。〈求め〉は着実にその力を増している。その上で心の隙を衝かれれば、いかに精神力の強い人間でもひとたまりもないだろう。

『……そうか』

柳也もそれ以上は何も言わず、黙って目線を悠人に転じた。

自分達の不安を知ってか知らずか、伝説のエトランジェは訝しげな視線でこちらを見つめてくる。

柳也はそんな戦友の姿をしげしげと眺めた。

目立った外傷は、たしかにない。しかし目には見えない心に深いダメージを負っているかと思うと、胸が痛んだ。

『どうかしたか?』

悠人が怪訝の表情のまま問うてくる。

柳也は「いいや…」と、かぶりを振った。

『なんでもない。……ところで、帰ってきた早々悪いとは思うが、謁見の間に行ってくれないか? 龍退治の首尾を、陛下がお聞きになりたいそうだ』

『ああ。わかった……って、柳也?』

不意に悠人が驚いた表情を浮かべ、柳也を見つめた。

見ると、エスペリアも目を丸くして自分の顔を覗き込んでいる。

『お前、いつかあの王のことを陛下って……?』

『まぁ……色々と思うところあってな』

柳也は曖昧に微笑むと、そう言った。

作戦が終わった直後で、ただでさえ疲労がどっと押し寄せ、気が抜け始めている今の悠人だ。無用の混乱を招かぬためにも自分とダグラス通産大臣、ラキオス王の三者会談の内容は、伝えないほうがいいだろう。

『……それより、聞いてくれよ〜』

なおも訝しげな眼差しを自分に向けてくる悠人とエスペリアから顔を背け、柳也は口調でオルファへと話しかけた。

それ以上の追求を避けるように、一転して明るい口調と態度を取る。

『実はエルスサーオに向かっている間に頼もしい味方を仲間にしてなぁ……』

謁見の間へと続く廊下を進む間、のべつまくなし語り続けた。エルスサーオで出会った二人の魅力的なスピリット。新しく手にした〈戦友〉という味方。エルスサーオの草原で編み出した必殺技……。バトル・オブ・ラキオスの詳細については触れることなく、柳也は多少の脚色を交えながらエルスサーオでの生活を面白おかしく語った。

その甲斐あってか、謁見の間に着く頃には悠人の顔にはにこやかな笑みが浮かんでいた。

 

 

――聖ヨト暦三三〇年、エクの月、青、三つの日、夜。

 

悠人達討伐部隊を連れて謁見の間に向かうと、すでにそこにはラキオス王を始めダグラス達各大臣、レスティーナ王女、そしてリリアナ達護衛の兵が並んでいた。

『よくぞ、あの魔龍を打ち倒した! エトランジェの名は伊達ではないようだ。ふぁっはっはっは』

例の如く王座に座るラキオス王は、悠人達の報告を聞き終えて満足そうに頷く。

自分の打ち出した龍退治の秘策が成功裏に終わったことが、心底愉快でたまらないようだった。

『これで我が国は龍が保持していたマナを大量得たわけだ。守り龍などとは所詮は名ばかり。こんな事ならば、もっと早くからスピリットどもをぶつけておくべきだったな』

ラキオス王の豪快な笑い声が、謁見の間に響く。

まるで玩具を買ってもらった子どものような王のはしゃぎように、心ある廷臣達は呆れた視線を送っていた。

――まぁ、わからなくもないが……。

廷臣達が呆れの感情のみを孕んだ視線を送る中で、柳也は呆れと同時に、共感を宿した眼差しで王を見つめていた。

謁見の間での立ち振る舞いや数時間前の三者会談での様子から、柳也はラキオス王を乱世型の指導者と分析していた。年老いてなお胸の内に壮大な野望と激情を抱えたこのタイプの人間にとって、自分の考えた作戦が成功裏に終わったというのはさぞ愉快なことだろう。

柳也は王座に座る初老の男に強いシンパシーを感じていた。なんとなれば、柳也自身乱世型の人間という自覚があったからだ。

逆の立場であれば、自分も同じように恥も外聞もかなぐり捨てて、ひたすらはしゃいでいたに違いない。

――…ま、でも、たしかにいい歳したオヤジがこれだけの人数の前でガキみたくはしゃぐっていうのは、見れたものじゃないけど……んん?

王座の上で笑い転げるラキオス王から視線を逸らした柳也は、その左隣に立つ王女の姿を視界に捉えたところで、思わず小首をかしげた。

――……なんだ?

柳也は自分と同じくらいの年齢の、しかし自分とは比べようもない荘厳なオーラを纏った少女をしげしげと眺めた。

べつにレスティーナ王女が何か特別なアクションを起こしたわけではない。

むしろレスティーナは年齢不相応な落ち着きと礼節を払って、粛々と王の言葉を耳にしている。

柳也が気になったのは、王の横顔を見る、彼女の目だった。

『…………』

かんらかんら、と笑う国王を見つめる紫水晶の瞳には、何か冷たい感情が宿っていた。

とてもではないが父親に対して娘が向ける眼差しとは思えない。むしろ親の仇を睨むような視線には、人間らしい温もりが一切欠如しているように思える。

――……前々から思っていたが、この二人、親子関係が上手くいっていないのか?

他人の家庭の問題に首を突っ込むべきでないことは重々承知していたが、柳也にはなぜかその視線が奇妙に気になった。

『エトランジェよ。今回の働きを高く評価している。非力なスピリットどもを率い、あれだけ大量のマナを得たわけだからな』

『……非力とはまた、言ってくれる』

柳也は冷笑とともに小さく呟いた。

実際にはアセリアもエスペリアも、非力どころか一騎当千の精鋭なのは、ともに肩を並べて戦った自分が誰よりも知っている。

とはいえ、そんな彼女達も、エトランジェの自分達と比べるといくらか劣ってしまうのは否めなかった。

『これまで何の役に立っていなかった分を取り戻せたわ』

“ギリィ”と、不意に隣から聞こえてきた歯軋りの音に、柳也は、はっ、として隣に目線を配る。

床に押しつけた拳を強く握り、奥歯を強く噛み締めた悠人が、怒りを必死にこらえた様子で王の顔を見つめていた。

「今日までいったい誰がこの国を守ってきたと思っているんだ!?」と、憤りに震える眼差しが叫んでいる。

「悠人……」

柳也は誰にも聞かれぬよう小声で、そして誰かに聞かれても問題にならないよう、日本語で呟いた。

「気持ちはわかるが、いまは抑えろよ」

いま、自分達が下手に動けばいちばん迷惑するのは他ならぬ佳織。視線に言葉を託し、鋭く睨むと、悠人は「……わかっているよ」と、小さく頷いた。

『時にレスティーナよ……』

不意に、ラキオス王の視線が下座の五人から、隣のレスティーナ、さらにその背後のダグラスへと移った。

そして国王の視線は、柳也自身にも向けられる。柳也は全身に緊張が走るのを実感した。

ラキオス王だけでなく、“風見鶏”ダグラス・スカイホークとも視線が交錯した。

数時間前の三者会談の出席者達は、互いに頷き合った。

それが、合図だった。

『以前の定例会でワシとダグラスが口にした新設部隊の件だが……』

『その件については詳細未調整のため、次の定例会までにプランをまとめておくという方針のはずですが』

レスティーナ国防大臣はさすがにレスポンス・タイム早く答えた。

しかしその顔には、どうしていまこの場所でその話題が持ち上がったのか怪訝に思う感情が表出している。

それは他の大臣達も同様で、謁見の間はにわかにざわつき始めた。

『新設の部隊ですか?』

柳也の口から、やけに大きな声の疑問が上がる。挙手のない勝手な質問。

無礼な態度を咎めようと、レスティーナが何か言いかけるが、その言葉は、間髪入れずに口を開いたダグラスに阻まれる。

『そうだ、エトランジェ・リュウヤ。現在わが軍は、エトランジェという新たな戦力を存分に活かすべく軍の再編を迫られている。そのプランの一つが、エトランジェの運用を前提とした新部隊の設立だ』

『なるほど』

すらすらと紡がれたダグラスの言葉に、柳也はややオーバーアクション気味に頷いてみせた。

『それは名案ですな。私の世界でも、新兵器を運用する場合には、既存の部隊に編成するよりも、新たな部隊を創設することのほうが多かった。その方が訓練期間が短く済みますし、変なバイアスがかかりませんから』

『問題はコストだ。新しく部隊を作るとなれば、それだけカネがかかる』

『そんなもの、戦争に負けることに比べたら安いものでしょう?』

柳也はその場に居並ぶ大臣達を見回した。

最後にレスティーナ国防大臣を正面から見据え、不敵に笑ってみせる。

白いドレスの少女は、思わず柳也の視線から顔を背けた。

柳也の笑みは、彼自身気づかないうちに凄絶な愉悦を孕んでいた。レスティーナでなくても、まともに正視するのを躊躇うような愉快そうな笑みだった。

『レスティーナ閣下、私は陛下の新部隊設立案に賛同いたします』

『現役のエトランジェからの推薦を受けられるのとはな』

ラキオス王が、不敵に微笑んだ。柳也もニヤリと笑う。

ここにきてレスティーナの表情が、はっ、と強張った。

柳也、ラキオス王、ダグラス大臣の三人に素早く視線を配る。

三人の男達は、みな同種の笑みを浮かべていた。

『この際だ、レスティーナよ。このエトランジェの意見も聞いておこうではないか? 実際に戦場に立つのは、この者らなのだからな』

ラキオス王は、娘の返答を聞く前に続けた。

『エトランジェ・リュウヤよ、そなた、もしこの新設部隊案が成立するとしたら、どのような部隊がよいと思う?』

『機動力を重視した部隊がよろしいかと思います』

『機動力?』

『はい。火力や打撃力のみに頼ることなく、機動力を以って戦場を支配出来る部隊……。あらゆる戦場、あらゆる任務に対応できる、柔軟性に富んだ部隊です』

『言葉だけ捉えるならば素晴らしい部隊だな。だが、そのような部隊を実現させるとなれば、莫大な予算がいるだろう?』

『はい。しかし、先ほども申し上げたように、戦争に負けることに比べれば安いものです。未来に向けての投資と考えれば、費用対効果は高いものがあるかと』

『部隊の規模はどの程度が適当だと思うか?』

『一個大隊程度で十分でしょう。量の不足は、質で補う方針で』

『少数精鋭機動力重視の、いうならば特殊部隊か』

ラキオス王の言葉に、柳也は重々しく頷く。

大勢の廷臣達、兵達がひしめく謁見の間にあって、柳也とラキオス王、そしてダグラスのやりとりはやけに強く響いていた。

まさに丁々発止といった言葉の応酬に、謁見の間は水を打ったように静まりかえっていたからだ。悠人などは、親友の言動の一字一句に愕然としている。

それはまるであらかじめ決められていたかのような、言葉の応酬だった。それもそのはずで、三人の言葉遊びは、数時間前に彼が共謀して作成した脚本に基づいたものだった。

三人のやりとりはあらかじめリハーサルされた芝居であり、静寂は予定されたものだった。

柳也は、この静寂をここぞとばかりに利用し、朗々たる声で故郷の世界の戦例を詠った。

静寂に満たされた聴衆の心に、若々しく流暢な聖ヨト語は透き通るように染み渡っていくはずだった。

『まさにその通りにございます。私の故郷の世界では、イギリスという国のSASなる部隊を始め、この手の特殊部隊の活動はむしろ盛んでした。鍛え抜かれた少数の精鋭から構成された部隊は、時として奇跡としか思えぬような戦果を挙げることがしばしばあります。たとえば、北朝鮮という国の特殊軍団ですが……』

柳也はそこまで言ってから一旦言葉を区切ると、周囲の反応を窺った。

いまや謁見の間の誰もが、自分の話に耳目を集中させている。エトランジェだ何だと蔑みながらも、やはりみな心のどこかでは異世界の話について興味があるらしい。つかみは上出来だということを確信するや、彼は続けた。

『この特殊軍団は北朝鮮という国家が誇る総兵力約八とも一二万人と推定される特殊部隊で、隊員達は一週間の間一睡もせず、不眠不休で作戦行動を取ることができる精鋭達です。私の世界の年号で1996年、北朝鮮と対立する大韓民国東海岸江陵(カンヌン)沖に、この特殊軍団の精鋭二六名が、秘密裏に上陸しました。目的は大韓民国空軍――といっても、おわかりいただけないでしょうが、とにかく韓国の軍事施設の偵察と破壊工作です。

結論から先に言いますと、この上陸作戦は失敗しました。上陸から二時間後、民間人の通報によって二六名の上陸が発覚してしまったからです。しかし彼らの真価が発揮されたのはここからで、二六名中の十一名が集団自決、一名が逮捕、一三名が射殺、そして一名が行方不明となって掃討作戦終了が宣言されるまでに四九日間を要しました。この四九日間の間に韓国側はのべ約一五〇万人による必死の山狩りを行いながら、軍人一三名、民間人六名という被害を出しています。……懸命なラキオスの大臣の皆様なら、この数字の持つ意味がおわかりでしょう?』

『わずか二六名の兵が、一五〇万もの大軍を相手に四九日間も持ちこたえたというのか……』

五七歳の環境大臣が呻くように呟いた。

それは当初ダグラスが言うはずの台詞だったが、意図せずして発せられたその一言に、柳也はニヤリと笑った。

『まさに閣下に理解していただきたかったのはそこです。しかもこの第八特殊軍団は逃亡中も任務の遂行を諦めず、偵察活動を続けていました。これは死体の遺留品からも明らかです』

『……なんという精神力の持ち主か』

王国軍で下士官としての兵役経験を持つ六十歳の外務大臣が慨嘆の呟きを漏らした。

やがて環境大臣、外務大臣の感慨は、他の兵士や廷臣達にも伝播していった。すでに桜坂柳也、高嶺悠人からもたらされた情報により、彼らの出身世界にスピリットがいないことは周知の事実となっている。それだけに自分達と同じ人間が、そのような戦いを経験したことが信じられず、また感動しているのだった。

いまや謁見の間は、ラキオス王らの望む喧騒に満ちていた。

『……なるほど、そのような兵士を実際にわが国が保有できるとなれば、多少の出費は問題にならんな』

『そのような戦力をわが国だけが保有できるとなれば、他国に対して大きなアドバンテージとなる。費用対効果は計り知れん』

『…私からは以上です。あとは大臣各位と、陛下の判断にお任せしましょう』

自分達は人質を取られている立場ゆえに、与えられた命令には嫌でも従うしかない。それも全力をもって。そんなニュアンスを含んだ柳也の言葉から、彼がラキオス王らと密かに結託した上でこの場にいるとは想像しがたいだろう。

現に二人の大臣は柳也の言葉が仕組まれたものだとは微塵も疑っていない。

わずかにレスティーナひとりが、柳也とダグラス、ラキオス王の三人に悔しげな視線を向けるだけだ。

柳也はラキオス王に平伏した。

ラキオス王は満足げに微笑むと、赤い瞳を、ギラリ、と光らせ、口を開いた。

『うむ。そなたらの考えはよくわかった』

ラキオス王はレスティーナを見た。

『レスティーナ、ワシはいまここで決めたぞ』

『……何をですか?』

レスティーナは苦渋に唇をきつく噛み、ついで口を開いた。

謁見の間がこのような空気に染まるまで、父とダグラス通産大臣、そして桜坂柳也の結託を見抜けなかった自分が、悔しくてならなかった。

『次の定例会を待たずに、いまこの場でエトランジェの処遇をどうするか、決めようではないか。幸いこの場には各大臣ならびにわが国の剣術指南役がそろっておる。多数決を取るには十分な陣容かつ人数だ』

王政国家のラキオスでは、国王のもとに絶大な権力が集中している。とはいえ、ラキオス王も民意をまったく無視することはできない。過ぎた独裁と圧政はいつの時代、どこの世界でも民衆による反乱を呼ぶ。

最終的な決定権は国王にあるが、その判断に役立てる情報材料を提供するためにも民主的な多数決は重要だ。その多数決の結果次第では、新設部隊案の説得力が増す。

『しかし、その判断はいささか性急すぎるのではないでしょうか?』

レスティーナの凛とした声が謁見の間に響く。

しかし父の行動をいさめようとする言葉は、この場にあって弱々しいものにしかならなかった。

『エトランジェの言うような部隊が本当に実現可能かどうか、討議すらしていない状態で決を取るのは性急すぎるのでは?』

『私はそうは思いませんが……』

ダグラス通産大臣が挙手をし、口を挟んだ。レスティーナを含む各大臣から反対意見が上った際には、ダグラスをぶつけることになっている。

レスティーナの口から新部隊設立案に否定的な質問がのぼるのはあらかじめ予想されたことだった。

レスティーナ・ダイ・ラキオスは優秀な政治家だが、なんといっても若い。

歴戦の政治家であり、風見鶏と渾名されるダグラスの存在は天敵といってよく、ネズミに野生の猫をぶつけるようなものだった。

『国防大臣の意見はたしかに一理あるかとは思います。しかし、国防大臣は討議とおっしゃいましたが、そんな討論会に意味があるのでしょうか? エトランジェ・リュウヤが示唆した新設部隊の案は、かつてわが国に……いえ、我々の世界に存在したことのない、まったく新しいタイプの軍事組織です。そのような組織の是非や実現の可否について、いったいこの世界の誰が論じることができるでしょうか? そのような議論は無意味でしょう』

『通産大臣の意見もわかります。ですが、新たな部隊の設立は国家を運営する上で慎重な判断を求めるべき内容のはずです。採決を取るにしても、何もいまではなくてもよいのでは……?』

『べつにいまこの場で決めようと、あとで決めようと、大差はないと思いますが』

ダグラスがそこでいったん言葉を区切り、不敵な笑みをこぼした。

柳也達の世界でいうところの、いわゆる闘将の相と形容していい吊り上った眦が、炯々と好戦的な輝きを放っている。

いよいよ、風見鶏の本領発揮だ。

『どうも国防大臣は、討議不十分のまま採決を下すことによって生じるリスクを懸念しておられるようですな?』

『為政者として、政策のリスクに考えを巡らせるのは当然の責務だと思いますが?』

『ええ。まさにその通りです。ですが、リスクを恐れてばかりいて、何も行動をしないのでは、何も得られません』

『…………』

『そもそも私は、エトランジェを戦力として起用すること自体極めてリスキーなことと私は考えております。わが国の歴史を紐解いても、神剣の力を扱えるエトランジェの出現は聖ヨト分裂時代に四神剣の契約者の例があるくらいで、戦力として運用する上でのノウハウなどの記録は不足しています。現行の軍組織に組み込むにしろ、新しい部隊を作るにしろ、そこにエトランジェという要素が絡む限り、常にリスクは付きまとうのです。それも、前人未到の領域の、正体不明のリスクです。そしてエトランジェをわが国の戦力として起用することは、すでに決定事項なのです。どのようにして運用するにせよ、我々はまず、このリスクを背負う覚悟をしなければならない。いつ運用方針を決めようが、リスクが降りかかってくるのは間違いないのですから。

経済屋としての観点から述べさせていただきますと、エトランジェの起用は一種のヴェンチャー事業だと私は考えます。ヴェンチャー事業を成功させるための秘訣は、失敗を恐れることなくあらゆる可能性を試すことです。ここはいっそのこと、勇気を振り絞ってリスクに立ち向かうべきです』

『通産大臣の意見に賛成です』

王座の後ろで控えていたリリアナが口を挟んだ。

数時間前の三者会談に出席していないリリアナだったが、彼はひとりの武人として柳也の案を支持し、その案を支持するダグラスを支持した。

『本職は経済の難しい仕組みについては何もわかりません。本職にわかるのは、勝利は常に危険の中から勝ち取るものだ、ということです。最も危険な選択が、最も成果の高い勝利につながります』

『……うむ』

リリアナの言葉を受け、ラキオス王が重々しく頷いた。

『双方の言い分はよくわかった。しかしレスティーナよ、ワシはあえていまこの場で多数決を取りたいと思う。リスクを恐れるそなたの気持ちはわからぬわけでもない。しかし、やはり失敗を恐れて行動しないのでは、何も得られん』

ラキオス王は静かな口調で述べると、わずかな時間、瞑目した。

次に瞼が上がった瞬間、謁見の間に赤い視線が駆け巡った。

見つめられたすべての者を威圧する、戦争王の眼差しだった。かつて北方五国を統一した偉大なる帝王……聖ヨトの勇猛さは、ラキオス王の血にも脈々と受け継がれている。

『選択肢は三つだ。

第一は、今後二人のエトランジェは現行の軍団部隊に組み込む案。

第二は、エトランジェの運用を前提とした部隊を新たに編成する案。

第三は、新設部隊を編成するのは変わらぬが、そのデザインにエトランジェ・リュウヤの意見を取り込む案。大臣各位とヨゴウ剣術指南役、王国軍上級将校各位はよく検討した上で答えるように。集計は……』

ラキオス王が再び赤い眼差しを周囲に巡らした。

その視線が下座のエスペリアに留まる。

『エスペリア、お前がやれ。くれぐれも不正がないようにな』

『……かしこまりました』

王の命令を受け、エスペリアは恭しく一礼した。いかに各大臣、各上級将校の総数が少ないといっても、人間の集計では不正が生じかねない。人間の命令に対して服従の因子を持つスピリットであればこそ、集計の信頼性は高くなる。

しかしこれはポーズにすぎない、と柳也は内心で嗤う。

このような多数決は茶番だ。集計の結果がどうなろうと、ラキオス王は自分の独断で新部隊の設立を決めてしまうだろう。この場においての多数決は、みなの意見を尊重して判断したい、と口にする国王の、見せかけだけの民主主義にすぎない。王政国家の多数決ほど、信頼の置けぬものはない。

いやそもそも、柳也は民主主義という考え方に信頼を抱いていなかった。誤解を恐れずに表現すれば、民主主義とは数の暴力だ。大多数の意見が正義となり、力となる。

逆説的ではあるが、その意味でかつての帝国陸軍は非常に民主的な組織だったといえるだろう。あるいは、旧帝国は一般にいわれるほど軍国主義の国ではなかったということか。

とにかく、その大多数の暴力によって過去にいじめを受けた経験を持つ柳也は、民主主義というものに軽い反感すら抱いていた。当時、いじめの加害者だった彼らからすれば、自分をいじめることこそが大勢を占める意見であり、正義だったのだから。

柳也にとって民主主義とは信望するべき思想ではなく、手段の一つに過ぎなかった。

とはいえ、この集計で自分達の推し進める案が採択されれば、その結果はその結果で新部隊の設立を認めさせる大儀名分となる。

柳也はエスペリアが集計のために立ち上がったのとほぼ同時に、挙手をした。

『陛下、おそれながらお願いがございます』

『なんだ?』

『この場にいる皆様方が、これから採決を取ろうとしていられる内容は、我々二人のエトランジェの今後の未来に深く関わる事です。できれば、その多数決に私と、ここにいる悠人も参加したいのですが?』

『……柳也?』

隣の悠人が顔を上げた。

柳也は構わずに続ける。

『私も悠人も、すでに実戦を経験し、この世界で戦うことについては覚悟いたしました。しかし、どのように戦うかについては別です。この国のため、佳織ちゃんのため、そして何より自分自身のために、少しでも生残性の高そうな選択肢を選びたいのです』

佳織という単語を口にした直後、隣で跪く悠人の表情が、はっ、と変わった。

見上げてくる友人の瞳に、はたして自分はどのように映っているだろうか。

自分のため、そして最愛の義妹のために、王の権力に怯むことなく発言した勇敢な男とでも、映じているだろうか。

あるいは、一国の王と通産大臣を舌先三寸で惑わし、この国にかつてない軍事組織を誕生させようとする世紀のペテン師と映っているだろうか。

柳也は、チクリ、という軽い痛みを胸に感じながら、ラキオス王の言葉を待った。

程なくして、ラキオス王の口から「いいだろう」と、望んでいた言葉が降りてきた。

柳也は満足げに敬礼すると、その場に跪いた。

『では決を採りたいと思う。まず、第一の案に賛成の者は手を挙げよ』

ラキオス王の言葉にまず手を挙げたのは七十歳の交通大臣だった。ついで六十五歳の法務大臣も手を挙げる。新しい部隊の設立となれば、その分の予算は軍のほうに優先的に回されることになるから、他の大臣達は必死だ。

しかしみなラキオス王の眼光を恐れてか、あるいはこの場の多数決は無意味なものと知っているか、手を挙げたのはその二人だけだった。

『二人だけです……』

『うむ。では、次に第二の案に賛成の者は手を挙げよ』

第二の案に対して挙手をしたのは王国軍の上級将校の二人と、財務大臣の計三名だった。白いドレスの国防大臣はここにきて腹を括ったか、手を挙げる素振りすら見せない。

生きた年月の分だけ皺を刻んだラキオス王の顔が、満足げに緩んだ。

『どうやらみなまで聞く必要はないようだが……最後に、第三の案に賛成の者は手を挙げよ』

ラキオス王の視線が、ギロリ、と謁見の間にいるすべての者を舐めるように見回した。

白髭に包囲された肉厚の巨大な唇の端が、頬の筋肉に吊られて歪み上がった。

三者会談出席者のダグラスと柳也はもとより、柳也に全面的な信頼を寄せる悠人、ひとりの剣士として柳也の意見に賛意を示すリリアナ、柳也の疲労した異世界の戦術に興味を持った各大臣と軍人達、レスティーナまでもが、揃って手を挙げていた。

エスペリアが集計をする必要すらない、圧倒的な大差だった。

『……決まりだな』

ラキオス王はやや大仰な仕草で頷くと立ち上がった。

『本採決の結果を尊重し、エトランジェの運用に関しては新部隊設立の方針で推進することを決定する。……エトランジェ・ユートよ』

『ハッ』

突然の指名を受けた悠人の体が、緊張に硬直した。

対照的に、柳也の顔には冷笑が浮かび、一仕事終えた解放感からかリラックスすらしているように思える。

『今日よりエトランジェよ。そなたをスピリット隊の隊長に任命する』

『ハッ……いや、えっ、はぁ!?』

ラキオス王の言葉に、悠人は一瞬、ぽかん、と、だらしなく口を開けたまま固まってしまった。突如として降りかかった王の言葉の意味が、さっぱり理解できなかった。あまりにも突拍子のない話に、脳が理解することを拒んでいる。

――俺が、隊長だって……!?

いったいこの男は何を言っているのか?

思わず、隣の柳也を見るも、友人は黙して何も語らなかった。

ただただ、黙って見つめ返す瞳の色が、悠人の背筋を凍らせた。

『スピリットたちを使い我が国の先兵を務めるのだ』

『い、いえ、ちょ、ちょっと待ってください!』

悠人は慌てた様子でラキオス王の言葉を遮った。

『た、隊長って、俺が……ですか?』

『うむ。そう言った』

ラキオス王はゆっくりと頷いた。

『で、ですが……そのような大役なら、俺なんかよりも柳也のほうが……』

『これは決定事項だ』

ラキオス王は有無を言わさぬ口調できっぱりと言い切った。

悠人は茫然と跪き、ラキオス王の顔を眺めるばかりだ。

見れば、レスティーナやリリアナまでもがこの事態に目を丸くしている。

二人ともてっきり、新設部隊の隊長は柳也が務めるものと思っていたらしい。いや実際、ほんの数時間前まではそうなる予定だった。たった数時間前の三者会談が、すべてを変えてしまった。

『純軍事的にみれば、新設部隊の隊長にエトランジェ・リュウヤを起用するのはたしかに当然の流れだろう。しかし、それでは対外的な政治力に欠ける。伝説の〈求め〉と契約を交わしたエトランジェが隊長を務める部隊、これが重要なのだ』

ラキオス王は三者会談で柳也が口にした内容を、そっくりそのまま語った。

有限世界よりもはるかに多くの戦争を経験した異世界人ならではの考え方は、謁見の間に控える多くの廷臣らの心を打った。ラキオス王の口を借りた柳也の考えは理論整然としており、説得力は十分すぎるほどあった。

やがて謁見の間に、少なからぬ賛成の声が上がり始めた。

賛意を示す喧騒が、悠人の逃げ場をなくしていった。

悠人の反論は、いつしか力ないものへと変わっていった。

『で、ですが……それでも、俺に隊長なんて……』

『案ずることはない。副長にはそなたも信頼するエトランジェ・リュウヤを起用する』

ラキオス王の指名を受け、柳也が顔を上げる。

その横顔には、楽しげな微笑が浮かんでいた。

『かような大役を仰せつかり、身の引き締まる思いです』

『うむ。隊長をよく助け、この国のために尽力せよ』

『ハッ』

柳也は迷いなく頷いた。

悠人は、そんな柳也を呆然と見つめている。

こんな重要な決断を、こんなにも迷いなく下せる友人の頭が、信じられなかった。

『エトランジェ・ユート、隊長の任についてはエスペリアに聞くがよい。新たな部隊を創設する以上、別な部隊となるが、前任者の仕事を知っている』

『……承知、しました』

悠人は唇を噛みながら渋々頷く。

柳也が副隊長を拝命した時点で、悠人に他の選択肢はなかった。

柳也が自ら過酷な道を選んだのに、佳織の義兄である自分が、選ばぬわけにはいかなかった。

『これからはあの館を好きに使うがよい。ある程度の自由は認めよう。スピリットたちも好きにしてよい。ただし、大切な道具だ。使い物にならないようにはするなよ。ふはっはっは』

ラキオス王はそう言ってから好色な笑みをちらつかせる。

見ていると吐き気すら催してくるその笑みが、皮肉なことに、悠人に冷静な思考力を取り戻させていった。

『ハッ……』

ラキオス王の下品な言い回しに、悠人は目線を赤い絨毯に注いだまま首肯した。

これ以上あの不愉快な笑みを見ていたくなかったし、いまの自分の顔を見せるわけにはいかなかった。いまの自分は、きっとおそろしく醜い形相を顔面に張り付かせているだろうから。

『そなたの義妹のことは任せよ』

不意に、それまで黙っていたレスティーナの凛とした張りのある声が降り注いだ。

国王やダグラスに言い負かされていた時から一転した力強い語調に、悠人は思わず顔を上げる。

消沈した眼差しの先に、白いドレスの少女は静かな迫力をたたえ、立っていた。

『働きには報いよう。悪いようにはしない。すべてはそなたの働きにかかっていることを忘れぬよう』

『承知しました』

悠人は努めて冷静に答えた。

王の笑いを見て不愉快な気持ちになっていたとはいえ、それくらいの分別は、まだあった。

『うむ、下がってよいぞ。次の戦いまで傷を癒しておけ』

ラキオス王が満足げな冷笑とともに言った。

真紅のルビーの眼差しが、悠人を、ついで柳也を見る。

視線と視線がぶつかり合い、柳也はにこりと微笑んだ

――さあて……。

柳也は高ぶる胸の鼓動を抑えられなかった。

高揚感とともに激しくなる全身の震えが、止まらなかった。

柳也は、これは歓喜の震えだ、と自覚していた。

この国の行く末、自分達の未来、これからの戦いを思うと、気が高ぶって仕方がなかった。

――申し訳ありません。母さん。

柳也は胸の内で亡き母に謝罪する。

優しい人になって。大人になっても他人を思いやる心を忘れない、そんな強い人になって。いまは亡き母は、死の間際に自分に向かってそう言った。

しかしいま、自分は母の願った未来と、真逆の道を歩もうとしている。

罪悪感に魂を焦がしながら、柳也は酷薄に唇を歪めた。

もはや自分でも、己の感情の昂ぶりを制御出来なかった。

――面白い展開になってきたぜェ、これは……。

触り心地も新鮮な絨毯に叩きつけた拳を、強く握る。

いまこの瞬間だけは、柳也の頭の中から、親友を探さなければ、という強い想いは、霧散していた。

『戦いはこれから始まるのだからな』

広々とした謁見の間に、国王の高らかな宣言が、強く響いた。

 

 

 

 


<あとがき>

 

タハ乱暴「この間さ、久しぶりに日清のカップ○ードルを食べたんだよ」

 

柳也「うん」

 

タハ乱暴「それはそれで美味かったんだけどさぁ、俺、この名古屋で二十年以上生きていて、初めて知ったんだ」

 

柳也「何を?」

 

タハ乱暴「カップヌー○ルのカップって、可燃ごみなんだねぇ〜」

 

柳也「……そうだったのか?」

 

タハ乱暴「うん。少なくとも、俺が住んでいる地域は」

 

柳也「…………」

 

タハ乱暴「いやぁ、びっくりした」

 

柳也「……で、なんなんだ、この入りは?」

 

北斗「……はい。永遠のアセリアAnotherEPISODE:25、お読みいただきありがとうございました! 今回の話はいかがだったでしょうか?」

 

タハ乱暴「今回は執筆時間が取れなかったわりに、サクサク書けた話だったぁ〜」

 

北斗「いや、貴様に感想を求めたわけではないんだが」

 

柳也「今回はラキオスにおける俺の立ち位置が大きく動いた話だったぁ〜」

 

北斗「お前にも聞いていないぞ? 俺の、『いかがだったでしょうか?』というのは、あくまで読者の皆様に対する発言であって……」

 

タハ乱暴「タハ乱暴的には見所はセラスとリリアナの握手のシーン」

 

北斗「いや、だから……」

 

柳也「俺的には見所は密議のところだな。よりにもよってラキオス王と接近を強めたオリジナル主人公って展開は、たぶん、アセリア二次創作でも初だと思う」

 

北斗「……おい、そろそろ怒るぞ?」

 

タハ乱暴「これこれ、いくらなんでも気が短いぞ、北斗?」

 

柳也「そうだぜ? ……それでタハ乱暴、今回、久しぶりに悠人達の出番があったが、本格的な出番は次回からなんだって?」

 

タハ乱暴「うん。今回の話のメインは柳也とラキオス王、それからダグラスの関係だったからな。悠人達との合流は次回以降の絡みをスムーズにするための、顔見せ程度に留めておいた。原作キャラ好きの読者の方は、次回までもう少しお待ちください、って感じです」

 

柳也「まぁ、ラキオス王好きの方には次回よりもむしろ今回の話の方が楽しみだったかもしれないが」

 

北斗「……いるのか? ラキオス王好き?」

 

柳也「いるんじゃないか? ああいう食えない爺って、なんだかんだで人気あるもんよ?」

 

タハ乱暴「そういうことさ。……はい、永遠のアセリアAnotherEPISODE:25、お読みいただきありがとうございました!」

 

北斗「次回もお付き合いいただければ幸いです」

 

柳也「ではでは〜」




ここに来て、ラキオス王とか。
美姫 「これによって、どんな変化が起こるかしらね」
いやー、本当に先の展開が楽しみですよ。
美姫 「とは言え、この三者が事前に打ち合わせめいた事をしたとレスティーナは勘付いているっぽいわよね」
だよな。だとしたら、こちらも裏で何かするのかな。
美姫 「どうかしらね。本当に次の展開が楽しみだわ」
うんうん。次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね〜」



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