――聖ヨト暦三三〇年、エクの月、青、ひとつの日、深夜。
オディール・グリーンスピリット率いる特殊作戦部隊第一大隊が、“それ”と遭遇したのは、彼女達が行軍を再開して五分ほどが経った時のことだった。
進軍を続ける自分達のほうへと、敵意も露わな永遠神剣の気配が四つ向かってくるのに気づいた精鋭十二人は、当初、特に大きな動揺もなく進軍を停止し、迎撃のための構えを取った。
最大戦速で進軍する自分達の存在が、エルスサーオ方面軍にばれないはずがない。迎撃部隊が差し向けられるのは行軍の再開を決意した時点で覚悟していたから、オディール達は速やかに迎撃態勢を取ることができた。
ここでもう一度オディール指揮下の第一大隊の編成について、記しておこう。
第一大隊、大隊長オディール・グリーンスピリット。
第一大隊第一小隊……小隊長オディール・緑スピリット、他、青一名、緑一名。
第一大隊第二小隊……小隊長フィン・緑スピリット、他青一名、赤一名。
第一大隊第三小隊……小隊長アメリア・青スピリット、他青二名。
第一大隊第四小隊……小隊長モニカ・赤スピリット、他赤一名、緑一名。
見ての通り第一大隊の陣容は青五名、赤三名、緑四名という比較的攻防のバランスが取れた編成になっている。若干、部隊に占める青スピリットの人数が多いので、どちらかといえば攻撃的性格の強い部隊編成というべきか。オールマイティな活躍が期待できる部隊といえる。
第一大隊はオディール号令の下、各小隊が一斉に動き出した。
圧倒的な打撃力を誇る青スピリット三名からなる第三小隊を最前列に、第二、第一、第四小隊と続く梯子団編成を敷く。向かってくる敵を最前列の青スピリットの打撃と最後尾の赤スピリットの射撃で漸減していく作戦だ。
向かってくる敵神剣の気配は相変わらず四つ。伏兵の存在も考えられたが、オディールは三対一の戦力差という優位性を最大限利用する方針で戦術を立てた。
全員の配置が終わり、数分が経った。
疾風怒濤の勢いで現れた敵との戦闘に、必勝の梯団陣形は……わずか一分で崩壊した。
『……なんなの、あれは?』
戦闘の最中、部下達の目と耳があるにも拘らず、オディールは思わず呟いていた。
形の整った唇から漏れた声音には、慄然とした響きが宿っている。
戦場で指揮官が悲観的な言葉を口にすることは、いたずらに士気を下げる効果しかもたらさない、そんな大原則を忘れてしまうほど、オディールは動揺していた。
しかし、幸いというべきか、オディールのその呟きを耳にした者はいなかった。
第一大隊の誰もがオディールと同じように激しく動揺していたからだ。
彼女達の耳目は、目の前の襲撃者の一挙一動に集中していた。
オディール達の前には、すでに最前列三名の青スピリット命を屠り、マナを喰らった一匹の餓狼が立っていた。
大振りの双眸。
きりっと太い眉。
彫り深く、それなりに形良く引き締まった顎。
意志の強さを感じさせてやまない造作は、しかし、まさしく血に飢えた野獣といった形容が相応しい、炯々たる眼光をともにしていた。
無論、スピリットではない。人間ですらない。
オディール達の前に姿を現した襲撃者は、彼女が予想した通り、異世界からの怪物だった。
血を求め、マナを求め、なにより争覇を求める、修羅の如き男だった。
驚くべきことに、両手にふた振りの神剣を携えた、常識外れの存在だった。
――これがエトランジェ……伝説の、〈求め〉の勇者!?
獅子奮迅……いや、鬼哭啾々たる活躍を見せるエトランジェの剣戟に、オディールは低く唸る。
襲撃者の数は全部で三人だったが、オディールの視界の中に一緒にやって来た緑スピリットと黒スピリットの姿はなかった。他の二人の存在を忘れてしまうほど、その男の強さは頭抜けていた。
第二小隊の全滅により、必然、その敵と正面から向かい合わなくてはならなくなった第三小隊の面々が、剣を持ち、槍を構え、双剣を振りかぶって、一斉に襲い掛かる。
しかし件のエトランジェは細身の神剣ふた振りと、二本の足をたくみに動かして、三種の武器から生み出される多種多様な攻撃を避けていった。その上でカウンターを繰り出し、確実に一撃を命中させてきた。
ひるんだところを黒スピリットと緑スピリットの二人が強襲し、また、オディールの手持ちの戦力が一人削られてしまう。持久戦に絶対不可欠な緑スピリットがまた一人散って、ついてオディールの戦力は四分の一以下にまで減ってしまった。
『あなたは……』
オディールは思わず、敵であるその男に向かって問いかける。
もし、オディールの想像が当たっていれば、この男は伝説の……
『あなたは……いいえ、あなたが、伝説の〈求め〉のエトランジェね…?』
『…期待を裏切ってしまって申し訳ないが、その認識は間違っている』
しかしその男は、オディールの問いを一言の下に両断した。
オディール達の間に、また大きな動揺が走る。
これだけの強さを持つ敵が伝説の〈求め〉の契約者でないというならば、この男は、いったい何者なのか? まさか、ラキオスが隠していたもう一人のエトランジェとでもいうのか?
オディールらの驚愕の眼差しに気付いたか、一人の身でありながらふた振りの永遠神剣を手にした男は、不敵な微笑みとともに口を開く。
『俺は〈決意〉の……いや、もう、〈決意〉だけが俺の相棒じゃなかったな』
しかしそこで、男は一旦言葉を区切った。
オディール達の目には見えない、何者かに謝罪するように小さく頭を垂れる。
すぐに顔を上げた男は、前言を改め、そして言った。
『俺は……』
永遠のアセリア
-The Spirit of Eternity Sword Another Story “Twin Edge of Protection”-
第一章「有限世界の妖精たち」
Episode23「守護の双刃の柳也」
『……とでも、名乗っておこうか!』
守護の双刃の柳也。
そう名乗りを上げた男は、両翼から襲う青と赤の光線を踏み込んで避けると、オディールに向かって突撃した。
◇
――聖ヨト暦三三〇年、エクの月、青、ひとつの日、深夜。
柳也達がオディール指揮下の第一大隊と接触する、その五分前――
柳也は初めて〈決意〉と出会った時と同じ感覚を味わっていた。
こちらの事情などまったく斟酌することなく、一方的に送られてくる情報の奔流。〈決意〉と同じで、第七位の永遠神剣である〈戦友〉が持ちえる情報量は、さほど多いとはいえなかったが、その処理にはいくらかの苦痛を伴うこととなった。昨日今日と酷使し続けている脳は、〈戦友〉から情報を送られるまでもなく、すでに限界が近付きつつあった。
それでもなんとか情報の処理と整理を行ない、内容を理解した柳也は、ゆっくりと体内の〈戦友〉に話しかけた。
――ええと……話を要約すると、〈戦友〉は今日になって俺の身体に突然、出現したわけじゃなく、もっと以前から…俺が、ハイペリアでタキオス達と戦っていた時にはもう、俺の身体に寄生していたわけだな?
【はい。ただ、その時点では休眠状態でしたので、わたしのほうから柳也様にアプローチすることができなかったんです】
――そして俺達がファンタズマゴリアに召喚されてからも、ずっと休眠状態で眠っていた。覚醒のために必要なマナが足りなかったから。しかもファンタズマゴリアに召喚された時点で、俺の体内ではすでに〈決意〉が覚醒していた。敵スピリットを倒した際に得られたマナは、ほとんどが〈決意〉のほうに吸収されて、覚醒するのがさらに遅れてしまった。
【まとまった量のマナを得られたのは、ラース襲撃事件の時が最初です。あの戦闘で柳也様が倒した赤の妖精は、ほかの敵とは比較にならないほど多くのマナを蓄えていたので…】
ダーツィ最強のセーラ・赤スピリットから得られたマナは、一ヶ月以上が過ぎたいまでも柳也の身体の中で渦を巻いている。それほどまでに膨大な、セーラのマナだった。だからこそ〈戦友〉も、〈決意〉に気付かれることなくマナをくすねることに成功したのだろう。
【ただ、その時得たマナも、覚醒するのに十分な量とはいえませんでした】
――とはいえ、俺の夢の中に介入してくるのに必要な量のマナは蓄えることができた。そしてあの日の晩からしばしば、俺の夢の中に現れては……。
【はい。わたしの名前をお伝えさせていただきました。柳也様が、一日でも早くわたしの存在に気付いてくださるように、と】
夢の少女……否、〈戦友〉は、そう言ってにっこりと笑う。
無論、それは柳也の頭の中に投影された少女のイメージにすぎなかったが、その笑顔に、彼の胸は切ない気持ちでいっぱいになった。
――ずっと、待っていてくれたのか。俺が、お前の名を呼ぶのを……。
【はい。…長らく不義理をいたしまして、申し訳ございませんでした】
――いや。
深々と腰を折る少女のイメージに、柳也はかぶりを振った。
――謝らなきゃいけないのは、俺のほうだ。今日、偶然にその名前を口にするまで、ずっとお前の存在に気付いてやれなかった。……申し訳なかった。
柳也はそう言って、その場で頭を垂れる。
胸が痛むほどに健気で、ひたむきな〈戦友〉の心に応えてやれなかった自分を、柳也は恥じた。
【いいんです、そんなことはもう。偶然とはいえ柳也様はわたしに気付いてくれた。わたしの名前を呼んでくれた。わたしはそれだけで幸せです】
夢の少女はそう言って、優しい微笑みを向けてくる。
柳也はそれだけで、自分が救われたような気がした。
しかし〈戦友〉はすぐに表情を引き締めると、続けて言った。
【……そんなことより、いまはこれからの事を考えましょう。休眠状態でも、柳也様の目や耳を通して外界の情報は常に入手していました。状況は大体、把握しているつもりです】
少女は純白のワンピースに包まれた胸元を、そっと叩いた。
【柳也様がわたしの存在に気付いてくださったおかげで、わたしのほうにもマナが流れ込んでくるようになりました。これからはわたしも、柳也様のお手伝いをさせてください】
【……待て】
不意に、それまでずっと黙り込んでいた〈決意〉の声が頭の中に響いた。
気のせいだろうか、少し不機嫌そうな声音と感情のイメージが伝わってくる。
珍しく立腹した様子の〈決意〉に、柳也は怪訝な表情を浮かべた。
――……〈決意〉?
【さきほどから黙って聞いておれば勝手なことばかりぬかしおって…。自分も主の手伝いをさせてくれ、だと? 主にはすでに我がいる。主のパートナーは、我ひとりで十分だ】
少し……どころか、かなり不機嫌そうな態度で、〈決意〉が言った。
縄張りを侵された野生動物の心境なのか、突然現れたも同然の新入りの神剣に、敵意を剥き出しにして食ってかかる。
一方、突然の敵意を向けられた〈戦友〉は……いや、夢の少女のイメージは、先輩の神剣に対して、非常に不敬な態度を取っていた。
【……我だけで十分? そのあなただけだったから、柳也様がこんな大怪我を負ったんでしょ? この駄剣!】
【だ、駄剣だと!】
〈戦友〉が痛切な批判を浴びせかけ、〈決意〉が怒りに目を剥いた。
突如として険悪なムードが、柳也の頭の中で漂い始める。
一つ屋根の下ならぬ、一つの肉体の中で睨み合うふた振りの永遠神剣の間で、家主たる柳也は、両者の顔色を窺い右往左往していた。
――あ、あのぅ…お二人さん? 字が違っていますよぅ?
本来、肉体の主であるにも拘わらず、柳也は卑屈な態度を取らざるをえない。
しらかば学園時代、柳也はこれと似た険悪な雰囲気を何度も経験していた。柳也自身、少なくとも十回以上は参加した取っ組み合いの兄弟喧嘩勃発の前兆の、不穏な空気だった。
【駄剣とは言ってくれたものよな……そういう貴様は、あの状況で何が出来たというのだ?】
【少なくとも、あなたよりは役に立っていたわね。わたしはあなたのオーラフォトン・シールドよりも強靭で、広範囲を防御できるバリアを張れるの。あなたよりも少ないマナの消費でね】
――あ、それは便利。
【主よ、我とて汝が新たな決意を聞かせてくれれば、それぐらい可能だ!】
思わず本音を漏らした柳也を睨みつけ、〈決意〉は怒り心頭といった様子で得意げな〈戦友〉を見据えた。
【貴様、神剣レーダーの有効半径はどの程度ある?】
【六キロメートルくらいだけど?】
【……ふっ】
〈戦友〉の回答に、〈決意〉は侮蔑も露わな嘲笑を浮かべる。
【たったそれっぽっちか。我は最大で半径八キロ圏内をカバーできるぞ?】
――うん。〈決意〉のレーダーにはすっごい助けられている。
【わ、わたしだって柳也様からマナをいただければそれくらい楽勝です!】
しきりに頷く柳也に〈戦友〉は切々と訴え、ついで勝ち誇った様子の〈決意〉を睨んだ。
どうやらこの両者、体内寄生型という基本的な性質は同じようだが、得意とする分野はそれぞれ違うらしい。どちらかといえば〈決意〉は攻撃面に特化し、〈戦友〉は防御に長けているようだ。
そしてそのことは、両者と同時に契約を結べば、互いの欠点を補うことが可能となるため、いままで以上に強力な戦力を獲得できることを意味している。もっとも、そのためには互いの協力が必要不可欠だが。
【とにかく、だ。主の神剣は我ひとりで十分だ。第一、貴様のようなどこの馬の骨ともわからぬ神剣が、主の身体に寄生するなどまこと腹立たしい】
【それが本音? ずいぶんと器量の狭い神剣ですこと】
【なんだと?】
【それに、わたしと契約を結ぶか結ばないかは、あなたじゃなくて柳也様が決めることでしょ? …いままでずっと黙っていてあげたけど、あなたこそ柳也様の身体から出ていきなさいよ。あなたは、柳也様の神剣に相応しくないわ】
【……ふん】
不意に、〈決意〉が鼻で笑った。
その時、柳也は自身の体内でどこまでも深く、暗い、マナの炎が燃え上がったのを感じた。それは〈求め〉に肉体を乗っ取られかけた悠人から感じられた、あのどす黒いマナと同種のエネルギーだった。
【ぬかしてくれるな…小娘が……】
次の瞬間、〈決意〉から伝わってきた声のイメージに、柳也は戸惑いを覚えた。
〈決意〉の声には、あたかも錆びた鉄の鎖を引きずるような、異様な響きが宿っていた。
さらにその声音の底辺に沈んでいる圧倒的な憎悪と純粋な怒りを感じ取った柳也は慄然とした。滅多に感情を乱さぬ〈決意〉だけに、その怒りからは凄まじいエネルギーが渦を巻いているのが察せられた。
【我に主の身体から出ていけ……だと? ふん。上等だ。そんなに我を主の身体から立ち退かせたくば、力ずくでやってみよ!】
〈決意〉が言い放った次の瞬間、柳也の頭の中に、別な人影が生じた。ダブルスーツをりゅうと着こなした、長身の男だ。同性の柳也でさえ思わず見惚れてしまうような美丈夫で、凛々しい顔立ちといい、大きく見開かれた瞳といい、顔の造作からは貴き清廉さが滲み出ていた。
いうまでもなくそれは〈決意〉の投影したイメージ像だ。
〈決意〉がイメージした姿は、こころなしか柳也の父……雪彦の若い頃に似ていた。
しかしその口調は、柳也の記憶にある雪彦とは似ても似つかぬものだった。
他方、白の少女は突如として出現した男を前にして、微塵も臆することなく、毅然とした態度で言う。
【…面白いじゃない。いいわ。やってあげる。わたしが勝ったら、柳也様の身体から出ていってもらうわよ】
【ふん。いいだろう】
【自分の軽率な言葉を、後悔しないようにね】
【後悔などするはずがない。貴様ごときに、我が敗北を喫するはずがない】
【…………】
夢の少女が、ダブルスーツの男を無言で睨みつける。
険悪なムードは一瞬にして、一触即発の緊張感漂う不吉な空気へと昇華する。
二人のやりとりをびくびくしながら眺めているだけだった柳也も、さすがにこれは放っておけなくなってきた。
――お、おい二人とも…人の身体の中で喧嘩なんか…………。
だが、柳也の言葉は最後まで続かなかった。
皮肉なことに、二人をいさめようとした柳也のその言葉が、開戦の合図となってしまった。
灰色のダブルスーツが地を滑り、純白のワンピースが天を駈けた。
〈決意〉の手にはいつの間にか肥後の豪剣二尺四寸七分の姿があり、〈戦友〉の手にも、同じく豪壮直刃の打刀が握られていた。
互いに繰り出す技は直心影流の絶技。
白の稲妻が地上に落ち、灰色の炎が天へと燃え上がった。
白刃と白刃が激突し、ふたりの位置が入れ替わる。
着地した〈戦友〉はすかさず背後の敵を回し斬った。
踏み出した左足を軸に回転した〈決意〉は、これを受けた。
鍔迫り合いの激震が、不意に少女の頬を緩ませる。
【攻撃一辺倒かと思ったら、意外とやるじゃない?】
【貴様こそ…】
緊迫した吐息を唇から漏らし、〈決意〉が体当たりを敢行した。
鍔迫り合いの最中からの体当たり攻撃は、柳也の得意とする戦法の一つだ。ハイペリアでの覚醒から常に柳也とともに戦い続けてきた〈決意〉は、柳也の戦闘スキルを身につけていた。
長身の男に体ごとぶつかられ、少女の身体が宙に浮く。
しかし、軽すぎるがゆえに少女の身体は〈決意〉の間合いから離れ、両者の距離はふりだしに戻ってしまった。
〈決意〉が同田貫を八双に構えた。
〈戦友〉も肥後の豪剣を八双に構えた。
互いに後の先を狙う構え。
最前の激突で互いの力量を知ってしまった両者は、迂闊に手出しの出来ない膠着状態に陥ってしまった。下手な小細工や中途半端な攻撃では、返り討ちに遭うだけだった。
体内寄生型の永遠神剣二人が身動き取れなくなってしまったその他方、本来、肉体の主である柳也は――
「ぼ…ボサノヴァァァァァァアアアッ!!!!」
と、激しく絶叫していた。
イメージ体による戦闘描写に力を注いでいたために、読者諸氏はお忘れになってしまったかもしれないが、激突しているのは互いに柳也の肉体に寄生した永遠神剣同士である。実質的に柳也の肉体の一部も同然の二人だ。当然、その両者が戦って負ったダメージは、宿主である柳也にも伝わってくる。
連戦につぐ連戦で、消耗した柳也の身体に。
「アウチ! アウチ! 腸が! 肺が! 眼球が! ブラックエネルギー胃が! 痛い…痛い〜〜!!」
『り、リュウヤさま!?』
自分の体内で、小さな台風が暴れ回っているようだった。
内部から立て続けに襲いくる苦痛に耐えかねた柳也は、雨でぬかるんだ地面の上を狂ったように転がり回った。ちなみに、ブラックエネルギー胃とは「帰ってきたウ○トラマン」に登場する怪獣ブラッ○キングが持つ器官のことだ。どうやら柳也の体内には、怪獣と同じ器官があるらしい。
「お、お前ら…いい加減に…アイダホォォォォォォオオオ!!!」
『り、リュウ!? どうしたのリュウ!?』
【このロリコン! 柳也様を変な世界に連れていくな!】
【何を言う!? 小○生の何がいけない!?】
「ど、どこもかしこも…あかんて……ガクッ」
『リュウヤさま? …リュウヤさまぁ!?』
『リュウ! ねぇ、しっかりしてよ、リュウ!』
身体のあちこちを内部から小突かれるというおよそ常人には理解しがたい痛みの中、とうとう柳也は倒れてしまった。
ニムントールとファーレーンが必死に身体をゆすり、呼びかけるが返事はない。
青ざめた表情で、ただただ苦しげに喘ぎを漏らすばかりだった。
――お、お前ら…ちょ、ちょっと待ってくれ。さすがに、いまの消耗状態で、これ以上暴れられるとぉ……モヘンジョダロォォォゥゥゥウウウ!!!
【出てけー! 柳也様の身体の中から出て行けー!!】
【黙れ小娘! 主の身体から出て行くのは貴様だ!!】
その主が瀕死の重体にあるのも気付かず、二人の戦いはますますヒートアップしていった。
〈決意〉が斬りかかり、〈戦友〉が流してカウンターを叩き込む。
〈戦友〉が南洋の豹のように俊敏な動きで攻めれば、〈決意〉は猛牛の勢いでそれらを弾き返す。
二人の持つ同田貫がぶつかり合い、相手の肉を裂くその度に、柳也の体内は荒廃していった。
肺胞が潰れたか、口の中に鉄の味が広がってくる。
――まずい…このままでは、本格的にまずいぞ…。
平時、あまり体力を消耗していない時であればまだしも、いまは連続した戦闘の後で肉体は傷つき、疲れている。その上でさらに全身を内部から傷つけられては、本当に戦闘不能になりかねない。この後にはまだ、一個大隊との戦闘が控えているというのに。
――こんなことで、時間を食っている場合じゃないんだ!
なんとかして二人の争いを止めねば。
柳也は荒い息遣いを必死に整えようと横隔膜をゆっくりと上下させた。
何度も深呼吸を繰り返し、失敗して噎せては、また試みる。
そうしているうちに柳也の呼吸は徐々に正常を取り戻していった。
しかし油断はできない。油断して気を抜けば、また痛みから狂ったような醜態を晒すのは必至と思われた。
柳也は額に浮かぶ脂汗を拭うと、仰向けに寝転がった。
己の呼吸が規則正しく続いているのを確認してから瞼を閉じ、彼は脳の全神経細胞を集中させた。
己の意識のうちに、己自身を投影するために。
やがて暗闇の視界の中に、人影が映じた。
それはまぎれもなく、柳也自身の姿だった。
◇
【…そろそろ貴様との戦いにも飽きた】
ダブルスーツの〈決意〉は肥後の豪剣二尺四寸七分を上段に取った。
【それはこっちの台詞よ。あなたなんかと戦っても、面白くもなんともないわ】
対する〈戦友〉は同田貫を八双に振りかぶった。
その表情には侮蔑の微笑みがあった。
防具を着けて竹刀で打ち合う道場剣術ならばともかく、真剣勝負で上段の構えを取るのは素人丸出しとされていた。柳也ですら、上段からの一撃を叩き込む時は体当たりで敵の動きを止めている。
〈決意〉は致命的なミスを犯した。
そう確信した〈戦友〉は、がら空きの胴に向かって殺到した。
右足を踏み出すや、遅滞なく刀を振り下ろす。
その刹那、〈決意〉は誘いの構えを解いた。
軽やかな金属音が上がった。
斬りかかる〈戦友〉の刃を受け流すや、その勢いを利して〈決意〉は刀を振りかぶった。
目にも止まらぬ速さとは、斯様な太刀筋のことを差すのだろう。
顔面に迫るその一撃を、〈戦友〉は見切ることができなかった。
【あっ……】
少女の顔に浮かぶ、後悔の表情。
ダブルスーツの男の顔に、勝利を確信した笑みが浮かぶ。
だがそれらの表情は、すぐに緊迫したものとなった。
側面から殺気が迫るのを感じた。
刹那の攻防をすぐに打ち切り、二人は横に飛んだ。
斬撃の殺意が虚空を薙ぐ。
刃風の衝撃波が、二人の頬を裂いた。
〈決意〉と〈戦友〉は、互いに肩を並べ、同じ方向に向かって正眼に構える。
やがて襲撃者の正体を知り、その顔を見た二人は、恐怖に頬を引き攣らせた。
【りゅ、りゅりゅりゅ柳也様!?】
【あ、主よ……!】
二人の目の前には、肥後の豪剣二尺四寸七分を携えた、彼らの宿主が立っていた。
無論、本物の柳也ではない。柳也が自身の頭の中に描いた、イメージ体だ。
「て・め・え・ら……!」
柳也は、凄絶な表情で二人を見つめた。明らかに怒っている。全身の痛みに震え、それゆえに涙で顔をくしゃくしゃにし、怒りに眦を吊り上げる少年剣士は、まさに般若と呼ぶに相応しい形相で、相棒と、これから相棒になるかもしれない少女を睨んだ。
【りゅ、柳也様…どうしたんですか? そんな怖い顔をされて…美男子が台無しですよ?】
【あ、主よ…どうか気を静めよ。汝からかつてない黒きマナを感じるぞ?】
永遠神剣二人組の背筋を、凄まじい勢いで汗が流れていく。
彼らの宿主が前に立っているだけだというのに、膝が笑うのを止められなかった。
身体が寒い。わけもなく、寒い。
「いい加減に……せんか――――――!!!」
柳也の手の中から、銀色の閃光が走った。
◇
柳也の身体から、急速に痛みが引いていった。
そして彼の意識の中にも、平穏が訪れた。
【……すまぬ、主よ】
【ごめんなさい。柳也様】
「いや、わかればいいんだ。俺も申し訳なかったな。さんざん叩きのめしちまって」
腰を折って謝るイメージ体の二人を前にして、これまたイメージ体の柳也は、不思議とすっきりした表情でそれを受け入れた。どうやら二人に対する折檻は、柳也の中でわだかまっていたストレス解消にも繋がったらしい。
二人に対して攻撃を放った両腕は重く垂れ下がり、ただでさえ消耗していた気力はなおのこと磨り減っていたが、柳也は満足そうに頷く。
すでにイメージ体の柳也の手から同田貫は失せ、そのことは彼の中から怒りの感情が消え去ったことを意味していた。
「…さて、本題に戻ろうか」
柳也は快活な笑顔を〈戦友〉に向けた。
「結論から先に言っておくと、俺は、〈戦友〉と契約することにした」
【主よ、それは……!】
「悪い。〈決意〉、ちょっと黙っていてくれ」
〈決意〉が抗議の言葉を続けるよりも速く、柳也はぴしゃりと言い切った。
流し目に相棒を見る眼差しには、人外の永遠神剣に恐怖を覚えさせる殺意が篭もっていた。
「〈決意〉の気持ちもわからないでもないさ。本人曰く、ずっと俺の中で眠っていたとはいえ、お前からしてみれば突然現れた新入りだ。そんな奴にでかい顔をされて、腹の立たない先輩はいないさ。
けれど、冷静によく考えてみてくれ。これから先には、一個大隊との戦闘が控えている。いまは少しでも多くの戦力が必要だ。そんな状況下で〈戦友〉が目覚めてくれたことは、まさしく天佑といっていい。ここで〈戦友〉と契約を交わせば、その力が手に入るんだから」
【む…しかし……】
「頼む。〈決意〉いまは好き嫌いの感情は殺してくれ。俺はなんとしても、この作戦を成功させなければならない。なんとしても、ファーレーンとニムを、守らなければならないんだ。そのための力が得られるなら、俺は地獄の悪魔とも契約を交わす覚悟だ」
【主よ……】
柳也は〈決意〉を見た。
〈決意〉も柳也を見た。
視線と視線がぶつかり合う。
眼差しに篭められた感情と感情が、激しく衝突する。
気に入らぬ者を排斥したいという想いと、大切なものを守りたいという想いが、無言の戦いを続ける。
やがてダブルスーツの男は、ふいっ、と自ら視線を逸らした。
【……わかった。主がそこまで決意を固めているのであれば、我からは何も言うまい】
「ありがとう。〈決意〉」
柳也はにっこり笑って〈決意〉に頭を下げた。
ついで〈戦友〉と向き直り、
「お前と契約したい。どうすればいい?」
【難しい儀式は必要ありません。わたしの名前は、永遠神剣第七位〈戦友〉。ともに肩を並べ、ともに戦う仲間への想いが、わたしと、柳也様の力になります。戦友に対する柳也様の想いが、わたしと柳也様の絆になります】
「……わかった」
深々と頷くと、イメージ体の柳也は徐々にその姿を消していった。
イメージ体を維持することよりも、意識を集中させねばならないことが、柳也にはあった。
――悠人…アセリア……。
脳裏に浮かぶ、仲間達の顔。
ともに肩を並べ、ともに命を預け合う戦友。
いまはリクディウス山脈にいる悠人達。いまは遠いラキオスで戦っているであろうリリアナ・ヨゴウ。いまは同じ戦場で戦うモーリーン。いまはともに肩を並べて戦うファーレーンとニム。そして、ともに同じ青春を戦う、生涯の友……秋月瞬。
――ついでだ。〈決意〉、お前も聞いていろ。俺の決意を…戦友への、俺の決意を!
己の剣は大切なもののためにある。
己の技は、大切な仲間達のためにある。
〈戦友〉は言った。仲間を想う己の心が、自身の力になる、と。
大切な仲間。大切な戦友。大切な、ともに戦う相棒二人……〈決意〉と、〈戦友〉を想う心すら、力になる、と。
ならばいまこそ宣言しよう。
自分の、嘘偽りない、正直な気持ちを。
己の想いのたけり。友のことを想う己の、すべての感情をのせた決意の言葉を…。
「俺は、守る。仲間を…大切な、戦友を。そのための力を、俺は欲する。永遠神剣第七位〈戦友〉…いまこそ俺に、友を守るための力を!」
【領解した。汝の決意、たしかに聞き取ったぞ!】
【契約、完了しました。いまこそ、わたしの力を、あなたに……!】
頭の中で、お馴染みの金属音が重なった。
次の瞬間、柳也は自分の肉体が生まれ変わっていくのを実感した。
身体が、燃えるように熱い。
全身の筋肉にかつてない力が漲り、あらゆる内臓器官がかつてないほどの活発な躍動をみせていた。
柳也は、人間の姿のまま、己の中身だけが別な生き物に変わっていくように感じた。
神剣の力の作用か、骨格も、筋繊維も、新しく再構成されている気分だった。
意識を集中させ、自分の内側に目を向ける。
探しているものは、すぐに見つかった。
柳也は、自身の体内から、永遠神剣の気配を二つ感じた。
〈決意〉と〈戦友〉。
ふた振りの、第七位の永遠神剣の気配だった。
◇
降りしきる雨は、ついに絶頂を迎えようとしていた。
左右から迫るロングソード・タイプの神剣と、紅の双剣の軌跡を、柳也はまるでスローモーション映像を見ているかのように感じていた。
新たに〈戦友〉と契約を交わしたことで、動体視力までもが強化されたらしい。
のみならず、飛躍的に向上した身体能力を駆使して挟撃を避けると、彼は前へと踏み込んだ。
目指すは、敵部隊指揮官と思われるグリーンスピリット。重厚な肩当てを左右に装着し、薙刀を中段に構えたとびきりの美人に、柳也は突進した。
彼女を守ろうと別方向から青と緑がそれぞれ一人ずつ、左右から挟撃を仕掛けてくる。
右からは青スピリットのサーベルによる斬撃。
左からは緑スピリットのロング・スピアーによる刺突。
さらに背後へと意識を向ければ、先ほど襲ってきた青スピリットと赤スピリットが、やや遅れて斬りかかってくる。
四方からの攻撃の陣。
柳也は右半身を前に出し、これを迎え打った。
右手の同田貫が凄まじい伸びをみせ、サーベルの剣尖を弾いた。
ぎりぎりまで敵の攻撃を引きつけた左手の脇差が、ロング・スピアーの穂先を断ち割った。
続けざまに柳也は体側を反転させ、雪崩れる雨となった長剣の斬撃を赤スピリットに浴びせかけた。
マインド・シールドを割るたしかな手応え。
柳也はさらに、側面を衝いてくる青スピリットの攻撃を脇差で受けた。受けると同時にサーベルの物打を絡め取り、弾き飛ばした。
一瞬の攻防の間に四人の攻撃をすべて捌くや、柳也はまた身体を百八十度回転。再び、正面の緑スピリットと向かい合い、必殺の刺突を放つ。
二刀流はそれぞれの手に得物を持つため、一撃の威力は一刀流に劣る。ゆえに腕力に関係なく高い攻撃力が期待できる刺突に切り替えたのだ。
『はぁッ!』
緑スピリットもまた両手にした薙刀状の永遠神剣で突いてくる。斬撃と刺突をそつなくこなす長柄の得物は、柳也のような刀を扱う剣士の天敵といえた。
互いに顔面を目指して突く刃。
柳也は、考えるよりも先に首を動かしていた。
頬に灼熱した痛み。
だが、致命傷ではない。
こちらの攻撃もまた致命傷とはならなかった。
柳也の放った高速の刺突は頬を掠めることはおろか、髪の毛数本を刈り取ることすらできなかった。
柳也の刺突は、上体をわずかに反らした緑スピリットの肩当てに命中し、そして弾かれた。
いったいいかなる素材でできているのか、オーラフォトンを帯びた刀身の圧力に耐えた肩当てが小さく上下し、同田貫の切っ先があらぬ方向を向いた。
『ふっ……』
柳也の唇から、楽しげな笑みがこぼれた。
ラース襲撃事件の際、セーラと戦った時以来の感覚が、柳也の中で渦巻いていた。
それは真の強者と戦えることに対する、心からの喜びであった。
柳也は刺突の勢いを殺すことなく、その側面をすり抜ける。
すれ違いざま、柳也は彼女の耳元で囁いた。
『……あんた、強いな』
『ッ……!』
その瞬間、緑スピリットの頬が、かっ、と紅潮した。
振り向きざまの斬撃。
柳也は脇差を垂直に、オーラフォトン・シールドを展開してやり過ごす。
刀は武器にして、究極の防具。
柳也は後ろに飛び退きながら、相手を挑発する。
『ほぅ…耳が性感帯か!』
柳也を追って、みたび赤と青のスピリットのコンビが迫った。
『美人で、強くて、耳が感じやすい……最高だな。俺の好みと合致している。本気で恋をしてしまいそうだ』
『その軽口を、黙らせてやる!』
青スピリットが吠え、遠心力の利いた回し斬りが襲う。
同時に、遅れて迫る赤スピリットの手元から、ファイアボルトの火球雨が柳也を飲み込もうと襲い掛かった。
――〈戦友〉、頼む!
【はい。ご主人様! オーラフォトン・バリア出力六〇パーセント展開!】
つい先ほど新たに得たばかりの力を、正面に展開。
〈決意〉のオーラフォトン・シールドより数段強力で、十数倍の防御面積を誇るオーラの盾が、斬撃を弾き、火球弾から柳也を守った。
――サンキュ、〈戦友〉。…ところで、そのご主人様って……?
【あれ? 気に入りませんでした? “ときよみ”ねー様に『男の人はこう呼ばれるのが好き』って言われたのですが】
――いや、“ときよみ”って誰だよ?
【主よ、ファーレーンとニムトールが苦戦しているぞ!】
〈戦友〉との会話を遮るように〈決意〉からの警告。
振り向くと、なるほど、赤二名、緑一名からなる小隊に攻められ、ファーレーンとニムントールは防戦一方となっている。
距離は十メートル先。敵小隊には、赤スピリットが二人いる。一刻も早く、救助に向かわねば。
――〈決意〉は脚力強化に全力集中。〈戦友〉は、肉体の耐久性の底上げ。覚悟しろよ。相当な負荷がかかるぞ…っと!
柳也はオーラフォトン・バリアの展開を解除するや、即座に反転。
全力で、二人のもとへと向かう。
かつてないスピードと、かつてない加速。
十メートルの距離を、わずか〇・三秒で詰めた柳也は、ファーレーン達を襲う敵の背後に回り込む。
「はっ、こりゃカールルイスを軽く超えたな」
唇から漏れた冷笑の呟き。
それを耳にした敵は、慌てて振り向く。
『なっ……!』
『ば、ばかな! あの距離をどうやって!』
『どうやって……って、普通に走ったんだよ』
柳也は両手の二刀の手の内を練った。
――見様見真似の二天一流も、〈決意〉と〈戦友〉の力で強化された肉体で繰り出せば、それなりの技となる! 〈決意〉、ひそかに練習していたアレ、やるぞ!
【あの技か……うむ。領解した】
――〈戦友〉も、何をするかはわかっているな?
【はい。ご主人様!】
敵の並びは正面に緑、その左右に赤がふたり。
体勢の整っていない敵の虚を衝き、柳也は最前、最大の脅威である赤スピリットのふたりを狙う。
柳也は身体を捻った。両膝を軽く折り、姿勢を低くしてその場に屈む。そして、そのままの姿勢で跳躍。身体を独楽のように回しながら、両手の二刀を猛禽の翼の如く振り回す。
六〇〇年の長きにわたって、現代までその技を伝える剣術の名門・香取神道流剣術には、左足を着いた体勢から自分の身の丈ほども跳躍し、抜刀する豪快な居合“抜附之剣”がある。
そこから抜刀の動作を排除し、回転を加えたその動きは、まさに竜巻の如き螺旋の力を生んだ。
無限に等しい遠心力を得た二条の刃が暴れ、三体のスピリットの防御壁を叩き、確実にすり減らし、ついには、貫通し、その肉を喰らう。
血とともに放出されるマナを喰らって、柳也はさらなる回転とともに突撃する。
やがて三体のスピリットは、ほぼ同時に消滅した。
柳也の回転が収まり、少年剣士は地面に着地する。
「ひそかに練習しておいた必殺技……名付けて、スパイラル大回転斬り!」
着地と同時に、柳也の唇から烈々たる魂の叫びが漏れた。
【主よ、そのネーミングセンスはいかがなものかと……】
【素敵です! ご主人様!】
頭の中でそれぞれ対照的な〈決意〉と〈戦友〉の合いの手。
軽口を叩き合える仲間の存在を嬉しく思いながら、柳也は同田貫の切っ先を残る五人の敵に向ける。
豪快無双のその技に、唖然として立ち尽くしていた敵の一団も、柳也の挑発行為に、はっ、と正気を取り戻した。
『これで、残り五人だ。いよいよ楽しくなってきたな、おい』
◇
――時間はわずかに遡る。
『……私はここを離れる。後は任せたぞ』
最後の射撃から十分余りが経った頃、完全武装のセラス・セッカは不意に土嚢の壁に背を向けた。
『どこへ?』
隣に立つリックスが、持ち場を離れようとする上官の騎士に咎めるような視線を向ける。
セラスは、そんなリックスを振り向くことなく答えた。
『エルスサーオだ。駄目元だが、ヤンレー司令にもう一度、戦力を捻出していただけないかどうか打診してくる』
『誰か、ウラヌスをここに』と、続けて、セラスは鎧兜を脱いでいった。兵士達が顔を見合わせ、そのうちの三人がかりで最速にして凶暴な荒馬のもとへと駆け出していく。
それを見送りながら、セラスは少しでも重量を軽減するため鎧兜を脱いでいった。
脱ぎながら、セラスはリックスに続けた。
『サムライから別働隊発見とその迎撃に向かうとの手信号を受けてから、十分近くが経つ。彼らのスピードと戦力なら、とうに敵と接触し、撃破していてしかるべき時間だ。それなのに一向に連絡がない。おそらく、新たな敵を見つけたのだろう。さすがの彼らも、三連戦は辛いだろう』
『だから行くというのですか? 騎士ともあろうあなたが。エトランジェや、スピリットごときのために?』
リックスはひどく不快そうな表情を浮かべた。
自然と厳しくなる口調の変化に表情の移り変わりをも察したか、セラスは一度だけリックスを振り返って、かぶりを振った。
『いや。わたしはべつにエトランジェやスピリットのために馬を走らせるわけではない』
『では、何のために?』
『サクラザカ・リュウヤという男と、ファーレーン、そしてニムントールという女のためだ』
大の大人が三人がかりで、ウラヌスを連れてこられた。
ラキオス最速の軍馬は鼻息も荒く、機嫌悪そうに周囲を取り巻く男たちの手を、体を揺すって撥ね退けながらこちらに向かってくる。
セラスはウラヌスの前に立った。右掌を突き出し、乱暴な歩みを制する。自分が主と認めた者以外には決して背中を許さぬ荒馬は、セラスの顔を見るなり急におとなしくなった。
恭しく垂れたウラヌスの頭をセラスが抱いてやると、嬉しそうに目を細める。
セラスは『もう一度頼むぞ』と、呟いてから、あぶみに右足をかけた。たくましい筋肉の躍動が、全身に感じられた。
『すぐに戻る』
ウラヌスを連れてきた部下達の顔を見回して、セラスはきっぱりと言い切った。力強い響きには、背中にまたがる愛馬への強い信頼が窺えた。
実際、ウラヌスの脚力は他の軍馬と比べても特に群を抜いている。ウラヌスの最大速度をもってすれば、一・五キロ程度の距離は二分とかからない。
セラスはウラヌスの腹を蹴り、手綱を波打った。
ウラヌスが嘶き、前足を突き出した。
軽装備の騎士と駿馬の姿は、兵士達の視界からあっという間に遠ざかっていった。
◇
セラスがエルスサーオ基地司令室に向かうと、ちょうどそこでは一人の下級参謀がスピリット達から質問責めにあっていた。
『我々はいったいいつになったら出撃できるんですか?』
『ヤンレー司令はまだ見つからないんですか!?』
『そ、それは……』
スピリット達に詰め寄られ、うろたえている男の顔には見覚えがあった。ジェイク・ブリガンス。学校での成績は優秀だったそうが、軍人としては器の小さい方面軍の下級参謀だ。
事態をいまいち呑み込めないセラスは、たまたまそこを通りかかった兵士を呼び止めて事情を問いただした。
兵士は最初、不機嫌そうに振り返るだけだったものの、相手が首都圏からやって来た騎士と知ると、一転してしゃちこばった態度で答えた。
ヤンレー司令の不在と、すでに方面軍のスピリット達が基地に迫る敵の存在に気付いていること、その敵に対して、司令官の不在ゆえに何ら手が打てないことなどを知ったセラスは、軽く舌打ちすると、興奮の坩堝と化した司令室へ足を向けた。
セラスの存在に最初に気が付いたのはほかならぬジェイクだった。
セラスが救いの神にでも見えたのか、彼は歓声を上げて首都圏からの騎士を迎え入れた。
『セラス様!』
『ブリガンス参謀、少し落ち着け』
セラスは年上にして格下の下級参謀に、努めて冷静に話しかけた。
騎士たるセラスの地位は現代世界の軍隊でいうと佐官クラスに匹敵する。尉官クラスのジェイクとは、託されている権力と責任が違う。
『軍人たるもの、部下の前で醜態を晒すのはやめろ。下の者が不安がる』
『は、はい』
ジェイクはそれなりに整った顔を情けなく歪め、しゃちこばって頷いた。ストレスがかかっているのか、オールバックにした額に多量の汗が浮いている。
セラスは司令室に詰め掛けたスピリット一人々々の顔を見回していった。中には、セラスの見知った顔ぶれもある。
『大体の状況はここに来る途中で知った。とはいえ、あくまで大体にすぎん。ブリガンス参謀、詳細な状況の説明を頼む』
『は、はい。ヤンレー司令の不在が判明したのは昨日の……』
『そこまで細かな説明は必要ない』
セラスは微笑を浮かべて言った。極度のストレス状態にあるジェイクを、少しでも落ち着けようとの配慮からの微笑だった。
『要点だけを説明してくれ。そうだな、ヤンレー司令以外に、誰がいないのかが知りたい』
『はい。方面軍副指令のチアノ閣下、方面軍参謀長のクレーギー閣下、第一から第三大隊までの各大隊指揮官の、計六名です』
『要するに、スピリット隊の指揮・交戦権を託されている上級将校全員か?』
『は、はい』
『彼らの居場所に、心当たりは?』
『いえ、まったく』
ジェイク参謀はひどく恐縮した様子でぺこぺこと頭を下げた。セラスに謝ったところで、何の意味もないというのに、ひたすらに頭を垂れる。すでに彼から参謀としての正常な思考力は失われているようだった。
『目下、手の空いている者を使って司令以下六名の行方を捜索中ですが、何分、手がかりがないもので…』
『ふむ……』
セラスは思案顔で顎を撫でた。夜通しの任務の間に伸びた無精髭が、親指の腹を掻く。
セラスの指が顎から離れた。
彼はジェイク参謀ではなく、方面軍第二大隊大隊長のアイシャ・赤スピリットを見た。
『基地内を捜索してどの程度経つ?』
『十五分ほどです』
セラスの決断は素早かった。
彼はジェイクを振り返ると、毅然とした態度で口を開いた。
『よし。では捜索の手を基地の外にも広げろ』
『基地の外……ですか?』
『方面軍司令と上級将校が六人も一度にいなくなったのだ。この六人は、全員が一緒に行動していると考えて然るべきだろう。とはいえ、このような時分だ。上級将校六人が揃って基地内にいるならば、とうに誰かの目に触れているはず。それなのに見つからないということは、ヤンレー司令らは市街地のほうへ出かけていった可能性が出てくる』
『な、なるほど』
『先ほども言ったようにこのような時分だ。市街地で密談をするにも場所は限られる。…出来れば、そこにいてほしくはないが、歓楽街のほうを重点的に探してはどうか?』
『なるほど。そうですね。はい。その通りです。すぐに命令を下します』
いまや完全にセラスのイエスマンと化したジェイクは、まるで天啓を受けたかのように輝いた表情で、近くの兵士を呼び止めた。
そんな彼の様子を流し目に、セラスは『司令達の件はこれで良し』と、呟いて、再びスピリット達に目線を向けた。
『司令達のことよりも、いまは当基地に迫っているという国籍不明のスピリットへの対応だ』
セラスがきっぱりと言い切り、スピリット達が一様に頷いた。
その時、スピリット達の間から『あ、あの…』と、おずおずと声があがった。
見ると、第二大隊のセシリア・青スピリットが、控えめに挙手をしていた。
ジェイク参謀が慌てて叫ぶ。
『こ、こら、何、手を挙げているんだ。貴様、人間に意見するつもりか!?』
ジェイクに、ぴしゃり、と言われて、セシリアが、びくり、と震える。セラスはゆっくりとジェイクを振り返った。
『いや、いい。なんだ?』
セラスはいたって静かな口調で言うと、ジェイクを凝視した。穏やかな顔をしているが、その目は相手を射竦めるだけの十分な眼光を放射していた。
ジェイクがはっと息を呑む。
他方、セラスに促されたセシリアは、いまだ怯えた眼差しをジェイクに向けながら、小さな声で言った。
『し、失礼を承知でお訊ねします。その…一部のスピリットの間で噂になっているのですが、セラスさま達がエルスサーオに来た目的というのは……』
『…もはや、隠していても仕方ないな』
セラスは、ふぅっ、と溜め息をついた。
もともと新たな戦力を捻出させようと思ったら、いつかは話さねばならぬ事柄だったから、それが早まっただけのことだ。
『そうだ。私と柳也は、このエルスサーオを防衛するためにやって来た』
『な、なんですって!』
ジェイク参謀が目を剥いた。
ほかのスピリット達も同様の驚きを示す。
セラス達のエルスサーオ来訪の真の目的は、ヤンレー司令を始めとした本当にごく一部の者にしか伝わっていない。下級参謀のジェイクやスピリット達が驚くのは当然のことだった。
驚愕の波紋が騒然と伝播する中で、冷静さを保つ者達がいた。
回答者たるセラスと、質問者のセシリア、そして第二大隊出身のスピリット達だった。
柳也やセラスと直接接触したことのある彼女達は、薄々柳也達の来訪目的を察していた。大部分は『ああ…やっぱり』というように、納得した表情で頷いている。
セラスは、ジェイクやほかの者の驚きは無視して続けた。
『私とリュウヤは、正確には、ある巨大作戦を支援するために、エルスサーオにやって来た。その作戦の詳細についてさすがに語ることはできんが、わが国の将来の戦略全体に影響する重要な計画だ。そしてこの作戦の成否は、リーザリオ方面から侵出してくるであろう敵の特殊部隊を、この基地でどれだけ食い止められるかに懸かっている。
私とリュウヤは、その作戦に従事する本隊の一助となるべく、一兵たりともこの基地の背後に通さぬ覚悟でこの基地にやって来たのだ』
『リュウヤさまは、いま…?』
『戦っている。セシリア、お前もよく知った二人とともに』
『戦っている……?』
第一大隊隊長ルーシー・青スピリットが訝しげにセラスの言葉を反芻した。見れば、第一、第三大隊の他の面々、そしてジェイクも、疑惑に表情を歪めている。やはりここでも、得心した様子で頷くのは柳也の正体を知る第二大隊所属のスピリット達だけだった。
『そうだ。すでに第二大隊のみなには話しているが、あの男の正体は異世界からやってきたエトランジェだ』
『え、エトランジェだったんですか!?』
『そうだ。さらに付け加えるなら、神剣と契約を交わした、戦えるエトランジェだ』
『じゃあ、リュウヤさまが伝説の〈求め〉のエトランジェさまだったんですね…』
第三大隊のほうからそんな呟きが聞こえてきた。
セラスは、『これでその手の言葉を否定するのは何度目になるのだったか』と、内心で嘆息しつつ、かぶりを振った。
『いいや、違う。時間が惜しいので余計な説明ははぶくが、リュウヤが契約しているのは別の神剣だ。
……とにかく、私とリュウヤはそうした理由でこの基地に来た。そしてリュウヤは、いま、戦っている。ヤンレー司令から与えられた二体のスピリットとともに、すでに数時間にわたって作戦行動を取っている。私もまた戦場に立ち、微力ながらともに戦った。私が戦場を離れた時点で、リュウヤたちは八体の敵の撃破に成功した』
セラスが言い終えた次の瞬間、広々とした司令室の空気は騒然となった。
ある程度の事情を知る第二大隊の面々も、セラスのこの発言にはさすがに驚きを隠せなかった。
セシリアが目を丸くして問う。
『たった三人で、八人を倒したんですか?』
『そうだ。ついでに付け加えておくと、想定される敵の戦力はスピリット二個大隊からなる二四体、戦力差は八対一だ。この圧倒的劣勢下にあって、リュウヤたちは敵の三分の一を喰らってみせた。まったく、凄い男だ。エトランジェという問題を抜きにして、ひとりの騎士として頭が下がる。だがその活躍も、さらに十六体もの敵と戦わねばならんことを考えると、いつまで続くかわからん。
ゆえに私は戻ってきた。ヤンレー司令に、再度戦力捻出の要請をするためにな。…まさか当の司令が、行方不明になっているとは思ってもいなかったが』
セラスはそう言って溜め息をついた。
このような日に限って姿をくらます方面軍司令に、怒りを通り越して呆れすら覚えてしまう。あの異世界からやって来た少年の言うように、雨の日は攻撃側にとって絶好の好機ではないか。
セラスはジェイクを見た。
後ろ盾たる上官がいないとスピリットに対しても毅然と振る舞えないこの下級参謀は、セラスの次なる言葉を想像してか、顔をあおざめさせていた。これまでの話の流れから、セラスが次に何を言うかは、誰の目にも、いや耳にも明らかだった。
『ブリガンス参謀、私にスピリット達の指揮権、そして交戦権を貸せ』
次の瞬間、スピリット達の視線がジェイクに集中した。
ジェイクが答えるまでに、数秒の間があった。
ジェイクは震えた声で必死に言い放った。
『で、できません。いくらセラス様の命令でも。方面軍の騎士でないお方に指揮権を委ねるなど、責任が取れません』
完全にイエスマンと化していたジェイクが、初めて逆らった。
その瞬間、セラスの目つきが変わった。
『愚か者が!』
予想もしなかったセラスの大喝に、ジェイクは身を強張らせ直立不動の姿勢を取った。
端正なマスクが、くしゃっ、と怯えたものになる。
『言うに事欠いて責任問題を理由に命令を拒否するとは何事か! 国家は貴官を士官学校で学ばせた。それは何のためだ!? 貴官の双肩に、この国の未来を託したに他ならぬ』
セラスは素早く長身のジェイクに迫った。
士官学校時代に一通りの戦闘訓練を受けているジェイクだったが、あまりに素早いセラスの動きに、彼は着いていくことができなかった。
セラスはジェイクの胸元に手を伸ばした。
ジェイクは、セラスの動きを止められなかった。
セラスはジェイク参謀の胸元を掴んだ。正確には、制服に縫い付けられた参謀飾緒を掴んだ。
『以前、リュウヤが私に言った事がある。あの男の世界では、“百年兵を養うは何のためか?”という疑問に、古くから多くの戦士達が哲学し、それぞれの答えを出してきた、と。私はこう考える。百年兵を養うは、仲間のため…大切な家族のため、そうした大切な者達が住む、国のために行なうのだ、と』
セラス・セッカは……いや、マロリガンからやって来た騎士モーリーン・ゴフは、参謀飾緒を握る手に力を篭めた。ジェイクの唇から苦しげな呻きが漏れる。
ジェイクを睨む彼の瞳には、しかし頼りない下級参謀の姿は映っていなかった。
彼はジェイクの向こう側に、祖国マロリガンに残してきた家族の姿、掛け替えのない同僚達、そして大切な民の姿を見ていた。
『貴官はこの問いに対して何と考える? その答えによっては、私はいま、この場で、貴官の参謀飾緒を剥ぎ取ってやろう』
『ぐ…うぅ……わ、わかりました!』
ジェイクは、セラスの問いに答えることなく、しきりに首を縦に振った。
『セラス様に指揮権をお渡しいたします。交戦権も!』
『……よし』
セラスはジェイクの胸からそっと手を離した。
その顔から、怒りの炎はもはや消えている。
『基地の防衛が不安ならば、連れて行くのは一個大隊……いや、二個小隊で十分だ。この二個小隊についての責任は、私が取ってやる。人選は……』
セラスは居並ぶスピリット達の顔を見回した。
いまやスピリット達は頼りないジェイク参謀には一瞥もくれず、毅然とした態度の騎士に尊敬の眼差しを向け、彼の次の言葉をいまや遅しと待ち侘びていた。
スピリットの一団から、また手が挙がった。今度は二本。第二大隊大隊長のアイシャと、セシリアだった。
『その任務、志願させていただきます』
最初にアイシャが言い、セシリアも『私も志願します』と、強い口調で言った。
二人の瞳には、強い決意の輝きがあった。
セラスはゆっくりと頷いた。
『着いてきてくれ。残念ながら私の力では、スピリットとは正面から戦えん。私では、リュウヤたちを救えん』
セラスは僅かに苦渋を滲ませた表情で言うと、二人の顔を交互に見た。
セラスの目線に、二人はほぼ同時に答えた。
『すぐ準備に取り掛かります』
◇
オディール・グリーンスピリットの永遠神剣が、反時計回りに一回転し、やや右上へと伸びる鋭い斬撃を浴びせかけてきた。
通常の刀剣では不可能な間合いからの攻撃に、しかし柳也は、臆することなく踏み込んでいく。
三日月を思わせる反りの深い刀身が柳也の腹部を襲った。
柳也はそれを左手の脇差を逆手に受け止めると、すかさず利き手の同田貫を振り上げた。
二尺四寸七分の刀身がいつもより僅かに鈍い伸びを見せ、オディールの左肩を狙った。
『くっ……!』
オディールの唇から、苦しげな喘ぎが漏れた。
トティラ将軍から貸し与えられた肩当てに、同田貫の物打ちが触れていた。
肉の手応えはなく、金属の硬い感触と激突の衝撃ばかりが右腕に伝わってくる。どうやら柳也の斬撃は、またしても肩当てによって阻まれてしまったらしい。
柳也は薙刀を脇差で受け止めた体勢のまま、オディールに一歩詰め寄る。
互いの額と額とが触れ合うほどの至近で、敵意を剥き出しにした緑の視線と、楽しげな炎の眼差しが絡み合った。
『オーラを載せた斬撃を、二度も受け止めるか……本当に、何で出来ているんだよ、それ?』
『あなたには関係ないと思うけど?』
『そうでもないさ。その肩当てを破ってあんたに一撃叩き込まなければならない俺としては、切実な問題だよ』
オディールの薙刀に強い力が篭もった。
脇差とともに柳也の身体は弾かれ、二人の間合いは一瞬にして二間ほどに広がった。
互いに得物が最も得意とする距離だ。
薙刀使いのオディールは言うまでもなく、剣士の柳也も一歩踏み込めば相手に刃を届かせることができる。
柳也は逆手の脇差を鞘へと納めた。
己が最も頼りにする父の形見の一刀を両手に手の内を練り、正眼に構えた。
向かい合うオディールは、中段に構える。
柳也の世界で言うところの、静型薙刀に似た神剣の切っ先が、彼の喉元をめがけて屹立していた。
目の前のオディールに目線を注ぎながら、柳也の意識は常に周囲を監視していた。
柳也の右斜め後方にはサーベルを中段に構えた青スピリットが一人、左斜め後方には神剣魔法を唱える赤スピリットが一人、それぞれ立っていた。部隊の半分以上が消滅した時点で、敵は柳也に対する警戒を最も強くしていた。残る五人のうちの三人が、柳也一人に挑みかかっていた。
「さあて、どうするか……」
柳也を中点に美しい正三角形を描く三人に気を配りつつ、柳也は愉快そうに呟いた。
三人分の殺意を向けられているという冷たい現実が、柳也の気持ちを昂ぶらせていた。
背筋を伝うゾクゾクが、脈打つ心臓のドキドキが、この状況を楽しいと思う魂のワクワクが、抑えられなかった。
【主よ……】
その時、興奮をさらに昂ぶらせる〈決意〉の冷静な声が頭の中に響いた。
【あまり新参者に活躍させるのは癪だ。先ほど決意を聞かせてくれた事もある。我も、新たな力を提供しよう】
〈決意〉が言い終えるや否や、柳也の耳の奥で、聞いたこともない旋律が流れた。それは新たなる神剣魔法の呪文だった。
頭の中で流れる〈決意〉の言葉に従って、柳也は低く呟く。
『すべての万物は〈流転〉する。破壊を司る炎のマナよ、我が命令に従い、沈黙へと流転せよ……』
左斜め後方の赤スピリットの神剣から魔法陣が生まれ、その魔法陣から火球の弾幕が生まれた。
そして同時に、右斜め後方の青スピリットと、前方のオディールが突進した。
柳也の足下に、魔法陣が出現した。
『サイレント・ストリュウム!』
柳也が言い放ったその刹那、赤スピリットの放った火球弾が、まるで大気に溶けるように消滅していった。
その光景を見届けることなく、柳也も前へと踏み込んでいった。
前方からの真っ向斬りが最大の加速を得る前に薙刀の刀身を払いのけ、即座に反転、後方からの攻撃を弾き、その側面をすり抜ける。
包囲の輪から逃れた柳也は、踵を返すとニヤリと笑った。
『いまのはちょっとヒヤヒヤしたぜ。さあ、次はどんな攻撃で俺を楽しませてくれる?』
『うぅ……』
必殺の神剣魔法を無力化された赤スピリットが、怯えた眼差しを向けてきた。
見れば、たったいま、隣をすり抜けていった青スピリットも同じように恐怖に染まった表情を浮かべている。
己を恐れるその表情が、柳也にはたまらない快感だった。
強力な敵が、より強力な自分の存在に怯える姿が、この上ない喜びを生んだ。
その時、不意に柳也の表情が苦々しく歪んだ。
『どうやら、時間切れみたいだな』
『……?』
残念そうに紡がれた柳也の言葉に、オディールが訝しげな表情を浮かべる。
だがすぐに、はっ、とした表情を浮かべると、全員に警告を発した。
『みんな、気をつけて! エルスサーオ基地の方から、神剣の気配が六つ、こちらに向かってきている!』
オディールのその警告に、他の四人も神剣レーダーの探知範囲を最大にし、ついで絶望的な表情を浮かべた。エルスサーオ方面から向かってくる六つの気配は、明らかにラキオス軍のスピリットのものだった。
敵の攻撃の手が緩み、格上の二人を相手に苦戦していたニムントールとファーレーンが持ち直し始めた。
刀勢の鈍ったロング・ソードの斬撃を掻い潜り、ファーレーンの〈月光〉が青スピリットの肩口を斬りつける。致命傷ではない。しかしもはやまともに剣を振るうことはできないはずだった。
回復魔法を唱えようとする敵緑スピリットには、同じ緑スピリットのニムントールが果敢に攻め立て、呪文詠唱の時間を与えないでいた。
体勢を整えるためか、敵の二人が大きく退いた。
反撃に出たニムントールとファーレーンも距離を取るべく後退した。二人とも消耗が激しい。息遣いは荒く、必死に肩を上下させている。
柳也は素早く二人のもとに駆け寄ると、同田貫の切っ先は地面に、口を開いた。
背後の二人は、それぞれ油断なく剣と槍を構えている。
『どうやら味方が来たみたいだ。どうする? いくらお前さん達が強くても、俺達三人に加えて、もうあと六人ものスピリットがやって来たら、勝ち目はないぜ?』
『…………』
柳也の正鵠を射た言葉に、オディールは苦々しく口元を歪めた。
そんなオディールに、柳也は戦場に似合わぬ穏やかな口調で言った。
『一応、言っておくと、俺達の任務の目標はエルスサーオ防衛線の確保にある。敵の全滅じゃあない』
『……見逃してくれるというの?』
『まぁ、そうなるな』
『……屈辱ね』
オディールが薙刀を下段に油断なく構えながら吐き捨てた。
対照的に柳也はにっこりと笑ってみせた。
『その屈辱をばねにして、今よりもっと強くなってくれよ。そして、俺の前に立ちはだかってくれ。俺は、もっと面白い戦いがしたい』
『…………』
あまりにさらりとした柳也の物言いに、オディールは絶句した。
柳也の目を、じっと見つめる。
やがてその言葉が嘘偽りない本心からのものと悟ったか、彼女は苦笑した。
『素直な人ね』
『女を口説く時は常に誠実な態度であれ。見栄は張ってもいいが、嘘は絶対についてはならない。自称ナンパ師かった俺の兄貴分の先輩の、ありがたいお言葉さ』
『よい心掛けだと思う。……ということは、今、わたしはあなたに口説かれているのかしら?』
『うん。そのつもり。昔から美人には目がなくて。…だから、名前くらいは教えてもらいたいな』
『……オディール・グリーンスピリットよ。永遠神剣第七位〈悲恋〉のオディール』
薙刀の構えをすっと解き、彼女はそう名乗った。
やはり目の前の緑スピリットが、オディールだったのだ。
柳也にこれ以上自分達を攻撃する意思がないことを悟ったか、オディールはいまやたった四人となってしまった仲間達を振り返る。
『みんな、撤退するわよ。残念だけのこの戦い、私達の負けだわ』
『そんな……』
一人の青スピリットが悔しげに呻いた。頬を伝う幾条もの雫は、天から降り注ぐ雨なのか、それとも……
『守護の双刃のリュウヤ、だったわね?』
不意に名前を呼ばれ、柳也は目線をオディールに戻した。
『その名前、憶えておくわ』
『そいつは光栄だね』
『この胸の屈辱も』
『そいつは……将来が楽しみだ』
柳也はクスリと口元に微笑をたたえた。
その笑みをどう解釈したのか、オディールは無表情に踵を返した。
柳也には、その背中を襲う気も、追うつもりもなかった。
もとより柳也の剣は、背中を向けた相手を斬るためのものではない。
それにわざと彼女らを見逃すことでバーンライト王国軍上層部に自分の存在を伝えさせるという打算もある。伝説の〈求め〉とは別な神剣を持つエトランジェの存在を教え、いまやラキオスは一筋縄でいく相手ではないということを知らせれば、バーンライトもこれ以降ラキオスへの対応を改めてくれるかもしれない。
背中を向けたオディール達は、最初はゆっくりと十メートルを歩き、攻撃がないことを悟ると、神剣の力を解放して一気に加速した。
深夜の荒天下、五人の後ろ姿はすぐに遠ざかり、やがて見えなくなった。
『あ、この! 待て』
まさか本当に柳也が敵を見逃すとは思っていなかったのか、やや遅れて、ニムントールが追撃を仕掛けようと〈曙光〉を握り直す。
『追うな!』
しかし柳也は、彼女の前進を背中で阻んだ。
『もう連中に継戦意志はない。…それに、追撃戦を仕掛けようにも、ファーレーンとニムはもうじき限界だろう?』
柳也は背中を向けたままそう言って、ニムントールの行動を制した。
ニムントールは不満そうに柳也のことを見上げてきたが、何も言わなかった。実際、柳也の言う通り、初陣を経験した二人の体力と気力は、限界を迎えようとしていた。ニムントールの顔にも、仮面のファーレーンの瞳にも、疲労の色は濃く浮かんでいる。
やがて柳也の神剣レーダーの有効範囲から、五つの気配が消滅した。
それとほぼ同時に、聞き慣れた軍馬の嘶きが、柳也達の耳朶を打った。
柳也は背後の二人を振り返る。
二人のはるか後方に、一頭の駿馬に先導されるスピリットの一団が見えた。先頭を走る騎手は勿論、セラス・セッカだ。
『……それに、さすがに俺もそろそろ限界だ』
柳也はにっこりと微笑んだ。
急速に、意識が遠退いてきた。
<あとがき>
ゆきっぷう「タハ乱暴!」
タハ乱暴「なんだ、ゆきっぷう! っていうか、俺の話のあとがきの出だしがお前ってのはどういうことだ!?」
ゆきっぷう「決まっているだろう! 今回は俺が主役だからだ!」
タハ乱暴「What!? いったいそれはどういうことだ? 今回の話の主役は他でもない、パー子だろう!?」
柳也「……一度として出てこなかったろうが」
ゆきっぷう「パー子は真打ちだろう? とにかく俺があとがきでメインとなる理由はトティラ閣下にご説明いただこう!」
トティラ「なぜワシがこのような笑いの場に引っ張り出されたのかよくわからんが、与えられた役割は全うせねばな。理由は簡単だ。今回の話でメインクラスの扱いを受けていたオディールめのデザインを起こしたのがこの男だからだ」
北斗「そんな理由で!?」
ゆきっぷう「何を言うか! デザインはもとよりオディールが閣下より貸し与えられた特殊装備『ドラゴニック・アーマー』も俺の発案なのだ、ぬあっはっはっはっはっはぁっ!」
オディール「不本意ではありますが。…読者の皆様にも分かるよう説明しますと、最初、タハ乱暴がわたしの設定を起こした時点では、ドラゴニック・アーマーなんて装備はなかったのです。その後、タハ乱暴がゆきっぷうにわたしの立ち絵を起こすように依頼したのですが……」
<回想シーン>
タハ乱暴「……なぁ、ゆきっぷう、オディールの肩のコレ、何?」
ゆきっぷう「にゃ? ドラゴニック・アーマーだよ。通常攻撃を半減する効果があるんDAZE」
タハ乱暴「……よし、そのアイデアいただき」
<回想シーン終了>
オディール「という経緯がありまして……」
タハ乱暴「あれは柳也の絵が出来るはるか昔のことだったぁ〜」
ゆきっぷう「そんな昔だったか? とにかく装備品としてドラゴニック・アーマーはタハ乱暴に採用されたが、その詳細な設定について柳也とかなり口論になってな。端役にこんな物を持たせるな、と」
柳也「だってよぉ…まだぁ、主人公の絵も上がってない段階だったんだぞこの野郎!」
ゆきっぷう「これについて決定権はタハ乱暴にある。俺は全てをあの男に委ねたのでな」
タハ乱暴「だってさぁ、龍の鎧だぜ? 龍? なんかぁ、男のドリームをくすぐる響きじゃないかぁ。それに、ドラゴニック・アーマーの防御効果って、話作りやすかったし(※1)」
ゆきっぷう「だそうだ。まあ、効果自体はさほど重要ではないんでな。それよりタハ乱暴よ、オディールのデザインはここでも改めて紹介すべきではないか?」
タハ乱暴「べつに良いけどさぁ……ゆきっぷう、出しゃばりすぎって読者の皆様に思われても俺は責任取らんぞ?」
ゆきっぷう「ぬぅ……だが読者の反応ばかり気にしていては作家の本分は全うできん! 例えば……そう、『かん○ぎ』のように!」
タハ乱暴「や、俺はその漫画読んでないから。……っていうか、君は読者の皆様をないがしろにしすぎ。俺も人のことは言えないが」
ゆきっぷう「あうあう……(泣)」
タハ乱暴「まぁ、それはさておき、肝心のドラゴニック・アーマーだよ。これはオディールのデザイン画と一緒に渡してくれたゆきっぷうの原案らしきものを、タハ乱暴がアセリア風に脚色して作りました。竜の骨から作ったとか、そのあたりの設定です。ゆきっぷう的にはこいつの製作者を『銀河天使大戦』でお馴染み(?)のアの人にしたかったらしいのですが、これはタハ乱暴が断固として阻止しました」
ゆきっぷう「あうあう……(泣)」
タハ乱暴「ええい! いつまでも泣くな、大の男が見苦しい!」
ゆきっぷう「あうあう……(泣)」
ロファー「ゆきっぷうは、男でも女でもなく、腐女子」
北斗「世の中には二種類の女がいる。片や婦女子、片や腐女子……」
タハ乱暴「こらそこ、つまらんネタ振りはやめなさい! っていうか、今回のあとがきではもっと大事なことを忘れていたわ! ロファー、君が出てきてくれたおかげで思い出したよサンキューベイベー赤ちゃん」
ロファー「はい。前代のゆきっぷうから、預かっていたデータです」
タハ乱暴「奔放(誤字に非ず)初公開! ゆきっぷうが、タハ乱暴の許可も取らず(何気にムッとしている)、勝手に(ここ強調)、作ったオリジナル・スピリット、雪花のロファーだぁぁぁぁあああ!!!」
ゆきっぷう「あうあう……(泣)」
ロファー「タハ乱暴さん、鳴かせてます」
北斗「タハ乱暴は基本的にいじめっ子だからな。最近、昔の血が騒ぎ始めたと言っている」
ゆきっぷう「はうはう……(大泣)」
ロファー「それで、感想はどうですか」
タハ乱暴「うん。『銀河天使大戦』、いやそれ以前からのゆきっぷうの絵を知っている人間としては……画風変わったなぁ」
北斗「今回は久々に着色してみたそうだ」
柳也「……あれ? おで、主人公なのに、色、ないよ?」
アの人「心配すんな、俺も主役だけど色は無い。それより……くぉらっ! ゆきっぷう、また他所のあとがきにお邪魔して! ほら帰るぞ! 話の続きを書け!」
ゆきっぷう「あうあう……(泣)」(引き摺られて退場)
タハ乱暴「……なんというか、今回は、いつにもましてカオスなあとがきだったな」
柳也「そうだな……っていうか、肝心のドラゴニック・アーマーの詳細な説明は!?」
タハ乱暴「あ、そうだった。読者の皆様、詳しくはEPISODE:20を読んで下さい」
北斗「お前がいちばん読者をないがしろにしているじゃないか!」
タハ乱暴「……ってなわけで」
北斗「どういうわけだ?!」
タハ乱暴「永遠のアセリアAnother、EPISODE:23、お読みいただきありがとうございました! 次回もお付き合いできれば幸いです!」
柳也「なぁ、ところで、俺の着色された絵は……?」
ロファー「存在し得ません」
タハ乱暴「それでは皆さん、またお会いできる日を楽しみにしております!」
柳也「だから、俺の絵は、どしたーーーーー!?」
※ 1原作ゲームにおいて竜は通常攻撃半減の特性を持っている
うーん、結構シリアスなバトルとかだったんだけれど。
美姫 「まさか、神剣との契約で口喧嘩とはね」
いやいや、新しい戦友も中々面白そうな性格だな。
美姫 「これから決意と戦友、そして柳也のやり取りが楽しみね」
だよな。悠人たちの方も気になるし。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
待ってます。