――聖ヨト暦三三〇年、アソクの月、黒、二つの日、夜。
『留守中、ご苦労だったな、レスティーナ。やはり我が王座が一番落ち着く』
ルーグゥ・ダイ・ラキオス王は深い嘆息とともに王座に腰を下ろすと、隣に控える実の娘に疲れた眼差しを向けた。
実に五日ぶりの謁見の間の見慣れた景観だった。先週初めに“龍の魂同盟”の会合に出席するべく、ラキオスを発って以来の景色だ。数日前となんら変わらない権力の椅子が、ラキオス王の疲れた心と身体を癒してくれる。
“龍の魂同盟”は北方五国最北のラキオス、ラキオスの西南に隣接するサルドバルト、その南にあるイースペリアの三大王国が結ぶ軍事同盟だ。帝国との結びつきが強いダーツィ大公国、そのダーツィと密接に関係するバーンライト王国に対抗するべく結成された。この同盟は軍事同盟でありながら経済共同体としての結びつきをも強めるものでもあり、聖ヨト王国の分裂以来、大きく国力を低下させてしまった三国にとって、今ではなくてはならぬ絆だった。
会合から帰ってきたラキオス王は、誰の目にも不機嫌そうに映った。
こういう時のラキオス王は下手に刺激するべきではない。ルーグゥ・ダイ・ラキオスは良くも悪くも暴君だ。この男の機嫌を損ねて命を絶たされた人間が少なくないことを、多くの者が知っている。
控える廷臣達も、護衛の兵達も、まるで腫れ物を扱うように疲労感を漂わせる王を遠巻きに眺めていた。
『正当なる血筋ではない田舎者と話すのは疲れがたまるわ。第一、道理で言えば我が国が盟約の主。いくら古い規約とは言え、わしが出向くなどと』
『ご無事で何よりです。父様。さっそくですが同盟二国は、なんと?』
レスティーナが感情の篭もらぬ声色で父を呼び、その独り言を中断させる。
公務の場において愚痴は必要ないと咎めるかのような視線に、ラキオスは一瞬、ぐっ、と声を詰まらせたかと思うと、先の会談についてとうとうと語った。
『イースペリアは相変わらず静観を決め込んでおる。あの女王は、ダーツィとの戦で痛い目を見ているからな。
サルドバルトも同じだな。帝国と縁遠い田舎だけに、何の力も在るまいて』
イースペリアとダーツィの関係については、以前にも書いた。この両国はラキオスとバーンライトの関係と同じように、敵対国同士が国境線を共有している。
他方、サルドバルト王国はいずれの国とも隣接していないだけでなく、戦火から最も遠い場所にあるだけに、国家全体として危機感が薄い。軍事同盟に参加しているといっても、自国の軍隊を動かすことには非積極的で、せいぜい戦費の負担と、物資の供給の手伝いをする程度にすぎない。先の会談は、今後一年間の“龍の魂同盟”の基本方針を確認するために催されたものだったが、サルドバルトは相変わらずの日和見を決め込んでいるようだった。
『……龍を討つ、というのは本気なのですか?』
レスティーナは僅かに表情を曇らせながら父に問う。
先週初めの定例会議でも話題にのぼった魔龍討伐の計画。その時は王の冗談と思っていた大臣達も、バーンライトに対して積極策を推し進めようとするラキオスに同盟二国が非協力的と知ると、単なる冗談と笑い飛ばせなくなってしまった。
同盟二国の支援を受けることなく、ラキオスがバーンライトと雌雄を決するためには、より多くのマナが必要になる。そのマナを獲得するために、王が次に狙うのはリクディウス山脈に封印されているマナ以外に考えられなかった。
娘の表情の変化にも気付かず、ラキオス王は饒舌に自らの考えを述べる。
『我が国に神剣の主が現れた。これは天命と言えよう。口伝の通りならば、あの小僧らに近き者達も現れているはずだ。…歴史は動き出したのだ。大きな戦をもって、この大地の正当な血筋を証明するためにな』
『龍を討つことは可能なのでしょうか。私はスピリットたちの手には余るかと考えますが』
『エトランジェがいればなんとかなろう。文献にも、四神剣の主は、龍を幾度も滅ぼしたと伝えられている』
ラキオス王は実に愉快そうに笑うと、言葉を続けた。
『それに、我が国には幸運な事にもう一人、そして〈求め〉以外の神剣を持つエトランジェがさらに一人おるではないか』
『リュウヤはともかく、あの娘は剣を持ちません。戦うことは……』
『いざとなれば、神剣は主を求めるものだ。あの娘も使い物になろう。口伝に伝わる勇者の姉のようにな』
『………』
『ところでダグラスよ』
不意にラキオス王が、話題の矛先をレスティーナから上座に控える通産大臣に向ける。
『わしの居ぬ間に、リュウヤと会ったそうだな?』
『はっ。…陛下が一度、腹を割って話し合いたいとおっしゃられていましたので、その前にと思いまして』
『して、どうであった?』
『非常に興味深い男かと』
ダグラスは薄く冷笑した。
『不思議な男です。異世界の住人だけあって、その言質、知見には興味が尽きませぬ。また、言葉を交わしていて楽しいと思える男です。…あの男は、この私をならず者呼ばわりしました』
ダグラスは一昨日に面談した柳也との会話の内容を語った。
『ふははははっ。風見鶏も異世界の小僧にかかればならず者か』
ラキオス王は、からから、と愉快そうに笑う。
国内でダグラスの噂を知るものならば決して言わぬような発言を躊躇わぬのは、無知ゆえの豪胆さか、それとも単なる馬鹿なのか。あるいは、風見鶏という穏健な名の裏に隠された恐ろしさを知った上で、逆にその羽根を刈り取るつもりなのか。
『見ていて飽きぬ男だ。……レスティーナよ、バーンライトの第三軍の動きはどうなっておる?』
ダグラスから視線を移し、ラキオス王は再び娘の横顔を見る。
国王不在のまま開催された今週の定例会の内容は、帰路に就く途中でラキオス王も一通り報告書に目を通していた。バーンライトの第三軍の戦力増強が著しいことも耳にしている。ただ、その詳細な内容についてはまだ知らなかった。
『ここ数日の間に、リーザリオ周辺で何度も激しいマナの揺らぎが観測されています。通常のエーテル変換に伴うマナの振動とは明らかに異なる反応です。情報部からも、第三軍の一部の大隊で訓練の増加が認められたという報告があります』
『おそらく、大作戦の前兆でしょうな』
ダグラスが淡々とした口調で言う。この五十六歳の通産大臣は、軍事に関してもかなりの部分で精通している。国際社会における国家の二本柱が、軍事力と外交力で成り立っているのは有限世界も変わらない。まして外国との付き合いが深い通産大臣ともなれば、最低限の知識くらいは必要だ。
『通産省の方でもダーツィからの物資の流れを掴みました。私の試算では、スピリットの二個大隊に匹敵する戦力を二週間、単独で動かせるだけの物量です』
『ふむ。二週間分か…我が国を本格的に攻めるつもりならば、せめて二ヶ月分の備蓄を揃えるはずだが』
『おそらくは、敵方も我々と同じ事を考えているのかと』
『アイデス・ギィ・バーンライト王に龍を討とうなどという度胸はあるまい。大方、ラフォス・ギィ・バーンライト王妃の策謀だろう。だが、所詮は女の浅知恵だ』
ラキオス王は今は遠い宿敵の、王妃の尻にへりくだる無様な姿を思い浮かべ、侮蔑に陶酔し、笑った。
『足がかりの準備は整いつつある。正統な血の力、見せつけてくれよう』
そしてひとしきり笑い、国王は謁見の間を去っていった。
レスティーナは小さく溜め息をつくと、話題であったエトランジェの少年たちへと思いを向けた。
◇
「ぐはっ! ぐぅぅぅぅぅ」
何の前触れもなく突然に襲ってきた激しい痛みに頭を叩かれ、悠人はベッドから飛び起きた。
まるで金属製の槌に何度も殴打されているかのような衝撃と耳鳴りが、目を覚ましてなお続いている。
すでに時刻は真夜中だったが、悠人は遠慮することも忘れて悲鳴を上げた。頭の軋みと同時に、異常な発熱が彼の体を襲う。悠人はたまらず毛布を跳ね除け、ベッドから冷たい床へと力なく転がり落ちた。
【我にマナを与えよ。失われし、エターナルに奪われしマナを奪い返せ】
金属と金属が激しくぶつかるような耳鳴りの合間に、聞き覚えのある声が響いた。
と同時に、頭の中で奇妙にリアルな映像が、鮮烈に浮かんでは消えていく。
眩しいくらいに白い肌と、むせ返るような牝の匂い。悠人の意志とは無関係に脳裏に浮かぶのは、アセリアやエスペリア達の裸身だった。
想像の産物にしてはあまりに鮮明で、生々しい映像と、快楽の予兆に一気に血流が下半身へと集中していく。
「どうしたんだ! くそっ、これじゃまるで……!」
瞼を閉じればその暗闇のスクリーンに浮かぶ映像を必死に振り払おうと、悠人は目を見開き、痛みのみに意識を集中させる。痛みと耳鳴りが酷くなっていくにつれて、アセリアらの身体を欲する牡の本能が、さざなみのように遠ざかっていく。
なぜか、初陣の時の……あの、全身に力が漲り、戦いを求める獰猛な気分が思い出された。
自分が自分ではなくなってしくような、そんな恐怖の感覚。
しかし同時にこの上ない快楽を予想させる、愉悦の経験。
あのまま欲望に身を任せて殺戮を楽しんでしまっていたとしたら……そう考えると、今更ながらに心の底から恐怖が込み上げてくる。
かといってこのまま殺戮に対する禁欲を続けていると、このままではいつか仲間達の身体を求めてしまわないだろうか。相手の意志は関係なくその心と身体を貪りつくした果てに、せっかく築いた絆はどうなっているだろうか……!
「ぐぅっ、あ…くっ、だめだ……のっ!」
最悪の未来の想像を振り払うように、悠人は頭を振る。
「ふざ……けんなよ、バカ剣…がぁ」
狂おしいほどの熱量を発する唇からは、この頭痛の原因……己の持つ神剣に対する、憎しみの言葉が漏れ出た。
◇
同じ頃、柳也は時間の概念が消失した場所にいた。
自分の向いている方位はおろか、上下左右の感覚すら希薄な空間だ。
目の前のすべては真っ黒な暗闇に覆われ、光源一つない世界では何一つ物体を知覚することができない。音はなく、空気も澄みきっていて逆に鼻がまったく利かない。
どこか別の場所に移動しようにも手足の感覚はなく、自分が立っているのか浮いているのかすらわからなかった。まるで、自分の意志のみが空間に存在しているかのようだった。
柳也が自分は夢の中に居るのだということを理解するまでに、そう時間はかからなかった。
――どうせだったらもっと楽しい夢を見せてくれたって良いだろうに…。
口に出して言ったはずの言葉は、しかし音にならなかった。
見渡す限りは一面の闇。何も聴こえることなく、何の臭いもしない。手足を動かすことすらままならぬ夢を、いったいどう楽しめというのか。
そんな柳也の心の叫びに応じたわけではないだろうが、不意に、視界の中を縦横無尽に、いくつもの流星群が瞬いた。
たちまち、白い闇に染められる柳也の視界。
ホワイトアウトした世界に、再び白以外の色が生じた時、柳也は己の肉体を知覚した。
手足の感覚が蘇り、耳の奥に音が戻ってくる。澄みきった大気は鼻腔に心地良く、さわさわと額を撫でる優しい風が、不思議と彼の心に落ち着きを与えていた。
柳也は目の前に桃源郷を見た。
少なくとも、そこは柳也にとっては楽園のような世界だった。
柳也は会ったこともない宮本武蔵や柳生十兵衛といった剣豪達と思う存分に剣を交わした。ロンメルやパットンと一緒に戦車を乗り回し、坂井三郎や加藤建夫らとともに編隊で空を飛んだ。かつては毎朝のランニングの際にすれ違った二歳年上の幼馴染とも再会した。
楽しい体験だった。
柳也は笑いながら世界を駆け巡った。
夢とわかっているから愛おしいその世界を、縦横無尽に走り抜けた。
柳也は自由だった。
自分の夢の中で、彼の思い通りにならぬ事はなかった。
いや、ただ一つだけ、夢の支配者の柳也にもどうすることもできない事があった。それは夢の世界を一緒に駆け回る、一人の少女についてだった。
不思議な女の子だった。暗闇の牢獄から抜け出してから、気が付いた時にはもうその娘は柳也の隣にいた。背格好は十歳くらいで、夏物のワンピースを着ているということまではわかるのに、肝心の顔はとなると、まるで白い靄に包まれたかのように見えなかった。気になって柳也が顔を見せてと言っても、少女はにっこりと笑うばかりで顔は見えないままだった。柳也が少女に触れようと手を伸ばして追いかけても、なぜか追いつけない。
諦めた柳也がひとり先に進もうとすると、今度は少女が自分を追いかけてきた。意趣返しとばかりに逃げても、少女はすぐに追いついてきた。
腹の立った柳也はまた少女を追いかけた。しかし、いくら努力してもやはり少女との距離を詰めることはできなかった。柳也がまたひとりで歩き出すと、少女は彼の背中を追った。
そんな追いかけっこを何度か繰り返して、柳也の隣は少女の定位置になった。
女の子は剣豪達との戦いでは横から彼を応援し、戦車に乗り込んだ時は彼と一緒にペダルを踏み、レバーを起こした。飛行機に乗った柳也が空中で曲芸飛行をすると、手を叩いて歓声をあげてくれた。
そんな少女の態度に、いつしか柳也も彼女の顔が見えないことを気にしなくなっていった。
顔など見えなくても、自分と彼女は友達なんだという実感が持てた。
十歳の少女の手を引きながら、柳也は夢の世界を駆け回った。
やがて夢の時間に、終わりがこようとしていた。
朝のこない夜はなく、今朝も訓練のある柳也は、いつまでも夢の世界にいるわけにはいかなかった。
後ろ髪の引かれる思いで柳也が手を離すと、少女は寂しそうな笑顔で手を振ってくれた。
「また、会おうね…」
少女の声は、なぜか柳也に安らぎを与えてくれた。
顔の見えない相手に、柳也は大きく手を振った。
「また、お会いしましょう……柳也様」
永遠のアセリア
-The Spirit of Eternity Sword Another-
第一章「有限世界の妖精たち」
Episode16「求めるもの」
――聖ヨト暦三三〇年、アソクの月、黒、よっつの日、夜。
『ここまではわかりましたか?』
『はい……えっと、多分大丈夫です』
異世界の少女にも分かるよう簡単な言葉を使ってのレスティーナの質問に、佳織は少し考えてから頷いた。
激務の合間の僅かな時間、レスティーナは暇を見つけては隣室の佳織のもとに足繁く通っていた。そうして、少しずつではあるがこの世界の言葉を教えている。少しでもこの世界の知識を教えることで何かの役に立てれば、そんな配慮からの家庭教師役だった。
『よろしい。それにしても、カオリは物覚えが良くて驚きます』
『そ、そんなことないです』
異世界の衣服に身を包んだ少女は、僅かに頬を染めて謙遜する。
そんな彼女の態度を好ましく思いつつ、レスティーナは机の上に広げられた本にさっと視線を走らせる。小さな子ども向けの童話だが、佳織は早くもこの世界の言語を自分のものにしようとしていた。その証拠に、わずか二十ページと少しの童話の、ゆうに四分の三ほどを佳織はすでに読み終えていた。
異世界の少女は控えめで、礼儀正しく、本が好きであった。出現した時にはまったく理解できなかったこの世界の言語も、すでに話すだけならば母国語のように操っている。豊かな向上心に恵まれ、最近では文字の読み書きにも挑戦していた。
童話の翻訳にもひと区切りついて、佳織がおずおずと口を開いた。
『あの……』
『なんです?』
『お兄ちゃんたちのこと……聞いてもいいですか?』
『………………』
佳織の言葉に、一瞬、レスティーナの表情が躊躇に硬化する。
しかし、すぐに平静を取り繕って頷くと、レスティーナは口を開いた。
『どういう質問にも、というわけにはいきませんが』
『……お兄ちゃんたちは何をさせられているんですか?』
『それは……』
その先の言葉を、レスティーナは言い淀む。
我知らず表情に悲痛な色が走ったのも、無理もない。
いかにも弱々しく見える異世界の少女。身長は一四〇センチに届くか届かないか、体格も小柄なこの少女の中に、しかしレスティーナは過酷な現実に立ち向かう強さが育ちつつあるのを感じていた。もっとも、その強さを自分の姿から佳織が学んでいようとは、思ってもみなかったが。
『伝えるべきなのでしょうね』
強さと賢さ。
佳織から感じるそれを、レスティーナは信じた。
『辛くなるとしても、真実を知りたいですか?』
上辺の表情だけでなく、その裏にある心の機微すらも見透かそうとする、強い意志の眼差し。
レスティーナの視線を、佳織は正面から受け止めた。佳織の瞳の中にレスティーナの姿が映り、またレスティーナの瞳の中に、佳織の真摯な眼差しが映っていた。
『……知りたい、です』
佳織はしっかりとした動作で頷いた。
『ううん。知らなきゃいけないんです。私には、その責任があるはずなんですから』
覚悟を認め、レスティーナはひとつ頷いた。
その動作は彼女なりの決意の現れであり、頭の中で言葉を整理するのに必要な儀式だった。やがてレスティーナは、口を開きながらも舌で言葉を探すようにして、ゆっくりと言葉を紡いでいった。
『エトランジェとは神剣を持って戦う者。ユートも、リュウヤも…そして、本当ならカオリもそうなのです』
『戦う……? 私たちが?』
レスティーナの口から紡がれたその言葉を、佳織は茫然と反芻した。
おそらく元の世界では戦いとは無縁に生きてきたのだろう。実感の湧かぬ様子の佳織に悲痛な眼差しを向けながら、レスティーナはこれからかける言葉が少女の心をどれだけ傷つけるかを想像して、胸を痛めた。
『ユートたちは、あなたのために既に戦っています。自らの腕を血で染めて』
『……!!』
自らの腕を、血で染める。
その言葉が持つニュアンスは、およそ戦いとは無縁だったであろう佳織にも、十分に伝わったようだった。
驚愕に目を見開くと同時に肩を震わせて、佳織はレスティーナにおずおずと問う。
『人を、殺しているんですか……? お兄ちゃんが……』
『…………はい』
沈痛な表情でレスティーナは頷いた。事実を伝える彼女も辛いのだ。だが、言葉を濁して誤魔化すわけにはいかなかった。
下手な言い繕いは、少女の決意と真摯な眼差しを、裏切ることにほかならなかったからだ。
レスティーナは、佳織の心を裏切りたくなかった。
『そんな……』
人間が短い歴史の中で作り上げてきた言葉では、到底、言い表せぬほどの衝撃。
事実だとは思えないし、また思いたくもなかった。
しかし、佳織は目の前の王女が信頼できる人物であることを、すでに知ってしまっていた。
「お兄ちゃん……」
少女の口から飛び出した、異世界の言語。
複雑に感情が篭められた悲しげな呟きは、レスティーナの心をどんな罵倒の言葉よりも深く抉る。
『……恨んでくれても構いません。ただ、早まったことだけはしないように』
『早まった……?』
『ユートたちと……私が悲しむようなことです』
『え……』
死ぬということ。
レスティーナが悲しむということ。
一瞬のことに、どちらに重点をおいて驚くべきなのか判断がつかなかった。自分が死ねば悠人や柳也は当然悲しむだろう。けれど、自分が死ねば二人を自由にしてあげられる。佳織も最初はそんな事を思った。
けれど、自分が死んで、レスティーナも悲しむ……?
佳織が茫然としている間に、レスティーナは立ち上がった。
『今度来る時は、別の話し相手を連れてきましょう』
最後にその言葉を残して、レスティーナは部屋を後にした。
『あ……その、おやすみなさい』
閉じてしまったドアに、佳織は頭を下げた。
そしてひとり残された部屋で、窓を開けて夜空を見上げる。
「…………ふぅ」
都会では決して見ることのできない満天の星空に、思わず感嘆の溜め息が漏れた。
そして同時に、悲しみの吐息も、唇から漏れた。
「お兄ちゃん……」
悠人のことを思うと、自然と涙が溢れてくる。
軟禁状態にあるとはいえ、ある程度の自由を許されている自分なんかより、よほど辛いはず……佳織にはそうとしか思えなかった。
「お兄ちゃん……っ」
目の前にいてほしかった。
すぐにでも側に駆けつけてきてほしかった。
そして、一言でもいいから声が聞きたかった。
両親が死んで、この世で二人きりの兄妹になってから、いつもずっと一緒に生きてきた。こんなにも長い間言葉を交わさなかったのは、初めての経験だ。
「寂しいよ……お兄ちゃん…………っ」
自分のために剣を取って戦う悠人。
申し訳なく思う気持ちは強い。
だが、それと同等以上に、寂しいという気持ちを抑えられなかった。
けれど、寂しいのは、きっと悠人も一緒なのだ。
「ん……」
佳織は拭っても拭ってもあふれる涙を袖で拭うと、窓の外から内側へと視線を転じた。
部屋の隅に、元の世界から持ち込んできた数少ない品の一つである、通学用の鞄が置いてある。この世界にやって来たその日は、部活がなかった。
佳織は鞄に手をかけると、中から愛用のフルートを取り出す。
少女はまた涙を拭ってから、そっと口を当てた。
高く、澄んだ音が見知らぬ夜に響く。
悠人を想い、気持ちを込めた悲しい旋律。
不安に揺れ、悲しみに音を凍らせながら紡がれる、美麗なメロディ。
せめてこの音が、悠人たちに届いてほしい。
悠人たちに、自分の無事を知ってほしい。
音色がすべてを伝えてくれれば……。
佳織はただそれだけを願って、フルートを吹き続けた。
◇
『…………クッ』
悲しみにくれる佳織の表情にいたたまれなくなって、逃げるように部屋を出たレスティーナだったが、廊下に漏れるフルートの音は、ますます彼女の心を罪悪感で苛んだ。
謁見の間では強い意志の輝きを宿していた紫水晶の瞳には、今や沈んだ悲しみが浮き上がっている。
『どうして、罪を重ねるの……私も、父様も……』
王女として、人に聞かせることの許されない、悲痛な言葉。
小さく呟かれた独り言に、答える声はなかった。
◇
――聖ヨト暦三三〇年、レユエの月、緑、みっつの日、昼。
『ごちそうさま』
『ごちそうさまでした!』
異世界にやって来てからも、日本生まれのエトランジェ達は食事を終える儀式に手を合わせることを欠かさない。
『ふふ、お粗末さまでした。ユートさまもリュウヤさまもたくさん召し上がるので、作りがいがあるんですよ』
『エスペリアの料理が美味しいからだって』
『そうだな』
悠人も柳也も、両親が死んでからは自分達で料理を作ることの方が多かった。料理というものは基本的に日々精進の、慣れの産物だ。それだけに、エスペリアの腕前の程が二人ともよくわかる。エスペリアの料理の腕前は、一朝一夕で身につくものではない。
食べ終えた食器を片付けていく手際も手馴れたものだ。もっとも、今や館には大食漢の柳也がいるから、洗わなければならない食器の量は多い。
三人で作業を分担しながらの言葉に、エスペリアは照れたように頬を染めた。
『大したことはありません……。そう言いたいところですけど、少し自信があるんです。料理だけは』
少し得意げに笑って、エスペリアは集めた食器を流し台へと置いた。
『料理だけってこともないだろ』
『あとは普通ですよ。ただやる者がいないので、私がやっているだけです』
三人で食器を片付け終える。
食器を片付けてしまうと、あとは悠人達にやれることはない。なんといっても異世界のキッチンは二人にとって未知の領域だ。流し台や釜戸など、なんとなく使い方がわかるものもあるが、大部分の機能は名前はおろか用途すらわからない。調味料がどこにしまわれているかすら、分からないのだ。
『それでは、お茶を入れてきます。そうしたら、お勉強の時間ですね』
『あぁ〜、この時間がなぁ……』
エスペリアの言葉に、悠人が盛大に溜め息をつく。
悠人達にとっての勉強の時間。最近になって、ようやく日常会話には困らなくなってきた二人だったが、まだまだ知識が足りないのも事実だった。柳也の方はそれほどでもなかったが、悠人はまだまだ複雑な言い回しや込み入った単語は分からなかったし、柳也にしても、読み書きとなると完璧と胸を張るには程遠い。
『ユートさま。戦場では、ちょっとした伝達の問題が死を招くこともあります!』
穏やかな表情から一転して厳しい顔になるエスペリア。
彼女の言っている事は正論だから、文句の言い様もない。
『このお勉強はユートさまにとって、とても大切なことなんです。それに……』
『ああ、解ってるってば』
長々と小言が続きそうな気配がして、悠人は慌ててエスペリアの言葉に割って入る。
軽い口調の悠人に、エスペリアは懐疑的な眼差しを向けた。
『……本当に解っていますか?』
『大丈夫、大丈夫』
『…視線を逸らしながらそう言われても、説得力がまったくないぞ?』
『ユートさま? ちゃんと目を見てくださいませ』
横から柳也が口を挟むまでもなく、エスペリアも悠人の顔を覗きこんだ。
『わ・か・っ・て・い・ま・す・か?』
翡翠色の瞳が悠人の目を、じっ、と見つめた。
奇妙に迫力のあるその眼差しに、悠人はたじろぎながら首を縦に振った。
『は、はい……わかりました』
『はい、結構です』
エスペリアはようやく表情を緩めた。
その後ろで、柳也がニヤニヤといやらしく笑っている。
「悠人、お前、佳織ちゃんが妹じゃなくて姉だったら、何でも言うこと聞いてそうだよな」
日本語でからかうように言ってくる。
反論の言葉を述べようとした悠人に、柳也はトドメとばかりに鮮烈なる一言を放った。
「碧の言った通り、どっちにしろお前はシスコンだったわけだ」
「…ぐはぁ」
現代世界でさんざんからかわれた言葉とはいえ、久しぶりに言われると衝撃も大きい。
『それでは、お茶を入れてきますね。いつものクーヨネルキのお茶で良いですか?』
『ああ、それでいいよ』
柳也のシスコン発言を受けてショックを受けている悠人に代わって、柳也が頷く。
ちなみにクーヨネルキとは山羊のような生き物の乳のことで、要するにミルクティーのことだ。牛乳よりもまろやかな口当たりで、悠人も柳也も気に入っていた。
『はい、それでは少々お待ちくださいませ』
台所は完全にエスペリアのテリトリーだ。手際良くポットとカップを取り出し、茶葉とクーヨネルキを用意する。水の入った薬缶を火の上に置き、沸騰したら十秒置いてまずは茶葉を入れずにそのままポットに。ポットを先に温めてからお湯を戻し、改めて茶葉を投下して熱湯を注ぐ。
「この世界に来てもう二ヶ月ちょいか……」
鮮やかな手つきで行なわれる作業を見つめながら、柳也はひとり呟いた。
「……そんなになるか?」
フリーズ状態から解けた悠人が、律儀にも柳也の独り言に反応して言った。
「ほれ」
柳也は左手首に巻かれている父の形見の品を悠人に見せた。柳也の腕時計の文字盤には、三時と四時の間に日付の表示機能が付いている。
「……高そうな時計使っているな」
「父の形見なんだよ。ドイツのジンっていうブランドの時計だ。ドイツ警察国境警備隊が誇る特殊部隊GSG-9御用達の、制式モデルさ」
1961年に第二次世界大戦時代のドイツ空軍のパイロットだったヘルムート・ジンによって創設されたジン特殊時計会社は、その設立当初から計時用の時計よりも、視認性が高く機能性に優れた計測機器としての特殊時計の開発に努めてきた。
柳也が左手に巻いているのは同社ブランドのModel603.EZM3で、彼が口にしたようにドイツ国境警備隊の最精鋭、GSG-9の制式採用モデルとして使われている。ダイバーズウォッチとしても優秀なジンの腕時計は、最新のモデルともなると約5000mもの防水性能を誇っている。ちなみに、Model603.EZM3の防水性能は約500m。
父が何を思ってこの時計を購入したのかは柳也も知らない。同じ警察官として、GSG-9に憧れて購入したのかもしれないが、真実を聞く前に父は亡くなってしまった。以来、柳也は父の形見のこの腕時計を、もう十年以上愛用している。
「俺達がこっちに来たその日から、もう二周回っている」
「二ヶ月か……ほんの少し前までは、学校に行って、バイトばっかりしてたんだよな」
「えらく遠いところまで来ちまったな、俺達」
「ああ…」
独り言のつもりで口にした柳也の呟きに、またしても悠人は反応した。
◇
――聖ヨト暦三三〇年、レユエの月、黒、みっつの日、昼。
今日も午前の訓練を終えた悠人達は、訓練所の食堂に寄らずにスピリットの館に戻ると、エスペリアの手料理が並ぶ食卓に着いた。
この世界に来たばかりの時は悠人と柳也、そしてエスペリアしか居なかった昼時も、今やアセリアとオルファが加わって、ずいぶん賑やかになっている。もっとも、賑やかの中心にいるのはもっぱらオルファで、アセリアは相変わらず無口のままだったが。
『アセリア、ちゃんとユートさまとリュウヤさまにご挨拶なさい!』
『ん……』
アセリアはチラリと悠人らに視線を走らせると、また手にした椀に目線を落とす。
今のアセリアの関心の度合いは、悠人達よりも目の前の料理の方が高いらしい。エスペリアの手料理に夢中になっているその様子だけを見ていると、とてもではないが彼女が他国の軍隊から“ラキオスの蒼い牙”と渾名される強力な戦士とは思えなかった。
『ふぁ、ひょうひえば……』
『オルファ。お口の中のものを飲み込んでから喋りなさい。お行儀が悪いですよ』
『ふぁーい』
エスペリアにたしなめられ、オルファが、こくこく、と喉を鳴らす。
なんとなくしらかば学園の兄弟達を見ている気がして、柳也は穏やかに微笑んだ。
やがて口の中のパンを飲み込み、トマトソースのような味わいのスープで舌を洗ったオルファが、威勢よく口を開いた。
『あのね、あのね。カオリに聞かれたことがあるの思い出したの』
『佳織に?』
話の中に佳織の名前が登場して、思わず身を乗り出す悠人。
佳織の事となると自分を見失ってしまうこともしばしばあるこの少年の行動に、今やエスペリア達も慣れたものだった。
『カオリがね、この世界には名前があるの? …だって』
『名前……です、か?』
オルファの口を借りた佳織の問いに、エスペリアは少し考え込んでから首を傾げる。
『ええと……ないですね。国にはありますけど。…ユートさまたちの世界には、名前がありましたか?』
『そう言われてみると、よくわからないなぁ…』
今までそんな事を深く考えた経験などない悠人は、戸惑いがちに首を傾げる。
隣では柳也も六杯目のスープを飲み干しながら、眉間に縦皺を寄せた。
『たしかに…“地球”っていうのは星の名前だから、“世界”とはまた違うだろうし』
そもそも、世界とはいったい何なのか。
これまで多くの哲学者たちがその解明を命題としてきた巨大な概念を、一介の学生にすぎぬ柳也達がわかるはずもない。
『チキュウ…ですか?』
聞き慣れぬ単語に、エスペリアが不思議そうな眼差しで異世界の少年達を見つめる。
『あ、うん』
その名詞を口にしたのは柳也なのに、エスペリアに問われて悠人は思わず頷いた。
『地球っていうのは俺たちが住んでいた星の事で、ほかにも太陽とか木星とか色々な星があって、その中で人が住んでいるのは地球だけで……』
『悠人、たぶん、その説明だとまったく意味が伝わらないと思うんだが…』
柳也が隣で苦笑しながら言う。
見ると、三人とも唖然とした表情を悠人に向けていた。いつもは無反応なアセリアすらもがシチューに添えたスプーンの動きを止めて、不思議で壮大な話をするエトランジェのことを見つめている。
少女らの視線は、それこそまるで宇宙人を見るような眼差しだった。
悠人はなんだか急に恥ずかしい気持ちが込み上げてきて、彼は混乱に火照る頭で必死に言葉を繋いだ。
『ええと、つまりあの空にある星の一つが俺のいた世界で、多分ここもああいう風に宇宙に浮かんでいる星で、えっと…』
『宇宙っていうのも、理解できないと思うぞ?』
『あ、そうだよなぁ〜…。ええと、宇宙っていう世界がたくさんある所が空の向こうにあって、もしかしたら俺のいた世界が、あの星の一つにあるかもしれないっていうこと』
半ばパニック状態で説明を続けるも、異世界の少女達は目をぱちくりさせている。いつもは聡明なエスペリアでさえ、不安そうな眼差しを悠人に向けていた。
『つまり、空で光っている星のひとつひとつが、ここと同じような世界になってて、そこのどれかが俺の世界かもしれないんだよ……って!!』
突如として、はっ、とした表情を浮かべた悠人は、隣で早くも七杯目のスープに手をつけている友人を睨んだ。
『少しは助け舟を出してくれよ!』
『って、言われてもなぁ…。古代エジプトで暦ができて以来、数千年をかけてようやく今の教科書にまとめあげた宇宙観を、昼時の僅かな時間に語れって言われても、無理だろう』
柳也は七杯目のスープを飲み干してから肩を竦める。
なるほど、先ほどから食べてばっかりで会話にあまり参加してこなかった理由は、最初から説明することを放棄していたからか。
『お、お前なぁ……』
『ちょっと、難しいお話ですね』
エスペリアが眉の間に縦皺を刻みながら、なんとか言葉をまとめた。
『この大地も天空に輝く星と同じということでしょうか』
『この世界はどうか、わからないけど……そうなんじゃないかな?』
悠人は曖昧に答えた。
別の世界が実在するくらいだ。たかだか十数年の人生、一介の学生にすぎぬ自分の常識など、さほど意味をなさないのかもしれない。
『ユートの世界……ハイペリア』
アセリアが小声ながら、突如として会話に参加した。
みなは驚いてアセリアの方を向くが、当の本人はいつの間にかまた黙々と食事を続けていた。
『アセリア〜、ほら、言葉のキャッチボール。キャッチボール』
この世界に野球があるかは定かではないが、おそらくはないのだろう。会話を求める柳也の言葉に、アセリアは無反応の態度を貫き通している。もっとも、アセリアが無表情なのは今に始まったことではなかったが。
ハイペリアという単語は、悠人達にも聞き覚えがあった。
以前にも、アセリアの口から聞いたことのある言葉だ。
『ハイペリアって何? 何度か聞いたことあるけど』
悠人はエスペリアを見た。
『ハイペリアとは、私たちの世界の上にあると言われている世界のことです。空に輝く月の浮かぶ天井、遥か海と龍の爪痕の彼方の世界。…人が死ぬと、ハイペリアに運ばれると言われています』
『あの世のことかなぁ?』
『アノヨ?』
またも悠人の口から出た聞き慣れぬ単語にオルファが首を傾げる。
『人が死んだらそこに行くって言われている所だよ』
『まぁ、俺達の世界でも呼び方は色々あったけどな。…天国、地獄、黄泉の国。冥界、楽園、天上世界に高天原。あとは極楽浄土とか』
柳也は知っている単語を曖昧に列挙してから肩を竦めた。
さすがのミリタリー・オタクも、死後の世界については多くは知らないらしい。
その代わりに、柳也の頭の中ではこの世界に落ちてくる際に見た、空の上の島々の姿が思い返されていた。もっとも、さすがにあの光景を口にするのははばかられたが。
『じゃ、じゃ、パパたちの世界ではスピリットが消えるとドコいくの?』
興味津々といった様子でオルファが訊ねてくる。身を乗り出して二人に詰め寄るその姿は、先刻の悠人に通ずるものがあった。
悠人と柳也は顔を見合わせると、どちらからとなく苦笑した。
『俺たちの世界にはスピリットはいなかったなぁ…』
『もっとも、俺たちが見たことないだけかもしれないが』
悠人の説明をさらに柳也が捕捉する。
『なぁんだ〜。そうなんだ〜』
ひどく残念そうに溜め息をついて、オルファは野菜にフォークを突き刺す。
しかし落ち込んだのはほんの一瞬で、次の瞬間には元気な笑顔を二人に見せた。
『そうそう! スピリットは消えたら、再生の剣に戻るんだよ♪』
『再生の剣?』
『はい、口伝ではそう伝えられています。再生の剣より生まれマナへと帰る、と』
『再生の剣…それも永遠神剣なのか?』
悠人は柳也を見た。
『…そこで俺を見るなよ。俺が知っているわけないだろう』
『いやさ、なんか柳也なら何でも知っているような気がしたから』
『俺はどこの全知全能の賢者だ?』
柳也は溜め息混じりに呟いた。
『……ん。ハイペリアへ行けるのは、人だけ……』
またも食事を中断し、アセリアが言う。
ふと視線を転じてみると、黙々と食事に集中しているように見えて、しっかりと話を聞いていた。心なしかその表情も、いつもより活き活きしているように思える。
『アセリアはハイペリアってのに興味があるのか?』
『うん……ハイペリア、行ってみたい』
その涼しげな声の中に、微小な感情のうねりを感じたのは、悠人の気のせいだったか。
あれだけ様々なことに無反応なアセリアも、ハイペリアの事だけには妙に反応を示している。まるで機械のように戦いという作業を行い続けるアセリアの、別な一面を垣間見た気がした。
それはさておき……
『でも世界に名前がついていないと、微妙にしっくりこないな』
悠人は腕を組んで唸った。
『カオリがね。ここって“ふぁんたずまごりあ”みたいって言ってたんだよ』
『“ふぁんたずまごりあ”ですか……なんでしょうか』
『どこかで聞いたような……』
『ああ! たしかに似ていなくもないなッ』
聞き慣れぬ単語にみなが首を傾げる中、ひとり柳也だけが得心した様子で両手を叩く。
怪訝な面持ちの悠人に、柳也は九杯目のスープをかきこんでから口を開いた。
『佳織ちゃんがよく読んでいたファンタジー小説に出てくる世界の名前だよ。俺も借りて読ませてもらった』
『ああ…あれか』
『どんなお話なんですか?』
『一言でいえば、剣と魔法の話だな。人間以外にも、トロールやゴブリン――ああ、空想上の怪物のことな――が出てきたり、主人公の勇者が妙に鈍感で、結構、たくさんのヒロインから惚れられているのに気付かなくて、それが原因で国を追い出されたり…って、まぁ、笑いあり、涙ありの感動の物語だったぞ』
『カオリとね、決めたんだよ♪ アッチとコッチかだと言いにくいから、コッチはファンタズマゴリアで、アッチがハイペリア』
『なるほど、良いアイディアだな』
嬉しそうに言葉を紡ぐオルファに、しきりに頷く柳也。
一方の悠人はといえば、不思議な気持ちに囚われていた。
それぞれの世界の呼び名を、佳織とオルファが名付けた。
この世界に居る現在と、元の世界に居たという過去。どちらも現実だという事実が、かえって現実感を失わせている。
しかし、佳織も、元の世界の事を忘れずに覚えていた。あの世界は現実にあったのだと、証明してくれた。
そのことがなぜか、悠人には無性に嬉しかった。
まだ、自分達の世界の存在が、夢ではなかったと思えた。
『ねっ! どう、パパ、リュウヤ?』
『そうだな、そのほうが俺もわかり易いから、これからはそう呼ぶようにしよう』
『俺も賛成。…なんか、またあの話を読みたくなってきたな』
悠人の意見に、柳也も朗らかに頷く。今となってはなかなか叶わぬ事だが、悠人も無性にそのファンタジー小説を読みたくなった。
『やったぁ! カオリにも報告しなくちゃ。ファンタズマゴリアとハイペリア〜』
『ほらっオルファ、はしゃがないの。食事中ですよ』
喜んで両手を振り上げるオルファを見て、慌てて注意するエスペリア。二人のやりとりは、やはりどう見ても普通の姉妹のそれにしか見えない。
そこでふと、悠人はあることに気が付いた。
オルファに自分の世界のファンタジー小説について話す佳織。案外、二人はわりと簡単に会うことができるのだろうか。
『オルファって、簡単に佳織と会えるのか?』
『うん。王女さまが時々、話し相手になるようにって。オルファ、カオリとお話しするの楽しみなんだ♪』
『そっか、ありがとうな、オルファ』
佳織の無事を示唆する言葉に、悠人は少しだけ安堵した。
どうやら今のところは、酷い扱いは受けていないらしい。
『さ、ハイペリアのお話は、食事の後にしましょう。冷めてしまいますよ』
エスペリアの言葉が終わらないうちに、アセリアが席を立った。
『……ん。もどる』
『もう食べたのですか? いつもながら早いですね』
『……ん』
エスペリアの問いかけに、アセリアは小さく頷く。
見れば焦りあの前に並べられている皿は、綺麗に空になっている。悠人達が話す間にも、黙々と食事を進めていたのだから当然といえば当然だが。
ハイペリアの話題から離れた途端、アセリアはずっと食事に集中していた。すでにこちらの世界……ファンタズマゴリアに来て、悠人達の感覚で二ヶ月以上が経っているが、このペースだけはいまだにつかめない。
悠人達は部屋から出て行くアセリアの背中を見送った。
アセリアが退室して、四人だけになった食卓で、オルファが笑顔で口を開く。
『アセリアお姉ちゃん、楽しそうだね〜』
『ええ、本当に』
『え!? なにが?』
オルファとエスペリアの発言に、悠人は思わず声を裏返して聞き返した。
あの無表情のアセリアが楽しそうというのは、悠人にとって耳を疑う言葉だった。
『ええ。ユートさまとリュウヤさまが来てから。…特に、ユートさまのことがお好きみたいですね』
『そうなんだ〜。パパは“カンケルゥ”だねぇ〜』
しみじみと、感心したような口調で頷くオルファ。
カンケルゥとはまた聞き慣れない単語だ。今日は久しぶりに、悠人達にとっても、エスペリア達にとっても、見知らぬ単語の品評会のようだった。
『カンケルゥ?』
悠人が首を傾げた。
『とても好かれている、という意味ですよ。ユートさま』
『そうそう♪ カオリにオルファ。アセリアお姉ちゃんに、エスペリアお姉ちゃんっ!』
『こ、こらっ!! な、なにを言っているんですか!』
楽しげに言葉を続けるオルファに、エスペリアが慌てた。
『私は、ユートさまは大切なお客様であって、別に変な気持ちなどは……第一、そ、そんなことを言うのはユートさまに失礼ですよ!』
焦りのせいか、言わなくてもよいような事まで口走ってしまう。普段の冷静なエスペリアからは考えられない表情だ。
頬を紅潮させ、早口で言うエスペリアは妙に可愛らしく、自分まで照れてしまう。
悠人自身、その手の恋愛話は得意な方でない。
他方、そもそも、その手の恋愛話とはまったくといってよいほど無縁な柳也は、隣でいじけていた。
『あぁ…なんか疎外感を感じるぜェ。…俺の何がいけないっていうんだ? 俺のどこが男として悠人に負けているというんだ!?』
『う〜ん…顔、かなぁ?』
『顔のことは言うなぁッ!』
現代世界……もとい、ハイペリアでのトラウマが蘇ったか、柳也は涙目で抗議した。柳也も決して醜悪な顔立ちをしているというわけではないのだが、やはり、悠人と比べると幾分か見劣りしてしまう。
『俺、ほとんどアセリアには無視されているんだけど。楽しそうな素振りなんて……』
ただでさえ苦手な話題に加えて、柳也のいじけようが無視できぬものになってきたので、悠人は慌てて話題を変えようと口を開いた。
『いいえ、あれで普通なんですよ。あの娘は』
エスペリアもその手の話は苦手だったらしい。
悠人の話題転換にすかさず便乗したエスペリアは、表情にほっと安堵の色を滲ませていた。
一方、自分から話題を振っておいたオルファといえば、早くもその事実を忘れ、エスペリアの言葉にしきりに頷いている。
『そうそう♪』
『そうなのか……』
付き合いの長い二人が言うのならば、おそらくそうなのだろうが、やはりいまいち納得できない。
いつかは自分も、アセリアの複雑な感情表現を、理解できるようになれるのだろうか……?
――自信ないなぁ……。
悠人は胸の内で溜め息をついた。
◇
――聖ヨト暦三三〇年、レユエの月、黒、よっつの日、夜。
先のドラゴン・アタック作戦の折、エスペリアの勘違いによって悠人と部屋を別にされた柳也の部屋は、スピリットの館の一階にある。
深夜二時。不意に食堂の方から物音が聞こえて、柳也は目を覚ました。
――なんだ……?
〈決意〉を体内に宿すようになってから、身体能力が全般にわたって強化されている柳也の耳は、今では意識を極限まで研ぎ澄ませば数百メートル先に落ちた針の音すら聴き取ることができる。その夜、たまたま浅い眠りに就いていた柳也は、十メートルと離れていない台所で響いた物音に過敏に反応した。
普段は気にもしない物音が、なぜかはわからないが今夜だけは奇妙に気になった。後々考えると、それは虫の知らせだったのかもしれない。
――誰か起きているのか…?
まさかスピリットの館に泥棒が入るようなことはありえまい。とすれば、悠人かアセリアか、寝つきの悪い誰かが、水でも飲み来たのだろう。
柳也は気を取り直して寝なおそうとして、ふと喉の渇きを覚えた。テーブルの上に置かれた水差しを覗く。残念なことに、水差しの中身は空だった。
ここで起きたのも何かの縁だ。夜更かしをしている誰かさんのご相伴に預かるのも良いかもしれない。
柳也は静かにベッドから立ち上がると、音もなくドアノブを捻り、廊下に出た。極力、音を立てぬよう、抜き足差し足で板張りの道を進む。
案の定、食堂には誰かいるのか、僅かに灯りが漏れていた。さらに男と女の話し声。どうやら悠人と、他に誰か起きているらしい。
――こんな真夜中に語らう男女……はっ、まさくぅわぁ!?
わずかな一瞬にして、何度も頭の中を駆け巡るいや〜んでばか〜んであっは〜んな妄想の数々。
――いかん! これは是非パパラッチしなければッ!!
柳也は反射的に直心影流の技のすべてをもってして気配を消した。足音を立てず、呼吸も最小限に、大気の揺らぎにさえ逆らうことなく廊下を進む。神剣の気配を極力殺しながら、ひっそりと食堂の中を覗き見る。
たしかにその動作からは一切の音が欠落していたが、無駄に鼻息が荒かったのは言うまでもない。
部屋の中では……すでに、悠人がアセリアを抱き締めていた。
――ぬおうッ! なんと大胆な!
柳也は思わず叫びたくなるのを必死に堪えた。
学園では超絶的な鈍感さと、女性関係に対する凄まじいまでの奥手ぶりで有名な高嶺悠人の行動とは思えない。まさかあの少年にこんな大胆な面があったとは…。
今は遠い場所にいる小鳥には申し訳ない気持ちだが、柳也は思わず心の中で応援してしまう。
――そこだ! 行け! 押し倒せ!
すると、本当にその通りになった。
悠人は左手でアセリアの両手の自由を奪うと、無抵抗のままでいる少女を乱暴に押し倒した。乱れた長い髪が床に広がり、アセリアの顔が苦痛に歪む。柳也の位置からはよくは見えなかったが、いつも無表情なその顔は、僅かに恐怖の感情を滲ませているようだった。
小柄な少女を押し倒す友人の股間は、大きく膨らんでトラウザーにテントを作っている。
荒い息遣いの唇からは涎がしたたり、その瞳は、欲情に血走っていた。
柳也はようやく尋常の事態ではないことを悟った。
組み伏せる悠人と、組み伏せられるアセリアとが、本当にこれから男女の営みを交わそうとしているのなら、悠人から感じるこの凶悪な……飢えと渇きに支配された、黒いマナの波動は何なのか。
『アセリア! 悠人!』
柳也は怒声とともに食堂へと駆け込んだ。
それとほぼ同じくして、悠人の口から、苦しげな憤りが漏れた。
「ハァ、ハァ、ンッ……はぁ。くそっ! 負けるかっっっ」
ぐっ、と血が流れ出すほどに唇を噛み締め、朦朧と焦点の定まらぬ目線を悠人はアセリアに落としている。
いったい悠人は何にたいして苦しんでいるのか。柳也にはその原因がすぐに思い至った。
「チィッ…〈求め〉かッ!」
柳也は悠人を後ろから羽交い締めにして、アセリアから引き離そうとする。しかし、どういうわけか悠人の体はビクともせず、逆に凄まじい力に柳也の方が翻弄されてしまった。
〈求め〉の本来の力が悠人に宿っているのか、〈決意〉で強化した柳也の腕力がまったく通用しない。腰に佩かれた無骨な神剣は、禍々しい蒼の光を乱舞させながら、悠人に無限にも等しい力を与えているようだった。
『…………苦しいのか?』
悠人と柳也が必死に抵抗する最中、アセリアの冷静な声が耳朶を打つ。
押し倒された状態にあるにも拘わらず、水色の瞳の少女は眉一つ動かさない。
小さく唇を動かしての問いに、悠人も柳也も、返答を返すほどの余裕はなかった。
悠人の意識か、〈求め〉の意志か、柳也を振り解こうと身をよじった瞬間、狂気の瞳と、一瞬、視線が交錯する。これまで見たこともない友人の凄絶な顔に、柳也は絶句した。
『ユートッ……!』
その時、器用にも片手で〈存在〉を鞘から引き抜いたアセリアが、その鏡面のような刀身を悠人にかざした。
悠人の目と、刀身に映る悪鬼の如き悠人の目が交差した。
「な……!!」
驚愕。とても自分のものとは思えぬ壮絶な形相に、悠人の動きが慄然と止まる。そしてその一瞬の隙を、柳也とアセリアは見逃さなかった。
『……!』
柳也が素早く悠人の身体から離れ、刹那の隙をついてウィング・ハイロゥを展開したアセリアが、悠人の下から脱出した。脱出のための推進力を得るべく動かしたハイロゥの羽ばたきは、また同時に一陣の突風を巻き起こし、悠人の身体を吹き飛ばして、床に転がす。
「うぁっっ……はぁ…はぁ」
「大丈夫か、悠人!?」
柳也は慌てて悠人のもとに駆け寄った。床に強く打ちつけた背中に手を回し、仰向けに抱き起こして小さく揺さぶる。息遣いは荒く、焦点も定まっていなかったが、幸いにして意識はあるようだった。
『……ん。だいじょうぶか』
アセリアが何事もなかったかのように問う。
悠人は言葉を紡ぐのも辛いようで、息も絶え絶えに掠れた声を吐き出した。
『ああ、ありが……とう、なんと、か』
『エスペリア、呼んでくる』
短く告げると、アセリアは食堂を出て行こうとする。
『アセリアッ!』
背を向けて歩き出す彼女の背中を、悠人は呼び止めた。
『ん?』
『剣のことは……エスペリアには言わないでくれ』
『ん』
素直に頷くと、アセリアは再び背を向けて食堂を出ていく。その足取りがいつもよりも素早いのは、悠人の身を案じてのことだろう。
気怠さにまかせて床に身を投げようとして、悠人はそこでようやく自分の身体を支える友の存在に気が付いた。
『大丈夫か、悠人?』
『柳也……あ、ああ。すまない。心配かけちまったな』
『そんな事はいい。それよりも……』
柳也は厳しい眼差しで腰の〈求め〉を睨んだ。
『また、〈求め〉が…?』
『ああ。前の時よりも、声が強くなっていた』
前の時というのは、おそらく初陣の時のことだろう。あの時点で〈求め〉はまだ覚醒したばかりで、十分な力を発揮できずにいた。あれから十日以上が経っている現在、〈求め〉の力は相当に回復しているはずだ。
柳也は悠人に何か言いかけようとして、口をつぐんだ。
柳也の耳膜を、慌てた足音が激しく打っていた。
自分と悠人の二人だけしか居なかった食堂に、新しい気配が二つ、入ってきた。
『ユートさま!大丈夫ですか!?』
『ああ……訓練ばかりで、ちょっと身体が参ってたみたいだ』
悠人は力ない笑みを口元に浮かべると、平然と言った。〈求め〉がもたらす、あの狂おしいほどの誘惑と破壊への衝動については、エスペリアも既に知っている。しかしそのことを、悠人はあえて伏せた。
そんな悠人の心情を思うと、柳也の表情も自然と翳りを帯びたものになってしまう。
――怖いんだろうな…エスペリアや、オルファたちが離れていくのが……。
右も左もわからぬ異世界で、自分達を助けてくれたエスペリア。悠人と柳也を仲間として受け入れてくれたアセリア、そしてオルファ。
せっかく築き上げた今の関係を壊したくないと切実に願う悠人の気持ちは、柳也にも痛いほど理解できる。逆の立場だったら、きっと自分も嘘をついていたに違いない。
『………………』
心配そうに、しかしやや疑わしげな視線を、エスペリアは悠人に向ける。
『本当にそれだけですか? アセリア? リュウヤさま?』
懐疑的な眼差しが、今度はアセリア、そして柳也に向けられる。
アセリアは相変わらず涼しげな顔のまま沈黙し、柳也もそれに習って肩を竦めるだけに留めた。下手に言葉で嘘をつくよりも、沈黙を守った方が時に効果的だということを、柳也は知っていた。
『とにかく無理だけはしないでください。剣の声にユートさまはまだ不慣れです』
二人からは有効な回答は得られないと悟ったか、エスペリアが視線を悠人に転じた。
『もし、お心が苦しい時は、私に何でもお申し付け下さいませ』
心の底から悠人のことを心配しているのだと、一目でわかるエスペリアの表情。
それが今は悠人のためだとわかっているとはいえ、柳也はなんだか彼女の誠意を裏切っているような気分がして、後ろめたい気持ちを覚えてしまう。
『ありがとう』
悠人は先ほどよりはやや活気を取り戻した笑みを浮かべて、エスペリアに礼を述べた。
しかし、どこか疲れきった様子のその笑顔を、柳也は複雑な眼差しで見つめていた。
◇
『…よっぽど疲れていたみたいだな。すぐに眠ったよ』
今の悠人をエスペリアたちと一緒にさせておくのは不味いと思い、念のため部屋に運んだ柳也は、ドアを閉めると廊下で待っていたエスペリアに言った。悠人を寝かしつけている間に自室へ戻ったか、廊下にアセリアの姿は見当たらない。
『そうですか…』
エスペリアはやや浮かない面持ちで悠人の部屋に続くドアを見つめる。その眼差しに不安の色が濃いのも無理はないだろう。板戸一枚を挟んだ向こう側で、悠人は眠りながらも苦しんでいるかもしれないのだ。
そんな彼女の様子に、柳也はこれから口にする自分の言葉を思って、僅かに表情を歪めた。
次に口にする問いが、エスペリアの心を深く傷つけてしまうことは明白だ。今の彼女に、そんな追い討ちをかけるような真似は、できることならばしたくない。
しかし、ここでエスペリアを問いたださなければ、次に質問の機会を得るのはいつになるかわからないのもまた事実だった。
柳也は覚悟を決めると、重い口を開いた。
『なぁ、エスペリア』
『はい』
『以前、〈求め〉に肉体を乗っ取られた悠人に言っていたよな。永遠神剣が、心を壊すことを知っている、って。もし、悠人が一度でも〈求め〉の誘惑に乗ったり、強制力に屈したりしたらあいつの心は……』
『…悠人さまの〈求め〉は強力です。敵を倒す力も、マナを求める本能も…。そして、契約者を乗っ取ろうとする、意志の力も。……申し上げている意味は、おわかりですね』
『……ああ』
柳也は苦渋に唇を噛んだ。
『あいつの心は、二度と戻ってこれない、か…』
『ですから、そうならないためにも、私が何とかしなくてはなりません』
『…どういう意味だ?』
『先ほど、私が言った言葉を、憶えていますか?』
『ああ』
……何でも申し付けくださいませ。
ただでさえ〈求め〉からの誘惑で疲弊しているはずの悠人を、まるで自ら誘うような甘美な響き。
柳也を見つめるエスペリアの表情が、すぅ…、と静かに変化する。
廊下を照らすエーテル灯は必要最低限の数しか点灯されておらず、薄く太陽の色に照らされたエスペリアの表情はまるで能面のようだった。感情らしい感情を一切剥離させた顔は、彼女の決意の証でもあった。
『〈求め〉は私たちの身体を欲しています。なら、少しでもその求めに応じて神剣の飢えを薄めてさしあげれば、ユートさまも剣の声に抵抗しやすくなるはずです』
エスペリアは能面のような表情を崩すことなく、また感情を殺したままの声できっぱりと言い切った。
柳也は間に縦皺を刻む黒々とした眉の下、大振りの双眸の端を厳しく吊り上げた。
『……それは言葉通りの意味と、解釈していいんだな?』
『はい』
エスペリアは迷いなく頷いた。
能面の表情には、いささかの動揺もない。
『それで、アセリアやオルファ、ユートさまご自身が傷つかずにすむのなら』
『…………』
『それでは、私も失礼します』
エスペリアは深々と腰を折ると、柳也に背中を向けた。
柳也は遠ざかっていく背中を見つめながら、誰とはなしに口を開いた。
『……俺の〈決意〉は、俺自身の決意だけじゃなく、俺の周りにいる人間の決意の程度も測定できる』
誰に向けたわけでもない柳也の言葉に、エスペリアが足を止める。
柳也は構わず続けた。
『エスペリアが、それだけの決意を固めているのなら、俺も覚悟を決めておこう』
柳也もエスペリアに背を向けた。一階に続く階段と、エスペリアの部屋とは反対方向にある。
柳也は自分の部屋へと向かって歩き出した。
廊下に、一人分の足音と、静かな、しかし強い決意を孕んだ男の声が、響いた。
『もし、悠人が〈求め〉によって心を壊されたとしたら……その時には、全力をもって、俺があいつを、斬る』
驚いたエスペリアが後ろを振り向いた時、柳也の背中は一階へと消えていった。
◇
――聖ヨト暦三三〇年、レユエの月、青、ひとつの日、昼。
バーンライトのスピリットによるラースの襲撃。
ラキオスの調査委員会によって明らかになったこの事実に、当事国のバーンライトは制御不能に陥ったスピリットの集団の暴走事故と説明。一貫して事件との無関係を主張し、ラキオスに対しては遺憾の意を表明した。賠償はなく、謝罪すら口にしない。また、なぜラキオスの国内にバーンライトのスピリットが潜伏していたかについては、説明すらされなかった。
バーンライトが嘘をついていることは衆目の一致するところであり、同国のこうした硬化した態度に対して、ラキオス国民は怒りに沸き立った。
まだ多くの国民は冷静さを保っていたが、リーザリオを取れ、リモドア山脈を利権を割譲させろなどと言い出す評論家や一部の官僚の声に押されて、憤激の声も増えていた。
そうした過激な国内世論に対して、同盟国のサルドバルトは全面的な賛意を示し、もし戦端を開くことがあれば物資の援助は惜しまないと公言した。反対に戦争の不拡大方針を望むイースペリアは、戦端を開くくらいならばとバーンライトに対して積極的にはたらきかけ、賠償金の捻出を求めた。
バーンライトの後見人であるダーツィは、バーンライトの主張を全面的に信頼するものとし、逆にラキオス国民の好戦的な性格を非難した。ラースを襲撃した部隊の中にはダーツィの外人部隊もいる。バーンライトが自国の非を認めた暁には、ダーツィにまで賠償請求の声が飛び火するため、同国は必死だった。さらにバーンライトとダーツィの親分の帝国は、不気味な沈黙を保っていた。
エスペリアやリリアナ、またダグラスからこうした国際情勢を耳にした柳也は、近い将来の開戦を覚悟した。
バーンライトの硬化した態度は、明らかに対ラキオス戦を覚悟している。
ラキオスは王政国家だが、国内の世論は開戦に傾きつつあるし、今回の事件がなくとも、両国の間には諍いのタネが事欠かない。
すでにラキオスとバーンライトの間にある緊張の糸は、極限まで張り詰めている。
あと一度、きっかけになるような出来事が起これば、二つの国はまず間違いなく開戦へと雪崩れ込むだろう。なにしろ、開戦に必要な条件が揃いすぎている。
その際に、先陣を切らされるのは自分達だとわかっていたから、柳也はこれまで以上に訓練に熱をあげた。
一方、軍事顧問としてバーンライトに派遣された外人部隊でも、事件後の訓練にはよりいっそうの熱が加わっていた。バーンライトに来てからというもの、もっぱら教官役を務めてばかりだった外人部隊が、徐々に自分達の訓練時間を増やしつつあるのを気付かぬ正規軍ではない。特に国境線に近いリーザオ駐屯のアイリスらは、いざ開戦となった時には真っ先に戦わされることになる部隊なので、訓練に注ぐ熱意は尋常ではなかった。
開戦の時は近い。
国際情勢に敏感な外人部隊の緊張が、正規軍にまで伝播するのに数日とかからなかった。
国際情勢が日々緊迫の度合いを強めていくそんな中、第三軍の司令部からアイリスとオディールが呼び出しを受けたのは、レユエの月に入ってすぐのことだった。
◇
バーンライト王国軍リーザリオ方面第三軍の司令トティラ・ゴートは猛将である。
聖ヨト暦三〇七年に逝去した前バーンライト王の時代から常に最前線のリーザリオで指揮を執り、幾度となく国境線沿いの小規模戦闘で自軍を勝利に導いた英雄でもあった。その基本的な戦術理念は“見敵必勝”の四文字で表せられ、その人間性は闘志の塊とも表現できる。身長一九〇センチ、体重一一〇キロの大男で、軍内のケカレナマ(レスリングのような競技)大会では、四度の優勝を果たしていた。
出頭命令を受けたアイリスとオディールは、最初第三軍の司令室の方に足を運んだが、そこにトティラはおらず、彼の秘書官に案内されて、将軍の執務室に通された。
トティラの執務室は、テニスコートを半分に割ったほどの面積があり、部屋の中央には卓球台を二回りは大きくした机が置かれていた。緊急の際には小会議室としての機能も有しているのだろう、会議の議長席に六十代始めの巨漢が腰かけている。
一九〇センチのトティラ将軍は、椅子に座っていてもなお大きい。
さらに岩石を削ったようないかつい顔立ちと、たっぷりたくわえた鐘馗髭が、この上ない威圧感を放っている。聖ヨト暦二六八年に生まれたトティラは今年で六二歳になる老兵だが、その闘魂はバーンライトの誰よりも強かった。
『アイリス・ブルースピリット、オディール・グリーンスピリット両名、出頭いたしました』
アイリスとオディールはダーツィ式に敬礼すると、トティラの顔を見つめた。
浅黒い肌のいかつい顔を見る眼差しには、黙っていてもなお伝わる畏敬の念が宿っている。猛将スア(岩)・トティラの異名は、バーンライトのみならずアイリス達の祖国でも有名だった。弱小バーンライトのスピリットを率いて、これまでラキオスと互角に戦い続けてきた猛将のことを、二人は心から尊敬していた。
一方、敬愛の眼差しを向ける二人とは対照的に、トティラ将軍は嫌悪感を露わにした目線をアイリスらに返した。
トティラは苛烈な猛将で知られると同時に、強烈な妖精差別者としても有名だった。妖精差別とは、文字通りスピリットを差別することである。ファンタズマゴリアの大部分の人々に浸透している考え方で、トティラはそうした人間達の中でも、スピリットに対して特に強い憎しみを持つ人間の一人だった。
できることなら、トティラはスピリットと同じ空気さえ吸いたくないと思っている。しかし、生まれた時代と軍人という職業が、トティラとスピリットを結び付けていた。
『ようやく来たか…まぁ、座れ』
テニスコートを半分に切ったような広々とした部屋に、トティラの声がよく響く。
アイリスとオディールは議長席から四つ離れた席に、向かい合う形で座った。トティラの命令に従いながら、妖精差別者の彼の機嫌を損ねぬぎりぎりの距離を選んだつもりだった。
しかし四つ分の距離ではまだ不満だったらしい。トティラは表情の険をさらに深めてから口火を切った。
『これから話す事はすべて第一級の機密事項だ。メモは取るな。そしてここで話す事は一切口外するな。然るべき時がくるまではな。貴様らは守秘義務宣誓下にいるものと思え。いいな?』
もっとも、スピリットに守秘義務はない。守秘義務とは人間の兵士に課せられるものであって、人間でないスピリットに対しては適応されない。
トティラはアイリスらの返事を待つことなく話を続けた。もともと気性の荒い、短気な性格なのだ。
『貴様らもラキオスの公式発表で知っていると思うが、特殊訓練部隊が全滅した。ラキオスの抗議に対して、わが国は事故を訴えて事件との無関係を主張している。…だが、特にアイリスはわかっていると思うが、この事故というのは嘘っぱちだ。特殊訓練部隊は非正式な作戦行動に従事して、敵の反撃に遭って壊滅した』
そこで一旦言葉を区切ると、トティラは机の上に置かれたコーヒーカップを口に運んだ。つい先ほど、アイリスたちを案内した彼の秘書官が淹れたものだ。無論、スピリットの二人にはコーヒーはおろか水も出されない。
眠気覚ましのためか、濃いコーヒーの香りが四つ分席を離したアイリスらのところまで漂ってくる。
トティラはカップを置くと、まだ公式には発表されていない作戦行動について、言葉を選びながら語った。
『その作戦行動だが、貴様らも薄々は勘付いていただろう、ラースで試験運用中の次世代小型エーテル変換装置の研究データを奪取することだった』
『研究データの奪取ですか? 施設の破壊ではなく?』
オディールが目を丸くして、当然の疑問を口にする。
エーテル技術先進国のラキオスと比較して、バーンライトのエーテル関連技術のレベルは基礎研究すらまともに進んでいない段階にある。その差を是正するためにも、敵国の技術資料を盗むことはともかくとして、施設の破壊を見送るとは…。
『上層部が下した決定だ。ラキオスの経済力をもってすれば、同じ規模の施設を再建するのに半年もかかるまい。そんなことに無駄な労力を使うよりは、研究データを奪ってわが国も同じものを作り、対抗した方が得策だ。……作戦を立案した情報部部長の言葉だ。戦争の何たるかも知らんくそったれが! ぺらぺらと口だけは達者に言いおって』
トティラは陰鬱に言った。
もともとラースへの襲撃の背景には大失敗を犯した情報部の、名誉挽回のための作戦という性格があったから無理もない。冷静に考えてみれば、エーテル技術の基礎研究すら不完全なバーンライトに、技術先進国であるラキオスの真似ができるはずないというのに。
純軍事的にみれば、敵国の半年もの技術停滞によって得られる利はかなり大きい。本気でバーンライトがラキオスとの技術格差の是正を狙うのであれば、研究データも奪取するべきだが、施設の破壊もするべきだった。それでなくとも、最初からリスクの大きい作戦だったのだから。
『陛下も陛下だ。あんな穴だらけの作戦計画を聞いて眉をひそめるどころか、奥方様の一言で実行を許可しおった』
トティラの怒りは、やがて作戦を立案した情報部の部長よりも、その作戦実行を許可した国王へと向けられていった。
一時はラキオスのすぐ手前まで領土を伸ばした先王と違って、現国王は武勇とは縁遠い性格をしている。政治家としての能力も高いとはいえず、打ち立てる政策ほとんどはむしろ王妃が立案し、それらを国王に実行させることの方が多かった。
その構図は、関ヶ原の合戦以降の豊臣家に似ている。
関ヶ原の合戦で石田三成が自滅した以降、僅か六五万石の一大名家となった豊臣家は、総大将こそ秀吉の息子・秀頼だったものの、その実権は秀頼の母・淀殿が握っていた。さらにその淀殿は、小姓上がりで秀頼の実際の父親と噂された大野治長に、一事が万事相談を持ちかけていた。
さしずめバーンライトでは、情報部の長官が大野治長といったところか。先の一件(ラキオス側からみたドラゴン・アタック作戦)で大失敗をしでかしたとはいえ、これまでの功績から王妃は情報部に対して全幅の信頼を寄せている。情報部長官には、ラフォス王妃の愛人という噂が、常に付き纏っていた。
――愚かな女め。名誉挽回のチャンスがかかっている情報部が、作戦に不利な情報を公開するはずがないではないか! それなのに作戦の内容もよく吟味せず、挙句の果てに我が軍の貴重な戦力を三十体近くも潰しやがった。
トティラは妖精差別者だが、軍の主力としてのスピリットは大切に思っている。兵力あってのスア・トティラ、トティラあってのバーンライト軍なのだ。
『…まぁ、終わってしまった事をとやかくいっても仕方あるまい。今日、貴様らを呼んだのは他でもない。貴様らのどちらかに、新しい特殊訓練部隊の……いや、もはやその名は相応しくないな。新たに設立する特殊作戦部隊の部隊長をやってもらうためだ』
『新しい特殊作戦部隊、ですか?』
アイリスが眉をひそめ、トティラが重々しく頷いた。
『特殊訓練部隊による先のラース襲撃は、ラキオスにあってわが国にない敵国の切り札を奪うためのものだった。…少なくとも、名目上はな。しかし作戦は知っての通り失敗し、わが軍はよく鍛えられたスピリット二個大隊規模を失い、さらにはダーツィ最強のレッドスピリットまで失った。わが国とラキオスのエーテル技術の優劣は変わらぬまま、な。
その上で開戦の機運が高まりつつある。両国間の国力差を埋めねばならん。わが国の上層部は、少しでもラキオスとの差を詰めるために、リクディウスの魔龍を討伐するための特殊作戦部隊二個大隊を、この第三軍に置くことを決めた』
『リクディウスの魔龍を、ですか?』
ダーツィ最強のブルースピリットが、思わず聞き返した。
リクディウスの魔龍の討伐に関しては、今までにも何度かラキオスから征伐隊が派遣され、失敗している。征伐隊の戦力はすべて一個大隊以上。つまり、龍一体でそれだけの戦力を壊滅させるほどの力を持っているということだ。
バーンライト軍上層部がこの決定を下す前にどれだけの日数を会議に費やしたかは知らないが、アイリスにはとても無謀な作戦にしか思えなかった。最悪、先の一件での消耗以上の犠牲を出しかねない。
『わたしが把握している現在のリーザリオの基幹戦力は、正規軍十九体、外人部隊十三体の計三十二体だったはず。小隊数は十二個。三個大隊で軍を構成しています。その中から二個大隊を捻出するなど、無謀に思えますが……』
『スピリット如きが上層部の作戦計画に口答えをするな! ……と、普段の儂なら言いたいところだがな。今回の作戦に限っては、儂も貴様らと同意見だ。
ラキオスの一個大隊で倒せない龍を、わが国の二個大隊でなら倒せると踏んだ上層部の思考が解らん。そこで調べてみると、やはりまた情報部のテコ入れがあったようだ。どうやら連中は三度目の正直を狙っているらしいな』
『…………』
『とはいえ、いくら作戦が無謀とわかっていても、従わねばならんのが軍人だ。貴様らのどちらかに、死んでもらうぞ』
『部隊長以外の人員については、すでに決まっているのですか?』
『いいや。何分、任務が任務だからな。公に志願者を募るわけにもいかん。それにリクディウスの魔龍を討とうと思ったら、わが国の場合はまずエルスサーオを突破せねばならん。連戦になる。特別、精強な奴らが必要だ。人事は慎重に行なわねばならん』
トティラはさらに二個大隊を送り出した後のリーザリオの防衛についても触れた。三個大隊のうちの二個大隊を分離させるとなると、単純に考えてその間のリーザリオの防衛力は三分の一になってしまう。
直情型で短気なトティラだが、その思考は決して短絡的ではない。いくら猛将といえど、勢いだけでは将軍は務まらない。
『龍退治は今までにも何度かラキオスが行なって、失敗している難事だ。任に就く者には当然最高の技量が求められる。そして、そうした最高の戦士をまとめあげられるのは、最強の戦士しかいない』
『トティラ将軍にお褒めいただくなど、畏れ多いです…』
『褒めているように聞こえたか? なら、儂も大した役者だな』
トティラは不快そうに鼻を鳴らすと、畏まる二人の顔を見比べた。
眉目秀麗の顔立ちを見れば、普通の男性は相好を崩すところだが、妖精差別者のトティラはそうではない。嫌悪の宿った目線を叩きつけ、不快に表情を歪めるだけだ。
『部隊の人員については貴様らに任せる。スピリットどもの力量については、儂よりも実際に訓練を受け持っている貴様らの方が詳しいだろう。ただし、魔龍討伐の目的についてはまだ誰にも言うな。表向きには、特殊訓練部隊の再建と偽れ。
それから、部隊長を務めなかった方は、特殊作戦部隊出撃後の防衛力維持のためにこちらに残ってもらうぞ』
アイリスとオディールは顔を見合わせた。
どちらの任に就くにしても、大変な困難を伴う大仕事だ。
かたや課せられた任務は伝説の魔龍を討伐すること。かたや課せられた任務は、今まで三個大隊で守っていた拠点を、一個大隊で守らねばならないという過酷なもの。なるほど、トティラ将軍が死ねというのもよく分かる。任務遂行と達成の困難さは、特殊訓練部隊の非ではない。
リーザリオに残る部隊も、今まで三個大隊で守っていたのを一個だけで戦わねばならぬわけだから、単純に考えて疲労は三倍。ローテーションが回るはずもない。そんなタイミングで攻め込まれたとしたら、いかにダーツィ最強の守り手、そして猛将トティラの能力でも、リーザリオを守り抜くことは困難かもしれない。もっとも、リーザリオに残る場合は必ずしも敵が攻めてくるとは限らないので、その意味では生還率は高いが。
どちらの選択肢を選んだとしても、最悪の未来に待っているのは自分の死、そして仲間の死だ。ならばその最悪の未来が起こる確率を少しでも減らすために、ベストな道を選ばねば。
しばしの間、視線だけの会話を続けた二人は、やがて同時にトティラ将軍を振り返った。
やや間を置いて、決然とした表情でオディールが口を開いた。
『先の一件でセーラ・レッドスピリット亡き今、アイリスはわが祖国の宝といっても過言ではありません。ここはわたしが特殊作戦部隊の指揮を執らせていただきましょう』
『貴国の宝を温存するつもりか?』
トティラが遠慮のない口調で言った。
バーンライトとダーツィの力関係を顧みれば、とても公の場ではできない発言だ。
オディールは少し困った表情で、
『いえ、決してそのようなことは…』
と、応じた。
その向かい側で、アイリスが口を開く。
『トティラ様、わたしたちはダーツィのスピリットですが、貴国のためにこの命を投げ打つ覚悟で参りました。今更、命が惜しいとは思いません』
『トティラ様、考え違いをなさらないでください。最前、申し上げましたようにアイリスはセーラ亡き今、ダーツィ最強のスピリットです。セーラの悲報が伝わって、外人部隊のみなは大なり小なり動揺しています。いずれアイリスには、それをまとめる役目が与えられるはず。…それがいつになるかはわかりませんが』
『アイリスはいつでも動かせるようリーザリオに置いておくべき、ということか』
トティラは腕を組んで少し考える。
たしかに、セーラ亡き今、各拠点に点在する外人部隊を纏め上げられる人材はアイリス・ブルースピリットしかいない。もしかすると彼女たちの本国からも、アイリスに対してその旨の要請があるやもしれない。
それにアイリスは一人で数個小隊分の活躍が期待できるアウステートだ。数の不利を補うためにも、ここはやはりアイリスをリーザリオに残しておいた方が得策か。
『よし、わかった』
トティラは重々しく頷いた。
『さっそく、隊員の選抜に当たれ。リクディウス山脈での行動を想定して、ラシード山脈での訓練の許可を得ている。山岳の多いラキオスに攻め込んだ時のためとでも偽って、訓練を行なえ』
『はっ』
二人のスピリットが同時に起立し、その場は解散となった。
<あとがき>
タハ乱暴「俺は、もう、駄目だーーーーー!」
北斗「……開始早々何をわけの分からんことを喋っているんだ、貴様は?」
柳也「察してあげてくださいよ。天然パーマの上に汗っかきな男だから、地球温暖化の影響をモロに受けてるんですって」
タハ乱暴「ぬぉおおお! 頭が重い〜。湿気がぁぁ、俺の髪を重くするぅ〜。ついでに足も重い〜」
北斗「……臑毛が湿気を吸ったか」
柳也「昔、西郷隆盛が宴会の席で臑毛を燃やしたっていう話がありますけど?」
北斗「よし、火をつけてやろう」
シュ……しゅぼっ(マッチを擦って火をつけた音)
タハ乱暴「や、やめろ! わが子ども達よ! 臑毛は俺にとってパワーの源だぞう? 俺の執筆ペースは臑毛の伸び具合によって変わるんだ。それを燃やすなんて……!?」
北斗「サムソンかお前は」
柳也「なんか生々しいなぁ……さて、読者の皆様、おはこんばんちはっす。永遠のアセリアAnother、EPISODE:16、お読みいただきありがとうございました!」
北斗「今回の話はどうだっただろうか? 前回に引き続き、〈求め〉の危険性が強調されるなど、おおむね原作のエピソードを再現した構成になっているが、楽しんでいただけただろうか?」
タハ乱暴「〈求め〉の意志と悠人の意志とのせめぎ合い、そして柳也との対立構造などを稚拙な文章から感じていただけたなら作者としては幸いです。
そしてそして、今回の見せ場はなんといっても柳也のパパラッチ!」
柳也「……なぁ、俺って回を重ねるごとにどんどん駄目人間化してないか?」
タハ乱暴「うん。してるねぇ」
柳也「うわっ! あっさり認めやがった!」
北斗「神聖なる直心影流の奥儀絶技をあんなことのために使うとは……見損なったぞ桜坂柳也!」
タハ乱暴「現代世界ではその隠密の技術を駆使して女風呂を覗いたり覗かなかったり……」
柳也「駄目人間どころか犯罪者じゃないか!?」
瞬「僕はこんなのと親友という設定にされたのか」
悠人「同情するぜ、瞬」
柳也「OH! まい・ふれんづ、そんな冷たい眼差しで俺を見ないでくれー!」
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北斗「ところで見せ場といえばもう一つ、今回の話で有限世界に名前が付いたな?」
タハ乱暴「ファンタズマゴリアね。アレは原作のエピソードをそのまま再現してみたつもりなんだけど、あの場面、実は柳也を動かすのが辛かった」
北斗「ほう?」
タハ乱暴「ほら、アセリアって物語が完成され尽くされている部分があるじゃないか? 今回、あのシーンを再現するにあたってゲームをやり直してみたんだけど、なんというか、あのシーン、オリキャラを動かすだけの余地がない。すでに完成された感のあるシーンだから、迂闊にオリキャラ動かすと雰囲気ぶち壊しになってしまう」
北斗「なるほど」
タハ乱暴「本当はスピたんの関係もあるから、柳也にはあの空飛ぶ島々について喋らせたかったんだけどね。無理でした。もし万が一、伏線を期待していた読者の方には申し訳ありません」
北斗「そうか。さて、そろそろ良い感じに紙幅も埋まってきたことだし、ここいらでお開きにしようか」
タハ乱暴「そだね。……改めまして読者の皆様、永遠のアセリアAnother EPISODE:16、お読みいただきありがとうございました!」
柳也「次回もまた会おうぜ!」
北斗「こら、犯罪者の分際で締めに顔を出すな」
柳也「ひ、ひどい。俺、主人公なのに犯罪者扱い……」
柳也に関しては……まあ、こっちの世界、ファンタズマゴリアとハイペリアでは法律が違うさ、きっと。
と言って慰めを入れつつ。やっぱり求めの力はかなり強いみたいだな。
美姫 「このまま求めに負けてBADに突き進むと言う展開も!?」
いやいや、それは流石に……どうなんでしょう。
美姫 「先の展開は兎も角、互いに国境付近は緊迫してきているんじゃないかしら」
だろうな。柳也以外にも当然ながら開戦の可能性を感じている者はいるだろうし。
いやー、益々次の展開が楽しみに。
美姫 「次回も楽しみに待っていますね」
待ってます!