――聖ヨト暦三三〇年、アソクの月、緑、よっつの日、昼。
ラキオス王国の主要産業の一つである林業を支えるリュケイレムの森は、一部こそ人の手によって植林がなされているとはいえ、その大部分は野生の原生林が縦横無尽に茂る深い森だ。
ラキオスに古くから伝わる伝承によれば、偉大なる聖ヨト王国の建国よりもはるかな昔、北方の祖先達はこの森からの自然の恵みを受け、欲を出し、すべての天然資源を独占しようとする者が現れて、争いを起こしたという。いくつもの部族と集落が戦いの中で一つに溶け合い、それが現在のラキオス、さらには聖ヨト王国の礎を築いたといわれている。
そんな多くの先達の血が染みついた土の上を、ザッザッ、と僅かに土煙を巻き起こしながら、時速六十キロという高速の足音が三つ、疾駆していた。
揃いの戦闘服を身に纏った、いずれ劣らぬ美少女達だ。両手にはそれぞれ形状が微妙に異なる抜き身の槍を下段に構えている。長柄の武器を手にしているというのに、誰一人として息を乱していない。日々の修練の程を感じさせる、呼吸法を身につけた者達と見受けられた。
クリスティーヌ・グリーンスピリットは五体に宿る神剣の力に突き動かされるように、藪の中の獣道をひた走っていた。クリスの背後では、彼女と同じグリーンスピリットの少女が二名、その後ろ姿を追い、等間隔に縦列を作っている。クリスは三人小隊の小隊長で、主に前衛を担当していた。まだ十五歳と幼い顔立ちの娘だが、先頭を走るその所作に隙はなく、後続の二人を先導する足運びは毅然として迷いがない。
クリス達はバーンライトの特殊訓練部隊に所属するスピリットだった。ラキオス国内に潜入を果たしたのは四ヶ月ほど前。一ヶ月に一度実施される訓練兵のラキオスへの移送作戦の第三陣で国内への潜伏に成功した。当初十名いた第三陣の訓練兵は、過酷な特殊訓練と偵察任務の中で四人にまで減少し、残る一人も、今回の作戦の初期の段階で消滅してしまったため、今やクリス達三名は、第三陣訓練兵の最後の生き残りとなってしまった。
敵国内での訓練と偵察任務に明け暮れていた特殊訓練部隊に、ラースへの襲撃が命令されたのは二日前のことだった。多くのスピリットが本国バーンライトから最も遠いラースへの襲撃に疑問を感じていたが、狙いが新型の小型エーテル変換施設にあるとわかると、以後の行動は迅速かつ正確だった。クリス達は襲撃開始からわずか三十分でラースの防衛部隊を殲滅すると、軍団を二つに分けた。特殊訓練部隊は、教官役のダーツィの外人部隊も含めて基幹戦力二十八名。うち九名をラースに残し、残る十九名は返す刃でラースの奪回に派遣されてくるであろう敵部隊の迎撃へと向かった。クリス達三名は、そのうち後者の迎撃部隊に組み込まれた。また、後続の敵部隊にはラキオス最強の“蒼い牙”の投入が予想され、これに対抗するべく、特殊訓練部隊最強のセーラ・レッドスピリットも迎撃部隊に組み込まれた。
クリスは此度の戦に微塵の不安も感じなかった。
たしかに、敵部隊の中にラキオスの蒼い牙だけでなく伝説のエトランジェまで加わっていたと聞いた時には驚いたものだが、それは不安という感情にまで結びつくほどの驚愕ではなかった。
なんといっても、こちらにはダーツィのナンバー2・セーラ・レッドスピリットがいる。
事実、ラキオスの蒼い牙も、伝説のエトランジェも、セーラの敵ではなかった。
先行したセーラの報告によれば、敵は青一名、緑一名、赤一名、そしてエトランジェが二名の計五名。
エトランジェが二名も参戦していることには二重の驚きを覚えたが、実際に戦っていたのは一人だけだったという。おそらく、二名のエトランジェのうち片方は、一人が倒された際の交代要員なのだろう。
神剣を使えないもう一人のエトランジェは今のところ他の四人の足を引っ張るだけで、何の役にも立っていない。ラキオスの蒼い牙も、細身の刀剣型の永遠神剣――おそらく、これが伝説の〈求め〉だろう――を手にしたエトランジェも、セーラとの戦闘の際はこのエトランジェを守るので必死だったそうだ。
結果、セーラは防御の要であり、敵の司令塔らしいグリーンスピリットに傷に負わせる事に成功した。
途中、仲間の危機に加勢したエトランジェの魔法――なんでも、上位神剣魔法並みの炸裂音と閃光が走ったにも拘らずダメージのない不思議な魔法だったそうだ――に邪魔をされてトドメを刺すまでにいたらなかったが、相当なダメージを与えてきたという。
戦闘を終えたセーラは、
『あの程度ならば私が相手をするまでもない』
と、クリスらに後のことを任せ、自らはラースへと戻った。
責任感の強いセーラにしては珍しいことだ。おそらく、エトランジェ打倒の大金星を自分達に挙げさせようというのだろう。
あくまで正規軍を補佐する外人部隊という立場を崩すことなく、教え子を立てようとするセーラの心遣いに、クリス達は感激した。
この時点で迎撃部隊の戦力は当初の三分の一の六名。クリス達は戦力を二手に分け、挟撃でこれを殲滅することにした。
幸いにして敵は傷ついた仲間を気遣ってか、セーラが襲撃したその地点からまったく動いていない。甘い連中だ。戦場で見方が傷つくことなど普通の出来事だろうに。それなのにいちいち立ち止まって休息を挟むなど、それでは行軍そのものに差し障りが出てしまうではないか。
――楽勝だ。我々に敵うはずがない。
クリスは明らかな侮蔑の笑みを口元に浮かべた。
敵は負傷したグリーンスピリットと役立たずのエトランジェを含め五名。しかも、仲間が傷を負っただけでいちいち進軍をストップさせるような甘い連中だ。
ラキオスの蒼い牙も、噂ほどの実力者ではないらしい。そもそも、噂とは通常、誇張されて伝わるものではなかったか。だとすると、神剣を扱える方のエトランジェも、大した実力を持たないに違いない。
セーラからは傷を負ったグリーンスピリットとエトランジェの二人を撃破した時点で、その場から素早く離脱することを勧められていた。この二人を倒した時点で、すでに敵の戦力は半減している。残る三人だけではラースの奪回は不可能だ。ラキオスのスピリット部隊は、泣く泣く首都に引き返していくしかない。
しかしクリス達は、この二人を倒しただけでラースへと戻るつもりはなかった。クリス達六名の目指すところは、あくまでも敵の全滅だった。
クリスは己の技術と神剣の力に絶対の自信を抱いていた。もともと自分は最も危険な特殊訓練部隊に選ばれるほどのエリートである。また、ダーツィ最強のスピリット達によって鍛えられた今の実力は、精強なラキオスのスピリットに引けを取りはしないという自負があった。伝説のエトランジェ、なにするものぞ、とすら思っていた。
絡み合う枝と枝の隙間を縫って差す穏やかに木漏れ日の下、抜き身の神槍が剣呑な輝きを放っている。
先頭をひた走る少女の足が、不意に止まった。
前方から巨大なマナの波動。氷結した湖面のように澄んだ青マナの殺意と、これまでに感じたことのない種類の、どこまでも暴力的なマナの放つ敵意が、物凄い速さでこちらへと迫ってくる。
どうやら敵もこちらの接近に気付いたらしい。気配は二つ。負傷した仲間を守るためか、敵も戦力を二手に分けたようだ。
感じられるマナの波動から、おそらくクリス達の方に向かってきているのは、件の蒼い牙とエトランジェだろう。
クリスは口元に勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
敵は決定的な戦術のミスを犯した。仲間を守るために戦力を分散するのは仕方ないとして、グリーンスピリットが三体も揃っている自分達の小隊に、ブルースピリットとエトランジェを投入するなど愚策以外の何でもない。
いくらブルースピリットの攻撃力が高いといっても、それはグリーンスピリット三体の防御を突破できるほどではないはずだ。むしろここはラキオスの蒼い牙とレッドスピリットを組ませてぶつけてくるべきだろう。残念ながらクリスを始め、緑のスピリットは往々にして赤のスピリットの神剣魔法にめっぽう弱い。仮に神剣魔法を凌いだとしても、火炎に焼かれて弱りきった身体では、青のスピリットが放つ強烈な一撃に耐えることは難しいだろう。しかも、青のスピリットにはこちらの補助魔法や、回復魔法を阻害する消滅魔法がある。青と赤のスピリットの組み合わせというのは、クリスら緑のスピリットにとってまさに天敵なのだ。
グリーンスピリットで防御を固めた部隊に対して、青と赤のスピリットを主力にして攻めるのは戦術の常道だ。
それを踏まえず、いたずらに強力なエトランジェと蒼い牙を組ませただけの敵の指揮官は、クリスからしてみれば大馬鹿者としか形容のしようがない。あるいは、常識に囚われない天才の発想か。
『縦列を解いて横一列に警戒態勢』
クリスは槍を中段に構えると、背後の二人に素早く指示を下した。
本国での通常任務に従事していた頃からの付き合いになる仲間達は、装飾を一切廃した言葉からも、正確にクリスの意図を汲み取ってくれる。
はたして、それ以上の指示命令は不要だった。
クリスを両側から挟むように、ずいっ、と進み、槍を中段に構えた部下達は、それぞれ前面に大地のマナを集約させた。
アキュレイド・ブロック。大気中のマナを高密度に凝縮した生命の盾。緑マナが充実した環境であれば、ブルースピリットの必殺の一撃すらも通さぬ強靭な防御壁を、クリスはさらに己の神剣魔法で強化してやる。
最初の一撃は敵に取らせ、第一撃を防いだ後、攻撃直後の隙を衝いてカウンターを狙う。
頭の中に描いた作戦計画を、より完璧なものへと仕上げるために、部下達の防御を強化した後、クリスは己自身もまた原始生命力の盾を前方へと張り巡らした。複数のグリーンスピリットが織り成す大地の盾は、この世界で最強の防御の一つだ。三体分のマナともなれば、状況によってはレッドスピリットの神剣魔法だって防ぐことが可能なはず。
『来るぞッ!』
クリスは槍を握り直した。
茂みの中から、勢いよく二つの影が飛び出してきた。
一人は天使とまごうばかりの純白の翼をはためかせ、剣を握る水の妖精。
そしてもう一人は、到底、剣とは呼べぬような無骨な外観の鉄塊を固く握り、剣術の基本も何もなく、遮二無二、ただ勢いにまかせて突っ込んでくる若い男。
はて、セーラからの情報によれば、交戦したエトランジェの持つ〈求め〉は片刃で細身の刀剣のはず。あの若い男が手にしている武器は、いったい何なのだろう。見たところ永遠神剣であることに間違いないようだが。
クリスが動揺したのは、ほんの一瞬だった。
この半年間の特殊訓練で自分を律するためのあらゆる術を叩き込まれた彼女は、すぐに平静を取り戻した。
先行したセーラの情報が間違っていようと、あの若いエトランジェの神剣の形状がいかなるものあろうと、そんなことは今から自分達の取る行動には関係ない。
クリス達はアキュレイド・ブロックを展開した。
先行するブルースピリット……“ラキオスの蒼い牙”の二つ名を持つ妖精が、まず上段に斬り込んでくる。
青色の光線が風の力を纏った大地の盾にぶつかり、金色の火花が散った。
防壁を通して伝わってくる、ビリビリ、としたマナの振動。
ちょっとでも気を抜けばすぐに防御を突破されてしまいそうな圧倒的なその衝撃は、さすがラキオスの蒼い牙と認めざるをえない。
“牙”は、一撃を加えるやすぐに空中へと離脱した。
攻撃直後のカウンターを警戒してか、すかさず自分達の攻撃が届かない宙へと逃げたその判断と、行動までにかかった時間は実に迅速で、正確だ。
クリスは複雑な笑みを浮かべた。なんとなく誇らしい気持ちと、怖ろしい気持ちが同居した複雑な表情になってしまうのも、無理もない。
やはりラキオスの蒼い牙の名は伊達ではない。グリーンスピリット三体分の防御を、こうも動揺させるとは……しかし、こちらの盾もまだ消滅してはいない。自分達の盾は、あの蒼い牙の一撃に、耐えてみせたのだ。
――いける。これならいけるぞ!
クリスは目線を空中の妖精から大地を走るエトランジェへと向けた。
次こそはいける。あのエトランジェは剣の握りからして素人くさい。おそらく実戦はこれが初めてで、訓練もろくに受けていないに違いない。この程度の相手ならば、次こそは敵の第一撃を受け止め、カウンターを叩き込めるはずだ。
駈けてくる敵との距離が、みるみる縮まっていく。
エトランジェは神剣を上段に振り上げると、真っ向から振り下ろした。身体能力にまかせての、重い振り下ろしだ。
クリスは口元に蔑みの冷笑を浮かべた。
上段からの打ち込みが大振りになるのは仕方がない。しかし、それにしたってもっとやり方というものがあるだろう。あれでは胴ががら空きだ。
クリスはアキュレイド・ブロックのマナ構成密度を限界まで高めた。
凝縮されたマナの盾に、敵の神剣の切っ先が触れる。
信じられない光景が、クリスの目の前で展開した。
ラキオスの蒼い牙の攻撃にも耐えた大地の盾が、まるで役に立たない。強引に力任せに断ち切られ、集束したマナは一瞬にして霧散してしまった。
のみならず、精霊光を宿した刀身はシールドを断ち切ってなお、少しの勢いも削がれることなく、クリスの脳天へと襲来した。
まばゆいオーラフォトンの輝きが、クリスの視界を埋めつくす。
クリスは、悲鳴を上げる暇すら与えられなかった。
永遠のアセリア
-The Spirit of Eternity Sword Another-
第一章「有限世界の妖精たち」
Episode14「その男の刃」
――同日、昼。
東西から二部隊による挟撃を仕掛けてきた敵に対して、柳也達は戦力を二手に分散して迎撃することにした。
東から攻めてくる三体の緑のスピリットに対しては悠人とアセリアが、西側からの青、赤、緑の三体には柳也とオルファのペアが対応し、消耗しているエスペリアにこれ以上の被害が及ばぬよう、迎撃は積極的にこちらから打って出ることになった。
この組分けは、消耗したエスペリアから一時的に指揮権を託された柳也の発案によるものだ。
通常、敵との相性を考えるなら、ここは悠人とオルファを組ませて、東側の三体にぶつけるのがセオリーだろう。しかし、実戦経験のまったくない悠人と、幼いオルファを組ませるのはむしろ危険と判断した柳也は、悠人を経験豊富なアセリアと組ませて、東側の部隊に当たらせることにした。オルファはエスペリアや自分でないと行動が制御できない可能性がある。また、青、赤、緑と、それぞれ特徴の異なるスピリットが揃った西側の混成部隊を相手にするのは、初陣の悠人には辛いだろうと思っての、判断だった。
柳也は同田貫を正眼に構えるや足の開きを肩幅に、自然体に取った。
向かい合う敵のグリーンスピリットは、十二世紀から十六世紀の間にヨーロッパでその運用が確認される、グレイヴに似た神剣を下段に構え、付け入る隙を窺っている。
すでに柳也の足下には、半身を黄金の霧へと変えつつあるレッドスピリットの骸が一つ、転がっていた。
袈裟に振り下ろされた刀傷から一気に昇り出す黄金色の粒子が、カーテンのように二人の間を隔てている。
柳也の背後では、自分の身の丈よりも巨大な双剣を巧みに振るい、オルファがブルースピリットと戦っていた。どちらも一進一退の攻防を続けているが、基本的な防御力に劣る上、必殺の神剣魔法を消滅魔法によって封じられているオルファの不利は否めない。
金色の霧の噴出が止まった。
柳也は、己の五体に新たな活力が漲るのを実感した。
彼は絶妙な力加減で握る漆柄の手元を、僅かに動かした。
手元に生じた隙を好機とみたか、グレイヴを地擦りにグリーンスピリットが突進した。
獲物を狙って鎌首を持ち上げる蛇のように、柳也の腰の辺りまで持ち上がったグレイヴの刀身が、鋭角に肥後の豪剣を保持する両手を切り落としにかかる。
もともとグレイヴは長柄の武器の中でも異質な、斬撃のための武具だ。リリアナ・ヨゴウ愛用のファルシオンのように重心バランスに優れた形状の刀身は、切断能力に優れている。
はたして、柳也は漆柄の握り直しも素早く、襲いかかる毒蛇の頭を両断した。
穂先の部分から六センチほど下の部分で、すぱっ、と切り落とされた永遠神剣のダメージは、直接その契約者にも伝わった。生まれたその瞬間から永遠神剣とともにあるスピリットにとって、神剣は己の分身も同然だ。神剣が傷つけばその主も傷つくし、神剣が破壊されれば、それはすなわちスピリット自身の死を意味する。
遅速。
柳也はすかさず敵の左側面に回り込むや、肥後の豪剣で背中を斬りつけた。
もはや戦闘能力を失った相手の背後を取ることには少なからぬ抵抗があったが、真剣勝負の中での戦術だ。敵の背後を取ったと誇りこそすれ、恥ずべきところは何もない。
刃を背中に叩きつけ、引き抜く柳也の太刀筋に迷いはなかった。
しかし、柳也の刃は止められた。土壇場の底力か、高密度のマナの盾が、まるで亀の甲羅のように瀕死のグリーンスピリットの背中を覆っていた。
二度、三度と手首を捻り、柳也は斬撃を放つが、それらはすべて大地の生命力によって阻まれてしまう。
反撃はない。もはや相手は反撃のための余力を残していない。
しかし、防御に長けるグリーンスピリットとしての意地か、それとも仲間を想う執念か、死を目前にしてアキュレイド・ブロックの強度は、いささかも衰えなかった。
やがてグリーンスピリットの身体から、黄金の霧が立ち昇り始める。
柳也は裂帛の気合とともに豪剣を上段から振り下ろした。
一日二千本の振り棒稽古で鍛え抜いた必殺の一撃が、ついに敵の防御を突破し、かろうじて火を灯すグリーンスピリットの命の蝋燭を、根元から断った。
緑の髪の少女の四肢から、ガクリ、と力が抜ける。
柳也は未だ不利な戦いを強いられているオルファへと目線をやった。
果敢にオルファが攻め込んでいるも、ブルースピリットの張る水の障壁に阻まれて、決定打を与えられないでいる。
一方、敵は間断なく襲い掛かるオルファの攻撃に反撃の機会を得られず、好機を待って防御一辺倒に専念している。
このまま戦っていれば、いずれ動きの激しいオルファのスタミナが先に尽き、その瞬間を敵に衝かれてしまう。
柳也は肥後の豪剣二尺四寸七分を八双に構えると、己の存在を誇示するように咆哮しつつ突進した。
柳也の突撃に気付いたブルースピリットが、慌ててそちらに刃を向ける。ショート・ソードタイプの永遠神剣。片手持ちの武器だが、相手にとって不足はない。
グリーンスピリットほど防御に長けていないブルースピリットは、二方向からの攻撃に対して同時にシールドを張ることができない。別方向からくる攻撃に対しては、自らの剣技を駆使して防御するしかない。
柳也は大きく地面を蹴った。
跳躍とともに身を翻し、回転の遠心力を上乗せした刀勢で袈裟に振り抜く。
戦いの最中に突如として背を向けられた相手は、一瞬、きょとん、として、次の瞬間、強烈な一撃を肩口に浴び、悲鳴をあげた。致命傷ではない。防御には失敗したとはいえ、柳也に対して向けていた剣の存在が、刀傷がそれ以上深く刻まれるのを防いでいた。
『オルファッ!』
甲高い悲鳴がつんざく中、刃のように研ぎ澄ました柳也の声が、オルファの耳の奥に、すぅっ、と入った。
『うん!』
オルファは勢いよく頷くと、水の壁を蹴った。
小さな足をいっぱいに伸ばして放った蹴りは弾かれ、小柄な身体は大きく後ろに跳梁する。
後退しながら、少女は愛らしいその唇から炎の言葉を紡いだ。敵にかざした〈理念〉を中心に、円形の魔法陣が浮かび上がる。
『マナの支配者である神剣の主として命ずる。その姿を火のつぶてに変え、敵を焼く尽くせ!』
すかさず柳也も大きく後退した。巻き添えを喰らってはたまらない。
『ファイアボルトッ!』
やがて詠唱が完了し、魔法陣の奥から、炎のつぶてが十幾つ、高速で飛び出した。
ゴルフボールか、ピンポン玉くらいの大きさの火球がブルースピリットに殺到し、敵を焼き尽くす。
巻き添えに対する不安は杞憂だった。オルファの狙いは正確だ。神剣魔法の火が、森に飛び火することはない。幼い容姿に見えて、やはりオルファも立派なレッドスピリットなのだ。神剣魔法の扱いに関しては、その威力・精度ともに高いレベルにある。その実力を一〇〇パーセント発揮できる状況を作ってやれば、オルファは強力な戦力になる。
炎のつぶてに貫かれ、あるいは内から身を焼かれた敵は、断末魔の絶叫を漏らしながら、金色の霧へと化していく。
そこに素早く駆け込むオルファ。彼女もまた、〈理念〉の声に従ってか、敵から解放されたマナを啜った。
◇
西側の三対を撃破した柳也とオルファがエスペリアのもとへ戻った時、すでにそこでは悠人とアセリアが肩を並べていた。
『二人とも早かったな』
柳也は悠人の姿を頭の上から足のつま先まで舐めるように見回して、友人に目立った怪我がないことを確認すると、安堵とともに言った。
『緑が三体ってことでもうちょっと時間がかかると思ったが…』
『アセリアのおかげさ』
悠人は無表情に待機しているアセリアを見て言った。
『アセリアが敵の補助魔法や回復魔法を封じてくれたから、そんなに時間はかからなかったよ』
『それでも、グリーンスピリットの防御は強力だと思うが』
『そうか? 大体、一撃で倒せたけど…』
『一撃で?』
柳也は訝しげな声を上げた。
悠人の言葉を疑うわけではなかったが、一応、念のため同行したアセリアにも確認する。
『本当なのか、アセリア?』
『……ん』
いつものように、無表情で頷くアセリア。
柳也は思わず唸った。
自分でも二度三度と斬りつけ、技巧の限りを尽くしてようやく破った大地の盾を、悠人は強引な力技で、それもたった一度で破ったというのか。
『…凄いな』
柳也は友人の手の中で鈍い光を放つ無骨な神剣を見ると、感嘆の吐息を漏らした。
改めて、第四位の神剣が持つ力の強さに驚かされる。自分やアセリア達の持つ第七位以下の神剣とは、文字通り別格の威力だ。
【主よ…この剣は危険だ】
頭の中に、〈決意〉の、いつもの落ち着いた調子と違って、震えた声のイメージが鳴り響く。
〈求め〉が目覚める以前から、また目覚めてからも、変わらずに悠人の神剣に対して怯えを隠さない相棒は、切実に訴えた。
【この剣はいずれ我らに破滅をもたらす。今のうちに破壊せよ】
――馬鹿を言うな。
〈決意〉の、提案というよりはむしろ懇願に近い訴えを、柳也は一蹴した。
――悠人は俺の友達だぞ? 俺は、友に向けるような剣は持ち合わせていない。
己の剣は大切なものを守るための剣。己の力は大切なものを守るための力。今は亡き父と母の墓前で、柳也はそう誓った。
〈決意〉やエスペリアほどではないとはいえ、柳也も強すぎる〈求め〉の力に対して、危険を感じていないわけではない。
必要以上に強すぎる力は、ほんの少し使い方を間違えただけで容易く悲劇を起こしてしまう。祖国を守るために製造されたカラシニコフ小銃は、世界のあらゆる紛争地帯で今日も誰かの血を啜っている。より多くの命を守るために作ったはずの核兵器は、さらに多くの人々を恐怖のどん底へと叩き落した。
自分達の持つ永遠神剣もまた強すぎる力の一つだ。
特に第四位の神剣ともなれば、敵を屠るための威力もさることながら、契約者に語りかける意志そのものもまた強力だろう。下手をすれば、神剣の意志に肉体を乗っ取られてしまうような危険すら孕んでいる。
〈求め〉の意志がいかなるものなのか、いったい何を考えているのか、契約者でない柳也にはわからない。しかし、仮に〈求め〉が剣の本能に忠実な性格で、悠人がその意向を無視するような行動を取った場合には、〈求め〉は是が非でも悠人に自分の意志を強要しようとするだろう。その強制力に悠人の意志が屈した時、友人の体は、もはや友人のものではなくなっている。
しかしそんな危険は、他ならぬ悠人自身がいちばんよく理解しているはずだ。しかし悠人はそれでも、危険を承知で、その手に剣を取ったのだ。
――俺だって〈求め〉の力を完全に信用しているわけじゃない。けど、〈求め〉を使うことは悠人自身が決めたことだ。俺はあいつの意志を尊重してやりたい。
柳也は悠人に目線を向けた。
だいぶ顔色も良くなってきたエスペリアに話しかける友人の手には、今も抜き身の神剣が握られている。
強すぎる力。危険だが、今は必要なその力。悠人は大切な人を守るために、リスクは承知の上でその力を手に取った。
――悠人は俺と一緒だ。瞬を守るために、お前と契約を交わした、あの時の俺とな。…もっとも、俺の場合は、悠人の時ほどリスクはなかったみたいだが。
幸か不幸か、自分の相棒は、力は弱いが自我の強さもそれほどではない第七位の神剣だった。少なくとも〈決意〉が己の肉体を乗っ取るなどの事態は考えにくい。それに柳也は、〈決意〉のことを心から信頼していた。
――お前が相棒で良かったと思っているよ。少なくとも、自分が自分でなくなることに、いつもビクビク怯える心配だけはしなくてすむ。
【……我もだ、主よ。…やれやれ、主がそこまで言うのでは、我はもう何も言えんではないか】
〈決意〉がどこか諦めたような、しかしどこか嬉しそうな声のイメージを送ってきた。
【しかし、いかなる時も決して油断するではないぞ、主よ。あの剣の力が危険であることに変わりはない。あれは、我らにとって破滅をもたらす剣だ】
――破滅…ってのは言いすぎだと思うけどな。けど、忠告はありがたく受け取っておくぜ。
柳也はひとり頷くと、ようやく立ち上がれるまでに回復したエスペリアに声をかけた。
『なんとか歩けそうか?』
『はい。少し休んで、だいぶ良くなりましたので』
『無理はするなよ』
悠人がエスペリアに労わりの眼差しを向ける。
『俺だってもう戦えるんだ。エスペリアが辛いようなら、戦いは俺達に任せたって…』
『いいえ』
悠人の言葉に、エスペリアは首を横に振った。
決然とした意志を宿した緑の瞳が、悠人と柳也の顔を交互に見回した。
『私も戦います。ユートさまたちの剣となり、盾となる。それが私の務めなのですから』
『…まぁ、今はもうその件に関しては何も言わないが、悠人の言う通り、絶対に無理だけはするなよ』
柳也の言葉は、エスペリアだけでなく、自分も含めた全員に対する言葉だった。
『特に悠人、いくら戦えるようになったといっても、お前はまだこれが初陣なんだから、無茶な戦いは絶対にするな』
『…わかってるよ』
悠人は不満そうな表情で、しぶしぶ頷いた。
どうやら悠人は、神剣の力を扱えるようになったことで、少し自信過剰になっているようだ。永遠神剣のもたらす力の恩恵には凄まじいものがあるから無理もないが、柳也としては先の〈決意〉の言葉もあって、少し心配になってしまう。
柳也は目線をエスペリアに戻した。
『エスペリアも動けるようになったし、部隊の指揮権は元に…』
『お待ち下さい』
柳也の言葉を遮るように、エスペリアがきっぱりとした口調で口を開いた。
『私はまだこんな身体ですし、ここは部隊の指揮をリュウヤさまにお任せしたいと思います』
『…俺に?』
『はい』
静々と頷くエスペリアに、柳也は驚いた表情を浮かべた。
はて、一見したところエスペリアは部隊の指揮が執れぬほど消耗しているようには見えない。彼女の言う“こんな身体”とは、神剣を構え、いつでも進軍を再開できる体力のことを言うのだろうか。
柳也はエスペリアの顔を、じっ、と見つめた。
少年剣士の射るような眼差しを、エスペリアは真正面から受け止めた。
緑色に輝く幻想の瞳からは、柳也の次の発言がいかなるものなのか、一字一句聞き漏らすまいとする彼女の意志の強さが窺えた。
――試しているのか、俺のことを…?
有限世界の軍事的常識では、その国に戦闘可能なエトランジェがいる場合は、原則としてその人物がスピリット隊の指揮を執ることになっている。エトランジェはこの世界の人間ほどではないが、スピリットよりはより人間に近いとされているからだ。生まれによる差別と区別が当たり前の有限世界では、たとえ軍隊であっても、能力ではなく出身階級によって役職が決まることが多い。
その立場は、現代世界の軍隊に照らし合わせれば、小隊以上を指揮する下級将校といったところか。
一般に軍隊で最もやり甲斐のある職務は、師団長と中隊長といわれる。軍隊の編成というのは多くの場合例外だらけだが、一般に師団長は少将以上の将官が務め、中隊長は大尉・中尉といった尉官……つまり、下級将校が務める。
この二つの役職の最大の違いは、与えられた肩書きに集中する権力の度合いを別とすれば、前者が実際には後方から指揮を執る場合が多いのに対し、後者はほとんどの場合、前線か、その付近で指揮を執らねばならないということだ。
中隊長を始めとする第一線の指揮官達には、最前線で敵と直面しているだけに、状況判断や決断は待ったなしの、即決即断を常に求められている。これに対し師団長は、基本的にその師団の司令部に腰を落ち着けていられるから、決断を下すまでに時間的な猶予が与えられる。
また、最前線で指揮を執らねばならない中隊長クラスでは、時には自身が戦闘に参加しなければならないケースが多々ある。しかし、後方にいる師団長が、戦闘に参加せねばならないような事態が起こりうる可能性は極めて少ない。そのため現実の師団長の中には、護身用の拳銃すら身に着けない者もいる。もっとも、拳銃には軍人としてのステータス・シンボル的な意味合いもあるので、携行していない師団長の方がむしろ少ないが。
最前線で指揮を執ることの方が多い小部隊の指揮官には、素早い状況把握能力と決断力、あらゆる状況の変化に適応できる広範な知識、前線のストレスに耐えられる精神力、そして運が求められる。
しかし、召還されたエトランジェが、そうそう都合良くそうした適正を最初から備えているとは限らない。いやそもそも、指揮官はおろか兵士に向いた性格とも限らないのだ。現に今のところ召還が確認されている三人のうち、軍隊経験者は一人としていない。
小部隊の指揮官には鉄の精神力と素早い状況の把握能力、決断力が求められるとしたが、これは一朝一夕で身につくものではない。特に精神力と決断力については経験によるところが大きいから、尚更だ。
そのため部隊長の教育は早くから行っておくのが望ましいが、効率の良い教育のためには、あらかじめその人が持っている指揮官としての適性を知ることが必要だ。
エスペリアは悠人が〈求め〉を覚醒させたこのタイミングで、柳也の適正についてテストしようというのだろう。
――にしても、俺が指揮官かぁ…。
柳也は自然と己の胸が高鳴るのを感じた。
「鷲は舞い降りた」のシュタイナ中佐に憧れ、「コンバット!」のヘンリー少尉の颯爽とした活躍に胸を躍らせた。ジョン・ウェインの演じる“ブル”・サイモンズに心酔し、ベンジャミン中佐に恋をした。小部隊の指揮官。頭の中で何度も空想を描き、もし自分が同じ立場になったらと勝手な妄想を幾度となく膨らませた。
あの勇敢なる男達と同じ舞台に、自分も立てるのか……?
遊びのつもりは毛頭ない。しかし、想像しただけで心が躍った。
『……悪くないな』
柳也は興奮にやや上擦った声で呟いた。
炯々と輝きを宿した双眸と、薄く歪めた口元が、凄絶な笑みをつくっていた。
柳也を見つめるエスペリアの目が、すぅ、と細まる。
『わかった』
少年剣士は一転して朗らかな笑みを浮かべると、ゆっくりと頷いた。
『今回の作戦では以後、俺が指揮を執る。…みんなも、それでいいか?』
柳也は全員の顔を見回した。
『俺は別に構わないぜ』
最初に応じたのは悠人だった。
『戦闘指揮のことなんて、俺にはわからないしな。エスペリアの判断に従うよ』
『オルファも、リュウヤならいいよー』
『……ん。リュウヤに任せる』
続いてオルファ、アセリアが、口々に言う。
誰からも異論があがらないことを確認した柳也は、みなの意思を確かめるように頷いてから、その場にしゃがみこんだ。激しい戦闘の中で徐々に緩んできたゲートルを締めなおし、気合を入れて頬を二度叩く。
ほの赤く染まった頬に木漏れ日の光が優しい。
柳也は立ち上がると、表情を引き締めた。
頼もしげに仲間達を見回すその顔には、もはやシュタイナ中佐やサンダース軍曹に憧れる少年の眼差しはない。実際に彼らのように戦ってみせるという、固い決意を宿した瞳だけが強暴に輝いていた。
『隊列と役割を少しだけ変えよう。前衛に打撃力の高いアセリア、悠人を置いて、オルファは変えずに後ろで残敵掃討。ただし、オルファには傷ついたエスペリアの支援を行ってもらう』
『うん! オルファに任せて』
オルファが頼もしくも自分の胸を叩く。溌溂と幼い活力を振り撒く少女の赤い瞳には、もう二度と姉と慕う彼女を傷つけさせはしないという、強い決意の炎が窺えた。
『エスペリアには後方で回復と防御に専念してもらう。俺は真ん中で指揮を執りつつ適宜戦闘に参加…ってことで』
つまりは、それまで後方で守られているばかりだった悠人を前に出し、柳也自身は中ほどまで下がるわけだ。
経験の浅い悠人を先頭のポイントマンに置くことには弱冠の不安が伴うが、グリーンスピリットの防御を一撃で突破できる〈求め〉の打撃力は、最前に置いてこそ真価を発揮する。ファーストアタックで敵を殲滅できる確率が、ぐっと上がるはずだ。
もし悠人を戦闘に置いたことで彼が窮地に立たされたとしても、自分が後ろにいれば援護がやり易くなる。
『悠人も俺達に着いてこられるようになった。打撃力重視の隊列で、可能な限りの速度を出せば、ラースには予定よりも早く着けるはずだ』
柳也はマップケースから地図を引っ張り出すと言った。
現在地点からラースまでは南におよそ四〇キロメートル。エスペリアが負傷しているとはいえ、スピリット隊の足ならば一時間足らずで消化できる距離だ。スピリット隊の進軍速度は、現代の機械化歩兵部隊には劣るものの、それ以前の騎兵隊と比べてもずっと速い。
『早速、進軍を再開しよう』
仲間達を見回す柳也の目は、まさに闘将というにふさわしい猛気を孕んでいた。
◇
――同日、午後。
悠人の参戦によって大幅に攻撃力と機動力を高めた一行は、進軍を再会してから僅か一時間でラースに到着した。
迎撃に割く戦力の余裕がなくなったか、最後に挟撃があってからは特に目立った妨害を受けることもなく、五人はさしたる損害もなく無事に目的地に辿り着くことができた。
ラースに一歩足を踏み入れた一行は、いささか拍子抜けした心持ちだった。てっきり、今までなりを潜めていた敵の残存兵力が、街に到着した途端、一気に襲ってくるものだと思っていたら、柳也達を出迎えたのはいつもと変わらぬ日常を送る人々の喧騒だったからだ。街の様子は平穏そのもので、住民達の表情は、襲撃を受けた街の人間にしては明るいものが多い。
いや、むしろこれは当然のことかもしれないと、柳也は考え直した。
敵の目的がラースの占領ではなく、試験運用中の新型エーテル変換施設にあることは明白だ。なるべく大きな騒ぎにならぬよう、敵としても襲撃は水面下で行なおうとしたはずだし、ラキオス政府としても、未解決の事件について情報を公開し、いたずらに国民の不安を煽るような事態は望まないはずだ。少なくとも事件の解決までは、関係者に対して緘口令を敷こうとするだろう。
そうすると、一見して敵の襲撃を受けたはずのこの街が平和そうに見えるのにも納得がいく。住人達はこの街で起きた事件について何も知らされておらず、知らないからこそ、こうして日々の営みを正常に送り続けていられるのだろう。
『…急ごう』
柳也はみなを急かした。
街が平和そうに思えるのは表面だけかもしれない。民間人の平穏の陰で、襲撃を受けた実験施設はすでに大変な事になっているかもしれない。
一行は以前ラースで勤めていたオルファの先導の下、新型装置の試験場へと向かった。
新型装置の試験場はラース市街地より少し離れた、国有の農地を開拓して築かれていた。
ざっと見渡す限り、坪面積で約四〇〇〇坪。その四〇〇〇坪の土地に、新型変換施設のほか、試験データの採集と分析を行なうための観測所や防衛部隊の兵舎などが建てられている。機密漏洩防止のためだろう、施設全体を取り囲むようにして、外周を高い塀が覆っていた。
もっとも高いところで八メートルはあろうかという木組みの塀に囲われた試験場の外観を見て、柳也は、
――どこの世界でも、人間の考えることは一緒なんだな……。
と、思った。
外部から何をやっているか分からないようにするために、重要施設の周りを遮蔽物で囲むという手段はかつての帝国海軍でも行われた。あの二十世紀最大の巨艦、戦艦“大和”建造の際がそうだった。
“大和”級戦艦の建造が開始された当時、時代はまだ大鑑巨砲主義の時代であり、前代未聞の巨砲四六センチ砲を九門備え、六万五〇〇〇トンもの排水量を誇る巨大戦艦は、まさに一隻で戦況を打開できる世界最強の戦艦と目されていた。いわば、帝国海軍の切り札であり、その詳細な情報は第一級の国防機密だった。その建造計画は当時の仮想敵国だった米英は無論のこと、自国の国民に対しても秘密裏に行なわれた。戦争が始まってなお、多くの国民は大和の名を知らなかった。
“大和”級戦艦一番艦大和の建造は、まず建造施設の呉工廠四番ドックの拡張工事から始まった。まずは建造のための施設を整備することとなり、その際に、呉工廠の造船所には目隠しのための高い板塀が築かれた。また建造中の船の大きさを外部から悟られぬよう、屋根は半分だけ用意し、周囲には干した和椋櫚をかけた。建造に関わる人間には例外なくボディチェックを行い、海軍の厳しい管制下に置いた。進水式の日程すら、ほんの一部の人間以外には教えなかったほどだ。
こうした機密保持のための努力の数々の末、大和級戦艦は竣工のその瞬間まで、一部の関係者を除いては誰にも知られることなく就役した。これは大和級戦艦以前に連合艦隊の旗艦だった“長門”級戦艦の建造と比べても、極めて秘匿性の高いものであった。すべては大和が海軍の切り札だったからである。
エーテル関連技術の情報は、有限世界において一国の国防問題に大きく影響する第一級の機密……その国の切り札といっても過言ではない技術に関する、敵対国からしてみれば喉から手が出るほどに欲しい宝物である。特に新型小型エーテル変換施設のような革新的技術に関する情報などは、戦艦“大和”の建造計画に匹敵するような最重要機密といえるだろう。目隠しの板塀で周囲を囲んでいるのと、囲んでいないのとでは、外部に漏れる情報量に格段の差がある。
しかし、試験場を取り囲む板塀は、一部においてその役目をまったく果たしていなかった。
襲撃の際に大規模な神剣魔法を受けたか、木組みの塀は一部が完全に崩壊していた。
「これはまた酷いな…」
柳也は思わず日本語で呟いていた。
木組みの立派な柵が木っ端微塵になって散らばっているほか、黒焦げになった地面にはいくつもの小さな穴が穿たれている。歴史の教科書や愛読しているミリタリー誌のビジュアルで何度も見た、爆撃後の光景のようだ。
破壊された塀からは、中の様子がよく覗えた。
すでに敵は去った後らしく、研究員や兵士達は、救助作業や被害の確認に大わらわの状態だ。誰一人として、救援にかけつけた五人に気付く余裕すらない。
柳也達は破壊された塀を踏み越えて試験場へと足を運んだ。
せわしなく書類の束を持って目の前を行ったり来たりしている技術者の一人をつかまえ、来訪の事情を話すと、すぐに施設の責任者を名乗る男がやってきた。
『実験責任者のオーラリオだ』
顔を濃い疲労の色で染めあげ、やってきたのは三十代そこそこの男だった。きりりっ、と顎のラインが鋭い知的な顔立ちの、背の高い美丈夫だ。一八〇センチほどもある長身にがっしりとした大柄な体格は、研究者というよりはむしろ軍人と名乗られた方がしっくりくる。
オーラリオ・クリプトンはラキオス王立大学でエーテル技術論を学び、同大学を首席で卒業したエリートだった。まだ三五歳と年若く、研究者としては若輩ながら、その頭脳と人間関係の調整能力を買われ、新型小型エーテル変換施設実用化プロジェクト・チームの総指揮を任されている。今回の試験運用の意義と新型装置の有用性を、最も理解している一人だった。そもそも、新型変換施設の最重要部分……小型エーテル変換装置の基礎理論は、彼が考え出したものなのだ。
互いに自己紹介を終えると、柳也達はオーラリオ個人用の研究室に案内された。
オーラリオの研究室は二階建ての観測所の一階にあり、広さは十二畳ほど。いまいち材質が判然としない石の床の上に、製図用の巨大なデスクが一つと、図書館で使うような本棚が二つ鎮座している。もともと一人で使うことを目的としているためか、椅子はオーラリオ自身のものも含めて四脚。実質的に人がいられるスペースが限られていることもあり、柳也はアセリアとオルファに救助作業の手伝いと警戒を命じると、悠人とエスペリアの二人とともに、研究室へと入室した。
『…単刀直入にお訊きしたい。我々は今日の朝、ラースが襲撃を受けたという報せを聞き、救援に駆けつけたわけだが、襲撃の一連の流れを話していただきたい』
出されたコーヒーにも手をつけず、柳也は着席するなり真向かいに座る技術者に言った。
柳也の言葉に、オーラリオは伏せ目がちに答える。
『まことに迂闊だった。同盟国に囲まれているという好条件から、防衛態勢は磐石だったと思い込んでいた。……油断していたことを、認めざるをえない』
『前置きは必要ありません。要件だけを教えていただきたい』
柳也は厳しい眼差しとともに言った。
目上の相手に対して、遠慮がまったくない。
むしろきっぱりとした柳也の物言いに、年上のオーラリオの方が恐縮している。
『敵の襲撃があったのは今日の午前五時頃のことだった。夜明け前で、こちらの判断力が最も鈍っているタイミングでの襲撃だった。最初に敵の神剣魔法によって塀が破壊され、そこから何十体ものスピリットが侵入してきた。こちらの防衛部隊もなんとか応戦したが、敵の戦力は圧倒的だった。襲撃から最初の三十分余りで、防衛部隊は壊滅した。我々はその三十分の間に、特に足の速い馬に伝令を乗せて、首都に向かわせた。味方のスピリットが全滅した後、我々研究員と人間の兵士は一箇所に集められ、監視された。スピリットどもの兵舎だ。それから七時間ばかり監督されていたが、やがて敵は撤収を開始し、現在、我々は被害状況の確認に全力を尽くしている』
『敵の戦力は?』
『詳しくはわからないが、青と赤、それから緑の混成部隊で、少なくとも二十体以上はいた』
『敵の逃亡先はわかりますか?』
『詳しい行き先はわからんが、アキュライス方面へと南下していった』
……これは私見だが、おそらく敵はもう何日も前から今回の襲撃作戦の計画を練っていたに違いない。襲撃開始から撤退まで、迅速かつ的確な一連の行動は、ぶっつけ本番では不可能だ』
一気にまくしたてたオーラリオは、そこでひとつ身震いした。たった数時間前に受けたばかりの、襲撃の恐怖を思い出したのだろう。
『新型変換装置はどうなったのでしょうか?』
エスペリアが横から口を挟む。
オーラリオはやや上擦った声で答えた。
『今のところ異常は見つかっていない。我々も、敵の狙いは実験中の新型装置にあると考え、敵の撤収後すぐに確認してみたが、新型装置は奪われるどころか、傷ひとつない無事な状態のまま残されていた』
『ふむ……』
柳也は腕を組んでしばし黙考した。
例によって問題を整理しようにも、情報があまりにも少なすぎる。敵の狙いはいったい何だったのか。十六人を倒した現在、敵の戦力はどの程度の残っているのか。せめて、被害状況に関する報告が提出されれば、まだ考える余地があるのだが……。
その時、研究室のドアがノックされて、二回鳴った。
オーラリオが『おそらく、試験場の研究員だろう』と言い、続いてドアの方に向かって『入りたまえ』と告げた。
ドアが開き、『失礼します』と、年配の眼鏡をかけた技術者が入室してきた。オーラリオ同様一八〇センチもの長身ながら、彼とは違って肩幅の狭い小柄な男だ。歳の頃は五十代半ばほどか。丸縁眼鏡の下の双眸に、少なからぬ動揺の色が浮かんでいるのを柳也は見逃さなかった。
しかし、柳也は見逃さなかったその動揺の瞳に、オーラリオは気付かなかったらしい。
彼は椅子から立ち上がると、年配の研究員を掌で示した。
『紹介しよう。本実験施設のナンバー2で、私の助手を務めてもらっているリリ・ララだ』
『リリ・ララです』
柳也よりも三回りは年上の男は、丁寧に腰を折ると自ら名乗った。
目下の人間に対するものにしてはあまりの礼儀正しさに、反射的に柳也達も会釈する。
一通り自己紹介を終えると、オーラリオは早速リリ・ララに、研究室にやって来たわけを訊ねた。
リリ・ララはなぜか柳也達のことを気にするような視線を振るってから、動揺に上擦った声で答えた。
『今回の襲撃の被害について、一応のまとめを終えましたので、報告に参りました』
『そうか、ご苦労』
オーラリオは着席すると、両の拳を組み合わせ、上目遣いにリリ・ララを見た。
『それで、被害の程度はどうだった?』
『は、はい。…それが、その……』
その先を言いよどむリリ・ララの様子に、今度は柳也だけでなくエスペリアやオーラリオも眉根をひそめる。
チラチラと柳也達のことを覗うリリ・ララに、オーラリオは怪訝な表情で言った。
『彼らのことは気にしなくていい。首都圏から援軍に駆けつけてきた、友軍だ』
柳也は直感的に、
――違う。
と、思った。
リリ・ララが気にしているのは自分達の存在ではない。彼の動揺の原因は、今、彼自身の口から語られようとしている被害報告の内容にある。根拠のない確信だったが、なぜか柳也の頭の中はその考えに支配された。
やがてリリ・ララは、訝しげなみなの視線に覚悟を決めたか、淡々とした無表情で一方的に告げた。
『報告いたします。現在、判明している限りでは、物件では北側の塀の一部が全壊、防衛部隊の兵舎が小破相当の損害を被ったほか、目立った被害はありません。新型エーテル変換装置も、やはり無傷でした。人員の被害は防衛部隊のスピリット八体全員が戦死、襲撃に巻き込まれて軽傷者が三名出たほか、特に目立った被害はありません。損害は極めて軽微といえるでしょう』
『軽微って……!』
柳也の隣に座る悠人が、カッ、と眦を吊り上げて席を立とうとする。
八人もの戦死者が出たというのに、損害が軽微だって……!?
スピリットのことを“体”なんて家畜扱いすることもそうだが、この世界の人間達は生命の倫理観について、どう思っているのだろうか。悠人は急速に熱い血が頭に上っていくのを実感した。
思わず、口から出た言葉には怒気が孕んでしまう。
席を立ちリリ・ララを糾弾しようとする悠人だったが、しかし、彼のその行為は柳也によって止められた。
「落ち着け、悠人」
立ち上がろうとする友人の膝を押さえつけ、柳也は日本語で悠人の耳元で素早く囁いた。
「この場でこの連中に対して怒りをぶつけることは何の益にもならん。今は佳織ちゃんのためにも、自分を抑えるんだ」
自分達の力は強大だ。使い方を少し間違えただけで、途方もない大惨事を引き起こしかねない。迂闊な感情の昂ぶりは、周囲に無用の悲劇を振り撒く結果にしか繋がらない。そしてそうした悲劇が起こる事でいちばん迷惑するのは、人質に取られている佳織だ。
柳也の真摯な眼差しに射竦められ、悠人ははっとした表情で黙り込んだ。怒りの感情によって失いかけていた冷静さを取り戻したようだ。
「……そう、だよな。俺達の下手な行動が、佳織の立場を悪くするんだ」
「そうだ。だから、今は感情を殺すんだ」
「ああ。…すまん、柳也」
「いいってことよ」
少年剣士は人懐っこい笑みを浮かべると、リリ・ララに向き直った。
悠人も、ふつふつと湧き上がる感情を殺しながら、報告を続ける白衣の研究員の顔を見つめる。
異世界の言語で会話する少年達の様子にリリ・ララは明らかな嫌悪の表情を露わにしながら、報告を続けた。
『……については以上です。最後に、紛失した資料についてですが……観測所の資料保管庫を調べてみたところ、新型装置に関連する全資料が、紛失していました』
『なんだと!?』
ガタンッ、と椅子を倒すほどの勢いで、オーラリオが立ち上がった。
顔面を蒼白に硬化させ、慄然とした強張りを表情に浮かべつつ、リリ・ララに詰め寄る。
『それは本当か?』
『はい…。付け加えるなら、資料保管庫の鍵が破壊されていた事実から考えて、資料は紛失したのではなく、敵によって奪取されたものと考えられます』
『悠人、エスペリア、行くぞ』
リリ・ララの言葉が終わるやいなや、柳也が立ち上がった。
その場に居るみなの、訝しげな視線が柳也を射抜く。
『行く…って、どこに行くつもりだよ?』
『決まっている。敵に追撃戦を仕掛ける』
柳也はきっぱりと言い切った。
『エーテル関連技術は一国の国防に関わる第一級の機密事項だ。その情報が奪われたと知れば、遅かれ早かれ、情報の奪還と敵の追撃の指令が、上の方から下るだろう。しかし、この場合は上からの指示を待っていては、手遅れになる可能性が高い』
『なんでだよ?』
『追撃戦は時間との戦いだ。猶予を与えれば与えた分だけ、敵はこちらから遠ざかってしまうし、道中にトラップを設置する余裕なんかもできてしまう。最悪、息を吹き返してこっちに反撃を試みてくる可能性だってある。逃亡する敵に対して、時間を与えるのは愚策だ。思い立ったらすぐに追撃をかける。これ、戦場の常道なり』
実は撤退する敵を深追いして手痛い目に遭った戦例は、古くは紀元前二一八年のトレビアの会戦から近代では一八一五年のワーテルローの会戦など数多い。前二一八年の時はローマ軍の重装歩兵と重騎兵が、一八一五年の時はナポレオン軍ネー元帥率いる騎兵隊が、逃げた敵を追ったその先に、圧倒的な大兵力が控えていたのだ。
しかし、今回の敵に限ってはその心配はないだろう。敵の目的がラキオス軍の兵力を少しでも削ることにあり、まだ大量の予備兵力を抱えているとしたら、もっと早い段階で使ってきたはずだ。少なくとも十六名もの被害が出る前に、こちらに対して全兵力を投入したに違いない。
それをしなかったということは、今回の撤収は単純に敵が目的を果たしたからと考えてよいだろう。今や敵にこちらを圧倒するほどの予備兵力があるとは考えにくい。
『襲撃の開始が午前五時頃。その後三十分ほどで戦闘が終了。そして七時間後に撤収していったってことは、撤収開始は十二時半から午後一時の間。……この時間、俺達は何をやっていた?』
『え? …ええと、たしか俺達が進軍を再開したぐらいだっけ?』
『そうだ。その時間帯に撤収を開始したということは、俺達がここにくるまでの約一時間、敵に猶予を与えてしまったことになる。これ以上のタイムロスは、許されないぞ。…かろうじて、今からならまだ敵に追いつくことができるはずだ』
『どういうことですか?』
『永遠神剣を持つスピリットにとって最も恐ろしい追跡者は、同じく永遠神剣を持つエトランジェやスピリットだ。なんといっても、お互い神剣の気配だけで相手の位置を特定できるからな。当然、その対策のために敵は神剣の力をかなり抑えて移動しているはずだ。けど、神剣の能力をセーブしながらの移動となると、行軍スピードは神剣の力を全開にしているときよりもかなり遅くなる。永遠神剣の力を使っていない状態のスピリットは、普通の人間よりもちょっとだけ身体能力の優れた女の子にすぎないんだから。
その一方で、俺達追撃側は神剣の力を抑える必要はまったくない。最大戦速で追うことができる』
『だけど、敵が神剣の力を使わないってのは、あくまで柳也の推測だろ?』
『ああ…。けど、可能性はかなり高いと思うぜ。連中が警戒しなければならないのは俺達だけじゃない。国境線を警備している、サルドバルト国防軍のスピリットにも存在を気付かれちゃならないんだ。
アキラィスに向かって逃げた敵を追うとなると、国境線を越えることなるが、まぁ、サルドバルトとは軍事同盟国だし、事後承諾ってことでなんとかなるだろう。…エスペリア、俺の考えは、いささか希望的観測すぎるかな?」
柳也は自信に満ち溢れた笑みをエスペリアに向けた。
エスペリアが『いいえ…』と、首を横に振る。紺碧に光る双眸に、哀しげな色が濃かったのは、柳也の気のせいだったか。
『リュウヤさまの、言われる通りだと思います』
『アセリアとオルファを呼んできてくれ。長丁場の行軍でみんな疲れているとは思うが、なんせ時間がない。だが、もう一踏ん張りだ』
柳也はエスペリアに言うと、酷薄な冷笑を浮かべた。
凶悪な瞳の色に、隣に座る悠人が、ギョッ、とした表情で柳也の顔を見つめる。
『リベンジといこうぜ。やつらに、目に物を見せてやる』
爛々と燃え滾る柳也の目は、目の前に立つオーラリオの姿を捉えてはいなかった。
柳也の視線は、ここにはいない、あの赤いスピリットに向けられていた。
◇
――同日、午後。
柳也の腕時計で間もなく午後三時になろうとしていた。
柳也の目論見通り、神剣の力を解放していなかった敵軍は一行の気配を感じるやしんがりを置くことで時間を稼ぎ、資料を持った仲間を逃がす作戦に出た。
一方の柳也達は悠人とアセリアを前衛に回した隊列を崩すことなく、強行軍を敢行した。
その結果、柳也達はサルドバルトとの国境線までに六人のスピリットを撃破し、国境線を越えてからも三体のスピリットを撃破した。これで残る敵はあの赤いスピリットただ一人だ。
こうなると、敵も神剣の力を抑えながらの逃亡など悠長なことは言っていられなくなる。
ラースからアキラィスまではひたすら平坦で代わり映えのない景色が続いており、神剣の気配を消したところで、いずれは目視で発見されてしまうだろう。
敵レッドスピリットは神剣の力を全開にして、最大戦速で逃亡に徹した。
皮肉にも集団ではなく単騎であるがゆえにその逃げ足は速く、ここにきて柳也達は敵を見失いかけてしまう。
しかし、戦いの女神は柳也達に味方した。
敵レッドスピリットがこちらの追跡を振り切ろうとする寸前、必死の鬼ごっこを続ける彼らの前に、サルドバルト国防軍のスピリットが立ちはだかったのだ。
おそらくは自国領内に接近する巨大な神剣の気配を感じ取ってやって来たのだろう。
サルドバルト王国軍の制服を着たブルースピリットが、ファルシオン・タイプの永遠神剣を剣呑に構えながら叫ぶ。
『国籍不明スピリットに告ぐ。貴様はサルドバルト王国領土を侵犯している。即刻退去せよ』
この時、正体不明の領土侵犯者に対して警戒に出てきたのはアキラィスに司令部を置くサルドバルト王国軍第四軍のブルースピリットだった。
彼女はラースから自国国境線を越境し、なおもアキラィスに接近する六つの永遠神剣の気配を感じ取って、いち早く現場に駆けつけたのだった。本来は彼女も三人一組の小隊の一員なのだが、今は長い哨戒線警備の都合上、別行動を取っている。
ブルースピリットの少女はまず先頭をひた走る赤いスピリットの姿を視界に映じ、続いてその後ろを追う同盟国の軍服に身を包んだスピリットと人間の男の姿を見て、状況を素早く理解した。
そして逃げる所属国家不明のスピリットと同盟国の部隊、自分が与するべきはどちらか、判断を下すのに秒とかからなかった。
ブルースピリットはファルシオンを片手脇構えに突進した。
純白のウィング・ハイロゥを展開し、一条の蒼い光線となって駆け抜ける。
迎え撃つレッドスピリットは、ランスのような長大な永遠神剣を刺突に抱えて突撃した。
もともとランスは西欧の騎兵が馬上で使った刺突用の武器だ。永遠神剣といえど本質的な扱いの要訣は変わらない。馬以上の突進力を持つスピリットの脚力の勢いを乗せて刺突を放てば、その貫通力は絶大なものになる。
超高速で走る両者の間合いは見る見る縮まっていった。さすがに瞬発力にかけてはブルースピリットの少女の方に分がある。しかし武器が持つ間合いの差が、両者の命運を分けた。
刃長七〇センチのファルシオンが擦り上がるや、全長四メートル超のランスがブルースピリットの白い喉元へと滑った。
『ッ……!』
ブルースピリットの呼吸が止まる。
相手の武器の間合いを甘く見ていた。
三角錐の巨大な針が眼前に吸い込まれるその時、刹那の攻防の間に距離を詰めたアセリアが、レッドスピリットの背後に迫った。
『ヤアア―――ッ!』
裂帛の気合い。
振り上げた〈存在〉の刀身が、背中から袈裟に斬りかかる。
背後からの咆哮にレッドスピリットは踵を返して反転と同時にランスで弧を描いた。
圧倒的な威力の青い斬撃と、万全とはいいがたい姿勢からの薙ぎ払いが激突し、レッドスピリットの身体が宙へと舞った。力負けした反動を身体から逃がすべく、宙へと逃げたのだ。
再び地面に降り立った時、レッドスピリットは六人の敵に囲まれていた。
執念深い追跡者五人にサルドバルト国防軍の青スピリットが加わった、総勢六名による円環の渦中に、ランスの少女はあった。
『追いかけっこには飽きた。そろそろ別の遊びをしませんか、お嬢さん?』
柳也が、肥後の豪剣二尺四寸七分を正眼に、ずいっ、と前に踏み出した。
その横顔には薄い冷笑とともに、強敵を前にしての歓喜の炎が瞳に窺える。
もはや彼らを振り切って逃げることは困難と悟ったか、レッドスピリットは覚悟を決めたように決然とした眼差しを油断なく走らせた。
『そうだな…。わたしもただ走るだけの遊びには飽きた。もっと激しい運動がしたいな』
『同感だな。美人と遊んで、悪い気はしない。…ただ、その運動がベッドの上でか、この場でなのかは、これからのあんたの対応次第だぜ。素直に投降して、盗んだ資料を返してくれるっていうのならベッド・インだ。投降もせず、資料の返却もしないっていうんなら、この場で激しく運動だ』
『お前はどちらを希望している?』
『どちらかといえば、この場での運動を熱望している』
『そうか…』
その時、柳也の隣で獣が跳躍した。
〈求め〉を上段に振り上げた悠人だ。
悠人は常人の目に留まらぬほどの速さで疾駆すると、中央のレッドスピリットに挑みかかった。
上段から振り下ろされる重い一撃が、赤い少女の眉間に振り下ろされる。防御に長けるグリーンスピリットを、防御壁ごと一撃で倒す必殺の斬撃だ。相手がレッドスピリットなら手応えを感じる間もなく消滅させられる。
しかし、悠人の斬撃は虚空を薙いでいった。
ほとんど線にしか見えない高速斬撃だが、その軌道が直線的であることにひと目で気付いたレッドスピリットが、ランスの切っ先で攻撃を払ったのだ。
攻撃の軌道を変えられた悠人は、途端、無防備な姿勢を晒してしまう。
刺突専門のランスとはいえ、その長大な間合いは打撃武器として使うこともできる。
素早くランスが空中で反転し、悠人の背中を鋭く打った。
初陣のエトランジェは、それだけでくたくたと膝を折ってしまう。
さらにその背中にランスの尖端を突き立てようとするレッドスピリットに、柳也が肉薄した。
『しゃああッ!』
裂帛の気合いとともに同田貫を一閃。大振りな一撃は目の前の強敵にいともたやすく避けられてしまうが、一撃を当てることが目的ではない。
柳也は素早く悠人の服の襟を掴むと、大きく後ろに跳躍した。
包囲の環が大きく崩れ、柳也とレッドスピリットの間合いが、五、六間ほどに広がった。
『大丈夫か?』
『あ、ああ…』
『敵は強敵だ。これまでみたいに、単純な力技で倒せる相手じゃないぞ』
柳也は茫然と相槌を打つ悠人を後ろに下げると、改めて敵に向き直った。
『この女は、俺がやる!』
その場にいる全員にそう聞こえるよう、あえて大声で宣言すると、柳也は同田貫を脇に構えた。
レッドスピリットの唇の端が、侮蔑に吊り上る。柳也の構えは、先ほどバーンライト国防軍のブルースピリットが迎撃に失敗した脇構えだった。先ほどの攻防を柳也も見ていないはずがない。それなのにあえて一度敗れた構えで挑むなど……愚の骨頂としか言いようがない。
だが柳也は赤い少女が浮かべた蔑みの冷笑にもいささかも心を乱すことなく、むしろこの瞬間を心底楽しんでいるかのように、明るい口調で言い放った。
『刃を交わす前に訊いておく。あんた、名前は?』
『名前を教える必要ない。お前とは、刃を交わす暇すらない』
レッドスピリットがランスを刺突に構え、走った。
柳也も肥後の豪剣を脇構えに迎撃に向かった。その顔は剣先に向かって僅かに右に傾けられている。
見る見る間合いが縮まり、三角錐の大針が柳也の喉笛を破ろうとしたその刹那、柳也の顔が正面に向けられ、切っ先に自ら迫った。
その大胆な行動が、今度は勝敗を分けた。
ランスの切っ先がぶれて柳也の首横を掠めていった。
同時に、脇構えから車輪に回した斬撃の手応えが、柳也の掌に伝わってきた。
互いの顔と顔とが触れ合うほどの距離で、柳也が小さく囁いた。
『もう一度訊いておく。あんたの名前は?』
『……セーラ・レッドスピリット』
『そうか。ちなみに俺の名前は桜坂柳也。永遠神剣第七位〈決意〉の柳也だ』
『憶えておこう、リュウヤ。それから……』
ゴトリ…、とセーラの手からランスが落ちた。
そしてその両腕が、柳也の背中にそっと回る。
『……わたしと一緒に死んでもらおう!』
次の瞬間、二人の足下に赤い魔法陣が出現した。
と同時に、周囲に満ちる膨大な炎のマナの気配。
自爆。
最期の抵抗か、焦熱の顎が、主人もろとも柳也を飲み込もうと舌を伸ばす。
『イグニッションッ!』
『アイスバニッシャー!』
しかし、真紅の魔法陣はそれに折り重なるようにして放たれた氷結の魔法によって封殺される。
アセリアが神剣魔法を無力化する、消滅魔法……アイスバニッシャーを放ったのだ。マナの振動すら凍結させる氷結の吐息に吹かれ、灼熱の炎は一瞬にして消滅し、柳也は後顧の憂いなくそのままセーラの胴深くに埋めた刃を引き切る。
二人の身体が交差し、やがて赤い少女が、つんのめるようにして倒れこんだ。
その身体はすでに黄金の粒子へと変貌を遂げ始めている。
柳也は父の形見の愛刀の血ぶりをすませると、ひとつ大きく息をついてから、大刀を鞘に納めた。
首筋で、今更ながら灼熱した痛みが足踏みしている。
じくじくとした痛みとともに死の恐怖が柳也の中で蘇り、そしてそれ以上の勝利の快感が、彼の全身で狂奔していた。
体内の〈決意〉も、強敵を打ち破ったことによって解放されたマナを啜ってか、柳也の勝利を満足げに讃えている。
『ねぇねぇ、ベッドの上で運動って、何をするの〜?』
背後で聞こえた、エスペリアを困らすオルファの声が、すべての幕を引いた。
<あとがき>
オルファ「ねぇねぇ、ベッドの上で運動って何をするの〜?」
柳也「……申し訳ない、オルファ。俺の口からはとても……」
オルファ「えー! じゃあ誰に訊けばいいのさ?」
柳也「そうだな……ユートにでも訊いてやればよいと思うぞ。あいつならきっと教えてくれるさ。“実地で”」
タハ乱暴「あー……そこなゴミっぽい顔の主人公、その娘の場合本気にするからやめなさい」
柳也「ぐっはあッ! ……ま、またゴミって言われた……」
北斗「前回のあとがきをまだ引きずっているのかこの男は……さて、永遠のアセリアAnother、EPISODE:14、お読みいただきありがとうございました!」
タハ乱暴「今回の話は原作のゲームではテキスト化されなかったMission01、02を文章化したものです」
北斗「よって物語としてはあまり進まず、基本的に戦闘ばかりの文章になってしまったが、お楽しみいただけただろうか?」
タハ乱暴「戦闘よりもドラマを重視する方にはあまり面白みのない内容になってしまったかもしれません。その旨、この場でお詫びさせていただきます」
北斗「さて、今回の戦闘ばかりのシナリオでメインとなったのは……」
柳也「はいはいは〜〜い! それは俺と悠人の戦闘シーンの対比だと思います!」
タハ乱暴「あ、立ち直った」
柳也「男は顔じゃねえ! 男は心で勝負だ!」
北斗「正論には違いないが、この男の場合性根が……」
柳也「細かいことは気にしたらあかん! んで、俺と悠人の戦闘シーンだけど……」
タハ乱暴「うん。あれは苦労した。何に苦労したかって、いかに二人の性格の違いを戦闘描写に反映させるかで」
北斗「かたや戦闘に関してはズブのド素人、かたや直心影流の剣士だからな。その点だけ見れば書き分け自体は難しくないが、パーソナリティを描写に反映させようと思うとたしかに難しいだろう」
タハ乱暴「結局、それができたかどうかは読者の皆様に判断していただくしかありません」
柳也「ま、今回の俺の男前な活躍を見て、読者のみんなも俺の魅力を再確認してくれたことだろう」
北斗「……む? あれは……高嶺君か?」
タハ乱暴「あ、本当だ。〈求め〉片手にこっちに向かってくる」
悠人「りゅうやぁぁぁぁぁぁぁあああッッ!!!」
柳也「AH? どうしたんだい、まいふれんど?」
悠人「お前、オルファに何をに教えているんだ!?」
柳也「何って…………正しい性教育さ!」
タハ乱暴「うわっ、なんてふてぶてしい笑顔!」
柳也「HAHAHAHAHA! お前ばっかり、エスペリアと良い目に遭いやがって、ゲイと勘違いされた俺の痛みをちっとは思い知れってんだ!」
小鳥「えぇ!? 柳也先輩ってゲイだったんですか!?」
北斗「夏越君? なぜ、君が?」
小鳥「シナリオの都合上しばらく出番がないからせめてあとがきでもって思って……それより先輩!」
柳也「ん? なんだ?」
小鳥「秋月先輩という人がありながら、他の男の人に手を出したんですか!?」
タハ乱暴「や、これそういう話じゃないから」
無事に何とかミッションクリアといった所ですか。
美姫 「そうね。悠人も何とか初陣を済ませたし」
まだまだ、力不足だけれどな。
これからの成長に期待。
美姫 「さて、それじゃあ次回はどんなお話になるのかしらね」
楽しみだな。
美姫 「次回も待ってますね」
ではでは。