――聖ヨト暦三三〇年、アソクの月、緑、よっつの日、朝。

 

時刻は間もなく午前九時を迎えようとしていた。

森の一部を切り拓いて整備した街道をひた走る柳也は、目線を時計の文字盤から前方へと移すと、隣を並んで走るアセリアに声をかける。

『アセリア…』

『少し先に二人。さらにその先に二人。…このままの速度だと、あと三分くらい』

『俺の予想でもそんな具合だ。第一撃は、まかせても大丈夫か?』

『…ん、まかせろ』

無表情ながらも力強く頷くアセリアに頼もしさを感じつつ、柳也は後ろを走る三人を振り返った。

『エスペリア、オルファ…気付いていると思うが、約二キロメートル前方に待ち伏せだ。…神剣の気配を隠す素振りも見せないあたり、玉砕覚悟の迎撃らしい』

柳也の言葉に、エスペリアが無言で頷く。

こと神剣の扱いに関しては柳也よりもベテランの少女らは、柳也が確認するまでもなく前方で待ち伏せる敵の気配を察知していた。

『俺とアセリアが先行して第一撃を加える。残敵掃討は、頼むぜ、オルファ』

『うん! まかせて』

時速四〇キロのハイペースでの進軍ながら、オルファの発する元気の良い声は、風の抵抗にも負けず柳也の耳に届いた。

聞いているだけで幼い活力を分け与えられるような威勢の良さに、ふと柳也はすでに自分が戦場にいるということも忘れて、口元に微笑を浮かべる。

『…頼りにしているぜ。……エスペリア、悠人のこと、頼んだぞ』

最後尾を走る悠人にチラリと目配せし、柳也は再び前方を睨む。

背中に突き刺さる複雑そうな一対の視線を感じつつ、柳也は閂に差した同田貫の柄を握った。

鯉口を切ると同時に間を置くことなく鞘を払い、抜刀した刀身の峰を右肩に押し当てて固定する。刃が右斜め四五度を向くように手首と脇を締めれば、己の刃で後続の仲間達が傷つく憂いはなくなった。

その隣で、すでに長柄の巨大な神剣を鞘から抜き放っていたアセリアは、ウィング・ハイロゥを展開すると、永遠神剣第七位〈存在〉を上段に構えた。

初めから全力の一撃を放つつもりだ。

しかし、その一撃が奇襲になることはおそらくないだろう。

首都ラキオスの城壁を出たその瞬間から、神剣の力で時速四〇キロの行軍を続けている自分達の気配は、すでに二キロ前方で待ち伏せる敵のもとにも届いているに違いない。

――ははっ、楽しくなってきやがった……!

刻一刻と、狭まる敵との距離。

いつ始まるかすらわからない不安定な戦いの未来。

背筋に走る恐怖の緊張と、否定しようのないスリルの快感。

自然と唇は笑みの形を作り、いまだ神剣を覚醒させていない最後尾の友人のために合わせねばならないはずの両脚は、敵を求めて勇み足になる。

アドレナリンが全身へと行き渡り、気分の昂揚が、死への恐怖を凌駕する。

強力なスピリットを、狡知の限りを尽くし、技の限りを尽くして打倒するその瞬間を、脳裏に思い描いただけでゾクゾクと心が躍った。

『柳也! やっぱり俺も……!』

背後からの友の声。

しかし柳也がそれに反応することはなかった。

前方視界の中に、グリーンスピリットが二人、映じていた。

『アセリア、行くぞ!』

『……ん!』

アセリアのウィング・ハイロゥがひときわ強い輝きを発し、〈決意〉を宿した肥後の豪剣が、万物を破断せしめる絶対の凶器へと豹変する。

背後で悠人が口を開く寸前、二人の姿は掻き消えた。

ハイロゥの力で加速したアセリアと、リリアナ直伝のリープアタックを繰り出す柳也は、まさしく疾風の如き高速で、悠人の視界から消え去ってしまった。

「……クソッ! これじゃただの役立たずじゃないか…」

歯噛みする悠人の憤りは、はるか彼方で戦う柳也の耳には届かなかった。

 

 

 

 

 

永遠のアセリア

-The Spirit of Eternity Sword Another-

第一章「有限世界の妖精たち」

Episode13「〈求め〉の声」

 

 

 

 

 

――同日、昼。

 

ラースへの進撃を開始してから、すでに四人のスピリットによる妨害を受けていた。

今のところはそのすべてを撃退することに成功している一行だったが、先頭をひた走る柳也の表情には、僅かに焦りが浮かび始めていた。

――…まずいな。敵の気配が、感じ取れなくなった。

すでに一行はラースまでの道程の五分の二までを消化しつつある。

ここからが敵の防衛ラインも本番だと踏んでいた柳也は、付近に自分達以外の神剣の気配が二つしか感じられないことに、むしろ警戒を強めていた。

――〈決意〉、何か感じないか?

【ふむ…。我としても主の要望にはできるだけ応えてやりたいが……残念ながら、ここより南に二つ感じる以外に、神剣の気配はない】

――そうか…。

〈決意〉からの返答に、改めて落胆する。

先ほどから感じている二つの気配は、すでに四人もの仲間が敗れているというのに、目立った動きをみせないでいる。その沈黙がむしろ不気味で、おそらくは伏兵を忍ばせているに違いなかった。

一同はすでに時速四十キロの行軍スピードで、間もなくラースへの南下ポイントへ差しかかろうとしている。

生い茂る木々の間隔も次第に広くなっていき、空を覆って複雑に絡み合う枝の屋根にも、次第に綻びが見え始めていた。

――……んん?

ふと、空を見上げていた柳也は気が付いた。

渡り鳥か、北から南へと空を飛ぶ群れが、急に隊列を崩して大きく迂回軌道を取り、また規則正しい列を取り戻して南へと下っていく。

普通なら見逃してしまいがちなその光景に、柳也は思わず足を止めてしまった。

頭上を飛んでいく一群の突然な行動は、このミリタリー・オタクの少年に、ある兵法書の一文を思い出させた。

孫子曰く、『鳥、起つ者は伏なり。獣、駭く者は覆なり』。

鳥が飛び起つ時には、そこに伏兵の存在があることを示している。

野生動物が怯えて逃げ出す時には、そこに敵の奇襲攻撃が迫っていることを示している。

『リュウヤさま? どうかなされましたか?』

突然、立ち止まってしまった柳也に、エスペリアが困惑した表情を浮かべる。

悠人もオルファも、アセリアですら、柳也の突然の行動を不思議がっていた。

――後三年の役で、源義家は空を飛ぶ雁の列が急に乱れたのを見て、敵の伏兵の存在を見破った……。

柳也の目は北から南へと飛行する鳥の軌跡を追った。

柳也達のいる場所から北に一キロメートルほど進んだ辺りの上空で、一群は突如として隊列を崩している。また、その空域を通過して再び規則正しい列をなし、南へと進む一群も、ある地点の上空を境にばらばらに乱れてしまっている。

柳也の表情が、はっ、と硬化した。

『エスペリア! 敵の攻撃に備えろ!!』

『!!』

エスペリアを振り向いた直後、メイド服を着た少女の顔もまた、険しく歪んだ。

柳也の絶叫が濃厚な緑の空気を切り裂いた刹那、一行を挟むように北に三つ、南に三つ、永遠神剣の気配が出現した。

伏兵に挟撃奇襲だ。

『ユートさま! 気をつけてください! 敵の伏兵です!』

『俺達で迎撃する! お前は下がっていろ』

矢継ぎ早に下される警告と指示。

即座に臨戦態勢へと移り、悠人以外の四人が剣を取る。

少女達の全神経は、見えない敵に対して向けられていた。

突然の事態に困惑する悠人に反論の余地を与えることなく、場の空気は一気に戦場のそれへと変貌を遂げる。

神剣の気配を感知することのできない悠人は、救いを求めるように周囲の少女達を見回した。もっと正確な状況の情報が欲しかった。

『アセリア! オルファ!』

『……ん!』

『うん! やっつけちゃうんだからっ。パパ、見ててね♪』

『北の三つは全員、青。南の三つは全員、赤…!』

『リュウヤさまとオルファは北の三体を、アセリアと私で南の三体を迎撃します!』

敵の攻撃に備えて先手を打ち、散開する三人の妖精と想定外のエトランジェ。

『……』

悠人はそれぞれの方向へと走る彼らの背中を、黙って見送ることしかできなかった。

 

 

実際には一分とかからない、ほんの僅かな一瞬のうちの出来事に過ぎなかっただろう。

しかし、一歩前へと踏み出せば届く距離にあるにも拘わらず、その一歩を踏み出すことを禁じられた少年にとって、目の前で繰り広げられる攻防は、無限にも等しい時間、続き、そして唐突に終わった。

『ユートさま、戦いは終わりましたよ。剣を下げても、大丈夫です』

エスペリアが振り向いて戦いの終わりを告げた。

しかし、そう告げられてもなお、悠人は剣を構えた姿勢を崩すことができなかった。

緑の槍と服に飛び散った返り血が、金色の霧となって蒸発していく。

アセリアに斃されたスピリットの死体はすでに黄金の霧になって消えてしまい、痕跡すら残されていない。まるで初めから、この世界に存在していなかったように。

自分も負ければ同じように消滅してしまうのだろうか。

そう考えた瞬間、身体の震えが止まらなくなってしまった。

『お怪我はありませんか? ユートさま』

普段と同じように微笑むエスペリア。悠人の身を、本当に心から労わっているからこその笑み。

だが、その笑顔の存在が、目の前で展開する幻想的な光景に、不要な現実感を持たせてしまう。

『? ユートさま?』

向けられる笑顔がたまらなく恐ろしいものに見えてしまい、悠人は思わず後ずさった。

――いつものエスペリアじゃないか……。どうしたんだよ、俺は。何か言えよ…!

同じ笑顔のはずなのに。いつも安らぎをくれるエスペリアのはずなのに。

しかし、なぜだか今は、その笑顔が耐え難い恐怖の象徴のように思えてならなかった。

『ち、違うんだ……。俺……』

呂律の回らない舌で、必死に声を吐き出してみせる。

しかし、どんなに努力をしても、言葉が続かない。口を開いても、意味のある言葉が出てこない。

『……申し訳ありません。私たちも少し休みます。どうか心を落ち着けてくださいませ』

エスペリアは、ひどく悲しげな表情を美しい顔に浮かべて、深く頭を下げた。

おそらくは気付いてしまったのだろう。悠人の感じた、恐怖の正体に。容赦なく敵を斬り捨てる、自分の姿を見たことによって与えてしまった、恐怖の存在に。

それが、どれほど彼女を傷つけるか……そのことを理解していても、悠人は落ち着きを取り戻すことができなかった。

どんなに悔やんでも、足の震えが、止められなかった。

『エスペリア……ご、ごめん…』

『気になさらず。ユートさまは初陣なのですから。落ち着いたら、お呼びくださいませ』

エスペリアは、本当に気にしていないといった様子で首を横に振った。

そこに、北の三人を撃退し終えた柳也とオルファが戻ってきた。

オルファはニコニコと得意げな表情で、悠人のもとに駆け寄る。

『パパ〜♪ どうだったオルファの活躍!』

『オルファ、こっちにきなさい』

いつもの要領で抱きつこうとする彼女を、エスペリアがぴしゃりとたしなめた。

するとオルファは途端、不満そうな表情を浮かべ、唇を尖らせた。

『え〜!? どうして? せっかく敵さんやっつけたのにぃ!』

オルファはまだ悠人と話をしたいらしく、エスペリアに抗議する。

いつもなら幼い抗議の声に耳を傾けるエスペリアも、今回ばかりは耳を貸すわけにはいかなかった。

『いいから!』

『ぶぅ〜』

エスペリアはオルファの手を引いて、離れた場所に移動する。

オルファは不満そうな表情で、悠人の方を振り返った。

「……きっと、褒めてほしかったんだろうな」

悠人と肩を並べて、柳也が言った。

悠人は頷くと、

「ちょっと、可哀想なことをしちゃったかな」

と、乾いた笑みとともに呟いた。とはいえ、正直なところ、今はエスペリアの配慮がありがたい。

恐怖と焦りに気持ちが逸り、イライラとしているのが、自分でもわかる。

その原因も、自分自身でわかっていた。

「……俺でよければ、愚痴くらい聞いてやるぜ」

耳朶に、柳也の穏やかな調子の声が甘く響く。

一瞬、その優しさに溺れてしまいそうになるも、いいや、と考え直して、悠人はやるせなく首を横に振る。

「…言ったって、どうにもならないさ」

戦わなくてはならないのに、戦うことが出来ない。

これじゃ只の足手まといだ。

佳織を助けるどころか、みんなの命を危険にさらしかねない。

握っていた剣を見つめる。

永遠神剣第四位〈求め〉。

伝説の四神剣のひと振りといわれながら、なんの力も感じさせない、ただの無骨な金属の塊。

柄を強く握り締めても、掌が汗ばんでいることが確認できただけだった。

「くそっ! やっぱり戦うことなんて簡単には出来るか!」

『ユート……』

その時、二人の間から、ぬっ、とアセリアが顔を突き出した。

音もなく気配もなく忍び寄ってきた水色の瞳の少女に、驚いた悠人は思わずのけぞった。

『うわっ! いつからそこにいたんだ』

『ついさっき、エスペリアが話している最中に、抜け出してきたみたいだな』

他方、悠人と違って忍び寄るアセリアの気配を察知していた柳也は、さしたる驚愕もなく、冷静に悠人の疑問に答える。

『……脅かすなよ』

『戦わないのか?』

ほっと胸を撫で下ろす悠人に、アセリアは抑揚のない声で問いかける。

戦わない悠人を咎めているというふうではなく、本当に、ただ疑問に思ったから質問したという感じだ。

悠人は苛立ちも露わな声で、ぶっきらぼうに答える。

『……戦わないんじゃなくて、戦えないんだよ。剣がうんともすんとも言わないんだ』

自分の目を見つめてくるアセリアから、咄嗟に顔を背ける。

自分で自分が情けない。真っ直ぐに見つめてくる少女の純粋な眼差しを、まともに直視することができない自分が。なぜだか、非常にいたたまれない気分だった。

――……でも、どうしていいかわからない……ちくしょう。

あの頭痛すら起きない。

もう二度と、剣を使うことはできないのだろうか。

『戦う気がないから、剣も応えない。剣はとても素直だから。…ユートが戦いたくないなら、戦わなくていい』

淡々と紡がれる言葉は、冷たい響きを孕んでいた。

哀れみや同情、そんな感情はまったく感じられない。

それだけに役に立たないと烙印を押されたような気がしてしまい、悠人はどんどん気持ちが卑屈になってしまう自分を自覚した。

『……怖いんだよ』

悠人の、静かに震える声が、昼のリュケイレムの森へと吸い込まれていった。

『あんなの見たことないし、自分が誰かを殺すなんてリアルになれないんだよ!』

『悠人……』

『りある……ユートは戦うのが、怖いのか?』

不思議そうに聞く。

今の自分のように、戦うことに対して疑問を持ったことは……おそらく、ないのだろう。

有限世界では、むしろ戦うことの方が、リアルなのだ。現代世界の日本のように、戦いのない世界の方が、むしろファンタジーな世界なのだから。

『アセリアは怖くないのか? あんなふうにいつ消えてなくなるか解らないのに』

断末魔の悲鳴をあげながら、消滅していくスピリットの姿が、まだ瞼に焼き付いている。

自分が直接、手を下したわけではないのに、恨みの篭もったあの眼差しと、絶望の吐息。

記憶の中に生々しく刻まれたその瞬間を、自分は生涯、もう決して忘れることができないだろう。

戦うということに対して疑問を持たずにはいられない少年に、戦うことに従順な少女は、淡々と答える。

『……わたしは剣のためにいる。剣が戦えというのならば、戦う』

『剣に従うだけなんて』

悠人が、愕然とした表情で隣の柳也を見る。

縋るような友人の眼差しに対して、柳也は何も答えることができなかった。答えられるはずがなかった。柳也もまた、剣の声を聞いて、剣とともに敵を屠る、狩人なのだ。

『アセリア! こっちに来なさい』

その時、アセリアがいなくなったことに気が付いたエスペリアが、三人のもとに歩み寄ってきた。

『話の途中でいつの間にかいなくなるんですから』

『うん』

エスペリアに促され、オルファの方に歩いていくアセリア。

『申し訳ありませんユートさま』

『いや、俺も落ち着いた。さっきは……その、ごめん』

『いえ。気になさないでくださいませ』

エスペリアはにっこりと笑みを悠人に向けた。いつも見ている、自分達に安らぎを与えてくれる微笑み。

『ここを突破しましょう。それからです。おそらくまだ伏兵が潜んでいると思われます。アセリアも油断しないでください』

『……ん』

『オルファ! 移動しましょう』

アセリアが頷いたのを確認して、エスペリアは森の奥にいるオルファに声をかけた。

トテトテ、と、生い茂る草木を踏み鳴らし、両手に何かを抱え込んだオルファがやってくる。

『は〜〜い! ねぇねぇ、アセリアお姉ちゃん! これ、ネネの実だよ。あっちで見つけたんだぁ〜。はい、あげる♪』

『ん』

抱えていたのは、桃のような木の実だった。

オルファの手袋をした小さな手から受け取ったアセリアは、それを大切そうにウェストポーチのように腰から下げた小袋にしまうと、歩き出す。

『はい、パパ、エスペリアお姉ちゃんも』

『ありがとう、オルファ』

『さんきゅ』

受け取りながら、悠人はオルファの頭を撫でてやる。

オルファは、薄く頬を朱色に染めると、悠人に優しい眼差しを向けた。

『えへへ♪ オルファよくわかんないけど、元気出してね!』

見た目よりも少し硬いネネの実を渡して、アセリアのもとへと走っていくオルファ。

それを微笑ましげに見送りながら、エスペリアは、すっ、と悠人のもとへと近寄る。

今度は、身体が勝手に逃げることはなかった。

悠人の様子に表情を輝かせ、そっとその細い指先を男の頬にのばす。

その小さな指の腹から、彼女の優しさが伝わってくるかのようだった。

『エスペリア……』

足の震えは、いつの間にか止まっていた。

大きく頷き、微笑んでくれるメイド服の少女は、『今度は大丈夫』と、無言で語りかけてくれていた。

『ありがとう、エスペリア…』

今度は、上手くやりたい。

今度は、この笑顔に応えてみせたい。

これは何も自分のためだけではない。

自分のため、そしてみんなのために…悠人はそう、固く心に誓った。

『なぁ……』

『ん?』

突然、重々しい口調で口を開いた柳也に、悠人とエスペリアが振り返る。

柳也は、難しそうに眉根を寄せながら、言葉を続けた。

『……ところで、俺の分のネネの実は?』

柳也は、何も持っていない両手を、にぎにぎ、と開閉すると、悠人とエスペリアを交互に見た。

悠人とエスペリアが、同時に噴き出した。

 

 

――同日、昼。

 

『なんだ、あのスピリットは…!』

ラースへの道程も残すところ五分の二。すでに十人のスピリットを撃退した一行の前に、突如として立ちはだかったのは、たった一人のレッドスピリットだった。

本来ならば取るにたらぬ相手だ。こちらの戦力は非戦闘員の悠人を除いても四人。それに対して、敵はたったの一人。最初に柳也とアセリアが仕掛け、かろうじてそれを凌いだとしても、オルファの神剣魔法がその直後に炸裂する。敵は一回の反撃もできずに金色の霧へと化し、消滅する……そのはずだった。

しかし、件のレッドスピリットは、その四対一の戦力差を跳ね除け、なおも健在でいた。

最初に襲ったアセリアの渾身の一撃を見事に切り払い、続く柳也の攻撃をも捌いた直後、すかさず神剣魔法を放とうと詠唱に集中していたオルファに牽制の一打を加える。

これまで撃破してきたスピリット達は次元を異なる強さに、いまだ沈黙を保つ悠人の〈求め〉までもが、敏感に反応していた。

『もしや…こいつが噂の外人部隊か!?』

『ユートさまっ! あのスピリットは危険です。下がってくださいっ』

エスペリアに言われるまでもなかった。

〈求め〉から掌を伝わってビリビリと流れ込む緊張に、理性よりも先に本能が行動を起こさせていた。

生き延びようという生存本能が、悠人に後退の選択を取らせた。

しかし、狡猾なレッドスピリットは五人の中で最も弱い人間に狙いをつけたらしく、執拗に悠人に迫ろうとする。

『やばい、すぐに追いつかれるぞ…!』

『オルファ、アセリア! ユート様をお願いっ!!』

〈献身〉を中段に構え、叫ぶと同時に駆け出すエスペリア。

『させません!』

緑色の疾風が悠人とレッドスピリットの間に割り込み、大地のマナの厚い防御壁が赤い一撃を阻む。

エスペリアが敵の攻撃を受け止めているその隙に、なんとか悠人は敵の間合いから離脱する。

『…ん!』

命からがら逃げ延びた悠人を、かばうようにアセリアが前に出た。

続いて柳也も、肥後の豪剣を正眼に、油断なく悠人の前へと立つ。

ブルースピリットであるアセリアは、レッドスピリットの神剣魔法を無力化することができるが、防御には欠ける。逆にエトランジェである柳也は、神剣魔法を無力化することはできないが、ピンポイントであればグリーンスピリットにも匹敵する防御壁を張り巡らせることができる。

この二人が悠人の守りに着いてくれるなら、ひとまずは安心だ。

『エスペリアお姉ちゃん!』

『下がってオルファッ!』

後方の守りが磐石なことを確認すると、エスペリアは眼前のレッドスピリットへと全神経を集中させる。

目の前の敵は、他所事を考えて挑めるほど生半可な強さではない。また、相手は自分達グリーンスピリットにとって、天敵ともいえるレッドスピリットだ。神剣魔法の呪文詠唱を、紡ぐ暇を与えてはならない。

通常攻撃に対しては鉄壁の防御を誇るグリーンスピリットだが、反面、彼女達はレッドスピリットの神剣魔法に対して、ほとんど抵抗力を持たない。すべての生命を生み出す大地のマナは、すべての生命を呑み込む炎のマナに弱いのだ。

――短期決戦で、終わらせないと…!

決意したエスペリアは、〈献身〉を中段に攻撃の手を休めることなく、敵を開けた場所へと誘導する。木々が密集する森の中では、槍型の永遠神剣の取り回しは困難だからだ。

必然、エスペリアの姿は悠人達から見えない場所へと移動し、グリーンスピリットの少女は、ひとり孤独な戦いに身を投じることになる。

『〈献身〉よ…私に力を貸して!』

エスペリアの手の中で、〈献身〉の穂先が輝きを帯びた。

神剣の切っ先に大地のマナが集束し、必殺の刺突が、長髪のレッドスピリットを襲う。

強力な神剣魔法を扱えるのと引き替えに、レッドスピリットの防御力は弱体だ。彼女たちの張るマインド・シールドは、ブルースピリットのウォーター・シールドの半分程度の強度と防御面積しか持たない。その程度の防御壁であれば、アセリアほどのパワーのない自分でも、一撃で突破することができるはず。

そう思って渾身の一撃を振るうエスペリアだったが、対峙するレッドスピリットは素早い身のこなしで攻撃を避けると、エスペリアが自ら詰めた間合いを利用して、西洋の騎士が持つランスのような永遠神剣を、大振りに突き上げた。

エスペリアは咄嗟に、前面に防御壁を張り巡らす。

大気中のマナを高密度に集め、盾としたグリーンスピリットのアキュレイド・ブロック。

必殺の刺突の威力はエスペリアの防御壁に殺され、逆に衝撃でレッドスピリットの身体は弾き飛ばされてしまう。

だが、弾き飛ばしたと思ったのは、敵の作戦だった。

『…マナよ、渦巻く炎となれ』

エスペリアの防御壁に弾かれ、地面に着地した瞬間にはもう、レッドスピリットは神剣魔法の詠唱を完成させていた。

赤い髪の少女が突き立てるランスを中心に、燃え盛る魔法陣が出現する。

しまった……! と、思ったエスペリアが、次にくるであろう攻撃を避けようと身を翻した時には、もう、遅かった。

『インフェルノ!』

レッドスピリットの魔法陣から、文字通り、焦熱地獄が顕現した。

 

 

凄まじい爆発音。

十メートル以上の距離を隔ててなお頬を叩く熱風。

つんざく悲鳴は劫火に飲み込まれ、紅蓮に染まる視界の中で、少女の姿を探すことは困難だった。

『お姉ちゃ――――んっっ!』

『エスペリアッ!!』

オルファと悠人の悲痛な叫びが同時に重なる。

先刻のスピリットは、素人目にも自分達を圧倒する戦力を有していた。

もしや、エスペリアは今の爆発によって……!?

――また…俺の周りの人が死ぬ? 俺のせい……で?

瞬時に喉がカラカラに渇き、首筋を冷たい汗が伝っていく。

最大の恐怖が、悠人の体と心を支配した。

悠人にとって自分の周りの人間が、自分のために死んでいくことは、己自身の死よりも恐るべき事態だった。

少年の意識は、一気に遠い過去の時代……実の両親が死んだ日、そして義理の両親が死んだその日へと遡っていった。

――また、あれが繰り返されるのか……?

白い病院の壁。ただ泣いていることしかできなかった自分。爆散する飛行機の映像。炎の中に消えた父母の面影。か細い吐息を紡ぐ佳織。何人もの医師や看護師が出入りする病室で、途方もない孤独に打ち震えていた、幼い少年…。

――嫌だ……いやだ……!

心が、拒絶反応を起こす。

幼き頃の最悪の日に意識を置いた少年は、無我夢中で叫んだ。

『エスペリア! エスペリアッ!』

『……ユート。動かない』

咄嗟に駆け出そうとする悠人を、前を向いたままアセリアが押さえ込む。

華奢な身体のどこにそんな力を秘めているのか、悠人が必死に振り払おうとしても、ピクリともしない。

『はなせっ、アセリア! エスペリアを助けないと!』

『いまは……だめ。ユートを護る』

『どうしてだよっ。エスペリアが死んじまう! 俺のせいで! 俺のせいで!』

『……ユート、落ち着け』

『落ち着いてられるかよっ。どけアセリア!』

『…………』

無言のまま、アセリアはなおも悠人を行かせまいと腕に力を篭める。

他方、非力な悠人を庇うように前に立つ柳也といえば、己の神剣を伝わって感じる強大な力に、眉を引き攣らせていた。

――まさか、あのエスペリアが…ッ!?

言葉では形容しがたい不安が、柳也の背筋を駆け上る。

訓練で何度も刃を交わした相手だ。エスペリアの実力は柳也もよく知っている。穏やかな微笑みの下に隠した強大な戦闘力は、全幅の信頼を寄せるに値するものだ。あの彼女が、そうそう簡単にやられるはずがない。とはいえ、この爆発の中では……。

一瞬、最悪の想像が頭の中を疾走し、柳也は頭を振る。

高位の神剣魔法が発動したためか、周辺の大気には膨大な量のマナが溢れ、〈決意〉のレーダーをもってしても、どれがエスペリアのマナか判別ができない。

――目視で確認するしかないか…ッ。

『オルファ! エスペリアの援護に行くぞッ』

『うん! お姉ちゃんっ! いまいくから』

『アセリア、悠人を頼む』

『ん……』

それぞれ剣を構え、炎の中へと飛び込む二人。

柳也の同田貫と、オルファの〈理念〉がのたうつ炎を薙ぎ払うと、まるでモーセの紅海割れの如く炎が左右へと退き、二人分の道ができる。

柳也とオルファは、その中を滑るように疾走した。

炎の渦へと飲み込まれる二人の後ろ姿に、悠人はなおも髪を振り乱し、アセリアに食ってかかる。

『柳也ッ! オルファッ! 離せアセリア、離せッ!』

『……ユートが行ってどうなる。役に立たない』

『………!』

ほとんど半狂乱になって叫ぶ悠人に、アセリアは冷たく告げた。

相変わらずの淡々とした、抑揚のない調子。しかしその言葉は、悠人の心に深々と突き刺さる。

――お前は何もできない。

――人に任せておけ。

――それは何の意味もない。

実の両親を失ったあの日に。

そして、佳織の両親を失ったあの日に。

何度も、何度も、繰り返し、耳にしたフレーズ。

無力な自分を思い知らされ、災厄を振り撒く者としての烙印を決定づけた言葉の数々。

耳の奥で繰り返しこだまするその言葉は、いつしかアセリアの声ではなくなっていた。顔も、名前も、声質すらも忘れていたはずの、大人たちの声へと変わっていた。

――……もう、たくさんだ。

暴れる悠人の全身から、急速に力が抜けていった。

自分自身の不甲斐なさに絶望し、立ち竦む。

何度も、何度も、瞬に言われ続けてきた忌むべき渾名が、実感を伴って胸の奥に去来する。

――やはり俺は…疫病神、なのか……!

悔しさに、涙が出そうになった。

しかし、悠人はぐっと堪えて拳を握った。

――泣いている場合じゃない……泣いても、エスペリアは助けられない!

『……ん。エスペリアは強い…』

燃えるような瞳で紅蓮に包まれる戦場を見つめる悠人の横顔に、アセリアが声をかけた。

目鼻立ちの整ったその顔には、わずかに笑みが浮かんでいる。そこには、エスペリアに対する絶対の信頼があるようだった。

『それに、リュウヤとオルファも行った。オルファの魔法は強力だ。リュウヤは……ん、よくわからないけど、たぶん、強い』

『……なんだよ、それ』

悲しみを通り越して、苦笑いが悠人の表情に浮かんだ時、

 

“BLASH!!!”

 

『……!!』

『な、なんだ…ッ!?』

耳をつんざく暴力の絶叫と、網膜を焼く破滅の炎。

圧倒的な大音響と閃光に、一瞬にしてアセリアと悠人の視界は奪われ、目の前が真っ白な闇に包まれる。

爆音と閃光はきっかり五秒間、続いた。

しかし、許容量の限界を超える大音響と光芒の影響は、その後も数十秒、悠人達の感覚を麻痺させていた。

何も見えない、何も聞こえない時間が数十秒、続き、やがて二人に正常な視力と聴力が戻ってくる。

ガサガサ、と音を立てて、草むらを掻き分け、傷だらけのエスペリアと、それを肩で支える柳也、そして後ろから姉と慕う少女を心配そうに見つめるオルファがやってきた。

『ュ…ートさま。…ご無事で、したか…?』

『喋るな、エスペリア!』

今にも倒れそうな顔色で、それでも悠人を安心させるように、エスペリアは微笑みかける。

柳也が険しい表情で叱責するのも構わず、彼女が弱々しく言葉を吐き出した。

『くぅ……。申し訳ありません』

謝罪の言葉を述べると同時に、エスペリアの意識を繋ぐ糸がプツリと切れる。

崩れ落ちるエスペリアを、柳也は必死に支えた。

 

 

『……っていう次第だ。こっちは手負いのエスペリアを抱えていたからな。即席で特殊音響閃光手榴弾を作って、相手が怯んだところで逃げ出すしかできなかった』

大木の幹の側、苦渋に満ちた語調で、悔しげに胡坐をかいた柳也が言う。

しかし彼の説明は、ほとんど悠人には聞こえていなかった。

エスペリアが倒れてからしばらく、悠人達はその場に止まっていた。正確にいうと、止まらざるをえなかったのだ。本当ならば再度の襲撃を警戒して場所を移動させるべきなのだが、重傷のエスペリアを下手に動かすのは危険と判断した柳也が、この場に止まることを提案したのである。悠人としても、この提案を拒む理由はなく、アセリアとオルファの二人も反対意見は出なかった。

エスペリアは、重傷を負ってはいたが、命に別状はなかった。また、意識もはっきりとしていた。

水を含んだ布で顔を拭いたり、服を緩めてオルファが一生懸命に介抱していると、彼女はすぐに意識を取り戻した。

今はオルファに上体を起こしてもらい、水を飲んでいる。

スピリットの着る戦闘服は防御力に優れ、外傷はそれほど目立っていない。しかし、大きなダメージを負っていることは顔色からも簡単に読み取ることができる。

水を飲み終えたエスペリアは、悠人の姿を見るなり口を開いた。

『ご無事で…なにより、です…ユートさま……』

ほとんど聞き取れないくらいの、小さく、か細い声。

途切れ途切れの呟きにも近い言葉に、悠人は堪えきれずに唇を噛む。

『…なんで……なんでだよ…』

ギリリ、と、歯を食いしばるその音が、柳也のところまで聞こえてくるほどだった。

『なに言ってるんだよ…ッ! あんな危険な敵と、なんで一人で戦おうとしたんだ!』

自分のことなどどうだっていい。

エスペリアの言葉の意味がわからず、悠人は怒りにまかせて大声を出す。

『今だってもしかしたら、死んじまったかもしれないじゃないか! 危険な事して、なにかあったらどうするつもりなんだよ!』

『悠人…』

怒声一喝。

普段、滅多に本気で怒らない友人の、心からの叫び。

その一語、一語が耳に届くその都度、柳也は自分自身を責められているかのような錯覚に陥ってしまう。

――…結局、俺は守れなかったんだな……。

強くなれ。

大切なものを守れる、強い男になれ。

今は亡き父は、最期にそう言って、炎の中に消えていった。

柳也は閂に差した大小と、左手に巻いた腕時計に手をやって、歯噛みする。

――なんだよ、俺は……あの頃から、ぜんぜん、強くなってなんかいないじゃないか……ッ!

まだ幼すぎて世間を知らなかった少年時代、野犬の群れに立ち向かった、あの日の自分。

そして、有限世界にくる前夜、瞬を守るためにタキオスとメダリオに立ち向かった自分。

――俺は、また、守れなかった…。エスペリアを守れなかった……!!

握り締めた拳は固く、掌に食い込む爪からは、赤い筋が流れて、地面に落ちる。

苦渋に満ちた二人の少年の顔を見比べて、エスペリアは少し困ったように微笑んだ。

そしてもう一口、水を飲んで喉を潤し、舌を湿らせてから、彼女は口を開いた。

『ユートさま。私たちは、戦うためにいます。それが私たち、スピリットの役目なのです。ユートさま、そしてリュウヤさまは人です。私たちは人を護ります。それが、私たちが存在している理由ですから。

お二人のために、私が消えることなど……たいした問題ではありません』

平然と言い放つエスペリア。

その口調に迷いはなく、自分の生き方について何ら疑問を抱いていないようだった。

しかし有限世界に生きるスピリットの言葉は、現代世界に生きた少年にとって、聞き捨てならないものだった。

悠人の中で、言いようのない怒りと悲しみが湧き上がる。

『俺のために、消えることが問題ないだって?』

そんなことを簡単に口にしてしまうエスペリアが、信じられなかった。

自分は佳織を助けるために、この戦場にやってきている。他の誰でもない、佳織のためだけにだ。

――でもそのために誰かが死ぬのは嫌だ!

もう自分だけ生き残って、周りだけ死んでいくのは我慢できなかった。

他人の命を踏み台にして、自分だけ生き残るなど……!

『……自分が死ぬだけで佳織が助かるなら、俺だって喜んで死んでやる!』

悠人は、絞り出すように吠えた。

『でもそれじゃダメなんだ! 俺が生きてなきゃ佳織は助けられないんだよ! ……生きて、戦い続けなきゃ…!』

言いたい事が、どんどんと自分の奥底から湧き上がってくる。

はたして、自分はこんなにも饒舌な人間だっただろうか。

それさえも疑問に思わず、狂おしいほどの感情の昂ぶりが、悠人の心を、体を、突き動かした。

『パパぁ……』

場を支配する重い空気に、涙目のオルファ。

しかし、ここで言葉を止めることなどできはしない。

言葉を止めるわけには、いかない。

『だから…勝手に、勝手に消えようとなんかするなよっ! 俺を残していかないでくれ!! そんなことをされて、残された奴はどうすればいいんだよ!』

悠人の瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。

『もう俺の前で…誰も消えてほしくない! 勝手に死んだりしないでくれ! 頼むからっ!』

己自身が、どうしようもなく情けなかった。

自分のことを守ってくれたエスペリアたちに向かって、勝手な感情をぶつけている自分が。

しかしそれは紛れもない悠人の本心だった。自分は、もう、誰にも死んでほしくはなかった。

『ユートさまは、私たちに生きろ……と、仰るのですか?』

エスペリアは、信じられないといった口調で言った。

『スピリットである私たちに』

『そうだ! エスペリアもオルファも…アセリアも! こうして俺と話して、一緒に生きている人間じゃないか!』

『私たちは人間じゃありません。スピリットなのですから』

多分に、諦めの篭められた言葉を紡ぐエスペリア。

それは疑うことなき、この世界の常識的価値観。

『なんだよそれ! そんなことどうだっていいだろ!? 俺にとっちゃ同じなんだよ!!』

しかし悠人は……異世界からのエトランジェは、それを認めようとしない。認められない。認められないからこそ、彼は叫ぶ。涙を拭かず、唾を飛ばし、エスペリアの言葉を遮って、思いのたけりを吐き出す。

『俺はエスペリアが…みんなが死ぬのが嫌なんだ! 人間もスピリットもない!!』

『…………』

悠人の言葉に、エスペリアは沈黙をもって答える。

この世界の常識が通用しない人間。目の前の男に対して、悲痛な眼差しを注ぐ。

まるで、そんな考えでは、いつかきっと後悔する、と言っているかのように。

そんなエスペリアに、いやエスペリアだけではない、黙って悠人の言葉を聞いているオルファやアセリアにも、かぶせるように柳也が口を開く。

『…俺も、悠人と同意見だな』

柳也は、いつになく真剣な眼差しで少女達の顔を見回した。

『もともとこの世界の住人ではない俺達に、この世界の常識や価値観について、とやかく言う資格なんてないのは分かっている。……分かっている、けど、よ、良くも悪くも、俺達は別世界の人間なんだよな。

…少なくとも、俺の常識と価値観に照らし合わせると、エスペリアは、エスペリアだ。オルファはオルファ、アセリアは、アセリア以外の何者でもない。スピリットとか、人間だとか、そんなカテゴリーは関係ない。……みんな、俺の、大切な仲間だ。勿論、悠人もな』

柳也の心からの言葉に、悠人もまた頷く。

柳也は、決然とした眼差しで彼女達を見た。

『申し訳ないが、俺ら、向こうじゃまだ成人前のガキなんだ。スピリットだからとか、人間じゃないからとか、そう簡単に、切り捨てられるほど、人間できてないんだよ。

仲間が傷つくのを見るのは嫌だし、仲間が死んでいくのを見るのは、もっと嫌だ。そんな光景を目の当たりにしたら、俺は全力で守りにいくぜ。たとえそれがスピリットだろうと、人間だろうと。…まぁ、そのために別の誰かを倒すっていうんだから、向こうにしたら迷惑な話だろうけどさ』

柳也は、そう言って立ち上がると、ニヤリと笑ってエスペリア達を見た。とてもいやらしい笑いだった。

『……それに、エスペリア達はみんな美人だしな。男にとって、美女を守る事以上に、やり甲斐のある仕事はない』

『リュウヤさま……』

大切なものを守るために。

大切な仲間を守るために。

人間だろうと、スピリットだろうと関係ない。

仲間は、仲間なのだ。

仲間のために、身体を張るのは、当然のことなのだ。

『……おんなじなんだよ。なにが違うもんか』

悠人は、腰に佩いた〈求め〉を決然と掴んだ。

『エスペリア、教えてくれ。前に俺の剣は眠っている…って言ってたよな?』

表情を引き締め、コクリ、と頷くエスペリア。

『俺も戦う……死なせるもんか。佳織も、エスペリアも、アセリアも、オルファも…柳也も』

悠人はエスペリアの顔をじっと見つめた。

『どうやれば剣を叩き起こせる? 方法を教えてくれ!』

悔しいが今の自分の力などちっぽけなものに過ぎない。

それだけは、誰よりも自分がよく分かっていることだ。

己が無力なこと…有限世界でも、現代世界でも変わらない。

しかし、あの“力”が手に入るならば……。

それで悲しい思いをせずにすむのなら……。

『頼む、エスペリア! 俺は力が欲しい! 戦う力が!』

心の底から切望する。

エスペリアは、自分の真意を計るように、真っ直ぐな眼差しを向けてくる。

悠人はまったく目を逸らすことなく、その視線をじっと見返した。

『パパ…』

『……』

しばらくの沈黙。

エスペリアの顔に、悲しみとも哀れみともつかない表情が一瞬浮かび、また、一瞬にして消えていった。

エスペリアは厳しい顔で悠人を見つめると、決然と口を開いた。

『ユートさま……。ユートさまの剣はまだ眠っています。これは以前にもお話しした通りです』

エスペリアの言葉に、悠人は頷く。

『ユートさまの剣は、何らかの理由によって休眠状態にいるようなのです。私の〈献身〉を通じて、それはわかります。…理由はわかりません。ですが、力を持つ永遠神剣で強引に剣自身に語りかければ……あるいは』

そこまで話したところで、エスペリアの表情が不安げに曇った。

『ただ……』

『ただ?』

『……はい』

その先の言葉を言いづらそうにしていたエスペリアだったが、先を促す悠人の声に、最後の決心を固めたらしい。

『ユートさまの剣〈求め〉が、本当にユートさまの力になるか……それはわかりません』

『…………』

『……ユートさまの剣は、力が強すぎるのです。強すぎる剣は、運命すら変えると言われています。それが私は不安なのです』

運命すら変える力。

なんとなく、分かるような気がする。

目の前の、一見、小柄で非力な少女達が持つ、絶大な力。そして友人の少年が繰る、圧倒的な戦闘力。

エスペリアは、自分達の永遠神剣は下位の神剣だと言っていた。そして悠人の神剣は、エスペリア達のものをはるかに上回る力を有していると言った。

僅かに一瞬、不安が心の中に去来する。

それほどの強大な力を、はたして一介の学生にすぎない自分に、使いこなせるだろうか……?

しかし、不安は一瞬にして消え去った。

今は悩むよりも、行動しなければならない時だった。

『……それでも、いい…』

悠人は、力強く頷いた。

『俺はそれでも力が欲しい。もう嫌なんだ。何もしないでいるのは』

『……わかりました。それでは試してみましょう』

僅かな沈黙の後、エスペリアはアセリアに目線をやった。

『アセリアと〈存在〉ならば、〈求め〉に語りかけることができるでしょう。私のいまの力では、ユートさまをお助けできません。申し訳ありません』

『気にしないでくれ。アセリア、頼めるか?』

『……ん』

悠人の言葉に、こくりと頷くアセリア。

剣の力。

それはおそらく、あの現代世界での頭痛と、あの不愉快で不吉な声に関連することだろう。

あの声を呼び起こすのが怖くないといえば嘘になる。しかし、あの強大な意志の力を宿せるのなら……多少のリスクは、覚悟の上だった。

『今の俺には、戦うしか選択肢がないんだ』

『悠人……』

真っ直ぐな瞳にたたえた決意の炎。

双眸に焚く輝きを見出し、柳也は口を開く。

『俺は、俺と〈決意〉の関係は、比較的良好だという自負している。だから、あんまりアドバイスはできないんだが。……もし、剣の意志が自分の言うことを聞かないようだったら、ねじ伏せろ。力づくで言うことを聞かせてやれ』

『ああ。やれるだけ、やってみる』

柳也の言葉に、悠人は強い決意とともに頷く。

その言葉に、柳也は安心したように表情を緩めた。

『ユート……。剣を、私の剣と重ねて』

悠人と向き合い、アセリアは自分の剣を抜いて構える。

アセリアの〈存在〉は厚い刀身を持っており、何より巨大だった。柄の長さは小型の槍ほどもあり、それでいて刀身長は刀ほどもある。無骨な姿からは想像もできぬほど、刃は滑らかな光沢を放ち、切れ味の鋭さは素人目にも明らかだった。まさに、〈存在〉の名に相応しい、威容を持った神剣だ。

その剣の奥には、相変わらず感情を見せないアセリアの深い瞳。

『アセリアが私たちのなかで、一番に剣の言葉がわかります。ユートさま、アセリアにすべてを任せてください』

横からのエスペリアの言葉に、悠人は静かに頷く。

メイド服の少女は水の妖精に向き直ると、強い口調で言った。

『お願いします。アセリア』

『頼む』

『……ん』

いつもの短い返事で、アセリアが頷く。

三人が不安そうに見守る中、悠人は〈求め〉の柄を握りなおし、構えた。

無骨な鉄塊を握る自分の掌は、驚くほど汗で濡れていた。

――俺は脅えているのか? 剣の力を起こすことに。

アセリア瞳に映る己の姿が、自分自身がこれからしようとしていることに、本当に正しいのかと問いかける。

剣の力が目覚めたからといって、自分が戦うことができるのかもわからない。

「でも…佳織のために、俺のために、今はやるしかない」

『……どうする? ユート』 

『頼む、アセリア』

アセリアの〈存在〉の切っ先に、〈求め〉の切っ先を合わせる。

その瞬間、悠人は、たしかに聞いた。

極々小さな音。

だが、音叉のように周囲に響いていく音。

こころなしか、周囲の大気にも音の波紋が伝わっているかのようだった。

『……ん。ユート……、意識を……重ねて』

『やってみる』

言われるままに、意識を集中し、研ぎ澄ます。

これまで見えなかったものが見えるようになり、これまで聞こえなかったものが、聞こえるようになっていく。

――……これは、アセリアの鼓動か?

重ね合わせた神剣からつたわってくる、一定のリズムの旋律。

意味をなさない音のようなそれが、剣から手、そして心へと繋がっていく。

アセリアの存在を、物凄く”近く”感じた。

やがて頭の中に聞こえてくる、奇妙に鮮明な声。

――ユート……聞こえるか?

――!? ア、アセリアか?

――……うん、そう……なにを驚いている?

アセリアの言葉が、いや意識が、直接、頭の中に語りかける。

雑音が一つもない世界で、囁くようなアセリアの声。

――テレパシーみたいなもんなのか? これは……。

――てれぱしー? なんのこと?

自分の考えていることに、そのまま反応を返してくる。

普通に考えればありえないその事態に、不思議と、悠人の順応は早かった。心の声で会話していることを、奇妙なほどに自然に、受け入れられた。

――いや、気にしないで続けてくれ。

――…ん、そうか。

――アセリア、俺はどうしたらいいんだ? 剣の力を引き出すには…?

――……わたしの〈存在〉を使って、ユートの〈求め〉を揺さぶる。いまユートの剣…〈求め〉は眠っているから……。ユートは剣の声を聞いて。

剣の声……。

現代世界では毎日のように語りかけてきたのに、この世界にきてからは、微弱になっていた。

本当に声が戻ってくるのか。

不安がないといえば、嘘になる。

――……ユーと、はじめる…。わたしの音に、ユートの音を合わせて。

――わ、わかった。やってみる。

アセリアの剣から聞こえる音に、自分の剣からも聞こえる音をゆっくりと重ねる。やり方は、感覚的に理解できた。

鼓動音を聞きながら、タイミングを合わせていく。

――…………。

――む、むずかしい……。

金属の汎用音のような澄んだアセリアの音に対し、自分の音は雑音まじりのもの。

合わせようと努力はしているも、なかなか、上手くいかない。

それでも、どうにしかして相手の音を聴き、自分の音を近づけていく。

不意に、頭の中に響く鼓動音が、一つに重なった。冷たい金属の響きと雑音混じりの不快音がひとつに溶け合い、絶妙なハーモニーを奏で始めた。

と同時に、それまで“近い”と感じていたアセリアの存在が、まるで自分の一部になったかのような、奇妙な、それでいて不快ではない感覚が、実感として悠人の中に生まれた。

――あ………こんな…感じか? 不思議な感覚だ。俺のなのか、アセリアなのか…。

――……ユート。〈求め〉を起こしてくる。

アセリアの声が、アセリアの意志が、先ほどまでよりもっと近くに感じた。

――たぶん〈求め〉が話してくる……それに答えて。

――わかった。

唐突に、アセリアの意識が消えた。

悠人は、静かな意識の中で、じっと言葉を待った……。

 

 

神剣との対話を試みているのか、アセリアと神剣を重ね合わせた途端、悠人は彫像のように動かなくなってしまった。

『パパ、大丈夫かなぁ?』

言葉を失い、焦点の定まらぬ視線でアセリアを見つめる悠人の様子に、心配そうにオルファが呟く。

幼い眼差しに見つめられた柳也は、穏やかに笑うと、自分よりいくぶん年下の少女の頭を、そっと撫でさすった。

『大丈夫。…俺の知る限り、高嶺悠人という男は、やる時はやる男だから』

柳也は、この有限世界に落ちてくる以前、まだ学生服の袖に腕を通していた日々の出来事を思い出す。

『俺の知っている高嶺悠人という男は、普段、本気になることはあまりないが、一度、物事に対して真剣に打ち込む決意を固めると、凄まじい力を発揮する。どんな障害にぶち当たったとしても、決して折れない不屈の心を持っている。……だから、今度も大丈夫だ』

柳也はオルファの頭から手を離すと、エスペリアのもとにそっと腰を下ろした。

『傷の具合はどうだ?』

『…申し訳ありません。まだすぐに動けそうには……』

自身の回復魔法の効能で、だいぶ治癒が進んでいるとはいえ、エスペリアの顔色はまだ優れない。弱った身体で、弱った自分に対しての魔法だから、効果が薄いようだ。

『謝る必要はないさ。むしろ、エトランジェなんてご大層な名前で呼ばれながら、回復魔法の一つも使えない自分が情けない』

『そんな……』

【主よ、汝が決意を聞かせてくれれば、その程度のことは我にも可能だ】

頭の中に響く〈決意〉の声のイメージ。やや不機嫌そうな語調なのは、柳也が自分を侮辱するかのような発言を口にしたからだろう。

【この妖精の傷を取り除くくらい、主が決意を聞かせさえしてくれれば、造作もなきことよ】

「…だったら、今すぐにでも俺の決意を聞かせてやるよ」

『……?』

『ああ、こっちの話だ』

柳也の独り言に不思議そうな顔をするエスペリアに、少年は穏やかな笑みを向ける。

しかし彼はすぐに表情を引き締めると、エスペリアの目の前で静かに瞑目した。

『……リュウヤさま?』

突然、目を閉じて沈黙してしまった柳也に、エスペリアが訝しげに声をかける。

今や目の前の少年剣士の耳に、エスペリアの声は聞こえていなかった。

彼は今、五感のすべてを己の内側へと集中し、外界からの情報をすべて遮断していた。

柳也の意識は、柳也の意識の中にのみ向けられ、そこには同時に、〈決意〉の意識が存在していた。

柳也は、己の肉体と一体化している無二の相棒と向き合った。

【主よ…】

――…俺は、エスペリアが苦しむ様子を見ていられない。できることならば、エスペリアの傷を治したい。いや、治してみせる。…俺はエスペリアの傷を、治す!

【……よかろう。汝の決意、聞き入れた】

暗闇で閉ざされた自分の意識の世界。

そこに一条の光明が差し、視界が開ける。

目の前の少女を守ることができなかった後悔が、柳也の心に新たな決意を生み、その決意が、彼に新たな力を授ける。

いつものように、力の使い方は、自然と頭の中に入ってきた。

少年は、すぅっ、と静かに目を開くと、エスペリアの胸に手を置いた。たわわな膨らみの柔らかく、温かい感触が柳也の掌に触れた。

『りゅ、リュウヤさま!?』

突然の柳也の行動に、エスペリアが混乱極まった表情で彼の名を呼ぶ。

何事かと二人を振り返るオルファ。

頭の中に次々と浮かぶ、言葉の羅列。一語、一語に、偉大なる大地の原始生命の力を宿したその詠唱を、柳也は、自らの舌で紡いだ。

『我が闘志のオーラフォトンよ、今は安らぎの光となりて、傷負いし者達の癒しの糧となれ』

一語、一語を紡ぐその都度、柳也の掌を中心に、熱いオーラの輝きが集束する。

柳也自身が闘志のオーラフォトンと表現したように,無限大に等しい彼の闘気のオーラフォトンは炎のように熱く、稲妻のように激しい。

胸元に手を置かれたエスペリアも、ようやく柳也が呪文詠唱をしているのだと分かった。

『オーラヒート・ヒール』

詠唱が完結し、熱いオーラフォトンの奔流が柳也の手を通してエスペリアの体内へと流れ込む。

肉体を構成するマナの一つ一つを熱く滾らせる、自分達グリーンスピリットの癒しの回復魔法とは違うマナの感触に、エスペリアは心地良さそうに表情を緩めた。

『これは……』

『回復魔法の一つも使えない自分が情けない……って、言ったら、〈決意〉に怒られた。その気になれば自分にだってそれぐらい可能だ。馬鹿にするな、ってさ』

柳也はそっとエスペリアの胸元から手を引くと、にっこりと笑った。

『もっとも、覚醒させたばかりの力だから、どれくらいの効果があるかは俺にもわからん。ないよりはマシ……程度のものと考えてくれ』

【主よ、失礼なことを言うでない】

痛切に頭に響く〈決意〉の声。突如として襲ってきた頭痛に、柳也は僅かに顔をしかめる。今日の相棒は、どうしてなかなかご機嫌斜めのようだ。

【我の神剣魔法と主の精霊光をもってすれば、この妖精の怪我など全治は容易きことよ】

――けどよ、エスペリア、すぐに動けるようになってないじゃないか?

【それは……無論、時間はかかる】

途端、歯切れの悪い返事になってしまう〈決意〉。

『だいじょうぶ? だいじょうぶ?』

その時、〈決意〉との会話に夢中になっていた柳也の耳朶を、オルファの甲高い声が打った。

振り返ると、不安そうなオルファを安心させようとしてか、幼い少女の真摯な眼差しに頷く悠人の姿が視界に映ずる。

どうやら、〈求め〉との対話は終わったらしい。

『あ、ああ。だいじょうぶみたいだ』

久しぶりの発声に必然、掠れた声になってしまう悠人。

しかし思いのほか元気そうなその様子に、オルファがホッと安堵の息をつく。

『よかった〜。パパ、ずぅ〜〜っとボーッとしちゃってるんだもん』

勿論、悠人の身を案じていたのはオルファだけではない。

悠人が意識を取り戻したのを見て、柳也とエスペリアも顔を見合わせ、互いの安堵を確認し合う。

エスペリアは柳也に上体を支えられながらの体勢で口を開いた。

『……〈求め〉は目覚めたようですね』

『そう、みたいだ。これが永遠神剣の感覚なのか』

知覚の拡大……そうとしか呼べない感覚が、悠人の中で渦を巻いていた。剣を通じて、今までは感じ取ることのできなかった様々な情報が、頭の中に入ってくる。

『アセリアの剣、エスペリア、オルファ、それに柳也の剣が感じられる。まるでレーダーでもつけているみたいだ』

『ほぅ……』

悠人の感嘆の呟きに、柳也は感心したように吐息を漏らした。

自分が〈決意〉を覚醒させてからしばらくの期間を挟んで、ようやく扱えるようになった永遠神剣のレーダーを、悠人はもう使いこなしている。

さすがは、第四位の永遠神剣といったところか。覚醒と同時に契約者に与える力も、第七位の〈決意〉とは比べ物にならないようだ。

実際、一見、特に変わった様子のない友人の神剣からは、凄まじい力が感じられた。今はまだ悠人の技量がその絶大な力に追いついていないためか、それほどでもないが、自分やエスペリア達の神剣とは次元の異なった潜在能力が窺える。

【主よ…】

語りかけてくる〈決意〉の声のイメージも、僅かに震えていた。意識の内側に染み渡る震動が伝える感情の揺らぎは、おそらく恐怖だろう。

その気持ちは柳也も分からなくはない。

例え味方と分かっていても、友人の持つ永遠神剣が放つ存在感と威圧感は、ちょっとでも集中を欠けば、すぐに気当たりしてしまいかねないほど凄まじかった。

『これなら、戦うことが出来る!』

自分の全身に漲る、途方もなく強大な力を実感して、悠人は自信に満ちた表情で頷いた。

『私の剣が共鳴しています。ユート様は〈求め〉の力を使えるはずです』

『わかった』

『これでパパもいっしょにたたかえるんだね♪ ガンバローね!』

『そうだな。オルファ』

意気揚々としたオルファの言葉に、悠人が答えたその時だった。

柳也の、アセリアの、エスペリアの、オルファの、そして悠人の頭の中に、甲高い警告音が轟いた。金属同士を打ち鳴らすような音を初めて聴いた悠人も、すぐにそれが何らかの危険が迫っていることを示す警鐘だと理解する。

そして警告の鐘がそれぞれの頭の中で鳴り響くと同時に、一行の周囲を取り囲むように、いくつもの永遠神剣の気配が出現した。

『囲まれた……。しかも、二部隊以上…』

感じられる神剣の気配は一つや二つではない。少なくとも、柳也達の周辺には六つの永遠神剣の気配が感じられた。無論、柳也達以外の気配で、だ。

『……みたいですね。申し訳ありません。私がこんな状態でなければ……』

悔しそうに〈献身〉の柄を見つめ、およそ戦いに向いているとは思えないその小さく白い拳を握るエスペリア。

自身の不甲斐なさに自責の念すら覚えているそんな彼女に、異世界からやってきた少年達は、力強く言った。

『だからエスペリアが謝る必要はないって。…言ったろ? 美人を守って戦えるのなら、本望さ』

『ここは何がなんでも突破しよう。俺もできる限り、アセリアたちの手伝いをする

自信があるわけではない。

また、体内に渦巻くその力を過信しているわけでもない。

ただ生き延びるために、やるしかないということを、悠人は実感する。

「……お互い、覚悟ができたみたいだな」

すでに戦う決意を固め、戦場に身を投じる覚悟を果たしていた友人が、祖国の言葉で語りかける。

悠人はその言葉にはっきりと頷くと、同じく日本語で言った。

「この力は俺のものじゃない。エスペリアの不安通り、普通じゃない事は俺にもわかる。…でも、それでもいい。今は戦うことができれば!」

「……そうか」

柳也は、一瞬だけ寂しげな表情を顔に浮かべると、悠人の横顔を頼もしげに見つめた。

『頼りにしているぜ、悠人!』

『ああ。…アセリア、オルファ……力を貸してくれ!』

『まかせて!』

『……ん。わかった』

悠人の声に、元気良く答えるオルファと、相変わらずの調子で応じるアセリア。

頼もしい仲間達の声に、悠人は心がふつふつと沸きあがるのを感じていた。

周辺の木々のざわめきが、やけに大きく聞こえ始めていた。

三つの神剣の気配が、こちらに向かって真っ直ぐ接近を開始していた。

柳也達は不思議なほど手に馴染む神剣を構えると、エスペリアを守るように輪形陣を組んだ。

同田貫を八双に構えつつ、柳也はチラリと横目で友人の持つ永遠神剣を一瞥する。

永遠神剣第四位〈求め〉。

圧倒的な力を持つ〈決意〉ですら恐れるほどの、高位の永遠神剣。

その強大な力は、はたして悠人に、そして自分達に何をもたらすのだろうか。

今はまだ、柳也にも分からない。

『俺には、いま戦う力がある。ずっと欲しかった力があるんだ!』

悠人は、精霊光の輝きを宿す無骨な刃を正眼に構え、ずいっ、と前へ踏み出した。

オルファとアセリア、そして柳也の方を向き、頷き合う。

『エスペリアの代わりは俺が務める。悠人とアセリアは、存分に攻め込んでいけ』

『ああ、頼む』

『迎撃に回っても、基本は先手必勝だぞ?』

『わかった。…なんとかやってみよう。俺たちで』

すでに敵の気配はすぐそこまで迫っていた。

一同は油断のない眼差しで森の奥を見据える。

高まる緊張。

電流のようにびりびりと身体を蝕む戦いへの昂揚。

これまでに感じたことのない感情の昂ぶりが、悠人の身体を支配する。

ただ剣を握っているだけだというのに、まるで無敵の戦士になった気分だった。

そして悠人は、己を奮い立たせるように叫んだ。

『行くぞっっ!!』

 

 

――聖ヨト暦三三〇年、アソクの月、緑、よっつの日、昼。

 

『ラキオスの特殊訓練部隊が動いただと?』

訓練の合間の休憩時間、同僚にして部下のグリーンスピリットからその話を耳にしたアイリスは、思わず眉をひそめた。

すでに彼女がリーザリオに帰還して五日が過ぎている。

旅の疲れも程々に癒え、半年前にラキオスに出発する以前までと同じように通常訓練に顔を出した初日、国境線の警備任務から帰還したばかりのオディール・グリーンスピリットが口にした情報は、アイリスにとって決して無視できない内容だった。

オディール・グリーンスピリットはバーンライト王国軍第三軍に派遣された外人部隊のメンバーの中でも、最年長に当たるスピリットだった。アイリスよりも六歳年上で、ダーツィ大公国全体を見回しても、いわゆるベテランの熟練兵の部類に当たる。戦闘能力こそアイリスに一歩及ばないものの、長い兵役生活の中で蓄積された経験には偉大なものがあり、総合的な実力は第三軍派遣部隊の中でもナンバー2と目されていた。得意な任務は哨戒と偵察。

オディールもまた、他の多くのグリーンスピリットと同様に、特徴的な碧の瞳と髪を持っていた。透き通るようなオリーブ・グリーンの双眸は細く、瞼の隙間から覗く輝きは、まるで本当にペリドートの宝石が埋め込まれているかのようですらある。腰まで届く長い髪は後ろで一房に束ね、背中で流している。

身長は一七一センチと大柄で、現代世界に比べると栄養面で劣る有限世界の住人にしては珍しい。理想的なバランスのプロポーションとスタイルは曲線美にも優れ、圧倒的なボリュームの乳房は、硬い胸当ての上からでも、十分にその存在感を主張していた。

『あくまでこれは噂なんだけど…』と、前置きするオディールの表情には、濃い疲労の色が浮かんでいる。昨晩十時から本日の八時まで、ゆうに十時間にわたって国境線の警備と哨戒を繰り返していたグリーンスピリットは、重い瞼をこすりながら口を開いた。

『つい先日までアイリスが訓練を担当していた部隊があったでしょ? その部隊が総力をあげて、ラースに移動したって噂よ』

『噂の出所は?』

『ううん…、ちょっとわからないわね。わたしも観測所の職員が話しているのを、たまたま耳にしただけだから』

身長差から必然的にアイリスに見上げられて、オディールは小さく肩を竦める。

『けど、信憑性はかなり高いと思うわ』

オディールは自分が任務先で耳にした噂話について、その詳細をアイリスに語った。

リーザリオの街から街道を通って北北西におよそ六十キロ。ラキオスとの国境線を監視するために設置された観測所には、それとは別にもう一つの役割を与えられている。すなわち、ラキオスに潜伏させているスパイからの情報を受け取る交換台としての役目だ。

電話や無線といった通信手段が未発達な有限世界では、距離を隔てての情報のやり取りは、基本的に直接相手に話を聞かせる口頭か、文書にして渡すという手段に限られてしまう。どちらの手段にしても、距離と時間の問題を避けることはできず、時間の経過とともに情報の質は劣化してしまう。ましてそれが敵国内に潜伏中のスパイからの通信となれば、情報伝達のスピードの遅滞は尚更だ。

できるだけ情報の新鮮さを保ったまま然るべき機関に届けるためには、通信手段の発達に尽力すると同時に、情報の流通を管理するシステムそのものの効率化が必要である。経済の物流に対するそれと一緒だ。情報という“商品”の輸送にかかるコストとエネルギーを抑えつつ、迅速に、かつ正確に送り届けるためのシステムを構築するのである。

ラキオス国内に潜伏しているスパイから散り散りに送られてくる様々な情報を、そのまま首都サモドアの情報本部に送るのではなく、間に一時的に情報をまとめる機関を設けて、ある程度の分析を行ってから一括して情報を送る。スパイが“商品”の生産者で、観測所が問屋、情報本部が業者というわけだ。そして加工された“商品”を購入する消費者が、実際にその情報を利用する政治家や軍人に当たる。

情報という極めてデリケートな代物を扱う観測所の職員は、軍人としての戦闘訓練を受けた情報員か、あるいは情報戦を叩き込まれた軍人が務めている。

例えそれが取りとめない噂話だったとしても、彼らの話す一言一句には、極めて高い信頼性があった。

『…やっぱり、気になる?』

オディールは磨き上げたエメラルドの瞳に憂いの輝きを宿し、アイリスを見下ろした。

他人の心の機微に聡い彼女は人間関係の調整能力にも優れ、第三軍派遣部隊ナンバー1で部隊の隊長でもあるアイリスを補佐する副官のような立場を務めている。アイリスが不在の半年間は、ほとんど彼女が部隊をまとめていたといっても過言ではなかった。

まるでアイリスの心理などすべて見抜いているかのようなオディールの眼差しに見つめられ、水色の髪の少女は静かに首肯した。

『まぁ、な。たった半年とはいえ寝食をともにした教え子たちだ。気にならないわけがない』

『そう思って教えたんだけどね』

『むしろ余計な心配事を増やしてしまったかしら?』と、続けるオディールに、アイリスは『いいや…』と、首を横に振った。

『ありがとう。教えてくれて、嬉しかった』

甲冑の少女はそう言ってはにかむと、年上の部下に頭を下げた。

何度も繰り返すが通信手段の未熟な有限世界である。

たとえそれが根拠のない噂話だったとしても、最速で関心のある情報を伝えようとしてくれたオディールの心遣いが、アイリスは嬉しかった。

『でも、仮に噂が事実だったとして、なんで特殊訓練部隊はラースに向かったんでしょう?』

オデットが素朴な疑問をぶつけてくる。

彼女もアイリスと同様に、休憩時間を満喫している最中だった。

勿論、愛しのお姉様のすぐ側で。

『えへへ〜』

端的に現在の状況を描写するならば、小柄なオデットがアイリスの膝の上に乗り、年下の赤い髪の少女よりは大柄な甲冑の騎士がそれを抱き締め、大好きなお姉様に抱き締められて、レッドスピリットの少女は、ニヘレニヘレ、と笑っている。膝の上に大きな荷物を抱いているアイリスはといえば、特に気にした様子はない。オディールはオディールで、目の前の光景は見慣れたことなのか、微笑ましげな眼差しを二人に注いでいる。…若干、生温かい視線だった。

『本当に仲が良いわね、あなたたち』

『はい! わたしとアイリスお姉様は何といっても絶対運命で結ばれていますから!』

『…オデット、それはゲームが違う』

『絶対運命はいいけど、朝からむさぼるのはやめてね』

『あう!』

オディールの痛烈な一言に、オデットの表情が真っ赤に染まった。

『だ、だからあれは違うと言っているだろう!』

膝の上にオデットを抱いたまま、必死に弁解するアイリスの表情も真っ赤だ。

オディールは、くすくす、と楽しそうに笑いながら、なおもからかうように言った。

『あと、わたしの安眠のためにも、できれば夜の方も控えてほしいんだけど』

『なっ……!!』

『オデットがアイリスの部屋へ行くのならいいけど、アイリスがオデットの部屋に行く時はねぇ…。オデットの隣室の住人として、あんまり激しいのはちょっと……』

『〜〜〜!!』

もはや言葉すら失い、アイリスは真紅の顔色で押し黙ってしまう。

膝の上のオデットなどは、恥ずかしさと照れでオディールの顔すらまともに見られないでいた。

『そ、そんなことより! 今はラースに移動した特殊訓練部隊だ!』

アイリスは語気荒く叫んだ。

まるで子どものように強引な話題転換の妙手である。

『オデットの言う通り、すでに首都圏の潜伏に成功している特殊訓練部隊が、わざわざバーンライトから最も遠いラースに移動する理由がわらかない。仮に本格的に戦端を開くための行動だとしても、なぜ、そのまま王城を狙うことなく、よりにもよってラースなんだろう? あそこは小さな街だし、第一、補給線が続かないだろうに』

『…たしかに、奇妙な話ね』

アイリスのもっともな意見に、オディールもまた同意する。

アイリスが口にした通り、ラキオス領ラースは小さな街だ。人口は約一三〇〇人にすぎず、年間のマナ産出量も首都圏の半分にも満たない。農業に適した平野が多いことから第一次産業の中心地ではあるものの、ファースト・アタックでラースを攻めたところで益は少なく、むしろバーンライトから最も遠い場所にあるという地理的条件のため補給線の維持が難しく、侵攻は困難といえた。

アイリスらが訓練を担当した特殊訓練部隊の戦力はスピリットが約三十人。ゆうにバーンライト正規軍の一個軍に相当する戦力で、その中には、精強な外人部隊の中でも特に優秀なスピリットも含まれている。

その打撃力には凄まじいものがあるが、それとて補給が続かねば長くは維持できない。

『…少なくとも、占領目的の行動でないことは確かだな』

アイリスは考え込むように少しの間瞑目して、やがて結論づけた。

領土目的の移動ではないとすると、ますますその理由がわからない。

いったい自分の教え子たちは、いかなる理由で敵国領土の最奥へと向かったのか……?

『……もしかしたら、情報部関連かもしれませんね』

膝の上でオデットがおもむろに口を開いた。

特に根拠があっての発言ではない。しかしつい先日、十年以上の歳月をかけて構築したラキオス国内のバーンライトのスパイ網が壊滅的な打撃を受けたという事実は、今や敵国首都圏から遠いリーザリオの第三軍の間でも公然の秘密となっていた。そのことを思い出したオデットは、ほとんど直感的に情報部の名前を口に出していた。

しかし本人にとっては確証のないその言葉に、アイリスとオディールは思わず顔を見合わせた。

『そうか、情報部絡みか……!』

ラキオス各地に潜伏していた諜報員たちが、何を目的に首都圏へと集結し、なぜ壊滅したのか、国家の重要機密に属する情報について、アイリスたち末端のスピリットに知らされている事は少ない。彼女たちが知っているのは、とにかくラキオス国内のスパイ網の七十パーセント以上が壊滅状態に陥ったという非公式な事実だけだ。

しかし、特殊な訓練を受けて鍛えられた彼らが、単なる事故でそれだけのダメージを負ったとは考えにくい。

おそらくは何らかの任務を与えられて首都圏に集結した彼らは、その任務遂行の途中で“敵”と遭遇し、攻撃を受けて壊滅してしまったのだろう。

ラキオスにスパイ狩り専門のセクションがあるという話は聞いたことがないが、よほど強力な敵に捕捉されてしまったに違いない。ほとんど孤立無援の敵国内でのスパイ活動に従事する諜報員は、みな例外なく高度な戦闘と暗殺の訓練を受けている。そんな屈強な戦士たちを、一度に殲滅してしまうほどの強力な敵だ。

『今回の特殊訓練部隊の移動を命令したのが、情報部だとしたら…』

『スパイ網壊滅の汚名返上、名誉挽回のため作戦行動ということでしょうね』

もともとバーンライト王国軍は、情報戦に対してかなりの力を注いでいた。

帝国やダーツィからの軍事支援を受けているとはいえ、バーンライト王国が比較的弱小の軍事力しか持ち得ない国であることに変わりはない。総合的な軍事力の不利を補うためにも、軍上層部は情報セクションに大きな期待を抱くのは当然だった。予算の配分も組織の規模に比して過剰なほどに投入され、特に対ラキオスに関する情報戦に対しては、それこそ金に糸目をつけぬ優先ぶりだった。

そんな状況の中で、先回の事件が起きた。

大量の予算と期待を注いだスパイ網の壊滅は、軍の上層部だけでなく、政治家の間にも情報部に対する不信感をつのらせ、情報部への予算は大幅に削減されてしまった。のみならず、情報部は情報機関にとって最も大切な“信頼”を失ってしまった。

どんなに正確で戦略・戦術的に重要な情報を得たとしても、それが然るべき機関によって信用されなければ意味がない。折角、持ち帰った情報が信用されないスパイというのは悲惨である。

いやスパイに限らず、使い方次第では非常に有益な情報が信頼されず、利用されなかったことによって生じた悲劇の例は、現代世界の史実にも数多い。

近年の例でいえば、二〇〇一年の九・一一同時多発テロ事件がそうだった。

事件の二ヶ月前、アリゾナ州フェニックスのFBI(連邦保安警察)捜査官は、『ウサマ・ビンラディンの信望者がアメリカを攻撃するために航空学校で訓練を受けている可能性がある』という覚書(フェニックス・メモ)をFBI本部に送っていた。またミネソタ州ミネアポリスの航空学校では、パイロット免許すら持っていない男が、ボーイング747のシミュレーション操縦訓練を一日十二時間、四日連続で受けているのを見て、教官が『燃料を満載した747型機が武器として使われるかもしれない』と、FBIに通報していた。しかし事件以前までにそれらの情報がFBI上層部の間で話題に上ることはなかった。事件一週間前には、実行犯の一人になるはずだった男が逮捕されていたにも拘わらず、悲劇は起きてしまった。

敵国も奥深くにあるラースの街に、失った信頼を取り戻せるだけの“何が”あるのかまではわからない。

しかし実際にラキオス国内で任務に就き、何度かの哨戒任務、偵察任務もこなしたアイリスには、その“何か”について、大体の予想がついていた。

『狙いはおそらく、先頃、ラキオスで開発された新型の小型エーテル変換装置に関するものだろうな』

一介の兵士にすぎないとはいえ、アイリスも十年前から続々と新型の開発が繰り返されているラキオス製小型エーテル変換装置について、最低限の知識くらいは有している。

現代世界でいうところの発電所と同じ役割を持つエーテル変換施設は、発電所がそうであるように、変換装置が巨大であればあるほど、エーテルの変換量が多くなる。しかし一度に大量のエーテルを生産できる反面、大型の施設は建設に時間がかかるし、なんといっても建設から維持にかかるコストがばかにならない。かといって建築・維持の容易な小型の変換施設では、満足なエーテルの供給は見込めない。

エーテル変換量の効率化と、装置そのものの小型化。二律背反するこの要求を満たすべく、各国の技術者たちは今日にいたるまで様々に知恵を絞ってきた。

そして十年前、ラキオスは次世代のエーテル変換装置として、従来の大型変換施設よりも高効率で、なおかつ小型の変換装置と施設を完成させたのである。この時、アイリスは何も知らない子どもだった。

以来、ラキオスはさらなる装置の小型化、変換量の高効率化を目指して今日まで邁進してきた。

優秀なラキオスの技術陣はこの十年の間にいくつもの新型エーテル変換装置を開発し、二ヶ月前、自国の国力を示すため大々的に発表された新型の小型エーテル変換装置は、従来以上にコンパクトで場所を取らず、施設として建築した際のスペースも最小限ですみ、かつ旧来の大型変換施設に匹敵するエーテル変換量を有するという代物だった。

『開発成功の発表からすでに二ヶ月が経っている。新型の装置と施設は製造と建築に必要な時間も従来のものよりもだいぶ短いというから、もう試験運用に入っているとみていいだろうな』

『それがラースでテストされているっていうの?』

『考えられないことはないだろう? ラースはこの国や、私たちの国から最も遠い場所にあって、その上、周りを同盟国に囲まれている。それにラースには農業用の平野が多い。施設設置のための土地は余っているはずだ』

『ラースの人口はラキオスでもいちばん少ないから、人目にもつきにくいですしね』

『ああ。…エーテル関連技術は国家の進退に直接関わる重要機密だ。汚名返上のために情報部が狙ったとしてもおかしくはない。問題は特殊訓練部隊の戦力でラースを攻め落とせるかだが…』

アイリスは重々しい口調で呟くと、眉をひそめた。

たった半年間の付き合いとはいえ、心血を注いで育てた教え子たち、愛弟子たちだ。彼女たちの未来を思うと、アイリスの表情は自然と険しいものになってしまう。

『その点については心配いらないと思いますけど…』

膝の上でオデットがあっけらかんと言った。いささか希望的観測がすぎるように聞こえるが、彼女なりに確信あっての考えだった。

『別に街の占領自体が目的ではないですから、補給の問題は考えなくても大丈夫ですし、なにより特殊訓練部隊は強力です。なんといっても、お姉様たちが鍛えたんですから』

オデットはまるで我が事のように胸を張った。

続けて、アイリスの心配事を振り払うように、明るい口調で言う。

『それに、お姉様がこっちに戻ってきたとはいえ、特殊訓練部隊にはまだセーラ様がいるじゃないですか』

オデットはそう言うと、振り返って微笑みかけた。

姉を励ますよう投げかけた笑みには、ここにはいない上官のレッドスピリットに対する心からの信頼があった。

セーラ・レッドスピリットはダーツィの正規軍でアイリスと肩を並べるほどの腕前を誇る強力なレッドスピリットだ。かつて本国で開催された戦技大会では、アイリスと一、二を争い、その時は最終的にアイリスが僅差で勝利した。実力、人格ともに多くのスピリットから認められている、偉大な同僚である。

外人部隊編成の際、セーラは首都サモドアの第一軍に派遣された。そしてその後、特殊訓練部隊創設の話が浮上した時に自ら志願して教官役としてラキオスに潜入、ともに任期を終えたアイリスがリーザリオに戻った後も、特殊訓練部隊で後輩の面倒を見ているはずだった。

別れの日、任期を終えたにも拘わらずサモドアに帰ろうとしないセーラに、アイリスはその理由について訊ねた。

『私にはまだあの子たちの面倒を見る義務がある』

セーラは責任感の強い女性だった。

その上で強く、気高く、そして美しいスピリットだった。

アイリスはセーラに全幅の信頼を寄せていたし、尊敬もしていた。

特殊訓練部隊にはあのセーラがいるのだから大丈夫……自分を励ますオデットの言葉に、一瞬、不安を忘れる。

しかしすぐに表情を引き締めると、『それはわかっている』と、首を横に振った。透明なアクアマリンの瞳には、並々ならぬ憂いの輝きがあった。

『わかってはいるんだ。セーラの実力は、なによりもわたしがいちばんよく知っている。しかし……』

『何か気になることがあるの?』

オディールがまるで我が事のように心配そうな眼差しを向けてくる。

アイリスは静かに首肯した。

『セーラの実力にはなんら疑うところはない。しかし、不安材料がいくつかある』

『“ラキオスの蒼い牙”ね?』

『ああ』

アイリスは重々しく頷いた。

“ラキオスの蒼い牙”ことアセリア・ブルースピリットの名声は遠くダーツィにまで及んでいる。アイリス自身は実際に戦ったことがないからその実力が噂にたがわぬものなのかわからないが、彼女一人に多くのバーンライトのスピリットが消滅させられている事実からも、決して油断して挑んでよい相手ではないことだけは確かだ。

『それともう一つ…』

アイリスは先刻と同じように重々しい口調で続けた。

静かに言葉を繋ぐその表情には、不安というよりも、まだ見ぬ超存在に対する畏れのような感情が窺えた。

『先日、ラキオスに召還されたというエトランジェ……』

それはアイリスの……というより、バーンライトに従軍するすべてのスピリットにとって、目下最大の関心事だった。

『ラキオスの政府が公式にエトランジェの召還を認めてから、かれこれ一ヶ月以上が経つ。今回、召還されたエトランジェは伝説の四神剣の使い手という噂もある。もし、伝説の〈求め〉を手にしたエトランジェが、すでに実戦に投入されているとしたら…』

それはバーンライトのみならず、ラキオスに敵対する可能性を孕んだすべての国家にとって、脅威以外の何者でもなかった。

古い文献に記録された内容によれば、伝説の〈求め〉の位は第四位。永遠神剣の力は基本的に位を示す数字が小さいほど強力だから、もし、今回、ラキオスに召還されたエトランジェが〈求め〉を使いこなすことのできる人間だったとしたら、それは全国家間の軍事的パワーバランスを崩しかねない一大事である。

なぜなら高位の神剣を持つ鍛え抜かれた一人のエトランジェは、スピリットの二個軍にも匹敵するほどの戦力になりうるからだ。

これに対抗するスピリットは、なぜか第五位以上の神剣を扱うことができない。スピリットの研究が始まって以来、その理由は未だ不明のままだが、スピリットの持つ永遠神剣の位は、決まって第六位までなのである。

そして第六位以下と第四位の間には、努力では埋めがたい歴然たる力の差がある。

セーラの持つ永遠神剣は第六位〈迅雷〉。現代世界でいうところの、騎兵が馬上で扱うランスに似た形状の炎の神剣だ。

もし、自分の予想通り、すでにエトランジェが実戦に投入できるほど訓練を終えているとすれば、現地で戦うことになるやもしれぬセーラ達にとって、厄介な事態といえよう。最悪、特殊訓練部隊の全滅という事態すら考えられる。

『“ラキオスの蒼い牙”だけならばなんとか戦い方もあるだろう。しかし、エトランジェをも相手取ることになったとしたら……下手をすれば、セーラでも危ないかもしれない』

『そんな……』

アイリスの言葉に、オデットが沈痛な面持ちで振り向く。

オデットはセーラのことを慕っていた。アイリスに寄せるものほど強い感情ではないものの、一人のスピリットとして、純粋にセーラの強さと気高さに憧れていた。

まるで我が事のように悲しそうな表情を浮かべるオデットに、アイリスは『それに……』と、なおも続けようとした口を慌ててつぐむ。

これ以上、オデットの前で不安材料を口にするべきではない。

辛そうなオデットの顔を見ているだけで、鉄板の奥の胸がひどく痛んだ。

アイリスは装甲の施された篭手を嵌めたままの手で、オデットの頭を撫でた。

先刻、オデットが自分に対してそうしようとしてくれたように、彼女の不安を取り除くよう、優しい手つきで、ゆっくりと、何度も撫でた。

『…もっとも、これはあくまで仮定の話だ。実際には一ヶ月と少しで扱いこなせるようになるほど、永遠神剣は甘くはない』

『そもそも、当のエトランジェが戦場に立つかどうかもわからないしね』

アイリスの意思を汲み取ったオディールがやんわりとした口調で続けた。

『それにラキオスの蒼い牙にしたって、彼女はラキオスの虎の子よ? 辺境のラースにまで駆り出されるとは限らないわ』

『敵もまさかラースに攻めてこようなどとは思いもよらぬだろうしな。軍事同盟国に囲まれたラースの防衛など、高が知れているというものだ。特殊訓練部隊の大兵力で奇襲を仕掛ければ、まず間違いなく作戦は成功するだろう』

『そもそも、アイリスは心配性すぎるのよ。ラキオスの蒼い牙や、エトランジェにしたって、最悪中の最悪の予想じゃない。もっとポジティブな考え方でいかないと』

オディールは年下の上司をたしなめるように言った。

『あまり心配が過ぎると、この先、苦労するわよ?』

『かといってあまり楽観的に考えるのもな…常に最悪の事態を予測範疇内に含めておけば、いざという時にも素早く対処できる。油断しないに、越したことはない』

『それはそうだけど、いちいちそんな細かい事まで気にしていたら、いつかオデットに嫌われちゃうわよ?』

『な、なぜそんな話の流れになる!?』

『細かいことを気にするなんて、男らしくない…って』

『わたしは女だ!』

『あら? アイリスがタチじゃなかったの?』

『な、な、な……』

顔を真っ赤にして二の句をなくすアイリスに、オディールは愉快そうに笑いかける。

いくらオデットを元気づけるためとはいえ、この話題はやり過ぎだろう。

他方、アイリスの膝の上で二人のやり取りを聞いていたオデットは、やがて、くすり、と口元に笑みを浮かべた。

『違いますよ、オディール様。残念ですけど、アイリスお姉様はネコです』

『あら? そうだったの?』

『はい!』

『お、オデット!』

膝の上で紡がれた衝撃の告白に、アイリスは激しく慌てた。

オデットはといえば、背後の最愛の人の動揺がおかしくて、愉快そうに続けた。

『アイリスお姉様ってば剣の腕前はダーツィ一なのに、夜伽の腕前は下手なんですもん!』

『こ、こらオデット!』

『へぇ〜〜…そうだったんだぁ〜〜』

オディールが半眼になって生暖かい眼差しをアイリスに注ぐ。

今や白磁のように白かった肌を茹蛸同然に朱に染め上げたアイリスは、顔から火の噴くような思いをしながらも、ほっと安堵した。

やはりオデットには明るい笑顔がよく似合う。オデットに暗い表情は似合わない。

安心のあまりアイリスは、自ら口に出そうとしていた言葉の内容を忘れてしまった。

先月の暮れ頃にラキオスが公式にその存在を認めたエトランジェの人数は三名。この三名のうち、永遠神剣を使えるのが一人だけとは限らない…紡がれるはずだった言葉は、永久に少女の唇から語られることはなかった。

 


<あとがき>

 

北斗「連載開始からはや十三話、ようやく原作主人公が神剣を手に入れたか」

 

柳也「長かったねぇ〜……他の作家さん達が書くアセリアSSと比べても、破格の遅さ」

 

北斗「無駄に文章が長いだけで話がまったく進まないとは……まるで某週刊少年漫画雑誌に掲載されている黒装束の……」

 

タハ乱暴「わー! わー! それ以上は口にするな!」

 

北斗「何を今更……『耕介、咆える!』でこの手のヤヴァイ発言はさんざんやっただろうが」

 

柳也「ホント今更だよなぁ……はい、永遠のアセリアAnotherEPISODE:13、お読みいただきありがとうございました!」

 

北斗「今回の話は原作でいうところのMission01だな。いやあ、本当にここまで来るのに時間がかかった」

 

????「本当だぞ。アセリアAnotherの製作を告げられてはや11ヶ月、こんなに待たされるとは思ってもいなかった!」

 

柳也「ぬおぅぅッ!? きすぅむわぁあ!?」

 

????「Hello! キミがガチムチドリーマー・柳也だな?」

 

柳也「俺のことを知っているおまはんは……ま、まさか! いやしかし、なぜ、貴様がこんな……」

 

北斗「馬鹿な! 貴様がなぜここにいる!?」

 

柳也「……これこれ北斗さんや、そりゃあ、おでの台詞だべ?」

 

タハ乱暴「なぜここに……って、これこれ、マイサーン、勝手に名乗り出た身とはいえこいつも製作者の一人だ。このあとがきに登場するのはむしろ当然の成り行きだろう?」

 

北斗「た、たしかにそうだが……しかし、突然、このあとがきに新しい人物が登場したら読者が混乱するだろう?」

 

タハ乱暴「うん。そうだな。いつまでも????などというのは読者の無用な混乱を招くだけだ。というわけで、自己紹介しなさい、ゆきっぷう」

 

柳也&北斗「言ってる!?」

 

タハ乱暴「あ、間違えた。じゃあ、自己紹介しなさい、????」

 

????「勝手に名乗り出た身分だ、最後まで影に徹しようと考えていたが……そう言われちゃあ、仕方がねぇ。ネット界の片隅に斯く有りきと謳われた究極変人作家、疾風春雷のゆきっぷうたぁ俺のことよっっっ111」

 

(ババ〜〜ンと効果音。銅鑼が鳴る)

 

柳也「おお! マイケル、ようやく名前出しOKのサインが出たかッ」

 

北斗「久しぶりだな、ジョニー。いつぞやはよくも俺の相棒を犬耳美少年にしてくれおって」

 

タハ乱暴「え〜……いささか唐突に登場した感ありきなので、ちょっとだけ説明をば。え〜……なんでまた、ここにステファニーが顔を出しているかと言いますと……」

 

疾風春雷のゆきっぷう「おい、我が友よ。今日の俺の名前は『疾風春雷のゆきっぷう』だ! 毎回毎回ジョニーだのマイケルだのジェシカだの変なニックネームをつけおって!」

 

タハ乱暴「うるさいなぁ。お前が疾風春雷だったら、俺はマンモス乱暴と改名しなきゃならんじゃないか。……え〜、改めて説明しますと、事の起こりは2007年の七月、タハ乱暴が、ゆきっぷうの家に奇襲攻撃を敢行した時のことでした。ゆきっぷう宅にて当時話題の絶頂にあった『聖なるかな』を発見したタハ乱暴は、その出会いの衝撃からインスピレーションを得、以前から温めていた永遠のアセリア二次創作のネタを執筆段階に移行させたのであります。そしてその話の構想がある程度まとまり、ゆきっぷうに意見を求めたところ、彼はこう言いました」

 

(回想シーン挿入)

 

ゆきっぷう「俺達は自由だーーーーーー!!!」

 

タハ乱暴「……と」

 

ゆきっぷう「本当は『オリキャラのイラストを描かせてもらうっ! 全力でだ!』」

 

北斗「……こうしてゆきっぷうの永遠のアセリアAnother製作への参加が決定したわけだが、ゆきっぷうの描いたオリキャラの画は、残念ながらタハ乱暴の遅々として進まぬ執筆ペースにより、いまだ公開されないでいた」

 

柳也「……んで、痺れを切らした本人がこうして悠人の初陣という、重要なイベントがある回にも拘わらず、全力で出張ってきたわけだ」

 

ゆきっぷう「だってー。まさかまだこんなところだなんて思わなかったんだよー。とっくに帝国に乗り込んでいるとばかり……」

 

北斗「その執筆ペースの遅さはあたかも某週刊少年漫画雑誌に掲載されている黒装束の死神達が戦う漫画の如し……」

 

タハ乱暴「わー! わー! 何てことを言っているんだー!」

 

柳也「だってぇ、本当のことだしぃ……」

 

ゆきっぷう「まぁ待て。コレだけ豊かな文章表現を用いていればペースダウンも致し方あるまいよ。展開が早すぎて叩かれるよりずっとマシさぁ」(←言っている事が違う)

 

北斗「この男の場合、もう少しシンプルな文体を身に付けた方がよいと思うが……それはさておき、今回、本話と一緒に投稿した設定の方に、ゆきっぷうの画は掲載した。興味がある方は是非、見てやってくれ」

 

柳也「……って、ちょ、ちょっと待てよ、ゆきっぷう。オリキャラの画って……主人公の俺は!?」

 

ゆきっぷう「イラスト自体は完成していた。だがデータ化の完了を目前に原稿を何者かが焼却してしまったのだ。ゴミと間違えて」

 

柳也「……ゴミ」(←ゴミ扱いされたことにショックを受けている)

 

ゆきっぷう「うん。スピリット三人娘はその美貌ゆえ難を逃れたがな」

 

タハ乱暴「それから俺が夜な夜な描いていたリリアナとか親父衆の絵も無事だった。もっとも、タハ乱暴にはゆきっぷうほどの画力もなければ技術力もない。よって、その画はデータ化されていない!」

 

北斗「というわけで、いまはこの一枚で我慢してくれ。本文末尾に一応、その画を載せておく。説明文も併せて読みたい方は設定のほうを見てほしい」

 

柳也「おで、主人公なのに、ゴミ……」

 

ゆきっぷう「し、仕方がないだろう! タハ乱暴からの要請で『ゴミっぽい』顔にしてくれといわれたんだ! 『ゴミっぽい』顔に!」

 

柳也「に、二度も言うなァァァァァァッッッ!!!」

タハ乱暴「俺はそんなこと言ってないよ? 俺が言ったのは、セレブが好む高級品より、バーゲンで主婦に愛される安物っぽい顔にしてくれっていう、指定だよ?」

 

北斗「……いや、それはそれでどうかと思うぞ?」

タハ乱暴「ゆきっぷう渾身の力作だっぜェッ!!」

 

柳也「……俺、ゴミ。主人公なのに、画、ない」





悠人がとうとう求めを覚醒させた。
美姫 「戦う覚悟も決まったみたいね」
さて、ここからいよいよか。
美姫 「一体どうなっていくのかしらね」
次回も楽しみです。
美姫 「次回を待ってますね〜」
ではでは。



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る