――聖ヨト暦三三〇年、アソクの月、赤、よっつの日、夕。
「ふぅ〜……」
「ふひはぁ〜……」
うーん、と思いっきり背を伸ばし、広い浴槽にのびのびと手足を伸ばすと、湿り気を帯びた唇からは自然と心地良さを露わにした吐息が漏れてくる。
二人だけの空間に反響し、重なり合った感慨の呼吸は、等しく労働の後に訪れた快感に浸ってのものだった。
規定の訓練メニューを終えた悠人と柳也は、スピリットの館と廊下繋がりで併設されている大浴場の湯船に身を沈めていた。訓練後の入浴時間は、館の生活の中で、二人が特に楽しみにしている時間の一つだ。戦闘訓練というのがいささか気になるところだが、やはり労働の後の疲れた身体に熱い湯船というのは、日本人である彼らに格別の心地良さを与えてくれる。
「風呂だけでもあってくれて、助かったよな」
「ああ、そうだな」
柳也の何気ない一言に、悠人は心から同意する。異世界に放り出されたというだけでもたいへんなストレスを感じているのに、その上、戦闘訓練を強制されているのだ。これで風呂という憩いの場がなければ、自分は発狂していたかもしれない。
どんなに強がってみたところで、人間の心は弱く、そして脆い。
まして命のやり取りという危険な状況下や、それに繋がる訓練の最中では、強いストレスが生じる。そのストレスに屈し、自己を見失った時、人は発狂する。
そのことはアフガニスタンに従軍し、本土に帰還した米兵が、帰還後、かなりの確率で凶行に及んでいることからも明らかだ。いわゆるアフガニスタン・シンドロームである。
どんなに強力な武器で武装し、最先端のハイテク兵器を駆使したところで、それを扱うのが人間である限り、このストレスという問題からは逃れられない。そのため、軍隊では兵士のメンタルな部分をケアする必要が出てくる。ナポレオン時代のフランス軍には、“兵士のための娘たち”と呼ばれる女性の一団が連れ添っていた。また、現代の軍隊でも、ロシアの原子力潜水艦“タイフーン”級には、サウナ室が完備されている。ロシアには蒸し風呂に入る習慣があり、これを深海の底でも再現できるようにしたのだ。ちなみに、タイフーン級の艦内は、他のロシアの軍艦のどれよりも居住性が良いとされている。
なにはともあれ、その点に関しては悠人達の暮らしていた日本同様、風呂の習慣があった異世界の文化に感謝だ。
悠人は両手で湯を掬うと何度も顔を洗った。
熱い湯が訓練の最中に傷を負った頬にかかり、一瞬、顔をしかめる。
エスペリアの神剣魔法で治療してもらったとはいえ、身体にはまだ浅い傷痕があちこちに残っている。湯船の熱さに慣れるにつれて、ヒリヒリとする痛みは大分薄らいでいたが、いきなり処女地に触れるとやはり痛い。
「まだ、痛むか?」
「っ…まぁな」
「早く慣れることだな」
「…それは痛みに慣れろ、ってことか? それとも、剣の腕前を上達させろ、ってことか?」
「さぁ、どっちでしょうか」
自分以上に過酷な訓練を受けているにも拘らず、平然と湯に浸かっている友人に恨みがましい目線を向ける悠人を、柳也は軽くあしらった。
柳也もリリアナやアセリア、エスペリアを相手にした模擬戦闘訓練で大分傷を負っていたが、悠人と違って現代世界にいた頃から直心影流の剣士として鍛錬を重ねていた柳也は、怪我や痛みには慣れていた。簡単な手当てくらいなら、わざわざエスペリアの手をわずらわせなくても自分でできたし、神剣の力で強化された肉体は傷の治りも早い。透明な湯船に浸る柳也の裸身に、怪我の痕跡はもうほとんど残っていなかった。
「まぁ、両方慣れるのに越したことはないけどな。明日からは訓練もいっそう厳しくなりそうだし、怪我する機会も増えるだろうしな」
「そういえば今日の夜には来るんだったけ、新しい人」
昼間、恒例の勉強会の合間にエスペリアが口に出した話の内容を思い出す。
嬉しげな表情でつむがれた言葉の内容は、長い間、警備任務に出動していて、この館を留守にしていたスピリットが、今夜、合流するというものだった。
「強力な神剣魔法の使い手、レッドスピリットか…」
悠人は溜め息混じりに呟いた。
剣や槍といった武器を相手にしての模擬戦闘だけでも傷だらけだというのに、明日からは魔法なんて代物とも相手をしなければならない。はたして、エスペリアの回復魔法だけで足りるだろうか。
一方、明日の訓練を思って陰鬱な気持ちになる悠人とは好対照に、根っからの戦い大好き直心影流剣士は、早くも心を躍らせているようだった。
「いったいどんな人なんだろうな? 今まで見てきたスピリットはみんな美人だから、今度の人もきっと美人だと思うけど…噂に聞く赤の神剣魔法っていうのは、いったいどんな感じなんだろうな?」
「……楽しそうだな」
悠人は僅かに翳りを帯びた表情で苦笑した。
柳也はそんな悠人の暗い表情に気付きながらも、それに対しては何も言わずに頷いた。
「ああ。楽しいぜ。……頭の中で空想している時だけは、命のやり取りって感覚を忘れられるからな」
そう言う柳也の表情も、どこか寂しそうに翳りを帯びていた。
「命のやり取り……戦い、か……」
悠人は湯船から出した自分の右手を見つめた。
ここ数日の訓練でずいぶん節くれだち、ごつごつと硬くなってしまった己の拳。
いったい自分のこの手は、これから何をさせられるというのだろう。
「……考えていても、しょうがないか」
悠人は小さく呟くと、浴槽から立ち上がった。
「出るのか?」
「ああ」
「そうか…じゃあ、後も控えていることだし、俺もそろそろ上がるとするか」
エスペリアが気を遣ってくれたおかげで先に風呂にありつくことができた二人だったが、そのためアセリア達はまだ風呂に入っていない。スピリットとはいえ二人とも年頃の娘だ。本音では誰よりもまず風呂に入って汗を流したかったことだろう。
ザブザブ、と豊かな湯を波立たせ、悠人のそれより一回り大きな体躯が立ち上がった。
と、そのとき、突如として脱衣所の方から何やら物音が聞こえてきた。
「! ……誰だ!?」
「エスペリアもアセリアも、まだのはずだが……!」
悠人の表情が驚きとともに険を帯び、柳也の眼が三白眼となって脱衣所の扉を睨みつける。
予兆のない突然の物音に、二人は警戒を強めた。この世界は彼らにとって敵地といっても過言ではない。心を許してよい相手など、ほとんどいないのだ。
「まさか、またあの兵士達か!?」
最悪の想像が頭の中をよぎり、悠人が身構える。
柳也も、念のために浴室の中にまで持ち込んだ父の形見の脇差の鞘を掴み、いまだ水滴のしたたる右手で柄を握った。
曇りガラスの向こう側に見える、一つの小さな黒い影。
浴室に漂う緊張が加速度的に高まり始めた直後、ガラッ! と引き戸が勢いよく開いた。
一気に極限へと高まった緊張が、雪崩を打ったように少年達の頭の中に走る――――――が……。
『パパ! パパ! パパーーーッッッ!!!』
「………ぇ?」
「………What?」
引き戸が開いたと思った刹那、弾丸のように小柄な人影が飛び出してきた。
浴室の湿った空気の中、赤い長髪が炎のようにたなびきながら、文字通り一人の少女が“飛んで”くる。
パパと謎の単語を連呼しつつ、身構えていた悠人に文字通り飛びついた。
無論、浴室というこの場にあって最も適切な恰好……一糸まとわぬ姿で。
「!!! わぷっ!」
ぴょん、と身軽にジャンプしてきた少女は、悠人の顔に飛びついて首に足を絡ませてきた。両手で頭を抱き、頭に頬ずりする。
『パパ、パパ、会いたかったよ〜!!』
早口でまくし立てる少女の言葉。エスペリアとも少し違う話し方。
ここ数日の猛勉強のおかげか、かろうじて悠人でも意味はわかる。
「ちょっ、ちょっと…! 危ないから! 離れろって」
焦った悠人は、思わず日本語で叫んだ。
無論、生まれ故郷の誇り高い言語が異世界の娘に通じるわけもなく、逆にギュッと抱きつくため、悠人はバランスを崩しそうになってしまう。
『飛んできたんだよっ!』
言うと同時に、今度は後頭部に両手をクロスさせ、少し頭を離して、嬉しそうな表情で悠人の顔をじっと見つめてくる。燃えるように赤いルビーの瞳が真っ直ぐに混乱する少年の顔を射抜き、やっと少女の顔を視認した悠人は、ますますわけが分からなくなってしまった。
――な、なんなんだ!? この子は。
どこか幼さを残した顔つきの、釣り目で元気がありそうな少女だった。歳は佳織と同じくらいか。肌に触れる柔らかな、しかし控えめな胸元の感触からも、そのことが窺える。瞳は大きく、鼻はまだ低い。チラリと見える八重歯が可愛い小さな唇は愛らしく、目鼻立ちの整った、かなりの美少女だった。しかし、整った顔立ち以上に目を奪われたのが、燃え盛る炎のように情熱的な真紅の瞳と、艶めかしい赤い髪だった。額の真ん中ほどで綺麗に分けられた辺りから、ぴょん、と一房、まるで触角のようにそそり立っている。
「う〜む…思わず恋を……って、さすがにそれは犯罪か」
一瞬、本気で少女の平に近い胸元に目を奪われかけてしまい、イカンイカン、と柳也は激しく首を横に振った。
作者として念のために言っておくが、柳也にそっちの趣味はない。多分。いや、きっと。
『パパッ!!』
再び、悠人の視界が肌色によって埋め尽くされてしまう。
少女は再び両手を悠人の後頭部へと回すと、今度は頬ずりではなく完全に彼の頭を抱きかかえ、悠人の顔は一部の倒錯した趣味の持ち主(主にこれを書いている作者など)ならばあまりの心地良さに悶死しかねない少女の胸元へと埋没した。
「こっ、ここっ、こらっ!」
悠人の苦しげな、くぐもった声が浴室に響く。
「ゆ、悠人……お前、やっぱり光陰と同じでソッチの趣味が……」
「ち、違う! …っていうか“やっぱり”って何だ!? “やっぱり”って!?」
背後から聞こえてきた柳也の愕然とした調子の言葉に、悠人は慌てて抗議の声を訴える。
しかし少女の身体に押し潰されたその声は、ほとんど言葉にならぬまま虚しく響き渡るわけだった。
「なんということだ…。佳織ちゃんや小鳥ちゃんのみならず、そんな初対面の娘にまで手を出すなんて……なんて羨まし――――って、イカンッ! イカンッ! 何を言っているんだ、俺は!?」
激しく頭を振り、取り乱す柳也。どうやら彼もこの事態には混乱を隠せないようだ。
なお、繰り返し言うが、柳也にソッチの趣味はない。多分。いや、きっと。
「え、ええと…問題が起きたら、まずは問題を整理ぃ……」
柳也は混乱で様々な思考が錯綜する頭をなんとかなだめすかし、次に当然の疑問を口にした。
「…っていうか、なんでその子は悠人のことをパパだなんて……?」
「わ、わからない。…っていうか、こっちの言葉でパパってなんなんだ!?」
『ユートはカオリのお兄ちゃん! オルファのパパ! ユートォ〜』
またも顔を離し、笑顔で言葉を発する。異世界の住人である悠人や柳也を気遣ってか、その語調は大分ゆったりとしたペースだ。
「えーと……ユートは佳織の兄。それにユートはオルファリルの…パパ?」
「なんだそりゃ? 悠人が佳織ちゃんの兄貴なのは分かるが、なんでオルファのパパってことに……って!」
悠人と柳也は同時に目を丸くした。
「カオリだってっ!? カオリがどうし…わぷっ!」
『パパ! パパ!』
三度にわたる抱きつき攻撃により、ついにバランスを崩した悠人が風呂に倒れ込む。
ザッパーンッ! と、盛大な飛沫が上がり、前隠しのタオルが宙を舞った。ちなみに柳也は相変わらず股間にモザイク処理が必要ないでたちだ。デジタルモザイク処理だとちょっと形がバレバレなので、旧来の処理が必要である。
『こら! オルファ、お風呂で遊ばないのっ』
脱衣場の方から、少し反響した叱責の声が聞こえた。その声に、悠人にまとわりついている少女が一瞬ビクッと強張る。
『だってオルファ楽しみにしてたんだもん!』
ドアがガラッと開け放たれる。
「お、エスペリア」
柳也の間の抜けた声が浴室に流れた。
引き戸を開けたそこには、エスペリアが腰に手を当てて立っていた。たいそうご立腹の様子で、オルファという少女を叱っているようだ。腕には、おそらくこのオルファなる少女が脱ぎ散らかしたであろう、ピンク色の小さな服を抱えている。
『もう…こんなに服を脱ぎ散らして…』
呆れ半分、怒り半分といった声音で、エスペリアが溜め息をついた。
それに対するオルファの返答は、許しを乞うにしては少し横柄だ。
『エスペリアお姉ちゃんも、いっしょに入ろうよ』
『私は後片付けをした後に……』
そのとき、浴室の中を見回したエスペリアの視界の中に、素っ裸の少女と、前隠しのタオルがはずれた悠人、そもそも前隠しなどせず、脇差を構えたまま両脚を肩幅に開いた柳也の姿が映じた。
そして、悠人と目が合う。
「あ、はは…は……」
もはや悠人の立場としては、愛想笑いで場をつなぐしかない。
エスペリアの表情が、たちまち凍りついた。
『!!!! 申し訳ありません! ユートさま!』
エスペリアは顔を茹でダコの如く赤くして、後ろを向いてしまう。
「……って、俺の存在は無視かい!?」
『あはは♪ お姉ちゃんの顔が真っ赤ぁ〜』
オルファという少女は、エスペリアを見てクスクスと笑いながら、尻餅を着いている悠人になおも抱きついてくる。
『パパ! オルファのパパ〜♪ えへへへへ〜〜』
「うう…なんなんだ、この子は…??」
「うう…なんで俺は無視なんだ…??」
唖然とした口調の悠人の声と、肩を落とした柳也の声が、浴室の中で二重奏を奏でた。
永遠のアセリア
-The Spirit of Eternity Sword Another-
第一章「有限世界の妖精たち」
Episode12「初陣の鐘」
――同日、夜。
館の食堂を、かつてバーンライトの諜報部隊から人質を救出するための作戦会議を開いた時以上の重苦しい空気が支配していた。
といっても、その場に漂う雰囲気を息苦しいと感じているのは悠人と柳也の二人だけで、彼らの目の前でニコニコと満面の笑みを浮かべている少女と、その隣の席に座るエスペリアはいたって平然とした様子だ。
いや、エスペリアだけは少し違っている。悠人達のようにこの場の雰囲気を息苦しくは感じていないようだが、裸を見てしまった方と見られた方の手前、悠人達の顔を正視できないでいる。エスペリアの視線は悠人達を見ているようで、実際には視界の中心に捉えておらず、また何かの拍子で二人と目が合えば、顔を真っ赤にしてすぐ逸らしてしまった。
『ほ、ほら、オルファ。ちゃんとユートさまたちにご挨拶なさい』
『うん! パパ、リュウヤ、オルファの名前はオルファだよ♪』
大浴場で見せてくれた裸体から一転、一四〇センチに届くか届かないかという小柄な身体に、赤みの強いピンク色の衣服を纏い、燃え盛る炎のように鮮烈な赤色の長髪を、黄色のリボンで両側に束ねた装いで、エスペリアとともに食堂にやってきた少女は、彼女の言葉に応じて元気良く言った。
『いやあ、それはまぁ、解っているんだが……』
「風呂場で何度も名前を連呼していたし…」と、内心で付け加えつつ、柳也はしげしげとオルファリルと名乗った少女を見つめる。
一見しただけではそうとは分からぬほど工夫されているが、彼女の着ている衣服には、要所々々にアセリアや自分の着るスピリット隊の戦闘服とデザイン上の共通点がみられる。
そうすると、おそらくはこの娘もスピリットなのだろう。それも赤い瞳に赤い髪という特徴から、レッドスピリットと推察できる。昼間、エスペリアが言っていた新人とは、この娘のことだったのだろう。
――…まいったな。想像していたより、ずっと若い。
背丈や幼げな容貌からして、佳織や小鳥と同じくらいだろうか。
佳織といえば、この娘はその名前を口にしていた。もしかしたら彼女は、佳織のことを知っているのだろうか。
『それより……』
考えていることは悠人も同じだったらしい。
彼は、ずい、とテーブルの上に身を乗り出すと、オルファを見つめた。
『聞きたいことがあるんだ。俺は……』
『パパだよ!』
『ええと……』
『また、“パパ”か……』
悠人が困ったように続けるべき言葉を失くし、柳也が思案顔で腕を組む。
悠人に名乗らせることなく、パパと呼ぶ。なぜ、この娘は彼のことをパパと呼ぶのか。やはり、この世界では“パパ”という単語には、何か特別な意味があるのだろうか。
「心当たり、あるか?」
「いや、まったく」
助けを求めるような悠人の視線に、柳也は首を横に振って答える。
続いてエスペリアにも目線を送るが、彼女も無言で首を横に振った。どうやらエスペリアにも、“パパ”という発音で、思い当たる言葉はないらしい。
『なぁ、オルファ、パパ……ってどういう意味なんだ?』
ニコニコと悠人を見つめているオルファに、彼に代わって柳也が訊ねた。
佳織のことを知っているかどうかを聞きたいのに、話がどんどんと脱線していく。
『えへへ♪ それじゃゆっくりと言うね!』
オルファリルは、言う通りゆっくりとした口調で話し始めた。
『パパ、会いたかったよぉ』
『うん』
『今日は飛んできたよ』
『ああ、文字通り飛んできたな』
リズムに乗るように紡がれる言葉に、柳也が素早いレスポンスで頷く。
一方の悠人は、突然、話題の飛んだオルファの言葉の理解に時間がかかっていた。
「ええと…飛ぶように……ここまで来た?」
「ああ。そんな感じの訳でいいと思う」
『ユートはカオリのお兄ちゃん! ユートはオルファのパパ!」
「ユートはカオリの…兄弟。ユートはオルファリルの……パパぁ!?」
時間をかけての翻訳の直後、悠人が素っ頓狂な声を上げる。
「ど、どうしてそこから俺がパパになるんだよ!?」
「…俺が知っているはずないだろうが」
混乱に加えて苛立ち始めた悠人の言葉に、柳也は冷静に答えた。
とはいえ、混乱に表情を歪めているのは彼もまた一緒だ。
――それよりも、やはりこのオルファという娘は佳織ちゃんのことを知っているみたいだけど……。
柳也は怪訝な面持ちでオルファを見た。
オルファは、相変わらずニコニコとした表情で悠人のことを見つめている。柳也には一瞥もくれようとしない。どうやら、柳也の存在は蚊帳の外にあるようだ。
「ふふっ…寂しいぜぇ」
『えへへ〜』
『あのさ、“パパ”って父親っていう意味だぞ?』
『そだよ♪』
念を押す悠人の言葉に、オルファは即答で肯定した。
「……つまり、このオルファって娘は“パパ”という言葉の意味を父親と分かっている上で、悠人のことをパパ……つまり、父親と呼んでいるわけだな」
柳也はやけに鋭い眼差しで悠人を睨んだ。
「な、なんだよ?」
「まさかこの娘は隠しッ……!!?」
ゴスッ、と、まるで少年漫画のように綺麗なSEが炸裂した。
柳也が言い終える前に、悠人の鉄拳が彼の頭に炸裂したのだ。
「んなわけないだろ!」
「け、けどよぉ、だったらどうしてこの娘はお前のことを“パパ”って呼ぶんだよ? 何か、心当たりはないのか?」
「あるわけないだ…ろ……」
無論、悠人は元の世界でも、この有限世界でも、子どもを作った憶えはない。……ない、はずだ。
「……待てよ、もしかして…あれ、かな?」
……どうやら、心当たりがあったらしい。
「いやいやいや、あの時は俺はむしろやられた立場だったし、そもそも、アセリアに斬られたあの女の子が生きて子どもを産めるはずないし……」
『ねぇパパ! オルファ、お腹減っちゃったよ。もうラースからの道中何も食べてなくて……』
ひとり激しく悩み苦しみ身悶えする悠人に、オルファが言った。
突然の呼びかけに、悠人は一旦、自分の進退に関わる重要な思考を棚上げし、言葉の翻訳に取り掛かる。
「ええと…オルファは腹が、減った?」
「……って、まったく話が繋がっていないぞ」
また話が脱線した。
悠人の表情に、はっきりとした苛立ちが浮かび始める。
他方、柳也はといえば、早くもこの娘の性格に慣れ始めたらしく、特に苛立った様子はない。オルファのように会話をしていてよく話が飛ぶ子は、しらかば学園にも何人かいた。
『エスペリアお姉ちゃん。ゴハンは? オルファ、お姉ちゃんのゴハンを楽しみにしてたんだよ〜』
『こ、こらっ! オルファ。ユートさまの質問にちゃんと答えなさい!』
叱るような口調のエスペリアに、悠人は激しく頷いた。
『ええと、どこから話したらいい?』
『できれば最初の最初から頼む』
『最初かぁ〜、ええとね。あ、そうそう、そうだ!』
オルファは、パン、と一回、手を叩くと、また歌うように話し始めた。
『えっとね、オルファは今日ラースの街から帰ってきたんだ』
「なるほど。やっぱりこの娘がエスペリアの言っていた新人さんだったわけか」
悠人が頭の中で訳を終えるよりも先に意味を理解した柳也が頷く。この数日間のリリアナやグリゼフといった面々との会話で、彼の言語スキルは格段に上達していた。
『それでね。あ、そうだ!』
何か重要なことを思い出したのか、オルファの声量が一段と大きくなった。
『リュカって娘がいてね。そのリュカにお歌を教えてあげたんだよ♪ オルファ帰ってきちゃったから、全部は教えてあげられなかったんだけど』
『オルファ、話が脱線してますよ』
『あ、そうか。あれ〜? どこまで話したっけ』
『ラースから帰ってきたところです』
『そうそう♪』
また脇道に逸れかけた話をエスペリアが軌道修正してやると、オルファは思い出したように頷いた。どうやら、本当につい先ほどまで自分の話していた内容について忘れていたらしい。
「……注意力が散漫なところとか、小鳥に似てないか?」
「…まぁ、明るくて元気なところとかは、たしかに小鳥ちゃんに近いものがあるな」
小鳥があの小さな胸の内に秘めている想いを知っている柳也は、悠人の酷評に素直に同意できない。別な類似点を挙げて、曖昧に頷くだけだ。
――っていうか、小鳥ちゃんの話題がよく飛ぶのは、あの娘なりの駆け引きだと思うが…。
夏小鳥という少女は確かに元気だし、よく喋る。しかし、会話の最中に話題がアレコレと飛躍するのは悠人に対してだけだ。事実、柳也と話す時の小鳥は終始一貫した内容の会話で楽しませてくれた。
様々に提示する話題の中で、どれに悠人がいちばん興味を抱くか、彼女なりに計算しながら話していたのだろう。意中の人の気を惹こうとする高度なテクニックだが、この鈍感ヘタレ男には通じなかったらしい。
――…同情するよ、小鳥ちゃん。
もっとも、自分が同情してやったところで、何がどう変わるわけでもないのだが。
『えとね。お城で王女様に報告してね。そだ! そこでカオリにあったんだよ♪』
『…佳織ちゃんと?』
『会、った…?』
悠人の顔色が、すぅっ、と変わっていく。
歌うように紡がれる、ともすれば聞き逃してしまいそうな、オルファの説明の中に登場した、耳に聞き慣れたその響き。
悠人が今、最も切望し、彼と同じくらい、柳也が会いたいと思っている少女の名前…。
――やっぱり佳織のことを知っているんだ!
確信を得たその刹那、悠人はその他一切の思考を失った。一瞬にして彼の頭の中は命より大切な義妹のことで一杯になり、それ以外の事は考えられなくなってしまう。
そして次の瞬間、悠人はほとんど本能的に行動していた。
「会ったって、佳織と話したりしたのか!?」
『ひゃっ!』
悠人はオルファの肩を強く掴むと、小柄な彼女を乱暴に揺さぶった。
彼が身を乗り出した拍子にテーブルに載っていたコップが転がり落ち、パリン、と音を立てて割れる。
しかし、冷静さを失った今の悠人に、その音は聞こえなかったらしい。
質問、というより、糾弾に近い問いかけをする悠人の表情にはある種の必死さが感じられ、オルファを激しく睨みつける双眸は釣り上がり、赤く血走っている。
「オルファ、佳織はどうしてた!? 無事だったか? ひどいことされていなかったか?」
矢継ぎ早の質問。
しかし、連続してぶつけられる質問に、オルファは答えられなかった。
悠人は自分が、聖ヨト語でなく日本語で叫んでいることにまったく気付いていなかった。
日本語の解らないオルファが、無意識のうちに祖国の言語でまくしたてる悠人の質問に、答えられるはずがない。しかし、自分が日本語を話していると気付いていない悠人からしてみれば、質問に答えないオルファの態度は、苛立ちを募らせるばかりの不遜な態度でしかない。
そして募る苛立ちは、最終的にオルファを責め立てる乱暴な振る舞いへと転化する。
質問をぶつける悠人の口調は次第に勢いを増していき、目の前の少女を見つめる眼差しは凄絶な色を帯びていった。
佳織を心配するあまり我を見失っている悠人の様子に、ただならぬものを感じた柳也とエスペリアは、慌てて彼を止めに入る。
『ユートさま、落ち着いてくださいませ!』
「悠人、落ち着かんかッ!!」
『パパ、痛いよっ!』
「……っ!!」
エスペリアの悲痛な叫び、直心影流二段剣士の腹の底からの絶叫、そして痛みを訴える幼い悲鳴に、悠人は、ハッ、とした。
ようやく、オルファの細い腕と肩を、強すぎる力で握っていることに気付く。
掴まれた手をはずそうと、オルファの小さな手が悠人の手に重なっていた。
自分の手と比べると、あまりにも、小さな手だった。
『あ……。悪い…!!』
悠人は、鬼のような形相から一転、申し訳なさそうな表情になると、慌てて手を離した。見ると、悠人に掴まれていた部分が赤く変色している。自分ではまったく意識していなかったが、どうやらかなりの力で締め上げてしまっていたらしい。
――動揺していたとはいえ、こんな事をしてしまうなんて……!
罪悪感が、心の中でふつふつと沸き上がる。
これではあの時と一緒だ。この世界に召還される前に、柳也に叱りつけられたあの日と同じ…。
『ご、ごめん。オルファ。痛かったよな、ごめん……』
悠人は慌てて頭を下げて謝った。
心の中で、自分をなじった。
『ううん、だいじょうぶだよパパ。…パパ、カオリのこと心配なんだよね』
暗い面持ちの悠人に、オルファはやんわりと優しい笑みを浮かべた。
つい先ほど、自分に対して乱暴な振る舞いをした相手に向けるものとは思えぬほど、穏やかな表情だ。
『カオリね。元気だったよ♪ 王女さまがカオリの話し相手になりなさいって。それでずっとお話してたんだ』
オルファは、小さな身体には大げさすぎるほどのアクションを交えた身振り手振りとともに、自分と佳織との出会い、そして佳織と過ごした時間について語った。
途中、何度も脱線したオルファの話を大まかにまとめると、次のようになる。
悠人がまだ館で動けなかった時期に、オルファはレスティーナ王女に呼び出されて、そこで初めて彼女は佳織と出会ったのだという。
元々、佳織は人見知りする方だが、雰囲気などが親友の小鳥に似ていたせいだろうか、すぐに打ち解けることができたらしい。
この世界と、悠人達の世界、オルファと佳織はお互いに知っている限りの話をしたらしい。無論、言葉の通じる範囲で、だ。
その話の中で、オルファは家族というものを知ったのだという。スピリットには基本的に家族という概念はないらしく、それまでは街で大人と子どもが手を繋いで歩いているのを見ても、その関係は友達と思っていたようだ。
佳織から家族という関係について聞かされた彼女は、自分もまた家族というものに憧れを抱いたらしい。特に、最も身近な佳織と悠人の関係に。
『オルファも家族になる〜!』と、さんざん佳織の前で駄々をこね、家族に迎え入れることを了承させると、続いてすでに佳織は悠人の義妹だから、自分は違うのがいいと騒ぎ立て、最終的に娘というポジションを手に入れたらしい。
『なんともまぁ、微笑ましい決断だな』
血の繋がりなんてなくても、互いに合意の上ならば、誰だって家族になることができる。
しらかば学園でそのことを身をもって知っている柳也は、感心したように呟いた。
彼もまた、幼い頃に両親を一度に失うという経験を経て、“家族”という言葉に特別な意味を求める者だった。
――スピリットに家族はいない、か……。
柳也は、本格的に訓練が始まる以前、エスペリアの講義で教わったスピリットの謎について思い出していた。
スピリットは、母の胎内からは決して生まれてこない。
いやそもそもスピリットが誕生する瞬間を目撃した者は、誰一人としていない。当のスピリット達本人ですら、自分がどこで生を受けたのか、覚えているものはまったくいないのだ。
永遠神剣とスピリットの関係は、長年、学者達を悩ませている大いなる謎だった。
スピリット達は、誕生のその瞬間から、永遠神剣を手にして生まれてくる。小さな種のような神剣を握った状態で発見され、スピリット本体の成長に合わせて、神剣もまた育っていくものであるらしかった。
母の温もりを知らぬまま生まれてきた彼女達に、家族という感覚は希薄だ。
誕生と同時に所属国家の軍部に引き取られ、物心つくまでにはもう訓練を強制される彼女達は、多くの場合、家族という関係を知らずに育つ。
――だからこそ、オルファは余計に家族ってものに憧れるんだろうな。
それまで知らなかったまったく新しい人間関係。
未知のものへの好奇心が、温もりを求める心を助長し、オルファに家族を欲しさせた。
柳也はそう推論した。
「……それで、俺達が訓練を始めた頃に、ほとんど入れ違いみたいな形で、彼女がラースの警備任務に回された、と」
『ところで、オルファ……』
オルファの説明を聞き終えた悠人は、ふと気になることがあって口を開いた。
『もしかして佳織って、俺よりも言葉まともに喋ってる?』
『うん♪ パパより上手だよ。もうぜんぜん』
オルファは邪気のない笑顔で言った。
幼げな少女の唇から出た言葉に、悠人は感心したように相槌を打つ。
『さすが佳織。成績も俺より上だものな……って』
『失礼なことを言ってはいけません』
能天気に笑うオルファの様子に、慌ててエスペリアがたしなめた。
『だってパパ、なんか変なんだもん』
『こ、こらっ』
あたふたしているエスペリア。
素直すぎるオルファの感想に、どうフォローしていいか分からずにオロオロしてしまっている。
『気にしてないよ。俺が下手なのは自分でも解っているし』
悠人は、本当に気にしてないという風に首を横に振った。
現代世界において、お世辞にも語学の成績が良いとはいえなかった自分である。それが今、こうしてちゃんと会話が成立しているのだ。それだけでも、奇跡というべき功績だろう。
『ちなみに、俺はどうだろう?』
柳也の問いに、オルファは、うーん、と眉根を寄せて考え込む。
『ううん…と、上手だと思うよ。もしかしたら、カオリよりも上手いかも』
『え? そう? へへっ、そいつは嬉しいなぁ』
柳也は嬉しげに、そして得意げに笑った。
その隣で悠人は少し悔しそうな眼差しを柳也に向ける。
『カオリがね、言ってたよ。リュウヤは頭も良いし、強いし、何よりしっかりした人だから、あんまり心配していないって』
『そっか…。信頼してくれるのは嬉しいけど、ちょっと寂しいかな』
柳也は複雑な表情で笑った。
今の自分は、あの野犬の群れに立ち向かっていった少年の頃から、少しは強くなれただろうか。
あの時、一緒にいた少女から信頼されるくらいには強くなったのだと思うと、少し誇らしげな気持ちになる。
『リュウヤのことはそんな感じ。でも、パパのことは……』
『…俺のこと?』
『カオリがね。ずっとパパのこと心配してたよ』
『……』
オルファの言葉に、悠人の表情が再び曇った。
『怖い目にあってないかって。ひどいことをされていないかって。…そのあとね、色々なお話したんだ。パパのこととか、キョウコのこととか、あとオルファに似てるっていうコトリのこととか!』
『……』
『最後はカオリ泣いちゃって、オルファもなんだか哀しくなって、一緒に泣いちゃった』
『……』
大切な思い出を語るオルファの一つ一つの言葉が、痛みを伴うほど胸に響く。
佳織は今、どんな思いでいるのだろうか。
思い悩んで、辛い気持ちになっているんじゃないだろうか。
悠人すら近くにいなくなくて、孤独を感じているんじゃないだろうか。
『それでね。オルファはパパの近くにいれるよって話したら、カオリが励ましてあげて、って』
オルファは満面の笑みで悠人を見つめた。
『カオリが“オニイチャン”なんだから、オルファは“パパ”って呼ぶぅ♪』
『……オルファ…』
少し俯き、優しく微笑むエスペリア。
『……そっか。ありがとな、オルファ』
――オルファは、俺が寂しくならないように、パパと呼んでくれるんだ……
己の孤独も、カオリの孤独も、両方を癒そうとしている。
こんな小さく、幼げな容貌の少女が、自分達のために…。
悠人はオルファの頭をゆっくりと撫でた。
瑞々しく艶やかな赤い髪。
オルファは嬉しそうに、少しはにかんで父と呼ぶ少年の顔を見上げた。
『えへへ♪』
『ユートさま…』
『佳織のためにも、俺、がんばらなきゃな』
『パパのために、オルファもがんばるぅっ』
「さんきゅ、オルファ」
『さんきゅ?』
『私たちの言う“ウレーシェ”ですよ』
『悪い、ついクセで使っちまった。ごめん、オルファ。えっと……ウレーシェ、オルファ』
『あ、そうなんだ! ううん、気にしないで! パパ!』
『さ、アセリアも呼んで食事にしましょう。もうシチューも丁度よくなっていると思います』
『わいっ。久しぶりのエスペリアお姉ちゃんのシっチュー!』
オルファは小さな身体で力一杯、全身で喜びを表すように飛び跳ねた。
『オルファもお手伝い〜』
台所に向かうエスペリアを追いかけるオルファ。
その後ろ姿を見送りながら、優しい眼差しで柳也が呟く。
「…彼女みたいな子が居てくれれば、佳織ちゃんだって少しは安心できるだろうな」
「ああ…そうだな……」
自分のことをパパと呼び、佳織を守っていてくれるオルファ。
スピリットといっても、普通の人間よりも人間らしい気がする。
だがあんなにも明るく朗らかなオルファもまた、永遠神剣の使い手として戦場に立たされ、戦わされるのだろうか。
そう考えると、悠人の胸は少し痛んだ。
佳織を人質にして、自分達を戦わせ、大人しいエスペリアや幼いオルファたちすらも戦場へと放り投げる。
「……そうまでして、この世界は、何と戦おうとしているんだろうな?」
「ん?」
「いや、なんでもないよ」
口からこぼれ出た心からの問いに、律儀に反応した柳也に首を横に振って、悠人は押し黙った。
いくら考えてみても、今の悠人には、その答えはわからなかった。
◇
――聖ヨト暦三三〇年、アソクの月、緑、ふたつの日、夜。
街灯一つない闇色の世界……といっても、東京のように大気の汚染が酷くはない有限世界では、冴え冴えと輝く満天の星と、青白い月光がその代わりを務めてくれる。
念のために携帯用のエーテル灯を持って訓練所に訪れた柳也だったが、どうやらその必要はなかったらしい。
ここに至るまでの道中を照らしていたランプのような形状のエーテル灯を消し、燃え残った固形エーテル燃料を腰に引っさげた麻袋にしまいこむと、彼は無人の休憩所へと足を運んだ。すでに一日の訓練のすべてが終了して四時間余りが過ぎている。春の夜気が肌を刺す野外訓練施設に、他に人の気配はなく、柳也はそのことを確認すると、休憩所にエーテル灯などの余計な荷物を置き、戦闘服に大小の鞘を佩いたいでたちで、わざと足場を悪くした荒れ野へと出た。
荒涼とした一画に陣取ると、彼はそこで父の形見の愛刀を鞘走らせる。
煌々と輝く月明かりに照らされて、肥後の豪剣二尺四寸八分に、真っ直ぐに屹立する稲妻が浮かんだ。
「……」
柳也は険を孕んだ表情で同田貫を見つめてから、鞘へと戻した。
何度かの深呼吸の後、再び左腕を動かし、併せて腰を引き、豪剣の刀身を鞘から抜き放つ。
柄の握り、刀の抜き差しの具合を確かめつつ、同じ動作を何度も反復する。
ただ漠然と刀の抜き差しを繰り返しているのではない。
柳也は己の業前を、胆力を、心根を練り直す決意で、剣術を始めたばかりの子どもがやるような稽古に挑んでいた。
――ドラゴン・アタック作戦の成功は、ほとんど僥倖だった…。
過日の自分が立案した作戦の成功は、有限世界の住人達が特殊音響閃光手榴弾という兵器の存在を知らなかったからこそ生まれた隙を、上手く突いたから成し遂げられたようなもの。無論、そのことを見越した上で特殊音響閃光手榴弾の使用に踏み切ったわけだが、もし、過日の人質救出作戦が現代世界でのものであったなら、あんな急場拵えの装備と作戦では、間違いなく人質に犠牲者が出ていただろう。相手が有限世界の住人であればこそ、成功したような奇襲だった。
孫子の『兵法』にもあるように、戦術の基本は奇襲性にある。
相手が思ってもみなかった所に攻め、相手が思ってもみなかった機動を以って作戦行動に出ればこそ、最小の被害で最大の効果を得ることができる。古くはカルタゴ・ハンニバル軍のアルプス越えに始まり、最近の例でいえば湾岸戦争のヘリボーン輸送戦術などがそれだ。
ドラゴン・アタック作戦の時は、二段構えの奇襲作戦で人質救出に結びついた。
狡知に長けたバーンライトの諜報部も、異世界の兵器である特殊音響閃光手榴弾の存在までは予想できなかったろうし、まさかグリゼフとリリアナが入れ替わっているとは思いもよらなかったろう。結果として人質の二人には傷一つ負わせることなく、作戦は成功した。
しかしそれは、相手が有限世界の住人だったから通用した奇襲だった。
今後の戦いでも同じように、常に奇襲が成功するとは限らないし、時にはこちらが敵の奇襲作戦を受けることもあるだろう。柳也達の世界でいうゲリラ戦術のように、突発的な戦闘に巻き込まれるという事態も考えられる。
――いつどんな時、どんな状況でも、焦らず、迷わず、正しい動作で刀の抜き差しができるようにしておかないと…。
場合によっては、直心影流には正式にない居合いの技が必要になるかもしれない。
これまで自分が修めてきたのは所詮、平和な時代の道場剣術だ。
今までは刀を抜き放つ暇があればこそ戦うことも可能だったが、いざ合戦の場において、そんな悠長に刃を抜き放つ暇が与えられるとは限らない。
「いくらなんでも、無抵抗のうちにやられるのは癪だしな」
【安心せよ、主よ。そのようなことには断じて我がさせぬ】
自信に満ちた〈決意〉の声が、頭の中に響いた。
【主の身体は我そのもの。我としても主に死なれては困るのだ。いざという時は、主に言われるまでもなく、我が守ってみせよう】
「ははっ…期待しているぜ」
五体に漲る相棒の力を頼もしく感じつつ、柳也は刀勢も鋭く同田貫を抜き放った。
〈決意〉の力によって強化された身体能力と柳也の業前を以って抜き放つ刃の剣尖は、音の壁に迫る勢いを保っている。
しかし、何度、抜き差しを繰り返しても、柳也の顔色は険を孕んだまま、冴えることはなかった。
――独力の限界か…。
柳也は静かに歯噛みした。
思えば有限世界に来て以来、柳也はまともな稽古がほとんどできないでいる。
アセリア達との実戦さながらの模擬戦闘で実力はついた。リリアナに師事したおかげで、物珍しい異世界の剣術に触れることができた。しかし、柳也にとって最も重要な、直心影流の稽古については、まるで成果が見出せない。有限世界には、柳也に日本刀の扱いを指導する人物がいない。いや、いるかもしれないが、少なくともこのラキオスにはいない。
今のところは独力で何とか切り抜けているが、やがてはそれにも限界がくるだろう。
その時までに何らかの打開策を見つけておかねば、下手をすれば、大切なものを守れないかもしれない。
父が最期に自分に残した遺言を、守ることができないかもしれない。
【主よ……】
「……ああ、分かっている」
頭の中に直接響くその声に、柳也は頷いた。
「分かっているよ。先のことを考えても、今はどうしようもない。先のことを今、悩んだって、すぐに日本刀の扱いに長けた師匠が現れるわけじゃないしな。そんなことは分かっている…」
柳也は、すすっ、と音もなく荒れ野を踏み出た。
前進と同時に、わずか一挙動で肥後の豪剣二尺四寸八分の刀身が、一条の閃光と化して抜き放たれた。
直心影流には正式な技としてない、居合の太刀筋だ。
「……今、俺にできることは……俺がやらなければならないことは、たとえ独学でも、自分を磨くことだ。…そして、一日も早く、お前を使いこなせるようになることだ」
そうすることが、結果的に悠人や佳織、そして瞬のためになると信じて…。
振り抜いた刃は即座に止めの第二撃の構えへと移り、直後、振り下ろされる。
豪剣を振り抜く柳也の双眸は、皓々と輝いていた。
◇
――聖ヨト暦三三〇年、アソクの月、緑、よっつの日、朝。
いつものように五時半には起床し、六時には早朝ランニングを開始して七時に訓練所に到着した柳也は、五体に〈決意〉の力を漲らせるや、早速、稽古を開始した。
――今朝はちょっとした実験をやってみたいと思う。
【実験…?】
頭の中に響く声に首肯して、柳也は王城の兵舎から持ち出した弓矢を構えた。
騎兵が馬上で使うような小型の弓だ。全長は六〇センチほどで、持った感覚から重量は二〇〇グラムとないだろう。
柳也は腰から吊り下げた二十本入りの矢筒からまずは一本だけ矢を取り出し、掌の凶器に〈決意〉の一部を寄生させた。
――ドラゴン・アタック作戦の時に、小麦粉で作った団子にお前を寄生させて、特殊音響閃光手榴弾を作ったことがあったろ?
【うむ。主の知識をもとに、我がマナの流れをコントロールして、殺傷能力を極限まで殺して作ったのだったな】
――それと同じで、矢にお前の一部を寄生させて、その上でマナを流し込んで強化してみようと思ってな。
柳也は合成弓の弦に矢筈を引っ掛けると、目線から三十度の射角で弓矢を構えた。
――弓矢の射程は一般的に一五〇メートル前後といわれている。この小さな弓と、それに合わせた小さな矢なら、一〇〇メートル届けば上出来ってところかな…。確実な殺傷能力を期待するなら、三〇メートル前後ってところか。
射角をめいっぱい取ってやれば、あるいは全長約六〇センチのこの弓でも二〇〇メートルに届くかもしれない。しかし、そうした場合は、おそらく有効射程範囲はかなり狭まってしまうだろう。
柳也は、ぴん、と張った弦を大きく引いた。
弓道の世界でいうところの、いわゆる三分の二の位を保持すると、彼は小さく吠えた。
「〈決意〉、いつも同田貫に流しているのと同じくらいマナで、矢を強化してやってくれ」
〈決意〉の力によって強化された弓矢の射程がどれほど延長され、その威力がどれほど増強されるか。それを確認することが、今回の実験の目的だ。
実験の結果、この小さな弓矢でも十分な射程と威力が確保できるようならば、弓矢の扱いについて訓練する価値を見出すことができる。勿論、この場合の十分とは、レッドスピリットの神剣魔法が届かぬ距離、グリーンスピリットの防御壁を破るだけの貫通力のことを指している。
敵の射程圏外から悠々と攻撃することが可能ならば、それはその一要素だけで強力なアドバンテージとなる。ましてそれが敵の防御を突破するほどの威力を持っているとすれば、一方的なアウトレンジ戦法を展開することも不可能ではない。
【それは構わぬが主よ…】
主人の思考を読み取った〈決意〉が渋った。
【射出武器の強化は確かに有益だとは思うが、残念ながらあまり多用はできぬぞ】
「……どういう意味だ?」
【以前にも言ったと思うが、我々永遠神剣はマナを啜って生きている。より多くのマナを取り込むことでより高みへと成長し、より多くのマナを消費することによって、様々な奇跡を起こすことを可能としている。
分かっているとは思うが、マナを消費すれば消費した分だけ、当然、我らは弱体化する。消費量が平時、大気中から取り込んでいるマナの量と同じか、超えなければ影響はないが、それを上回ると、失った分だけ我らは弱っていく。それを防ぐためには極力戦わずにいるか、戦うにしても、砕いた神剣から解放されるマナを吸って消費した分を取り戻すしかない】
「ああ、それは十分に理解しているつもりだ。ドラゴン・アタック作戦の時も、あの二人の神剣から解放されたマナを吸って、〈決意〉は喜んでいたしな」
【先回の戦では、消費したマナの量よりも、得られたマナの方が多かった。ゆえに今の我は、この世界にやってきたばかりの頃よりも数段、強力になっている】
〈決意〉が、少し得意げに言った。
【砕いた神剣から解放されるマナを吸引するには、その付近に我の本体がいなければならぬ。射出武器で遠方から攻撃するも良いが、あまり多用しすぎると、マナの消費ばかりがかさんで、消費した分を回収できずに弱体化が進んでしまうであろうな】
「…なるほど。遠距離からの攻撃はよほど手持ちのマナに余裕のある時か、むしろいざという時の切り札にしておくべき……というわけか」
柳也はゆっくりと右腕から力を抜くと、真っ直ぐに張った弦の合成弓を下ろし、矢を地面へと向けた。
【うむ。砕いた神剣のマナを獲得するには、極力、その相手に近付いていなければならぬ。基本は、接近戦にならざるをえぬ】
「イスラエルの戦闘機と一緒ってわけか。BVR(Beyond Visual Range:視程外射程)ミサイルは使えない。使えるのは短射程のサイドワインダーか、バルカン砲だけ」
【……相変わらずよく分からぬ例えよな】
「こいつはおちおち実験もできないな…。もっとマナに余裕のある時でないと。……そういや、ふと疑問に思ったんだけどよ、ついでに訊いていいか?」
【なんだ?】
「俺は同田貫以外にももうひと振り、父さんの形見の脇差を持っているわけだけどよ…」
柳也は左腰の大小の柄を、ポンポン、と軽く叩いた。
「まずそんな状況に陥ることはないと思うんだけどさ、こいつをふた振り同時に使おうと思ったら、マナの消費量はやっぱ二倍になるのか?」
【うむ、そうなるな。…のみならず、最大で発揮できる力も限られてしまう。主もそれぞれの手で別の作業をするよりは、両手を揃えて一つの作業に専念した方が、効率が良かろう?】
「たしかに、そうだな」
そもそも、直心影流には二刀流の技など存在しない。下手に二刀を振り回したところで、逆に窮地に陥ることとて考えられる。…もっとも、二刀流で戦わなければいけないという状況自体、すでに窮地に陥っていると考えられるのだが。
――二天一流、ちょっと練習しておくかな。
かの剣豪・宮本武蔵が編み出した剣術については、柳也も剣士のたしなみ程度には聞きかじって知っている。本物の二天一流剣士からしてみれば愚行以外の何物でもないだろうが、僅かな記憶を頼りに独学で学んでみるのも、良いかもしれない。
――二刀流剣士っていうのは、ちょっとしたドリームだしな。
柳也がそんな考えを胸に抱いた時だった。
突如として彼の耳朶を、カーン! カーン! カーン! と、けたましい半鐘の音が叩いた。
「……なんだ?」
半鐘の音は王城の方から聴こえてくる。
そちらの方を振り向くが、白亜の宮殿から火の手が上がった気配はない。小高い丘の上に建設された訓練場から見下ろす街の様子も、いたって平穏そのものだ。
――火事じゃないとすると……まさか!!
思い当たることがあったのか、柳也は、きっ、と眦を吊り上げると、一路スピリットの館へと引き返した。いつもはトレーニングのためにわざと遠回りをしている森の中の洋館から訓練所までの道のりを、最短のルートで一息に駆け抜ける。柳也が走り続ける間にも半鐘の音は鳴り続け、一向に止む気配をみせない。
火事でないにも拘わらず半鐘が鳴る……つまりは、そういうことなのだろう。
柳也は胸の内で五体に宿る相棒に語りかけた。
――〈決意〉、どうやら出番みたいだぜ。
いかなる心境なのか、口元に薄く冷笑をたたえる柳也に、〈決意〉は尊大な調子で応じた。
【いかなる事態であろうと、我と主ならば必ずや切り抜けられよう】
「ははっ、期待しているぜ」
木造二階建ての洋館の前に到着した時、玄関の扉が勢いよく開いて、悠人が飛び出した。柳也と違って、有限世界に来てからも大して汚しも傷つけもしなかった学生服の上に、ラキオス軍制式の士官服を羽織り、腰には無骨な刀身を剥き出しにしたままで〈求め〉を佩いている。完全に戦闘用の装いだ。どうやら急いで身支度を整えたようで、ところどころ服装に乱れが見受けられる。
柳也は急いで悠人のもとへと駆け寄った。
「柳也!」
「悠人…その様子だと、どうやら来るべきものが来ちまったみたいだな」
「そう、みたいだな…」
悠人はいささか緊張した面持ちで頷いた。
不安と怯え、そして僅かに意識の昂ぶりが複雑に入り乱れた悠人の表情は、決して明るいとは言いがたい。
「柳也も早く着替えてこいよ。アセリアはもう準備ができている。エスペリアはオルファの準備を手伝っている、って」
「ああ」
柳也は頷き返すと、一目散に二階の自室へと向かった。
着ている服を脱ぎ捨て、エーテル技術を応用して編まれたスピリット用の戦闘服に装いを改める。ただし、下肢を包むトラウザーズだけは例によって普通の布地を張り合わせただけの代物だ。足首から膝下までには包帯を使って巻きゲートルを施しておく。こうすることで適度な圧力を下肢に与え、血液が足へ多量に降下することを防ぎ、長時間の徒歩によって消耗する体力を抑えることができる。第二次世界大戦中の日本軍や、中国軍の兵士が多用した方法だ。
さらに戦闘服の上からはこれまたエーテル技術で作った特殊な繊維で編まれた士官服を羽織る。玄関の前で悠人が着ていたものと同じデザインの、戦国時代の武将が好んで着た陣羽織のような服だ。これはエトランジェのみに着用が認められた、いわば下級将校クラスの軍服で、階級章のような役目も担っている。現在、ラキオスでこの士官服を着られるのは、悠人と柳也の二人だけである。
また柳也は戦闘服の上に帯を巻くと、そこに大小のふた振りを閂に差した。
さらに少し迷って、二十本入りの矢筒と弓矢を背負う。もともと小型の弓と矢だから、あまり邪魔にはならない。
身支度を整えた柳也は、反射的に左手に目線を落とした。
午前七時三十分ちょうど。
父の形見の腕時計が示す現在時刻を、柳也は胸に刻みつける。
これからは、一分一秒が大切な時間になる。
――ドラゴン・アタック作戦の時は、正規の軍事行動じゃなかった…。
柳也はひとつ深呼吸をすると、部屋の戸を引いた。
桜坂柳也の、本当の意味での初陣が迫っていた。
◇
――聖ヨト暦三三〇年、アソクの月、緑、よっつの日、朝。
ラキオス王城の謁見の間は、出来ることならば悠人達がもう二度と足を運びたくないと思っている場所の一つだった。
しかし、今回ばかりは状況が状況である。
アセリア達三名のスピリットと、不承不承といった様子の二名のエトランジェは、忌々しい因縁の場所で無人の王座の前に平伏した。ルーグゥ・ダイ・ラキオス王の姿は見当たらない。代わりに、王座の前にはラキオスの国防大臣でもあるレスティーナが立っている。すぐ側には通産大臣のダグラス・スカイホーク、そしてリリアナ・ヨゴウが両脇を固めていた。
いかにも高級そうな白いドレスに身を包んだ少女は、いつになく険をおびた表情で、悠人らと対面した。
『スピリット、エトランジェよ』
いつもながら聞いているだけで惚れ惚れとする、凛とした張りのある声が謁見の間に響く。高貴なる王族の血が影響しているのか、それとも彼女を形作る経験がそうさせるのか、その声には自分達と同年代とは思えぬ貫禄を感じさせた。
『我が国に国籍不明のスピリットが侵入した。いま王は同盟国家との会談のため、国を離れている。そのため、今回の指揮は私が行う。
敵の狙いはラースに建設されつつあるエーテル変換施設であることは間違いない。エトランジェとスピリットは、すぐにラースへと向かい、国籍不明のスピリットを完全に消滅させよ』
エーテル変換施設は現代世界でいうところの発電施設だ。石油やプルトニウムといった資源から電気という万能エネルギーを生み出すように、エーテル施設ではマナを変換してエーテルを生み出している。
純軍事的にみた施設の重要性も、同程度として良いだろう。
たとえば日本の原子力発電所には、警視庁・警察庁の銃器対策課から原子力関連施設警戒隊が派遣され、二四時間体制で警備に就いている。また福井県美浜原子力発電所には、テロを警戒して水上レーダーが設置されている。
『おそらくはバーンライトの兵だろう。…犠牲は出ようとも、変換施設だけは死守するように。そなた達の命よりも、遙かに重いものなのだからな』
王女の目は冷たく、自分達を部下として見ているようには思えない。あくまでも道具、使い捨ての兵器として、下座の五名を捉えているように見える。
悠人は複雑な表情でレスティーナを見上げた。
オルファはレスティーナが佳織を保護してくれていると言っていた。エスペリアも、王女は理解のある人物だと言っていた。
二人の言葉を疑うわけではない。しかし、冷徹に自分達を見下ろす少女の無表情な顔を見ていると、悠人にはとてもそうは思えなかった。
――佳織を守ってくれているはずなのに、なんでこんな……。
胸の内で湧き上がる苦い思いを堪える悠人の背後で、エスペリアが口を開いた。
『ご安心くださいませ。この身がマナの霧に消えようとも、ラースの街を奪還いたします』
『それでこそ我が国のスピリット』
レスティーナの表情が、一瞬、満足げに微笑んだものになる。
『期待している』
しかしすぐに表情を引き締めると、レスティーナは視線をエスペリアから士官服を着た二人の少年に向けた。
『エトランジェ・ユートよ』
『ハ、ハッ』
突然に呼びかけられ、悠人は慌てて応じた。
『決して他の者たちの足を引っ張らぬようにせよ。解っているとは思うが、そなたの働きが、そなたたちの運命を左右することを忘れなきように……』
氷のように冷たい言葉。凍てついた語調からは、人間らしい感情が一切、感じられない。
――そうか、やはり佳織は大切な人質ってわけか!
腹の底から込み上がる、どす黒い感情の渦。紫水晶の眼差しに見下され、悠人の皮膚がぴりぴりと灼熱する。
しかし、今はその怒りを表に出すわけにはいかなかった。柳也のため、エスペリア達のため、そしてなにより佳織のために、今はこの膨れ上がる怒りを抑えなければ。
――俺は佳織を助けるために動くのだ。それ以外のことは考えちゃいけない。人形のように、心を殺すんだ。
自分自身に何度も言い聞かせ、沸騰する心をなだめすかす。
すでに怒りのあまり一度、暴走した前科を持つ自分の本能だったが、今回は、理性の言うことに従ってくれた。
『よいな。エトランジェよ』
『ハッ』
頭を下げることすら腹立たしかった。
しかしその怒りの感情に、身を任せるわけにはいかなかった。
その時、悠人の頭の中に、唐突に不気味な声……いや、意志の奔流が流れ込んだ。お馴染みの感覚だった。
【そ…うだ。憎…む…。マナ…を…】
この世界に来る以前にも、何度も耳にした声。
この世界に来てからも、何度か耳にした声。
自分自身の憎しみに呼応するかのような弱々しい憎悪の響きは、いつもと同じように、出現と同時にすぐに消滅していった。
『エトランジェ・リュウヤよ』
『ハッ』
レスティーナに呼びかけられ、柳也は伏せていた顔を上げる。
一瞬、リリアナと目が合うが、すぐに目線をレスティーナへと向ける。
『すでに実戦にて証明されたそなたの実力だが、決して手を抜くなどということはないように。そなたの働き次第では、そなたら二人とあの娘の待遇も改善されよう』
『…そいつは頑張りませんとなぁ』
柳也は、軍議の場には到底許されるはずのない軽い口調で応じた。
『俺のことはともかく、佳織ちゃんと悠人の待遇が関わるのであれば、精一杯やらせていただきます。…ところで……』
柳也は横目でチラリと悠人を流し見ると、続けて言った。
『部隊の指揮は、誰が執るのでしょう…?』
『ふむ。本来ならばそなたたち二人のどちらかが執るべきであろうが……』
レスティーナは悠人の顔を見、続いて柳也の顔に視線を移動させると、最後に顔を伏せるエスペリアを見つめた。
『…そなたはすでに実戦を経験済みだが、ユートはこれが初陣である。よって、今回の部隊指揮権はエスペリアに与える』
『かしこまりました』
エスペリアは従容と命令を受け入れた。
柳也も、エスペリアが指揮を執るのならば異存はなかった。
『では、さっそく支度にかかれ。整い次第、アセリア、エスペリア、オルファリル、そしてエトランジェはラースの街に』
『ハッ!』
『ラキオスに勝利を…』
悠人が力強く言い放ち、エスペリアが顔を上げぬまま言う。
レスティーナはその返事に満足したのか、謁見の間から去っていった。
ダグラスと、護衛のリリアナもその後ろ姿に続く。
――ラキオスに勝利を、か……。
柳也はその言葉を胸の中で反芻すると、苦笑した。
ミリタリー・オタクにありがちな行為として、柳也もまた戦場に立つ自分の姿を空想し、想像の世界で楽しんだことは何度もある。
ある時、己はイギリス空挺部隊の隊員だったり、またある時はドイツ軍の将校として戦車部隊を率いていたこともあった。
しかしそれら空想の世界の戦場は、ノルマンディーやクルスクなど、地球上に実在した地名ばかりだった。
――ずいぶん遠いところに来ちまったんだなぁ。
今更ながら、その事実を実感して、柳也は苦々しく笑った。
今、自分の立っている大地は地球上のものではない。
そしてそんな故郷の星からはるかに離れた場所で、自分は戦争をやろうとしている。
そう思うと、柳也は自分の存在が滑稽に思えてならなかった。
故郷を遠く離れて、自分はいったい、何をやっているのだろう……と。
◇
――聖ヨト暦三三〇年、アソクの月、緑、よっつの日、朝。
午前八時二十分を回ったところだった。
正確に時を刻む文字盤に目線を落としていた柳也は、すべての準備が整ったことを確認すると、エスペリアの方を向いた。
『……それじゃ、エスペリア、状況を説明しれくれ』
『かしこまりました』
柳也に促され、エスペリアがデスクの上に地図を広げる。首都ラキオスを中心とした、周辺地域の地図だ。人工衛星や高度に発達した測量器具のない世界だから、だいぶ大雑把な地形図ではあるが、要点は押さえてある。
謁見の間を後にした柳也達は、王城の会議室の一室を借りて、ブリーフィングを行っていた。
ラースを制圧したという件の国籍不明スピリットの部隊を殲滅するための作戦を立てるためである。
レスティーナからはすぐに支度に入れと言われたが、詳細な状況の情報なしに準備に取り掛かるわけにはいかない。いつでも出撃できるよう、必要最低限の装備は整えてから王城に向かったとはいえ、やはり可能な限りは、立案した作戦に適した装備を整えるべきだろう。
『今回の作戦目的は、ラースを制圧した、所属国家不明のスピリットを倒すことです』
エスペリアは地図上のラースの街にチェスに使うような赤色の駒を置き、ラキオスに青色の駒を置いた。赤色が件の所属国家不明のスピリットの示し、青色が悠人達を示している。
『ラースでは現在、新型の小型エーテル変換施設の実験を行っています。ラースは、ラキオスとサルドバルトの国境に位置する、小さいですがラキオスの外交の要衝を担う街です。
ラキオスとサルドバルトは同盟を結んでいるため、警戒は手薄でした。オルファが警備任務を終えたのと同時に、奇襲をしかけてきたようです。おそらくは南東部の国家……バーンライトの仕業と予想されます』
『また、バーンライトの連中か…』
先のドラゴン・アタック作戦のことを思い出して、柳也が苦々しく溜め息をついた。
ドラゴン・アタック作戦に関しては聞かされていない悠人は、怪訝な表情を浮かべている。
『柳也、“また”って?』
『ああ、こっちの話だ。…それでエスペリア、ラースの守備隊は全滅したのか?』
『はい』
『ラースの守備隊の戦力は?』
『スピリットの三個小隊が就いていたそうです』
基本的にこの世界の部隊編成は、スピリット三名で一個小隊を組む。それが三個ということは、ラースにはスピリットが九名いたという計算だ。
『あ、でもでも、オルファが一昨日戻ってきたから、残っているのは八人のはずだよ。代わりの娘が行ったって話も聞いてないし』
『それでも八人か…奇襲に成功したとはいえ、それだけのスピリットを全滅させたとなると、相手はそれなりの戦力で攻め込んだと考えるべきだな。…そんな戦力を、いつの間に国内に持ち込んでいたんだか』
そのとき、柳也の頭の中に浮かんだのは、先のドラゴン・アタック作戦の際に交戦した二名のスピリットの存在だった。
彼女達もまた、ラキオスの哨戒線に引っかかることなく国内への潜入を果たし、柳也の前に立ちはだかった稀有な存在だった。
『ラース制圧の犯人がバーンライトだったと仮定すると、今回の襲撃に参加したスピリットは、ダーツィの外人部隊によって特別に訓練された部隊と思われます』
『もしくは外人部隊そのものか、その混成部隊というわけか…』
『なぁ、ダーツィの外人部隊って、どういうことなんだ?』
いまだこの世界の国際関係には疎いらしい悠人が、怪訝な面持ちでエスペリアと柳也を見比べる。
エスペリアは悠人に、北方五国が抱え込む複雑な国際政治の背景を簡単に語った。
『…それでエスペリア、ラースへはどういう進路を取るつもりなんだ?』
エスペリアの説明が終わる頃を見計らって、柳也が訊ねた。
『ラキオスの南に広がるリュケイレムの森を、迂回しつつ南西に移動し、ラースへと向かいます』
エスペリアは青の駒を西へ進めると、途中でくるりと方向転換、真っ直ぐラースの街へと南下させた。
『オルファ、エスペリアの言ったルートだとラースまではどのくらいかかるんだ?』
柳也が、エスペリアではなくオルファに訊ねる。
オルファは以前、ラースの警備任務に就いていた。彼女からもたらされる情報は、一つ一つが重要な価値を持っている。
『う〜ん…普通に歩いて、一週間くらい、かな』
有限世界における一週間は五日だ。
縮尺が曖昧な地図だから正確な距離は分からないが、一日二十キロメートルの計算として、約一〇〇キロメートルの行軍だ。
『でも、オルファたちの足で急げば半日もかからずに就くと思うよ』
永遠神剣の力によって各種の身体能力が大幅に強化されているスピリットやエトランジェは、普通の人間が一瞬の間にしか引き出せない能力以上の性能を、長時間、発揮し続けることができる。いまだ神剣の覚醒していない悠人ですら、常人をはるかに凌駕した体力を持っている。
しかしオルファの計算は、あくまで敵の妨害がないと仮定した上での数字だ。
『リュケイレムの森を真っ直ぐ突っ切っては進めばもっと早くラースに辿り着くんじゃないか?』
横から悠人が口を挟んだ。
エスペリアが、難しい表情で首を横に振る。
『リュケイレムの森は広大です。土地勘のない者が不十分な準備で足を踏み入れれば、たちまち迷ってしまうでしょう』
『とはいえ、森を迂回するルートだと、敵の待ち伏せは必至だな。それなりに整備された街道を進むことになるから、視界も開けているし。…ラースを制圧した連中は、当然、こちらがラースの奪回作戦を立てることを予想して、防衛線を構築しているはずだ』
『それでも、多少の妨害は覚悟の上で、進むしかありません』
エスペリアが、はっきりと決意の篭もった強い調子で言った。
『OK。今回の部隊長はエスペリアだしな。従うよ』
柳也は頷くと、続けて言った。
『リュケイレムの森をそのまま抜けることができないのなら、それはそうとして、一つ提案がある』
『なんでしょうか?』
『これはこの世界の軍事の常識からは少しはずれることになるんだが、前衛に俺とアセリアを、後方にエスペリアとオルファ、それから悠人を布陣して進撃することを提案したい』
『……そうすることに、何か意味があるのか?』
隣で悠人が首を傾げて言った。
『あらかじめある程度の敵の妨害が予想されるのなら、前衛に攻撃力の高い二人を配置して進軍した方が、被害と時間のロスを最小に抑えられる。アセリアを最前に進めば、いち早く敵の神剣魔法を無力化できるしな。俺とアセリアで討ち漏らした敵は、オルファの神剣魔法で平らげる。エスペリアは後方からサポートをしつつ指示を下す。
前後左右から挟撃を受けた場合には、左右からの敵に対しては俺とアセリアが分散して対応。前後の攻めに対しては俺とアセリア、オルファとエスペリアの二人一組で対応する。…個人的には今のこの面子でできる、最上の突撃陣形だと思うんだが』
柳也は四人の顔を見回した。
オルファと、名前を呼ばれなかった悠人が不満そうな顔をしているが、エスペリアは柳也の提案を検討することに価値を見出した様子だ。アセリアは……相変わらず何を考えているのか分からない。
『……分かりました』
思案顔のエスペリアが、口を開いた。
『その隊列で進みましょう。…アセリア、オルファ、それでいいわね?』
『…ん、まかせろ』
『むぅ〜、オルファも前に出て敵さんをいっぱいやっつけたいのに〜〜!』
アセリアが力強く頷き、オルファは不満を口にしながらも、エスペリアが賛同したとあってしぶしぶ柳也の提案を承諾する。
柳也は隣の悠人を振り向いた。
『悠人も、それでいいか?』
『…勝手にしろよ』
陣形の構成に関して、役割を与えられなかった悠人は不承不承に頷いた。
しかし彼は、オルファのように不満を口に出してぶつけることはしなかった。いまだ神剣が覚醒していない自分にできることなど、高が知れている。この五人の中で、いちばん足手まといになる可能性があるのは自分なのだ。そのことをよく理解しているからこそ、悠人はぐっと不平の言葉を飲み込んだ。
悠人が承諾したのを確認すると、エスペリアはみなに言った。
『では、さっそく支度に取りかかりましょう』
とは言うものの、ラースの街までは敵の妨害を想定しても、二日とかかるまい。必要な物は最低限の準備で十分に事足りるはずだ。
また、今回のラース奪回作戦は一刻も早い街の解放が望まれるため、機動力が求められる。持ち物が軽装であることに超したことはなかった。
『……ところでエスペリア』
再度、作戦内容を確認し、地図を畳むエスペリアに、柳也が声をかけた。
『俺の世界だと、こういった軍事作戦には多くの場合、作戦コードが付けられるもんなんだけど…』
エスペリアが振り向いたその先で、ミリタリー・オタクの少年は期待に満ちた眼差しを自分に向けている。
先のドラゴン・アタック作戦の時もそうだったが、このエトランジェ達のいた世界では、作戦名ひとつに関しても哲学があるらしい。
『……ええと、何か希望の名前があるのですか?』
エスペリアが、少し迷いながら訊ねた。
レスティーナが自分に渡したのは部隊の指揮権であって、そうした作戦の名称に関する権限は与えられていない。かといって、無下に断ってやる気をなくしてもらっては困る。
『ああ。“ゲットバック”作戦、なんていうのはどうだろう?』
『……ゲットバック、ですか?』
『ああ』
柳也は快活に笑うと頷いた。
『俺達の世界の言語で、“取り返す”って意味の言葉だ。…こういう正規の軍事作戦には、身内からは一発で作戦内容が分かって、敵からはその作戦の性質が読まれにくい名前をつけるもんだ』
『…分かりました』
聞き慣れない単語に戸惑いながらも、エスペリアは頷いた。
『それでいきましょう』
エスペリアの理解ある返答に、柳也はにっこりと笑った。
◇
――時間は遡って、聖ヨト暦三三〇年、アソクの月、赤、よっつの日、朝。
半年ぶりに迎えられた穏やかな朝だった。
敵国領内という常に危険と隣り合わせの緊張はなく、起きてすぐに警戒のため永遠神剣を握る必要もない。夜の間も開け放っておいた窓辺から差し込む日差しはあくまでも優しく、風に乗って運ばれてくるラシード山脈の緑の香りは、泥の臭いに慣れた鼻に新鮮に感じる。ゆったりとした朝の時間。味方の勢力圏、同盟国の領内に、ようやく戻ってきたのだという実感が、今更ながら湧き上がる。
アイリス・ブルースピリットはカーテンに透き通る朝の光に頬を撫でられて、ゆっくりと目を覚ました。
起きて最初に視界の中に映じたのは、この半年間ですっかり見慣れてしまった野営地のテントの汚れた生地ではなく、きちんと整理整頓が行き届いた部屋の景観だった。八畳ほどの広さの、全木造の部屋で、室内にはいまアイリスが横になっているベッドを始め必要最低限の家具しか置かれていない。しかし、物がなさすぎて寂しいという印象はなく、薄いオレンジ色のカーテンを始め、全体的に温かみを感じさせる内装に統一されていた。部屋の主の性格を感じさせるコーディネートだ。
天井に設置されたエーテル灯は消えている。
アイリスはきめの細かい肌に艶やかな光沢のシーツを滑らせると、ベッドに座りなおした。
薄いヴェールのような透明な日差しに包まれて、少女の白い肢体がおぼろに輪郭を床の上に描く。
アイリスは裸体を陽光に晒していた。
背丈のわりに小柄な少女の裸身は細く引き締まっており、肉づきが薄い。ウエストのラインはなだらかで、丸みを帯びた乳房の大きさはやや控えめな印象だ。幼児体形…というには語弊がある。少々曲線に欠ける身体のラインは、しかし均等のとれたプロポーションを顧みても、スレンダーと形容するべきだろう。
薄っすらと肌の上に浮かぶ汗が蒸発して、黄金のマナの霧へと変わっていく様子は、宗教画に登場する女神のように美しい。
涼しげな眉の下の双眸は優しげな光を宿し、すぐ側で静かな寝息を立てる同僚に向けられていた。
細く、長い指先がシーツの上を伝い、柔らかな感触に触れて、撫でさする。
昨夜、ともに生まれたままの姿でベッドに入ったオデットは、アイリスの手が頭を撫でると、幸せそうな寝顔を浮かべて、温もりを求め、アイリスの腰元へと擦り寄っていく。
毛布から這い出た少女の背中の曲線美は急角度を描いており、女性らしい。
自分より年下なのにも拘わらず、アイリスのそれよりふた回りは大きな乳房の柔らかく、温かな感触が太腿に触れ、蒼い髪の少女は昨晩の情事を思い出して、微笑んだ。
アイリスとオデットがこういう関係を結ぶようになったのは、オデットが第三軍に派遣されてきたばかりの頃……以前からアイリスに憧れ続け、自ら希望して第三軍に赴任してきたというオデットから想いを打ち明けられ、それを受け入れた事に端を発する。
オデットが以前からアイリスに熱烈な好意を抱いていたように、彼女もまた年下のレッドスピリットのことを、本国で指導教官を務めていた頃から愛らしく思っていた。
最初は恋人同士というよりは姉妹のような関係に満足していた二人が、より深い絆を求めて身体を重ね合わせるようになるのにそう時間はかからなかった。以来、アイリスとオデットは二年近くもの時間を共有し、今や互いに公私ともになくてはならないパートナーとなっていた。
心地良さそうに眠り続けるオデットの髪を撫でながら、ふと、今は何時だろうと思う。
昨日、リーザリオに帰還したばかりの自分は特別に免除されているが、オデットは今日も朝から通常の訓練があるはずだ。時間によっては、そろそろ起こしてあげないと不味いかもしれない。
残念ながらオデットの部屋に時計はない。有限世界においてエーテルで駆動する時計は貴重な品で、宿舎に一つしか置かれていない。そしてその貴重な時計は、宿舎のみなが最も集まる機会の多い、食堂に置かれている。
アイリスは食堂に向かうべく立ち上がろうとして、再びベッドに腰かけた。
下腹部に視線を落とすと、後ろから甘えん坊の恋人の両手が絡みついて、離さない。
すりすり、と腰のくびれに頬ずりし、さわさわ、と優しい手つきで腹を撫でてくる。
無意識のうちでも己を求めてくる愛撫に嬉しさが込み上げてくる反面、これは少し困った事態になってきた、とアイリスは思った。
昨晩は、久しぶりに触れた最愛の人の柔肌ということで、互いにかなり激しく求め合ってしまった。それを示すかのように、自分が腰かけるベッドは二人分の体液を吸って、いまだ少し湿り気をおびている。
激しい情事の余韻は一夜明けてなお咽かえるような淫臭を放っているシーツ以外にも、アイリスの裸身にしっかりと残っている。
はたして、へそというおよそ色気とは縁遠い場所から下へ下へと肌を滑る指先の動きに、アイリスの口から、意図せずして小さく嬌声が漏れてしまう。
ダーツィ最強のブルースピリットの少女はなんとかしなくてはとオデットの両手に手をかけ、そして、気が付いた。
常人のそれをはるかに凌駕するスピリットの優れた聴力が、部屋の外……廊下を抜け、一階へと続く階段を軽やかに駆け上がる足音を聞きつける。
階段を上り終えたらしい足音は廊下を進み、やがて止まった。
薄い板戸一枚を隔てた向こう側に、同僚の気配を感じた。
『オデット! いい加減起きてきなさい。オデット!』
この半年間、聞いていなかった部下の声。オデットと同じイノヤソキマに召還され、オディールと名づけられたグリーンスピリットの懐かしい声に、再び帰ってきたのだという実感が湧く。
しかし、今は感慨に耽っている暇ではない。
アイリスは焦燥にやや早口になりながら、小さな声で言葉を紡いだ。
『オデット、すまないが腰に回した手を離してくれ…』
『う〜〜ん…おねえしゃまあ……むにゅむにゅ…』
……これは本当にタハ乱暴の書く文章なのだろうか。
こんな歯が浮くような台詞が吐けるキャラクターが、本当にタハ乱暴の被造物なのだろうか!?
腰に回され、今も己の股間に伸びようとする愛らしい少女の手を振り解こうとする必死なアイリスの態度とは真逆に、オデットの拘束は次第に強くなっていく。ついでに寝言も付加された。
『オデット、オデット! …まったく! きっとまだ寝ているのね。…オデット! 起きてこないのなら入るわよ』
トントン…トントン……と、極々小さなノックの音。寝ている時はおろか、起きているときですら聞き逃してしまいそうなほど小さなその音は、明らかにオデットを起こす目的で鳴らされたものではない。
『…ノックをしたって既成事実は作ったわ。いい? 入るわよ、オデット』
『ま、待て、オディール――――――』
アイリスの制止の甲斐なく、ガチャリ、とドアノブが、くるり、と九十度回転した。
『まったく! アイリスが帰ってきたのが嬉しいのはわかるけど、通常勤務に差し支えがないようにって言った、で…しょ……ぅ…………』
『…………』
『うにゅう…お姉様ぁ、大好きでふぅ……♪』
『…………』
『…………』
オディールのエメラルド色の瞳と、目が合った。
しばし沈黙。
なんとなく気まずい空気が支配する空間に、生まれたままの姿ですり寄ってくるオデットの寝言だけが、奇妙な存在感をもって響く。
そして――――――
『ご、ごめんなさい! じゃ、じゃあ…ごゆっくり……』
バタン、と小気味良い音を立てて閉まるドア。
アイリスは茫然とした面持ちで部屋と廊下とを区切る板戸を見つめている。
一点に視線を集中させる双眸の下では、白い丘の表面を滑るように、涙が止め処なく流れていた。
何か大切なものを失ったような気がして、アイリスは無性に悲しかった。
北斗「ようやくオルファ君の登場か」
柳也「こらロリコン、顔がにやけているぜ?」
北斗「ぬぁッ! そ、そんなことがあるはずが……」
オルファ「パパ〜、あのオジサン目が恐いよ〜」
北斗「お、おじさん……」
タハ乱暴「……はい、永遠のアセリアAnother、EPISODE:12、お読みいただきありがとうございました!」
柳也「今回の話は前話までのオリジナル編から離れて原作に戻ったな」
タハ乱暴「うむ。そしていよいよ原作ゲームのMisson01に突入だ」
柳也「プレイヤーの初のSLGパートだな。ところで、今回の話には原作になかった作戦会議があったけど?」
タハ乱暴「うん。やっぱ軍オタとしてはそこ、書いとかないとさ」
柳也「でも、おかげで俺がすごいでしゃばっている風に見えるんだが」
北斗「たしかに、前回までの三話で柳也君は活躍しすぎたきらいがあるからな。オリキャラ最強派の作家が、自分のキャラを目立たせたいだけ、と映りかねん」
タハ乱暴「まぁ、たしかに柳也は“いまのところ”最強キャラになるよう意識して書いているが」
柳也「……こら、なんだその、いまのところ、って?」
タハ乱暴「スーパー戦隊でよくあるだろう? 初登場、最強だった六人目の戦士が、回を重ねるごとに先任メンバーの五人と同程度の強さにしか(下手をするとそれ以下)映らなくなっていくって」
北斗「そういえばプロットの段階で柳也のコンセプトは六人目の戦士だったな」
柳也「What’s!?」
タハ乱暴「何でもありの六人目。アカレンジャーのように強く、アオレンジャーのように伊達男ぶりを発揮し、キレンジャーのごとくギャグもこなす。そんな何でもありの最強キャラ。けど、最終的にはラスボスに対して単独じゃ勝利できない」
北斗「さらに六人目の戦士というのは最終話目前で消えることも多い。ドラゴンレンジャー然り、キバレンジャー然り」
柳也「い、いやだ――――――!!」
タハ乱暴「大丈夫だ柳也! お前には六人目の戦士と同時に二代目ロボとしての役割もあるから」
柳也「二代目ロボ?」
タハ乱暴「二代目ロボと合体しないと初代ロボは最強になれない。ほら、今回の話もそうだったろう? 第四位の神剣を持つ悠人と、軍オタのお前が揃って二人は最強になるんだ。つまり、お前は本作には欠かせない存在なんだ」
柳也「そ、そうだよなぁ! やっぱ俺がいないとこの物語は……」
北斗「もっとも、ジェットガルーダは最終話で破壊されてしまったが」
柳也「し、死ぬのは嫌だ――――――!!」
オルファも登場して、いよいよ悠人の初出陣。
美姫 「エスペリアや柳也がフォローをしてくれるだろうけれど、やっぱり不安よね」
さてさて、一体どんな展開が待ち受けているのか。
非常に続きが待ち遠しいです。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
待ってます!