メッツァーとココノの二人が喫茶店の扉を開けると、そこではロアとは違った意味の異世界が広がっていた。

「おかえりなさいませ、旦那様、お嬢様〜……」
「……」
「……」

 元気良く言葉をかけられた次の瞬間、メッツァーは頬の筋肉が急速に硬直していくのを感じた。
 何か言葉を発しなければならないと思うのに、上手く思考がまとまらない。
 隣を見ると、ココノもまた同様に呆然と立ち尽くしている。両手に抱えた山の中から、憎きレッサーパンダのヌイグルミが一つ、転がり落ちていくのが見えた。
 メッツァーとココノを出迎えたのはアルバイトと思われる一人の少女。若さあふれる健康な肌の顔に営業スマイルを浮かべ、黒のワンピースに白いエプロンドレスといういでたちで二人の客を出迎える。要するに、一般的に認知されているスタンダートなメイドさんスタイルだ。
 入店と同時にかけられた言葉に、異世界の住人二人は唖然とした表情で言葉を失くした。
 入店した喫茶店が、世にいうメイド喫茶なるものだったからではない。
 入店と同時に二人を出迎えたメイドが、二人にとって馴染みのある人物だったからだ。

「……何をやっているんだ、スイートリップ?」

 ようやく搾り出した、やや掠れ気味の声で、メッツァーが訊ねた。

「……言わないで。自分でも何やってるんだろう、って思ってるんだから」

 入店した店頭でゼーロゥの宿敵は、にっこりと営業スマイルを浮かべたまま嘆息した。

 

 

 

「悪の秘密結社の休日・後編」

 

 

 

 四人掛けのテーブル席に案内されたメッツァーは、そこで頭を抱えていた。
 国際教導学園でのスイートリップとの再会は、まさに意外な場所での意外な人物との再会といった風情だが、決して予想できなかった事態ではない。いくらもう籍を置いていないとはいえ、七瀬凛々子が国際教導学園に通っていたという事実は変わらない。この学園に通っていた頃からの友人が、急な用事でバイトに出られなくなり、代打を任された彼女が戻ってくるという事態は、十分考えられるケースだった。そしてそのバイト先のメイド喫茶に、自分達が立ち寄るという偶然が起きたとしても、別段、おかしな話しではない。

「……迂闊だった」

 メッツァーは生クリームの甘みが残る口内をコーヒーで洗ってから、溜息混じりに呟いた。
 当店自慢のケーキですと、宿敵が運んできたケーキの味も、こんな精神状態ではほとんどわからない。
 かえすがえすも悔やまれるのは、そうした予想を怠ってこの学園の敷地を歩いていた自分自身の浅はかさだ。もし、スイートリップのバイト先がメイド喫茶ではなくピザ屋の宅配等外回りだったとしたら、先制攻撃を受けてココノともども大打撃を受けていたかもしれない。そう考えると、背筋の凍えを覚えるとともに、己の迂闊さを呪い、恥じ入るばかりだった。
 他方、悔恨の念から嘆息するメッツァーの向かい側では、ココノがご満悦の表情で紅茶をすすっていた。
 普段、どちらかといえば奉仕される側よりも奉仕する側にある彼女は、「お嬢様」という呼称を始め自分に尽くしてくれるメイド達の態度が、嬉しくてしょうがないようだ。

「ご機嫌ですね、お嬢様」
「えへへ〜…そうですか?」

 紅茶のおかわりを注ぎにきた凛々子に言われ、ココノは嬉しそうに相好を崩す。
 膝の上に乗せたレッサーパンダが、非常にチャーミングだった。

「……さてと」

 紅茶を注ぎ終えた凛々子が、メイド服を着たままメッツァーの隣に回った。
 丈の長いスカートをさっと整え、しずしずと椅子に腰を下ろす。
 自己嫌悪に陥っていた黒衣の魔導士は、眉をひそめた。

「……店員が客と同じ席に座っていいと思っているのか?」
「いいのよ。今の一杯を淹れたら今日はもう上がってもいいって、店長にも言われてるし」

 疲れた口調で問うたメッツァーに、凛々子はあっけからんと答えた。
 どうやら本来この場に立ってメッツァーらの接客を行っているはずの凛々子の友人は、昼を少し過ぎたくらいまでの変則シフトだったらしい。

「相席、構わないわよね?」
「……休息を取るなら別な席に座ってくれないか?」
「駄目っていうならそれでもいいけど……その代わりいままで火村君にされたこと、全部この場で話すわよ?」
「…………」

 メッツァーは深々と溜め息をつくと、無言でテーブルの上の呼び鈴を鳴らした。
 数秒もせぬうちに、愛想の良いメイドがやって来る。

「……好きなものを頼め」
「おごってくれるの?」
「それでお前の軽口が塞げるならな」
「ありがとう」

 凛々子はしてやったりとばかりに微笑むと、学園時代の後輩らしい少女にケーキと紅茶のセットを頼んだ。
 注文を聞きに来たメイドが去り、四人掛けのテーブルにはいまだショックに打ちひしがれるメッツァー、機嫌の良いココノ、二人に交互に目線を注ぐ凛々子、そしてレッサーパンダを始めとしたヌイグルミ達が取り残される。
 次の瞬間、それまで営業スマイルに凝り固まっていた凛々子の表情が、一変した。

「……それで、今日は何をしにこの街に戻ってきたのかしら?」

 それまでの和やかな雰囲気は、冷たい声で紡がれたその言葉によって消え去った。
 ココノの顔から紅茶を楽しむ余裕が消え、凛々子の隣に座るメッツァーの下肢が、その瞬間に筋肉を収縮させる。
 メッツァーは無表情に飲みかけのコーヒーカップを口に運んだ。
 陰鬱な気分は、コーヒーの苦味がすぐに忘れさせてくれた。
 メッツァーは隣の凛々子に視線を向けぬまま、口を開いた。

「何を、というと?」
「とぼけないで。一度アジトを放棄したこの街に、今日、あなた達がいるのはなぜ? 今度はいったい何を企んでいるの?」
「ああ、そういうことか……」

 メッツァーは得心した様子で頷いた。
 どうやら凛々子は、自分達がまたこの国際教導学園を対象に、何かよからぬことを企んでいると思っているらしい。実際にその通りだが。
 メッツァーはコーヒーカップをソーサーに置くと、ふむ、と考え込んだ。
 まさか本当のことを正直に話すわけにはいかない。そんなことをすれば、折角回収したマナの輸送部隊が攻撃を受けかねない。輸送部隊はマナの消費を考慮して上魔を編成に加えていないから、奇襲を受ければひとたまりもない。

「別に何も企んでなどいない。……しいて言うならばそうだな、地球の言葉でいう“デート”とやらをするためだ」

 しばし考え込んだ上で、メッツァーはそう言った。
 メッツァーのこの返答に、訊ねた本人、そして目の前のココノさえもが目を丸くする。

「め、メッツァー様、デートって!」
「……本気で言ってるの、火村君?」

 メッツァーの口から出た思わぬ言葉に、偽名を使うことを忘れたココノをさえぎり、凛々子が訝しげな眼差しで問うた。
 メッツァーは「無論だ」と、言った。実際、デートをしていることには変わりないので、嘘はついていない。
 しかしメッツァーの否定にも拘わらず、凛々子はなおも疑わしげな視線を向けてきた。
 懐疑的なそのまなざしを、メッツァーは腹立たしいとは思わなかった。むしろ、無理もないな、と同情に近い感情すら覚えてしまっていた。かつて自分は、それほどまでに七瀬凛々子の信頼を裏切ってきたのだ。
 凛々子はもう一度「本当にデートなの?」と、訊ねてきた。
 その問いに対して、メッツァーは「ああ…」と、頷いただけだった。信頼など得られるはずもないという、諦めが口調に滲んでいる。

「そう……本当にデートなんだ」

 しかしメッツァーの予想に反して、凛々子の口からこぼれたのは意外な言葉だった。
 メッツァーの銀色の眉と眉の間に、深い縦皺が浮かぶ。

「信じてくれるのか?」
「まぁね。火村君ひとりだったらきっと信じられなかっただろうけど、今日はココノさんも一緒だし」
「……どういう意味だ?」
「火村君はココノさん関連で嘘をついたことがないもの」
「……」

 凛々子に指摘され、メッツァーは思わず押し黙る。
 たしかに、いわれてみると自分はココノが関係した出来事で嘘をついた記憶はない。しかしそれを七瀬凛々子に指摘されるというのは、なぜか不愉快だった。
 メッツァーは正体不明の苛立ちを実感しながら、コーヒーを口に含んだ。
 すっかりぬるくなってしまった中途半端な苦味が、さらに不快感をあおった。

「でも、監視だけはさせてもらうからね」

 さして美味とも思えないコーヒーの味に顔をしかめていると、不意に凛々子がそんなことを言った。
 メッツァーはコーヒーカップを叩くようにソーサーに置くと、彼女の目を見る。

「ココノさんとデートだっていうのは信じてあげるけど、何か企んでいるって疑いは、晴れたわけじゃないんだから」
「デートの覗き見とは、ずいぶん趣味が悪いな」
「あら? 誰かに見られているほうが楽しいって教えてくれたのは、火村君じゃなかったかな?」

 凛々子は何が可笑しいのかクスクスと笑った。

「わたしと一緒の時はさんざん露出プレイを楽しんだのに、ココノさんと一緒の時はわたしにも内緒だなんて、不公平だと思わない?」
「……タフになったな、スイートリップ」
「おかげさまで、ね。これも火村君に鍛えてもらったおかげよ?」
「……着いてくるなら、お前の好きにしろ」

 メッツァーはまた、今日一日で何度目になるかわからない、諦めを含んだ溜め息をついた。
 それを見て凛々子はにっこりと笑った。

「大丈夫、デートの邪魔をするつもりはないから」

 

 

「……たしかに、邪魔はしていないが」

 メッツァーは今日一日ですっかり癖になってしまった溜め息をまたついた。
 力なく肩を落とした黒衣の魔導士の目の前では、二人の少女が嬌声を上げていた。
 勿論、七瀬凛々子とココノ・アクアの二人だ。
 メッツァーが地球に来訪してから今日に至るまで対立を続けている宿敵同士は、いま、彼の目の前で仲のよい姉妹のように肩を並べ、はしゃぎ合っていた。
 小柄な二人がしゃがみこんだ足元には、縦二メートル、横一・二メートル、高さ六十センチほどの段ボール箱が置かれている。
 二重構造の箱の中に手を突っ込む少女達の顔には、幸せそうな笑みが浮かんでいた。箱の中では、いくつもの小さな命が愛嬌たっぷりに凛々子らの手に群がっていた。生後一ヶ月半といったフェレットの赤ん坊だ。

「火村君、火村君! いまこの子わたしの指を舐めてくれ!」
「ほ、火村君、やっぱり飼いましょうこの子たち! ココノはもうたまりません!」

 緊張の深夜から開放された反動か、二人は過剰なまでに興奮し、肩を寄せ合っている。
 互いの立場を忘れて嬉しそうに笑う彼女らに、メッツァーは呆れた溜め息をついた。
 ついで、なぜこのような状況の中に自分はいるのか、頭を抱える。
 たしかに凛々子はデートの邪魔はしていない。してはいないが……

「一緒に参加してどうする?」

 メッツァーの小さな呟きは、少女達の嬌声に飲まれ、音をなさなかった。
 メイド喫茶を出たメッツァーらは、監視のためについてきた凛々子の提案でまたあのペットショップに足を運んでいた。ココのからペットショップでの体験を聞かされた凛々子が、是非、自分も見たいと言い出したのだ。

「すでに俺達は一度足を運んだ後なんだが……」
「ふぅん……ココノちゃんはよくて、わたしは駄目なんだ。じゃあ、火村君がいままでわたしにしたこと、ここで暴露ね」
「お願いしますメッツァー様、ココノももう一度あそこへ行きたいです」

 片方からは脅され、片方からは上目遣いで懇願されたメッツァーに、断る術はなかった。
 再び足を運んだペットショップでは、スターリングシルバーの彼はすでに眠っていた。
 その代わりに公開されている赤ん坊フェレットの中には、やはりタハ乱暴も飼っているシナモンもいる。ぽっちゃりと腹の張ったオスの彼に、宿敵同士の間柄にある少女達は夢中になっていた。
 フェレットの赤ん坊は好奇心旺盛だ。
 自分達の側によってきた指先は、それが誰のものであれ、まず匂いを嗅ぎ、ついで甘噛みしてくる。

「ひゃうっ、くすぐったいですよ〜」

 指先どころか右手の肘までを段ボール箱に突っ込み、ココノが嬌声を上げた。
 腹の辺りを撫でてやると、お返しとばかりに指と指の間の膜を舐めてくる。
 脇の下を撫でてやればそこが弱点なのか本気噛みをしてくるが、顎の力がまだ弱いため、結局は甘噛み同然になってしまう。

「はぅぅ……やっぱり可愛いです〜…持ち帰りたいです〜……チラリ」
「……一応、言っておくが、我々のアジトでは無理だぞ?」

 わざとらしく流し目を送ってきたココノに、メッツァーは無情な現実を突きつけた。
 そのやりとりを見ていた凛々子は、

「う〜ん、フェレットがこんなに可愛いとは思わなかったなぁ。でも飼いたいけどわたしのアパートじゃ無理だし……どこか近場で飼ってる人がいないかなぁ……チラリ」
「……スイートリップ、お前は人のアジトで何をさせたいんだ?」

 メッツァーは両手いっぱいに抱えたヌイグルミとは別な重みを感じて、がっくりと肩を落とした。
 同時についた溜め息は、もう数えるのも面倒臭い。

「……そろそろ行かないか?」

 本来ならば格下であるはずの副官と宿敵を前にしてなぜか肩身の狭いメッツァーは、力なく呟いた。

 

 

 結局、メッツァー達がペットショップを後にしたのは、彼の呟きが少女達の、きゃぴきゃぴ、とした嬌声に飲まれてさらに十五分ほどが経ってからのことだった。

「むふぅ〜、堪能しました」
「わたしも。動物相手にあんなにはしゃいだのは久しぶりかも」

 揃って満足そうな笑顔を浮かべながら、凛々子とココノはまるで長年の親友同士のように肩を寄せ合い、フェレットの素晴らしさについて語り合う。
 その数歩後ろでは、すっかり荷物持ちの役が板についたメッツァーが、

(スイートリップもココノも、夜になったら覚えていろよ……)

 と、物騒なことを考えながら、ヌイグルミを両手によたよたと歩いていた。
 ヌイグルミの山に隠れてしまい、凛々子達からは見えないその表情はどこか不快そうだ。しかしそれは無理もないことだった。女子どもならばまだしも、大の大人でしかも美男子のメッツァーが、デフォルメされた動物のヌイグルミを大量に抱えている。その光景は周囲から好奇の視線を呼び、メッツァーに鬱陶しい不快感を与えていた。

「不快って……失礼しちゃうわね。両手に花よ? 男の子からしてみれば、すごく嬉しい状況だと思うけど?」
「……俺が嬉しいかどうかはさておいて、一般的にみて嬉しい状況には違いないだろう。しかし、他人からこうも注目されるのは苦手だ」
「俺はこんな美人を二人も連れているんだぞ! …って、胸を張って歩くくらいの気概を持ちなさいよ」
「自分で美人というか……」

 メッツァーは冷ややかな眼差しをヌイグルミの隙間から凛々子に向けたが、それは彼女にまで届かなかった。わずかな隙間では、彼女が気付く前に気配が失われてしまう。
 その時、メッツァーを不快な気分にさせることがまた起きた。
 それまでスムーズに進んでいた前方の二人の歩調が急にゆったりとしたペースになり、やがて止まった。
 また立ち往生か、とメッツァーは苛立ちを孕んだ口調で前方に問いかける。

「どうした?」

 ヌイグルミの山に視界の大部分を遮られた状態では前方の詳しい様子を覗い知ることはできない。

「……どうしたの、ココノちゃん?」

 メッツァーの問いかけは、同時に凛々子の問いかけでもあった。
 どうやら最初に足を止めたのはココノらしい。しかし、いったい何が原因で彼女が足を止めたのかまでは、凛々子にもわからないようだ。
 メッツァーと凛々子の質問に、ココノは「あれ……」と、右手の人差し指をある方向に向けた。どこかの店を示しているようだが。

「あれは……なんなんでしょう?」

 メッツァーと凛々子は同時にココノの視線の先に目を向けた。
 ショーウィンドゥの向こう側で、純白のタキシードを着込んだマネキンと、同様に純白のドレスを纏ったマネキンが並んで立っていた。
 表情を持たないはずのマネキン達が、不思議と幸せそうに見えたのは、ウェディングドレスが幸福の象徴だからだろうか。

「地球のドレスのようですけど……いままでに見たことのないデザインですね?」
「あれはウェディングドレスよ」
「うぇでぃんぐドレス?」
「そう。地球では結婚式の時に、花嫁があれを着るの」

 凛々子の説明を受け、ココノは感心したようにしきりに頷いた。
 そして何度も、何度も、艶やかに輝く白亜のドレスを見回しては、感嘆の溜め息をつく。

「綺麗ですね……」
「ああ」

 ココノの呟きに、メッツァーも深く頷いて同意した。
 メッツァーもウェディングドレスが何なのかは知っていたが、実物を見るのはこれがはじめての経験だ。

「話には聞いていたが、こうも可憐なものなのか……」

 メッツァーには無意味に華美な装飾のついた服を嫌う傾向がある。服などというものは必要とする機能さえ果たしさえすれば、ファッション性はどうでも良いとすら考えている。普段袖を通している魔道服にしても、機能性を優先した結果、ああしたデザインになったに過ぎない。
 では、目の前のうぇでぃんぐドレスなる衣装はどうか。この服は結婚式という儀礼の場で使う衣装だ。求められるべき機能は、花嫁をいかに美しく見せるかというその一点に集約する。
 その極限を追求した目の前のドレスの、なんと美しく、なんと儚いことか……。
 たしかに、あの服を着れる女性というのは、世界で一番の幸せ者かもしれない。

「ロアにはないの? こういう服」
「あるにはありますけど……こんなに綺麗なものは、王族しか着れませんから」

 ココノは少しだけ寂しそうに呟いた。
 彼女の言う通り、ロアにもこうした豪華で可憐な衣装が皆無というわけではない。しかしそれは多くの場合、トランシルヴェール家に代表される王族にのみ許された衣装であり、ココノのような中産階級出身の娘には無縁の代物だった。
 まして男で、いまは黒衣の魔導士などと呼ばれているがもともとは貧民街の出身であるメッツァーからしてみれば、さらに縁遠いドレスの意匠だった。
 ウェディングドレスを見つめる二人の目線が、自然と熱くなるのも無理なきことだった。

「……ん? 七瀬じゃないか」

 不意に背後から声をかけられた。
 振り向くと、国際教導学園の制服を着込んだ男子生徒が立っている。
 はて、どこかで見た顔だが……と、メッツァーが思案していると、隣の凛々子が先に答えを口にした。

「斉藤君?」

 その名前を耳にした時、メッツァーは目の前の男子生徒のことを思い出した。まだ国際教導学園に潜伏していた頃のクラスメイトだ。下の名前は、たしか亮といったか。スイートナイツの一度目の捕獲と、ティアナの転入との間に転校していったため、メッツァーの印象は薄い。
 しかし凛々子は相手のことを憶えていたらしい。
 それは相手も同じで、このあたりの知名度はさすが学園のアイドルといったところか。
 斉藤亮は凛々子の存在に気が付くとこちらの方に歩み寄ってきた。

「どうしたんだよ、七瀬? 転校したお前が、なんでここにいるんだ?」
「斉藤君こそ……たしか、瑞穂ヶ丘学園の方に転校したんじゃ……」
「俺は休日を利用しての帰省。俺のお袋、ここの学園都市で店を開いているからさ。休みの日にはなるべく戻ってくるようにしてるんだよ」

 斉藤亮の両親は彼が中学生の時に離婚しているという。親権は彼の父親の方に譲渡され、現在母親とは別な家で暮らしているらしいが、暇を見つけては母親の仕事を手伝うようにしているらしい。

「そっちは?」
「わたしは友だちのバイトのピンチヒッター。ほら、佳奈ちゃんの」
「あ〜……メイド喫茶だったか。まだやってたのか、あのいかがわしい店」

 メイド喫茶に何か嫌な思い出があるのか、斉藤は苦い表情で呟いた。
 ふと、その視線が凛々子の隣に立つメッツァーとココノに向けられる。
 ゼーロゥがかけたものか、それとも女神近衛団による処置か、どちらにしても記憶操作の魔法が効いている斉藤にとって、メッツァー達とは初対面になる。
 しげしげとメッツァーの顔を眺めてから、彼は凛々子を振り向いた。
 ニヤリと笑って口を開く。

「彼氏か?」
「う〜ん…彼氏……とは、ちょっと違うかな」

 斉藤の問いに凛々子は苦笑しながら答えた。
 斉藤はそんな凛々子とメッツァー、そしてショーウィンドウを交互に見比べ、「なるほど」と、頷いた。

「……なるほど、彼氏よりももっと上のステップだったか」

 斉藤はニヤニヤ笑いながら呟いた。

「学生結婚はたいへんだぞ〜。まぁ、大丈夫だ。安心しろ。俺は七瀬の味方だから」

 グッ、と親指を立てて右腕を突き出してくる。
 「安心しろ」とは言うが、まったくそんな気を起こさせない、邪な笑みが浮かんでいた。

「それでいまは式場選びの段階か? こんなブライダルショップの店先に立っているってことは、指輪も渡していないなんてことはないだろう?」

 ちなみにメッツァーはいまだ七瀬凛々子という女に指輪なんて洒落たアクセサリーをプレゼントした記憶はない。首輪と手錠ならあるが、あれは婚約申し込みの儀式に使う道具としては不適切だろう。
 斉藤はしきりに話をそちらの方向に持っていこうとしていた。男のわりに、ゴシップ好きなのかもしれない。あるいは、何か別の理由があるのか。
 どちらにせよ、厄介な事態には違いなかった。このまま詮索を続けられて、万が一、スイートナイツ関連の話題が知ってしまったとしたら、この男には二度と太陽の光を見せられなくなってしまう。それはメッツァーとしても不本意なことだった。
 なんとしてもこの男の追及をかわさねばなるまい。そしてこの男の追及から逃れるには一工夫必要だろう。

「斉藤君、わたしたちはそんな関係じゃないわ。火村く……この二人とは、斉藤君が転校してからのお友だちで、今日、久しぶりに会ったから話をしてただけよ」

 百人が見れば百人が美しいと感想を漏らすであろう清楚な笑みを浮かべつつ、凛々子は言った。
 ついで、少しだけいたずらっぽい口調で、

「それに、火村君にはちゃんと彼女がいるんだから」

 と、ココノの方を示して言った。
 その際、メッツァーの方にさりげないウィンクを一つ送ってくる。
 それだけで、メッツァーは凛々子の意図するところを理解した。宿敵同士とはいえ長い付き合いだけだから、このあたりのアイコンタクトはお手の物だ。
 他方、突如として話を振られたココノは途端、慌て出した。

「ふ、ふぇ! …わ、わたし、ですか!?」

 顔を真っ赤にさせながらココノが呟いた。
 三人の正体を知らぬ斉藤の追及を交わすための方便とはいえ、自分ごときがメッツァーの彼女なんておこがましい、とでも思っているのだろう。
 なんとなく、メッツァーにはココノがそう思うことが不愉快だった。
 ともあれ、ここで斉藤の追及をかわすには一芝居打たねばなるまい。
 メッツァーは何の予告もなしに傍らのココノに腕を伸ばすと、肩を抱き寄せた。

「め、めっ……火村君!?」

 ココノの唇から、驚きと焦りがブレンドされた呟きが漏れた。
 水色の瞳をぱちくりさせながら、間近に迫ったメッツァーの顔を見上げてくる。
 頬を撫でる視線が、なんとなくむずがゆかった。
 二人の関係を見せ付けるようにしてやると、斎藤は少し頬を紅潮させて言った。

「あぁ〜……そうだったか。そりゃあ、勘違いしてすまなかったな。ええと……火村君だったか?」
「いや、いい。それから俺のことは呼び捨てで構わない」
「そうか。ええと、それじゃあ、そっちは……」
「あ、はい。水瀬ココノです」
「水瀬さんか。俺は斎藤亮。国際教導学園時代の七瀬の友達だ」
「よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」

 斎藤は人懐っこい笑みを浮かべると右手を差し出そうとして、引っ込める。
 いまだ肩を抱き寄せている彼氏の前で、握手は不味いと思ったのか、取り繕うような空咳を一つしてから、目線をショーウィンドゥのドレスへと転じた。

「それで、幸せ家族計画は現在どこまで進んでいるんだ?」
「……なに?」
「……しあわせ、かぞくけいかく?」

 耳慣れた単語の、しかし聞き慣れない繋がりに、メッツァーとココノは同時に首を傾げる。
 幸せな家族の計画とはいったいどういう意味なのか。異世界出身の二人に、この日本語の連環は難しすぎた。
 すると凛々子が苦笑しながら、二人にそっと耳打ちしてくる。

「要するに、結婚とか、子育てとかのことよ」
「ああ、なるほど……」

 凛々子に言われ、ようやく得心するメッツァー。
 一方、いまだ彼の腕の中にいるココノは、「結婚」と「子育て」という言葉に、ぼっ、と顔を真っ赤にした。

「け、けけけけっこんって! い、いけません! わたしなんかがメッツァー様のお嫁さんなんてそんな畏れ多い……!」

 ココノは、わたわた、とたどたどしい口調で、慌てたように呟いた。
 斎藤の言葉がそれほど衝撃的だったか、動転のあまり偽名を使うことも忘れている。
 メッツァーは注意を促そうと口を開きかけたたが、すぐに閉じた。彼が何か言うよりも早く、斎藤の口が開いたためだ。

「ふぅむ……するとやっぱり式場選びの段階か? ……だとしたら、こいつはうかうかしてられないな」

 斎藤の言葉は、最後の方は自分自身に言い聞かせているかのような響きがあった。
 なぜかメッツァーの背筋を、悪寒めいた寒気が走る。
 嫌な予感がした時には、もう遅かった。

「未来の顧客ゲットのためにも……水瀬さん、あのウェディングドレスを試着してみないか?」
「えぇっ!?」

 斎藤の言葉に、ココノは素っ頓狂な声を上げた。
 見ると、彼女を抱いているメッツァーも、その隣に立つ凛々子も驚いた表情をしている。

「し、試着ですか?」
「ああ。折角のドレスなんだ。見るだけでなく、実際に着てみないとな。……七瀬もどうだ?」
「……いいの、そんな勝手なことして?」
「大丈夫だろう」

 凛々子の問いに、斎藤は自信ありげに胸を張った。

「勝手知ったる我が家だからな!」

 斎藤は白い歯をキラリと輝かせ、快活に笑った。

 

 

 広くゆったりとした店内に、落ち着いたクラシックが流れていた。
 あの後、斎藤に促されるままに件のブライダルショップに入店したメッツァー達は、そこでこの店が彼の母親が経営している店だということを教えられた。

「それじゃあ、ここは斎藤くんのお母さんのお店なんだ」

 斎藤からの説明を受けた凛々子が、感心した様子で呟いた。
 かつては国際教導学園のアイドルとして誰しもに笑顔を振りまいていた少女は、早くもこの状況に順応している。初めて足を踏み入れる店には、笑顔を絶やさぬことが肝心だと、経験的に知っているようだ。

「ああ。うちのおふくろ、親父よりも商才があったみたいでな。離婚した後、本格的にブライダルの勉強をして、独立したんだよ」
「へぇ……だけど、いいお店だね」
「へへっ、サンキュー」

 店内を一通り見回した凛々子の言葉に、斎藤は嬉しそうな笑みを浮かべる。
 いまは別居中といえど、やはり母親のことが好きなのだろう。母親の店を褒められた彼は、我がことのようにその事実を喜んだ。

「そんな風に言われたら、張り切らないとな」
「あ、あの…べつにそんな張り切らなくても……」

 活力を漲らせる斎藤に、ココノはか細い声で呟く。
 万事控えめな性格の彼女は、凛々子と違ってこの状況にも順応しておらず、きょろきょろ、と不安げな視線を其処彼処に飛ばしている。
 救いを求めるようにメッツァーを見つめる上目遣いにも、弱々しい光しか宿っていない。

「火村くん、あの……やっぱりやめませんか? ココノには、その……ウェディングドレスなんて、きっと似合いませんよ……」
「……そんなことはないと思うが」

 ココノに見上げられたメッツァーは、ふと、頭の中にショーウィンドゥにあったようなドレスを纏った副官の姿を想像してみる。
 寸法を合わし、少しデザインを変えて、きちんとメイクすれば……似合うどころではない。それだけで一枚の絵画にしてもおかしくない仕上がりだった。

「……ふむ。客観的にみても似合うと思うぞ」
「ほ、火村くん……」

 神妙な顔つきでメッツァーに言われ、ココノは嬉しさ半分、悲しさ半分といった複雑な顔で、ガクッ、と肩を落とした。
 そんな彼女を見て、斎藤は、からから、と笑う。

「ははははっ、男ってやつはみんな、好きな女の綺麗な姿が大好きな生き物なんだよ。水瀬さんも頑張って、火村のやつを惚れ直させちまおうぜ?」
「うぅ……」

 メッツァーからの助け舟は決して出航しないことを悟り、ココノは憂鬱そうに溜め息をつく。
 苦し紛れに視線を向けた凛々子は、「ごめん。わたしも見てみたい」と、苦笑していた。

「大丈夫だって。当店自慢の店員が、責任を持って世話させてもらうから。……七瀬はどうする?」
「……本当にわたしもいいの?」

 自分に対する試着の勧めはてっきり冗談だと思っていたのだろう。
 思いつめたように問うてくる彼女に、斎藤は屈託のない笑顔を見せた。

「七瀬も将来の顧客候補だからな。他の店に取られないうちに、当店の良さをアピールしておかないと」
「じゃあ、お願いしようかな」
「うっし、決まり。いま、専門のスタッフを呼んでくるから、ちょっち待っていてくれよ」

 斎藤はそう言うと、店の奥へと姿を消した。
 斎藤の姿が見えなくなると、メッツァーは凛々子に言う。

「お前も着たいとは思わなかった」
「わたしだって女の子だもの、ウェディングドレスには憧れるわよ」

 凛々子はそう言って自虐的に笑った。
 続く凛々子の言葉は、メッツァーにしか聞こえない小さな声で紡がれた。

「憧れるくらい、いいじゃない」
「…………」

 その囁きを耳にして、メッツァーは軽々しい言葉を失ってしまう。
 凛々子の呟きには、正義を信望する魔法戦士が心の底に押し込めてきた、悲しみが滲んでいた。
 スイートナイツの一員として、正義のために戦った凛々子。
 しかし彼女の身体は、他ならぬ自分によって汚されてしまった。
 男であればとうに頭がおかしくなってもおかしくないほどの辱めを受け、彼女の身体は変わってしまった。
 凛々子はおそらく、もう、普通のセックスでは満足出来ないだろう。
 魔界の眷属の身体から滴る粘液に塗れ、触手に四肢を拘束され、衆目の前に肌を晒さねば快感を得られない身体になっている。
 そんな彼女に、女としての普通の幸せが待っているはずがない。
 そんな彼女を、普通の女として愛してくれる男など、現れるはずがない。
 好きな人と結婚式を挙げる。ウェディングドレスに身を包み、ヴァージンロードを歩く。
 七瀬凛々子という娘の人生から、そんなささやかな幸せを奪ったのは己、メッツァー・ハインケルンだ。
 彼女の純情を慰み物にし、スイートリップとしての彼女だけを求めて、七瀬凛々子というごくごく普通の、平凡な少女を壊してしまったのは自分だ。
 そうであればこそ、メッツァーは迂闊な言葉を慎んだ。下手な慰めや愛の言葉は、彼女の神経を逆撫でする結果にしかなりえない。
 ここは放っておいて、わずかな時間、少女の甘い夢に浸らせておいた方が得策だ。
 そう判断したメッツァーは、目線をココノに向けた。
 ココノは相変わらずがちがちに緊張した様子で、「はぁ……」とか、「はぅぅ……」とか、意味を持たない溜め息を繰り返していた。
 これから控えている試着に対し、あまり気乗りしていない様子だ。

「……そんなに着るのが嫌なのか?」
「嫌というわけではありません。ドレス自体は素敵だと思いますし、着てみたいと思います。けど……」
「けど? なんだ?」

 メッツァーは怪訝に訊ねた。

「わたしなんかじゃ、きっと似合わないに決まってます。わたしがあのドレスを着たって、メッツァー様のお目汚しになるだけに……」

「ココノ」

 気が付くと、メッツァーは彼女の名を呼んでいた。
 自分でも驚くほど強い語調になってしまったのは、自信なさげなココノの態度に、思わず苛立ちを覚えてしまったからだろう。

「お前は俺の何だ?」
「え? ええと……ココノはメッツァー様の奴隷で、副官……」
「そうだ。お前は俺の副官だ。この黒衣の魔導士、メッツァー・ハインケルンの副官だ。
 そしてお前は俺の奴隷だ。数多堕としたナイツの中でも、このメッツァー・ハインケルンが、唯一手元に置くナイツだ」

 メッツァーは強い語調できっぱりと言った。

「もっと自信を持て。お前は優秀な副官で、可憐な娘だ。そうでなければ、お前を手元に置いた俺の目が節穴だったということになる」
「メッツァーさま……」

 ココノは驚いた顔でメッツァーのことを見つめた。
 だがすぐに笑顔を見せると、「はい」と、力強く頷いた。
 入店してからココノが初めて見せた笑みは、緊張も気負いもない、ごくごく自然なものだった。
 店の奥から、斎藤が戻ってきた。
 その傍らには、スーツを着た年配の女性、同じくスーツを着た三十路も半ばくらいの女性が立っている。

「ほら、こっちの二人だ」
「あら、亮の言うことだから話半分に聞いていたけれど……」
「はい。とっても可愛らしいお客様ですね」

 年配の女性と若い女性はココノと凛々子の二人をしげしげと眺めた。
 ついで、メッツァーの方にもまじまじと視線を送る。

「うふふ、旦那さんの方もいい男ね」
「だろ? 男の方も、女の方も、まさに絵になるカップルって感じで」
「うんうん。これならお母さんもはりきっちゃうわよ!」

 年配の女性はどうやら斎藤の母親らしい。
 彼女は三人に向き直ると、改めて深く腰を折った。
 それに習って、三十代半ばの女性店員も頭を垂れる。

「本日はご来店まことにありがとうございます。店長の柊静絵です」
「滝川湊です」
「よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いします」
「こちらこそ。それで……」
「あ、七瀬です。こっちは水瀬ココノちゃん」
「そう。それじゃあ二人とも、着付けとメイクアップでよかったかしら?」
「え? メイクまでしてもらえるんですか?」
「勿論よ。素材も良いし、お姉さん、頑張っちゃうんだから!」
「お姉さんって年かよ……」

 母の言い回しに苦笑する斎藤。
 静絵はそんな息子を無視して、隣の滝川にもテキパキと指示を下していく。

「滝川さんは七瀬さんの方をお願いね。わたしは水瀬さんの方を担当するから」
「はい。……うふふ、腕が鳴りますね、店長?」
「ええ。わたし達ブライダルコーディネーターの腕の見せ所ね。それじゃあ、こちらにどうぞ」「あ、はい」

 ココノと凛々子は二人に連れられ、試着スペースへと消えていった。
 四人を見送った後、斎藤がメッツァーを振り返った。

「さて、続いては火村の番だな」
「ん?」
「花嫁二人がドレスに着替えるんだ。火村もタキシードに着替えておくのが、礼儀ってもんだろう」
「まぁ、そうだな」
「そうこなくっちゃ」

 斎藤は嬉々としてメッツァーを男性用の試着室へと連れていった。

 

 

 タキシードに着替えさせられたメッツァーは、待合室で静絵の声がかかるのを待っていた。

「……遅い」
「そりゃあ、二人とも女だからな。女の身支度は男の二倍三倍は当たり前。ましてウェディングドレスみたいな晴れ着となりゃあ、五倍かかってもおかしくない」

 なかなかお呼びのかからない状況に早くも焦れ始めたメッツァーに、斎藤が苦笑しながら言った。
 メッツァーへと差し出した右手には、インスタントのコーヒーで満たされた紙コップが握られている。
 メッツァーは受け取ると、すぐに飲み口へと唇を近付けた。先ほどのメイド喫茶では、大して美味くもないコーヒーを中途半端な温度で飲む羽目になった。今度はそうなる前にと急ぐメッツァーに、斎藤は言う。

「それで、どっちが本命なんだ?」
「……なに?」

 カップに口付けたまま、メッツァーは訊き返した。突然の質問に、どう答えるべきか、回答に迷ってしまう。
 斎藤は己の言葉の不足に気付いたか、頬を掻きながら言い直した。

「いやさ、七瀬と水瀬さん、どっちが火村の本命なのか、って思って」
「……どっちも何も、その答えはさっき凛々子が言ったはずだが?」
「あ、じゃあ、やっぱり水瀬さんが火村の本命なのか」

 斎藤の奇妙な言い回しに、メッツァーは訝しげな顔をした。

「やっぱり?」
「ああ、いや……さっき七瀬が、火村の彼女は水瀬さんだ、って言った時、違和感を感じたっていうか……」
「違和感だと?」
「ああ。……気ィ、悪くしないでくれよ?」

 斎藤はバツの悪そうな顔をして言葉を継いだ。

「ちょくちょく店の手伝いをやってるからな。おふくろほどじゃないが、俺もこれまで結構な数のカップルを見てきたつもりだ。そんな中で、火村と水瀬さんは、俺がいままで見てきたどのカップルとも雰囲気が違うっていうか……」

 自身言いたいことを整理しきれていないのだろう。斉藤は所々言い淀みながら、それでも言を紡いでいく。

「なんていうか、普通の恋人同士にはない絆っていうか、信頼関係があるっていうか……悪い。言っといてなんだが、上手く言葉に出来ねぇや」
「いや」

 紙コップをテーブルに置き、メッツァーは頭を振った。
 実際、黒衣の魔導士の顔に不快そうな表情は浮かんでいない。
 それどころか、目の前の少年に対して、好意的な眼差しさえ向けている。
 なるほど、斎藤の言う通り自分とココノの間には、単なる恋人以上の絆が存在している。それは快楽の鎖であり、同じ死地をともに過ごした戦友同士の絆でもある。
 それをおぼろげとはいえ、初対面で見抜いたこの少年には、人の本質を見抜く才覚があるのかもしれない。
 ……それはさておき、

「……それよりも、よくもまぁ初対面の相手にそこまで言えたものだな」
「ああ。自分でも図々しい奴だって思ってる。けどな、それぐらい図太くないと、不良やってられねぇんだよ」
「不良だったのか? というより、自分で認めるのか?」
「おふくろの前では猫被ってるけどな。……誤解すんなよ? 俺はクスリもやれねぇし、タバコもやらねぇ。ただ、喧嘩が好きなだけだ」
「そういう奴がいちばん性質が悪い」
「そういうお前も、根っこの部分は俺と同じタイプと見たが?」

 メッツァーと斎藤は顔を見合わせた。
 ほぼ同時に、両者の顔に苦笑いが浮かんだ。
 斎藤の口調が変わる。

「いいね。火村。お前、サイコーだ。下の名前、教えてくれよ」
「竜人だ」
「そうか。竜人か。……ホント、最高だな。お前のその目。闘争心と、野心に満ちてやがる。今時、珍しいくらい、剣呑とした眼差しだ。そういう目を見るのは、人生の中でまだ二人目だ。好きだぜ、そういう目をしたやつ。友達にはなれないだろうけどな」
「無理だろうな。俺達のような攻撃性の塊のような人間は、互いを傷つけ合うだけだ」
「水瀬さんはいい男をモノにしたな」
「違うな」
「あん?」
「ココノが俺をモノにしたんじゃない。俺がココノをモノにしたんだ」

 斎藤の顔に、満面の笑みが弾けた。
 店内に流れるクラシックを覆い隠すように、爆笑が響く。

「……あんた達、いつの間にそんなに仲良くなったの?」

 ふと気が付けば、待合室の入り口に静絵が立っていた。どうやらココノ達の準備が終わったらしい。

「いやなに、火村のやつが面白いこと言うからさ」

 斎藤は人懐っこい笑みを浮かべて言った。
 母の前では猫を被っているという彼の弁は、あながち間違いではなさそうだ。

「それで、新婦さんの準備は出来たのか?」
「ええ。……ちょっと時間をかけすぎちゃったけど、仕上げはばっちりよ」

 静絵はそう言って息子にウィンクを一つ、投げてよこす。
 斎藤は、からから、と笑った。

「そりゃあ仕方ないってもんだ。あれだけの美人を、しかも二人も、一度に着付けできる機会なんて滅多にないからな!」

 斎藤は親指を立てた右手を、ぐっ、と突き出した。
 メッツァーの方を振り向き、にっこり、微笑みかける。

「それじゃあ、新郎のご登場といきましょうか」

 斎藤に促されて、メッツァーはその場を移動した。

 

 

 いざ顔合わせとなると、どこか面映い感覚をメッツァーは否定出来なかった。
 いまとなっては自分の半身といっても過言ではない副官の少女の、これまで見たことのない姿が見られる。
 羞恥に悶えるココノの姿はこれまで何度も見てきたが、そう思うと、メッツァーは気分の高揚を禁じえなかった。

「……いやあ、たまげた」

 先に試着室に入って花嫁姿の出来栄えを確認してきた斎藤が、感嘆の吐息を漏らして言った。

「前々から七瀬は美人だとは思っていたが、まさかああも化けるとは思わなんだ」
「そんなに凄いのか?」
「ああ……一瞬、天女が降臨したかと思ったぞ」
「ココノの方は?」
「それは……自分で確かめてくれ。俺には、最強だったとしか言えない」

 うっとりと呟く斎藤に、メッツァーも俄然興味が湧く。
 メッツァーは再度斎藤に確認した上で、試着室のドアを開けた。

 

 

 最初に視界に映じたのは、光が織り成す数多の煌めきだった。
 純白の生地にダイヤを編み込んでいるのか、窓から差込む陽光を吸い込んだ宝石は幾百色の輝きを発し、それでいて見る者の目を眩ませるほど派手々々しい装飾にはなっていない。
 宝石はあくまで着ている者の美しさを際立たせるための細工にすぎず、また白いドレスも同様だった。
 だが白いドレスを纏うことで、彼女達はたしかに別世界の住人と化していた。
 斎藤が天女と見まごうたのも、いまなら理解出来る。
 清楚で、可憐な、スイートリップ。煌びやかな衣装を纏いながら、あくまで自然体に。ブーケを持った彼女は、恥ずかしげにこちらを見ている。
 そして長身の彼女の後ろに隠れた、白い影……ココノ。

「…………」

 いまこの時、メッツァーは言葉というものの無力さを悟った。
 いまのココノに相応しい言葉が、まったく思いつかない。
 清楚。可憐。美麗。頭の中に次々と浮かんでは消えていく言葉の数々は、どれもいまのココノを表現するには不十分だ。
 いまのココノの美しさを言い表すのに、人間の生み出した言語はあまりに心許なさすぎる。

「な、最強だろう?」

 斎藤がニヤニヤ笑いながら、言った。
 なるほど、たしかにこれは最強だ。いまのココノに勝てる女など、地球にもロアにもいないだろう。いまこの瞬間、ココノ・アクアは、全宇宙の誰よりも輝いている娘だった。

「め、メッツァー様……その、ど、どうでしょう?」

 何も言わずにただただじっと自分を見つめてくるメッツァーに不安を感じたか、ココノがか細い声で鳴く。
 隣の斎藤が「なにぼさっとしているんだ」とばかりに、肘で小突いてきた。
 「新婦さん達に何か言ってやれよ」と、メッツァーの耳元で囁く
 メッツァーは空咳をひとつして、ゆっくりと口を開いた。

「ココノ……」
「は、はい!」

 メッツァーに名前を呼ばれて、ココノの肩が震えた。
 メッツァーはそんな彼女に対し、珍しく穏やかな眼差しを注ぐと、

「やはり、お前はもう少し自分に自信を持った方が良いな」
「え……?」
「綺麗だぞ、ココノ」
「あ……」

 呟いた言葉は短く、しかい重い響きを孕んでいた。
 争覇を求めてひた走る黒衣の魔導士の顔には、地球に来てから初めての、安らぎに満ちた笑みが浮かんでいた。
 そして主の笑顔に応えるように、ココノもまた、満面の笑みを浮かべて頷いた。

「はい……っ!」

 ……そうだった、と、メッツァーはひとり得心する。
 ココノはいつだってこんな風に笑って、いつも自分のことを守ってくれた。
 振り返ることを知らない己の背中を、いつもこの笑顔が守ってくれていた。
 ココノは奴隷であり、自分が最も頼りにする副官だ。
 自分達の間にある絆は快楽という名の鎖であり、そこに戦友への信頼以上の感情はない……はずだ。
 しかしいまだけは……
 いま、この瞬間だけは……
 目の前の少女を、普通に愛おしいと、普通に慈しみたいと思った。
 この笑顔がいつまでも続くように。ココノがいつまでも幸せでいてくれるように、と。
 メッツァーは、強く思った。

 

 

 地下アジトの自室に戻ってきたココノは、今日撮影したばかりの写真をフォトスタンドに飾ると、クスリ、と小さく微笑んだ。
 ドレスを試着した後、「折角だから記念撮影をしよう」という斉藤の言葉に乗せられて、デジカメで撮った写真。
 四角く区切られた世界の中で、ココノは純白のドレスを身に纏い、笑顔を浮かべていた。その隣では新郎役の青年がやや不機嫌そうに、それでいて満更でもなさそうな顔で立っており、彼女にはそれが嬉しくてしょうがない。

「メッツァー様って、こんな顔もなさるんだ」

 主人の新たな一面を発見して、ココノはひとり穏やかに笑う。
 今日は「良い一日だった」と、胸を張って言えるほどに良き日だった。
メッツァーともたくさん話が出来たし、彼の心を独占し続けていられた。
 そしてなにより、彼の口から直接、「綺麗だ」と、褒めてもらえた。

「ふふっ、メッツァー様……」

 我ながら単純な女だと思う。
 何も知らない小娘でもあるまいし、好きな人に褒められただけでここまで有頂天になるなんて。

「単純でいいもん。ココノのご主人様は、やっぱりメッツァー様だけなんだから」

 今日、改めてその事実を確認した。
 彼の部下であり続けたいと思う自分を、改めて認識した。
 強くて、優しくて、暖かくて、ちょっぴり可愛いメッツァー様。
 ココノは写真の中に閉じ込められた幸せそうな二人の姿を見て、心に誓う。
 明日も頑張ろう。明日も、メッツァー様の役に立てるように頑張ろう。
 さしあたっては日付が変わって数分後。その時がやって来るのを心待ちにして、ココノは夜を過ごした。

 

 

 自宅のアパートに戻ってきた凛々子は、今日撮影したばかりの写真をフォトスタンドに飾ると、重い溜め息をついた。
 ドレスを試着した後、「折角だから記念撮影をしよう」という斎藤の言葉に乗せられて、デジカメで撮った写真。
 四角く区切られた世界の中で、凛々子は純白のドレスを身に纏い、笑顔を浮かべていた。その隣では新郎役の青年が迷惑そうな顔で立っており、彼女にはそれが、滑稽に見えてならない。

「……ううん。本当に滑稽なのは、わたしか」

 凛々子は自嘲気味に呟いて、自らを嗤う。
 彼女には斎藤の囁きが聞こえていた。
 彼はメッツァーに向かって「新婦さん達に何か言ってやれよ」と、言ったのだ。
 しかし実際にメッツァーが賞賛の言葉を与えたのはもう一人の少女の方で、凛々子には何の言葉もなかった。

「悔しいよなぁ」

 なぜ、彼女にだけは賞賛の言葉があり、なぜ、自分にはなかったのか。
 写真の中の自分は笑っている。
 憧れのウェディングドレスを身に纏い、タキシードを着こなした彼と無理矢理腕を組んで、笑っている。
 凛々子にはそんな自分が、どうしようもなく惨めな存在に見えてしまった。

「メッツァー様、か……」

 憎むべき宿敵の名と、決して呼んではならぬはずの敬称。
 呟いた彼女の表情は、憂いと嫉妬がない混ぜになっていた。

 

 

 

 

 

 そして今宵も、夜が来る。
 気高き理想を口ずさみながら、天使達が乱れ舞う、激しい夜が……。

 

 

 

 

 

「きゃああああ!?」

 人知を及ばぬ奇形と遭遇し、今宵もまた一人の女が恐怖に震える。
 その悲鳴に誘われたか、その場に駈けつけたのは一人の少女。

「待ちなさい、メッツァー・ハインケルン!」
「……ふっ、ようやくお出ましか、七瀬凛々子」

 怪異なる魔物に襲われる女性を助けた少女を見て、メッツァーは密かにほくそ笑む。
 身体中の血が滾り、戦いに向けてその心は、早くも高揚し始めていた。

「蜜月の時はもう終わった。昼間のような馴れ合いは、ないと思え」
「今日こそあなたたちの野望を止めてみせる。……スイートマジカルセンセーション!!」

 辺りを光の柱が包み込み、やがて光芒は四散する。
 あまりの眩さに顔をしかめたメッツァーが、再び正常な視力を取り戻した時、もう、彼の目の前に、七瀬凛々子という少女はいない。
 白と黒を基調にした衣装に身を包み、自分の身の丈ほどもあるルーンスタッフを携えている。
 そこにいるのは、尊き理想を胸に抱いた、信念持つ正義の魔法戦士。

「愛と、正義の魔法戦士、スイートリップ! 異世界からの侵略を企むメッツァー・ハインケルン! あなたの野望は、クイーン・グロリアの微笑みに誓って、阻止してみせる」
「貴様がクイーン・グロリアの微笑みに誓うなら、俺は、俺自身の矜持に誓おう。今宵もまた貴様を倒し、跪かせ、恥辱の限りを尽くすとな!」
「やれるものなら……!」
「やってみせるさ。……ココノ!」
「はい!」

 黒衣の魔導士は命令を下す。
 己が最も頼む副官の少女に。
戦いの勝敗を決めるダイスを握らせる。

「下魔たちを率いてスイートリップを倒すのだ!」
「はい、メッツァー様!」

 そして今夜も、饗宴が始まる。
 天使と、悪魔の、剣舞の宴が、幕を開ける。
 秘密結社の休日は終わり、夜は、始まった。

 

 

 


<あとがき>

 多くの文学作品は作家の「書きたい」という欲求から発生する。この作品は著者の「とにかくココノを書きたい」という欲求から生まれた駄文である。
 ……というわけで、どうもみなさんおはこんばんちはっす。最近アセリアばっか書いているタハ乱暴でございます。
 「悪の秘密結社の休日」、お読みいただきありがとうございました!
 今回久しぶりにアセリア以外の話を書いたのですが、いかがだったでしょうか?
 この話を読んで読者の皆様が少しでもココノや凛々子の魅力に目覚めていただければ幸いです。……ええ、凛々子もですとも。
 本作では扱いがアレな彼女ですが、タハ乱暴は凛々子、普通に好きです。
 禁断の愛ってやっぱり燃えるシュチュエーションだと思うのですよ、はい。

 ところで、なぜこの時期に「スイートナイツ」なのかというと、実はこの話、最初に書き始めたのが2006年と、もう3年も前のことでした。
 書き出した当初はノリノリの気分だったのですが、パソコンのHDがクラッシュしてデータが消滅。書く気力を失って2年が経った頃、昨年2008年の大掃除の時期に過去のフラッシュメモリーを発見。改めてこうして書き終えた次第でございます。
 時期はずしまくりの上、原作がアレなので、需要があるか物凄い不安です。

 「悪の秘密結社の休日」、お読みいただきありがとうございました!
 2009年はアセリア以外の作品も精力的に書いていきたいと思います。
 また別の作品のあとがきにてお会い出来れば幸いです。
 ではでは〜




いやいや、とっても可愛らしいですな〜。
美姫 「本当のほのぼのとしたわ」
悪というイメージが出てこなかったぐらいに。
美姫 「でも、夜が来れば……」
こうして再び日常へと戻っていく三人と。
美姫 「今回も楽しませて頂きました〜」
ありがとうございます。



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