2月4日 (土) AM 5:57
恭也view 八束神社
空がわずかに白んできた。
もう夜明けが近い。それに気づいてわずかばかり体の力が抜ける。こんなにも夜が長いとは今まで知らなかった。
徹夜なら以前にも何度か経験はあるし、それだけだったならたいした問題ではなかった。
だが今回は少し違う。戦闘の疲労と極度の緊張。それらが重なってもう限界に近い。気を抜けば今にも意識が落ちそうだ。
ため息を一つ。その拍子に瞼が閉じそうに――
そのとき、チカッと視界の端でなにかが光った気がした。
驚いて閉じかけていた目を見開く。
そうして少し離れた場所に置いてある太刀に変化がないことに安堵の息を漏らした。
第6話 「過去から来るもの」
昨夜は結局、そのまま八束神社に泊まった。
あの戦いの後、どうすべきか一番迷ったのは、残された太刀の扱いだった。
この場所に置き去りにして帰るのも躊躇われ、かといって持って帰るなど論外。もし家であの狼になられたら、今度こそ皆を守りきれるか分からない。
その解決策として、人の来そうにないこの場所で見張る以外に思いつかなかった。さすがに真冬の夜を野宿するのは(初めてではないが)厳しいので社の中で寝たのだが……。そのことは後で那美さんにでも謝っておこう。事後承諾になるがたぶん悪くは言わないだろう。
「くっ……う……」
立ち上がりながら一晩で固くなった体を解し、注意の一部を太刀に向けたまま外に出る。社の中は防寒などされていないから気温にそう差はないはずだが、気分の問題か体感温度で少し寒く感じる。
それを見計らっていたかのように、誰かが石段を走って上がってくる足音がした。
気配からして美由希か。昨夜は家へのメッセンジャーとして一人帰らせたのだが、さすがに心配していたのだろう。石段を上がってくる歩調は少し急ぎ気味だ。
* * *
とまあ、そのままさざなみ寮の前まで来てみた。
今日は少しばかり目的があるのだが……
しかし一つだけ、普段なら当然気にすることを今回は忘れていた。
「恭ちゃん、こんな朝から来ちゃっていいのかな?」
言うな、分かってる。俺たちは普段から朝の鍛錬で早起きしているし、耕介さんも管理人の仕事で朝は早い。
しかし、だからといってさすがにこの時間に来るのは非常識だろう。俺としてはこの太刀をできるだけ早くどうにかしてほしいのだが……
「仕方がない。後でもう一度出直そ――」ガチャッ「――うか?」
言い終わる前に、目の前のドアが内側から開けられた。
「どなたですか?」
そう言って顔を覗かせたのは……誰だろう? さざなみ寮との付き合いは結構長いが、彼女は初めて見る顔だ。
「あの、耕介さんに会いに来たんですけど、今いますか?」
「はぁ……。耕介さんでしたら今は料理中ですけど……」
そう答えながら、その女性は俺を検分するように上から下へと見ていき、その視線が一点で止まる。その視線の先は――太刀?
「あの――」「それは――」
互いに同時に声を出し、それで互いに躊躇してしまった。そこへ、
「雪さん、誰かお客さんですか?」
狙ったように三人目――耕介さんの声が届く。
見ればわずかに開けられた隙間の向こう、リビングのドアから耕介さんが顔を出した。朝食の料理中だったということでエプロンを着けている。
「あれ? 恭也君?」
「おはようございます。耕介さん」
「おはよう、どうしたんだい、こんな朝から?」
「ええ。ちょっと見てもらいたい物がありまして……」
そう言って掲げるのは、刀身を隠すように布を巻いただけの抜き身の太刀。合う鞘がないので、せめてこのくらいはしておかないと警察を呼ばれるかもしれないと苦肉の策だ。
その言葉に興味を引かれたのか、耕介さんも玄関まで出てくる。
そしてその太刀を目の前にして、瞠目した。
「……これは?」
「昨夜、いきなり襲われました。その場はなんとか凌いだんですが、その後でこの刀の姿に変化しました。それで、もしかすると霊剣というものではないかと思ったんですが……」
説明の間、耕介さんはじっと検分するように太刀を見ていた。そして、
「ちょっといいかな?」
それが手にしている太刀のことだと気づき手渡す。
それを受け取り、ポツリと呟いた。
「この霊力……」
「耕介さん?」
「あ、いやちょっとね。もしかしたらこれは俺たちも探してた霊剣かもしれなくて」
かもしれない、という微妙な言い回しが気になるが、耕介さんはこの太刀についてなにか知っているらしい。つまり、この太刀について耕介さん(もしくは神咲の人)に訊いてみようという選択は間違っていなかったということだ。
「あの……ところで耕介さん、こちらの方は?」
その女性――最初に玄関を開けた女性はさっきからじっと霊剣らしい太刀を見詰めている。その雰囲気にはどこか気圧されるものがある。
「あ、そっか。恭也君たちは初めてか。この人は一昨日からここに泊まってる――」
「はじめまして、雪と申します」
それはこれ以上ないくらいに丁寧な礼。
「あ、えっと、その……はじめまして、高町美由希です」
落ち着け馬鹿弟子。
「はじめまして、高町恭也です」
「はい、よろしくお願いします」
たおやかに微笑む。その姿を言い表すなら『大和撫子』だろうか、この馬鹿弟子にも見習わせたいくらいだ。
「ついでに言うと、この太刀ももとは雪さんの探し物なんだよ」
「え? 霊剣を探しているというなら、ひょっとして雪さんは退魔士……?」
「いえ、私は――」
そうこう話していると、トントンと二階から誰かが降りてくる足音。その人は踊り場で止まり玄関にいる俺たちを見て、
「おはよう耕介君、雪ちゃん。……そっちの二人は?」
「え……? ああ、こうして直接会うのは初めてか」そう納得して俺たちを紹介するようにその女性――確か『志乃』という名前だったか――に向き直り「この二人は高町恭也くんと美由希ちゃん。那美ちゃん経由で知り合って、今ではウチでちょっと付き合いのある子たちだよ」
「へぇ……」
「それと、志乃がその傷を負って気を失ってたときに運んできてくれたのもこの子たちだよ」
「え……?」意表を突かれたような反応をしたものの、すぐに合点がいったらしく大きく頷いて「ああ、あのときのこと。どうやって戻ってきたのか聞きそびれてたけど、そういうことだったんだね」
耕介さんたちが言っているはあの夜――神雷さんが殺し合いをすると言った夜のこと。
展望台から奔る雷を見て、興味が湧いたのだ。神雷さんほどの人が殺し合いをすると言い、そしてあれほどの攻撃を行う誰かに。
だからその展望台へと行こうとした。神雷さんには見ても参考にはならないと言われていたが、それと興味とは別の話だ。
だがその道中、展望台でなにかが強烈に光り、その光の残滓が消えた直後にそこから誰かが蹴り落とされたのが見えた。
それで十分理解した。あの展望台が決戦の場で、蹴り落とされたのがその夜の敗者なのだと。
それを理解し、どちらに行くかは少し迷った。このまま展望台へと向かうか、それとも追撃があると想定して人が落とされた方へ向かうか。
そのときどういう考えが働いたのか焦り気味だったのでよく覚えていないが、結局は後者の方を選んだ。
その人はすぐに見つけることができた。落ちたときに何本かの枝を巻き込んだのか、下にクッションのように敷き詰めてその上に倒れていた。
その姿を見つけて、すぐに駆け寄り状態を確認した。息も脈もある。しかし右肩の傷だけは楽観できるものではない。
それからどうすべきか迷った。なにせ殺し合いをすると言って、その結果がどうなったのか分からないのだ。落ちてきた女性は気絶しているし、こういうとき容赦などしそうにない神雷さんが追撃に現れないというのも対応を迷わせた。(そのとき神雷さんはフェイトの治療をしていたと後で聞いたが)
そのまま少し待っても状況が変わらないことを不思議に思い、もしかして人違い、もしくはすでに戦いは終わったものと判断し、倒れていた女性を背負い森を出ようとして、そこで(なぜか)猫を連れたリスティさんと合流し、彼女の提案でさざなみ寮へと運んだ。
それがあの夜、俺が辿ったその後の出来事だった。
「ところで、あのときの傷、かなり深かったはずなんですけどもういいんですか?」
場所をさざなみ寮のリビングへと移し、当時のことについて美由希が志乃さんと話している。(ついでに時間も時間なので朝食もお世話になることになった)
「うん、まだ腕はまともに動かないんだけどね、でも指は動かせるし感覚もだいぶ戻ってきた。……たぶん、あと一週間か二週間くらいで治ると思うよ」
……あれからまだ一週間程度。普通ならそれで治るわけないだろう。それが治るというのもやはり不老不死の呪いによるものか。
そう、忘れてはいない。この人もまた、神雷さんと同じ不老不死の呪いを受けた人で、以前の最初に会ったときに神雷さんの肩や胸を撃ち貫いた張本人だということを。
ああ見えて、割と人見知りする方な美由希が打ち解けているくらいだから人柄はいいのだろう。
ただ、もしもの場合、自分がこの人を相手に戦って勝てるだろうか? そんなことを考えてみる。
答えは否だ。あの超長距離狙撃という圧倒的な技量を見たせいか、神雷さんとはまた別の意味で勝てないと刷り込まれている感じだ。
とはいえ、志乃さん自身に俺たちと敵対する理由も意思もなさそうなのでその考えも杞憂だろう。
そんな風に考えを巡らせていると、横からの声。
「あの、さっきの刀を見せてもらっていいですか?」
「あ、はい」
雪さんの要望に応え、刀身を巻いていた布を解かれ、ゴトリとテーブルの上に姿を現すのは抜き身の太刀。
「これが……壱覇……」
それを見て感極まった声で、志乃さんが呟く。その目はものすごい輝いているような気も。ひょっとしてこの人、美由希と同じ刀剣マニアなのか?
「確かに本物のようです。あの子の霊力を感じます」
「やっぱりそうか」
雪さんの呟きに耕介さんも同意した。それはさっき玄関で言っていたのと同じ意味だろう。
「ええ。とりあえず、後の話はざからを起こしてからにしましょう」
その言い分に慌てた。
「ちょっと待ってください! もしこんなところであの狼に起きられたら……」
まず間違いなく、リビングは破壊しつくされて死人も出る。昨夜の戦いの経験上、その想像はやけに現実味を帯びている。
「……確かに、三百年前のざからは身の丈四丈を超える巨狼でした。その巨体を前には、誰も勝てはしなかった」
そう言われて思い出す。四丈というのが大体十二メートルくらいとして、あの狼はそこまで大きくはなかった。せいぜい四、五メートルくらいではなかったか?
「それはおそらく、今のこの子が半霊剣化した影響でしょう。自分の体を本来の姿でこの世のものにするだけの霊力が足りていないんです」
「そういうものですか……?」
「はい。それに、もしその狼の姿になってもきっと大丈夫。今ここには氷那がいます」
「きゅ〜〜」
そう言われて複数の視線が一箇所に集まる。この小さな不思議生物にいったいどんな力が?
その追求をする前に行動は起こされた。
「ざから……」
呼びかけるように呟き、刀身を撫でる。
それがどういう意味を持っていたのか。それは分からないが、その呼びかけに応えるように太刀は一度、ドクン、と脈動し、狼ではなく、昨夜姿を現したときの少女の姿になった。
「かっ……、く」
呻きを上げて、額を押さえて起き上がる。
そうして顔を上げて最初に見たのは、目の前にいた雪さん。
「お主は……」
「ざから……。私を覚えていますか?」
「……覚えておる。確か、雪神の娘だったな」
なにやら二人の間だけで通じる会話を始める。会話の内容から、二人が顔見知りであること、雪さんがなにやら変わった呼称――雪神だかと呼ばれていることが分かる。
だが、少女――イチハが姿を現してから、隣から刺すような視線を感じる。なにかと思い振り向くが、
「……恭ちゃん、いつまで見てる気?」
刺々しい美由希の声で気づいた。目の前のイチハは一糸も纏わぬ姿。ロリコンの気など欠片もないが、そうまじまじと見ていられる状況でもない。ちなみにもう一人の男性である耕介さんは、愛さんの手により目隠しされている。
「おい。お前、服はどうした?」
「服?」不思議そうに呟き、自身の裸身を見下ろして「……ああ、どこかで失くした」
真雪さんの問いにイチハはなんら悪びれる様子もなく答えた。
しかしそれは考えてみればおかしい話ではない。狼に変身するときの炎で燃えたのか、それともあの巨体に耐えられず破れたのか、どちらにしろそれを考えれば残っているという方がおかしい。
「そうですね。とりあえず、話すべきことは色々とありますがまずは衣装をなんとかしましょう」
「あ、そうですね。すぐに取ってきます」
「いいえ、それには及びません」
「ああ、そういえばそうか」
雪さんの制止に、なぜか御架月さんまでもが同意する。
「僕たちみたいに霊的な存在は、自分の姿の一部として服も霊力で作れる。その子も霊剣なら同じはずだ」
そんな都合のいい能力が?
「当然でしょう。僕だってこんな格好で死んだわけじゃないしね」
そうは言われても御架月さんのことについて俺は詳しくは知らない。耕介さんを主とする霊剣であること、薫さんの持つ十六夜さんと姉弟の関係であることくらいだ。
でも言うことはなんとなく納得できる。たとえば久遠は元の姿は狐だが、人の姿になると巫女服に似た衣装になる。それは久遠自身のイメージで自分の一部として作り上げたものということだろう。
「つまり、イチハちゃんも自分のイメージで服を作れるということですか?」
愛さんが確認するように訊くが、当の本人がそれを信じない。
「馬鹿を言うな。そのようなこと、できるはずが――」
「大丈夫です。あなたならできます」
どこにその根拠があるのか、しかし雪さんは断固とした勢いで言い切る。
「むぅ……」
その勢いに押されてか、仕方なくというように、集中するためか目を閉じて、そのまま数秒、刀から人の姿へと変わったときと同じように光に包まれる。
そしてその光が消えたとき、イチハの姿は一変していた。
少女の姿は変わらない。しかし纏う衣装は江戸時代の武士を思わせる紺色の羽織と灰色の袴。
それを見て雪さんが息を呑む。
「骸様と同じ……」
「むう。やはりこれが骸の姿か」
その言い回しに違和感を感じる。だが、その正体に気づく前に愛さんがその答えを出した。
「あれ? イチハちゃん、もしかして――」
「ああ、もう思い出しておる。その男にこの傷を打たれたときに、全て思い出したわ」
額の傷を指差し、恨み篭ってますってな視線で睨まれる。それは昨夜太刀に変化させた時に放った射抜のことか。……しかし、打たれた衝撃で記憶喪失が治るなんて、どこかの迷信じゃあるまいし。
そんな困惑を他所に、イチハは自身の作り出した服の具合を確かめるように腕を振り足を振り、やがて満足したのかがっしりとテーブルの上に構え、
「まあそれはよい。それよりも、早速死合おうぞ」
まっすぐに俺を見据え、ベキベキと凶悪に指を鳴らして言う。姿こそ少女のものだが、その目のギラツキは狼のときのそれだ。ゴウッと渦巻く殺気が金縛りのように手足を捕らえて離さない。
俺も、周りの皆もその気迫に呑まれて動けない。その中でポツリと呟かれる言葉。
「氷那」
ピョン、と今まで雪さんの腕に抱かれていた謎の生き物(?)が、イチハの頭の上に飛び乗る。
それだけでいきなり重い物でも乗ったかのようにイチハの頭が落ちる。そのままテーブルに打ち付けるまで落ちるかと思ったが、ギリギリのところで止まった。
「なんだ、この獣は? 力が……抜ける」
「そうでしょう。氷那はもともと、あなたの封印の要石の役を持った御神体。今のあなたでは決して逆らえない存在だから」
そう説明して手を差し出すと、氷那と呼ばれたその生き物(?)はその手に飛び移る。それと同時にイチハも抑えが消えて体を起こした。
「お主、喰い殺して――」
「氷那」
もう一度、氷那がピョン、とイチハの頭に飛び乗る。
そして、ドゴン! と、今度こそ耐えられずイチハは顔からテーブルに突っ込んだ。しかも今の音はかなり痛そうだ。
「……分かった。この獣に手は出さん。だからどけろ」
「……分かりました。その言葉、信じます」
再び、イチハの上の氷那に、導くように手を差し出す。が、ちょっと興味が湧いた。
「ちょっといいですか?」
横からひょいっと持ち上げる。軽い。こんな軽い生き物(?)なのにイチハには巨岩のような重さに感じるのか。
そして、重石が取れて顔を上げたイチハの額は、よほど強く打ち付けたのか真っ赤になっていた。
「うわ、痛そう」
美由希よ、それには同感だ。しかし、それで睨まれたからといって簡単に目を逸らすな。
少しばかり鍛錬のメニューを変えてみるべきかと悩みだしたところで、手の中で氷那がもがく。
「きゅ〜〜」
「あ、すいません」
開放するとすぐに氷那は雪さんの元へと飛んでいく。
「ごめんなさい、この子はあまり人見知りはしないんですけど……」俺にあまり慰めにならない言葉をくれた後視線を移し「それとざから、あなたも自重してください。ここは私たちが出会ったあの頃とは時代が違うんですから」
「そうか……。この数日、人里を歩いたときはどこの異界に迷い込んだかと思ったが……我はいったいどれほどの眠りに就いていた?」
「だいたい三百年くらいですね」
『さっ……!?』
俺と美由希とイチハの三人で見事にハモった。
「そんなに驚くことかな?」
志乃さんが不思議そうに言う。その余裕は前以って聞いていたのもあるだろうけど、彼女自身が千年生きた不老不死であることも影響しているものと思う。(それはあくまで状況からの推測であり、確認したわけではないが)
しかし、思えば最近になってやたら長生きな人の知り合いは増えたな。だからといって慣れるものでもないが。
「とりあえず、その辺りのことは置いておきましょう。問題なのは今と、これからですから」
いいことを言う。その勢いでイチハの敵意をなんとかしてください。さっき目が合ったときから、バシバシ殺気を飛ばされてとてもリラックスできない。
「はっ、なにを言い出すかと思えば……問題は今とこれから? なにを戯けたことを。あの頃、どれほどの人間が我を恐れ迫害したか、どれほどの人間が我に刃を向けたのか、それを知らぬお主ではないだろう。その恨みも憎しみも、今さらその全てをなかったことになどできるものか」
「……確かに、あの頃の全てを忘れることはできないでしょうし、私がそれに許しを請う意味もありません。ですが、あなたも戦いだけを望んでこの時代に目覚めたのではないはずです」
自信を持って放たれた言葉に、イチハの眉がピクリと動く。
「なんだと……?」
「あなたも言ったでしょう。三百年前、あなたは巨狼の姿ゆえに人から迫害されていた。でも、今のあなたの姿は人間の女の子のもの。その姿はあなたの願いから生まれたもののはずです。戦いとは違う、あなた自身のなんらかの願いから」
「我の、願い……?」
「そうです」頷き、もう一度しっかりとイチハを見据え「だから、あなたはもう戦わなくてもいいんです」
「……そう、なのか」
ほうっと力を抜くように息を吐いて、ようやくイチハの殺気が収まった。
「ええ。だから、それを踏まえて今後のことを考えようと言ってるんですけど」
「……そうだな」自らに言い聞かせるように呟いて腕を組み「……ところで雪神の娘、その男を見て思うところはないか?」
「はい?」
「我はその男を見たとき、骸を思い出しそうになった」
「……確かに、面影がありますね」
じっと見詰めてくる二人分の視線。それにつられるように他の皆の視線も集まる。
その中でイチハが告げる。
「うむ、決めた」ポンと膝を叩き「高町恭也。お主を我の主として認めよう」
2月6日 (月) AM 9:35
あすかview さざなみ寮
いつもの一張羅に袖を通す。
この街に来るより前から、もう何年も着ているジャケットはかつての感触など思い出しようもないほどにわたしに馴染んでいる。(他にも、この寮に来て何人かからもらった子供服があるけど、それには手を出す気分にはなれないでいる)
靴下までを履き終えてから、鏡の前で一度確認。問題なし。
今わたしがいるのは志乃とかいう女の部屋ではなく、一階に空けてもらった自分の部屋。耕介の前の管理人が使っていたという部屋を空けてもらい、いつまでも殺しあうはずの相手の施しに甘えるのはさすがに後ろめたさがあったので、その申し出には即決で飛びついたのだった。
そして今日は、フィリスに定期健診とかで呼ばれていた。
何度言ってもわたしの黒い翼を呪いではなく病気だと言い、それが問題ないか検査しておきたいということらしい。
それを抜きにしても、これまでの旅でなにか怪我や病気を抱えているかもしれないからと言われてしまえば強気で逆らえない。怪我を残した覚えなどはまったくないが、それが純粋に善意からくる言葉だと分かっているからだ。
でも、なんで分かってくれないんだろう。
この翼は病気なんかじゃない、呪いだ。あの日母様がそう言った。そして、そうでなければこの力で失ってきた過去は、いったい誰を恨めばいいのか。
だからそれだけは決して譲れない。もしそれを認めてしまうならわたしは――
物思いに耽るのはそれくらいにして、そろそろ行こうかと部屋を出る。
この時間なら、皆がそれぞれの用事に興じているだろう。わたしが今日定期健診で呼ばれていることは寮生は皆知っているはずだが、一声掛けておいたほうが後の面倒もないだろう。部屋を出て物音がする方へ行くと、リビングの掃除をしている耕介を見つけたので一応声を掛けておく。
「では耕介、行ってくる」
「え? ああ、そっか今日は――。あれ? でも、行ってくるってまさか一人で?」
「当然だ」
「いや、そんな胸張って当然って言われても……遠いよ?」
「問題ない。歩けばそのうち着く」
確かに歩いていくような距離ではないが、歩いていけない距離でもない。わたしだって千年生きた『呪い憑き』の一人。初めて乗り物というものに乗ったのだって五百年以上が過ぎてからで、それまでもその後もこの二本の足でこの国をさ迷い歩いていたのだ。
「でも最近は結構物騒だから、やっぱり送っていった方が……」
「その心配も無用。わたしが何者か知っているだろう?」
耕介の言うように、世には危険がいっぱい。それに連続リンチ殺人事件の犯人もまだ捕まっていないとか。そのせいもあって最近リスティは忙しいらしいけど、そんなことわたしには関係ない。わたしは、たとえ手足を縛られようと念じるだけで炎を繰る異能を持つ『呪い憑き』。襲ってくるなら返り討ちだ。
「それはそれ、これはこれ。あすかちゃんが何者だろうと、心配しちゃいけないってことにはならないだろう?」
「そう……だな。だったら――」
「よければ私が病院まで送っていきましょうか?」
予想してしかるべきだった。しかしいつから話を聞いていたのか、愛が口を出してきた。
そしてそれは質問というより期待のようだ。うんと答えればこの人はとても喜ぶだろう。
だが、答えは決まっていた。
「いい、一人で行ける」
直前に変わったはずの答えがまた翻る。
「え? さっきのは一緒に行くって言いかけたんじゃ……」
「いやだ。愛とは一緒には行かない。いたくない」
あさっての方向に顔を背けながら言い捨てる。そのあまりにはっきりとした物言いに、愛も耕介もたじろいだ。
そのまま重たい沈黙が下りる。ここにいる三人ともがなにを言っていいのか分からないような雰囲気。
そこへ、四人目の声が届く。
「それならあたしが送ってこうか。これからちょうど外で打ち合わせもあるしな」
いきなり横から現れた真雪は、他所行きらしく初めて見るスーツ姿になっている。そして手には大型の封筒。この女にもこんな姿ができるのかと普段との落差にただ驚く。
でも、それとこれとは話が別だ。
「いや、だから、わたしは――」
「はっは。子供が遠慮すんな」
がっしと後ろ襟を掴まれ、やや強引に連れ出される。まさかここから逃げるために焼き殺すわけにはいかず、かといって上手く振り払う力も技もない。
結果、為す術なく連行されてしまった。
走り出した白い車の助手席で、窓の外を流れる景色を眺める。この『車』というものに乗るのは、永い生の間にも両手の指の数ほども覚えがない。そこからすれば、この釈然としない気分を鎮めるには外でも眺めるくらいしかなかった。
「……それで、なんであんなに愛を避けるんだ?」
なんの前置きもなく、真雪が切り出した。その話題に、冷水を背中に流し込まれたような感覚さえ覚え、つい反射的に動いてしまいそうになるのをかろうじて押さえ込む。
「……なんのことか分からないな」
今自分はちゃんと、理解できないという顔を演技できているだろうか。
しかし、その必死の努力も真雪には通じなかったらしい。
「とぼけなくても、見てればすぐに分かる。他の連中はともかく、愛だけは避けるようにしてるだろう?」
それは疑問のように言いながらも、すでに確信を持っているようだ。
だから、わたしも確信した。この人にはたぶん、どんな誤魔化しも通じない。
そもそも無理があったのだ。千年生きようともその中身は、戦いも政治も知らず、欲したものさえ手に入れられない、負け犬そのもの。そんな子供が一人で隠し事をしたところで簡単にばれる。策を巡らそうと穴だらけ。
「なんでそんな態度を取るのか知らないけど、愛だってそれで傷つかないわけじゃないんだ。分かるだろ?」
「……それは、なんとなく分かる」
「だろう。だったら少しくらいはその理由でも話してみなよ。もしかしたら力になってやれるかもしれないだろ?」
「……でも、わたしがあの人に懐いたところで、百害あっても一利もない」
「……それは、初日のあれのことか?」
真雪の言う『あれ』というのは、夜中に叫び声をあげてしまったことだろう。
あのときは油断していた。まさか、一緒に寝る程度の温もりであのことを夢に見るとは思っていなかったのだから。
だけど――
「違う、そうじゃない」
そう、それは違う。厳密には当たらずとも遠からずといったところだが、本当に恐れているのは夢に見ることではなく、その夢を現実にしてしまうこと。
「愛も皆も優しい人だというのは分かる。だけど、わたしにはその優しさに甘える資格はない」
「そんなことはないだろ。お前がどう思おうと、愛も耕介も、それに他も寮生の皆もお前を受け入れようとするはずだ」
それが当たり前とばかりに、真雪は言う。そしてそれを、わたしも疑いはしない。だけど――
「でも……わたしは……」
――かつて母様と呼び慕ったあの人にしたように、自らの意志の及ばぬ力で殺したくはないから。
それを言葉にできない。してしまえばそれでなにかが変わる、なにかが終わる。そんな予感がするから。
重い沈黙。
それでも車は進み、病院までの道を半分を過ぎた頃に真雪が口を開いた。
「……そういえばお前には、あたしに妹がいるってことは言ってたか?」
「? それがなにか関係あるのか?」
「そのあたしの妹も、お前と同じHGS患者だ」
それをあまりにあっさりと言われ、理解するのに数秒の時を要した。
「…………はぁ?」
「HGSが病気として発見されたのはだいたい三十年くらい前。……とはいっても、千年前に生まれたっていうお前がその患者なんてことが知られれば学会とかは大騒ぎかもな」
愉快そうに笑う。けど、そんなことより不老不死の実在の方が大騒ぎだと思うが……。
「でまぁ、そのあたしの妹――知佳っていうんだが、そいつが生まれたのはHGSもまだ発見されて間もない頃で、あまり知られてなかった。……そんな子供が、どんな風に育てられたと思う?」
「……どうって……」
チラリと脳裏を掠める、かつての自分自身の過去。
でも、そんなはずがないだろう。千年も昔のことをもうなにも知ることはできないけど、あの頃と今では時代が違う。
けれど、それ以上考える前に真雪は話を続ける。
「あたしの実家は田舎で古い剣道道場やっててな、それなりに歴史はあるみたいだし、蔵とかあるくらいには家も古い。……知佳は物心つく前から、ずっと家の蔵に閉じ込められて育てられていた」
「それ、は……」
土が剥き出しの冷たい床。
小さな窓に切り取られた空。
暗い土蔵の中で完成した小さな世界。
それはまるで――
歯を食いしばって不意に脳裏に浮かんだその光景を振り払う。それ以上思い出したらきっと感情を抑えられなくなる。誰彼構わず燃やしてしまう。
「確かに、HGSの羽なんか見たら普通のヤツはそりゃビビルだろうさ。でもな? それでもそれは『家族』にする態度じゃねぇだろ。いつだったか……もう十年以上前にそれが気に入らなくなって、知佳を連れ出しておん出てってやった」
そう言って愉快そうに笑う。後悔などまったくないからこそできる、そんな笑い方だった。
それでも、それが信じ難くて訊いてしまう。
「……それで、本当によかったのか? 後悔とか……」
「今のあたしが後悔してるように見えるか?」
「ぁ……いいや」
「だろう? 今、あたしも知佳も笑っていられる。だから、後悔する理由なんてない」
はっきりと言い切る。そうできるだけ、その決断を好しとしているのだ。
正直、羨ましいと思う。千年も掛けてわたしの人生には後悔と恐怖しか見出せない。それを覆すだけの決断をわたしはしたことがない。
「でもな、知佳だって最初から笑ってられてたわけじゃない。さざなみ寮に来たばかりの頃は、前にいた家で受けた偏見の影響で塞ぎこんだ性格をしていた。……今のお前とちょっと似てるか」
「…………それは……」
なにを言っていいのか分からない。似ていると言われてもわたしは当時のその人を知らないし、そこまで塞ぎこんだ性格だなんて自覚はないから。
「けどそれも、神奈さんや愛や、いろんなヤツのおかげで変わった。リスティやフィリスやシェリーだってそうだ。最初の頃はHGSに生まれたことで周りに壁を作ってたが、今は違う。違う生まれをしても受け入れるヤツがいると知って、ちゃんと自分の力と向き合って、そうして変わった。さざなみ寮っていうのは、そんなことができる場所なんだよ」
「そう……か。だからわたしにも変われと、そう言いたいわけか」
「ああ。志乃さんもあれでとんでもない過去を抱えて生きてきたようだし、お前にだって話すに堪えない過去の一つや二つあるんだろうよ。でもな、そうやって自分一人で抱えこんで、相談もされないんじゃああたしたちだってなにも助けてやれないだろ? だから、少しくらい話して楽になってみろってことだ」
「そう……だけど……」
まだわたしの中にくすぶる迷いを見透かしたように、真雪は続ける。
「心配するな。寮の皆……少なくとも愛や耕介はちゃんと受け止めてくれるさ」
分かっている。そんなことは分かっている。
愛も耕介も、そして他の皆も、さざなみ寮にいる誰もがきっと、全てを知って受け入れてくれるだろう。
でもダメだ。あの過去は決して誰にも話さない。いつ訪れるとも知れぬ、墓の下に行くそのときまでしっかりと鍵をかけていく。
そう決めているのだ。信じて、『翼』を見せて、そして裏切られて、その度に胸の中で固めてきた決意。それはそう簡単に解けるものではない。
その悲壮な決意に誰が口を出せるものか。
膝の上の手は硬く握り締め、口元はきつく結び、もうなにも話すことはないと無意識に拒絶の体勢をとってしまう。
そんなわたしを、真雪が痛ましい視線で見ていることに気づかなかった。
2月6日 (月) AM 10:20
久遠view 八束神社
トコトコと、小さな足音を立てて歩く。
そのまま神社の境内の真ん中まで来て、周りに誰もいないことを確認して子供の姿に変化する。
その姿になることで周囲の異常をより正確に察しつつ、それでも我関せずとばかりに呟く。
「つまんない……」
せめてもの憂さ晴らしに、石畳の上にあった小石を蹴り飛ばす。……そんなことをしても気分なんて晴れなかった。
最近はあすかと一緒に遊ぶことが多かったため、今日みたいに一人になると途端に暇になる。さざなみ寮の皆もお昼の間はそれぞれ用事があるし、なのはたちも最近はあまり遊んでくれない。以前のように街を探検するというのもあるけど、今はちょっと気が乗らない。
それにしても――
境内を見渡す。
今日も陽が差して暖かいのだが、ここには他に人の姿はない。
今日は、ここできょうやがざからと戦ったと話に聞いて来てみた。思ったほど見た目には変化はないみたいだけど、そうは感じられない。実際に来てみるとその凄さを実感する。その証拠に今でもここにはざからの霊力が残っている。これだけ強い霊力が溜まっているとなると、霊力の弱い幽霊や霊感が強いだけの生き物はしばらくここには近寄れないだろう。
そして思い知る。
かつて自分は、これだけの力の持ち主と並び称されていた。それほどに恐れられていた。
だけど、そんな自分に『三百年前の大妖怪』としてざからと並び立つだけの力はない。
三百年前、自分が大妖怪と呼ばれたのは、決して消えぬ憎しみの念――『祟り』がいたからだ。けれどもう自分の中に『祟り』はいない。一年と少し前に那美たちが消滅させたのだから。
そのことを恨みはしない。
むしろ感謝している。おかげで、これからもずっと那美たちと一緒にいられる。
ただ一つだけ、そこに未練があるとすればそれは――
「ほう。ここはお前一人か」
突然背後から掛けられた声。その声に、魂が打ち震える。
聞き間違えようはずがない。たとえ契約の力で忘れさせられていようとも、魂はその声を――自分の主たる彼を三百年もの間待ち続けていたのだから。
しかし、その再会がなにを意味しているのか。それを知る今、ただ無邪気に喜ぶことはできない。だけど――
それは歓喜か、それとも絶望か。
自らの胸中を満たすその感情さえ判然せぬまま、恐る恐る振り返るその先に彼は――じんらいはいた。
お久しぶりです。長い沈黙を破り、とうとう再起。……いや、別に病気とかしたわけではないですけど
真雪(以下真)「じゃあなんだよ?」
いや単にネタに困って筆が進まなかっただけ。その間、定期的に更新できる人とか見て羨ましがってた
真「甘ったれんな。漫画家の苦労、思い知ったか!」
それはもう。そんなことは始めた頃から知ってるけど、最近特に
真「はぁ……、まぁ今さら言って治るもんでもないようだし、ついでにようやく回ってきたあたしの出番なわけだし、少しくらいは中身の解説にいこうか」
そうだな、もしかすると最初で最後かもしれないし
真「ぐはっ……!」
で、まずはなにから話す?
真「く……。順番どおりに行けばまずはイチハのことだろう。イチハの願いってのはなんなんだ?」
それは別の話でやろう。わざわざ人の姿になったとはいっても、明かしてしまえばありきたりな理由なんだから
真「そうか。それにしても、やけにあっさり恭也を認めたよな」
それは恭也に骸を重ねているという部分が大きい。さらに自分を倒したという事実も受け入れているし。
真「そんなもんか?」
そういうことにしておこう。人の姿をしていてもまだ野生が残っているから強者には割りと従順な面もあったりなかったり
真「どっちだよ……。まぁそれは置いとくとして、次はあすかのことだが――」
それはこの章全部で語るつもりの話だ。というわけで今はノーコメント
真「またそんな対応か。いいかげんにしとかないと読者がいなくなるぞ」
そうだねぇ。それでなくとも遅筆なのもあるし……
真「そうそう。それでもいい作品だったら待っている読者もいるだろうが、お前のこれはどうだか……」
そういうのは……気にはなるけど気にしない方向で。反響があるならやる気にもつながる。でも、なかろうとも良かれと思う作品を作る。それだけだ
真「そうかい……。あとは最後に久遠だが……これは次回への導入という見方でいいか」
そう。次回はとうとう再会してしまった神雷と久遠の話。さらにはもう一波乱起きて――と行く前に少し寄り道をする予定
真「なんだそりゃ」
いや、ちょっとばかり番外編でも。今回遅くなった理由の一つも、それを今回で一緒に出すつもりだったからでもある。というわけで次回、しばらくお待ちを
真「思うんだが……今回解説になってたか?」
なってない気がする。無駄にかき回しただけのような……
恭也がざからの主に。
美姫 「うーん、これもまた巡り合わせかしらね」
あすかにも色々とあるみたいだし、何より今回は最後に久遠と神雷が再会したな。
美姫 「一体どうなるかしらね」
それじゃあ、今回はこの辺で。
美姫 「次回を待ってますね」
ではでは。