かつて、この国には二匹の魔物がいた。

 

 

 日ノ本の各地の神社仏閣を壊して回った大妖怪『祟り狐』。

 思うままに喰らい、町を焼き、村を潰して暴れ回った魔獣『ざから』。

 

 それらは人如き身では抗うことすら叶わぬ、まさに天災そのもの。

 だが、その暴虐も長くは続かなかった。

 

 祟り狐は、一年にも及ぶ凶行の果てに、京の都で百にも届こうかという陰陽師たちにより封印された。

 

 そしたざからもまた、封印されることになる。

 それを成したのは五振りの刀を手にした男と、雪神の生き残りの少女。

 それは誰の目にも明らかに無謀な試みとしか映らないだっただろう。

 

 だが、結果は違った。

 戦いの中で男の刀が一本、また一本と折れ、それでも最後の一本の太刀がざからの額に突き刺さったとき、少女が放つ力により深き湖の底――冷たい牢獄へと封印された。

 そのとき、雪神の封印により力を失っていくざからに、男は告げた。

 

――……お前は強かった。……俺の子か、孫か、その孫か……いつか、俺の血を受け継いだ子が、お前に会いに来る。……そうしたら、そのときは――

 

 その言葉を約束とし、ざからは永き眠りについた。

 

 

 それは遠い昔。

 もう、三百年も昔のお話。

 

 

 

 

 

 

      第5話  「空に坐するもの」

 

 

 

 

 

 

  2月2日 (木)  AM 6:35

   耕介view  さざなみ寮前

 

 

 ガチャッ、と玄関の戸を開ける。

 

「さむっ……」

 

 途端、吹き込んでくる屋内より一段と冷えた空気に震える。

 昨日夜遅くまで降り続いていた雪は今朝起きたときには止んでいた。まだ空は一面の曇り空だが、この様子なら今日は降らないかもしれない。……それは希望的観測に過ぎないか。

 ともかく、寒さに押されるように足早に、外に出た当面の目的――今日の朝刊を取り、ついでの道路の状態も簡単に検分。

 昨日の午前と午後で雪かきしたというのに、今朝もまた積もっている。とはいっても、昨日のそれに比べればぜんぜん少ない。このくらいなら学生組みの皆の登校の前に少しくらいはやっておこうか。

 

 そう考えた。

 だけど、それを実際に行動に移すことはなかった。

 なぜなら、それは偶然でしかないが見てしまったから。

 一人の女性が坂の上の方から歩いてきている。

 ただそれだけのことなのだが、なぜかそれから目を離せない。

 腰まで届く長い髪。雪のように白い肌。そして整った顔立ち。

 十人いれば八人か九人は美人というだろうその姿に、目を奪われたわけではない。

 御架月の式服に似ている服装が珍しいとか、その隣に浮いている生き物(?)が奇妙とか、そういう理由でもない。

 ここ最近――というか、実は昨日辺りからよく感じるような覚えのあるなにかをその女性からも感じたのだ。

 そのなにかがなんなのか分からないまま目を逸らせずにいると、その女性は顔を上げた。

 目が合う。

 その女性は懐かしい顔に会ったように破顔して、少し足早に俺の近くまでやってきた。

 そしてにっこりと笑い、

 

「耕介さん、お久しぶりです」

「……はぁ。久しぶり……?」

 

 目の前の女性の言動が分からない。まるで前に俺に会ったことがあるみたいに……

 そんな俺の戸惑いを見て取ったのか、なにかに気づいたように、

 

「あ……、ひょっとして私のこと忘れたままですか?」

「えっと……、ええ、失礼ですけど会ったことありましたっけ?」

 

 自分でも言った通りに失礼だとは思うけど、実際思い出せないのだから仕方がない。

 だけどその女性はそれに気を悪くする様子もなく、

 

「ちょっと待ってください」

 

 パン、と両の手を合わせて、

 

「解」

 

 瞬間、キン、となにかが頭の中を走る。

 

「あ……」

 

 そして、思い出した。

 何年か前に五月に降った雪と、そのときにあった一つの出会いと別れを。

 

「雪さん……」

「はい。お久しぶりです」

 

 もう一度、その女性――雪さんは微笑んで礼をした。

 

 

 大切な話があるという雪さんを連れてさざなみ寮のリビングへと戻った。

 そして予定通りに寮生たちの朝食を作るついでに雪さんの分の食事も作る。なにせ聞いた話だと昨夜目覚めてから今までなにも食べていないということなのだから。手間も一人分と一匹分なのでそう苦労もない。

 

 ちなみに、当時この寮にいたメンバー――愛さん、真雪さん、美緒との再会は問題なく終えている。俺の前でやった術(?)の効果が及んでいたのか、俺みたいに思い出せないということはなかった。(あともう一人のメンバー――リスティは昨日から志乃と一緒に外出中)

 そしてすでに学生組みは登校。あすかちゃんと久遠はどこかに遊びに出て、リスティと志乃はどこでなにをしてるんだか……

 そんなわけで今ここにいるのは俺と真雪さんと愛さん、雪さんと御架月の五人。

 そして今雪さんはというと、ここに初めて来たわけでもないのにキョロキョロと部屋の中を見回している。そんなに分かりやすく模様替えしたわけじゃないのに、なにか気になるんだろうか。

 しかし、雪さんのことと一緒に思い出したことで一つ気になることがある。

 

 魔獣ざから。

 

 彼女がここにいるってことは、その魔獣の封印もまた解けようとしてるんじゃないだろうか。数年前のあの日のように。

 奇しくもここに残ったメンバーは当時のことを知る者のみで、おそらくその全員の危惧するところもきっと同じ。そしてたぶん雪さんの言う大切な話もそれ関係だろう。

 そしてその余裕はあまりないんじゃないだろうか。雪さんはなぜか真剣に部屋を検分しているが、思い切って尋ねてみる。

 

「あの……ところで、いいんですか? 前に雪さんがここに来たときは、その……」

「あ……、はい、ざからのことですか?」

「はい、また封印が解けそうになるとか……」

「その心配はいりません。すでにあの子は封印から解放されています」

 

 …………はい?

 

「開放されてるって、なら今どこに!?」

「それは分かりません。私が目覚めたときにはすでにどこかへと消えていましたから」

 

 ちょっ……! ざからがすでに解放されてるって、それはもう大事件だろう。

 けどそれにしては……

 

「……なんかやけに落ち着いてるけど、それって大丈夫なんすか?」

 

 俺の思ったことと同じことを真雪さんも思ったらしい。

 でもそれに対する答えは皮肉なもの。

 

「それは……大丈夫ではないです。けど……」沈痛な面持ちで俯き「もう私にはあの子を封印するだけの力はありません。それに、もし暴れてしまえば止める力もない」

 

 数年前に行った封印こそが最後の力で、今の自分にはもうなにもできないと告白した。

 

「だから、私にできることは早めにあの子を見つけて暴れないように説得するくらいのことだけです。……それが叶わなかったなら、今度こそ本当に私の命を使って封印することになります」

 

 それが骸様の想いに応える術だからと、彼女は言う。だけど――

 

「……させませんよ、そんなこと」

 

 ぽつりと、つい出てしまった言葉で怪訝そうな視線が俺に集中する。

 

「それがあなたの使命であっても、雪さん一人だけが命を賭けるなんて俺は納得しない。できる範囲でなら、俺も協力しますから……だから、そんな簡単に命を使うとか捨てるとか、そんな真似はしないでください」

 

 数年前の話とはいえ、一度は乗りかかった船だ。

 それに今言った通り、誰か一人だけが命を賭けるなんて答えはおかしい。少なくとも俺はそれを許容することも黙って見ていることもしたくはない。

 その宣言を聞いて雪さんは驚いたように一度目を見開いてから、

 

「きっと、皆さんならそう言ってくれると思っていたんでしょうね」

 

 そう言って見せたのは少し複雑そうな笑み。予想通りでありながらこうあってほしくなかったと、そういう相反する意味合いを持ったもの。他の皆も予想していたみたいに苦笑を浮かべて俺を見ている。

 

「ま、耕介はそーいうヤツだしな」

(そうですね) 

 

 呆れたように真雪さんと御架月は言うが、その言いようとは裏腹にその声には信頼が込められているのを感じる。

 それになにを感じたか、雪さんは肩の力を抜くようにふっと息を吐いて、

 

「分かりました。もしものときはお力をお借りします」

 

 そう言って、深く頭を下げた。

 

「それで早速なんですが、一つお尋ねしてもいいでしょうか……」

「? なんです?」

「なぜかは分かりませんが、ここにはあの子の霊力がわずかに残っているようですけど……心当たりはありますか?」

「それって――」

 

 その意味を掴みかねて問い返そうとして、

 

「ただいま〜」

「今帰ったよ」

 

 俺の言葉を遮るように、玄関の方から声が二つ。リスティと志乃だ。

 その二人は(志乃の怪我があるからか)少しゆっくりとした足音でリビングの方へ近づいてくる。

 そして、リビングへと着いて雪さんを見た途端に、志乃は動きを止めた。それをリスティが怪訝そうに見て、

 

「どうした、志乃?」

「……君は、何者かな?」

「え?」

「間違ってたらごめん。でも君は、人間じゃないよね」

 

 剣呑、というのとは違う。でも見て取れるほどに警戒を露わにした目。

 そういえば志乃は昔物の怪退治をしていた時期があったとか。その事情から久遠や美緒のことも説明する前から気づいていたくらいに勘が利く。

 だから、雪さんが雪女であることを感じ取ってもおかしくはないか。

 

「え……。それは、その……」

 

 戸惑うように、助けを求めるように雪さんは俺たちを見回す。本当のことを言ってもいいのか、それを信じてくれるだろうか。そんな不安がその態度から見て取れる。

 

「あ〜〜、志乃。そんなに構えなくても大丈夫だから」

「耕介の言う通りだ。この人は悪いヤツじゃない」

「……そう。まぁ、そう言うならいいけど……」

 

 俺だけじゃなくリスティにも諭されて、志乃は警戒を解いた。そのままなにもなかったようにソファにどっかりと座り込む。その様子にはもう雪さんを気にした感じはない。……その変わり身は早すぎやしないか?

 それを見ていたリスティが苦笑するようにして雪さんへと視線を向けて、

 

「ところで、なんの話をしてたんだ?」

「……まぁ、かいつまんで言うとざからの封印が解けてしまったってことだ」

 

 そう言うと、リスティは驚いた顔になった。対して志乃は怪訝そうな顔。ひょっとして知らないのか。

 とりあえず、志乃の疑問は後にさせてもらって、さっきの話の続き。

 

「それで、雪さんはさっきざからの霊力がここに残ってるって言ったけど、それって――」

「あ、はい。おそらく最近――数日の間にここで一度力を使ったみたいですけど……」

 

 最後に言いよどんだ意味は、雪さんにも自信がないのかもしれない。なにせ数年前に一度感じたざからの霊力はそれと分かるくらいに禍々しいものだった。いくら忘れるように術を使われていたとしても、ここでそんな力を使えばすぐに分かる。

 だが気づかなかったのは事実で、そしてその相手は最近になってさざなみ寮を訪れていたという。そんな人物は……心当たりならいくつかある。だが、その中で出自が不明な相手で今回の条件に合う人物となると……一人の少女が思い浮かんだ。

 

「まさか、あの子が……?」

 

 思い出してみるが、その姿はどう見ても巨大な魔獣のイメージからは程遠い。……確かに、内在していた霊力の量は圧倒されるものがあったけど……

 

「やっぱり、心当たりがあるんですか?」

「はい。昨日子供達が気絶している女の子を拾ってきたんですけど……たぶんその子ではないかと……」

「そうですか」

 

 それを聞いて雪さんはちょっと複雑そうな顔をする。たった一日の差で入れ違いになったのが悔しいのだろうか。

 でももしそうだとして、一つだけ矛盾することがある。昨夜その場に立ち会ったのならまず間違いなく気づく矛盾。

 それを愛さんが尋ねた。

 

「でも、あの子はイチハって名乗っていましたよ」

 

 名前といっても、それは記憶がないための仮の名前という感じだったが。

 しかし、その名前に反応したのは雪さんではなく、

 

「イチハ?」

 

 志乃だった。

 

「? どうかしたのかい?」

「いや、その名前、どこかで……」

 

 それが気になるのか、志乃は「イチハ、イチハ」と繰り返し呟き、

 突然、その顔が驚愕に染まった。

 

「ちょっと……。ひょっとして、イチハって三百年前の……?」

「そうですけど……知ってるんですか?」

「知ってるよ。あたしは鍛冶師が本職だからね」

 

 そうだった。さっきは物の怪退治をしていたと思い出したけど、それより昔の千年前には鍛冶の技術を叩き込まれたとかも言ってたっけか。結構いろいろやってるんだなと今更ながらに感心する。

 けどそのことは同時期に腹に仕込まれたという呪い――『ヒヒイロノカネ』の印象の方が強すぎてちょっと忘れていた。

 でもそのことを知らない雪さんはただ困惑を浮かべるばかり。

 

「あなたはいったい……」

「あたしは千年生きてる不老不死だよ? 三百年前のことくらい知っててもおかしくはないよ」

 

 本当になんでもないことのように言う。その事実を知らされる相手がどれだけ混乱するか考えてもいない。(それでもちゃんと相手は選んでるんだろうけど)

 実際、雪さんもその言葉の意味を狂いなく受け取り、信じがたいというようにうろたえている。そのうろたえっぷりは見てて可哀想な程だが、確認を求めるように見てくる視線に首肯して答えるくらいしかしてあげられない。

 しかし、イチハという名前。三百年前。鍛冶師。

 それらがどう繋がるのだろうか。ざからは三百年前の魔物で、イチハというのが仮の名前だとして、そこに鍛冶師が繋がる理由が分からない。

 それに、あの子にざからという名前があるのなら、なんでイチハなんて名乗ったのだろうか。雪さんと志乃はその理由を分かっているみたいだけど、俺たちはさっぱり分からない。

 そのことについて尋ねると、雪さんは答えた。

 

「そうですね。その理由はまず一つに、ざからという名はあの子を脅威と見た人たちが名付け、呼び名として定着したものだからでしょう。『空に坐するもの』――ゆえに、ざから、と。ですから、それをあの子が自分の名前として認識していないかもしれません」

 

 その話には少し同情の念を覚える。

 正当な名前さえ与えられなかった暴虐の魔獣。

 それはつまり本当の名前を呼ばれることがなかった――本当の名前を読んでくれる程度にも親しい人がいなかった。そういう意味ではないのか?

 だからだろうか。あの子は一般的な常識がどこかおかしかったし、人と付き合う上での間合いの取り方とでもいうのか、それがメチャクチャだった。

 それはきっと、誰かを頼ることも、誰かに学ぶこともできない、孤独な生い立ちゆえだからかもしれない。

 

「そしてもう一つ、その子がイチハと名乗った由来ですけど――」チラリと御架月を見て「たぶんそちらの方と同じです。今あの子の本体となっている刀の名は『壱覇』。骸様が持っていた刀の一振りです」

 

 

 

  2月4日 (土) AM 0:13

   イチハview

 

 

 明かりのない森の中を迷いなく進む。

 すでに世界は闇一面。もはや街に人影はなく、こうなってしまえば目的もなにも果たしようがない。

 あれから数日、探せど探せど探し人は見つからない。

 それも当然か。なにせ手がかりは骸という名前とうろ覚えの顔だけ。それでこの世の何処にいるかも分からない一人を見つけ出すなど、どれほどの奇跡と等価だろう。

 それにしてもどういうことだろうか。昼の間に歩き回って見た景色にはいろんな意味で度肝を抜かれた。

 

 やけに硬い地面とその上を唸りを上げて走り回る鋼鉄の獣。

 見渡す限りに城のようにそびえたつ無数の建造物。

 鼻が曲がりそうなほどに汚れ腐った空気。

 

 ここは自分の知る世界とはあまりに違う。

 自分が寝ている間に、なにがあったのか。どれだけの時間が流れたのか。

 そもそも、自分はいったい何者だというのか。

 いまだに答えの出ない問い。

 その答えが欲しくて探し続けているというのに……

 不意にこみ上げてくる衝動を目元を強く拭って抑え込む。今泣いたところでなにも状況は変わらない。ならば、涙なんて弱さの証明は要らない。

 それでも残る衝動を振り払うように、強引に茂みを進んでいく。そのまましばらく歩いて、今宵の寝床はこの辺りでいいかと足を止めて――

 

 そこで鼻につくものを感じた。

 人間の匂い。数は二つ。それらが人間にしてはやけに高速で動き回っている。

 それになにを感じたわけでもない。ただなんとなく気が向いただけ。こんな夜も更けて人里を離れた場所でなにをしているのかと。

 その匂いのする方へと歩く。

 

 辿り着いた先では青年と少女、その二人が二刀を手に斬りあっていた。

 自分の持つ記憶からすれば、さして珍しくもない光景。

 だが、その片方――青年を目にした途端、動けなくなった。目が離せなくなった。

 

 顔が違う。

 声も違う。

 刀の使い方も……微妙にだが違う。

 

 だがそれでも、重ねてしまった。その青年を己の探していた何者かに。

 

「骸……」

 

 そう。

 

 理由など、それだけで十分なのだ。

 

 

 

      *   *   *

   恭也view   八束神社

 

 

 キィン。キキィン。

 

 夜の森に黒い影が二つ舞い、鋼を打ち合う音が響く。

 それはまるで完成された剣舞のように淀みなく躊躇いなく動き、二人の間を小太刀が、蹴りが、飛針が、鋼糸が交差する。

 疲れなど知らぬとばかりに繰り返される応酬は、しかし唐突に終わりを迎える。

 一歩、それまでより大きく踏み込み、その勢いのまま奥義へと繋げるべく納めていた小太刀へと手をかけ、そこから逃れようとする回避のための咄嗟の動きに対し、着地点に飛針を投げる。

 それを足をずらして避けたものの、無理な体捌きで体勢が崩れた。

 そのまま体勢を立て直す暇を与えず、美由希の首筋に八景を沿える。

 ピン、と張り詰めた空気が二人の間に流れる。

 

「……勝負あり、だな」

「……うん」

 

 すっと小太刀を引くと同時に、美由希の体から緊張が抜ける。

 そしてそれは俺も同じ。それくらいに今の美由希は力をつけてきている。ここ一年半――一昨年の春、美沙斗さんと戦ったクリステラソングスクールの護衛の仕事から、美由希の成長は目を見張るものがある。最近では三本に一本は取られるくらいに腕を上げている。

 それに過去に一度だけ――美沙斗さんを相手にしたときに、奥義の極『閃』の領域にまで至っているのだ。御神流免許皆伝の日はそう遠くないかもしれない。

 

 だが、俺ももうそれをただ見守るだけではない。

 先日、神雷さんに一方的にやられたのはまだ新しい記憶として残っている。

 父さんでも敵わなかったという強さをまざまざと見せ付けられ、不老不死の呪いなどという常識を外れていながらもこの人ならと納得させられる秘密を明かされ、あらゆる意味で届かない高みの存在と思い知らされた。

 

 そんなあの人が俺に残したものが二つある。

 

 一つはあと一回だけ、手合わせしてもらう約束。

 そのための条件としてあの人が提示したのは、どんなことにも決して揺るがない自分の答え。

 それがどんなものなのか、正直はっきりと見えない。今自分が剣を持つ理由――たくさんの人を痛みや悲しみから守りたいという想いを否定されて、その上であの人を納得させられる言葉がどんなものか見当もつかない。……その答えにちゃんと辿り着けるのか少し不安さえ覚えるくらいだ。

 

 そして残されたもう一つは、あの人に治された右膝。

 あの後にフィリス先生に診てもらったのだが、すでに治療の必要がないほどに治っていると言われた。まだ膝の中に残っているボルトも意味はなくなっており、むしろ取り出さないと逆に危ないかもしれないとまでも。(そのときのフィリス先生の残念そうな顔はしばらく忘れられそうもない)

 それについては少し様子を見て、春になる頃に摘出手術をしようかという話になっている。もう十年くらい体に入っていたものがなくなるということには色々と思うところもある。摘出したボルトは自戒の証に一生持ち続けるだろう。

 

 そしてその治された膝こそが今の俺に希望を与えてくれた。

 以前は右膝の古傷が足枷になってどれほど高みを求めようと剣士として決して完成しないと分かっていたが、今は違う。

 実際、今もかつてないくらいに調子がいいくらいだ。これで手術を終え完治したならどこまでいけるのか。どれほどの高みまで手を伸ばせるのか。それが楽しみで仕方がない。

 最近剣を手にし、それを考える度に胸が高鳴る。その高鳴りをそのままに美由希へと向き直り、

 

「さて、最後にもう一度だ」

「はい」

 

 明快な返答を聞き、少し距離を取って構える。一刀は腰に、一刀を抜いて――

 

 ゴゥッ

 

 と。

 突然、闇が一層濃くなった気がした。

 一瞬遅れて理解する。その正体は質量すら伴うほどに重厚な殺気。

 それと同じくして、剣士としての直感が――否、人間としての本能が警鐘を鳴らす。

 ココニイテハイケナイ。コノサッキノアルジニデアッテハイケナイ。コレハヒトノテニオエルシロモノジャナイ。

 

「恭ちゃん?」

 

 こんなに強烈な気配の持ち主、『心』を使うまでもなく居場所は分かる。というか、使ってしまったらより明確にこの殺気を感じることになる。これだけの相手にそんなことをしてしまっては、まともに立っていられるか分からない。

 

「お〜い、恭ちゃん?」

 

 だがどうする? 理由は分からないが、この相手は確実にこちらに狙いを定めている。迎え撃てば先手は取られる。その先手を制することができればどうとでもなるだろうが、そんな簡単な相手でもなさそうだ。

 となれば、こっちから先手を――

 

「恭ちゃんってばっ!」

「うおぁっ!」

 

 いつの間にか近づいていた美由希が耳元で怒鳴る。そういえばいたんだったな。

 

「さっきからどうしたの? 怖い顔しちゃって」

 

 その言い分に唖然とした。

 まさか、気づいていないのか? これほど強烈な気配に気づいていない様子に、正直信じられないものを見た気分になる。これは相手の気配の操作が上手いのか、それともこの馬鹿弟子が鈍いのか。

 

「ああ、いや……」

 

 そのどちらなのか、それに悩む前に状況は動く。

 ガサリと音を立てて茂みの一角――先ほど殺気が発されていた場所が揺れた。

 そこから出てきたのは、額に大きな傷跡のある女の子。

 ……まさかこんな子供が、今の殺気を?

 正直、信じがたい。だがそれはあくまで可能性の一つであり、しかも最近はそういう非常識(魔法とか不老不死とか)にも関わりがあるので自分でも思うほどには驚きはなかった。

 そんな俺を置き去りに、美由希が動く。

 

「どうしたの、君? こんな時間にこんな場所で……」

 

 見た目、なのはよりも年下だからだろう。美由希はなんら警戒する様子もなく話しかける。

 でも女の子はそれに対し冷たい目で見返して、

 

「……今宵、我が用があるのはお主ではない」

 

 そう言い終えると同時に闇からヒュン、と空を切り伸びた蔓が美由希の両手首に巻きつき引っ張る。

 

「え……? うわっ!?」

 

 まったくの無警戒のところに襲い掛かる、通常ではありえない拘束。それに抵抗する余裕もなく、美由希は引きずり倒された。

 それを冷たく一瞥してから、女の子は俺に視点を合わせる。

 

「さて、邪魔者を除けたところで、お主に問いたいことがある」

「……なにかな?」

「我がお主に問いたいことはただ一つだ。……お主は、骸という男を知っているか?」

 

 聞き覚えのない名前。

 だからこそ、答えは一つしかない。

 

「……悪いけど、俺は知らないな」

「……そうか。知らぬか」

 

 女の子は落胆を隠そうともしない様子でため息を吐き、

 

「ならば、お主は要らぬ」

「は? なんて――」

 

 ボッ!

 

 問い返す間もない。問答無用に打ち出された拳が殺人的な勢いで放たれる。

 それを紙一重とはいえ避けれたのはさっきまでの警戒と偶然の賜物としか思えない。

 そのまま慌てて間を取るが追撃はない。なにがおかしかったのか、その女の子は驚きに目を見開き突き出した拳を見ている。

 

「いや、驚いた……」とてもそうは感じられない声で呟き「地の果てまで飛ばすつもりだったが、こうも容易く躱すとは……」

 

 容易くない。そんな返しよりもなによりも、口から出たのは一つの疑問だった。

 それはさっきから俺の中に潜んでいた疑問。

 

「君は、いったい何者だ……?」

「我が名は……イチハ」

「イチハ?」

 

 なぜだろう。初めて聞いたはずのその名前に、なにか引っかかるものがある。

 だがそれに困惑を示す余裕もない。

 

「まぁ、我の名などどうでもよかろう。我もお主の名などに興味はない」無関心そのものの目で語るが、それが一転していきなり剣呑な目つきになり「だが、お主の剣には興味がある。先の動きのこともある。少しは楽しませてもらおうか」

 

 そう言い、ぐぐっと今にも地面に両手をつきそうなほどに前のめりになる。それは四足獣を連想させる体勢で、ただでさえ小さい少女がさらに小さくなったような錯覚さえ覚える。

 だが、その威圧感はさっきまでの比ではない。目の前にいるのは少女などではない、もっと別の、人間ですらないなにかに思えてならない。

 その威圧感に圧されてか、無意識に摺り足で退がった。

 それが合図であるように、少女――イチハはすぅっと息を吸い込み――

 

「呵ァッ!」

 

 咆哮。

 その開かれた口からゴアッ、と闇を赤々と照らす炎を吐き出した。

 

「なっ!?」

 

 一瞬。もはや反射にも等しい反応で神速を発動。

 

 世界から色が消える。

 モノクロとなって限りなく鈍化した世界の中を駆けて炎の起動から逃げ、少女の死角へと入る。

 

 そこで世界に色が戻り、なにごともなかったように動きを取り戻す。イチハは目の前にいたはずの俺が一瞬で姿を消したことに驚いたようだが、死角にいるはずの俺を一瞬で察知し振り向いた。

 そのまま一瞬の躊躇いさえ見せず、追撃が始まる。最初は跳び蹴り、そこから落ちる前に身を捻って回し蹴り、着地と同時に半端に開いた手が爪で引き裂くように振られる。最後の一撃はその先の離れた木に傷を掘った。

 それら全てを避けるものの、そこには決して余裕はない。反応は早く、動きは鋭い。この子供の正体は分からないが、見た目のままの子供というわけではないらしい。

 そして思い出すのは幼い姿ながらもかつては大妖怪と呼ばれた久遠の姿。ひょっとして同類だろうか? だとすれば並の人間では勝てる道理はない。

 

 だが先の一回で分かったことがある。『吐く』という形を取るためか、炎を出すときはその前に息を吸い込むようだ。さっきは不意を突かれて神速を使ってしまったが、次からはその必要はない。通常の動きでも避けられる。

 さらにイチハの体格が子供サイズというのも幸いだった。どうしようと体格の差から生まれるハンデはある。間合いの違い、体力の絶対量――それを彼女は驚異的な運動能力でカバーしているが、それで下せるほど御神の剣士は弱くはない。

 

 しかし、それはそれとしてこの状況をどうすればいいのか。

 追撃は続く。戦闘は続く。

 手を出すわけにもいかず、それらをただ回避だけでなんとかやり過ごしながら打開策を模索する。

 この運動能力とさっきの火吹き。久遠と同類――人外のなにかだとしてもその確証はなく、その答えがどうであれ見た目は子供。剣を振るう相手としてこうもやりにくい相手はそういない。

 それでも繰り出す一撃、一撃が全て必殺の力と意志を持っている。油断などする余裕はない。

 とりあえずどうにか上手く当て身で気絶させて――

 

 気を抜いたつもりは、なかった。

 

 だが、先のことを考えたその一瞬で、イチハは一歩分間合いの内へ踏み込んでいた。

 それと同時に御神流で『貫』と呼ばれる技法のように、意識の隙間を抜けて拳が迫る。

 避ける余裕はない。寸前でその拳を手にした小太刀の腹で受け止める。

 

 ピキッ……

 

 その一撃で、小太刀に亀裂が走った。

 折られる?

 咄嗟に、蹴りを入れて強引に距離を作る。蹴った感触を感じると同時にやってしまったという後悔があり、子供の体格相応に軽いのか思った以上に飛んだ。しかし今の蹴りの感触はなんだろうか。子供とは思えない腹筋というか、なにやらやけに硬い塊を蹴ったような感じだった。

 そして蹴り飛ばしてしまったイチハは、蹴られたことなどなかったようになんなく着地し、我が意を得たりと言わんばかりに酷薄な笑みを浮かべ――

 

「なんだ。やればできるではないか」

 

 直後、ゴウッと吹き上がる炎が、イチハを包み込んだ。

 

 

 

      *   *   *

   イチハview

 

 

 血が滾る。

 自身でも驚くほどに熱い衝動に身を任せ、拳を、蹴りを繰り出す。

 そうして力を振るう度、少しずつ頭の中の霧が晴れていくような爽快感さえ感じる。

 ああ、今はっきりと分かる。さっきまでバラバラだった記憶が一本の線として結ばれていく。

 

 そうだ。この殺し殺される世界こそが、我の住む領域。

 そして、その世界で血に塗れ哂う姿が、我の本来の姿。

 

 ようやく取り戻した己の本性の在り様に暗く哂う。

 その一方で、一番肝心な骸の記憶にまだ霞がかかっていることに苛立ちを覚える。向けるべき明確な誰かのいない、どこに行く当てもない憤怒。

 それが熱となり外に出たように、目の前を炎が覆った。

 だがその炎にも、その中で自身の体が変異していくことにも恐れはない。

 四本の足でがっしりと大地を踏みしめ、高くなった視線で青年を見下ろし、ぞろりと牙の並んだ口から気炎を吐く。

 さっきまでとはまるで違うモノに作り変わった己の体に疑問も違和感も覚えない。

 ただ、これこそが己の本当の姿なのだと静かな納得がある。

 それと共に胸を熱くする高揚と興奮。

 吹けば消えるような命のくせに、この青年はなかなかに強い。鋭い太刀筋、反応も上々、そして時折見せる異様な迅さ。こうも我と戦える人間はかつて数人といなかった。

 それに胸を熱くする。

 それが楽しいという感情なのだと理解し笑う。笑いながら困る。

 ああ、ダメだ。このままではダメだ。このままでは――

 

 

 楽しすぎて、コイツを殺してしまいそうだ。

 

 

 

      *   *   *

   恭也view

 

 

 吹き上がった炎を一瞬で振り払い、そこから現れたのは一匹の巨大な狼だった。

 さっきまでは俺の腰ほどの背の高さしかない子供だったのに、今は見上げるような大きさへと変わっている。ちなみに、全身を覆う毛並みの色は灰色。

 そしてやはり額に残る大きな傷跡が、その狼とさっきの少女が同一の存在だと告げている。つまりさっき考えた、少女が人外のものではないかという懸念は正しかったわけだ。

 狼の瞳が俺に焦点を合わせる。いつでも飛びかかれるようにと全身の筋肉が凶暴に躍動し、口から漏れ出る唸り声がだんだんと凶悪さを増していき――

 

 吼えた。

 

「オオオオオオォォォォーーン!!!」

 

 突風のような、圧力を持った雄叫び。

 それに吹き飛ばされないように踏ん張り、しかし胸を埋める黒いものに心が折れそうになる。

 それは一番最初に感じたものよりなお濃い恐怖。

 なぜなら、直感で理解してしまった。あの獣は、容赦なく躊躇いなく俺を殺す。そういう『死』のイメージそのもの。

 ならこの場合、正しい選択はまず間違いなく『逃げる』だ。

 そもそも戦う理由がないし、これだけ大型の獣を相手にするのは今の自分――いかに御神の剣士といえどまともに装備を整えていないたった一人にできることではない。幸い近くには森がある。それをうまく利用できれば一縷の望みはある。

 だがそれはできない。今は関心を示す様子はないが、美由希が拘束されているままなのだ。俺が逃げれば美由希は抵抗できないまま狼の標的にされるかもしれない。

 しかし助けようとすればその数秒の間に背後からやられる。

 一人で逃げて見殺しにするのか、助けようとして諸共殺されるか。

 その選択を突きつけられて、選ぶ答えは――

 

 震える喉で一度深呼吸する。

 それで覚悟は決まった。

 迷うことなんてない。御神の剣は――俺の御神流は守るための剣だ。誰かを見殺しにして好しとする答えなどありえない。

 それに、なにも倒す必要はないのだ。逃げるだけの時間を作れるように、足を一本でも傷つければあるいは……

 望みの薄い可能性。しかし今はそれに賭けるしかないだろう。ここでそう都合よく助けが現れるなどという展開があるのは作り話の中だけだ。

 神経が研ぎ澄まされ、空気が張り詰める。ほんのわずかな動きさえ見逃すまいと集中する中、狼の巨躯がわずかに沈む。

 

 来る!

 

 その刹那にタイミングを合わせて、今日二度目のスイッチを入れる。

 

 神速。

 瞬間、色を失い鈍重になった世界の中で、それでも本来ありえない速さで狼は迫る。それを紙一重で躱し、そのまますれ違いざまに前足へと、

 

 斬!

 

 今まで何万回と振ってきた剣はイメージと寸分違わず空を走る。だが――

 

 ガキィン!

 

「なっ!?」

 

 斬れない。

 灰色の体毛はまるで、それ自体が鋼より硬いものであるように刃を通さない。

 それで一瞬でも足を止めたのが間違いだった。しかも集中が切れて神速まで解けている。

 それを好機と、高速で振るわれた爪が迫る。

 

「くっ……」

 

 必死に身をねじり躱そうとする。

 だが間に合わない。その爪は左肩を掠め、服を裂き、皮と肉をわずかだが削ぎとっていく。

 

「うお!?」

 

 そしてたったそれだけの衝撃で、俺の体は軽く飛ばされた。宙を舞うのはほんの数瞬、そしてそのまま体勢を整えることもできずゴロゴロと地面を転がされる。

 その勢いが止まるのを待たず、無理やり体勢を立て直す。そこで地面の向きを確かめるより先に自身の状態を確認。

 今掠った左肩の傷は小さく、出血も少なめ。多少痺れはあるが、剣を振るうには問題ない。

 しかし、と思う。もしもう少し深く入っていればどうなっていたか? そのときは刀を持てないどころではない。肩から先がなくなっていた。それは確信にも似て胃の腑に落ちる。

 一撃食らえばそれでほぼ間違いなく致命傷。神速も以前ほど消耗はなくとも無制限というわけでもない。それにいつまでもこんな紙一重が続くはずがないのだ。

 もはや余裕など欠片もなかった。一合でも早くなんとかしないと殺される。

 ちらりと美由希の方を見てみれば、なんとか拘束を解こうと苦労している。しかし、よほど上手い具合に両手を取られているためか上手くいかないようだ。あいつさえなんとかなればさっさと逃げれるのに……

 

 つまるところ、正面突破しか手はないということか。

 なら次の一撃に様子見はいらない。そして俺が最も得意とする奥義――薙旋でさえも、あの鋼の体毛を通す自信は薄い。

 ゆえに、求めるのは最高の一撃ではなく最強の一撃。それは――

 ギシリと柄を握る手に力が入る。これ以上受けに回ればこの狼の放つ威圧感や恐怖に圧し潰されるのは目に見えている。

 ゆえに、先手を取る。神速には入らないまま一息に接近。カウンター気味に振り上げられる爪を紙一重で躱し、二本の小太刀を交差させ――

 

 奥義之肆――雷徹

 

 全力でその一撃を打ち込む。今度は足を傷つける、どころではない。足を斬り落とすくらいに気合を込めて放つ。

 だが、やはり斬れない。『徹』の衝撃で多少のダメージはあるようだが、毛の一筋さえ斬れなかった。

 持てる技の中で最強の攻撃力を持つ奥義でも傷一つつけられない。さっきの一撃で可能性の一つとして考えてはいたが、現実のものになると焦燥が募る。 

 ならばと、狙いを変える。

 体毛が鋼の硬度を誇るというのならそれ以外の場所――目や口を狙えばいい。そのためには――

 刺突系は得意じゃないんだが……

 だがそんな弱音を言っていられる余裕はない。即座に小太刀を片方鞘に納めながら、一息に距離を取る。

 五メートル程の間合いを取り、構える。それは誰の目にも突きのそれと分かるもの。だがそれは問題ない。読まれようとそれよりさらに速く打ち抜くのみ。実際、美沙斗さんの射抜はそういう類の技だった。

 しかし突きは強力な殺人技だ。いくら手にしているのが練習用の小太刀とはいえ、当たり所によっては致命傷の確率は高い。しかも狙うのは額の傷跡。刺さればおそらく無事では済まない。

 その、最後の一線――殺す覚悟を必死に固めようとするものの、それをさっきまでの少女の姿がちらついてうまくできない。これが美沙斗さんや神雷さんなら迷いなど持たず一瞬なんだろうなとそんな雑念さえ入る始末。

 だが、次の瞬間にはそれどころではなくなった。

 狼が息を吸い、その口の中で赤く炎が渦巻く。

 もはや一瞬の余裕もなく、一瞬の躊躇もできない。

 瞬間、スイッチが入る。

 

 奥義之参――射抜

 

 神速に入ると同時に放たれたその突きは、狼に一切の対応を選ぶ暇も与えない。寸分違わず額の傷跡を打ち、そしてやはりそこが急所だったのか狼は初めての反応を見せる。

 

「ゴアアアアアアァァァ!!」

 

 絶叫。

 耳が痺れるほどの叫びを最後に、狼は薄白い光に包まれ、その光が弾ける。

 そして一振りの太刀が、そこに残された。

 予想外といえば予想外の結末。

 呆気に取られたまま、その太刀がカランカランと音を立てて転がるのを見ているしかできなかった。

 

「…………」

 

 それでもそのまま数秒警戒し、その間に荒くなっていた息を整える。冬の冷たい空気が熱くなった体に気持ちいい。それでも戦闘の余韻は熱になっていまだ残っている。

 その間も彼女(?)は太刀に変化したまま動きがない。それを見て、とりあえず今のうちにと美由希を拘束していた蔓を切り、腕をとって立たせた。

 

「あ、……ありがとう」

「ああ」

 

 一応お決まりの受け答えはするものの、二人揃って関心の向く先は違うところ。

 その向く先にあるのは、一振りの太刀。

 

「恭ちゃん、さっきの子ってもしかして……」

 

 そう言うからにはたぶん美由希も考えているだろう、御架月さん――数えるくらいしか会ったことのないさざなみ寮にいる刀に宿った幽霊を思い出す。

 霊剣と呼ばれる、刀に宿る魂。

 もしそうなら少しぐらい(では済まないが)不思議な力を持っていてもおかしくはない。……のだろう、たぶん。

 近づき、注意してトン、と軽く触れてみるが、なんら反応はない。触れた瞬間炎を出すとか、声を出すとか、なにかあるかと思っていたのだが……。さっきまで姿を見せていた狼が気絶しているから、ということだろうか。

 抜き身のままの太刀を手に取る。

 

「どうするの?」

「……このまま放っておくわけにもいかないだろう。かといって壊すのも……」

「ダメだよ、そんなの!」

 

 強く否定される。

 

「だってその刀はさっきのあの子でもあるんでしょ? どんな事情があるのか分からないけど、そんな殺すみたいなことしたくないよ」

「……そうだな。なら、明日にでも耕介さんに見てもらおう」

 

 そう提案すると、美由希も異論はないように頷いた。

 もう夜も遅い。明日にでも一度、さざなみ寮に行って耕介さんに鑑定してもらおう。

 

 

 

 恭也は知らない。

 その刀の銘と刻まれた文字は『壱覇』。

 その太刀こそは、八景、七葉と系統を同じくする『壱』の字を与えられた刀。

 そして三百年前に骸が最後にざからの額に突き刺した刀だった。





 さて、ようやく第3章第5話お届けしました

恭也(以下恭)「またしても長引いたな。どんどん遅筆になっていっているようだが」

 最近はギアスの無料配信とかプラモの制作とかに時間を取られて……。それ以前に話の後半が大幅に予定変更しているせいだろうけど

恭「後半というと……俺とイチハの戦闘シーンか」

 そう。最初なに書くつもりだったかもう覚えてないけど、当初第3章ではさざなみ寮を中心にして、とらハ3のキャラの出番はない予定だった。さらに、外見だけとはいえ子供の相手を恭也にできるのかとか考えると全然情景が浮かんでこないという苦悩っぷり

恭「だったら、そんなに無理しなくてもいいのでは?」

 いやでも、やるとしたらここしかないし。イチハの問題は3章のうちに終わらせる予定。そして4章ではまた別の事件が始まる――というか、片付けるから

恭「……そうか。ならもうなにも言うまい。それで結局、イチハはいったい何者だ? 子供だったり狼になったり……」

 あ〜。本体は最後に出てきた太刀。本編でも語っていたように三百年前に骸が持っていた五振りの内の一振り。そしてそこに霊剣と妖怪の要素を加えて、太刀、巨狼、子供の三つの姿を持つキャラになったと

恭「……なんだかやけに無理やりな話のようだが……」

 いいんじゃないか。無理やりな話は今さらなこと。それに立ち絵の一つも見たことないキャラだから、足りない部分はオリジナルの設定で補完でもしないと

恭「……そうだな、あなたにとっては今さらなことか。ところで、この――危険物? はどうすればいい?」

 その言い方は言いえて妙だが、それ(イチハの太刀形態)の正式名称は『魔剣ざから』。その持ち主――『乗りこなす者』になる可能性は三、四人にあるところだが……結局誰になるかは今後の展開を見て考えてもらおうか

恭「最後までいい加減だな、あなたは」

 (無視して)さて、それでは最後の次回予告。次回では恭也の手によりイチハ、再びさざなみ寮へ。そしてあすかは真雪からとある昔話を聞かされて――

 

 ついでに、イチハ(ざから)のデータもいくらか

 

 

 身長(狼時体長)  97cm(4m) 、体重  24kg(2t)

 外見年齢  人型は主に7歳前後(変更可能)

 髪  色は灰色。全体的に短めだがうなじから伸びる一房は膝にも届くほど長い

 目  褐色

 その他  服は当初は美緒のお下がりだが、以降は似たものを霊力とイメージで作り上げる。額には裂けそうに大きな刀傷が残っている

 

 戦闘スタイル  近接パワー型

 愛用の武器  なし

 

 筋力  AA+(剛気功使用時 SS)

 敏捷  AAA+

 反応  AA+

 射程  B+

 

 総合能力レベル  S+





イチハの正体はざからか。
美姫 「本体は刀みたいだけれどね」
何の因果か恭也の手にまたしても数字の付く刀が集まったな。
美姫 「これが何を意味するのかしら」
うーん、次回が楽しみだな。
美姫 「次回も待ってますね」
ではでは。



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る