1月31日 (火)  PM 11:47

 

 

 それは一月が終わる、その夜。

 

 ――グオオォォォ……

 

 と、声なき声、音無き波動が海鳴市を駆け抜けた。

 すでに時刻は夜半。

 多くの者が眠りに就いており、それに気づけたのはほんの一握りの存在だけだった。

 だがその一握りの存在の誰一人として、その波動の正体は知らない。気づかない。

 

 ――グオオオォォォォ

 

 もう一度、今度は大気の震えを伴い、獣の咆哮が響く。

 その声はさっきのそれよりずっと近い。

 まるで、その獣を隔てる壁、捕らえる檻が崩れていくかのように近づいている。

 

 ――グオオオオオォォォォォォォ!!!!

 

 三度、響く。

 それはすでに、確かな咆哮となって、夜を震わせた。

 

 

 その夜、海鳴市に雪が降った。

 

 

 

 

 

 

      第3話  「雪の降る日」

 

 

 

 

 

 

  2月1日 (水)  AM  4:52

   フェイトview  自室

 

 

 寒い。

 今朝は、目覚ましでも習慣でもなく、寒さで目が覚めた。

 冬なんだから寒いのは当然だけど、今朝は特に寒く感じる。時間設定して自動で動くようにしておいたエアコンが部屋を暖めるまでとてもじゃないけどベッドから出られない。

 それから数分後、部屋が適度に暖まった頃を見計らってベッドを出て、手早く部屋着に着替えを済ませた。

 それからちょっと躊躇いを持ちつつもドアを開けて、

 

「さむっ……」

 

 途端、部屋に入り込んでくる冷たい空気に震え、それでも自分を抱くように体を丸めて廊下に出る。

 まだ外は暗い時間なので廊下も暗い。手探りでスイッチを探して廊下の電気を点けて歩く。毎朝のように繰り返していることなので、全然苦労はない。

 そのまま寒さに急かされて、少し早足気味に洗面所へ向かう。

 

 洗面所で氷水のように冷たい水で顔を洗ったら、眠気など欠片も残さず消え去ってしまった。そして正面――鏡に映る自分の姿に何日か前の夢を思い出してしまう。

 ――結局、あの夢のことについては神雷さんに訊けてない。なんでか分からないけど、それは聞いちゃいけないことだと思ったから。

 でもたぶん、夢に出ていたあの女性が『ヒカリ』ではないかと思う。神雷さんが一瞬とはいえ見違えたくらい似ているとするとその可能性は高い。

 だったら、神雷さんが本当に求めているのはわたしじゃなくて……

 それは彼自身が否定したのに、それでもわたしの過去の体験から抱いてしまう不安。

 ここ最近、毎朝陥る思考のループに今朝もまた落ちて少し気分が沈む。

 

 それからちょっと早いけど朝ご飯の準備でもしようと思ってリビングの戸を開けて、リビングに入るより先にそれが当然のようにその中の一角に視線を向けて、

 

 そこに、神雷さんの姿がなかった。

 

 昨日も一昨日も同じ場所でじっとしてたのに、今朝はいない。

 いったいどこに……。自分でも正体の分からない焦りが生まれ、それまでの動きに比べて明らかに速い一歩でリビングに踏み込む。

 けれど、探すまでもなかった。

 ベランダの戸を開けっ放しにして、そこからまだ真っ暗な外を眺めている。

 なにを見てるんだろうと思い、近づいてようやく気づいた。

 

 雪が降っている。

 

 道理で今朝は寒いわけだ。知識だけはずっと前から、でも実際に見るのはこの世界で生活するようになってからのこの白い結晶は、大気から温度をどんどん奪っていく。すでに手すりに掴めるくらいに積もってるところを見ると、結構前から降っていたのを推察するのは難しくない。

 そして、その中に立つ神雷さんはいつからそこにいたんだろうか、部屋の中でも着ている真紅のコートの両肩が雪で薄っすらと白く染められている。

 その視線は心ここにあらずというように、どこかを見たまま動かない。

 なにを見ているのか、ちょっと気になった。

 寒いのを我慢してベランダに出て、隣に立つ。

 

「おはようございます」

「……ああ」

 

 横目で見るだけでわたしを確認して、素っ気なく返された。

 

「えと、その……寒いですね」

「……そうだな」

 

 またも素っ気なく返される。

 ここにいる理由がわたしのケガの治療とそのケガのもしものときのためというのは理解している。

 でも、もう少し(だけだとちょっともの足りないけど)愛想よくしてほしいと思う。こうやって無関心な態度を取られる度に、少しずつとはいえ傷ついてはいるのだ。

 それでもへこたれずに会話を続ける。

 

「あの……なにか見えるんですか?」

「……ああ、どうだろうな」

 

 聞きようによってはどうとでも取れる返事に同じものを見ようとして――

 一秒で挫折した。暗くてなにも見えません。

 でも神雷さんはなにかが見えてるんだろう。いつかのアリサのこともあるし、わたしに見えないものが見えていてもおかしくない。

 

 そのアリサのことだけど、何日か前にアリサに言った『願いを叶える鍵』という言葉について、神雷さんはそれ以上を語ろうとはしなかった。

 理由だけでもと訊いてみれば、覚悟のない子供が背負うものではない、という答え。

 アリサの方も、神雷さんのことを苦手にしている(というより嫌っている)みたいで、無理に追求しようとはしなかった。

 おかげでわたしとはやてはその言葉の意味が気になって仕方がない。もしかして、今一番神雷さんに近いのはアリサなんじゃないかって思ってしまうから。

 

 そのまま――なにも言えないまま神雷さんの横顔を見ていると、いきなり冷たい風が吹いてぶるっと震える。

 

「……寒いだろう。中に入っておけ」

「あ、はい」

 

 促されて自然と従い、そして気づく。

 今のはわたしのこと心配してくれたのかな?

 そう思って振り返ってみるけど、やっぱり神雷さんにそんな素振りはない。

 きっと、追求してもいつものようにはぐらかされるだけだろうなと思い、とりあえず朝ご飯の準備をしようとキッチンに入り、冷蔵庫の中身を確認しながら献立を考える。

 結果、今日の朝ご飯はトーストとサラダとちょっと焦げた玉子焼き。ちょっと少ないけど、ついでにお昼のお弁当も作るから朝の分はこれで精いっぱい。でも今日は体育の授業はないからこれでなんとか。

 アルフの分は最近はドッグフードが多い。初めてこの世界に来た頃から気に入ってたみたいだけど、子犬フォームで食べている姿を見るともう普通の犬にしか見えない。素体は狼の、使い魔のはずなのに。 

 そして神雷さんは、前に泊まったときもそうだったけどなにも食べない。ただ一杯、『さゆ』というお湯にしか見えないものを飲むだけ。

 それでお腹が空かないのかと訊いてみたけれどその答えは、

 

――餓死することがないのだから、食うなど無意味だろう?

 

 という、分かるような分からないような、理屈が通ってるような通ってないような、そういうもの。実際、何度か神雷さんの分も作ってみたこともあるけど、味見程度に手をつけて後は残していた。(でも神無さんやあすかは普通に食べてたような……)

 それでも一応とはいえ、一緒の食卓にはついてくれるし、話を振れば答えてくれるから嫌われてないとは思う。というか、思いたい。

 

 そうして食事が終わって、学校の準備の時間までは少し余裕がある。

 その時間もまた、色々と神雷さんとお喋りするんだけど――

 今日はちょっと勝手が違った。

 

「あの……今日からわたしは帰りが遅くなりますから」

「ん? ……習い事かなにかか?」

「はい。管理局の研修が今日からなんです」

 

 今日から、学校が終わってから時空管理局に仮配属されることになっている。

 時空管理局の本局は次元空間に浮かんでいる巨大構造物でしかない上に、たくさんの次元世界から人が集まっているので、この世界のように1日が24時間で1年が365日というわけではない。一応、局内標準時間としてミッドチルダの首都『クラナガン』と同じ日付が使われており、それに応じてスケジュールは組まれるが、自分たちはこの世界ではまだ学生といった事情もあっていくらかの融通は利かせてもらえる。その辺はリンディさんたちの気遣いからそうなった。

 

「……ああ、そういう話だったな」

 

 そのことは以前にも一度話してあったから、すんなりと理解してもらえた。

 

「となると、問題は……」

 

 そう言って、じっと視線を向けられる。

 その先は、右胸。

 もしものときのためにいるのに、不用意に離れるべきではないと責められてる気がした。

 

「あの……ダメですか?」

「さて……」そう呟き右胸――傷のある場所を人差し指でトンと触れて「……まだ完治ではないが、通常の運動なら問題ないな。魔法というのがどれほどの負担になるのかは分からんが……まぁ問題ないだろう」

 

 問題ないのか、よかった。

 そう思い、わたしが安堵の息を吐くより速く、神雷さんはわたしの髪を掻き揚げるようにして首の後ろに手を添えて、

 瞬間、ビリッて右胸に痛みが走った。

 

「かッ……痛……」

 

 痛み自体はそう大きくないけど、全然予想していなかっただけに我慢する余裕がなくて声まで出てしまった。

 そしてそれを決して見過ごさない家族がここには一人。

 

「ちょっ……、アンタ、フェイトになにしたのさ!?」

「消していた痛覚を戻しただけだ。知らないところで無理をされて悪化されても面倒だからな」

 

 その説明が終わる頃にはもう息は整っているし、痛みもほとんど感じない。

 

「あの……ぜんぜん痛くないんですけど……。本当に、まだ治ってないんですか?」

「ああ。……いや、通常ならもう問題ないだろうが……」

 

 その後になにを続けようとしていたのか、でも結局それを言わないままに、

 

「いや、いいか。今のままなら死ぬことはなかろう」

 

 曖昧に濁される。いったいなにを隠しているのか。

 そんなわたしの様子を見て、神雷さんは肩の力を抜くようにため息を一つ。

 

「……まぁ、頑張ってこい。なにをするかは分からんが、それでもそれはお前が自分で選んだ道だ。だから、きっと最後までやり遂げられる」

 

 わしわしと整えていた髪を無遠慮に撫でられる。子供っぽい扱いだと思うより、こんな自然に神雷さんからスキンシップしてきたことに驚く。

 それが顔に出てしまったみたいで、すぐに神雷さんも気づいたように頭を撫でていた手を止めた。

 

「……嫌だったか?」

「あ、いえ……そんなことは、ないです」

 

 むしろ、もっと撫でて欲しいくらいです。

 でもさすがにそんな内心までは伝わらなかったみたいで、あっさりと頭に乗せられていた手は離れていった。さっきの温もりと感触に名残惜しいものを感じる。

 でも、今のではっきりした。少なくともわたしは、嫌われてるわけじゃない。でないと、あんな風に励ましてくれるとは思えない。

 そう思うと少しだけ、気が軽くなった気がする。できるならもうちょっとこのままで――

 

「フェイト。もう時間だよ」

「え!?」

 

 アルフの忠告で時計を見てみれば、確かにもういつも家を出ている時間。それはつまりこの心地好い時間が終わりということで……

 それを少し未練に思う。やっと神雷さんに近づけると思った矢先に出鼻を挫かれたみたいだ。

 とはいっても誰に文句を言えることでもないし、行けるときはちゃんと学校に行くというリンディさんとの約束もあるし……

 

「……それじゃあ、学校に行ってきます」

「ああ。行ってこい」

 

 その(とてもあっさりとした)声に押されてリビングを出て部屋で制服に着替える。そして玄関で制服の上に学校指定のコートを羽織り、靴を履いて準備完了。

 いつものように玄関まで見送りにきてくれたアルフに、いつもの言葉。

 

「それじゃ、行ってきます」

 

 

 

      *   *   *
   ■■view

 

 

 玄関の扉が閉まる音。

 そして二つある気配の一つが、扉の向こうから完全に消えたのを確認して息を吐いた。

 

 なんのことはない、フェイト・テスタロッサがそうらしいように、自分もまた緊張していたのだ。

 それほどに、あの少女はヒカリに似ている。

 だが、どんなに似ていようとも――たとえ今考えている仮説が正しかろうとも、ヒカリとフェイト・テスタロッサは別の人間だ。

 それに、フェイト・テスタロッサは自分ではない誰かとして扱われることに苦痛を感じる人間のようだ。それは以前彼女に自身の出生を告白されたときの態度から分かる。

 だからこそ、同一視しないように気をつけているが、やはり無意識の部分で混同してしまう。そうならないように気を張り続けるのはやたらと疲れる。

 

 しかしそれについてフェイト・テスタロッサがなにかを問いかけたことはない。なにかを聞きたそうな素振りは何度か見たが、一瞬の迷いで口を噤んでいた。その程度の覚悟なら何一つ語る気はない。

 だがもし……もしもだ、あの少女が全てを知る覚悟を持って臨んだとしたら、自分はどうするだろうか?

 ……そのときは、話すだろう。その覚悟の程を確かめた後だろうが。

 そしてその後の反応しだいで殺すだろう。

 ヒカリは、千五百年という永きにおいて、ただ一人俺が愛情と怨恨――今は亡くした心の全てを預けた相手でもある。

 そこに入り込もうというなら何人であろうとも容赦はしない。それには如何な理由であろうと例外はない。

 だが、今回ばかりは本当にそうできるのか、それが自分でもどうなってほしいのか分からない。

 

 知ってほしいのか、知ってほしくないのか。

 殺したいのか、殺したくないのか。

 

 人の心を持たず、理解できない鬼。

 

 それが己のカタチだと分かっていた。

 だが、欠けて朽ちた己の心さえこうも見えないのは初めてではないだろうか。いつもなら冷徹に、冷酷に、ただ合理的な回答を導くというのに。

 そう考えて、少しだけ口元が苦笑の形を作る。なにが理由かは知らないがいい傾向だろう。情が生む不合理も不条理も、人間の心が持つものだ。それに少しでも近づいているというなら、この迷いは受け入れるべきだ。

 

「……さて」

 

 とりあえず、それまでの思考をそこで中断し頭の隅に追いやる。

 そして次に考えるのは昨夜からこの街に起きている異変について。

 

 昨夜、夜を震わせ響いたなにかの咆哮。

 そしてその直後から降り始めた雪。

 

 その二つを無関係と考えるほどに自分は能天気ではない。

 そしてその証明のように、ただの雪であればありえない、霊力の付随。そこからしてこの雪は、ただの空気中の冷気の結晶などではない、この街にあったなんらかの力の欠片だと分かる。

 『開かれた霊穴』。

 異能の集う地。

 その特性を知り、利用しようとする者からすれば、この地はその思いを裏切ることはない。

 しかし――

 

「どうするか……」

 

 この街に『御巫』の力の持ち主がいないというのは、あの殺し合いの前に至った結論。

 その後は成り行きに任せる形でいたが、いつまでもこうしていられるわけでもない。いずれ――そう遠くないうちに呪いはその目的を発現する。それを生き延びるまではこの街を出ることはできないだろう。なんらかの強制力とでも言おうか、それとも因果律と言うのか、まぁそういったものが働いて出るに出れなくなっているのだ。それはすでに、過去に体験しているし、今回も確認している。

 ならその呪いの発現を待ち、そのときに死ねばいいという案もあるが、それは遠慮しておく。

 ただ死ぬのなら、それもいい。自分はもとよりとうに死んでいるはずの存在で、それだけを願って千五百年も彷徨い続けたのだから。

 だが、ただ死んで地獄に行くというわけではない。それは『呪い憑き』の性質を見れば分かろう。もとは異能を集める目的の呪い。不老不死はその副産物に過ぎない。

 俺がそこから逃れる手段は実に単純で、俺が本来持つ方の不死の呪いを解けばいい。その瞬間に死ぬことは約束されているも同然なのだ。

 

 だからその手段を成すための方法を探しているのだが……これが全く見つからない。

 数日前に会った『アリサ』という少女が呪いを解くための鍵となる可能性は、今の状態ではまだ低い。なにせ自身が幽体離脱していることに気づいていなかったのだから。その程度では、とても俺の目的は果たせない。

 それに、どうもあの少女は俺に敵意を抱いているようだ。あれくらい分かりやすく態度に出ていれば察するのは難しくない。

 そんな少女に、まさに命懸けの行為をやらせるわけにもいくまい。

 もしあの異能を使いこなしていて俺の願いを叶えるだけの力があるなら、泣こうと喚こうとあらゆる手段を使ってでもやらせるところだというのに。

 とりあえず、あの少女についてはしばらく様子を見よう。

 

 では他の可能性はどうか?

 まず異世界の魔法使いでは無理だというのはフェイト・テスタロッサの話から理解した。

 魔法では死者の蘇生は不可能。だからこそ、『F.A.T.E』計画とやらで彼女が生み出されたのだから。

 

 なら他は?

 そう思い一通りこの街で出会った顔を思い出してみても、心当たりは一つだけ。

 それもそうだ。早々簡単に見つかるなら千五百年もこの世を彷徨ったりはしない。

 

 ならば、その心当たり――久遠ならどうか。

 もともと、そのために三百年もの昔に一匹の子狐を『眷属』へと仕立て上げたのだ。

 そして見る限り、その力は成熟しつつある。最初の夜に五尾の姿を見ているのだ。伝説にある九尾には及ばなくとも、力の量だけなら十分に見える。

 だが、本人がそれを拒むだろうというのも三百年前の懐かれ様から想像は難くない。そしてそれは今も変わらない、それは最初の夜に飛びつかれたことで分かる。 

 だからこそ、捨てた。

 神無と同じで、自身の慕っている相手を殺すなどという罪を背負わせないように。だからもし、憎悪に支配されて殺しに来るのなら、そのときは無抵抗にこの身を差し出すつもりだ。……その展開も、どうやら可能性は薄そうだが……

 

 となると後は――

 視線の焦点が目の前を舞う雪に結ばれる。

 この雪の向こうにいる何者かならどうだろうか?

 その正体が分からない以上、それを頼りとする気はない。だが他に当てがないのも事実。

 

「……探してみるか」

 

 なにをどう探せばいいのかまるで見当もつかないが、構わないだろう。どうせ有り余るほど時間はある。

 

 

 

  2月1日 (水)  AM 10:36

   耕介view  さざなみ寮

 

 

「ふぅ」

 

 さざなみ寮の前――玄関から門の外、そして周辺の道路の雪かきが一段落して、ようやく一息ついた。

 まだ気温は低く、雪も止むことなくちらついているが、動いていたおかげで体は十分に温かい。

 

「ん〜〜〜っ……」

 

 大きく伸びをする。ずっとかがむ形で作業してたから結構腰にくる。俺もいいかげん歳かな。

 そんなことを考えながら肩をぐるぐると回してほぐしていると、さざなみ寮から真雪さんに大音量で呼ばれる。

 

「うぉ〜〜い! 耕介〜〜!! メシ〜〜〜〜!!!」

「あ、は〜〜い! 今行きま〜〜す!」

 

 徹夜の作業がやっと終わったのか。ちょうどいい。切りのいいところだし、ここらで俺も休憩にしよう。

 少し小走りに、道路の状態を確認しながら進む。うん、大丈夫、これなら滑ることはなさそうだ。

 雪かきに使ったスコップは物置まで持っていかず、玄関の横に立てかけておく。

 この調子で降り続けるなら、たぶん夕方にももう一度しておいたほうがいいかもしれない。それさえ明日の朝には徒労に終わっているかもしれないけど。

 

 最後にもう一度、降り続ける雪を見て、妙な感慨にふける。

 雪を見る度に思い出すのは、もう何年も昔、五月に降った雪のこと。

 あれはまだ自分がさざなみ寮の管理人になって一年が過ぎた頃で、当時の寮生やその友達が集まって宴会をしていたときのことだった。あまりに時期はずれな雪だったせいで、忘れようのない記憶として覚えている。

 だけど――

 それだけじゃなく、そのときに他にもなにかがあったような気がする。

 あまりに漠然としていて、そのために誰にも言い出せない違和感。それとなく他の皆に話を振ってみると同じように違和感を感じてはいるらしい。

 覚えていないのに、忘れられない。

 そんなわけの分からない矛盾。

 志乃の言い方を借りれば、この街は『開かれた霊穴』でありそれゆえにどんな不思議も起こりえる。

 だから、この違和感もなにか意味があるのかもしれないけど……

 

「なんだったっけな……」

 

 誰に問うでもない呟きは、白い息と一緒に空に溶けて消えた。

 

 

 

  2月1日 (水)  AM 10:43

   あすかview  たま湖周辺

 

 

 まだ誰の足跡もない新雪の上を走る。

 一歩踏み出す度に膝まで沈む感触を楽しみながら、止まることなく足を前に出す。

 最近ではこの場所――たま湖や八束神社はわたしのお気に入りの遊び場になっている。なにしろ、知らない人が来ないというのがいい。(そもそもここは私有地だから、他人は入ってこれないんだけど)

 今着ているのは白いTシャツの上にデニムのジャケット、そして膝丈の半ズボン。この街に来る前から愛用している(というかこれしか持っていない)服装。

 雪の中を走り回るには迂闊な軽装に見えるかもしれないが、今のわたしに限って言えば問題ない。雪を溶かすことなく、その上で『寒い』という感覚を感じない程度に周囲の気温を上げているのだから。

 これは、フィリスが言うには、HGSによる発火能力――パイロキネシスの応用。

 自分が思うだけで炎を生み出せると気づいてから、数百年に及ぶ試行錯誤の繰り返しで身につけた技能。おかげで炎の扱いについては達人級――ちょっと気温を上げるだけから人間を灰すら残さず焼き尽くすまで思いのままだ。……比べる相手がいないし基準もないから、なにを以って達人級かは分からないけど。

 

「うわ!」

 

 不意に少しだけ深く足が沈み、簡単にバランスを崩して派手に前に転んだ。

 ボスン、と盛大に雪を巻き上げて顔から突っ込む。

 

「あすか、だいじょうぶ?」

 

 一緒に来ていた久遠があまり心配していない雰囲気で言った。実際、雪が受け止める形になったおかげで怪我はない。

 それはそれとして――

 

「ふッ……、ふふふ……あはははは」

 

 笑いが込み上げてくる。

 ただこれだけのことが、こんなにも楽しい。こんな感情、久しく忘れていた。

 この街に来るまでずっと、罪に怯え、過去に怯え、他人に怯える毎日を送ってきた。

 

 でも今は違う。

 

 フィリスがいて、アリサがいて、ヴィータがいて、さざなみ寮の皆がいる。

 『独りじゃない』って本当にすごい。

 今のわたしならなんだってできそうな気がする。空だって飛べる、世界中に届く声で叫ぶこともできる。……実際にはできないだろうけど、そんな万能感に満たされてる。

 ひとしきり笑って、落ち着いてからようやく久遠が近くに来ていたことに気づいた。

 

「あすか」

「あ……、ありがと」

 

 久遠が差し出した手を取って立ち上がる。

 

「あすか、わらってるけどたのしいの?」

「ああ。友達と一緒なんだから、楽しくないわけない」

「ともだち?」

「ああ、そうだ。それにヴィータやアリサやさざなみ寮の人たちとか、他にもたくさん友達ができたからそれがとても嬉しい」

 

 それは嘘偽りない本心。

 

「くぅ……。でも……」

 

 そして、同じ目線の高さになってようやく気づいた。久遠の、なにかを迷っているように困った表情。

 やがて、意を決したように口を開き――

 

「あすかは、あいがきらいなの?」

「ッ!? ……な、なんで?」

 

 予想外も予想外。あまりに脈絡のない質問に、思いっきり動揺が声に出てしまった。

 

「だってあすか、あいのことさけてるから」

「あぅっ……」

 

 その質問は、必然だった。

 ただ、いつ、誰からされるのかということが未定だっただけ。(それが今、久遠からというのは完全に予想外だったけど)

 ちょっと前までなら質問の形は違っていただろう。そう考えるのは難しくないくらい、さざなみ寮に来たばかりの頃はわたしは周りに壁を作っていた。この世はフィリスやアリサのように、受け入れてくれる人ばかりではないと思い知っていたから。

 

 それでも全く孤立することを選んだわけではなく、まずは久遠と御架月――明らかな人外から気を許した。自分と同じ、化け物と呼ばれる側の存在と思って。

 そして他の面々相手にしても、最初の頃よりは打ち解けていると思う。『不死』のことも『翼』のことも知られて、それでもなお曇りのない笑顔を見せてくれるから、知らないうちに信用していってるんだろう。

 

 けれど、それでもなお愛にだけは距離を取ってしまう。

 嫌いじゃない。嫌いなはずがない。

 

 ただ、怖い。

 

 最初の夜にあの人と一緒に寝て、母様の夢を見てしまって、それで気づいた。

 この人は『母親』のような人だ、と。

 

 だからこそ、千年の時間を経て、それでも決して消えることのない罪がわたしを非難する。

 おまえは、母親殺しの罪人だ、と。

 

 だから、怖い。

 もしあの人が本当のことを知って、全力で拒絶されたら……

 もし受け入れてくれても、なにかの切っ掛けで千年前と同じことになってしまったら……

 そう考えると、怖くてたまらない。

 そうやって失くすくらいなら、最初からない方がいい。

 それがわたしの結論なんだけど、それをただの一度も言葉にして伝えたことはなかった。

 何日か前にもう一人の不老不死――志乃は自分の過去を皆に話したらしいし、わたしもいい加減黙ってはいられない頃合なのかもしれない。

 

「……久遠は……誰か大切な人を殺したことはある?」

「? くぅ……」

 

 首を傾げるだけ。実際ないんだろう。けど――

 

「わたしは、あるよ。わたしに優しくしてくれた人たちも、わたしを嫌っていた人たちも、たくさん、たくさん、殺してきた」

 

 わたしは、千年前の罪を何度も繰り返してきた。何人も、何人も、焼き殺してきた。

 だから、今回は大丈夫だなんて誰が言えるだろう。

 

「だから、こんなわたしに、あの人に優しくしてもらう資格なんてないんだ……」

「でも、あいは――」

 

 ――グウウゥゥゥ……

 

 動物の唸り声が聞こえた。目の前にいる久遠は特に大げさに反応して見せたから、空耳じゃないみたい。

 

「いまの、なに?」

 

 隠しようのない怯えを見せてしがみついてくる。数百年も生きてる妖狐がその反応はどうかとは思うけど、その実正体は子狐だから大型動物は本能的に恐怖の対象になるのかもしれない。

 

「分からない。でも……」

 

 さっきの声はかなり近くに感じた。

 それは言葉にしないけど、久遠もうすうす感じているのだろう。さらにわたしの警戒もあって怯えはさらにひどくなる。

 

「……いっぺん、帰ろうか?」

 

 こくこくと、一も二もなく久遠は頷く。そんなにも怖いのか。

 わたしとしても、自分一人だったら襲われた瞬間に焼き尽くすこともできるけど、久遠もいるとなると少し勝手が違ってくる。

 もし襲われるのが久遠だったら、一瞬の判断を誤って久遠にも火が飛ぶかもしれない。それが万に一つの可能性でも、わたしは友達を傷つけたくない。

 だったら、取る答えは一つ。君子危うきに近寄らず。どんな動物がいるのか分からないけど、牙も爪も届かないなら恐れることはない。

 そうと決めたら早く帰ろう。人里に降りればその動物も付いては来ないだろう。来たなら来たで、久遠を誰かに任せれば問題ない。

 そう考えながら、ここまでの足跡を逆に辿る。

 降り続ける雪で視界は良好とは言えないけど、周りに注意する分には問題ない。

 それよりも、ぴったりと張り付いて離れない久遠のせいで歩きにくいことこの上ない。それでも文句は言わずに進む。

 だけど、ほんの少し歩いた場所、たま湖のほとりを離れる前に、

 

 ――グウウウゥゥゥゥ……

 

 また、聞こえた。

 しかも今の声はさっきよりさらに近い。

 ……ひょっとして、こっちにいる?

 離れるつもりが、逆に近づいていたのかもしれない。一度通った場所だから大丈夫と思ってたのに。

 ここに来てようやく、わたしにも本能的な恐怖が湧いてきた。久遠もさらに強くしがみついてくる。

 全身が緊張し、いつでも炎を出せるように注意して、

 

「あ、あれ!」

 

 突然の久遠の声にビクリと大げさなまでに驚いた。

 

「な、なに!?」

 

 久遠が見つけ指差すその先。

 そこには、あまりに予想外な状況。

 

 

 子供が一人、倒れていた。




 

 

 

 さて、第3章第3話をお届けしました。そして今回のゲストは意外なことに今回が初めてのあすかです

あすか(以下あ)「そうか? 意外ということはないだろう。これまでわたしはまったく活躍してないからな」

 分かってくれるなら話は早い、さっさと解説に移ろう。今回は場面が前・後半――ハラオウン宅とさざなみ寮に分かれる形で進めている……かな?

あ「……わたしはさざなみ寮にいなかったんだが」

 気にするな。まぁ、さざなみ寮近辺ってことで

あ「そうか。まぁ、それならいい」

 で、まず前半。フェイト視点ではフェイトの少し変化した生活とそこにある内心の動き、そして管理局仮配属の話。最後のヤツのために今後の出番が減るな、メインヒロインの一人なのに

あ「もともとこの章はわたしが主役だったのでは?」

 そうだけど、神雷やフェイトは物語全体を通しての主役だしな。だからこそ、さざなみ寮が舞台とか言いながらこう頻繁に出番があるわけだ

あ「ふむ……、そういうものか」

 そう。そして次は神雷視点。

あ「ああ、やっぱりそうだったか。そこだけ名前が潰されてるから一瞬誰のことかと思ったが……」

 勘のいい人はすでに気づいてるだろうし、ここでバラすなら隠した意味もない。なのでそこはノーコメントで。……まぁここでは彼の現状なり今後の展望なり。そして最後に冒頭の件に首を突っ込むことが半ば確定したと

あ「ひょっとしたら、わたしと会うかもしれないわけか……」

 そして後半は耕介視点から。ここでは数年前に起きた事件についての状況を簡単に説明したつもりだが……

あ「数年前ならわたしは知るはずがないな」

 それはそうだろう、いなかったんだから。それに当事者たちも事件についての記憶は消えてるし。『事件は起きていた。でも誰も覚えていない』。それを暗示するためだけの場面だな

あ「そうか……。それで最後にわたしの場面だな」

 そう。まずは君の現状の人間関係に対する葛藤について。そして一番最後にようやく新キャラの登場だけど……

あ「おい。そんな簡単に済ませるな」

 なんだ? 母親殺しについて追及されたかったのか?

あ「あぅ……それは……」

 ま、その件についてはまたいずれ前回の志乃みたいにやるから置いとこう。あと、新キャラについてだけど……

あ「そうだな。あの子供、最後にちょっと出ただけだったが、あれは誰だ?」

 いやいや、ヒントはいくらでもあるから、名前出さなくても正体はバレバレだな。

あ「? そうなのか?」

 そうなの。そして、だからこそ正体を隠したままあれこれ弄くりまわす偏屈な男が俺なわけ

あ「あーー。なんだかあの子供に同情したくなってきたかも」

 それは今後の展開を見てから決めて。それでは最後は恒例の次回予告。次回では今回登場の新キャラを中心にさざなみ寮で物語を進める予定。……ネタが完全に途切れたから次は時間かかるかもしれません





うーん、雪に謎の咆哮。
美姫 「もしかすると、もしかするかもね」
どうなるかな。
美姫 「次回以降を待ちね」
うんうん。次回も待っています。
美姫 「待ってますね〜」



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