神雷さんの話が終わり、道場は言いようのない沈黙に包まれた。

 それも仕方がないとは思う。彼の話がどれほど常識外れだったかを思えば。

 かといって、このままにしておくわけにもいかない。

 

「まぁ、話は分かりました」

 

 そう前置きして、一番最初に訊くべきだった――神無さんの勢いに流されて聞けなかった問いをかける。

 

「ところで、なにをしに来たんですか?」

 

 まさか今の話をするためではないだろう。実際、はやてに訊かれたから話したという感じだし。

 けれど、神雷さんはその問いに怪訝そうな顔をして、

 

「前に言ったはずだろう? 体が治ったら相手してやると」

 

 ああ、それは確かに言っていた。だけど――

 

「目はいいんですか?」

 

 しっかりと両目を覆い隠している眼帯が気になる。

 

「問題ない。目が見えないなら、目以外のもので視ればいいだけのこと」

 

 えっとつまり……?

 

「それって、神無が言ってた心眼ってヤツ?」

 

 横から忍がしてくれた説明台詞に納得する。

 

 心眼。

 一般では眉唾物だろうが、御神流に『心』という技法で伝えられており、自分もまだ未熟だが使える。

 そして目の前のこの人も、たぶん自分以上に使えるだろうことは想像するに難くない。そしてそれをこうもしっかり使いこなしているとすれば、彼の技量は自分などより――

 

 震えた。それは武者震いか恐怖か、それとも他のなにかか、自分でも判断はつかない。

 だが、それをどう受け取ったのか、神雷さんはため息を一つ吐き、

 

「まぁいい。せいぜい手を抜け。その間に――」

 

 瞬間、神雷さんの姿が掻き消え、

 

「なに!?」

 

 シグナムさんの驚いた声。

 同時に、後ろから首の横を木刀が通る。

 

「十回、お前を殺してやる」

 

 

 

 

 

 

      第7話  「覚悟」

 

 

 

 

 

 

――君の千年は、どれだけ悲惨なものだった?

 

 何気ないように呟かれた志乃のその一言がもたらした反応は、劇的なものだった。

 その脳裏になにを思い描いたのか、あすかはなにかから身を守るように小さくなって、ガタガタと過剰なほどに震える。今の志乃の言葉は、この少女のどんなトラウマに触れてしまったのか。

 その小さな体を、フィリスが抱きしめて、

 

「大丈夫。大丈夫ですから」

 

 優しく語りかけるが、効果はあまりない。それどころか、

 

「ああぁあ! やだ、いやだぁ!」

 

 抱きしめる腕から逃れようとするように必死にもがいている。

 いったいなにに怯えているのか、テレパシーで読もうとしても志乃と同じように、ジャミングがかかっているように読めない。ひょっとすると『呪い憑き』というのは皆してこうなのだろうか。

 というか、そんな考察は置いといて、

 

「あああああぁぁあぁあああ!」

 

 今は泣く子を宥める方が先か。放っておいたらさっきの発火能力を暴走させかねない。

 

「あすかちゃん、大丈夫です。ここには怖いものはないですから」

「ちょっと、あすか、落ち着いて――」

 

 プスッ。

 

「あ、ぅ……」

 

 急にくてり、と抵抗する力をなくしてあすかはフィリスの腕に寄りかかった。

 いつの間に近寄っていたのか、志乃が左手をあすかの頭に添えて、右手をあすかの耳の下に当てていて、

 すっとその右手を引く。その手が持っているのは赤くて細い――

 

「……針?」

「沈静のツボを刺した。十分くらいで目覚めるはずだよ。……ついでに、記憶も少し飛んでるかもしれないけど」

 

 十センチ以上ありそうな細い針についた血を指で拭いながら言い、その針をジャケットの内側にしまう。

 

「……ゴメン」ポンとあすかの頭に手を乗せて「あたしもこんなことになったのを、千年経ってもまだ納得できてないんだよ。まぁ、八つ当たりだと思って諦めて」

 

 何気なくヒドイこと言ってないか?

 そうは思うものの、志乃の横顔には敵意みたいな危ない様子はなくて、むしろ慈愛というか母性というか、そんなものが見えるような気さえする。……さっきの話からするとありえないな、気のせいだろう、うん。

 そう自分を納得させていると、そこにフェイトが尋ねた。

 

「なんで、この子の過去が悲惨だなんて思ったんですか?」

「なんとなく、ね。あたしだって苦労したんだから、子供の体のままのその子が楽なわけないって思ったんだよ。たぶん、あたしとは比べ物にならないくらい苦労してきたんじゃないかな」

 

 確かに、あの取り乱しようからそうであることは想像に難くない。どれだけ重くて昏い闇を背負えばこうなるのか、それは分からないけど。

 たぶん、この場の全員がそれを察したのだろう、リビングは重い沈黙に包まれた。

 そしてそれを破ったのはやっぱりコイツ。

 

「リスティ」重いため息を吐きながら振り返り「後の話は別の場所にしよう」

「後って……え?」

「……昨日のこと、聞きたいんじゃなかったの?」

「あ!」

 

 そうだった。そもそも、そっちが本命だ。

 不老不死云々の話が長い上に重くて忘れるところだった。

 

「子供に聞かせる話でもないしね。あたしの部屋にする?」

「ああ、そうしようか」

 

 確かに子供に聞かせる話ではない。昨夜コイツがいきなり矢を射ちまくったなんて……。ただでさえ危うい子供たちからの評価がどうなるか、考えたくもない。

 

「耕介。あとの話は上でするからご飯は――」

 

 その先を遮るように、トテトテと久遠が近づいてきて尋ねた。

 

「しの、じんらいの、てき?」

 

 その質問に志乃は首を傾げて、

 

「どうだろうね。あの男があたしを敵と認識しているかどうか……」

 

 でも、と志乃は付け加えて、

 

「あの男は、間違いなくあたしの敵だよ」

 

 瞬間、金色の光が爆ぜた。

 

 雷!

 

 今は衰えているとはいえ、かつては伝説にまで昇り詰めた妖狐の全力の一撃。

 だがしかし、それは途中でなにかに当たったように遮られた。

 次の瞬間には雷は消え、それを遮ったなにかがボトボトと床に落ちる。それは久遠の雷で真っ黒に焦げたなにかの塊。見た感じ、なにかの金属のように見える。

 

「くぅ!?」

 

 まさか止められるとは思っていなかったのだろう、久遠が驚きの声を上げた。

 そしてその様子を志乃は冷めた目で見詰めて、

 

「言ったよね? 『呪い憑き』は異能の力を持つ者が選ばれたって。それはあたしも例外じゃないんだよ」胸の前に手を掲げ「そしてこれが、あたしの持つ異能の力」

 

 キィン、と掲げた手の上にクナイが二本出現した。

 

「なっ!? アポート?」

 

 驚いて考えたことがそのまま声に出てしまった。だが、たぶん志乃はHGSではない。

 なのになぜこんなことができる?

 そんな疑問に気づく様子もなく、志乃は手にしたクナイを久遠に投げつける。それはさっきあすかに対して投げたときと比べればずいぶんと遅い。

 久遠はそれを難なくかわして――

 

 ゴワァァン!

 

 大きな金ダライが、見事としか言いようのない音を立ててかわした先の久遠の頭に落ちた。

 

「きゅうぅぅ〜〜……」

 

 そしてその一撃がよほどいいところに入ったのか、久遠は目を回してばったりと倒れた。

 

「くーちゃん!」

「殺しはしないよ。さっきも言ったけど、あたしが殺したいのは神雷だけだから」

 

 情の欠片も感じられない声。以前、自分に害を為す者には容赦しないみたいなことを言っていたけど、それは本当かと確かめたくなるほどにその目は危うい。

 

「……ところで、久遠は神雷とはどういう関係?」

 

 おい! そんなことも確かめずにあんなことしたのか? ……ちょっとばかり付き合い方を考えるべきかもしれない。

 

「……くーちゃん、神雷さんの血を飲んで妖狐になったとかで……。わたしもよく分かんないんですけど」

「へぇ……」

 

 なのはの説明になにやら意味深な相槌を返し、志乃の目が再び久遠に向けられる。

 なんかヤバイ。根拠はないけどそんな気がする。

 

「ほら、志乃。早くボクの部屋に行こう。耕介、後でなにか飲み物持ってきて」

 

 とりあえず、それだけ言い残してリビングを出た。

 

 

 

      *   *   *

 

 一本目。

 抵抗する暇もなく、後ろから首筋に(シグナムさんの手から奪った)木刀を突きつけられて終わっていた。

 

 

 二本目。

 牽制に飛針を放つ。

 が、それはあっさりと掴んで止められ、それをそのまま、手首の返しだけで投げ返される。

 それを避けるのに気を取られたところを、一瞬にも満たない瞬きの刹那、神雷さんの持つ木刀が首筋で寸止めされていた。

 

 

 三本目。

 この時点ですでに油断も加減もない。

 しかし、こちらの踏み込みに合わせて踏み込まれ、気づけば小太刀の間合いのさらに内。

 意表を突かれ、離れようとした瞬間の動揺を見逃してもらえず、鳩尾に柄尻を打ち込まれた。

 

 

 四本目。

 先手を取る。

 奥義之壱――虎切。

 それを神雷さんは真上に跳んでかわした。

 その姿を追って上を向くのと、両肩に乗って木刀を真上から突きつけてきたのは同時だった。

 

 

 五本目。

 「だいたい分かった」という神雷さんの一言から始まる。

 なにが分かったのかと思えば、さっきより普通に打ち合えるようになっていた。どれだけ手加減すればいいのか、ということか。

 それでも結局、木刀を弾き飛ばされて、次の瞬間には首元に木刀を突きつけられて負け。

 

 

 六本目。

 上段から振り下ろされた一撃を防御。

 だが、次の瞬間には神雷さんはその木刀を手放していて、背後を取られた。

 

 

 七本目。

 神速を発動。

 そのまま、奥義之壱――虎切。

 ここまでで最速の一撃。

 だけど神雷さんはまるでその動きを読んでいるようにかわし、足を引っ掛けられて宙に浮かされる。

 さらに空中で逆さまになっているところに、腹に蹴りまで打ち込まれた。

 

 

 八本目。

 さっきの蹴りが尾を引いている。

 隙を見せないように気をつけて回復をはかっていると、神雷さんは抜刀術の構えを取った。

 気配からして完全に待ちの姿勢。これ幸いと回復に専念。

 呼吸が落ち着いたところで目前の剣気に対して集中。抜刀術はその特性上、どうしても一撃勝負。ならその一撃を神速でよければ――

 間に合わなかった。

 偶然間に入っていた木刀をあっさりと叩き折られ、なお衰えない一撃を受けて壁まで吹き飛ばされた。

 

 

 そして九本目。

 もう一度、神速。

 さっきの経験から、まっすぐに飛び込まずに死角へと潜り込むように走る。

 が、やはり反応される。神速が終わるのとほとんど同時に神雷さんの攻撃は始まっていた。

 もう一度神速を発動。そこからさらに神速を重ねる。

 神速の二段掛け。

 脳を灼くような痛みが神経を走るが、歯を食いしばって耐える。

 迫る攻撃をかわしてもう一度、彼の死角に回り、

 奥義之睦――薙――

 切れた。

 瞬間、色を取り戻した世界の真ん中で、恐ろしいほどの速さで迫る手に首を掴まれて、道場の壁に叩きつけられた。

 

 

 道場は奇妙な静寂に包まれていた。

 あと一本で、最初に神雷さんが予告した十回になる。

 だが、自分の攻撃はいまだ一撃たりとも、神雷さんに届いていない。

 こんなにも、差があるのか……

 父さんが三分も保たなかったというのも頷ける。それほどにこの人は底も縁も見えない。しかも、それでまだなにか隠しているような気がするのだから始末に負えない。

 それに――

 チラリ、と『それ』を見る。右脚がわずかにだが震えている。

 さっきの神速の乱用が原因か……。さっきも途中で強制終了してしまったし……

 以前に比べれば多少はマシになったとはいえ、まだ完治しているわけではない。あんな無茶をすれば悪化するのは当然の道理だ。

 それに気づいたのか、神雷さんが、

 

「もう限界か、その脚は?」

「……気づいてましたか」

「ああ。わずかだが、左右で踏み込みの力が違う」

 

 目が見えないのに――いや、目が見えないからこそ、か。しかもこの調子だと、いったいいつから気づかれていたのかも予想できない。

 それはともかく、この調子だとあと一本とはいえ神速の使用は無理だろう。さらに言えば、今の時点ですでに某担当医からの後の制裁が恐ろしいし。

 けど、それは神雷さんには通じない理由だ。なのに使ったと思われるのは最初の一回だけで、それ以降はあの神速みたいな動きは使っていない。

 なにか理由があるのだろうか……?

 思わず勘ぐってしまう。途中から手加減されているとはいえ、こちらの神速に対しても合わせてこないのは気になる。

 二本目のことがあるので一瞬たりとも気を抜かずじっと見ていると、

 

「……そういえば、聞いてなかったな」そう言って神雷さんは構えを少し緩めて「お前はなんのために、剣を取り、剣を振る?」

 

 ドクン、と心臓が震えた気がした。

 

「それは……」ゴクリ、と一度唾を飲んで「守りたいものがあるからです」

 

 その言葉で、少しだけ神雷さんの雰囲気が変わった。それに構わず続ける。

 

「父さんが守ってきたものを、俺も守りたい。俺の御神流は誰かを痛みや悲しみから守るためのものだから」

 

 それはきっと、父さんがいなくなってから自分の中心にあった想い。

 あのいつも笑っていた少女が泣いてるのが悔しくて、もう二度と泣かせないと、誰よりも強くなると、そこから始まった自分の剣の道。

 だけど、その答えを聞いた神雷さんの反応は辛辣なものだった。

 

「なにを甘いことを言っている……」

 

 表情はよく分からない。

 だが、その声音は明らかに侮蔑の色を帯びている。

 さらに、重ねるように神雷さんは続ける。

 

「剣は凶器。剣術は殺人術。どんな奇麗事やお題目を口にしてもそれが真実」

 

 はっきりと、彼は言う。

 

「守るためと、どんなに小綺麗な理屈を掲げようと、どれほど純粋な心を持とうと、剣を振れば血が流れ、人が死ぬ」

 

 お前の理由は、間違いだと。

 

「それでも、そこから目を逸らして剣を振るうようなら、その矛盾はいずれお前を壊す」

 

 けれど、そんなこと、言われなくても――

 

「それを、分かっているか?」

 

 ……分かっている。

 この道の先に光などない。血に汚れ、ときに罪を背負い、ただ自分のエゴで剣を振るう。

 それでも――

 

「ええ。それでも、俺は戦います。この剣で守れる命があるなら守り、救える命があるなら救う。そのために、俺は剣を手に取った」

 

 決して譲らぬ意志を込めて、答えた。

 ああ、そうだ。この想いが間違っているとは思えない。

 一年半前、美沙斗さんやイレインと戦ったのも、その想いがあったからだ。あのとき、なにもせずにいればフィアッセや忍が死んでいたかもしれない。そんなこと考えたくもない。

 

 そのまま、場が膠着する。

 美由希は、わが意を得たりと、満足そうに笑っている。

 忍は、少し目を細めてなにかを考えている。

 赤星は、目を見開いて驚いた顔をしている。

 はやては、面白いものを見つけたように楽しそうに笑っている。

 シグナムさんは、なにか感じるものがあるように、目を閉じて微笑を浮かべている。

 ヴィータは、なにか胡散臭いものを見るような目でこっちを見ている。

 そして神雷さんは、

 

「それで、不破士郎と同じように死ぬか? その後になにが遺るか知っているはずのお前が?」

 

 痛烈な言葉をくれた。

 

「それは……」

 

 見れば、手に持った木刀が震えている。自分でも気づかなかった――いや、見て見ぬ振りをしていたなにかを突かれた、そんな気分。

 それを感じたのか、神雷さんはため息を一つ吐き、手にしていた木刀の先を床に落として、

 

「……やめだ」

「え?」

 

 そのまま、こちらの戸惑いなど気にも掛けず、木刀を引きずってシグナムさんの方へと歩く。その姿からはすでに、戦意など欠片も感じられない。

 そしてシグナムさんの前まで行くと、手にしている木刀を、片手で器用にくるりと回し柄の方をシグナムさんに向けた。

 

「悪いな。借りていた」

「あ……、ああ」

 

 ぜんぜん悪びれていない口調でそう言って木刀を返す。

 それからこっちを振り返る途中で、フッと一瞬で姿が消え――

 

「寝てろ」

「えっ?」

 

 後ろから両足を同時に刈られ、床を離れた瞬間に後ろ襟を引かれ、体が仰向けに宙に浮き――

 

「がっ!?」

 

 そのまま、受身を取ることも忘れて床に落ちた。背中を強打し、呼吸が止まる。

 そうして悶える間にも神雷さんは動いていた。さっきの消えた動きで右膝の場所へと移動し、しゃがみ込んで右膝に手をかざして――

 

「なにを!?」

「じっとしてろ」

 

 かざした手に銀色の光が灯った。

 その銀色の光に触れた箇所――右膝から、痛みはおろか、さっきまで感じていた違和感まで消えていくようだ。気のせいではなく、ずっと昔に那美さんにしてもらった『おまじない』と称した霊力治療より効き目があるように感じる。

 これはいったい……

 

「ヴィータ、分かるか?」

「魔力は感じねーし、デバイスも持ってねー。なのになんで……」

「もしかして、わたしらの知らん魔法とか?」

 

 たぶん、魔法使いなのだろうか、八神家の人たちがこそこそと話し合っている。会話の内容や表情から困惑しているのがよく分かる。

 そしてそれを横目に、忍が近づいてきた。そのまま神雷さんの隣にしゃがみ込んで、

 

「……ひょっとして、それが『御巫』っていう力?」

 

 その言葉がどんな意味を持っていたのか、神雷さんは忍の方へ勢いよく振り返って、

 

「知ってるのか?」
「うん。神無から聞いた」

「ああ……」落胆したような雰囲気で首を元に戻して「そうだな。あいつは知っていたな……」

 

 なんだろうか、やけに気落ちしている?

 

「それって、死んだ人を生き返らせることもできるって言ってたけど」

「……ああ。確かに、実例はある」

 

 その答えに驚くことはない。ただ納得するだけ。

 あの夜、一夜限りとはいえ父さんを生き返らせたのもこの力か。

 そして、忍はそこで追及を終える気はないらしい。

 

「そうなの? 誰?」

 

 ある意味当然の疑問だが、神雷さんは一度口を開いて、結局名前を言わなかった。

 しかし、今の自分にとって重要なのはそんなことではない。

 

「なぜ、こんな……」

「……見てみたくなっただけだ。お前のそのくだらない理想の果てを」

「くだらない……?」

「ああ、千五百年も前に俺が捨てた答えだ」

「捨てた……んですか?」

「ああ……。俺には守れなかったからな」

 

 どこか遠くを思い返すように答えるその雰囲気に、誰もがなんと言っていいか分からない空気が漂う。

 

「だから捨てた。そうして俺は、大切なものは捨てていくことにした」

「なんで!?」

 

 真っ先に忍が反応する。さっきの神無さんのことがあるからか。

 

「俺は殺すことと壊すことしかできない。それに例外はない」

 

 今まさに治療している人の言い分とは思えない言葉。

 だけど、神雷さんは血を吐くように続ける。

 

「守ると息巻いたところで無理だった。何百人斬り殺したところで、たった一人守ることもできなかった」フッと自嘲めいた笑みを浮かべて「だったら、最初から持たない方がいい……」

 

 いったいどんな過去を背負い、そんな答えを出したのか。

 あんなに強いのに、その強さはたった一人守ることもできないと、だから大切なものは持っていてはいけないと、そんな哀しい答え。

 

「じゃあ、神無を捨てたっていうのは……?」

「ああ。あいつを捨てる前の夜、あいつは俺と共に生きたいとか言った。だがそんな願い、いずれ呪いに食い潰されるのは目に見えていた。だからせめて、あいつに俺を殺すという罪を背負わせない方法を考えて、思いついたうちの片方がそれだっただけだ」

 

 その思いついた方法の、もう片方というのはたぶん……

 そう考えれば、確かにそれが最善の一手に思える。少なくとも、自分には他には思いつかない。

 

「だったらそう言ってあげればいいのに。あんな言い方じゃなくて」

「……言ってどうする。さっきみたいに変な意地張って付いてこようとするだけだ。だから、恨まれようと憎まれようと、そうするべきだと思った」

 

 そうまでして、殺すことも殺されることも許容しない。そんなにも――

 

「そんなに、神無のことが大切なの?」

「当然だろう」そこで神雷さんはなぜか外の方を向いて「あいつは十年もの間、連れ添って歩いた大切な娘だからな」

 

 

 

      *   *   *

 

 その言葉を、神無は道場の壁一枚を隔てた場所で聞いていた。

 一度は溢れそうになったものを見られたくなくて逃げてしまったが、すぐに自身を落ち着けて戻ってきて、でもどんな顔で中に入っていいのか分からなくて、それで結局ここ――道場の外に落ち着いた。

 中でなにをしているかは心眼で分かる。音は真上の窓から十分聞こえてくる。これでも耳はいい方だ。

 

 そうして、その言葉を聞いてしまった。 

 

 その言葉は、ストンと自分の中に素直に落ちて溶けた。

 そして千年分のわだかまりも。

 千年もの間あの方を探し続けていたのは、なぜ捨てられたのか分からなかったからだ。

 十年もあれば自分たちが異質な存在だと気づく(というか、気づかない方がおかしい)。だからこそ、わたしと神雷様が共にいるのは当然のことと思っていた。

 それが言葉一つなく捨てられていた。納得などできるはずがない。

 だから、千年もの間、神雷様を探し続けて――

 

 そして今、ようやく本音が聞けた。

 いつだってわたしは、あの方の優しさには全てが終わってからでないと気づけない。共にいた十年の間も、捨てられてからの千年の間も。

 その全てに、今すぐ納得できるわけではない。

 でも――

 

「ふ、ふふ……」

 

 笑みを抑えることができない。

 

 嬉しい。

 

 あの方の中に、まだわたしの居場所がある。

 

 それがとても嬉しい。

 

 それは千年前にはなかった感覚だった。こんなむず痒いような、制御できない感覚。

 

 これが、心というものか。

 なるほど確かにこれは恥ずべきものだ。あの方のたった一言で揺さぶられる。乱される。狂わされる。

 己を鬼と謳うあの方は、こんなことありはしないのだろう。あの方の隣に居るためには、これは『余計なもの』でしかない。

 それでも、この感覚は嫌ではない。ぬるま湯に浸かるように心地好く、激流に流されるように先の予測ができない。

 今しばらくは、この感覚に身をゆだねてみよう。きっと、今までに見えなかったものが見れるかもしれないから。

 

 だけど神雷様、あなたは一つだけ、思い違いをしている。

 わたしの死に場所は、すでに決めている。

 千年もの昔、あの日、あの闇の底から拾い上げてもらったときから、ずっと……

 

 

 

      *   *   *

 

「終わった」

 

 そう言って、神雷さんは手に灯していた光を消した。

 

「調子はどうだ?」

 

 試しに少し動かしてみる。傷が悪化した様子は残っていない。むしろ、ここ最近で一番調子がいい。

 

「……ええ、問題ないです」

「そうか。中に異物がなければ、完全に治すこともできたが……」

 

 それはまだ右膝に埋め込まれているボルトのことだろう。

 

「いえ、いいです。これは俺自身への戒めですから」

「……そうか」

 

 察してくれたのか、もう一度同じ言葉を呟いて神雷さんは立ち上がった。

 だけど、自分は立ち上がれない。

 右膝の問題ではない。神雷さんに答えたようにこっちはなんの問題もない。

 問題なのは、むしろ内面の方。

 その様子に気づいたのか、神雷さんが問う。

 

「どうした?」

 

 その問いが、最後の後押しだった。

 

「俺は、間違ってるんですか……?」

 

 弱音が、無意識のうちに口からこぼれた。

 こうも分かりやすい弱音を吐くのは二度目だ。

 

 一度目は右膝を砕いたとき。

 自分の些細な不注意が原因で、事故を起こした。

 剣士として完成しないと分かってしまって、剣士として終わってしまうことに恐怖して、必死に自分を駆り立てて――

 それでも、壁に当たるのはすぐだった。

 そのときは、偶然であった少女――那美さんのおかげで立ち直ることができた。

 

 でも、今回はそうはいきそうもない。

 今まで必死に走ってきた。この道は間違っていないと、そう思い込んで、自分に言い聞かせて。

 なのに、さっきの神雷さんの問いでその想いは揺らいでいる。

 

 これでいいのか、と。

 父さんのように誰かを守り、そのために誰かを斬り、そしていつか死ぬかも知れない、この道は正しいのか、と。

 今度は自分が、誰かを泣かせることになるのか、と

 

 だけど、神雷さんの答えは、思いもしなかったもの。

 

「知らんよ、そんなこと」

 

 あまりにそっけない言葉。

 怪訝そうな沈黙が下りる。その反応を感じて言葉が足りないと思ったのか、ガシガシと頭を掻いて、

 

「……それは、お前が一生を掛けて答えを探さないといけない命題だろう? 齢二十程度で急ぐものではないし、ましてや俺がここで答えを出すものでもない」

 

 あ……それは、確かに。

 

「それに、俺が間違いと言って間違いになるような人生ならお前の底が知れる」

「そう……ですね」

 

 いちいち納得できる話なのに、どこか新鮮な感覚。もしも父さんが生きていたなら、同じように言ってくれただろうか。

 そう考えて、そんな自分に戸惑いを覚えた。この人は父さんではないというのに、今なにを重ねようとした?

 その態度をどう受け取ったのか、神雷さんは呆れたようにため息を吐き、腰の後ろをまさぐって一振りの小太刀を取り出す。

 それは最初の夜に彼が腰から抜いて放り出していた小太刀だった。

 

「やる」

 

 それをまるで無造作に、野球のボールでも放り渡すように、放り投げた。

 

「うわっ、たっ!」

 

 さすがに慌てた。抜き身でないだけマシだが、いきなり放り投げるとはどんな神経をしてるんだか。

 二・三度お手玉して落ち着いた。何度かその小太刀と神雷さんのの間で視線が往復させてから、手に持った小太刀の鯉口を切る。

 鞘から出てきた刃、それは父から受け継いだ愛刀に酷似していた。

 

「……八景?」

「いいや。それの銘は七葉。八景の対として打たれた小太刀だ」

 

 

 三百年程の昔、一人の刀匠がいた。

 その刀匠は自らが打った中でも傑作の刀の銘に、壱から九までの字を与えていた。

 その大半はすでに失われているが、その中で『七』の字を与えられたのが七葉、『八』の字を与えられたのが八景だった。

 

 

 初めて知る話に呆れるやら感心するやら。自分の名前のことといい、どうも自分の周りには名前の由来や因縁についてやけにいろいろある。

 でも、今気になるのはそんなことではなくて、

 

「……なぜ、俺に?」

 

 その意図が分からない。

 

「ただの餞別だ。それで納得できないなら、前払いの報酬とでも思え」

「報酬?」

「……駒になってもらうと言ったろう」

 

 ああ、そのことか。でも――

 

「俺がそのときに逃げたりするとか考えないんですか?」

「問題ない。お前もすでに異能の使い手として『奴』に認識されてるだろうからな。そのときが来れば戦いに強制参加することになる」

 

 よく分からないが、なんだかものすごいことに巻き込まれてしまっているらしい。

 

「でも、すごい偶然ですね。父さんと同じ刀匠の小太刀を持ってるなんて」

 

 美由希が暗くなりかけた空気を払うように言った。そしてそれには同感だ。

 だけど神雷さんの答えは、そんな考えの遥か斜め上を行くものだった。

 

「は? 八景を不破士郎に与えたのも、俺だ。その俺が対の刀を持っていておかしいことはないだろう?」

 

 え?

 

「与えたって、いつのことですか?」

 

 言ってしまってから、バカな質問をしたと気づく。父さんがこの人と会ったのは、一回だけのはずだから。

 そして、神雷さんが語る答えも、その通りだった。

 

「二十年前にあいつと戦ったときだ。そのときにあいつの持っていた小太刀の片方を、砕いてな……。その代わりにくれてやった」

 

 あっさりと言う。

 自分の見る限り、八景も、そしてこの七葉も、かなりの業物だというのに、その口調や態度に未練も執着も見られない。大切なものは捨てていくと言ったが、そうでなくても捨てていくのか。

 この人は、いったいなにを手元に残していくのだろう……

 本気でそんなことを考えそうになった。

 それを制するように、神雷さんが口を開く。

 

「不破恭也。お前は、守るために剣を振るうと言ったな?」

「はい」

 

 いきなり厳格な雰囲気で神雷さんが放った問いに、気圧されるように答える。

 

「まだそれを、間違いと言うか?」

「……いいえ」

 

 その迷いはもうほとんどない。少なくとも、それが自分にとって正しい目的だと受け入れられるくらいにはなった。

 それでも、神雷さんは誤魔化しは許さないというようにどっしりとした雰囲気で次の言葉を放った。

 

「その理想、褪せることも折れることもなく、最後まで貫き通す……。その覚悟を、ここで示せるか?」

 

 じっと、まっすぐに見詰めてくる。

 試されている、のだろうか。

 ここで答えれないならお前に剣を握る資格はないと。

 まだ先は見えない。自分が正しいのかなんて分からない。それでも――    

 

「……はい!」

 

 今自分にできるだけの決意と覚悟を込めて答える。

 

「いい返事だ」

 

 それを聞いて、神雷さんは満足そうに笑う。

 

「まぁ、そうは言ってもまた何度でも迷うこともあるだろう。そうしてまた、さっきのように道を見失うかもしれない」

 

 少し前までなら断固として否定していただろう言葉が紡がれる。

 でも、今やこの人の言葉は全てが自分にとって真理であり道標だ。グッと黙って続きを待つ。

 

「そのときのために、答えを見つけておくといい。自分という存在の全てを疑おうと、決して変わらないものを。それがあればたいていのことは乗り越えられる、まっすぐに歩いていける」

 

 喋りながら神雷さんは入り口へと歩き出す。

 入り口に辿り着いたところで最後にもう一度振り返って、

 

「それを見つけることができたなら、さっきやらなかった最後の一回をやるとしよう」

 

 そう言い残して、神雷さんは去っていった。




 ごめんなさい。やりすぎました。(土下座)

「いや、いきなりそんなこと言われても分からないんだが」

 今回の戦闘シーン、ダイジェストとはいえ、一方的、圧倒的にやりすぎたような……。そのへんは『赤いのは通常の三倍の能力』という伝統に則ってやってみたんだが……。(神雷は真紅の羽織を着ているので)

「あれで三倍……?」

 いや、三十倍くらい……になるかな

「はぁ……、ってええ!?」

 仮の話、一般人の戦闘力を基準で十として、恭也は六十くらいあると仮定するとしよう

「はぁ……。まぁ、そのくらいはあるかもしれないな」

 で、神雷は三百近く。これで通常の三十倍になる

「俺の五倍……?」

 千五百年の蓄積があるんだから、おかしくはないだろう?

「あ〜〜、確かに。……でもやりすぎでは?」

 だから、そう言ってるだろう。……まぁ、強すぎる分、精神面に問題を持たせてそっち方面で物語を動かそうと思うんだけど……

「あれで?」

 ああ。まぁ、どんな問題抱えているかは次回以降に明かしていくとして、どうだったかな? 簡単に人生相談みたいなことしてみたけど

「あれは俺のキャラじゃないと思うが……」

 まあねぇ。他の場所だと割りと年上だったり、老成していたりで『導く者』の側だからかねぇ。だけどここだと神雷という年齢、経験、実力、全てにおいて上を行く人材がいるんだよね。だから君には『導かれる者』の側に立ってもらおうかと。それに、君の場合こういう展開も決してありえないとは言えないんじゃないか?

「どういうことだ?」

 いや、君の信念は士郎が死んだとき――十歳前後の頃にほぼ固まっているだろう? となると、多少は子供の意地が混じっていてもおかしくないと思う。だから、一度立ち止まってその想いを再確認してもらうのもいいかな、と

「ああ……。いや、だがしかし……」

 まぁ、そこはあまり気にするな。二十歳くらいなら――というか、人生はいつだって悩んだり迷ったりの繰り返しだろうし。

「それはそうだろうが……」

 さらに、今回戦闘をした神雷の戦闘能力評価をつけておこう。実力差を存分に思い知れ

「(戦闘能力評価を見て)……あの――」

 おおっと、それ以上は言うなよ? たぶんそれは第4章で重要な要素となる部分だ。

「いや、でも――」

 さて、それはともかく次回予告。ようやく長かった1月22日が終わる、と見せかけてもう一波乱。そしてとうとうフェイトが神雷と再会して――。といった感じか

 

 

 

■??  《神雷》

 戦闘スタイル  近接高速機動型

 愛用の武器  刀全般(専用の武器として冥刀『マガツ』を持つが、使うことを嫌っている)

 

 筋力  AAA+

 敏捷  AAA+ (絶影使用時 SS)

 反応  S+

 射程  AA+

 

 総合能力レベル  SS−

 

 備考

 不死の『呪い憑き』の一人で、『己(陰・土)』の字に当たる。

 『御巫』の力――膨大な生命力を抱えているため、肉体の性能は半端なく高く、さらにそれを完全に制御している。

 ある目的のため、他の『御巫』の力の持ち主――厳密には完全な死者蘇生術の使い手を探している。

 

 ・歩法

  『絶影』

   御神の神速と同じ、脳のリミッターを外し肉体の『本当の百パーセント』を引き出す技法。

   そして??の場合、不死の体と『御巫』の力の恩恵があるため、引き出せる『本当の百パーセント』が異様に高く、通常の神速より速く、長く動くことができる。最高速度は恭也の神速二段掛けの領域で普通に動いて見えるくらい。

 

  『天駆』

   足元に魂の構成物質である『霊子』を収束させて足場にする技法。

   本来は干渉不可能な霊子だが、??の場合、持っている異能の力によって霊体への干渉が可能なために(とはいっても瞬間的にだが)使用できる。この足場は他の誰も乗ることも破壊することもできない。

   使用には半径二十メートルくらいの霊子を収束させるため、連続で使用するには最低三十メートルの間隔を要する。

 

 ・雷術 

  『穿雷』

   雷を槍状にして投擲する術。

   破壊力は??の持つ術の中で一・二を争う。

   威力・射程・溜めなどの総和で使い勝手がよく、戦となればまずこの術で先手を打って敵戦力の削減・混乱させるのが??の常套手段。

   最大射程は約二キロメートル。





いやー、強いだろうとは思っていたけれどここまでとは。
美姫 「圧倒的ね」
しかし、八景の意外な秘密。
美姫 「色々と明かされていく謎」
これからどうなっていくんだろうか。
美姫 「恭也は否応なしにこの戦いに巻き込まれたみたいだけれどね」
次回を待っています。
美姫 「待ってますね〜」



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