1月17日 (火) AM 11:52
「あ……」
昼休み、いつものようになのはたちと一緒に昼食を摂ろうと鞄の中に手を入れて、フェイトは気づいた。
忘れた……。
それは今朝作っておいたお弁当。リンディとクロノは今アースラにいるので、弁当を作れるものは自分しかおらず、実際今朝も自分で作ったのだ。
だけど、その弁当を忘れてしまった。
どうしよう。午後からは体育もある。なにも食べないというのはあまりに厳しい。けれど、購買に行こうにも財布の中身が心許ない。
「フェイトちゃん、どうしたの?」
その様子を見ていたのかなのはが声をかけてきた。その友人を、困った笑みで迎える。それだけでこの聡い友人は気づいたらしい。
「ひょっとして、忘れた?」
「うん、そうみたい……」
フェイトのその答えになのはは、しょうがないなぁと言うように笑って、
「いいよ。分けて食べよ」
ついで周りを見てみれば、すずかも同意というように笑っていた。アリサは今日は風邪で休みということなので、この三人での昼食ということになる。
「ありがとう」
そんな友人たちにお礼を言って、それでも少しだけ未練がましく自分の手がけた弁当を思い返した。そして、それと一緒に家に用意しておいた作り置きの昼食のことも思い出す。
「……あの人、ちゃんと食べてくれてるかな」
「あの人?」すずかが怪訝そうに振り返って、「それってひょっとして、昨日のあの人?」
「え……うん、そう」
ものすごい非難めいた目で、すずかが見ていた。
「ダメだよ、フェイトちゃん。あの人に関わったりしちゃ、フェイトちゃんもいつか――」
その先にどんな言葉が続くのか、結局すずかは口にはしなかった。
しかし、その声は静かだが、有無を言わせぬ迫力がある。
い、言えない……。
実はあの後、あの人を家に泊めたなんて……。
そんなこと、とても言えそうにない。
第9話 「〜神雷〜 惑う心」
1月16日 (月) PM 4:54
バァン! と乱暴に玄関のドアが開け放たれる音。
そのままバタバタとフローリングの床を走る足音が続く。
その音を不思議に思い、リビングにいたアルフは音のする方向を振り返った。
誰が帰ってきたかは考えるまでもない。リンディとクロノがアースラに行っている今、玄関から帰ってくる住人はフェイトしかいないのだから。
けれど、その足音は彼女の主人たる少女とは思えないほどに荒々しい。
それを怪訝に思いながら出迎えて、
「フェイト、おかえ――」
最後まで言わせてもらえなかった。言い終わるより先に、フェイトは自室へと飛び込み、鍵までかけてしまった。
半端に口を開いた間抜けな格好で立ち尽くす。
が、いつまでもそうしているのもなんなので、フェイトの部屋の前まで行き、ドア越しに呼びかけてみる。
(フェイト、どうしたのさ? ……フェイト?)
……念話には応答なし。精神リンクも切られていてなにがあったのかさっぱり掴めない。
今フェイトは管理局入局の研修待ちで嘱託の仕事もなく、普通の女の子としての生活を堪能しているはずだ。なのにこの状況はなんだろう? いったいなにがあったのだろうか。
しかし、いくら考えようと求めようと、答えなど分かるはずもない。
そのままなにをすることもできず、アルフは立ち尽くすしかなかった。
それから五分か十分か、どれくらい時間が経ったのか、アルフの耳に、ガチャリ、とふたたび玄関の開かれる音が届く。振り向けばそこには息を切らせたなのはがいた。
「なのは……」
その声は自分のものとは思えないくらい弱々しい響きだった。主の悲哀が影響しているのか、それともただ主に無視されて寂しいだけなのか、自分でも分からないけど。
しかしなのははそれをどう受け取ったのか、アルフへと視線を定めて、
「アルフさん、フェイトちゃんは?」
「え? ああ、帰ってくるなり部屋に籠もってるんだけど……なにがあったんだい? フェイトは念話にも応えてくれないし……」
いまだ閉ざされたままのドアを見詰める。
隣に来たなのはも呼びかける。
「フェイトちゃん、なのはだよ。ちょっと開けてくれないかな?」
やはり返事はない。
「で、なにがあったんだい? どうも、ただ事じゃないみたいだけど」
「えっと、実は……――」
二分後、マンションのベランダからオレンジ色の光が飛び立った。
* * *
どこをどう帰ってきたのか思い出せない。
その有様で、後ろ手にドアの鍵を閉めるところまでが限界だった。
それ以上、一歩たりとも歩けずにフェイトはその場にへたり込む。
わけも分からず、視界が滲む。崩れるように俯き、その拍子で涙がこぼれ、それでようやく自分が泣いているのだと気づく。
「なんで……」
無意識にこぼれた言葉の答えは出ない。
あの青年に『ヒカリ』と呼ばれ、そしてそれを青年自身に否定されて――
それで、なんで涙を流しているのだろう。
なんでこうも胸が苦しいのだろう。
わたしは、フェイト・テスタロッサだ。『ヒカリ』じゃない。
そう否定してはみても、胸の内の奥の奥の奥、理性も理屈も届かない自分の中心がなにかを叫んでいる。それは聞き取れないけど、呪縛のようにフェイトの心を捕らえて目を逸らすことも耳を塞ぐことも許さないでいる。
なんでだろう。
分からない。
分からない。
分からない。
答えの出ない問いに、フェイトはただ翻弄されるしかなかった。
* * *
ようやく辿り着いた目的地の上空で、アルフは苦々しく眼下の『それ』を見る。
場所はなのはに聞いて分かっていた。
実際に歩いて知ってもいる。
だが、ここに着くまでにどれほどの時間を要しただろうか。
知っているはずのこの場所が、どこにあるのか思い出せなかったのだ。今見つけたのもただの偶然でしかない。
改めて、眼下にあるその場所に目をやる。
その場所を包んでいるのは、そうと知らなければ気づけない世界からの隔離。
ということは相手は魔導士だろうか。
だが、相手が何者であろうと、そんなことは関係ない。ただ一つ、この先にいるのは『敵』だ。それだけで十分だ。
闘争心を剥き出しに、その結界へと飛び込む。
その中心に、あの夜、一度だけ見た白髪の男がいた。
「アンタかい。フェイトを泣かせたのは」
抑えられない敵意を乗せて、問いを投げる。
男にとってアルフの来訪は突然だったはずだ。だがそれに驚く様子もなく、淡々と一言。
「誰だ? それ」
表情は両目を黒い布で覆っているので判らないが、その口調にはまったく悪びれる様子がない。
それが決め手だった。
その一言だけで、最後の歯止めになっていた理性は決壊した。
使い魔は主人と精神リンクによって繋がっている。
だからこそ、あのとき――フェイトがプレシアの口から自分の真実を知ったときに、どれほど大きな絶望に襲われたかも知っている。それは、自分がフェイトに同じことを言われたなら死んでしまうかもしれないほどに大きな絶望。
それでもフェイトは立ち上がった。
今度こそ、『本当の自分』を始めるために。
だから、いっぱい笑ってほしいと思った。
いっぱい幸せになってほしいと願った。
なのに――
「アンタって奴はーーー!!」
加減など一切放棄した拳が打ち出された。
* * *
ようやく心が落ち着いて冷静に考えられるようになった頃、時計はすでに八時を回っていた。
闇に包まれ、窓の外のかすかな明かりだけが照らす中で、フェイトは一度深呼吸して顔を上げる。
彼にとって自分はほとんど初対面も同然なのだ。それが、寝ぼけて他の誰かと間違えただけ。その間違えた『ヒカリ』という人と自分がどれだけ似ているか、それは分からないがただそれだけのことだ。
冷静に考えれば、答えは簡単に出せた。それはよくあることで、自分を納得させるには十分なはずなのに――
だけど、そう答えを出してみても、それは間違いだというように胸の内の違和感は消えてくれなかった。
それに、彼の言葉にそれだけではないなにかを感じた。それはまるで――
いや。やめよう。これ以上考えてもきっと答えは出ない。きっと頭の中がぐちゃぐちゃになって立ち止まってしまうだけ。
それに今は他にやることもある。
リビングの明かりは点いている。きっとアルフがお腹を空かせて待っているだろう。
「アルフごめんね、すぐ晩ご飯の用意……」
謝りながらリビングのドアを開けるものの、そこにアルフはいなかった。
その代わりに、なのはがいた。
「あ……、フェイトちゃん……」
「なのは……。どうしたの、こんな時間に? それに、アルフは?」
リビングを見渡してみるが、アルフの姿はない。
どこに行ったのだろうと、怪訝に思っていると、なのはが教えてくれた。
「フェイトちゃん、落ち着いて聞いてね。アルフさんは――」
その内容を聞いて、フェイトは息を呑んだ。
* * *
もう何発目になるかも分からない拳が空を切った。
怪我をしようと構わない――というか、殺してしまっても構わない、というくらいの気迫で始終攻め立てている。
なのに、当たらない。
最初は二メートルほどの距離から始まったそれは、今はもう前髪に触れそうなほどに近づいている。
それほどの至近距離まで近づけるのに、そこから白髪の男は消え、ぜんぜん違う場所に現れる。
それを何度繰り返しただろうか。
その果てに、白髪の男はあろうことか、
「さて。もう慣らしは十分か」
などと口にした。
つまり、今までのはこの男にとって『戦い』ですらなく、『試し』でしかなかった。
見下された。その事実がさらにアルフの感情を逆なでする。
それに気づいているのかいないのか、男はさらに告げる。
「さて、一度だけ忠告しておこう。今ならまだ、特別に見逃してやってもいい。だが、まだ続けるというのなら――」腰の後ろへと手を伸ばして、「そのときは、決死の覚悟を抱いてこい」
その言いようにすら怒りが募る。
答えなど、考えるまでもなかった。
* * *
見慣れた夜の街の上空を飛翔する。
だが、今のフェイトにはそれを眺めている余裕などなかった。
あるのはただ、一分でも一秒でも早く行かなければという焦燥。
あの後なのはから聞いたのは、アルフに自分とあの青年が会ったときのことを話してしまったということ。そしてそれを聞いたアルフが飛び出していったということ。
どこへ行ったのか、考えるまでもない。現に、今まさにアルフのものらしい魔力の波動を感じる。すでに状況は始まっている。
もっと早く教えてくれるか、そもそもアルフが飛び出るのを止めてくれていれば、こんなことにはなっていないのだが……それは済んだことだ。なのはを責めても仕方がない。
そのなのはは、今フェイトの隣にいない。
それは仕方のないことだ。レイジングハートを持っていないなのはでは、フェイトの速度に追いつけない。
なのは自身もそれを理解していたようで、説明を終えた後で家に電話して迎えを呼んでいた。最近は夜道は危ないのだが、それなら心配ないだろう。
むしろ、問題はこっちの方だ。
ようやく目的地を視界に収めて、目まぐるしく二人を探す。光源は月だけだが、あれほど目立つ二人だ。さらに一人は魔力光ですぐに分かる。
……いた。
夕方に神雷と会った森の中、二人は十メートルほどの距離を空けて対峙している。
それも次の瞬間動く。アルフが容赦なく攻めに出た。暴悪なまでの魔力が右拳に集中している。
あんなものを受けたら……
最悪のイメージがフェイトの脳裏を駆ける。
それはいけない。なぜそう思うのか分からないが――いや、そんなことは人として当たり前か。なんにせよ、やるべきことは一つ。
止めないと。
右手に持つ閃光の戦斧は、その思いに応えてくれた。
《Blitz Rush》
加速。
それでも、限界速度で飛行しても、タイミングはギリギリ。
そんな状況にありながら次の行動に迷いはなかった。というか、それが当然とばかりに動いていた。
「アルフ、ダメ!」
《Defenser plus》
咄嗟に間に割り込み、防壁を展開。
だが、そんなもの大して役に立たなかった。フェイトの生み出した金色の盾は一瞬だけアルフの拳を止めて、あっさりと砕けた。そのまま拳は止まらず迫ってくる。
息を呑む。一瞬後の展開――さっき浮かんだ最悪のイメージが、少し像を変えてフェイトの脳裏を駆ける。それにはアルフも気づいたようで、その顔が驚愕に染まる。
間に合わない。もはやフェイトの反応速度でも、どうにもできない。フェイトはその瞬間から逃避するためだけに目を閉じ――
バチィッ! と、自分のものではない肉を打つ音が響いた。
「……アンタ」
アルフの戸惑う声が耳に届く。その意味するところが分からず、恐る恐る目を開く。
後ろから抱くように回された腕が両手を重ねて、アルフの拳を受け止めていた。
戸惑うように、躊躇うように、ゆっくりとアルフの手が引かれる。
それから神雷の両手もゆっくりと解かれた。
おそらく、直接アルフの拳を受け止めた右の掌は、ぐちゃぐちゃに潰れていた。
その有様に息を呑み、言いようのない罪悪感が胸を締める。
「あ……ご、ごめんなさい。こんな……」
「いや、いい」
本当に大したことではないように言って両側から回していた腕を戻した。
「しかし……」彼は大きくため息を吐いて、「よくもまぁ、これだけやったものだな」
なんのことだろうと、首を傾げる。
が、すぐに気づいた。周囲を見回してみれば、辺り一面はなぎ倒された木と抉れた地面で、夕方にここを通ったときの面影はまったく残っていない。これを自分の使い魔がやったというのだから、怒るべきか恥ずかしがるべきか判断に困る。その当人はいまだ冷めぬ敵意で彼を見ているけど。
そしてその敵意の先にいる青年は、まぁいい、と自分に向けるように呟いて、
「お前等もさっさと去ね。すでに『異界』は消失しているから、じきに人に気づかれる」
そんなことを言ってどこかへと立ち去ろうとする。
そこへアルフが慌てたように、
「ちょ……ちょっと待ちなよ! まだあたしの用は――」
神雷が振り返り、それと同時に、ゴウッとなにかが吹き抜けたような感覚。
「まだ理解できないか? 力の差というものを」
心臓を直接握られるような、息苦しい圧迫感。それが殺気によるものだとすぐには気づけなかった。自分の知るそれとは桁でレベルの違うものだから。
ドサっとなにかが落ちる音がした。振り返ればアルフが尻餅をついていて、その目は逸らしたら死ぬと言わんばかりに見開いて凝視している。
「本来ならお前のような身の程知らずは最初に腕を一本落としている。ここが『開かれた霊穴』でなければとうに肉の塊だ」一言ずつ言い聞かせるように、「で、どうする? 続けるか?」
ブンブンと、アルフは激しく首を横に振って否定した。
当然だ。続けるなら殺す……いや、死んだ方がマシなほど痛めつけると言葉の裏に込められて、しかも嘘でない証明のようにあれだけの殺気を向けられて、それで誰が続けるなどと言うのか。
それを確認したのか、彼のため息と同時に圧迫感が消える。
「それなら、さっさと消えろ。これ以上、ガキの癇癪に付き合ってやるつもりはない」
そう言い捨てて、今度こそ去ろうとする。アルフももう、止めようという気はないらしい。
しかし、フェイトはそうはいかなかった。
「あ……どこか行くあてがあるんですか?」
神雷の足が止まる。それから気落ちしたようにため息を吐いて、
「……あるわけがないだろう。たった今、壊されたばかりだというのに……」
それはここが彼の拠点だったということか。そしてそれを今、アルフが壊してしまったと。
そしてそれを理解すると同時に、自分でも思いがけない言葉が出た。
「あの、よければうちに泊まっていきませんか?」
1月17日 (火) AM 11:58
あの後がまた大変だった。不平不満を漏らすアルフをなんとか宥めて説得して、どうでもいいと言って去ろうとする神雷を捕まえて説得して、そうしてなんとかマンションに泊まってもらった。(とは言っても、彼が寝たのは屋上だったけど)
それでも、マンションに帰る道中に少し話して、いくつか聞くことはできた。
なにか大切なものを探す途中でこの街に立ち寄ったこと。
高町家に立ち寄ったのは、たまたま不破士郎――なのはのお父さんの残留思念を感じたからということ。
この一週間は傷の治癒に専念していたため、ようやく活動を再開すること。
言われてようやく気づいたのは我ながら間抜けだが、確かに、あの夜に千切れ飛んだ両腕と穴の開いた胸と刺された喉は治っていた。残る両目はちょっと特殊で、治すのに時間がかかるとかなんとか(夕方はあった右目をいつケガしたかは教えてくれなかった)。
そして、マンションに着く頃にはアルフに潰されたはずの彼の右手は元に戻っていた。どうしてと訊けば、そういう体質だと彼は答えた。
でも聞くことができたのはそれだけ。
それ以上のことを聞こうとすると、彼は目いっぱいの拒絶を込めた声で、
――知って、どうする?
と、それだけ答えるのだ。
そして、それだけの言葉に恐怖……らしきものを覚えた自分に戸惑った。なにより、その恐怖の向く先が暴力とか暴悪ではない、喪失に対するものであることが不思議だった。
それもおかしな話だ。彼と会ったのは一週間前で、昨日はまだ二度目、三度目の出会いでしかない。
そんな人がいなくなることに、なぜそんな恐怖を感じなければいけないのか。
でも――
そう考えて振り払おうとする度に、それを押し止めるように一つの事柄が浮かんでくる。
それは彼があのとき自分を見て口にした『ヒカリ』という名の人物について。
寝ぼけて見間違えたにしても、それはそれだけ彼がその人を求めているということの裏返しだろう。しかも、あの声の響きからして、それはきっと彼の――
「ここにいたか」
背後から声。それと一緒に頭の上にトン、となにかが乗せられた。
思考を中断されて驚いて振り返ると、まず目に入ったものはさっき頭に乗せられた物らしき黄色い布に包まれたなにか。そしてその向こう、手すりの上に神雷が屈みこんでいる。
「忘れ物だ」
そう言って右手に持っている包みを軽く振る。それは確かに、今朝自分で作った弁当だった。咄嗟に手を添えると、それが分かっているように手放され、自分の手の中にしっかりと収まる。
「あ、……ありがとうございます」
突然な上に予想外のことで動揺しているもののなんとか礼を言い、そこで彼の顔を見上げてようやく気づいた。
両目を黒地に朱い一つ目の刺繍をされた布で覆っている。
フェイトは知らないことだが、それはまるで旧時代の祈祷師のようなイメージ。その意味するところはやはり――
それ以上の思考は親友の疑惑と動揺に満ちた質問で遮られた。
「あの、ひょっとしてあなたも、その……魔法使い、なんですか?」
なのはが、やけに歯切れの悪い調子で尋ねる。
けれど、問われた当人は呆れたように、
「魔法ってお前、どこのお伽噺……」そこでなにかに気づいたように言葉を切って、「……ひょっとして、お前が不破士郎の言っていた『異世界の魔法使い』か?」
意外そうに、神雷はなのはの方を見て呟いた。
「あ、いえ。それはたぶん、わたしじゃなくて……」
なのはの視線がこっちを向く。それを感じたのか、神雷の顔もこっちを向いた。
「お前が、そうか?」
「……はい」
「昨夜空から降りてきたのがそうか?」
「え……? そうですけど……」
少し疑問を覚える。
空から降りてきたと知っていながら、なぜそれが魔法と結びつかないのだろう。
けど彼はそれ以上追及することはなく、
「しかし俺が魔法使い、か……」一度ため息を吐いてから空を見上げるようにして、「どこが異世界で、なにが魔法か。その定義にもよるが……そう言えなくもないか」
やけに意味深な独り言を残し、神雷は考え込むように口を閉ざした。拒絶、というほどあからさまではない、しかし近寄りがたい雰囲気を纏ってなにかを考えている。
そこへ声をかける者がいた。
すずかだ。
「あなたが、神雷さん……ですか?」
「ん? そうだが」
怪訝そうにすずかを振り返る。フェイトとなのはも、最も関係の薄そうな友人の発言を怪訝に思い視線が集まる。
「なんで昨日、アリサちゃんにあんな……」
「アリサ?」呟いてからああとなにかに納得した様子で「昨日の娘か」
その態度になにを思ったのか、すずかは憤懣やるかたないといった勢いでまくし立てる。
「アリサちゃん、昨日のショックで寝込んじゃったんですよ? なのにそんな――」
「そうか……。やりすぎたか」
「やりすぎってそんな簡単に――」
「あのときの『異界』の汚染を差し引いても、あの娘は危うい。だから、覚悟のないまま人を傷つけるということがどういうことか教えてやったつもりだが……」
「だからって、あんなこと――!」
「人は簡単に人を殺せる」
端的に言ったその言葉は重く、三人を黙らせるには十分だった。
でも、それは事実だ。交通事故のようにその気がなくても人が死ぬことはあるし、人殺しをしてみたかったからなんて理由で殺す人だっている。
「あのままならいずれ、一時の感情で最悪の答えを出す可能性もある。なら今のうちに、傷をつけて防ぐのも一つの手だと思ったが」
そう言い聞かせられてすずかは黙った。
でも、理解はするけど納得はできない。そういう顔をしている。
というかそもそも、二人がなんのことを話しているのかが分からないんですけど……。
「まぁ、許せとも恨むなとも言わないし、憎んでくれて結構。最初からそのつもりで、俺も手を出したしな」
真剣にそう告げる。それが彼なりの覚悟の形ということか。
やがてすずかがぽつりと、
「本当に……」信じられないというように、「本当に、あなたが神無さんの探している神雷さん、ですか?」
『神無……?』
すずかを除く、全員の声が唱和した。聞きなれない名前に、フェイトだけでなくなのはも首を傾げる。
だが、神雷の反応は別のものだった。まるで、信じ難いと言わんばかりの様子で、
「……この街に、来てるのか?」
「はい。一昨日からわたしの家に泊まってます」
その返答に一瞬呆気に取られたようだが、すぐになにが面白いのか、くつくつと笑うように口元を歪め、
「さすがは『開かれた霊穴』。妖狐に『神咲』、魔法使いだけでなく、『呪い憑き』まで三人も集めるか……」
なんだか分からないことを呟く。
その意味を問うより先に、すずかがまた口を開いた。
「でも、本当に、あなたが神雷さんなんですか? だって、わたしが神無さんに聞いた神雷さんは、この世で一番強くて、いつだって物事の本質を見ていて、それでも根は優しい人だって――」
「そこに、目的のためなら手段は選ばず、犠牲は問わずとも足しておけ。実際、そのためにあいつを捨てた」
どこまでも冷血にそう告げる声は、疑いを抱く余地などない。昨日アルフが見逃してもらえたのも、ただの気まぐれでしかないと理解している。
そして神雷はさらに続ける。
「それに、なにを犠牲にしようとも、世界を滅ぼすことになろうとも、叶えたい願いがある。そのために俺は今ここにある。だから――」自嘲めいた笑みを浮かべて、「俺に『人間』であることを期待するな。そう神無にも伝えておけ」
……なにも、言えなくなった。
すずかやなのはも、圧倒されたようにただ彼を凝視するだけ。
その反応に満足したのか、彼はポンと自分の腿を叩き、
「さて、フェイト・テスタロッサといったか。おそらくお前は俺に聞きたいことがあるだろうが……」
「え?」
いきなり言われても困る。なにせ、訊きたいことならいくらでもある。
死者蘇生の魔法。
『ヒカリ』。
『開かれた霊穴』。
『異界』の意味。
久遠との契約。
この街での探し物。
世界を敵にまわすほどの願い。
そして『呪い憑き』と名乗る彼自身の異質性の正体。
それらを今、答えてくれるというのだろうか。
だが、違った。
「今はやめておけ。知れば今のままではいられなくなる。ここは半端な覚悟や興味で立ち入っていい領域ではない」
反論は許さないと、そう言わんばかりの口調でそう言って手すりの上で立ち上がり、
「それでも、もし本当に知りたいと思うなら、もう一度俺を見つけて問いただしてみせろ」
そう言って、笑った。それは今までに見たどこか歪んだ笑みではなく、少年のように無邪気な笑みで――
思わず、見とれてしまった。
そして止める間もなく、彼は背後の空間に向かって――
跳んだ。
助走なしでは――いや、助走があったとしても普通では跳べない距離を一足で跳び越え、
「え……?」
なにもない宙を蹴って、再び跳ぶ。
それを三回繰り返し、最後には校外の電柱の上に降り立つ。そしてそのまま道路へと降りて、姿を消した。
その余韻を目に焼き付けるように見詰めていると、袖を引かれた。
振り返ってみれば、なのはが神妙な顔で、
「フェイトちゃん、ちょっと場所変えよう?」
「え……? どうして?」
「だって……」
首を振って、周囲を促す。それでようやく気づいた。というか、なぜ今まで気づかなかったのか。
冬の屋上とはいえ、今日は天気がいい。フェイトたちのように屋上で昼食を食べている生徒たちもいる。
その全員が、例外なく、こちらを見ている。
これ以上ここにいたら、周りの全員から囲まれるのは目に見えている。
「あ、あはは……」
笑って誤魔化しながら、そそくさと屋上から逃げ出した。
結局のところ、それは無駄な努力だった。
それは昼休みの間に全校に広まり、教室に戻ってから転校初日のような質問攻めにあったのは言うまでもない。
長かった……。
アニメだと1クール分の13話を使ってようやく、全体の起承転結の『起』、さらにその中の『起』と『承』が終了しました。次回からの第2章では、『起』の中の『転』と『結』をやる予定です。
しかし、本当に気の長い物語になりそうです。
もとから第1章では、オリキャラたちの顔見せと既存キャラとの当初の関わり、そして今後のために謎と伏線をばら撒いておくのが目的ですが、むしろ引っ張りすぎて私自身中身を忘れかねないという事態に。
変な矛盾しないように気をつけないと。
・フェイト&アルフ視点
前話の後のフェイトの話です。
こういう入れ替わり立ち代りといったやり方をカットバックというんでしたっけ? こういうのは迫力や臨場感を出すためにやるんでしょうが……どうもうまくできてないような……。
まだまだ精進する必要がありますね。
・フェイト視点
当初、この場面にはアリサも参加していたんです。
でも八割方出来たところで、普通にいるのもおかしいかと書き直し。あ〜〜疲れた。
あと、この場面の後半でここまでに撒いておいた謎を箇条書きに出してみましたが、どれくらい予想がついているでしょう?
次回は少し間が空くかもしれません。
続きを書きながらここまでの修正もするつもりですので。
色々と謎の単語が飛び交う。
美姫 「それらはまだ説明されないけれど」
何やらあるのは間違いなし。
美姫 「うーん、これらの謎はいつ明らかになるのかしらね」
次回以降も待っています。
美姫 「待ってますね」
ではでは。