突然、なんの前触れもなしにリビングに飛び込んできた士郎に、全員の視線が集中した。
十年も前に死んだはずの人間。それが今、目の前にいる。
そのことに恭也だけでなく、桃子と美由希も驚きのあまりに硬直している。まぁ、そのことを実感できない他の面々は突然の闖入者に呆気に取られているといった感じだが。
そして当の士郎自身は、いったいなにに注意を払っているのかこちらに気づいていない。だがやがて――
「あ、すいません。突ぜ――」
おそらく、飛び込んできたことに対して謝罪しようとしたのだろう。だがその言葉は最後まで紡がれることはなく、振り向いた瞬間に目にした一人に視線が止まり、その目が見開かれた。
「桃子……?」
なにかに戸惑うような響き。そして視線がゆっくりと横に動き、恭也の場所で止まって、
「……もしかして、恭也か? 大きくなったな……」
ぎこちない笑みでようやく、それだけを言った。
「本当に父さん……ですか?」
士郎を知る者は信じられず、士郎を知らない者はついていけず、微妙な空気が漂う。
そこへ――
「再会の挨拶はそのくらいにしておけ」
闇から響く声が、その場の空気を一変させた。
第2話 「招かれざる者たち」
「和んでるところ悪いがな、こっちの話がまだ途中だ」
そう言いながら続いて入ってきた人物に全員の視線が集中する。
そして全員が絶句した。その人物の姿はあまりに異様だったから。
無垢な新雪のような純白の髪。
血で染めたような真紅の羽織。
そして満月のような黄金の瞳。
その姿はまるで、幻想の中から汲み取られたように神秘めいてさえ見える。
その青年は視線が自分に集中していることなどまるで気にせず、士郎の突入(?)で割れたガラスの破片を踏みしめて歩く。
「まぁ、これで納得できたろう? お前は十年前に死んでいると」
そう言われ、痛みに耐えるような顔で士郎はもう一度こちらを見て、
「ああ、こんなものを見せられたらいやでも納得するしかないな」
と、そんな事を言った。
「ならいい。場所を変えるぞ」
それだけ言い、倒れたままの士郎の足を掴んで入ってきた窓から出て行こうとする。
そしてその先にあるのは当然――
「ってちょっと待て。そこは危ないだろ」
ずるずると引きずられていく先はガラスの破片が撒き散らされた地帯。当然、このままいけばとんでもないことになる。だというのに白髪の青年は、
「気にするな。俺は痛くない」
ものすごい理屈を当然のように吐いて、そのまま士郎を引きずって歩く。
「あ、ちょっと……」
状況はよく分からないが、やはりここは止めたほうがいいのだろう。ようやく再起動した思考がそれだけの答えを出し動こうとする。
が、それより先に青年に飛びつく影があった。
「じんらい!」
人間形態(小)に変化した久遠だった。
それはもう、勢いよく飛びつく。普段の人見知りの激しさはどこへ行ったと疑問に思うくらいの勢いのよさ。
しかし、それは空振りに終わった。
飛びつこうとした久遠を一瞥した青年が、なんの予備動作もなしに消えた。
「!?」
久遠の顔が驚き――というより、理解不能という風に凍りつく。
スカッと本来青年にしがみつくはずだった両腕が空を切り、飛びついた身体は勢いをそのままに青年がいたはずの空間を――
ガシィッ!
「くぅ!?」
通り過ぎる前に、後ろから首を掴んで止められた。
そのまま、重力に従って久遠の足が床に着く。その間も後も、首は掴まれたままでいる。
「う〜〜……」
不満げに呻く。首を掴まれたままなので振り返れないのが不満なのかもしれない。
だが他の全員――士郎さえもが、今目の前で起きたことが信じられず絶句していた。
「……恭ちゃん。今の、ひょっとして神速?」
「ああ……、たぶん」
信じられないというような美由希の呟きに、恭也も似たような内心で答える。確かに、そうとしか思えないほど今の動きは速かった。
しかし、ああも無造作に、あっさりと決める技法ではないだろう。
御神の剣士があの境地に辿り着くのにどれほどの苦労をすると思っているのか。実際、恭也は右膝への負担から多用はできないし、美由希もまだ自分の意思で自在に使えるほどには至っていない。
そんな周りの状況を無視して、久遠の首を押さえたまま、威圧するような声音で青年が問いかける。
「小娘、なんの――」
つもりだ、と続けようとしていたのだろう。
だが、久遠を見た瞬間、青年の目がかすかに見開かれた。首を掴んでいた手も緩めて、
「お前、『祟り』か? それにしては小さいが……」
さっきの威圧など欠片もない声で呟いた。
その科白に那美が息を呑む。久遠が人の姿に化けれることは高町家の全員がすでに知っているが、『祟り』のことまでを知っているのはこの場には那美と恭也だけだからだ。
それを一目見ただけで言い当てるこの人はいったい何者なのか。
だが当人たちはそんな疑問に気づく様子もない。
緩んだ首の拘束を振り払うように、久遠が勢いよく振り返って、
「『たたり』じゃない。くおん」
拗ねたように訂正する。青年の方は少しの間なにを言われたのか分からないようだったが、
「ああ、名前か。いい名前をもらった、と言ってやるべきか」
クシャッと前髪を撫でられながら、久遠は気持ちよさそうに目を細めている。
だからか、青年の目が剣呑な光を帯びたことに気づいていなかった。
「でも――」すっとさりげなく久遠の首の後ろに手をまわし、「俺はその言葉は嫌いだ」
バチッと電気が弾けた音。途端、久遠の体が膝から崩れ落ちる。
そのまま倒れそうになる小さな体を、途中で後ろ襟を掴み、ぐいっと自分の顔と同じ高さまで軽々と持ち上げた。
「俺は今、『御霊降し』の最中だ。お前が俺の『眷属』でなかったら命を吸われて死んでいたぞ」
まるで言い聞かせるように、久遠の目を覗き込むようにしながら告げる。
「く……くぅ?」
分からないと言うように、だらりと垂らした手足をかすかに痙攣させて鳴いた。
「まあ、いい。今夜は俺に近づくな」
言いたいだけ言って、テーブルの足にもたれさせるように座らせてから士郎を振り返り、
「立たないのか?」
士郎の足を掴んでいた手は、久遠の頭を撫でる際に放されている。
「いや。立つ、立つぞ!」
また引きずられてはかなわないと言わんばかりに、大急ぎで立ち上がった。
「そうか……」
なにか残念そうな青年の声。そんなに引きずりたかったのだろうか。そう言う間、右手は袖の中でなにかを探し漁っている。
「まあいい。さっさと出るぞ」
それだけ促して再び外へと歩き出そうとする。
「あ……、ちょっと待て!」それを士郎が呼び止め、「あー、なんだ。せっかくだし、話の続きはここでも……」
「別に構わんよ。そうしたらそこの何人かが死ぬだろうけど」
淡々と答えた。その言葉に脅迫などに見られる『自分の意見を通そうとする気迫』が感じられなくて、それが青年の言葉に信憑性を持たせている。
「……どういうことだ?」
士郎の目が細まる。答えによっては戦うことも辞さないとその気迫が物語っている。
「お前、自分の現状をちゃんと理解しているか?」
「それが何の関係――」
「お前の存在を安定させるためには、俺が土に触れていないといけない。でなければ他の怨霊にその体を乗っ取られて暴走する」トント
ンとフローリングの床を足踏みしながら「で、ここの地面は土か?」
そう問われて、士郎はもう抵抗の言葉を持たないようだ。さっきまで燃えるようだった気迫もあっさりと萎えてしまっている。
だが、その問答を傍から見ているだけの恭也たちはまったく理解できない。
士郎がなぜここにいるのかも、青年の立ち位置もさっぱり分からないため、下手に口を挟むこともできず、ただ成り行きを見守るだけ。
不意に青年の口が笑みを形作る。それは自嘲の笑み。
「俺は殺すことと壊すことでしか答えを出せない。そんな奴に『縁』を作った自分の不運を呪え」それからため息をひとつ吐きチラリと恭也たちの方を見て、「まぁ、後でお前の時間はやる。それが叶うよう、せいぜい俺の機嫌を損ねないようにすることだ」
そう一方的に言って、あとはもう士郎を見もせずに外に出て行こうとする。が、窓まで半分ほど歩いたところでその足が止まった。
「ああ。それと、忘れないうちに」
そう言うと同時、袖の中でなにかを漁っていた右手がいきなり飛び出して、桃子に向かってなにかを放り投げる。
札束だった。紙幣の束をふたつに折って輪ゴムで留めたもの。表面の一枚しか見えないけど、たぶん全部が一万円だろう。少なくとも、五十万はある。
「このガラスの修理費に必要な分だけ抜いとけ。残りは後で回収する」
それだけを言い残し、入ってきたときと同様、足元の割れたガラスを気にせず歩き今度こそ外へと出て行く。
「……ふぅ。まったく。相変わらずわがままな奴だ」苦笑して恭也たちのほうを振り返り、「まぁ、そういうわけだ。時間があれば、後で……な」
そう言って、士郎もまた、青年の後を追うように出て行った。
二人が出て行って、たっぷり三十秒ほど、誰もなにも言わず、沈黙が食卓を支配する。テレビのニュースの声がやけに場違いに聞こえる。
十分に時間が過ぎて混乱が静まってきた頃にようやく、アルフが一言。
「…………さっきの、なに?」
そんなこと訊かれても、誰も答えられない。なにより分からないのは――
「あの、こんなことを訊くのは失礼かもしれませんが、確か、なのはのお父さんは死んだんじゃ……」
そう。そこが今の状況を理解できない最大の理由だ。なぜなら士郎は――
そのを内心を代弁するように、桃子が答える。
「ええ、士郎さんはなのはが産まれる前に……」
それ以上は言いづらそうに言葉が途切れる。
そうだ、士郎は確かに死んだはずだ。
十年前、イギリスでアルバート・クリステラのボディーガードの最中に、フィアッセを守って――
忘れるはずがない。
あのとき、恭也と美由希に士郎の死を伝えた桃子の声を――
士郎の死を納得できず、帰りを待ち続けた美由希の顔を――
あんなにも自分を責めて、謝り続けたフィアッセの涙を――
そう。確かに、高町士郎は、もうこの世の人間ではない。
なのに、何故だろう?
なのに、何故――
思考はどこまでも答えを求めようとする。だが、考えて答えが出るはずもないということも分かっている。
矛盾。
それが人間の在り様と知りつつも、今ばかりはそれが疎ましく感じる。
そこへ――
「あの……」フェイトがおぞおずといった感じで「もしかして、この世界には死んだ人を生き返らせる魔法があるんですか?」
その言葉で、答えが出た気がした。
なにせ、本物の魔法使いが目の前にいるのだ。死者蘇生の魔法があってもなにもおかしくはない。
「那美さん、どうなんですか?」
美由希の問いで全員の視線が那美に集中する。こういうことに関しては、おそらく彼女が一番詳しいだろう。
だが、答えは期待を裏切るものだった。
「いえ。ない……はずです。少なくとも、わたしの知る限りでは」
後につけた言葉は、目の前の実例ゆえだろう。彼女自身その可能性を疑って、それでも肯定はできず、かといって否定もできない。だから『知る限りでは』なのだろう。
「そうですか……」
その答えに落胆しているのか、安堵しているのか、判別のつかない声でフェイトはなんとかそれだけ答えた。
「フェイトちゃん……」
そんな親友を痛ましげな目でなのはが見守る。
恭也たちは知らないが、フェイトにとって『死者蘇生の魔法』は特別な意味を持っている。
フェイトは、かつて大魔導士プレシア・テスタロッサの娘『アリシア・テスタロッサ』の蘇生体として作られた人造生命なのだから。
それは一つの事件から始まった。
新型の魔力駆動炉の設計と製造。その暴走事故により生まれた悲劇。
その悲劇により喪われた一人娘を取り戻すために莫大な資金と数々のノウハウを使い、作り出された新たな命。その生みの親――プレシアにアリシアとして求められた少女は目覚め、彼女の求めた死者蘇生は一応の成功を見せた――かに見えた。
だが、そうまでして取り戻したはずの親子の時間も、長くは続かなかった。
与えられたはずの記憶の歪み。利き腕の入れ替わり。そして正しく受け継がれた魔法の資質。
それらのさまざまなアリシアとの違いにより、プレシアの目には彼女は『アリシアではないなにか』にしか見えず、失敗作の烙印を押された。
その後彼女はプレシアにただ道具として扱われ、一切の愛情を与えられることなく育つ。彼女が与えられた『フェイト』という名前も、彼女を生み出した人造生命研究プロジェクト、『プロジェクトF.A.T.E』から付けられたずさんなものだった。
それでも、フェイトはただ母親に認められたいと、愛されたいと、それだけを求めて、そしてその道の最後にその母親自身から残酷な真実を突きつけられた。
それでも、真実を知ってなお、最後までプレシアに母であることを求めて、そして最後までその想いは拒絶されて――
その後、紆余曲折を経て今に至るフェイトだが、そんな彼女だからこそ、今目の前に現れた『死者蘇生の魔法』の可能性にどう対応していいか分からないのだろう。そしてそのことを知る何人かも今のフェイトにどう声をかけていいか分からないでいる。
そして雰囲気からそれを知らない面々も下手な発言はできないと悟り、ほんの数分前まで賑やかだった食卓は重い沈黙に包まれる。
「……とりあえず、説明は本人たちに頼もうか」
『心』で感じる限り、どうやら二人はまだ庭にいるらしい。確かに、そこは青年の要求した土のある場所という条件には合致してい
る。だが、会話の内容までは聞こえてこない。
「ちょっと見てくる。まだそこにいるようだし、なにをするつもりなのかまだ分かっていない」
「気をつけなさいよ。士郎さんがなにかするとは思わないけど……もう一人の人はなんか怖いわ」
「ああ。分かってる」
「あ、恭ちゃんわたしも」
「ああ……」
問題ないだろうと判断。普段はドジなところのある美由希だが、これでも御神流正当継承者。多少の危険も自分でなんとかできないようでは困る。
だが、次に名乗り出たのは予想の内か外か判別に困る人物。
「あの、わたしもいいですか?」
フェイトだった。内心でどんな葛藤が渦巻いているのか、すがるような目で恭也を見上げてくる。
「あ、じゃああたしも」
フェイトが行くならば、という感じでアルフも名乗り出る。
正直、止めるべきだと思う。彼女たちの力量も危険の程度もよく分かっていない状況だ。わざわざ火の粉の降りかかる場所に連れ出す必要はない。
だが、少女の瞳は恭也の言葉では止めれそうにないほど、必死な色を湛えていた。ここで下手に止めたりしたら泣かれそうな気がする。
「………………まぁ、いいでしょう」
やや長めの逡巡。そう答えるうちにも、内心は止めた方がいいと思う方に傾いている。それでも、なにかあったら自分がなんとかすればいいと思い直し、残った一同を見回して、他に出ようとする者がいないのを確認。それから二人が出ていった方へ進む。
「足元、気をつけろ」
割れたガラスはまだ残っている。先に掃除しておいた方がいいのかもしれないが、その間に話が終わっていても困る。
割れたガラスの間をくぐり抜けるのも危ないので、ガラスがほぼ全壊で意味を成さなくなった窓の隣の窓を開けて、庭へと一歩踏み出す。そこから数歩離れた場所、二人は庭の中心で向かい合って――とはいっても士郎の方は座り込んでいるが――なにかを話している。
「じゃあ最後の質問だ」
すでにそこまで話は進んでいたのか。そこまでいったいなにを話していたのか知らないが、二人の間に流れる空気は最悪に近い。
もしオーラというものが目に見えるなら、それはこれ以上ないほどに不機嫌を表していそうな、そんな雰囲気で白髪の青年は高町士郎に問いかけていた。
その問いは――
「生まれた子に、名は与えれたか?」
というものだった。
その生まれた子というのは、なのはのことだろうか?
だとしたら、答えは「否」だ。
士郎はなのはが生まれる前――まだ桃子の腹の中にいるときに死んだ。その子供に名前を与えれるはずがない。
だが彼の言葉はその想像をあっさり裏切る。
「年の頃からすると、さっきの『恭也』って奴がそうなんだろうが、実際どうだ?」
「え?」
その驚くべき発言に、恭也は半ば呆然とし、他の皆は青年の発言につられるように恭也を見る。そんな目を向けられても、自分もさっぱり分からないのだが。
そしてその問いに対する士郎の答えは――
「あー、いや。その……、なんだ。あー……」
やけにはっきりとしない返答。それでも、十分答えは分かった。
それは青年も察したようだ。それまで感情らしいものを持たなかった瞳が剣呑な光を帯びて細められる。
「お前って奴は……とことんひとの善意を無駄にしてくれる……」
その声の響きに含まれているのはおそらく、失望と怒り。そのまま、なにやら危ない気配を帯びたまま、右手が羽織の内側、腰の後ろにまわり――
いきなり、大きく仰け反った。
何事かと恭也たちはもちろん、士郎までもが驚いている。
突如として仰け反った青年は、上半身が限界まで弓なりに反らされ、すぐに体にバネでも仕込んでいるかのように勢いよく起き上がり、
そして上げられた顔は、左目に黒い矢が一本刺さっていた。
「っ痛ぁ〜〜」
ブチュ、と気味の悪い音を立てて矢を引き抜く。その矢の先端には血で真っ黒に濡れた、潰れた眼球。
だが彼は、それに対してなんの感慨も執着もなく、
「無刃か」
残った右目だけで遥か彼方――国守山の方角を見据え、呟いた。
つまり、そこに狙撃手がいるということだろうか。
が、とても信じられない。もしそれが本当ならば、相手は四キロ近い距離を弓矢で正確に射抜いたことになる。こんな長距離、ライフルでもそうできはしないというのに。
だがしかし、どうやら彼の関心はそんなところにはないようだ。
そして放たれる彼の叫びは、誰にとっても予想外のものだった。
「三回まで許してやる。油断も遠慮も容赦も躊躇も、なに一つ必要ない。あと二回で、お前の憎しみの全てで俺を殺してみせろ!」
白髪の青年は闇の彼方に向けて、高らかにそう言い放った。
どうやら本当に士郎らしいけれど。
美姫 「不意に現れた侵入者も謎だらけよね」
狙撃してきた者に関してもな。
美姫 「これから、一体どうなっていくのかしら」
うーん、本当にどうなるんだろう。
次回も待っています。
美姫 「待ってます」
ではでは。