1月9日 (月)   PM 7:24

 

 それはフワリと、まるで羽が舞うかのように軽やかに屋根に降り立った。

 

「ここ……か?」

 

 誰に訊くでもない呟き。

 それに答える者はなく、また、そんなものは必要としていない。

 

 空を見上げた。

 雲の様子からして雨や雪の心配はなさそうだが、一面の曇天が広がり、月も星も姿は見えない。

 だがそれは問題ない。この時間なら街の灯があれば十分に夜目は利く。

 

 次いで視線を下に落とす。

 その視線の先に『それ』は在る。

 おそらくこの家の誰も気づいていないであろうその存在。

 まさか、こんなことになっているとはこの二十年、思いもしなかった。

 

 懐から懐中時計を取り出し、時間を確認。

 

「さて、そろそろ……」

 

 それだけ呟き、それは始まった。

 

 

 

 

 

 

    序章   「始まりの夜」

 

      第1話  「日常」

 

 

 

 

 

 

  1月9日 (月)   PM 7:32

 

 冬休みももう最後の日。

 高町家の食卓ではいつものように一家団欒の食事が行われていた。

 

 今テーブルについているのは、恭也、桃子、美由希、なのは、晶、レン、那美、フェイト、クロノ、エイミィ。そして足元に動物形態で久遠とアルフ。総勢十人と二匹(?)の大所帯だ。

 晶とレン、二人が作った数々の料理を囲み、和やかに食事が進む。テレビのニュースは今日各地で執り行われた成人式の様子が流れていた。

 それを見て、レンが恭也へと問いかけた。

 

「お師匠、これ今日行ってきはったんですよね?」

「ああ」

「どうでした? 最近は荒れてやらなくなった所もあるっちゅう話ですし」

「いや、結構普通だったと思う」

「そうですか。いやぁでも、あんなふうにならんでよかったです」

 

 画面はちょうど、毎年恒例のようになった成人式後の騒ぎを映していた。

 そこへ、フェイトがなにかに気づいたように、

 

「あれ? 恭也さん、今年だったんですか? 忍さんは来年って言ってましたけど……」

 

 数日前の旅行のときに聞いた話だった。だから恭也も同じと思っていたのだけど、

 

「ああ、俺は一年留年してますから。だから忍とは一つ歳がずれてるんです」

「そうなのよ。この子ってば昔武者修行とか言って日本中旅して、一年休学しちゃってるのよ」

「へ? む、武者修行……ですか?」

「ええ。まぁ、俺も若かったですから」

(……若かったで済む話かい?)

「あ、あはは……」

 

 念話で聞こえたアルフの呟きやそれと同じ自分の内心を誤魔化すように笑った。

 

「あら? 晶、お味噌汁の味、変えた?」

「あ、それなのはちゃんが作ったんですよ」

「そうなの?」

「うん。結構自信あるんだけど、ひょっとして変だった?」

「ううん、十分美味しいわよ。これぐらい美味しかったら、飲んだ男の子はみんな虜にできるかもしれないわね」

「だって。どう? クロノくん」

 

 桃子の冗談とも取れる評価にエイミィが便乗する。

 

「……なんで僕に話を振る」

「またまた〜。とぼけちゃって」

 

 そんな微笑ましい会話の間にも、端っこの方では、

 

「うう……。なのはまでどんどん遠いところに……」

 

 もはや高町家で唯一料理のできない人間となってしまった美由希が激しく落ち込んでいた。

 彼女が最後に作った料理は半年ほど前、カレーなのに紫色で表面でボッコンボッコンと見た者すべてに溶岩を連想させる泡を立てるもので、それを一舐めした恭也が気絶するのを見て高町家一同は戦慄した。

 それ以後、あらゆる手段を使って美由希がキッチンに入るのは阻止されている。

 

 と、いつもならここでかかるはずの慰めの言葉が出てこない。どうしたのかと振り向いてみれば、那美がため息を一つ吐いていた。

 その様子を見てなのはが不安に思ったのか、

 

「那美さん、美味しくなかったですか?」

「あ、ううん。美味しいよ。でも――」もう一度ため息を吐いて「こんなにゆっくりしてていいのかなって思って……」

 

 どうにも落ち着かないというように不安を洩らす。それもそのはず、彼女はもう約十日後に海鳴大学の試験を控えており、実のところこんなにゆっくりしている余裕は本来ない。

 それでも今日高町家の食卓にいるのは、なのはの所に遊びにきた久遠を迎えに来たところを、気分転換にと桃子と美由希が誘ったからだった。

 

「大丈夫ですよ、那美さんならきっと合格できますって」

「そうでしょうか?」

「はい」と朗らかに、自信を持って頷く美由希。「だってあの恭ちゃんだって合格したくら『ゴスッ!』い゛! ……痛った〜〜。恭ちゃん、いきなりなにするの! しかも『徹』まで使って!」

「やかましい! 他の誰に言われようとも、お前に言われるのだけは許せん」

「なによ! 本当のことじゃない。フィアッセや忍さんどころか、わたしにまで教えてもらっといてギリギリだったくせに!」

 

 事実である。当初の恭也の成績では大学合格はかなり絶望的なものだった。

 そんなわけで試験の三ヶ月前になってようやく猛勉強を開始。講師には英語はフィアッセ、理数系は忍がいたのだが文系はこれといえる人物がいなかった。

 そこへ名乗り出たのが美由希だった。

 実際まだ一年だったのに文系に関してのみ十分な学力があり、この辺りは本の虫の面目躍如といったところだ。

 が、いったいどんな教え方をしていたのか、恭也が一週間でキレて美由希を病院送りにしたのは忘れられない出来事として高町家の皆の記憶に刻み込まれている。

 

 そしてその日、恭也を怒らせてはならないというのが高町家関係者の共通認識の一つとなった。

 だがそのあたりの事情を知らない異世界組を代表するようにクロノはポツリと、

 

「あの、恭也さんの成績ってそんなに悪かったんですか?」

「そうねぇ。赤星君の話だと授業中はいつも寝てたみたいだし……」

 

 それに高校の頃は常に赤点のラインを浮き沈みしていた。そんな訳もあって、恭也が大学へと進学できたことは、高町家三大不思議の一つとされているほどである。(ちなみに他には、美由希の料理や桃子の若作りがあったりする)

 

「そ、そうなんですか……」

 

 なんとなく、まだ言い争っている二人の会話からこれ以上の詮索はやめた方がよさそうだと判断した。

 

「あの〜〜、質問いいでしょうか?」

 

 エイミィが、なぜか挙手して発言する。

 

「さっき美由希ちゃんが、『フィアッセ』って言いましたけど、それって……」

「ああ、言ってなかったっけ。一年くらい前まで普通にウチで食事したり、翠屋で働いていたのよ」

「ほ、本当ですか?」

 

 ありありと驚きを浮かべるエイミィ。その横では声にこそ出していないもののフェイトも似たような顔をしている。

 

 今話題になっているフィアッセこと『光の歌姫』フィアッセ・クリステラは、もともと病気の治療のために海鳴に滞在していた経歴があり、さらにそのとき翠屋でチーフウエイトレスの肩書きを持っていたこともある。現在は母である『世紀の歌姫』ティオレ・クリステラの引退と隠居に伴ってイギリスに戻っており、来年度から正式に、クリステラソングスクールの校長に就任する予定である。

 

「あ〜もう、ついてないなぁ。あと一年ズレてたら直接会えてたかもしれないのに」

「……そんなに有名な人なのか?」

 

 何気ない、本当に何気ないクロノの一言で、賑やかだった食卓が一気に静かになった。

 

「クロノ……本当に知らないの……?」

「クロノくん大丈夫? ちゃんと生きてる?」

 

 容赦の欠片もないフェイトとエイミィからの言葉の攻撃。

 

 実のところ、クロノが知らなくても仕方がない。クロノがこの世界に居を構えたのは約一ヶ月前。それからも、闇の書の捜索や事件の後始末などでそういった娯楽に回す時間はかなり少なかったのだから。

 

 ちなみに、フェイトは休暇中になのはたちを通して、エイミィは美由希との個人的交友を通してフィアッセの歌は聞いている。だが、二人とも本人がここ高町家にいたことまでは聞いていなかったようだ。

 

 そこへ、さすがにこのままではかわいそうと思ったのか、美由希から援護の声がかかる。

 

「よかったら今夜帰る前にCD貸してあげようか?」

「あ、……はい。お願いします」

 

 周りの反応からそれ以外の返答はできそうもなかった。

 だがここで、桃子が今思い出したように、

 

「あ、でも、クロノ君たち、また明日からお仕事でしょう?」

 

 魔法のことや時空管理局のことについては、二週間ほど前になのはたち自身の口から聞かされていた。

 だが、いまさらそんなことで驚く高町家一同ではない。むしろ、その順応の早さにクロノたち異世界組の方が驚いていたりする。

 

「ええ、まあ」

「今回の休暇は長めだったからね〜。明日からまた忙しくなるんだろうね」

 

 クロノの返答をエイミィが補足するように言う。

 リンディや他のアースラスタッフは出航準備のためにすでに昨日から出勤している。クロノは執務官ということでむしろ現場の人間でエイミィはその補佐、さらに未成年ということも加味されて、明日の出航前に乗艦すればいいとリンディ自身から通達を受けている。そんなわけで、今夜の食事の誘いに乗ったのだが。

 

「でもすごいですよね。エイミィさん、わたしより年下なのに、もう働きに出てるし」

「いやぁ、そんな褒めるほどのもんじゃないよ。たまたま、そういう世界で生まれたってだけだし」

「いやそれでも、ほんますごいです。どっかのおサルとは大違いや」

「てめぇ、カメ! 誰のこと言ってやがる!」

「なんや分かっとるやないか、自分」

「んだと〜〜」

「二人とも、やめなさい!」

「「はい! いや、でもこいつが……」」

「言い訳しないの!」

「「はい……」」

 

 一度叱られておとなしくなるかに見えたが、それでも相手に責任を押し付けようと二人とも異口同音に弁解しようとする。それさえ再びなのはの一喝でおとなしくなる。これはもう条件反射の領域である。

 

 ちなみにこれは、魔法のことを知ったときの二人の感想。

 

「いや〜〜。師匠も人間捨ててるとは思ってたけど……」

「なのちゃんも負けてないというか……」

 

 こういうときは申し合わせたように同じ意見の出てくる二人である。向くのはだいたい正反対か同じ方向。こういうのも『波長の合う人間』と言えるのだろう。

 

 そんな光景を微笑ましく見ていた桃子が、

 

「あ、そうそう。クロノくん、一つ訊いていいかしら」

「なんでしょう?」

「なのはとフェイトちゃんも、明日から一緒に働くのかしら?」

 

 当然といえば当然のその疑問により少しだけ緊張が生まれる。それに対するクロノの返答は、

 

「いえ、なのははあくまで民間協力者ですし、フェイトは嘱託魔導士という立場になりますから、しばらくはよほどのことが無い限り、こちらで生活してもらって大丈夫です」

 

 と言うよりも、実際はそれが半ば以上強制であるのだが。レイジングハートとバルディッシュはメンテナンスという名目で取り上げられており、二人の手元にない。

 特になのはのレイジングハートは、『闇の書事件』のエクセリオンモードの起動のこともあり、より念入りにフレーム強化から調整までする予定でまだ少し時間がかかる。

 そんな状態の二人に管理局の仕事を任せることはまずありえない。

 

「でも、もうすぐその時空管理局に就職するんでしょう?」

「そうですね。今月中に手続きを済ませて、来月から速成コースで研修。その三ヵ月後には正式に入局、といった流れになると思います」

 

 これはかなり特殊なケースと言える。本来ならクロノやエイミィのように士官学校を卒業してから入局なのだが、なのはたちは『闇の書事件』の実績や能力の高さなどから特別に短期プログラムを組んでもらい、それが終わり次第入局できることになっている。

 そういった諸々の事情を説明してようやく、さっき生まれた緊張が解けた。

 

「じゃあ、もう少しの間は、普通の子供でいられるってことね」

 

 安堵したように、桃子。

 

「ええ。その後はいろいろと忙しくなると思うので、今のうちに自由を楽しませといてください」

「そうだな。小さいうちはたくさん遊んでおくべきだ」

「恭ちゃんがそんなこと言っても、なんか説得力ないよ……」

「なにを言うか馬鹿弟子」

「いやぁ、今のは美由希が正しいわ。あんた小さい頃から剣術一筋だし、今だって盆栽が趣味ってどこの若年寄りよ」

「なにを言う高町母。盆栽という高尚な趣味のどこが若年寄りだ」

「それでも、もうちょっと若者らしい趣味を持ったほうがいいと桃子さんは思うわけよ」

「……むう」

 

 呻く。それは事実上の敗北宣言に等しい。こういった論争で恭也が桃子に勝つことはめったにない。

 そして、それに便乗しようとする少女たち。

 

「あ、ほんならお師匠、ウチと一緒に拳法でもやりましょう。爺様から新しい型教えてもらったばかりなんで、その相手に――」

「バカ、いまさら師匠にそんなの必要ねー。それより師匠、今度俺と一緒に釣りに――」

「晶も無茶言わないで。今の時期釣りなんて寒いだけじゃない。それよりも園芸なら今からなら春の準備にちょうどいいし――」

「美由希さん、それだと盆栽とあまり違いがないです。それなら奉仕活動の方がもっと有意義です。たとえば、神社の掃除とか――」

 

 流れるように次から次へ、全員が『自分と恭也』の組み合わせを提案していく。

 そうやっていつものように恭也争奪戦が始まる。当の恭也本人はその鈍感ぶりを余すことなく発揮して、その意味にまったく気づいていないのだが。

 

 

 だが、そんな光景を見ていて恭也はそうとは分からないほどに小さく微笑む。

 変わらない日常こそ幸福の証と、そう言ったのは誰だっただろうか。

 至言だと思う。

 まだ数える程度とはいえ、大学に通いながらボディーガードの仕事も請け負っている恭也だからそう思うのかもしれない。何度も命がけの仕事をやり遂げて、それでも変わらず受け入れてくれる家族がいて、日常は通り過ぎていく。

 せめてこの場所は、平穏なままでいてほしいと願う。

 

 だが、事件はすでに始まっていたのだ。

 自分の知らないところで、自分にどうしようもない形で。

 

 

「くぅ?」

 

 それまで周囲の騒ぎも我関せずとばかりに黙々と食事をしていた久遠が突然動いた。まだ少し食事が残っているのにトテトテと窓の方に歩き出す。

 それに那美が気づいた。

 

「久遠、どうしたの?」

「くーちゃん?」

 

 久遠がなにやら落ち着きなさそうにしている。窓の近くまで行ったと思えばまた戻ってきたり、何かに迷うようにぐるぐると回ったり。とにかく行動に一貫性がない。

 すでに全員が不思議そうに久遠の様子を見ている。恭也も久遠の近づいた窓の方を見て――

 気づいた。

 

「庭に誰かいる」

 

 御神流『心』。

 今は香港特殊警防隊にいる美沙斗から教えられた御神の技術の一つ。恭也のそれはまだ完璧ではないものの、それでも確かに誰かが庭にいる気配を捉える。とりあえず確認してみようと席を立って、

 その瞬間、ガシャーーン!! と、けたたましい音を立ててガラスを割り、なにかが飛び込んできた。そのまま飛び込んできた窓の反対側の壁まで転がって、ようやく止まる。

 飛び込んできたのは人間だった。顔は見えないが、体格からして成人男性。スーツを着ているが、恭也にはその下にいくつもの隠し武器を仕込んでいるのが分かる。

 全身に緊張が奔る。いったいなんの目的でこんなことをするのか分からないが、それゆえに相手の出方も分からなくて油断はできない。

 やがてその人物は恭也たちに背を向けたままむくりと起き上がり、頭を振って呻いた。

 

「あ〜〜、っ痛〜〜……。なんだ、いきなり……」

 

 一瞬、それが誰の声か分からなかった。

 もう長い間聞いてない声というのもあるし、それ以前にもう聞くことはないはずの声なのだから。

 だが、それは気のせいでも間違いでもなかった。

 

「とう……さん……」

 

 呆然と口から漏れた言葉。それが聞こえたらしい何人かが驚いて恭也とその人物を交互に見る。

 

 突然窓を打ち破り飛び込んできた人物。

 それは間違いなく恭也の父、高町士郎だった。

 

 

 




 

 初作品です。

 初投稿です。

 構想(というか妄想)開始から約一年、執筆開始から早数ヶ月。ようやく、文章としてまとまりました。

 

 さて、第一話では舞台設定やとらハキャラたちの現状の暗示といった感じで進めています。本来なら冒頭で『注』の一文字とともに、五行くらいの説明で終わらせるところを一話まるまる使ってお届けしました。本当の物語は、次話から始まります。

 

 まぁ、私はかなり遅筆な上に文章も拙いですし、物語も大雑把にしか決めてない部分がほとんどなのですが、長い目でお付き合いください。




投稿ありがとうございます。
美姫 「話の流れからすると、とらハの流れみたいね」
だな。だとすれば、飛び込んできた人物は何者なのか。
美姫 「果たして、本当に士郎その人なのかしら」
気になる次回をお待ちしてます。
美姫 「待ってますね〜」



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