『賢者と獣と剣聖と』




少し後――肴にされた蓉子にとっては酷く長く感じられたが――外を見やった久音が腰を上げた。
「皆さん、宜しければ少し歩きませんか? そろそろ涼しくなってきたことですし」
 特に反対する理由もない為、承諾すると揃ってリビングを後にした。
 外に出ると、より一層緑の匂いが強く感じられる。
 日差しも既に和らいでおり、心地よいそよ風が肌を撫でる。
「ん〜〜っ」
 聖が思いっきり背伸びして深呼吸する。
 その気持ちは志摩子達にもわかった。
 何となく、そうしたい気分になるのだ。
 東京が嫌いと言う訳ではないが、緑に囲まれたここの空気は酷く澄んでおり、木々と僅かな土の香りが混じったそれは無意識に深呼吸して見たくなるし、建物が殆ど見当たらず、喧騒と言う言葉からかけ離れた静けさは、開放感から両手を広げて背を伸ばしたい気分になってくる。
「いいねぇ、静かで。空気も綺麗だし景色も綺麗だ」
 そう言ってくる聖に久音は「ありがとうございます」と返し、先導する様に歩き出した。
「こちらから、裏に回る事ができるんです。裏には庭やテラスもありますので、風に当たりたい時には良いですよ」
 そう言って柔らかく笑う久音に
「はい、それは気持ち良さそうですわ」
 志摩子もまた柔らかく笑って答える。
 そんな二人を眺めながら、乃梨子はそれにしても、と思う。
――お姉さまが綺麗なのはわかってたけど、こうしてみると、ねぇ・・。
 久音もそうだが、真白いワンピースに身を包み、柔らかに笑む志摩子は本当に綺麗だ。
 学園ではその容姿も手伝ってどこか儚げなイメージがついて回るのだが、今、こうして緑に囲まれて穏やかに歩く姿は正にお嬢様と言った感じを受ける。
 久音と並んで歩く様子は一枚の絵画の様にも見えた。
 聖や蓉子にしてもそれは同じらしく、
「カメラちゃんが居たらシャッター切ってるね、これは」
「確かにね」
 等と小声が話している。
 そうして少し歩くと、目の前が開け、手入れされた芝生が広がる庭と、それを一望できるテラスが目に入った。
「あ、あの人って・・」
 テラスに居た先客を見て、乃梨子が声を上げた。
 テラスの椅子に座り、煙草を燻らす男性。
 ブルージーンズに白いタンクトップ。
 一見怠惰に見えて、その裏に獰猛さを感じさせる顔立ち。
 そして、何より特徴的な鬣の如き、黄金の髪。
 その隣にいるのは黒髪黒瞳。
 黒いワイシャツに黒いスラックス。
 そこいらのモデル等歯牙にもかからぬ美貌の青年。
 と、気配に気付いたのか、青年達が視線を向けてきた。
 小さく会釈してくる黒髪の青年に、聖達もまた会釈を返すと、久音に続いてテラスへと向かう。
 蓉子が紹介するより速く、聖が口を開いた。
「また会ったわね。さっきはホントに助かったよ。ありがとう」
 と言って笑う聖に、黒髪の青年は「いえ。大した事はしてませんよ」と苦笑した。
「あら、知り合いなの?」
 驚いた様に言う蓉子に、聖はさっきね、と事情を話す。
 それを聞いた蓉子は「あぁ、それで・・」と納得すると、黒髪の青年を示す。
「こちら、誌昂冠での同期生で、高町恭也さん」
 それを受けて、黒髪の青年――恭也は軽く頭を下げる。
「高町恭也です。水野さんとは学部が違いますが、親しくさせていただいています」
 続いて、蓉子は金髪の青年を示した。
「こちらが、静花冬月さん」
 それに金髪の青年――冬月は咥えていた煙草を灰皿に押し付けて口を開く。
「静花(しずはな)冬月(とうげつ)だ」
 極シンプルな自己紹介に呆気にとられた聖達の隣で、蓉子は苦笑を浮かべ、恭也は呆れた様に嘆息した。
 そんな恭也が口を開くより速く――
「兄様、流石にそれはどうかと思いますよ。自己紹介位、きちんとなさって下さい」
 久音がそう言って嘆息する。
 久音の言葉に凍った様な聖、志摩子、乃梨子を置き去りに、話が進んでいく。
「あのな、兄様はやめろっつってんだろが。俺は志津原とは無関係だっつの」
 疲れた様に嘆息する冬月に、久音は不満そうに膨れてみせる。
「ですが、兄様は兄様ですし」
「いや、だからな・・」
 そんな兄妹のやり取りに、「ごめん」と言って聖が割り込んだ。
「あの、久音さん」
「はい?」
 キョトンとした表情を浮かべた久音に、聖は冬月を指差して続けた。
「兄様・・・って、お兄さん?」
 どこかぎこちない笑みを浮かべながら尋ねる聖。
 その後ろでは「お姉さま、人様を指差すのはどうかと・・」と志摩子が言っていたが、取り敢えず今はそれ所ではない。
 片や、絵に描いた様な深窓のご令嬢と言った久音と、片や言っては何だが不良じみた冬月。
 はっきり言って似ていないにも程がある。
 言外にそう言う聖に対して、久音は微笑んでハッキリと答える。
「はい。正真正銘、私の兄です」
 そう言って冬月の腕に抱きつく久音と、既に諦めたのか深々と嘆息する冬月。
 そんな二人を前にぎこちなく笑うしかない聖や志摩子、乃梨子。
 恭也と蓉子は慣れているのか苦笑するだけだ。
「そう言えば恭也さん、荒斗さんはどうしたの?」
 蓉子が尋ねると、恭也はあぁと言って庭の奥、芝生の中に一本だけ立つ木を指し示す。
「あそこだ。多分、寝てるんじゃないか?」
 それを聞いた蓉子は一瞬腕時計に視線を落とす。
「そう・・・。そろそろ時間も時間だし、起してくるわ」
 そう言って歩き出す蓉子を見送っていると、クスクスと言う笑い声が聞こえてきた。
 視線を移せば、蓉子の後姿を微笑ましそうに眺めている久音の姿。
「何と言うか・・・微笑ましいですね、蓉子さんも」
 その後を引き継ぐ様に、新たな煙草に火を点けた冬月が口を開く。
「・・・つーかよ、アレでバレてねぇってのが信じられんが」
「確かに。あそこまで好意を向けていれば、流石にな。最も、阿鷺先輩は本気で気付いていないようだが」
 そう言って苦笑する恭也を横目で見つつ、冬月が嘆息混じりに呟く。
「あの鈍感王の恭也がわかってるって事は、明白すぎるってこった」
 その言葉に苦笑する久音。
聞こえなかったらしく「何か言ったか?」と小首を傾げる恭也に、冬月は「いや、何も」と片手をヒラヒラと振ってみせた。

 
 緑の絨毯を一歩ずつ進んでいく。
 段々と目指す木が大きくなるにつれ、唯でさえ早まっていた鼓動がより速くなるのが蓉子には分かった。
――そりゃぁ、私だって、ねぇ・・・。
 面倒見の良い、落ち着いたしっかり者。
 それが他人から見た自分のイメージなのだと知っている。
 だが、他人からどう見られていようと、蓉子も18の少女であるし、幾ら冷静に見られていようと慌てもするし、緊張もする。
 特に、今向かっている先に居る人物に対しては、自分でも驚く程に感情が揺れるのだ。
 
出会いは偶然だった。
 予定していた講義が偶々休講になり、時間が空いてしまった蓉子は当てもなく大学内を散策していた。
 ただ待つには少々長いが、次の講義がある事を考えると大学を出るには短いと言う半端な時間。
 最初は学生ホールでお茶でも飲んで待とうかと思ったのだが、入学以来、その容姿故か男子学生から声をかけられる事も多いので却下する。
 別に妹の祥子の様に男性が苦手と言う訳ではないが、ああ言った場で声をかけてくるのは蓉子の容姿だけを見ているような――所謂軽い――男が多く、その姿同様の軽い調子の言葉には好い加減ウンザリとしてきている。
 かと言って友人と話そうにも、まだそれ程知り合いは多くないし、唯一の友人と言っても良い久音の姿はない。
 仕方ないか、そう思って一つ息を吐くと当てもなく歩き出した。
 とは言え、当然そこかしこに人はいる。
 となれば、その中には声をかけてくる男子学生も居ないわけではなく――自然、蓉子の足は人気のない方へと向かっていたのだ。
 そしてある校舎の裏についた。
 学生食堂や図書館などからもやや遠く、これと言った特徴のない芝生に覆われた土手が広がるだけのそこは人気がなく、単調な風景ながら静かだった。
 ここなら落ち着ける、そう思ったとき、土手の半ばから立ち上る極細い煙を見かけ、視線を移すと、そこに一人の男性が座っているのが見えた。
 男にしては長い黒髪。
 黒い上着にブラックジーンズを身につけた痩身の男性が、土手の芝生に腰を下ろし、フェンス越しの木々を眺めていた。
 煙は、と見れば、男性の口元から立ち上っており、そこでその煙の正体が煙草だと理解する。
――やれやれ、ここでも一人にはなれないか。
 そう思った蓉子が内心で溜め息を吐いた時、それが聞こえた訳でもないだろうが男性が肩越しに振り返った。
 それを見て、蓉子は一瞬身を硬くした。
 顔を隠すほどに伸びた長い前髪の間から覗く、その瞳の鋭さと冷たさに。
 が、それも一瞬、男性は何事もなかったかの様に視線を戻し、それで緊張の解けたよう子はホッと息を吐く。
 自分が一人になりたかった様に、この男性もそうだったのかもしれない。
 だとすれば、自分はそれを邪魔してしまったのだろう、そう思った蓉子はぎこちなく声をかける。
「ごめんなさい。お邪魔してしまったかしら」
 そんな蓉子の言葉に、帰ってきたのは素っ気無い言葉だった。
「構わん。気にするな」
 視線すら動かさぬままに発せられたその言葉は、酷く淡々として感情の感じられないものだったが、蓉子には不思議と嫌悪感はなかった。
 それ所か、どこか落ち着く様な感じを受けたのだ。
 それが軟派な男性達の軽薄な言葉にウンザリしていたからか、それとも別の理由があったのか、判然としないまま、蓉子は口を開いていた。
「よろしければ、ご一緒させて頂いてもよろしいですか? 校舎の方は人が多すぎて・・」
 我知らず口をついて出た言葉に内心驚きながらも、不思議と嫌ではない事を疑問に思う蓉子の耳に、先程同様冷めた声が答える。
「・・好きにしろ」
 そんな声に従う様に、蓉子は芝生の上に腰を下ろす。
 それが、出会いだった。
 特に何かを話した訳でもなく、助けられた訳でもない。
 ただ、静かな時間と単調な風景を極僅かな間共有しただけ。
 いや、そもそもあれを共有と言えるのだろうか。
 ただその風景の中に居た、と言うだけに過ぎない気がする。
 だが、その時間は蓉子にとっては不思議と心地よく、落ち着けたのだ。
 だから、と言う訳でもないのだろうが、蓉子はそれ以来時々その場に足を運ぶ様になった。
 その男性は蓉子がいつ行っても既にそこにいた。
 何度目だったろうか、不思議に思った蓉子がそれを尋ねたのは。
「いつもここにいらっしゃるけど・・講義の方はどうされたんです?」
 思えば、それが始まりだったのだ。
 それをきっかけとして、短いながらも言葉を交わす様になり――
 阿鷺(あさぎ)荒斗(こうと)と言う名前を知り、一年先輩だと知り――
 普通に言葉を交わす様になるまで、それ程かからなかった。
 と言っても、もっぱら話すのは蓉子で荒斗は短い相槌を打つ程度ではあったが。
 そんな日々が続いた時、ふとした拍子に――それがどんな話をしていた時かも定かではないが――目にした荒斗の表情。
 大きな変化ではなく、瞳の鋭さが和らぎ、口元が僅かに歪んだだけのそれは、笑みと言うには微かに過ぎて、気付かない程度の変化。
 だが、それが笑みなのだと気付いた瞬間に、蓉子は理解したのだ。
 自分は、この場所ではなく、この男性と居る時間に安らいでいたのだ、と。
 以前、一度学内で見かけた彼は、表情にも、声音にも感情が感じられず、その冷めた瞳そのままと言った他人を突き放すような鋭利で排他的な雰囲気を纏っていた。
 それが、この場では和らいでいる。
 自分が共に居る事を許されているのだ、そう思った瞬間に感じたのは喜びだった。
 そう、この瞬間――
 水野蓉子は、阿鷺荒斗と言う青年に恋をしたのだと知ったのだ。

 暫し、と言うにも短い時間を歩き、木に辿り着き、その裏に回る。
 組んだ両手を枕に、眠る男性が目に映り、蓉子の鼓動は一際早くなる。
 残念なのは日差し避けの為だろうか、開いた雑誌で顔が隠れている事だろう。
 普段硬質なイメージの感じられる顔立ちをした荒斗の、無防備な寝顔を見れなかった事を少し残念に思っていると、雑誌の下から声が響いた。
「・・・蓉子か?」
 雑誌越しにくぐもってはいるものの、やはり淡々とした感情の感じられない声音。
 その声音に我に返った蓉子の前で荒斗は雑誌をどけ、ゆっくりと身を起し、前髪越しに視線を向ける。
 そんな荒斗に蓉子は
「荒斗さん、そろそろ起きるにはいい時間よ」
 そう言って笑みを向けた。



聖たちと恭也たちの再会か。
美姫 「そして、蓉子の想い人は聖がまさかと思っていたその人と」
冬月が兄だと言う久音と、志津原は関係ないという冬月。
美姫 「どんな事情があるのかしらね」
さて、ここからどんな人間関係が築かれていくのか、ちょっと楽しみです。
美姫 「気になる次回はこの後すぐ!」



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