『賢者と獣と剣聖と』




「シヅハラ・・シヅハラ・・っと、ここだね」
 小さな表札に掘り込まれたローマ字と、その下のハウスナンバーが教わった物と一致する事を確認すると、聖は静々と車を乗り入れた。
 木陰にある駐車スペースは、敷地の面積に比べれば酷く狭い。
車三台を停めれば埋まってしまうだろうそのスペースに車を停めようとして、既に右端に一台停められているのに気付く。
別荘を持つような金持ちが乗るには味も素っ気もない車。
街中を歩けば何処でも見る様な量産車に、聖にはどこか既視感を憶えながら、反対の左端に車を停める。
「ん〜っ!」
 車を降りて背伸びする聖に、「お疲れ様でした、お姉さま」と志摩子が歩み寄る。
 そんな志摩子に、わざとらしく肩に手を置いて回しながら
「あ〜、肩こった。志摩子に後で揉んで貰おうかな」
 等とのたまう聖。
「えぇ、それ位でしたら、喜んで」
 志摩子がそう答えた時、芝生を踏む微かな足音と共に、溜め息が聞こえ、三人が向き直ると、呆れた様に額を押さえる前紅薔薇様――水野蓉子が立っていた。
「凝ってもいないくせに何を言ってるの。本当に変わってないのね、貴女」
 額を押さえて溜め息、と言うあまりに見慣れたその姿に、志摩子は苦笑し、聖はからかう様な笑みを浮かべる。
「あら、蓉子だって変わってないじゃない? 相変わらず溜め息吐いちゃって。それで服がリリアンの制服だったら時間が逆行したのかと思うわよ」
「聖、貴女ね・・誰が吐かせてると思ってるのよ」
「うぅ〜、蓉子が苛める〜・・って、残念。今日は抱きつく相手いないんだっけ」
 そう言ってカラカラと笑う聖に志摩子と蓉子が顔を見合わせて苦笑する。
「久しぶりね、志摩子」
「はい、お久しぶりです、蓉子様」
 互いに微笑んで再開の挨拶を交わすと、志摩子は隣に立つ乃梨子を示し、
「こちら、私の妹の・・」
 その後を引き継ぐ形で乃梨子は一歩進み、頭を下げる。
「志摩子様の妹になりました、二条乃梨子です。よろしくお願いします、蓉子様」
 そんな乃梨子に蓉子も微笑みながら挨拶を返す。
「私は祥子の姉で、去年紅薔薇様をしていた水野蓉子。宜しくね、乃梨子ちゃん」
 一通りの挨拶を終えると、車のトランクからそれぞれの荷物を取り出し、別荘へと足を向ける。
 一人手荷物のない蓉子が開けてくれたドアを礼を言いながら潜ると、一人の少女が立っていた。
 長く、艶やかな黒髪に、淑やかそうな顔立ち。
 小柄で華奢な体躯に白いブラウスと薄青のロングスカートを身につけたその姿は深窓の令嬢を思わせる。
 そんな少女は一礼をすると、微笑んで言葉を紡いだ。
「本日はお越し下さいましてありがとう御座います。私(わたくし)、志(し)津原(づはら)久音(ひさね)と申します。お見知り置き下さい」
 それを受けて、三人も口々に自己紹介を兼ねた挨拶を返す。
 とは言え、今時、時代錯誤なまでに丁寧な挨拶を受けて、疑問に思う事無く返礼できるあたり、流石はリリアンの学徒と言うべきではあろうが。
 が、差しあたって、この場に居る5人にはそれに対する違和感など無いらしい。
 和やかな表情を浮かべ、久音は正面にある階段を示す。
「正面に見える階段を上って、左側の部屋は空いていますから、好きな部屋をお使い下さい。蓉子さん、申し訳ありませんが、案内の方、お願いしてもよろしいかしら」
 蓉子が微笑んで頷くと、「お茶の準備をしておきますから、終わりましたら下へいらしてください」と告げて歩み去っていく。
 その後ろ姿を見送っていると、蓉子が「こっちよ」と言って歩き出す。
 それについて歩きながら、聖が感心とも驚きともつかない表情で口を開いた。
「いやぁ〜、何て言うか、居る所にはいるんだね〜。あの子、祥子とはまたタイプが違うけど、丸っきりお嬢様って感じじゃない?」
 その言葉に、自分達が知るお嬢様、小笠原財閥の一人娘である小笠原祥子を思い出す志摩子と乃梨子。
 と、何かに思い至ったのか、乃梨子がまさか、と言った表情で尋ねる。
「あの、蓉子様? もしかして、シヅハラと言うのは・・・」
 それに対して蓉子はあっさりと頷いた。
「そうよ。志津原財閥、宗家のご令嬢」
 あまりにあっさりとした肯定に、聖達は唖然とした表情を浮かべる。
 まぁ、無理もない。
 志津原財閥。
 医薬から不動産まで手広く手がける複合企業を取り仕切る巨大財閥。
 旧華族の血統を汲み、政界への繋がりも深い旧家。
 その総資産額は国家の年間予算を優に上回るとされる、小笠原と双璧をなす血筋の名門。
 無論、名門、旧家の常とも言うべきか、分家も多いがその場合、大抵が静原(しずはら)と言った名を名乗り、“志津”の字を頂くの特に宗家に近い、俗に三家と呼ばれる極一部だ。
 その宗家の令嬢ともなれば、一国の姫にも等しい。
「ちょ、ちょっと蓉子! どこでそんなお姫様とお知り合いになったのよ!?」
 慌てた様子の聖に、蓉子はやはりあっさりと返す。
「だから大学の友人だって言ったじゃない」
 そんな蓉子に、乃梨子が尋ねる。
「あの・・蓉子様はどこの大学に通っておられるのですか?」
 志津原のご令嬢ともなれば、リリアンの様なエスカレーター式の有名私学に通っていても不思議ではない、と言う意図から出た乃梨子の問いに、蓉子はクスリ、と笑って答えた。
「誌昂冠(しこうかん)大よ。そこの法学部」
 その答えに、初めて知った乃梨子はおろか、知っていた筈の志摩子や聖までもが唖然とした表情を浮かべた。
 誌昂冠大学。
 綾篠(あやしの)市に門を構える新興の大学だ。
 新興故、最新の設備は整っているが、その歴史は浅く、設立から10年と立っていない。
 元々はどこかの有名私大の分校として設立を予定されていたものの、その方針の違いから途中で完全に分化。一時は設立を危ぶまれたものの、特に目立った名所、旧跡を持たず、観光地としての収入の見込めなかった綾篠市のバックアップを受けて完成した大学だ。
 一種博打にも似た、赤字覚悟の市の援助によって有能な講師陣と最新の設備を整えた学舎、そしてやはり市のバックアップによる学生達の居住環境の整備などもあり、進学先としての人気は高い。
 が、多少偏差値は高くとも、歴史的側面を持たない為、言ってはなんだが、志津原の様な名門旧家の跡取りの進学先としては以外に過ぎた。
 得てして、名門、旧家と名のつく家柄は、何に対してであれ格式、と言ったものを求めがちである。
 それが学歴であれ、習い事であれ、古くから名の通るもの特有の“何か”を求める。
 例えば明治の設立以来、お嬢様学校として名高いリリアン女学園、と言った歴史的価値を学歴以外の付加価値として望むのが常だ。
 近年の卒業生の活躍から徐々に名が上がってきてこそいるものの、歴史と言う付加価値を持たない誌昂冠にあの“志津原”のご令嬢が通っている等と誰が思うだろうか。
 呆然とする三人に、蓉子はやっぱり、と言った表情を浮かべた。
「まぁね、私だって久音があの志津原の一人娘だって知った時は驚いたわよ。でも、実際にそうなんだから、納得するしかないでしょ?」
 そう言って、足を止めると並んだ3つのドアを指し示した。
「さぁ、こっちね。こちら側は開いているらしいから、好きな部屋を選んで」
 その言葉に聖達は一度顔を見合わせ、取り合えず奥から順に乃梨子、志摩子、聖の順番で決める事にする。
 どこか緊張したままそれぞれの部屋に入り、荷物を置くと階段に近い聖の部屋の近くに立っていた蓉子の元に集まる。
 そして改めて吹き抜けを挟んだ対岸を見てみれば、そこにもやはり同じ様に三つのドアが並び、少し視線を動かして階段の正面へと目をやれば、そこには二つのドア。
 聖達が自室として宛がわれた部屋の内装を見ても、充分以上に広く、ベッドの大きさも女性であれば3人程が並んで寝ても充分過ぎる大きさがあったのだが、除いてみたそれぞれの部屋の内装が同じである以上、あの広さの部屋が8つはある事になる。
 外から見て大きいとは思っていたが、流石は天下の志津原の別荘と言うべきか、色々とスケールが違うようだ。
 成る程、これなら三薔薇ファミリーが揃ってお邪魔しても何ら問題はあるまいと納得しつつ、三人揃ってちょっとしたカルチャーショックを受けながらも、先頭に立つ蓉子の後に続き1階に降りる。
 そのまま左側に位置するドアを開く蓉子に続く形でドアを潜り、聖と乃梨子は「はぁ〜」と吐息とも声とも着かぬ声を上げ、志摩子は目をパチクリと瞬かせた。
リビングに当たるだろうその部屋は、やはり広々としており、豪華すぎない落ち着いた風情ながらも、質の良い家具が並び、開け放たれた壁の一角を切り取った様な大きなガラス戸から柔らかく、心地よいそよ風が室内に吹き込んできている。
室内の中心に置かれた重厚なテーブルを中心に四方に置かれたソファー。
 目に鮮やかな緑を背に、黒髪の女性、志津原久音が柔らかな笑みを浮かべて座っていた。
「さ、お座りくださいな」
 指し示されるまま、久音の正面のソファーに聖達が腰を下ろし、その左側のソファーに蓉子が腰を下ろす。
「お茶の時間には少々早いですけど」
 そう言って久音が手ずからカップを配り、暖かな紅茶を注ぐ。
 途端に立ち上る緑の匂いに負けぬ馥郁たる香り。
 久音の柔らかな笑みに後押しされる様に口に含んだ白薔薇ファミリーの顔に知らず笑みが浮かんだ。
「とても美味しいです」
 久音にも負けぬ柔らかな笑みを刻みながら志摩子が言えば、久音が「よかった」と笑みを深めた。
 紅茶の香りには、人を落ち着ける作用があると言うが、それが確かだと証明する様に、白薔薇ファミリーの顔には先ほどまでの緊張はなくなり、穏やかな表情が浮かんでいた。



 暫し、穏やかな時間が過ぎた。
 紅茶と久音の手製らしい菓子を楽しみながら、他愛のない話を交わしていた時、何かを思い出したらしい聖が尋ねた。
「そう言えばさ、もう一台車停まってたけど・・・あれは?」
 その問いに、
「あぁ、あれは兄様達のですね」
 と微笑んだまま答える。
「より正確には、兄様の先輩のものですが」と続けた。
 その言葉に首を傾げる三人に、久音もまた首を傾げた。
「聞いておられませんでしたか? 今回はガード代わりも含めて、兄様とそのご友人、先輩の三人の男性に同伴して貰っているのですけど・・」
「いや、聞いてないんだけど」
 ねぇ、と聖、志摩子、乃梨子は顔を見合わせ、蓉子の方へと視線を向ける。
 その先では紅茶のカップを傾ける蓉子の姿。
「蓉子ぉ〜」
 ジト目で見やる聖に溜め息を吐くと、蓉子はカップを下ろした。
「あのね、私は言ったわよ? まぁ、志摩子と乃梨子ちゃんには私が直接話した訳じゃないけど・・少なくとも、聖。貴女には言ったわ」
「いつ?」
「最初に話を持ちかけた時よ。先方の都合で、三人ほど男性が一緒だけど、って確かに伝えた筈よ?」
 それを聞いて聖は「う〜ん」と腕を組んだ。
 そのまま数秒程考えるも、思い当たらないらしい聖に、蓉子は呆れた、と言う様な表情を浮かべる。
「大方、聞き流してたんでしょ?」
 そう言って「今にして思えば、最初の方は生返事だったものね」と息を吐く蓉子に、聖は頬を掻いてみせる。
「いやぁ、だってあのお堅い蓉子が男と一緒の外泊持ちかけるなんて思ってなかったし」
 それには志摩子も頷ける所だ。
 前薔薇様としての蓉子を知っている以上、そう言った――こう言っては何だが、間違いが起こるかも知れないイベントに参加するとは思えないし、まして友人や後輩を誘う等とは思いもしないのは確かだ。
 そうなると聖だけを責める訳にもいくまい。
 志摩子にしても、蓉子が誘うのなら、と納得していた部分もあるし、乃梨子にしてもその部分を改めて確認した訳でもないのだから。
 まぁ、それでも責任の大半は先行イメージから話を聞き流した聖にあるのは確かだろうが。
 そんな事を考える三人に、蓉子は微笑んで続けた。
「まぁ、心配要らないわよ。今回同行して貰った方達は、その辺の心配は要らないわ。全員、タイプは違うけど信用の置ける方よ。そうでなければ、私だって参加なんてしないし、聖や、可愛い後輩を誘うなんてしないもの」
 そう言って笑う蓉子に続く様に、久音が口を開いた。
「ご安心下さい。その様な方達だからこそ、私は同行をお願いしたのですし、蓉子さんをお誘いしたのですから。兄様もそうですが、後のお二方も信用して裏切られる事はないとお約束しますよ」
 そんな二人に、聖達が頷いた。
 初対面の久音はともかくとして、聖や志摩子は蓉子を信頼しているし、直接の面識のない乃梨子も、志摩子が信頼している人物の言葉であるなら安心できる。
 久音にしても、その言葉に裏がある様には見えない。
 なら、信じても良いだろうと納得した時、久音が少し悪戯っぽく笑みを浮かべて蓉子を見やった。
「まぁ、蓉子さんの場合、阿鷺先輩がお相手であれば違うのかも知れませんが」
 その言葉に、蓉子の顔が一気に赤く染まった。
「ちょ、ちょっと久音!? いきなり何を言うのよ!?」
 頬を赤く染め、慌てた様子で返す蓉子。
 そんな見た事もない蓉子の姿に志摩子は目を瞬き、聖はニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「あっれ〜。蓉子、もしかして気になるお相手が・・」
 そう言ってワザとらしく間を詰める聖に、蓉子は無意識ながら一歩引く。
 が、顔色を更に赤らめながらでは、意識していると言外に語っているに等しい。
 聖もそれをわかっており、そんな蓉子に笑みを深めた。
「はっはぁ・・・蓉子を射止める男性かぁ・・・。これは興味深いわね。ね、志摩子。どんな人だと思う?」
 そう言って楽しげに尋ねてくる姉に、どう言ったものかと困った様に笑う志摩子。
 実際、志摩子にしてみれば何と言って良いか分からないと言った所だろう。
 志摩子自身男性との関わりは少ないし、蓉子が興味を引かれるタイプと言うのもわからない。
 大ざっぱな想像でチャラチャラした軽薄な男や軟弱に過ぎる様なタイプではないだろうとわかるものの、なら、どんなタイプだろうと言う具体的な想像はでない。
 女子高であるリリアンに通っている以上、身近な男性など父を除けば教師位なものだし、それ以外で言うなら、学園祭等で関わるだろう花寺と言う姉妹校の生徒位。
 それにした所で、今年二年生の志摩子は、去年助っ人として訪れた柏木(かしわぎ)位しか知らないのだ。
 答えろという方が酷だろう。
 まして本日が蓉子との初対面である乃梨子に関しては何をかいわんや。
 蓉子の人柄も掴みきれていないのに、好みのタイプ等論外である。
 そんな現白薔薇姉妹に蓉子がホッと息を吐いた瞬間――
「そうですわね・・。一言で言うなら、クールな理論派、でしょうか」
 予期せぬ言葉が聞こえ、蓉子は危うく咽かける。
 カップを下ろして視線を向ければ、頬に指を当てた久音の姿。
 久音、と声をかけるより早く、久音の次なる言葉が続く。
「ご専攻以外の分野に関してもとても造詣が深くていらっしゃるし、かといって知識ばかりを詰め込んだ方に在りがちな頭だけと言うタイプでもないですわね。とても引き締まったお体をされておられましたし、兄様も戦って勝つ自信はないと仰ってましたね」
 その言葉に蓉子は慌てる。
 聖は一瞬、脳裏にここに来る途中で出会った男性の一人が浮かんだが、気のせいだろうと思い直す。
――そうだよね、幾らなんでも・・・。
 あり得ない。
 偶然に自分達のピンチに居合わせたあの男性と、同一人物などあろう筈がない。
 そんなもの――
――どんな偶然だっての。
 そう思って笑い、今は親友の思い人を知ろうと――それで楽しもうと、視線で久音に催促する。
 蓉子はそれを止めようとするものの、今の慌てた状態ではそれは叶うことはなく――
「後は・・・そうですね。これは兄様に聞いた事ですから、又聞きになってしまいますが、諦めると言う事を知らない方だとの事です。例え相手が何者であれ、我を貫く強さを持ち、その上で思い人を護り抜く強さを持つ方だと。ただ、普段の態度から冷たくて近づき辛いと思われがちだとか。本人もその傾向が強いらしく、他人を突き放す様なお方らしいのですが、一度認めた方は最後まで見捨てないとお聞きしていますね」
 楽しそうな聖と正直に答える久音を見て頭を抑えた。



からかわれると言うか、手玉に取られる蓉子という中々貴重な場面が。
美姫 「そっち方面は流石に弱いみたいね」
だな。しかし、聖の考えた事はもしかするかも?
美姫 「どうなるかしらね。次回以降の楽しみよね」
さてさて、どうなるかな。
美姫 「次回も待ってますね」
待っています。



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