『光陰の剣士』




 翌日、鳥の囀りで目を覚ました恭也は、窓の外がやや明るんでいる事に気付き苦笑する。
 時計を見なければ正確な時間は解らないが、恐らく美由希との早朝鍛錬をしていた頃の起床時間よりは遅いはずだ。
――・・・やれやれ。どうやら、久方ぶりの我が家で気が緩んだか。
 苦笑混じりに身を起そうとしたところで、右腕にかかる重みに気付き、再度苦笑。
 目をやれば、恭也の右腕を枕にして眠るレンとなのはの姿。
 なのはを包むようにしながら穏やかな寝息を立てるレンと、そんなレンと恭也に挟まれる形で幸せそうな寝顔を見せるなのはの様子に口元を緩めると、恭也は仕方ない、とばかりに再び目を閉じる。
 こう言った朝も、偶には良いだろう。
 気持ち良さそうに眠る二人を起すのも忍びないし、何より昨日の今日だ。
 失ったと思っていた温もりを取り戻し、その安堵と喜びを感じた事で張り詰めていたものが切れたのだろう。
 二人とも、本当に良く眠っている。
 ならば、それも良いだろう。
 常時戦場の構えを旨とする剣士としては恥ずべき事なのだろうが――
 恭也が居ない間、皆を支え続けたレンと、寂しさに潰されそうだったなのはに、一時の安らぎを与えてやれるのならば、こんな朝も悪くはない。
 そう思いながら、恭也は再び柔らかなまどろみに身を任せた。

「・・しょ、・・・すよ?」
 ぼんやりと聞こえる声ともに、肩を優しく揺すられ、恭也は再び意識を浮上させる。
 一端目覚めの兆しが訪れれば、そこは寝起きの良い恭也だ。
 即座に意識を覚醒させ、瞼を開く。
 その視界に移ったのは、優しげな笑みを浮かべた、緑の髪の少女。
「おはようございます、おししょ」
 にっこりと笑って言うレンに、恭也も微笑んで返す。
「おはよう、レン」
 ただそれだけの言葉に、レンは笑みを深めた。
 何の変哲もない、何気ない朝の挨拶を交わす事が出来る。
 それが、何物にも代えがたい幸福であると知っているから――
 ようやく手に入れる事ができたその幸せを噛み締める様に、笑う。
 恭也もまた、それは同じ。
 長い別離の果てに得たこの時が、どれ程得難い幸せか知っているから――
 幸せそうに笑うレンに、笑みを返す。
「お師匠、朝ごはん、出来てますから」
「解った。すぐに行くよ」
 恐らく調理を終えてすぐに来たのだろう、エプロン姿のレンにそう返すと、恭也は視線を己の右腕へと移す。
「・・最も、その前にこの眠り姫を起さなければならないがな」
 そう言って苦笑する先を見て、レンも微苦笑を浮かべた。
 その先には、相も変わらず恭也の右腕を枕にしたまま、ぐっすりと眠り込むなのは。
「なのは、朝だ。起きろ」
 恭也がそう言って右腕を軽く揺するが、なのはは僅かに顔を顰めると、今度は恭也の胸に頭を預ける様に擦り寄って再び安らかな寝息を立て始める。
「・・・以前より寝起きの悪さに拍車がかかってないか?」
 以前であれば声をかけ、揺すってやれば寝ぼけ眼ながら目を開けたと言うのに、その兆しを見せる所か、断固拒否すると言わんばかりに恭也にしがみ付くなのはに、恭也は嘆息混じりに呟く。
 そんな恭也に苦笑を返すと、レンはなのはの身体を優しく揺すった。
「なのちゃん。朝や。そろそろ起きな、ご飯が冷めてまうよ」
 優しく穏やかな声で語りかけながら揺すると、なのはがぼんやりと目を開く。
「うぅ・・レンお姉ちゃん、もう朝ぁ〜」
「そやで。ご飯の準備、もう出来とるから。顔、洗って目ぇさまそ? な?」
 その言葉に「うん・・」と返すと、なのはは眠そうに目を擦りながらもぞもぞと恭也の布団から這い出した。
 そのまま半ば夢うつつと言った感じで洗面所へ向かうなのはに、「なのちゃん、足元、気ぃつけてな〜」と声をかけ、苦笑と共に恭也へと向き直る。
「何でレンだと起きるんだろうな、あいつは」
 そんなレンに恭也は呆れ半分、感心半分と言った感じで呟き、それを聞いたレンは寂しさが滲む苦笑を浮かべた。
「しゃぁないですよ。なのちゃん、夢の中でお兄ちゃんに会えたって・・でも、ここにはお兄ちゃんがいないって、泣きながら夜中に目ぇ覚ましたりしてましたから。お師匠の温もりを感じられても、もしかしたら夢かもて思ってしまったんやないですか? もし目を覚ましたら、またお師匠がおらんのかもって」
 それは、なのはが感じてきた恐怖。
 大切な、大好きな兄の温もりが、もしかしたら夢でしかないのでは、と言う恐れ。
 だからなのはは恭也の声を拒んだ。
 例え夢の中でしかないのであっても、兄と共に居たいから。
 その夢から覚めたくないと、目覚めを拒んだ。
 そしてレンの声に反応したのは、今のなのはにとっての一番の、大好きな姉の声だからだ。
 目を覚ませば、レンが居てくれる。
 例え悲しい夢を見ても、レンが抱き締めてくれると知っているから、だから目覚めた。
 それが解った恭也の顔に、自嘲の笑みが浮かぶ。
――あぁ・・俺は、そこまでなのはを傷つけてしまったのか。
 そう心の中で呟く恭也に、レンは慈愛と信頼に満ちた笑みを向けた。
「せやけど、お師匠。心配いりませんよ。このまま日々が過ぎて・・・お師匠が戻って帰たんやって、理屈抜きで信じられれば、なのちゃんも落ち着く思います。ただ、今日は昨日の今日ですから。なのちゃんも整理できてへんだけですから」
 そう言ってレンは、恭也の唇に自らの唇を重ねた。
 たった一瞬。
 だが、そのキスは恭也の心を晴らすには充分に過ぎた。
 一瞬だけのキスを終え、頬を赤く染めながら笑うレンに、恭也もまた笑みを浮かべる。
「・・・そうだな。俺は、もう消えたりはしないのだから。それに、レンもいる。なら、大丈夫だ」
 そう言って、嬉しそうに頷くレンの唇に、今度は恭也から唇を重ねる。
 先程よりも長いそのキスを交わし、二人は顔を見合わせて微笑む。
――大丈夫だ。俺にはレンがいてくれる。
――大丈夫。ウチにはお師匠がおるんやから。
 なら、例え、何があろうとも――
――俺は、大丈夫だ。
――ウチは、大丈夫や。
 共に心の内で呟いたその言葉。
 誰にも聞こえない筈のその声は、しかし互いに届いていた。
 恭也は微笑う。
 伝わってきたレンのその想いに――一度手酷い裏切りで返した自分を、ここまで信じてくれる、想ってくれている。それ程の女が、自分を好いてくれた幸福に。
 そして、そんな女に己が惚れた事に。
 レンは微笑う。
 伝わってくる恭也のその想いに――何処までも強くあり続けた男が、自分を愛してくれた――数え切れぬ程、言葉では言い表せない程に自分を救い、護り続けてきてくれた男の支えになれた喜びに。
 そして、そんな男に己が惚れた喜びに。
 互いに、互いを求め、その存在があるだけで幸福であると言える。
 そんな人が傍らに居てくれる幸せに、二人は揃って笑みを浮かべ――
 そして、恭也は身を起した。
 心底愛し、愛してくれる女との、それが始まりになると知っているから、布団を抜け出し着替える為に箪笥へと向かう。
 そんな恭也に微笑を向け、レンはキッチンへと向かう。
 心底愛し、愛してくれる男との、それが始まりになると知っているから、朝食の席に着く男を、暖かな食事で迎える為に。
 そう。
 恭也とレンの二人は、今、個々からが真のスタートと言えるのだから。

 

 静かに熱い茶を飲む恭也を時折眺め、食器を洗うレンは知らず笑みを浮かべる。
 いつも通りの賑やかな食卓。
 互いに挑発しあうレンと晶。
 それを止めるなのは。
 そして、そんな三人を苦笑交じりで見る美由希、フィアッセ。
 そんな皆を嬉しそうに見守る桃子とティオレ。
 ティオレやフィアッセが居るのは珍しいが、それでも、その光景は見慣れたいつもの光景だった。
 恭也が消え、暇を見つけては訪れていたティオレとフィアッセが居る時の、いつもの光景。
 だが、今回は違った。
 恭也が、居る。
 それだけで、まるで別の光景だった。
 恭也は口数が多い方ではないし、話に加わるより静かに眺めているだけだ。
 だが、それでも違うのだ。
 皆が皆、生き生きとしていた。
 皆の笑顔が、いつもよりも輝いていた。
 それは――2年前に失われた筈の光景。
 ――やっぱり、お師匠にはまだまだ敵いませんな。
 そんな光景を時折眺めながら、レンは心の中で呟いた。
 恭也は、ただ、そこにいるだけだ。
 優しい言葉をかけるでもなく、微笑んで抱き締めている訳でもない。
 ただ、黙したままその光景を眺め、熱い茶の注がれた湯飲みを傾けているだけ。
 それだけであると言うのに――
 皆の表情が明るくなる。
 生き生きと、己を出す事に躊躇しなくなっている。
 それは、恭也がいるからだ。
 皆、解っているのだ。
 何も語らずとも、表情に表しておらずとも、恭也が皆を見守り、包んでいる事に。
 だからこそ、皆は安心して騒いでいる。
 騒ぎすぎて窘められようと、その存在があるのなら、この場は安全であると理屈ではなく、感覚で知っているからこそ。
 それは、レンには出来ない事だ。
 レンは確かに皆の笑顔を取り戻してやる事はできた。
 だが、それは言葉と、行動を重ねてのもの。
 今の恭也の様に、ただ、そこに居るだけで安心できる。
 そこまでには至れていなかった。
 勿論、皆が聞けば即座に否定するだろう。
 それだけの信頼と好意を、既に皆レンに抱いていた。
 だが、それでもレンは思う。
 まだ、追いつけてはいないのだ、と。
 あれから二年が経ち、レンももうすぐ高校に上がる。
 その頃には、恭也は既に高町家の中心として、居るだけで皆を安心させる程の存在になっていた。
 それはレン自身が感じていた事だからわかる。
 自分がそこまでの存在になれているのか――
 唐突に浮かんだ不安を、レンは苦笑と共に打ち消した。
 自分は恭也ではない。
 恭也にはなれない。
 だから、自分の出来る限りの事を、出来る範囲でやっていくしかない。
 水仕事を終えた手を布巾で拭い、急須にお茶のお変わりを入れながら、恭也を横目で見て改めて思う。
 大丈夫だ、と。
 ゆっくりと行くしかない。
 まだ、支えになれた、と胸を張る事はできないけれど・・・。
 それでも、これからの道行きには、あの人が居てくれる。
 歩もうとする先に、あの人が立っていてくれる。
 なら、自分は自分の速度で行けばいい。
 例えそれがゆっくりとした歩みでも、あの人は待っていてくれる。
 だから、確実に。
 一歩ずつ。
 自分の足で近づいていこう。
 だから――
「お師匠、お茶のおかわり、どうです?」
 レンは笑って、そう言った。


 楽しそうに食器を洗うレンの気配を感じながら、恭也は静かに湯飲みを傾ける。
 記憶のままの賑やかな食卓。
 互いに反発しながらも、それを楽しむレンと晶。
 それを解っているのだろうが、それでも喧嘩はダメと止めるなのは。
 苦笑して見守る美由希とフィアッセ。
 そんな皆を穏やかに見守る桃子とティオレ。
 ティオレと共に囲む食卓は、それ程多い訳ではなかったが・・・それでも、記憶の中にあり、想い続けた安息の光景。
 己が消える前の――ティオレが忙しい合間を縫っての訪問の時、そのままの光景。
 ――・・レンには、敵わんな。
 そんな光景を眺めて、恭也は心の中で呟く。
 恭也は御神の剣士。
 人を物理的な意味で護る方法は知っている。
 その力も、弛まぬ鍛錬で身につけている。
 だが、心は、護れない。
 あの時、己が消えた事で皆につけた傷の深さは、恐らく己が思う以上に深いのだろう。
 それなのに、皆、自然に笑えている。
 その理由の一端に、恭也の帰還があるのは確かだろう。
 だが、それ以上に――
 恭也がつけてしまった傷と痛みを、レンが癒してくれていたからだ。
 それは、目の前の光景を見れば直ぐに分かった。
 他愛のない話で盛り上がっていても、皆の意識にレンがいた。
 会話に加わらず、一人洗物をして居る今ですら、皆がレンの存在を、優しさを感じているとわかったから。
 既にレンは、その存在だけで皆を癒す事が出来ているのだ。
――・・・俺には、真似の出来ん事だな。
 唐突に浮かび上がったその考えに、恭也は表に出さず苦笑する。
 己はレンではない。
 レンにはなれない。
 だからこそ、己に出来る方法で、出来る範囲でやっていくしかない。
 中身のなくなった湯飲みを下ろし、近づいてくるレンの気配を感じながら恭也は改めて思う。
 大丈夫だ、と。
 ゆっくりと変えて行こう。
 今の己は未熟に過ぎて、心を護る事は叶わずとも。
 それでも、それを実現して見せた少女が共に居てくれる。
 目指そうとするその先を、彼女が示してくれる。
 ならば、着実に。
 一歩ずつ。
 己の意志で歩いていこう。
 だから――
「ありがとう、レン」
 恭也は、笑ってそう言った。



恭也が戻っての初めての朝か。
美姫 「互いに互いの存在の大きさを改めて実感って感じよね」
まあ、他の面々もそうだろうけれどな。
穏やかな感じで朝は流れたな。
美姫 「次回はどんな感じになるのかしらね」
次回も待ってます。



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