『光陰の剣士』




長い口付けを終えると、レンはようやく取り戻した恭也の体温を感じる様に、その胸に顔を埋めて静かに涙を流し続ける。
 それは、今まで積み重ねた寂しさと辛さへの別れの涙。
 これから愛した男と共にある事が出来る事への喜びの涙。
 それが解るから、恭也は何も言わず、レンの身体を優しく包む。
 そんな二人に、薫に支えられた耕介が、ゆっくりと近づいていく。
 見るからにボロボロな耕介の姿に恭也が口を開くより速く
「・・・おかえり、恭也君」
 耕介は血と土で汚れた顔に、痛み等感じていないかの様に穏やかな笑みを浮かべて告げる。
 言いたい事は幾らでもあった。
 皆に悲しい想いをさせた事など、幾ら説教してもしたりない。
 そう思っていた。
 だが、実際に戻ってきた恭也を前にして、そんなものは総て吹き飛んだ。
 解っていたのだ。
 誰よりも皆の笑顔を護りたいと願い続け、戦い続けたこの弟分があの道を選んだその意味を。
 その行動に怒りを覚え、戻ってきたら説教してやると事ある事に思い続けたのは、そうする事で弟分を失った痛みを誤魔化す為だと理解していた。
 だから、今、こうして帰還した弟分を前にして、そんな気持ちは吹き飛んでいた。
 あの短い攻防に、恭也がここに戻る為に重ね続けただろうその努力の一端を垣間見る事ができたから。
 何より、最も辛かった筈のレンが恭也を許したのだ。
 なら、何も言うまい、と決めた。
 だから耕介は兄貴分として、帰還を果たした弟分を笑顔で迎える事にしたのだ。
 そんな耕介を支える薫もまた、何も言わない。
 ただ、微笑を浮かべて恭也を迎える。
 それが、耕介の望みだと知っているから。
 そして、耕介がそう思うに至った事総てを理解しているから。
 何より、自分にとっても弟の様なこの青年が、どれだけの努力の果てに帰還を果たしたのか、垣間見る事ができたから。
 だから薫は微笑む。
 そんな二人に、恭也もまた微かな変化ながらも、笑みを浮かべて応える。
「えぇ・・ただいま、耕介さん、薫さん」
 その言葉に揃って笑みを深め――
「・・・おっと」
 耕介の膝からガクリ、と力が抜けた。
「こ、耕介さん!?」
 危うく倒れかけた耕介を薫が慌てて支え、ゆっくりと座らせる。
 それだけでも全身に走る痛みに苦笑しながら、耕介は口を開く。
「あははは・・・一段落って事で気が抜けたから、一気に疲れが出たみたいだ」
 そう言って笑う耕介に、薫が怒った様に口を開く。
「無茶するからです。今、救急車を呼びますから、少し休んで下さい」
 その言葉に、耕介が慌てる。
「うわ、何か重症患者になった気分だな・・・ちょっと大げさじゃない、それ」
 そう言う耕介に、薫の雷が落ちた。
「何が大げさですか、何が! 耕介さんの怪我は充分以上に重症です!」
 プリプリと怒りながら携帯を取り出す薫に、耕介はどうしたものかと恭也へと視線を移し――
「あの・・・恭也君? 苦笑してないで助けて貰えるとありがたいんだけど」
 苦笑しつつ見守る恭也に恨み言を言う。
 が、恭也はレンを抱いたまま器用に肩を竦めた。
「・・・実際、怪我は重いみたいですしね。それに、そうなった薫さんが俺に止められると思います?」
「・・・思わない、かも」
 そう言って苦笑する男二人を軽く睨みながら、薫は今の場所や耕介の怪我の具合などを伝えていく。
 そうこうしていると、残りの面子が近づいてきた。
「高町!」
「久しいな、赤星。忍」
 微かな笑みを刻んでも恭也の言葉に、赤星はきつく奥歯をかみ締め、搾り出すように言う。
「・・・この・・野郎、心配・・・させやがって・・・」
 そう言って赤星はクルリと背を向けた。
 その肩は震え、両の手はきつく握り締められている。
 そんな赤星に、恭也はただ一言「すまん」とだけ返した。
 そして忍も、言葉もなく顔を両手で覆って肩を震わせていた。
 実際には、心配どころではない事は解っていた。
 あれ程の爆発を至近距離で受け、消えた恭也は完全に死んだものと見なされていただろう。
 心配、等という言葉では足りない喪失の痛みを負わせた筈だと、恭也にも解っていた。
 だが、赤星はそれに対する責めは口にせず、ただ、長い間連絡が取れなかった親友がフラリと戻ってきた様に振舞った。
 忍もまた、贖罪など求めていないと解る。
 なら、己もまた、その様に返そうと決める。
 親友同士の再会に、無粋な言葉など不要。
 それが、今こうして迎えてくれた、親友達への礼儀だと知っているから。
「晶も、久しぶりだな」
 青髪の少女へと視線を移し、笑う。
 その言葉を受け、晶は流れかけた涙を拭い去って笑う。
「妙な所で師匠が時間を忘れるのは、春の山篭りで慣れてましたけど・・・今回は盛大過ぎますよ」
「・・・スマン」
「いえ、無事に帰ってきてくれましたから。お帰りなさい師匠」
「あぁ、ただいま」
 そう言って笑う恭也に、晶もまた笑って続けた。
「しかも何か前より強くなってますし・・・・うぅ・・俺の野望が・・」
 拗ねた様な表情で言う晶を見て苦笑すると、今度は那美と久遠へと視線を移す。
「ただいま、那美さん、それに久遠」
 そう言って微笑む恭也に何も言えず、涙を浮かべたままコクコクと頷く那美。
 久遠はおずおずと恭也に近づくと、その服の裾を掴んだ。
「きょう・・や・・?」
不安げに言う久遠に微笑み、「あぁ」とハッキリと応えてやる。
「きょうや・・きょうや・・・きょうや・・・!」
 恭也から返答が帰ってきた事で感極まったのか、裾を掴んだままボロボロと涙を零す久遠の頭を、恭也は片手で優しく撫でる。
「辛い思いをさせたな。だが、俺はもう消えないから。な?」
 恭也の言葉に、久遠は涙にぬれた顔で何度も頷く。
 そんな久遠に優しく微笑むと、恭也は美由希へと視線を向けた。
「恭ちゃん・・」
 汗と土で汚れた顔をクシャクシャに歪めながら、自分の名前を呼ぶ美由希を恭也は優しげに見つめる。
「強く・・・なったな、美由希」
 それを聞いて、美由希の目から涙が零れた。
「そんな事、ないよ・・・。だって、さっきのだって・・・恭ちゃんがいなかったら・・・私だけじゃ、守れなかったもん」
 そう言って涙を流す弟子に恭也は首を横に振って見せた。
「違うさ。誰だって、一人で護れるものに限界はあるんだ。耕介さんや薫さん、久遠。それに赤星達。・・・そして、美由希。お前が護り続けたから、だから俺は、間に合った。だから、美由希。お前は誇っていいんだ。お前は、御神の剣士として、立派に守り抜いたんだからな」
 その言葉を聞いた瞬間、美由希は俯いて激しく肩を震わせる。
 きつく閉じた目から止め処なく溢れる涙。
 だが、それでも泣き顔だけは見せられない。
 誰よりも強いと信じ、誰よりも御神の理を体現すると信じた己の師。
 その師が、己を認めてくれたのだ。
 これ以上、嬉しい事はない。
 だからこそ、泣き顔は見せたくなかった。
 例え、泣いている事が知られているにせよ――それでもなお、己を認めてくれた師の前では立派な剣士としてありたいから。
 だから美由希は奥歯をかみ締めて込み上げる嗚咽を堪え、両の手をきつく握り締めて崩れそうな身体を叱咤する。
 そして恭也は、そんな弟子を優しく見守る。
 真っ直ぐに成長し、“護りの剣”を正しく受け継いでくれた弟子に、万語を費やしても尽せぬ賞賛を、その眼差しに込めて見守る。
 それこそが、恭也なりの賞賛だった。
「おに〜・・・ちゃん」
 かけられた声に、視線を移す。
 その先には、以前よりも大きくなった末の妹。
 以前に比べやや大人っぽくなったその顔を見つめながら、恭也は微笑む。
「ただいま、なのは。・・・寂しい想いをさせてすまなかったな」
 父を知らず、忙しい母と、剣に明け暮れる兄と姉の下で、欲した筈の愛情を充分には注いで貰えず、幼心に寂しい日々を過ごしたなのは。
 レンや晶、フィアッセと言った家族が増え、久遠や那美、忍と言った友人も出来た。
 それでようやく、温もりに囲まれて過ごせる様になった筈だった。
 そんな時に、自分は消えたのだ。
 誰よりも温もりを、愛情を求めていたなのはに、辛く寂しい日々を与えてしまった。
 それによって落としてしまった影を、恭也は何処か儚げに見えるなのはの顔から見て取った。
 それは、二年前にはなかったもの。
 恭也との別離がなのはに落とした影、そのものだと理解する。
 恭也は、刻み込んでしまったのだ。
 失う事――別離の恐怖を。
 なのはの心に。
 それを悟り、苦い物が込み上げる恭也をおずおずと見つめ――なのはは口を開いた。
「おに〜ちゃん・・・」
「あぁ、兄は、ここにいるぞ」
「ホントに、だよね。夢じゃ・・ないんだよね?」
 恐る恐る、恭也の腕に触れようとするなのは。
 触れる事で、幻想に過ぎないと知る事を恐れる様に。
 確かめる事で、夢でしかないと知らされる事を恐れる様に。
 ゆっくりと、恐る恐る。
 触れそうになってはビクリとした様に引っ込め――
 それでも、本当にそうならと再び伸ばし――
 そんななのはの手を、レンが優しく包んだ。
「レンお姉ちゃん・・」
 不安に揺れるなのはに、優しい微笑を浮かべ、レンは言葉を紡ぐ。
「大丈夫。なのちゃん、怖がらんでも、大丈夫やから。お師匠は、なのちゃんの大好きなお兄ちゃんはここにおる。夢でも、幻でもない。ほんまに、目の前におるから」
 そう言って、レンは自分と恭也の間に包む様に抱き締める。
「な、なのちゃん。ちゃんと、触れるやろ?」
「・・・うん」
「お師匠の身体、温かいのわかるやろ?」
「うん」
「なら、大丈夫や。なのちゃんの大好きなお兄ちゃんは、夢でも幻でもない、今、ここにおるんや。な?」
「うん!」
 身体を両側から包み込む二つの体温を感じ、なのはの瞳から大粒の涙が溢れ出す。
 なのはを右からから包む温もり。
 それは、産まれた時からずっと近くにあり、誰よりも守り続けてくれた大好きな、自慢の兄――恭也の温もり。
 なのはを左から包む温もり。
 それは、兄を失い、圧倒的な絶望に潰されかけた心を癒し、今この時まで支えてくれた新たな姉の――レンの温もり。
 そんな今のなのはにとって、どんなものよりも安心できる二つの温もりに包まれ、なのはは大きな声を上げて泣いた。
 この二年間の寂しさを流し去る様に。
 この二年間の辛さを埋め合わせる様に。
 涙を流し、声を上げ――
 二年もの間、感じる事が出来なかった温もりに。
 二年もの間、守り、支えてくれた温もりに。
 次々に湧き上がり、胸の中を埋め尽くす総ての感情を吐き出すように――
 なのはは涙を流し続けた。



感動の再会シーン。
美姫 「二年も経ったとは言え、戻って来たんだから嬉しいでしょうね」
だろうな。とは言え、まだ桃子とは再会していないからそれはまた後になりそうだが。
美姫 「それと、前回から気になっているこの二年で何があったかよね」
それがいつ語られるのか、非常に気になる所です。
美姫 「次回も待っていますね」
待ってます。



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