『光陰の剣士』




時間が、凍った。
 傷ついた身体をおして戦場へと歩んでいた耕介も、それを支える様に歩く薫や追撃の雷を放とうとしていた久遠も、多勢を相手に小太刀を振るい続けていた美由希も、なのは達に駆け寄ろうとしていた赤星やノエル、悲鳴を上げていたなのはも、晶、忍、那美、そして、顔を上げたレンも。
 その総てが、動きを止めていた。
 異形によって絶望に染められた筈のその地に降り立ったたった一人の男を見て、完全に凍り付いていた。
 漆黒の衣に身を包み、激甚な意志を秘めた瞳で、轟然と異形の群れを見据える男。
 一見優男にも見える長身痩躯。
 陽光を浴びて白金(しろがね)色に輝く白髪を靡かせた、冷厳な美貌。
「・・・おし・・しょう・・?」
 その男を見て、レンが呆然と呟く。
 呟く様な、そんな小さな声に応える様に、その男はレンへと視線を移し、口元だけを歪めた、薄い、されど優しい笑みを浮かべる。
 が、それも一瞬。
 即座に異形へと視線を移す。
「おし・・・しょ・・・・」
 レンの瞳から涙が溢れ出す。
 男が、軽く両手を広げた。
「集・・・錬・・・結・・・刃」
 男が何かを呟く。
 その直後、男の右手に白き輝きが、男の左手に黒き輝きが集う。
 そしてその輝きは一瞬、目を眩ますかの様に一際眩い光を放ち――刹那の後には、男の両の手に確かな実在として結晶していた。
白き刃持つ一刀と、対を成す黒き刃持つ一刀――二刀の小太刀として。
「お師匠ォ〜〜っ!」
 レンが、叫んだ。
 例え髪の色が黒から白へと変わろうと、その顔の眉間から左頬へと一筋の傷跡が走っていようと――
 黒衣に身を包み、二刀の小太刀を握るその男は――
 レンが愛し、レンを愛したただ一人の男性。
 高町恭也。
 その人だった。





 恭也を見つめて涙を流し続けるレンと、凍りついた様に動きを止めた耕介達を尻目に、恭也は更に一歩踏み出した。
「この地は、貴様ら邪幼(じゃよう)如きが踏み入れて良い場所ではない。・・・零(ゼロ)に還(かえ)れ」
 呟く様に告げた、その瞬間だった。
 恭也の姿が掻き消え、刹那、吹き荒れる暴風。
 その暴風は異形の群れを蹂躙するかの如く迅り抜ける。
 そして、異形の群れの後ろに恭也の姿が現れ、手にした両の小太刀を鞘に収めた瞬間――
 掻き消すように、異形の群れが消滅した。
 誰もが、呆然としていた。
 先程まであれ程の猛威を振るっていた異形の群れが、一瞬で掻き消えた事に。
 そして、それを成したであろう恭也の姿を誰も視認できなかった故に。
 が、それを成した恭也の表情に動きはない。
 ただ一体残った、耕介達が相手をしていたその一体に向け、淡々と足を進める。
「・・・邪神幼(じゃしんよう)・・。かなり育っている様だな」
 その言葉に返礼する様に、人には理解できぬ叫びを返す異形を前に、恭也は淡々と告げる。
「・・・が、それだけだ。さしたる障害にはならん」
 そう言って、右の小太刀を抜刀。
―――御神流・奥義ノ壱・虎切―――
 明らかに射程距離外から振るわれたその小太刀は、しかし、空間に純白の軌跡を刻み、刻まれた軌跡が異形へと迅る。
 空を迅る純白の軌跡は、異形へと肉薄。
 そして――
   ギィィィィィンッ!
 異形を護る障壁に激突。
 障壁と拮抗し、そして、掻き消える。
 だが、その瞬間には恭也の姿が消えていた。
 再び姿を現したのは、異形の目前。
 再度耳障りな咆哮を上げる異形に冷め切った視線を向け、言葉を紡ぐ。
「・・・障壁か。パターンにしても安易過ぎるな。至極、読み易い」
 そう言うや否や、両の小太刀を抜刀。
―――裏緋凰(うらひおう)・凱破双襲(がいはそうしゅう)―――
頭上より一直線に真下へと走る白き刃と、その胴体を真一文字に薙ぐ黒き刃。
 十字を描く二筋の軌跡は、刹那の時を置かず異形の纏う障壁へと迫り――。
「・・・嘘だろ?」
 目の前の光景が信じられないとばかりに赤星が呆然と呟く。
あれ程までに耕介達の攻撃を阻み続けた障壁が、恭也の放つたった二筋の剣閃の前に僅かな拮抗すら許されず、いとも容易く斬り裂かれ――
その障壁により絶対的な防御を誇っていた異形すらも、まるで紙を裂くかの様に断ち切っていた。
「〜〜〜〜!!??」
 断末魔の声を上げ、空間に溶ける様に消えていく異形の末路に等興味はないとばかりに恭也は異形に背を向け、両の手を軽く振って二刀の小太刀を消し去ると、真っ直ぐに足を進めていく。
 そんな恭也に、誰もが動く事を忘れ見つめる事しか出来ない中、たった一人だけが動き出していた。
 それは、誰よりも恭也を望み、恭也もまた誰よりも望み求めたただ一人の少女。
 緑の髪を靡かせ、駆け寄ってくる少女に、恭也もまた、歩調を速める。
 そして距離がゼロになり――
「お師匠っ!」
「レン・・・!」
 ぶつかる様に抱きついてきたレンを、恭也は優しく抱きとめる。
 恭也は自分が知る頃よりも大きくなったレンに少し戸惑うが、それでも愛しいただ一人の女である事に変わりはない。
 レンもまた、あの頃に比べて自身の背が伸びた為か、かつてに比べ近くに恭也の顔がある事にやや戸惑うも、それでもたった一人、愛した男である事に変わりはない。
 共に、戸惑いは一瞬。
 そここそが己の居場所であると、強く抱き締めあう。
「お師匠! お師匠・・・っ!」
 自身を呼びながら、熱い涙を流し続けるレンを抱く手に力が篭る。
優しく、されど強く。
壊さぬ様に、労わる様に、だが、己の熱を伝えられる様、強く、強く、掻き抱く。
「髪・・・伸ばしたんだな・・」
 右腕でレンを抱きながら、左の手でレンの今や背の中程にまで届く緑の髪を梳くように撫でる。
「伸びもしますよ・・あれから、二年ですよ・・?」
「・・・そうだな」
「・・・お師匠、伸ばしたらて、ゆぅてたやないですか・・・」
「・・・そうだったな」
「・・っく、・・だ、だからウチ・・・髪・・伸ばして・・・」
「・・・あぁ」
「・・・お、おししょ、に・・・み、見て・・・もらお・・って・・・」
「・・・あぁ」
「ひぐ・・せやのに・・・おししょ・・・どこにも・・・いなくて・・・」
「・・・あぁ」
「ぐす・・・ひぐ・・お料理も・・服かて・・おししょがどんな・・好きかな・・お、思いながら・・・選んで・・・」
「・・・あぁ」
「・・・せやけど・・・やっぱり・・・おししょ・・・い、いな・・・いなくて・・・」
 胸に顔を埋めながら、身を震わせ、必死に涙を堪えようとするレンを抱き締め、恭也はただ、「あぁ」とだけ、返す。
 それしか、返せなかった。
 自身が選んだ護る為の道。
 それが、最愛の女性に――最も護りたいと願い、護り抜くと誓ったレンに、ここまでの悲しみを背負わせてしまった。
 かつて、父の死に人知れず涙した母の様に――
 ただ、秘めるしかない絶望にも似た悲しみを、与えてしまった。
 だから、恭也はそれしか言う事ができなかった。
 そしてレンもまた解っていた。
 恭也が、それしか残されていなかったからこそ、その道を選んだと知っていた。
 だからレンは、恭也を責めない。
 それが、愛した男が貫き通した信念の結果だと知っているから。
 誰よりも護る事を願い、己を磨き、血の滲む様な努力を重ね続けたその男が、そこに至るまでに重ね続けた誓いを果たす為に、選んだ道だと誰よりも知っているからこそ、レンには責める事などできはしない。
 その為に重ね続けた不断の努力を。
 その為に流し続けた血と汗を。
 何より、それを成すと誓った男が、どれ程の人を支え、救い続けたかを知っている。
 レンもまたそんな恭也に救われ、支えられた一人だからこそわかる。
 ・・・だけど、これ位はいいだろう。
 ・・・これ位なら、許されるだろう。
 恭也の背に回された、レンの腕に力が篭る。
「・・・っく・・・さ、寂しかった! 辛かった・・! も、もう嫌です! おししょがおらん日々を過ごすんは・・・もう嫌です・・・!」
 腕に込められた力は、鍛え抜いた恭也にしてみれば、痛みを感じる様なものではない。
 だが――
「・・・レン」
 その言葉が、痛かった。
 その言葉に込められた、その想いが痛かった。
 かつて自身が選んだ行動が、どれ程の絶望を与えてしまったのか、解ってしまったから。
 その痛みを抱え、堪えて、どれ程レンが無理をし続けてきたのか、気付いてしまったから。
 そして、それを見守る美由希達もまた、何も言う事ができなかった。
 恭也がいなくなってから、高町家を、そして友人達を支え続けたレンが、それ程の痛みを抱えている事に気付けなかったから。
 いや、心の奥底では気付いていたのだろう。
 だが、それでも、その痛みを癒してやる事ができなかった。
 自分もまた、痛みを抱えていた。
 そんなものは、言い訳にもならない。
 誰よりも深い痛みを抱えていたレンは、それでも皆を支えて見せた。
 なら、自分達にも出来た筈なのだ。
 なのに、それをしなかった。
 恭也を失った痛みを言い訳に、ただ、支えようと必死に痛みを隠し続けたレンに寄り掛かり、支えさせるばかりでレンの痛みを癒そうとすら考えなかった。
 それぞれにとって、兄、師、親友。言葉は違えど、恭也の存在は大きかった。
 だが、それでも、レンにとっては他の誰よりもその存在が大きいと知っていた筈だ。
 恭也と唯一想いを繋げ、愛し合っていたレンには、想いを繋ぐ事ができなかった美由希達よりも、その存在が大きいのだと、知っていた筈だ。
 それにも関わらず、最も大きな痛みを背負った筈のレンに、全員で寄りかかってしまった。
 自身が抱える痛みだけでも悲鳴を上げ、誰よりも支えを求めていた筈のレンに、自分達の痛みまでも背負わせてしまったのだ。
 それを今、ここに至って自覚したからこそ、美由希達は何も言う事ができない。
 いっそ、恭也を責めれば良いのだろうか?
 だが、恭也を責める事もできはしなかった。
 誰よりも努力を重ね、その為に己の色々なものを犠牲にしながら、それでも護る為、支える為に強くあり続けた恭也の姿を知っているから。
 その為に重ね続けた努力と、払ってきた犠牲を知っているから、恭也を責める等、出来はしない、
 皆、恭也がその努力と犠牲の果てに得た強さに護られ、支えられていたのだから。
 だから、何も言えない。
 そしてそれは、レンに対しても同じ。
 謝罪の言葉も、水臭いと言う怒りの言葉も紡ぐ事は出来ない。
 どちらの言葉もレンへの侮辱でしかない。
 謝罪の言葉は、痛みを堪えて笑みを浮かべ、支えようと努力し続けた、そのレンが積み重ねた努力への侮辱。怒りの言葉は、誰よりもその痛みを知り、理解するからこそ、ただ皆の痛みを癒したいと願い続けたレンの、その願いへの侮辱。
 何より、その怒りは自分へと向けられなければならないものだ。
 美由希達は気付けなかったのだから。
 誰よりも悲鳴を上げていたレンの心に。
 そして、背負わせてしまったのだから。
 消えた恭也の代わりと言う、この上ない重責を。
 レンは、その重責を立派に果たした。
 痛みを堪え、涙を堪え――高町恭也と言う最大の柱を失った皆を支え、癒し、笑みを取り戻させて見せた。
 “恭也の死”を認めてなお、笑みを浮かべ、恭也が居た頃の日常に戻りつつあったこの頃を思い出す。
 それは、恭也と言う柱が抜け、今にも崩れそうなそれを、細く、折れそうな身体で必死に支え続けたレンが居たからこそなのだ。
 それを知るからこそ、美由希達は何も言えず――ただ、目の前の光景を見守るより他なかった。
 そんな美由希達の前で、恭也は両の腕でレンを掻き抱く。
「もう、強がらなくていい。俺は・・・もう、どこにも消えたりはしないから」
 そう言って、レンを抱く腕に力を込める。
 自身の背に回る腕に力が篭ったのを感じ、レンは涙に濡れた顔を上げる。
「・・・約束、ですよ・・?」
 それは、かつて一度破られた約束。
 レンに、喪失の痛みしか与えられなかった約束。
 だが、恭也は――
「あぁ。誓おう。この手に握る剣と、それを振るう俺自身が、今、ここに至るまでに積み重ねた、総ての日々と誓いに賭けて。・・・今度こそ、俺は・・・いつまでもレンの傍にいる」
「・・・今度破ったら、承知しませんよ・・?」
「あぁ・・・今度こそ破らない。何者が相手でも破らせはしない。俺は・・俺が愛したお前の隣にいつまでも在り続ける」
 恭也の言葉に、レンは涙を流し続けたまま、微笑む。
 そして、互いに誓い合う様に、願い続けた口付けを交わした。



少々、風貌は変っている所はあるみたいだけれど、恭也本人みたいだな。
美姫 「どうして無事だったのか、とか、居間まで何を、とか疑問はあるけれど、ともあれ再会を喜んでいるわね」
だな。他にも不思議な剣や技に関しても気になる所だが。
美姫 「一体何があったのかしらね」
気になる次回は……。
美姫 「この後すぐ!」



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