『神殺しと花嫁』




 耳を打つ聞きなれない電子音に、ヘレンは意識を浮上させた。
 うっすらと開けた目に、見慣れない天井が映る。
 訝しく重いながら身を起こして辺りを見回す。
 目に映る全てが、見慣れた自分の部屋とは違っていた。
 十畳を超える広い部屋も、優に二人分の衣服が収まるだろう箪笥も、自分の知る物ではない。
 何となく自分が眠っていたベッドの感覚も違う気がして、視線を向ける。一人で眠るには広すぎるダブルサイズのベッド。
 一瞬、自分が使っていた枕から少し離れた場所にもう一つの枕が置かれているのを見て混乱しかけるが、並んで置かれた机、その一つの椅子に掛けられた詰襟を見て、その理由を理解する。
 ――そう言えば、昨日私・・・。

  〜昨夜〜
「ぜぇ・・はぁ・・ぐぅ・・し、死ぬかと思うたわい・・」
 都合30分に渡る無絶の斬閃から逃げ延びた大悟が青褪めた顔で語るその対面では、蒼夜が涼しい顔で煙草に火を点けていた。
 お互い、この寒空の下それなりの時間を過ごしたにも関らず、その様子は酷く対照的だ。
 顔を俯け、水でも被ったかの様に全身を汗で濡らして息を荒げる大悟に対し、ソファーの背もたれに深く背を預けて煙草を燻らす蒼夜は汗一つかいておらず、立ち上る紫煙越しに青褪めた大悟にまるでゴミでも見るかの様な視線を向けている。
「はい、お父さん。汗拭かないと風邪ひきますよ?」
 苦笑混じりのアリアからタオルを受け取り、冷たい汗を拭う大悟を文砥もまた渇いた笑みで眺めていた。
 文砥にしてみれば、この手の騒ぎ――大悟が暴走→蒼夜の制裁――はある意味見慣れたものでもあるので耐性は着いているし、アリアは言わずもがな。
 既にしてそれを楽しむ程に慣れきっている。
 そんな中、唯一耐性のないヘレンはと言えば、どうしたものかと困惑の表情である。
 無理もない。
 幼い頃から孤児院で育った彼女にしてみれば、家族での光景自体がそもそも始めてとも言える上に、それがいわゆる“普通”から程遠い緋澄家と来れば、その時点で戸惑いもしよう。
 何せ、息子を勝手に結婚させ、当惑した息子を見て心底楽しそうにしている両親と、当惑しながらも即座に誰の仕業か見破り、微塵の躊躇もなく斬撃の返礼を見舞う息子である。
 こんな光景を見て戸惑うな、と言うのは少々――いや、凄まじく酷であろう。
 まぁ、それすらもその後に起った事を思うなら、前哨戦とも言えるのだが。
 取り敢えず、もう遅いからと文砥が立ち去った後、少々遅い夕食をとるとそれぞれの部屋に引き上げることにした。
 元々、蒼夜として結婚云々を別にすればヘレンが住む事に異論はないので、ヘレンに請われるままに家の中を案内し――自らの部屋に辿り着いた所で動きが止まった。
 ドアを開けたまま、電気も点けずに動きを止めた蒼夜を不思議に思ったへレンがその中を覗いてみれば、見事なまでのもぬけの殻。
 カーテンはついているものの、それ以外のものが全くない。
 壁や床は確りと掃除したのか、家具が置いてあった痕跡すらないそれは、入居前のマンションとでも言うべきか。
 そんな部屋を前に蒼夜は暫し止まっていたが、即座に元凶に思い当たり、眉根を寄せてリビングへと駆け戻る。
 これもまた大悟とアリアの仕業なんだろうな等と思いつつ、ヘレンもその後に続く。
 リビングに到着すると、それが正解と言わんばかりに楽しげな笑みを浮かべる大悟とアリアを見て、苦笑するしかないヘレンの隣で蒼夜は視線の温度を一気に落とし――取り敢えず、この時点で大悟は無絶の一撃を受けて宙を舞うことになった。
 
「ぐぅ・・さ、流石に死ぬかと思うた」
「・・潔く死んでおけ、愚物」
 突き破ったガラスの破片と地面に叩き付けられた事で出来た傷――不思議な事に擦り傷や極小さな切り傷――をさすりつつぼやいた大悟に、蒼夜が冷め切った言葉を返す。
 大悟はその言葉に恨めしげな表情を浮かべ、講義しようとするが、鞘のままの無絶を突きつけられ口を噤む。
 沈黙した大悟に、蒼夜は射殺す様な視線のまま言葉を続ける。
「・・で、俺の部屋の荷物はどこに運んだ? 即座に案内しろ」
「って、命令か蒼夜!?」
「・・・もう一撃、喰らっておくか?」
「うむ。こっちじゃ。着いてきなさい」
 即座に態度を変えて歩き出す大悟の隣にアリアが並び、その後に無言のままの蒼夜が続く。
 ヘレンはどうしたものかと思うものの、自分の部屋が何処かも解らず、ここに取り残されてもどうしようもない為、蒼夜の隣に並んだ。
 暫く歩き、先程離れに繋がっていると蒼夜に教わったドアの前まで来る。
「あの、蒼夜。この先は離れ・・でしたよね?」
「あぁ。今は倉庫代わりにしていた筈だが・・」
 ドアを開け、当然と言わんばかりにスタスタと進んでいく大悟達を眺めつつ、蒼夜とヘレンは言葉を交わす。
「・・・何やら嫌な予感しかしないんだがな・・」
 小首を傾げるしかないヘレンの隣で。蒼夜は額を押さえて軽く嘆息し――
 大悟とアリアが満面の笑みを浮かべつつ開いたドアから離れの中を見て、蒼夜は再度深々と嘆息し、ヘレンは顔を真っ赤に染めた。
 十畳を超える広い室内には一目で上物と解る毛足の長い絨毯が敷かれ、壁際には机が二つとクローゼット、そして鏡台。
 そして何より、ダブルらしきベッドと――
 壁にかけられた『祝! 緋澄蒼夜・へレン夫妻様!』等と書かれた垂れ幕と来れば、仕方のない事ではあるが。
 取り敢えず、次の瞬間大悟は再度空を舞った。

 そんな経緯で一つ部屋に暮らす事になったものの、蒼夜は当然乗り気ではない。
 即座に自分の荷物を戻そうとしていたが、そこはヘレンが止めた。
 元々望んでの結婚であるのだから、気恥ずかしさこそあるものの、ヘレンにとっては嫌ではないのだ。
 いや、それよりも一緒に過ごす時間が増えるので嬉しく思っている位なのだから、一緒の部屋で在ることに反対などするはずもない。
 どうにか蒼夜を説得して了承させ、一安心と思った所で、心底楽しそうな大悟の視線に気付き、再度赤面。
 うんうんと頷き、二カッと言う笑みを浮かべながら大悟が親指を立てて見せた瞬間――
「ぷぎゅるっ!?」
 下から振り抜かれた無絶の鞘が大悟の顎を捕らえ、夜空へと押し上げた。

  〜現在〜
 ――そう・・でした。蒼夜と一緒に寝たんでした――
 そう思うと、一気に顔の温度が上がっていくのが解った。
 あの後、合計三度も宙を舞う事になった大悟は流石にそれ以上からかう事無く母屋へと戻り、二人きりになったのだが、心底疲れた様に嘆息する蒼夜を相手に上手く話題が浮かばない。
 結果として寝る事にしたのだが、そこでもやはり一騒動起きる事になった。
 何せ、ベッドが一つしかないのである。
 ヘレンにベッドを譲り、壁に背を預けて床に座ったまま眠ろうとした蒼夜を「家族だから」「夫婦だから」とどうにか説き伏せ、漸くベッドに横たわった時には日付が変わっていた。
 そんな状態である。
 結局男女の営み等あろう筈もないが、昨日までの孤児院暮らしと貞節を重んじる教会の教えもあって、男性との付き合いが殆どなかったヘレンにとっては酷く気恥ずかしいのも事実だ。
 ともすれば赤く染まりそうな頬をどうにか押さえつつ、時間を確認して見れば、いつも起きている時間より少し早い。
 幾ら近所とは言え、これから一度教会へ行く事を考えれば丁度良い時間である。
 そう思って音源である目覚まし時計を止めると、軽く伸びをして僅かに残る眠気を追い出す。
 そして着替えようとベッドを降りて、肌寒さがない事に気付いた。
 孤児院の部屋はストーブこそあったものの、起き掛けの寒さに苦労した覚えがある。
 長い孤児院暮らしでそれなりに慣れてはいたものの、ともすれば着替えが苦痛に感じる程の寒さがない。
 それに気付いて周囲を見回せば、既に作動しているエアコンから、温かい空気が流れ出していた。
 タイマーをセットした憶えはないので、蒼夜が起き掛けにかけて行ったのだろう。
 最も、その蒼夜自身は姿がない上に、昨夜着ていた寝巻きが既に畳まれている所を見ると既に着替えを終えている様なので、恐らくはヘレンを気遣ってのものだろう。
 そんな蒼夜の気遣いにヘレンの顔に笑みが浮かぶ。
 どうにも無愛想でそっけのない態度しか見せない蒼夜だが、少なくとも嫌われてはいないらしい。
 そう思うと、どうにも嬉しさが込上げてくる。
 ――うん。いい一日になりそう・・――
 そう思いながら手早く着替えを済ませる。
 今日から通う事になる学校の真新しい制服を身につけ、鏡台に座る。
 その際、新品の化粧品が目に入ったが、元々化粧には縁のない生活をしていた上に、教会にしろ、学校にしろ、化粧をする様な場所ではない。
 ――それに、使い方、解りませんしね――
 興味がない訳ではないので休みの日にでもアリアに教えて貰おう、等と思いつつ手早くブラシで髪を整える。
 光の当たり方で薄っすらと青みがかって見える銀色の髪は、ヘレンの微かな自慢でもあった。
 腰元まで伸びたそれを梳いて流すと、一度ざっと全身を確かめる。
 ――うん、大丈夫、ですね――
 おかしな所がない事を確認すると、部屋を後にする。
 その際、暖房をどうするか迷ったものの、後で蒼夜が来るかもしれないと思い、そのままにした。
 そのまま母屋へと続く渡り廊下を歩いていると、中庭に立つ長身が目に映った。
 蒼夜だ。
 学校の制服らしき黒いスラックスと、濃い緑色のロングTシャツ、飾り気の全くない登山靴めいたスニーカーと言った格好で、鞘に納められた無絶を手に庭の中心に目を瞑り佇んでいる。
「そ・・」
 声をかけようとして、息を呑む。
 ただ佇んでいるだけに見える蒼夜から、何か目に見えない“力”を感じたのだ。
 それが本物だと示す様に、丈の長い芝生が蒼夜を中心に波紋の様に揺れている。
 そして目を見開いた瞬間――
「・・・っ!」
 蒼夜に重なる様に巨大な――翼を持った蛇の姿が見えた様な気がして、ヘレンはとっさに出掛った声を飲み込んだ。
 恐怖、ではない。
 その美しさに見ほれたのだ。
 白く、雄大な羽毛に覆われた体躯。
 広く、雄雄しい翼。
 ヘレンの信仰するものとは違えども、それは“神”と呼ぶに相応しい姿だった。



どうにか落ち着いた緋澄家……、落ち着いたかな?
美姫 「まあ、ちょっとした騒動がまたあったのは確かよね」
だよな。中々に愉快な父親だな。
美姫 「全く懲りないというのもあるし、結構、打たれ強いみただしね」
ともあれ、初顔合わせはどうにか終わったって所かな。
美姫 「そうね。次はそのまま学校での話になるのかしら」
それとも別の話なのか。
美姫 「次回も待ってますね」
待ってます。



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