『神殺しと花嫁』
「ヘレン・プロムナードです。本日から家族として、妻としてよろしく御願いしますね」
それを聞いて、初めて蒼夜の顔に驚愕が浮かんだ。その隣では文砥が飲もうとしていたコーヒーを噴出し、咽ながら目を白黒させている。
「・・今・・何と言った?」
呆然と尋ねる蒼夜。
「え・・? よろしく御願いします、ですけど・・」
小首を傾げて答えるヘレンに、蒼夜は眉根に手をやって再度尋ねる。
「・・・違う。その前だ・・」
「妻として、家族として・・・ですか?」
不思議そうに尋ねるヘレンに、蒼夜はそうだとばかりに頷いて見せる。
それで合点がいったのか、へレンが微笑む。
「私、ヘレンは今日から緋澄蒼夜の妻ですから」
その言葉に暫し呆然とした蒼夜だが、その原因に思い当たり、視線を動かす。
「・・・親父、貴様の仕業か・・?」
冷め切り、威圧する声音と視線だけで人を射殺せそうな視線を向け、訪ねる。
その先では、いつの間にやら復活し、ニヤニヤと笑う大悟と楽しげに微笑むアリア。
「ふぅむ、流石の蒼夜も驚いた様だの」
「ええ、こんなに慌ててる蒼ちゃんって珍しいわよね〜」
その様子を見て、蒼夜の視線が一層冷たくなる。気のせいか、室内の気温が5℃程落ちた様な気すらしてくる。
呆然と見つめるヘレンと、蒼夜と大悟の間に挟まれガタガタと恐怖に震える文砥を他所に、蒼夜は再度尋ねる。
「・・・で、何か言う事はないか?」
その言葉に大悟は
「うむっ! ナイスリアクションじゃ、蒼夜!」
と親指を立てて、ニカッとでも言いそうな笑みを浮かべた。
瞬間、室温が更に5℃は落ちた。
蒼夜は静かに腰を上げ、今や瘧でも起きたかと言わんばかりにガタガタ震える文砥の前を通り――
ガシッ
大悟の襟首を掴むと、軽々と持ち上げる。
「おぉぅっ!?」
奇声を上げる大悟を担ぎ、左手には無絶を携え、更には今や完全に目付きが凶眼と化した蒼夜がボソリと呟く。
「・・・文砥・・」
「は、ハイィィィッ!」
ビクリと立ち上がり、何故か敬礼のポーズをする文砥に、蒼夜は続ける。
「・・開けろ」
「りょ、了解いたしました!!」
弾かれた様に飛び上がり、即座に中庭に通じるガラス戸を開け放つ。
そして、再び敬礼のポーズをとり、
「開けました! 孤高の皇帝(Solated・Emperor)!!」
何というか・・・、皇帝陛下を前にした一般兵とでも言う様な状態である。
そんな文砥に視線すら向けず、蒼夜は大悟を掴み上げてスタスタと開け放たれたガラス戸へ向かう。
「ウオォイッ、ふ、文砥君! 止めてはくれんのかね!?」
「無理! 無理だから!」
「ワシはどうなってもいいと言うのか!?」
「いや・・おじさんならイケるんじゃね?」
「う、裏切りおったな、文砥君!?」
ギャーギャーと騒がしい外野を完全に無視すると、蒼夜はヘレンに向き直る。
「少し席を外す。お前の家でもあるんだ。ゆっくりくつろいでくれ」
それだけ言うと、大悟を中庭に放り、蒼夜自身もゆっくりと中庭に降りる。
蒼夜が後ろ手にガラス戸を閉めると、緊張の糸が切れたのか、文砥がヘナヘナと座り込んだ。
それを見て、呆然と眺めていたヘレンも我に返る。
「た、大変!」
慌てて中庭に下りようとするのを、
「大丈夫よ〜、お父さん、そう簡単には死なないから♪」
楽しそうなアリアが引き止めた。
「で、でも・・」
なおも不安そうな表情で中庭を見るヘレンに、文砥の声も続く。
「あ〜・・大丈夫っしょ、多分。蒼夜も本気じゃないっぽいし・・」
「え・・?」
「・・ってか、本気じゃなくてもオレらじゃ止めらんないし」
嘆息交じりの文砥の言葉に、楽しげなアリアが続ける。
「違うわよ、文ちゃん。ヘレンちゃんは蒼夜に嫌われてないかが心配なのよ。ね?」
「それは・・、確かに心配ですけど・・。いえ、今はそれどころじゃないんじゃ・・」
真っ赤になりつつ返したヘレンに、アリアは楽しげに微笑んだまま答えた。
「う〜ん・・じゃ、ここから見学してましょっか」
「見学・・ですか?」
訝しげなヘレンに、アリアは更に続ける。
「そ、見学。危なくなったら文ちゃんが止めに入るって事で。ね?」
「いや、『ね?』って・・・。死ぬから! 塵も残さず消えるから!」
慌てて首を振る文砥。
「大丈夫。文ちゃん、こう言う時って、何て言うんだっけ? 文ちゃんの口癖」
「え・・、イケるんじゃね?」
引きつりつつ返した文砥の肩をアリアがポンッと叩いて告げた。
「じゃ、頑張ってね?」
その言葉に青ざめ、ガタガタと震える文砥を他所に、アリアはヘレンに向かってパチリとウィンクをして見せる。
そして、立ち尽くすヘレンの手を引いて、ソファーに座らせた。
こうなっては、無理に蒼夜を追いかける事も出来ず、ヘレンは不安そうに中庭を見つめた。
「・・どう言う事か説明して貰おうか・・」
気の弱い者なら、即座に心臓麻痺を起こしかねないほどの怒気が込められた声が紡がれた。そしてそれを紡いだ蒼夜の目付きは、やはりそれだけで人を殺せそうなまでに鋭い。更に言えば、右手は無絶の柄にかかっており、『いい加減な解答をすれば即座に抜き放つ』とその視線が語っている。
「ふむ・・そうじゃの・・」
その様子に、流石の大悟も真面目な表情で答える。
「では、ヘレン君を引き取った経緯から説明しようかの」
それで良いか、と言いたげに言葉を切る大悟に、蒼夜は無言のままその続きを促す。
「まずはあの子が孤児である事を言っておかねばならんな。ホレ、母さんの教会の孤児院、あそこに居たんじゃよ、彼女は」
言葉を切り、様子を見る大悟に、蒼夜は視線で続けるように促す。それに対し、大悟は頷いて続けた。
「ふむ。で、その孤児院じゃが・・この所の不景気の煽りを受けての。まぁ、潰れるとまではいかんのじゃが・・、今居る子等全員を養っていくのはちと厳しいようなんじゃ。無論、母さんを始め職員の方々も八方手は尽くして里親やら就職先やらを手配してはいるんじゃが、の」
苦々しげに言葉を切る大悟の後を、蒼夜が引き継いだ。
「・・・そうそう見つかるものでもない、か・・」
その言葉に、大悟は頷き、続ける。
「そうじゃな。就職しようにも、昨今の不景気で就職難のこのご時世じゃ。ならば、と言ってあの子くらいの年齢になってしまうと、里親と言うのも、ちと難しかろうしの。そこで母さんと相談したんじゃが、幸い我が家は金に困っておる訳でもない。このまま観て見ぬふり・・と言うのは御仏の教えに背く事になると思っての。引き取る事にした訳じゃ。無論、彼女を気に入ったのも、理由の一つではあるがの」
そう言って、相談せずに悪かった、と謝罪する大悟。
それに対し、蒼夜は表情を変える事無く
「・・それに関しては良い。別に反対理由がある訳でもないからな・・」
と答え、徐々に視線に殺気を込めて行きながら続けた。
「・・俺が聞きたいのは、俺を勝手に結婚させた理由。その一点だ」
冷め切り、それでなお多分に怒気を感じさせる蒼夜の問いに、大悟は真剣な表情で――
「ない!」
と断言した。
「・・・・・」
「・・・・・」
暫し無言のまま対峙する父子。
やがて蒼夜がこめかみを押さえて口を開くまで、その無言の時は続いた。
「・・・面白い冗談だが・・、俺は冗句が聞きたい訳じゃない。真実を語ってもらおうか?」
低く、恫喝する様な声。
一方、常人なら気絶しても可笑しくない怒気を受けながら、大悟は真面目な顔で続ける。
「ワシも嘘は嫌いじゃ。もう一回言うぞ。ない! ナッシング! ゼロじゃ!」
その回答を受け、蒼夜がピクリと眉根を寄せる。
が、その様子を気に留めた様子もなく、大悟は懐から一枚の紙を取り出して見せる。
「お、そうじゃ。言っとくが、離婚はできんぞ? 総理大臣の許可証と言うか、認定状・・じゃの。それがあるからの」
と心底楽しそうにしながら蒼夜に認定状を渡す大悟。蒼夜はそれを奪う様に受け取ると、ざっと視線を走らせる。
そこには――
『 認定証
緋澄 蒼夜 殿
緋澄 ヘレン殿
右の両名の婚姻を特例としてここに認定する
この認定証は通常の婚姻届と同様の効力を持つ外、
婚姻に関する年齢法規の逸脱を許諾すると共に、婚
姻解除を認知せぬ事を示す物である。
日本国 内閣総理大臣 国府津(こうづ) 仁一(じんいち)』
読み進める蒼夜の視線が見る見る冷たくなっていく。そんな蒼夜の周囲では若干丈の長い芝生が、蒼夜を中心に波紋の様に揺れている。
が、大悟はそんな事になど気づかず、楽しげに言葉を続けている。
「いやな、国府津の奴にヘレン君を引き取る事になったと言ったら、せっかくだから蒼夜と結婚させようと言う事になっての。あやつもお前の女っ気のなさを心配しとったしな。年齢の件はあやつがどうにかしてくれた訳じゃ。いや〜、持つべきものは幼馴染じゃのぅ。これでワシらも一安心じゃわい。のう、蒼夜・・・・蒼夜?」
ようやく蒼夜から迸る怒気に気づいたのか、怪訝そうに視線を移す大悟。
その目に映ったのは――
ガチッ・・・
2mはある長大な鞘が観音開きに割れ、中から漆黒と白銀の木目模様の刀身が現れる所だった。
「・・・なるほど。理解した。貴様らの度胸の良さは・・な・・」
白銀と漆黒の交じり合った、不可思議な輝きを宿す太刀、無絶。それを握る蒼夜の目には月の光よりなお冷たい光が宿っていた。
それを見て、大悟も流石に顔色を変える。
「ま、待て蒼夜! 話せば分かる! な、話し合おう!」
その言葉に対する回答は――
「・・・斬撃をもって語ってやるよ・・」
鞘と言う戒めを解かれた無絶が、縦横無尽に空を裂く。
「ぬおわぁ〜〜!」
暦愁寺裏、緋澄家の中庭に、大悟の悲鳴と無言のまま蒼夜の振るう無絶の剣音が響いた。
蒼夜、災難だな。
美姫 「仕事から戻ってきたら、まさかの結婚」
しかも離婚が不可という。
美姫 「ヘレンの方は納得しているみたいだけれど」
さてさて、どうなるやら。
美姫 「気になる次回は……」
この後すぐ!