『左手に風を、右手に雷を』




「・・・て・・さい。ろ・・ま」
「・・・う、む・・」
「起きてください、狼様」
 やや間延びした声と、ユサユサと言う揺れに狼の意識は浮かび上がる。うっすらと開いた目に、
「起きてくださいってば〜、狼様〜」
 メイド服の守天使が写る。
 そのままパチパチと瞬きの後――
「・・・寝る」
 ゴロリと寝返りをうち、再び寝入る体制に入った。
「あわわわっ、起きてくださいよ〜。寝ちゃだめです〜!」
 ユサユサユサユサ
 しつこい位揺すられ、仕方なく睡魔に別れを告げる。ムクリと上半身を起こし、ガリガリと頭を掻きながらベッド脇の時計に目をやった。
「・・・・・」
 狼が起きた事に満足そうな笑みを浮かべているフィーを、チョイチョイと手で呼び寄せる。嬉しそうに顔を近づけてくるフィーのその額に――
 バチンッ
 軽くデコピンを食らわせた。
「うみゃっ!」
 猫の様な悲鳴を上げながら額を押さえるフィーをよそに、狼は深く深く溜め息を吐いた。
「酷いですよぉ〜」
 上目遣いで恨めしげに抗議するフィーの目の前に、狼は時計の液晶画面を突きつける。不思議そうな表情を浮かべるフィーに「・・読み上げろ」と一言。
「え〜とですね、AM5:00って出てます」
「で、何か言う事は?」
 フィーは一瞬考えた後、
「おはようございます、狼様」
 満面の笑みで言った。その瞬間――
  ビシッ
 本日二度目のデコピンがフィーの額にクリーンヒットした。


  カチッ、ボッ・・・
 タバコに火を点け、深く紫煙を吸い込む。そのまま気だるげにソファーの背もたれにもたれかかると、嘆息まじりに紫煙を吐き出す。
――あ〜・・・たりぃ・・寝足りねぇ・・。
 結局あの後、目は覚めてしまい寝なおす気にはなれなかった。仕方なしにフィーを自室から追い出し、制服に着替え、顔を洗ってリビングに来たのだが――
――全っ然、寝足りん・・。
 時計を見る。未だ針が示すのは5時15分の表示。本来なら最低でも後一時間は寝る事ができたはずである。幾ら通学に50分近く掛かるとは言え、男の身支度など十五分もあれば終わる。朝食など途中で買い食いだろうが構いはしない。そもそも食欲に乏しく、食事には淡白な狼は朝食を取らない事も多いのだ。食事で時間を奪われるくらいなら、朝食を抜いてでも寝る。狼はそう言ったスタイルだった。
「はぁ・・ったくよぉ・・」
 肺まで吸い込んだ紫煙を溜め息で吐き出し、愚痴りつつ頭をガリガリと掻く。そんな狼の前に、コトッと湯気の経つ湯飲みがおかれた。面倒臭げに視線を上げると、ニコニコと笑顔を浮かべるメイド服の守天使が一人。言うまでもなくフィーである。
「・・・で、何だそれは」
 呆れ交じりの声で尋ねる。
「? お茶ですけど」
 可愛らしく小首を傾げ、不思議そうに答えるフィーに、狼は再度深く嘆息した。苛立足し気にタバコを灰皿に押し付け、言い直す。
「訂正だ。その額の、無意味にデカイ絆創膏は何だと聞いてる」
 そう、昨日と同じメイド服に、カチューシャ。それに加え、今日のフィーはそれにオプションが加わっていた。額に×字に張られた大きな絆創膏である。何というか、違和感があるというか、浮いていると言うか。
 が、フィーにはそう言った意識がないのか、「治療です」と胸を張って言い切った。
「剥がせ」
「何でです?」
「無意味に大げさすぎるからに決まってんだろ」
 呆れの混じった狼の言葉に、フィーはプクーっと頬を膨らませた。
「割れてたら大変じゃないですか」
「何が?」
「・・オデコが」
 何故か頬を赤らめて答えたフィーに、狼は真顔で「割ってやろうか、リアルで」と返した。言葉だけでなく、右手を軽く握ってみせる。指を動かすたびに、ゴキゴキと関節が音を立てており、率直に言ってかなり怖い。どうやらフィーもそれを感じたらしく、「あぅ・・」と言いながら絆創膏を剥がした。
「で、何だってあんなモン張ってたんだ、お前は」
 新しいタバコを咥えながら尋ねた狼に、フィーは頬を赤らめ――
「だって・・狼様が心配してくれるかなぁ、とか・・」
 とモジモジしながら答える。
 そんなフィーを冷め切った視線で眺めつつ、
「安心しろ。それで心配するなら、どっちかってぇと脳の方だ。傷じゃねぇ」
 と返す。
 それを聞いて、フィーがコテっとずっこける。「あぅ〜・・狼様、いけずです・・」等といじけるフィーを横目に、狼は深く嘆息。
「で、俺をこんな朝っぱらから起こしやがったのは何でだ」
 タバコの灰を落としつつ、尋ねる。無駄にインパクトの大きい絆創膏のせいでずれてしまったが、狼としてはそちらの方が知りたいのだ。
――くだらねぇ理由で俺の睡眠邪魔したんじゃねぇだろうな?
 胸中で呟く。同時に十中八九そうだろうとも思うが。そして案の定――
「はい! 御飯が我ながら良くできたので嬉しくて! 早く食べて頂こうかと!」
 等と狼の心中の呟きを肯定する返事が帰ってきた。
「・・・・・」
 無言のままフィーを見据える狼。
 対してニコニコと、例えるなら『褒めて褒めて〜』と言う様な表情で狼を見つめるフィー。
 そんなフィーに狼はスタスタと近づき、何かを想像しているのか真っ赤になって照れているフィーの額に――
「早すぎだ、阿呆」
 と本日三度目のデコピンをお見舞いした。


朝っぱらから妙に疲れた気分になりながらも、フィーが用意した朝食を食べ、歯を磨いた後、狼は紫煙を燻らせながらTVを眺めていた。その隣では、フィーも同じ様にTVを眺めている。
そんな穏やかな一時を送っていると
 ピンポーン
と言うチャイムと同時にガチャッと言うドアが開く音、そして「おはよ〜」と言う声、ズカズカと玄関に上がり込む足音がほぼ同時に聞こえた。
そして足音はそのままリビングに近づき――
「おっはよ〜!」
 元気な挨拶と共に久義がリビングに入ってきた。その後ろには苦笑交じりのリュイーも続いている。
 狼はそんな二人に気だるげに視線を向け「無駄に元気だな、おい・・」と呆れ混じりに呟く。そんな狼の台詞に、久義は一瞬頬を膨らませるが、いつも以上に疲れた様子の狼と、その隣で一瞬痛そうな表情を浮かべたフィーを見て、『はは〜ん』と言った表情を浮かべた。
「どうした?」
突然ニヤついた笑みを浮かべた久義に、狼が怪訝そうに尋ねる。が、久義は気にした様子もなく、「ロー、お疲れ?」と逆に尋ね返した。それに、狼が「ああ・・」と短く答え、右手をヒラヒラと振って見せると、久義はより一層笑みを深めた。
「ふ〜ん」
 ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて狼とフィーとの間を視線を行き来させる久義を、狼は訝しげに眺める。その隣では、フィーもやはり小首を傾げている。一方、リュイーだけは解っているのか、苦笑交じりにそんな三人を見守っている。久義は二人をじっくりと眺めた後――
「で、ロー。フィーちゃんの具合は良かった?」
 と下品極まる発言を放った。
「は?」
 呆気にとられた様に返した狼に、久義はうんうんと頷きながら続ける。
「いや、良いよ。言いたくなければ言わなくても。うんうん、やっぱりそーゆー事は言いたくないってのも解るしさ」
 何故か腕を組み、納得したように頷く久義。一方、狼はと言えば解っていないのか怪訝そうな表情で久義を見据える。久義はそんな狼にスタスタと近づき、ポンッと肩に手を置くと
「やっぱりローも漢だったね」 
 と笑いかける。
「いや、何が?」
「またまた〜」
 一瞬言葉を切ってタメを作ると、
「フィーちゃんの事、襲ったんでしょ?」
 と告げた。
 その言葉でフィーの顔がボンっと言いそうな勢いで真っ赤になり、さすがの狼も紫煙を飲み込み、「っ、くっ・・」と咽た。
「っ・・おま、何を・・」
 咽ながらの狼の台詞に、久義は楽しそうに続けた。
「だから〜、フィーちゃんの事抱いたんでしょって」
 直接的な台詞に、フィーは「あぅあぅ・・」と真っ赤になって俯く。
「何でそうなるんだよ」
「だってさ〜。ローはいつもよりダルそーだし、フィーちゃんはちょっと痛そーな顔してたし。それら二つを総合して考え合わせれば、昨日の夜、ローが若い男の情熱の赴くまま、名前通りの狼になってフィーちゃんに襲い掛かったとしか」
「阿呆か。あってたまるか、そんな事」
 キッパリ断言する狼に、久義は「えぇ〜、ないのー?」といじける。そんな久義に深く嘆息しつつタバコを灰皿に押し付けようとして――
「あぅ・・狼様に抱かれ・・」
 何やら真っ赤になってモジモジしつつ呟くフィーが目に入った。
 再度深く嘆息し、タバコを灰皿に押し付けた後――
「お前も誤解されそうな事してんじゃねぇ」
  バチンッ
「みゃぁっ!」
 フィーの額を四度目のデコピンが襲った。 
「本当はどうなさったんです?」
 尋ねてくるリュイーに、狼は事情を話す。
「って訳でな。寝不足な訳だ」
 嘆息交じりの言葉に、リュイーが苦笑交じりに「それは大変でしたね」と返す。
「ああ、全くだ」
 タバコを咥えつつ再度嘆息。
 そんな狼の様子にリュイーは苦笑を深め、思い出した様に鞄を漁る。取り出したのは紙袋。膨らみ方からして、それほど大きい物が入っているわけではなさそうだ。
「はい、迅野様」
 手渡されたそれを、何の気なしに受け取り、ガサガサと開けてみる。
「何だ、こりゃ・・女子の制服?」
 怪訝そうな狼に、リュイーは「はい」と返した。
「んなモンどーしろと?」
 訳が解らんとばかりに尋ねる狼をよそに、リュイーはちょいちょいとフィーを差し招く。近づいてきたフィーに、
「フィーさん、それに着替えてください」
 と告げ、狼の手の上から制服を取り、手渡す。
 解っていなさそうながら「は〜い、着替えてきま〜す」と服を持ってリビングを出るフィー。その様子を微笑んで見送りながら、リュイーは狼の向かいのソファーに腰掛けた。
「で、何なんだよ、結局」
 尋ねてくる狼に、リュイーは微笑んで答えた。
「フィーさんだって、学校に通うには制服が必要ですから」
 その言葉に、狼が絶句した。
「ちょっと待て。アイツも行くのか?」
「はい」
「何故に?」
「迅野様の守天使でしょう、彼女は」
 当然です、とばかりに答えるリュイーに狼は言葉を失う。
 確かに、守天使は主と行動を共にするのが普通だ。主が学生なら守天使も共に学校に通うし、会社員なら共に通勤する。学校にしろ、企業にしろ、それを承認しているし、国からの補助を受け、主天使の枠も確保している。それ故、一応狼の守天使と、言う扱いになるフィーにしても登校するのは自然な事で、その為には制服も必要になる。なるのだが――
「俺は認めてねぇんだが」
 狼はフィーを守天使として認めていない。家におくのは致し方ない、と承諾したが、それと守天使として常に行動を共にする事は別だ。それに、守天使を学校に通わせるには、その為の手続きも必要となる。無論、異種の脅威から身を守る為に守天使の存在が必要である事は確かであり、学校もそれは熟知している。『守天使と一緒に通う』となれば、それを断る事もない。手続きと言っても、『この子は自分の守天使です』と言った類の証明書の様な物を書き、主天使と自分の写真を貼り付けて提出するだけだ。最も、そんな手続き等、狼はした覚えもないのだが。
 と、そこである事に気づき、狼が険しい瞳を久義に向けた。
「・・・お前か?」
「うん。手続きしといたよ、ローの代わりに」
 睨む様な狼の視線と言葉に、久義は満面の笑みで答える。
 それを聞いて、狼は右手で額を抑えた。一気に疲労が押し寄せてきた気がする。が、久義はそんな狼などお構いなしに続ける。
「学校もローが守天使いないの知ってたからさ。二つ返事でオッケー出たよ? 一瞬で」
 確かに、守天使を伴わない‘単独者’である狼は、今のご時勢例外中の例外であり、学校内でも知らない者はいない。当然の如く、学校側も知っている。が、狼の戦闘力までも知っているかと言われれば、経営陣の中には知らない者も多い。今までは、普段から久義と行動を共にしている事から、『久義の守天使』であるリュイーをその代理と見て黙認してきたに過ぎない。その狼に守天使が出来たとなれば、学校側が断る理由はないのだ。狼が認めようと認めまいと、学校にすれば‘単独者’を許した、と言う問題点を解決できるのだから。
「・・マジかよ・・・」
 心の底から嘆息しつつ、狼は天井を仰いだ。
――どこまで俺を面倒事に巻き込みゃ気が済むんだよ? えぇ、神。
 神界とやらで踏ん反り返っているだろう神に向かって、狼が胸中で呪詛を呟いたその時――
「お待たせ致しました〜」
 気の抜けた声と共にドアが開き、制服に着替えたフィーが入ってきた。
 極々平均的なブラウスにプリーツスカート、ブレザーと言う制服も、容姿の整った彼女が着れば似合わない訳はない。とは言え、守天使は総じて容姿が整っている。学校内でも他の守天使で見慣れた物だ。だが――
 どこか幼さの残る顔立ちをしたフィーには、殊の外良く似合っている。
「うん、似合ってるよフィーちゃん」
「ええ、とてもお似合いですよ」
 久義、リュイーに褒められ、フィーは「えへへ」と照れ笑いを浮かべる。そして
「どうですか、狼様?」
 と狼の前でクルリと回ってみせる。やはり、フィーにとっては自分の主である狼に一番認められたいのだろう。
 だが、狼はと言えば――
「何を言えってんだ?」
 疲れた様に紫煙交じりの言葉を返すだけだった。
「似合ってませんか?」
 泣きそうに尋ねるフィーに、「その二人が似合うっつったんなら似合ってんじゃねぇのか?」とどうでも良さそうに答え、タバコを灰皿に押し付けた。普通なら入る『照れ隠し』等とフォローすら入れられないのは、狼が本気でどうでも良さそうな表情だからである。
「あぅ〜、狼様〜・・」
 酷く気落ちした様子のフィーを他所に、狼は鞄を肩にかけると、スタスタとリビングを後にする。
「何処行くのさ?」
 尋ねてくる久義に、
「学校に決まってんだろ。無駄に早起きしたってのに遅刻じゃたまらねぇからな」
 と答え、玄関に向かう狼。
 そんな狼の後を「待ってくださいよぉ〜」と慌てて追いかけるフィー。その様子は、群れる事を知らない狼と、人懐っこい子犬と言った感じである。
「はぁ・・」
 久義は軽く溜め息を吐くと、リュイーを伴って二人を追いかける。その表には、苦笑と言うに少々疲れた笑みが浮かんでいた。




狼に何故、今まで守天使がいなかったのは分からなかったけれど。
美姫 「守天使が来たわね」
まあ、狼本人はいらないの一点張りだがな。しかし、見事に性格が違う感じだな。
美姫 「よね〜。これにより楽しい生活に……というよりも心労が増えそうな感じね」
傍で見ているとフィーの言動は面白いんだがな。
美姫 「これから二人がどうなるのか、ちょっと気になるわね」
だよな。かなり楽しみだな。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
待っています。



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