『左手に風を、右手に雷を』
「いらん。帰れ」
少女――フィーが言い終えた直後、狼が紫煙混じりに即答した。
「はい、今日よりあなた様の楯として・・・って、えぇ〜っ! な、何でですか!? 守天使ですよ!? 最強のボディーガードですよ!?」
まさか断られるとは思っていなかったのか、誓いの言葉を言おうとした途中で断られた事に気づき、慌てるフィー。
対照的に、狼は落ち着き払って
「いらんもんはいらん。つー訳で帰れ」
と返し、スタスタ歩き去ろうとする。
その腰に抱きつき、
「ちょっと〜! 待ってくださいよ〜! 何でですか! 何でなんですかぁ〜!」
と泣きすがるフィー。
何と言うか、その光景はまるで――
「・・おもちゃ売り場で駄々捏ねてる子供みたいだね」
呆気に取られたように眺めつつ、久義が呟く。リュイーも今度ばかりはフォローできないのか、コクリと首肯して見せた。
そんな二人を置き去りに、狼とフィーのやり取りは続く。
「狼様〜、いきなり断るなんて酷いですよ〜!」
「いきなりも何もあるか。いらねぇっつったらいらねぇっての」
「だ〜か〜ら〜、何でですか〜? 守天使ですよ? 異種に遭っても怖くないんですよ?」
「いや、んなモン今でも怖かねぇし」
「うわぁぁ〜ん、狼様〜」
「まとわりつくなってぇの、邪魔だから」
「うわぁぁぁぁ〜ん」
涙を流しつつ狼の腰にしがみつき、何とか説得しようとするフィーと、フィーの言葉を即断即決で切り捨てながら、煩そうに腰元の荷物(フィー)を見る狼。
暫しその状態で言い合っていた狼だったが、ついに焦れたのか、フィーの首筋を掴んで右腕一本でヒョイっと摘み上げた。
「狼さま〜、私、猫じゃないですよぉ〜・・」
狼に摘み上げられ、小動物めいた視線を向けながら非難の声を上げるフィー。対して狼は左手で頭をガリガリ掻きつつ、フィーの言葉など完全無視で傍観を決め込んでいる二人に視線を向けた。
「なぁ、そこの傍観者A・B」
「何?」
声をかけられ、傍観者Aこと久義が答える。その表情には、今の状況を楽しんでいる事がありありと見て取れる。それを見てまともな意見は期待できないと悟ったか、狼は久義を視線の外に追い出した。
「いや・・・お前はやっぱいい。で、傍観者B」
「はい、何でしょう?」
今度は傍観者Bことリュイーが答える。こちらも何となく楽しんでそうな感じは見えるが――
――ま、あっちの有害物質に比べりゃ幾分マシか・・。
胸中で嘆息交じりにごち、続ける。
「コレ、どうしたら良いと思うよ?」
摘んだ荷物を指し示しつつ、尋ねる。「コレじゃないです〜! フィーです〜!」と言う声が聞こえた様な気がしたが、気にしない事にする。
「ソレをどうするかは、私にお答え出来る事ではありませんよ。迅野様がお決めにならなければ」
苦笑交じりに答えるリュイー。今度は「あぁっ! そちらの守天使の方まで! 私は荷物じゃないですよぉ〜」と言う声が聞こえた様な気がするが、やはり気にしない事にする。
「正直いらんのだが。こんなの」
「こんなの!?」
「まぁ、役に立つかは置いておいて、お話位は聞いてあげてもよろしいのでは?」
「置いといて!?」
狼とリュイーの会話の間も何やら喚き続けるフィーだが、当の二人は全く気に留めた様子もない。
「だってよ、完全無意味だぞ、俺には」
「無意味!?」
「確かに迅野様には不要かとも思いますが・・」
「不要とまで!?」
傍から観察している久義にはフィーが哀れに思えてきたが、狼とリュイーの会話はまだ続く。狼やリュイーの一言一言に大げさな位のリアクションを返すフィーは、見ていて面白いのは確かだが、全く相手にもされていない以上単なる道化と言うか、それにすらなり切れていないと言うか・・・哀れとしか言い様がない。
「もしかしたら、何かのお役に立つかもしれませんし」
「・・・もしかしたらって」
「立つと思うか?」
「立ちますよぉ・・」
「えっと・・どうでしょう?」
「あぅ・・」
とうとう虚しさも限界に達したのか、フィーはプラプラと揺れつつも人差し指と人差し指をつつき合わせていじけだす。それを見て、さすがに哀れ過ぎて見ていられなくなった久義が二人に声をかけた。
「あのさ、ローにリュイー」
「ん?」
「え?」
振り向いた二人に、フィーを指差して続けた。
「フィー・・ちゃんだっけ? 完全にいじけてるよ?」
それを見てリュイーは「やりすぎちゃいました?」と苦笑交じりに反省の表情を浮かべるが――
「問題あるのか?」
狼は全く解らんとばかりに尋ね返した。
「うぅ・・ひっく・・・」
「・・・で、何で俺ん家なんだ?」
リビングの隅で壁に向かって体育座りのフィーを横目に、嘆息交じりで狼が尋ねる。久義、リュイーと言えば勝手知ったる人の家。リュイーがお茶を入れ、久義はそれを飲みつつ心底リラックスしていた。
「何でって、一応ローの守天使候補だから?」
ずずっとお茶を啜りつつ答えた久義に「何で疑問系?」とリュイーが突っ込んだ。『一応』やら『候補』の単語にフィーの肩がピクンと動くが、狼達が気づく様子は全くない。
「だから俺はいらねぇっつーに」
「でもあんなに可愛い子を追い返すのは可哀想じゃない?」
「いや、関係どこにあるよ、それ?」
「ん? 漢の浪漫」
「んなモン知らん」
「ですが、実際迅野様が守天使を連れておられないのは確かですし・・」
「だから、いらねぇっつの」
と、ここまで会話を交わした時、フィーが突然ガバッと立ち上がり――
「狼様〜! 捨てないでくださいよぉ〜〜!」
と泣き叫びつつ、突進さながらの勢いで抱きついた。
それを見て久義が「ヒュ〜」と口笛を吹き、リュイーは「あらあら」と苦笑を浮かべた。が、抱きつかれた当の本人はと言えば――
「安心しろ。捨てる以前に拾ってすらいねぇ」
全くもって平然としていた。
「狼様〜、お願いですから〜! きっとお役に立ちますから〜!」
抱きつく力を強めつつ懇願するフィーを「いらんから離れろ。邪魔」とスッパリ切り捨てる狼。それでもフィーは離れようとしない。仕方なく、首筋を掴んでヒョイッと隣のソファーに放り捨てる。
「ふにゃっ!」
ポフン、と言うソファーの弾む音と共に、猫の様な鳴き声を出すフィーを、狼は冷めた目で見据えた。
「はぁ〜、ったく・・」
嘆息交じりに視線を天井に向け、ガリガリと頭を掻く。ついでとばかりにタバコを取り出して火を点ける。見るとはなしに紫煙を眺めつつ
――あ〜・・本気で面倒事になりやがったよ・・ったりぃなぁ・・。
胸中で愚痴を零す。
普段からの気だるげな雰囲気が、輪をかけてだるそうなものになる。
が、そんな狼の心中に気づく事無く、フィーはめげずに言葉を続けた。
「お願」
「却下」
短い応酬。フィーの言葉を遮って響いた狼の言葉に一瞬怯むも、フィーはめげない。
「何がご不満なんですか? 教えてください。直しますから」
真剣な瞳で尋ねるフィーに視線すら向けぬまま
「不満も何もよ。俺より弱い奴がどうやって俺を守るってんだよ?」
と逆に尋ね返した。
これには、フィーも一瞬言葉に詰まった。
自分が苦戦――と言うか、逃げるだけで精一杯だった異種を、狼はいともたやすく倒してのけた。汗どころか、息一つ荒げないままに、だ。それも、守天使であるリュイーが一体を倒す間に二体。これを見ただけでも、フィーと狼の戦闘力の差は圧倒的だと解る。
解るのだが――
「守ります!」
真正面から狼の目を見つめ、ハッキリと言い切るフィー。
そんなフィーに対して、狼は
「どうやって?」
心底不思議そうに尋ねた。その間、一秒とあかず、逡巡、躊躇いの類は一切なし。紫煙越しの狼の表情は動いてすらおらず、フィーの一大決心など何処吹く風である。
そんな狼の言葉に一瞬たじろぐも、フィーは気丈に言葉を返す。
「どうにかして!」
「具体的には?」
「え〜っと・・・その・・。努力と・・根性、とか?」
「無理。つーかむしろ不可能」
フィーが言葉を発する度に即返される狼の言葉に、徐々に泣きそうな表情になりつつ、諦め切れないらしくフィーはなおも言い募る。
「あぅ・・、何で言い切っちゃいますかぁ? やって見なきゃ解らないじゃないですかぁ〜」
右手で吸い終えたタバコを灰皿に押し付けつつ、左手で頭をガリガリと掻く。そして面倒くさそうに嘆息交じりに
「やらんでも解るって」
と返すと、「リュイー、悪ぃけど俺にも茶ぁくれ」とリュイーに視線を移して続ける。
「はい、ちょっとお待ちくださいね」
そう言って席を立つリュイーと
「あ、何でリュイー使うのさ。リュイーは僕んだぞ」
と膨れっ面の久義。
「阿呆、家主抜きで茶ぁ啜ってるテメェが言う事か」
「ダメって言われてないもん」
「良いともいってねぇぞ、俺」
「まぁ、それが僕だしね」
「いや、それは人としてどうよ?」
いつもと何ら変わらない状態でやり取りする狼と久義。何と言うか、完全にフィーは蚊帳の外と言うか、意識の外に追い出されている様だ。
「あ、それはローに言われたくないなぁ」
「何でだ」
「だってローのが化け物じゃんか」
「何つー言い草だよ、おい」
「って、無視しないで下さいよぉ〜〜〜っ!」
完全に置いてきぼりをくらったフィーが涙を浮かべつつ叫んだ。びっくりした表情でフィーに向き直る久義と、『あぁ、そういや何かいたな』と言う表情で面倒そうに視線を移す狼。
「何か用か?」
タバコに火を点けつつの狼の言葉に、フィーの目に涙がブワッと浮かぶ。が、何とか気を取り直して口を開いた。
「話終わってないじゃないですかぁ〜」
「いや、だから何の?」
「忘れてますか? 完全に忘れ去っておいでですか?」
「ふむ?」
紫煙の燻らせつつ、視線を天井に動かして思い出すような動作をした後――
「悪ぃ。完璧忘れた」
と真顔で告げた。
その言葉に、フィーが「えぐっ・・ぐすっ・・」と小さくしゃくりあげ、流石の久義も「あ、あはは・・」と乾いた笑みでソファーに座ったままずっこけた。そんな二人を気にする事もなく、
「悪ぃ、どーでも良い事は記憶しない主義なんで」
と灰皿に灰を落とす狼。
そして、狼の湯飲みをもって戻ってきたリュイーも「あらら・・」と苦笑交じりで固まっていた。が、それも一瞬、直ぐに我に返ると、「お待たせしました」と狼の前に湯飲みをおき、久義の隣にかけなおした。
「悪ぃな」と短く言ってずずっと茶を啜る。そんな狼に、ようやく復活したフィーが口を開いた。
「だから、理由ですよ、理由! 私が守天使としてお役に立てない理由です!」
必死な様子で尋ねるフィーに、「何か健気だねぇ」「うん、可愛いわよね」と小声で会話する久義とリュイー。何と言うか、その視線は孫を見守る老夫婦と言うか、まぁ、そんな微笑ましいものを見る様なものである。が、一方の狼は『そーいやそんな事話してたっけか』と言う表情で茶を啜っていた。そして湯飲みを置くと、タバコを再び灰皿に押し付け、フィーに視線を向ける。
「お前にバトルセンス皆無だからだろ。そんなの」
解り切った事を聞くな、とばかりの狼の言葉に、フィーがカキンっと硬直した。
「・・・えっと、あの?」
解っていない様子のフィーに、狼は一つ深い溜め息を吐いて続けた。
「複数の相手との戦闘ってのはな、どの敵がどっから仕掛けてくるのか。どの敵の攻撃が一番早く自分に届くのか。どの敵が一番厄介なのか。どの攻撃からどうやって捌くのか。どの敵にどの順番でどう仕掛けるか。それをキッチリ判断できなきゃ無理だ。さっきのバトルを見た限りじゃ、お前にはそれが決定的に欠けてるんだよ」
『欠けている』と言われ、ムッとした様なフィーが反論するより早く、狼が続ける。
「さっきのバトルじゃ、お前は明らかに異種の攻撃を捌く順番を間違えてたろ? 本来2番目、3番目に到達する筈の攻撃を真っ先に防いじまって、その結果1番に防がなきゃならねぇ攻撃が防げねぇ。だから本当なら反撃できる筈のタイミングだってのに、それを避けるので浪費しちまう。で、後はその連続だ。続けば続く程タイミングはズレるし、それで焦っちまってるから更に状況が悪くなる」
呆然と聞き入るフィーをよそに、新しいタバコに火を点け、燻らせながら続ける狼。
「要は把握力と判断力だ。お前はそれが低いのか見当違いなのか解らんが、それに欠けてる。ま、それがあった所で実行するだけの身体能力がなきゃ無理なんだがな」
そしてリュイーに視線を向け、
「ま、ここまでは俺のバトルスタイルでの話しだがよ。主天使にしたってそんなに大きくはかわらねぇだろ?」
と尋ねる。
その言葉に、「そうですね」と答え、リュイーが持っていた湯飲みを下ろす。
「守天使の場合は、身体能力と言うよりは『真理』による術式戦闘になりますから。純粋な意味での身体能力、と言うのは迅野様よりは重要視されません。ですが、戦いに際しての思考法と理論は大きくは変わりませんね」
肯定する意見を返したリュイー。狼はトントンとタバコを灰皿の縁に軽く叩きつけ、灰を落として続けた。
「だろーな。ま、俺で言うどの角度で掌打をとかどの打撃でってとこが、術式とやらを構築する速度やら最適な術式を選ぶってのに変わるって事だろ?」
「ええ。そうなります」
頷くリュイーに、狼も軽く頷いて見せ、フィーへと視線を向ける。
「って事だ。満足したかよ?」
呆然としている様子のフィーを見て、狼はガリガリと頭を掻く。暫く固まってるだろうな、と判断すると湯飲みを取って茶を啜る事にした。
「もう一杯、お飲みになりますか?」
立ち上がりつつ尋ねてくるリュイーに「おう、頼むわ」と返し、天井に上る紫煙を気だるげに眺める。久義はと言えば、全く理解できない話など聞く気もしなかったのか、いつの間にやら鞄から雑誌を取り出して眺めていた。
やがてリュイーが茶を入れなおした湯飲みを手に戻ってきて、三人して静かに茶を啜りだした時――
「す、すごいです! すごいです狼様!」
突然フィーが大声を上げた。
あまりにも突然のフィーの大声に、久義がまだ熱い茶を一気に飲んでしまい目を白黒させ、リュイーもケホケホと咽ていた。唯一湯飲みをテーブルに戻そうとしていた狼だけが難を逃れ、冷めた視線をフィーに送った。
が、そんな事など全く気づかず、フィーはまるで夢見る乙女といった視線を中に向け、うっとりした様子で続けていた。
「さすがです! かっこいいです! さすが私の使えるお方ですぅ〜!」
漫画かアニメなら周りに花やらキラキラと無意味にきらびやかな光が舞っていそうな、ある種一昔前の少女マンガライクな、実際に見ると異様極まる空気を纏い、『すごい』『かっこいい』と連呼するフィー。そんな彼女を遠巻きに眺めつつ、
「壊れたか?」
「うん、壊れたね」
「迅野様、どうしましょう?」
「摘み出すか?」
「やっぱりイエローピーポー呼ぼっか」
等と嘆息交じりに話していた。その間も、フィーを包む乙女チックフィールドは薄れる気配すらない。
いい加減狼が痺れを切らし、力付くで追い出すか、等と考え出した頃になってようやくフィーに動きが出た。
フィールドを保持したまま狼に駆け寄り、狼の左手を両手でガシッと握り――
「やはり狼様こそ私がお使えするお方です! 今日から二人でがんばりましょう!」
と銀河系を内包した様なキラキラした瞳を向けて言った。