『左手に風を、右手に雷を』
夕闇も迫る時刻といえど、駅前の混雑は変わらない。学校から、会社から帰路を辿る人々で賑わっている。『帰ったら何をしようか』と話す女子高生。携帯で何かを話すサラリーマン。道の端で会話に話を咲かせる主婦。喧騒を生み出す者達は個としてみれば様々だ。だが、一つだけ共通点がある。
それは、必ず男女一組である事。
例えば、井戸端会議の最中で主婦達は、ペチャクチャ喋る主婦四人と、それぞれの隣に立つ男性が4人。携帯で話すサラリーマンの隣にも女性が一人、といった具合に、この喧騒は男女一組が無数に集まって出来ている。そして、そのどちらかは蒼と緑のオッドアイをした守天使。
老若男女関係なく、一人の人間と一人の守天使で一組。初めて目にするものには異常に見える光景も、見慣れてしまえば違和感などなくなる。TVや携帯電話がもはや当たり前である様に、この光景も当たり前。違和感を抱く者等一人もいない。
そんな中で、唯一人狼は浮いていた。隣に居るべき守天使を伴わず、それでいてそれを恥じるでもなく、平然と歩く。傍らに久義とその守天使であるリュイーもいるが、二人の人間に一人の守天使、等と言うパターンがない事は常識になっている。一瞬、どうしたのか、と視線を向けるも、一度でも狼を目にした者なら『ああ、あの変わり者か』と興味をなくした様に視線を外す。年齢にそぐわない真っ白な髪と顔の傷跡と言う大きな特徴は、一目見れば強く印象に残るものだ。
「やっぱり目立ってるね〜、ローは」
己の守天使、リュイーと手を繋ぐ久義が、苦笑交じりに狼をからかう。
「人間が一人、と言うのは珍しい光景ですから。気になさらない方がよろしいですよ、迅野様」
久義相手の砕けた口調ではなく、丁寧な言葉遣いでフォローするリュイー。
「もとから気にしちゃいねぇよ」
冷めた口調で答え、スタスタと足を進める狼に、久義とリュイーは顔を見合わせて苦笑し、その後を追う。
駅周辺の喧騒も、一つ路地を挟めば遠くの事だ。車一台通らない道を三人は歩く。狼の家は町の外れにあり、久義の家もそれに程近い。開発され、開けた町の中心から離れると、田舎程ではないにしろ、人家も疎らで道を歩く者も少なくなる。時間帯によっては人通りなどなくなるのも稀ではない。
今日もどうやらそうらしく、ゲームにTV、あるいは漫画。そんな事を話しながら、狼、久義、リュイーの三人は無人の通りを歩く。
「でさ、ロー・・・ロー?」
自分が今はまっているゲームについて語っていた久義が、狼の表情の変化に気づいて不思議そうな声に変わった。
狼はいつも通りの無表情ではなく、幾分鋭い目つきで周囲を探る様に見渡す。
久義の隣では、リュイーもまた表情を険しくして繋いでいた手を離し、鞄を下においている。
それを見て、久義が事態に気づいたらしく、二人に向かって尋ねた。
「もしかして・・異種?」
「ああ、三体ってとこだ」
久義の言葉に肯定の返事を返しつつ、二歩ほど前に出る狼。リュイーは一歩だけ踏み出し、久義を背後に庇う。
と、不意に狼が訝しげな表情を浮かべた。
それに気づき、リュイーが尋ねるより早く――
「やーーーっ!」
どこか気の抜けた様な声と、一瞬送れてドカンと言う何かが砕ける様な音が響いた。
「交戦中・・ですか」
リュイーが短く呟くと同時に、何かがこちらに向かって近づいてくるのが見えた。と言うか――
「は、はわわ・・な、何で効かないですか〜!?」
先頭を走る少女を三体の異種が追いかけてきた。
「何、あれ・・?」
久義があっけに取られた様に呟く。
捻じれた獣の影の様な異種が三体。そして、それから逃げる少女。
ソレまでは良い。いや、マズイ状況には変わらないが、まぁ、納得できる。たまたま一人になった所を襲われたんだろうな、とでも思えばいい。
だが
「う、うわ! 危ないじゃないですか!? 酷いですよぉ〜!」
必死に異種の攻撃を避けながら先頭を走る少女は、杖を持っていた。明らかに、足が悪いから・・ではなく、守天使としての力『神理(しんり)』を発動させる媒介だろう。そして、少女の瞳。蒼と緑のオッドアイ。柔らかな栗色の髪とあどけなさを残す美しい顔立ちに、均整の取れたスタイル。整った容姿といい、その瞳といい、その杖といい、明らかに彼女は守天使であろう。
異種を倒す力を持ち、人間を守るはずの主天使が、何故か異種から逃げていた。
その光景に、久義はあっけに取られ、狼は怪訝そうな表情を浮かべ、リュイーは深く嘆息する。
が、それも一瞬。リュイーは表情を直ぐに厳しいものに戻し、
「迅野様、来ます」
と告げる。言うや否や三つ編みの髪に留められた髪留めを外し、小さく何かを呟いた。途端に、髪留めが光を放ち、伸びる。髪留めを失った三つ編みが解け、広がる頃には、リュイーの手には杖が握られていた。
一方、狼は無造作に一歩踏み込む。
「面倒事は嫌いなんだが・・・。仕方ねぇか」
嘆息交じりに呟くと、小さく呼気を吐く。真っ直ぐに異種を見据え、右半身を引いた状態で前傾姿勢に。
そして――
「ハアァっ!」
咆哮と同時に狼が弾丸めいた速さで飛び出す。瞬く間に距離を詰め、守天使の少女、その頭頂部に向けて振り下ろされた異種の腕に、真横から左の掌打をぶつけ、軌道をそらす。同時に弓を引くように引き絞られた右拳が一直線に異種の胸板に突き出された。
力を込めて振り下ろした腕をそらされ、無防備な異種の胸板に狼の右拳が激突。内部の骨を砕き、臓器を押し潰す。そのまま苦悶の声を上げる暇も与えず左の上段蹴りで蹴り飛ばす。
それとほぼ同時に狼の真横から異種が飛び掛った。守天使の少女がそれを見て慌てて杖を翳そうとするが、それよりも早く――
「遮りなさい!」
リュイーの叫びと共に狼と異種の間に白い光で出来た壁が立ち塞がる。光の壁に激突し、動きを止めた異種に、リュイーは再び叫ぶ。
「砕きなさい!」
その叫びと同時に異種の上に白い光の塊が無数に浮かび――そして、落下。隕石さながらに異種の体を打ち据え、砕く。
その光景を見ることもなく、狼は駆け出す。最短距離を一気に詰め、最後に残った異種の元へ。振るわれる腕を全て左腕の掌打でそらし、曝された胸板に高速の右拳。そのまま、いったん体を沈め、同時に引き絞った右拳を立ち上がりつつ、異種の顎先に向け撃ち放つ。顎の骨を砕き、頚骨を外し、それでも足りずに異種の首を吹き飛ばす。
この間、約2分。
そのたった二分で、異種は物言わぬ骸へと成り果てた。
呆然と眺める主天使の少女をよそに、シュウシュウと音を立てながら霧散していく異種に視線すら向けず、狼はスタスタとリュイーの元に歩いた。
「リュイー、悪ぃけど水、出してくれ」
その声にリュイーが頷き、差し出された狼の両手の上に翳す。
「水よ」
リュイーが呟くと、杖の先端から透明な水が溢れた。その水で狼は手を洗い――
「悪ぃな」
両手軽く振って水気を払うと、駆け寄ってきた久義が「ほら、ロー」とタオルを差し出した。無言のまま受け取り、無造作に手を拭って久義にタオルを投げ渡す。
「あ、ありがとう位良いなよ」
「異種ブッ倒したのでチャラだろ」
膨れる久義に、手をひらひらと振って答える。
「確かに、一人ではかなり長引いていたでしょう」
狼相手の敬語で言うリュイー。
「それはそうだけど・・。ま、いいか」
「おぅ、いいって事にしとけ」
胸元から取り出したタバコを咥え、火を点けつつ返す狼に、リュイーと久義が顔を見合わせて苦笑する。
「んじゃ、帰ろうぜ」
久義から鞄を受け取り、紫煙を燻らせながら狼が歩き出し――
「いや、ちょっと待とうよ!」
久義がすかさず突っ込んだ。
怪訝そうに振り返る狼に、久義は
「あの子ほっとくの?」
と座り込んでいる守天使の少女を示した。
「どうしろってんだ?」
心底怪訝そうな狼の言葉に、久義はガクリと肩を降ろす。
「いやあのね、大丈夫、とか聞こうよ」
「外傷がないのは確認したが」
「いつの間に!?」
「異種の腕、いなした時」
「どうやって!?」
「そいつも視界に入った」
「それだけで!?」
「ああ」
あくまで平然と返す狼に、久義は再びガックリ肩を落として呟く。
「・・・どこまで人間離れしてんのさ、ローって」
「まぁ、迅野様ですし・・」
久義の呟きに同意する様に、リュイーも苦笑する。そんな二人に、狼は頭をガリガリと掻いて「酷ぇ言い草だな、おい・・」と紫煙交じりの嘆息を一つ。
「ジンノ・ロー?」
呟くような声に、狼達は視線をその発信源に向けた。その先では未だ座り込んだままの守天使の少女が「ジンノ・ロー」と呟き続けている。
「・・・壊れちゃった?」
ポツリと失礼極まる発言をしながら小首を傾げる久義に、「こらこら」とリュイーが苦笑交じりに突っ込む。一方、名前を連呼されている狼は、変な物でも見るような視線を守天使の少女に向けて紫煙を燻らす。
が、そんな事など気づきもせず、守天使の少女はジンノ・ローこと、狼を上から下まで何度も眺めていた。
「カムヒア・イエローピーポー?」
「久義、黄色い救急車って単なるフォークロアの一種だよ?」
またも失礼極まる発言をする久義に、リュイーが突っ込む。
「異種を素手で倒す人間がいるんだから、実際あってもおかしくないんじゃ」
「いや、そこで俺を引き合いにだすなよ」
今度は狼が突っ込んだ。
その間も狼を上から下まで眺め、今度は下から上まで眺め、しつつ「ジンノ・ロー」と呟き続けた少女だが――
「迅野狼!」
と突然大声を上げた。
そして、勢い良く立ち上がり――
「あわ、あわわぁ〜」
何故かバランスを崩して転びかけた。
ガシッ
「・・さっきから何してんだ、お前は」
転ぶより早く少女の首根っこをつかみ、心底呆れた様に呟く狼。猫の様に狼にぶら下げられ、「はわ、あわ、うわ」とジタバタする少女を嘆息交じりに立たせてやり、吸い終えたタバコに代わり、新しいタバコに火をつける。
少女はそんな狼の前で背筋を正すと
「失礼いたしました。迅野狼様でよろしいですよね」
と尋ねる。
狼が「ああ」と短く肯定すると、少女は一度深々とお辞儀し、狼の目を真っ直ぐに見て続けた。
「私はフィーリスティー・クラン。フィー、とお呼びください。今日より守天使として、迅野狼様をお守りいたします」