『ニーベルングの指輪』
第三夜 神々の黄昏
第二幕 告げられた秘密
ハーゲンは自分の部屋にいた。そこは寝室であり簡素なベッドがある。その白いベッドの横にある椅子に座って瞑想をしていた。その彼のところにだ。
「ハーゲンよ」
彼の頭の中にである。アルベリヒが出て来て声をかけてきたのである。
「我が子よ、眠っているのか?」
「その声は」
「安息と眠りはわしにはない。だが御前はどうなのだ?」
「聞こえている」
こう返すハーゲンだった。
「だが。何の用なのだ?」
「御前に告げる為に来た」
「私にか」
「そうだ。御前は思うままに使える力を持っている」
それを言ったのである。
「それを告げる為にだ」
「そのことはもう知っているが」
「あの女はわしの為に御前という男を産んでくれた」
「母は私に勇気を授けてくれた」
ハーゲンはまずこのことを話した。
「しかしだ」
「しかし。何だ?」
「あんたは私に何を授けてくれた」
頭の中にいる父に問うたのである。
「何をだ」
「知恵を授けたが」
「悪知恵をだな」
こう言い返すハーゲンだった。
「そんなものは有り難いとは思わぬ」
「またそんなことを言うのか」
「あんたはただ自分の精を母の中に入れただけだ」
「愛なぞなくとも子はできる」
アルベリヒはせせら笑うようにして述べてきた。
「女を抱けないわしでもな」
「そんな風にして生まれて嬉しいものか」
ハーゲンは忌々しげに告げた。
「ただ生まれただけなのだからな」
「その憎しみこそがいいのだ」
アルベリヒは我が子のその憎しみをかえって喜んでいた。
「そして陽気な奴等をだ」
「この世もか」
「わしは楽しみを知らず苦痛を背負っている」
それが彼なのだというのだ。
「そのわしを御前は愛する」
「そのつもりはない」
「だがそれは義務だ」
また我が子に言い返す。
「力が強く大胆で賢くもあるな」
「それが何の役に立つのだ」
「わしの役に立つ」
あくまで彼本意である。
「わしは今ニーベルングの軍勢を編成している」
「小人達の軍が何の役に立つ」
「神々を滅ぼす」
そうするというのである。
「これからヴァルハラに登ってだ」
「そして神々になるのだな」
「そうだ。神にだ」
それが彼の野心であった。
「かつてわしから指輪を奪ったあの憎むべきヴォータンはだ」
「最早力はないな」
「己の血を引いたヴェルズングのジークフリートに敗れた」
「そして力を失った」
「奴と光の精達に残っているのは破滅だけ」
そして言った。
「神々の黄昏だけだ」
「そしてあんたが新たな神になる」
「わしが全てを支配するのだ」
そのどす黒い笑みと共に語る。
「そして御前もだ」
「私もか」
「そうだ。わしの後は御前だ」
まるで悪事を囁く様な言葉である。
「御前なのだよ」
「私が神になるのだな」
「御前の忠誠がいかがわしいものでなければだ」
アルベリヒも馬鹿ではない。このことはもう察していた。
「わしは既に動いていた」
「既にか」
「ジークフリートは大蛇を倒し指輪を手に入れ」
今度はこのことを話したのである。
「そしてヴォータンを倒しあらゆる力を手に入れた」
「そうだな」
「あの愚か者は自覚はしていないが」
これは彼等にとっては幸いであった。
「ヴァルハラもニーベルングも逆らえぬ」
「指輪の力によって」
「わしでさえもだ」
当然ニーベルングの王であるアルベリヒもであった。
「あの恐れを知らぬ勇士の前ではだ」
「しかしあの男はだ」
「指輪の価値を知らずその魔力も使わない」
やはり彼は指輪を知らなかった。
「ただ愛だけを見て幸福だけを求めている」
「その通りだな」
「その愚か者を倒すのが御前だ」
「それは安心するのだ」
父の問いに静かに述べたハーゲンだった。
「既に私の手の中にある
「もう来ているのだな」
「既にギービヒの為に動いている」
「では指輪を手に入れろ」
アルベリヒの今の言葉は命令だった。
「よいな」
「そうしろというのか」
「あのラインの乙女共やローゲはだ」
彼等のことを話すにあたっては実に忌々しげである。
「あ奴に入れ知恵をして指輪を元に戻そうとするかも知れぬ」
「そうなれば私は神にはなれない」
「わしもじゃ。あの愚か者は権力にも富にも興味はない」
「見ているのは愛だけだ」
「愛なぞ何にもならぬ」
既にそれを捨てているアルベリヒだからこその言葉である。
「何一つとしてだ。役に立つのは権力と富だけだ」
「その通りだな」
「だからだ。早くだ」
またハーゲンに命じるのだった。
「あの指輪を手に入れろ。その為の御前なのだからな」
「私の役目というのだな」
「御前もまた恐れを知らぬ」
ハーゲンもまたなのだ。
「その御前に命じるのだ。それではだ」
「それでは。何だ?今度は」
「このことを誓うか」
「指輪を手に入れることをか」
「そうだ。誓うのかどうなのだ?」
「私は私の為に指輪を手に入れる」
父のことは考えていなかった。あくまで自分が神になろうというのである。
「私に誓う。心配は無用だ」
「ふむ、まあいい」
その誓いは自分に対するものではないので不満だったが頷くことにしたアルベリヒだった。そしてそのうえでまた言うのであった。
「では指輪をだ」
「わかった」
こうしたやり取りをするのだった。これで話は終わった。そして朝になるとだ。ジークフリートが宮殿に帰って来たのである。
彼はすぐにハーゲンを呼んだ。
「ハーゲン、起きているか?」
宮殿の庭で彼を呼ぶ。そのあまりにも広い庭の中でだ。周りは黄金色の宮殿に囲まれている。その庭も緑の芝生に青い水と美しいものである。
「起きているのか?」
「何だ?」
ハーゲンは彼を待っていた。しかしそれを隠して今起きた顔で彼の前に出た。そしてそのうえで起きたばかりの表情を作って彼に問うたのである。
「ジークフリートか」
「そうだ、私だ」
既に彼自身の姿に戻っていた。
「今戻ったところだ」
「そうか、早いな」
今度は親しげな顔を作っての言葉である。
「あの岩屋からもうか」
「そうだ。それでグンター達は後から来る」
「二人というとだ」
「ブリュンヒルテもいる」
ここで彼は勝ち誇った様な顔になるのだった。
「既にだ。安心してくれ」
「そうか。それは何よりだ」
それを聞いて安心した顔を見せるハーゲンだった。
「よくやってくれた」
「そしてグートルーネは?」
「あれは朝が早い」
妹のことはそのまま述べたのである。
「もう起きている時間だ」
「そうか。それは好都合だな」
「グートルーネ」
早速彼女を呼ぶハーゲンだった。
「庭に来るのだ。ジークフリートが帰って来た」
「私はここにいる」
ジークフリートも言う。
「ここだにだ」
「躊躇わずに迎えに来るのだ」
「ギービヒの姫よ」
ジークフリートの言葉は朗らかである。
「さあ、どうかここに」
「まさかもう帰って来られたなんて」
そのグートルーネが出て来た。彼女は素直にその早い帰還に驚いていた。
「何という方なのかしら」
「今日は」
ジークフリートはその彼女にこれ以上はないまでに明るい笑顔を向けて告げた。
「貴女を妻にする為にここに」
「では兄上もまた」
「その通りだ」
朗らかにそのことも告げるのだった。
「既に彼の傍に」
「兄上は炎に燃やされなかったのですね」
「私がその代わりになって進んだのだ」
このことをここでも話すのだった。
「それによってなのだ」
「炎は怖くないのですか?」
「燃え立つ炎は私を喜ばせるだけだ
「何と」
このことはグートルーネにとっては驚く他ないことだった。
「炎ですらもですか」
「そう。私は恐れを知らないのだから」
「彼は真の勇士だ」
ハーゲンもグートルーネに親しげに言ってみせた。
「だから案ずることはないのだ」
「炎ですらも貴方を」
「恐れはしない」
「しかしそのブリュンヒルテという方は貴方を兄上と思ったのですね?」
「ハーゲンに教えてもらった通りだった」
ジークフリートはここでハーゲンを見て語った。
「隠れ兜の力を使って貴女の兄上の姿になったのだから」
「私はいい忠告をした」
「全くだ」
「そしてその人は兄上と共に」
「今下っている。結婚はしていないのでお互い離れてはいるが」
ここでこう言うのだった。
「グンターは生真面目だ。結婚しないと肌を触れないというのだから」
「あれはそういう男なのだ」
ハーゲンも言うのだった。
「だから今まで一人だったのだ」
「そうだな。実は私にしても」
「貴方もですか」
「その証にまだ貴女に触れてはいない」
グートルーネを見たうえで微笑んだ言葉だった。
「それが何よりの証ではないか」
「そうですね。確かに」
ジークフリートは嘘を言っていない。このことはグートルーネにもわかった。それで彼女も納得した顔で彼の説明に頷いたのであった。
そうしてだ。グートルーネは二人に言うのであった。明るい笑顔で。
「それでなのですが」
「それで?」
「そうです。兄上がもう戻られます」
その話をするのである。
「ですから婚礼の式の準備を」
「そうだな」
ハーゲンは今の彼女の言葉に頷いた。
「それではすぐにだな」
「ハーゲン、家の者達を」
「ここに集めるのだな」
「私は女達を集めます」
彼女はそうするという。
「すぐにそうしますので」
「わかった」
彼女のその言葉に頷くハーゲンだった。
「ではすぐにだな」
「はい、では私はこれで」
「私も人を呼ぶのに協力しよう」
ジークフリートは二人の手伝いをすると申し出た。
「では角笛を吹こうか」
「いや、それはいい」
「貴方は旅から戻られたばかりですから」
しかしそれは二人によって止められてしまった。
「休むといい」
「どうかそうして下さい」
「休めというのか」
「今帰って来たばかりですから」
グートルーネは優しく彼に告げた。
「ですから」
「そうか、そう言うのならだ」
ジークフリートもそれに頷いた。そうしてだった。
「では私は休ませてもらおう」
「そうして下さい。ではハーゲン」
「うむ」
話は二人のものになっていた。
「私はこれで」
「ここは私が引き受けよう」
「それでは」
こうしてジークフリートは休みに入りグートルーネは女達を呼びに向かった。ハーゲンは彼等がそれぞれの場所に向かったのを見届けてから角笛を吹いた。それは高らかに宮殿全体に鳴り響いた。
それを鳴らしてからだ。彼はさらに言うのであった。
「ホイホー!ホイホー!ホホーーー、ホーーーーー!」
まずは高らかに叫ぶ。
「ギービヒの者達集え!武器を手に集え!」
こう叫んで家の者達を呼ぶのである。
「全ての武器を!鋭い武器を!今は危急の時ぞ!」
「角笛が鳴っただと!?」
「軍を集めるのか」
「それではだ」
「今こそここに!」
その声に応えて四方八方から黒い軍服の男達が出て来た。ブーツも黒である。そしてその手にはそれぞれ槍や剣、斧といったものを手にしている。
その彼等がだ。庭の中央にいるハーゲンに問うのだった。
「危機とは何だ?」
「戦いか?」
「グンター様の身が危ないのか?」
「何故武器が必要か!」
言いながら集まるのだった。
「ハーゲン!」
「ホイホーーーー!」
彼等もまた叫ぶ。
「ホホーーー!ホーーーーー!」
「武器を固め休むことをするな」
ハーゲンは己の周りに集う彼等に告げる。
「グンターを迎えるのだ」
「グンター様を」
「御無事なのだな」
「そう、彼は無事だ」
そのことは保障する。
「妻を迎えるのだ」
「妻をか」
「あの方が」
「そうだ」
まさにその通りだという。
「恐れを知らぬ妻をだ」
「何と」
「あの方もいよいよ」
「それではだ」
彼等はハーゲンにさらに問うた。
「何故我等はここに集う」
「ここで何をするのだ」
「何をすればいいのだ」
「まずは強い雄牛を屠る」
最初にそれをせよというのだ。
「ヴォータンの為にだ」
「我等の神の為に」
「その為に」
「そしてその血をヴォータンの聖なる石に注ぐのだ」
全てはヴォータンへの祝福の為であった。
「そしてだ」
「そして」
「次は」
「ドンナーの為にたくましい雄山羊を屠る」
彼の神獣である。
「そしてフローの為にはだ」
「猪だな」
「それをだな」
「そうだ」
家臣達の問いに答える。
「そしてフリッカには羊をだ」
「フライアには林檎を」
「ワルキューレには鳥を」
彼等は既にそこまでわかっていた。全ては婚礼に祝われ食べられるものだ。
そしてである。彼等はさらに言った。
「そして火を灯そう」
「ローゲの為に」
「角の杯を手に取り」
ハーゲンの言葉は続く。
「女達から酒を受けるのだ」
「酒を」
「祝いの酒をだな」
「蜜酒も葡萄酒もだ」
どちらもだという。そしてである。
「麦酒も出すのだ」
「全ての酒をだな」
「それを」
「そう、出すのだ」
まさにそうせよという。
「そしてすっかり酔いの回るまで飲むのだ」
「おお、それならだ」
「望むところだ」
誰もがハーゲンの今の言葉には応える。
「どれだけでも飲んでみせよう」
「そしてグンター様を祝おう」
「是非共だ」
「そうしてみせよう」
「飲み歌うのだ」
ハーゲンの言葉はさらに続く。
「幸福な結婚であるように」
「その為に」
「我等が」
「そうだ。神々を祭るのだ」
ここではハーゲンの言葉は空虚になったが気付く者はいなかった。
「そうするのだ。いいな」
「わかった」
「我等の祝いの声を響かせてみせよう」
「このライン全体にだ」
彼等もハーゲンの言葉に応え高らかに言う。
「我等の声を響かせよう」
「しかしだ」
「そうだな」
そしてここでこうもう言うのであった。
「あの気難しいハーゲンがここまではしゃぐとは」
「それだけ嬉しいのか」
「ハーゲルドンも刺すことはないな」
さんざしのことである。それを刺すこともないのだという。
「もうな」
「それもないな」
「婚礼の披露役か」
「あのハーゲンが」
「では強き者達よ」
ハーゲンはまた彼等に告げた。
「彼等を出迎えよう」
「そうだな」
「今ここでだ」
彼等も満面の笑顔で応えてそれぞれ言う。
「グンター様と奥方をだ」
「その方にもお仕えする為に」
「是非共だ」
「その方に災いが生じたならばだ」
これはハーゲンの策略だった。誰も気付いてはいないが。
「復讐を躊躇うな!」
「無論だ!」
「我等全員今それを誓おう!」
「ここでだ!」
彼等は勇ましく口々に誓う。その手の武器を高々に掲げて。
「グンター様万歳!」
「ギービヒ家に繁栄と栄光あれ!」
その言葉と共に今グンターが戻って来た。その後ろにはブリュンヒルテがいる。彼の顔は朗らかだが花嫁の顔は蒼ざめている。しかし今はハーゲン以外はそのことに気付いてはいない。ハーゲンもまたそれを言うつもりは今は全くないのであった。
そしてである。グンターは晴れやかに自分の家臣達に告げるのだった。
「愛する者達よ」
「はい、グンター様」
「ようこそ戻られました」
「今日は妻を連れてきた」
自分でもこのことを話すのだった。
「ブリュンヒルテという。これだけ気高い女は今までいなかった」
「それだけの方を」
「妻に迎えられるのですね」
「神々は我が一族に恵みを下された」
ブリュンヒルテを見ながらの言葉である。
「それを祝ってもらいたい」
「無論です、それは」
そして誰もが笑顔で応えた。
「我等が主グンター様の為に」
「喜んで」
「そしてだ」
さらに言う彼だった。
「私だけではなく妹もまた」
「グートルーネ様もですか」
「結婚されるのですか」
「そうだ」
それもその通りだというのだった。
「あれもまただ」
「どなたと結婚されるのですか?」
「それで」
「ジークフリートという」
グンターは周りの家臣達にその名を告げた。
「彼が妹の夫となるのだ」
「二組の夫婦が今誕生する」
「このギービヒの家に」
ハーゲン以外の全ての者が素直に喜んでいる。
「何という喜びか」
「まさに神の恩恵に他ならない」
「これ以上の恵みはないぞ」
「しかしだ」
ここでようやく家臣の中の一人が気付いたのだった。
「花嫁の方は」
「そういえば」
「確かに」
そして一人が気付くと次々にであった。
「夢見心地というのか」
「心はここにはないのか」
「そう見えるな」
「何故だ?」
そしてであった。家臣達の前に出て来ていたジークフリートも言うのだった。その顔は怪訝な顔をしての言葉だった。
「ブリュンヒルテは私を見ているのは何故だ?」
「何故」
ブリュンヒルテは唖然とした顔でジークフリートを見て言っていた。
「何故ジークフリートがここに」
「私はグンターの優しい妹と結ばれる」
ジークフリートは知っていることを言うだけだった。今の彼をだ。
「貴女がグンターと結ばれるように」
「私がグンターと!?」
ブリュンヒルテはそれを聞いてさらに狼狽を見せた。
「まさか。そんな」
「いや、それはもう御存知の筈」
「ジークフリート」
そして切羽詰った顔で彼の名を呼んできた。
「私を知らないのですか?」
「何を言っているのかわからない」
今のジークフリートにはであった。
「貴女は一体」
「!?それは」
そしてであった。彼の腕を見てだ。それは。
「その指輪は」
「指輪は?」
「あの時の指輪」
彼の手にしている指輪を見ての言葉である。
「あの時グンターがしていた」
「一体どうしたのだ?」
「二人共何を話しているんだ?」
家臣達はそんな彼等のやり取りを見て怪訝な顔になっていた。
「お知り合いなのか?」
「どうなのかな」
「諸君」
そしてであった。ここでハーゲンが彼等に告げるのだった。
「奥方の言葉をよく聞いておくのだ」
「奥方の」
「それを」
「そうだ」
まさにそうだというのである。
「それをだ。いいな」
「わかった。それではだ」
「そうしよう」
とりあえず頷く彼等だった。そのうえでその様子を見守るのだった。
ブリュンヒルテはだ。さらに言うのだった。
「私は貴方の指輪を見ました」
「私の?」
「そう、貴方の」
それを見たというのである。
「それは貴方のものではなく」
「私のものではなく」
「この人のものです」
今度はグンターに顔を向けるのだった。
「この人が私から奪ったのです」
「私からだと!?」
「そうです」
まさにそうだというのである。
「貴方は何故それをこの人から受け取ったのです?」
「この指輪はグンターから受け取ったのではない」
このことはありのまま話すのだった。
「それはだ」
「しかしその指輪は」
その指輪こそだった。あのニーベルングの指輪なのだ。それはブリュンヒルテからジークフリートが奪ったものである。
「その為に私は貴方と結婚することになった」
またグンターを見て言うのだた。
「それなら貴方の権利をはっきりさせ証拠の品を返してもらうのです」
「指輪を?」
しかしグンターも戸惑う顔で言うのだった。
「私は彼に指輪をあげてはいない」
「あげてはない?」
「そうだ。しかし」
彼もまたブリュンヒルテに対して問うのだった。
「貴女はその指輪を御存知なのか」
「貴方が私から奪ったあの指輪を」
指輪の話になっていた。
「何処へ隠したというのか。そう」
「また私なのか」
「そうです」
また顔を向けられて声をあげたジークフリートに告げるのだった。
「ジークフリート、陰険な盗人よ」
「この指輪はだ」
しかしジークフリートも言うのだった。
「女の手から私に渡ったものではない」
「では何だというのですか?」
「私がこれを奪い取ったのは女からではない」
そして次に過去のことを話しはじめた。
「これは戦いの報酬だ」
「戦いのだというのですか」
「そう、私自身のことだから知っている」
こう言うのである。
「かつて私が欲望の洞穴で大蛇を倒した時の報酬だ」
「ブリュンヒルテ」
ここでハーゲンがそのブリュンヒルテのところに来て問うてきた。
「貴女はその指輪をよく知っているのか」
「貴方は」
「ハーゲンという」
問われてここで名乗るのだった。
「ギービヒ家の家臣だ」
「そうなのですか」
「それはだ」
ここでさらにブリュンヒルテに問うのだった。
「グンターに与えたものならばだ」
「それならば」
「それは彼のものだ」
理屈を言ってみせたのである。
「そしてジークフリートは姦計によってそれを手に入れたことになる」
「それによって」
「そうだ。信義を破ることは罪だ」
「そう、私は騙された」
顔を真っ青にさせての言葉である。
「恥ずべき欺瞞、恐ろしい裏切り?」
「裏切り?」
その言葉に最初に反応したのはグートルーネだった。
「誰が裏切られたというの?」
「何か話がおかしくなったぞ」
「そうね」
「これは」
家臣達も女達も今の言葉に眉を顰めさせて話をする。
「どういうことなの?」
「それで」
「神聖な神々、ヴァルハラの支配者達よ」
ブリュンヒルテは嘆き悲しく声でその天を見上げて言うのだった。
「貴方達の私への報いはこれだったのですか。これだけの悩みと屈辱を与えることが」
まさにそれだというのである。
「そして私にさらに恐ろしい復讐を。誰も抑えられないような激しい憤りをこの胸に沸かせてそのうえでこの心を引き裂くのですか。それなら」
震える身体でだ。わなわなと言うのだった。
「私を偽った男も打ち砕くがいい」
「ブリュンヒルテ、我が妻よ」
グンターが慌ててその彼女に告げる。
「落ち着くのだ、今は」
「離れるのです、裏切られた人よ」
「私もまた裏切られたというのか」
「そう、自ら裏切られた人よ」
こう彼に告げるのである。
「聞くのです」
「何だ?」
「今度は一体」
「私はこの人と結婚したのではなく」
一旦グンターに顔を向けてからであった。
「この人と結婚したのです!」
「ジークフリートとだと!?」
「グートルーネ様の夫と」
「まさか」
誰もが、ハーゲン以外の全ての者がそれを聞いて唖然となった。
「そんなことが」
「有り得るのか」
「この人は私から喜びも愛も奪ったのです」
こう告発するのである。
「全てをです」
「私は貴女がわからない」
ジークフリートはまさに狐につままれた顔になっていた。
「自らの名誉をそこまで傷つけられるとは」
「まだ嘘を言うの?」
「私は嘘は言っていない」
少なくともジークフリートには自覚のないことであった。
「その言葉が作り事だというのを私が言わないといけないのですか?」
「そうです」
「私が信義を破ったかどうか聞くといい」
彼にしてもこう言うしかなかった。
「私はグンターと兄弟の誓いをしてそれを私の剣ノートゥングが守ってくれたのだ」
「だから何だというのです?」
「剣の名誉にかけて言う」
これが彼の言葉だった。
「絶対にだ」
「そんなものを引き合いに出しても」
しかしブリュンヒルテも言うのだった。
「そんなものは何の役にも立ちはしない」
「無駄だというのか」
「そうです」
まさにその通りだというのだ。
「その剣は鞘まで知っている」
「では余計に」
「剣の持ち主が恋慕の女に言い寄った時にはその忠実な友人ノートゥングは気楽に鞘に収まって壁にかかっていただけなのです」
「ジークフリート」
グンターは強張った顔でジークフリートに問うてきた。
「君が彼女の言葉に弁明できなければ」
「その時は?」
「君は私の名誉を汚したことになる」
そのことを言うのであった。
「その時はだ」
「そうです」
そしてグートルーネも蒼白になって言うのだった。
「ブリュンヒルテの言葉は一体」
「そうだ、潔白ならだ」
「是非訴えを言い伏せて」
「そのうえで誓いを」
「わかっている」
ジークフリートもそれを言うのだった。
「その訴えを言い伏せてそのうえで誓いも立てよう」
「その言葉偽りはないのですね」
「それは」
「ない」
はっきりと言うジークフリートだった。
「だからこそ誓おう」
「そうなのか」
「それでは」
「貴方達の中で」
ギービヒの家臣達を見回しての言葉である。
「私と共に武器を持って誓う人はいるか」
「それではだ」
ここで出て来たのはハーゲンだった。
「私の槍でいいか」
「ハーゲン、貴方がか」
「そうだ、それでいいか」
こう言ってきたのである。
「私の槍で」
「わかった、それではだ」
ジークフリートもそれを聞いて言うのだった。
「煌く槍よ、我が永遠の誓いを守るのだ」
「うむ」
「槍の穂先にかけて誓おう。私が傷を受けるとすれば」
その時はというのである。
「私を斬るのは御前なのだ」
「我が槍が」
「そうだ」
そしてさらに言う。
「彼女の訴えが真実で私が兄弟の誓いを破ったならば」
「そうです」
ブリュンヒルテもここで言うのだった。
「煌く槍よ、聖なる武器よ」
「貴女も誓われるのか」
「誓います」
彼女も言うのだった。
「この槍の穂先にかけて。その神聖な力で彼を裁くのです」
「その言葉偽りではなく」
「そう、偽りではない」
まないそうだというのである。
「彼は誓いを全て破った。全て偽ったのだ」
「雷神ドンナーよ」
「その雷でこの汚辱を晴らして下さい」
「どうか」
家臣達も女達も言う。
「この恐ろしい場を」
「その雷で」
「グンターよ」
「何だというのだ?」
「貴方の妻を鎮めてくれ」
そうしてくれと言うのだった。彼に顔を向けてだ。
「この荒々しい岩屋の女を休ませ落ち着かせてだ」
「そうしてくれというのか」
「そうだ。悪霊が我々を怒らせようと企んでいる」
彼にしてはそうとしか思えないものだった。
「誰もに帰ってもあってだ。私には全く訳がわからない」
「その言葉真実なのだな」
「私は嘘は言わない」
少なくとも言っているつもりはなかった。
「誓った通りだ」
「そうなのか」
「隠れ兜を使ったというのにだ」
ここでは小声になって囁くのだった。
「彼女を騙すことには失敗した。それは残念だった」
「そうだな。それは」
「その通りだ」
はっきりと言うジークフリートだった。
「だが女の立腹はすぐに収まる」
「果たしてそうなるか」
「そうなる」
それは間違いないというのである。
「だからだ。すぐに貴方のよき妻になるだろう」
「わかった」
グンターも一応頷きはした。
「それではだ」
「では諸君」
ジークフリートは家臣や女達に対して顔を向けて告げた。
「宴の場に」
「宴に」
「その場に」
「そう、楽しくやりましょう」
この場を取り繕う為の言葉であるのは言うまでもなかった。しかしそれでもあえてここでは言うのであった。彼にしても必死である。
「それでは」
「そうですね。何はともあれ」
「楽しく」
彼等もそれには納得するのだった。
「やりましょう」
「それでは」
「そういうことで」
こうして彼等もジークフリートに頷いてだった。そのうえで彼と共に宴の場に向かう。しかしグンター達はそこに残った。
ブリュンヒルテとハーゲンもいる。グートルーネはいない。三人では暗視をするのだった。
「どういうことなのか」
ブリュンヒルテが最初に言った。俯き暗い顔でだ。
「何故この様なことに。こうなってしまっては何もできない。私は彼に全ての知識を授けたというのに」
そのことも言った。
「彼はその力であの娘を手に入れ」
グートルーネのことである。
「そして恥辱に嘆く私を絆で縛り上げ獲物とみなして笑顔で人に与えるとは。この絆を断ち切る剣を誰が私に与えてくれるのか」
「ブリュンヒルテ」
ハーゲンがその彼女に近付いて言ってきた。
「私を信じるのだ」
「貴方を」
「そうだ。私が行おう」
こう彼女に言ってきたのである。
「貴方を裏切ったその男にだ」
「しかしそれは」
「それは?」
「誰にもできはしない」
首を横に振っての言葉であった。
「彼は誰よりも強いのだから」
「だが」
ハーゲンも怯まずに言う。
「彼の偽善を我が槍が許しはしない」
「そうだというのですか」
「誓いは無駄な気遣いでしかなくて」
しかしブリュンヒルテの返答は冷たい。
「彼を裁くには貴方の助太刀の槍よりもずっと強いものでなければならない」
「彼のことは私も知っている」
それを知らないハーゲンではなかった。
「ではどうしたら彼を裁けるのか」
「私は彼に力を与えました」
「力を」
「そう、その力で彼は決して傷を受けないようになった」
「魔力でか」
「そう、古の魔力で」
それはブリュンヒルテがワルキューレだからこそ知っていることであった。
「それによってです」
「ではどんな武器も傷つけられないというのか」
「そうです」
その通りだというのである。
「その通りです」
「ではそれは不可能なのか」
「いえ」
しかしであった。ここでまた言うブリュンヒルテだった。
「背中ならば」
「背中ならばか」
「彼は敵に決して背を見せはしない」
恐れを知らぬ彼だからである。
「だから私は彼の背中には力を授けなかったのです」
「ではそこに私の槍を」
「そう、そうすればです」
「わかった。それではだ」
ハーゲンはここまで聞いて頷くのだった。
「わかった」
「それでは」
「グンターよ」
ハーゲンはブリュンヒルテの話が終わるとうなだれたままだったグンターに対して声をかけるのだった。
「貴方はどうなのだ」
「私はどうすればいいのだ」
「貴方は恥を受けた」
このことを言う彼だった。
「それは私も否定しない」
「貴方はどうするのですか」
ブリュンヒルテは彼を責めてきた。
「ハーゲンは向かおうとしています。しかし貴方は」
「私は人を欺き欺かれた」
あの策略のことも話していた。自然に出てしまった言葉である。
「裏切り裏切られた。この汚された名誉をどうするべきか」
「その名誉を取り戻すにはだ」
ハーゲンは今度はグンターの傍に来て言うのだった。その重厚な声で。
「死だけだ」
「死か」
「そう、ジークフリートの死だ」
まさにそれだというのである。
「それが貴方の名誉を守るのだ」
「それがか」
「それしかない」
他の選択肢は出さないのだった。
「だからこそだ」
「しかし」
だがここで。グンターは狼狽を見せるのだった。
そしてだ。そのうえで言うのであった。
「我々は互いの血を飲み兄弟の誓いをした」
「その誓いが破られた時はだ」
さらに言うハーゲンだった。グンターのその言葉に返してだ。
「血で償わなければならないからだ」
「彼が誓いを破ったからこそ」
「その通りだ」
「だからこそです」
ブリュンヒルテはまたグンターに言ってきた。ここでハーゲンは二人に杯に入っている葡萄酒を出すのだった。二人にとってその葡萄酒はやけに赤く見えるものだった。
その酒を受け取ってから。ブリュンヒルテはさらに言うのだった。
「彼は貴方を裏切った」
「兄弟の誓いをした私を」
「そして貴方達全てが私を裏切った」
彼等も責めるのだった。
「私の為に全ての血が流れても貴方達の罪は償えない」
「そうだというのか」
「そうだ。ただ一人の死だけは全ての命に代えられない」
こう話していく。
「ジークフリートはその罪の為に償わなければならないのです」
「彼は死ぬ」
ハーゲンはまたグンターに言ってきた。
「貴方の幸せの為に」
「幸せの」
「その為に」
「名誉の為だけではないのだな」
幸せという言葉に対して問うたグンターだった。
「ということは」
「あの指輪だ」
ここでまたその指輪のことを話すのだ。
「それを手に入れればだ」
「その時はか」
「そうだ。ありとあらゆる力が貴方のものとなる」
「私のものに」
「その為にはだ」
そしてさらに言うのであった。
「その力を手に入れる為には」
「彼の死が」
「そういうことだ」
「それでは」
だが、であった。グンターはそれでも言うのであった。
迷う顔で。今度は彼女の名前を出した。
「グートルーネ」
「あの娘がどうしたのだ?」
「我々は彼を彼女に与えた」
このことを言うのである。
「夫を殺すということはだ、彼女の」
「それはそうだがな」
「止めておくべきか」
「いや、行うべきだ」
これは引かないというハーゲンだった。
「絶対にだ」
「そうなのか」
「彼を迷わしたのは」
そしてブリュンヒルテは言った。
「彼女のあの美貌。なら彼女にも報いが」
「明日我等はだ」
ハーゲンはさらにグンターに囁いた。
「狩に向かおう」
「狩にか」
「そうだ、狩にだ」
まさにそれだというのである。
「仮に出てそして彼を裁き」
「それをどう言い繕うのだ?」
「猪が彼を殺した」
理由はそれだという。
「そうすればいいだけだ」
「そうしろというのか」
「そうだ、それならどうだ」
「そうだな」
グンターは虚ろな調子で頷いた。
「ではそれでだな」
「そうするといい。ではだ」
ハーゲンも杯を手にしていた。三人で飲む。だがここでグンターとブリュンヒルテは杯からの酒で手を赤く塗らしてしまった。不気味な赤だった。
「罪には報いを」
「偽りの忠誠には裁きを」
グンターとブリュンヒルテはそれぞれ言う。
「その為に神々よ」
「今御照覧を」
(指輪は我がものとなる)
ハーゲンは心の中で呟いていた。
(アルプの王よ、我が父よ)
アルベリヒのことも思うのだった。
(見ているのだ、明日全てが決まるのだ)
ハーゲンだけはわかっていた。全てが。そしてそのうえで空を見上げた。今そこには闇夜に隠れてニーベルングの軍勢がヴァルハラを目指さんとしていた。
大変な事になってきたな。
美姫 「そうね。それにしても、ジークフリートの記憶はどうなっているのかしら」
誰かが忘れさせたのかな。どちらにせよ、ハーゲンがいよいよ動き出したな。
美姫 「ヴァルハラも大変な事になりそうだし」
どうなるのだろう。
美姫 「次回も待っています」
ではでは。