『売られた花嫁』




             第一幕

                結婚仲介人
 十九世紀中頃のボヘミア。時代は刻一刻と変わり世界は次第に忙しくなろうとしていた。当時ここを勢力圏に置いていたオーストリアも例外ではなく民族運動を受けてオーストリア=ハンガリー帝国という二重国家となった。ハプスブルク家を頂点としながらもそれぞれの民族意識の高まりを抑え切れなくなりつつあった。そうした国家であった。
 その中でボヘミアは特別な位置にあった。欧州の丁度中央に位置するこの地域は古来より重要な場所とされてきたのである。
 ドイツの宰相ビスマルクはこう言った。
「ボヘミアを制する者が欧州を制する」
 と。彼は一代の戦略家であり、それだけにその言葉は重みがあった。
 ここはチェコの中心地域であった。美しき都プラハもあり農村はのどかで整っていた。人々はそこでゆったりとした、それでいて素朴な生活を送っていたのである。
 その中のある村での話である。今日は教会の聖別式である。春の訪れも同時に祝う目出度い日である。
 人々は質素な造りの教会から出ると右手にある酒屋に入っていった。そこでは恰幅のいい旦那とおかみがもう笑顔で待っていた。
「いらっしゃい」
「飲んでくんだろ」
「勿論だよ」
 村人達は二人に笑顔でそう答えた。
「親父、席用意してくれ」
「おかみさん、ビールある?」
「ここにたんまりと」
「ソーセージは?」
「今茹で終わったよ」
「チーズは?」
「切って置いてあるよ。安くしとくからね」
 こうして人々は酒屋の外と中で次々に卓を囲んだ。そして乾杯をはじめた。
「よし、飲むぞ!」
「おう!」
 老いも若きも男も女も口々に酒を讃えながら飲む。皆笑顔に包まれていた。
 しかしその中で一人浮かない顔をして入口のすぐ側にあるテーブルで座っている少女がいた。金髪で小柄な少女である。
 青い瞳が非常に美しかった。そして少し太めながらそれがかえって健康的な可愛さとなってあらわれていた。
 ボヘミアの民族衣装に身を包んでいる。彼の前には同じくボヘミアの服を着た若者がいた。豊かな金色の髪に小粋な表情をした若者である。目は緑で少女の目が湖の様であるのに対して彼のそれはまるで森の様であった。帽子には洒落た白い羽根が付けられている。
「マジェンカ、どうしたんだい」
 彼はその少女に対して問うた。
「随分浮かない顔をして」
「うん」
 マジェンカと呼ばれた少女はそれを受けて顔をあげた。あどけない顔が何やら憂いで沈んでいた。
「ねえイェニーク」
「何だい」
 若者は名を呼ばれて応えた。
「私もそろそろ結婚していい年頃よね」
「うん」
 この時代結婚する年齢は低かった。マジェンカ程の年齢になるともう結婚するのが普通であった。
「それでね。母さんに言われたの」
「誰かと結婚しろって?」
「ええ。それでもうすぐ家に結婚の仲介人さんがやって来るの」
 この時代この地域にはそうした職業もあったのだ。結婚の仲介を生業とする人達である。
「ふん、それで」
「どうしたらいいの!?私知らない人や嫌いな人と結婚なんかしたくないわ」
「安心して、マジェンカ」
 イェニークはにこりと笑ってマジェンカに対してそう言った。
「何で」
「よお」
 ここで周りの村人達が二人に声をかけてきた。
「美味い酒も飲んだし踊らないか?」
「一緒にな」
「私はいいわ」
 マジェンカは暗い顔のままそれを断った。
「今は気持ちが晴れないから」
「そうなの」
「そんなの踊ればすぐにさっぱりするのに」
「まあいいじゃないか。俺達だけでも踊ろう」
「そうだな」
 人々は教会の前の広場で輪になって踊りはじめた。二人はテーブルに向かい合って座ったまま踊りを見ながら話を再開した。
「それでね」
「うん」
 イェニークはマジェンカの言葉に頷いた。
「私本当に困ってるのよ。一体どうなるか」
「本当に心配なんだね」
「当然よ」
 その何気ない言葉にさえ頬を膨らませた。
「相手は噂によるとミーハさんとこの息子さんらしいけれど」
「ミーハさんの」
 イェニークはそれを聞いてその緑の目に奇妙な光を宿らせた。ミーハはこの村で一番の長者である。
「まだよくわからないけれどそう聞いたわ」
「そうなんだ」
 イェニークはそれを聞きあらためて頷いた。
「どうしたらいいかしら」
「そうだなあ」
「ねえイェニーク」
 マジェンカはまた彼に問うた。
「これを聞いても何とも思わないの?」
「何を?」
「私がお嫁さんに行くことよ。何か全然驚いても心配してもいないようだけれど」
「それは誤解だよ」
 イェニークはまずはそれを否定した。
「当然心配しているさ。他ならない君のことだから」
「そうかしら」
 だがマジェンカはそれを聞いてもまだ懐疑的であった。
「私にはそうは見えないのだけれど」
「それは気のせいだって」
 彼はまた否定してみせた。
「本当かしら」
「僕を信じれないっていうの?」
「そうじゃないけれど」
 マジェンカは逆に言葉を曇らせた。
「けれど貴方ってもてるから」
「まさか」
 彼はそれを笑って否定した。
「それは買い被りだよ。僕はそんなにもてないよ」
「嘘よ」
「嘘なもんか。それにもてたってね」
「ええ」
「僕は君にしか興味がないんだから。それは信じて欲しいな」
「どうかしら」
 マジェンカはすねてそう言葉を返した。
「今だって何か他人事だし。信じれないわ」
「おやおや」
 お手上げといったジェスチャーをしておどける。
「どうしてもかい?」
「じゃあ誓えるかしら」
「勿論。君だけを見るってね」
「それならいいけれど」
 だがまだ不安は消えなかった。
「本当に他の女の人に興味はないのね」
「だから何度も言う通り」
 それでもマジェンカは不安なようであった。
「けれど一言言いたいの」
「何だい?」
「浮気したら酷いんだから」
「おいおい」
 イェニークはむくれるマジェンカを宥めにかかった。
「本当に焼餅なんだから」
「パンを焼くのは得意よ」
 そう返す。
「私は嫉妬深い女ですからね」
「確かに君の焼くパンは美味い」
 イェニークは冗談交じりにそう言う。
「けれど僕はそのパンに惚れたんだ。だからこの村にいる」
「イェニーク」
「僕はね、ある豊かなお百姓さんの家の子だったんだ」
 そして今度は自分の身の上を語りはじめた。
「けれどお母さんが早く亡くなってね。それでお父さんは再婚したんだけれど」
「新しいお母さんに何かあったのね」
「うん。何かとい辛くてね。お母さんが違うと。そういうわけで村を出てそれで今はこの村に置いてもらっているんだ」
 彼は地主の一人の使用人をしているのだ。気のいい優しい主であり彼に対してもよくしてくれる。彼はそれを心から感謝していた。
「そうだったの」
「うん。おかげでね、色々あったさ」
「けれど今はこうして私の前にいる」
「有り難いことに。これでわかってくれたかな」
「ええ」
 マジェンカは頷いた。
「だからこそ僕は君と離れたくはないんだ。やっと巡り合えたからね」
「嬉しいわ。じゃあもうずっと離れたくはない」
「僕も」
「最後の日まで。それまで私達はずっと一緒よ」
「うん」
 そこに誰かがやって来た。がっしりとした体格の中年の男だ。
「あ、お父さん」
 マジェンカはそれを見て声をあげた。太った恰幅のよい中年の女の人と赤い服を着た痩せた男も一緒だ。
「お母さんも。私を探しているのね」
「結婚のことかな。あれが誰かはまだよくわからないけれど」
 イェニークは赤い服の男を指差しながら言った。顔も痩せていて鼻が異様に高い。何処か木の人形に似ていた。
「どうやら僕は今は身を隠した方がいいみたいだね」
 そう言って席を立った。
「それじゃあまた」
「行っちゃうの?」
「うん、またね」
「それじゃ」
 二人は別れを告げた。イェニークは三人に見つからないようにそっとその場を後にするのであった。
 三人は広場の方へやって来た。何やら色々と話をしている。
「それではクルシナさん、ルドミラさん」
「はい」
 がっしりとした男と恰幅のいい女が赤い服の男の言葉に頷いた。
「先程お話した通りで宜しいですな」
 何やら念を押しているようであった。
「ええ、勿論です」
 クルシナと呼ばれた男の人がそれに応えた。
「母さんもそれでいいね」
「ええ」
 ルドミラもそれに頷いた。この二人がマジェンカのようであった。見ればクルシナの髪の色、ルドミラの顔立ちはマジェンカのものであった。特にルドミラは歩き方もマジェンカによく似ていた。いや、娘が母親に似たと言った方が早いであろうか。
非常によく似ていた。
「そういうことです。私共に異存はありません」
「わかりました」
 男はそれを聞き満足そうに頷いた。
「それは何よりです。このケツァル」
 名乗りはじめた。
「この頭には知恵が詰まっております。これをふんだんに使わせて頂きましょう」
 手に持っている傘で自分の頭を突付いてみせる。何か木を叩く音に似た音が聞こえてきた。その外見と妙に合っていていささか滑稽な音であった。
「お任せ下さい」
「はい」 
 二人は頷いた。そして広場にやって来た。
「今日娘はこの教会へ行っておりました」
「はい」
「まずはどんな娘か御覧頂きたいのですが」
「いや、それには及びません」
 だがケツァルは胸を張って笑ってそう答えた。
「娘さんは十八でしたな、今年で」
「はい」
「それならば問題はなしです。女の子はその年頃が一番可愛い」
 どうやら色々と見てきたようである。少なくともそうは見える。
「ですから容姿は問題なし。性格は御聞きするところによると非常に素晴らしい」
「有り難うございます」
「それだけ揃えば良縁は自分の方からやって来ます。さて、花婿ですが」
「はい」
 実はそれが最大の心配事である。二人はゴクリ、と息を飲んだ。
「ミーハさんを御存知ですね」
「はい」
 村で一番の長者である。
「その方のご子息がそのお相手です」
「何と」
 二人はそれを聞いて同時に驚きの声をあげた。
「それは本当ですか!?」
「はい」
 やはり胸を張ってそう答える。
「どうですかな、いいお話でしょう」
「ええ」
「それをまとめるのが私です」
 そしてあらためてこう語った。
「確かあの人には息子さんが二人いましたね」
 クルシナがここで言った。
「前の奥さんと今の奥さんの間にそれぞれ」
「あれっ、そうですか!?」
 ケツァルはそれを聞いて少し驚いたようであった。
「それは初耳ですが」
「そうなのですか」
「ええ」
 素っ頓狂な顔にも見える。丸い目をさらに丸くさせたからだ。
「一人だけだと思っておりましたが」
「あれっ、そうだったかな」
 今度はクルシナが首を傾げた。
「二人いた筈ですが」
「私が知っているのは一人です」
 ケツァルはそう述べた。
「もう一人いたのですか。しかし今は一人」
「それでどんな若者ですか」
「名前は」
「ヴァシェクといいます」
「ヴァシェク」
「はい。気のいい若者ですよ。純朴で」
 それは本当のことであった。だが全てを言ったわけではなかった。
「それについてもご安心下さい」
「わかりました」
 二人はそれを聞いてとりあえずはホッとした。
「お金持ちで性格もよいなんてそうそうおりませんよ」
「そうですね」
「あなた、中々いいお話よ」
 ルドミラが夫にそう囁く。
「やっぱりこれでいいんじゃないかしら」
「そうだな」
 クルシナもそれに頷く。
「じゃあ後はお約束通りケツァルさんにお任せするということで」
「はい」
 満足そうに頷いた。そして酒屋の扉の前に座るマジェンカに気付いた。
「あ、マジェンカ」
 クルシナとルドミラがまず気付いた。そしてケツァルに紹介する。
「あそこに座っているのが娘です」
「ほう」
 ケツァルは彼女を見て声をあげた。
「可愛らしい娘さんですな」
「有り難うございます」
「これはいい。ヴァシェク君とお似合いですよ」
「そうなのですか」
「ええ。では行きましょう」
 三人はマジェンカの座っているテーブルに向かった。そして彼女に声をかけた。
「マジェンカ」
「あっ、お父さんお母さん」
 マジェンカはここではじめて気付いたふりをした。
「どうしたの、こんなところまで」
「実はね、御前の結婚のことで」
 クルシナがそう答える。
「是非お話したいという方がおられて」
「はじめまして」
 クルシナの横にいたケツァルが帽子を取り恭しく挨拶をする。頭は綺麗に禿げ上がっていた。
「結婚仲介人のケツァルと申します」
「ケツァルさん」
「はい。今回のお嬢様のご結婚のことでお話したいことがありまして参上しました」
「話すことなんてありませんよ」
 マジェンカは口を尖らせてそう答えた。
「今は」
「おやおや」
 ケツァルはそれを聞いておどけた仕草をした。
「それはいけない。人の話はよく聞いた方がいい」
「聞きたくない時もあります」
「そんなこと言わずに」
「いえ」
 ケツァルの言葉に耳を貸そうとしない。
「今はいいですから、本当に」
「あの」
 そんな彼女を見てクルシナは心配そうな顔でケツァルに囁いた。
「大丈夫なんですか。今のマジェンカはちょっと」
「ああなったら誰の言葉にも耳を貸さないんですよ」
 ルドミラもそう囁いてきた。
「御心配なく」
 だがケツァルはそれでも余裕であった。
「こうしたことはいつもですから」
「そうなのですか」
「はい。ですからお任せ下さい」
「わかりました」
 ケツァルは二人を納得させてから再びマジェンカに話し掛けてきた。
「まだ何かあるんですか?」
「ええ」
 むくれたままのマジェンカに優しく声をかける。
「私の仕事は知っていますね」
「はい」
 彼女は答えた。
「結婚相手との仲を仲介して下さるのですよね」
「その通り」
「それは有り難いですけど私は今は」
「もうお年頃なのに?」
「ええ」
 むくれたまま言う。
「今は。いいですから」
「まあまあ」
 ケツァルはまた彼女を宥めた。
「そんなことを言わずに」
「けど」
「貴女の一言で皆が幸せになれるのですよ」
「そうでしょうか」
「貴女ご自身も。悪い話ではありませんよ」
「私はそうは思いませんけれど」
「そんなことを言わずに」
「はっきり言いますけどね」
 マジェンカはいい加減痺れを切らしたのか苛立った声を出した。
「私はもう好きな人がいるんです」
「えっ!?」
 それを聞いて驚いたのはクルシナとルドミラであった。
「そうだったのか?」
「お父さんとお母さんには内緒にしてたけど。もう決めてるんです」
「そうだったのか」
 雷に打たれたような感じであった。二人はそれを聞いて呆然としていた。
「何時の間に」
「ですがそれは一時のことではないですかな」
 だがケツァルはそんなことには慣れているのか驚いた気配はない。平然とマジェンカに対して話を続けた。
「恋人と生涯の伴侶は違うものなのです」
「恋人が生涯の伴侶となるんじゃないんですか?」
「それはまだ浅い」
 ケツァルは勿体ぶってそう述べた。
「人の心なんて秋の空、風の中の羽根みたいなものです。その恋人とやらもどうせすぐに別の幸せを見つけるでしょう」
「何でそんなことが言えるんですか?」
「知っているからですよ」
 ケツァルは答えた。
「こうした仕事をしているとね。よくわかります」
「私はそうは思いません」
「今はね」
「これからもずっと。私は誓ったんです」
「誰にですか?」
「彼に。結婚しましょうって」
「それは神にこそ誓うものですよ」
「婚約したのよ」
「初耳だぞ」
 クルシナはそれを聞いてまた驚いた。
「一体何時の間に」
「どういうことなの!?」
 ルドミラもであった。そしてまたケツァルに囁く。
「無理なんじゃないですか?」
「婚約してるというじゃありませんか」
「大丈夫です」
 それでもケツァルは動じてはいない。禿た頭がキラリと光った。そしてその禿頭を指差した。
「何故私の頭がこうなのか御存知ですか」
「いえ」
「これはね、今までの仕事の勲章なのです」
「勲章」
「はい。こうしたことは何度でもありました」
「はあ」
「けれどそれを全て解決してきた。知恵を絞ってね。考えているうちにこうして髪の毛がなくなったのです」
「ではその頭は貴方にとって勲章」
「その通り」
 大袈裟に、得意そうに頷く。
「普通の人にとっては禿は不名誉、ですが私にとっては勲章です」
「何と」
「ですからお任せ下さい。この縁談必ずや成功させてみましょう」
 そしてまたもやマジェンカに声をかけてきた。
「花婿さんはね、素晴らしい人ですよ」
「けれど私にとって素晴らしいとは限りません」
 これは事実であった。人それぞれであり相性というものもある。また立場も。ある人にとって素晴らしい人が他の人に
とってそうだとは限らないのである。
「ですからいいです」
「しかし私は誓ったのです」
「誰にですか?」
「貴方のご両親と向こうのご両親に」
「そんなこと知らないわ」
「ご両親でも」
「ええ。お父さん、お母さん」
 マジェンカは席を立って両親に対して言った。
「私はこの縁談絶対に受けないからね」
 そして頬を膨らませたままその場を後にした。後には三人だけが残った。
「ふむ、気の強い娘さんだ」
「感心してる場合じゃありませんよ」
 クルシナがケツァルに対してそう言う。
「実際に困ってるんですから」
「私は困ってはおりませんよ」
 ケツァルは涼しい顔でそう答えた。
「私はね」
「何か御考えが」
「無論。問題は簡単です」
「はあ」
「要は貴方達の娘さんと私の推薦する若者を結婚させればよいのですから。ほら」
 ここで一枚の紙を取り出した。
「これを御覧下さい」
 それは契約書であった。既にサインまでしてある。
「これがあるのですからね」
「見せて頂けますか」
「どうぞ」
 見ればそこに書いてあった。ルドミラは字を読めないがクルシナは何とか読める。それでたどたどしく読みはじめた。
 そこにはミーハという名でサインがしてあった。クルシナのサインも。クルシナの娘とミーハの家の息子を結婚させるとその契約書には書いてあった。
「神に誓って、とそこにはありますね」
「はい」
「我々には神がついておられます。御安心下さい」
「そうですか。しかし一つ疑問があるのですが」
「何でしょうか」
「何故そのミーハさんとこの息子さんをここへ案内して下さらなかったのですか?」
「むっ」
 クルシナにそう言われてケツァルは一瞬だが嫌そうな顔をした。
「彼と娘を直接会わせればもうちょっと簡単に進むと思うのですが」
「実はね」
 ケツァルは表情を元に戻して二人に対して説明した。
「彼は内気な若者でして。女の子と話をするのに慣れていないのです」
「そうなのですか」
「はい。純朴な若者でして。私はそうした若者の代理もやっているのですよ。ですから彼には少し待っていてもらったのです」
「そうだったのですか」
「ええ。ですが私も他に動く必要がありますね」
「といいますと」
「娘さんの恋人ですよ。彼を探さなければ」
「探し出されてどうされるのですか?」
「説得します」
 ニヤリと笑ってそう答えた。
「それでね。充分ですよ」
「充分でしょうか」
「説得にも充分ありましてね」
 彼はクルシナとルドミラに対して説明をはじめた。
「言葉だけではないのです」
「といいますと」
「おわかりになりませんか。袖の下ですよ」
 実際に袖の下に手を入れる仕草をしながら説明をする。
「それで大抵はどうにかなるのです。まあここは任せて下さい」
「それでしたら」
「お願いしますね」
「はい。ではこれで」
 こうしてケツァルは二人に一礼してその場を去った。後には二人と周りにいる村人達だけが残った。だが村人達は三人の話なぞ知るよしもなく上機嫌で酒と食べ物を楽しんでいた。
 さらに場が盛り上がった。ここで誰かが言った。
「いっちょ踊るか」
「よし」
 それを受けて皆一斉に立ち上がった。老いも若きも前に出る。誰かが楽器を奏ではじめた。
 踊りがはじまった。皆赤い顔で笑顔に包まれて踊っていた。
 
 その教会から離れた別の居酒屋であった。イェニークはそこで仲間達と一緒に飲んでいた。
 木造の質素な酒場であった。木は頑丈であり風が吹いてもびくともしそうにはない。椅子もテーブルもである。黒っぽいその椅子とテーブルにイェニーク達は座っていた。そして酒を楽しんでいた。
「乾杯!」
 彼等は木の杯を打ち合わせてそう叫んだ。まずは杯の中にある黄色く、白い泡が立っているビールを一気に飲み干した。そして機嫌のいい顔でこう言い合う。
「美味いな」
「ああ」
「やっぱり酒はいい」
「百薬の長とはよく言ったものだ」
「全くだ」
「けれどもっといいものがあるよ」
 ここでイェニークが仲間達に対してそう語り掛けてきた。
「それは何だい?」
「恋さ」
 仲間達の問いにそう答える。
「このビールにしろワインにしろ恋人と一緒に飲むのが一番美味いだろ」
「まあな」
 仲間達はそれに頷いた。
「男同士で飲むよりはな。女の子と一緒に飲んだ方がいい」
「前に座っているのが恋人ならな。それはあんたに同意するよ」
「有り難う」
 イェニークはそれを聞き満足そうに頷いた。
「有り難いね、わかってくれるとは」
「そういえばあんたあの娘とはどうなっているんだい?」
「?ああ、マジェンカのことか」
「マジェンカ!?」
 それを店の側を通り掛ったケツァルが聞いた。
「今マジェンカと言ったかな」
 そして耳をそばだてる。聴けば確かにマジェンカの話をしていた。
「うまくいってるよ」
 イェニークは上機嫌で語っていた。
「婚約もしたし。もうすぐ僕は彼女と一緒になれるよ」
「それは何より」
「何よりではないわ」
 ケツァルはイェニークの仲間達の言葉にそう突っ込みを入れた。
「そんなことされたらたまったものではない」
「けれど気をつけなよ」
 店の中で仲間の一人がイェニークにそう言った。
「どうしてだい?」
「何でもあの娘最近親が縁談を進めてるっていうじゃないか」
「うかうかしてると御前さんも危ないんじゃないか?」
「ああ、あれね」
 イェニークはその話を聞き少し考える目をした。
「それなら心配ないよ」
「何かあるのかい?」
「どういうことだ」
 仲間達はそれを聞き彼に問いケツァルは不安な顔になった。
「それはこれからのお楽しみ」
「おお、何か面白そうだな」
「面白い!?馬鹿を言え」
 だがケツァルはそれを聞いて不機嫌な顔になった。
「商売の邪魔をされてたまるか。さて」
 彼は店の入口の方に回った。
「情報収集じゃ。一体どんな奴か見ておかなくてはな」
 そして店に入った。
「おかみ、席は何処だい」
「あそこはどうですか」
 店のおかみは若者達がいる席のすぐ側を指差した。
「いいな。そこにしよう」
「はい。ご注文は」
「ビールとソーセージ」
 彼はまずはそれを注文した。
「あとはジャガイモをふかしたものを。それでいい」
「わかりました。ではそれで」
「うむ」
 彼はテーブルに着いた。そして飲みながらイェニーク達をチラリと見た。
(この中の誰だ、そのイェニークというのは)
 まずはイェニークを探しはじめた。それはすぐに見つかった。
「ところでイェニーク」
「何だい」
 黒いチョッキの小粋な若者がそれに応えたのだ。
(あいつか)
 ケツァルはすぐに彼に目星をつけた。
(あいつのせいでいらん苦労をすることになるな)
 舌打ちしたかったがイェニークに聞かれるのを警戒してそれは止めた。そして言った。
「恋は確かに大切なもの」
「ええ、勿論」
 イェニークはそれに乗ってきた。
「わかって頂けますか」
「しかしもっと大切なものがありますな」
「それは?」
「お金です」
 ケツァルは笑ってそう答えた。
「お金は恋よりも大事だと思いますが」
「いやいや」
 だがイェニークはそれを笑って否定した。
「お金は作ろうと思えば作れるものです」
「はい」
「ですが恋はそうはいかない。恋は作ろうと思っても作れませんからね」
「ほう」
 ケツァルはそれを挑戦状と受け取った。だがそれを顔に出すわけにはいかなかった。
「それを証明して頂きたいですな、いずれ」
「喜んで」
「おいイェニーク」
 ここで仲間の一人が声をかけてきた。彼はその手にギターを持っている。
「踊らないか?俺が演奏するからさ」
「お、いいね」
 応えながらケツァルに顔を向けてきた。
「どうですか、貴方も」
「いや、私はいいです」
 ケツァルは愛想笑いをしてそれを断った。
「今はビールを楽しみたいので。宜しいでしょうか」
「それなら」
 無理強いはしなかった。彼はケツァルから顔を離し席を立った。そして他の仲間達に対して言った。
「踊るか。僕の幸せの前祝いに」
「よし!」
 ギターの演奏がはじまった。そして皆踊りはじめた。この辺りの民族舞踊であった。
 ケツァルはその踊りと音楽を拝見しながらビールを飲んでいた。一人これからのことについて思いを巡らすのであった。





何か面白そうだな。
美姫 「うんうん。でも、嫌がる娘を無理矢理結婚させようだなんて」
どうどう。
美姫 「私は馬じゃないわよ!」
ぶべらっ!
美姫 「プンプン」
ま、まあ、二人の仲がどうなるのか。
ケツァルがどんな手段を取るのか。
美姫 「確かに、色々と面白そうよね」
だろう。次回も待っています。
美姫 「待ってますね〜」



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