『トリスタンとイゾルデ』




                                第三幕  イゾルデの愛の死

 緑の蔦に覆われた白い石の壁の城壁の中央にある門。そこにクルヴェナールは立っている。その彼のところに一人の身軽な身なりの少年がやって来た。
「クルヴェナール様」
「何だ?」
 クルヴェナールは彼に顔を向けてその声に問うた。
「トリスタン様はまだ目覚められませんか?」
「まだだ」
 クルヴェナールは彼の問いに悲しい顔で首を横に振った。
「それに目覚めておられたらとても今まで命はもっていなかった」
「そんなに悪いんですか」
「生きておられるのが不思議な位だ」
 彼はこうも牧童に告げた。
「あれだけの傷だからな。とても」
「そうですか」
「それでだ」
 ここまで話してから牧童に問うた。
「あの方を目覚めさせることができるコーンウォールからの船はまだか」
「来たらこの曲を吹きましょう」 
 言いながら腰にあった笛を手に取りそのうえで吹きはじめた。何処までも聴こえるような澄んでそれでいて何処か悲しい、そんな笛の声であった。
「この曲を」
「うむ。それでは船が見えたその時にな」
「わかりました」
 牧童はそれに応えて城門から姿を消した。クルヴェナールはそれを見届けてから城の中に入りトリスタンの部屋に向かった。簡素な部屋の中に座って眠る騎士のベッドがありトリスタンはそこで眠っていた。石のその部屋の左手には大きな窓がありそこから見えるのは青い海だ。
 青い海は何処までも澄んで美しい。そしてカレオールの美しい田園もそこに見える。そこからあの牧童の笛の音が聴こえる。見ればベッドのトリスタンは目を覚ましていた。
「目覚められていたのですか」
「古い歌だ」
 彼はその牧童の笛の声を聴いていたのだった。
「あの歌が私を起こしてくれた」
「そうですか」
「ここは何処なんだい?」
 今度は部屋の入り口にいるクルヴェナールに問うてきた。
「クルヴェナール、ここは一体」
「私のことがわかるのですか」
「うん、わかるよ」
 弱ってはいるがそれでも微笑んでいた。
「クルヴェナール、それでここは」
「窓の外を」
 クルヴェナールはここで部屋の左手のその窓を指差したのだった。
「そこに答えがあります」
「カレオールか」
 トリスタンはその窓から見える景色を見てわかった。
「私の故郷であり生まれ育った地か」
「皆貴方を待っていたのです」
 クルヴェナールは恭しく彼に告げた。
「民もこの城も土地も家畜も全てが。貴方を待っていました」
「待っていてくれていたのか。私を」
「コーンウォールから戻られて」
「そうか、コーンウォールから離れて」
 トリスタンはコーンウォールにいないことに少し寂しさを感じているようだった。
「今はカレオールに」
「ここまでお連れしました」
 クルヴェナールはまた彼に述べた。
「お嫌だったでしょうか」
「私をここまで運んでくれたのか」
「剣に倒れた貴方をコーンウォールから船にお乗せしてそしてここに」
「故郷に」
「傷を癒されるよう」
 クルヴェナールの心からの願いであった。
「どうか。ここは」
「私が目覚めたこの国にはあの人はいない」
 しかしトリスタンは彼を見ずこう呟くのだった。
「私は夜の国にいる者。私は最初にいた世界に戻っただけ。そこで見たものは」
「見たものは?」
「世界の夜の遠い国」
 トリスタンは言った。
「そこで知ることのできる唯一のことは神の如き永遠の忘却」
「忘却!?」
「そのおぼろげなものさえも消えてしまったのか」
 言いながら窓の方に顔を向けていた。そこにあるのは昼の世界だった。
「昼の世界の光は私を歓喜から絶望へと追いやる。イゾルデがいないこの世界にいて何になるというのだ」
「トリスタン様・・・・・・」
「会いたいというこの願いもきしみながら背後で死の扉が不気味な音と共に閉じられるのか。昼の光が今私に襲い掛かり何もかも奪おうとする」
「昼が・・・・・・」
「彼女のいる夜を消し去りそのうえで私を絶望に追いやる。この光を永遠に消しあの人の下に行くことこそが私の心から願いだというのに。この世は忌まわしい光で満ちている」
「しかしです」
 クルヴェナールは静かに嘆く主に声をかけてきた。
「トリスタン様」
「うん」
「私はイゾルデ様に文を送らせて頂きました」
「文を?」
「左様です」
 まずこう告げるのだった。
「是非こちらに来られるよう」
「イゾルデがここに」
 トリスタンの目の光が僅かだが強くなった。
「来るというのか」
「そうお返事を頂きました」
「まだ夜は去ってはいなかった」
 トリスタンは彼の言葉を聞いて言った。
「イゾルデが夜の中から私を呼んでいる」
「ですから希望を」
 すかさず主に希望を持つように告げる。
「貴方様は今まで眠っておられましたが私はそれを治す方法も考え付きました」
「それは一体」
「あの方です」
「イゾルデが?」
「そうです、あの方の妙薬です」
 それだというのである。
「あの方が来られれば。ですから」
「そうか。有り難う」
 トリスタンはイゾルデに礼を述べてからまた言うのだった。
「イゾルデが来る。あのイゾルデが」
「はい」
「クルヴェナール」
 そのうえでクルヴェナールにも顔を向けて声をかけた。
「いつも私の為に尽くしてくれるんだね」
「それが私の役目ですから」
「父も母もいない私を育ててくれて」
 彼はクルヴェナールに育てられたのだ。まさに彼にとってクルヴェナールは父であり母でもある。それだけかけがえのない存在なのだ。
「我が盾となり剣となり戦ってくれて。私が憎んだ相手は憎み愛した相手は愛してくれたな」
「それは貴方だからです」
「私だから?」
「トリスタン様ですから」
 だからだというのだ。
「私は」
「王にお仕えしている時にはそなたも仕えてくれた」
 主が仕えているからである。
「あの方を裏切ってしまった私にも仕えてくれてそのうえでここまで」
「それもまた」
「全てはそなたのおかげだ」
 また彼に礼を述べた。
「そして今イゾルデが来てくれる」
「そうです」
 その彼がイゾルデを呼んだのである。
「間も無くここに」
「来た!?」
 トリスタンはその中で不意に声をあげた。
「イゾルデが来た!?」
「まさか」
「船が来る」
 窓に顔を向けて言うのだ。
「今船が来ている。コーンウォールの方からだ」
「まさか」
「嘘ではない。旗がマストにひらめいていく」
 こう話す。
「船が。今ここに来る」
「笛の音は」
 なかった。それはなかった。クルヴェナールはそれを確かめて落胆した。そしてそれはトリスタンも同じだった。彼も沈んだ顔になってしまっていた。
「昔馴染みの悲しい調べ」
 トリスタンは笛の音に対して言った。
「私は父も母も知らない。私が生まれる前、生まれてすぐに世を去った」
 それが彼のはじまりだった。
「夕風に暁にあの笛は聴いてきた。父と母のことを想う度に」
「はい、いつもあの笛の音が」
 聴こえていたのだった。彼には。
「あの声は父や母の心にも伝わっていたのか。そして私にも問い掛けていた。私はどの様な運命に定められ生まれたのか。そして私の運命は」
 そのことを今言葉に出していた。
「夜の世界にいる我々は死に憧れその休息を求める。あの男と闘い傷を負った時にも聴いたあの声はやはり死への憧れの誘いの声だったのか」
 今そう考えていた。
「私は生きていたが昼の世界にいた。私は死という休息を望んだが昼の中に戻った。光の中に休息はなく私を苦しめるだけのものでしかない」
 ここでも光を拒むのだった。
「この灼熱のもたらす憔悴を癒せるのは何か。この苦しみは私が作ったものなのか」
「それは」
「父の苦悩と母の陣痛を与えた私が。愛の涙から、笑いや泣き声、歓喜や痛苦からこの苦しみを見出したのか。その私には呪いこそあれど救いはないのか。夜の救済は」
 ここまで言ってそのまま沈もうとする。だがその彼に対してクルヴェナールはまた言うのだった。
「イゾルデ様が」
「イゾルデが?」
「あの方がおられます。ですから」
「夜が来ないと思うなと」
「そうです」
 彼が言いたいのはそういうことだった。
「ですから」
「では船は」
 クルヴェナールの言葉に応えるようにして問うてきた。
「来るのか?」
「今日のうちには」
 あえて主を元気づけるようにしての言葉だった。
「来られます。必ず」
「来るのか」
「間も無くです」
 また彼に告げた。
「ですから。それは」
「イゾルデ」
 その名を口にする。
「あの気高く優しい姿が。柔らかい波の快い花に乗って」
「来られるのです」
「夜の慰めと憩い、そして微笑を私に送り」
 さらにいう。
「私に最後の力を与えてくれる。クルヴェナール」
「はい」
「見に行ってくれ」
 こう彼に告げた。
「イゾルデの船が何時来てもいいように」
「はい、それでは」
 こう話をした時だった。ここであの牧童の笛の声が聴こえてきたのだった。
「この笛の音は」
「間違いない」
 クルヴェナールもトリスタンもそれぞれ言った。見るともう海に船が見えている。
「来られました」
「来たのだ」
 またそれぞれ言う。
「あの方が」
「イゾルデが」
 トリスタンは今にも起き上がらんばかりになった。そのうえでまたクルヴェナールに言うのだ。
「クルヴェナール」
「何でしょうか」
「決めた」
 まずはこう告げた。
「若しあれがイゾルデの船なら」
「はい」
「私のものは全てそなたに譲る」
 こう言うのである。
「全てな」
「勿体なき御言葉」
「それでだ」
 己のものを全て譲るとしたうえでさらに問うのだった。
「あれは本当にイゾルデの乗っている船なのだろうか」
 こう疑念を抱いたのだった。
「果たして。本当に」
「間違いありません」
 だがクルヴェナールはこう答える。
「あれはイゾルデ様の乗っておられる船です」
「わかるのか?」
「はい。何故ならあの船の帆は黒ですね」
「確かに」
 見ればその通りであった。
「それが何よりの証拠です。イゾルデ様は私の文への返信でこう書いておられました」
「どういったことを?」
「若し自分の船がカレオールに向かうならば」
「うむ」
 身を乗り出してクルヴェナールの話を聞く。
「その帆は黒だと」
「では間違いないのだな」
「はい、間違いありません」
 しっかりとした声で主に答える。
「あの船にはイゾルデ様が乗っておられます」
「そうか」
 それを聞いて安堵した顔になるトリスタンだった。
「では。やはりあの船には」
「イゾルデ様が乗っておられます」 
 クルヴェナールはトリスタンを励ますように告げた。
「間違いなく」
「間も無くここに来る」
 トリスタンは船を見詰めながら言う。
「この城に」
「では私がお迎えの用意を」
 クルヴェナールはすぐに部屋から出ようとする。
「それでは。また」
「昼は過ぎ去り夜が戻って来た」
 トリスタンは一人になるとベッドの中で言うのだった。
「私の血潮がはやり心が喜びに湧く」
 このことを実感していた。
「限りなき快楽と喜ばしき狂乱。この寝床にいながら心の高鳴るところに行きたい。今私は夜の喜びの力を以てイゾルデの前に向かう」
 ベッドから起き上がった。
「幾多の戦いで血を流しあの男との闘いでもそうだったが私は今日もその血を流そう」
 言いながら傷口の包帯を引き千切る。血が出るのも厭わない。
「我が血よ。楽しく流れ出よ」
 やはりその血が流れても構わなかった。
「この傷を永遠に閉ざしてくれるイゾルデが祝福の為に来る。この世界が滅びようとも」
「トリスタン」
 城の外から声がした。
「この城にいるのね」
「夜の世界がここに」
 光ではなく夜の世界を見続けている。
「今ここに」
 言いながら城の門に出るとそこにイゾルデがいた。そして今イゾルデと抱き合った。
「トリスタン・・・・・・」
「イゾルデ・・・・・・」
 イゾルデを抱き締めるのと同時に身体が崩れ落ちた。
「私は夜の世界に永遠にいよう」
 こう言って完全に崩れ落ちた。そうしてその場で言葉通り永遠によるの世界に入ったのだった。
「私がここに来たのは」 
 崩れ落ちたトリスタンを抱いたまま呟く。
「貴方と共に行く為」
 こう呟くのだった。
「貴方と共に夜の世界に行く為に来たのに。けれどその貴方は」
 最早何も語らなくなっていた。
「先に行くとは。それにはまだ早いというのに」
 そのまま言葉を続ける。
「貴方と一時目を覚ましている為に私はここに来たというのに。貴方はどうして」
 先に行ったのかと問う。
「傷は何処なの。私の妙薬で」
 治そうというが返答はない。
「私達が一つになる時に命の火も消える。目もしらみ心臓も止まり息も絶えてしまえばいい」
 だがそれでも返答はないままだ。
「貴方の為にここに来たのに先に行ってしまい。私の苦しみも嘆きも昼の世界では聞かないというのね」
 そのまま気を失いそこに倒れ伏す。トリスタンの亡骸に重なるようにして。
 イゾルデが気を失うとその場が不意に騒がしくなった。牧童がクルヴェナールに叫ぶ。
「クルヴェナール様!」
「わかっている!」
 彼は剣を抜き城門の前に現われた。
「敵が来ています!」
「コーンウォールから」
 死を決した顔で牧童に応える。
「来ている」
「そしてトリスタン様が」
「・・・・・・・・・」
 眠っている主を見て言葉を失ってしまった。
「もう」
「まずイゾルデ様を頼む」
 牧童に対して告げた。
「そしてトリスタン様は」
「どうされますか?」
「仰向けにしておいてくれ」
 今はイゾルデの下にうつ伏せに眠っている。
「そのお顔が安らかに地についていないようにな」
「わかりました。それでは」
「そして城門を閉じるのだ」
 次に告げたのは城のことだった。
「そうして。誰も入られないように」
「はい」
「それが終わればそなたは去れ」
「えっ!?」
「聞こえなかったのか?去れというのだ」 
 また牧童に告げる。
「わかったな。去れ」
「けれどそれは」
「いいのだ。わしはここで死ぬ」
 彼は既に意を決していた。それはもう目にも出ている。
「だからだ」
「クルヴェナール様・・・・・・」
「さらばだ」
 彼はもう牧童に顔を向けなかった。
「これで」
「・・・・・・わかりました」
 牧童は城門にかんぬきを下ろすとそれを最後に何処かに姿を消した。だが今度はそこにブランゲーネがやって来た。
「イゾルデ様、こちらに」
「貴女は下がっているのだ」
 クルヴェナールは正面を見たままだった。
「いいな。これは私の仕事だ」
「貴方もまた」
「ここで戦うのみ」
 右手の剣が煌く。
「だから」
「・・・・・・・・・」
「来たか」
 ブランゲーネは気を失っているイゾルデを助け起こしたまま俯いてしまった。クルヴェナールの前には騎士達が迫る。そこにはメーロトもいた。
「クルヴェナール。トリスタンは」
「答えるつもりはありませぬ」
 眦を決してそのメーロトに告げた。
「決して」
「答えぬというのなら剣に訴えるが」
「それが王の御意志ですか?」
「そうしなければならないからだ」
 彼はトリスタンの亡骸を見ていなかった。クルヴェナールの後ろにあって見えない。
「だからこそ。通らせてもらう」
「ならば・・・・・・!」
「うっ・・・・・・!」
 二人は剣を交えたが決着は一瞬だった。既に死を覚悟しているクルヴェナールに勝る者は誰もいなかった。彼は一撃で倒されてしまった。
「王よ・・・・・・申し訳ありませぬ」
 その場に崩れ落ち最後にトリスタンの亡骸を見た。
「トリスタン・・・・・・。そうかもう夜に」
 これが彼の最後の言葉だった。最後にトリスタンを見て事切れた。
 だがまだ騎士達はいる。クルヴェナールは彼等の中に飛び込み次々と切り伏せるのだった。
「トリスタン様の為に!」
 彼は言う。
「ここは何としても・・・・・・!」」
「クルヴェナール殿」
 だがその彼にブランゲーネが言うのだった。
「貴方は戦ってはなりません」
「何故だ?」
「既に王は」
「王なぞ関係ない!」
 彼にとっては既にそうであった。
「最早。私には」
 騎士達を切り伏せ続け己も傷を負っていく。しかし彼はそれでも剣を振るい続ける。だがその彼の前にあの老人が姿を現わしたのだった。
「止めよ、猛き者よ」
「王が」
 ブランゲーネが彼を見て言った。
「遂にこちらに」
「最早戦いはならん」
「私は死の世界にいます」
 クルヴェナールは王を前にしてもこう言うだけだった。
「ですから。最早戦いは」
 その中で傷を深くしていきやがて膝をついた。王は周りの者に彼の手当てを命じそのうえでブランゲーネに対して問うのであった。
「イゾルデは?」
「こちらに」
 不安な声で問う王に己が抱き止めている彼女を見せた。
「おられます。御無事です」
「そうか」
 王はそれを聞いてまずは安堵した。しかしであった。
 さらに問うのだった。今度は先程より不安な顔で。
「トリスタンは」
「先に」
 左右に来た者に手当てを受けているクルヴェナールが答えた。だがもう手遅れで倒れている彼は血に塗れていた。その息も絶え絶えになっている。
「行かれました」
「何故だ・・・・・・」 
 王はその言葉を聞いて絶望そのものの声をあげた。
「何故だ・・・・・・トリスタンよ」
「トリスタン様」
 クルヴェナールはトリスタンの亡骸に顔を向けた。王もそれと共にトリスタンの亡骸を見てしまった。その顔がさらに沈痛なものになる。
「私も今から夜の世界へ」
「死んだか」 
 王はクルヴェナールの死を見届けて呟いた。
「誰もが。全てが死ぬ。トリスタン、今日もまた私を裏切るのか」
 両目から涙を流していた。
「信頼する友、我が甥よ。そなたに無二の誠意を示そうと思いここに来たというのに。そなたは目覚めず我が悲しみを置いたままにするのか」
 こうトリスタンの亡骸に告げる。
「不実にしてこの上なく忠実なる友よ」
「王よ」
 ここでブランゲーネが王に告げてきた。
「どうした?」
「イゾルデ様が」
 今その手の中に抱いているイゾルデを見ての言葉だった。
「気を取り戻されました。今」
「そうか」
「御気を確かに」
 ブランゲーネは目を開きだすイゾルデに対して告げた。
「私はいつもここにいますから」
「私はそなたとトリスタンを赦そうと思っていた」
 王はブランゲーネの手の中から離れゆっくりと、幽玄に立ち上がるイゾルデに対して告げてきた。
「二人の愛の深さを知り。メーロトにも命じてここまで来たのだが。それは適わなかった」
「適わなかった?」
「トリスタンは死んだ」
 王は沈痛な声でイゾルデに告げた。
「そこに。静かに眠っている」
 トリスタンの亡骸をこのうえなく悲しい目で見ている。
「最早。目覚めることはない」
「いえ」
 だがイゾルデはここで言った。
「それは違います」
「違うだと?」
「イゾルデ様、それは一体」
「彼は目を開けているのよ」
 トリスタンに顔を向けて。静かに微笑んで告げた。そのうえで彼にゆっくりと歩み寄りつつ。その言葉をさらに続けるのだった。
「穏やかに、静かに。彼は微笑んでその目を優しく開いているわ。それが見えないのかしら」
「イゾルデ・・・・・・」
「まさか・・・・・・」
「夜の闇は広がりそこにあるのは星の光」
 恍惚として語りトリスタンにさらに近付いていく。
「その光は次第に明るさを増し夜の中に輝いていて。この人はその中で微笑んでいるのよ。その心は豊かで気高く唇からは陶然と柔らかく快い息が溢れ出ていて」
 遂にトリスタンの側まで来た。ゆっくりと腰を下ろす。まるでこの世のものではないような動きで。
「私は感じるわ。この方の全てを」
 そのままトリスタンを抱き寄せる。白い服の中に黒いトリスタンを。
「静かに歓びを訴え全てを語りつつ」
 そのうえでさらに言葉を続ける。
「優しく慰めるようにこの人から響き出て私の中に入る調べ。そしてその私の中で高く舞い上がり冴えた響きを聴かせてくれる。穏やかな風の様に。喜びの香り溢れる波の様に」
 語るその顔に夜が舞い降りた。
「私はその中にいるのよ。この万有の中にある至上に。今この人と共に」
 ここまで言うと静かにトリスタンの上に倒れ伏した。ブランゲーネはただ涙を流すだけであり王は無言で周りの者達に命じ彼等を従え祈るのだった。その二人に対して。二人は今夜になった世界の中で静かに、永遠に微笑んでいた。誰にも妨げられることなく。


トリスタンとイゾルデ   完


                                     2009・2・26



こういう結末になったか。
美姫 「何となくしていた予想通りになってしまったわね」
だな。王たちがもう少し早ければ違う結果になったかもしれないが。
美姫 「それは仕方ない事よ」
うまくはいかないものだ。
美姫 「そうね。投稿ありがとうございました」
ではでは。



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