『タンホイザー』




                          第二幕  歌合戦

 白い美しい城の広い一室。質素だが清らかな美しさに満ちている。柱も窓も装飾こそないがその中は実に清らかだった。その部屋に今一人の乙女がいた。
 白い服に身を包んでいる。金色の髪は長くその身体を全て包んでいる白い衣をさらに覆ってしまうようであった。波がかったそれからは眩いばかりの光が放たれている。
 青い瞳は湖のそれだった。二重で垂れている。眉はそれに合わせた形であり細い。白い肌に紅の唇、そして左目の端にはほくろがある。麗しくかつ美しい乙女であった。
 その乙女が今静かに喜びを感じていた。一人そこにたたずみ。一人歓喜の中に身を置いていた。
「貴き殿堂よ、私は喜んで貴方に挨拶を送りましょう。愛する殿堂よ」
 殿堂に対して感謝の声を出すのだった。
「貴方の中にあの方の歌があり私を沈鬱な夢から目覚めさせてくれた。彼が去ってから平和は私から去り喜びは奪われた。けれど今私の胸は高鳴り貴方も私には気高く見える」
 殿堂に感謝の言葉を贈っていた。
「あの方は私も貴方も新たに生命付ける。あの方はもうすぐここに戻って来る。今我が胸の高鳴るように私の挨拶を。貴き殿堂よ、今私の挨拶を受けなさい」
「姫やはりこちらでしたか」
「お久し振りです」
「貴方達は」
 エリザベートが言葉を終えたその時にヴォルフラム達が殿堂に入って来た。エリザベートは彼等に顔を向けて応えたのだった。
「彼を呼んできました」
「こちらに」
「彼といいますと」
「そうです。タンホイザー」
 今ヴォルフラムがタンホイザーの名を呼んだ。
「さあ、ここに来るのだ」
「今こそ」
「タンホイザーがここに」
 エリザベートは騎士達の言葉を聞いてその胸の高鳴りがさらに響いているのを感じていた。
「ここに帰って来る」
「さあ今」
「ここに」
「姫よ」
 そして今彼が帰って来た。静かに部屋に入り。そうして今エリザベートの前に片膝をつくのだった。
「ここに」
「タンホイザー」
 エリザベートは己の前に片膝をつく騎士にまずは声をかけた。
「戻って来られたのですね」
「申し訳ありません」
「謝る必要はありません」
 まずはこうタンホイザーに告げる。
「そして立つのです」
「宜しいのですか」
「立って下さい」
 こうも言うのだった。
「貴方はここでは跪いてはならないのです」
「何故ですか」
「ここは貴方の場所」
 だからだというのだった。
「だから。跪いてはならないのです」
「ですが私は」
「立って下さい」
 彼女の言葉はあくまでタンホイザーを引き寄せるものだった。彼女も前でも拒みを見せる彼をあくまで引き寄せるのだった。
「どうか。ここは」
「ここは」
「立って下さい」
「・・・・・・はい」
 エリザベートの言葉を受けて遂に立ち上がった。エリザベートはその彼に熱い目を向けつつ静かに彼に対して問うのであった。
「よくぞ戻って来られました」
「はい」
「今まで何処に」
 そして今問うた。
「何処におられたのですか。貴方は」
「遠い国へ」
 エリザベートを見て答える。その声は決して虚ろなものではなかった。
「遠い国にいました」
「遠い国にですか」
「ですが昨日と今日の間には深い忘却の霧があります」
 謎の言葉であった。誰にとっても。
「全ての重いでは遠い彼方となり今一つのことを思い出さずにはいられません」
「それは」
「私が貴女に会いたいという希望を捨てていたこと」
 エリザベートを見て語る。
「その私が貴女の御姿をここで見ようとは」
「ではどうしてここに」
 エリザベートはまた彼に問うた。
「ここに戻って来られたのですか」
「奇蹟です」
 半ば恍惚したうえでの言葉であった。
「これはまさに」
「奇蹟ですか」
「そうです。それにより私はここに」
「では私は」
 エリザベートの恍惚はタンホイザーより深いものであった。その恍惚の中で語る。
「私はこの奇蹟を心の底より讃えます」
「讃えられるのですね」
「そうです。まるで夢の中にいるよう」
 それは恍惚となっているその顔にも出ていた。
「無力に奇蹟の力に身を委ねて自分でもわかりません」
「では貴女は」
「今は貴方の、貴方達の」
 まずタンホイザーを、次にヴォルフラム達を見て述べる。
「貴方達の歌や賛美こそ優美な芸術。ですが貴方のそれは」
「私のそれは」
「私の胸に不思議な生命を呼び起こすのです」
 これはタンホイザーにのみかけられた言葉であった。
「知らざれし情感と欲求。痛みの如く身体を震わし激しい歓楽におののく。その貴方が消えてしまった時から私の時は止まってしまっていました。何を聴こうとも心が動くことなく」
 本心の言葉であった。
「夢の中では鈍い苦痛を感じ目覚めれば激しい妄想。喜びは消えていました」
「姫」
 そのエリザベートに申し訳なさそうに、だが毅然として語る。
「貴女は愛の神を讃えられるべきです」
「愛の神を」
「そう、愛の神を」
 何故かヴェーヌスと言いはしない。
「彼女が私をこちらに連れて来たのですが」
「愛の神がなのですね」
「そうです。愛の神が」
「では讃えましょう」
 エリザベートもまたタンホイザーのその言葉を受けるのであった。
「かくも優しき知らせを貴方のもとからもたらした愛の神を」
「そうです、讃えましょう」
「そして今この時もその神の力も」
 エリザベートの感謝はそちらにも向けらるのだった。
「貴方の口より伝えられたその力も」
「讃えましょう」
 二人は恍惚とした顔で言い合うのだった。ヴォルフラム達はそれを見て微笑むだけだった。微かに寂しさが宿ったその微笑みで。
「これでいいのだな」
「うむ」
「それでは我々はこれで」
「去るとするか」
「そうしよう」
 五人は静かに去った。やがてタンホイザーも歌合戦の話を従者から聞きエリザベートの前から退いた。一人になったエリザベートのところに今度はへルマンがやって来た。
「叔父様」
「我が姪よ。ここにいるとは珍しいな」
 エリザベートの顔を見て彼女に言うのだった。
「何かが変わったのだな。やはり」
「はい」
 叔父の言葉にこくりと頷くのであった。
「その通りです」
「ここに入ることを長い間拒んでいたというのに」
 窓の向こうから声が聴こえてきた。小鳥達の歌声だった。
「我々が今行おうとしている歌の祭典に誘われたのか」
「それは」
「そなたの心を私に打ち明けることができるようになったか」
「それはまだです」
 俯いて叔父に答えるエリザベートであった。
「申し訳ないですが」
「ならよい」
 ヘルマンは姪のそのことを許した。
「そなたの秘密はそなた自身が解決できるようになるまで魔力の力で破れぬようにしておくのだ」
「有り難うございます」
「歌は素晴らしいものを目覚めさせ活気づける。今日もまた同じだ」
「同じなのですね」
「優しき芸術よ、今こそ実現せよ」
 今こう宣言するのだった。
「もうすぐここにこのチューリンゲンの貴族や騎士達が集う」
「あの方々が」
「そうだ、皆集うのだ」
「歌手達もですね」
「彼等こそが主役」 
 ヘルマンが治めるこのチューリンゲンはかなり栄えていた。彼はこの地を治める者としてあらゆる者の敬愛を一身に集めていたのである。無論貴族や騎士達のそれもである。
「そなたの前にもな」
「そしてあの方もまた」
「そうだ。彼もだ」
 それが誰なのかはもうヘルマンもわかっていた。
「来る。ではな」
「はい」
 ここでファンファーレが鳴った。それと共に殿堂に次々と着飾った貴族や貴婦人、騎士達がやって来る。彼等はそれぞれへルマンとエリザベートの一礼しそれぞれの席に着いていく。席が全て埋まるとそのうえで彼等はヘルマンを讃える言葉を告げるのであった。
「喜びて我等は貴き殿堂に挨拶を送る。ここに芸術と平和は永遠に留まりてあれ!」
 まずはこの殿堂と芸術、そして平和が讃えられる。
「喜ばしき叫びよ長く響け。チューリンゲン領主たるへルマン万歳!」
「では今より歌手達の入場です」
 小姓達がここで厳かに告げる。ヘルマンとエリザベートは城の主の席に並んで着く。エリザベートは妻を亡くしたヘルマンの隣に座して女主人の役割を担っている。
 まずはヴォルフラムが入り続いてビテロルフ、そしてヴァルター。ラインマルにハインリヒも入る。皆着飾り見事なマントを羽織り大きな竪琴を持っている。
 そして緑の騎士もまた。タンホイザーは緑の服とマント、それにやはり竪琴を持ってやって来た。彼の姿を見て貴族や騎士達の中には声をあげる者もいた。
「タンホイザーだ」
「噂には聞いていたがやはり」
「戻って来たのか」
 帰還を喜ぶ者もいれば驚く者もいる。
「何処に行っていたのか」
「死んだとも言われていたが生きていたのだな」
「そうだな。そしてそれだけではないな」
「うむ」 
 タンホイザーを見つつ語るのであった。
「何かを見てきたようだな」
「遠い目をしている」
 このことに気付く者もいたのだ。
「一体何処に行っていたのか」
「そして何を見たのか」
「それが歌われるのだろうか。それとも」
「何かが起こるのだろうか」
 人々はタンホイザーを見続けていた。だがやがてその話も自然と消えてヘルマンが立ち上がり。厳かに場に対して告げるのであった。
「かつてよりこの殿堂では多くの美しい歌が素晴らしい歌手達によって歌われてきた。卿等は賢明なる謎の歌や陽気な歌で我々の心を救ってくれた。我々の剣は多くの鮮血を経てドイツを救ってきた」
 これこそ辺境伯の誇りであったのだ。元々はプロイセンにしろオーストリアにしろそうである。ゲルマンの防波堤でもあったのだ。
「残忍なヴェルフ達に対抗し分裂を防いだ」
 教皇に属する者達と皇帝を指示する者達の戦いは神聖ローマ国内のことだ。ドイツは内外に多くの悩みを抱えていたのである。
「卿等の功績はこういった剣での功績に比肩する。いと高き、美しき勝利だ」
 こう言ってミンネジンガー達を褒め称える。
「そして今日は彼が帰って来ている」
「タンホイザーが」
「如何にも」
 客人達にも胸を張って答える。
「不思議なる奇蹟により。そして今私は今回の歌合戦の主題を提示しよう」
「それは一体」
「愛の本性だ」
 彼が提示したのはこれであった。132
「これを明らかにしてもらいたいのだ」
「歌手達にですね」
「如何にも。そして」
 彼はさらに告げる。
「この答えを最も価値高く為し得る者には褒美が与えられる」
「褒美が」
「それは我が姪より与えられるもの」
 傍らにいるエリザベートを見ての言葉であった。エリザベートもそれを受けて静かに、だが確かな動きでこくりと頷いてみせた。
「その価は思いのまま。私がそれを許す」
「何と」
「何という素晴らしい褒美なのか」
 何でもよいというからだ。だがこれは今のヘルマンの喜びをそのまま告げたものであるのだ。タンホイザーの帰還を喜ぶ彼の心を。
「それではだ」
「はい」
 ヘルマンの言葉に小姓達が応える。すぐに金の杯を持って来て歌手達の前を回る。歌手達は次々に紙に何かを書きその紙を折ったうえで杯の中に入れる。小姓達は続いてそれをエリザベートの前に持って来る。エリザベートはその中の一枚を取ってそれを小姓の一人に優しく手渡す。そこにあったのは。
「ヴォルフラム卿」
「ヴォルフラム=フォン=エッシェンバッハ殿です」
「おお、ヴォルフラム殿が最初か」
「これは面白い」
 小姓達が告げた名は貴人達が声をあげるに充分なものであった。
「さて、どうなるか」
「最初からこれは聴きがいがあるというもので」
「でははじめて下さい」
「ヴォルフラム卿」
「如何にも」
 ヴォルフラムは小姓達の言葉を受けて静かに、だが毅然とした端整な動作で立ち上がった。そして今生真面目な様子で歌うのであった。
「この貴き戸惑いを見渡し崇高なる光景に我が心は熱せられる。勇と誠、そして賢ある方々が集い壮麗にして鮮やかに緑のかしわの森の如く」
「かしわか」
 タンホイザーがそれに微かに反応する。
「モミではないか」
「愛らしき花の香高き花輪にまどう。我が目はこの光景に酔い痴れ、歌はその優雅の前に止まってしまう。だは眩き天上の群星の一つを見上げ遠き彼方より魂は敬虔に沈む。そして見よ」
 言葉が変わった。
「私の心に奇蹟の泉が現われ私は驚いてこれを見る。その泉から心は恵み豊かなる喜びを汲み情けは得も言われず蘇る。私はこの泉を穢すことはない」
 さらに歌っていく。
「恥を知らぬ勇により手を触れることはない、崇める心で身を捧げ最後の血も喜びて流そう。さあ、この言葉のお知り下さい。愛のそのその清き本性を私がどう解しているのかを」
「素晴らしい」
 貴人達の多くがヴォルフラムを賞賛する。
「何と素晴らしい歌だ」
「全くだ」
 そして他の貴人達もそれに続く。
「流石と言うべきか」
「やはりヴォルフラム卿だけはある」
「見事だ」
「そして美しい」
「端整ですらありますな」
「如何にも」
 口々にヴォルフラムの歌を賞賛するのであった。他の騎士達も納得した顔で頷いている。だがタンホイザーだけは何故か今の歌にシニカルな笑みを浮かべていた。
 そして。今立ち上がり彼に対して言うのであった。
「ヴォルフラムよ」
「タンホイザーか」
「まだ彼の番ではない筈だが」
 人々は彼が立ち上がったのを見てひそひそと言い合う。しかしその間にもタンホイザーはヴォルフラムに不敵な笑みを浮かべて言うのであった。
「君は愛の姿を不当に歪めた」
「私の歌が違うというのか」
「そうだ」
 自信に満ちた声で告げるのだった。
「君がその様に思いわずらうのならば本当の世は閉ざされてしまうだろう」
「一体何を言っているのだ?」
「いと高き遠方に神を讃え天とその星を仰ぐ。かかる奇蹟を崇めるのもよかろう」
 タンホイザーは一旦はヴォルフラムの歌を認めはする。
「しかしだ」
「しかし?」
「接触によって軟化するもの、君達の情と感覚に近くあるもの。同じ素材から作り上げられ柔らかい形で君にすがりつくものだ」
「それは何だというのだ?」
「歓楽の泉」
 タンホイザーは言った。
「私はそこに大胆に近付く。そこには躊躇いが水を濁すことなく我が望みも消え去ることはない。無論その泉もまた涸れることはないのだ」
「歓楽の泉だと」
「彼は何を言っているのだ」
 誰もがタンホイザーの言葉に顔を顰めさせる。
「不謹慎ではないのか?」
「その様なことを言って」
「憧れが永遠に燃える為にヴォルフラムよ」
 タンホイザーはまたしても周りの声を聞くことなくヴォルフラムに告げる。
「私は愛の本質をその様に見ているのだ」
「戯言は止めるのだ」
 ビテロルフがここで立ち上がってタンホイザーに抗議の声をあげた。
「君の歌を聴くことはいい、だがその高慢な言葉は許せない」
「そうだ、その通りだ」
「我等も今の君の言葉は許せない」
 ラインマルとヴァルターもこの抗議に加わる。
「君が言うのは悪徳か」
「それとも愛を侮辱するのか」
「我々は高き愛を讃える」
 厳かな声で告げるビテロルフであった。
「愛はまた我々に勇気を与え武器を鍛える。愛を恥で穢さんとする輩には剣を取ろう。女性の気高い栄誉と淑徳の為にもまた」
「だが享楽が君の青春を餌食とする時それは戦う程の価値はない」
 最後にヴァルターが立ち上がって告げたのであった。
「誰であろうともだ」
「騎士達よ」
 タンホイザーは立ち上がった騎士達に対しても向かい合う。そのうえで告げる。
「それが君達の愛というのか」
「その通りだ」
「違うとでも言うのか」
「如何にも」
 エリザベートはここでタンホイザーの言葉に賛同しようとした。しかし周りの剣呑な雰囲気に押されそれを思い止まるしかなかったのであった。
「私は享楽の価値ありと思うものがある。だが君達にはそれは見えてはいないのだ」
「見えていないだと」
「そう、見えてはいない」
 断言してみせる。
「君達は今まで何を享楽したのか。君達のやり方では愛は豊かなものにはならず喜びから出たものは全く何の足しにもならないものなのだ」
「いい加減にするのだ」
 ラインマルが厳しい声で抗議する。
「それ以上の言葉が許されはしないぞ」
「そうだ、これ以上は許しはしないぞ」
「愛を貶めることは」
「止めるのだ」
 ラインマルにヴァルターとビテロルフが加わりヴォルフラムとハインリヒも剣呑な顔になってしまったところでヘルマンが彼等を制止した。
「歌手達よ、ここは何処なのだ」
「殿堂です」
「それ以外の何でもありません」
 彼等は頭を垂れヘルマンにこう述べた。
「ではわかるな。ここは竪琴で争う場」
「はっ」
「剣を抜く必要はない」
 こうも告げる。
「わかったな」
「申し訳ありません」
「それでは」
「ではヴォルフラムよ」
「はい」
「また歌ってくれ」
 こう言って歌を薦めるのであった。歌を薦めると彼はまた歌うのであった。
「天よ、我が願いを聞き給え。我が歌を神に捧げ酬となって聞き給え」
「流石だ」
「うむ、見事だ」
 また貴人達はヴォルフラムの言葉に満足した顔で頷くのだった。
「やはり彼の歌こそが」
「最も素晴らしいか」
「この高貴にして純潔なる惑いより罪は追放されよ。汝に我が愛は感激もて響け。愛はうるわしき天使の姿で魂に入っていく」
 歌をさらに続ける。
「汝は神の僕として近付き私は静かに従おう。汝は汝の星の場所で輝く国へ私を導く」
「だからそれは違うというのだ」
 タンホイザーはまたしてもヴォルフラムの歌を否定するのであった。エリザベート以外の誰もがそれを見て再び顔を顰めさせる。
「愛の女神よ」
 竪琴を手に歌いだす。
「汝の為に我が歌よ響け!汝を讃える歌を歌おう!」
「何っ!?」
「何だと!」
 誰もが今のタンホイザーの歌に驚く。
「愛の女神だと」
「この男、まさか」
「汝の甘き魅惑こそ全ての美の源、全ての優しき奇蹟は汝より生ずるのだ」
「まだ歌うか」
「やはり」
「灼熱もて汝を腕に抱く者のみ愛の何かるかを知る。貴女の愛を知らぬ者こそ哀れだ」
 そして遂に叫ぶように歌った。
「行くのだ、ヴェーヌスベルクに!」
「聞いたな!」
「聞いたぞ!」
「今聞いた!」
 皆一斉に叫ぶのだった。
「ヴェーヌスベルクに行っていたのか!」
「あの悪徳の場所に!」
「貴婦人方は逃げられよ!」
 貴族のうちの一人が叫んだ。
「あの男を避けるのだ!」
「あの背徳の男から!」
「許すな!ここから出すな!」
 貴婦人達が殿堂から逃げ去る。エリザベートはただ一人青い顔で留まっていたがそれは彼女だけだった。貴人達も歌手達も剣を抜く。そうしてタンホイザーに詰め寄ろうとする。
 タンホイザーは悪びれることもなく彼等に向かい合う。しかしここでエリザベートが立ち上がり叫ぶのであった。
「お待ち下さい!」
「!?姫!」
「まだこちらに」
「この方に剣を向けるのは止めて下さい」
 こう言いつつタンホイザーと騎士達の間に入る。無数の剣の前に身体を向けてさえいる。
「どうか。ここは」
「しかしこの男は」
「あの悪徳の場所に」
「それがどうしたというのですか」
 強い顔でタンホイザーの前に立ち騎士達を見据えつつ語る。ヘルマンはそれを静かに見ている。ヴォルフラムは離れた場所にいて他の歌手達は険しい顔をして彼の周りに集っていた。
「確かに彼は罪を犯しました」
「そう、許されない罪を」
「彼は犯しました」
「だからです」
 まだエリザベートに詰め寄ろうとする。
「退かれよ」
「この男を今すぐ我等の剣で」
「ですがその前に果たすべきことがあります」
「果たすべきこと?」
「そうです」
 強張った顔で彼らに告げる。
「魔力に囚われようともこの世の贖罪や懺悔によっても救いをもたらされることはないのですか?」
「それは」
「神は」
「神はあらゆる罪を赦して下さる筈です」
 エリザベートが言うのは神の慈悲であった。
「ですから。彼に救いを」
「救いをですか」
「そうです」
 タンホイザーの前に立ち続けている。
「私は彼の為に願います。彼に救いを」
「救いを」
「そうです、信仰の勇気が彼に与えられなければなりません。主もまたその為に受難することになったあの信仰の勇気をです」
「エリザベート・・・・・・」
 エリザベートの心はタンホイザーにも伝わった。傲然とした態度が消えていた。
「私の為に。貴女は」
「天使だ」
 剣を抜く者のうちの一人が呟いた。
「天使が舞い降りたのだ」
「優しい天使が」
「そうだ」
 やがて誰もが剣を下ろした。そしてエリザベートの言葉を心の中で思うのであった。
「天使が言っているのだ、救いを与えよと」
「この背徳の罪を犯した者に救いをか」
「そうだ、救いを」
「救いを与えよと」
「タンホイザーよ」
 彼等は今度はタンホイザーに告げた。
「姫を見るのだ」
「姫は貴殿の為に命を投げ出した」
「わかっている」 
 沈痛な顔で彼等の言葉に頷くタンホイザーだった。
「罪を犯した私の為に。彼女は」
「天使の訴えを聞く者誰が心を和らげざらん」
「罪ある者も我等は赦そう」
「それが天の言葉ならば」
 天使の言葉こそがそれだというのだ。
「我々は赦そう」
「天の言葉に従い」
「私にもそれは響いている」
 タンホイザーもまた言うのだった。
「神の使者が私の前に舞い降りてきたのだ。地上より遥か高きにある神よ。救いの為に天使を送って下さった神よ」
 このことを呟く。
「私に救いを。永遠の救いを」
「罪ある者よ、今」
「償いを」
「そうして救いを」
「その手にするのだ」
「神の救いを」
 口々に叫ばれていく。やがてヴォルフラムをはじめとした騎士達がタンホイザーの周りを囲んだ。エリザベートは相変わらず彼の前にいる。そして今。ヘルマンが動くのだった。
「領主様」
「恐ろしい罪が犯されていた」 
 彼はまずこう述べる。
「罪と呪いを背負った者がこの貴き殿堂に入っていた」
 ここまで話してからタンホイザーを見るのだった。
「我々は卿を追放とする」
「はい」
「妥当と言うべきか」
「辺境伯が下された処罰だ」
 周りの者達はこのことを言った。
「それではやはり」
「正しいか」
「そう思われるぞ」
「永遠の破滅から救う道は開かれている」
「道が」
「そうだ。その道を行くのだ」
 タンホイザーに対して告げるのだった。
「このチューリンゲンから懺悔の道が開かれている」
「巡礼の道だな」
「そうか、あれか」
「ローマへの」
 これは彼等にもわかるのだった。
「老いたる者達は既に先に行ったが若い者達はまだ谷で休んでいる」
「ではそこに合流して」
「そうだ。そうして行くのだ」
 ローマに行けと。タンホイザーに告げていた。
「ただ罪を少なくする為に心を安らげるのではない」
「懺悔の為に」
「そう、懺悔の為に行くのだ」
 厳格だが確かな声でタンホイザーに告げていく。
「彼等のローマへの赦免の祭りへと」
「さあ行くのだ」
「卿の罪を償う為に」
「恩赦の街へ」
 人々もこう言って彼をローマに向かわせようとする。
「神の裁決を伝える方の前に行き」
「そして罪を告白するのだ」
「若しも」
 ここで貴人達の中の一人が言った。
「恩寵が下らないその時は帰ることはない」
「この度は天使の制止があり怒りを避けられたが」
 先程の怒りのことだ。
「汝がまだ罪と恥を持っていれば」
「今度こそ剣が卿を貫く」
「タンホイザー」
 エリザベートもまたタンホイザーに対して声をかける。彼を心より心配するその声で。
「愛と恵みの神が貴方を導いて下さるように」
「そうして恩恵を」
「はい、その深く赦され難い罪も消え去ることになりますように」
「我が救いは消え失せ天の恵みもまた去った」
 しかしであった。
「だが私は悔悟の心で巡礼しよう」
「貴方が夜の闇の中に消え去らないように私は祈ります」
「我が苦しみの天使よ」
 タンホイザーが今見るのは天使であった。己に苦しみを与える天使を。
「私は御前を厚かましくも嘲笑ったが今御前を私を救ってくれた」
「貴方にこの命から祈ります」
 エリザベートはただひたすらタンホイザーの為に祈っていた。
「我が祈りと命をお受け下さい。天の神よ」
「魂の救済は消え去った。だが私はそれでもこの恐ろしい罪を懺悔し慈悲を」
 この時外から聴こえてきた。清らかな声が。
「あれは」
「あの声だ」
 ヘルマンが一同に告げる。タンホイザーに対しても。
「恩寵の祭りの為に慎みて我が罪をあがなわん」
「信仰に忠誠を守る者は祝福されてあれ」
「彼は懺悔と悔悟により救われん」
「ローマへ」
 タンホイザーは言った。
「ローマへ。償いの都へ」
 今それを誓うのだった。タンホイザーはローマへ向かうことになった。今己が犯した罪を償う為に。白く清らかな天使に導かれて。



どうも先に出てきた場所に行く事は大罪とされているみたいだな。
美姫 「みたいね。でも、エリザベートのお蔭で恩赦を受けられたみたいだけれど」
巡礼して赦してもらえれば良いみたいだけれど。
美姫 「次は旅の道中の話になるのかしら」
どうなるんだろう。どうなるのか、先が全く分からないな。
美姫 「一体、どんな結末が待っているのかしらね」
次回も待っています。



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