『スペードの女王』




              第二幕  三枚のカードの呪い

 ゲルマンとリーザが出会ってから暫く経っていた。二人の仲は誰も知らず、二人もそのことを口にはしなかった。あくまで二人だけの秘密であった。
 この日二人は仮面舞踏会に出ていた。これは欧州ではどの国でも開いていたがやはりこれもまたフランスの影響であった。フランスでは仮面舞踏会が盛んに行われ王まで参加していた。華やかに飾られた宮殿の大広間において着飾り、仮面で素顔を隠した男女が宴に興じていた。
「黒い瞳は闊達に」
 道化師達が朗らかな音楽に乗って歌っている。リア王に出て来るあの道化そっくりの道化師達が賑やかに跳んだり跳ねたりしていた。
「身体で全てを語りましょう。軽いステップで踵を鳴らし」
「口笛を吹いてさあどうぞ」
「賑やかに」
 彼等は次々に歌い出す。それはさながら舞台を賑やかな混沌としようとしているかのようであった。その中で貴族達は絹のテーブルかけの上のフランスの料理を味わい、フランス語でお喋りに興じていた音楽も服も何もかもがフランス風であった。その華やかで異様ですらあるその装飾はロココである。まるでフランスがそこにあるかのようであった。
 その中で仮面の二人の男がいた。チェカリンスキーとスーリンであった。
「彼は相変わらずなのか」
「ああ」
 スーリンがチャカリンスキーに答えていた。チェカリンスキーは青い服に漆黒のマントにマントと同じ色の仮面、羽根つき帽子だ。スーリンは赤い服に白いマント、仮面は白。だが帽子は黒であった。一見して誰かわからない。道化師に見えないこともない。何処か不気味な格好であった。
「塞ぎ込んでいるよ」
「やれやれ、美男子が勿体無い」
 チェカリンスキーはそれを聞いて肩を竦めさせた。
「けれど最近明るい時もできたね」
「そういえばそうだな」
 スーリンは友の言葉に頷いた。
「何かそれはそれでおかしいけれどな」
「躁鬱かな」
「かもな。けれど何故なのかな」
「さて。恋、かな」
「まさか」
 スーリンはそれはすぐに否定した。
「今までそんな話はなかったぞ」
「これからはわからないんじゃないかな」
 チェカリンスキーは述べた。
「今僕達が気付かないうちにかもね」
「ううむ」
「少しからかってみるかい?本人を」
「隠れてか」
「そうさ、僕達は今は彼の知り合いでも友人でもない」
「仮面で素顔を隠した他の誰か」
 仮面舞踏会は他の人間になる宴である。その裏で密会や暗殺が行われてもきている。仮面の下の素顔を隠し偽りの自分を演じる。それが仮面舞踏会なのである。
「では行くとしよう」
「わかった」
 二人は仮面の下で笑ってその場を後にした。ここには公爵とリーザもいた。
「マドモアゼル」
 公爵は流暢なフランス語で彼女に声をかけていた。この時代はフランス語がどれだけ上手いかということが教養、文化の証とさえもみなされていた。それを考えるとこの公爵の教養はかなりのものであった。
「近頃どうされたのですか?」
 鮮やかな青のドレスに白い仮面をつけたリーザに問う。彼女の仮面は上半分を隠しただけであった。下の口等はよく見えていた。それに対して公爵は顔全体を赤い仮面で覆っている。素顔は窺い知れないが声で心はわかった。
「いえ、別に」
 公爵に顔を向けず俯いていた。
「何もありません」
「そうなのですか?」
「はい」
 虚ろな声で答えた。
「ですから」
「わかりました。ですがこれは覚えておいて下さい」
 公爵は語った。
「私は貴女のことを何よりも大事に思っているということを。貴女の心の友であり、僕であります」
「公爵・・・・・・」
 その言葉を聞いて彼に顔を向けた。だが見はしなかった。
「しかし貴女の心を縛ったりはしません。貴女の為に」
 何処までもリーザを大切に思っているからこその言葉であった。その優しさはおそらくゲルマンよりも上であろう。そして美しいものだった。
 だが。リーザの心はもうゲルマンのものとなってしまっていた。彼女自身もどうすることもできないまでに彼を愛してしまっていたのだ。そう、どうすることもできないまでに。
「貴女との距離はわかっているつもりです。ですが貴女と共に悩み、哀しむことを誓います。そう、私の心の証として」
「有り難うございます」
 公爵のそんな心が何よりも嬉しい。それでもリーザはゲルマンから離れられなくなっていた。天使よりも堕天使を選んでしまったのであった。
「公爵」
「はい」
 ここで彼を呼ぶ声がした。
「こちらにおられたのですか」
「ええ、何か」
「お話したいことがありまして」
「何でしょうか」
「陛下のことで」
「陛下の」
 かっては女帝の愛人であったことを思い出したのか。リーザの前で複雑な声になった。仮面の下の素顔まではわかりはしないが。
「はい、宜しいでしょうか」
「わかりました。マドモアゼル」
 リーザに顔を向けて言う。
「申し訳ありませんが暫し」
「はい」
 リーザもそれを受け入れた。
「どうぞ。お待ちしておりますので」
「申し訳ありません。ではこれで一先」
「ええ」
 公爵は一礼してからリーザの下を離れた。こうして乙女はまた一人になったのであった。
 ゲルマンはトムスキーと共に宴に来ていた。二人はフランス軍の軍服の上に青いマントを羽織っていた。そしてトムスキーは白の、ゲルマンは赤の仮面を被っていた。何故かその赤が退廃的で危険な香りを醸し出していた。
「最近何か元気だったりするね」
「そうかな」
 ゲルマンは友に応えた。
「かと思ったら沈んだり。どうしたんだい?」
「嬉しさと不安が交互に僕を責め苛むんだ」
 ゲルマンは仮面の下にその深刻なものを押し殺して呟いた。
「いつもね」
「そうなのか」
「ああ。楽しくなったり辛くなったり」
 声にありありと深刻なものが浮き出ていた。
「それでね。どうにも」
「じゃあここで気分を入れ替えればいい」
 トムスキーは友にそう言った。
「そうすれば気持ちも変わるだろう」
「ああ、そう思うよ」
 ゲルマンは仮面の下で何かを見ながら答えた。
「けれど」
「まあ深刻な考えは忘れるのだ」
 彼はもう一度述べた。
「いいな。酒でも飲んで」
「わかったよ。じゃあ」
 勧められるまま酒を受け取る。そして飲もうとする。その時だった。
 チェカリンスキーとスーリンが来た。まるで悪魔の様に。
「カードだよな、やっぱり」
「そうだな」
「カード」
 ゲルマンはその言葉にビクリとした。
「それで金を手に入れ」
「果てには名誉も手に入れる」
「金・・・・・・そうだ、それで地位と名誉を手に入れ」
 ゲルマンは考える。
「僕は彼女を」
「皆さん」
 ここでこの屋敷の儀典長が部屋の中央に出て来た。
「只今より牧歌劇を執り行います」
「おお」
「いよいよか」
「羊飼いの男女のお話、お楽しみ下さい」
「じゃあ」
「間を開けよう」
「またフランスの劇かな」
「多分そうですわ」
 演劇もやはりフランスのものであった。何処までもフランス風なのであった。
 衣装はギリシア風であった。牧童達の服である。若い男女の俳優が出て来た。輪舞を踊り、待っている。
「ねえ君」
 その中の若い男がただ一人歌わない女の子に声をかけた。
「どうして歌わないの?君の名前は?」
「私はプリレーパというの」
 フランス語でやり取りが行われる。娘は答えた。
「貴方の名前は?」
「僕はダプニス」
 彼も名乗った。
「どうして歌わないの?」
「何か気持ちが塞ぎ込んでしまって」
 プリペーパは俯いて答える。
「それで」
「そうだったの。それはよくないよ」
 ダプニスは言う。
「そういう時は歌おうよ。そして踊ろう」
「けれど今は」
「そういう時だからこそさ」
「そういう時だから?」
「そうだよ。さあ立って」
「あっ」
 プリペーパを立ち上がらせる。そして強引に誘う。
「さあ」
「どうしてなの?」
 プリペーパはダプニスに問う。
「どうして私に声をかけてくれるの」
「君が好きになったからだよ」
 ダプニスはにこやかに笑って答えた。
「だから。さあ」
「え、ええ」
 プリペーパはそれに応えて踊りはじめる。するとそこに何か立派な身なりの男がやって来た。
「おお、これは」
 彼はプリペーパを見て声をあげた。
「何と可愛らしい。ねえ君」
「はい?」
「あっ、君じゃない」
 ダプニスが顔を向けるとぞんざいな返事をした。
「君だよ」
「私ですか?」
「うん。僕はズラトゴール」
「ズラトゴール!?」
「君可愛いね。よかったら僕の彼女にならないかい?」
 そう言って誘ってきた。
「お金はたっぷりあるよ。宝石も」
「ねえプリペーパ」
 ダプニスは負けじとプリペーパに語り掛けた。
「僕はお金も宝石もないけれど情熱があるよ」
「情熱が」
「うん、そうさ」
 ダプニスは答えた。強い声で。
「そして花で編んだ冠。それを永遠に贈ってあげられるよ」
「お花を!?」
「そう、そして心を」
 プリペーパを見て語る。
「それで君に永遠に贈り物を」
「ダプニス」
 プリペーパはダプニスを見て言った。
「私はそれが欲しいわ。貴方の心が」
「プリペーパ」
「何と、お金は欲しくないのかい」
 ズラトゴールはそれを聞いて驚きの声をあげる。
「君は黄金や宝石に囲まれるんだよ。それなのに」
「愛はそれとはまた別なのだから」
 それがプリペーパの答えであった。
「だから」
「ううむ、僕の負けだな」
 ズラトゴールは唸るしかなかった。
「君の心には。お金は必要ないのか」
「だって愛はお金では買えないから」
「そうだったのか、なら仕方ない」
 彼は引き下がるしかなかった。
「では君達を祝福しよう」
「えっ」
 ズラトゴールは早替わりをした。何とキューピットに変身したのである。
「貴方は・・・・・・」
「これが僕の本当の姿なんだよ」
 キューピットは笑顔で二人に対して言った。
「それじゃあ」
「さあ、二人共一緒になって」
 キューピットは周りに控えていた踊り子達も招き寄せる。ダプニス達の演技の間控えていた彼等を。
「愛を祝おう。愛は幸せなもの」
「幸せな二人に祝福を」
 踊り子達も言う。
「永遠に幸せに」
「愛と共に」
 愛を讃える劇であった。皆その劇を見て拍手を送る。だがゲルマンはそれを見てはいなかった。相変わらず沈んだ暗い目で考えに耽っていた。
「さっきの仮面の男達は一体」
 チェカリンスキーとスーリンだったとは気付いてはいない。
「カードのことを僕にそそのかすのか?悪魔なのか、それとも」
「ゲルマン」
 その考えは中断させられた。リーザがやって来たのである。
「リーザ」
「聞いて欲しいことがあるの」
 リーザはそっと彼に囁く。
「この前貴方は御婆様に会いたがっていたわよね」
「うん」
 その言葉に頷く。
「そうさ。ちょっと聞きたいことがあってね」
「御婆様もここに来ておられるわ」
「そうなのか。それじゃあ」
「けれどここにはいないの」
 リーザは言った。
「じゃあ何処に」
「部屋で休んでおられるわ」
「じゃあその部屋に」
「ええ。それでね、ゲルマン」
 リーザは恥ずかしそうに俯いて述べる。
「私決めたの」
「じゃあ」
「貴方と一緒になるわ」
 彼女も遂に覚悟を決めた。
「貴方となら何処にでも」
「そうか、僕のものに」
「そうよ。全ては貴方の為に」
「わかったよ、僕もまた君のものだ」
「ゲルマン・・・・・・」
「だからこそ」
「どうしたの?」
「いや、何でもないよ」
 そこから先は言わなかった。
「ただ、決めたんだ」
 彼は言う。
「カードをね」
「!?」
 この言葉の意味はリーザにはわからなかった。
「それはどういうことなの?」
 怪訝な顔をして彼に尋ねる。
「カードって」
「いや、何でもないよ」
 それは顔にまで出ている陰の中に消した。
「気にしないで」
「そうなの。じゃあ」
「うん、またね」
 一旦リーザと別れた。彼はリーザに教えられた今伯爵夫人がいる部屋に向かう。その中で呟く。
「三昧のカードの秘密」
 彼はそのことを考えていた。同時にリーザのことも。
「それこそが僕がリーザと共に幸福になれるものだ。だから」
 彼は宴の場から姿を消した。まるで影の様に。
 その宴の場では俳優達が消えまた儀典長が出て来ていた。
「皆様、嬉しいお知らせです」
「あら」
「何かしら」
 客達はそれに顔を向ける。儀典長はその中で述べる。
「陛下が来られます」
 言わずと知れたロシアの主エカテリーナ二世である。かって公爵を愛人としていたあの女性である。
「おお」
「陛下が」
「フランス大使も御一緒です。共にこちらに向かわれています。そして」
「そして」
「アレクサンドル様も」
「何ということ」
「未来の陛下まで」
 アレクサンドルはエカテリーナの孫である。彼女にとっては自慢の孫であり常に手元に置いて自分の全てを教え込んでいた。将来のロシアの栄光を担う英邁な君主として彼女は孫を育てていた。後にナポレオンと戦い謎と矛盾に満ちた人生を送る美貌の皇帝である。
「さあ」
 儀典長は音楽隊と合唱団に顔を向けて言う。
「すぐに陛下の為に」
「畏まりました」
 指揮者が恭しく頭を垂れる。見れば彼はロシア人ではなかった。感じが違う。彼もまたフランス人であるらしい。気取った動作も見られる。
「陛下、ようこそ!」
「ロマノフに栄光あれ!」
 威厳に満ちた女性がやって来る。その隣にはまだ子供のアレクサンドルがいる。だが孫がいる歳にはとても見えない。堂々としており、そこに美貌がある。女帝の美貌であった。
 女帝の来場もゲルマンの耳には入ってはいない。彼はもう呪縛に捉われていたからだ。彼はその時リーザに言われた部屋に向い暗い廊下を進んでいた。そこは宴の場とはまるで違い暗く、ひっそりとした場所であった。
「ヴィーナスか。今こそ女神の加護を」
 ゲルマンは呟く。
「三枚のカードの秘密さえ知れば僕は彼女を手に入れられる。それなら」
 迷いはなかった。
 そのまま部屋に向かう。伯爵夫人はその部屋の中にいてソファーに座って休んでいた。側には侍女が一人座っている。
「宴は随分華やかみたいね」
「はい」
 侍女はそれに答える。
「陛下が来られたそうです」
「そう、陛下が」
「行かれますか?」
「お顔を見たいけれど。今は」
「御身体がですか」
「ええ。もう少し落ち着いてからね」
 伯爵夫人はそう答えた。
「昔はそうではなかったのに。私は陛下にも色々と教えさせて頂いたのよ」
「フランスのことを」
「そう。陛下はフランスのことがお好きだったから」
 フランスという国とは度々意見を違えており好きではなかったがフランス文化には目がなかった。それがエカテリーナという人物の嗜好であった。
「けれどね。今は」
 ふう、と疲れた溜息を漏らした。
「歳ね、私も」
「いえ、まだ奥様は」
「気休めはいいわ」
 侍女の言葉を退ける。
「パリやベルサイユにいたのももう遥かな昔なのだから」
「はあ」
「ポンバドゥール夫人とも会ったしフランス王にもね」
「そうだったのですか」
「フランス王の前でも歌ったわ。ルイ十五世陛下」
「といいますと」
「前の王様よ。美しい方だったわ」
 ルイ十五世は幼少より晩年より美男子として知られフランス一の美男と謳われた。残っている肖像画も女性の様な目をした美男子である。
「けれどそれもね。過去の話」
「ですか」
「休んでいいわよ」
 そこまで話し終えると侍女に言った。
「私は一人でいたいから。いいわね」
「宜しいのですか?」
「たまには貴女も休みなさい」
 優しい声になった。
「いいわね」
「わかりました。じゃあ」
「ええ」
 こうして侍女は去り伯爵夫人だけになった。一人になるとまた溜息をついた。
「三枚のカードの秘密も教えてもらったわね」
 その時にあの謎の人物から教えてもらったことを思った。
「一、三、七」
 彼女はカードの番某を呟く。
「それが私を救ってくれた。そして」
 その時の伯爵との会話を思い出した。
「宜しいですか、奥様」
 ベルサイユの片隅で二人は話をしていた。若き日の美しい、妖艶な伯爵夫人とあの謎の伯爵が。二人は顔を見合わせて話をしていた。
「このカードの秘密を教えられるのは二人までです」
「二人まで」
「はい、この秘密には呪いがありまして」
 彼は言う。
「三人目に教えるならば貴女は命を落とされるでしょう」
「命を」
「私にはわかります」
 伯爵は伯爵夫人の琥珀の目の中に何かを見ていた。
「貴女はまず御主人に教えられます」
「はい」
「そして次には御主人の後の恋人に」
 つまり若い愛人である。
「最後は」
「最後は?」
「あまりにも激しい愛に狂った男にそれを話して」
「愛に狂った男にです」
「それは一体誰なのですか?」
「そこまではわかりません」
 彼はそれには首を横に振った。
「ですが」
「ですが!?」
「その男が来た時に貴女の人生は終わります」
「そうなのですか」
「彼は堕天使です」
「堕天使ですか」
「そうです。自分では気付いていません。ですが彼は堕天使に他ならないのです」
 その言葉は未来を見越しているようであった。このサンジェルマン伯爵については昔からとかく言われている。不老不死であるとも詐欺師だとも錬金術を窮めたとも。タイムマシンで時間を行き来するという説すらある。だが真相ははっきりしない。全てが謎のままである。
「彼は破滅します。ですがそれは貴女の手によってではなく」
「彼自身の手によって」
「それが運命なのです」
 伯爵の声は宣告の様であった。
「宜しいですね」
「わかりました」
 伯爵夫人は彼の言葉に頷いた。
「それはそれを受け入れましょう。避けられないのなら」
「はい」
 こうした話であった。それを思い出し考えていた。そこに。その堕天使がやって来た。
「貴方は」
「伯爵夫人ですね」
 堕天使であるゲルマンは彼女に問うた。
「かってヴィーナスとまで謳われたあの」
「もう昔の話です」
 伯爵夫人は静かな声でそう返した。
「本当に昔の」
「ですがそれは事実だ」
「ええ」
「そしてカードの秘密もまた」
「カード・・・・・・やはり」
 ここで伯爵夫人は運命の時が来たことを悟った。
「貴方があの」
「僕の顔を覚えておられるでしょうか」
「寺院でしたでしょうか」
「はい、あの時に御会いしましたが」
「見たところ軍人さんですね」
「近衛軍にいます」
 身分を明らかにした。
「ですが幸福ではありません。今僕は求めているものがあります」
「それは一体」
「その秘密です」
「カードのですね」
「そうです、貴女の御存知の三枚のカードの秘密」
 ゲルマンは言う。
「僕はそれを知りたいのです」
「貴方が」
「いけませんか?」
 伯爵夫人の目を見て問う。
「それさえあえれば僕は幸福になれるのです。彼女も」
「彼女とは」
 座った姿勢のままゲルマンを見上げていた。ゲルマンはその前に立っている。それはまるでマリアに受胎を告げるガブリエルの様な関係であった。だがゲルマンは天使ではなかった。その白いマントは天使の清らかな翼ではなかった。漆黒の軍服こそが彼であった。そう、彼はやはり堕天使であった。その顔の陰もまたそれを現わしていた。
「リーザです」
 彼は言った。
「貴女の孫の。駄目でしょうか」
「そう、貴方はリーザを愛しているのね」
「はい」
 その言葉に答えた。
「ですから」
「貴方はリーザを幸せには出来ないでしょう」
「何故ですか?」
「それが貴方の運命だからです」
「僕の運命・・・・・・」
「そうです。そして貴方はカードの秘密を知ることも出来ません」
 そう告げられたがゲルマンにとって納得のいくものではなかった。
「何故ですか?今こうして目の前にいるというのに」
「それもまた運命だからです」
「運命!?馬鹿な」
 ゲルマンはその運命の束縛を振り払おうとする。
「そんなものは自分で手に入れるものです。決められたものじゃない」
「いえ、決められているものです」
 だが伯爵夫人はその束縛を解こうとはしなかった。
「その証拠に」
「証拠!?それは何ですか」
「私はカードの秘密を告げられた時に言われました」
「何を」
「私の運命をです」
 ゲルマンのその暗い情熱に燃えた目を見て言う。
「私は三枚のカードの秘密を教えられた時にもう一つのことを教えられました」
「それは何ですか?」
「私の運命です。三人目に私にカードの秘密を教えに乞う若者は」
「まさか」
「情熱に狂った堕天使だと」
「僕は堕天使なんかじゃない」
 それをすぐに否定する。
「僕は僕だ。どうして堕天使なんかに」
「その堕天使に出会った時が私の人生の終わる時。だから」
「まさか」
「そうです。私は今死にます」
「馬鹿な、今こうしてお話しているではありませんか」
「運命は誰にも変えられないもの」
 伯爵夫人の言葉は不気味なまでに透き通り、そして暗いものであった。
「ですから私もまた」
 ゆっくりと目を閉じていく。
「そんな、まだ秘密は」
「さようなら、堕天使よ」
 ゲルマンに対して言う。
「己の破滅から。逃れたいならばもう」
「破滅してもいい」
 ゲルマンは叫ぶ。
「リーザと一緒になれないのなら僕は破滅してしまえば」
「その言葉こそが貴方を破滅に導くもの。覚えておきなさい」
「待って下さい、奥様」
 ゲルマンは必死に声をかける。
「カードの秘密を。是非」
 だが返事はなかった。伯爵夫人は一人息を引き取った、まるで全ての命をそこで消してしまったかの様に。眠る様に死んでしまったのであった。
「どういうことなんだ」
 ゲルマンはまだ伯爵夫人の死を信じられなかった。
「今まであんなにはっきりしていたのに。死神に取り憑かれたみたいだ」
「ゲルマン」
 ここで扉の向こうからリーザの声がした。
「どうしたの?」
「リーザか?」
「ええ。そこにいるのね」
「そうだけれど」
ゲルマンの返答はくぐもったものだった。
「御婆様も御一緒ね」
「だけれど」
「どうしたの?」
「来てくれるかい?」
「ええ」
 その言葉に従い仮面を外したリーザがやって来た。そして壁のキャンドル達に照らし出された部屋の中を見て思わず息を飲んでしまった。
「御婆様・・・・・・」
「僕がやったって思ってるのかい?」
「貴方ではないの?」
「違う。見てくれ、僕は何も持ってはいない」
 両手を見せて言う。伯爵夫人は眠る様に椅子に横たわってはいるが傷一つなかった。
「どういうことなの?」
「話していたら急に死んでしまったんだ。これも運命だと言ってね」
「運命・・・・・・どういうことなの?」
「カードの秘密を聞きに来たから死んだらしい、僕がね」
「貴方が」
「よくわからないけれど」
「けれどゲルマン」
 リーザはふと気になった。
「どうしてカードのことを」
「決まっているさ、その謎を知ってそれで」
「お金!?」
「それ意外に何があるんだ」
「まさか貴方」
「どうしたんだい、リーザ」
 リーザはふと思っただけだがゲルマンはもう完全に何が何かわからなくなっていた。
「お金を手に入れてそれで」
「その為に私に近付いたの?」
「何を言っているんだ、君は」
「言わないで」
 彼の言葉を拒む。
「もうわかったわ。やっぱり貴方は私を」
「リーザ、君は勘違いしている」
「勘違いなんかしていないわ。貴方はお金の為に私を」
「確かにお金は必要だ」
 彼にとって金もリーザも同じになっていた。だがリーザはそれを知らない。それが裏目に出てしまった。
「やっぱり!もういいわ」
「何を」
「出て行って!もうお別れよ」
「リーザ・・・・・・」
「全ては私の浅はかからなのよ。何もかも」
 そう言ってゲルマンを部屋から追い出す。そして一人部屋で祖母の亡骸にすがって泣き叫ぶであった。自分自身とゲルマンの不実に対して。



リーザももう少し話を聞いていれば良かったかもな。
美姫 「でも、ゲルマンも悪いわよ。あそこでお金なんて口にするなんて」
うーん、難しいな。一体、この二人はどうなるんだろう。
美姫 「破滅という不吉な予言もあるしね」
次がラストみたいだから、結末は次回だな。
美姫 「次回も待ってますね」
ではでは。



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る