『ルサールカ』




            第一幕  愛の目覚め


 深い緑の森の中にその湖はあった。青く静かな水面をたたえて。今そこに緑の服を着て緑の髪の毛に緑の目を持つ三人の木の精達がやって来ていた。
「やっと夜になったね」
「うん」
 彼等は湖のほとりでまずは夜空を見上げて話をしていた。
「夜になれば月が出る」
「見なよ、湖に」
 三人の中の一人がここで湖面を指差す。
「その月が」
「今日の月は銀色か」
「そうさ、白銀の月だよ」
 彼等は口々にそう言い合う。
「湖の底にある石まで照らし出して」
「奇麗に輝いているね」
「お月様は湖の上で」
「湖の中まで照らし出して」
「そして僕達に奇麗なあの娘を呼んでくれる」
 言葉が紡がれていく。
「あの水の精を」
「岸辺まで呼んでくれるよ」
「さあ早く」
「奇麗な妖精さんさあここに」
「これこれ」
「おや!?」
 三人の木の精達は湖の中から誰か出て来たのを見てそちらに顔をやる。だが出て来たのは美しい水の精ではなかった。同じ水の精であっても年老いた男の精霊であった。
「何だ、お爺さんか」
「ちぇっ」
 木の精達は彼の姿を見てふてくされた顔をしてその場にしゃがみ込んだ。青い服に苔の生えた杖を持つ老人だった。禿げ上がった頭に青い髭、そして湖と同じ色の澄んだ色の目を持っていた。
「そんなに騒ぐでない」
「だってさあ」
「僕達あの奇麗なお姉さんに会いたいんだよ」
「だからここにいるのに」
「またか」
 水の精のお爺さんはそれを聞いてやれやれと溜息をついた。
「そう言って毎晩来るのう、御前さん達は」
「だって見てて飽きないから」
「あれだけ奇麗だと」
「なあ」
「まあわしもな。若い頃は」
 昔を懐かしむ、そんな笑みを浮かべて語った。
「御前さん達の頃は毎晩湖から出て御前さん達のお婆さん達と遊んでおったわ」
「ああ、それ聞いたよ」
「お爺さんもてたんだってね」
「ほっほっほ」
 三人の言葉に顔を綻ばせて笑う。
「良い思いでじゃよ」
「けれど今はどうなの?」
「やっぱり枯れた?」
「枯れたとは失礼じゃな」
 その言葉には顔をむっとさせる。
「わしだってまだまだな」
「まだまだな」
「何!?」
 木の精達はお爺さんをからかうようにして顔をそれぞれ向けてきた。明らかに年寄りだと見て舐めてかかっている。
「もうそんな御歳なのに」
「うちのお婆ちゃんだってもうヨボヨボなのに」
「まだまだ若いなんて言わないで下さいよ」
「ってもう言ってるよ」
「あっ、そうか」
「いい加減にせんか、この悪ガキ共」
「おっと、これは失礼」
「申し訳ありませんでした」
 悪戯っぽく頭を垂れて言う。
「全く、悪ふざけばかり覚えおって」
「まあまあ」
「謝ったんだし許してよ」
「で、何の用なのじゃ?」
 誠意なぞ全く見られなかったが人のいいお爺さんはそれを許した。そしてまた木の精達に対して声をかけた。
「だからそちらの娘さん達を見に」
「やはりそれか」
「邪険にしないで」
「同じ森の仲間じゃないか」
「しかし御主等毎日来ておるじゃないか」
「だってなあ」
 三人はその言葉に顔を見合わせる。
「水の精霊って可愛い娘多いからなあ」
「そうそう、女の子はやっぱり水の精」
 彼等は口々に言う。
「それが一番さ」
「若い頃のわしとそっくりじゃな、全く」
 彼等のそんな言葉を聞いて苦笑いを浮かべる。
「そうしたところは」
「じゃあ一人紹介してよ」
「お爺さんがさ」
「ああ、駄目じゃ駄目じゃ」
 だがお爺さんはそれを受けようとはしない。左手を左右に振ってそれを断る。
「恋は自分で見つけるものじゃ」
「自分でって」
「何だよ、紹介してくれないのかよ」
「好きな人ができてからわしのところへ来るがいい」
「それどういうこと?」
「話はそれからなのじゃよ」
 お爺さんはにこりと笑って木の精達に言う。
「まずが誰かを好きになる。それがはじまりじゃ」
「はじまりって」
「そうしたらまた来るがいい。よいな」
「何だかよくわからないけど今は駄目ってことか」
「左様」
 こう答える。
「じゃあいいよ」
「好きな人なんてすぐに見つかるしな」
「そうだな。じゃあその時にまた」
「待っておるぞ」
 そんなやり取りの後で彼等は別れた。お爺さんが湖の中に戻ろうとすると水面に一人の青い髪の少女が現われた。
 青く軽い服を着たその少女は青髪を湖まで垂らしていた。顔は雪の様に白く大きく目立つ目をしている。その目は青く湖よりも澄んで青かった。唇は薄い赤でありそこが儚げな印象を与える。そうした少女であた。美しいが今にも湖に消えてしまいそうな姿であった。
「お爺さん、どうしたの?」
 その少女はお爺さんに尋ねてきた。
「誰かとお話していたみたいだけれど」
「大したことはないよ、ルサールカ」
 お爺さんはその水の精の女の子の名を呼んで安心させた。
「また木の精達が来ただけだから」
「そうなの」
「ところでルサールカ」
 お爺さんはルサールカを見て言った。
「この前言ったことだけれど」
「駄目かしら」
「よくはないね。考え直してはどうかな」
 お爺さんは優しい声でルサールカにこう言う。
「御前は優しい娘だから。人間の世界に行ったらいけないよ」
「人間が悪いことばかりするから?」
「そうさ。御前みたいないい娘は騙されて酷い目に遭う。だから絶対に行ったら駄目なんだよ」
「じゃあずっとここで」
「ここの何処が不満なんだい?とてもいいところじゃないか」
 杖で湖だけでなく森全体を指し示した。
「青い湖に緑の森。仲間達もいて」
「それはそうだけれど」
 ルサールカは俯いてお爺さんに答える。
「けれど私は」
「ここには皆いるじゃないか」
 お爺さんはまた言う。
「御前の姉さんや妹達が。皆もいるのに」
「けど」
「人間と精霊は結ばれないんだよ」
「結ばれないの?」
「そうさ。人間はね、あの神様を選んだから」
「神様が違うから」
「ううん、それよりずっと昔からかな」
 お爺さんは悲しい顔をしてこう述べた。
「人間と精霊が仲良くなっても。最後に待っているのはいつも悲しい話ばかりなんだよ」
「いつも私達に言っていることよね」
「そうさ。だから人間を好きになっちゃいけないんだ」
「けれどあの時のあの人は」
 ルサールカは言う。
「あの人ってこの前ここに水を飲みに来ていたあの王子様かい?」
「そうよ、あの人。あの人のことが忘れられないのよ」
「忘れないと駄目だよ」
 お爺さんの顔は悲しいままだった。むしろ悲しさが増していた。
「さもないと。気の毒な思いをするのは御前なんだよ」
「けれど」
「けれどもどうしたもないんだよ」
 お爺さんはさらに言う。
「可哀想なことになってしまうよ」
「それでも・・・・・・いいわ」
 ルサールカは思い詰めた声で言った。
「あの王子様と一緒になれるのなら」
「本当にいいのかい?」
「ええ」
 迷いはあったがそれでも。意を決した顔であった。
「あの人が好きだから。それでも」
「ルサールカ・・・・・・」
 お爺さんは首を横に振った。空しそうに横に振った。
「馬鹿な娘・・・・・・」
「御免なさい、けれど」
「もういいよ。じゃあ御前は御前の好きなようにしなさい」
「お爺さん・・・・・・」
「そのかわり。何かあったらわしがいるからね」
 お爺さんは言う。
「何時でも。わしが側にいてあげるから」
「有り難う、お爺さん・・・・・・」
「それだけは忘れないでおくれ」
「ええ」
「じゃあね。それじゃあ」
 お爺さんは悲しい顔のまま湖の中へ戻っていく。ルサールカは湖の上に一人となった。
「白銀のお月様」
 ルサールカは夜空を見上げた。そこには白銀の光をたたえる月があった。その優しい光を夜空に照らしていた。青い湖にも銀色の光を与えている。
「あの人もお月様の下にいるのですか?だったらこの想いお伝え下さい」
 月に対して語り掛ける。
「貴方を抱き締めたい、例えそれがほんの一時だとしても。そして夢の中私のことを想って欲しいと。私の願いをあの人にまでお届け下さい。そして」
 さらに言う。
「私はここで待っていると。あの人にお伝え下さい。それが私の願いです」
 月は何も語らない。その優しい光をルサールカに見せているだけだ。
「あの人と私の想いが混ざり合うように。お願いします」 
 そこまで言うと姿を湖の中に消した。中へ中へと入っていく。
 湖の中は一つの世界だった。精霊達の家々があり皆そこで楽しく遊んでいた。ルサールカはその上を泳ぎ先へと進む。そして一つの狭く暗い洞窟へと入って行った。
 洞窟の中も水に満ちていた。その中を泳いでいく。まるで飛ぶように。やがて奥にある一つの部屋にやって来た。
「おや御前さんは」 
 そこには一人の老婆がいた。皺だらけの顔に木のようになった手、そしてその身体を濃い青の法衣で覆っていた。
「珍しいじゃないか、こんなところまで」
 にこやかに笑ってルサールカに語り掛ける。
「何か用があるのかい?」
「はい」
 ルサールカは澄んだ声でお婆さんに応えた。
「ねえお婆さん」
「何だい?」
「お願いがあるのだけれど」
 ルサールカは言う。
「お願い」
「ええ。実はね」
「わかったよ、恋だね」
 お婆さんはすぐにそれを見抜いた。
「誰かを好きになったんだね」
「それは」
「おっと、今のでわかったよ」
 その白い顔を赤らめさせたのを指差して笑って言った。
「そうかい、御前さんにもね」 
 お婆さんは目を細めて笑う。
「恋をする時が来たのかい。嬉しい限りじゃよ」
「え、ええまあ」 
 ルサールカは戸惑いながらもそれに答える。
「そして相手は誰だい?」
「言っても驚かない?」
「何で驚くことがあるんだい」
 お婆さんは顔を崩して笑った。この時はまだ大したことではないと思っていたのだ。
「恋をするのは私達の若い時の仕事なんだ」
「そうよね」
「さあ行って御覧。相手は誰なんだい?」
「王子様なの」
「王子様!?」
 こう言われても最初は何なのかわからなかった。
「そう、王子様」
「水の精霊のかい?」
「ううん、違うわ」
「じゃあ木の精霊の」
「それでもないわ」
「はて」
 続けて否定されると何のことかわからなくなった。
「じゃあ一体誰なんだい?何処の王子様なんだか」
「時々ここに来られる王子様なの」
「まさか」
 それを聞いて顔を暗くさせる。
「そう、人間の王子様なの」
「馬鹿を言っちゃいけないよ」
 お婆さんはお爺さんと同じことをルサールカに言った。
「人間と精霊は一緒にいたらいけないんだよ」
「けれど」
「駄目って言ったら駄目さ」
 お婆さんはルサールカを宥める。
「私達は人間とは一緒になれないんだ」
「けれど」
「けれどもどうしたのもないんだ。不幸なことになるよ」
「それでもいいわ」
 だがルサールカはそんな苦難もものとはしなかった。
「だって。私はあの方が好きなんだから」
「人間でもかい?」
「ええ」
 返事にも迷いはなかった。
「あの方が人間でも私が精霊でもいいの。あの方が好きなの」
「本当なんだね?」
「本当よ、嘘は言わないわ」
 その言葉にも迷いはなかった。
「絶対に」
「そこまで言うのかい」
 お婆さんはルサールカの決意が固いのを見て取った。
「絶対に一緒になりたいんだね」
「ええ、だから」
「おっと、そっから先は言わないでおくれ」
 ルサールカにそれ以上話させなかった。
「御前さんの決意はわかったから。いいね」
「それじゃあ」
「仕方のない娘だよ」
 その顔も声もやはりお爺さんと同じだった。悲しいものだった。
「どうしてこんなことになったのやら」
「御免なさい」
「だから謝らなくてもいいんだよ」
 お婆さんはまた言った。
「けれど。いいんだね」
 そのうえで尋ねる。
「地上に上がったらまず力を失ってしまうよ」
「ええ」
 ルサールカは覚悟を決めた顔で頷いた。
「精霊としての力は。それに」
 さらに言う。
「力をなくしたせいで喋れなくなるし。しかも若し恋が破れたら」
「どうなるの?」
「悲しいことになるんだよ」
 お婆さんは沈んだ声で言った。
「力をなくしたままここに戻ってくることになるんだ。もう水の中にも入られない」
「それって・・・・・・」
「そうさ、何も出来ないままずっとここにいることになる。それでもいいのかい?」
「それは・・・・・・」
「だからお止め」
 お婆さんは最後と思いルサールカを止めた。
「今ならまだ間に合うよ」
「それでも」
 だがルサールカの決意は揺るがなかった。
「私はあの方と一緒にいたい」
 彼女は言う。
「何があっても。一瞬でもいいから」
「本当にいいんだね?」
「いいわ」
 迷いはなかった。
「それでもいいから。だから」
「わかったよ」
 ここまで言われてはもうそれに応えるしかなかった。
「じゃあこれをお飲み」
「これは」
 お婆さんが差し出したのは青い丸薬であった。一粒あった。
「御前さんを人間にする魔法の薬さ」
「これが」
「それを飲んだら御前さんは人間になれる。そしてその王子様とも一緒になれる」
「それじゃあ」
「あげるよ。だから」
 お婆さんは言う。
「御前さんの好きなようにし」
「お婆さん・・・・・・」
「けれどいいかい?」
 お婆さんはまた言う。
「何があっても。後悔するんじゃないよ」
「ええ・・・・・・」
「それだけはいいね」
「わかったわ」
「可哀想なルサールカ」
 お爺さんはそんなルサールカを感じて呟いた。
「人間なんて好きになって」
 だがそれがルサールカの選んだことだった。彼女は決めたのだ。もう迷わないと。そして彼女は薬を飲んだのであった。
 湖のほとり。狩人の服をした若者がいた。
 黄金色の髪に青い瞳、白い肌を持つ端整な若者だった。瀬は高く気品も漂っている。一目で彼がやんごとない身分にあることがわかる。
「この森は変わった森だな」
 彼は湖の側でこう呟いた。
「何回通っても何か不思議な感じがする。まるで迷路の中にるような。この湖にしろ」
 ルサールカのいる湖だ。そこを除いた。
「何度も来ているのにはじめて来たような気がする。どうしてだろう」
「王子」
 遠くから彼を呼ぶ声がした。
「どうした?」
「鹿はいましたか?」
「いや」
 それに返事を返す。
「ここにはいなかった」
「左様ですか」
「何処に消えたのか突然いなくなった」
 彼は言う。
「おかしなことにな」
「またですか」
「そうだ、まただ」
 驚いたことにそれは今がはじめてではないようなのだ。
「どういうことなのかな、これは」
「さて」
 狩人達がやって来た。彼等にもそれはわからない。
「何故なのかな、全く」
「おかしなことがあるものです」
「この森ではそういうことばかりだな」
「はい」
「何故でしょうか」
「それは私にもわからない」
 王子は首を傾げて言った。
「だが獲物がいなくなったのは確かだ」
 これは否定しようがなかった。
「帰るか」
「帰るのですか?」
「獲物がいなくなってはどうしようもないだろう」
 王子は言った。
「帰ろう。いいな」
「わかりました」
「それでは」
「そなた達は先に行って用意をしてくれ」
「お城に帰る用意ですね」
「そうだ、私も後から行く」
こう家臣達に対して告げた。
「では」
「うん」
 狩人達が先に姿を消す。王子は暫し湖のほとりにたたずんでいたがやがて立ち去ろうとした。その時だった。
 彼の目の前に一人の少女が現われた。黄金色の長い髪に黒い瞳を持っている。雪の様な白い肌を持ちそれを灰色の、子供が着る服で包んでいる。足は裸足であった。
「そなたは」
「・・・・・・・・・」
 彼女は一言も答えはしない。じっと王子を見ているだけである。
「何故ここに。そして誰なのだ?」
「・・・・・・・・・」
 やはり返事はない。王子はそれを見て首を傾げさせた。
「口がきけないのか?」
「・・・・・・・・・」
 だがそれにも返事はなかった。ただ王子を見ているだけである。
「妖精か、はたまた人なのか」
 王子はそんな少女を見て思った。
「秘密がそなたの口を封印しているのか?なら何故」
 少女はやはり答えはしない。かわりに手を差し伸べてきた。
「その手は」
 自分に向けられているのがわかる。
「私と共に来たいのか?」
「・・・・・・・・・」
 やはり返事はないが目もまた彼に向けられていた。
「わかった」
 王子はその目を見て彼女の気持ちがわかったように思えた。
「では共に行こう、私の城へ」
 そう言って少女の手を取った。
「一緒にな。では消えないでおくれ」
 少女はその言葉にこくりと頷いた。
「この深い霧に覆われた森の中で消えはしないで永遠に。私と共に」
 彼は少女を連れて湖を後にする。それをあのお爺さんが見送っていた。
「幸せになれるものか」
 お爺さんはそう言ってもその少女、ルサールカを見守っていた。どうあっても彼女が心配であったのだ。





何か人魚姫を思い出したよ。
美姫 「ちょっと似ているかもね」
だよな。周りから反対されてもルサールカは王子の元へと行った訳だけれど。
美姫 「ああ、一体どうなるのかしら」
次回が気になるな。
美姫 「次回も待ってますね〜」
ではでは。



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