『オテロ』




                          第二幕  偽りの誓い

 城の中央に置かれた宮殿。ここは繁栄を誇るヴェネツィアのものらしく美麗で豪奢に飾られている。とりわけその大広間は金と銀で眩く飾られ無数のキャンドルで照らされている。庭は左右対称であり紅や白の花々と多くの緑で彩られている。そこのテラスで今イヤーゴが友人の仮面を被り項垂れているカッシオに声をかけていた。
「落ち込まれることはありません」
 優しい声を出して彼に語っている。
「微力ながら私が協力させて頂きます」
「イヤーゴ、貴方が」
「そうです」
 如何にも誠実そうに一礼してみせる。
「あのビアンカとの関係よりも戻りますぞ、副官殿」
「お世辞は止めてくれ」
 副官という言葉に反応して首を横に振って答える。
「私はそんな」
「まあ御聞き下さい」
 それでもイヤーゴはカッシオに言うのだった。
「総督ですが」
「うん」
 オテロのことである。
「あの方は今ある将軍の指揮下にあります」
「将軍?」
「そうです、奥様です」
 つまりデズデモーナのことである。
「総督はあの方に全てを捧げております。あの方に頼めばきっと」
「どうなるのだ?」
「奥様は大変お優しいお方」
 デズデモーナの心もまた既に知っているのだった。
「ですからきっと」
「そうか。だが」
 しかしここでカッシオにとって問題があった。
「どの様にしてあの方とお話したものか」
「それも御安心を」
 丁寧な笑顔で述べた。
「私の妻は奥様にお仕えしておりまして」
「そうなのか」
「左様です。ある木陰でいつも休まれるとのことで」
「ふむ。木陰で」
 それを聞いたカッシオの顔が僅かだが晴れやかになる。
「そこで待たれればいいのです」
「その木陰は」
「あちらです」
 向こうの木陰を指差すのだった。
「あそこにいつもおられます」
「わかった、あそこだな」
「さあ。お行きなさい」
 ことさら優しい声をカッシオにかける。
「救いの道が貴方に開かれています。その道に」
「わかった。ではそうさせてもらうよ」
「はい」
 カッシオはかなり救われた顔で一礼してイヤーゴの前を後にする。するとその瞬間にイヤーゴの顔が一変するのだった。
「行け!」
 悪魔の顔になった。まるで心の奥底から湧き上がるようにしてその顔になったのだった。声や口調までもが悪魔めいたものになる。するとそれまで穏やかだった空も突如として暗雲に覆われ雷が蛇の様にその空で蠢きだした。
「御前を誘う悪魔に従いな。一つ言っておこう」
 もういなくなったカッシオに対して言う。
「その悪魔こそがこの俺なのだ。俺は信じているのだ、己の中にいる無慈悲で容赦のない神を」
 その言葉こそイヤーゴの信条だった。今それを一人哄笑しつつ語る。
「俺は信じるのだ、己の姿に似せて俺を創った無慈悲な神を。俺は怒りに任せてこの神を呼ぶのだ。俺は卑しく卑劣だ。何故なら」
 邪な言葉が続く。
「俺は人間だからだ。だから俺は極悪非道で残忍なのだ。俺はそれを教会に入る若後家が神を信じるように俺の中の悪を信じているのだ。そして」
 さらに言う。
「正義も正直者も嘲笑すべき道化だ。涙も接吻も眼差しも栄誉も」
 世の美徳を罵りだした。
「犠牲も何もかもが偽りだ。人は赤子から屍に至るまで邪悪な運命の戯れで他の者を散々笑い者にした挙句に死ぬ。それから」
 この言葉は。人の言葉ではなかった。
「死は何もない。天国なぞない。邪悪だけがあるのだ」
 こう語る。するとそこにカッシオが来た。するとすぐに悪魔の素顔を消してまた誠実な友人の仮面を被るのだった。その仮面でまた優しげにカッシオに声をかける。
「カッシオ」
「ああ」
「あの方が来られましたよ」
「今来たのか」
「探されていたのですか?」
「ああ」
 イヤーゴの言葉に答える。
「そうか。今だったか」
「私の妻もいます」
 こうカッシオに述べる。見ればその木陰にもうデズデモーナともう一人女がいる。赤い髪と緑の目をした小柄な女であった。
「エミーリアが」
「わかた。じゃあ」
「はい、どうぞ」
 彼が行ったのを見るとまた悪魔の顔に戻って呟く。
「後はここにあの黒いのを連れて来てだ。それから少しの微笑みだけで話が来るな」
 こう呟いてオテロを探そうとしたところでそこでオテロを見つけるのだった。
「丁度いいところに。悪魔が俺をみちびいているのだな。それでは」
 すぐにまた誠実の仮面を被ってオテロの前に向かう。そこで考える顔を作りながら俯いて呟くのだった。
「困ったな」
「どうした、イヤーゴ」
「あっ、これは閣下」
 演技を続ける。軍人としての敬礼をしたのだ。
「何かあったのか。むっ?」
 イヤーゴが顔を上げてすぐに視線をあらぬ方に向けたのでそちらを見た。
「あれはカッシオか」
「そうですね。見たところ」
 イヤーゴはいぶかしむ顔で述べた。
「閣下のお姿を見て急いで逃げていますな」
「だとしたら何故だ?」
 オテロはそれをいぶかしむ。いぶかしむその心に早速イヤーゴが囁くのだった。
「あのですね、閣下」
「何だ」
「閣下が奥様をお知りになられた頃彼は既に奥様を存じておられましたね」
「ああ、そうだ」
 何気なくイヤーゴに答える。
「それがどうかしたのか?」
「いえ、別に」
 誤魔化した。芝居で。
「ただ。思い過ごしですね」
「いや、それでもいい」
 イヤーゴの計算通りオテロはそれに乗るのだった。それを見て心の中でほくそ笑む。
「閣下はカッシオ殿を信頼しておられますね」
「勿論だ」
 副官としての任務を解いてでもある。
「あの者はわしが妻を見初めていた頃から度々妻にわしからの贈り物やカードを届けてくれている」
「左様ですか」
「そうだ。誠実ではないのか?」
「誠実だと」 
 あえてオテロの心に引っ掛かるように彼の口真似をするのだった。
「御前は何が言いたいのだ、一体」
「何が言いたいだと、私が」
「わしの口真似をしているな」
「いえ、それは」
 オテロが次第に不機嫌になっていっているのを見ている。だがそれは心の中で収めている。
「御前は何か隠している。何か凶悪な獣をな」
「まさか」
「いや、言ったではないか」
 少しずつ不安を感じながらイヤーゴに問う。
「さっき聞いたのだ。困ったな、と呟くのを」
「さて」
「聞こう」
 不安を自分でも感じながらまたイヤーゴに問う。
「しかもわしがカッシオの名を呼ぶと顔に暗いものを見せる。何故だ?」
「それは」
「今までの様にわしを慕ってくれているのなら」
「それは否定しません」
 わざと恭しく一礼してから述べる。ここでは礼儀正しくする方がいいとわかっていてだ。その方がオテロがイヤーゴに話し易いとわかっているのだ。
「その通りでございます」
「それではだ。話してくれ」
 さらにイヤーゴに突っ込みを入れる。
「御前が思っていることを。意地の悪いものでも悪意のあるものでもいい」
「貴方はその掌の中に私の心の全てを持っておられるのですが」
「そうなのか」
「そうです。そしてですね」
 そっとオテロの耳元に近付いた。音もなく。そのうえで彼の耳に小声で囁くのだった。
「閣下」
「何だ」
「嫉妬には用心なさいませ」
「嫉妬にか」
「それは陰気で青黒く盲目の猛毒を持った悪蛇です」
 よく知っているからこその言葉であった。
「その毒で激しい苦痛が胸を引き裂くのです」
「恐ろしい毒だ。いや」
 ここでオテロは一旦考えを変えた。
「悪戯に疑うことは何の役にも立たない」
「その通りです」
「疑う前に調べ、疑いの後に証拠をだ。そして証拠の後で」
 言葉を続けているうちにふと呟いた。
「わしは最高の法律を持っているではないか。愛というものを」
「なりませんぞ、閣下」
 また囁く。止めるのはこの場合逆効果と見抜いたうえで。
「そう話されることは。ですが」
「ですが」
「誠実で高貴なお育ちの方はえてして騙されやすいもの」
「まさか」
「いえ、そうです」
 また言うのだった。
「奥様の御言葉をよく聞かれることです」
「デズデモーナのか」
「そう、細かく。一言で信頼を取り戻しもすれば疑いを証拠立てることになります。さあ」
 指差す後ろで歌声が聞こえる。そこにいるのはデズデモーナだった。庭の大きな中央のアーチのところにいる。周りにはキプロスの乙女や子供達がいる。彼等は楽器を奏で歌っているのだった。
「奥様、この曲はどうでしょうか」
「ええ、いいわ」
 デズデモーナは優雅に笑って彼女達に答える。そこに水夫や島の男達も来て歌いだす。優雅さと勇壮さがミックスされた。
「そよ風が吹く時歌が暢気に流れてきて」
「貝や真珠、珊瑚を捧げ」
「花を胸から雨の様に」
「まなざしの光り輝くところ」
 デズデモーナは優雅に彼等の曲を聴いて優美に微笑んでいる。オテロもそれを見て満足そうに微笑んでいた。
「いい歌だ。妻に相応しい」
「全くです」
 イヤーゴも善き批評家になりその歌を評する。
「和む歌ですな」
(しかしだ)
 心の中では別のことを語るのがイヤーゴであった。ここでも。
(それももうすぐ終わりだ。俺は御前等のこの甘い調べを打ち砕いてやる)
 歌が終わりデズデモーナは彼等に菓子や花、それに金貨を贈り物として与えその場を立った。そして彼等やエミーリアと共に先を進むとオテロの前に来たのだった。
「こちらにおられましたのね」
「うむ」
 ここでは顔を変えずに妻に応える。
「今は仕事の休憩にな」
「左様でしたか。ところで」 
 デズデモーナは安心しきった顔でオテロに言ってきた。
「貴方の御不興を蒙った方の御願いを持って来たのですが」
「わしのか。誰だ」
「カッシオ様です」
 優雅な笑みと共にオテロに述べる。
「御存知ですね」
「無論だ。ところでだ」
 イヤーゴの言葉を思い出しながら妻に問う。
「さっき樹の下でそなたに会っていたのは彼だな」
「はい」
 何の隠し事もなく応えた。
「あの方の真剣な御願いを聞きましてそれで私も御願い致します」
「駄目だ」
 しかしオテロは彼女の言葉を一言で断った。
「今は駄目だ」
「何故ですか?」
「どうしてもだ」
 怪訝な顔になった妻にまた告げた。
「わかったな」
「オテロ様」
 デズデモーナはここでオテロの顔が強張り額から汗が流れていることに気付いた。目の光も不吉に揺れ動いていた。
「お顔が」
「わしの顔がどうした」
「お声も」
 オテロの声にも気付いた。
「揺れておられますが。どうして」
「何でもない」
「いえ」
 オテロの言葉に反してハンカチを取り出した。それで彼の額を拭こうとする。
「これで汗を」
「その必要はない」
「あっ」 
 手を払うとそれでハンカチが落ちた。
「オテロ様、どうして」
「・・・・・・何でもないのだ」
 こめかみを震わせながら答えた。
「放っておいてくれ」
「オテロ様・・・・・・」
 困惑した顔になる妻を置き踵を返してその場を後にしようとする。しかし背を向けたまま止まるのだった。ハンカチはエミーリアが手に取るがそこにイヤーゴが来た。
「頼みがあるのだが」
「何だい、御前さん」
 エミーリアは夫に顔を向けて問うのだった。ハンカチは手に取ったままだ。
「そのハンカチをくれ」
「ハンカチをかい」
「そうだ」
「ちょっとこれは駄目だよ」
 彼女は夫の言葉を断ろうとする。
「奥様が大事にされているのだし」
「それでもだ。ちょっと用があるのだ」
「用が?何だい?」
「実はな」
 物静かな夫の顔で述べる。
「友人が香水を持っているのだ」
「香水をかい」
「門外不出の品だがそれを少しだけ使ってくれるそうだ」
「ああ、それなら話がわかるよ」
 エミーリアもまた夫の素顔を知らなかった。知っているのはイヤーゴ自身だけだ。
「奥様にその香水の香りをってわけだね」
「特別にトルコから取り寄せたものらしい」
 この時代はトルコの方が遥かに文化も文明も進んでいたので香水もまた進んでいたのである。
「それをな」
「わかったよ。それじゃあ」
 納得して夫にハンカチを手渡す。その横ではデズデモーナが困惑した顔で背を向ける夫に対して声をかけていた。
「私は貴方の慎ましやかで大人しい妻です。ですが貴方はそうして背を向けられて」
「わしは色も黒く歳も取ってしまった」 
 オテロは呟いていた。デズデモーナに背を向けたまま小さな声で。
「それはわしが世に疎く巧妙な愛の罠を知らないということもあるからだ」
「私は貴方を愛しています」
 デズデモーナの必死の言葉は続く。
「ですから貴方の御心も」
「さて、これでよし」
 イヤーゴは妻からハンカチを受け取ってほくそ笑んでいた。
「これでな。また一つ駒を手に入れたぞ」
「わしの心は破れ泥に塗れ黄金の夢を見る」
「さて、これで奥様も満足して頂けるわね」
「オテロ様、どうか」
「・・・・・・後でだ」
 オテロは結局振り向かなかった。
「今は一人になりたいのだ」
「・・・・・・わかりました」
 デズデモーナも頷くしかなかった。彼女はエミーリアと周りの者達に慰められつつその場を後にする。イヤーゴはオテロの後について行く。彼は城の中で一人項垂れていた。
「わからん」
「よし」
 イヤーゴは項垂れるそのオテロを覗き込みながら頷いていた。
「これでもう毒が回ったぞ」
「何が何なのか」
「それではだ」
 イヤーゴはオテロが項垂れるその横でハンカチを己の服の中に収めた。収めるその顔は悪鬼のものであった。
「後はあの男のところに隠しておくか」
「不貞を働いたのだ」
 オテロはその中で呟いている。
「わしを裏切ったのだ」
「よし、苦しむのだ」
 そんなオテロをみてほくそ笑む。
「その方が毒がよく回るからな」
「閣下」
 また実直な軍人の仮面を被ってオテロに応える。
「そのことはお考えなさるな」
「・・・・・・黙れ」
 オテロの声はこれまでになく暗いものになった。
「はっ!?」
「黙れと言っているのだ!」
 今度は叫ぶのだった。イヤーゴに顔を向けて。
「ここを去れ。貴様はわしを十字架にかけた。あらゆる恐ろしい侮辱よりもさらに恐ろしい侮辱は邪推だ。貴様はそれをわしに吹き込んだのだ」
「そうでしょうか」
「自覚がないのか。だが言おう」
 オテロは言葉を続ける。
「妻が人知れず淫らな悦楽に耽る時わしの胸は不安に慄いたか。いや、わしは大胆で陽気で夢中だった。あの者にカッシオを感じることはなかった」
 カッシオについて語る。
「あの唇にも。だが今は」
 そして言う。
「さらばだ、全ての神聖な思い出よ!」
 天に向かって叫ぶ。
「心の高貴な法悦よ。輝かしい軍隊も勝利も尊敬の軍旗も」
 彼にとってはどれも誇りそのものだった。軍人である彼にとっては。
「飛び交う矢も駆け行く馬も。響き渡るラッパも雄叫びも歌も。これがオテロの栄光の終わりだ!」
「ですから閣下」
 イヤーゴは善人の顔で彼に声をかける。
「お心を」
「黙れ、悪党が!」
 またオテロは叫ぶ。
「妻が不義を犯したというその証拠を持って来い」
「証拠をですか」
「そうだ。いいか、逃げるな」
 血走った目で彼に告げる。
「御前を助ける者はいない。わしはこの目で見える確かな証拠を欲している」
「確かな証拠を」
「そうだ」
 それをまた言うのだった。
「さもなければ貴様の頭上に恐ろしい雷が落ちるだろう。いいな!」
 ここまで言うとイヤーゴの喉を掴んで地面に叩き落した。だがイヤーゴは冷静なままで立ち上がりながらオテロに対して言葉を返すだけであった。
「神よ」
 敬虔なふりをするが神の名を出すその口の端は微かに歪んでいる。
「私を御護り下さい。今は正直は災厄であるようです」
「正直だと」
「そうです」
 彼はまた実直な男のふりをするのだった。
「ですからこれで。私は御暇致します」
「いや、待て」
 オテロはそのイヤーゴを呼び止めた。
「御前は正直者なのだったな」
「嘘吐きの方がましでした」
 彼は言う。
「これでは」
「わしは妻が誠実であることを信じている」
 オテロはこう前置きする。
「しかしそれと共にその逆も信じる」
「その逆もまた」
 イヤーゴはオテロに言葉を返した。
「左様ですか」
「御前についても同じだ」
 オテロはイヤーゴに対しても言うのだった。
「御前が正直であることも嘘吐きであることも信じている。だからだ」
「だから」
「証拠が欲しいのだ」
 こう告げるのだった。
「何としてもな」
「ですから閣下」
 オテロを気遣うふりをして言う。
「ご不安を抑えて。二人が抱き合っている場面をごらんになられたいのですか?」
「それは」
「それは難しい企みですな」
 イヤーゴはそれは断る。
「難しいだと」
「そうです。その様な汚らわしい証拠が貴方の目に触れないとするとどの様な確証を望まれるのですか?」
「それは」
 オテロはこう言われると返答に窮した。どう答えていいかわからなかった。
「若し分別が真実を導くのなら私はある推察を申し上げましょう」
「推察だと」
「左様です」
 恭しく頭を垂れて述べる。
「それは若しかすると確実な証拠になるかも。それでも宜しいですか」
「それは」
「如何でしょうか」
 オテロの耳元で囁く。
「それは」
「言ってみよ」
 イヤーゴから顔を背けながら答えた。
「それならな」
「わかりました。それでは」
 イヤーゴはそれを受けてオテロに対して話をはじめるのだった。
「夜のことでどございました」
「夜か」
「はい、前の戦の時のことです」
 その時のことだと創作する。
「私と彼は共に寝ていましたがその時に途切れ途切れの言葉を聞いてしまったのです」
「言葉をか」
「左様です」
 彼は答える。
「唇は燃える情熱の夢に浸り無上の心の喜びを表していたのです」
「喜びをか」
「その通りです。奥様の御名前を口にしていました」
「あれのか」
 デズデモーナと聞いてその顔を強張らせた。
「あれの名をか」
「私達のことは知られてはならぬと。慎重に用心しようと」
「慎重にだと」
「この世ならぬ法悦が私に溢れていると」
「何と。法悦をか」
「そう。そして」
 彼はさらに述べる。
「甘い苦悩は一層情熱的に。それで語るのです」
「何ということだ」
「そして貴方の御名前を」
「わしの」
 オテロは己のことが言葉に出て顔を強張らせる。
「わしのことを」
「貴女をムーア人に与えた残酷な運命を呪いますと」
「おお!」
 ここまで聞いて遂に叫ぶ。
「世にも恐ろしい話だ!」
「ただ夢のことを申し上げただけですか」
「夢は事実を暴露するものだ」
 オテロはそれを知っていた。そう考えていた。
「夢が一つの証拠を示しているようですがまた別の手があります」
「別の手が」
「そうです」
 またオテロに述べる。
「閣下」
「うむ」
 イヤーゴの話を聞く。聞かずにはいられなかった。
「貴方は奥様にハンカチをお渡ししましたね」
「そうだ。あれはわしが妻に最初に与えたもの」
 オテロはそれをイヤーゴに言う。
「ハンカチを御覧になったことはございませんか」
「あるが」
「最近です」
 それをオテロに述べた。
「最近は。どうでしょうか」
「何を言っているのだ」
「私はあのハンカチを見たのです」
 既にそのハンカチを持っているからこそ言えるのだった。
「彼が持っているのを」
「またしてもか!」
 オテロはそれを聞いて天を仰いで叫んだ。
「またわしは!恐ろしいことを知った!」
「閣下!」
「わしの心は氷となった。そのここで今わしの虚しい愛を全て捨てる。毒蛇の如き憎悪がそのかわりに心の中を支配していくのだ!」
 叫びながら一旦膝をつき。それからまた立ち上がって天を仰いで叫ぶ。
「わしはこの大理石の様な石にかけて誓おう」
 窓から空が見えていた。その空は暗澹としており先程の晴れやかな世界が嘘のようであった。
「鋭く閃く稲妻にかけて!死が迫り破壊をもたらす暗い海にかけて!」
 不吉なものに対して誓っていた。
「わしが掲げたり差し伸べるこの手が激しい怒りと恐ろしい衝動に間も無く閃き輝くだろう」
「閣下」
 そのオテロにイヤーゴが言う。
「何だ」
「私もまた」
「誓うというのか」
「はい、閣下の為に」
 悪魔の素顔を隠してオテロの側に来た。
「それを誓いましょう。私を照らし広い大地と全てを生気付ける太陽が私の証人です」
 イヤーゴはそんなものは信じてはいない。だからこの誓いは紛れもなく偽りである。オテロも誰もそれを知らないのであった。
「ですから。貴女に全てを捧げましょう」
「わしに誓ってくれるか」
「はい」
 偽りの誓いを今述べる。
「ここに。貴方の意志が恐ろしい仕事の為に固められますように」
 二人は今誓い合う。暗きものを前にして。オテロは真だったがイヤーゴは偽りだった。しかしそれもまたイヤーゴだけが知っていることだった。何もかも。



イヤーゴに運も味方しているような。
美姫 「ハンカチを手に入れて、更にそれを利用するなんてね」
しかも、イヤーゴは奥さんの前でも野望を隠しているみたいだな。
美姫 「本当に色々と策を巡らせるわね」
だよな。一体どうなっていくんだろう。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。



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