『オベローン』





                               第三幕  貞節の勝利

「生きていたし」
「二人一緒で何よりだけれど」
 巨大な宮殿の中だった。緑がこれでもかという程豊かで池もあるその庭でシェラスミンとファティメがいた。彼等は鋏や箒を手に庭の掃除をしていた。
「まさかここで庭師にさせられるなんてな」
「フランクに辿り着けるのでしょうか」
「どうかね」
 シェラスミンは困った顔でファティメに言葉を返す。
「どうなるかはわからないよ、本当に」
「じゃあこのままここで庭師ですか、私達は」
「下手をしたらね」
 項垂れた顔でまた述べるシェラスミンだった。その顔で木々の手入れをしている。
「このままじゃ本当にずっとここだろうね」
「どうにかしないといけませんね」
「その通りだよ。さて、と」
 ここで一旦腰を大きく伸ばすシェラスミンだった。
「一休みしようかな」
「お弁当ありますよ」
「うん、じゃあ二人で食べよう」
「はい」
 そんな話をしながら二人で傍にあったベンチに腰掛けてそのうえでパンを食べはじめる。するとここでヒュオンがこっそりと木の陰から出て来たのだった。
「よし、ここだな」
 彼は警戒する顔で周囲を見回しながら慎重に進んでいる。
「ここにレツィアがいる。何としてもこの手で」
「えっ、誰なの!?」
 最初に彼に気付いたのはファティメだった。
「誰かいますよ、あれは」
「えっ、旦那様!?」
 シェラスミンはパンを食べるその手を止めて驚きの声をあげた。
「御無事だったのか、それに」
「まさかここで御会いするなんて」
「何という奇遇」
 このことに驚かずにはいられない二人だった。
「とにかく。ここは」
「そうだね。あの」
「むっ!?」
 ヒュオンはシェラスミンの声にびくり、となって顔を向ける。だがシェラスミンとファティメの顔を見てまずは安心した顔になるのだった。
「シェラスミンか、それにはファティメも」
「御無事だったのですか」
「御元気そうで何よりです」
「何とか助かった。けれどレツィアは攫われて」
「ああ、そういえばですね」
 ここでシェラスミンは言った。
「昨日太守様が奇麗な方を買い入れられたとか」
「間違いない」
 ヒュオンは彼の言葉を聞いて確信した。
「それはレツィアだ、彼女だ」
「それでレツィア様を助け出されるんですね」
「そしてフランクに戻るんだ」
 強い声で言うのだった。
「当然君達もね」
「私達もですか」
「当然だ」
 彼は強い声で己の従者に告げた。
「君達も一緒にフランクに戻るって誓ったな」
「はい、そうですけれど」
「それは」
「なら当然だ。君達も一緒だ」
 また強い声を出すヒュオンだった。
「いいな、それで」
「わかりました、それでは」
「私達も」
「まずはレツィアを助け出そう」
 左手を拳にして言い切ってみせた。
「何があっても」
「じゃあ後宮に行きましょう」
「レツィア様はそこにおられます」
「そうか、それなら」
「太守様は昨日から奥方様と共におられますので」
 こうも言い加えるシェラスミンだった。
「レツィア様は離れた場所におられます」
「そうか、じゃあ尚更好都合だ」
「はい」
「このまま助け出して脱出するんだ」
 強い声でまた誓うのだった。
「いいな、それで」
「はい、それで」
「行きましょう」
 こうして三人で向かおうとする。しかしここで一人の兵士にヒュオンが見つかってしまったのだった。
「!?何だ御前は」
「あっ、この方はですね」
「新しく入られた」
「嘘を言え!」
 兵士はすぐにシェラスミンとファティメの嘘に気付いたのだった。
「その様な者見たこともない!」
「くっ、駄目か」
「ヒュオン様、こちらに!」
 二人はそのままヒュオンを案内して逃れようとする。しかしそれは適わなかった。
 兵士が笛を鳴らした。するとだった。
「何だ!?」
「どうした!?」
 すぐに他の兵士達が出て来た。そのうえで三人を取り囲んでしまった。
「くっ、この数では」
「ヒュオン様、これは」
「これじゃあ抵抗しても」
「無駄か」
 最早二人に言われずともわかることだった。
「むしろ下手に動いたら」
「はい、危ないです」
「かえって」
「ここで死ぬよりも機会を見るか」
 ヒュオンはこう判断を下した。
「仕方ないな」
「それでどうしますか?」
「やはりここは」
「こうするしかないね」 
 こう言って剣を前に投げ出した。それこそが今の彼の意思表示だった。
 彼はすぐに兵士達に捕らえられた。シェラスミンとファティメもだった。三人はそのまま宮殿の前の広場に連行される。そこにはチェニスの太守と兵士達がいた。
 チェニスの太守を見てヒュオンは。ふと言うのだった。
「あの服装は」
「ええ、殆ど同じですよね」
「バグダットの旦那様と」
 シェラスミンとファティメもそれを見て応える。見れば太守の姿は確かにバグダットのそれとそっくりだった。ただし彼の方が痩せていて髭も薄い。その彼が言うのだった。
「貴様は何故わしの宮殿に忍び込んだのだ?」
「レツィアを助け出す為に」
 その目的をありのまま語ってみせる。縛られていても彼は勇気を失っていなかった。
「その為にここに」
「忍び込んだのか」
「そうだ、レツィアは僕の恋人だ」
 強い声で言うヒュオンだった。
「だからだ。何があろうとも救い出す」
「何があろうともか」
「そうだ、絶対に」
 彼はまだ言う。
「例え首を刎ねられようとも」
「言うな。それではだ」
 太守はここまで聞いて後ろに控える兵士達に顔を向けた。そうしてそのうえで告げるのだった。
「あの娘をこちらに」
「はい」
「わかりました」
 こうしてそのレツィアが連れられて来た。レツィアは不安げな顔でヒュオンを見ていた。
「ヒュオン様、ここにまで」
「言った筈だ、死ぬまで一緒だって」
 ヒュオンはここでもこうレツィアに言うのだった。
「だから僕は何処までも君を」
「ヒュオン様・・・・・・」
「一緒にギエンヌに、フランクに戻ろう」
 こうも言うヒュオンだった。
「そう、何があろうとも」
「はい、それでは」
「残念だがそれはできはしないことだ」
 しかしそれは太守が否定するのだった。
「何故ならレツィアはわしの四番目の妻となるからだ」
「四番目!?」
「ムスリムは四人まで妻を持つことができます」
 今の太守の言葉にいぶかしむ顔になったヒュオンとシェラスミンに対してファティメが答える。
「ですからこれも普通のことなのです」
「またえらく変わった制度だな」
「奥さんを何人も持てるなんて」
 二人にしてみれば首を傾げる話だった。なおこれはジハード等で夫を失った女とその家族への救済策である。実はムハンマドは中々フェミニストであったのだ。
「そういうものがあるのか」
「また変わったことだな」
「イスラムにはイスラムの考えがありますから」
 ファティメはこう話した。
「ですから」
「そういうものか」
「それじゃあそういうことで」
「はい」
 この件に関する話はこれで終わりだった。しかし話はまだ終わりではなく今度は。太守がここでヒュオンに対して告げるのであった。
「そなたはフランク人だな」
「はい」
「本来ならばその首を貰うところだ」
 このことを彼に告げるのだった。
「だがわしは無闇に血を見る趣味はない。帰るがいい」
「帰れと?フランクに」
「左様。ただしだ」
 しかし、というのである。
「帰るのはそなた一人だ。そなただけだ」
「僕だけだと」
「さっきも言ったがレツィアはわしの四人目の妻になる」
 このこともまた話す太守だった。
「だからだ。帰るのはそなた一人だ」
「いや、それはできない」
 言葉を最後まで聞いてすぐに言い返すヒュオンだった。
「僕は誓ったんだ、レツィアと何処までも一緒に。だからだ」
「帰らないというのか」
「一人では」
 あくまでこう言うのである。
「そしてシェラスミンとファティメも。何があろうとも」
「一緒に連れて帰るというのか」
「そうだ、フランクに」
 何としてもだというのである。
「連れて帰る、絶対に」
「私もです」
 ここでレツィアも出て来た。意を決した顔で太守に告げるのだった。
「私も。ヒュオン様と共にいます」
「えっ、レツィア様」
「今ここでその様なことを仰ったら」
 シェラスミンとファティメは今の彼女の言葉にぎょっとした顔になって止めに入った。
「それこそ御命が」
「何があっても」
 ヒュオンと同じように縛られていたが何としても彼女を助けようとした。当然ヒュオンに対してもそのつもりだった。だがそれは間に合わなかった。
「よかろう」
 太守はレツィアの今の言葉に怒りに満ちた声で応えるのだった。
「それではだ」
「それでは?」
「まさか」
「二人共死刑だ」
 その怒りに満ちた声での言葉であった。
「そなた達は二人共死刑だ」
「えっ、それだけは」
「それだけはお止め下さい」
「黙っていろ」
 必死に助命をする二人に後ろから彼等を抑えている兵士の一人が告げた。
「貴様等もただでは済まんぞ」
「ただで済まなくても」
「お嬢様達は」
「その二人はどうでもよい」
 太守は彼等には何の興味も見せなかった。
「ただしだ。そなた等はすぐに首を刎ねる」
「それなら好きにするといい」
「私達は何時でも一緒だから」
 二人はもう覚悟を決めていた。
「首を刎ねるのなら刎ねるんだ」
「二人一緒に」
「よし、それではだ」
 太守は彼等の言葉を聞いて意を決した顔になった。
「二人をすぐに打ち首にせよ」
「はい」
「それでは」
 兵士達がそれに応えて頷く。二人はいよいよ首を刎ねられようとしている。
 二人は既に覚悟を決めている。だがシェラスミンとファティメははらはらとした顔である。はらはらとしているどころかどうしたらいいのかと慌てふためいている。しかしこの時であった。
 あの角笛の音が鳴った。すると太守と兵士達がそれを聴いてすぐに踊りはじめたのだった。彼等はその中で驚きの声をあげた。
「な、何なんだ!?」
「身体が勝手に」
「全て見せてもらいました」
 ここで出て来たのはパックだった。その手に角笛がある。
「貴方達のことは」
「えっ、君は」
「パックさん」
「いや、間に合って何よりです」
 パックは驚く四人の前に出て来て告げるのだった。
「もっとも間に合うように手筈をしていましたが」
「間に合うようにとは」
「一体」
「貴方達のその御心を見せて頂いたのです」
 こう彼等に話すのだった。踊っている太守や兵士達の間を通りながら。
 ただしだった。それだけではない。パックはさらに話すのだった。
「男と女、どちらがより貞節を守るか」
「見ていたのか」
「そうだったの」
「しかしです」
 だがここでパックはさらに言うのであった。
「途中からそれはどちらも素晴らしいということになり」
「じゃあ僕達は」
「その心は」
「そうです。そして次第により素晴らしいものを見るべきだということになり」
「私達もわかったのだ」
「その通りです」
 そのパックの後ろから出て来たのは。まるで幻想の世界から出て来た様な美しい一組の男女だった。ヒュオンは彼等の顔を見て言うのだった。
「貴方達は」
「私はオベローン」
「私はティターニア」
 二人はそれぞれ名乗るのだった。
「妖精の王」
「私は王妃です」
「王と王妃。それでは」
「そうだ。パックの主だ」
「そして私もまた」
「そうだったのですか。御二人がですか」
 ヒュオンはそれを聞いて納得した顔で頷いた。
「僕達を見ようと」
「試したのは申し訳ない」
 オベローンはまずヒュオン達に対してこのことを謝罪した。
「だがそれでもだ。その心を見せてもらった」
「僕達の心を」
「それを」
「そなた達の心は何処までも素晴らしい」
 オベローンはヒュオンとレツィアに対して告げた。
「そう、何処までも」
「男も女も同じだ」
 このことを確かに言うオベローンだった。
「そう、同じなのだ」
「同じなのですか」
「心は何処までも美しい。今も最後まで誓いを守ろうとした」
 二人共に死のうと誓ったことである。
「それがだ」
「僕達のそれを」
「見ていたというのですか」
「さあ、その言葉と共にだ」
 オベローンはゆっくりと前に出た。前に出たところで右手を軽くあげて親指と人差し指を鳴らす。するとヒュオンとレツィアの縄が解けた。シェラスミンとファティメのものもだった。
「縄が」
「私達の縄が」
「さあ、二人手を結び合うのだ」
 こう二人に告げるオベローンだった。告げながら二人のその手を取る。
 そうして結ばせる。ティターニアはシェラスミンとファティメの手を結ばせている。
「人の心は何処までも美しい」
「それは祝われるべきのもの」
 オベローンとティターニアはそれぞれ言うのだった。
「仕える神は違えども」
「愛はそういったものを全て乗り越える」
「それはいいとして」
「もう止めてくれ」
 ここで太守と兵士達が泣きそうな声で言ってきた。
「もうわかったから」
「四人に対しては何もしないから」
 こう言うのである。
「だからもう止めてくれないか?」
「許して欲しいんだが」
「わかった。それではだ」
「貴方達も彼等を祝うのかしら」
 オベローンとティターニアは彼等に対して問う。
「そなた達もだ」
「それなら」
「わかった、祝おう」
「人の幸せを祝福するのはやぶさめではない」
「喜んで祝わせてくれ」
「よし、それでは」
 パックは彼等の言葉を聞いてだ。角笛を吹いた。すると彼等はその動きを止めた。そしてバグダットの太守もまた出て来たのだった。
「御父様もですか」
「ここにお連れしました」 
 パックが驚くレツィアに対して話す。
「貴方達を是非見て頂くて」
「それでなのですか」
「このチェニスに」
「レツィア、よくわかった」
 彼は今は優しい父親として娘に告げていた。
「御前の心はな」
「御父様、それでは」
「そうだ、許そう」
 彼は堂々とした声で娘に告げた。
「喜んでな」
「有り難うございます、それでは」
「さて、それではだ」
 ここでまたオベローンが一同に告げてきた。
「皆で人間の心の素晴らしさを祝おう」
「はい」
「今ここで」
「何があろうとも誓いを破らず愛を貫くその素晴らしさをだ」
 他ならぬヒュオンとレツィアのことである。
「それを皆で祝おう。いいな」
「そしてあなた」
 今度はティターニアがにこやかに笑って夫に話してきた。
「二組の婚礼も」
「そうだ、勿論それも祝う」
 このことも忘れていないオベローンだった。
「それでは皆でだ」
「ええ、祝いましょう」
「さあ、人間の素晴らしい愛を祝って」
 パックが前に出て来た。
「皆さん、杯を。そして」
「そして」
「歌を!」
 魔法で一同の手に並々と葡萄酒が注がれた杯を持たせてそのうえで祝福を歌を歌うのだった。最早どちらがより貞節かなぞ問題ではなかった。その心の素晴らしさを祝うのであった。


オベローン   完


                           2009・9・5



どうやら、丸く収まったみたいだな。
美姫 「妖精の王のちょっと気紛れで起こった事だけれど、最後はオベローンも改心で良いのかしら、したしね」
元々は夫婦喧嘩が原因なんだよな。
美姫 「そう考えると騒ぎを周囲に広めすぎよね」
まあ、最初に言ったように丸く収まったから良かった良かった。
美姫 「そうね。投稿ありがとうございました」



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