『オベローン』




                               第一幕  夢から
「だからだ」
「いいえ、違いますわ」
 普通の森ではなかった。木々の幹や枝の色は緑でその葉は赤や青である。下の草は紫でそのうえ黄色や白、橙の花が咲き誇っている。その森の中で二人が言い争っていた。
 一人は赤と黒の上着にすらりとした白いズボンを身に着け豪奢なマントを羽織っている。黒く豊かな髪には黄金とダイヤの王冠がある。それがやけに重そうだ。顔はほっそりとしており目鼻立ちは整い涼やかですらある。目は黒く琥珀の輝きを放っている。彼は男だった。
 もう一人は女で黄金色の腰まで届く見事な髪に湖の色の澄んだ瞳をしている。肌は丁度その足元にある白い花と同じ色だ。唇と頬は上にある歯の赤と同じ色だ。顔立ちはこれまた見事なもので完璧なまでに整っている。服は白い軽やかな衣でそれで全身を覆っている。
 その美女が今。男に対して強い声で告げてきていたのだ。
「それは絶対に違います」
「ではティターニアよ」
 男は彼女をこう呼んできた。
「そなたはそう考えるのだな」
「その通りです」
 ティターニアと呼ばれた美女を胸を張ってさえいた。
「私はそう思います、妖精の王オベローンよ」
「心外なことだ」
 オベローンと呼ばれた男は困惑さえその整った顔に見せていた。
「王妃であるそなたと意見を違えたことはこれがはじめてだったな」
「そういえばそうだったでしょうか」
「覚えている限りはだ。はじめてのことだ」
 オベローンはこうティターニアに返すのだった。
「全く。貞節であるのは」
「女の方です」
 ティターニアが厳かな声で述べてみせた。
「それは間違いありません」
「いや、それは違う」
 だがオベローンはこう言うのであった。
「違うな。男の方だ」
「そう仰る根拠は」
「私がわかるからだ」
 だからだというのである。
「私が男であるからだ」
「だからおわかりになられるというのですね」
「その通りだ。男は女より貞節なものだ」
 彼の主張はこうであった。
「現に私は浮気一つしたことがないではないか」
「それは私も同じです」
 しかしティターニアもティターニアで言い返す。
「私も浮気一つしたことはありません」
「私以外の男に思わせぶりな目を見せることもな」
「一つもしたことがありません」
「それは感謝している」
 オベローンもそのことには満足しているのであった。それは今の彼の声にも出ている。
「まことにな」
「ではおわかりでしょう」
 ここぞとばかりに夫に告げる妻だった。
「女の方が貞節なのです」
「いや、それはどうか」
 だがオベローンも引かない。
「私もまた妙な言葉をかけたこともない」
「では貴方は男の方が貞節だとあくまで仰るのですね」
「このことを否定するつもりは毛頭ない」
 きっぱりと言い切ってみせた。
「何があろうともな」
「それは私も同じです」
 ティターニアもだった。夫と全く同じ口調ですらある。
「女の方が貞節です」
「全く。頑固なことだ」
 オベローンは妻の強情さにいい加減苛立ちを覚えてきていた。
「今日は何時に無く強情だな」
「それは貴方もではないですか」
「私は真実をそのまま言っているだけだ」
「私もです」
「このままではラチが明かぬ」
 先に話を切ったのは夫の方だった。
「もうよい。また後でな」
「ええ、また後で」
「私は政治に向かう」
「では私は女官達に指示を出してきます」
「それではな。またな」
「ええ、また」
 別れは愛想のいいものだった。どうやら仲はそんなに悪くはないらしい。オベローンは妻と別れた後一人でその鮮やかな色の森を歩いていた。そこに緑の葉で作った上着と青い幹で作った服を着た赤い髪と目の男の子が来た。顔はやけに朗らかな表情で肌の色は褐色だ。そのやけに風変わりな男の子が彼の前に出て来たのだ。
 彼はオベローンの前に出て来ると。こう告げてきたのだ。
「オベローン様」
「うむ、パックか」
「何かあったのですか?」
 オベローンの前に出て来て尋ねるのだった。
「一体。何が」
「少しな」
 先程のことを思い出して幾分か憮然とした顔になるオベローンだった。そうして腕を組んだ姿になってパックに対して告げるのだった。
「王妃と言い争ってしまった」
「何と、そんなことははじめてですが」
「その通りだ」
 驚いた顔で自分の前に片膝をつくパックにまた告げた。
「だから私も驚いているのだ」
「それでまたどうして」
 パックは首を傾げさせながらまた王に問うた。
「そのようなことに」
「些細なことなのだがな」
「些細なことですか」
「貞節だ」
 ここで貞節という言葉を出したのだった。
「男と女どちらが貞節かな。言い争ったのだ」
「貞節ですか」
「そうだ。どちらが上かだ」
 彼はパックに言うのだった。
「どちらかな」
「何かどちらかを見極めるのでしたら」
 パックはまた首を捻った。そのうえで主に告げた。
「あれですね」
「あれとは?」
「今人間の世界で面白いことが起こっています」
 ここで人間の世界の話をするのであった。
「まず。夢の中でですが」
「夢の中でか」
「はい、フランク王国のギエンヌ公爵ヒュオンは御存知ですね」
「ああ、あの者か」
 オベローンはヒュオンという名前を聞いてすぐに応えた。
「あれは中々いい若者だな」
「そしてバグダットの太守の娘の一人レツィアですが」
「あれもいい娘だな」
 オベローンはこの娘のことも知っているのだった。
「器量も心もいいな」
「その二人が出会ったのです」
「夢の中でだな」
「そうです」
 まさにそうだと述べるパックだった。
「それによりです」
「ふむ。あの二人なら御似合いだな」
 オベローンはここまで話を聞いて腕を組んで述べた。
「いい話だ」
「それでです」
 ここでさらに言うパックだった。
「どちらがより貞節か見極めるには」
「この二人を結びつけてみてどうなるか見てみるのだな」
「これでどうでしょうか」
 こうオベローンに話すのだった。
「どちらがよりお互いに尽くすかを見ることで」
「よし、わかった」
 ここまで聞いて意を決したのだった。
「ではパックよ」
「はい」
「そなたにこれを与える」
 すぐに腰にあった角笛を彼に手渡した。
「これをな」
「この角笛は確か」
「そうだ、魔法の角笛だ」
 それだというのだ。
「これを持ってまずはヒュオンのところに行け」
「ヒュオンですね」
「彼には優れた従者もいたな」
 そのことも知っているオベローンだった。彼も愚かではないのだった。
「確か。そうだったな」
「その通りです」
 また主の問いに答えるパックだった。
「シェラスミンですね」
「あの従者もいる。都合のいいことにな」
「それではあの二人に事情を話して」
「そうだ。バグダットに向かえ」
 こう指示を出すのだった。
「それでいいな」
「はい、わかりました」 
 パックは明るい動作でオベローンの言葉に頷いた。
「それでは今より」
「頼んだぞ。さて」
 ここまで告げてそのうえで今度は左手だけ組み右手の人差し指を自分の唇に当ててまた考える顔になるオベローンだった。そうして言うのだった。
「どうなるかな」
「どちらの貞節がより上からですか」
「そうだ。それを見させてもらおう」
 彼は言うのだった。
「それをな」
「ではオベローン様」
「うむ」
「これよりはじめさせてもらいます」
「期待しているぞ」
 こう言葉を交えさせてそのうえでオベローンの前から姿を消した。そうしてすぐに向かったのは。 
 彼が姿を現わしたのはそのギエンヌだった。ギエンヌのある城に姿を現わしたのだ。
「公爵、何かあったのですか?」
「いや、何もないよ」
 ブラウンの髪に緑の瞳を持つ如何にも貴公子といった面持ちの背の高い若者がいささか小太りで愛嬌のいい顔の黒い髪と瞳の赤ら顔の若者の言葉に応えていた。
 若者の服は品があり豪奢なものである。赤い丈の長い上着に青いマントとズボンといった服である。腰には剣がかけられている。
 赤ら顔の若者は質素な緑の服を着ていて如何にも動き易そうだ。歳はもう一方の若者よりもやや年上のようだ。その二人が今石の壁の城の中で話をしているのだった。
「別にね」
「左様ですか」
「うん。何でもね」
「いえ、これがあるのです」
 だがここで声がしたのだった。
「ヒュオン様ですね」
「僕の名前を知っている?」
「ギエンヌ公であられますね」
「そこまで知っているのか」
 爵位まで言われてさらに驚くヒュオンだった。声は次に赤ら顔の若者に声をかけてきた。
「そしてその従者のシェラスミンさんですね」
「おや、私の名前も知っているのですか」
「はい、よく存じています」
 声は彼にも告げたのだった。
「何故なら私は妖精でして」
「妖精!?」
「悪魔ではないのか」
「いえいえ、違います」
 言いながら姿を現わすパックだった。二人はその姿を見てまずは驚きの声をあげた。
「何と、木の葉の服だと!?」
「それにその身体の色は」
「これでおわかりでしょうか」
 二人の目の前に姿を現わしたうえであらためて言うのだった。
「私は妖精パックといいます」
「妖精パック」
「それが貴方の御名前ですか」
「別に何も騒がれないのですね」
 パックは彼等が特に驚いた様子も見せないので少し意外に思いながら言葉を返した。
「私が姿を現わしても」
「実際に姿を見たからね」
「それで騒ぐというのも無作法ですし」
「左様ですか。まあそれならそれで話は早いです」
 パックは彼等が自分を見ても落ち着いているのを見てさらに話を進めることにした。
「それでですね」
「うん」
「それで一体」
「公爵」
 ヒュオンに声をかけてきたのだった。
「貴方は今恋をされていますね」
「えっ、いや」
 そのことを言われてまずはギクリとなるヒュオンだった。表情にもそれが出ている。
「僕は何も」
「何もじゃありません。私は妖精です」
 パックはにこやかに笑ってヒュオンに告げるのだった。
「そうしたことはよくわかっています」
「何と、そうだったのですか」
「あっ、そうだったのですか」
 シェラスミンも今の主の態度を聞いてそれで事情を察したのだった。
「旦那様は最近それで」
「実はそうだったんだ」
 ヒュオンもここで観念して遂に彼に言うのだった。
「僕は今夢で出会った人に恋をしているんだ」
「夢でですか」
「うん。あれはバグダットの太守の娘で」
 こう話すのだった。
「レツィアというんだ。素晴らしい美人なんだよ」
「そうだったのですか。夢で」
「うん。とても素晴らしい人でね」
 ヒュオンは恍惚とした声で話すのだった。
「夢だけじゃなくて本当に会いたいよ」
「会えますよ」
 パックは早速彼に告げてきた。
「そのレツィアさんに」
「それは本当かい!?」
 ヒュオンは今のパックの声を聞いて驚きの声をあげた。
「けれど彼女はバグダットにいるんだ。それでどうして」
「私は妖精です」
 しかしパックは平然とした顔で彼に返すのだった。
「ですから何の問題もありません」
「問題ないというと」
「どうするんですか?」
「すぐにバグダットに向かいます」
 パックはこう二人に言うのだった。ヒュオンだけでなくシェラスミンに対してもだ。
「すぐに。宜しいですね」
「何と。すぐにバグダットに」
「行けるのですか」
「公爵だけでなくシェラスミンさんも」
 やはりここでも彼に声をかけるのだった。
「貴方も御一緒に」
「おや、私もですか」
「はい、どうぞ」
 にこやかに笑って彼に告げるのだった。
「それでは行きましょう、すぐに」
「レツィアに本当に会える」
 ヒュオンはそれを聞いて恍惚とした顔になっていた。
「バグダットで」
「それでは」
 パックが右手の親指と人差し指を鳴らすとすぐだった。三人はそれだけで異国の城の城壁の前にいた。その高い城壁から丸いドームを思わせる屋根の建物が多く見える。
「ここが」
「まさかバグダットなのですか」
「はい、そうです」
 パックはその城壁の向こうに見える多くの建物を見て言う二人に答える。
「その入り口です」
「まさかすぐに来るとは」
「本当にバグダットに」
「そうです。それではですね」
 彼はすぐに二人にまた告げてきた。
「服装を変えましょう」
「服をなのか」
「今御二人はフランクの服ですが」
 その服のことを指摘するのだった。
「そのままでは都合が悪いですし」
「確かに」 
 シェラスミンはそれを聞いて頷いた。
「このままではどうも」
「それでです」
 また右手の親指と人差し指を鳴らした。そうしてすぐに二人だけでなくパック自身の服も買えたのだった。それはアラビア風の服だった。
 ヒュオンはアラビアの貴人の服だった。上着は赤を基調としておりチョッキとシャツを着ている。ゆったりとした白いズボンが目立つ。靴は黒く先が尖っている。ターバンを巻いてそのうえで白い羽根で飾っている。シェラスミンとパックはそれよりもいささか質素で動き易い服だ。その姿になるのだった。
「この格好なら問題ないか」
「はい、問題ありません」
 パックがここでまたヒュオンに話す。ヒュオンとシェラスミンは今変わった自分の服を見回しながらそのうえで話をするのだった。
「ではバグダットに入りましょう」
「うん。しかしこの街は」
「物凄い大きさですね」
 二人で言い合うヒュオンとシェラスミンだった。
「確かに」
「こんな大きな街は見たことがない」
 ヒュオンはまだ城壁を見上げていた。そのうえで呆然とさえしている。
「フランクにも」
「この街は特別です」
 パックは呆然となる二人に平然として話すのだった。
「何しろ世界一の街の一つですから」
「世界一ですか」
「この街は」
「そうです」
 また答えるパックだった。
「中に入ればもっと驚きますよ。では入りましょう」
「何か物凄い街だけれど」
「中はもっと凄いのでしょうか」
 そんな話をしながら中に向かうのだった。その頃そのバグダットの宮殿では。
 宮殿の中は緑に満ちていた。南国の様々な草木が咲き誇り水が噴水から溢れ出ている。そこに鮮やかな色彩の華やかな服を来た乙女達がいて朗らかに笑っている。そのうえでそれぞれの手に様々な楽器を持ちそれを奏で歌っているのだった。
 その中に彼女達と同じく鮮やかな赤と黄色の服を着ている美しい少女がいた。黒い髪と瞳をしている。髪は絹の様に艶やかで腰まである。黒い瞳は琥珀の輝きを見せている。肌は薄い赤でそしてその顔は細やかで紅の唇が映えている。その彼女が今庭の中に一人座りそこから青い空を見上げていた。
「お嬢様」
 その少女に彼女より幾つか年上と思われる美女が声をかけてきた。少女よりも背は高くやはりその髪と目は黒い。肌も同じ色だ。知的な面持ちをしており利発な表情をしている。その彼女が少女に声をかけてきたのである。
「どうされたのですか」
「夢を見たの」
 少女は空から目を離してそのうえで彼女に告げた。
「夢を」
「夢ですか」
「そう、貴女は誰かを恋したことがあるかしら」
 今度はこんなことを言うのだった。
「誰かを。どうなのかしらファティメ」
「おや、恋をされているのですね」
 ファティメと呼ばれたその知的な美女は少女の今の言葉を聞いてにこりと笑ってみせた。そうしてそのうえでまた少女に言うのだった。
「そうですか。レツィアお嬢様もそんな御歳になられたのですね」
「おかしいかしら」
「おかしいとは申していませんよ」
 優しい笑みで彼女に告げるファティメだった。
「むしろ素晴らしいことですよ」
「素晴らしいのね」
「人は恋をするものです」
 ファティメはまた言ってきた。
「恋をしないといけないものです」
「恋をなのね」
「はい。そして夢を御覧になられたのですね」
「そうなの」
 またファティメに答えるレツィアだった。
「夢であの人に出会えたのよ。夢だけれど」
「夢だからこそですよ」
 ファティメは今度はこんなことを言うのだった。
「夢だからこそいいのです」
「夢だからいいというの?」
「夢はですね」
 さらに優しい笑みになってレツィアに話してきた。
「現実になりますから。夢と現実は裏返しですからね」
「そう。だったら」
 ファティメの今の言葉を聞いてレツィアの顔色が一変した。それまで物憂げだったものが晴れやかなものになる。そのうえで言うのだった。
「希望を持っていいのね」
「希望はいつも人と共にありますよ」
 ファティメは今度はこうレツィアに話すのだった。
「ですから御安心を」
「わかったわ。じゃあ」
 その顔をさらに晴れやかにされて応えるレツィアだった。
「あの人に会えるその日を待つわ」
「はい、是非共」
「ヒュオン、待っているわ」
 レツィアはここでまた空を見上げた。先程とは違う表情で。空は晴れ渡り青く何処までも続くかの様だった。その所々にある白い雲はさながら天の使いの翼であった。



妖精の王と王妃のちょっとした喧嘩から始まるのか。
美姫 「それにより、少し強引な形で夢で見た人と会える事となったみたいよ」
ここだけを見れば良い結果になったと言えるんだろうけれど。
美姫 「この後がどうなるかよね」
王妃にも話をして、二人で見守るのかな。
美姫 「だとしたら、互いに自分の説を正しいとするために何かするかもね」
どうだろう。何もしないで大人しく見ているという事もあるかもしれないぞ。
美姫 「一体、どんな話になるのかしらね」
次回も待っています。
美姫 「待ってますね〜」



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