『ノルマ』
第一幕
ガリアの怨み
ガリア人とはケルト人のことを言う。今ではスコットランドやアイルランドにいるだけとなっている彼等であるがかつては西欧のかなりの部分に居住していた。ある時はローマを襲い街を廃墟にしてしまったこともある。
彼等はローマ人から見れば野蛮人であり髪の毛を脱色してそれを石膏で上に固めており上半身は裸でその身体を染料で染め戦場では荒れ狂いそれはまるで人ではなかった。そのうえ首を狩り生贄の風習までありそれもまたローマ人達に恐れられていた。彼等とローマ人の対立は宿命的なものでありローマの発展と彼等との戦いは並立するものであった。
その彼等だがやがてローマの組織力と国力の前に敗れていく。ローマはカルタゴやギリシアとの戦いで力を蓄え何時しか巨大な勢力となっていた。これに対してガリア人達は団結が弱く個々で争ってさえいた。そこをローマに突け込まれたりもして何時しかガリア、今のフランスもまたスペインもローマの勢力圏に収められていた。
それを決定的なものにしたのがユリウス=カエサルのガリア統治と戦役であった。彼はその卓越した政治力と戦争を政治に組み込む能力によりガリア人を攻略していった。ここには組織力や土木技術を有効に使うローマ軍の力も大きかった。その彼等の力もありカエサルは遂にガリア人達を完全にローマに組み込んでしまった。これは彼の著書であるガリア戦記にある通りだ。やはりローマ人寄りであるがそれでもガリア人達の当時の状況や風俗習慣、文化に詳しいのは事実だ。ガリア人は完全にローマの中に入ってしまったのだ。
カエサル亡き後も不満は残っていた。これはそうしたガリア人達の話だ。今彼等はガリアの神々の神木であるイルミンスルの木のある林の中に集まっていた。その下に祭壇とドルイドの石がある。そこにガリア人のタートンチェックのズボンや女の白い服を着た者達が集まっていた。そうして口々に言っていた。
「もう我慢できない」
「そうだ」
彼等は言う。夜の林の松明の灯りの中で。
「ローマの支配を退けるんだ」
「そうしてまた我々の手にガリアを」
「待て」
ここで厳かな声がした。それと共に祭壇のところにガリア人の司祭達であるドルイド達が姿を現わす。皆長い白い服を着ているがそれは決してローマのトーガではなかった。ガリアの服であった。
「ガリアの同胞達よ、それはならない」
「今はですか」
「そう、今はだ」
ドルイド達の中央にいる白い髭に顔全体を覆わせその髪を立たせた老人が告げる。彼の名をオロヴェーゾといいこの部族の重鎮でもある。
「ノルマの言葉を待て」
「ノルマの」
「左様」
彼は同胞達に告げる。
「新月がその輝かしい顔を見せ微笑んだなら」
「微笑んだなら」
「神秘の鐘を三度打ち鳴らすのだ」
「そうすればノルマは」
ガリア人達はオロヴェーゾの言葉を受けて言う。
「聖なる樺の木を打ち倒すのでしょうか」
「ノルマはきっとそうする」
オロヴェーゾはまた厳かに告げた。
「きっとな」
「きっと」
「ではオロヴェーゾ様」
ガリア人達はその言葉を聞いてまたオロヴェーゾに対して言う。
「お告げをノルマに」
「ノルマに届けて下さい」
これは彼等の願いそのものであった。
「ガリアの神々よ」
「ローマと戦う我等に対して勝利を」
「このイルスンミルの樺の木」
オロヴェーゾは自分の後ろにあるその木を振り向いて言う。
「この老木が告げよう、我等の解放を」
「ガリアの勝利を!」
人々はそれを誓う。その遠くで今ローマの将軍の黄金色の鎧と鮮やかな紅のマントに身を包んだ二人の男が話をしていた。
「フラヴィーオ」
「どうした、ポリオーネ」
名前を言われた青い目に鋭角的な顔の男が黒い髪と目の端整な男に応えた。その男ポリオーネは見れば左半分が少し歪んではいても実に整った顔をしていた。引き締まりそれと共に非常に整っている。背も高くとりわけ脚が立派な外見の彫刻めいた美貌の持ち主であった。
「これからのことだが」
「どうするのだ、友よ」
「もうノルマのことはいい」
ポリオーネは言う。
「僕はもうアダルジーザを愛しているのだから」
「馬鹿な。僕は知っている」
フラヴィーオはその言葉を聞いて顔を顰めさせた。そうしてポリオーネを咎めるのだった。
「彼女と君の間には二人の子供がいる」
「それはわかっている」
ポリオーネもそれは認める。
「彼女を愛していた。しかし今は」
「アダルジーザを愛しているというのか」
「何とでも言うがいい」
今度は開き直りの言葉になった。
「それでも今の僕は。彼女だけを見ているのだ」
「彼女はどう言っているのだ」
フラヴィーオはこれに望みをかけていた。
「彼女が駄目と言えば君は」
「彼女も僕を受けてくれた」
「くっ」
フラヴィーオは今のポリオーネの言葉に歯噛みした。そうして言い捨てた。
「愚かな。君もアダルジーザも」
「それはわかっている」
ポリオーネもそれは自分ではっきりわかってはいるのだ。
「しかしそれでも僕は」
「諦めないというのだな」
「夢には見た」
上を見上げる。自分達の上にある新月を見上げて言う。その暗黒の月を。
「ローマにいた」
「君とアダルジーザがか」
「そうだ。ヴィーナスの祭壇の上でな。純白の衣装を身に纏い紅のバラをその美しい髪にさした彼女が僕の横にいたのだ」
「そしてどうなった」
フラヴィーオは問う。
「それは一瞬だった。辺りは眩い光から闇に変わり」
「そして」
「稲妻が煌き次の瞬間にアダルジーザは消えていた」
「悪夢だ」
フラヴィーオはその光景をこう評した。
「まさに悪夢だな」
「その悪夢は妖気に包まれ墓場の中にあるようだった。そして」
「そして。何だ」
「子供達の泣き声、僕とノルマの声に混じって」
「君は何かを聞いたのか」
「そう」
蒼白の顔で新月を見上げながら。言葉を続ける。
「ノルマの声を。彼女の笑い声を」
「恐ろしい話だ!」
フラヴィーオは首を横に振って半ば叫んだ。
「正夢にならないことを祈る」
「全くだ。それは」
ポリオーネが青い声で応えた。この時鐘の音が響いた。
「ガリアの鐘か」
「彼等の儀式だな」
ローマは他の宗教や習慣には寛容であった。ポリオーネもそれは同じで彼等の習慣にしろ文化にしろ認めていた。ドルイドもまた。
「何か不穏な気配を感じるが」
「兵を用意しておくか」
フラヴィーオは真剣な顔でポリオーネに提案してきた。
「どうするか」
「そうだな。それがいいか」
ポリオーネもそれに頷いた。
「どうも最近彼等の動きが怪しいしな」
「用心にこしたことはない」
彼は言う。
「そうするか」
「ここはこれまで通りか」
フラヴィーオは言う。
「ローマ軍の力で」
「そうだな。あのカエサル以来のやり方だ」
それでローマは今の地位を築いてきた。ポリオーネもフラヴィーオもそのやり方に絶対の自信を持っていたのである。
「それで行こう」
「わかった。それではな」
「今から備えるとしよう」
ポリオーネは総督として、軍人として言った。彼が今のこのガリアの総督でありフラヴィーオは彼の親友であり参謀であるのだ。
「反乱に備えてな」
「ローマは永遠だ」
ある意味においてフラヴィーオのこの言葉は現実のものとなる。
「それを見せてやろう」
「その通りだ。それでは軍の駐屯地に向かうぞ」
「うむ」
こうして彼等は自分達の本拠地に帰った。その頃ガリア人達はドルイド達の他に兵士や彼らにとって必要不可欠な存在であるバード、それに尼僧達も交えていた。そうしてその物々しい集まりの中でまた言うのであった。
「さあノルマよ」
「今こそ」
彼等はノルマを呼ぶ。
「我等のまで出て」
「その馬葛篭の葉で飾られた髪を見せよ」
「その神々しい姿を」
「今我々に」
彼等はノルマを呼び寄せる。それい応えるかのように今輝いてもいない筈の月明かりに照らされた白い法衣を着た黒髪の長身の女が姿を現わした。髪を馬葛篭の冠で飾りその黒い目は深く鋭い。高い鼻がその強い美貌を際立たせていた。戦いと美の女神の様な姿であった。
彼女がノルマであった。右手には金の鎌を持っている。その輝きで服が照らされていたのだ。まるで既に月を手に持っているかのようであった。
「おおノルマ」
「遂に我等の前に」
「ガリアの者達よ」
ノルマは強い声を発した。低いがそれでいて充分な高さも持っている声であった。
「戦いを求めるのか」
「如何にも」
彼等はその後ろにドルイドや尼僧。兵士達を控えさせ背にその神木を背負うノルマに対して言うのであった。
「だからこそ我々は今」
「貴女に御聞きしたいのです」
「今は時ではない」
だがノルマの言葉は彼等の期待したものではなかった。
「時ではないと」
「そうだ」
彼女は言う。
「今動いてもどうにもならない。神々の定めは人の力にはどうにもならないのだ」
「しかしノルマよ」
「父上」
ノルマはオロヴェーゾの言葉に顔を向けた。
「何か」
「このままローマの支配を受けていろというのか」
彼はいささか感情的な感じで娘に問うた。
「それはもう我慢出来ない。今こそ」
「そうだ、だからこそ今我々は」
「立ち上がるべきなのだ」
「それはならない」
しかしノルマはそれを止めた。
「何故だ」
「今は時ではない。ローマは強い」
彼女にはそれがはっきりとわかっていたのだ。
「若し誰か一人でも剣を抜けばそれで終わりなのだ」
「それでは神々のお告げは」
人々は焦る声でノルマに問うた。
「どうなのでしょうか」
「それは」
「私は読んだ」
ノルマははやる彼等に厳かに告げた。
「天の書物を。そこに記されている死者達の中にローマの名もあった」
「ローマもですか」
「そうだ」
そう彼等に言うのだった。
「彼等は自滅する運命にある。我々が何をせずとも」
「そうなのですか」
「だから。我々が動くことはないのだ」
こう言って彼等を安心させることがノルマの狙いであったのだ。
「だからこそ。今は動くな、よいな」
「はい」
「それでは」
ガリア人達はノルマのその言葉に頷く。そうして平伏するとノルマは彼等に背を向けた。そうして神木のさらに後ろにあったやどり木を刈る。尼僧達がその刈られた木を受け取る。その時不意に月が変わった。新月から満月へ。神々しい黄金色の光がノルマを包み込む。ノルマはその月の光を見上げて高らかに言うのであった。
「清き女神よ」
「清き女神よ」
ドルイド達も尼僧達もノルマの言葉に続く。
「貴女の神々しい光がこの聖なる老木を清めて下さる。どうかその翳りのないその明るい顔を私達にお見せ下さい」
「私達にお見せ下さい」
また言葉が復唱される。
「どうぞこの燃える心を。人々の興奮を和らげて下さい。天を治めるその快い安らぎで荒れ狂う地上を包んで下さい」
「地上を包んで下さい」
「これで今は終わりだ」
ノルマはドルイド達の復唱を背に受けながらガリアの同胞達に告げた。
「何時の日かこの聖なるガリアからローマ人は消え去る。神が怒りに燃えて彼等の血を求めた時こそは」
「その時こそは」
「私はまた告げるだろう」
「怒りを」
「そう、神の怒りを」
ノルマは言うのだった。
「その時こそ我等は立ち上がる」
「ローマに対して」
「そして」
ガリア人達は希望に満ちた声で言い合う。
「ローマ人達を倒し」
「あの憎しむべきポリオーネも」
「そう、この私の手で」
(けれど)
だがノルマはここで毅然とした顔の裏で心の中で呟くのだった。
(私にはできない。貴方に対しては)
これはノルマの本音であった。
(あの美しい日々が戻るのなら私は貴方を守れるのに。貴方と共にいることこそが私にとって最高の幸せなのに)
「しかし怒りの日は近い」
「その通りだ」
ガリア人達はまた猛ろうとしていた。
「その日に我々は立とう」
「その時にこそ」
(もう一度あの時を思い出してくれれば)
まだノルマは心の中で呟いていた。
(私はそれだけでいいのに。私が貴方に心を捧げたあの時のことを)
「怒りの日は近い」
「我々がローマに対して立ち上がる日が」
彼等はそれを信じながらその場を去っていく。続いてドルイド達も尼僧達も。その中に一人の美しい尼僧がいた。黒い髪に丸みを帯びた鼻をしている。黒い髪と目だがそれはノルマはよりは幾分穏やかだ。どちらかというと中性的なものもある顔であった。
白いガリアの尼僧の服を着ている。その彼女が言うのであった。
「何もかも終わった。けれど」
彼女は言う。
「私は罪を犯しているのだわ。あの方を愛するという罪を」
罪の前に俯いてさえいた。
「この罪から逃れたい。けれどどうすればいいの?」
神に対しての言葉だった。
「ガリアの神々よ、お許し下さい。この私を、罪ある私を」
そう呻くように呟くところに一人の男がやって来た。それはポリオーネであった。
「アダルジーザ、どうしたのだ」
彼は優しい声を彼女にかけてきた。
「そんなに悲しい顔をして」
「お祈りをしておりました」
その美女アダルジーザは俯いたままポリオーネに答えた。
「そしてこのまま祈っていたいのです」
「ガリアの神々にか」
「そうです」
ポリオーネの言葉に対して頷く。
「私達の神に対して」
「私の神は違う」
ポリオーネはここで言った。
「愛の神だ。それだけが私の神だ」
「ヴィーナスがですか」
それは。決してガリアの森には入ってはならない神であった。
「それは私には」
「待ってくれ」
走り去ろうとするアダルジーザを呼び止めた。
「私はそれでも君を」
「どうされるというのですか?祭壇に誓いを立てた私を」
ポリオーネの方を見て問うた。
「どうされるというのですか?」
「私は君だけが欲しいのだ」
それがポリオーネの願いであった。
「君だけが。だから」
「私を。離さないと仰るのですか」
「駄目なのか、それは」
「私にはそれが耐えられないのです」
ポリオーネから顔を背けての言葉であった。
「あまりに。辛くて」
「それはどうしてなのだ」
ポリオーネにはそれはわからなかった。
「何故だ、私を愛しているんじゃないのか」
「それでもです」
アダルジーザは言う。
「かつては幸せで清らかな心だった私」
過去を懐かしむ言葉であった。
「神にお仕えしていて。けれど誓いに背いた今の私はもう」
「ローマでは愛の女神が君を待っている」
ポリオーネはここで自分の神を出して彼女を慰める。
「その神は決して君を見捨てたりはしない。だから」
「来いと仰るのですか」
「君さえいればいいんだ」
ポリオーネの声が熱くなる。
「だから。ここを離れて」
「それは」
「来ないというのか、ローマに」
「私はガリアの尼僧です」
まだその誇りが心にあった。
「ですから。ここを離れることは」
「ローマには全てがあるんだ」
それでもポリオーネは誘うのであった。
「愛も喜びも生命の輝きも。そして」
「そして?」
「より大きな生きる喜びもあるんだ」
「それは一体」
それが何なのかはアダルジーザにはわからなかった。無意識のうちに彼に問うていた。
「僕達の二人の永遠の時だ」
ポリオーネの言うより大きな生きる喜びとはそれなのだった。
「だから」
(神々よ)
アダルジーザはポリオーネの愛の前に心が引き裂かれそうになる。それでまた自分の仕える神々に対して祈るのであった。
(お許し下さい、罪ある私を)
「さあ」
ポリオーネはまた彼女を誘ってきた。
「二人でローマに」
「何て苦しいの」
アダルジーザは思わず呻いた。
「こんなに」
「明日だよ」
彼女の苦しみはわかっていても彼はここで言った。
「明日?」
「そう、明日だ」
それをまた言う。
「明日ここで待っているから。来てくれるね」
「それは・・・・・・」
「いいね」
断ることは許さない。そうした言葉であった。
「僕は明日のこの時間にここにいるから。だから」
「来て欲しいのですね」
「そうなんだ。待っているよ」
また言う。
「君を」
「私を」
「だから。いいね」
「私を待っていて下さるのですね」
恐る恐るポリオーネに顔を向けながら問うた。
「私を」
「そう、待っている」
ポリオーネの言葉は強いものであった。
「だから。いいね」
「・・・・・・はい」
ここまで言われて遂にアダルジーザも折れた。こくりと頷いたのであった。
「わかりました。それでは」
「その言葉を待っていた。ではローマへ」
「ローマへ」
「永遠の愛があるローマへ。二人で帰るんだ」
「私の帰る場所は」
後ろを振り向く。そこには森がある、ガリアの森が。しかし今はその森が闇の中にあって見えない。何もかもが見えなくなってしまっていた。
「もうありません」
「それはこれから作るんだ。明日から」
「明日からですか」
「そうだ、だから今は別れよう」
笑顔でアダルジーザに告げる。
「明日の。これからの僕達の為に」
「・・・・・・わかりました」
ポリオーネの言葉にこくりと頷く。アダルジーザは暗い中に一人残される。森は何も語らない。ただ彼女の後ろに暗い姿を見せているだけであった。
ノルマは自分の家の前にいた。そこで小さな子供達二人をあやしていた。ポリオーネとの間にできた愛しい子供達である。
「ねえクロチルデ」
「はい」
自分の後ろにいた侍女に声をかけた。
「子供達を家の中に入れて。今夜は不吉な気配がするの」
「不吉な気配?」
「私にもはっきりとはわからないけれど」
ここでノルマの顔が曇った。
「大きな苦しみが私を攻めるの。子供達を愛してはいても」
「愛してはいても」
「憎らしくも思うのよ」
その曇った顔での言葉であった。
「顔を見ていると辛くて、見ていなくても辛い」
実際にその顔が辛いものになった。
「この子達の母親であることが昔の様に楽しくはなく苦しみばかりが感じられるのよ」
「母親であることが」
「ええ」
クロチルデの言葉に頷いた。その顔で。
「そうなの。それに」
「それに?」
「あの方のことだけれど」
「ポリオーネ様ですね」
クロチルデは主のことを知っていたのだ。だからこそそれを今ノルマに問うたのだ。
「ローマに戻るそうよ」
「そうだったのですか」
「そのことを私には言わないで。それで」
「まさか。それは」
「いえ」
ノルマの心を暗いものが支配するのだった。
「私や子供達のことを忘れて。それは」
「そのようなことは」
「考えるだけでも恐ろしいこと」
そう、考えるだけでノルマの顔が蒼ざめてしまった。
「だから。子供達を今は私の目の届かないところへ、御願いだから」
「わかりました。それでは」
「ええ」
ノルマは子供達の頬にキスをしてクロチルデに預けた。そうして家の外に一人でその蒼ざめた顔でたたずんでいた。そこに誰かが来た。それは。
「アダルジーザね」
「はい」
アダルジーザもまた蒼ざめた顔をしていた。その顔でノルマの前に姿を現わしたのであった。
「どうしたの。そんなに暗い顔をして」
「実は。悩みがありまして」
「悩み。何かしら」
「貴女だけが頼りなのです」
ノルマの前に来てその蒼ざめた顔での言葉だった。
「その御心にすがりたく。こちらに参りました」
「何なのかしら」
ノルマはアダルジーザのその言葉を聞くことにした。
「よかったら話してくれるかしら」
「はい。それでは」
アダルジーザはノルマの優しい言葉を受けて。ようやく話すのであった。
「実は私は」
「貴女は」
「この国を。ガリアの地を離れようと考えているのです」
「この地を。どうして」
「私は。神々を裏切ってしまいました」
その蒼い顔での告白であった。
「ガリアの森に集う偉大な神々を」
「裏切った。どういうことなの」
ノルマには話がわからなかった。それでまたアダルジーザに問うのであった。
「ある方との恋に落ちて」
(それでは)
ノルマは今のアダルジーザの言葉を聞いて自分自身のことに想いを馳せた。
(私と同じ。それは)
「続けて宜しいでしょうか」
「え、ええ」
ノルマはここで自分が顔を強張らせていることに気付いた。それで慌ててアダルジーザに応えるのであった。
「いいわ、どうぞ」
「わかりました。それでは」
アダルジーザはそれを受けて話を再開させた。ノルマもそれを聞くのであった。
「いつもあの方だけを想い。あの方のことを考えてしまうのです」
(それも同じ)
ノルマはまた思うのだった。
(私と。彼女も私とおなじ罪を)
「私の甘い吐息を吸って接吻をしたいと。美しい髪を撫でたいと仰って」
(それもまた同じね)
ここでも自分とアダルジーザを重ね合わせるのであった。
(何もかもが)
「竪琴の音の様に甘く響くあの方の声」
アダルジーザはまた語る。
「あの太陽の様な瞳が私の心の中にまで滲み渡るのです」
「それから。離れられないのね」
「私は。罪に塗れた女です」
そう言って自分を攻める。
「この私の罪は。許されませんね」
「いえ」
だがノルマは。その言葉に対して首を横に振るのだった。
「恋とは。全て神々によって誘われるもの」
「神々によって」
「だから。許されるものなのよ」
「そうなのでしょうか」
「ええ、そうよ」
優しい声でアダルジーザに語り掛ける。
「だから安心して。私がいるから」
「本当に宜しいのでしょうか」
ノルマの赦しの言葉にも怯えている。それだけ彼女は己の罪を自覚してそれに対して恐れおののいているということに他ならなかった。
「私が。赦されて」
「神聖な掟を破っても」
ノルマは言う。
「貴女は私が守るわ。神々も」
「貴女と神々が」
「ええ。少なくとも私は」
ノルマはアダルジーザに自分を見ていたのだ。だからこそ言うのだった。どうしてそれで見捨てることができようか。もう一人の自分を見ながら心の中で思うのだった。
「必ず貴女を守ってみせるわ。どんな恐ろしい責め苦からも」
「ノルマ・・・・・・」
ノルマはアダルジーザを抱き締めてきた。アダルジーザもそれを受ける。二人は今これまで以上になく深い結びつきの中にお互いの身を置いたのであった。
「私は。これで」
「気が楽になったかしら」
「はい」
ノルマの言葉に頷く。
「有り難うございます。本当に」
「それでアダルジーザ」
ノルマはアダルジーザから身体を離し。そのうえで彼女にまた問うてきた。
「はい、何でしょうか」
「貴女の愛する方ですけれど」
「あの方のことですか」
「それは誰なのかしら」
優しい目でアダルジーザに問うていた。
「よかったら。教えてくれるかしら」
「それが」
「誰なの?」
「ガリアの方ではないのです」
「ガリアではない」
ここでもノルマは自分と同じものを感じた。しかし今のアダルジーザの告白でまた心が急に不吉なものに覆われていくのも感じていた。
「では一体」
「それは・・・・・・」
ここで。また誰かが来た。
「!?貴方は」
ノルマとアダルジーザは彼の姿を見て同時に声をあげたのだった。
「どうしてここに」
「この方です」
ここで二人の言葉は別れた。
「この方こそが私の」
「何ということ」
その言葉はこれまでになくノルマを打ちのめした。顔が瞬く間に強張る。
「まさかこんな」
「アダルジーザ、どうして」
そのポリオーネもまた言うのだった。同じく強張った顔で。
「どうしてここに来たのだ。よりによって」
「怯えているのね」
ノルマはそのポリオーネをきっと見据えて言うのだった。
「誰に対してなの、それは」
「それは」
「答えなさい。この不実な男」
「ノルマ、これは」
「私は貴女を責めはしない」
それは言うのだった。
「けれどこの男は。子供達の為に」
「子供達!?まさか」
今アダルジーザも全てがわかった。彼女とポリオーネのことを。
「貴女もまた」
「私だけではなく今度はアダルジーザまで毒牙にかける」
ポリオーネを見据えたままでの言葉だった。彼と正面から向かい合っている。
「その悪徳、決して許しはしない」
「多くは言わない」
ポリオーネも怯えながらもノルマに対する。顔を彼女に必死に向けている。蒼ざめてはいるがそれでもノルマに対していたのだ。
「だがアダルジーザだけは」
「何という恐ろしいこと」
アダルジーザも二人、いやノルマの怒りの激しさの前にまたその顔を蒼ざめさせてしまっていた。
「真実はわかったけれど。何という恐ろしい真実」
「裏切り者よ」
ノルマはまたポリオーネを責めた。
「早くこの場を」
「去ろう。しかし」
アダルジーザの方を見る。だがその前にはノルマが立ちはだかるのであった。
「彼女だけは」
「行かせはしない」
しかしそれを許すノルマではなかった。
「何があろうとも」
「だが彼女は僕の」
それでもポリオーネは諦めない。一歩前に出た。
「彼女を」
「嫌っ」
しかしそれはそのアダルジーザによって拒まれた。彼女が首を振ったのだ。
「もうそれだけは」
「どうしてだ、それは」
「私は行くことができない」
それがアダルジーザの言葉だった。
「ですから。もう」
「さあ早く行くのです」
ここでまたノルマも言う。
「このまま一人で」
「くっ」
「不実な男にはそれに相応しい運命が待っている」
まるで剣の様に鋭い光をその両目から放ちながらの言葉であった。美しい顔が戦と復讐の女神のそれに完全になってしまっていた。
「それにおののきながら去るのです」
そしてアダルジーザにもその顔を向けるのであった。
「貴女も」
「私も・・・・・・」
「全ては変わりました」
ノルマは告げる。
「だからこそです」
「けれど私は」
「行くのです!」
ノルマの声がさらに激しくなった。
「さもなければ」
「さもなければ」
「ノルマ!」
ポリオーネも叫んだ。
「僕は悪い。けれど」
「けれど!?」
「彼女には罪はないんだ」
ポリオーネはそれだけは保障しようとする。
「それだけはわかってくれ」
「わかったわ。けれど」
しかしノルマの怒りは収まらない。それどころかより激しさを増すばかりであった。
「愚か者よ!」
ポリオーネに対して言い放った。
「すぐにここから立ち去るのです」
「覚悟のうえだ」
「何もかも忘れて。誇りも誓いも。そうして」
ここからが。ノルマの真の怒りであった。
「子供達でさえも!」
「くっ・・・・・・」
子供という言葉を出されてはさしものポリオーネも怯んだ。しかしノルマはさらに言うのであった。彼女の怒りはさらに増す。
「私の怒りに呪われ貴方の罪深い愛には幸福は決して訪れはしない」
「そんな・・・・・・」
「ローマにいようがエジプトにいようが私の憎しみがつきまとう。夜も昼もそれが襲うだろう」
「そうしたのは憎んでくれ」
ポリオーネはそれを受けるしかなかった。彼は逃げなかった。
「御前の幻が僕を永遠に苦しめるのならば。それでいい」
「開き直ったというの?」
「違う。今僕を占めている愛はそこまで大きいのだ」
「今何と」
「聞くのだノルマ」
ポリオーネも引かない。
「僕達の愛よりも大きい。どんな神だってここまで苦しめはしない」
「そこまで言うというの」
「そうだ。僕は呪う」
今度は彼が呪いという言葉を口にしてみせた。
「御前に巡り会ったことを。僕は呪おう」
「そこまで言うのならいいわ」
ノルマもそれを受けて立つ。ポリオーネにその右腕を突き付けて宣言する。まるで怒りの女神がそれを叩き付けるかのように。
「この私の怒りを。受けなさい!」
「ああ、ノルマ」
アダルジーザはノルマのその怒りを見て嘆く。
「私はどうすれば」
彼女にはどうしていいかわからない。最早彼女ではどうすることもできなかった。ノルマは激しい怒りをポリオーネに突きつけポリオーネもそれを正面から受ける。夜空は激しく荒れようとしており月は荒雲の中にその姿を消してしまっていた。
敵同士でありながら愛し合う。
美姫 「それだけじゃなく、子供もいるのに」
その上、新しい女性か。いやー、序盤から既にドロドロの展開だよ。
美姫 「どうなるのかしらね」
今までのお話とかなら、ばれた所で何かが起こるんだけれど。
美姫 「序盤でばれてるものね」
本当に続きが楽しみです。
美姫 「次回も待ってますね」