『ナブッコ』
第一幕 エルサレム陥落
『私は今この街をバビロニアの王に手渡す。王はこの街を焼き払うだろう』
聖書にある言葉だ。既にエルサレムの陥落は決まっていたことであった。
だがエルサレムの人々はその運命を受け入れるつもりはなかった。彼等は今ソロモンの神殿に集まっていた。
夥しい豪華な財宝と金や銀で飾られた豪奢な神殿だ。それこそがソロモンの栄華を物語っている。かつてこの国が栄えていたことの証である。その神殿の中には偶像はないが神が確かにいた。彼等は今その神にすがろうとしていた。自分達に罰を与えようとしているその神に対して。
「バビロニアの軍が迫ってきている」
人々はその神殿の中で言う。質素な服はユダヤ教故であろうか。ユダヤの神は華美を嫌う。
「祭祀の聖具も壊れユダヤ人達は喪服を着ることになるのか」
「それは何故だ」
彼等は自分達に対して問う。
「これが神の我等への罰なのか」
「神をおろそかにしたことへの。あのエルサレムの同胞達と共に」
エルサレム王国は北のユダにあった。彼等は十二支族のうちの十支族によって構成されていた。ユダはニ支族である。後にこれが消えた十支族へとなっていく。
「聞け、皆の者」
神官のうちの一人が言う。
「聞こえるか、あの声が」
「あの声だと!?」
「そうだ、聞こえるであろう」
人々はその言葉を聞き息をひそませた。場が静まり返る。
「あの声が。バビロニア人達の咆哮が」
「聞こえる」
誰かが言った。
「バビロニアの兵士達の声が」
「野蛮な獣の様な咆哮が。確かに」
「来ているのだ、彼等が」
ユダヤ人達は口々に言う。
「娘達よ、祈れ」
父親達が自分達の娘に対して命じる。
「その白いヴェールを裂いて汚れなき唇で」
「そして神にその祈りを捧げよ」
父親達はさらに命じる。
「その祈りで敵の怒りを空しくさせるのだ」
「はい」
娘達は父の言葉を受けて頷く。そしてその言葉通り白いヴェールを引き裂いてから祈りをはじめた。
「風の翼の上を飛びいらだつ雲から雷を放つ偉大なる神よ」
「バビロニアの兵達を追い散らしダビデの地に平穏を」
「どうか私達の罪をお許しになり」
「どうか過ちに御慈悲を」
跪いて祈る。皆それに続く。
「どうか我等に加護を」
「バビロニアの者達から御護り下さい」
そこに薄い眉をした黒い髪に高い鼻の大柄な男が司祭の服を着てやって来た。祭司長であるザッカーリアである。
「祭司長」
「落ち着くのだ、皆の者」
彼は厳かな声でそう述べた。
「確かに敵は来ている」
「はい」
それは認めた。
「だが希望を忘れるな。神は私の中に素晴らしい証を下さっている」
「素晴らしい証!?」
「それは一体」
「あれだ」
彼は今来たばかりの道を指差す。するとそこには豊かな巻き毛の金髪にやや切れ長の美しい黒い瞳と鮮やかではっきりとした美貌を持つ少女がいた。豪奢な服が他の者とは違うということを教えていた。そこに静かに立っていた。
「フェネーナですか」
「そうだ、彼女だ」
ザッカーリアは自信に満ちた声で述べる。
「彼女がいる、王の娘だ」
「そうだ、我等にはまだ希望がある」
「我等は助かることができるのだ」
そのフェネーナを見て急に活気が出て来ていた。
「そうだ、彼女は我等にとっての喜びの日の太陽だ」
ザッカーリアはそこまで述べた。
「恐れることはないのだ。神の永遠の援けを信じよ」
「永遠の助けを」
「思い出すのだ」
ザッカーリアはかつての苦難を話した。
「あのエジプトでのことをだ」
「エジプトの!?」
「そうだ、エジプトでのことだ」
かってユダヤ人達はエジプトの勢力下にあった。そしてその圧政に苦しみモーゼに連れられて故郷へと戻ったのである。
その時モーゼは海を割りユダヤ人達を逃がし十戒を授かった。あまりにも有名な脱出である。
「そのことを忘れるな」
「それでは」
「そうだ、今もまた」
彼は言う。
「神は我等を救われる。よいな」
「はい」
「それでは」
人々は落ち着きを取り戻しだした。だがそこにまた嵐がやって来た。
「皆、大変だ!」
剣を手にし、鎧兜で武装した彫の深い顔立ちの精悍な若者がそこにやってきた。兜からのぞく髪は黒く、黒い瞳からは強い光を放っている。王の甥であり将軍でもあるイズマエーレである。彼は兵士達を連れて神殿にやって来たのである。息は荒くそれだけで只事でないのがわかる。
「将軍、どうされたのですか」
「一体何が」
「もうすぐ城壁が陥落する」
彼は同胞達にそう言った。
「城壁が!?」
「そうだ、バビロニア軍はあまりにも強い。もう陥落は目の前だ」
「そんな・・・・・・」
「城壁が」
「将軍」
ザッカーリアはそれを聞きイズマエーレに顔を向けてきた。そして問うた。
「何か」
「バビロニア軍の指揮官は誰ですかな」
「王です」
彼はこう答えた。
「王・・・・・・では」
「はい、バビロニア王ナブッコ自ら陣頭に立ち兵達を指揮しています。だからこそその戦意は天を焦がさんばかりなのです」
荒い声でそう述べた。
「王自らか」
「あのバビロニア王が」
「ここに来るというのか?」
「だから落ち着くのだ」
ザッカーリアはそう言ってまた民衆を宥めた。
「狼狽はそれ自体が破滅への道ぞ」
「はあ」
そう言われて彼等はまた落ち着いた。ザッカーリアはそれを確かめてからまたイズマエーレに顔を向けるのであった。
「では将軍」
「はい」
イズマエーレはそれに応える。ユダヤ人の中では司祭は王にも勝る権限を持ち王族や将軍といえど彼等には逆らえないのである。だからこそザッカーリアの方が彼より上位にあるのである。
「彼等はここにも来るのですね」
「おそらくは」
イズマエーレは辛い顔でそう述べた。
「それも時間の問題かと」
「民衆達は」
「今ここに避難させています」
彼は答えた。
「兵士達に導かれ。そして兵士達も徐々にこちらまで」
「街を捨てるのですか」
「街は後で幾らでも復活します」
彼は言った。
「ですがここは」
神殿を見上げる。神殿は巨大な石造りで禁と銀で眩いばかりに輝いている。
「一度破壊されたならば」
「そうです」
ザッカーリアはその言葉に頷く。
「その通りです。ですからここは何としても守り抜きましょう」
「ええ」
悲痛な顔でそれに応えた。
「それでですね」
ザカーリアはまた述べた。
「我々には切り札があるのです」
「切り札!?」
「そうです」
彼は語る。
「神が我々に下された贈り物です」
「それは一体」
いぶかしがりながらそれに問う。
「彼女です」
ザッカーリアはそう言って後ろにいるフェネーナを指し示した。
「彼女が」
「ええ、王の娘こそが」
確固たる決意のある言葉であった。その言葉も目も暗いものであるのに彼自身は気付いてはいないが。
「我等の救いとなるのです」
「祭司長、それでは」
「そうです」
彼はイズマエーレに頷く。
「いざという時は彼女を出せば」
「ですがそれは」
「将軍」
彼は言う。
「神はそれを認められます」
「神が」
「そうです」
誰もが逆らえない言葉であった。この時から遥か過去にこの言葉は数多く繰り返させ夥しい血の元となるのである。
「アブラハムの偉大な力ある神が」
言わずと知れたヘブライの神である。
「お許しになられるのです。ですから」
「神よ、我等を救い給え」
民衆達も言った。
「この大きな試練を。陽の光の前の夜のように」
「風に捉えられた埃のように」
「災いを取り除き給え」
「災いを」
イズマエーレはそれを聞いて俯いて呟く。
「そうです、所詮は異教徒」
ザッカーリアもヘブライ人達もフェネーナをそう見ていたのだ。
「よいではありませんか」
「ええ」
イズマエーレは力なくそれに頷いた。
「では将軍」
ザッカーリアはそこまで言うと安心したように満面に笑みを浮かべる。それからまた述べた。
「我々は神殿の奥に下がります。ここはお任せしますぞ」
「わかりました」
「神に祈りを捧げて来ます」
彼は言う。
「皆で。それでは」
「ええ」
こうしてザッカーリアは民衆を連れてその場を後にした。そこにはイズマエーレとフェネーナだけが残った。
二人はただ神殿の前に立っていた。巨大で豪壮な神殿も誰もいなくなると急に寂れたようになる。まるで廃墟のようにである。
イズマエーレはその静寂の中にいた。そしてぽつりとフェネーナに声をかけてきた。
「フェネーナ」
「はい」
フェネーナも彼を見てそれに応えてきた。
「貴女はかってバビロンで私を助けてくれた」
実は彼は使者としてバビロンに赴きそこでフェネーナと会ったのである。だがそこで冤罪に問われ牢に入れられた。だがそれを救い出し無実を証明してくれたのが彼女なのである。
この時彼は彼女との間に愛を芽生えさせた。それが今フェネーナがこのエルサレムにいる理由の一つにもなっていた。政治的には人質であったが二人にとってはここでの秘密の愛の育みであったのだ。
だが二人の間にはバビロニアとユダ以外の問題もあった。実はフェネーナの姉アビガイッレもまたイズマエーレに好意を抱いているのだ。それに気付いている二人はここにまで逃げてきているのである。
「ですから今度は私が」
「ですが」
彼女は彼から顔を背けた。
「今の私には」
「フェネーナ」
イズマエーレは彼女の名を呼ぶ。
「どうか私の愛を」
「しかし」
彼女はそれを受け入れようとはしない。必死に拒む。
イズマエーレはそんな彼女を見て言葉を失ってしまった。苦渋に満ちた顔で俯き彼女から顔を離した。
「御免なさい・・・・・・」
「いや、いい」
だが彼はそんな彼女を受け入れた。彼女が彼を受け入れられなかったというのにだ。
「今は仕方がない、今は」
「はい・・・・・・」
二人は距離を置く。その時だった。
「将軍!」
そこに一人の兵士が駆け込んできた。
「市民は全て避難させました!」
「そうか!」
それを聞いてまずは安堵した。だが兵士の言葉はまだ続く。
「兵士達も退いてきています!ですが!」
「どうしたのだ!?」
「敵の一部隊が守りを破って」
「守りをか」
「はい。こちらに来ております。戦闘にいるのは」
「くっ、ここまで来たか!」
「止めろ!何としても行かせるな!」
兵士達の怒号が聞こえてくる。だがそれをものともせず一騎の武装した騎兵がイズマエーレの前に躍り出てきた。豪奢な黄金色の鎧兜に紅のマントを羽織ったその騎兵は何と女であった。大柄で凛々しい姿をしている。精力的な強い光を放つ黒い目に兜から流れ出る波打った黒髪、そして彫が深く凛とした顔が彼女を只者ではないということを示していた。それは美貌と威厳を併せ持つ顔であった。
「貴女は」
「ここにいたのね、イズマエーレ」
その女は神殿の階段の上にいるイズマエーレを見上げてニヤリと笑ってきた。
「私の愛しい人」
「アビガイッレ、やはり貴女も」
「そう、貴方を手に入れる為に」
その女アビガイッレはイズマエーレを見上げて言う。見上げてはいるが決して負けてはいなかった。
「ここまで来たのです」
「ここまでですか」
「そう、宜しいですか」
イズマエーレに対して言う。その手には血塗られた剣がある。それこそが彼女の決意と強さの証であった。
「全ては貴方次第なのです」
「私次第だと」
「そう、私に愛を誓うのです」
そう言った。
「その口で。そうすれば貴方は全てを手に入れられるのです」
「何故私が全てを」
「私はバビロニアを手に入れます。その私の愛する者になれば」
それが言葉の意味であった。
「そうすればユダの民も生き長らえ貴方もまた名誉を手に入れられるのです。さあ」
そして誘う。
「私と共に。愛しい人よ」
手を差し伸べる。その手は彼に向けられていた。
「今こそ私の側へ」
「しかし」
だがイズマエーレはフェネーナに顔を向ける。フェネーナは何も言えず俯いているだけであった。
「私は」
「私はどうすれば」
フェネーナは今自分が何を言うべきなのかもわかりかねていた。神殿に近付いてくる兵士達の咆哮と闇夜の中に燃え盛る炎の中で身体を震わせていた。
「その娘が何だというのでしょう」
アビガイッレはそんなフェネーナを見て嘲笑していた。
「問題にならないではありませんか。さあ」
そしてまたイズマエーレに手を差し伸べる。
「私の下へ。そうすれば貴方は全てを」
「しかし私は」
「ああ、どうすれば・・・・・・」
差し伸べるアビガイッレと戸惑うイズマエーレ、彷徨うフェネーナ。三人が神殿の上と下でそれぞれの姿を見せている時にバビロニアの将兵達の歓声が聞こえてきた。
「あれは」
「まさか」
イズマエーレとフェネーナはその歓声の方に顔を向けた。するとユダの兵士達が命からがらといった様子で神殿のところにやって来た。多くの者が傷つき戦友達を肩に担いで血塗れの姿でやって来た。
「どうしたんだ、これは」
「将軍・・・・・・」
兵士の一人が駆け寄ってきたイズマエーレに顔を向けた。その額から血が溢れ出ている。
「も、もう駄目です」
「どうしたというのだ」
「敵がすぐそこまで」
「いや、それならまだ」
怯えるには及ばないと言おうとした。だが。
「敵の王が来ているのです」
「何っ!?」
この言葉には流石に言葉を詰まらせてしまった。
「今何と言った」
「バビロニア王が来ています」
「ナブッコ王が。すぐそこまで」
「何だとっ、何という速さだ」
「私はほんの斥候に過ぎないのです」
アビガイッレは轟然と胸を張って述べた。
「ですが貴方とユダの者達を救うことはできるのですよ」
「しかし私は」
「さあ、時間はありません」
アビガイッレの声が迫る。
「返事は」
「くっ・・・・・・」
「来たぞ!」
「逃げろ!」
ユダの兵士達は必死に神殿へと逃げていく。彼等が命からがら神殿に逃げ込むとそれを待っていたかのようにバビロニアの兵士達が姿を現わした。
「さあ王よこちらへ!」
「今こそ勝利を我等に!」
「父上!」
アビガイッレは後ろを振り向いて明るい笑顔を見せた。
「さあこちらへ」
「おお王女様」
「貴女もこちらでしたか」
「そうです、父上の為に道を開いていました」
兵士達に傲然した態度で述べた。さながら王であるように。
「何と素晴らしい」
「ではこの戦いの功績は貴女へ」
「いえ、それは違います」
だがアビガイッレはその言葉を退けた。
「この戦いの功績は父上のもの。そして」
次に兵士達を見下ろして述べた。
「貴方達兵士のものなのです」
「何という有り難い御言葉」
「感激の念に堪えません」
「さあ父上をこちらへ」
「はい」
「王に栄光あれ!」
「バビロニアに栄光あれ!」
口々に王とバビロニアを讃える声が響き渡る。今神殿に巨大な漆黒の馬に乗った男が姿を現わした。
金と銀の鎧兜に紅の服とマントを羽織った大男であった。傲慢なまでに胸を反らせ顔中に濃い髭を生やさせている。その目は鋭く全てを威圧するようでありながら深い知性もたたえていた。彼こそがバビロニア王ネフカドネザル、ナブッコその人であった。今彼が大勢の兵士達を引き連れ神殿の前に現われた。その後ろには捕虜になったユダの兵士達もいた。
「何ということだ」
騒ぎに神殿から飛び出てきたザッカーリアが彼の姿を認めて嘆きの声を漏らす。
「遂にあの男が来るとは」
「遂にここまで来たな」
ナブッコはそのザッカーリアが出て来た神殿を見上げて低い声で述べた。
「我が愛する兵士達よ」
次に兵士達に顔を向けてきた。
「間も無くだ。この戦いは我等の勝利に終わる」
「もうすぐですか」
「そうだ、エルサレムの富は諸君等のものだ」
「おお」
「褒美は思いのままだ。よいな」
「はい!」
この言葉に誰もが勇み立った。
「今こそ我等に勝利を!」
「そして名誉と富よ!」
「戯言を申すな!」
だがザッカーリアは声をあげる彼等に対して言った。
「その様なことを」
しかし言うのは彼だけであった。イズマエーレは俯いて何も言うことがなかった。
「神の御前から去れ!」
「神だと」
ナブッコはその言葉を受けてザッカーリアに顔を向けてきた。
「そうか、そこに御前達の神がいるのだな」
「唯一の神がおられる」
「戯言を」
だがナブッコはその唯一の神というものを否定した。バビロニアは多くの神を信仰している。だからこそであった。むしろ唯一の神を信じるヘブライの者達の方が特殊なのである。
「今こうしてその神殿の前まで私に来られているというのにか」
「この神殿を侵すつもりか」
「そうだ」
彼ははっきりとそう宣言した。
「ヘブライの者達の命までは取らぬ。感謝せよ」
「そうはさせんぞ」
ザッカーリアはまだ負けてはいなかった。キッとナブッコを見据えている。
「我々にはまだ手があるのだ」
「無駄な抵抗は止めよ」
しかしナブッコはその言葉を信じようとはしない。
「私は御前達の命まで奪うつもりはないのだからな」
「だが私は御前の大切なものをその手の中に持っている」
「何だと?」
「見ろ」
そう言って側にいたフェネーナを後ろから羽交い絞めにした。それからその首筋に短剣を突き立てる。
「こういうことだ。これでわかるか」
「何ということを」
「貴様、それが人間のすることか」
「何とでも言え」
バビロニアの兵士達の非難は彼の耳には入らなかった。
「少しでも動いて見よ。この娘の命はないぞ」
「御父様、私は」
「フェネーナよ」
ナブッコは怒りを必死に抑えた声で述べた。
「安心せよ。若し御前が殺されたならば」
声は怒りを抑えていた。しかしその目は別であった。
怒りに燃える目でザッカーリアを見据えている。燃えるような光であった。
その目で彼に対して宣言する。怒りの声を。
「愚かなヘブライの者共の命を餞別にしてやろうぞ」
「できるものならしてみよ」
ザッカーリアはまだ退きはしない。
「できるものならな」
「そうだ、我等を傷つけることは出来ない!」
神殿の中に逃れていたユダの民達が出て来た。そして神殿の上から叫ぶ。
「この娘が我々の手にある限り!」
「バビロニアの野蛮人達よ!娘の命が惜しければすぐに立ち去るのだ!」
「ふざけたことを言うな!」
バビロニアの兵士達はそんな彼等に対して言い返す。
「王女様を盾にするとは何と卑劣な!」
「貴様等に恥はないのか!」
「ええい、黙れ!」
ザッカーリアは彼等の抗議をつっぱねた。
「全ては神の為だ!この神殿は渡さぬ!」
「あくまで神か」
「そうだ!」
ナブッコに対しても言う。
「御前になぞこの神殿を明け渡すか!」
「神は我等を護って下さる!」
「では聞こう」
ナブッコはそんな彼等に対して問うてきた。
「何をだ?」
「御前達の神がそこまで偉大なのならどうして私がここまで来たのだ?」
「何だと!?」
「私は御前達の神に戦いを挑んだ。だが御前達の神は私の前に姿を現わしたか」
ヘブライの者達を見上げて問う。見上げてではあるが完全に彼等を圧倒していた。これこそが王の威厳なのであろうかと思わせるものであった。
「どうなのだ?」
それをザッカーリアに問う。
「答えてみよ」
「神を愚弄するというのか」
だがザッカーリアはそれには答えずに顔を真っ赤にさせるだけであった。
「その不遜さ、許せぬ」
「私を不遜と言うか」
ナブッコはそれにも動じはしない。
「もう一度言おう。娘を放せ」
これは勧告であった。
「放せばそなたの愚行も許そう」
「私を愚かだと言うのか」
「そう言わずして何と言う」
その言葉は決してぶれはしない。
「武器を持たぬ娘に刃を向けてまで生き残ろうというのだからな」
「そうだ!」
「御前達に恥はないのか!」
バビロニアの兵士達も次々に彼とヘブライの者達を批判する。
「答えろ!」
「どうなのだ!」
「しかし」
アビガイッレはその中で一人呟いていた。
「ここでフェネーナが死ねばあの人は私のもの」
そして次にイズマエーレを見上げた。彼は暗い顔で同胞達を見ていた。そこには何か思案あるようであった。
「どうなるのか」
「放せばよい」
ナブッコはまたザッカーリアに対して言った。
「どうなのだ?」
「バビロニア王よ」
ここでイズマエーレが彼に問うてきた。
「むっ!?」
「あの人が」
ナブッコとアビガイッレは彼の言葉にそれぞれ顔を向けた。
「ヘブライ人の命は保障するのだな」
「私は嘘は言わぬ」
ナブッコは彼を見上げてそう宣言した。
「ここで誓おう。娘さえ放せばヘブライの者達全ての命は助ける」
「本当だな?」
「私とて王だ」
ナブッコは言い切った。
「一度誓ったことは破らぬ。そなた達も聞いたであろう」
「はい」
「今ここに」
兵士達もそれに答えた。
「俺達も言うぞ!」
そして彼等もヘブライ人に対して叫んだ。
「我等バビロニアの誇りにかけて!」
「王女様を放せば御前達に危害は加えない!安心するのだ!」
「そうか、わかった」
イズマエーレはそれを聞いて頷いた。そしてザッカーリアの側に駆け寄った。
「祭司長、私達は助かります」
「だからどうだというのだ」
しかしそれに対する彼の返事は絶望的なものであった。
「えっ!?」
「だからどうだというのだ。今この娘の命はこちらにあるのだぞ」
「しかしですね」
「聞け、将軍よ」
彼は言う。
「この娘は異教徒の娘だぞ。殺しても構わないではないか」
「異教徒だからですか」
「そうだ」
ザッカーリアの言葉に迷いはない。
「充分な理由ではないか」
「そうだそうだ」
「異教徒には死を」
ヘブライの者達も口々に言う。
「それで我等が助かるのなら」
「それでいいではないか」
「それは違う」
だがイズマエーレはそれを否定した。
「ここは彼女を害してはならない。何があっても」
「何故だ?」
ザッカーリアはそれに問うた。
「何故それを言う」
「わからないのですか、バビロニア王の言葉が」
彼はこの時フェネーナを想う気持ちと同胞達を思う気持ちの二つがあった。
「ですからここは」
「ふむ」
ナブッコはそんな彼を見てその目をさらに光らせた。
「ヘブライの者達にも考えの及ぶ者はいるようだな」
「そうですね。やはり」
アビガイッレはそれに応えると共に呟いた。
「彼は私にこそ」
「どうした?」
「いえ」
だがそれは父に対しても伏せた。秘めた想いであったのだ。
「何もありません」
「そうか。それでは」
「はい」
「娘を助けよ」
ナブッコはヘブライの者達に対してまた言った。
「さすれば命は助けてやる」
「それでは」
イズマエーレはこれで完全に意を決した。
「フェネーナ」
ザッカーリアの手から彼女を奪い取った。そして自分の後ろに保護した。
「これでよし」
「貴様、何をしたのかわかっているのか」
ナブッコとザッカーリアはそれぞれ声をあげた。ナブッコは安堵し、ザッカーリアは憎しみに燃える目でイズマエーレを見据えていた。
「その娘は」
「わかっているからです」
イズマエーレは答えた。
「だからこそ私は」
「よし、誓い通りだ」
ナブッコはここで言った。
「ヘブライの民には手を出すな」
「はい」
兵士達はそれに頷く。
「向こうが手を出さない限りはだが。わかったな」
「わかりました」
「それでは王よ」
「そうだ、そのかわり財宝は我等のもの」
ナブッコは今ここに宣言した。
「神殿の中にあるものは全て我等のものだ」
「おおっ!」
「ようやく富が我等の手に!」
「イズマエーレ!」
バビロニアの兵士達の歓喜の叫びの中でヘブライの者達はイズマエーレを睨み据えていた。憎悪に燃える目で彼を見ていた。
「何ということをしてくれた!」
「おかげで神殿は」
もう兵士達が雪崩れ込んでいた。しかし誓い通りヘブライの者達には危害は加えていない。流石は大国バビロニアといったところであろうか。彼等には誇りがあった。
「神殿はなくとも命があれば」
だが彼は言う。
「きっと我等は」
「何を言うか!」
だがザッカーリアはその言葉を頭から否定する。
「神殿がなければ我等は」
「それは違います」
そんな彼にもイズマエーレは反論した。
「それは・・・・・・」
「ヘブライの者達に関しては」
アビガイッレは次々に持ち運ばれる神殿の財宝を眺めながら父王に尋ねてきた。
「如何なされますか」
「バビロンに連れて行く」
言わずと知れたバビロニアの首都である。栄華を誇る大都市である。
「よいな」
「はい」
(それでは彼は)
アビガイッレは答えながら心の中で呟いていた。
(私のもの)
「終わりだ!全ては終わりだ!」
神殿に火が点けられヘブライの者達は嘆き叫ぶ。
「ヘブライは滅んだ!」
「ではバビロンに戻るぞ」
ナブッコの声が響き渡る。
「勝利を讃えよ。バビロニアの勝利を」
「この滅亡と裏切り者を決して忘れはせぬ!」
ナブッコとザッカーリアが神殿の上と下で同時に叫ぶ。
「都まで凱旋だ」
「この虜囚を!この辱めを!」
燃え盛る神殿を後ろに歓声と嘆きが響き渡る。こうしてエルサレムは陥落しヘブライの者達はバビロンに連行されるのであった。
一つの国を侵略し、捕虜として自国へ。
美姫 「この先、どうなるのか全く分からないわね」
ああ。王よりも、その娘二人とイズマエーレという将軍が一番目立っていたな。
本当にどう展開されていくんだろか。
美姫 「次回も待っていますね」
待ってます。