『マノン=レスコー』




                          第三幕  港にて


 ル=アーブルの港。ここから囚人達が新大陸の植民地へと流刑にされる。かつては植民地は流刑地であった。それはこの時代のフランスでも同じであった。
 皆項垂れた顔で牢になっている車の中にいる。男と女は分けられている。暗い天の下に大きく冷たい感じの船が一隻ある。それは鉛色の海に浮かんでいた。まるで幽霊船のように。
 その船の近くに二人の男がやって来た。デ=グリューとレスコーであった。
「ねえレスコー」
 二人は質素な身なりで目立たないようにしている。その中でデ=グリューがレスコーに声をかけてきた。
「ここだよね」
「そうだ」
 レスコーは彼の言葉に答えた。
「間違いないよ、ここだ」
「そうか、遂にここまで来たんだ」
 デ=グリューはその言葉を聞いて感慨に耽った。
「マノン、遂に僕は君を」
 彼等は囚人扱いとなり流刑地に送られるマノンを助け出す為にここに来たのだ。あれからマノンはジェラントにさらに悪態をつき怒った彼により囚人にされ流刑となったのである。二人はその話を聞いて今ここに来ているのである。
「だがな」
 ここでレスコーが彼に言う。
「気をつけるんだ、いいね」
「怪しまれないようにか」
「そうさ。見るんだ」
 ここで周囲を指差す。
「ここは軍港でもあるからな。兵隊だっている」
「確かに」
 彼等が流刑地へ行く船の周りにいる。遠くには軍艦もある。デ=グリューはそれを見て気を引き締めさせる。
「手は打った」
「どうしたんだい?」
「次に当直になる兵隊にお金を握らせた。彼の手引きで」
「マノンの側まで」
「そうだ、いいね」
「うん」
 レスコーの言葉に頷く。
「けれど。待ち遠しい」
「焦ってはいけない」
 レスコーは友人として彼に注意した。
「マノンにももう伝えられている。だから」
「落ち着いていけばいいんだね」
「そうさ。それに僕達だけではないしね」
「というと?」
 デ=グリューはレスコーのその言葉に問うた。
「まさか二人でどうこうするわけじゃないだろう」
「いや、そうじゃなかったのかい」
「まさか」
 レスコーは笑ってそれを否定した。
「仲間達を呼んである。彼等の助けでね」
「そうか。それなら」
「大丈夫だ。いいね」
「うん、わかった」
 彼の言葉に頷く。
「それじゃあ」
「そうさ。ほら、交代だ」
 兵士達の方を指差す。
「これで大丈夫だ。じゃあ行くよ」
「マノンのところまで」
「そう、マノンのところまでだ」
 レスコーは彼の言葉に頷く。
「もうすぐだ。では行こう」
「わかったよ」
 デ=グリューは彼の言葉に応える。そしてレスコーが手を掲げると兵士はいなくなった。二人はその間に牢になっている車のところまでやって来た。マノンはそこにいた。
 彼女はやけに厳重な一両の車の中にいた。檻の中で悲しい顔をしている。かつての晴れやかな笑顔は何処にもなくみすぼらしい有様で粗末な服を着ていた。化粧もなく髪は乱れその姿はまさに囚人のそれであった。
 しかしデ=グリューにはわかった。すぐに彼女に声をかける。
「マノン」
「デ=グリュー?」
 俯いていたマノンはその声に気付き顔を上げる。その顔は本当に悲しげなものになっていた。自業自得であるかも知れないがその顔はそれでも悲しいものであった。
「そう、僕だ」
 デ=グリューはマノンのいる車のところまで来て答える。
「来たよ」
「本当に来てくれたの」
 マノンは夢を見ているかのような声をあげた。
「まさかとは思っていたけれど」
「忘れる筈がない」
 デ=グリューは彼女の顔を見てそう返す。
「そして見捨てる筈がないじゃないか」
「有り難う・・・・・・」
 マノンはその言葉を聞いて言う。
「私なんかに」
「沈むことはない」
 レスコーもやって来て声をかける。
「もうすぐなのだから」
「お兄様」
「もうすぐだ」
 レスコーがここで言った。
「仲間達と一緒に。そうすれば御前は」
「デ=グリューと一緒に」
「そうだ、一緒になれる」
 兄は答える。
「だから。もう少しだ」
「ええ、わかったわ」
 マノンは力なくその言葉に頷いた。
「それじゃあ」
「ではデ=グリュー」
 レスコーはデ=グリューに声をかけた。
「行って来る。すぐに戻るから」
「うん」
 デ=グリューはそれに頷く。こうしてレスコーは去り二人だけとなったのであった。
 デ=グリューはあらためてマノンと向かい合う。マノンは彼に対して言う。
「大丈夫かしら」
「君の兄さんじゃないか。絶対に大丈夫だよ」
 そう言って不安にかられる彼女を宥める。しかしそれは効果がなかった。
「けれど」
「大丈夫だ、君は助かる」
 そんな彼女にまた言った。
「そして今度こそ僕と」
「貴方と」
「うん、一緒に暮らそう」
「そうね、私やっとわかったわ」
 マノンは力ない笑顔で述べてきた。
「本当に大切なものが。それは宝石でもお屋敷でもなく」
「それは」
 デ=グリューがそれを聞こうとする。しかしここで突如として銃声が聞こえてきた。
「!?」
「何っ、一体」
 デ=グリューは思わず腰の剣を抜いた。マノンもぎょっとする。驚く彼等にのところにレスコーが駆けてきた。彼もその手に剣を持っている。
「済まない、失敗した」
「失敗したって!?」
「仲間達が見つかったんだ。それで今追い散らされた」
「じゃあ今の銃声は」
「そうだ」
 レスコーは答える。
「それじゃあ」
「もう無理だ」
 首を虚しく横に振ってデ=グリューに答える。
「何もかもが」
「そんな、マノン・・・・・・」
「いいわ、それでも」
 マノンは悲しい微笑みを浮かべてそれに頷いた。
「それが運命なら。デ=グリュー」
 彼に声をかけた。
「私なんかの為に有り難う。だから逃げて」
「しかしマノン」
「もういいの。このままだと貴方まで」
「そうだ」
 レスコーも言う。
「皆逃げてしまった。だから僕達も」
「いや」
 しかし彼は首を横に振る。そして言うのだ。
「僕は残る。何があっても君を救い出すんだ」
「無理よ、もう」
 マノンはそれを否定する。牢の中で。
「だから早く」
「いや、それでも僕は諦めない」
 彼も引き下がらない。何としてもマノンを救い出すつもりであった。
「だから君を」
「いいんだな」
 レスコーが彼に問うてきた。
「それで」
「ああ、構わないさ」
 彼は言った。
「決めたから」
「わかった」
 レスコーはその言葉に頷いた。
「じゃあ僕も最後まで残ろう、いいな」
「レスコー」
「お兄様」
「元はと言えば僕が余計なことをしてしまったせいだ」
 マノンをジェロントのところへやったことである。それを今悔いているのだ。
「だからこうなったら」
「済まない」
「いや、いい」
 デ=グリューにそう返す。
「だから」
「うん」
 二人は頷き合う。それからマノンに二人で顔を向けた。
「最後まで諦めないから」
「きっと」
「有り難う・・・・・・」
 彼女は牢の中で泣き崩れた。今になってようやく二人の心がわかったのであった。そのことが何よりも有り難いということを。今になって知ったのであった。
 船の周りに市民達が集まって来る。そろそろ時間であった。デ=グリューとレスコーはその中に入って紛れ込む。マノンは牢から出され引き立てられて行った。
「静粛に」
 船の前には普段レスコーが着ている軍服と同じものを身に纏った男がいた。それを見ると彼が下士官、それも軍曹であることがわかる。
「もうすぐ船長が来られるからな」
 すると右手から水夫達を引き連れた立派な服の男が現われた。その服から彼が船長であることがわかる。いよいよであった。
「よし、いいぞ」
 将校が一人軍曹のところに来て声をかけた。
「囚人を読み上げてくれ」
「わかりました」
 軍曹はそれに頷く。そうして点呼をはじめた
 デ=グリューとレスコーは群集の中に紛れ込んでいる。その中でまだ機会を窺っていた。
「きっと」
 デ=グリューは決死の顔でマノンを見ている。
「助け出す」
「君はどうなってもいいのか?」
 横からレスコーが囁いてきた。
「どうなっても」
「構わない」
 彼の決意は変わりはしない。それは声の強さにはっきりと現われていた。
 市民達は興味本位で囚人達を見ているその中には当然マノンもいる。
「色々いるな」
「そうだな」
 彼等は完全に他人事だ。その顔でマノンも見ている。マノン相変わらず打ちひしがれた顔をしている。
「あの娘なんかまだ若いのにな」
「一体何をしたのか」
「愚かなだけたった」
 レスコーは彼等の話を聞いて一人俯いた。そのうえで述べた。
「それだけだったのだが」
「それは罪になるのか」
「時と場合によってはな」
 答えるレスコーの言葉には無慈悲とさえ言える現実味があった。それはデ=グリューの耳にもはっきりと入った。
「そしてあの時がそうだった」
「そのせいでマノンは」
 囚人達は今も次々と名前を呼ばれていく。強気でいる者が大抵だ。マノンだけが打ちひしがれていると言って過言ではない。マノンは罪を被せられ今己の愚かさを後悔している。しかし他の者達は実際に何かの罪を犯しておりそれへの覚悟もしている。そうしたことがマノンと彼女達を分けていた。
「ああなったんだ」
「なあ若い人」
 デ=グリューの辛い声を聞いた老人が彼に顔を向けてきた。
「あんた、何があったんだ?さっきから泣きそうな声で」
「そうだな。あの囚人達に誰か知り合いでもいるのかい?」
「それは」
「それについては僕がお話しましょう」
 レスコーが彼等に応えてきた。そっとデ=グリューを庇う。
「あそこにいる白い髪の少女」
「彼女か」
「はい」
 マノンを指差したうえで答える。
「彼は彼女の恋人でした。しかし年老いた老人に彼女を奪われ」
「何と」
「悪い奴がいるものだ」
 市民達はレスコーの話を聞いて怒りの声をあげる。ここでレスコーは話を粉飾しているがそのことには気付かせない。あくまで真剣に事実であると自分にも言い聞かせて語っていた。
「彼は彼女を取り戻そうとしましたが老人は彼女に罪を着せ」
「ああなってしまったと」
「そうなのです。酷いと思われますか」
「実に酷い」
「そんなことが本当にあったとは」
 皆レスコーの真剣さを装った演技に引っ掛かった。レスコーは心の中でそれを喜びながら話を通d蹴る。このまま行かなければと思いながら。
「そう思われますね。ですから」
 彼は言う。
「是非彼にお力を」
「わかった。若いの」
 老人がまずデ=グリューに声をかけた。
「何かしてみろ」
「わし等がついているぞ」
 他の市民達も声をかける。
「何かを」
「そうだ。彼女が好きなんだろう?」
 顔を向けてきたデ=グリューに声をかける。
「それならだ」
「勇気を出してな」
「勇気を」
「君の思うことをしてみるんだ」
 レスコーがここで彼に声をかける。
「人生最大の勝負だ。いいか」
「勝負なのか。そうだね」
 デ=グリューはその言葉に頷く。
「それなら」
 彼は顔を上げた。そして市民達から離れて軍曹とその後ろに並ぶ囚人達のところに向かった。そこには言うまでもなくマノンもいた。
「デ=グリュー」
「マノン、僕は決めたよ」
 彼はマノンに対して言った。毅然とした声で。
「僕は君を失わない。だから」
「待て」
 軍曹が前に出て来た彼に声をかけてきた。さっと彼の前に移った。
「何をするつもりだ」
「彼女と一緒に」
 マノンを見据えて言う。
「彼女と一緒にいる。それだけです」
「馬鹿を言うんじゃない」
 軍曹はそう述べて彼を止める。
「この女はこれから流刑地に送られるんだぞ。それでどうして」
「構いません」
 彼はそれでも迷わなかった。
「僕はどうなってもいいです。ですから彼女と一緒に」
 軍曹はそれでも彼を行かせようとしない。しかし腰の剣に気付いた。
「待て」
「何か」
「失礼ですが貴方は貴族ですか?」
「一応は騎士です」
 そう返した。
「レナート=デ=グリューです」
「騎士殿ですか。ではあらためてお話します」
 態度をあらためて来た。貴族は軍では皆将校である。だから軍曹は姿勢をあらためて彼に接してきたのである。しかしその言葉は変わりはしなかった。
「諦めて下さい。宜しいですね」
「どうしてもですか」
「そうです」
 彼は毅然として述べる。
「何があっても」
「そこを何とか」
 デ=グリューも引かない。一歩前に踏み出してきた。
「お願いします」
「無理です」
 それでも軍曹は引かない。
「おわかり下さい」
「おい軍曹さんよ」
 軍曹の態度を頑固だと受け取った市民の中の一人が彼に対して言ってきた。
「けちけちするなよ」
「そうだよ、彼は恋人と一緒にいたいんだろ」
「じゃあ許してやれよ」
「しかし」
 それでも彼は引かない。軍人としての心が彼にはあった。
「それでもいけません」
「一体何の騒ぎだ?」
 市民達の声が大きいのを聞いて船長が船から出て来た。そして軍曹に問うてきた。
「随分騒がしいが」
「あっ、これは船長」
 軍曹は船長に身体を向けて敬礼した。
「実はこちらの騎士殿が囚人の一人と流刑地に行きたいと仰っていまして」
「君がか」
 船長は桟橋から港に降りてきた。そのうえでデ=グリューに声をかけてきた。
「そうです、僕です」 
 デ=グリューは毅然として彼に応えて述べた。
「流刑地に行きたいというのか?」
「そうです」
 彼は答える。
「彼女と、マノンと一緒に。お願いします」
「馬鹿なことを」
 船長は彼の言葉を聞いて溜息と共に首を横に振った。
「植民地はあまりにも過酷だ。原住民もいるし常にイギリスが狙っているというのに」
 それは当時のアメリカであった。独立していないのは言うまでもなくイギリスとフランスの対立もそこにはあった。原住民、即ちネイティブ=アメリカンもいた。彼等はおおむねフランスには好意的であったがそれでも敵対する部族もいないわけではなかったのだ。当時のアメリカは全くの無法地帯なのであった。
「行っても命の保障はないぞ」
「それでも。構いません」
 しかしデ=グリューの決意は変わらない。
「ですから僕を彼女と一緒に」
「狂っている」
 船長はそんな彼に対して呆れて言った。
「全く以って狂っている」
「そう、僕は狂っているんです」
 デ=グリューはそう言い返す。
「ですからお願いします。どんな仕事でもします、ですから僕を彼女と一緒に」
「そうだそうだ」
 また市民達が言う。今度は船長に対して。
「船長さんお願いしますよ」
「その騎士さんに免じて」
「どうか彼を恋人と一緒に」
「ううむ」
 船長は彼等の話を聞いて難しい顔になった。そのうえでまたデ=グリューを見た。
「君は騎士なのだったな」
「はい」
 デ=グリューは答える。
「騎士に卑しい仕事はさせられない。しかしだ」
 彼は言う。
「丁度若い見習い士官が他の船に移ってしまってな」
 これは嘘である。彼は今咄嗟に嘘をついたのだ。
「欠員が一人いる。だから」
「では僕を船に」
「そうだ。だが船の生活は辛いぞ」
 デ=グリューを見て念を押す。この頃の船も航海も大航海時代よりはかなりましになっているがそれでも辛いのは変わってはいない。しかも新大陸までだからかなりのものである。しかも見習い士官といえば奴隷のようなものである。その苦労は半端なものではない。これは今でも変わりはしない。若い士官は船長にとってはまさに召使なのである。
「それでもいいな」
「構いません」
 デ=グリューはそれを苦にしようとしない。むしろマノンと共にいられるということに希望を持っていた。
「ですから」
「わかった」
 この言葉こそがデ=グリューが待ち望んでいたものであった。
「では君を見習い士官として船に入れよう。いいな」
「はい!」
 彼は飛び上がらんばかりに喜んで声をあげる。そのうえでマノンを見た。
「マノン、これで君とずっと一緒だ」
「いいのね、私で」
 マノンはデ=グリューに問う。流石に囚人なので駆け寄れはしない。
「私なんかで」
「君でなければ駄目なんだ」
 またこの言葉を口にする。そのうえでマノンを見る。
「だからこそ」
「有り難う」
 マノンはそう言って涙を流した。
「本当に有り難う」
「では見習い士官」
「はい」
 艦長の言葉に応える。
「すぐに乗船し給え。いいな」
「わかりました!」
「船長よくやった!」
「あんたも話がわかるね」
「私もフランス人だ」
 船長は市民達に粋を気取って応える。
「そういうことだ」
「これでいいか」
 レスコーは喜んで船に乗り込むデ=グリューとそれを見送るマノンを見て呟いた。
「どうなっても。彼等は後悔しないな」
 そう言ってその場を去った。だが彼は暫くしてデ=グリューと再会することになる。それは悲しい再会であった。



グリューの愛は凄いな。
美姫 「本当よね。でも、悲しい再会が待っていると言う事は……」
二人に何があったんだろう。
次回も待っています。
美姫 「待ってますね〜」



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る