『マノン=レスコー』
第二幕 虚しい再会
レスコーの予想通りになった。
マノンはやはり貧乏暮らしが苦手だった。軍の仲間達の協力を得て彼女の居場所を知った彼はデ=グリューがいない隙に彼女に甘い言葉をかけて易々とジェロントの下に連れて行った。彼女はそれでジェロントの愛人となった。彼女はジェロントの別邸の一つを与えられそこで暮らすようになったのであった。
ガラスの大きな窓がある。そして所々を白い絹のカーテンで飾っている。豪奢なソファーに椅子、テーブル、そして化粧机、全てロココの粋を集めたかのような豪奢なものであった。そこに白い部屋着を着たマノンがいた。彼女は憂鬱な顔で椅子に座っていた。
周りには従者達がいる。しかし彼女は彼等に対して言うのであった。
「休んでいいわ」
「わかりました」
彼等はその言葉を受けて部屋を後にする。彼等と入れ替わりにレスコーがやって来た。見ればフランス軍下士官の軍服を着ている。
「やあマノン」
「お兄様」
マノンは倦怠を漂わせた目で彼を見てきた。
「どうしたの、今日は」
「ああ、当直明けで来たんだけれどね」
彼はにこやかに笑ってそう答える。
「あまり機嫌はよくなさそうだな」
「よくはないわね」
自分でもそれを認める。
「だって」
「何かあったのか?」
「別にないわ」
そうは言っても不機嫌な顔は隠せなかった。椅子に肘をかけふう、と溜息をつくのであった。レスコーはその横に立って彼女に言うのであった。
「だったらいいがな」
「ええ」
「今の生活はどうだい?」
彼は妹に尋ねてきた。
「楽しいか?何でもある生活は」
「どうかしら」
しかしマノンの返事は今一つ晴れたものではなかった。
「そう見えるかしら」
「少なくともあの騎士殿との生活よりはいいだろう」
レスコーはそう述べる。
「実際に御前は貧乏暮らしを嫌がっていたじゃないか」
「それはね」
その言葉に頷く。
「本当に。あの時は嫌で嫌で仕方なかったわ」
「そら見ろ」
妹のその言葉にニヤリと笑ってみせてきた。
「そうだろ?やっぱりそういう生活が嫌なんだ」
「あの時はね」
どういうわけかマノンは今は、とは言わない。それが不思議であった。
「けれど」
「どうした?」
「いえ」
しかしそれ以上は言おうとはしなかった。
「何でもないわ」
「そうか。ならいい」
レスコーはそれ以上は聞こうとはしなかった。かわりにこう述べてきた。
「狭苦しいアパートよりも豪奢な屋敷、粗末な服よりもみらびやかなドレス。人がそれを求めるのは当然なんだ、だから俺は御前をここへ連れて来た。それは間違ってはいなかった」
「けれど一つ聞いていい?」
「何をだい?」
妹の言葉に顔を向けてきた。
「あの人は今どうしているのかしら」
「あの人とは?」
「いえ、いいわ」
しかし彼女は言いかけたところで兄から顔を背けた。そして俯いてしまった。
「いや、わかった」
「わかったって。兄さんは私のことなんか」
「おい、馬鹿にするな」
だが兄は言う。
「俺はずっと御前と一緒にいたんだ。だからわかる」
「じゃあ言わなくてもいいわね」
「ああ、それでいい」
俯いた妹に対して述べる。
「彼ならな」
「今どうしているの?」
「元気にしている」
「本当に!?」
不安げな顔だが顔を上げてきた。
「ああ。それは大丈夫だ」
「そうなの」
その言葉を聞いて少しほっとしたようであった。
「だったらいいわ」
マノンはそう言った上で述べるのであった。
「別れの言葉もなかったし。彼は優しくて誠実だったから」
「そうだな」
レスコーもその言葉に頷く。
「彼はいい奴だ」
「知ってるの?彼のことを」
「あの後だ、俺は彼と会ったんだ」
レスコーは真面目な顔でマノンの顔を見据えて述べる。その目は決して嘘をついているものではなかった。
「そうしたらな。彼は泣いていたよ」
「泣いていたの」
「ああ、修道院の前でな。彼は元々神に仕えようとしていたから」
「そうだったの」
マノンはそれを聞いてまた俯いてしまった。
「私のことを想って」
「御前のことしか考えていない。修道院に入るのを止めてそれからも何度か会った」
兄はさらに語る。
「マノンのことだけを考えている、他の女性には目もくれようとはしない。あんなに一途な男はいないな」
「そうよね。けれどあの人はもう」
「いや、彼は今必死になっている」
「どういうこと?」
「俺が遊んでばかりなのにどうしてお金に困っていないと思う?」
ここで彼は思わせぶりに妹に語ってきた。
「それはわかると思うけれどな」
「ギャンブルでしょ」
マノンは一言そう述べた。
「兄さんは昔から運と勝負事は凄かったから」
「そういうことさ。彼にそれを今教えている」
レスコーの目が光った。
「それでさ。彼は今それでお金を作っているんだ。じきに大金持ちになるかもな」
「お金を」
「御前の為にな。今必死になっている」
「あの人がそうやって」
「そうだ、御前の為にだ」
その言葉を繰り返した。
「わかったな」
「ええ」
兄の言葉に頷く。
「裏切った私の為にそこまで」
「彼は勝つ」
レスコーは断言してきた。
「何があってもな」
「何があっても」
「ああ、だから安心しろ」
妹をまた見据えてきた。
「彼に関してはな」
「わかったわ」
マノンは兄の言葉に頷いた。そこに急に物々しい一団が部屋に入って来た。レスコーは彼等の姿を認めてマノンに問うてきた。
「この人達は?」
「歌手の人達を。私に曲を提供してくれるの」
「そうなのか」
「ええ。中々いいから聴く?」
「そうだな。音楽は嫌いじゃないし」
むしろ結構好きな方だった。だから受けることにした。
「じゃあ一緒に」
「ええ」
レスコーは妹と共に曲を聴くことにした。はじまる前にマノンが言ってきた。
「この曲はね」
「どうしたんだい?」
「ジェロントさんが作詞と作曲をしたの」
「あの人がかい?」
「ええ。あれで結構音楽が好きらしいのよ」
「そうだったのか」
ジェロントは彼の意外な趣味を聞いて内心少し戸惑いを覚えた。
「人は見掛けによらないっていうか」
「そうね。ほら、はじまったわ」
演奏と共に曲がはじまった。それはマドリンガルであった。
「君が流離う山頂に僕は行き、そして君の花の如き唇と泉のような瞳を見つけ出す」
「ふむ」
レスコーはそこまで聞いてまずは呟いた。
「悪くはないかな」
「そうでしょ?まだあるわよ」
「風に乱れる君の髪のいみじき美しさと百合のような白い胸元。僕は風笛と共に君に祝福を贈りたい、ようやく見つけ出した君に対して」
それで歌は終わった。レスコーは最後まで聞いて拍手をした。
「お見事です」
歌手と演奏者達に対して言う。
「有り難うございます」
「中々いいでしょ」
「そうだね。だがマノン」
ここでレスコーは妹に注意してきた。
「拍手をしないのかい?よかったじゃないか」
「それでも何回か聴いているから」
彼女は退屈そうな様子でそう述べてきた。
「今更」
「やれやれ」
妹のその言葉を聞いて溜息をつく。
「困ったものだ」
「いいことはわかっているけれど」
「退屈なのかい?」
「そうなの」
目を落として言う。
「やっぱり彼が」
「わかった」
仕方なさそうにそれに応えた。
「今彼が何処にいるかわかっているから。少し待っていてくれ」
「彼を呼んでくれるの?」
「そうさ」
彼は答える。
「だから少し待っていてくれ。いいね」
「ええ」
レスコーは去った。すると入れ替わりのようにジェロントがやって来た。歌手や演奏者達はそのままに今度は何か口煩そうな者達を連れて来ていた。
「やあマノン」
レスコーはにこやかに笑ってマノンのところにやって来た。そして声をかける。
「元気そうだね」
「ええ。元気なことは元気だけれど」
けだるい声で彼に応える。
「それでもね」
「まあまあ」
そんな彼女を宥める。
「踊りのレッスンの時間だよ」
「今日は脚が痛くて」
「ふむ、それなら」
ジェロントはそれを聞いて目をしばたかせた。そのうえで隣にいる口煩そうな者達に対して述べるのであった。
「ではあれを」
「はい」
彼等はそれに応えると一冊の分厚い本を出してきた。ジェロントはそれを受け取るとそれをマノンの前に差し出してきた。マノンはその本を見て問う。
「何ですの、これは」
「メヌエットに関する本だ。たまには読んでみるといい」
ジェロントはそう述べる。
「踊りって身に着けるだけじゃないの」
「身体で覚えるの半分しかわかったことになりません」
口煩そうな者達のうちの一人が答えてきた。彼は舞踏の教師である。この時代のフランスの芸術は何事も異様なまでに細分化、複雑化、儀式化しておりメヌエットにもこうした辞書のような本が出ていたのである。この辺り、いやルイ十四世の頃からフランス人というものはやけに物々しく自分達を芸術の中心のように考えるようになっていたのである。なおルネサンスの時は単なる田舎者であった。
「頭でも覚えてこそ完璧なのです」
「こんな分厚い本を」
「私はその本の隅から隅まで暗唱できますが」
「いや、それは中々」
そのフランス文化に染まっているジェロントはその話を感心して聞いていた。
「見事だ。やはりフランスはこうではなくてはな」
「はい。私達はイギリスやオーストリアとは違うのです」
どちらもフランスの宿敵だ。敵に困ったことのない国でもある。
「いいね、マノン」
ジェロントはあらためて彼女に言う。
「それを全部読んでおくんだ」
「ええ」
答えはしたが内心かなりうんざりしていた。
「わかったわ」
「それをお渡しすれば今日は何も」
「左様ですか。それでは」
「はい」
教師達は去った。そして後はジェロントだけになった。彼は誇らしげな顔でマノンに対して言うのであった。
「その本は貴重なのだよ」
「メヌエットって踊るだけじゃなかったの」
「何を、随分と奥が深いのだよ」
奥が深いのは事実だ。掘り下げたのはフランス人だ。
「その本だけではないしな」
「他にもあるの?まさか」
「いや、メヌエットはそれだけだ」
「そうなの」
それをきいてほっとしたがそれは一瞬でしかなかった。ジェラントはさらにとんでもないことを述べてきた。
「それぞれの踊りについて書かれている」
「えっ」
マノンはそれを聞いて顔を変えた。
「それって本当!?」
「本当だとも。我がフランス人の踊りへの関心はだね」
「それは知っているわ」
たまりかねて言う。それ以上聞きたくなくなった。
「だから後で」
「わかったよ。では今日の贈り物は・・・・・・おや」
ここで彼は辺りをしきりに見回してきた。
「あれっ、何処へ行ったか」
「どうしたの?」
「いや、今日の贈り物にエメラルドのブローチを持って来たのだがね」
彼は言う。
「忘れてきたか」
「エメラルドを」
「ああ、ちょっと済まない」
結局見つからなかったのでマノンに対して言う。
「取りに帰る。では暫し」
マノンの手に接吻して立ち去る。やけに急いだ様子であった。
「エメラルド」
マノンは宝石の名を呟いた。
「そんなものより今は」
けだるい顔をまたして窓を見上げる。そこに彼がやって来た。
「貴方・・・・・・やっと来たのね」
「君の兄さんに案内されてね」
その彼、デ=グリューはマノンを咎める目で見ていた。
「また私と一緒に」
「あの時僕がどんな気持ちだったと思う?」
デ=グリューはマノンに問うてきた。
「裏切られた僕が。どんな気持ちだったか」
「もう愛しては下さらないの?」
「一体どうしたらそんなことが」
怒りが高まってきていた。
「僕を裏切って彼のところに逃げたのに」
「悪いと思っているわ」
「嘘だ」
その言葉を否定する。
「君はそうなんだ、いつもそう言って」
「そう、私は不実な女」
一旦顔を背けて言う。
「けれどそれでも貴方を」
「愛しているとでも言うのか」
「そうよ。それはいけないの?」
「僕は修道院に入ろうかと思った」
彼は忌々しげに述べた。
「そこで全てを忘れようとさえ思った。そんな僕に対して君は」
「ですから私は」
「嘘だっ」
また彼女の言葉を否定した。
「君はまた僕は」
「どうしても信じて下さらないのね」
「裏切られた人間なら誰だってそうだ」
彼はそう言い返す。
「誰だって。特に僕は」
「けれど貴方を愛しているのはもう聞いている筈よ。お兄様から」
「彼からも聞いてはいる」
その言葉はまずは認めた。
「だがそれでも僕は」
「どうしても許して下さらないの?」
「誰が。そんなことを」
マノンから顔を背ける。
「戯言ばかりで」
「けれど本当に私は」
「口だけだ」
その言葉も否定する。
「君はいつもそうだった。僕を騙して」
「では私が貴方のことだけを考えていたのは」
マノンはその彼に問う。
「忘れたの?」
「それは」
マノンとの懐かしい日々を思い出した。すると彼は急に声を弱くさせた。
「忘れていないわよね」
「忘れたい」
忘れられないのを今認めた。
「だけれどそれでも」
「お兄様からも聞いている筈ですわ」
「ああ、それでも僕は」
「愛して下さらないの?もう」
離れていても言葉は届いた。
「もう二度と」
「いや、それは」
デ=グリューはそれ以上言えなかった。
「それは・・・・・・」
「でしたらまた」
「しかし君は僕を裏切った」
口では批判する。しかし。
「僕は君を」
「ぶつのですか?」
「いや」
彼はそのような男ではない。それに今の彼にはマノンはもうあがらえないものになっていた。その魔性の魅力に囚われてしまっていた。だから。
「私と一緒に」
「君と一緒に」
「そうです、また」
彼女は語り掛ける。
「二人で」
「わかった」
デ=グリューはその言葉に頷いてきた。
「ではまた君と」
「こうして」
再び抱き合った。デ=グリューは遂に陥落したのであった。
「マノン、やっぱり僕は」
「私も」
二人は抱き合ったまま言い合う。
「君なしではいられない。だから」
「ええ。私も」
「こうして何時までも一緒に」
「貴方に口付けを」
「また僕にキスをしてくれるのかい?」
デ=グリューはその言葉に問うた。
「昔のように」
「はい、今も昔も」
マノンはそれに応えて言う。
「これからも。ずっと」
「僕は永遠に君のものだ」
その言葉を聞いて思わず言った。
「だから君もまた」
「ええ。私は貴方のもの」
マノンもそれに応える。
「ですから」
そのまま唇を合わせる。深い口付けであった。それが終わった時扉が開いてジェロントが部屋にやって来た。
「幾ら何でもそれはないのではないのかね」
彼は部屋に入るとそう言ってマノンを咎めてきた。
「私もわかっている。パトロンはどんなものかは」
愛人は複数いるのが当然であった。この時代の貴族にとって結婚はビジネスでしかなかった。不倫は当たり前であった。ルイ十四世もルイ十五世も生涯に多くの愛人を持っていた。マリー=アントワネットは男女関係に事の他厳格なマリア=テレジアを母に持っておりフランスの宮廷に入った時国王に堂々と愛人がいたので激怒した程だ。なおこの愛人はルイ十五世の最後の寵妃であるでュ=バリー伯爵夫人である。奇しくも彼女の最期はマリー=アントワネットと同じく断頭台でということになってしまっている。
だからジェロントはそれには怒ってはいない。問題はだ。
「よりによってここで。しかも」
自分が捨てたデ=グリューと自分が用意した部屋で。流石にこれは気分を害するに値するものであった。
「これはないのではないのかね」
「あら。でしたか」
マノンは勝気な様子でこれに返してきた。
「気にされなかったらいいではありませんか」
「よくそんなことが言えるものだ」
その言葉がかえってジェロントを怒らせた。
「私に対して」
「私が愛しているのはデ=グリュー」
「それもいいでしょう」
それもまだ彼の許容範囲であった。愛人だからまあよいとしているのだ。浮気は。
「しかし。ここでそれをされるとはね」
「ではどうされるのですか?」
マノンは余裕に満ちた顔で彼に対してまた言い返した。
「貴方は」
「退散するとしよう」
まずは引き下がることにした。しかしだ。
「しかしまた会った時は」
「また会った時は」
「少なくともここでは会わないことを祈ろう。では」
そのまま姿を消した。デ=グリューは彼が何故部屋を去ったのかわかっていた。だからすぐにマノンに顔を向けて言うのであった。
「すぐにここを去ろう」
「どうして?」
「わからないのかい?彼は警官を呼びに行ったんだ」
「警官を」
「そうだ。今逃げれば問題はない」
彼は言う。
「けれど捕まったら」
「そうなの」
「何を言っているんだ、彼は本気だ」
マノンの危機意識のなさに呆れながらも述べる。
「だから早く」
マノンの手を取って去ろうとする。しかし。
「待って」
彼女はここで辺りを見回す。そして宝石やらを集めだしたのだ。
「これだけは持って行かないと。あとこれも」
「そんなものはどうでもいいじゃないか」
「どうでもよくはないわ」
しかしマノンはあたふたと宝石を集めて次々に小箱に入れていく。
「これだけのものなんてそうそう手に入らないから。これだって」
「マノン、また君は」
デ=グリューはそんな彼女を見て嘆いて言う。
「馬鹿なことを。そんなものどうでもいいじゃないか」
「よくはないわ」
しかしマノンは自分の考えを優先させた。
「だってこんな綺麗なのに」
「そんなものに目を晦まさせられて何もかも失うのかい?僕はそんな君の為にどんな目に遭ってもどんな慣れないことをしても君のことを思っているのに。それなのに君は」
「それでも」
「同じだ」
彼は嘆いて言い捨てた。
「いつもいつも。そしてまた」
「おい、大変だぞ」
そこへレスコーがやって来た。
「お兄様」
「レスコー」
二人は同時にレスコーに顔を向けた。彼は肩で息をしながら二人に言う。
「ジェロント卿がこちらに向かっている。警官を大勢引き連れてな」
「やはり」
デ=グリューはそれを聞いて言った。
「じゃあ」
「裏口から逃げるんだ」
レスコーは二人に対して叫んだ。
「早く。一旦逃げれば後は知らぬ存ぜぬで通せる。ジェロント卿もそこまでは考えていない。けれど捕まったら」
「そうだ、だから」
デ=グリューはマノンにまた言う。
「早く逃げよう」
「待って、もう少し」
「おい、捕まったら終わりなんだぞ」
レスコーも妹に対して言った。
「それなのに御前は」
「そうだ、だからマノン」
「だからもう少し」
「もうそこまで来ているのに」
レスコーも必死である。
「まだ御前はわからないのか」
「じゃあ手伝って」
やはりマノンはわかっていなかった。
「こっちだって急いでいるのよ」
「そんなものは後でどうにでもなる」
兄はまた言った。
「けれど捕まったら」
「そうだマノン、僕もレスコーもお金なら幾らでも作られる」
博打で、というわけである。実際に二人はそれで生きているといっても過言ではなくなっている。デ=グリューもかつての彼ではなくなっていた。
「だから早く」
「けれどこれは」
それでもマノンは聞き入れない。まだ宝石箱を出している。
「これだって」
サファイアにダイア。まだまだあった。
「それにこれも」
そしてルビー。珊瑚も真珠もある。
「これだって」
「ほら、もう窓に見えてきた」
レスコーが窓を見て言う。
「今しかないんだ、早く」
「マノン!」
「わかったわ」
宝石箱を全部持ってからようやく応えてきた。
「じゃあ今から」
「馬鹿!」
扉から行こうとする妹を叱った。
「もうそこからじゃ無理だ、こっちだ」
「そっち?」
「そうだ、裏口からだと言っただろう」
兄は焦る顔で妹に語る。
「早くするんだ、だから」
「え、ええ」
レスコーは妹を奥に行かせてその間に部屋の扉に鍵をかける。といってもこれは気休めにしかならない。それは彼もわかっている。
「早く!」
レスコーは扉の向こうの大勢の足音を聞いていた。それを聞いて青ざめる。
マノンはまだあたふたとしている。今鍵が開く音が聞こえてきた。終わったと思った。
「駄目だ・・・・・・」
扉が開けられた。そこにはジェロントが大勢の警官を連れて立っていた。ジェロントは呆気に取られその場に崩れ落ちてしまったマノンを見て言ってきた。
「まさかな」
彼はそのヘ垂れ込むマノンを見て呟くようにして言うのであった。
「まだ残っていたとはな。だがいい」
「あああ・・・・・・」
「捕らえてくれ」
「わかりました」
警官達が彼に頷く。そしてマノンの左右にやって来た。
「さあ、こっちだ」
「来い」
彼女を立たせて引き立てていく。ジェロントはデ=グリューとレスコーには構わなかった。
「この二人はどうしますか?」
「ああ、いい」
そう警官達にも答える。
「彼等は何の関係もない、いいな」
「わかりました、では」
警官達はマノンだけ引き立てていく。ジェロントはその背中を冷酷な目で見送っていた。
デ=グリューは暫し呆然としていた。だがやにわに腰の剣に手をかけた。
「くっ!」
「止めろ」
だがそれはレスコーが止めた。
「止めないでくれ」
「今はこらえるんだ」
しかし彼は言う。
「さもないと誰がマノンを助けるんだ?」
「えっ!?」
デ=グリューはその言葉に動きを止めた。
「それは一体」
「任せろ」
レスコーは彼に言う。
「いいな」
「・・・・・・わかった。しかし」
「わかっている、全部な」
まずは彼を安心させた。だがマノンはいなくなった。デ=グリューもレスコーも今はただ虚しく部屋の中にいるだけであった。主のいなくなった部屋の中に。
うーん、このマノンという女性は危機感がないというか。
美姫 「かなり大切に育てられ、またジェロントにも大切にされていたのかしらね」
欲が強いとも言えるけれどな。
ともあれ、連れ去られたけれど、グリューはどうするんだろう。
美姫 「次回が楽しみね」
ああ。次回も待ってます。