『マノン=レスコー』




              第一幕 出会い

 革命前のパリ。その入り口の一つパリ門に近い大通りにある酒場。店の前を兵士や学生、美女達が行き交い華やかな様子だ。その店の中は賑わっていた。
 ロココ超の名残のような歪でありながら華やかな装飾で飾られカーテンも店内も実に綺麗であった。その店の中で人々はカードに興じ酒を楽しんでいた。
「さあさあ」
 金髪の若い男が木の丸く大きなテーブルを前にして言っていた。
「どうする?もう一勝負するかい?」
「ちぇっ、またエドモンドの勝ちか」
「どうなってるんだよ、今日は」
 一緒にテーブルを囲む仲間達が不平を述べる。
「運命の女神が僕に味方してくれているんだよ」
 彼は笑ってこう返す。
「さて、このお金で」
「あれかい?飲むのかい?」
 仲間のうちの一人が言ってきた。
「どうするんだい?」
「いや、飲むのはここで充分」
 彼は笑って述べた。
「それよりも今日は」
「あれかい、女の子か」
「そうさ。パリだよ」
 彼はにこにこと笑って応える。この場合の女の子とは娼婦のことである。パリは娼婦も多い街だ。彼もまたその娼婦達をこの上なく愛していたのである。
「遊ばないと」
「昨日も遊んだじゃないか」
「そのうちえらいことになるぞ」
「それも本望」
 梅毒を心配されたが彼はそれを笑って返す。梅毒はこの時かなり広まっていてそれにより命を落とす者も多かったが彼はそれを気にしなかったのである。
「そうじゃなきゃ遊べないじゃないか」
「強気だね、また」
「強気じゃないよ」
 彼はその言葉に返す。
「覚悟ってやつさ」
「伊達男のかい」
「遊んで遊んで」
 エドモンドは少し真面目な顔になって述べる。
「最後は酒か女で死ぬ。それがパリジャンだろう?」
「確かに」
「人は快楽のうちに死ねってね。誰の言葉だったかな」
 名も残っていない詩人の言葉であろうか。彼等のうちの誰かがその言葉を述べた。
「さあ、誰かギターを鳴らしてくれ」
 エドモンドは言う。
「バラードがいいな」
「バラードかい?」
「うん、ゆっくりとしたね。いや」
 彼は言い掛けたところで考えを変えてきた。それで言い直す。
「それよりも陽気な曲がいいや」
「わかった」
 それを受けて店の中の一人がギターを取る。そして曲を奏ではじめる。
「青春は僕等の名前、希望は僕等の女神」
 彼はその曲に乗って歌いだす。
「何者にも負けない美徳が引っ張ってくれている。神聖な陶酔が」
「笑おう、愛と青春に溢れる若者達を、今君達の心を僕に与えてくれ」
 仲間達もその歌を歌う。コーラスになっていた。エドモンド達は歌と酒に酔っていた。それを聴いてか娘達が店の中にやって来た。そしてエドモンド達に尋ねてきた。
「貴方達だけ?」
「今はね」
 エドモンドは同じテーブルに座ってきた娘達に対して笑顔で返した。
「そう、今は。けれど」
「それにはまだ早いわ」
 娘達はエドモンドの早い誘いはかわしてきた。
「夜はまだこれからよ。だから」
「わかったよ、じっくりとだね」
「そういうこと。それで」
 娘達は店の中を見回す。それからまた問う。
「デ=グリューは?」
「彼はどうしたの?」
「あっ、そういえば」
 エドモンド達はそれを言われて顔をあげた。そしてふと気付く。
「まだだね」
「もうすぐ来る時間だと思うけれど」
「何でわかるの?」
 娘達は若者達に問う。若者達の返事はこうであった。
「だって時間だから」
「時間?」
「そうさ、彼は至って真面目な学生だから」
「いつも時間まで勉強しているんだよ。果ては学者になるつもりらしいよ」
「随分ハンサムな学者さんね」
「そうだね」
 若者達はそれに応える。
「毛並みもいいし頭も顔もある」
「何かと恵まれてるよな」
「けれど恋は知らない」
 エドモンドは笑って述べた。その手にはワインがたたえられた杯がある。
「何時まで経ってもね。学問と息抜きだけの酒だけでいいらしい」
「またそれはストイックな」
「パリジャンらしくない。けしからん」
 仲間達は冗談めかしてそう述べる。
「何度も誘ったんだけれどね。けれども」
 エドモンドはまた言う。
「駄目だね。彼だけは」
「堅物なのね」
「そうさ」
 今度は娘達に答える。
「彼だけはね。おお、噂をすれば」
「僕のことを話していたの?」
 そこに青い上着に白いズボンの若者がやって来た。服は貴族のもので編み上げ靴にズボンは膝までのものであった。白いシャツは華麗な装飾が施されている。黒い髪の毛は伸ばされて後ろで束ねられている。鬘はしていない。
 丁寧に鬚が剃られた顔は端整で甘いマスクをしている。彫が深く黒い瞳には知性が感じられ気品も漂わせていた。彼がデ=グリューである。ソルボンヌの学生でありそこで哲学を学んでいる。代々学者の家の名門で騎士の爵位も持っている。
「まあね」
 エドモンドがそれに応える。
「否定はしないよ」
「そうだったんだ。それで僕の何を話していたのかな」
「いや、君が何時恋を知るかね」
 仲間の一人がチーズを摘みながら言ってきた。
「それについて話していたんだ」
「何だ、それだったら当分縁は無い話だね」
 彼は笑ってそう返してきた。
「悪いけれど」
「やっぱりそうか」
「果たして君が運命の相手に出会えるかどうか」
「賭けてみようかしら」
 若者達も娘達も口々に言う。楽しむ声であった。
「栗色か黄金色の髪をしていて薔薇色の唇を持つ女性」
 デ=グリューは仲間達に話しはじめた。
「星の様に輝くブロンドの娘さん。誰かが僕に運命を約束してくれるのか。それは誰にもわからない。若しかしたらそれは永遠に来ないかも知れない」
「悲観的だね」
「まだ何も知らないからね」
 デ=グリューは皆にそう返す。
「残念だけれど。じゃあまずは」
 席に着いた。そして一杯頼む。
「今日も楽しく酒を」
 笑って乾杯となる。皆集まって騒いでいる。
「さあ飲もう」
「踊りと乾杯、そして馬鹿騒ぎ」
 口々に言って飲み食いに入る。
「享楽の行列が夜の中でこそ。光彩の詩が今こそはじまるってね」
「さあ君も飲んで」
 皆がデ=グリューに酒を勧める。
「さあさあ」
「いや、もう飲んでるよ」
 見ればもう真っ赤な顔をしている。
「けれどこれからさらに」
「そう、飲もう」
 そう言い合って騒いでいると店の音で馬車が止まる音がした。誰かがそれを聞いてふと言った。
「アラスからの馬車だな」
「あれ、そんな時間か」
「ああ、誰かな」
 誰かが降りる音がする。それから店の中に若い背の高い男に連れられた美女がやって来た。すらりとして白銀と白のドレスに身を包んでいる。丸みを少し帯びた愛くるしい顔で黒い大きな瞳が印象的だ。銀色の髪を綺麗に上で纏めている。ロココ調の異様なまでに派手な髪型ではないがそれでも綺麗な形に纏めていた。
「さて、と」
 若い男は黒く質素な服を着ている。騒がしい店の中を慎重に見回している。そのうえでその美女に声をかけた。
「まずは一休みするか」
「はい、お兄様」
「兄妹か?」
「そうみたいだな」
 客達はそれを見て言い合う。
「ここがいい」
 そう言って二人で向かい合って店の端の席に座った。そして注文をする。
「綺麗な人だな」
 エドモンドは美女を見て呟く。
「あそこまで綺麗な人にはパリ、いやベルサイユでもそうそう」
「いないのか」
「ああ・・・・・・っておい」
 言ったのはデ=グリューなので思わず目を瞠った。
「君が言ったのか」
「ああ、僕さ」
 夢うつつの声でそれに応えてきた。
「あんな綺麗な人は。見たことがないよ」
「ほう、言ったな」
 エドモンドはその言葉ににやりと笑った。
「いい言葉だ」
「そうだな」
「デ=グリューがそんなこと言うなんて」
 周りの者達も言う。
「これは面白いことになりそうだ」
 そう言っていると美女の向かい側の若い男がふと思い出したように言ってきた。
「おっと」
「どうしたの?兄さん」
「いや、忘れ物だった」
 彼は言う。
「ちょっと馬車に戻って来る。いいな」
「ええ」
 男はすぐに席を立ってその場を後にする。チャンス到来であった。エドモンドはそれを見てすぐにデ=グリューに囁きかけた。
「今だ」
「今だって?」
「彼女に声をかけるに決まってるだろ」
 そう囁く。
「ほら、行け」
「あっ、ああ」
「頑張れよ」
「何かあったら俺達が助けてやるよ」
 皆で彼を送りだす。デ=グリューは美女の前におずおずと姿を現わした。そして声をかけるのであった。
「あの」
「はい」
 美女は彼に顔を向けてきた。彼は彼女の側に立っている。
「お願いがあるのですが」
「何でしょうか」
「はい、一つお聞きしたいことがあります」
 如何にも慣れていないといった様子でおずおずと問う。
「貴女のお名前は何というのでしょうか」
「私の名前ですか?」
「はい。よかったらお聞かせ下さい」
 彼は言う。
「何と仰るでしょうか」
「マノン=レスコーと申します」
「マノン=レスコー」
「そうです」
 こくりと頷いてきた。
「そうですか。僕はデ=グリューと申します」
「貴族の方ですね」
 それは名前でわかった。『デ』という形冠詞がその証拠であった。なおそこから彼がイタリア系の貴族であろうことも想像がついた。フランスの貴族は『ド』、イタリアの貴族が『デ』だからである。
「ええ。レナート、レナート=デ=グリュー、それが僕の名前です」
「そうなのですか」
「はい。それでですね」
 デ=グリューは自分でも意外な程積極的に彼女に問うた。半ば無意識のうちにであった。
「貴女はパリにずっとおられるのでしょうか。宜しければこのパリやベルサイユの案内を」
「残念ですが」
 しかしマノンはその言葉には悲しい顔を見せてきた。そのうえで俯く。
「そうはいかないのです」
「といいますと」
「親の取り決めで」
「ええ」
「私は修道院に入ることになっているのです」
「何と」
 デ=グリューはそれを聞いて痛ましい声をあげた。
「貴女のような方が修道院に」
「はい」
 悲しい顔のまま答える。
「残念ですが」
「それはいけない」
 デ=グリューはついつい言った。
「そんなことは」
「おい」
「ああ、わかってるさ」
 二人の後ろではエドモンドと仲間達がひそひそと話をしている。彼等は何か考えているようであった。だがデ=グリューはそれに気付かずさらにマノンと話を進める。
「どうしてもですか」
「もう決まったことです」
 マノンは答える。
「このドレスもそうなのです。最後だからと我儘を言って」
「いえ、最後にはなりません」
 デ=グリューは胸を張って言ってきた。
「僕でよかったらお力に」
「助けて頂けるのですか?」
「勿論です」
 毅然として答える。
「ですから御安心下さい」
「わかりました」
「おいマノン」
 ここで店の外からマノンを呼ぶ彼女の兄レスコーの声がした。
「ちょっと来てくれ」
「兄の声ですわ」
 そう言って顔をあげる。
「あの人が貴女を」
「はい。行かなければ」
「戻って来られますね?」
「残念ですが」
 その言葉の返事はデ=グリューが期待したものではなかった。哀しい顔をして俯く。
「そんなことは仰らずに」
「努力はしてみます」
 マノンもこのまま行く気はなかった。それで答える。
「ですからお待ちになって下さい」
「ええ」
 マノンはすっと立ち上がる。デ=グリューはそれを静かに見送る。見送ってから言うのであった。
「僕は今まであのような美しい方には出会ったことがない。彼女になら言える。愛していると」
 一人胸のうちを呟く。
「マノン=レスコー、その名前が僕の心に響く。何と綺麗な、素晴らしい名前なんだ」
 その名前が忘れられない。そのうえでまた言う。
「この名前の囁きは心に消えない。いや、何があっても消しはしない」
 そう呟く彼のところにエドモンド達がやって来た。そして彼に言う。
「惚れたみたいだね」
「君達か」
 デ=グリューは彼等に顔を向けて我に返った。
「その通りさ。悪いかな」
「いや、まさか」
「大いに結構なことだ」
 彼等はそうデ=グリューに言う。
「やっと君も好きな人ができたようだな」
「いやあ、何より何より」
「しかしだ」
 エドモンドがここで忠告してきた。
「彼女は修道院に入るんだって?」
「そうらしいね」
 デ=グリューはそれに答える。
「何とかしたいけれど」
「果たして本当に修道院に行くのかな」
 エドモンドはそれに疑問符をつけてきた。
「怪しいぞ」
「何でそう言えるんだい?」
「勘さ」
「勘!?」
「そうだ。彼はどうやら妹さんを修道院に入れるのには積極的ではないらしい」
「そうなのか」
「考えて御覧なさい」
 娘達も言ってきた。
「それならすぐに修道院に向かうでしょう」
「何でこの酒場で一休みなのかしら」
「じゃあ」
「ああ、ちょっと様子を見た方がいいな」
 エドモンドはこう述べる。
「わかったな」
「うん、それじゃあ」
 頷くとそこにレスコーが戻ってきた。着飾った老人と一緒である。何か目一杯派手な服を着て無理をして立派に見せている感じである。
「あら」
 その老人を見た娘の一人が声をあげた。
「どうかしたの?」
「ええ、あの人だけれど」
 友達に言われて答える。
「ジェロントさんじゃない。ジェロント=デ=ラヴォアール」
 奇しくもデ=グリューと同じイタリア系だ。
「王室の財政管理をしている方よ」
「そうなの」
「ああ、あの成り上がりの」
 エドモンドは彼の名を聞いてこう言った。ジェロントは元々大金持ちで金で爵位と官職を買ったことで知られているのだ。ブルボン王室は宮廷の贅沢を維持する為に売官を行っていたのだ。これはルイ十四世の晩年からはじまった。彼は戦争に建築に贅沢と浪費に明け暮れた為そうしたことも行っていたのである。
「そうね」
「その彼がどうしてあの人の兄さんと」
「それは今から見よう」
 エドモンドはそうデ=グリューに返した。
「いいね」
「わかった」
「それでですな」
 ジェロントはレスコーに声をかけていた。
「妹さんは修道院にですか」
「それが親の考えです」
 レスコーはそう彼に述べる。
「残念ですが」
「残念かね」
「はい。パリにいるのですよ」
 レスコーはまずこの街を出してきた。
「偉大な人生の学校だというのに。狭く辛気臭い修道院に入ってどうするのですか」
「その通りですな」
 ジェロントもそれに同意する。
「全くその通りだ」
「ですね。全く」
 デ=グリューも仲間達も皆飲みながらその話を聞いている。ぱっと見ただけでは若者達が楽しく飲んでいるだけだがその耳は彼等に集中させていた。それどころかちらちらと横目で見たりさえしている。
「妹さんはお幾つですか?」
 ジェロントはマノンの歳を聞いてきた。
「十八です」
「そうですか」
「花の歳です」
「全くです。それで修道院に入るというのは」
「それでは」
 その言葉を聞いたレスコーの顔がニヤリと笑った。そしてジェロントに問う。
「今晩一緒にお食事でも」
「わかりました。それでは」
「やっぱりな」
 エドモンドは二人の会話を聞いて呟く。外見上は仲間達と楽しくトランプをしている。
「そう来たか」
「そうだろうと思ったわ」
 娘の中の一人も言った。
「あの人女好きなのよ、それも若い娘がね」
「ヒヒ爺いってわけだね」
 仲間の一人がそれに応える。
「そうだな」
 エドモンドがそれに頷く。レスコー達はそれに気付かずさらに話をしている。
「それでですな」
 ジェロントは言う。
「今から少し用事がありますので」
「席を立たれますか」
「はい。それでは」
 彼は去った。レスコーが一人になると若者達はそのレスコーに声をかけてきた。
「ちょっとお兄さん」
「ポーカーをしないかい?」
「何っ、ポーカーだと」
 レスコーはそれを聞いて目を輝かせてきた。
「面白そうだな」
「ああ、最高に面白いよ」
「あんたもどうだい?」
「よし、乗った」
 どうやら遊び人であるらしい。その言葉に乗ってきた。
「じゃあやるか」
 早速卓に座る。そして言う。
「いいかい?それじゃあ」
 エドモンドがカードを配る。レスコーは若者達と勝負をはじめた。
 やってみるとかなり強い。その強さはエドモンドも素直に称賛した。
「お兄さん随分強いね」
「いや、まぐれさ」
 不敵に笑って返してきた。
「たまたまだよ」
「またそんな」
 エドモンドは彼を冷やかしにかかった。
「そんな御謙遜を」
「まあ軍隊で覚えたんだけれどね」
「軍隊で」
「うん」 
 レスコーは上機嫌で述べる。
「今軍曹なんだ」
「それは凄い」
「その若さで」
 またお世辞を述べてきた。
「そんなに凄いかな」
「いやいや、軍曹と言えば」
「なあ」
 皆で言う。確かに軍曹と言えば結構なものだ。将校は貴族がほぼ独占しているのでなろうにもなれないところがあるからだ。それで彼等も一目置いてきたのだ。
「結構なものですよ」
「そうですかね」
「そうですよ。だから一杯」
「どんどん」
 彼を飲ませてそちらに目を向けさせる。しかしここでまた一つ問題が起こってしまっていた。
 ジェロントが戻ってきていた。そして宿屋の主人に何かを言っていた。
「馬車を一台欲しいのだが」
「馬車をですか」
「うむ」
 彼は主人に対して頷く。
「いいか」
「ええ、まあ」
 主人は深く考えずにそれに頷く。
「それでしたら」
「できれば一時間だな。いいかな」
「わかりました」
「それだけでいいからな」
「それだけでですか」
「何も言うことはないよ」
 ちくりと釘を刺してきた。
「いいね」
「畏まりました。それでは」
「うん」
 こうして話を進める。しかしそれはエドモンド達に見られていた。彼等はそれを見てジェロントが何か企んでいることをすぐに見抜いた。レスコーにどんどん飲ませながら目配せをしきりに交わす。
「後はわしがハーデスであの娘はペルセポネーか」
 ハーデスは妃ペルセポネーを地の底からさらって妻としている。なおこれには兄弟で天界の支配者であるゼウスも共犯であった。
「よし」
 エドモンドはそれを見てポーカーを離れた場所から見ているデ=グリューのところにやって来た。そのうえで彼に囁く。
「いいか?」
「どうしたんだい?」
「まずいぞ。あの御老人彼女を何としても自分のものにするつもりだ」
「本当かい?」
「ああ、間違いない」
 そうデ=グリューに答える。
「美しい花は茎から引き裂かれて枯れてしまう。どうだ?」
「そんなことは認められない」
 デ=グリューは俯いて言う。
「彼女は誰にも渡さない」
「では行くか、鳩を捕まえに」
「うん」
 彼はエドモンドに頷く。これで決まりであった。
「ではやるか」
 エドモンドは言った。無言で若者達が席を立つ。レスコーは今度は娘達が取り囲んで足止めをする。
「さあ飲んで飲んで」
「いい飲みっぷり」
 そう囃し立てている。レスコーはまんざらではなく娘達に囲まれている。そしてその間に若者達が動くのであった。
「まず僕が仕掛ける」
 エドモンドはにこりと笑って述べる。
「いいね」
「一体どうするんだい?」
「まあ任せてよ」
 彼は笑って言う。
「策があるから」
「策が」
「うん、見ていてくれていいよ」
 そこまで言って席を立つ。そうしてジェロントの方に向かう。
 そこでマノンも戻ってきた。話はいよいよはじまった。
「君は彼女の方へ」
「いいな」
 エドモンドと若者達がデ=グリューに声をかける。デ=グリューも無言で頷く。
 彼はマノンの方へ行く。そのうえで彼女に囁いた。
「あの」
「はい」
 マノンはデ=グリューに顔を向けた。彼女は言う。
「どうされたのですか?」
「一緒に行きませんか?」
「えっ」
 彼に思わず顔を向けて声をあげた。
「僕と一緒に」
「貴方とですか?」
「そうです、一緒に」
 真摯な顔で彼は言う。
「このまま。二人きりで」
「どちらにですか?」
「僕の家へ。パリの僕の家に行きませんか?」
「パリ!?」
 その街の名を聞いたマノンの目が輝いた。
「パリに住めるのですか!?」
「そうです」
 デ=グリューはそのまま勢いに任せてマノンに語る。その肩を両手で抱いていた。
「いいですね」
「ええ。貴方と二人でパリに」
 声がうっとりとなっていた。デ=グリューの若い美貌にも心奪われていた。もう全ては決まってしまっていた。
「微笑んで下さるんですね」
「はい」
 マノンは微笑を浮かべて彼に言う。その顔をじっと見上げている。
「貴方の目に」
「何と有り難い御言葉。その御言葉を受けて僕は」
「貴方は」
「貴女を愛したくなりました。いいですか」
「ええ」
 うっとりとした顔で頷く。
「では参りましょう」
「パリへ」
「そうです、パリの街へ」
 彼はマノンにまた語り掛ける。自分達の愛を。だがマノンはそこに別のものを見ていたのである。彼がそれに気付いていないだけであった。
「いいですね」
「はい」
 二人は抱き合う。その頃レスコーは娘達と楽しく飲んでいて気付きはしない。そこにエドモンドが戻ってきた。
「上手くいったぞ」
「何をしたんだい?」
「あの御老人は馬車を頼んでいたんだ」
「うん」
「それを君達の為に手配するように言ったんだ。お金はあの御老人持ちでね」
「じゃあ」
「そうさ、これでいいだろう?」
 会心の笑みを浮かべてデ=グリューに言ってきた。
「君達二人だけで」
「有り難う。では」
「ええ、わかりました」
 マノンはデ=グリューの言葉に応える。
「では」
「ええ。行きましょう」
 その小さな手を取る。そのまま店を出て馬車に向かうのであった。彼等はジェロントから離れた。二人で手を取り合って二人で旅立つのであった。
「ちょっと待って」
 ここでエドモンドが二人に言ってきた。
「どうしたんだい?」
「そのままで言ったら見つかるよ」
「あっ」
「そうだわ。このドレスじゃ」
「大丈夫だよ」
 若者達が二人に声をかけてきた。
「ほら」
「こうすれば」
 娘達のうちの何人かもやって来ていた。二人にあれこれと被せて隠していく。瞬く間に二人は顔も髪型も何もわからなくなってしまった。
「これでいいわ」
「そうね」
 娘達は言う。彼女達も会心の笑みを浮かべている。
「さあ、これで大丈夫だ」
「行きな。出陣だよ」
 エドモンドと若者達は口々に二人に声をかける。
「二人が離れることになれば」
 不意に誰かが笑って冗談めかして述べてきた。
「破滅が待っているかもな」
「そうだね」
 デ=グリューは真面目な顔でそれに応えた。
「僕達の愛は永遠だ。決して離れることはない」
「そうさ。君のことはわかっている」
 エドモンドも若者達もデ=グリューのことはわかっていた。しかし。
「いいね」
「え、ええ」
 何故かマノンの言葉は戸惑いがあった。デ=グリューはマノンとは違う。彼女もまた。そうした違いが二人の運命であった。
 二人は店を出て馬車に乗った。華やかな出発であった。
 ジェロントは得意満面で店に入ってきた。しかし彼が見たのは娘達に囲まれて上機嫌のレスコーであった。
「おいレスコー君」
 ジェロントはむっとした顔でレスコーに声をかけた。
「どうしたのかね」
「いや、どうも」
 真っ赤な顔で彼に顔を向けてきた。
「勝ちまくっていまして」
「それはいいとしまして妹さんは?」
「もう戻っている頃じゃ?」
 能天気な調子でジェロントに返す。
「まだですか?」
「見当たらないがね」
 憮然とした声で彼に言う。
「一体何処なのか」
「何か無責任ではないかね?」
「まあまあ」
「いいか。それでだ」
 とりあえずそれ以上言うのを止めて店の中を見回した。すると見せの外で馬車が動く音を聞いた。
「何っ!?」
「おや」
 ジェロントとレスコーはその音を聞いて同時に声をあげた。
「馬車が来ましたかな」
「いや、あれは出た音だよ」
 ジェロントが言う。
「聞けばわかるだろう」
「あれっ、貴方ではなく」
「まさか。ここにいる。しかも彼女がいない」
「ということは」
 レスコーもようやく事情が掴めてきた。酔っているせいでそこまで頭が回らなかったのだ。
「マノンの奴、気付いたか」
「何を悠長な。逃げられたというのに」
 ジェロントは彼の隣に座ってきた。そうしてじっくりと彼と話をするつもりだったのだ。
「さて、逃がしたのは」
 周りでは若者達と娘達が楽しく飲んでいる。時折彼等がちらちらと見ているのがわかる。レスコーはこれでおおよその見当はつけてしまった。しかし。
「まあ御安心下さい」
「彼女の居場所がわかるのか」
「はい、このパリです」
 彼は述べる。
「ここ以外にはありません」
「そうなのか」
「はい、それにですね」
 彼は立ち上がった。そして席を勧める。
「まあ二人で。ゆうるりとお話しましょう」
「そうだな」
 二人は席を替えた。そこでまた話をはじめたのであった。
「それでですね」
 レスコーがまず言う。
「私はマノンの兄です。彼女のことならわかっています」
「それで何処にいるのかわかったのか」
「ええ。あれは派手な女でして」
 それもよくわかっていたのだ。
「華やかな場所が大好きなのです。ですから間違いなくパリにいます」
「ここにか」
「それにですな。どうやらあの騎士殿と一緒に逃げたようですが」
 デ=グリューがいないことを確かめていた。それを見て何か余計に安心したようであった。
「だからこそ大丈夫なのです」
「だからこそか」
「はい。先程申し上げた通りマノンは派手好きです。貧乏暮らしが大の苦手」
「あの騎士殿はお金持ちには見えないな」
「学生はいつも貧乏なものです」
 レスコーはしれっとして述べた。
「そうですな」
「確かにな」
 それはジェロントも知っていた。こくりと頷く。
「少し待てばいいです。私はその間に彼等を探します。そして」
「わしのことを言うのか」
「そう、それだけです」
 レスコーはジェロントに頷いてみせた。
「どうです?簡単でしょう」
「そうだな。では君に任せる」
「お任せあれ」
 悪戯っぽく敬礼してみせた。
「では今は乾杯を」
「うむ、飲むか。これからの幸せの為に」
「この世の幸せは酒と美女の為にあるもの」
 レスコーは言う。すると。
「さあさあ飲もう」
 エドモンドが彼等の後ろで騒いでいた。レスコーはそれを聞きながらまた言う。
「彼もそう言っていることですし」
「そうだな。今宵は楽しく」
「二人で」
 彼等はそう言い合って笑みを浮かべ合う。その後ろでは若者達が馬鹿騒ぎをしていた。
「ブルボン王家に万歳!」
「国王陛下に万歳!」
 まずは儀礼的にそう言った後で。
「酒に乾杯!」
「可愛い娘ちゃんに乾杯!」
「男前に乾杯!」
「綺麗な花と美味しい食べ物にも乾杯!」
 朗らかに遊んでいた。企む二人を笑っていたがレスコーは心の中で彼等を笑い返していたのであった。自分の予想通りになると確信しながら。



いきなり駆け落ち。
美姫 「でも、兄は慌ててないわね」
だな。果たしてレスコーの思うように行くのかな。
美姫 「二人は捕まるのかしら」
逃亡劇なのか、それともまた違う展開になるのか。
美姫 「次回も待ってますね」
ではでは。



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