『マクベス』
第四幕 僭主の末路
スコットランドとアイルランドの国境。ここに兵達が集まっていた。
皆が皆武装しており今にも戦に向かわんばかりである。そこで皆行っていた。
「いいな」
「勿論だ」
鎧を着て兜を被りその手に斧や槍を持ち。そうして銘々スコットランドの方を見据えていた。
「祖国を取り戻すのだ」
「仇を取るのだ」
彼等は憎しみに燃える目で語る。
「今こそあの暴君を倒し」
「そして美しき祖国を再び」
「忍耐の時は終わった」
士官達も加わり言う。彼等が手にしているのは剣だった。スコットランドの見事な剣を。その手に持って兵士達と共に勝利を誓っていたのだ。
「マクベスを倒せ!」
「復讐の時が来たのだ」
「そうだ、遂にその時が来た」
そこにはマクダフもいた。鎧を着込み青いマントを羽織ってそこにいた。
「我が妻よ、我が子よ」
自らの妻子のことを口にする。既に彼等は。
「全て殺されてしまった。あの暴君に」
そうだったのだ。マクダフだけは間一髪のところで難を逃れたが妻子はそうはいかなかった。皆居城において刺客の手にかかり城は燃やされてしまった。マクダフはこのことをスコットランドから亡命してきた同志達から聞いていた。最初は信じられず次には号泣した。そうして今の言葉があるのだ。
「私のせいだ。何故あの時私だけ逃げられたのか、そのことが恨めしい」
スコットランドの方を見る。仇がいる場所を。
「守ることもできず。助けることもできず。その為に御前達は死んでしまった。最早私に出来ることは」
剣を抜く。その剣を見やる。
「仇を取ることだけだ。だがそれは果たせなければ」
今度は上を見た。白く曇った空に微かに太陽が見える。白い日輪が。
「その時はあの男に慈悲を。せめてもの情けで」
「マクダフ殿」
そこにマルコムが来た。そして彼に声をかけてきた。
「ここにおられたか」
「これは殿下」
マクダフは今の主の前で片膝を折った。
「もうすぐだな」
「はい、兵は既に整っております」
こうマクダフに告げる。
「何時でも」
「あの森だが」
マルコムはそこまで聞いたうえで目の前の森を指差した。
「バーナムの森だったか」
「はい、そうです」
主の問いに頷いて答える。
「あの森こそが」
「そうか。ではあの森を使うとしよう」
「使うというと」
「隠れるのだ」
マルコムは不敵に笑って自身の秘策を述べた。
「森の中に入りその枝を切り手に取り」
「森に化けて」
「そうして進む。それでどうだ」
「ふむ」
マクダフはそれを聞いて考え込む顔になった。マルコムはその彼に対して告げた。
「立ってくれ」
「はっ」
マクダフはその言葉を受けて立ち上がった。それからも考え込んでいた。
「どうかな、これは」
「悪くはありません」
マクダフもそれに賛成であった。
「森は身を隠すには絶好の場所。それならば」
「そうだな。使わない手はない」
マルコムはマクダフが頷いたのを見て会心の笑みを浮かべた。
「それでは決まりだな」
「はい。ではまずは森に入り」
「イングランドの援軍も来たしな」
見れば後ろから大勢の軍が来ていた。その先頭には年老いた騎士がいた。
「シュアード卿だ」
「あの方がですか」
マクダフはその老騎士を見ながら述べた。
「イングランドきっての武人と謳われる」
「御子息も一緒だ。数においてもマクベスの軍勢を圧倒している」
「そのうえあの方がおられるとなれば」
「我が軍に万が一にも敗北はない。では行こうぞ」
「わかりました。では諸君」
マクダフが軍勢に声をかける。
「今から進むぞ。愛する祖国へ」
「暴君を倒し」
「スコットランドに光を取り戻す為に」
彼等は口々に叫び森の中に入って行った。これが最後の戦いのはじまりであった。
マルコムとマクダフがスコットランドに進撃を開始したその頃。王宮では医師や侍女達が暗い顔をして王宮の螺旋階段のところで話をしていた。そこには灯りはなくほぼ真っ暗であった。
「駄目ですか」
「無駄でした」
医師は侍女の言葉に首を横に振った。うなだれたまま。
「眠ったままいつもの調子で」
「変わらずなのですね」
「はい、その通りです」
そう侍女に告げる。
「何もかもが。悪い方向に」
「どうすればいいでしょうか」
「手は尽くしました」
いささか自己弁護めいた言葉であった。
「ですがそれでも」
「そうですか。あっ」
ここで階段の上の方から光が見えてきたのに気付いた。弱い光であるが。
「御后様です」
侍女はその光を見て言う。
「またああして」
「眠っておられるのは事実です」
医師もその光に気付いた。見ればそこには夜着を着た夫人がいた。虚ろな顔でキャンドルを持っているがその目はキャンドルの灯りよりもさらに不気味に爛々と輝いていた。
「何という恐ろしいお姿か」
医師はゆっくりとこちらに歩いて来る夫人を見て言った。
「それに手をあんなにこすられて」
見れば夫人はキャンドルを持ちながらその手をしきりにこすっていた。それがやけに目につくのであった。彼等に気付くことなく階段を下りて来る。
「あれはどうして」
「手を洗っておられるのです」
「手を!?」
「はい」
侍女はそう答えた。
「どうやら」
「まだ残っている」
夫人は虚ろな声で呟いていた。
「消えない。何という滲み」
「滲み!?」
医師はその言葉に目を顰めさせた。
「そんなものは何処にも」
「御后様にだけ見えるようで」
侍女はそう説明する。
「どういうわけかわかりませんが」
「そうなのですか」
「はい、それで」
「老人なのにこれだけの血があるなんて。どういうことなの」
「老人!?」
「私にはわかりません」
侍女は首を横に振るだけだった。
「何のことか、誰のことかも」
「あの方の妻子のも。まだ残っている」
夫人は彼等の横に来た。しかしそれでも気付くことなくこう呟くのみだった。
「匂いも残っている。アラビアの香水をどれだけかけても消えはしない。何という恐ろしい匂いなのか」
「今度は匂いだと」
「それも私には」
やはりわからない。夫人だけがわかっていることが夫人を責め苛んでいたのだ。
「バンクォーも死んだ。もう恐れるものはないから」
夫人は階段を下りながら呟き続けていた。
「だから私は。もう」
「何と恐ろしい」
医師は下に下りていく夫人を見ながら首を横に振って述べた。
「悪夢のようだ」
「全くです」
「さあ貴方。過ぎたことには構わず」
いつも側にいる侍女の言葉にも気付かず。夫人は呟き続けていた。
「玉座へ。血塗られた玉座へ」
夫人の顔には死相が浮かんでいた。しかし彼女はそれにも気付かない。彼女は何も気付かないまま地獄に落ちようとしていたのだ。影は出ては消え、出ては消えを繰り返していた。それは有り得ないことだが確かにそうなっていたのだった。
マクベスは王宮において出撃準備を整えていた。彼には勝利を収める絶対の自信があった。
「いいか」
周りに控える家臣達に声をかけていた。彼も家臣達も既に鎧と剣で身を固めている。マクベスはそこに灰色の大きなマントを羽織っていた。それが異様に不吉に見えた。
「イングランドと組んだ愚か者達だが」
「はい」
家臣達は彼の言葉に応える。
「恐れることはない。勝利は確実だ」
「陛下の勝利ですな」
「それによりわしの玉座が安泰になる」
一旦は言い切った。ところが。
「だが」
「だが?」
「さもなくば永遠に玉座から離れるかだ。そのどちらかだ」
何故かこう言うのだった。不吉なことに。
「それが決まる。わしは確かに老いた」
それは感じていた。髭にも髪にも白いものが混じり顔には深い皺が刻まれていた。
「慈悲にも尊敬にも愛にも背を向けてきたわしだ。わしが求めるのはそれだけだ。墓にもそう書いておくがいい」
「それは不吉な」
「幾ら何でもそれは」
「よいのだ」
そう家臣達に告げた。
「わしがよいと言っているのだからな。だからこそこの戦いに勝つ」
彼はそれは誓った。
「わし自身がわしの墓にそれを書き残す為に」
「陛下」
そこに侍女が来た。暗く沈んだ顔で。
「どうした?」
「御后様が」
「あれがどうしたのだ?」
「亡くなられました」
「そうか」
それを聞いた瞬間。マクベスの影が一瞬だが消えた。
「そうなのか」
「驚かれないのですか」
「誰でも死ぬ」
マクベスは暗い顔で俯いて呟くだけであった。
「それだけだ」
「陛下」
今度は伝令の若い将校が来た。そうしてマクベスのところにやって来た。
「敵か」
「いえ」
だが彼はマクベスのその問いに首を横に振る。そうして述べる。
「森が動いたのです」
「森がだと」
「そうです、バーナムの森が」
「何と・・・・・・」
その言葉を聞いたマクベスの顔が愕然となる。影が薄まった。そしてその薄まりは戻らなかった。
「バーナムの森が動いたのか。馬鹿な」
「いえ、確かに」
伝令は確かに彼に伝える。
「森が動きここに迫っております」
「全てはそういうことだったか」
マクベスが愕然とした顔で呟いた。
「魔女達の思惑通りだったのか」
「魔女!?」
「何でもない」
家臣達には答えなかった。
「行くぞ」
力ない声で一同に告げた。それでも。
「よいな、死か勝利か」
彼は言う。
「勇敢な兵士達よ、そのどちらかを選ぶのだ」
「無論それならば」
「勝利を」
彼等は何も知らない。だからこう言えた。
「武器を手に!」
「そして勝利を我等の手に!」
高らかに叫び戦場に向かう。今最後の戦いがはじまった。
両軍はマクベスの居城の前で激突した。森に化けていたマルコムの軍勢は今はその姿を完全に現わし果敢に戦っていた。
「マクベスを倒せ!」
「今こそ!」
「無駄なことだ」
マクベスも戦場にいた。そこで巨大な剣を振り回し群がる騎士達を退けていた。
「わしは誰にも倒せはせぬぞ」
「戯言を!」
そこに一人の若い騎士が来た。
「マクベス!スコットランドの敵よ!」
「わしがスコットランドの敵か」
暗い目でその若い騎士に目をやった。
「では御主は何なのだ?」
「義に生きるイングランドの者!」
彼は高らかにそう名乗った。
「シェアードだ!」
「そうか、あのシェアード卿の息子か」
それを聞いても何とも思わなかった。
「御主ではわしは倒せぬぞ」
「ならばそれを覆してやろう」
シェアードは剣を手に前に出て来た。
「この私が」
「無駄なことだ」
そう言うと剣を一閃させた。シェアードは盾でそれを受け止めたが衝撃で吹き飛ばされてしまった。
「うぐっ」
「ふむ、命拾いしたな」
マクベスは吹き飛ばされた小シェアードを見て呟いた。
「盾に感謝するがいい」
「まだだ!」
だが小シェアードはそれでも立ち上がってきた。
「貴様を倒すのは私だ!」
「まだ来るか。それなら今度こそ」
「いや、待たれよ」
そこにもう一人来た。
「マクダフ殿」
「スコットランドの敵はスコットランドの者の手で」
そう言ってマクベスの前にやって来たのだった。
「御願い申す」
「ではマクベスは貴方がはい」
強い声で頷いてみせた。
「是非共」
「わかりました。それでは」
「はい」
小シェアードはそれを受けてマクダスに譲った。そうして自身は別の場に向かうのであった。
マクダフはじっとマクベスを見ていた。だがやがてゆっくりと前に出て来た。
「この時が来るのを待っていた」
マクベスに対して告げる。
「家族の仇を取る時を」
「わしを倒せるのか」
「貴様が何者であろうとも」
マクベスを見据えて言葉を返す。
「私には神の御加護があるからな」
「ふん、神の加護だと」
マクベスはその言葉を冷笑した。
「わしには予言があるのだ。わしは女から生まれた者には倒されはしない」
「女からだと」
「そうだ」
マクベスの影はさらに薄くなる。しかしそれは誰も見てはいない。
「だからこそわしは」
「ならば私が勝つ」
「何っ!?」
マクベスはその言葉にギクリとする。
「何が言いたいのだ、貴様は」
「私は母の腹から引き出された男だ」
そうマクベスに告げた。
「そのおかげで母は死んでしまったが。それがこの私だ」
「何ということだ・・・・・・」
マクベスの言葉が止まった。影が完全に消えてしまった。
「全ては魔女の悪戯だったか」
「話は済んだか」
魔女の話なぞ知らないマクダスはまたマクベスに問うた。
「それならば。参るぞ」
「それによりわしは・・・・・・だが」
影はもうない。それでもマクベスはゆらゆらと前に動いた。
「それでも・・・・・・最後まで」
その手に持っている巨大な剣を横に薙ぎ払う。だがそれにはもう力がなくマクダフにはじき返された。そうして返す刀で喉を貫かれてしまった。
「これが・・・・・・僭主の末路か」
マクベスは死相を浮かべながら呟いた。
「魔女に誘われ罪を犯してきた男の。これが末路か」
「仇は取ったぞ」
マクダフはそのマクベスの喉から剣を抜いた。マクベスはさながら木の葉の様にその場に崩れ落ちるだけであった。
「これで」
「終わりましたな」
「はい」
そこにマルコム達が来る。将兵達は既に城を陥落させあちこちで凱歌が聞こえていた。
「暴君は倒れました」
マクダフはマクベスの亡骸を見下ろしながらマルコムに告げた。マクベスの亡骸は生きていた時からは想像も出来ない程小さくみすぼらしかった。
「これでスコットランドは救われました」
「しかしあの彼がどうして」
そこにシェアードの親子が来た。父親がマクベスを見下ろしながら言うのだった。
「立派な武将だった彼がどうしてこうしたことになったのでしょう」
「全ては。運命の悪戯でしょう」
マクダフは言う。
「彼はそれに誘われそうして」
「破滅したと」
「そういうことになります。運命は時として残酷なものです」
小シェアードにこう答える。
「それにより破滅したのでしょう」
「運命とは。惨いものですね」
マルコムが言う。
「それによりこうして破滅するならば。人はあまりにも愚かでちっぽけなものです」
「いえ、むしろ」
マクダフは新しいスコットランド王に対して述べた。
「それに誘われ、抵抗できないことが愚かなのです」
「そうなりますか」
「人は。運命は変えられるものだと聞きます。彼がそれを知っていれば」
またマクベスを見る。やはりその亡骸は小さく呆気ないものであった。
「こうはならなかったでしょう」
マクダフの周りからも城内からも凱歌が聞こえる。だが皆マクベスを見てはいなかった。運命に誘われ破滅した彼のことはもう倒された反逆者でしかなかったのだった。
マクベス 完
2007・10・8
最後は討ち取られてしまったか。
美姫 「まさか、あの森の予言と言うか言葉がこういう意味だったとわね」
しかも、倒されないはずが、腹から引き出されたという男の手で。
美姫 「女から生まれた事にはならなかったみたいね」
だな。マクベスというのは名前は知っていたけれど、こういう話だったんだな。
美姫 「坂田さん、投稿ありがとうございました」
それでは、この辺で。