『ランメルモールのルチア』




                              第二幕  恐ろしい誓い

 エンリーコの部屋は質素なものだった。厚い壁に覆われ下には絨毯さえない。堅く背の高いベッドがあり窓からは嵐が見える。そして粗末なテーブルや椅子、それに本棚に何冊かの書があるだけだ。
 彼は今その部屋にいた。そうしてノルマンノの話を聞いていた。
「ルチア様は間も無く来られます」
「間も無くだな」
「はい、間も無くです」
 こうエンリーコに告げてきていた。
「ですから御安心下さい」
「ならいいのだがな」
 こうは言ってもその顔は晴れない。
「それでな」
「何かおありですか?」
「今ここに我が家の一族達もいる」
 彼等のことを言葉に出したのである。
「そしてアルトゥーロ殿もだ」
「ここに来られます」
「しかしだ」
 だがここで彼は不安に満ちた顔で言ったのだった。
「あれが最後まで反対したとしたら」
「それは御安心下さい」
 しかしノルマンノはここで主に対して述べた。
「そのことについては」
「大丈夫だというのか」
「あのエドガルドのことですね」
「そうだ、それだ」
 まさしくあの男のことであった。エンリーコが気にかけているのはだ。
「あの男がどうするかだ」
「まずあの男は今フランスにいます」
 彼は既にそのことを知っていた。
「それにです」
「それに。何だ?」
「あの男の手紙がルチア様に送られたのですか」
「それはまことか!?」
 それを聞いて驚きの声をあげるエンリーコだった。
「まさかとは思っていたが」
「しかしそれは我々に手に落ちました」
「そうだったのか」
 それを聞いてまずは安心した彼だった。
「ならいいのだがな」
「その手紙を改竄しましたので。筆跡を真似て」
「どういった風にだ?」
「あの男は他の女に心を奪われました」
 いささか邪悪な笑みと共に述べたのだった。
「こう書いた手紙にしておきました」
「おお、それはいい」
 エンリーコはそれを聞いて顔を少し明るくさせた。
「それではだ」
「はい、ルチア様もその御心を取り戻されるでしょう」
「そうだな、間違いなく」
「ではその手紙をだ」
「受け取られますか?」
「無論だ」
 他に選択肢はないといった言葉だった。
「それをルチアに見せてだ」
「はい、そうされるのが宜しいかと」
「そしてノルマンノ」
 ここであえて彼の名前を呼んで告げた。
「そなたはだ」
「どうされよと」
「エジンバラへの路に向かってくれ」
 他ならぬスコットランドの首都である。そこへの道にというのである。
「いいな、そこに向かってくれ」
「いざという時の用心の為にですね」
「そうだ。そして手紙を受けてだ」
「ルチア様にお見せした後で」
「婚礼だ」
 そこまで全て描いたのであった。
「いいな、それでだ」
「わかりました。それでは」
「これでいい」
 エンリーコも会心の笑みになっていた。
「これで我が家は救われる」
「はい、間違いなく」
 こうしてノルマンノは退室しエンリーコのところにその改竄された手紙が届けられてだ。暫くしてルチアが彼の部屋に呼ばれた。
 彼女は強張った顔で部屋に入って来て。そのうえで兄に一礼した。
「お兄様、一体何の御用でしょうか」
「わかっているな」
 こう妹に対して告げたのだった。
「御前の為に結婚の松明が輝くのだ」
「それは」
「この日このよき日の為に笑うのだ」
 妹にまた言った。
「そんな御前を見たいのだが」
「ですが私は」
「何だというのだ?」
「笑えません」
 俯いての言葉だった。
「どうしても」
「忘れていないというのか?」
「それは」
「過ぎたことは言わん」
 ここではあえて優しい顔を見せた。
「それはだ」
「ではそのまま」
「しかしだ。兄としてだ」
 その兄の顔も見せた。半分は本当に見せている。
「それを見過ごす訳にはいかんのだ」
「ではやはり」
「そうだ。分別のない恋の炎を消し」
「そうして」
「高貴な花婿をだ」
「それはできません」
 俯いたままだがはっきりと答えたのだった。
「決して」
「何故だというのだ!?」
「私は誓いました」
 怒りを見せはじめた兄への言葉である。
「ですから」
「それはできないというのか」
「そう言うのだな」
「はい」
 蒼ざめた今にも死にそうな顔での言葉である。
「ですから私はそれは」
「そう言うのならだ」
 ここで、であった。エンリーコはその切り札を出したのであった。
 テーブルの上にあった手紙を出した。それを彼女に差し出したのである。
「読んでみるといい」
「これは一体」
「手紙だ」
 まさにそれだという。
「この手紙を読めばよくわかる」
「この手紙を」
「そうだ、あの男がどれだけ不実な男がかだ」
「あの方はそんな」
「読めばわかる」
 こう言って切り札を取らせたのだった。
 そうしてルチアはまるで誘われるかの様にその手紙を読みはじめた。読んでいくにつれてその顔が強張りさらに蒼くなっていっていた。
 震える声で。彼女は言った。
「まさか、そんな・・・・・・」
「落ち着くのだ」
 後ろからそっと妹の両肩を抱いて告げた。
「今はだ」
「そんな筈がありません」
 まだ信じようとしない彼女だった。
「こんなことが」
「信じないというのだな」
「嘘です」
 手紙の中を読んでもであった。それでも言うのだった。
「信じています」
「信じているといってもだ」
「他の方を愛されるなぞ」
「しかし確かに書いてある」
 偽りの手紙であるということは勿論隠していた。そのうえでの言葉だ。
「そこにだ」
「ですが」
「信じるのだ」
 あえて妹に言うのだった。
「わしの言葉を。手紙を」
「それでは・・・・・・」
「御前は不実な男を愛し」
 こう言っていく。
「そしてそれに相応しい報いを受けたのだ」
「何ということ・・・・・・」
「しかしだ」
 ここで遠くから賑やかな声が聞こえてきた。エンリーコはそれに気付いたうえで妹に対してさらに告げたのである。その告げた言葉は。
「聞こえるか」
「えっ・・・・・・」
「この声がだ」
 その遠くからの声を妹にも告げた。
「この声がだ。聞こえるな」
「まさか。この声は」
「そうだ、御前の花婿がここに着いたのだ」
 このことを彼女に言うのだった。
「今ここにだ」
「そんな・・・・・・」
「全ては整った」
 彼は妹をさらに追い詰めた。
「さあ、幸せに向かおう」
「全ては終わったのね」
 ルチアはこう言うしかなかった。
「もうこれで」
「今我が家はだ」
 今度は自分達の一族のことを話すのだった。
「先王様が崩御されメアリー様が即位されたな」
「はい・・・・・・」
「そして我等の党派は敗れた」
 スコットランドでの貴族同士の政争である。この時代の欧州の貴族達の常であった。何かといえば党争を繰り広げていたのである。
 彼の一族はそれに敗れたのだ。これもまたよくあることだった。しかしそれこそが彼を今窮地に陥れているのであった。だから今余計にルチアに言うのである。
「それを救うことができるのはアルトゥーロ殿だけなのだ」
「その方だけが」
「では私は」
「一族の為だ」
 政略結婚というわけだ。貴族社会の常ではある。
「わかったな」
「ですが私は」
 まだ言うルチアだった。
「あの方に永遠の誓いを」
「では一族はどうなるのだ」
 このことを前に出した。
「御前が拒むとなればだ」
「ですが。それでも」
「そうなればだ」
 彼はここでさらに言うのであった。見事なまでに妹を次第に追い詰めていた。
「一族も終わる」
「一族も」
「無論わしもだ。そしてわしも一族の者も全て御前の前に亡霊となって現われることになるのだぞ。それでもいいというのか?」
「神よ」
 ルチアは涙を流しながら述べた。
「どうか私にお慈悲を」
 こう言うのである。俯いたままであったが。
「私の願いが地上でも天上でも適えられないのなら」
 絶望しきっての言葉だった。
「この望みのない命を奪い取って下さい。もう希望はありません」
「ではわしはだ」
 エンリーコはここで部屋を後にするのだった。
「色々と取り仕切らなければならん。それではな」
 こう言って消えるのだった。後に残ったのはルチアだけであった。
 そのルチアのところに今度はライモンドが来た。彼は彼女を気遣う顔で優しく言ってきたのであった。
「ルチア様」
「司祭様ですか」
「はい。フランスへのお手紙ですが」
「私が書いたあれは」
「どうもおかしいのです」
 ここで怪訝な顔になるのであった。
「届いていない様なのです」
「届いていないとは」
「どうやらエンリーコ様が手を回されて」
「それで届いていないのですね」
「おそらくは」
 それがノルマンノの仕事であることまでは彼等も知らなかった。しかし届いていないという現実だけははっきりとわかったのである。
「試しに私の手紙の中に入れて確かな手を通じて送ったのですが」
「どうなったのですか?」
「音沙汰がありません」
 首を横に振っての言葉であった。
「何一つとしてです」
「では私はどうすれば」
「残念ですが」
 こう前置きしたうえでの言葉であった。
「運命に従われるしかありません」
「そんな・・・・・・」
「ここはどうか」
 こう言うしかなかった。彼もだ。
「それをお受け下さい」
「では私の誓いは」
「それは残念ですが」
 沈痛な顔であった。しかし告げるしかなかった。彼もだ。
「もう。それも」
「それでも私の心は」
「それに勝たれるしかないのです」
 告げたくはなかった。しかし今は告げるしかなかったのである。
「最早」
「何という悲しみ、そして不幸」
「しかしです」
 それでも言うライモンドだった。
「これは最早です」
「私に残された道はもう」
「はい、お母上の為にも」
「お母様の為にも」
「そうです」
 ライモンドは先日亡くなった彼女の母のことも話に出した。これは話術の一つであった。
「あのお母上の為にも。そして一族の為にも」
「私を愛して育ててくれたあの方々の為にもですか」
「どうかです」
 その言葉は切実なものになっていた。
「ここはお受け下さい」
「お母様の為にも」
「是非です」
 それは何としてもというのだ。
「御願いです、ここは」
「では私は」
「貴女が一族の為にあの愛を諦めて下されば」
「私一人で多くの人が幸せになれる」
「それにアルトゥーロ様もです」
 ルチアが結婚する予定のその彼のことだ。
「無体な方ではありません。きっと幸せになれます」
「幸せ・・・・・・私の幸せは」
「どうかしっかりと」
 こう言って何とか彼女を部屋から出すのであった。城の大広間は幾多のキャンドルで明るく照らされ眩いまでであった。きらびやかに金や銀で飾られた広間には多くの着飾った紳士と淑女がいる。エンリーコはその中で黒髪の穏やかな目をしている若い男と互いの両手を使って握手をしていた。若者の服とマントは黄色でそれが広間の中でとりわけ映えていた。
「ようこそアルトゥーロ様」
「よくぞおいで下されました」
 エンリーコの一族の者達と兵士達が彼を讃えて言う。アルトゥーロは一旦エンリーコから手を離し満足している顔でその言葉を受けている。
「貴方がここに来られたことで」
「一つの愛が生まれることでしょう」
「有り難うございます」
 アルトゥーロはその彼等に笑顔で応えていた。
「私は貴方達の為にここに来ました」
「これで私達は貴方の友人となり」
「永遠の絆がここにできます」
「その通りです。そして」
 彼はエンリーコに対しても言った。
「エンリーコ殿」
「はい」
「私は貴方の許に友人として、兄弟として」
「来られたのですね」
「その通りです」
 満面の笑みでの言葉であった。
「以後も宜しくお願いします」
「是非」
「そしてルチア殿は」
 彼は大広間の中を見回しながらエンリーコに問うた。
「まだでしょうか」
「もうすぐです。ただ」
「ただ?」
「あれは気の優しい娘でして」
 ここでこのことも話した。
「母の死をまだ悲しんでいるのです」
「そうらしいですね。そして」
 アルトゥーロの顔が微かに曇った。
「彼女に言い寄る男がいるとは」
「その男については貴方も御存知の筈です」
「エドガルドですか」
「そうです」
 二人の顔が話しているうちに曇った。
「あの男がいるのです」
「そうですか」
 それを聞いてアルトゥーロの顔がさらに暗いものになった。
「あの男が。やはり」
「そのうちこの手で決着をつけます」
 エンリーコの目に剣呑な光が宿った。
「ですから御安心下さい」
「はい、それでは」
「エンリーコ様、来られました」
「ルチア様がです」
 ここでノルマンノと兵士が一人来て彼に告げてきた。
「うむ、わかった」
「いよいよですね」
 エンリーコはまだ険しい顔だったがアルトゥーロは喜んでいた。二人の表情にはそこまで見事に違いが出てしまっていた。だが周りはそれに気付かない。
「花嫁が来たぞ!」
「ようこそルチア!」
「何と美しい!」
 遂にルチアが来た。左右にそれぞれライモンドとアリーサがいる。二人はルチアを支える様にして彼女の左右にいるのであった。
 エンリーコは彼女が自分の前に来ると。すぐにアルトゥーロを右手で指し示して話すのだった。
「こちらがだ」
「私の」
「そうだ。夫となる人だ」
 アルトゥーロは無言で微笑みルチアに会釈した。
「よいな」
「・・・・・・はい」
 ルチアは蒼ざめた顔で兄の言葉に対して頷いた。
「わかりました」
「何という美しさだ」
 アルトゥーロはただルチアの顔と容姿だけを見て述べた。
「これ程までとは」
「それではです」
 エンリーコは話を強引に進めにかかった。結婚の契約書があるテーブルを持って来させそのうえでさらに二人に対して言うのであった。
「それでは誓いを」
「はい」
 アルトゥーロはにこやかに進む。ルチアは絶望した顔で何とか進んでいた。
 アルトゥーロのサインはすぐに終わった。しかしルチアは。
 羽根のペンを手にしても中々進まない。手が震え動かないのだ。
「ルチア様、勇気を」
「けれど」
 ライモンドに促されても手が動かないのだった。顔はさらに蒼くなっていく。
「手が」
「早くするのだ」
 横から兄が睨みながら言ってきた。
「いいな」
「・・・・・・はい」
 何とかサインをした。そして一人呟くのだった。
「私の幸せはこれで」
「全ては終わった」
 エンリーコはその横で安堵した顔になっていた。
「まずは何よりだ」
「何という災厄・・・・・・」
 ルチアがまた力なく呟いたその時だった。不意に外から物々しい音が聞こえてきた。
「!?あれは」
「何だ!?」
「何の騒ぎなの?」
 皆その音に不意に声をあげて周りを見回す。するとここで扉が開け放たれる音がしてそうしてであった。外套に身を包んだ一団が広間に乱入してきたのである。
「誰だ、この祝福の場に!」
「何の用で来た!」
「私だ!」
 先頭の男がその外套を脱いだ。そこにいたのは。
「エドガルド!」
「ああ!」
 エンリーコとルチアが彼の姿を見て同時に声をあげた。ルチアの顔は今にも割れんばかりであった。それは鏡が槌で割られたかの様であった。
「どうして・・・・・・」
「ルチア様・・・・・・」
 アリーサが倒れようとする彼女を慌てて後ろから支えた。それでことなきを得た。
 だがエンリーコが彼の前に出て。今にも剣を抜かんばかりの顔で言うのだった。
「貴様か」
「そうだ、私だ」
「何故ここに来た」
 こうエドガルドに問うのだった。
「ルチアに用があるのか」
「だとすればどうする?」
「あの娘は貴様のものではない」
 こうは言った。しかしであった。
「だが。何だというのだ、心の中に悔恨の念が起こる」
 こう一人呟くのだった。
「わしの中に。何故だ」
「怒りで燃え上がりそうだ」
 そしてエドガルドも呟く。
「しかし彼女を。不実なあの娘を見ていると」
 ルチアを見ての言葉である。
「愛を感じずにはいられな。私はまだ彼女を強く愛している」
「死んでしまいそう」
 ルチアも言う。
「驚きのあまり。何もかもが終わって」
 こう呟くのだった。
「そして死んでしまいそう。涙はもう涸れて出て来なくなったというのに。神にさえ見放されたしまった私はもう」
「何と恐ろしいことだ」
 ライモンドも顔を蒼白にさせていた。
「最早言葉もない」
「これから恐ろしいことが起こるのね」
「どうすればいいのか」
 アリーサとノルマンノも同じだった。顔は蒼白である。
「このままだと」
「取り返しのつかないことが」
「彼女の顔は」
 そしてアルトゥーロもまた。
「太陽の光が覆われ萎れた薔薇の様になって」
「生と死の中にあるような」
「何というお顔」
「恐ろしい・・・・・・」
 ライモンドもアリーサもノルマンノも言葉を失っていた。だがエンリーコとアルトゥーロはかろうじて気を取り戻して剣を抜いてエドガルドに言うのだった。
「立ち去るのだ、悪党め!」
「そうだ、さもなければだ!」
 二人は並んでエドガルドに叫ぶ。それぞれの赤と黄色がエドガルドの青に対する。
「ここで死ぬことになるぞ!」
「そうだ!」
「いいだろう」
 エドガルドも剣を抜いた。そのうえで言う。
「私は死ぬだろう、だがそれと共に多くの血も流れるぞ」
「言うのか」
「ならば」
 三人はそれぞれ斬り合おうとする。だがここでライモンドが出て来た。三人の間に彼の黒いその法衣が来て間に入ったのである。
「お待ち下さい」
「ライモンドか」
「はい、ここはどうか剣を収めて下さい」
 こうエンリーコに対して言うのだった。
「どうかここは」
「ならん、この男だけはだ」
「私もだ」
 そしてエドガルドも言うのだった。
「ここは何としてもだ」
「斬る、誰もを」
「神が祝福される場です」
 彼はその彼等に対して神の名を出した。
「神は人を殺すことを好まれません。剣で人を殺める者もまた剣によって滅びます」
「くっ、わかった」
「それでは」
「今は収めよう」
 三人は何とか剣を収めた。だがエンリーコは怒りを抑えきれない顔でエドガルドに問うた。
「言え!」
「何をだ」
「何故ここに来た」
 それを問うのであった。
「誰が貴様をここに誘ったのだ」
「運命だ」
 エドガルドは昂然として言葉を返した。
「私はそれによって来たのだ」
「だからだというのだな」
「そうだ、ルチアはだ」
 彼は今度はきっとした顔でルチアを見据えた。ルチアは彼のその強い怒りに満ちた目に顔をさらに白くさせてしまった。
「私に永遠の愛を誓った」
「それはもうお忘れ下さい」
 こう返すライモンドだった。
「どうかそれは」
「それは何故だ」
「ルチア様はもう他の方のものです」
「何っ!?」
「これを御覧になって下さい」
 ここでエドガルドに結婚契約書を見せた。そこには確かにルチアのサインがあった。
 彼はそれを読んだ後でまたルチアを見据えた。そのうえで言うのであった。
「震えている」
「エドガルド・・・・・・」
「そして取り乱している」
 彼はそのことをすぐに見抜いた。
「これは貴女の字なのか」
 契約書を手に彼女に問う。
「それで間違いないのか」
「・・・・・・はい」
 雪の様に白くなった顔での言葉だ。
「その通りです」
「わかった」
 それを聞いてまず頷くエドガルドだった。そうして己の指輪を外しそうしてそれを床に叩きつけ足で踏み躙った。そのうえで忌々しげに叫ぶのであった。
「貴女は裏切った」
 怒りに満ちた目でルチアを見据えて言ったのだった。彼女はもう何も言えなくなっていた。
「神も我々の愛も」
 そしてさらに言う。
「呪われるのだ、何もかも。私は最早誰も愛さないし全てを憎む」
「何ということを」
「指輪を踏み躙るとは」
「言った筈だ。私は全てを憎むと」
 実際にその目には最早憎悪と憤怒しかなかった。そして悲しみと。
「ならば私は」
 再び剣を抜いた。それを見てまたエンリーコとアルトゥーロも剣を抜いた。
 双方の後ろにそれぞれの兵士達がつく。彼等も剣を抜いていた。
「出て行くのだ!」
「最早許してはおけぬ!」
 エンリーコとアルトゥーロがまた叫んだ。
「この怒りを抑えることはできん」
「今ここで殺してくれる」
「そうだ、もう許せん!」
「出て行かなければ血で償ってもらう!」
 兵士達も怒りに満ちていた。そしてエドガルドと彼の兵士達もまた。
 剣を抜き今にも戦わんとしていた。
「いいだろう、一人残らずだ」
「血祭にあげてやろうぞ!」
「我等が一人もいなくなろうともだ!」
「戦いの中で果てる!」
 こう言って剣を手にして叫ぶ。まさに一触即発だった。
 そしてエドガルドは言うのだった。
「邪な心の女に私の死は素晴らしい光景だろう。その亡骸を踏み躙り満面の笑顔で裁断に向かいそこで神の祝福を受けるべきなのだ」
「神よ、どうか」
 ルチアも言うのだった。
「お救い下さい、この恐ろしい時に望みを御聞き下さい」
 悲しみと苦しみに満ちた顔での言葉だった。天を仰いでいた。
「この世には何の望みもありません。どうかこの限りない悩みの祈りを御聞き下さい。どうか私のこの世で最後の願いをです・
「どうかここは」
「御気を確かに」
 ライモンドとアリーサはそのルチアを左右から支えて励ます。
「そしてエドガルド殿、貴方は」
「どうかお逃げになって下さい」
「逃げる必要なぞない!」
 しかし彼はそれを聞こうとしない。
「今の私にはもう」
「ですがここはどうか」
「お下がり下さい」
「生きよというのか、私に」
「そうです」
 その通りだと彼に告げるライモンドだった。
「ですからここは」
「・・・・・・くっ」
「エンリーコ様」
 そして彼にはノルマンノが傍に来て言う。
「宴の場です。ここは」
「収めよというのだな」
「そうです、ですから」
「致し方あるまい」
 彼もそれに頷いた。アルトゥーロもだ。
「それではだ」
「はい、それでは」
「全ては永遠の慈悲の前で和らげられます」
 ライモンドの言葉だ。
「たった一つの悲しみに対して数限りない喜びが与えられることもまた人の世です」
 こう言って双方を下がらせた。エドガルドは己の兵士達を引き連れ忌々しげに広間を去った。ルチアは遂に気を失いアリーサがそれを支える。宴の場は騒乱の坩堝となっていた。



そこまでするか、というかルチアが可哀相だな。
美姫 「とりあえずの惨劇は免れたみたいだけれど、エドガルドが大人しくするかどうかよね」
うーん、ルチアは気絶してしまったしな。
どんな結末になるんだろう。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。



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