『ローエングリン』
第二幕 募る不安
騎士がブラバントに来たその夜。皆ブラバントの宮城で彼を祝福していた。翌日にエルザとの祝宴も決まり宮城の騎士館
では王を招いた宴が開かれていた。その左手にはエルザの館があり右手には宮城の寺院がある。その石造りの階段に今二人
はいた。
岸館からは楽しげな音楽が聴こえる。しかし二人は忌々しげにそれを聴くだけだった。窓から漏れる明るい光に対しても
同じだった。やはり忌々しい目で見ていた。
「行くか」
そのうちの一人が立ち上がりもう一人に声をかけた。見ればテルラムントである。
「夜明け前にここを去るぞ」
「行く必要はないわ」
だがもう一人はこう言うのだった。階段に座ったままのこの女はオルトルートだった。
「別にね」
「何故そんなことを言えるのだ?我等はもう追放されるしかないのだぞ」
「大丈夫よ」
しかしオルトルートはこう夫に対して言うのだった。
「それはね」
「それはまたどうしてだ?」
「あの灯りも今だけ」
窓からの灯りを夫よりも忌々しげに見ていた。
「今だけだから」
「馬鹿を言うな。わしは負けた」
苦々しい言葉であった。
「このことは否定できない。それもこれも」
「私のせいだとでも?」
「御前が今回のことをわしに言ったのではないか」
こう言って妻を責めるのであった。
「違うか?」
「その通りよ」
「では御前のせいだ」
答えは必然としてこうなった。
「全てな」
「けれどそれがどうしたというの?」
「わしは敗れ追放され」
また忌々しげに語る。実に苦い言葉になっている。
「家門を傷つけ彷徨う運命となった。ドイツに居場所はない」
「だからどうしたというの?」
「御前は何もわかっていないのか?」
あくまで動じない妻に対して問うた。
「今の我等の立場が。わかっていないのか」
「わかっているわ。だからこそよ」
「御前の占いに従い公女を訴えたのはいいが」
「公子は本当にいなくなっているわよ」
「それでもだ」
テルラムントの言葉は愚痴になっていた。
「結果はこの有様だ。ラートボート家がこの地を支配するものだと言った挙句にだ」
「それは事実よ」
オルトルートの声が暗くなった。
「我がラートボートの信じる神こそが本当はドイツを」
「神は見ておられる」
ここでテルラムントはキリストの神を口にした。
「そういうことだった。全てはな」
「本来のドイツの神は違うわ」
「全くだ。ドイツは主のもの」
彼は妻の言葉の本意には気付いていなかった。
「その通りだったな」
「だから。大丈夫なのよ」
オルトルートはここで立ち上がった。
「何があろうとも」
「また何か考えているのか」
「あの騎士の神は」
「神は?」
「恐れるに足りないわ」
館を見る目が憎悪で燃え上がっていた。テルラムントは妻のその目を見ていたがそれは自分が持っているものと同じだと
思っていた。
「所詮ね」
「!?どういうことだ」
「何度も言うけれど見ていればわかるわ」
だが彼女はこう言うだけだった。
「すぐにね。考えてみればいいわ」
「何をだ?」
「あの騎士のことよ」
夫に顔を向けて問う。その顔は暗闇の中でえも言われぬ凄みを見せていた。
「あの騎士のことをね」
「どういうことだ?」
「白鳥に連れられてこのブラバントに来た」
「ああ」
「そこにあるのよ」
「神が起こし給うた奇蹟ではないとでもいうのか?」
「奇蹟」
皮肉めいた笑みでの言葉だった。
「何のことだか。とりあえず私に任せておくことね」
「そうか。とにかく考えがあるんだな」
「何故あの騎士は名乗らないのか」
「そういえば」
これはテルラムントも不思議に思うことであった。
「そうだな。何故だ」
「そこよ。公女にきつく口止めまでして」
「考えてみれば奇妙なことだな」
「それを公女に囁くのよ」
思わせぶりな微笑みでの言葉であった。
「その耳元でね。そうすれば」
「騎士も窮地に陥るな」
「そういうことよ。わかってくれたわね」
「うむ」
テルラムントもここでようやくはっきりとした顔で頷くことができた。彼の顔に生気が戻り本来の勇ましい顔になってき
ていたのだった。
「それでではな」
「あの騎士は只者ではないわ」
「確かに」
これはテルラムントもはっきりと感じていた。
「それはな。その通りだ」
「恐らく魔術に長けているわね」
「魔術にか」
「そうよ。つまり」
「神に誓った勝負において魔術を使った」
「しかもそれが異教の術だったならば」
オルトルートはここで密かに夫にも囁いていた。しかし彼はそれには気付いていなかった。
「どうなるかしら」
「異教徒!?」
「ええ、そうよ」
驚く夫に対して不吉な笑みを浮かべて囁くのだった。
「異教徒なら」
「考えてみれば有り得る」
テルラムントは真面目なキリスト教徒として考えた。深刻な顔で腕を組んでいる。だがオルトルートは不吉な笑みで笑い
続けているだけである。
「奇蹟を語りな」
「私の魔術は神の魔術」
あえてキリストの、とは言っていない。テルラムントは気付いてはいないが。
「そうよね」
「うむ、確かに」
「貴方が敗れたのは悪魔としたら」
「わしは神に裁かれたのではない」
「そうよ。貴方が間違っていたのではないわ」
また夫に対して囁いてきた。彼にも気付かせないうちに。
「あの男は」
「ではわしは恥を注げる」
「そうよ」
また囁く。
「わかった。それではだ」
「その通りよ。あっ」
ここで婦人館のバルコニーが開いた。そこから姿を現わしたのはエルザであった。
「公女が」
「出て来たわね」
「うむ」
オルトルートの言葉に対して頷くテルラムントだった。
「そうだな」
「私の嘆きと悲しみを消してくれたそよ風よ」
エルザはバルコニーにおいて言った。
「今私の喜びを貴方に対して告げましょう」
「喜んでいるな」
「確かに」
「貴方のおかげであの人は来ました。貴方は舟路に微笑みかけてくれあの方を導いてくれました」
「あなたは隠れて」
そっとテルラムントに囁くオルトルートだった。
「ここは」
「隠れるというのか」
「私に任せて」
また言うオルトルートだった。
「ここは。いいわね」
「わかった。それでは」
「また貴方の力をここに」
エルザはまだそよ風に語りかけていた。
「この愛に燃える熱くなった頬を鎮めて。貴方のその涼しさで」
「貴方はあの騎士を」
「わかった」
テルラムントはまたオルトルートの言葉に頷いた。
「それではな」
「ええ」
テルラムントはオルトルートと言葉を交えさせてから場を後にした。オルトルートはそれを見届けるとすぐにバルコニー
のエルザの方に顔を上げて声をかけた。
「公女様」
「どなたですか?」
「私です」
寺院の階段のところから声をかけ続ける。
「私ですが」
「その声は」
「はい、そうです」
謙虚を装って言葉を返す。
「今ここに」
「オルトルートさん、どうしてここに」
「私も去らなくてはならなくなりました」
打ちひしがれた声を出してみせた。
「昼の件で」
「そうでしたね。それは」
「今は。後悔しています」
エルザが自分の場所がわかっているのをわかって項垂れてみせた。
「夫もまた」
「伯爵もですか」
「はい。貴女はあの方と幸せな生活を手に入れられ」
また言うオルトルートだった。
「そして私は」
「ここから姿を消さなければならない」
また言うのだった。
「永遠に」
「それは。私は」
「貴女は?」
「私だけが幸福になってはなりません」
ここでこう言うエルザだった。
「それは。やはり」
「それでは一体」
「御期待下さい」
今度はこう告げたのだった。
「私が貴女をお助けしましょう」
「私をですか」
「そうです」
また答えるエルザだった。
「どうか私にお任せ下さい。暫くお待ちを」
ここで一旦バルコニーから姿を消した。一人になったオルトルートは呟きだした。
「汚された神々よ。今こそ私に御力を。貴方達に加えられた恥辱に報いを。そして貴方達に仕える私に御力を。背教徒達の
破廉恥な妄想に罪を」
そしてこの名を口に出した。
「ヴォータン」
この名前を出した。
「貴方に呼び掛けましょう。フリッグよ」
次にこの名前を出した。
「貴方にも御言葉を。どうか私に御力を」
「オルトルートさん」
婦人館の戸口から声がしてきた。
「何処に?」
「こちらです」
またしおらしさの仮面を被って言った。
「ここに。います」
「何という哀しげな御顔」
キャンドルを右手に掲げ戸口から出て来たエルザはオルトルートの顔を見て言った。
「あのお美しい貴女が。私は決めました」
「何をでしょうか」
「貴女をお救いします」
こう言うのだった。
「何があろうとも」
「まことですか?」
「はい」
確かな声で頷きオルトルートに歩み寄った。
「例え何があろうとも。神に誓いましょう」
「神に」
「そして伯爵も」
テルラムントもまた救うというのだった。
「何があろうとも」
「有り難き御言葉」
「明日の朝正装して来て下さい」
「貴女の御前にですね」
「そうです。そして私と共に教会へ」
彼女もまたキリストを信じていた。だからこそ教会なのだった。
「参りましょう」
「はい、それでは」
「私の様な者に対して。宜しいのですね」
「神は慈しみを忘れないものです」
こう答えるエルザだった。
「ですから」
「そうなのですか」
「はい、そうです」
また答えた。
「貴女を」
「有り難うございます。それでは」
「はい」
そっとエルザに近付く。善意の顔を装って。
「一つ御忠告をさせて頂きます」
「忠告とは?」
「貴女の幸福をあまり盲信されないことです」
こう囁くのだった。
「くれぐれも。不幸が襲わないように」
「!?またどうして」
「あの方のことです」
善意を装ったまま気遣う仮面での言葉だった。
「そして魔術にも」
「魔術とは?」
「あの方は魔術を使っておられるかもしれません」
「そんなことはありませんわ」
エルザは一瞬不吉なものを考えたがすぐにそれを打ち消して首を横に振ってからオルトルートに答えた。
「あの方は素晴らしい方です」
「素晴らしい方ですか」
「そうです。私を愛して下さり私もあの方を」
「愛して下さっているのですね」
「そうです。それこそが幸福」
語る言葉は静かに幸福に満ちていた。
「清い真心の幸福です」
「そうなのでしょうか」
(ならば)
オルトルートは純真に応えながら心の底では違うことを考え続けていた。
(それを遣わせてもらうわ)
「ではオルトルートさん」
「はい」
「明日また」
「わかりました。それでは」
「御会いしましょう」
こう言葉を交えさせたうえで互いに別れた。エルザは館に戻りオルトルートは戻ろうとする。その彼女の側にテルラムン
トが来て言ってきた。
「上手くいったみたいだな」
「ええ。まずはね」
「よし。それならばわしの名誉も」
「思いのままよ」
思わせぶりな笑みを浮かべて夫に対して述べる。たくらみの中で夜は更けていくのだった。
そして朝。ブラバントの寺院において欧と貴族、そして騎士達が集まっていた。その中でドイツの貴族と騎士達はそれぞ
れ言うのだった。
「さて、今日はだ」
「どうしたのだ?」
「あの方がまた新たな手柄を立てられるらしい」
「あの方がか」
「そうだ、あの方がだ」
彼等は口々に言う。
「あの方がな」
「ふむ。どうなるのかな」
「楽しみにしておくか」
「おのおの方」
期待する話をする彼等の前であの伝令が声をかけてきた。
「お伝えすべきことがあります」
「むっ!?」
「何だ?」
「王よりの御言葉です」
「王からの」
彼等はそれを聞いて設けられた玉座に座る王を見た。彼は厳かにその場に座している。
「フリードリヒ=フォン=テルラムントは誠意なくして神前の試合にいどんだ罪により追放に処す」
こう言い伝えるのだった。
「そして彼を保護するか彼に心を寄せる者は国法により同罪とする」
「うむ、当然だな」
「神の裁きを受けた者は呪われろ」
皆口々に言う。
「心清き者は彼を避けよ。憩いも眠りもまた」
「王はさらに仰いました」
伝令は言葉を続ける。
「エルザ公女が背の君と憧れておられるあの神の御使いの異邦人の方を」
「あの方を」
「それでは」
「はい、そうです」
貴族や騎士達に対しても答える。
「この度名実共にブラバント公に封ずるとのことです」
「そう、それこそが相応しい」
「あの方には」
「ですが」
しかしここで伝令は注を付けてきた。
「あの方は公爵とは呼ばれたがらずただブラバントの保護者と呼ばれたいとのことです」
「そうですか。それでは」
「我等もまたその様に御呼びするとしよう」
「あの方を」
「是非御聞き下さい」
伝令の言葉は続く。
「今日保護者は皆様方と共に婚礼を祝われる。しかる後に明日我々と共に東に出陣されるとのことです」
「よし、これで我等の勝利は約束された」
「ハンガリーに勝てるというもの」
貴族達も騎士達もその言葉を聞いて喜ぶ。
「あの方と共に戦おう」
「そして勝利を」
「我等の手に」
殆どの貴族達は喜んでいた。しかしテルラムントに近い者達は違っていた。四人程いるが彼等は暗い顔をして集まりの端で
ひそひそと話をしていた。
「まずいな」
「全くだ」
「我等は今後肩身が狭いぞ」
「うむ」
その陰気な顔で話をしている。
「全く以ってな」
「どうしたものか」
「だがどうしようもない」
こう言うしかなかった。
「こうなれば誰からも気付かれることなく」
「静かに端にいるしかないな」
「そうだな。そうしよう」
「うむ。それこそが我等の為だ」
「いや、大丈夫だ」
だがここで四人に対して言う漆黒の男が出て来た。彼は。
「あの男の化けの皮は必ず剥がれる」
「なっ!?貴殿は」
「まさか」
「わしはわかったのだ。あの男のことがな」
テルラムントであった。多くの貴族達の歓声を暗い怒りの目で見据えつつ言うのである。
「だからだ。今日にも告発しよう」
「一体何を?」
「だが今はここにいては危ない」
「卿にとっても危険だ」
こう言って彼等の身体で素早く彼を隠した。そのうえでさらに端に消えて行く。
「今は潜んでいるべきだ」
「詳しいことは後でな」
こう言ってまずは隠れた。集まりには今度は四人の立派な麗しい小姓達が出て来た。そうして高らかに一同に対して告げ
るのであった。
「どうか皆様」
「道をお開け下さい」
「エルザ公女の為に」
こう言うのである。
「どうかこちらに」
「是非共」
「うむ、それでは」
「是非」
貴族達も騎士達もすぐに道を開ける。するとまずは華やかな服の貴婦人達が出て来た。彼女達が案内役だった。その彼女
達の行進に対して貴族達も騎士達も声をかけていく。
「長く屈辱を耐え忍んだ姫よ」
「エルザ=フォン=ブラバント」
彼女の名も呼ばれる。
「これより幸の道を歩まれよ」
「神よ、姫を導かれよ」
「姫の歩みを御護り下さい」
その言葉に誘われるかのようにエルザが姿を表わした。純白の絹のドレスとヴェールに飾られその顔は美しく化粧が為さ
れている。
「この天使の如き姫に対して」
「清らかな情熱に燃える姫に」
「今幸福を」
こうしてエルザが姿を現わした。その横にはオルトルートがいる。ヴェールを深く被っているので顔は見えない。皆不審
な漆黒の女がエルザの隣にいるそれを不審に思ったがあえて声には出さなかった。しかしエルザが場に着いたところでこの
漆黒の女は不意にエルザから離れこう彼女に言うのだった。
「公女よ、お下がりなさい」
「むっ!?あの女、まさか」
「あの声は」
「私は召使ではありません」
この言葉と共にヴェールを脱ぐとそこに現われたのは。
「むっ!?あの女は」
「テルラムント伯爵夫人ではないか!」
「何故ここに!?」
「どういうことだ」
「貴女が私より先に行っていいということがありましょうか。貴女は私に対して跪くべきなのです」
「えっ、一体何を」
エルザはオルトルートの豹変が飲み込めずおろおろとしていた。
「仰っているのですか。一体何を」
「私は自分が持とうというものを求めているだけです」
オルトルートはまだ言う。
「ただそれだけなのだから」
「何故今その様なことを」
エルザはまだ狼狽していた。
「どうして。昨夜の御誓いは」
「間違った裁判は我が夫を処罰しました」
「妥当ではないか」
「姫に対してあの様な侮辱」
貴族達も騎士達も顔を顰めてオルトルートを批判する。
「それを今どうして」
「言うのだ?」
「おかしいではないか」
「我が夫はドイツの尊敬を集めていました。高徳の士として、また武勇の持ち主として」
それは事実だ。
「だがあの騎士は何者ですか?公女ですらその名を知らないというのに」
「黙られよ、伯爵夫人」
「そうだ、あの方を疑うなぞ」
「あってはならないことだ」
「奇蹟の方なのだぞ」
「公女よ」
エルザを見据え指差して問う。
「あの騎士様の御名前が言えまして?その氏素姓が、どの家の出なのか」
「それは・・・・・・」
「何処から来たのかさえわかりはしない。そして何処に流れていくのかさえも」
「だから止められよ」
「これ以上御自身を貶められるな」
「さあ、如何ですか?」
周りの声をものともせずまだエルザに対して問う。
「答えられまして?」
「あの方は清らかで気高く」
エルザは蒼ざめた顔で言うのだった。
「徳高く神々しい方。疑うことなぞありません」
「そうだ、その通りだ」
「姫の仰る通りだ」
皆はエルザを支持した。
「その方を疑うなぞ」
「貴女はやはりおかしい」
「皆様」
エルザはその彼等に対して問うた。
「あの方は。清らかですね」
「その通りです」
「疑う余地はありません」
皆自分達に顔を向けて問うてきたエルザに対して答えた。
「どうして疑うことがありましょう」
「あの方を」
これが彼等の答えである。エルザはそれを聞いてほっとした顔になる。しかしオルトルートは不敵な笑みを浮かべまだ言
うのである。
「それは魔術のせいです」
「魔術を!?」
「今度はそれか」
「では貴女が御聞きなさい」
またエルザに対して言うのだった。
「あの騎士様の御名前を」
「うっ・・・・・・」
「貴女はもう追放になっている」
「下がられよ」
「そうでなければ我々も容赦しないぞ」
彼等の声が厳しいものになる。
「だから今は」
「見よ、あの方が来られた」
「ブラバントの守護者が」
ここで騎士がやって来たやはり白銀の鎧に純白のマントを羽織っている。その彼が来ると不穏な空気が残っていた。彼は
それを見て王に対して問うのであった。
「陛下、これは」
「卿の目で確かめるといい」
王は今はこう言うだけだった。彼は今まであえて沈黙を守って様子を見ることに徹していたのである。これもまた王とし
ての役割でもあるのだ。
「事態をな」
「まさか」
「騎士様」
ここでエルザがローエングリンに駆け寄り彼の胸にその身を投げ入れた。
「どうか私を御護り下さい」
「貴女を」
「あの女から」
「あの女・・・・・・何故だ」
彼もまたオルトルートの姿を認めた。そうしてすぐに顔を顰めさせた。
「彼女がどうしてここに」
「私があの女に情をかけここまで導き陛下と貴方から許しを得ようとしましたらここで裏切り」
「むうっ」
「私が貴方を妄信しているなどと言うのです」
「公女から離れられよ」
騎士は強い目でオルトルートに対して告げた。
「ここは貴女のいる場所ではない」
「そうだ、その通りだ」
「さあ、立ち去るのだ」
「公女よ」
騎士は周りの者達のオルトルートへの糾弾の声を聞きつつエルザに優しく声をかけた。
「あの女は貴女の心に毒を盛るようなことは言わなかったか」
「はい」
戸惑いつつも頷く。騎士はその声を聞いてまずは安心したようだった。それで穏やかな声で言うのだった。
「では今夜は喜びの涙を」
「わかりました」
エルザの心も落ち着いてきた。涙も消えようとしていた。しかしここで一同の前に今度はテルラムントが出て来たのだっ
た。四人もこれには驚いた。
「馬鹿な、どうして」
「何故ここで」
「出るというのか」
彼等も唖然としている。
「これは大変なことになるぞ」
「最早取り返しがつかない」
「陛下」
彼は驚く彼等に対して顔を向けることなくまず王の前に片膝をついたうえで述べるのだった。
「そして諸侯よ」
「一体何だ」
「何故ここに出て来た」
貴族達も騎士達も不快感を隠さない。それは王もまた同じだった。
「御聞き下さい」
「何を聞くというのだ?」
「早く何処かに行ってしまえ」
彼等は口々にテルラムントに対して言うのだった。
「最早卿に聞くことはない」
「話すこともない」
「私は訴えましょう」
迫ろうとする貴族や騎士達を制するかのように立ち上がっての言葉だった。
「あの騎士を」
「騎士殿を!?」
「何だというのだ」
彼は騎士を指差して言っていたのだった。
「また何だというのだ」
「忌まわしき黒魔術の罪で。私の名誉を奪った裁判においてそれを使ったことを」
「!?また何を言うのだ」
「だからいい加減に消え去れというのだ」
「卿は最早」
「では聞きましょう」
また詰め寄ろうとする彼等を前にしてまた告げた。
「この騎士殿の御名前は」
「むっ!?」
「素性は。天下の前で聞きましょう」
「そういえば我々はまだ」
「先程の伯爵夫人の言葉もそうだが」
「知らないぞ」
「うむ」
そのことを言い合うのだった。
「野育ちの白鳥に曳かれ姿を現わす。面妖ではありませんか」
「むう・・・・・・」
「騎士殿」
テルラムントは今度は騎士に対して直接声をかけてきていた。
「お答えできますかな。これが」
「既に名誉なぞ忘れ果てている貴殿には答えることもない」
騎士は表情を変えずにテルラムントに返すのだった。
「その邪悪な疑念で私の心が汚されてなるものか」
「では何故答えられぬのか」
「陛下にも諸侯の会議の場でもお断りしてもさしつかえないこの身」
騎士は自分ではこう言う。
「それにここにおられる方々は御覧になられた筈。この様な疑念に惑わされることなきよう」
「確かに」
「それは」
彼等は騎士の言葉に落ち着き出した。騎士はそれを受けてかさらに言う。
「私の答えがなければならないのは」
「それは」
「公女のみ」
こう言ってエルザの方を見る。そのエルザは顔を蒼白にさせていた。
「貴女が思い煩われることはない。邪悪な疑念なぞ忘れ神の御加護を信じられよ」
「成功したわね」
「そうなのか」
オルトルートは含み笑いを浮かべて夫に囁く。見れば騎士の言葉を受けてもエルザの顔は青いままであった。
「これで。後は」
「もう一押しというのだな」
「そうよ。これで」
二人はまずは満足していた。居並ぶ貴族や騎士達も騎士を見て言うのだった。
「この方はどの様な方なのか」
「尊い方なのは間違いないが」
だが誰も知らないのだった。彼のことは。
そしてエルザも。蒼白な顔のままで呟くのだった。
「あの方が隠されていることが今大勢の方がおられるここであの方の御口から漏れたらそれはあの方にとって危険なこと。
けれど私がそれを聞いたなら」
騎士を見詰めつつ呟く。
「あの方に救われた私は忘恩の徒になってしまう。けれど私の心はもう」
「騎士よ」
王がここで騎士に対して告げた。
「誠実を知らぬこの者達には強く応じられることだ。気高い卿はこの様な言い掛かりなぞ恐れてはいまい」
「無論です」
恭しく一礼して王の言葉に応える騎士だった。
「それは」
「我々もです」
「そう、我々も」
そして貴族達と騎士達が彼に賛同してきた。
「我々は貴方を信じています」
「その正しさを」
「有り難き御言葉」
騎士は彼等のその心を受けて言葉を返した。
「その御心、決して裏切りませぬ」
「宜しいですか」
「来ないで下さい」
エルザは不気味な笑みを浮かべて囁いてくるオルトルートを拒もうとする。だがそれでもオルトルートは彼女に囁くので
あった。その不気味な声で。
「貴女が聞かれれば」
「聞かないで下さい」
「下がるのだ」
騎士がここでオルトルートを強い声で呼び止めエルザの前に出た。
「貴殿等は二度と公女の前に出てはならない」
「くっ・・・・・・」
「だがこれで」
二人は彼の強い言葉と視線の前に下がるしかなかった。だがそれでも感触ははっきりと感じていた。
騎士はエルザを優しく抱く。そのうえでまた告げた。
「貴女の真心にこそ幸福があるのです」
「私の心に」
「そうです。ですからそれを忘れないように」
「わかりました。私を救い幸福をもたらせして下された方」
「はい」
「私は今あらゆる疑いの魔力の上に高く愛を唱えましょう」
「そう、そうあるべきなのです」
「今ここに祝福を」
騎士が言うと周りの者達もそれに続く形で言いだした。
「どうか婚礼の場へ」
「神の導きを受けられよ」
「徳高き方々よ」
「エルザ=フォン=ブラバントに神の御加護を」
人々に祝福されつつ歩きだす二人。エルザは騎士の横に寄り添っていたがふと見るとそこにオルトルートがいた。彼女は
勝利を確信したように勝ち誇った笑みを浮かべ右手を彼女の方に出してきた。エルザはまた青い顔になりそれから顔を背け
る。だがここでまた騎士がエルザの前に出てオルトルートを牽制する。それを見た彼女は姿を消す。だが彼等はそれでも人
々に導かれ婚礼の場である寺院に向かうのであった。
うーん、このオルトルートという夫人は策略を巡らすのが上手いと言うかのか。
美姫 「エルザの心に見事に疑心を植えつけた感じよね」
この後、エルザがどんな行動を取るか、だよな。
美姫 「かなり気になる所よね」
ああ。一体どうなるんだろう。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。