『こうもり』
第一幕 宴の前に
オーストリア=ハンガリー帝国の時代。ウィーンのあちこちには貴族達の邸宅があった。その中の一つに白い大きい、それでいてみらびやかな一軒の邸宅があった。部屋の中は絹のカーテンと白い大理石の彫刻で飾られ落ち着いていながらも絢爛なものがそこにあった。落ち着きながらもそこに贅をこらしているオーストリア貴族ならではの美があった。
そこの大広間で黄金色の髪を波立たせた端整な顔立ちの男がいた。背は高くまるで中世の騎士のように均整のとれた身体としていて脚も非常に長い。その身体を絹の礼装で包み込んでいた。
「さあ飛び去った私の小鳩よ」
彼はその中で歌っていた。高い声である。
「私の願いを叶えておくれ。もう一度この手に戻ってくるのだ」
何の歌であろうか。どうやらただ小鳩を歌っているのではないことはわかる。
「さあ早くこの手に。私の憧れのロザリンデ」
そこまで歌うと一旦姿を消した。大広間から庭に出たのである。
入れ替わりに長い黄金色の髪に湖の瞳をした落ち着いた雰囲気の美女がやって来た。三十を越えているようだがそれでもその美貌は健在であった。むしろかえって磨かれているような赴きさえある。少なくとも少女の持つ美貌なぞ太刀打ちできるものではなかった。そのスラリとした身体を白いドレスで包み込んでいる。
「あら、これは」
見れば彼女はその手に手紙を持っている。その差出人を見て声をあげた。
「イーダ?誰かしら」
「奥様」
そこにメイドがやって栗色の髪の毛に緑の目の小柄な可愛らしい娘であった。
「どうしたのですか?」
「あら、アデーレ」
彼女はメイドに気付いて顔をそちらに向けた。
「実は手紙が来たのだけれど」
「お手紙ですか」
「そうよ、イーダって人から」
「姉さんからですか」
「あら、貴女のお姉さんだったのね」
奥方はそれを聞いてまずは目をパチクリとさせた。
「はい、バレーの踊り子なんです」
「そうなの。知らなかったわ」
「最初に言いませんでしたっけ」
「いえ」
奥方はその言葉には首を横に振る。
「それ聞いたのはじめてよ」
「そうだったんですか」
「ええ。それでね」
奥方は言う。
「貴女への手紙になるわね」
その手紙を差し出す。アデーレはそれを受け取った。
「どうもです」
「いえ、いいわ。それにしても」
「何でしょうか」
「何かその手紙が気になるのだけれど」
彼女は言う。
「お金のこと?だったら貴女のお給料をあげてあげてもいいけれど」
「いえ、それは別に」
アデーレは笑ってそれに返す。実は奥方はメイドに対してはかなり気前のいい優しい主であった。おっとりとしたところのある国柄がいい具合に反映されていた。
「いいですよ」
「そうなの」
「それにですね」
アデーレは封を切ったその手紙を見ながら述べてきた。
「お金の話じゃないですし」
「そうだったの」
「今夜のことですね。都合よく」
「大晦日のこと?」
「そうです。何でもオルロフスキーさんって人のお家で宴会が行われるそうで」
「ああ、あの方ね」
奥方はそのオルロフスキーという名を聞いて頷いてきた。
「御存知なんですか」
「ロシアの貴族の方よ。かなり有名なのよ」
彼女はアデーレにそう語る。
「公爵家の方でね。お金と暇を持て余していて」
「素晴らしい方ですね」
アデーレはそれを聞いただけで感激を見せてきた。
「お金と暇が一杯あるなんて。何て羨ましい方」
「けれど御本人はそうは考えていらっしゃらないのよ」
そうアデーレに語る。
「とにかく退屈だそうで。困ってらっしゃるわ」
「そうなんですか。何かわかりませんね」
「人それぞれよ。それでね」
奥方はさらにアデーレに言う。
「何て書いてあるの?」
「私をそのパーティーに案内するそうです」
「貴女を」
「はい」
アデーレは答える。
「やっぱりこの服じゃまずいですよね」
メイド服のスカートの端を摘んで言う。当然その格好では宴に行ける筈もなかった。やはり宴ともなれば正装が基本であるからだ。
「ドレスは持っていないの?」
「前は持っていました」
アデーレは答える。
「けれどこの前ワインとケーキで汚れて。今洗っているところです」
「何やってるのよ」
奥方はそれを聞いて口を尖らせてきた。
「折角のドレスにそんなことして。高かったんでしょ?」
「ここのお給料の殆どがそれで消えちゃってます」
アデーレは悲しい顔でそう述べた。
「だから今とても悲しいです」
「そうでしょうね。パーティーにも参加できないし」
「小鳩になって潜り込めればいいのに」
「じゃあ魔女の黒い服がいいの?」
「いえ、私が欲しいのは純白のドレスです」
そう奥方に返す。
「今はないですけれど」
「残念だけれど諦めるしかないわね」
「はい」
泣きそうな声で答える。
「悲しいですけれど」
「そんなに落ち込まないで」
奥方はここで彼女に対して気遣う言葉をかけた。
「チョコレートとクッキーでも食べてね」
「それとココアですよね」
「そうよ。好きでしょう?」
アデーレに問う。
「それを食べてね。気を取り直しなさい」
「わかりました」
彼女もその言葉を聞いて何とか気を持ち直してきた。
「じゃあそうします」
「そうして。じゃあ私はちょっと用事があるから」
こう述べて彼女から離れた。
「暫くそこにいて。すぐに戻るから」
「わかりました」
奥方は一旦大広間から姿を消した。すると後ろのガラス窓の扉から一人の男が現われるのであった。さっきの歌を歌っていた男である。
「さあ飛び去った小鳩よ」
「小鳩!?」
アデーレはそれに気付き顔を扉の方に向ける。すると左右に絹のカーテンを配した白い木と透明なガラスの窓が開けられていた。そしてそこから彼が入って来ていた。
「今この私の願いを」
「あら、貴方は」
アデーレは彼の姿を見てすぐに気付いた。
「アルフレートさん」
「おお、フロイライン」
その男アルフレートは大袈裟な動きで彼女に歩み寄ってきた。そのうえで言う。
「今日も可愛らしい」
「有り難うございます。それでですね」
「うん」
「何の御用件でしょうか」
「それは決まってるじゃないか」
「歌でしょうか」
「そう、僕はテナーだからね」
彼は言う。
「今日はオフだからここに来たんだけれど」
「明日はまた忙しいですか?」
「この都は新年にこそ歌わなくてはいけないんだよ」
彼はそう述べてきた。実際に新年になるとオペラハウスはあちこちでここぞといった演目を出すしオーケストラも新春を祝って演奏会をやる。音楽の都はその中心でありオーストリア皇帝と共にそれを祝っているのである。
「けれど今は」
「今は?」
「一人の為に歌いたいんだ」
「そうなんですか」
「うん」
彼はこくりと頷いてきた。
「だからここに来たんだよ」
「誰の為でしょうか」
「残念ですがフロイライン」
彼はアデーレに述べる。
「貴女ではありません」
「あら、それは残念」
悲しそうにみせるがこれはお芝居である。わざと芝居がかった仕草を見せているだけだ。
「そうだったなんて」
「私が会いたいのは」
「アデーレ」
そこへ奥方がやって来た。
「誰かいるの?さっきからお話しているみたいだけれど」
「あっ、奥様」
ここでアデーレは咄嗟に何かを思いついた。先程の宴のことがあることが閃いたのであった。
「ねえアルフレートさん」
「何だい?」
「お聞きしたいのですがその御会いしたい方とはどなたですか?」
「わかってると思うけれどね」
耳元に囁いてきたアデーレにそう答えながらちらりと奥方を見た。
「どうかな」
「はい、よく」
アデーレは彼女の視線を見て応えた。そのうえでまた囁いてきた。
「それじゃあですね」
「うん」
「ここから消えますのでお願いがあります」
「何だい?」
「チップを」
現金にそれを主張してきた。
「ドレスをレンタルできる位の。いいですか?」
「お安い御用だよ」
アルフレートは快くそれに応じてきた。ウィーンは何かと宴の多い街なのでドレスや鬘、そうしたもののレンタル業も盛んであった。そして売れっ子のテナー、テノール歌手である彼にとってはそれをレンタルできるだけのチップを出すことなぞ造作もないことであったのだ。
「それじゃあ」
「有り難うございます」
垢抜けたドイツ語で応える。この街の言葉であった。
「じゃあそういうことで」
「お願いするよ」
「はい。奥様」
アデーレは急に深刻な顔になって奥方に声をかけてきた。
「どうしたの?」
「実は大変な手紙がまた来たのです」
「大変な手紙が」
「はい、叔母が重病らしくて」
「叔母さんが!?」
「そうです。それで今夜見舞いに行って宜しいでしょうか」
「そうなの。けれど」
だがここで奥方は難しい顔をしてきた。
「今日からうちの人が警察の御厄介になるから」
「はあ」
「あの」
アルフレートはそれを聞いてアデーレに囁いてきた。
「伯爵は何をされたの?」
「はい、実はですね」
アデーレに彼に応える。そしてまた耳元で囁いてきた。
「酔って倒れられているところを介抱しようとしたお巡りさんの顔を何発か殴ってうすのろって罵って。それで五日の禁固刑になりまして」
「ああ、それは仕方ないね」
彼はそれを聞いて納得したように頷く。
「そんなことしたらね」
「そうですよね」
「また馬鹿なことをしたね、あの方も」
アルフレートはそう述べた。
「けれど私には関係ないことなので」
「そうだね。それはフロイラインが正しいよ」
「ですよね。それで奥様」
ここでまた悲しい顔を見せてきた。今にも泣きそうである。
「ええ」
「叔母さんのことろに行かせて下さい。可哀想な叔母さんのところに」
「残念だけれど今日は駄目なのよ」
それでも奥方は言う。
「今日だけは」
「そう仰らずに。それに」
「はい、何か」
「そこにおられる方は。さっきから気になっていたけれど」
「ああ、ロザリンデ」
「アルフレート」
アルフレートの姿を認めて雷に打たれたようになった。
「どうしてここに」
「君に会う為にね」
彼はそれに応えて大袈裟な様子で述べる。
「それで来たんだよ」
「そんな、何てはしたない」
ロザリンデはその言葉を聞いて顔を顰めさせる。
「私はもう人妻なのに」
「それがどうしたっていうんだ」
アルフレートはいささか儀礼的な言葉を述べた。こうした時に言う言葉はやはりこれであった。
「僕は構わない」
「私は構うのです」
奥方の言葉も同じであった。
「私には主人が」
「牢獄に入られるのですよね」
「それでも」
彼女は言う。
「また帰って来るから。だから」
「本当?」
「はい」
アデーレがアルフレートに答える。
「その予定です」
「そうなんだ。じゃあ」
彼はそれを聞いてからまた奥方に言ってきた。
「また来ます」
「駄目よ」
奥方はそれにも反対する。
「そんなことを言っても」
「いえ、それでも」
彼はその声を強くさせてきた。
「来ます。いいですね」
「どうしても?」
「どうしても」
声をさらに強くさせてきた。有無を言わせない調子であった。
「だからロザリンデ」
「わかったわ」
「あら」
アデーレはそんな奥方を見て意外といったふうに目を丸くさせた。
「奥様も中々」
一人ほくそ笑む。
「じゃあまた来るね」
「ええ」
切ない顔で彼に応える。
「わかったから。もう帰って」
「うん、じゃあね」
彼は意気揚々と屋敷から姿を消す。彼が消えたのを見て奥方は一人溜息をつくのであった。
「あの声さえなければ。高い声が」
どうやら彼女はテノールに弱いらしい。オペラで最も女性の人気を得るのはテノールである。彼女もそれにはあがらえないということである。
「奥様」
「内緒よ」
「わかってます。それでですね」
「ちょっと待って」
アデーレの言いたいことはわかっている。しかしここで誰かが屋敷の前に馬車を止める音がしたのだ。同時に馬のいななきも聞こえてきた。
「あの人かしら」
「多分」
アデーレがそれに答える。
「そうだと思います」
「何か騒いでいない?」
「そうですね」
耳を澄ませば何か男二人が怒鳴りあっているのが聞こえる。二人はそれを聞いて首を傾げた。
「あの人と」
「ブリントさんですね」
アデーレは声を聞きながら言う。
「間違いなく」
「何を話しているのかしら」
「さあ」
そこまでは聞き取れない。だがあまりいい話をしていないのは語調でわかる。
「こちらに来ますし。待ちますか」
「そうね」
奥方はそれに頷いて夫であるアイゼンシュタイン伯爵を待った。やがて黒い背広を身に纏ったアイゼンシュタイン伯爵がやって来た。案の定カリカリしていた。
癖のある黒髪を後ろに少し撫でつけ律儀に切り揃えた口髭を持っている。目はブラックだ。かなりの長身で端整な面持ちである。ある銀行の頭取でその財産も地位もかなりのものだ。だが酒癖が悪く今回の事態となっている。そうした困った一面もある御仁なのである。
その彼がダークブラウンの服を着た黒い髪で黒い目の面長の男に対してあれこれと言っていた。どうやら先程からの喧騒はこれであるらしい。
「全く何ということだ」
伯爵はカリカリしたまま言葉を発していた。
「おかげで踏んだり蹴ったりだ」
「あなた」
「おお、妻よ」
伯爵はここで奥方に気付いた。
「只今」
「お帰りなさいませ。どうされたのですか?」
「どうしたもこうしたもない」
彼は妻に対しても怒りを爆発させてきた。
「いいかね」
「はい」
奥方は静かに彼の話を聞きはじめた。ストレスを吐き出させて怒りを収めるつもりであった。
「話が悪化した」
「悪化したとは」
「彼のせいだ」
その面長の男を指差して言った。
「それも全てだ」
「お待ち下さい」
しかし細面の男は抗議してきた。
「このブリントは」
「全部君のせいではないか」
伯爵は彼に言わせようとしない。
「違うかね?」
「誤解です」
ブリント弁護士はそう主張する。
「まずは私自身の弁護をしましょう」
「不要だ」
伯爵はそれを切り捨てようとする。
「いらんお世話だ」
「何を仰いますか」
「君自身への弁護なぞ不要ということだ」
「何を言われるか」
彼はそれに抗議する。
「全くもって不愉快ですぞ」
「不愉快ならそれはそれでいい」
伯爵はムキになった顔で言い返す。
「鳥のように喋られても鬱陶しいだけだ」
「あの」
いい加減見苦しいので奥方が声をかけてきた。
「何をそう興奮されているのですか?」
怪訝な顔をして夫に尋ねてきた。
「一体どうされて」
「これが怒らずにいられるか」
彼はその言葉にも抗議する。
「同じことばかり言うこの鶏頭の彼に対して」
「失礼ですが伯爵」
「しかも雄鶏みたいに声を張り上げ」
「それは地声です」
「そんなことは知ったことではない」
伯爵はその主張にも言い返す。
「いいかね」
「私が雄鶏というのなら」
ブリントはどういうわけか雄鶏に例えられてかなり立腹しているようであった。彼もまたムキになっていた。
「貴方は七面鳥だ」
「それはどういう意味かね」
「いつも熱病のように怒られて」
「七面鳥がいつも怒っているかしら」
奥方はその言葉を聞いて首を傾げる。それにアデーレが囁いてきた。
「只の罵り合いですから意味はないのではないでしょうか」
「そうかしら」
「そうですよ。お互い疲れるまで放っておかれては?」
「そうね」
ここはメイドの言葉に従うことにした。下手に止めてもどうしようもなさそうだったからだ。
それでここは放置することにした。二人はまだ言い合っている。
「では君は肝油だな」
伯爵はまた訳のわからない罵倒文句を出してきた。
「嫌な奴だ。しかも風見鶏みたいに落ち着きがない」
「風見鶏ですと」
「そうだ。もう君の顔は見たくない」
「御言葉ですが伯爵」
ここで遂に言葉を詰まらせてきた。いい加減言葉がなくなったのであろうか。
「それは」
「今ですよ」
それを見てアデーレが奥方に囁いてきた。
「収めるのは」
「そうね。あの」
アデーレの言葉に頷いてから彼等に声をかけてきた。
「ブリントさん、お帰りになられた方が」
「奥様」
「そうだな。戸口も開いている」
伯爵も少し怒りが収まってきた。それでブリントに対して言う。
「帰り給え。いいな」
「ではそうしましょう」
ブリントは憮然としてそれに従ってきた。
「ではこれで」
そして彼は姿を消した。これで一安心だとロザリンデはやれやれといった様子で胸を撫で下ろした。それから夫に顔を向けてきた。
「やっぱり判決を受けたのね」
「うむ」
伯爵は不機嫌な顔で妻に答えた。
「残念ながら」
「けれどたった五日ですよね」
彼女は刑期について問うた。
「それでしたら」
「馬鹿を言ってはいけない」
「えっ!?」
夫の不機嫌そのものの言葉に思わず声をあげる。
「あの、それはどういう」
「八日になった」
彼は言った。
「伸びたのだよ」
「どうして」
「だから怒っているのだ。全てはあの男のせいだ」
ブリントが去った戸口を見て忌々しげに述べた。
「全く。不愉快極まる」
「そうだったのですか」
「そうだ、今日にも行かないとお迎えが来る。そうなれば全ては終わりだ」
「はあ」
これには流石に一瞬言葉を失った。
「伸びたのですか」
「裁判の場で出鱈目言いまくってくれてな。あげくには言わんでもいいことまでとち狂って喚き出して話を滅茶苦茶にしてくれたのだ」
実際にそうした愚か者はいる。世の中は悪い意味でも広い。
「それでこちらの連絡不備とか言うのだ。あいつはどうかしている」
伯爵は怒りを隠そうともしない。
「出て来たらこの街どころかオーストリア全土に教えてやる。あいつの無能さをな」
「それはまた」
「持って来ると言ったものは持って来ないでそれを言ったら何か夫婦のことで悩んでいたとか言い出すのだ。怒ったら心を広く持ちましょうよとか言ってきおった」
怒りが増してきていた。
「全くもってけしからん奴だ。証拠を持って来ないのでな」
「それで弁護士なのですか?」
「少なくともその資格はないのはよくわかった」
全くもってその通りである。禁治産者であろうか。
「もうあいつは首だ。いいな」
「当然です」
「ああ、待って下さい」
「よく戻って来れたな」
ブリントが戻って来たのを見て怒りを隠そうともしない。
「人の信頼なぞ何とも思ってはおらんのだろう」
「まあ待って下さい。あのですね」
厚顔無恥にも言う。
「また訴訟を起こしましょう」
「君は他人がどう思っているのかわからんのか!?」
いい加減怒りが爆発しそうになっていた。伯爵はその身体をワナワナと震わせていた。
「ですから来たのですよ。恥を忍んで」
「君には恥とかそんなものがわかる知能があるとは思えないのだがね」
「まあまあ」
「言っておく。君は何時か大変なことをしでかして破滅する」
伯爵は断言してきた。
「出て行け!」
遂に叫んだ。
「もう顔も見たくはない」
「そもそもどうしてこんな人を顧問弁護士に雇われたのですか?」
「誠実そうに見えたのだ」
よくやる間違いである。
「そうしたら信頼されるん値しない輩だった」
「そうだったのですか」
「もう何があってもこいつは信用せん。誰もがそうだろう」
「全くです」
奥方も完全に同意であった。
「この人のおかげで」
「何かまた揉めてきたわね。あら」
ここでアデーレは気付いた。
「またお客様ね。大晦日だから」
客が多い。これは何処でも同じである。
「はい、只今」
アデーレは出迎えに向かう。その間も三人は言い争いを続けている。
「首だと言っている!」
伯爵はまた言う。
「何度でも言うぞ!」
「全くそう短気だから貴方は」
「ここまでやられて心が広くなれる人間がいるか!」
伯爵の怒りももっともであった。おかしな弁護士である。
「君だけは許さん。何があってもだ」
「落ち着かれて下さい」
「落ち着いてもどうあっても結論は変わらないぞ」
意地でも変えないつもりであった。
「出所してきたら首だからな」
「やれやれ」
「旦那様」
そこにアデーレが人を連れて戻って来た。着飾って背の高い茶色の髪をした笑い顔の男であった。立ち居振る舞いに何処か知性があるのは伯爵に似ているが彼のそれはユーモアもある感じであった。
「お客様です」
「今は誰にも会いたくはない」
「もうお招きしました」
「何と、もうかね」
アデーレの動きの素早さに呆れてしまった。
「まだ何も言っていないのに」
「まあまあ」
「仕方ないな。それで誰だね」
「私だよ」
その茶色の髪の男が言ってきた。緑の目を愛嬌よく動かしてきた。
「やあ、伯爵」
「あら、博士」
奥方は彼を見て声をあげた。彼はファルケ博士、有名な文学者であり法学者である。伯爵の古くからの遊び仲間でもある。この街では名士の一人だ。
「ようこそ」
「いやいや、奥方も」
彼は恭しく頭を下げてきた。
「お元気そうで」
「有り難うございます」
「何の用なんだね」
伯爵は彼に尋ねてきた。
「大晦日に」
「話は聞いたよ」
博士は声に同情を含ませて伯爵に言ってきた。
「気の毒にか」
「君も聞いていたのか」
「風の噂でね」
彼は答える。
「聞いたよ」
「噂というものは伝わるのが早いな」
伯爵はそれを聞いて顔を顰めさせる。もう広まっているのかと思いさらに不機嫌になった。
「噂にはどんな壁も効果がないからね」
博士はここでは文学者として言ってきた。
「だから僕も知ったのさ」
「知らなくてもいいのに」
「まあまあ」
笑って憮然とする伯爵を宥める。
「奥方は八日間もこの男の顔を見なくて済むのですよね」
「ええ、まあ」
奥方は儀礼的にそれに応える。
「それはそうですが」
「何よりです。厄介払いができて」
「全くね」
伯爵はそれを聞いて憮然として述べた。
「愉快なことだよ」
「しかしだね」
博士はそんな彼に対してさらに言う。
「普通はないぞ。日が伸びるなんて」
「彼のおかげでね」
またブリントを指差して言った。
「そんなことになったのさ。いい迷惑だよ」
「言っておきますが」
「もういい」
これ以上ブリントには喋らせようとはしなかった。
「聞く気にもなれない。それでだ」
「うん」
博士は笑ってそれに応える。
「その八日間の拘留が明日からなのだが」
「では今日はまだ時間があるのだね」
「うん」
まずはその問いにも頷く。
「そうだが」
「なら話は早い」
「どうしたんだね?」
博士が急に態度を変えてきたのに彼も気付いた。すると奥方がここで言ってきた。
「あの、博士」
「はい、奥様」
「うちの人を少し慰めてあげて下さい。あんまりなことですから」
「私がですか」
「古くからのお友達である貴方ならと思うのですが」
「確かに」
それを受けて思わせぶりに笑ってきた。
「それでは奥様」
「はい」
「席を外して下さい。そして後はお任せを」
「わかりました。では貴方も」
「私はまだ」
「いいですから。もう貴方はここにおられない方がいいです」
そうブリントにも述べる。
「わかりましたね」
「わかりたくはないがわかりました」
変な言葉であった。
「それでは」
「ええ。では」
こうして奥方もブリントも去り大広間には二人だけとなった。アデーレはもう何時の間にか要領よく部屋から消えてしまっていた。
博士はまずは部屋を見回した。そして誰もいないのを確かめてから伯爵に言ってきた。
「ではまずはだね」
「どうするんだい?」
「正装したまえ。一緒に出掛けよう」
「正気かね、君は」
伯爵はその言葉を聞いてまずは彼の正気を疑った。
「そんなことを言って」
「正気でなければこんなことは言わない」
だが彼は至って平然としていた。見れば目にも狂気の兆候はない。気は確かなようである。
「わかったね」
「すぐにも行かなくちゃならないのだが」
「いいかね、友よ」
博士はわざと気取った仕草を見せて彼に対して言う。
「明朝からでも今夜と同じではないか」
「まあそれはそうだけれど」
いぶかりながら友人の話を聞く。だがまだ半信半疑であった。
「では立派に刑期は務められる」
「そうか」
「そうだよ。ではオルロフスキー公爵の屋敷に向かおう」
「あのロシアからの方だね」
「そう、社交界のお歴々にバレーの踊り子達も女優達も大勢やって来る」
「ほう」
伯爵はそれを聞いて思わず声をあげた。
「それはみらびやかだね」
「そう思うだろう。では」
「うん」
二人は頷き合った。
「一緒に行こう。楽しい夜に」
「刑期の前に」
「二日酔いは刑務所の中で覚まして」
「そうだな」
「そうするべきだよ」
二人は明るくなって言い合う。そのやり取りがかなりリズミカルなものとなっていた。
「人生を楽しむのなら陽気な男になり」
博士が言う。
「目も眩むような正装でポルカの調べを楽しみ」
「その中で女神達と美酒美食を堪能する」
「そう、その中で時を過ごすのだ」
上手い具合に伯爵を乗せていく。見事な話術であった。
「そうすれば苦痛を忘れられ楽しく刑期を務められる」
「楽しい思い出を胸に」
「そう」
ここぞとばかりに友人を乗せる。にこりと笑ってみせる。
「では奥方に別れを告げて」
「猫の様に屋敷から忍び出て」
伯爵は完全に有頂天になっていた。頭の中にはもうパーティーのことしか頭にない。意外と乗りやすい人物であるのがはっきりとわかる。
「彼女が寝ている間に」
「こっそりと猫達の宴を楽しむ」
「そう、そこにいるのは」
「美しい毛並みの猫達だ」
つまり美女達である。実にわかりやすい。
「それでだね」
「うん」
伯爵は友人の言葉に頷く。
「宴は仮初めのもの。ならば化けていこう」
「では誰になろうかな」
だんだん仮面舞踏会めいてきた。これもまた宴らしくていいものだと伯爵はそれにも乗るのであった。
「外国人になればいい。ルナール伯爵でどうかな」
「フランス人かね」
「そう、フランス皇帝の側に仕える貴族だ」
「うん、悪くないね」
この時のフランスは第二帝政であった。ナポレオン二世が国民の人気を上手い具合に取りながら派手な政治を進めていた。彼によりパリの街は整備され放射状に整った道路も緑も置かれたのである。それまでのパリはセーヌ川には汚物が溢れ街は複雑に入り組んだ実に厄介な迷路であった。もっとも今でもどういうわけか犬の糞はあちこちにある。その前はそれに人糞も溢れていたのであるが。
「牢獄の忌々しい八日間が健康を損ねない為に浩然の気を養おう」
「そうだな。それがいい」
これは後付の理由であった。だが納得できるものである。後付でも適当な理由があれば人は納得するものであるからだ。そこが実にわかり易い。
「では正装にだね」
「わかった。いやあ、楽しみだ」
「その楽しみこそが人生なのだ」
「そう、人生は楽しむこと」
「わかってくれたな」
「よくね」
「どうしたの?」
あまりに急に朗らかな声が聞こえてくるので奥方は気になって大広間に戻ってきた。
「気が晴れたにしろ少し」
「ローザ」
伯爵は奥方の愛称を言ってきた。やはり明るい声であった。
「おかげで元気になったよ」
「はあ」
少し元気過ぎはしないかと思ったがそれは口には出さなかった。
「それは何よりですけれど。すぐに出掛けられるのですか?」
「うん」
彼はまた機嫌よく答えてきた。
「それでね」
「ええ」
「着替えをしないとね。正装に」
「えっ!?」
そう言われて思わず我が耳を疑った。夫本人にも問う。
「今何と仰いました?」
「だから正装に着替えるんだよ」
さっきよりもさらに明るいうきうきした声であった。
「わかったね。じゃあ」
そこまで言うと一旦自分の部屋に戻った。博士が呆然とする奥方に対して言ってきた。彼は彼で何か思わせぶりに笑っていた。
「奥様」
「はい」
「万事快調です。それでは私もこれで」
「どちらで」
「用意がありますので。では」
一礼して彼も姿を消した。もう何が何かわからなくなった奥方のところにアデーレが来た。そして奥方に対して言ってきた。
「何かよくわかりませんけれど元気になられましたね」
「そうね。それでね」
「ええ」
奥方に応える。
「貴女もさっきの約束で」
「今日はよいのですね?」
「ええ、いいわ」
アデーレに対して言う。
「心配なのでしょう?だから」
「有り難うございます」
言いながら顔を俯けてほくそ笑んでいた。実に抜け目のない感じであった。
「それにしても一体」
「じゃあ行って来るね」
そこに伯爵が戻って来た。何と燕尾服である。シルクハットまで用意している。
「そのお姿で行かれるのですか?」
「そうだよ」
にこりと笑って妻に答える。心の中で背中を向けてペロリと舌を出しながら。
「何でまた」
「これには深い訳があるんだ」
急に悲しい顔を作ってみせる。だがその横ではアデーレが何を仰るといった感じで笑いながら聞いていた。
「囚人達に私の身分を教える為にね」
「そうだったのですか」
「そうなんだ。だから仕方なくなんだよ」
本心とは全く別にしおらしく述べる。
「悲しいことにね。けれど決めた」
貴族らしい決意を見せた。芝居がかったところも貴族らしい。どっちかと言うとこの場合は後者の意味で貴族らしいと言っていいであろう。
「では私は八日間も一人なのね」
「うん」
「そうなの」
(それじゃあ)
奥方も悲しい顔をしながら心の中では別のことを考えだしていた。どっちもどっちといった感じである。
「貴方がいないこの辛さは」
(アルフレートがいるから)
「悲しいことだが我慢してくれ」
(さあ、そろそろだな)
二人はそれぞれ言葉と顔とは全く逆のことを考えている。表の言葉と顔は完全に仮面になっている。
「では行って来る」
(パーティーにな)
「御気をつけて」
(さて、アルフレートを)
言葉と声はそれぞれ別のことを述べていた。本心は見えないのをいいことに。
「ではな」
伯爵は牢獄に向かった。ことになった。奥方はそれを見送った後で思う。
「後は」
「奥様」
ここでまたアデーレが声をかけてきた。
「何?」
「お客様が来られたようです」
「今日は本当に多いわね」
そう言うが実際は誰が来たのかわかった。
「お通しして。お酒もお出しして」
「お酒は何を」
「そうね。大晦日だし」
少し考えてから述べた。
「トカイがいいわ」
欧州で有名なワインである。王族が愛した酒である。ハンガリー原産の甘みの極めて強いワインである。これがワインかと思える程飲みやすい。そして美味い。
「それをね」
「また奮発しますね」
「そうかしら」
アデーレの言葉にとぼけてみせる。
「とにかくお通しして」
「わかりました・・・・・・あら」
その客はもう来ていた。やはり彼であった。
「ロザリンデ、来たよ」
アルフレートは能天気なまでの様子で彼女の前に姿を現わした。
「じゃあこれからは二人で」
何時の間にかアデーレはいない。要領を得ていた。
「束の間の一時を楽しもうよ」
「一時だけなの?」
奥方はアルフレートを見てこう尋ねてきた。
「本当に」
「何が言いたいんだい?」
「うちの人八日はいないのよ」
「八日でも一時のものさ」
アルフレートは奥方にこう返した。
「何故ならね」
「ええ」
「君と一緒にいられる時間はほんの一時にしか感じられないから。だからさ」
「何を言うのよ」
その言葉に思わず頬を赤らめる。まるで何も知らない少女のように。
「そんなことを言っても」
そうは言っても悪い気はしない。だがこれはあえて言わない。
「何も」
「奥様」
そこにアデーレが戻って来た。実にタイミングがいい。
「ワインをお持ちしました」
「有り難う」
「グラスも」
見れば二つ持って来ている。彼女は何もかもわかっていた。しかも栓まで抜いている用意のよさであった。
「ささ、これを」
「有り難う。トカイだね」
「はい」
アデーレはにこりと笑ってアルフレートに答える。
「その通りです」
「僕はこれが好きでね」
彼はそれを見ただけで機嫌をよくさせていた。
「嬉しいよ。ロザリンデはそれを覚えてくれていたんだ」
「覚えていたのじゃないわ」
ロザリンデは口ではそれを否定する。
「たまたまよ」
「そうなんだ」
「そうよ。けれどそのたまたまを受け取ってくれるわよね」
「勿論」
アルフレートはにこりと笑って答えてきた。
「じゃあ飲もう。飲めば目も澄んで美しい目はますます磨かれていく」
「わかってますね」
アデーレはそれを聞いてアルフレートににこやかな笑みを送った。
「わかるさ。恋も夢で欺くもの。シェークスピアみたいにね」
オペラ歌手らしい言葉であった。昔からシェークスピアの作品はオペラにもなっている。彼も当然ながらそれを知っているのである。
「永遠の誠も泡のように消えてしまう。心の喜びも忘れ去った時に慰めを与えてくれるのは何か」
「何でしょうか」
「それがこれなんだよ。ワインだ」
アルフレートの声はうっとりとしていた。今は美酒を見ていた。
「しかし思い出してくれるのもまたワインだ。だから」
「飲むのね」
「勿論」
今度は奥方の言葉に答えた。
「だから貴女も」
「それは」
「口では嫌って言っても」
アデーレはそんな彼女を見て悪戯っぽく笑っていた。その中で呟く。
「心は」
「さあ飲もう」
アルフレートは誘う。
「二人で。貴女が裏切ってもいい。僕はそんなことは構わない」
「どういうこと?」
「僕には貴女だけなんだ」
お決まりの殺し文句である。だがこれを真に受ける女も男も多い。結局人は誰かにこういう言葉を言ってもらいたいのである。
「それはわかるよね」
「それでも私は」
拒みながらもそれを変えるタイミングを計っている。彼女も楽しんでいた。
「主人が」
「今あの人はいないのでしょう?なら」
そろそろといった感じであった。
「僕と」
「貴方と」
「これで決まりね」
アデーレはそれを見て確信した。彼女もこうしたことにはかなり詳しいようだ。
「じゃあ」
「若し」
しかしここにまた来客であった。今度は制服の口髭を生やした厳めしい男であった。
「アイゼンシュタイン伯爵はおられますかな」
「貴方は?」
奥方はアルフレートから顔を離して彼に顔を向けた。
「どなたですか?」
「どなたもこなたもありません」
彼は言う。
「伯爵をお迎えに来ました」
「では」
「はい、フランクと申します」
彼はまずは名乗った。
「刑務所長です。お話は御存知ですね」
「ええ、まあ」
勿論である。それがもとで騒いでいるのだから。
「では伯爵」
「おや」
何を間違ったのか所長はアルフレートに声をかけてきた。貴族なのでブレイを働くわけにはいかなかったからだ。アルフレートが貴族かどうかはともかくとしてだ。
「行きましょう」
「あの」
奥方は所長に声をかける。それは夫ではないと言おうとした。
しかしそれを当のアルフレートが拒む。彼は言う。
「所長」
「何でしょうか」
「では行きますか」
「はい、もう車は用意してありますので」
「それは用意がいい」
「いえ、当然のことです」
所長は述べる。
「伯爵ともあろう方に失礼があってはなりませんから」
「成程」
「では」
二人は行こうとする。奥方はそれを見てまた呟く。
「困ったことになったわ」
「何故ですか?」
アデーレがそれに尋ねる。
「だってあの人がもう行ってるのに。監獄に」
「そういえばそうでしたね」
(けれど)
アデーレは答えながら心の中で呟いた。
(燕尾服では行かないわよね、どう考えても。じゃあ)
ここでピンときた。何故急に機嫌がよくなったのかも。それで心の中でまた呟くのであった。
(成程ね。入所前に)
これでわかった。だが奥方には言わない。
(まあ何とかなるわね)
無責任だが彼女にはそこまで考える義理はなかったのだ。だからこう結論付けたのであった。そのうえで話を見守ることにした。
「あの」
「どうなさいました?」
所長は奥方の言葉に顔を向けてきた。
「いえ、その」
「御主人ですよね」
奥方が言う前に問うてきた。これは彼女には先制の一撃となった。
「えっと」
「間違いないですよね」
(この人主人の顔を知らないのね)
その通りだった。だからやり取りがおかしくなるのだ。
「それは」
「まさかとは思いますが」
「いえ、うちの人です」
不貞を疑われてはたまらない。この場を乗り切る為に今はそう言うしかなかった。
「そうですよね」
「はい」
あらためて所長の言葉に頷く。そして所長はアルフレートに顔を向けた。
「伯爵は長身だと聞いていますし」
呆れたことに彼が聞いているのはそれだけであった。背の高い男なぞ幾らでもいるというのにだ。
「間違いないようですし」
「ええ」
「では伯爵」
彼はまたアルフレートに声をかけてきた。
「暫しのお別れに接吻をされては」
「そうですね。ではロザリンデ」
「奥様も」
「わかりました」
奥方も仕方なしにそれに頷く。そして二人は近寄り合った。
身体を寄せ合う。そこで奥方はアルフレートにそっと囁いてきた。
「いい?」
「何がだい?」
「このことは秘密よ」
「上手く誤魔化せってこと?」
「ええ。だってもうそこには主人がいるから」
彼女はそう思っていた。
「だから」
「わかったよ」
アルフレートは微笑んでそれに応えてきた。
「上手くやるから」
「お願いよ」
そうは言ってもやはり不安で仕方ない。だが牢獄の中まではどうしようもないのも事実であった。
「本当に」
「それでは宜しいですね」
「はい」
アルフレートは何も抵抗することなく所長に応えた。こうして彼は行くことになった。
「ではロザリンデ」
「ええ、あなた」
夫ではない者を夫と呼ぶ。これもやはり不倫であろうか。
「私の鳥籠は大きくて宿賃もいりませんぞ」
「それは何より」
悪事をしているわけではないので呑気なものだった。むしろここは刑務所の中を見てみようと物見遊山ですらあった。意外と乗り気である。
こうしてアルフレートが刑務所に行くことになった。
「さて」
所長はその中で一人呟く。
「これが終わったら遊びに行くか」
そう呟いた後でアルフレートを連れて行く。奥方はまた一人になった。
「じゃあどうしようかしら」
「奥様も楽しまれたらどうですか?」
それまで黙っていたアデーレが言ってきた。
「楽しむって」
そうは言われても誰もいない。困ってしまう。
「私と一緒に」
「貴女と!?じゃあ」
「はい。一緒にオルロフスキー公爵の屋敷に」
そっと笑って誘いをかけてきた。
「どうですか?」
「そうね」
ほんの少し考えた後で述べる。
「それじゃあ」
「はい。ではドレスの用意を」
「わかってるわ。少し待ってね」
「私はもうドレスをレンタルしてきますので」
「用意はいいわね」
「何でも用意が肝心じゃないですか」
にこにこと笑いながらの言葉であった。
「パーティーも色恋も」
「そうね。アルフレートはわかっていないようだけれど」
「女はそうして男を手玉に取るんですよ。けれどその手の内は男には見せない」
意味深い言葉であった。これがアデーレであった。
「ですよね」
「そうよね。じゃあ先に行ってて」
「はい」
こうして二人も宴に向かうことになった。大晦日の騒動は場所を移すことになった。
伯爵だけじゃなく、奥方もパーティーに行く事に。
美姫 「うーん、これからどんな展開が待っているのかしら」
いや、全く分からないな。
とりあえず、アルフレートは貧乏くじじゃないかなと。
美姫 「よね。勘違いされて、それを訂正もさせてもらえずに刑務所だなんて」
本人が既に居るのなら良いけれど、いないしな。
美姫 「本当にどうなるのかしら」
だな。それじゃあ、今回はこの辺で。