『恋姫伝説 MARK OF THE FLOWERS』
第八十八話 張譲、切り捨てられるのこと
遂にだ。怪物達もだった。
ある場所に足を進めていた。むしろ飛んでいた。
彼等は仲間達に自分達の足首を掴ませそれで何人も縦に連なってだ。そのうえで空を飛びだ。目的地に向かっていた。
眼下に広がる黄土の大陸を見ながらだ。彼女達は話すのだった。
「どれ位で着くんだ?」
「三分後よ」
「それ位よ」
こうだ。貂蝉と卑弥呼は自分達の足首を掴む華陀に対して答える。卑弥呼が先頭で貂蝉が二番目だ。つまり華陀は貂蝉の足首を掴んでいるのだ。
そうして飛びながらだ。二人は華陀に話したのだ。
「少しだからね」
「ちょっとだけ我慢してね」
「いや、我慢する必要は感じてないからな」
そのことについてはすぐに述べる華陀だった。
「むしろ楽しいな」
「御空を飛んでることね」
「そのことよね」
「ああ、とてもいい」
華陀は実際に満足している顔である。
「出来れば俺も空を飛びたいものだな。自分の力でな」
「あら、そんなの簡単よ」
「誰でもできるわよ」
二人にとってはそうなのだった。
「こんなの初歩の初歩よ」
「歩くのと同じ感じよ」
「それは絶対に違うな」
「間違いなくな」
天草と獅子王が二人の言葉に突っ込みを入れる。
「空を飛ぶことなぞ」
「普通の人間はできはしない」
「だから。この二人は」
「そもそも何者なのだ?」
「まあ仙人でもあるわよ」
「拳法の伝承者だし」
二人の口からその謎に包まれた素性まで話される。
「古の夏の時代、いえ三皇五帝の時からね」
「この世界のことは知ってるわよ」
「やはり人間ではないな」
刀馬はその言葉からこのことを確信した。
「少なくとも常人ではない」
「仙人だと言っていますが」
命はそのこと自体を信じていない。
「妖怪変化なのかも知れません」
「悪の存在ではないが」
「しかし。それでもだ」
ギースとクラウザーはこんなことも話した。
「人間かどうか」
「不安が残るな」
「そうよね。あたし達の美はこの世のものじゃないから」
「だからね」
かなりポジティブに考えている二人だった。
「そう思われるのも当然ね」
「罪な女ね。あたし達って」
「とにかくだ」
華陀だけが動じていない。しかも全くだ。
「都では動きがあったな」
「ええ、遂にね」
「あの娘が助け出されたから」
董卓のことであるのは言うまでもない。
「あちらも動くわよ」
「連合軍も都に迫ってきているし」
「遂にだな」
華陀のその目が強いものになる。
「運命の時が来るな」
「ええ、最初の決戦よ」
「その時が来ているわ」
怪物達の目もここで光る。不気味にだ。
「あの連中、来るわ」
「それに対してどうするかよ」
「戦うしかないな」
これが華陀の結論だった。
「やはりここはな」
「そうよ。だからあたし達もね」
「この腕を見せるわよ」
「美と拳」
「その二つをね」
「ああ、頼む」
華陀はだ。ここでも何でもないといった返答だった。
「期待しているからな」
「ダーリンの期待なら応えるわよ」
「絶対にね」
「ああ。俺も戦う」
華陀もだ。そうするというのだ。
「俺には俺の戦い方があるからな」
「そういえば華陀殿は」
クラウザーがその華陀について話した。
「確か格闘は」
「悪いがあんた達程じゃない」
彼等程だ。戦えないというのだ。
「そうしたことはな」
「そうだったな。格闘はな」
「だが針は使える」
それはだ。いけるというのだ。
「これでどんな病も光となって消してだ」
「そしてだな」
「どんな悪も封じてみせる」
そうするとだ。今度はギースに話すのだった。
「必ずな」
「いや、針など使わずともだ」
ここでギースはこんなことを言った。
「貴殿は悪しきものを消せるな」
「そうなのか?」
「私はこの世界に来るまでしがらみを持っていた」
そのしがらみ故にだ。ギースはギースになったと言っていい。
そのうえで己の足首を掴んでいるクラウザーを見てだ。そうして話すのだった。
「わかるな」
「私も同じだからな」
「我等の父は同じだった」
ギースとクラウザーは腹違いの兄弟なのだ。このことは彼等をして彼等にしていると言っていい。それこそがしがらみなのである。
「それ故に憎しみ合ってきたな」
「そして力を得ようとしてきたな」
「そうだった」
まさにそうだというのだ。
「あの男とのこともその一環だった」
「ジェフ=ボガードだな」
「知っていたか」
「知らない筈がない」
そうだとだ。クラウザーはギースに述べた。
「私と貴様は。結局はだ」
「同じだな」
「鏡なのだ」
それだとだ。お互いに話す二人だった。
「我等は鏡なのだ」
「鏡だったのだな」
「だからこそわかるのだ」
そうだとだ。クラウザーはギースに話していく。
二人はそう話し合う。そうしてお互いも自分自身も見ているのだった。
「貴様のこともな」
「そうなのだな」
「私は父を殺した」
彼等の父、その彼をだというのだ。
「それ故に。それを忘れる為にだ」
「裏の世界で生きてきたのだな」
「貴様が闇の世界に生きてきたのと同じだ」
「裏と闇か」
「ここでは言葉が違うだけだ」
実質には同じものだとだ。二人はわかっていた。
「我々はその世界で生きてきた」
「私は。その中でだ」
ギースは話を戻してきた。その話こそはだった。
「あの男を自らの手で殺した」
「ジェフ=ボガードだな」
「それからだった。あの兄弟との因縁がはじまった」
テリーとアンディだ。ジェフの養子達だ。だが養子であってもだ。二人の絆はだ。あまりにも強く深いものであったのである。
しかしギースはその絆を切ったのだ。ジェフを殺したことによりだ。
そのことについてだ。彼は話していくのだった。
「私は悪を厭わない」
「それは変わらないな」
「あくまで私は頂点に立つ」
これはギースの本質だった。だがそれでもだった。
「しかししがらみはだ」
「断ち切るか」
「そうあるべきだったのだ」
「そうだな。私もだ」
「消すべきだ」
そのだ。しがらみをだというのだ。
「必ずな。そうする」
「あの兄弟のこともだな」
「思えばあの二人とのことも終わっているのだ」
「貴様が一度死んだ時にか」
「あの時で終わっていた。後はだ」
「貴様がそのしがらみを断ち切るだけだな」
「それだけのことだ」
ギースは強い顔で話している。
「そうだったのだ」
「私もだな」
クラウザーもだった。
「このしがらみは断ち切る」
「父のことだな」
「それを断ち切る。純粋に頂点を求めよう」
「そうするべきだな。私も貴様にはだ」
「最早何もしないか」
「貴様もその筈だ」
ギースはクラウザーにも話した。
「そうだな」
「そうだ。そうさせてもらう」
「そうなったのはだ」
何時かというのだ。それは。
「この世界に来てだ。華陀と会ってからだったな」
「そのうえでだな」
「それからだ」
まさにだ。その時にだというのだ。
「まことにな。ではだ」
「これからもこの面々と共にいるか」
「そうするとしよう」
「そうなのよね。ダーリンってね」
「特別な力が備わっているのよね」
貂蝉と卑弥呼もそのことを話す。
「人の心のしがらみや因縁を断ち切る力」
「それがあるのよ」
「俺は医者だがな」
華陀自身はそこから話す。
「だから人の心も見てきたがな」
「人の心を見て癒せるのはね」
「それは真の医者が出来ることなのよ」
そうだとだ。二人は華陀に話す。
「それができるダーリンだからこそね」
「この世界を救うことができるのよ」
「人の心を救える者は世界を救える」
天草が言った。
「そういうことだな」
「そうそう、人の心よ」
「それが一番大切なのよ」
「多分。この世に皆が来たのもね」
「そのしがらみを断ち切って新たに生きる為でもあるのよ」
そうした意味もあるとだ。彼女達は話すのであった。
「しがらみは断ち切られるもの」
「だからね」
「そうだな。誰でもな」
その心のしがらみを断ち切る男の言葉だ。
「しがらみからは解放されてな」
「新しく生きるべきよ」
「そうならないと駄目なのよ」
「人の心も。この世界も」
華陀はその世界についても話した。
「全てのしがらみは断ち切られないとな」
「それを断ち切る為にね」
「今からね」
こうした話をしてだった、一行はある場所に着いた。すると目の前にだ。
店があった。食べ物屋だった。その店の看板の肉という文字を見てだ。
命がだ。こう言うのだった。
「そういえばお昼ですね」
「そうだな。それではだ」
「何か召し上がられますか?」
「そうだな。腹も減ってきたしな」
華陀も命の言葉に応える。
「それじゃあ食べようか」
「では中に入りますか」
「そうしよう。皆はどうだ?」
「ええ、そうね」
「そうしましょう」
怪物達も話す。
「ここはね」
「皆で楽しく食べましょう」
「よし。キャビアかファグラか」
ミスタービッグは自分の好物を話に出していく。
「それか和食だな」
「キャビアやファグラはないと思うが」
獅子王がそのミスタービッグに突っ込みを入れる。
「流石にな」
「では和食にするか」
「それも普通の店にはないだろう」
また突っ込みを入れる獅子王だった。
「やはりな」
「では何を食べるべきか」
「ステーキだな」
ギースは自分の好物を話した。
「それはあるだろうか」
「それも絶対にないな」
獅子王はギースにも突っ込みを入れた。
「この国は主に豚肉だからな」
「では豚肉のステーキか」
クラウザーも好きなものはそれだった。ステーキだ。
「それになるか」
「レアでは危険よ」
「豚はね」
貂蝉と卑弥呼が突っ込みを入れる。今度は彼女達だった。
「しっかりと火を通さないとね」
「さもないと怖いからね」
「とにかく中に入ろうか」
刀馬はとにかく食べることを優先させて考えていた。
「中に入れば何か美味いものがある」
「そうですね。それでは」
「では行こう」
命に応えてだ。そのうえでだ。
まずは刀馬が店の中に入る。それからだった。
一行は店の中に入りだ。ギースとクラウザーが最初に店の親父に言った。
「ステーキはあるか」
「できれば牛肉のだ」
「何ですか、それは」
親父は目をしばたかせてその二人に問い返した。
「ステーキとは」
「むう、言葉の時点でか」
「わからないというのか」
「ですから何ですか、それは」
「つまり。それはだ」
「肉を厚く切って焼くものだ」
二人はそこから説明してだ。何とか親父を納得させてだ。
それで出て来たのはだ。やはりだった。
「豚か」
「それになるか」
「まあ当然だな」
今言ったのは華陀だった。
「牛肉はこの国ではそれ程食べはしない」
「畑に使うからね」
「それでなのよ」
怪物達がここで話す。
「牛より豚なのよ」
「ただ。乳は飲まないわよ」
「そういえばそうだな」
ミスタービッグは怪物達の話でそのことに気付いて言う。
「チャイナでは乳製品の料理は少ないな」
「というよりないな」
「全くと言っていい程な」
ギースとクラウザーもそのことについて話す。
「中華料理は何でもあるが」
「それと生ものには乏しいな」
「ああ、生ものな」
そのことについては華陀が話す。
「あれはあたるからな」
「だから火を通すのよ」
「絶対にね」
こう話す貂蝉と卑弥呼だった。
「あたらない為にね」
「そうしているのよ」
「そうか。それでか」
「それでなのだな」
ギースとクラウザーもそのことに気付いた。このことにもだった。
「中華料理というのにも特徴があるな」
「全てあるとは限らないのか」
「どの料理にも特徴はあるわよ」
「当然中華料理にもね」
貂蝉と卑弥呼は言いながらだ。豚バラ煮込みを食べている。
「肉といえば豚でね」
「それで火を通すのよ」
「日本は生ものだが」
ここで言ったのは刀馬だった。
「そこはかなり違うな」
「はい。香辛料も多いですし」
命は八宝菜を食べている。刀馬と同じものだ。
「味はかなり幅が広いです」
「それはいいことだな」
刀馬もだ。その八宝菜を箸で食べながら話す。
「あとこれは」
「生姜だな」
また華陀が言う。
「この国の料理は医食同源だからな」
「そうそう。漢方薬としてね」
「生姜やそういったものも入れるのよ」
「俺もそうしている」
華陀自身もだとだ。貂蝉と卑弥呼に続いて話す。
「だから今も身体の調子がいい」
「そういえば貴殿は百二十歳だったか」
ミスタービッグは彼の年齢を把握していた。
「二十歳に見える顔だが」
「ああ、若作りとは言われるな」
それどころではないが平気な顔で言う本人だった。
「いつも身体を動かしてしっかりとしたものを食べているからな」
「だからだな」
「それでそうなっているのか」
「そういうことだ。それで二人共」
華陀はギースとクラウザーに応えながら彼等に話す。
「そろそろ食べた方がいいぞ」
「むっ、そうだな」
「折角のステーキが冷えてしまうな」
二人もここでだ。そのことを思い出した。
そのうえで箸でステーキを食べる。そうしながら話すのだった。
「うむ、美味いな」
「見事だ」
二人共肉をかじりながら話す。
「よく焼けている」
「しかも味もいい」
「このソースは何だ?」
「あっさりとしているがコクがある」
肉にかけられているそのソースを食べながらもだ。二人は話す。
「醤油に似ているが何か違うな」
「また別の味だ」
「ああ、これはだ」
華陀がそのソースについて二人に話した。
「魚醤だ」
「あのナムプラーか」
「そう言われていたな、確か」
「そうだったな。ナムプラーはそう呼ばれていたな」
獅子王がそのことについて言った。
「そうだったな」
「ナムプラーをかけているのか」
「それでこの味なのか」
「うちの醤はそれなんですよ」
店の親父も出て来て話してきた。
「どの料理にもそれを使ってます」
「それはまたどうしてだ?」
「味のことを考えてなのか」
「はい、味をです」
その味を考えてだとだ。親父もギースとクラウザーに話す。
「かなり独特ないい味がしますよね」
「確かにな。大豆の醤油とはまた違ってだ」
「独特の味わいがある」
二人もそのことは確かだと認める。そう話している間にだ。
一枚食べ終えた。それからまた親父にそれぞれ言うのであった。
「もう一枚だ」
「焼いてくれ」
「わかりました」
親父も二人の言葉に応える。そうしてだった。
またその魚醤をかけた豚肉のステーキを焼いてだ。二人に出すのだった。
そのステーキも食べてだ。二人は満足してだ。親父にこう言った。
「見事だ」
「いい味だった」
「いやいや、そう言って頂いて何よりです」
親父も二人の礼の言葉に笑顔で返す。こうしてであった。
勘定を済ませてから一行は店を出た。そうして華陀が言うのだった。
「それじゃあ行くか」
「連合軍のところにね」
「皆で行きましょう」
貂蝉と卑弥呼も仲間達に話す。
「都からは一先お別れしてね」
「そうしてね」
「とは言っても」
天草がその都の方を振り向いて述べる。
「戻るのはすぐであろうな」
「ああ、最初の戦いは間違いなくここになる」
華陀は強い声で述べた。
「それならな」
「最初の戦か」
「つまりこれで終わりではないのですね」
「それは見て回った通りだ」
そうだとだ。華陀は刀馬と命に話した。
「本当にこれからだからな」
「わかった。それではだ」
「その。最初の戦いに向かいましょう」
こうした話をしてであった。彼等はまずは都から離れた。そのうえで今向かうべき場所に向かうのだった。
その都、後宮の奥深くではだ。
張譲が苛立ちを隠せない顔でだ。周りの者に問うていた。
「では誰もがか」
「はい、皆様既にです」
「都を去られています」
そうなったとだ。身分の低い宦官達が彼に話すのだった。後宮のその部屋は暗い。張譲はその中で酒を手にして彼等の話を聞いているのだ。
そのうえでだ。彼は怒りに満ちた顔でだ。こう言うのだった。
「この状況でか」
「おそらくは。最早連合軍は間近に迫っていますし」
「人質もまた」
「何故人質の場所がわかったのだ」
張譲はそのことについても怒りを露わにさせている。
「わかる筈がないのだ」
「賊軍にはあちらの世界の者が多いです」
「その力を使ったのではないでしょうか」
「そういえば忍とかいう者達もいるそうだな」
張譲は杯を乱暴に置いた。それで嫌な音がする。
だがその音に構わずにだ。こう言うのだった。
「忍び込むことを得意として奇妙な術を使うという。その術を使ったか」
「忍術というそうですね」
「影に潜みそこから動くと聞いていますが」
「忌々しい。何だというのだ」
また言う張譲だった。
「折角の切り札がなくなってしまった」
「それで賊軍は都に迫ってきております」
「虎牢関も敵の手に落ちました」
つまりだ。最後の護りもなくなったというのだ。
「このままではです」
「我等も」
「だからだな」
また忌々しげに言う張譲だった。
「十常侍の他の者達は姿を消したのか」
「では。張譲様も」
「御早いうちに」
「わかっている」
今度は腹立たしげな声だった。
「今すぐにここを後にする」
「はい、それでは」
「御元気で」
こうしてだった。宦官達もすぐに彼の前から姿を消したのだった。
そして張譲もだ。すぐにだった。
部屋を後にしようとする。だがその彼の前にだ。
于吉が出て来てだ。こう声をかけるのだった。
「今からですか」
「そうだ。都から去る」
そうするとだ。張譲は不機嫌そのものの顔で于吉に話した。
「こうなっては仕方がない」
「手駒は全てなくなってしまいましたね」
「忌々しい。まさかあの娘を奪われるとはな」
「あの娘のことは残念でしたね」
「お蔭で兵を使えなくなった」
擁州の兵達だ。それが彼の切り札だったのだ。
しかしそれがなくなりだ。彼は危機を察していたのだった。
その中でだ。彼もなのだった。
「こうなっては仕方がない」
「落ち延びられてですね」
「また機会を窺う」
諦めてはいなかった。そこまで往生際はよくないのだ。
「そして何時か」
「貴方らしいですね」
于吉は彼の言葉を聞いてだ。微笑んで述べた。
「そうしたところは」
「褒めているのか?それとも」
「いえ、褒めているのですよ」
そうだとだ。于吉は答えてからだ。
杯、黄金のそれを差し出してだ。張譲に勧めるのだった。
「如何でしょうか」
「酒か」
「どうですか、一杯」
「生憎だが」
鋭い目になってだ。張譲は于吉に告げる。
「僕は他人の勧めた杯や料理は毒味をしないと口にはしない」
「おやおや、用心深いですね」
「後宮で宦官として生きていくには当然のことだ」
陰謀渦巻く中で生きているからこそだ。そうしたことも身に着けているのだ。
その話をしてからだ。彼は言うのであった。
「だからだ。そのままではだ」
「飲まれませんね」
「そうだ。飲まない」
きっぱりと断って言うのだった。
「どうしてもというのならだ」
「わかりました。それではです」
于吉は右手に持つその杯を己の口に近付けてだ。そのうえでだ。
一口飲んでからだ。張譲に話すのだった。
「これで如何でしょうか」
「毒はないのだな」
「はい、毒は」
それはないというのだ。毒はだ。
「御安心下さい」
「わかった。それではだ」
張譲は彼が毒味をしたのを見届けてからだ。そのうえでだ。
その杯を受け取り飲む。それからあらためて于吉に話した。
「少なくとも金はある」
「食べるのには困らないだけの」
「一生遊んで生きられるだけのだ」
それだけのものがあるというのだ。
「だからだ。今は身を隠す」
「そうされるといいですね」
「人質のことも。考えてみれば」
「考えてみれば?」
「始末する手間が省けたか」
こんなことを言うのであった。
「そう考えればいいか」
「用済みになればだったのですね」
「消すつもりだった」
彼にとっては道具でしかなかったのだ。人質という道具だったのだ。
その道具がなくなったことをだ。張譲はこう話すのだった。
「だがその手間が省けていいとすべきか」
「そう、用済みならばですね」
「その通りだ。そう考えるとしよう」
「そうそう、用済みなのですよ」
ここでだ。于吉の顔がだ。
思わせぶりな笑みになってだ。こんなことを言うのであった。
「あの娘は貴方にとって用済みになればですね」
「最初からそのつもりだった。擁州の者達を動かす手駒だった」
「用がなくなった手駒は捨てるだけですね」
「それだけだ。いつもそうしている」
「いつもですね」
「悪いことか?それが政だ」
「否定はしません。ただです」
ここでだった。于吉はその口調も変えてきたのだった。
そのうえでだ。彼は張譲にこうも話すのだった。
「それは私もなのですね」
「貴殿もだと?」
「はい、私も同じです」
こう言うのである。何かを含んだ笑みで。
「私もまた。用済みになった駒はです」
「捨てるというのか」
「貴方と違って命を奪う様なことはしませんが」
「それは僕のことか?」
話の中でだ。張譲はこのことを察してだ。
目を鋭くさせてだ。于吉に問うのだった。
「生憎だが僕はこのまま姿を消す。それともそれでもだというのか」
「はい、それでもです」
にこやかな笑みだがその目は全く笑っていない。
「私は慎重な男ですから」
「では先程の酒は」
「安心して下さい、毒はありませんから」
それはないというのだ。
「毒味もしましたね」
「ではあの酒には何が入っていた」
「鼠です」
それだというのである。
「鼠なのですよ」
「鼠!?」
「はい、あの酒には鼠になる妙薬を入れておきました」
「鼠に!?しかし御前は」
「飲む前にそれを打ち消す薬を飲んでいましたので」
「全て読んでいたというのか」
「はい」
その通りだとだ。微笑んで答える于吉だった。
「貴方がそう言ってくることは読んでいましたから」
「くっ、何ということを」
「貴方に相応しいではありませんか」
涼しげだがよく見れば悪意に満ちた笑みでだ。張譲に言うのである。
「違いますか?後宮に救う黒い鼠である貴方には」
「だから僕を鼠に」
「では。ご機嫌よう」
この瞬間にであった。張譲は。
その姿を鼠に変えていく。そうして己が今まで来ていた服の中に埋もれてだ。
そこから出て来た鼠にだ。于吉は言うのであった。
「命は奪いませんから」
「チュッ!?」
「御元気で」
こう告げてだ。何処かに消え去ろうとする鼠にこんなことを言った。
「そうそう、大将軍ですか」
「チュッ!?」
「あの方は猫になっていますね」
他ならぬだ。張譲が変えさせたのだ。
「あの方が今の貴方を御覧になられればどう思われるでしょう」
「チュッ!」
猫と鼠だ。どうなるかは言うまでもなかった。
そのことを意地の悪い笑みで告げてだった。于吉はあらためて彼に告げた。
「身を隠されることをお勧めします」
「チューーーーーッ!」
張譲である鼠は慌てて姿を消すのだった。こうして後宮での話は終わった。
その何進はだ。連合軍の中でだ。
孫権にだ。こんなことを話していた。
「そもそもわらわはじゃ」
「はい。どうしたのでしょうか」
冷静な声でだ。孫権は彼女の話を聞いている。彼女達は天幕の中で茶を飲んでいる。それと菓子を食べながら話をしているのである。
「あの時は少年じゃったのじゃ」
「御心がですか」
「うむ。最初はそこからじゃった」
腕を組んで誇らしげにだ。孫権に話すのだ。
「そこから鬼にもなったし西方の金持ちにもなった」
「お金持ちにもですか」
「そうじゃ。四十人程男達を引き連れたな」
そうした金持ちになったというのだ。
「他には首を切ることが好きないかれた女にもなった」
「何か色々なのですが」
「そうじゃな。まことに色々とあった」
腕を組みながらさらに話すのだった。
「してこちらの世界においてはじゃ」
「こちらの世界では、ですか」
「あの関羽や趙雲、鳳統とは同じ事務所におるのう」
「事務所ですか」
「そう。事務所じゃ」
こんなことも話すのだった。
「曹操達も同じじゃがのう」
「あの、将軍」
呂蒙がだ。その何進に話すのだった。
「そのことをお話されますと」
「まずいかのう」
「私、袁術さんと同じ事務所ですが」
こう言うのだった。
「他にも劉備さんのところの魏延さんが」
「御主もそうした縁があるのじゃな」
「そのことお話されますと大変ですよ」
困った顔でだ。呂蒙は何進に話すのである。
「結構以上に」
「そういえば御主」
何進はその呂蒙にこんなことも話した。
「これは鳳統も同じじゃが」
「同じとは?」
「あれじゃったな。生き別れの従姉妹や姉妹が随分とおったな」
こうした話にしてしまうのであった。
「一体何人おった?」
「実際は一人もいません」
素直に言ってしまう呂蒙だった。
「実は」
「ううむ、左様か」
「はい、私は一人なんです」
顔を赤くさせてだ。呂蒙は衝撃の事実を話した。
「ですがそれは」
「そ、そうだな。私もな」
孫権もだ。狼狽しつつ話す。
「実は」
「そうですよね」
「そういえばあの張譲めもじゃった」
何進は彼の名前も出した。
「よく母親が違う名前で怪しい世界に出入りしておるとか言っていた」
「いえ、それは」
「あいつもですよ」
すぐに突っ込みを入れる呂蒙と孫権だった。
「私そこで一緒だったこともあったような」
「結構有名な話ですよ、それは」
「そうじゃのう。誰にも脛に傷がある」
「はい、言ってはいけないということで」
「ややこしいのう」
首を捻ってだ。何進は言った。
「全く以てな」
「ですが将軍」
呂蒙がその何進にまた話す。
「今は」
「むっ、今はか」
「はい、いよいよ洛陽です」
そちらに行くというのである。
「ようやくです」
「そうじゃな。まさかここまで楽に行けるとは思わなかった」
「実質一度も戦をしていませんね」
孫権はふと言った。
「幸いなことに」
「都にはもう兵はいません」
ここでこう話す陸遜だった。
「ですが」
「はい、謎の者達がいます」
周泰が怪訝な顔で話す。
「あの白装束の者達です」
「その者達はわらわも知らん」
こう話す何進だった。
「何なんじゃ?一体」
「ただ。わかることはです」
何かとだ。呂蒙が言う。
「彼等は敵です」
「間違いなくのう」
「宦官達の手の者でしょうか」
孫権はこう考えた。
「それで私達を」
「可能性はあります。ですけど」
陸遜は首を捻りながら話す。
「違う気がします」
「違うのか?」
「はい、都に行かれた方々のお話を聞くと」
こうだ。周泰を見ながら話すのだった。
「宦官ではなく別世界の人達の気がします」
「けどやで」
あかりがここで言う。彼女もこの場にいるのだ。
「うちそんなけったいな連中の話全然聞いたことないで」
「私もね」
「ええ、私も」
キャロルとミナもそうだという。
「私達の時代にはいないわ」
「私達の時代にも」
「というかうち等の世界の奴等ちゃうと思うで」
あかりはこう考えるのだった。
「何か雰囲気はちゃうわ」
「では何者じゃ?」
首を捻って言う何進だった。
「あの白装束の連中は」
「前に袁紹殿や曹操殿も襲われていたわね」
孫権はあちらから聞いた話をした。
「私達の命を狙っているのは間違いないしね」
「ですね。敵なのは間違いないです」
呂蒙もそうだと見る。
「では。都においては」
「はい、その白装束の一団との一戦になりますね」
陸遜もこう話す。こうした話をしてだった。
彼女達は都に向かうのだった。そしてその都においてだ。遂に闇の者達が姿を現すのだった。
第八十八話 完
2011・6・11