『恋姫伝説 MARK OF THE FLOWERS』
第四十九話 馬岱、真名を言うのこと
南蛮への旅の中でだ。魏延の劉備への献身は凄まじいまでであった。
「あっ、それでしたら私が」
「私が持ちますので」
「いえいえ、私が御護りしますので」
とにかく朝から晩まで何かにつけだった。寝ても起きても劉備であった。
「わしは言ったぞ」
厳顔も呆れ果てている。
「しかとな」
「けれど効果はないのね」
「あそこまでとはのう」
こう言って呆れるばかりなのである。
「思わなかったわ」
「そうなのね」
黄忠も旧友の言葉に頷く。
「けれど魏延さんって」
「劉備殿を心から愛しておる」
それはわかるというのだ。
「しかしのう」
「度が過ぎるというのね」
「そう思わぬか、御主も」
こう黄忠に話す。今二人は森の中で横に並んで座っている。最早そこは密林で二人は倒れている木に腰掛けているのだ。
「あれはじゃ」
「それはそうだけれど」
「そう思うじゃろ」
「けれど私はいいと思うわ」
ところがだった。黄忠はここでこう言うのであった。
「あれでね」
「よいのか?」
「あくまで私の考えだけれどね」
こう断ってからさらに話す黄忠だった。
「別に何もする訳でもなし」
「実はあれでじゃ」
厳顔はその魏延のことを話す。
「あ奴は奥手なのじゃ」
「あら、そうなの」
「自分から手出しはようせん」
そうだというのだ。
「劉備殿から誘わぬ限りはな」
「それなら絶対に大丈夫ね」
「結果としてそうなる」
それを厳顔も認める。
「全く。喧嘩や戦闘では積極的じゃがな」
「色恋になるとなのね」
「あの通りだ」
別の意味で呆れている様子の厳しい顔であった。
「全く。わからぬ奴じゃ」
「けれどそう言っても」
「何じゃ、今度は」
「優しい感じよ、今の貴女は」
黄忠は旧友のその顔を見て微笑むのであった。
「とてもね」
「そ、そうか」
「そうよ。やっぱり嬉しく思ってるのね」
「まああ奴は弟子じゃからな」
一応はこう言う厳顔だった。
「わしとても見捨てることはせん」
「それも可愛い弟子ね」
「直情的に過ぎるが筋はよい」
それも認める厳顔だった。
「武芸も人間としてもな」
「そうよね。それでだけれど」
「うむ、それでじゃな」
「あの娘はこれからも見守るのね」
「釘を刺すのは忘れぬ」
これはしっかりと言うのであった。
「あそこまであからさまだと。言わずにはおれん」
「うふふ、それはそうなのね」
「そういうことじゃ」
こんな話をしてであった。厳顔は弟子を温かい目で見ていた。しかしそうではない者もいたのだった。
「全く何よ」
「どうしたのだ、蒲公英」
「あのブラックジャックよ」
馬岱は頬を膨らまさせて張飛に話す。
「あいつ何だってのよ」
「何時もお姉ちゃんの傍にいることなのだ?」
「そうよ。鈴々ちゃんは何とも思わないの?」
張飛に対して問う。
「あいつのこと」
「別に何とも思わないのだ」
こう返す張飛だった。魏延は道中でも劉備にあれこれと尽くしている。その彼女を横目で見ながら話をしているのである。
「焔耶はいい奴なのだ」
「何時の間に真名で!?」
「今さっきなのだ」
張飛はあっとした顔で驚く馬岱に素っ気無く答えた。
「そうなったのだ」
「今さっきって」
「話してみるといい奴なのだ」
張飛は持ち前の天真爛漫さで話すのであった。
「それは翠も言っているのだ」
「じゃあ姉様も」
「勿論なのだ。今ではお互い真名で呼び合っているのだ」
「ちょっと、何であんな奴に」
「鈴々にとってはどうして蒲公英があいつをそこまで嫌うのかわからないのだ」
「決まってるじゃない、あいつは」
「嫌い過ぎなのだ」
張飛の顔は少しむっとしたものになっていた。
「それはかえってよくないのだ」
「けれど」
「言っておくのだ。焔耶はいい奴なのだ」
また言う張飛だった。
「それは鈴々が保障するのだ」
「だからそれは」
「いえ、そうだと思います」
「私もです」
まだ言おうとする馬岱に今度は孔明と鳳統が話す。
「魏延さんは頭が絶壁なのが気になりますけれど」
「あれは反骨の相ですね」
二人はその相も見ていた。
「誰かに逆らうものがあります」
「それが気になりますけれど」
「ほら、やっぱりそうじゃない」
馬岱はその反骨の相という言葉に食いついて話した。
「だからあいつは一緒にいたら」
「ですが顔の相全体はとてもいい方です」
「星やお名前の文字、陰陽五行から見ましても」
二人はとにかく様々な方面から人を見るのだった。まだ小さいながらも伊達に軍師をしているというわけではないのであった。
「桃香さんとの相性は最高です」
「何があろうと裏切られはしません」
「確かに多分に危険な香りはしますけれど」
「桃香さんには絶対です」
「だからいいっていうの!?」
馬岱はこのことにも不満を感じるのだった。それを顔にはっきりと出す。
「皆一体何だっていうのよ」
「だから嫌い過ぎると駄目なのだ」
またこう言う張飛だった。
「何度も言うのだ」
「何だっていうのよ、本当に」
「まあ蒲公英、あれだ」
馬超もまた従妹に話す。
「相性だろ」
「相性って」
「あいつは桃香さんとは抜群に相性がいいんだ」
それは彼女も見てわかることだった。
「けれどその代わりな」
「私とはなの」
「そういうことだろ。御前もつっかかるな」
「けれど見てるだけで」
「じゃあ見るな」
今度はこう言う馬超だった。少し怒った顔になって小柄な従妹を見下ろしている。
「全く。御前はすぐに誰かにちょっかいかけるからな」
「まあそれがいいのだがな」
趙雲はその馬岱を見て微笑んでいる。
「蒲公英はな」
「星は結構蒲公英の肩持つよな」
「嫌いではない」
実際にこう言う趙雲だった。
「むしろ好きだな」
「その好きってのはどういう意味で好きなんだ?」
「色々な意味でだ」
ここでは思わせぶりな笑みを見せる趙雲だった。
「色々な、な」
「何か怪しいな」
「それは気のせいだ」
「そうは思えないけれどな」
馬超はこう言いながら首を傾げさせるのだった。
「まあとにかく。変な喧嘩はするなよ」
「その通りなのだ」
馬超と張飛が馬岱に注意する。
「戦う時は絶対に来るからな」
「無意味な喧嘩はしないに限るのだ」
「ちぇっ、鈴々ちゃんに喧嘩のことで言われるなんて」
無類の喧嘩好きである張飛にまで言われて不満を隠せない馬岱だった。
「何だっていうのよ、私って」
「鈴々が相手にするのは悪い奴とか大軍だけなのだ」
そうした相手だけだというのである。
「仲間や正しい人間とは喧嘩したりしないのだ」
「そうなの」
「そうなのだ。あと飯を奪った奴だけなのだ」
何気にこんなことも言うのであった。
「そういう奴は容赦しないのだ」
「最後は駄目ではないのか?」
趙雲がすぐに突っ込みを入れる。
「それは」
「そうなのだ?」
「そう思うがな」
こう話す趙雲だった。
「まあ私もメンマは別だが」
「星はそれにこだわり過ぎだろ」
「何を言う、メンマはだ」
馬超に対して熱く語りはじめる。
「まさに食の芸術だぞ」
「あたしもメンマは好きだけれどな」
それでもだと返す馬超だった。彼女達は食べ物の話になっていった。だが結局馬岱の魏延嫌いは変わらなかった。それは相手も同じであった。
「ふんっ」
「ふんっ」
顔を見合わせれば即座に背け合う。そんな関係であった。
「いけ好かない奴」
「腹の立つ奴だ」
馬岱も魏延も背中を向け合って言い合う。
「別について来なくてもいいのに」
「私と桃香様の邪魔をするのか」
「自分で言ってるし」
「ならば容赦はしないぞ」
「ううん、何かあの二人って」
劉備はそんな二人を見ながら呑気な調子で言うのだった。
「仲悪いのかしら」
「今気付いたの!?」
神楽もその鈍感さには驚愕であった。
「まさか」
「はい、何かそう思うんですけれど」
「あの、それはもう」
神楽は慌てた調子で劉備に話していく。
「何て言うか。一目瞭然というか」
「そうなんですか?」
「こ、この人って本当に」
「凄い天然ね」
ミナも呆然となっている。
「これまた壮絶な」
「ここまでの人はそうはいませんよ」
月も同じであった。
「私も。ここまでの人は」
「そうよね。見たことがないわね」
「私もよ」
神楽とミナもであった。
「けれど。だからこそ」
「そうね」
「そこに安らぎを感じますね」
それもまた劉備なのであった。
「それが劉備さんのいいところね」
「確かに」
「そう思います」
こうも話されるのが劉備であった。
「そういう人だから」
「きっと」
「果たされますね」
また彼女達の話をするのだった。
「それは間違いないわね」
「そうね。まずは南蛮に言って」
「そこから」
「さて、南蛮までまだ少しあるのう」
今度は厳顔が周囲を見回しながら話す。木から立ち上がってであった。
「もう少しじゃがな」
「そうなのね」
「そうじゃ。しかしちと難しい場所がある」
厳顔はこう黄忠に話すのだった。
「谷があってのう」
「谷がなの」
「それが五つ」
そうだというのである。
「あるのじゃが」
「確か益州南部の五つの谷って」
「そうよね」
孔明と鳳統はそれであることを思い出した。それは。
「その全部に毒があって」
「渡ることが困難だって」
「そうなのじゃ。それが問題なのじゃ」
実際にそうだと話す厳顔だった。
「谷に落ちればそれでじゃ」
「毒にやられてしまいます」
「ましてやそこのお水を飲めば」
どうなるかということも。軍師二人は話す。
「あっという間に死んでしまいます」
「それも注意して下さい」
「ふむ、それはまた実に厄介だな」
関羽もそれを聞いて述べる。
「その五つの谷を越えなければならないとはな」
「橋はないんですか?」
劉備は厳顔にこのことを尋ねた。
「そういったものは」
「あるにはあるが」
しかしといった口調であった。
「かなり古くなっておってのう」
「そうなんですか」
「危ないのじゃ」
そうだというのである。
「渡るだけでも」
「しかも修繕の望みはないか」
関羽が考える顔でまた述べた。
「そういうことだな」
「何度も言うが益州には牧がおらん」
厳顔の顔がいささかきついものになった。
「だからじゃ。橋の修理も為されておらんのじゃ」
「困った話だ」
それを利いて腕を組む関羽だった。
「何とかしなければならないというのに」
「けれど行かないといけないのだ」
張飛が困った顔で話す。猫を思わせる顔になっている。
「お姉ちゃんの剣の為にも」
「わかっている。それはな」
「すいません」
劉備は二人の妹の言葉に暗い、申し訳のない顔になった。
「私のせいで」
「いや、義姉上の為なら」
「そんなことはいいのだ」
これが二人の返答だった。
「それにその剣はだ」
「何かあると聞いているのだ」
「ええ、そうよ」
その通りだとだ。神楽が話すのだった。
「劉備さんの剣には間違いなく。この国を救うだけの力があるわ」
「この国をとなると」
「やっぱりそうしないといけないのだ」
こう言う妹二人であった。そうしてなのだった。
一行はあらためて南蛮に向かうことにした。その五つの谷を越えようというのである。まずは最初の谷に入ったのだった。
谷には橋があった。しかしだった。
「これは」
「まずいな」
趙雲と馬超が暗い顔になって述べる。
「あちこち壊れてるな」
「ここを渡るとなると」
木と縄の吊り橋だった。しかしそのあちこちが切れかけていたり壊れていたりしている。渡るにしては極めて危険な場所であった。
それを見てだ。二人は話すのだった。
「渡るにはだ」
「これは用心しないとな」
「はい。ここはですね」
「まずは鈴々ちゃんか蒲公英ちゃんに先に渡ってもらって」
「んっ?何なのだ?」
「何かあるの?」
張飛と馬岱は公明と鳳統の言葉に香を向けた。
「鈴々が先に渡るのだ」
「それで何かあるの?」
「はい、皆で命綱をしてです」
「それで先に身のこなしのいい二人に行ってもらって」
これが彼女達の考えであった。
「そのうえで安全に渡ろうと」
「それでどうでしょうか」
「いい考えね」
黄忠がその案に賛成した。
「それじゃそれでいったらどうかしら」
「はい、それじゃあ」
「二人はそれでいいでしょうか」
「何の問題もないのだ」
「喜んで行かせてもらうよ」
張飛と馬岱は快く引き受ける。そうしてであった。
命綱をした二人が先に行きそのうえで一人ずつ渡る。そうして最初の谷を越えるのだった。
その時にだ。魏延は最後に渡ろうとする劉備の傍にいた。そのうえで彼女に話すのだった。
「では参りましょう」
「はい、それじゃあ」
「何でしたら」
その劉備を護るようにしての言葉だった。
「私がこの手に持って」
「魏延さんがですか」
「お任せ下さい」
真剣な顔で言う魏延だった。
「私はこれでも力がありますから」
「それ幾ら何でも」
「お気遣いなく。それでは」
魏延は実際に劉備を抱えてそれで橋を渡った。彼女はここでも劉備を護るのだった。
それを見てだ。関羽が唸るのだった。
「本当に見事だな」
「そうね。あそこまで桃香さんに尽くすなんて」
「忠誠心は本物だな」
「それ以上のものも強いけれど」
「確かにな」
こうしたことに今一つ疎い関羽にもわかることだった。
「あそこまで露骨だとな」
「困ったことね」
「全くだ。だが」
それでもなのだった。関羽は納得するしかないといった顔で話すのだった。
「あそこまで見事だとな」
「認めるしかないわね」
「幸い奥手の様だし」
「安心していいわね」
こんな話をしてだ。そのうえで二人も魏延を認めるのだった。しかし馬岱はこの時も嫌な顔をしていた。そうしているのであった。
何はともあれ最初の谷は越えた。しかしすぐにだった。
次の谷が出て来た。今度は橋自体が消えていた。
「これはだ」
「はい、御願いします」
「是非愛紗さんに」
孔明と鳳統は声をあげた関羽に対して述べた。
「傍の丸太を切って」
「それを橋にしましょう」
「そうだな。それでは」
「ただ。それだけでは不安定ですので」
「丸い丸太一本だけですと」
軍師二人はそこまで考えていたのだった。
「ですから縦にも真っ二つにして」
「それで二本並べて」
こうも言うのだった。
「それでいきましょう」
「それでどうでしょうか」
「考えるな」
関羽も二人のことばには思わず驚嘆の声をあげた。それで言うのだった。
「そうだな。それはいいな」
「はい、それでは」
「それで」
「うむ。それではだ」
関羽は二人の言葉に頷いた。そうしてであった。
彼女はすぐに構えてだ。そのうえでまずはその得物を横に一閃させた。
その直後に跳んだ。驚くべき跳躍力だった。
「はぁっ!」
そしてそれでまた得物を一閃させ縦にも切った。丸太はそのまま落ちていき谷の上に二本並んで落ちた。それがそのまま橋になった。
「これでいいな」
「はい」
「有り難うございます」
こうしてだった。橋ができ一行は二番目の谷も越えたのだった。
そしてであった。彼等は三番目の谷に来た。今度はだ。
「これはまたな」
「そうだよな」
趙雲と馬超が声を顰めさせる。馬超の方がその色は強い。
その二人が見る橋はだ。見れば縄の橋だった。それが一本木と木につながっているだけであった。
孔明と鳳統それを見てまた言うのであった。
「ここはまた命綱です」
「今度は最初に腕力の強い人に行ってもらいたいのですけれど」
「それは何でなんだ?」
馬超が二人に対して問う。
「何で腕っぷしなんだ?」
「はい、綱渡りは手の力だけで行いますので」
「それで」
「ああ、それでか」
ここまで聞いて納得した馬超だった。そうしてだった。
彼女はだ。すぐに自分から手を挙げて言うのだった。
「それなら今度はあたしに行かせてくれ」
「馬超さんがですか」
「今度は」
「ああ。腕っぷしには自信があるからな」
左手を拳にして顔の前で振って右手はその手に添えて話す。
「だからな」
「わかりました。それじゃあ」
「ここは御願いします」
「行って来るな」
こうして今回は彼女が最初に行くのだった。そうしてであった。
この橋も渡ったのだった。また次だった。
四番目はだ。橋はなくだ。泉の上に石が何個かあった。それを見て言うのは黄忠だった。
「ここを一つずつ跳んでなのね」
「そうなのじゃ」
厳顔が答える。
「この谷はそうじゃ」
「それで落ちたら」
「終わりじゃ」
まさにそれだというのである。
「わかっておると思うがこの泉もじゃ」
「毒泉なのね」
「水が口の中に入れば死ぬ」
まさに毒故である。
「だからここはじゃ」
「わかったわ。それじゃあね」
こうしてだった。一行は一つ一つ跳んでそれで進んでいく。そしてだ。
劉備は何とか慎重に進む。魏延がその彼女を見て言う。
「大丈夫です、桃香様」
「けれど何か」
「いざとなれば私がいますから」
だからだというのである。
「ですから御安心下さい」
「魏延さんが」
「いざという時は御身体を御護りします」
こう言ってやはり劉備の傍を離れないのだった。この時もだった。
劉備は無事渡り終えた。それを見てほっとする魏延だった。
「無事で何よりです」
「何が魏延さんって本当に」
「いえいえ、御気になさらずに」
劉備にはあくまで忠義である。
「それではいよいよですね」
「そうですね。五つの谷の最後ですね」
「そこを越えれば」
「いよいよ南蛮なんですね」
劉備のその顔に期待するものが宿る。
「それじゃあ」
「はい、参りましょう」
四つ目の谷も越えたのであった。そして。
最後の谷であった。ここは。
「ここなのだ?」
「何か下の泉真っ赤なんだけど」
「しかもぶくぶと出ているのだ」
「沸騰してる?まさか」
張飛と馬岱が下のその泉を覗いて言う。
「ここって」
「とんでもない場所なのだ」
「言うまでもないことじゃが」
ここで厳顔も話してきた。
「ここに落ちればじゃ」
「死にますよね」
「骨も残らん」
素っ気無いがとんでもない言葉だった、
「あっという間にだ」
「ここを渡らないといけないのだ」
「ここを渡ればいよいよ南蛮じゃ」
厳顔は張飛にこうも話した。
「それではわかるな」
「わかってはいるのだ」
張飛はそれは間違いないというのであった。
「要は落ちないといいのだ」
「怖くはないな」
「鈴々はお化け以外は怖くはないのだ」
何気に自分の弱点まで言ってしまった張飛だった。
「だからここも大丈夫なのだ」
「その割りには怯えているように見えるが?」
「鈴々はいいのだ」
自分自身はというのだ。それは確かな声によるものだった。
「けれど。お姉ちゃんは」
「劉備殿か」
「ここを渡れるのだ?」
「それは任せてくれ」
ここで言うのは魏延だった。
「私がいる限り劉備様は何があろうとも」
「それは私が言おうと思っていたのだが」
関羽は魏延の今の言葉を聞いて面白くなさそうな顔で述べた。
「どうも最近姉者の傍にいることが少なくなったな」
「それは気のせいではないのだ」
張飛はここでも困った顔を見せる。
「焔耶があまりにもおねえちゃんを独占し過ぎるのだ」
「いや、これは独占ではない」
本人はそれを否定する。
「私はただ、だ。劉備様を」
「ばればれだがな」
「あたしでもはっきりわかるぜ」
趙雲と馬超も呆れてしまっている。
「それでも桃香殿の安全は保たれているがな」
「けれど殆ど独占だよな」
「まあとにかく」
黄忠は穏やかな調子で話してきた。
「ここはね。慎重に渡りましょう」
「さて、橋はあるがじゃ」
厳顔は吊り橋を見ていた。
「しかしあの橋で大丈夫だと思うか」
「難しいな」
関羽がきつい目になって答えた。見ればその吊り橋は今にも落ちそうである。縄も木の板もだ。どれもが酷い有様である。
「一人でも渡ればそれでだ」
「崩れてしまうのう」
「そうだ、危険だ」
関羽はそのことを見抜いているのだった。
「ここはどうするべきか」
「そうだな。さしあたって木はある」
趙雲は周りを見回す。それは豊富にあった。
「それではだ」
「またあれだよな。橋を作るか」
「そうするべきだな」
趙雲はこう馬超にも帰す。顔は真面目なものになっている。
「ここは」
「それじゃあ今度はあたしがやるな」
馬超は名乗り出てからその十字槍を構える。それからだった。
前にあった大木に対して突き進みそのうえでまずは横に一閃する。
「はぁっ!」
それからだった。高く跳躍しそのうえで縦にも一閃する。それで関羽と同じ様に大木で橋を作ってだ。谷にかけたのであった。
「これでいいな」
「うむ、上出来だ」
趙雲が着地した馬超に述べる。しかしであった。
「ただ、だ」
「んっ?何だ?」
「愛紗もそうだったが」
彼女の名前も出すのであった。
「見えていたぞ」
「見えていた!?何がだよ」
「相変わらず見事な緑色だな」
趙雲の顔はここでは微笑んだものになっていた。
「愛紗は奇麗な白だな」
「えっ、まさか見えてたのか!?」
「私もか!?」
馬超だけでなく関羽も趙雲の今の言葉には赤面になる。
「あたしの下着」
「斬った時にか」
「言っておくが二人共動けばすぐにだ」
趙雲は妖しげな微笑みのままその二人に話す。
「ちらちらと見えているぞ」
「じゃあ戦いの時なんかは」
「敵味方に丸見えだったのか」
「無論私もそうだろうがな」
趙雲はここで自分の服を見る。彼女の服も丈は短い。
「これではな。私も白だがな」
「いや。下着の色よりもだよ」
「見られていたのか」
二人の真っ赤な顔はそのままである。
「何てことだよ」
「この服は気に入っているのだが」
「何、気にすることはない」
趙雲の微笑みはそのままである。
「見えていても何の問題はないではないか」
「いや、あるだろ」
「それはだ」
すぐに反論する二人だった。
「見せるものじゃないんだからな」
「それでどうしてそう言うのだ」
「気にするな。見せる為のものだ」
「いや、だから下着ってのはな」
「そうではない筈だ」
二人のその反論は続く。
「あたしは見られたら恥ずかしいぞ」
「むしろ恥ずかしくない者がいるのか」
「そう思うからこそいいのではないか」
二人は趙雲にあしらわれている。そんなやり取りであった。
しかし何はともあれだ。橋はかかった。それでだった。
「念には念を押してじゃな」
「そうね」
また厳顔と黄忠が話す。
「命綱は忘れないでおこう」
「今回は特にそうしないとね」
「ここが一番危ないですね」
「私もそう思います」
孔明と鳳統も話す。
「用心には用心を重ねて」
「そうしないと」
「それじゃあ」
ミナがその弓矢に命綱をつけた。そうしてであった。
谷の向かい側の大木の一本に狙いを定めてだ。そのうえで矢を放った。
矢は一直線に大木に向かい突き刺さった。そうしてからだった。
「それじゃあ」
「はい、今度は蒲公英ちゃんが御願いできますか」
「最初に行ってくれますか?」
「うん、わかったよ」
馬岱は孔明と鳳統の願いに笑顔で応える。
「それじゃあ向かい側に言ってだよね」
「そうです。命綱を大木に何重も括り付けて下さい」
「それも御願いします」
「用心に用心を重ねてだよね」
こんな話をしてであった。今回はまず馬岱が橋を渡った。彼女は何なく渡りそのうえでだった。大木に命綱を何重にも括り付けた。それからだった。
「それじゃあ皆さん」
「渡りましょう」
軍師二人の言葉と共にであった。一行は橋を渡るのだった。
一人また一人と渡り最後はいつも通り劉備だった。やはりその横には魏延がいる。彼女は腰の命綱を見ながら劉備に話す。
「それではですね」
「はい、いよいよ」
劉備も両手を拳にして異を決した顔になる。
「ここを渡って」
「南蛮に行きましょう」
「南蛮に行けば」
どうかというのだった。
「皆で美味しい果物が食べられますね」
「はい、その通りです」
向かい側にいる他の面々は劉備の今の言葉にずっこける。しかし魏延だけは真面目な顔でだ。彼女のその言葉に頷くのだった。
「参りましょう」
「それでは」
「全ては私にお任せ下さい」
魏延の熱さはここでも変わらない。
「それでは」
「いつもすいません」
「ですからそれは御気になさらずに」
「けれど」
「私は私のしたいようにしているだけですから」
それが彼女だというのである。
「しかし何はともあれです」
「橋を渡ってですね」
「はい」
劉備に対してこくりと頷いて述べる。
「渡りましょう」
「それじゃあ」
劉備を護るようにしてそのうえでだった。二人もまた命綱を着けてそのうえで橋を渡ろうとする。二人はすぐに橋の真ん中まで来た。
「劉備さんも渡ったらいよいよね」
「そうですね」
神楽と月はその二人を見ながら話をしていた。
「南蛮ね」
「もうここが南蛮ですよね」
「その通りじゃ」
厳顔もこう二人に答える。
「ここがまさにそれじゃ」
「じゃあいよいよ剣が」
「劉備さんの剣が元通りに」
「なるぞ。ではじゃ」
「劉備さんが渡ったら」
「いよいよ」
彼女達は安心していた。これで谷は終わったと思った。だが。
劉備が足を滑らせてしまった。そしてだ。
左手から落ちようとする。一行はそれを見て慌てた。
「まずい!」
「これは!」
だが魏延がいた。彼女はすぐに劉備のその手を取った。
「劉備様!」
「ぎ、魏延さん!」
「危ない!」
慌てて彼女のその右手を掴む。そのうえで引き上げようとする。しかしだった。
彼女は何とか劉備の手は掴めた。しかしだ。
橋に何とかしがみついているだけだった。彼女も落ちようとしている。劉備の下はその沸騰する赤い泉が顎を開いていた。
「くっ・・・・・・」
魏延は何とか劉備を引き揚げようとする。しかしだった。
中々引き揚げられない。その顔に苦渋が浮き出る。
「まずい、このままでは」
「魏延さん、ここは」
その劉備がだ。彼女の顔を見上げながら言う。
「私を放して下さい」
何時の間にかその命綱は切れてしまっていた。二人共だ。
「そうすれば魏延さんは」
「嫌です」
だが、だった。魏延はその申し出はすぐに断った。
「それだけは」
「けれどそうすれば」
「大丈夫です、私は必ず」
こう言う彼女だった。
「劉備様をお護りします」
「私を」
「そうです。私は劉備様の為に」
その劉備を見ながらの言葉だった。
「この手は放しません」
「けれど」
「お助けします」
魏延の言葉は変わらない。
「この命にかえても」
「魏延さん・・・・・・」
「何やってんのよ」
そしてだった。馬岱が言う。
「このままじゃ」
「どうするのじゃ、それで」
「決まってるじゃないですか」
厳顔の言葉にもすぐに言い返す。
「ここはですね」
「ふむ、ここは」
「私が行きます!」
こう言ってだった。真っ先に飛び出る彼女だった。
そのうえでだ。魏延のその身体を掴んで思いきり引き揚げたのであった。
「うんしょっと!」
「!?」
「蒲公英ちゃん!?」
「これでどうよ!」
馬岱の力が加わるとだった。魏延は劉備を引き揚げることができた。劉備はすぐに橋の上に戻ってだ。そうして魏延に付き添われながら橋を渡り終えた。
それを見てだった。既に橋の向かい側に戻っていた馬岱が言うのだった。
「よかったわね」
「御前、まさか」
「そうよ、劉備さんを助けたのよ」
こう魏延に返す馬岱だった。
「あんたじゃないわよ」
「ふん、それはわかっている」
ここではいつものやり取りだった。
「だが、だ」
「何よ」
「礼を言う」
それは言う魏延だった。
「お陰で劉備様が助かった」
「御礼なんていいのよ」
それはいいと返す馬岱だった。
「桃香さんが助かったんだからね」
「そうだな」
「あの」
その劉備がだ。魏延のところに来て言うのだった。
「魏延さん、よかったら」
「はい、何でしょうか」
「今度のことは本当に有り難うございます」
まずは礼を述べてからなのだった。
「それでなのですけれど」
「それで?」
「私を真名で呼んでくれませんか?」
「真名で、ですか」
「それで私も」
彼女自身もだというのであった。
「魏延さんのことを真名で」
「何と、私の真名を」
それを聞いてだ。魏延は目を瞠ってだ。こう劉備に問い返した。
「呼んで下さるのですか」
「いけませんか、それは」
「滅相もありません」
魏延が断る筈がなかった。
「それではですね」
「はい。それじゃあ」
「是非お呼び下さい」
これが魏延の返答だった。
「それは」
「そうですね。それじゃあ私の方も」
「桃香様とお呼びしていいのですね」
「はい、お願いします」
「信じられません」
今の魏延はまさに天にも昇らんばかりであった。
「私が。こうして」
「そうね。それはよかったじゃない」
馬岱もここで魏延に言う。
「桃香さんに真名を呼んでもらってね」
「そうじゃな。それでじゃが」
ここでまた出て来る厳顔だった。
「そなた達もじゃな」
「そなた達というと」
「私達ですか?」
「そうじゃ。仲間なのじゃ」
穏やかな笑みで二人に話すのであった。
「もうよいじゃろ。真名で呼び合え」
「しかしそれは」
「だって。あれですよ」
二人は厳顔の今の言葉には難色を示す。
「私達は」
「こいつとは」
「互いに助け合ったではないか」
しかし厳顔はまだ二人に言う。
「それではじゃ。そうせよ」
「左様ですか」
「どうしてもですね」
「反論は許さん」
厳顔の言葉が強いものになった。
「わかりました」
「それなら」
「では言い合ってみよ」
早速であった。
「よいな」
「は、はい」
「それなら」
二人はそれぞれ顔を顰めさせながらだ。こう呼び合うのだった。
「蒲公英だったな」
「焔耶よね」
「そうだ」
「そうよ」
こう言い合うのであった。
「ではだ。これからはだ」
「真名で呼び合うのね」
「そうせよ。蒲公英よ」
ここで厳顔は馬岱に顔を向けて放す。
「そなたもわかっておる筈じゃ」
「わかっているって何がですか?」
「焔耶のことじゃ」
他ならぬ彼女のことをだというのだ。
「この者は桃香殿に対して絶対の忠誠を誓っておる」
「それはそうですけれど」
「それは本物じゃ」
「はい、わかってます」
馬岱も不承不承ながら頷く。
「それは」
「そういうことじゃ。だからよいな」
「桔梗さんがそこまで仰るのなら」
「そなたもじゃ」
厳顔は魏延に対しても話すのを忘れない。
「わかっておるな」
「はい・・・・・・・」
魏延は渋々ながらも頷いた。
「蒲公英はわるいものではないな」
「それはその通りです」
「ではじゃ。よいな」
「はい、わかりました」
そうして頷いてであった。二人はまた向かい合って話す。
「それではな」
「こっちこそね」
「何かまだ違和感滅茶苦茶あるな」
馬超がそんな二人を見てぼやく。
「大丈夫かね、本当に」
「ふふふ、あれ位でいいのだ」
しかし趙雲は余裕の笑みである。
「かえってな」
「そういうものか?」
「まあ御主はあれだな」
趙雲の言葉がここで変わった。その目もだ。
「親密な方が合っているようだな」
「それはそうだけれどな」
「では御主と愛紗とでだ」
「むっ、私もか」
「今宵でも褥の中でだ。どうだ」
「えっ、まさか」
「それは」
馬超と関羽は趙雲の今の言葉にぎょっとした顔になった。
「あたしを、その」
「貴殿が」
「女三人でどうだ?面白いぞ」
「い、いや。あたしはその、あれだよ」
「私もだ。そうした趣味は」
「知るのはいいことだ」
趙雲は二人を手玉に取り続ける。
「それではだ。どうだ」
「だからいいって」
「そういうことはだ」
「やれやれ。面白くないことだ」
「そういう問題じゃないだろ」
「冗談が過ぎるぞ」
少しムキになって抗議する二人だった。
「ったくよ、いつもだけれどな」
「それでもだ」
「私はわりかし本気なのだが」
しかしまだ言う趙雲だった。
「幸いまだそうした経験はないしな」
「それでそう言うのかよ」
「全く。どういうことだ」
そんな三人のやり取りであった。そしてである。
一行はだ。あらためて周りを見回す。そこは。
「雰囲気が変わりましたね」
「明らかにですね」
孔明と鳳統が話す。見れば木々も草花もだ。これまでの場所とは違っていた。
「徐々に違ってきていましたけれど」
「それが本格的になりましたね」
「左様、ここがじゃ」
二人にもこう返す厳顔だった。
「南蛮じゃ」
「そしてここに、ですね」
「桃香さんの剣を元に戻す術がありますね」
「いよいよなんですね」
劉備もその顔を少し引き締めさせる。
「南蛮に来てそれで」
「ただ。どうしてそれが行われるか」
「それがわかりません」
軍師二人の顔がここで曇る。
「とりあえず南蛮王猛獲さんのところに行ってです」
「その人からお話を聞くべきですけれど」
「そうですね。それじゃあ」
「はい、行きましょう」
「今から」
こうしてだった。南蛮に着いた一行はこの国の王猛獲のところに向かうことになった。何はともあれ遂に南蛮に着いたのであった。
第四十九話 完
2010・12・14
南蛮に到着か。
美姫 「その前の一波乱で多少は魏延も打ち解けたかしらね」
とりあえずは、蒲公英とも真名を呼び合うようにはなったけれどな。
美姫 「まあ、雨降ってとまではいかない感じだけれどね」
まあ、逆にこの二人はこんな感じでも信頼関係は築いていくのかもな。
美姫 「さて、南蛮に着いたけれど、これからどうなるのかしらね」
次回も待っています。