『イドメネオ』




                          第三幕  波は鎮まり

 イーリアは一人王宮の庭にいた。様々な色と香りの花が咲き誇るその庭において。彼女は花々を見つつ一人静かにたたずみそこで言うのだった。
「慣れ親しんだ孤独、愛情深いそよ風」
 相反するものがまず語られる。
「花咲く木々、見事な花々」
 それはこの庭にあるものだった。白や赤の花々が緑の木々や草達から姿を見せている。そこに白い服で身を包んだ清楚な彼女が立っているのだ。
「不幸な恋をしている者が貴方達に話します。この嘆きを」
 彼女が言うのはこのことだった。
「恋に落ちたお方の側にいて黙して愛を偽ること」
 このことを言う。
「これは苦悩する心にとって何と。いえ」
 言葉を止めた。そしてその言葉を変えたのだった。
「心を和ませる西風よ、どうかあの方の下へ行って伝えて欲しい。私のこの想いを」
 今にも張り裂けそうな顔で呟く。
「私の為に変わらぬ心を持ち続けて下さるようにと。そう」
 言葉をさらに続ける。
「真心ある木々よ、花々よ。私の苦い涙を受ける貴方達、あの方に伝えて。これ程の愛はなかったと」
 こう行った時。庭に誰かがやって来た。それは。
「まさか」
「こちらでしたか」
「どうしてここに」
 イダマンテだった。彼は静かにイーリアの側にやって来た。彼女が思いもしなかったことに。
「お別れを告げに来ました」
「ここを発たれるのですね」
「いえ、違います」
「違う!?」
「そうです」
 顔を少し俯けさせた言葉だった。
「私は。これから死にに行きます」
「死ぬ!?まさか」
「今海から現われた巨獣がクレタを荒らしています」
「それは聞いています。ですが」
「だからなのです」
 彼はイーリアに告げる。
「だからこそ私は」
「!?どういうことですか?」
「私はあの獣を倒しに行きます」
「無謀です」
 それはあまりにも無謀だった。イーリアでなくてもわかることだった。
「その様なことは。絶対に」
「いえ、それでもです」
 だがそれでも彼は言うのだった。
「私はクレタの者達の為に行きます」
「お止め下さい、王子様」
「いえ、私は」
 それでもイダマンテはイーリアに告げる。
「クレタの為に」
「なりません、どうか」
 イダマンテにすがるような気持ちだった。
「ここはお下がり下さい」
「下がってそれでクレタの者達が救われますか?」
「いえ、それは」
 こう問われると返答に窮する他なかった。
「ですが私は」
「貴女は?」
「貴方様に留まって欲しいのです」
 今彼女は一人の女として語っていた。
「ですから。ここに」
「姫、しかし貴女は」
「私は思うのです」
 沈痛な顔でイダマンテに語る。
「何故あの時にトロイアが滅亡したあの時に死ななかったのか」
「トロイアが滅んだ時にですか」
「そうです、貴方が死に赴かれるのにそれを見ているだけしかできないなんて。これ程の悲しみはトロイアが滅亡した時にも味わったことはありません」
「姫よ」
「はい」
 じっとイダマンテの目を見て彼の声を聞く。
「何でしょうか」
「若し私がこの言葉を聞いて死なないとしたら真実ではありません」
「真実ではない?」
「そうです」
 毅然としてイーリアに語る。
「愛に人が死に、喜びに心臓が止まるというのは」
「もう苦しみも悲しみもありません」
 イーリアも言う。
「私は貴方に全てを捧げます。私の唯一の宝に」
「姫・・・・・・」
「王子様・・・・・・」
「最後に私は欲しい」
「私もです」
 見詰め合って語り合う。
「私の花嫁に」
「貴方が私の花婿に」
「愛がそう命じてくれることを」
「私達の喜びは今ここに」
 二人で言葉を交えさせる。
「これまで味わった苦しみを」
「この思いは何にも増して強いものだから」
「何を話しているのだ?」
 見詰め合う二人のその場所にイドメネオが来た。
「父上」
「どうしてここに」
 そしてそこに来たのはイドメネオだけではなかった。エレクトラもいた。彼女は見詰め合う二人を認めてその顔に強い険を浮かべさせたのだった。
「くっ、余計なことを」
「やはり」
 イドメネオは沈痛な顔で二人を見て述べた。
「そういうことだったのか。この二人は」
「王よ」
 イダマンテはここで何と臣下の礼でイドメネオの前で片膝をついた。
「一つ御好意を頂けるでしょうか」
「何をだ?」
「私をあの獣の下へ」
 こう父に言うのだった。
「是非。今より」
「いや、それは」
「ならないのですか」
「そうだ」
 彼はまだイダマンテを息子と見ていた。イダマンテは臣下として側にいるというのに。
「このクレタを離れ遠くへ行け。安住の地を」
「しかし」
「これは王としての言葉だ」
 有無を言わせぬ強い言葉であった。
「だからだ。それは」
「ならないというのですか?」
「その通りだ。わかったな」
「では私は」
「去るのだ、このクレタを」
 また言うイドメネオだった。
「何としてもな」
「それは私の祖国でなければならない」
 エレクトラはそれを聞いて青い炎を巡らせながら呟いていた。その赤い衣の上に。
「そうでなければ」
「私は。どうしても」
 イーリアもイーリアで言う。
「イダマンテ様に。御無事で」
「では私は」
「行くのだ」
 イドメネオはまた我が子に告げる。
「このまま。何処かへと」
「わかりました。それでは」
 項垂れて頭を垂れるイダマンテだった。
「何処かで。死を捜し求めて」
「それは・・・・・・それだけは」
 イーリアは今の言葉を聞いて顔を蒼白にさせた。
「なりません。死んでは。ならば私も」
「それは駄目だ」
「私が行くことができれば」
 イドメネオもまた己の心の苦しみに喘いでいた。
「どうしてこの様な。惨い運命だ」
「このまま私はこの方を祖国に導く」
 エレクトラだけが希望を見ていた。
「その為に。死なせる訳にはいかない」
「では。これで」
 イダマンテは遂に立ち上がった。
「私は。クレタを去ります」
「去るのは私でなければならないというのに」
 イドメネオは天を見上げて嘆いた。
「何故だ。死より辛い苦しみ」
「惨い運命よ」
 イーリアは去っていくイダマンテの背を見て涙にくれる。
「私は貴方を呪います」
「王よ」
 イダマンテと入れ替わりにアルバーチェがやって来た。
「王宮の前に民達が集まっています」
「民達がか」
「そうです」
 厳かに彼に告げるのだった。
「王と話がしたいと」
「そうか。私とか」
「その先頭にはポセイドン神の祭司長がいます」
「やはりな」
 ポセイドンの祭司長と聞いて納得した顔になるイドメネオだった。
「あの海の獣はポセイドン神の僕。それならばな」
「どうされますか?」
 実直にイドメネオを見て問う。
「行かれますか?」
「行こう」
 沈みきっているがそれでも確かな言葉を返した。
「それではな」
「はい」
「私もまた」
 イーリアはそっと姿を消した。悲しみに苛まれつつ。そしてエレクトラは。イドメネオとアルバーチェのやり取りをじっと見ているのであった。
「不幸に見舞われたクレタよ」
 アルバーチェはまずこう言った。
「今海より迫る獣に脅かされています」
「私が生贄ならば」
「それもまた不幸です。今国のあらゆる場所が悲しみに包まれています」
 アルバーチェはこう言って嘆く。
「天に我等の懇願は全て退けられたのでしょうか。いえ、おそらくは」
「おそらくは?」
「誰かがおられます」
 何とか希望を見ようとして王に語る。
「我等を救って下さる神が。きっと」
「それは誰だ?」
「峻厳は寛容に譲ります。どなたかが我等に慈悲の手を差し伸べられるでしょう。さもなければこのクレタは廃墟と屍により覆われてしまいます」
「だからこそ私が」
「それはなりません」
 己が行こうとするイドメネオは制止する。
「運命でそう定められているならば、クレタに非があるのなら滅ぶべきです」
 アルバーチェはこう主張する。
「それならば最早。ですが」
「ですが?」
「今それはありません」
 はっきりと王に告げたのだった。
「それは決して。ですからどうか御自重下さい」
「しかしこのままでは」
 イドメネオはこの時クレタの者達の悲鳴を耳に聞いた。そして建物が崩れ落ちる音、獣の不気味な咆哮を。最後にイダマンテ、我が子の地の底から響く様な断末魔の声も。全て聞いたのであった。
「クレタは。このクレタは」
「宜しければ私が」
 ここで彼は自ら名乗り出た。
「生贄となりましょう。この私が」
「馬鹿な。そなたが死ぬ必要はない」
 イドメネオはアルバーチェのその言葉を止めさせた。
「そなたはまだ若い。それにクレタに必要な人材だ」
「いえ、それは王と王子様こそです」
「違う、私こそが」
「正義の神々よ」
 イドメネオに己の考えを退けられたアルバーチェはまた嘆くのだった。
「どうかこのクレタをお救い下さい」
「何はともあれ行くしかない」
「はい、その通りです」
「悲しみは。王にとっては」
 それでも嘆きの言葉を出さざるを得なかった。
「避けられぬものであるのか」
「・・・・・・・・・」
 アルバーチェはそんな王を何とか助けたかった。しかしそれはもう適わなかった。王は打ちひしがれた心で民衆の前に姿を現わした。王宮の前にいる彼等の戦闘には白い髭と髪の老人がいた。
「王よ」
「祭司長か」
「はい」
 彼こそがポセイドンの祭司長であった。
「どうか御覧下さい。残忍な獣がこの清らかなクレタを襲い」
「うむ」
 祭司長の言葉を聞く。
「国中が破壊され民は殺され血に染まっていない場所はありません」
「それは私もわかっている」
「恐ろしい毒を発し民達を喰らっています。私は貴方に御願いがあります」
「あの獣を止めよというのだな」
「生贄ですね」 
 ポセイドンの祭司だけあって彼が何を求める神なのかわかっていた。
「生贄ならば。それならば誰でしょうか」
「誰かか」
「その者を差し出せば。だからこそ神殿に」
「それはだ」
「御存知なのですか?」
「うむ」
 沈痛な声で俯いて答える。
「その通りだ。知ってる」
「ではそれは一体」
「誰なのですか?」
「王様!」
 祭司長に続いて民衆達もイドメネオに対して問う。
「是非お答え下さい」
「御存知ならば」
「我が子だ」
「!?我が子!?」
「まさか」
 それを聞いた皆に驚愕の色が走る。
「イダマンテ様か!?」
「まさか」
「その通りだ」
 その沈痛な顔でまた述べるイダマンテだった。
「我が子イダマンテなのだ。その生贄とは」
「何ということ・・・・・・」
 これには祭司長も呆然とするしかなかった。
「王よ、それは」
「ならぬというのか」
「もう一度ポセイドン神に御願い下さい」
 じっと王を見上げて言う。
「それだけはなりません。我が子を生贄にするなぞ」
「そうだ、それはいけない」
「我が子を生贄にするのはこの世で最大の罪です」
 民衆達も口々に言う。
「それだけは何とか」
「お考え下さい」
「だが。クレタはどうなる」
 それでもイドメネオは彼等に言うのだった。
「今獣が襲われている。私は今まで迷っていた」
「王よ・・・・・・」
「しかし。今決めた。私は決意したのだ」
 確かな声で述べる。
「私は救う。このクレタを」
「ではやはり」
「イダマンテ様を」
「そうだ」
 沈痛だがそこにはもう迷いのない声だった。
「私は生贄を捧げよう。ここでな」
「それでは王よ」
 王の決意が変わらないと見た祭司長は厳かに彼に対して述べた。
「参りましょう、神殿へ」
「うむ、ポセイドンの神殿に」
「何という恐ろしい悲劇・・・・・・」
「惨い運命よ」
 民衆達も彼の不幸に嘆くしかなかった。だが最早どうにもならない事態にまで至っていたのだった。
 ポセイドンの神殿前。既に入り口も柱の辺りもクレタの者達とトロイア者達で埋め尽くされている。青い海を思わせる色の神殿の周りに様々な人々が集っている。
 既に祭司達は生贄の儀式の用意をはじめている。祭壇と刃が出されている。
「王よ、それでは」
「宜しいですね」
「うむ」
 祭司達の言葉に応えるイドメネオがいた。彼は祭司長と共に祭壇の前にいる。だがるバーチェはイダマンテを呼びに行っていてここにはいない。
「いよいよだ。儀式をはじめる」
「イダマンテ様が来られたならば」
「トロイアを救う為に」
 重苦しい決意の言葉を口にする。
「やらなければならぬ」
「はい・・・・・・」
「何という惨い話だ」
「王子様が、王様の手により」
 誰もがこれからはじまることを想い悲しみに打ちひしがれている。しかしここで遠くから何か不思議な、ここには場違いな明るい声が聞こえてきた。
「やっや、やったぞ!」
「勝利の栄光は貴方に!」
「貴方によってクレタは!」
「!?あれは」
 その声に誰もが顔を向けた。
「勝利の声!?何故今」
「ここで聞こえるのだ」
「王よ、こちらでしたか」
「アルバーチェ」
 アルバーチェが祭壇の場所に来た。そうしてまずは一礼してから王に述べる。
「イダマンテ様は勝たれました」
「勝っただと!?」
「はい、そうです」
 息を切らし汗を額に流しつつ答える。どうやらここまで必死に走って来たらしい。その声と顔で王に対して語るのであった。
「あの獣に果敢に向かわれ。そして」
「勝ったというのか」
「はい、そうです」
 こうイドメネオに対して述べるのである。
「クレタは救われました、これで」
「まさか、そんな」
「あの獣を」
「いや、来られたぞ!」
「王子様だ!」
 驚く民衆の言葉が変わっていく。
「イダマンテ様だ!来られたぞ!」
「冠を被っておられるぞ!」
 それは花の冠だった。戦いに勝った英雄に授けられる冠だ。彼は兵士達に囲まれている。そして民衆達にも囲まれその中で祭壇の前に導かれたのだった。
「我が子よ」
「父上、私は」
「許してくれ」
 まずは我が子に対して詫びた。
「私は。そなたを」
「いえ、これも運命です」
 頭を垂れてイドメネオに述べる。
「どうか。ここでクレタの為に」
「命を捧げるというのか」
「そうです」
 片膝をつきまた父に対して述べる。
「どうかこの胸に。三叉の鉾を」
「だがそれは」
「王よ、ここはお慈悲を」
「御願いです」
 祭司達も兵士達も民衆も彼に懇願する。
「お止め下さい」
「どうかまた一度。ポセイドン神に」
「人の情はその創造主に従うもの」
 だがここで当のイダマンテが言うのだった。
「これはゼウスの強いお望みです」
「ゼウスの」
「ですからどうか御自身の為すことを思い出して下さい」
 ゼウスという存在は彼等にとっては並大抵の重さではなかった。何故なら彼等の祖でであるみーのすはそのゼウスの息子であったからだ。
「例え我が子を失おうとも多くの神々がこのクレタと父上を救って下さるでしょう」
「このクレタをか」
「そうです」
 また語るイダマンテだった、
「クレタの民は父上の御子」
「その通りだ」
「彼等がいます。それにイーリアもいます」
「イーリアも」
 見れば彼女はトロイア人達の先頭にいた。そこで今にも張り裂けそうな顔でイダマンテを見ていた。
「どうかイーリアを愛して下さい。私がいなくとも」
「うう・・・・・・」
「私は死を恐れません」
 己の覚悟も述べた。
「祖国とクレタに平和と安らぎをもたらすのならば私は喜んで死にましょう。それこそが私の喜びです」
「死こそが」
「そうです」
 決意そのものの言葉を語る。
「私が亡骸を残すことで私の愛するクレタと父上が平穏を得られるのならば」
「我が子よ・・・・・・」
「王子様・・・・・・」
「さあ、早く」
 父に儀式を促す。
「どうかクレタの為に」
「偉大なるポセイドンよ」
 ここで遂に祭司長が口を開いた。
「どうかここでお慈悲を」
「御願いです、そう」
「王子様はどうか」
「この気高いお方だけは。どうか」
「それでしたら、王様」
 ここでイーリアが階段を登った。そうして祭壇の側まで来た。
「私が。生贄に」
「!?馬鹿な」
「イーリア、それは」
 イドメネオとイダマンテが同時に声をあげる。下にいるエレクトラも驚きの声をあげる。
「何を考えているというの?一体」
「その鉾で胸を貫かれるのはその方であってはなりません」
「しかしそれは」
「それは私がです」
 イダマンテの前に立ってまた言った。
「ですからどうかここは」
「駄目だ、それは」
 イダマンテは立ち上がってイーリアに対して言う。
「それは私の役目なのだ」
「私はトロイアの者です」
 しかしこう言ってイーリアはそれでも立つ。
「ですからここは」
「しかし」
 イドメネオは鉾を持つ手を完全に止めていた。
「そなたを殺すことは。私は」
「ですが御自身のお子様をその手にかけてはなりません」
 イーリアの言葉は強い。
「王様、それはどうか」
「我が子を殺すことは大罪」
「人として許されることではない」
 ここでまた民衆達が言う。
「それだけはならない」
「しかし。イーリア様は」
「神は暴君ではありません」
 イーリアはイダマンテの前に立ち毅然として言う。
「どなたも神意を誤解されています。神が望まれているのは」
「神が望まれているのは」
「ポセイドンは」
 祭司長も祭司達も言う。
「ギリシアから民を除くことではありません」
「では一体」
「敵を除くことです」
「敵だと!?」
「そうです」
 イドメネオに対して返す。彼はこの場合の敵が何なのかすぐに悟った。
「ですからここは。トロイアの娘である私を」
「何故だ」
「何故ですか、イーリア様」
 クレタの者達がそれを聞いて嘆く。
「どうしてそこまで」
「その御身を捧げられるのですか」
「どうにかならないのか」
 民衆達からまた声があがった。
「このままではイダマンテ様かイーリア様が生贄に」
「どちらも素晴らしいお方だ。それでどうして」
「しかし。御二人が行かなければ」
 どうなるかも彼等はわかっていた。
「イドメネオ様が生贄に行かれる」
「どうしようもないのか」
「偉大なるポセイドン神よ」
 祭司達も懇願に入る。
「どうかお慈悲を」
「この素晴らしい方々に対して」
「是非共」
 この声が神殿、そしてクレタ中を包み込んだ。するとそれを受けてか突如として神殿の奥から厳かな声が聞こえてきたのであった。その声は。
「愛か」
「!?神殿から」
「この声は」
「愛だというのだな」
「ポセイドン神!?」
「間違いない」
 皆その声の主が誰なのかすぐにわかった。
「神の御言葉だ」
「どうなるのだ?」
「愛が勝利した」
 ポセイドンの声は語る。
「イドメネオは王を退くのだ」
「私が王を」
「そうだ。そして」
 ポセイドンはさらに声を続ける。
「イダマンテが王に。イーリアはその妃に」
「私が王に」
「そして私が妃に」
「何と言う奇蹟」
 アルバーチェは今のポセイドンの神託に思わず天を仰いだ。
「偉大なるポセイドンよ。有り難うございます」
「私の愛は消え去った」
 喜びに包まれる世界。しかしエレクトラは一人呻く様に呟くのだった。
「私は何処に行けばいいというの?」
 ここでまた呟く。
「オレストの下に行けというの?無慈悲な神々よ」
 彼女の弟だ。己の母とその愛人を殺した。その為に復讐の神エリスの怒りを買い各地を放浪しこの時はエレクトラに死んだと思われていたのだ。
「では行くわ。私は」
 暗い決意だった。
「貴方のその無残な亡骸を捜しに。このくれたを去り死の毒蛇に首を捉えられるまで」
 こう言って絶望しきった顔で神殿の前を後にした。以後エレクトラをクレタで見た者はいない。
「万歳!万歳!」
「ポセイドン万歳!」
「先王万歳!新王万歳!」
「愛するクレタの民よ」
 イドメネオは皆の喜びの声の中で告げる。
「私の王としての最後の命だ」
「はい」
「それは!?」
「平和はここに訪れた。生贄の儀式は果たされ祈願は届けられた。ポセイドンも他の神々もクレタを愛してくれている。その中で私はその神々の御意志に従おう」
「ではそれは」
「やはり」
「そうだ。新しい王」
 己の側にいるイダマンテに顔を向ける。
「我が子イダマンテにクレタの玉座と全ての権利を譲り渡す。これからはこの新しい王を愛してくれ」
「是非共」
「私達に新しい王を愛させて下さい!」
 彼等は喜んで彼の言葉を受ける。
「そして新しい后にも。皆イーリアを讃えてくれ」
「イダマンテ様万歳!」
「イーリア様万歳!」
 口々に二人を讃えだす。
「クレタに栄光あれ!」
「トロイアに栄光あれ!」
「全ての神々よ。御二人を永遠に御護り下さい!」
 二つの国の者達が喜びを捧げる。今ここにクレタとトロイアの者達は救われイダマンテとイーリアは晴れて結ばれた。二人は喜びの中で皆の喜びを受けるのだった。


イドメネオ   完


                         2008・10・8



どうなるかと思ったけれど。
美姫 「ちょっと予想外だったわね」
だよな。こういう場合、神は結構無慈悲っぽかったりするのに。
美姫 「今回は良い方向に進んだわね」
うんうん。まあ、エレクトラは少し可哀相だったけれどな。
美姫 「確かにね」
投稿ありがとうございました。
美姫 「ありがとうございました」



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